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傍迷惑な抗議者について

2020.01.31(14:38) 686

 世の中にはいわゆる「残念な人」の他に、「困った人」というのがいて、後者の場合、本人は素知らぬ顔ですが、周りが半端でなく迷惑するので、だから「困った人」なのです。

 僕のこのブログは、いくつかのコーナーに分かれていますが、このうち「延岡の高校」コーナーにその「困った人」が一人執着し続けていて、僕はほんとに困っています。よりにもよってこの気ぜわしい時期におかしなことをしでかすので、なおさら困る。

 最近は、「またか…」とコメント欄に何の新味もない、過去のそれと同工異曲だが、しかし文面に問題のありすぎる彼の投稿が入るたびに削除しているのですが、受け付け不能にしたら、今度は別のアドレスで書いて寄越す。こういうのは一種のストーカーですが、先日の晩など、深夜に突然電話がかかってきて、身内か知人の訃報ではないかと身構えたら、見ず知らずの大学生で、何でもその困ったちゃんに電話するよう言われてしたのだと言う。全くわけがわからないので、完全にブチ切れてしまいました。

 その面倒な人について書く前に、この前消した彼の投稿をここに載せておきましょう。これは、ブログにコメントが入るとメールで自動的にこちらに通知されるシステムになっているので、そこに残ったものをそのままコピーしたものです。日時はコメント投稿時のもので、日本語がおかしいのもそのままにしてあります(「3年〇組」としてあるのは、ほんとは具体的な数字が入っているのですが、その保護者の迷惑を考えて消したものです。また、彼自身が講師として勤務したことがあるという私立高校の名も、本人が後で困ることになるだろうと思うので、わからないようにしています)。

 3年〇組の延岡高校生保護者と2019年4月に草野球で、お会いして課外の話を聞きました。
 その保護者は「全員課外を受講するから課外で授業をすると聞いた」と言って、いました。
  課外は全員受講するしないは関係なく課外で授業してはいけないはずだと私が思い、後日、課外を詳しく調べて課外のルールや経緯の説明をしようと草野球のグランドで再びお会いする機会が無かったので、その保護者の会社連絡先を調べて今日2020/01/24の昼休みに、その保護者の会社に電話をして、保護者が出たので2011年の沖縄県課外裁判や課外報酬やルール説明をしっかりしました。
 保護者は自分自身も延岡高校に通い子供も延岡高校に通って三年目だけど、初めて課外の内容やルールを知った!と言いました。延岡高校は保護者の課外の無知について、課外のルール説明をしてません!
 この会話をボイスレコーダーで録音したので録音内容を延岡高校と宮崎県教育委員会へ持っていき明後日2020/01/26抗議しに行きます!
 宮崎県教育委員会と延岡高校含む宮崎県普通科は課外で授業してません!と惚けてますが、保護者の証言を持ってどういう事かを説明を含め抗議します! 2020/01/24 (金) 22:21

 私は宮崎〇〇と△△高等学校で教師をしてました。
 〇〇と△△高等学校は無料と無報酬で業者模試監督と課外を実施して私学教育は大変な目にあっているのに、宮崎県普通科進学校は公務員教師でありながら公僕であるのに課外手当や業者模試監督手当を貰いならがら高い報酬と給料をもらいながら、課外のルールや経緯の説明せず保護者の無知につけ込んで授業を進行するとは許せないので、延岡高校と宮崎県教育委員会に抗議しに行きます! 2020/01/24 (金) 22:32


 類稀なる悪文で、いつもこの調子なのですが、より深刻なのはその内容です。下は本人の個人的な愚痴としか思えないシロモノですが、上の文からわかるのは、彼が延岡高校の生徒の保護者と会い、「全員課外を受講するから課外で授業をすると聞いた」というので、それはけしからんと、新たな「抗議」ネタを発見して勇躍した、ということなのです。

 これ、課外で授業をするのはあたりまえの話で、わけがわからないと思う人が多いでしょうが、言わんとしていることは「平常授業の続きをした」ということなのでしょう。そこらへんも彼の文章の特徴として著しく正確さに欠けるのですが、とにかくそういうことだったとして、現実的に考えて、全員受講しているのなら、課外で平常授業の続きをやっても生徒に実害はないということになります。問題になるのは、課外を受講していない生徒がいるのに、教師が勝手に平常授業の続きをそこでやってしまう場合、あるいは「課外でも続きをやるからな」と生徒たちを脅して、間接的に全員に課外受講を強要している場合です。ちゃんと選択権を与えて、その結果、全員受講になったのなら、杓子定規に「課外は絶対別枠でやらねばならない」といきり立つ必要はないように思います。

