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あの植村隆が韓国ジャーナリズムから「真実」ゆえに表彰された?

2019.12.24.10:52

 ネットに次のような記事が出ていました。

朝日「慰安婦誤報」で韓国から賞金100万円…植村隆記者は「光栄です」

 同じデイリー新潮のサイトには、別の「植村記事」もあり、順序としてはこちらを先に読んだ方がよさそうです。

「慰安婦誤報」の植村隆氏が韓国紙に登場 バッシングも裁判敗訴も日本の右傾化のせい

 それで後ろから見ていくと、これは有名な話ですが、発端は朝日新聞の記者時代、彼が書いた記事に明白な「誤り」があったことでした。

 そもそも、1991年8月11日に朝日新聞大阪版に掲載された植村氏の“スクープ”は、「思い出すと今も涙」という記事で、慰安婦の支援団体から入手した元慰安婦の金学順さんの証言テープをもとに執筆されたものだ。

 記事は〈日中戦争や第2次大戦の際、「女子挺身隊(ていしんたい)」の名で戦場に連行され……〉と始まって、韓国に先駆け、韓国人元慰安婦の証言を紹介した。その後の同国の反日・慰安婦活動に火をつけたきっかけとなった。

 ところが、金さんの記事が出た後、「養父によって慰安所に売られた」と〔金さん本人が〕発言。軍によって連行されたわけではなかったことが判明し、すでに朝日新聞(2014年12月23日付)は〈この女性が挺身隊の名で戦場に連行された事実はありません〉と訂正した。


 朝日新聞は、「1983年(昭和58年)以降、吉田証言を16回にわたって記事にしてきた」が、「2014年8月5日に吉田証言を虚偽と判断して、すべての記事を取り消した」とウィキペディア「吉田清治」の項にもあるように、一人の目立ちたがりの虚言症患者に振り回されて、80年代から虚偽の日本軍による「慰安婦強制連行」話を広め、韓国の反日左翼団体(とくに挺対協)の勢力拡大とその後の日韓関係の悪化に大きく“貢献”したのですが、植村氏のこの記事は、その流れに乗った「誤報」でした。

 植村氏は、「2015年(平成27年)に西岡力、櫻井よしこの両氏と関連する出版社に対して名誉棄損の裁判」を起こした(ウィキペディア「植村隆」の項)のですが、それは「捏造」だとする批判に対してであって、「23年前に自分が書いた2本の記事が『捏造』と批判され続け、その結果、家族や周辺まで攻撃が及」び、「私の人権、家族の人権、勤務先の安全を守る」ことが困難になっているということを理由としたものでした。

 要するに、ややこしいが、彼は「意図的な捏造」は行なっていないと主張したのであって、大弁護団を結成して訴えた一連の裁判(他にもある)ではそこが争われたのです。一方、客観的に見て彼の「女子挺身隊の名で戦場に連行され」云々が間違いだったことは、朝日新聞自身が認めている通り明白なので、「慰安婦のことを韓国ではそういうふうに(=挺身隊と)言われている」から、「報道した内容に誤りはないと主張」(同上)するのは筋が通らないわけです。挺対協が勝手にそう誤認して、国内のみならず、世界にもその虚偽話を広め、彼らは頑固にそれを訂正しようとはしなかったのですが、だからといってそれが「誤報」ではなかったと言うのは無責任すぎる(朝日に掲載された一連の「吉田証言」関連記事が、韓国反日市民団体とメディアによってその虚偽の“補強証拠”として悪用されたのは言うまでもありません)。

 誤りはそれだけではない。ウィキペディアにはその朝日の植村記事の問題箇所も出ているので、それも見ておくと、

 日中戦争や第二次大戦の際、「女子挺(てい)身隊」の名で戦場に連行され、日本軍人相手に売春行為を強いられた「朝鮮人従軍慰安婦」のうち、一人がソウル市内に生存していることがわかり、「韓国挺身隊問題対策協議会」(尹貞玉・共同代表、十六団体約三十万人)が聞き取り作業を始めた。同協議会は十日、女性の話を録音したテープを朝日新聞記者に公開した。テープの中で女性は「思い出すと今でも身の毛がよだつ」と語っている。体験をひた隠しにしてきた彼女らの重い口が、戦後半世紀近くたって、やっと開き始めた。
 尹代表らによると、この女性は六十八歳で、ソウル市内に一人で住んでいる。(中略)女性の話によると、中国東北部で生まれ、十七歳の時、だまされて慰安婦にされた。二、三百人の部隊がいる中国南部の慰安所に連れて行かれた。慰安所は民家を使っていた。五人の朝鮮人女性がおり、一人に一室が与えられた。女性は「春子」(仮名)と日本名を付けられた。一番年上の女性が日本語を話し、将校の相手をしていた。残りの四人が一般の兵士二、三百人を受け持ち、毎日三、四人の相手をさせられたという。「監禁されて、逃げ出したいという思いしかなかった。相手が来ないように思いつづけた」という。また週に一回は軍医の検診があった。数ヶ月働かされたが、逃げることができ、戦後になってソウルへ戻った。結婚したが夫や子供も亡くなり、現在は生活保護を受けながら、暮らしている。


