近々、深山幽谷に一人こもって「最終解脱」のための瞑想や滝行に専念する予定なので、このブログはしばらくお休みします(そのまま仙人と化して、人間世界に戻ってこないこともありえます)。それで、その前に何か一つ書いておきたいと思ったのですが、ちょうど英語のジョーク集を読んでいて、いずれその中の面白いものについてはここでもいくつか翻訳紹介するつもりですが、自分でも西洋風ジョークを一つ作ってみようかという気になり、これを書きました。
僕の場合、性格からしてどうしてもブラックなものが好みなので、そういうものになってしまうだろうと予想していましたが、実際に書いてみるといくらかその度が過ぎたようで、笑うのが難しいものになってしまいました。ですが、人によっては笑っていただけるでしょうから、載せておきます。最初のカッコ内は「場面設定」です。
* *
【天上の神の宮殿。玉座に背をもたせかけた神は昔ながらの白いローブに身を包み、いくらか不機嫌そうに見える。その前には007を彷彿させる、タキシードを粋に着こなした悪魔。神の右前のテーブルには紅茶のカップが置かれ、悪魔の片手にはワイングラスが光る。】
「今日、君をここに呼んだのは他でもない」と神は単刀直入に切り出した。「人間界の有様を見るに、最近、君の活躍がちと目立ちすぎるように思われるからだ。要するに、君は近頃調子に乗りすぎている」
「そいつはまた」と悪魔は驚いた様子で言った。「一体どこからの情報なんで? 人間どもの世界では今、フェイクニュースというのが大はやりですが、旦那もそれに引っかかってしまったんで?」
「何を言っとるのだ!」神は怒気を含んだ顔つきで言った。「情報も何も、君のしわざでなくて何であんなふうになるのだ!」
それから神は今の人間世界のひどい有様を詳述した。環境問題に詳しい神は、まず地球温暖化に伴う異常気象の頻発に触れ、次に、地球史上六回目の恐るべき生物大量絶滅が進行中であることを指摘して、「いいか、これはすべて欲深な人間の無思慮で過剰な経済活動とやらのせいなのだ」と付け加えた。
「ああ、そいつはどこやらの副大統領だったゴアとかいう奴がふりまいている噂話ですね」と動じた風もなく悪魔が応じたので、神は大量の書籍や報告書を執事に持ってこさせ、自分の言うことが元政治屋のいい加減な話ではなく、「学問的研究」または「科学的根拠」に基づくものであることを強調した。
「それだけじゃない」と神は言った。そうして〈人間世界の驚くべきモラルと知性の退廃〉に話を移し、世界でイカレポンチ大統領や首相が次々誕生していること、企業の強欲CEO、汚職役人、忖度役人が激増していること、教育現場の目も覆わんばかりの荒廃、民衆の間に蔓延している〈甚だしい利己的無関心〉、さらには〈下劣な悪感情の掃き溜め〉と化しているインターネットのことなど、事細かく指摘した。
「これだけの証拠があってどうして」と神は憤りを無理に抑えたような声で言った。「君が関与していないと言えるのだ!」
悪魔が不審げな顔つきのまま沈黙しているので、神は再び語り始めた。「これまでわしは、君の仕事をある程度評価はしていた。人間が惰眠をむさぼらないようにするためには、〈適度な刺激〉が必要で、欲や恐怖心を刺激してという〈不純な手法〉にはいくらか問題があるとしても、君はそれで人間の知能の増進や勤勉さの獲得には貢献してきたのだ」
「そうですとも、旦那」と、ワインを一口すすった後、悪魔はいくぶん嬉しげな顔つきで応じた。「私がいなかったら、連中は今でも木の上で寝るか、洞窟暮らしをしているか、していたでしょうからね。裸同然で。さすが旦那は、公正な見方をしておられる」
「他にも」と神は、優越感の混じった微笑と共に言葉を継いだ。「君はわしへの信仰心を高めるのに一役買ってくれたのだ。何となれば、君は彼らの高慢を煽り、対立を激化させ、しまいにみじめな失敗や混乱に落ち込ませることで、逆におのれの無力と〈神への謙譲〉を人間に学ばせることになったからだ」