 しかし、アルカイダみたいな原理主義者の彼には何としてもそれは許しがたいのです。それで、次に会う機会がなかったので、誰かにその保護者の勤務先を聞くなどして、電話番号も調べ、そこに電話をして、ご親切にもわざわざそれが「違法」である旨を説明したのです。それも話を聞いてから9ヶ月もたってからなのです。これだけでも十分驚くに値しますが、それを無断で(そうは書いてありませんが、ほぼ間違いなくそうでしょう)ボイスレコーダーに録音して、それを持って「延岡高校と宮崎県教育委員会に抗議しに行」くというのです。

 それが「明後日2020/01/26」だというのですが、カレンダーを見たらそれは日曜だったので、県教委も学校もふつうは休みのはずです。わけがわからない。しかし、今はセンターが終わったところで、高校では休み返上で、先生たちが志願先を決める生徒との重要な面談をしている可能性がある。そんなところに押しかけられては迷惑そのものです。前回も書いたように、センターから一ヶ月は受験生にとって何より重要な時期なのですから。しかし、よりにもよってその大事な時期につまらないクレームを付けに行こうというのです。生徒のためと言いながら、実はそんなこと、何も考えていない。

 傍迷惑お構いなしというのは、これだけでもわかるでしょう。その保護者にしても、草野球の場で課外の話を持ち出され、それに適当に応じていたら、ずっと後になって突然会社に電話がかかってきて、かつそのとき話したことが勝手に録音されていて、それがわが子が今現在通う学校への「抗議」の材料に使われるということなので、それを知ったら冷静ではいられなくなるでしょう。しかし、彼は平気でそういうことをやらかすのです。

 他にも色々問題があって、彼は四、五年前、どうやってか看板も出していないうちの塾を探り当てたらしく(僕の知り合いの紹介とか、そういうことでは全くない)、突然授業中に塾にやってきて生徒たちを不気味がらせたのですが、お相手は授業が終わるまでお待ちいただくしかなかったとして、後で彼を見た女生徒の一人が、「あのヘンな人、よく図書館で見かける」と言ったのです。延岡高校の制服を着ている生徒たちに声をかけて、「課外への不満」話を収集していたらしいのですが、その程度ならまだ「ちょっと変わった人」ぐらいで許容範囲としても、去年塾の生徒から、友達(女子)が一人で帰宅途中ずっとヘンな男の人に自転車でつきまとわれて、「こわかった」と言っていたという話を聞いたときは仰天しました。「ねえねえ、課外って、ほんとはいらないよね」「ええ…」「ところで、君は何組なの?」というようなことで、その女生徒は十分か十五分か知りませんが、恐怖の中で過ごしたのです。

 ここまで来ると立派なストーカーです。彼以外にそんなことをする人間がいるとは思えなかったので、今度見かけたら厳重に注意しとくからとその生徒に言いました。そしたら、タイミングよくと言うべきか、その話を聞いたまさにその晩、塾を閉めて帰ろうとした時、彼が現われたのです。僕は中に入るように言い、「おまえはヘンタイか!」と怒鳴りつけました(拳で思いきり机を叩いたら、手を痛めてしまった)。やることが限度を超えている。そして、今後一切、よけいなことはしないよう言いました。

 しかし、その後も「よけいなことしまくり」なのが、上の投稿を見てもわかるわけです。疲れること夥しいので、人の忠告の一体何を聞いているのか?

