・ノーム・チョムスキー『アメリカンドリームの終わり』(寺島隆吉+寺島美紀子訳 ディスカバー・トゥエンティワン)
・スティーブン・M・グリア『ディスクロージャー』(廣瀬保雄訳 ナチュラルスピリット)
この二つを、僕は同時に買って、並行して読みました。どちらも非常に面白かった。チョムスキーは著名な言語学者であるのみならず、犀利卓抜な政治評論でも有名で、僕はアルンダティ・ロイ(インド人の女性作家・政治評論家)のファンですが、彼女のお師匠さんに当たる人と言えばいいのか。僕ぐらいの年配なら、若い頃『デカルト派言語学』や『知識人と国家』などを読んだことのある人は少なくないと思うのですが、1928年12月生まれだというから、もう90歳近い人だということになります。この本は「語り下ろし」だそうなので、高度な集中力を要求される彼の他の本と較べてはるかに読みやすい。
スティーブン・M・グリア氏の方は、僕はこの方面に疎いので知りませんでしたが、この本の「著者紹介」によれば、
ディスクロージャー(公開)・プロジェクト、地球外知性体研究センター(CSETI)、 およびオリオン・プロジェクトの創始者。2001年5月に米国ナショナル・プレスクラブにおいて衝撃的な記者会見を主催。20名を超える軍、政府、情報機関、および企業の証人たちが、地球を訪れている地球外知性体の存在、宇宙機のエネルギーおよび推進システムの 逆行分析等について証言し、その模様はウェブ放送されて世界中で10億人を超える人々が視聴した。
全米で最も権威のある医学協会アルファ・オメガ・アルファの終身会員でもある グリア博士は、一連のプロジェクトに専念するため現在は救急医の職を辞しているが、かつてはノースカロライナ州カルドウェル・メモリアル病院の救急医療長を務めた。
博士には本書の他に4冊の著書があり、多数のDVD も制作していて、地球外文明と平和的にコンタクトする方法を指導すると共に、真の代替エネルギー源を一般社会に普及させる研究を続けている。また、サンスクリットのヴェーダを学び、30 年以上にわたりマントラ瞑想を教えていて、映画「古代の宇宙人」「スライブ」等にも出演するなど、 極めて多彩な活動を精力的に行なっている。
という、元は医師だが、「UFO研究の権威」の一人なのです。僕はこの方面には詳しくありませんが、関心は昔からあったので、ある程度はこの方面の本も読んでいて、Roswell Incident(ロズウェル事件)に関しては、訳本のみならず、英語のペーパーバックを買って読んだこともあるくらいです。あの事件など、観測気球ごときであの騒ぎになるわけはないので、どう見ても隠蔽工作が行われたとしか思えなかった。この本の複数の証言によれば、やはりあれは本物の「UFO墜落事件」だったということになるので、乗員であるET(地球外生命体)の遺体もそのとき回収されていたのです。
この本には日本航空ボーイング747のUFO遭遇事件も詳しく述べられています。それは1986年のアラスカ上空でのことで、それは当時の日本の新聞にもベタ記事として出ていたような気がするのですが、FAA(米国連邦航空局)やFBI、CIAはいつものように揃って口裏合わせをして、「なかったこと」にし、その記録を隠蔽したのです。だから、この種の事件の続報はきまっていつもない。お気の毒だったのは見たものを正直に見たと言った寺内機長で、日航は「この事件に関して医学審査委員会を開」き、「その結果、そのような奇妙な現象を見るパイロットを飛行させることは、日本航空にとり賢明でないとの結論になっ」て、寺内氏は地上勤務に降格されてしまったのだという(その後復帰)。地上の航空管制官とのやりとりが実際にあって、そこのレーダーでも31分間にわたって奇妙な動きを見せる目標が捕捉されていたのだから、それが幻覚や錯覚の類であるはずがない。寺内機長はそれを視認して、747機のおよそ四倍の大きさがある「一個の巨大球体」であると管制官とのやりとりで述べたようですが、位置を自在に変え「機の周囲を跳ね回」りながら追尾する巨大飛行物体など「ありえない」ので、かかる幻覚を見るようなパイロットは精神に異常が認められ、危険である、ということにされてしまったのでしょう。
