「菅用語」というのは今や有名になりました。次のような笑える記事(筆者は石原壮一郎氏)があるほどです。
・社長が口にしたら3日で会社がつぶれる3つの「菅首相用語」
こういうのはほんの一例にすぎません。先日21日の国会では、国民民主党の玉木雄一郎代表の「一般の国民がワクチン接種できるのはいつなのか?」という質問に対して、「時期について本日は控えさせていただきたい」と答え、共産党の志位和夫委員長の東京五輪・パラリンピックについての質問には、「ワクチンを前提としなくても安心、安全な大会開催はできる」と「従来通りの主張」を繰り返したとのこと。ワクチンは確保しているという話ですが、いつ打てるのか時期は不明だと首相自らが言い、半年後のオリンピックは、感染の度合いやワクチン関係なしに「安心、安全な開催」が可能だと胸を張るのです。アメリカの新大統領バイデンは認知症が心配されていますが、それでもこれほど奇怪なことは言わない。
最新の朝日新聞の世論調査が発表されました。「まだそんなに(支持率が)あるのか?」と意外に思った人が少なくないでしょうが、記事に添えられたグラフを見ると見事な「右肩下がり」になっていて、これは日本社会の不安な先行きを象徴しているかのようです。
・内閣支持率33%に続落、不支持45% 無党派層で急落
菅内閣の支持率は、発足直後の昨年9月は65%と高かったのが、4カ月で急落した。女性の支持率は31%で、男性の36%より低い。支持政党別にみると、自民支持層でも昨年9月87%→65%に、無党派層では同51%→16%に大きく落ちた。
つまり、無党派では「不支持」は8割を超えているということですが、自民の支持層では今でも65%あるというのは、トランプ支持者みたいな精神構造がそこにはあるのかなと疑いたくなるほどです。それとも、自民支持層にはコロナで影響を受けない、あるいはそれでむしろ儲かる業種に属する人たちや、株だけは上がっているという従来の経済学理論からすると不可解な事態(要は余った金がそこに流れ込んでいるだけ)になっていますが、投資で儲けている富裕層が多いからなのでしょうか?
僕みたいな株もやらない貧乏人で、かつコロナの直撃を受けている業界にいる人間は、早く収束にいたる道筋を示してもらわないと干上がってしまうので困るのですが、今の政府のやっていることは飲食店の夜間の営業時間を短縮して、要請に従った店にだけ休業補償金を出す(従わなかった場合は店名を公表するという脅し付)とか、菅・二階肝煎りの「国土強靭化」の土木工事になんかには惜しみなく予算を投入する一方、コロナ防止対策にはケチケチ作戦で臨んでいて、コロナ関係の医療従事者に思い切った割増賃金を出すこともしなければ、PCR検査を徹底して、感染者を特定して元栓を閉めるというかたちで拡大を阻止することにも全く乗り気でないようだし、「私は毎日コロナが収束に向かうようお祈りしています」みたいな、おまえはアッキーか、と言いたくなるような無為無策を続けているのです。
皮肉なのは、彼が「前例打破」の「思い切ったこと」をしたという事例は、政府の政策や方針に反対意見を表明したことがある(今後もその可能性がある)という理由だけで新会員の学者6人の任命を拒否したあの学術会議事件だけだということです。そういうやらなくていい下らないことだけはしでかして、肝腎なところでは何もしない。あのゴーツーの場合には、コロナ対応の経済対策といっても、要は自分たちのスポンサーの意向を汲んだものでしかなかったので、地方の観光地などはそのダシに使われていただけの話です(前にも書きましたが、ああいうおかしなことをするくらいなら、直接ホテルや旅館などの関係者に補償金を出した方がよけいなところに資金が流れず、効果的だったのではないかと思います)。東京オリンピックをやるやると言っているのも、「人類が新型コロナに打ち勝った証し」だの、「世界中に希望と勇気をお届けできる大会を実現する」だのという御大層な話は彼のたんなる後付けで、大事なスポンサーたちの利益がそこに大きく絡んでいるからです。「新型コロナに打ち勝つ」ために積極的に何をしているのかは依然不明で、ただ暖かくなって自然に感染が下火になるのを待っているだけのように見えるのです(そうなったら「政府の手柄」みたいに言うのでしょうが)。
