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「韓国と対立するな」と言う人々

2019.07.30(17:12) 643

 こういうサイトができているようです。

韓国は「敵」なのか

 広告がなくてすぐ出てくるのはいいのですが、言ってることはほとんど支離滅裂なので、韓国と、「とにかく争いごとはイヤ」という人たちに好まれるだけで、何の解決にもならないでしょう。韓国の新聞、中央日報やハンギョレは嬉々としてこれを報じていますが、日本政府のみ批判して、韓国文政権の無責任な対応に対する言及は全くありません。

 ここまで問題がこじれた背景には、韓国の異常な歴史教育、保身のためにつねに「反日」を利用してきた政治家、安手の国民迎合に終始する韓国マスコミ、ナルシシスティックな極論を振りかざして韓国民を煽る「親北反日」の各種の自称市民団体等にあると僕は思っていますが、そういうことに対する批判はゼロです。たとえば、次のようなくだりがあります。

 日韓基本条約・日韓請求権協定は両国関係の基礎として、存在していますから、尊重されるべきです。しかし、安倍政権が常套句のように繰り返す「解決済み」では決してないのです。日本政府自身、一貫して個人による補償請求の権利を否定していません。この半世紀の間、サハリンの残留韓国人の帰国支援、被爆した韓国人への支援など、植民地支配に起因する個人の被害に対して、日本政府は、工夫しながら補償に代わる措置も行ってきましたし、安倍政権が朴槿恵政権と2015年末に合意した「日韓慰安婦合意」(この評価は様々であり、また、すでに財団は解散していますが)も、韓国側の財団を通じて、日本政府が被害者個人に国費10億円を差し出した事例に他なりません。一方、韓国も、盧武鉉政権時代、植民地被害者に対し法律を制定して個人への補償を行っています。こうした事例を踏まえるならば、議論し、双方が納得する妥協点を見出すことは可能だと思います。

 あたかも安倍政権のみが悪いかのようですが、徴用工(もどき)に対する韓国最高裁判決によって、日韓請求権協定は覆されたわけですが、文政権はそれを完全に放置して、当然憤慨するであろう日本政府と協議する努力は何もしなかったのだから、「両国関係の基礎として存在」する「尊重」すべきそれを、韓国政府は無視したわけです。そして、「安倍政権が朴槿恵政権と2015年末に合意した『日韓慰安婦合意』も、韓国側の財団を通じて、日本政府が被害者個人に国費10億円を差し出した事例に他なりません」とありますが、これが慰安婦問題では初めての対応ではなく、村山政権時の「アジア女性基金」などもあったのですが、そういうものを韓国側は全く評価せず、今回の合意も、「韓国の国民感情(それは上に見たように政治的に作られたものですが)が納得しない」という理由だけで、日本人がそれをどう感じるかということは何ら顧慮しないまま、一方的に破棄されたのです。

 従って、「こうした事例を踏まえるならば、議論し、双方が納得する妥協点を見出すことは可能だと思います」はほとんどマンガで、「議論し、双方が納得する妥協点を見出す」努力の一部としてそうしたものはあったのですが、それは「民意が変わった」という理由で、つねに安易かつ一方的に破棄されてしまうのです。韓国人にとっては「双方が納得する」ことはどうでもいいので、自分たちが「納得」することだけが重要なのです。こういうのをふつう日本では「ジコチュー」と呼びます。他の国でもそう解釈されるでしょう。

 この手の詭弁がどれほど多いか。「問題になっている元徴用工たちの訴訟は民事訴訟であり、被告は日本企業です。まずは被告企業が判決に対して、どう対応するかが問われるはずなのに、はじめから日本政府が飛び出してきたことで、事態を混乱させ、国対国の争いになってしまいました」とはよく言ったもので、判決文を読めばわかりますが、あれはたんなる民事訴訟ではなく、「不法な植民地支配および侵略戦争の遂行と直結した日本企業の反人道的な不法行為に対する被害者の日本企業に対する慰謝料請求権」だと明言しているのです。「国家としての犯罪」の弾劾からそれは始まっているので、「まずは被告企業が判決に対して、どう対応するかが問われるはず」なんて悠長なことを言ってられるような話ではない。この人たちの論理からするなら、「日本政府はその罪を認めてあらためて謝罪し、賠償に応じるよう関係企業を説得すべきだ」となるでしょう。しかし、そう言うと反発が大きくて署名は集まらないと見て、こういうおかしな屁理屈をこねる羽目になったのです。単純にやることがセコい。

 しばらく前、僕はハンギョレ日本語版(ついでに言うと、文在寅は1988年に「ハンギョレ新聞創刊準備委員会委員」になっていました)の次のような記事を見て呆れました。笑うしかないレベルのものですが、「相互理解」の困難さが思いやられるのです。

「不買運動を越えて、韓日関係をちゃんと知ることが大事」

 例の朴槿恵大統領弾劾の「ろうそくデモ」にも参加したという、「17歳、13歳、10歳の三人の子どもを育てる『育児パワーブロガー』」なる女性が、「こんなことを子供たちに教えている」というのですが、

「今回の日本の輸出規制は、強制徴用者たちに対する韓国の最高裁(大法院)の判決を認めない日本が経済的に報復したんだ。安倍政権は憲法を改正してでも『戦争できる日本』になろうとしている。日本の右翼は韓国を『共通の敵』にして国内政治に活用しているんだ。こういう行動が平和を脅かすから韓国国民は日本に抗議するために不買運動を始めたんだよ」

