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危険地帯に行くことの是非

2018.10.24(17:33) 608

 以下、時事通信の「『安田さん解放に身代金』=カタール支払いとシリア監視団」という見出しの記事の写しです。

【カイロ時事】シリア入国後に行方不明になり、解放情報が伝えられたフリージャーナリストの安田純平さん(44)について、在英のシリア人権監視団は23日、解放に際し「多額の身代金が支払われた」と主張した。信ぴょう性は不明。
 日本政府は、テロリストに身代金を払わないというのが公式の立場。人権監視団のアブドルラフマン代表は「身代金は日本ではなく、カタールが支払った。記者の生存や解放に尽力したという姿勢を国際的にアピールするためだ」との見方を示した。菅義偉官房長官は23日深夜(日本時間)の記者会見で、解放の情報はカタールから提供されたと述べていた。


 まずはよかった、ということですが、前(2015年1月)に、同じシリアでISの人質になっていた後藤健二さんが殺害された事件を思い出した人が多いでしょう。あのときは折も折、中東歴訪中のわれらが安倍首相が、「テロとの戦い」への支援のため、2億ドルを寄付しますなんて得意満面ぶち上げたものだから、恰好の見せしめとして後藤さんは殺されたので、政府は事前に後藤さんが人質になっていることを把握しながら、驚くべき能天気さだと呆れさせられたものでした。安倍首相は「いかなる事態にあっても国民を守る」とかねてから高らかに宣言していて、だから集団的自衛権や、自衛隊に正規の「国軍」の地位を与える憲法改正が不可欠だとのたまうのですが、個人で危険なシリアくんだりまで行ったジャーナリストは「自己責任」でそうしているのであり、そういう場合は「非国民」として無視して差し支えないのだということが、あの事件で明白に示されたのです(彼は総理大臣の地位にありながら、複雑な国際政治地図というものが基本的にわかっていないのではないかと疑われますが、今さらそんなこと言っても仕方がない)。

 安田さんが解放されたのは、ISとは別の集団(今は身代金商売のその手の団体がいくつもあるという)だったことや、今回は政府もあの大失態(西洋諸国なら「いくら何でもアホすぎる!」ということで非難殺到して政権崩壊につながるほどのものだった)を繰り返してはまずいと、それなりに必死の交渉を水面下でしていたのでしょう。それが奏功したわけですが、これで日本政府はカタールに大きな「借り」を作ったわけで、身代金肩代わりが本当なら、今後それに見合った経済援助などすることになるでしょう。

 にしても、一般国民の素朴な疑問として、前回のこともあるのに、何で安田純平氏はわざわざ誘拐の恐れの最も高い危険地域に行ったのかということがあって、マスコミ報道が概して冷淡だったのも、そのことが関係していそうです。

 ネットには「前回の救出時【註:イラクで拘束されたことがあった】に帰国費用の支払い拒否&逆ギレで国に賠償金請求した人」というような非難(悪意に基づく誇張や曲解)まで出る始末です。過去に安田さん自身がツイッターに「戦場に勝手に行ったのだから自己責任、と言うからにはパスポート没収とか家族や職場に嫌がらせしたりとかで行かせないようにする日本政府を『自己責任なのだから口や手を出すな』と徹底批判しないといかん」などと書いていたので、今さら「助けて下さい」(Youtube映像でそう訴えている)はないだろう、という冷ややかな見方が、とくに安倍シンパのネトウヨには目立つようです。

 たしかにこのツイッター投稿は痛い。察するに、脅されて「今すぐ助けて下さい」と言わされたのでしょうが、それは上の「自己責任なのだから口や手を出すな」とは矛盾していて、身代金を払ったのはカタールだったとしても、日本政府は「カタールが勝手にやったこと」とは言えず、最終的に「国に負担をかける」ことにもなってしまったのです。

 これは難しい問題です。危険でも現地に入らないとわからない情報というものがあって、それを伝えるのも国際ジャーナリストの仕事の一つでしょう。そうした情報がその国の紛争についての理解の仕方を変え、場合によっては国家レベルでの外交政策の変更をもたらすことだってあるかも知れない。しかし、それはジャーナリストの誘拐や死の危険と隣り合わせなのです。「あいつは警告を無視して行った。だから自己責任なので、どうなろうと知ったことではない」と言うのは、その意義を考慮すれば、不当すぎる対応だということになるでしょう。それは人道的にもおかしいと感じられる。

 前の後藤健二さんの事件のとき、彼はそもそも先に拘束されていた湯川遥菜さんを助けようとして捕まったのだと言われていて、その湯川さんの動機があまり感心のできないものだったので、「何やってんだか…」ということで、後藤さんほど同情は集めなかった(僕もそうでした)のですが、後藤さん自身はそんなことには頓着せず、人として見殺しにはできないということで行動したのでしょう。真の人道的見地からすれば、政府も救出に全力を挙げた上で、その動機がつまらないものだったとすれば、助けた後で「もうそういうことは二度とするなよ」とお説教すべきだったということになります。そうしてこそ「国民の庇護者」と認められるので、説得力がある。

 台風のとき、わざわざ風雨の激しい戸外に出てアナウンサーや記者が「実況中継」するのと同じような戦争報道は、表面的なセンセーショナリズムでしかなく、僕はあまり意味はないと思います。その背景を探ると共に、現地の人たちが何を思い、何を訴えようとしているのか、そのあたりをきちんと伝えてこその報道です。後藤さんも、安田さんも、それをしようとしていたのでしょう。それは価値のある仕事です。

 今の大手メディアのジャーナリストたちはサラリーマン化していて、政府が「危険だから行くな」と言えば、いや、言われなくても、危険な紛争地域などには入らない。それでは本当のところ、何が起きているのかもわからないはずで、後藤さんや安田さんのようなフリーのジャーナリストが代わりにそれをやってくれている。彼らには固定給や身分保障があるわけではないから、経済的なやりくりも大変なはずです。そこにさらに「命の危険」が加わる。「危険なところには近づかない」というのは、市民道徳としては正しいでしょうが、この世の中はそれだけでは片付かない。それでは世界や人間についての一面的な理解しかもてないことになってしまうからです。自殺願望にとりつかれた病的な人や、妙な自己顕示欲に駆られて、というのでないかぎり、危険な地域を取材するジャーナリストはそれ相応の準備をして潜入しているはずです。それでも拉致されて、自力では如何ともしがたいことになってしまう(このあたり、安田さんには自己過信があったのかもしれません)ことはあるわけで、それを「自己責任」の一言で片づけてしまうのは、無意識にリスクを取らない自分を正当化する心理も隠れているのではないかと思われますが、狭い市民道徳だけで自己完結してしまった人間のたんなる無情ではないかと思われるのです。

 人情として、僕は誰であれ、命にかかわるような危険なところには行ってほしくありませんが、覚悟と使命感をもってそういうところに行く人たちには敬意を表します。何かあったとき、政府や国民がそういう人を非難したり、見殺しにしたりするような国では困ると思うので、長期間拘束されて心身ともに大きな苦痛を味わったであろう安田さんを、僕らは温かく迎えるべきでしょう。彼から、今では情報が乏しくなりすぎたシリアの内情についての貴重な話も聞けるはずです。

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祝子川通信 Hourigawa Tsushin


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