ワクチンの効き目はまだわかりませんが、それを打って効いたとして、ワクチンを確保したり、それを全国民に接種したりすることはどんな無能な政権でもやる最低限の義務なので、あたりまえの話です。それによってコロナが収束に向かえばめでたいが、そのときは一体あの政権は何だったのだということになるでしょう。国民の疑惑をよそにゴーツーの愚策を進め、感染が拡大して支持率が激減すると、それまで頑固に「関係ない」(その後、感染拡大とは大いに「関係あった」とする研究結果が複数出されている)と言っていたのが、あわてて停止を発表。「緊急事態宣言再発令」の記者会見では、結婚式の祝辞みたいな気の抜けたことを言って失笑を買い、これで「人類が新型コロナに打ち勝った証し」「世界中に希望と勇気をお届けできる大会」になるはずのオリンピックが中止に追い込まれると、何と言うつもりなのかと、今から期待(?)が集まっているほどです。今度は葬式の喪主の挨拶みたいになるのでしょうか? せめて「東北大震災の傷が癒えず、その復興に全力を注ぐべきときに、オリンピック誘致なんて浮わついたことを考えたのがそもそもの間違いでした。これによって莫大な税金を浪費してしまったことを皆様にお詫びします」という反省の弁でも聞ければいいのですが、絶対に彼が口にしそうもないのがこの種の言葉です(マスコミも一緒に浮かれたことを反省した方がいい。僕は当時から反対していたので、スポーツ観戦が好きなことと、こういうこととは別の問題です)。
しかし、目下のところ、収束の兆しはない。東京は12日ぶりに新規感染者千人を下回ったという話ですが、増えすぎたのがいくらか戻したというにすぎないのです。コロナによって深刻な経済的ダメージを受けている人たちの苦難はさらに続くということで、政府はそれを傍観するかたちになっていて、経済苦による自殺者は今後も増えるでしょう。去年はまだしも国民一律10万の給付金や、上限100万の持続化給付金などの補償が行われたので、フリーランスの人や零細事業主などはかなり助かったわけですが、今年からはもうそれはない。麻生財務相は一部議員たちの10万円の再給付金提言を頑なに拒んでいて、「おまえらはたかり屋か!」と言いたげな口吻です。税金にたかっているのはあんたら有害無益な老害議員の方ではないかという皮肉も聞かれますが、とにかく菅政権の基本方針としては、「コロナの速やかな収束をお祈りします」というアッキー的な念力祈願以外、何もないのです。この際だから、アッキーを巫女にして、大々的な「コロナ祓い」儀式でも執り行ってはどうかと思うほどです。菅総理は神主のいでたちが相当似合いそうで、あの平坦で無感情な口調も祝詞(のりと)の朗誦なんかには合いそうに思われるのです(但し、漢字が正しく読めるかどうか心配)。今の自民党には極右の「神道政治連盟」に属する国会議員が多数いることからしても、その協力を仰げば、実現は容易でしょう。あの日本会議と仲良しの神がかり右翼のともちん(稲田朋美)なんかも、巫女の扮装が網タイツ以上に似合いそうなので、アッキーと並んで巫女さん役を務め、「神道政治連盟国会議員懇談会」会長は例の「桜を見る会」の安倍前首相なので、菅総理と並んで神主を務め、♪コロナよ、コロナ、飛んでけ~!とやるのです。海外からも注目されて、大報道されるのは疑いなし。
「それではカルト政治ではないか!」と怒る人がいかもしれませんが、げんにこれは「念じれば救われる」と思い込んでいる「カルト政権」なのですよ。冬場にかけてコロナ感染が激増するとは首相は「全く想定していなかった」そうで、だからゴーツーを始めたわけだし、「ワクチンを前提としなくても安心、安全な(オリンピックの)大会開催はできる」といまだに信じているらしいことからしても、そこには合理的な思考というものは何ら働いていないことが見てとれるのです。幼児的全能感にとりつかれて「私が総理になったからには、コロナも(官僚たちのように)忖度して収束に向かうだろう」と信じ、今もそう信じたいのです。これが「カルト思考」でなくて何だと言うのでしょう?