「旦那はそれで」と悪魔は皮肉な笑みを浮かべて言った。「〈愛に満ちた寛大な赦しの神〉という役回りを首尾よく果たせたわけで、思えばあれは〈古き良き時代〉の懐かしい思い出ですなあ」
善なる神は、その並外れた善性ゆえに、悪魔の隠微な皮肉には気づかなかったと見え、「そうとも」と言った後、再び不機嫌な顔つきに戻って言った。「しかるに、昨今はどうだ? 誰もわしの方を見上げなくなった。君の妨害のせいで、彼らは〈愛と善性の源(みなもと)〉であるわしに辿り着けなくなってしまったのだ。挙句は〈神の不在〉に空虚を感じることも、恐れおののくこともなく、邪悪な自己に満足して、事足れりとするようになってしまった。救いの手を差し伸べようにも、誰もそんなものは求めなくなってしまったのだ! 地上的満足のため、賃上げと〈社会保障の充実〉とやらを求めて街頭デモに繰り出すだけ」
「ご愁傷さまで」と悪魔は言った後、一息置いた後でこう続けた。「やっと合点が行きました。旦那はそれが、私のせいだとカン違いしておられるわけですね?」
「カン違いだと!」神は紅茶のカップをテーブルの上の皿に戻しながら震える声で言った。「わしは君をこれまで大目に見てきた。それをいいことに、かくまで民をわしから遠ざけてしまって、それに責任がないなどとどうして言えようか!」
「ですが、旦那」と悪魔はえらく実際的な顔つきで言った。「ちょっとお考えになればおわかりになることだと思うのですが、人間どもが旦那のことを忘れてしまったとすれば、それは私のことも同時に忘れ去ったということなのではありませんか?」
「何?」と神は虚空に視線を漂わせて、意味がはかりかねる様子だった。
「つまり、こういうことでして…」と悪魔は説明を加えた。「旦那と私は昔からペアになってまして、むろん、旦那の方が上に位置するわけですが、人間どもの頭の中から神が消えれば、悪魔も同時に消えてしまう道理なんですよ」
「たしかに…」と神は思案を巡らせながら言った。「君の言うことには一理ある。しかし、君も消えたのなら、人間は、一体ぜんたい、どうしてああいうことになっているのだ?」
「それはつまり」と悪魔は淡々とした口調で言った。「昔は、旦那や私が色々世話を焼いていたのが、人間どもは今やすっかり〈自立〉したんですよ。今時分、旦那や私のことを話題にのぼせるなんて、小学生でもしませんからね。そういうのはごくごく一部のいわゆる〈スピリチュアル〉な連中か、カルトの信者ぐらいのものなので、我々はもはや存在しないも同然なのです」
「存在しないって、げんにここに存在するではないか!」神は何者かに抗議するかのように叫んだ。
「でもね、旦那」悪魔はなだめるかのような口調で言った。「存在しないと思われているものは認識もされないので、認識されなければ、存在しないのです。昔は〈神の声が聞こえる〉人間もいましたが、今はいても精神病院の入院患者だから、それは〈幻聴〉なのです。私も昔は時々いたずらで〈神の声〉を真似たりもしていたのですが、今はそういうのも無駄骨になってるわけです」
「君はそんなことまでしていたのか!」
「怒らないでください。過去のことですから」悪魔は軽く前かがみになって会釈してみせると、話を続けた。「今は何しろ科学が進んだ時代ですから、旦那が昔やったみたいに洪水を起こしたり、怪物の姿を取って脅しても、全部物質現象として解明されてしまって、旦那の関与がそこに認められることは金輪際ないわけです。従って、連中が旦那の前にひれ伏すこともない。そもそも存在自体が認められていないわけですから…。説明がつかないときもむろんあるにはありますが、そういう場合は、『ダーク・マターが関係しているようだ』なんて話になって、それで終わりなのです」