 要するにこれは「挺対協」の完全な提灯記事なのですが、よく見ると、「『女子挺身隊』の名で戦場に連行され」という箇所と、「十七歳の時、だまされて慰安婦にされた」という箇所が矛盾しているわけです。だから「朝日新聞社は上記の植村の記事について、『記事の本文はこの女性の話として「だまされて慰安婦にされた」と書いています。この女性が挺身隊の名で戦場に連行された事実はありません。前文の「『女子挺身隊』の名で戦場に連行され」とした部分は誤りとして、おわびして訂正します。』と謝罪記事を掲載」する羽目になったわけです。書いている本人がこのおかしさに気づかないわけはない。さらに、

 記事の元になった証言を行った金学順はアジア太平洋戦争韓国人犠牲者補償請求事件の原告の一人であったが、裁判の訴状の中には「女子挺身隊」の名で戦場に連行されたといった記述はなく、「そこへ行けば金儲けができる」と養父に説得され、養父に連れられて中国に渡った。と記述されている。

 とあるので、註に出ている訴状に直接当たってみると、たしかにこう書かれています。

 原告金学順(以下、「金学順」という。)は、一九二三年中国東北地方の吉林省で生まれたが、同人誕生後、父がまもなく死亡したため、母と共に親戚のいる平壌へ戻り、普通学校にも四年生まで通った。母は家政婦などをしていたが、家が貧乏なため、金学順も普通学校を辞め、子守りや手伝いなどをしていた。金泰元という人の養女となり、一四歳からキーセン学校に三年間通ったが、一九三九年、一七歳(数え)の春、「そこへ行けば金儲けができる」と説得され、金学順の同僚で一歳年上の女性(エミ子といった)と共に養父に連れられて中国へ渡った。トラックに乗って平壌駅に行き、そこから軍人しか乗っていない軍用列車に三日閥乗せられた。何度も乗り換えたが、安東と北京を通ったこと、到着したところが、「北支」「カッカ県」「鉄壁鎭」であるとしかわからなかった。「鉄壁鎭」へは夜着いた。小さな部落だった。養父とはそこで別れた。金学順らは中国人の家に将校に案内され、部屋に入れられ鍵を掛けられた。そのとき初めて「しまった」と思った。

 この訴訟が東京地裁に初めて提訴されたのが植村氏の記事と同じ年の1991年12月で、彼はこの訴状の内容を知っていたのではないかと疑われたわけですが、仮にそうでなかったとしても、記載を知った後も自分の記事の訂正は行わなかった。訴状の文面を読めばわかるとおり、彼女を「だました」のは日本軍ではなく、彼女の「養父」であったことは明らかですが、朝日の彼が書いた記事からはどう見てもそうは解釈できない。「日本軍の意図的な偽計」によってそうなったかのように書いたのです。「強制連行」とは言えないまでも、日本軍に騙されて慰安婦にされたのだと。事実は養父(当然、韓国人)が娘を売り飛ばしたのです(言うまでもなく、だから気の毒な金さんの運命への同情は不要だということにはならない)。

 確かにこれは「捏造」と言われても仕方のないような書きぶりなので、だから裁判でも敗訴したわけです。「裁判所の右傾化」のせいにはできない。要するに、植村氏は独立したジャーナリストとしての誇りをもたない、慰安婦問題を政治利用した挺対協のたんなる使い走りでしかなかったわけです。

 ところが、冒頭の記事によれば、韓国ジャーナリズムは「年に1度、真実の追求に努めたジャーナリストに与えている」名誉ある賞と賞金を植村氏に与え、その“貢献”をたたえたというのです。記事によれば、植村氏はそれを断るどころか、次のように述べてそれを有難く拝受した。

「賞の受賞は、“負けずに頑張れ”という韓国ジャーナリズム界の大きな励ましだと思います。私を応援してくれる韓国の皆さんに感謝します。この受賞をきっかけに日本と韓国のリベラル勢力の交流が一層深まることを願っております」