問題は、それが全然有効に働いていないことです。それはあたりまえの話ですが、神主(かんぬし)総理にはそれがわからない。彼は学生時代、政治学科だったようですが、一応法学部なので、刑法ぐらいはひととおり勉強したでしょう。昔、それの面白い判例があって、めったに授業に出ない不良学生だった僕も、元判事の先生の授業か何かでその話を聞いた覚えがあるのですが、ある人が憎い相手を呪い殺そうとして、「草木も眠る丑三つ時」に神社に行き、その境内で相手に見立てた藁人形に五寸釘を打ち込んだのです。それでこの人物は「殺人未遂罪」に問われた。しかし、裁判では無罪判決が下されたので、その理由は、「殺意はたしかに明白なものとして認められるが、手段が非科学的で、著しく有効性を欠いていた」というものだったのです。つまり、いくらその気があっても、それでは人は殺せないから、無罪と判断されたのです。
コロナ対策も同じで、菅総理の話にはやたら抽象的な物言いが多くて具体性に乏しいが、それは彼が念力の信奉者で、「コロナをやっつける」と言っていれば、コロナがその思いに反応して消滅に向かうと思っているからだと考えられるのです。冒頭記事に取り上げられていた「引き続き緊張感を持って、事態を注視していきたい」「一日も早く収束させ、安心して暮らせる日常を取り戻すために全力を尽くします」といった言葉にしても、具体的に何をどうするのかという話には全くなっていないので、彼にとっては「何より『思う』『念じる』ことが大事」なのです。そうしていれば何をするかとは無関係に問題は解決へと導かれる。洞察力に欠けるマスコミの記者たちはそこが見抜けないから今一つ的確な論評ができないので、彼は「霊能がないことが自覚できていない霊能者」だったのです。そこはアッキーに優るとも劣らない。
そういうカルト総理、念力総理に、僕らはこの大事な時期の政治を預けているわけです。これでは日本でコロナが収束するのは政情不安の発展途上国より遅いということになりかねないので、事は深刻です。もはや「一億総スガ化」して、コロナ収束を一心に念じるしかないのでしょうか? 「いや、私が国民の皆様に一番やっていただきたいことは実はそれなんですよ」と菅総理は言うかもしれません。僕やこれを読んでいるあなたのような「不信心な輩」が多数いるから、偉大な霊能者ガースーの念力発揮が妨害され、コロナ感染はこれほど拡大してしまったのかもしれないのです。反省!
・社長が口にしたら3日で会社がつぶれる3つの「菅首相用語」
こういうのはほんの一例にすぎません。先日21日の国会では、国民民主党の玉木雄一郎代表の「一般の国民がワクチン接種できるのはいつなのか?」という質問に対して、「時期について本日は控えさせていただきたい」と答え、共産党の志位和夫委員長の東京五輪・パラリンピックについての質問には、「ワクチンを前提としなくても安心、安全な大会開催はできる」と「従来通りの主張」を繰り返したとのこと。ワクチンは確保しているという話ですが、いつ打てるのか時期は不明だと首相自らが言い、半年後のオリンピックは、感染の度合いやワクチン関係なしに「安心、安全な開催」が可能だと胸を張るのです。アメリカの新大統領バイデンは認知症が心配されていますが、それでもこれほど奇怪なことは言わない。
最新の朝日新聞の世論調査が発表されました。「まだそんなに(支持率が)あるのか?」と意外に思った人が少なくないでしょうが、記事に添えられたグラフを見ると見事な「右肩下がり」になっていて、これは日本社会の不安な先行きを象徴しているかのようです。
・内閣支持率33%に続落、不支持45% 無党派層で急落
菅内閣の支持率は、発足直後の昨年9月は65%と高かったのが、4カ月で急落した。女性の支持率は31%で、男性の36%より低い。支持政党別にみると、自民支持層でも昨年9月87%→65%に、無党派層では同51%→16%に大きく落ちた。
つまり、無党派では「不支持」は8割を超えているということですが、自民の支持層では今でも65%あるというのは、トランプ支持者みたいな精神構造がそこにはあるのかなと疑いたくなるほどです。それとも、自民支持層にはコロナで影響を受けない、あるいはそれでむしろ儲かる業種に属する人たちや、株だけは上がっているという従来の経済学理論からすると不可解な事態(要は余った金がそこに流れ込んでいるだけ)になっていますが、投資で儲けている富裕層が多いからなのでしょうか?