こういうのは、僕に言わせれば無意識的な「ヒト至上主義」に基づく人間の傲慢な思い込みの一つにすぎませんが、それは一般的なものとして存在するので、軍や政府諸機関はその心理を隠蔽に利用するのです。「そんなもの、常識的、科学的に考えてありえないでしょう? 無意識の願望が投影されて、そういうものが見えたと錯覚することがあるので、そういう人たちはみんな少々頭がおかしいんですよ」などと。仮に中世の人間が今のふつうの航空機を見たとすれば、それは「ありえない」ので、幻覚を見たか、悪魔にとりつかれたかだと思われたでしょう。幸い今は火あぶりにされることはありませんが、それと似たようなものです。
僕は宇宙人が地球を侵略するなんてことはまずないと思っていますが、それは彼らのテクノロジーをもってすれば赤子の手をひねるようなかんたんなことのはずなのに、それをまだやっていないということからして、彼らはむしろ憐れみをもって人類の有様を眺めているのではないかと思うからです。「どうして連中はああも利己的で、アホなんだろ? とくに支配層が最悪だ。地上の他の生物のためにも、根絶をはかるべきではないのか?」「いや、未開で遅れているんだから、仕方がない。われわれの先祖もかつて愚かだったことがある。彼らのDNAはサルとほとんど同じなのだ。それを思えば頑張っているとは言えるので、もう少し慈悲心をもって、愚かさに自分で気づくまで寛大に見守ってやるべきではないのか?」というような会話が、ETたちの惑星間会議の場で交わされていても、何ら不思議ではないように思われるのです。地球史上、第六番目の生物大量絶滅が進行しつつある今、今回のそれは人為的な要因によるものなので、ETたちの間でも「有害生物退治派」が優勢になりつつあるのではないかという気もしますが、その場合でも彼らの意図は「侵略」ではなくて、「ダニ駆除」みたいな趣旨のものだろうと思われるのです。基本的に彼らは人類ほど利己的でも邪悪でもない。まあ、「宇宙人も色々」かもしれませんが(本書の著者もETたちは核戦争など、人類の愚行を懸念していて、こちらが攻撃しないかぎり襲ってくることはない友好的な存在と見ているようです)。
この手の本は玉石混交ですが、この『ディスクロージャー』は良質なもので、本文だけでも700頁を超えるので読むのは大変ですが、資料集、証言集としても大きな価値があるので、手元に置いておくと便利です。「へっ、UFOなんて…」という侮蔑も露わな反応を見せる知人に読ませて感想を聞くのもいい。この本によれば、その高度なテクノロジー、エネルギーシステムに学び、それを活用すれば、今の人類が直面する多くの問題が解決できるようなので、きちんと情報を公開してもらいたいものですが、電気自動車ですら石油メジャーは既得権益を害されるというので普及を妨害したのだから、道のりは遠そうです。今の支配階級(民主主義の今、そのようなものは存在しないというのは、それこそ「幻想」に過ぎません)の目に余る利己性からして、彼らが「地球や人類の将来的福祉」はおかまいなしに「目先の自己利得」を最優先するのは明らかなので、それは困難なのです。
ここで話はめでたくチョムスキーの本とつながります。今のアメリカは完全に「病気」だと僕は思っていますが、どうしてあそこまでひどいことになってしまったのか、そのあたりの経緯をこの本はわかりやすく解説してくれています。訳者の註も周到かつ親切なもので、申し分がない。
要するに、今のアメリカは「民主主義社会」ではないのです。資本主義かといえば、それも疑問で、著者の皮肉な言い方を借りれば、「企業社会主義」みたいなもので、政治はごく一部の強欲・利己的な特権階級の手に握られている。1970年代にそれは変質し、その後その度合いはエスカレートして今日に至った、というのが著者の見立てです。民主党政権だろうが、共和党政権だろうが、そこは同じなのです。むろん、アメリカンドリームなんてのは今は昔の話で、階級間移動の最も困難な国に、アメリカはなってしまった。