「ダーク・マター? それは一体何なのだ?」神は怪訝(けげん)そうに尋ねた。
「暗黒物質とかいうやつで、宇宙にはそれが遍在すると言われているんです。旦那や私もそのダーク・マターみたいなもので、そういうのが神や悪魔に取って代わったのです」
「実に、ありえない話だ!」神は憤慨して叫んだ。「かつては〈永遠の光〉と崇めたてまつられたこのわしを〈暗黒〉呼ばわりとは! かかる屈辱をわしに忍べと言うのか?」
「私の場合は元々が〈暗黒の王子〉なんで、そこは大して変わりませんが」と悪魔は微苦笑を浮かべて言った。「旦那の場合、ご立腹は無理もありません。ですが、我々はもはや人間にとっては存在しなくなった。それはたしかなのです」
しばし沈黙があった。神は懸命に事態を理解しようとしている様子で、悪魔はジェームズ・ボンドばりに、今度はマティーニを注文した。ほんとはウォッカがよかったのだが、神の前ということもあって、慎んだようだった。
「不可解なのは…」と神がやっと口を開いた。「神も悪魔もなしに、人間はどうやって生きていけるのかということだ。わしにはそれがどうしてもわからん」
「私の場合は根が邪悪で」と、悪魔は困惑した神への気遣いを見せながら言った。「〈物事を裏から見る〉性癖があるのでわかるのですが、それはそんなに不思議なことじゃありません。私はあの精神分析というやつが流行り出したのが決定的だったと見ているんですが、最初フロイトという奴が出てきて、次にユングという最悪なのが来た。これを要するに、我々はどちらも彼らの無意識の産物で、いわゆる〈元型〉の一つだということにされてしまったんです。つまり、神も悪魔も、初めから連中の心の中にあっただけで、それを超える〈客観的な実在〉ではなかった、ということになってしまったのです」
「よくわからんが、続けたまえ」と神は顔をしかめたまま、言った。
「要するに、人間の心というものが先にあって、神だの悪魔だのというのはその中の〈共同幻想〉の一つにすぎないということになり、〈人間中心主義〉が確立したのです。彼らはエゴだのイドだの、セルフだのという、人間の心をさらに混乱させる概念を発明して広めたのですが、何にせよ、そういうのはどれも彼らの〈心の属性〉であって、ここが重要なポイントなのですが、旦那や私には依存しない〈自己完結した存在〉になったのです」
「そうすると…」と神はもの思わしげに言った。「宇宙の森羅万象を統(す)べるこのわし、今も生きとし生けるものすべてを慈しみ育てているこのわしも〈幻想〉だというのか?」
「さようです」悪魔は頷きながら言った。「もしくは人間どもの心の一部なわけですね。ということは、つまり、連中が〈神〉になったということです。私もその一部、ということは、彼らは〈悪魔〉でもある。ここで重要なのは、旦那も私ももはや人間の心に〈外から〉働きかける存在ではなくなったということです。それは全部彼らの心の中に〈含まれる〉ものであって、旦那や私が人間を作ったのではなくて、逆に我々はたんなる彼らの発明品にすぎないことが明らかとなったのです。それは人間の〈心理的投影〉の産物でしかないのです」
「そんな馬鹿な話が…」と神は悶絶せんばかりの様子で叫んだ。「創造主たるわしが、逆に彼らの創造物にすぎないとは、冒瀆にもほどがある! わしはかねて君の傲慢を指摘してきたが、悪魔ですら神が自分の創造物であるなどとは言わなかったではないか!」