 彼は、延岡高校のOBです。人間的に幼い印象なので、外見的に二十代はあり得ないとしても、まだ三十代だろうと思ったら、夜中に電話をしてきた彼の講師時代の短期間の「教え子」だという私大生によれば、「四十代半ば」のはずだというので、年齢不詳なのですが、たぶん独身で、いたって愛想はよく(だから初見ではこういうことをする人間だとはわからない)、「実はですねえ…」と言いながら、話題はもっぱら宮崎県の高校の「けしからん」ところなのですが、熱心に語る。自分の高校時代の個人的な恨みつらみがそこには重なっているのではないかと思われますが、察するに、彼は何年か前、僕がここに書いた「教育という名の児童虐待」という一文を見つけて、味方がいたと狂喜したのです。これでリベンジの手がかりが得られたと、そう思ったのかもしれません。

 これはそう断定して差し支えないだろうと、僕は思っているのですが、彼が僕のブログで読んでいるのは「延岡の高校」コーナー、または入試・学校関係のいくつかの記事だけです。それもどういう読み方をしているのかわからないのですが、他のことには全く関心がない。話をしてみると、社会科の教師とは思えないほど視野が狭いので、高校時代のトラウマか何か知りませんが、過去の個人的な恨みに固着し、それで大人になり損ねたのです。

 僕は最近、このコーナーの記事をあまり書いていません。それは彼のような不満派には面白くないからいらざることを再々書いて寄越すのでしょうが、理由はかんたんで、少なくとも延岡市内の県立高校の場合、前よりずっと事情はよくなっているからです。星雲高校は朝課外を廃止したし、延岡高校も、敷居を高くする「不受講届」ではなく、「受講・不受講」どちらかにマルをつけて出す書式に替え、「説得」という名の無理な強要もしなくなった(げんに今、塾生には受講していない子がいる)。冬場の1・2年の朝課外は休止になっているし、「前進」しているのです。僕は今のシステムになったとき、生徒たちにこう言いました。「受講・不受講、君らは自由に選択できるようになったのだから、こんなものいらないと思えば、受講しなければいいだけの話で、ボールは今や君らの手に渡ったのだ」と。3年生の場合、朝課外と夕課外を分けて選択できるようにするなど、改善の余地はまだ大いにありますが、ここまで来たからには、外野が騒ぎ立てる必要はほぼなくなったと言っていい。朝課外というのは科学的・生理学的に見ても不合理な、慢性睡眠不足をひき起こして学習効果を下げるだけのナンセンスなシステムですが、悪しき慣行も、先例踏襲の教育公務員の世界ではなかなか変えられないらしく、それでも他県(たとえば大分)では廃止に踏み切るところが出てきているのに、保守的で優柔不断な宮崎県はまだその決断ができないのです。しかし、学校の先生たちの間でも「朝課外不要論者」は増えつつあるようだし、生徒に明確な選択の自由が与えられた。いまだに無理強いしている学校があるとすれば、その場合、その学校の生徒や保護者が直接抗議して善処を求めればいいだけの話でしょう(ついでに言うと、僕が「無駄に量が多いだけで、何の役にも立たないクソプリント」と呼んでいた延岡高校の英語教材、「ベーシック・グラマー」もやっと二年前廃止になりました)。

 だから、僕はもう原則として自分の出番はなくなったと思っているのです。仮にとんでもない暴力教師など出てくれば、また書くでしょうが、今のところそういう話も聞いていない。これは喜ばしいことです。

 しかし、彼のような人には喜ばしくないので、非難攻撃する材料をたえず見つけなければならないのです。課外を受講するよう学校側が不当な圧力をかけ続けているとか、先に見たような課外の運営方法に問題がある、などです。たしかに、課外の受講者はまだ圧倒的に多い。しかし、それは学校が不正なことをしてそうなっているのでないかぎり、生徒たちの選択の問題なので、宮崎県人の県民性として、積極的に変化を生み出そうとする気概には乏しいので、勉強も自分で独り立ちしてやっていこうという気にはなかなかなれないからでしょう。それをこうしろと無理強いすることはできない。自分で進んでリスクを取ることにはかなりの勇気が必要だからです。それを外から植え付けることはできない。だから僕は「あとは君ら自身の問題だよ」と言うのです(思い出したのでついでに書いておくと、去年彼が例によって予告もなく授業中に押しかけてきて、クシャクシャになった紙片を僕に渡したことがありました。それは宮崎市内の某県立高校の英語科教師が生徒に配布した文書だという話で、課外をサボると一回につき何点、平常点から減点すると書かれていて、仮に全部受けないと、大幅減点になるので、定期テストで満点を取っても3か4しか取れないということです。ずいぶんとイカれた教師がいるものだなと僕は呆れましたが、こういうのを撤回させるのはかんたんで、コピーを県教委に送って、「こういうやり方、ありですか?」と言えばいいだけの話です。「しかし、こんな汚い紙、人に読んでくれと言って渡す奴がいるかね」と言うと、生徒たちは爆笑しました。彼らもその非常識には呆れたのです)。