 というような敵意丸出しの話で、日本を「『共通の敵』にして国内政治に活用している」のは韓国の方ではないかと思いますが、ともかくそうした教育よろしきを得て、長男のピルギュ君は、「『日本の右翼はいまでも韓国の支配国だという見解を持っている』と憤慨」するまでになっているのです。日帝はいまだ死なず、断固打倒すべし、というわけです。

 この手の幼稚な韓国「市民」にとって、「韓日関係をちゃんと知る」とはそういうことに他ならないのです。日本のネトウヨとは逆ベクトルですが、日本のネトウヨより、今の韓国にはこの手の「反日無罪」的な没理性的な人が比率的に多そうです。

 それで、冒頭のような声明文は、そういう人たちに「日韓は仲良くすべきだ」というメッセージを送ることになり得るでしょうか? この前ここで批判した山口二郎法大教授のハンギョレへの寄稿文と同じで、それは逆に彼らの日本への偏見と非難を強化するのに役立つだけではないでしょうか。僕は日本会議を日本の将来にとって有害な右翼団体と見なしていますが、この手の学者・文化人先生たちも、韓国のおかしな市民団体や、この「育児パワーブロガー」のような人たちの思い込みを強化させ、元気づけて、それを見て憤慨したそれまで中立的だった日本人を親右翼にして、安倍政権や日本会議的なものをサポートする結果になるのです。結果として、日韓対立はむしろ激化する。

 僕は韓国の政治家やマスコミみたいに、「これは国難なので、挙国一致体制を作るべきだ」などとは絶対に言いません。多様な言論はあってしかるべきです。言論の自由は保障してもらわないと困る。僕がこれらの左派知識人・文化人を問題視しているのは、彼らが批判する右翼以上に我田引水的な、「為にする議論」が目立つからです。論の公正さに著しく欠けたのでは、説得力はない。安倍政権を批判するのはいい。僕も批判してきました。しかし、その批判のモノサシを一方にだけ当て、他方には当てないというのは納得できない。どう見ても今の韓国政府の対応はおかしいからです。だから日本のリベラル派はここまで無力化したと言えるので、日本人の「右傾化」は慢性不況による欲求不満や、ネット社会で思考が短絡的になってきたことだけが原因ではないので、彼らが党派的な偏った議論しかせず、一般人に対する説得力を失ったからです。

 だから、国内ではこの「声明」は大きな支持は集められないでしょう。穿った見方をすれば、韓国が対応に完全に行き詰まったとき、日本にもこういう「もののわかった人たち」はいるから、それに免じて矛を収めてやろうという言い訳に使えるという意味で、「妥協」に向かわせるきっかけ程度にはなるかもしれません。しかし、それは彼らの肥大化した自尊心を守るための方便でしかなく、その度外れの独善性を反省することにはつながらない。独善的な自分の「正義」を主張して、相手を譲歩させることだけが「正義にかなう」のだという、彼らの傍迷惑な民族性は変わらないのです。国内的にも、政権が変わる度に前政権を否定して、「積弊清算」と称して前政権関係者を血祭りにあげる、ということを韓国は繰り返してきたのですが、その都度それに唱和して自己保身をはかろうとする卑屈さ共々、そうやってコロコロ変わる「正義」の独善性、いい加減さというものを、彼らは身に染みて感じることは決してないのです。自分の外に出て考えてみようという姿勢がない。

 対立が長引いても、それは仕方がないと僕は思います。それは国内では通用しても、国際的には通用しないということを、またそれはどうしてなのかということを、本格的に行き詰まれば考えることになるのではないでしょうか。しばらく前に、ソウル大学の経済学教授だという人が、「何よりも韓国は理の国であり」、「李朝時代の党派争いが激しかったのも、すべてを『理』という本質に照らそうとするプラトン的習性に起因するものだ」という珍論を中央日報に書いていましたが(「理の韓国、法の日本」7.24)、日本人のみならず、歴史的因縁の深い中国人やロシア人もこれには笑うでしょう。「李朝時代の党派争い」がそんな高尚なものだったとは到底思えないからです。こういう異常なまでのナルシシズムを多くの韓国人は共有し、その心性が歴史をファンタジーに変えてしまうことをよしとして、奇妙な「自虐史観」ならぬ「自讃史観」を形成して、それが日韓対立にも深刻な影響を及ぼしているのです。そこに彼らの反省が及ばないかぎり、まともな話し合いのプラットフォームはできない。でなければ日本は今後も際限のない譲歩を強いられるだけだし、それは韓国の人たちのためにもならないでしょう(そもそもこのソウル大の先生は、近代以降の「法」というものは「理」をベースとしていて、だから遵守を求めることができるのだということは完全に忘却しているようです。よく韓国は「法治国家」ではなくて「情治国家」だと言われますが、彼らが法を無視したり、恣意的に運用したりするのは「『理』という本質に照らそうとするプラトン的習性に起因する」のではなく、党派的な感情――「恨」という復讐感情――で動くことが多すぎるからです)。

 話を元に戻して、冒頭の「声明」は、一面的に日本政府の対応を批判するだけになっていて、韓国側のこうした問題点には全く触れないがゆえに、両者を歩み寄らせる手助けにはならないだろう――少なくとも僕にはそう思われる、ということです。


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祝子川通信 Hourigawa Tsushin


2019年07月
  1. 「韓国と対立するな」と言う人々(07/30)
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