僕みたいな株もやらない貧乏人で、かつコロナの直撃を受けている業界にいる人間は、早く収束にいたる道筋を示してもらわないと干上がってしまうので困るのですが、今の政府のやっていることは飲食店の夜間の営業時間を短縮して、要請に従った店にだけ休業補償金を出す(従わなかった場合は店名を公表するという脅し付)とか、菅・二階肝煎りの「国土強靭化」の土木工事になんかには惜しみなく予算を投入する一方、コロナ防止対策にはケチケチ作戦で臨んでいて、コロナ関係の医療従事者に思い切った割増賃金を出すこともしなければ、PCR検査を徹底して、感染者を特定して元栓を閉めるというかたちで拡大を阻止することにも全く乗り気でないようだし、「私は毎日コロナが収束に向かうようお祈りしています」みたいな、おまえはアッキーか、と言いたくなるような無為無策を続けているのです。
皮肉なのは、彼が「前例打破」の「思い切ったこと」をしたという事例は、政府の政策や方針に反対意見を表明したことがある(今後もその可能性がある)という理由だけで新会員の学者6人の任命を拒否したあの学術会議事件だけだということです。そういうやらなくていい下らないことだけはしでかして、肝腎なところでは何もしない。あのゴーツーの場合には、コロナ対応の経済対策といっても、要は自分たちのスポンサーの意向を汲んだものでしかなかったので、地方の観光地などはそのダシに使われていただけの話です(前にも書きましたが、ああいうおかしなことをするくらいなら、直接ホテルや旅館などの関係者に補償金を出した方がよけいなところに資金が流れず、効果的だったのではないかと思います)。東京オリンピックをやるやると言っているのも、「人類が新型コロナに打ち勝った証し」だの、「世界中に希望と勇気をお届けできる大会を実現する」だのという御大層な話は彼のたんなる後付けで、大事なスポンサーたちの利益がそこに大きく絡んでいるからです。「新型コロナに打ち勝つ」ために積極的に何をしているのかは依然不明で、ただ暖かくなって自然に感染が下火になるのを待っているだけのように見えるのです(そうなったら「政府の手柄」みたいに言うのでしょうが)。
ワクチンの効き目はまだわかりませんが、それを打って効いたとして、ワクチンを確保したり、それを全国民に接種したりすることはどんな無能な政権でもやる最低限の義務なので、あたりまえの話です。それによってコロナが収束に向かえばめでたいが、そのときは一体あの政権は何だったのだということになるでしょう。国民の疑惑をよそにゴーツーの愚策を進め、感染が拡大して支持率が激減すると、それまで頑固に「関係ない」(その後、感染拡大とは大いに「関係あった」とする研究結果が複数出されている)と言っていたのが、あわてて停止を発表。「緊急事態宣言再発令」の記者会見では、結婚式の祝辞みたいな気の抜けたことを言って失笑を買い、これで「人類が新型コロナに打ち勝った証し」「世界中に希望と勇気をお届けできる大会」になるはずのオリンピックが中止に追い込まれると、何と言うつもりなのかと、今から期待(?)が集まっているほどです。今度は葬式の喪主の挨拶みたいになるのでしょうか? せめて「東北大震災の傷が癒えず、その復興に全力を注ぐべきときに、オリンピック誘致なんて浮わついたことを考えたのがそもそもの間違いでした。これによって莫大な税金を浪費してしまったことを皆様にお詫びします」という反省の弁でも聞ければいいのですが、絶対に彼が口にしそうもないのがこの種の言葉です(マスコミも一緒に浮かれたことを反省した方がいい。僕は当時から反対していたので、スポーツ観戦が好きなことと、こういうこととは別の問題です)。
しかし、目下のところ、収束の兆しはない。東京は12日ぶりに新規感染者千人を下回ったという話ですが、増えすぎたのがいくらか戻したというにすぎないのです。コロナによって深刻な経済的ダメージを受けている人たちの苦難はさらに続くということで、政府はそれを傍観するかたちになっていて、経済苦による自殺者は今後も増えるでしょう。去年はまだしも国民一律10万の給付金や、上限100万の持続化給付金などの補償が行われたので、フリーランスの人や零細事業主などはかなり助かったわけですが、今年からはもうそれはない。麻生財務相は一部議員たちの10万円の再給付金提言を頑なに拒んでいて、「おまえらはたかり屋か!」と言いたげな口吻です。