 とにかく彼は静かにしていることができないようなので、異常としか思えないような軽挙妄動を間歇的に(何かバイオリズムの周期のようなものも関係しているのではないかという気がするのですが)繰り返す。そういうことをされると、真面目に課外廃止または縮減に向けての運動をしている人たちの信用が害されることにもなるので、百害あって一利なしです。たとえば彼は前に、星雲高校のPTA会長のところにこのブログ記事のコピーをもっていきなり押しかけて行ったことがあるらしく、学校に課外を廃止するよう要請すべきだと言ったら拒否されたと言って寄越したことがあります。彼は大いに憤慨しており、僕にも共感してもらえると思ったようですが、こちらは呆れただけで、そんなこと、相手の立場上あたりまえの話です。順序もへったくれもなく勝手に自分の思い込みで行動して(もちろん、僕のブログをコピーして渡したりする際、事前にこちらの承諾を得ているわけでも何でもない)、それが通らないと「けしからん!」と憤る。誰がそんな非常識なことしろと言った、と怒鳴りつけたくなりますが、それがいかに傍迷惑かつ無意味な行動であるかという自覚は全くないのです。

 彼はまた、県教委にクレームをつける「お得意さん」でもあるらしく、二、三年前、まだ「不受講届」制だった頃の話ですが、延岡高校の3年生に二人だけそれを出す勇気のある生徒がいて、どちらも女子でしたが、学校側は「皆が受けるのに、おまえだけ何でだ!」と呼び出してそれを撤回させようとしたという事件がありました。そのうちの一人は塾の生徒で、「いらない科目は別室で自習する」という条件で仕方なく「受講」に切り替えさせられた(もう一人も撤回させられた由)らしいのですが、これは明らかに「受講の強要」です。このブログ記事でも差し障りのない範囲でそれには触れましたが、彼はこの話を元に、県教委に直接抗議を行なった(例によって勝手に)というのです。すると、県教委の担当者は「あの祝子川通信に書かれていることが正しいとはかぎらないので、盲信するのは危険だ」と言い、「学校側に確認したところ、そんな事実はない」と答えたというのです。僕は生徒に確認を取っているので、それは嘘の皮なのですが、この県教委の反応それ自体は何ら驚くに足りない。学校側が教委の問い合わせに対して正直に「ええ、強要しました」と答えるわけはないからです。

 それで僕は彼に、「君は何のためにそんな無意味な抗議をしているのだ?」と訊きました。そういうのは実情を知らない者同士、二手に分かれて、強要した、いや、しなかったと水掛け論を繰り返してそれで終わりだからです。何の意味もない。県教委がそれを認めないのはけしからんと彼は言うのですが、僕は認めないのが当たり前だと思うので、何ら憤慨は感じない。彼はその生徒の証言がほしいと思ったようですが、そんな要請に僕が応じるわけがない。わかりきったことで、生徒を守るのが塾教師としての僕の務めだからです。

 県教委が無理にそれを認める必要もないのです。その関係者が不快を我慢してこのブログを読み、そこに自分たちに不都合なことがたくさん書かれているのを見て、学校に確認して、学校が「そんなことはありません」と答えたとして、そうしてもらわないと教委も立場上困るわけですが、どこに真実があるかはおおよそ察しがつくでしょう。大勢の人がそれを見ていることも彼らは知っている。そうすると、「これはどうもまずそうだな」ということになって、表向きはどうあれ、対応は徐々に変化してくるはずだからです(そのスピードがお役所組織らしく、異様に遅いとしても)。げんにもう課外の無理強いは行われなくなった。少なくとも延岡高校の場合、僕が塾の3年生に確認したかぎりでは、そうなのです。

 これを彼は「自分の抗議行動のおかげ」だと自画自賛しているかもしれませんが、そんなわけはないので、先方には「傍迷惑な病的クレイマー」だと思われているだけです。ひょっとしたら、県教委は僕が彼のような偏執狂的な人間を焚き付けておかしな業務妨害行為をさせていると思っているかもしれません。事実は逆なのですが、そうなるとこちらの信用まで害されてしまうわけです。