愚かにも、僕はオバマが当選した時喜びました。あのブッシュの後だったからなおさらですが、同時に暗殺されるのではないかと心配した。しかし、しばらくすると、これは暗殺の心配なんか全くない男だというのがわかったので、相も変らぬ「ウォールストリート政権」のままだったのです。Change!のスローガン空しく、人相も見る見る卑しくなっていった。目玉のオバクケアも保険会社・製薬会社の策謀で「ない方がマシ」なものに変えられてしまったよう(国民皆保険のようなものはアメリカでは「政治的な支持が得られない」ので、これは「ゴールドマンサックスやJPモルガンチェイスなどの金融機関からの支持が得」られないというのと同義だそうです)だし、国際政治に関しても見るべきところは何もなかった。無人戦闘機ドローンによる民間人殺害で名を上げただけだったのです。彼の大統領職はたんなるお飾りでしかなかった。それなら思いっきり粗野で下品なトランプのような男の方が「突破力」があるのではないかと期待して、「貧すりゃ鈍する」中で、ああいうのをえらぶ羽目になったのです。またしてもその期待は裏切られるでしょうが(トランプに二期目はないが、今も危ないので、「余命一年」なんて言われています。しかしそれも、マスコミや良識派の批判によってそうなるというのではなく、「エスタブリッシュメントの意向」に合致しないからその場合は切られるわけで、仮に彼が差別的言動に怒ったイスラム過激派によって暗殺された場合でも、それは防護を意図的に怠ってそう仕向けたという性質のものでしょう)。
この本には「人類の支配者」という言葉が何度も出てくるので、これはオカルト的陰謀論の類ではないか、と思う人がいるかもしれませんが、元はアダム・スミスの言葉だそうで、述べられていることはいたってまっとうなことです。アメリカ人は“伝統的に”「小さな政府」を好み、とりわけ共和党はそうだと言われますが、額面通りにそれを受け取ることはできないので、強欲なエスタブリッシュメントは人々に自助努力を説きながら、「自分たちが経営危機に陥ったときに、国民の税金を総動員して自分たちを救ってくれる強力な政府機能」と「強力な軍隊」は欲するのです。「それがあれば、世界を支配下に置くことができますし、世界中で展開している彼らの悪行(企業活動)に抗議する『民衆暴動』から身を守ることができ」るからです。
70年代以降、なぜアメリカの金融資本は巨大化したのか、また、それは「歴史の必然」みたいに思われていますが、なぜアメリカの産業(製造業)は空洞化したのか、あの馬鹿げた経済の「トリクルダウン学説(金持ちを税制で優遇してもっと金持ちにしてやれば、貧乏人もそのおこぼれに預かることができる)」は、わが国でもマック竹中こと竹中平蔵あたりがさかんに吹聴していましたが、そうしたことは彼ら「人類の支配者」の利益にかなうがゆえに「必要なこと」だと主張され、実行されたのです。彼らにとっては確かにそれは「必要」だったが、大多数の人たちにとってはそうではなかった。それは自然なことでも防げないことでもなかったのです。
アメリカの大学の学費は馬鹿高いことで有名ですが、これも昔は安かったらしいので、名門のアイビーリーク(すべて私立)ですら例外ではなかったのです。今は州立大学ですら驚くほど高額なので、その理由は「合衆国の半分以上の州で、州立大学の財源のほとんどは、州政府からの交付金ではなく、学生が自分の懐から支払う授業料になってしまって」いるからです。その結果、多くの学生は多額の学生ローンを背負って卒業(または中退)することになり、これも有名な話ですが、それは自己破産しても免除されない。著者によれば、彼らは「ネズミ捕りにつかまったネズミ」に等しくなり、たとえ弁護士になっても、借金返済のために「儲けのために動く民間の法律会社に就職せざるを得なくなって」しまうのです。これは他の職種でも同じでしょう。彼らは解雇を恐れて上の命令に唯々諾々と従う「従順な羊」にならざるを得ないのです(日本とアメリカの共通点は、異常に労働時間が長いことです)。
初等・中等教育もアメリカは悲惨で、貧困地区の学校には予算がないため、まともな教育は提供されず、この本には「ドラッグを飲ませて成績の向上を図ろうとしている医者が少なからずいる」という話まで紹介されていますが、教育に対する公的扶助が徹底して削られているのです。とにかく削れるものは皆削る。そうしないと財政が悪化してやっていけないからだ、と説明するのですが、富裕層の税金を軽減し、金融機関が悪質なマネーゲームに走って潰れそうになったときなどは巨額の税金投入で救済する「余裕」はつねにあるわけで、それは嘘なのです。政治家は選挙(それはますますカネのかかるものになっている)のたびにスポンサー(多国籍企業や機関投資家)の援助をアテにしているから、タテマエはどうあれ、実際の政策や予算の使い道は彼らの意向に合わせたものになる。