「仰せのとおりで」と悪魔は話を続けた。「しかし、こういうのは科学における遺伝子操作、ゲノムとやらの解読が進む時代にはマッチしているのです。彼らは文字どおり〈神の領域〉に足を踏み入れ、その自信を裏書きすることになったのですから(人間は「脳」まで作れるようになった。AIってやつをご存じですか?)。この際、元々のフロイト、ユングの思想がどうだったかというような細かい話は、どうでもいいのです。問題はそれがどういう受け取られ方をしたかということで、まさにそのように受け取られて、旦那も私も〈もはや存在しない〉ことになったのです。実際、存在しない。旦那がさっき言われたようなことは、私の関与とは全く無関係に、彼らが〈自力で〉やっているのですから。恐れながら神も、もはや必要ではないのです」
「何ということだ…」そう呟く神の表情には明らかな恐怖が見て取れた。
「旦那の場合にはまだしも」と、ここで悪魔はいくぶん悲しげな表情を浮かべて言った。「やることがおありです。というのも、旦那の助けなしにはこの宇宙は成り立たないからです。そりゃあ、無視されるのは辛いことで、誰にも感謝されないとなると張り合いもありませんが、それでも〈日々の務め〉というものがあるのです。私の場合には、完全な失業状態で、この先もずっとそのままです。というのも、近頃では人間のやることや、心の動きを見ていて、私の方がこわくなることが多いからです。〈自立〉どころの話ではなく、悪魔の上を行く勢いで、今後はいかなる悲惨なことが起きようとも、私は自分の手柄を誇ることはできないのです。私とは無関係なのですから」
「それはまあ…」と慰めの言葉もないといった同情の顔つきで、神は言った。「〈諸行無常は世の習い〉と人間たちも言っているではないか。君の引退は、昔の君の華々しい活躍を知る者としては残念ではあるが、事ここにいたってはやむを得ない。日を改めて送別パーティを開くとしよう」
「あれを憶えておいでですか?」ややあって悪魔は言った。「昔の、例のエデンの園での一件です。〈禁断の木の実〉を私がイブとアダムに食べさせたという…」
「ああ」と神は応えた。「君はあのとき名文句で彼らを誘惑した。『汝ら、神のごとくなりて、善悪を知るに至らん』そう言ったわけだね?」
「そうです。あれは人間どもには珍しく聡明な、旦那とも私とも懇意にしていたゲーテという男の『ファウスト』という輝かしい本の扉に掲げられて、一躍有名になったものですが、私はあのことを時々思い出すのです。私はあれで彼らに〈自意識〉というものを目覚めさせたのですが、当時はまさかあの予言がこういうかたちで成就するとは、夢にも思いませんでした。私は虚偽をその本質とする存在です。それを彼らに真実と信じ込ませ、破綻に追い込んで悔恨の涙に暮れさせるというやり方で、かつてはそこで旦那の出番となったのですが、今ではそうはならず、虚偽がそのまま真実となってしまったのです。破綻に追い込まれたのはこの私…。当時の私は人間を甘く見すぎたのです。彼らは何と言ってもうぶで無邪気な、根は正直な生きもので、根底に神聖なもの、真理への強い憧憬と畏敬を抱き、物質的なものでない、超自然への感性を決して失わないものだと。だから惑わす甲斐もあったので、誰が言わずとも〈分際〉というものをわきまえていて、〈自分がすべて〉だなどと悪魔ですら恥じ入るような思い込みをもつことはよもやあるまいと。しかし、今やそういうつつましさは完全に消え去った。そうして彼らは臆することもなく自らを〈神の地位〉に据えたのです」
「仕方がないさ」と神は慈悲と諦念のまなざしを向けて、最後に言った。「君がさっき言ったように、人間は今やすっかり〈自立〉したんだからね。…」
【追記】「神」の指示により、次の記事をご紹介しておきます。島がどうのといったチマチマした領土争いなどより、こちらの方が事態ははるかに深刻で、切迫しています。このまま進めばアマゾンの密林は2050年以前に〈全滅〉する可能性がある。それが地球規模でどれほど大きな気象変化をもたらすかは、神ではなく、科学者に聞いても大体のところはわかるでしょう。生物多様性だけではなく、新薬などの貴重な源泉も失われる。見返りの経済援助をしてもいいから、国連はブラジル新政府に一刻も早く愚行を思いとどまらせるべきです。