 ここの記事を利用すること自体に僕は反対しているのではないので、有意義に使ってもらう分にはいいのですが、彼のようにそれが周囲にどういう波紋をひき起こすかも考えず、無責任かつ軽薄な「抗議行動」に結びつける人間がいると、こちらとしても悪用を警戒してかえって情報を出せなくなってしまいます。たとえば、去年、延岡高校のある理系科目の3年担当の先生が、授業時間が足りないので課外でも続きをやらせてもらうが、あのブログ(生徒たちは「先生のブログ」だと言いました)に書かれるとおおごとになって、「(クビになって)路頭に迷う」かもしれないから、漏らさないでほしいと皆の前で哀願したという話を塾の生徒から聞いて、大げさな話だと笑ったことがありました。生徒の一人は、だから先生がそれをブログに書くと、自分たちが「密告」したみたいになるから、それはやめてほしいと言うので、その教師は自分でまずいと思っているのなら、初めからそんなことしなければいいので、こちらを悪者にして自分が被害者ぶるのはそもそもおかしいだろうと答えたのですが、まあ、書かないことにしてあげるよと言ったのです。

 それは、生徒たちの立場のこともむろんありますが、その先生の場合、入試対策もちゃんとやりたいが、時間的に課外も使わないと間に合いそうもないと、生徒第一に考えてそういうことになったのだろうと思ったからです。英語など時間数が多く、平常授業で無駄なことをやらなければ十分足りる科目ではそういう言い訳は通用しないが、カリキュラム上、理科社会の場合は授業時間が足りなくなるということは実際にあるでしょう。生徒たちもそれを受容したのなら、いいのではないかと思ったのです。

 しかし、これまでの経緯からして、彼のような原理主義者がこういう話を読むなり聞くなりすれば、「けしからん!」といきり立って、早速「抗議」に出かけて、ややこしいことになってしまうのは目に見えています。鬼の首でも取ったような気分になって、当事者でも何でもないのに、これでもかと学校を責め立てるのです。その結果、その先生がクビになるようなことはないでしょうが、課外は別枠でやることになって、そうなると彼には「勝利」でしょうが、その科目の授業全体が中途半端なことになり、入試対策もロクにできないまま受験シーズンを迎え、生徒たちの成績が芳しくないことになった、ということにもなりかねない。生徒のほとんどが課外を選択しているのなら、被害は軽微で、飛び抜けた秀才なら独習でカバーもできるからなおさらのことです。これが生徒の半分、三分の一が「不受講」を選択していたとなると、話は全く別ですが。

 こういうのは、カリキュラムを整備し直せばすむことだとして、そちらが本筋ですが、今現在の現実としてはそういう問題も出てくるわけです。単元別に演習部分は課外でやり、教科書は平常授業でのみ進める、という方法は可能だとしても。

 しかし、課外受講が100%だろうと50%だろうと、原理原則は断固貫かねばならないという彼のような人間にはそんな微妙な話は通用しない。げんに冒頭の彼の投稿にあったように、全員が受講していても、絶対に課外は別枠にしなければならないと言うのですから。

 僕は実質主義者なので、タテマエに基づいてものは考えません。行き過ぎた課外も、寝不足と健康問題への悪影響が懸念される朝課外はとくにそうですが、益よりも害の方がはるかに大きいと思っているから、反対しているわけです。統計的なアンケートをとったわけではありませんが、朝課外がいらないと思っている生徒は少なく見積もっても80%以上いるでしょう。あらゆる面から見て、それに合理性は乏しい。だから今はその制度がある九州地区全体に朝課外廃止の動きが広まって、廃止するところも増えてきているわけです。

 改善の動きが明確なものとして出てきているのだから、それを見守り、必要と見たときだけ意見を言えばいいだけだと僕自身は思いますが、彼のようなアルカイダ的原理主義者には、こういうのは「何を生ぬるいことを言っているのだ!」ということになるらしく、これは最新の投稿(一昨日消しときましたが)ですが、こんなことを書いて寄越すのです。

 課外希望制は私を〇〇高校の教師に紹介した宮崎市の塾長が、2018年7月に宮崎県議会において、宮崎県議員が課外の改善を述べた文章を持って行って、オンブズマン仲間を率いて、集団で課外の強要や課外の拘束に対して抗議を宮崎県教育委員にしたのです。
 宮崎県教育委員会の平社員が「分かりました。宮崎県教育委員会の上司に課外希望制を2019年に宮崎県普通科全校に通達するようにします!」と集団抗議に折れて2019年度に課外希望制になったのです。行動が実を結んだのです!行動あるのみ!  2020/01/28 (火) 2:25