プラトンの哲人政治ではないが、少数者による独裁が正当化しうるのは、それが「良心的な、高潔なエリート」によるものであるときだけです。それでも独善性は免れないが、今のアメリカの場合、それは「極度に利己的なエリート」に支配されるようになっているのです。企業経営者も、四半期三ヶ月でどれだけの利潤が生みだされるかだけが評価され、長期的な視野やそこで働く従業員の福利厚生などは全く考慮されない。考慮されているのはCEOの巨額報酬と株主利益だけなので、人件費などは削った方が利益が上がるから、むしろ容赦なく削るのです。経済のグローバル化にしても、それは「必然」だったのではなく、まず「拷問部屋」と呼ばれるような途上国の貧困労働者を低賃金で使って利益を最大化し、その次は、彼らと競わせて、先進国の労働者の人件費を削減するという方向に進むので、それはアメリカの中産階級を没落させたが、支配層には好都合なことだったのです。
その際、労働組合が存在すればその妨げになるというので、これを潰すか無力化しなければならない。アメリカのエスタブリッシュメントはこれをやりました。おかげで今は民間の組織率は7%以下まで落ち込んだ、という話ですが、彼らはアカ(共産党)であり、「特殊権益の保持者」なので、世間の人たちとしてもそんなものを擁護すべき理由は何もないというわけです。こうして労働者は自分の首を絞める羽目になった。
日本の場合だと、労働組合は企業別、産業別ですが、こちらも組織率は下がり続けています。そして国民の支持も低い。理由の一つは、それは多く大企業の正社員を対象としたもので、大半は御用組合と化し、経営陣にすり寄る一方、増える一方のひどい待遇の非正規社員や下請けのために戦うことはないからです。たとえば高額の給料を得ているテレビ局の社員が属する労働組合だと、仕事を悪条件で丸投げしているプロダクションの労働者の待遇改善を求めて戦うことはないでしょう。公務員たちの組合も同様です。パートの人たちの悲惨な待遇を改善して、「同一労働同一賃金」を実現すべきだなどとは口が裂けても言わない。彼らの犠牲のもとに自分たちの好待遇が守られているのだということを承知していて、そうした「差別」は温存するのが得策と心得ているからです。もっとひどいのになると、自己関心しかないので、そういうところには全く目が向かないという人までいる。
要するに、今の労働組合というのは、正社員としての自分たちの既得権益を守るためのものでしかなく、「一緒に働く仲間」意識なんてものはないので、見ている方もシラけてしまうのです。また、電力会社の労働組合だと、脱原発には当然のように反対する。民進党のこの問題に対する対応が中途半端だったのは、支持母体の連合の電力総連に遠慮したためだったと言われています。国民益のために彼らは戦うのではなく、まさに「特殊権益の保持者」でしかなくなっているので、国民的な支持は得られないのです。
こういうのはエスタブリッシュメントの見地からすれば、この上なく好都合なことです。それは労働者階級の間に分裂と対立を作り出し、彼らにとっては脅威となる「連帯と団結」を防止することになるからです。非正規雇用が増加の一途をたどる中、正規と非正規の社員の対立が募って、労働者がバラバラになれば、企業が労働者への所得分配を減らして内部留保をため込むこともそれだけ容易になる。「同一労働同一賃金」についても、これはそれを口実に正社員の待遇を下げる口実にも使えるので、「労働者の団結」が欠けている中、結局いいようにしてやられるのです。
ついでに言うと、今の政府・日銀の円安政策は、輸入型・国内型の多数の中小零細企業にとっては輸入原材料の値上がりなどでメリットは何もありません。製品を値上げすれば、労働者の実質賃金は下がり続けているのだから、単純に売れなくなるので、価格を維持すれば、利益率が下がるだけだからです。こちらは内部留保どころではなく、経営がアップアップで、要は輸出型大企業に有利な政策を取っているだけの話です。正社員も賃上げは、だから、そうした大企業にかぎられることになる。安泰なのはそうした大企業と、景気対策として行われるバラマキ公共事業で潤う大手ゼネコンと関連産業、景気無関係の親方日の丸公務員だけで、他は「貧乏のスパイラル」に入るだけになり、げんにそうなっているのです。官製相場の株価の値上がりは庶民には何の関係もない。国や日銀が必死に買い支えることを承知の海外機関投資家にそのうまみを全部持っていかれているだけの話です。素晴らしい哉、アベノミクス。