・「サッカー場100万面」相当の森林、1年で消失 ブラジル
僕の場合、性格からしてどうしてもブラックなものが好みなので、そういうものになってしまうだろうと予想していましたが、実際に書いてみるといくらかその度が過ぎたようで、笑うのが難しいものになってしまいました。ですが、人によっては笑っていただけるでしょうから、載せておきます。最初のカッコ内は「場面設定」です。
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【天上の神の宮殿。玉座に背をもたせかけた神は昔ながらの白いローブに身を包み、いくらか不機嫌そうに見える。その前には007を彷彿させる、タキシードを粋に着こなした悪魔。神の右前のテーブルには紅茶のカップが置かれ、悪魔の片手にはワイングラスが光る。】
「今日、君をここに呼んだのは他でもない」と神は単刀直入に切り出した。「人間界の有様を見るに、最近、君の活躍がちと目立ちすぎるように思われるからだ。要するに、君は近頃調子に乗りすぎている」
「そいつはまた」と悪魔は驚いた様子で言った。「一体どこからの情報なんで? 人間どもの世界では今、フェイクニュースというのが大はやりですが、旦那もそれに引っかかってしまったんで?」
「何を言っとるのだ!」神は怒気を含んだ顔つきで言った。「情報も何も、君のしわざでなくて何であんなふうになるのだ!」
それから神は今の人間世界のひどい有様を詳述した。環境問題に詳しい神は、まず地球温暖化に伴う異常気象の頻発に触れ、次に、地球史上六回目の恐るべき生物大量絶滅が進行中であることを指摘して、「いいか、これはすべて欲深な人間の無思慮で過剰な経済活動とやらのせいなのだ」と付け加えた。
「ああ、そいつはどこやらの副大統領だったゴアとかいう奴がふりまいている噂話ですね」と動じた風もなく悪魔が応じたので、神は大量の書籍や報告書を執事に持ってこさせ、自分の言うことが元政治屋のいい加減な話ではなく、「学問的研究」または「科学的根拠」に基づくものであることを強調した。
「それだけじゃない」と神は言った。そうして〈人間世界の驚くべきモラルと知性の退廃〉に話を移し、世界でイカレポンチ大統領や首相が次々誕生していること、企業の強欲CEO、汚職役人、忖度役人が激増していること、教育現場の目も覆わんばかりの荒廃、民衆の間に蔓延している〈甚だしい利己的無関心〉、さらには〈下劣な悪感情の掃き溜め〉と化しているインターネットのことなど、事細かく指摘した。
「これだけの証拠があってどうして」と神は憤りを無理に抑えたような声で言った。「君が関与していないと言えるのだ!」
悪魔が不審げな顔つきのまま沈黙しているので、神は再び語り始めた。「これまでわしは、君の仕事をある程度評価はしていた。人間が惰眠をむさぼらないようにするためには、〈適度な刺激〉が必要で、欲や恐怖心を刺激してという〈不純な手法〉にはいくらか問題があるとしても、君はそれで人間の知能の増進や勤勉さの獲得には貢献してきたのだ」
「そうですとも、旦那」と、ワインを一口すすった後、悪魔はいくぶん嬉しげな顔つきで応じた。「私がいなかったら、連中は今でも木の上で寝るか、洞窟暮らしをしているか、していたでしょうからね。裸同然で。さすが旦那は、公正な見方をしておられる」
「他にも」と神は、優越感の混じった微笑と共に言葉を継いだ。「君はわしへの信仰心を高めるのに一役買ってくれたのだ。何となれば、君は彼らの高慢を煽り、対立を激化させ、しまいにみじめな失敗や混乱に落ち込ませることで、逆におのれの無力と〈神への謙譲〉を人間に学ばせることになったからだ」
「旦那はそれで」と悪魔は皮肉な笑みを浮かべて言った。「〈愛に満ちた寛大な赦しの神〉という役回りを首尾よく果たせたわけで、思えばあれは〈古き良き時代〉の懐かしい思い出ですなあ」