 例によって甚だしい悪文で、最初の文なんか「てにをは」が完全に崩壊していますが、このブログの過去の記事をご覧になってもわかるように、少なくとも延岡高校(言うまでもなく、宮崎県教委の管轄です)では2016年度から課外はタテマエ上とはいえ、選択制になったのです。つまり、「課外希望制」が導入されたのはその三年も前の話だったのですが、彼のこの文章が正しいとすれば、物理学的な時間は崩壊して、それより後の「行動」が過去に遡って影響を及ぼしたことになるのです。最新の量子物理学によれば、そういうのもありだということになるのかもしれませんが、専門の物理学者に聞けばそんなことはないと教えてくれるでしょう。

 彼がこれで一番言いたいことは、最後の「行動あるのみ!」で、僕が何度も繰り返し「やめとけ」と言った彼の非常識な「抗議」でさえも大いに役立っているということなのでしょう。だから、受験シーズンの忙しいさなか、無断でボイスレコーダーに録音した「保護者の証言」を持って学校に押しかけることなども「正義の行動」なのです。僕の電話番号を元「教え子」の大学生に勝手に教えて、夜中に人騒がせな意味不明電話をかけさせるなども「正義にかなう」わけです。

 仮に彼が延岡高校や県教委にこの「保護者の証言」を持ってほんとに「抗議」に出かけていたとしましょう。「全員が課外を受講」していたのなら、そこで平常授業の続きをやっていたとしても実害はありませんが、それは課外の原理原則に反しているので許しがたい。そう彼は主張するのですが、相手としては「だから何なのだ」とホンネでは思うだけでしょう。生徒たちも誰も被害は受けていないのだから、その「抗議」に感謝する者は一人もいない。まともに取り合ってもらえないことに焦った彼は、その保護者が誰だと明かし、生徒名簿を出せと要求し、すでにクラスは特定されているのだから、姓から生徒を特定するのも容易で、「この子の親だ」ということを説明するかもしれません。それで「でっち上げ」ではないことがめでたく証明されるのですが、そのときはそれがプライバシーの深刻な侵害であることは忘れているのです。その場合、保護者は困惑または激怒するでしょうが、こうなると、彼は刑事処罰の対象に十分なりえます。僕が検事なら、有罪にもって行くことはたやすいと考えるでしょう。

 冗談ではなしに、今後も周囲の迷惑や人権への配慮に欠けた愚かな「抗議行動」を続けるなら、彼はいずれ刑事告訴される羽目になるでしょう。こういうのは完全な病気です。僕に不思議でならないのは、どうして親や周囲の人たちは彼に精神科の治療を受けさせないのかということです。皮肉で言っているのではなく、真面目にそう思っている。ある種の政治団体の会員やモンスター・クレイマーの中には精神疾患を患っている人が結構いるものですが、彼らは周囲にいたずらに混乱をひき起こすだけでなく、最後には自分自身を深刻に害してしまうのです。彼の家族や友人がこれを読めば、たやすくそれが誰なのかはわかるでしょうから、そう進言してあげて下さい(彼の名誉のために一言付け加えておくと、僕の見るところ、彼にはおかしな凶暴性などはなく、抗議に出かけても、暴力を振るったりすることは今までなかっただろうと思います。むろん、だから許されるというわけではないのは、ここまでお読みになった人にはおわかりになるでしょう)。

 前にも僕は彼の迷惑行為(ここに含めなかっただけで、他にもギョッとさせられるようなことはいくつもあった)に腹を立てて書きかけたことがあるのですが、そのときは「かわいそうかな…」と思いとどまりました。しかし、ほっとくとほんとにキリがないので、犯罪者として告発される前に警告しておくほうがいいかと思ってこれを書きました。きちんと治療して、もっと建設的な「人生の目標」をもてるようになってもらいたいのです(前にも彼自身に直接、「この問題でとやかく言うのはもういいから、自分の人生を生きろ」と言ったのですが…)。

 以上です。


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祝子川通信 Hourigawa Tsushin


2020年01月
  1. 傍迷惑な抗議者について(01/31)
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