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中也の詩と原発

2011.08.04(16:53) 103

  汚れつちまつた悲しみに
  今日も小雪の降りかかる

 有名な中原中也の詩にそういうのがありましたが(今調べてみると『山羊の歌』という詩集に収められています)、「汚された大地に今日も放射能が降り注ぐ」状態になってしまった3.11以後のニッポン(だけではありませんが)では、この詩の最後のフレーズ、

  汚れつちまつた悲しみに
  なすところなく日は暮れる

 …は、リアルそのもので、政府の大本営発表にもかかわらず、今も福島原発事故収束のめどは全く立っていないことを、国民は皆承知しています(先日は原子炉建屋周辺に毎時一万ミリシーベルト超の“特濃”スポットがあることが新たに判明したという報道もありました。これは、素人には数値だけ聞いても意味はよくわかりませんが、京大原子炉実験所の小出裕章先生によれば、「一時間そこにいれば、二週間以内に必ず死ぬ」レベルのものだそうです)。

 しかし、悲しいかな、人間は長く緊張にもちこたえられるようにはできていないので、関連情報から受けるインパクトもだんだん弱くなってきて(それは政府・東電の望むところではないかと思われますが)、そのうち重大情報も報道されなかったり、「またか…」という反応と共に軽くやり過されるようになってしまいそうです。

 これは人間が悪いというよりも、原子力利用そのものが自然の摂理と人間の生理に反しているからだと見た方がいいので、いったん原子力施設が事故を起こすと、ふつうの火事や爆発事故の場合のように惨事がそのときだけではすまず、放射性核種(というのか?)の中には半減期が何万年、中には百万年などというものもあって、いつまでたってもその災禍から解放されることがないからです。大体、今の原発事故処理の様子を見てもわかるように、「危険すぎて近づけない」ので、作業の進展が異常なまでに遅くなる。一応の決着を見るだけでも最低数年はかかるのです。さらに、事故は起きなくても、そこから出る放射性核廃棄物の安全な処理の方法はなく、ドクロマークの標識をぶら下げた鉄条網か何かで周辺をぐるりと囲って保管するとか、地中深く埋め込むしか手はないというのだから、無責任、投げやりこの上ない。悪魔に魂を売って、富や権力を手にするという話と同じで、当座はいいかも知れないが、後でそのツケをこれでもかというほど払わされるのです。

 後先考えない科学技術の利用というのは、それ自体道徳的な自殺に等しいので、そういうことに手を染めた時点で、人間はなかば破滅したも同然です。

 米ソの冷戦時代には、地球上には世界を十数回破滅させるだけの核弾頭があると言われていましたが、「平和利用」の原発が核爆弾に劣らず危険なものであることを、今や僕らは思い知らされたのです。平和利用も軍事利用もない、これまで蓄積されてきた核廃棄物はともかく何とかして害の少ないかたちで「保管」するしかないとして、世界を挙げて脱「原子力」の方向に転換できるかどうか、そのことに人類の存続は大きく依存していると言ってよいかも知れません。「そんな子供みたいなことを言って、実現するわけないだろ!」と嘲笑されるのは必至と思われますが、でなければこの世界は後百年ももたないだろうと、僕には感じられるのです。

 そのときは奇跡的にどこかで未開部族のごく一部でも生き残って、人類はまたゼロからスタートすることになるのでしょうか? 先の中也の同じ詩の一節には、

  汚れつちまつた悲しみは
  なにのぞむなくねがふなく
  汚れつちまつた悲しみは
  倦怠のうちに死を夢む

 という箇所もありますが、何をどう言ったところで変わりはしないさと諦めて、「倦怠のうちに死を夢む」状態になると、それは必ずやってくるでしょう。この世の中には人間の力ではどうにもならないことと、人間の努力次第で変えられることとがあります。原子力の問題は後者に属しますが、自分たちが作った文明とシステムに逆に支配されるようになってしまった人間は、昔の人たちよりずっと少ない自由感しかもてなくなってしまって、その分無気力に、自己信頼感に乏しくなってしまったように見えます。

 原子力にかぎらない、昨日書いた延岡の高校の問題だって、「仕方がないさ」とそれに慣れてやり過ごすようになれば、何も変わらず、何のためなのかわからない“忍従”が続くだけになるのです。それでいいのかと、あらためて問いかけておきたいと思います。

【追記】グーグルニュースのピックアップのところに「どうなる放射能汚染物の処理【4】“原発並み”の放射能抱える東京の下水道施設」と題されたECO JAPANの驚くべき記事が紹介されています(こちら)。いまだに「不安を煽るのはけしからん!」と、ミソもクソもごっちゃにしてまっとうな指摘でも嘲笑罵倒したり、無視を決め込むする向きが少なくありませんが、こういうのはその深刻さを直視して、きちんとした調査に基づいた対応を取る必要があるでしょう。そうしないと二次被害をさらに拡大することになってしまう。ダチョウはパニックになると何も見えないように砂の中に頭を突っ込んで「安心」だと思い込もうとするそうですが、それで問題が解決するわけではないのは、わかりきったことです。
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祝子川通信 Hourigawa Tsushin


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