善なる神は、その並外れた善性ゆえに、悪魔の隠微な皮肉には気づかなかったと見え、「そうとも」と言った後、再び不機嫌な顔つきに戻って言った。「しかるに、昨今はどうだ? 誰もわしの方を見上げなくなった。君の妨害のせいで、彼らは〈愛と善性の源(みなもと)〉であるわしに辿り着けなくなってしまったのだ。挙句は〈神の不在〉に空虚を感じることも、恐れおののくこともなく、邪悪な自己に満足して、事足れりとするようになってしまった。救いの手を差し伸べようにも、誰もそんなものは求めなくなってしまったのだ! 地上的満足のため、賃上げと〈社会保障の充実〉とやらを求めて街頭デモに繰り出すだけ」
「ご愁傷さまで」と悪魔は言った後、一息置いた後でこう続けた。「やっと合点が行きました。旦那はそれが、私のせいだとカン違いしておられるわけですね?」
「カン違いだと!」神は紅茶のカップをテーブルの上の皿に戻しながら震える声で言った。「わしは君をこれまで大目に見てきた。それをいいことに、かくまで民をわしから遠ざけてしまって、それに責任がないなどとどうして言えようか!」
「ですが、旦那」と悪魔はえらく実際的な顔つきで言った。「ちょっとお考えになればおわかりになることだと思うのですが、人間どもが旦那のことを忘れてしまったとすれば、それは私のことも同時に忘れ去ったということなのではありませんか?」
「何?」と神は虚空に視線を漂わせて、意味がはかりかねる様子だった。
「つまり、こういうことでして…」と悪魔は説明を加えた。「旦那と私は昔からペアになってまして、むろん、旦那の方が上に位置するわけですが、人間どもの頭の中から神が消えれば、悪魔も同時に消えてしまう道理なんですよ」
「たしかに…」と神は思案を巡らせながら言った。「君の言うことには一理ある。しかし、君も消えたのなら、人間は、一体ぜんたい、どうしてああいうことになっているのだ?」
「それはつまり」と悪魔は淡々とした口調で言った。「昔は、旦那や私が色々世話を焼いていたのが、人間どもは今やすっかり〈自立〉したんですよ。今時分、旦那や私のことを話題にのぼせるなんて、小学生でもしませんからね。そういうのはごくごく一部のいわゆる〈スピリチュアル〉な連中か、カルトの信者ぐらいのものなので、我々はもはや存在しないも同然なのです」
「存在しないって、げんにここに存在するではないか!」神は何者かに抗議するかのように叫んだ。
「でもね、旦那」悪魔はなだめるかのような口調で言った。「存在しないと思われているものは認識もされないので、認識されなければ、存在しないのです。昔は〈神の声が聞こえる〉人間もいましたが、今はいても精神病院の入院患者だから、それは〈幻聴〉なのです。私も昔は時々いたずらで〈神の声〉を真似たりもしていたのですが、今はそういうのも無駄骨になってるわけです」
「君はそんなことまでしていたのか!」
「怒らないでください。過去のことですから」悪魔は軽く前かがみになって会釈してみせると、話を続けた。「今は何しろ科学が進んだ時代ですから、旦那が昔やったみたいに洪水を起こしたり、怪物の姿を取って脅しても、全部物質現象として解明されてしまって、旦那の関与がそこに認められることは金輪際ないわけです。従って、連中が旦那の前にひれ伏すこともない。そもそも存在自体が認められていないわけですから…。説明がつかないときもむろんあるにはありますが、そういう場合は、『ダーク・マターが関係しているようだ』なんて話になって、それで終わりなのです」
「ダーク・マター? それは一体何なのだ?」神は怪訝(けげん)そうに尋ねた。
「暗黒物質とかいうやつで、宇宙にはそれが遍在すると言われているんです。旦那や私もそのダーク・マターみたいなもので、そういうのが神や悪魔に取って代わったのです」