チョムスキーは、今のアメリカ社会の荒廃は、70年代から強力に進められた「金融の規制緩和」と、「産業空洞化(製造業の海外移転)」に国民レベルで有効な反対ができなかったことにあると見ているようです。繰り返しますが、それは偶然そうなったのでも、「歴史の必然」だったのでもなく、「人類の支配者」の意図によって行われたもので、産業・社会構造が意図的に作り替えられたのです。「グローバリズム」なるものは、従って、その意思によって推進されたものです。
今では当たり前のように思われている、カネがカネを生むマネーゲームにしても、それは社会に財もサービスも文化も何も生み出さない。しかし、それが最も儲かる産業になっているというのは、思えば異常で馬鹿げたことです。製造業でも、「利潤の最大化」を求めて、環境規制・労働者保護規制の少ない低賃金・低コストの国や地域を探し回り、そこに工場を作って安価に製品を作って大儲けしようとする多国籍企業(しばしば法を巧妙にかいくぐって法人税も支払わない)は、元の工場を閉鎖して、大量の失業者を生み出すが、そうした労働者の運命には何の関心も同情も示さないのです。アメリカで起きたことはまさにそれで、これら二つがその潤沢な資金力を背景に、政治を自在に操ろうとし、それに成功してきたのです。
そうして「グローバル経済」は作られた。「良貨は悪貨を駆逐する」で、いったんそういう構造が出来上がってしまうと、どこでも似たようなことが行われるようになる。そうでないと生き残れないということになってしまうからです。その中で労働者は「低賃金競争」を強いられることになる。格差もその中で生み出される。正社員の賃金をそれに合わせて削ることはできないとなると、それを補うために低賃金で身分保障のない非正規労働者を増やして、トータルで人件費を削るしかなくなってしまうからです。「下見て暮らせ圧力」が強くなるので、正社員の立場も自然弱くなる。「何、文句があるって? 非正規と較べて、自分がどんなに恵まれているか、わからないのか?」で、サービス残業もあたりまえということになり、職場のブラック度がどんどん増すことになるのです。
長時間労働が一般的になれば、それは「労働者を従順にする」効果をもつ、とチョムスキーは指摘します。余暇や精神的ゆとりがなければ、じっくりものを考えることなどはできなくなるからです。その分、安易な政治プロパガンダに乗せられることも多くなる。低能のトランプはそこらへんをはき違えて逆さまなことを言っていますが、アメリカ発のグローバリズムは、同時に世界に「富と権力の一部の集団への集中」という現象をも輸出した。経済成長の果実は、発展途上国においても公平に配分されることはなく、かえって貧富の格差を拡大する方向に作用しているのです。アメリカでは1950年代、60年代は経済成長の恩恵は全階層に行き渡っていたが、今はそうではないとありますが、それは日本においても同様です。中国やインドはアメリカに劣らず格差が甚だしい国だと著者は言いますが、それはこれらの国々が遅れて経済発展した国だからで、それは今のグローバリズムの中に内蔵された性質だからです。そこには権力(それと結託した富裕層)の横暴を抑制する装置は存在せず、貧しい者は貧しいままに留め置かれ、インドや中国では公共事業のためと称して農民が土地を奪われて流民化するという現象まで起きているのです。
アメリカは「世界に先駆けて」富裕層の減税、法人税減税、投資減税などを行ってきたわけですが、かの国が大きな経済成長を遂げていた50、60年代は金持ち個人に対する税金は今よりはるかに高いものだったと、チョムスキーは言います。法人税はそれよりさらに高く、また株の配当に対する課税はもっと高くて、全体として富裕層の税負担は今とは比べものにならないくらい高かったというのです。
ところがいまやそれは大きく修正されてしまいました。超大金持ちに対する税金は低くなる一方です。そして、それに反比例して民衆への税金は増大化しています。そのように税制が組み替えられてきたのです。しかも、所得税と売上税(消費税)だけで、株の配当には課税されない方向へと進んでいるのです。