 僕は日本国内で植村氏に加えられたプライバシーもへちまもない激しいバッシングを見て、いくら何でも度が過ぎると思っていた人間の一人ですが、彼がジャーナリストとしてロクな裏取りもしないまま、「まとも」とは言えない記事を書き、その後も非を認めようとしなかったのは上にも見た通りたしかなので、「真実の追求に努めたジャーナリストに与えられる賞」を受賞するなどというのは、ブラックジョークとしか思えません。こういうのは、韓国ジャーナリズムが自らの偏向・虚偽報道の正当化に日本人ジャーナリストを利用しようとするいつもの動機から出たものであることは明白ですが、日本でのあのバッシングがトラウマになっていたとしても、ジャーナリストの良心に照らしてそれは受けられないと考えるのがふつうでしょう。

 しかし、彼の感覚はふつうではない。後ろの新潮記事にもこんな箇所があります。

植村:1991年8月11日、私の書いた記事は、韓国挺身隊問題対策協議会が金学順おばあさんの証言を調査しているという内容だった。争点は慰安婦に対する強制性だ。「強制的に連れていった」というおばあさんの証言だけで証拠の文書はない。だから私は報道で「強制」という言葉は使わなかった。それでも、こうした判決が出たのは、日本の裁判所が右傾化したためだ。(これ自体、支離滅裂で何を言いたいのかわかりませんが、そのまま)

「強制的」どころか「養父に連れて行かれた」のだが……。それにしても「裁判所が右傾化したから負けた」というのだから恐れ入る。たしかに親日が罪になるような韓国の裁判所であれば、植村氏に軍配が上がるかもしれない。なにしろ、慰安婦問題を客観的に論じた「帝国の慰安婦」の執筆者である朴裕河・世宗大学校日本文学科教授を、検察が虚偽だと起訴するような国である。その日本語版書き下ろし版を出版したのは、ほかならぬ朝日新聞出版なのである。

 これについて、京郷新聞の記者はこう問うのだ。〈『帝国の慰安婦』という本は、慰安婦は自発的であり、日本軍と同志的という観点の本である。そのような本を出すのは朝日が保守化したという証拠ではないか?〉

植村:朝日新聞出版の判断だろう。系列社ではあるが、金儲けのためには何でも出版するところだから。日本には朴裕河のような人を信じたい知識人もいるが、大抵はその分野には関心がない。


 これに怒った朴裕河教授はフェイスブックで反論したという話なのですが、ろくすっぽ読みもしないでこういう愚劣なことを言っているわけで、「『帝国の慰安婦』という本は、慰安婦は自発的であり、日本軍と同志的という観点の本である」と断じる京郷新聞の記者自体が悪意の曲解を行なっているのです。しかし、無責任にそれに歩調を合わせて、自分が受けた「捏造」批判以上に心ない中傷を朴教授に対して行なっているのだから呆れてしまう。こういうのを見ると、彼へのバッシングに同情していた人たちも、「おまえがやってることはそれに劣らず悪質ではないのか?」と白けてしまうでしょう。こうしてまた叩かれる原因を自ら作り出しているのです。

「この受賞をきっかけに日本と韓国のリベラル勢力の交流が一層深まることを願っております」という彼の受賞の弁は何を意味するのか? ハンギョレに再々登場する、和田春樹や山口二郎といった面々と共に、韓国側報道や歴史教育の虚偽性には一つも触れることなく、日本が安倍政権の下、「過去の歴史を反省」せず、「危険な右傾化」を続け、嫌韓と軍国化への道をひた走りしているというようなことばかり言って、いっそう日韓の対立を煽りますといった“誓い”の言葉なのでしょうか? これまでの経緯を見ると、「日本と韓国のリベラル勢力」の共闘が日韓対立深刻化の大きな原因になっていたことはたしかで、それが逆にネトウヨの勢力を拡大させ、一般日本人の「嫌韓」も強化されてしまったのですが、そういう因果関係は彼らには全く認識されていないようで、いい加減にしてくれと言っても、馬耳東風なのが悲しいところです。

 おそらくネトウヨからは、「売国奴の植村は二度と日本に戻ってくるな。韓国に帰化しろ!」といった暴言がすでに発せられているでしょう。再婚した奥さんも「太平洋戦争犠牲者遺族会で働いていた女性」で韓国人だし、現職も「韓国のカトリック大学校招聘教授」(いずれもウィキペディア)なので、実際にそうなってしまいそうですが、韓国に帰化して無茶苦茶言っているあの保坂祐二教授みたいに、韓国反日派に忠誠を誓うあまり、「反日種族主義」の権化みたいになってしまわないよう気をつけていただきたいものです。

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