「実に、ありえない話だ!」神は憤慨して叫んだ。「かつては〈永遠の光〉と崇めたてまつられたこのわしを〈暗黒〉呼ばわりとは! かかる屈辱をわしに忍べと言うのか?」
「私の場合は元々が〈暗黒の王子〉なんで、そこは大して変わりませんが」と悪魔は微苦笑を浮かべて言った。「旦那の場合、ご立腹は無理もありません。ですが、我々はもはや人間にとっては存在しなくなった。それはたしかなのです」
しばし沈黙があった。神は懸命に事態を理解しようとしている様子で、悪魔はジェームズ・ボンドばりに、今度はマティーニを注文した。ほんとはウォッカがよかったのだが、神の前ということもあって、慎んだようだった。
「不可解なのは…」と神がやっと口を開いた。「神も悪魔もなしに、人間はどうやって生きていけるのかということだ。わしにはそれがどうしてもわからん」
「私の場合は根が邪悪で」と、悪魔は困惑した神への気遣いを見せながら言った。「〈物事を裏から見る〉性癖があるのでわかるのですが、それはそんなに不思議なことじゃありません。私はあの精神分析というやつが流行り出したのが決定的だったと見ているんですが、最初フロイトという奴が出てきて、次にユングという最悪なのが来た。これを要するに、我々はどちらも彼らの無意識の産物で、いわゆる〈元型〉の一つだということにされてしまったんです。つまり、神も悪魔も、初めから連中の心の中にあっただけで、それを超える〈客観的な実在〉ではなかった、ということになってしまったのです」
「よくわからんが、続けたまえ」と神は顔をしかめたまま、言った。
「要するに、人間の心というものが先にあって、神だの悪魔だのというのはその中の〈共同幻想〉の一つにすぎないということになり、〈人間中心主義〉が確立したのです。彼らはエゴだのイドだの、セルフだのという、人間の心をさらに混乱させる概念を発明して広めたのですが、何にせよ、そういうのはどれも彼らの〈心の属性〉であって、ここが重要なポイントなのですが、旦那や私には依存しない〈自己完結した存在〉になったのです」
「そうすると…」と神はもの思わしげに言った。「宇宙の森羅万象を統(す)べるこのわし、今も生きとし生けるものすべてを慈しみ育てているこのわしも〈幻想〉だというのか?」
「さようです」悪魔は頷きながら言った。「もしくは人間どもの心の一部なわけですね。ということは、つまり、連中が〈神〉になったということです。私もその一部、ということは、彼らは〈悪魔〉でもある。ここで重要なのは、旦那も私ももはや人間の心に〈外から〉働きかける存在ではなくなったということです。それは全部彼らの心の中に〈含まれる〉ものであって、旦那や私が人間を作ったのではなくて、逆に我々はたんなる彼らの発明品にすぎないことが明らかとなったのです。それは人間の〈心理的投影〉の産物でしかないのです」
「そんな馬鹿な話が…」と神は悶絶せんばかりの様子で叫んだ。「創造主たるわしが、逆に彼らの創造物にすぎないとは、冒瀆にもほどがある! わしはかねて君の傲慢を指摘してきたが、悪魔ですら神が自分の創造物であるなどとは言わなかったではないか!」
「仰せのとおりで」と悪魔は話を続けた。「しかし、こういうのは科学における遺伝子操作、ゲノムとやらの解読が進む時代にはマッチしているのです。彼らは文字どおり〈神の領域〉に足を踏み入れ、その自信を裏書きすることになったのですから(人間は「脳」まで作れるようになった。AIってやつをご存じですか?)。この際、元々のフロイト、ユングの思想がどうだったかというような細かい話は、どうでもいいのです。問題はそれがどういう受け取られ方をしたかということで、まさにそのように受け取られて、旦那も私も〈もはや存在しない〉ことになったのです。実際、存在しない。旦那がさっき言われたようなことは、私の関与とは全く無関係に、彼らが〈自力で〉やっているのですから。恐れながら神も、もはや必要ではないのです」