税金にたかっているのはあんたら有害無益な老害議員の方ではないかという皮肉も聞かれますが、とにかく菅政権の基本方針としては、「コロナの速やかな収束をお祈りします」というアッキー的な念力祈願以外、何もないのです。この際だから、アッキーを巫女にして、大々的な「コロナ祓い」儀式でも執り行ってはどうかと思うほどです。菅総理は神主のいでたちが相当似合いそうで、あの平坦で無感情な口調も祝詞(のりと)の朗誦なんかには合いそうに思われるのです(但し、漢字が正しく読めるかどうか心配)。今の自民党には極右の「神道政治連盟」に属する国会議員が多数いることからしても、その協力を仰げば、実現は容易でしょう。あの日本会議と仲良しの神がかり右翼のともちん(稲田朋美)なんかも、巫女の扮装が網タイツ以上に似合いそうなので、アッキーと並んで巫女さん役を務め、「神道政治連盟国会議員懇談会」会長は例の「桜を見る会」の安倍前首相なので、菅総理と並んで神主を務め、♪コロナよ、コロナ、飛んでけ~!とやるのです。海外からも注目されて、大報道されるのは疑いなし。
「それではカルト政治ではないか!」と怒る人がいかもしれませんが、げんにこれは「念じれば救われる」と思い込んでいる「カルト政権」なのですよ。冬場にかけてコロナ感染が激増するとは首相は「全く想定していなかった」そうで、だからゴーツーを始めたわけだし、「ワクチンを前提としなくても安心、安全な(オリンピックの)大会開催はできる」といまだに信じているらしいことからしても、そこには合理的な思考というものは何ら働いていないことが見てとれるのです。幼児的全能感にとりつかれて「私が総理になったからには、コロナも(官僚たちのように)忖度して収束に向かうだろう」と信じ、今もそう信じたいのです。これが「カルト思考」でなくて何だと言うのでしょう?
問題は、それが全然有効に働いていないことです。それはあたりまえの話ですが、神主(かんぬし)総理にはそれがわからない。彼は学生時代、政治学科だったようですが、一応法学部なので、刑法ぐらいはひととおり勉強したでしょう。昔、それの面白い判例があって、めったに授業に出ない不良学生だった僕も、元判事の先生の授業か何かでその話を聞いた覚えがあるのですが、ある人が憎い相手を呪い殺そうとして、「草木も眠る丑三つ時」に神社に行き、その境内で相手に見立てた藁人形に五寸釘を打ち込んだのです。それでこの人物は「殺人未遂罪」に問われた。しかし、裁判では無罪判決が下されたので、その理由は、「殺意はたしかに明白なものとして認められるが、手段が非科学的で、著しく有効性を欠いていた」というものだったのです。つまり、いくらその気があっても、それでは人は殺せないから、無罪と判断されたのです。
コロナ対策も同じで、菅総理の話にはやたら抽象的な物言いが多くて具体性に乏しいが、それは彼が念力の信奉者で、「コロナをやっつける」と言っていれば、コロナがその思いに反応して消滅に向かうと思っているからだと考えられるのです。冒頭記事に取り上げられていた「引き続き緊張感を持って、事態を注視していきたい」「一日も早く収束させ、安心して暮らせる日常を取り戻すために全力を尽くします」といった言葉にしても、具体的に何をどうするのかという話には全くなっていないので、彼にとっては「何より『思う』『念じる』ことが大事」なのです。そうしていれば何をするかとは無関係に問題は解決へと導かれる。洞察力に欠けるマスコミの記者たちはそこが見抜けないから今一つ的確な論評ができないので、彼は「霊能がないことが自覚できていない霊能者」だったのです。そこはアッキーに優るとも劣らない。
そういうカルト総理、念力総理に、僕らはこの大事な時期の政治を預けているわけです。これでは日本でコロナが収束するのは政情不安の発展途上国より遅いということになりかねないので、事は深刻です。もはや「一億総スガ化」して、コロナ収束を一心に念じるしかないのでしょうか? 「いや、私が国民の皆様に一番やっていただきたいことは実はそれなんですよ」と菅総理は言うかもしれません。僕やこれを読んでいるあなたのような「不信心な輩」が多数いるから、偉大な霊能者ガースーの念力発揮が妨害され、コロナ感染はこれほど拡大してしまったのかもしれないのです。反省!
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