「何ということだ…」そう呟く神の表情には明らかな恐怖が見て取れた。
「旦那の場合にはまだしも」と、ここで悪魔はいくぶん悲しげな表情を浮かべて言った。「やることがおありです。というのも、旦那の助けなしにはこの宇宙は成り立たないからです。そりゃあ、無視されるのは辛いことで、誰にも感謝されないとなると張り合いもありませんが、それでも〈日々の務め〉というものがあるのです。私の場合には、完全な失業状態で、この先もずっとそのままです。というのも、近頃では人間のやることや、心の動きを見ていて、私の方がこわくなることが多いからです。〈自立〉どころの話ではなく、悪魔の上を行く勢いで、今後はいかなる悲惨なことが起きようとも、私は自分の手柄を誇ることはできないのです。私とは無関係なのですから」
「それはまあ…」と慰めの言葉もないといった同情の顔つきで、神は言った。「〈諸行無常は世の習い〉と人間たちも言っているではないか。君の引退は、昔の君の華々しい活躍を知る者としては残念ではあるが、事ここにいたってはやむを得ない。日を改めて送別パーティを開くとしよう」
「あれを憶えておいでですか?」ややあって悪魔は言った。「昔の、例のエデンの園での一件です。〈禁断の木の実〉を私がイブとアダムに食べさせたという…」
「ああ」と神は応えた。「君はあのとき名文句で彼らを誘惑した。『汝ら、神のごとくなりて、善悪を知るに至らん』そう言ったわけだね?」
「そうです。あれは人間どもには珍しく聡明な、旦那とも私とも懇意にしていたゲーテという男の『ファウスト』という輝かしい本の扉に掲げられて、一躍有名になったものですが、私はあのことを時々思い出すのです。私はあれで彼らに〈自意識〉というものを目覚めさせたのですが、当時はまさかあの予言がこういうかたちで成就するとは、夢にも思いませんでした。私は虚偽をその本質とする存在です。それを彼らに真実と信じ込ませ、破綻に追い込んで悔恨の涙に暮れさせるというやり方で、かつてはそこで旦那の出番となったのですが、今ではそうはならず、虚偽がそのまま真実となってしまったのです。破綻に追い込まれたのはこの私…。当時の私は人間を甘く見すぎたのです。彼らは何と言ってもうぶで無邪気な、根は正直な生きもので、根底に神聖なもの、真理への強い憧憬と畏敬を抱き、物質的なものでない、超自然への感性を決して失わないものだと。だから惑わす甲斐もあったので、誰が言わずとも〈分際〉というものをわきまえていて、〈自分がすべて〉だなどと悪魔ですら恥じ入るような思い込みをもつことはよもやあるまいと。しかし、今やそういうつつましさは完全に消え去った。そうして彼らは臆することもなく自らを〈神の地位〉に据えたのです」
「仕方がないさ」と神は慈悲と諦念のまなざしを向けて、最後に言った。「君がさっき言ったように、人間は今やすっかり〈自立〉したんだからね。…」
【追記】「神」の指示により、次の記事をご紹介しておきます。島がどうのといったチマチマした領土争いなどより、こちらの方が事態ははるかに深刻で、切迫しています。このまま進めばアマゾンの密林は2050年以前に〈全滅〉する可能性がある。それが地球規模でどれほど大きな気象変化をもたらすかは、神ではなく、科学者に聞いても大体のところはわかるでしょう。生物多様性だけではなく、新薬などの貴重な源泉も失われる。見返りの経済援助をしてもいいから、国連はブラジル新政府に一刻も早く愚行を思いとどまらせるべきです。
・「サッカー場100万面」相当の森林、1年で消失 ブラジル
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