産業空洞化に加えてこれでは、一般大衆の貧困化が進むのはあたりまえですが、わが国でも「経済成長にはそれが必要だ」なんて言うエコノミストがまだいるわけです。あの恥知らずなマック竹中なんかその典型ですが、どういうわけだかこうした動きを批判すると「空想的な左翼の寝言だ」なんて薄笑いを浮かべて言う人が少なくないのです。しかし、貧乏人の数を増やして、その可処分所得をさらに減らす、なんてことをやったのでは景気はよくなるわけがない。需要が縮小するからで、株高を演出し、インフレ期待を起こせば景気はよくなるなんて、たんなる机上の空論に過ぎません。モノが高くなれば買う量を減らすだけだから、企業の売上は増えず、従って賃金も上げられない。実体経済とは別のところで投資マネーが行き来しているだけなのです。そっちの方がよほど「空想的」な話だということになる。そして今の日本の「雇用の改善」なるものは大部分、たんなる労働者人口の減少に伴う自然現象にすぎないのです。アベノミクスの成果だなどと自慢するのは安倍本人だけです。
アメリカの場合だと、近年の経済成長の果実は大部分が富裕層に吸い取られ、一般のアメリカ人は確実に貧困化しているというデータが(この本ではないが)出ています。そのやり場のない怒りと不満がトランプ大統領を生んだ。彼はアメリカファーストで、国内に雇用を、製造業を取り戻すと言ったからです。それは間違った因果関係の理解に基づいていて、真の敵が国家内部にいることはわかっていないようなので、決して成功することはないでしょうが。
僕は経済学は素人ですが、実際の経済のしくみがどうなっているかは、カネの流れを追えばわかるということは承知しています。そこに不自然な富の偏在、集中が発生しているとすれば、それは経済構造が不正なものに作り替えられているということです。アメリカの支配層はそれをたしかにやって、そのシステムを世界に輸出してきた。それをまず認識しなければ、何も始まらないわけです。その経済構造の中でどうすればうまく行くかを考えても、それは第一着手が間違っているのだから、矛盾と混乱を募らせるだけです。
長くなったので、これくらいにしますが、チョムスキーのこの本はそこらへんをあらためて考えさせてくれる本でした。「日本を考える」役にも立つのです。もう一つだけ付け加えさせてもらうと、こうした「カネの流れ」というのは、予算などを見ても、見かけだけではわからない。たとえば、福祉予算、文教予算というものが示されても、それがどこに流れているかを調べないと、本当に名目通り役に立つものになっているかどうかはわからないのです。それがいりもしない特殊法人に流れて、天下り役人の法外な退職金支払いに流用されていることもあれば、政治家や役人と結託した悪徳事業者の私腹を肥やすために使われていたりすることもあるのです。発展途上国への医療支援のはずが、実際はその支援金の大部分が西側の悪徳巨大製薬会社に吸い上げられていた、なんて話はかなり有名ですが、今の世界には内外を問わず、そういう「吸血ダニ」みたいな連中がたくさんいるようです。彼らは表向き「名士」を気取っていても、社会の体力を奪う元凶になっていることが多い。日本の今の国家予算でも、そういう連中の懐に入る無駄金を全部排除すれば、消費税増税分を上回る金額が節約できるでしょう。それほどその規模は大きいと想像されるのです。寄生虫は余儀なき事情で生活保護を受けている人たちではない、紳士淑女顔したそういう連中なのです。見えにくいそういうところにも注意を向ける必要があるということですが、一般人にはそんなことを調べているヒマはないので、ジャーナリストたちはそこらへん、低俗ネタばかり追うのでなく、肩書にふさわしい仕事をしてもらいたいと思います。
・スティーブン・M・グリア『ディスクロージャー』(廣瀬保雄訳 ナチュラルスピリット)
この二つを、僕は同時に買って、並行して読みました。どちらも非常に面白かった。チョムスキーは著名な言語学者であるのみならず、犀利卓抜な政治評論でも有名で、僕はアルンダティ・ロイ(インド人の女性作家・政治評論家)のファンですが、彼女のお師匠さんに当たる人と言えばいいのか。僕ぐらいの年配なら、若い頃『デカルト派言語学』や『知識人と国家』などを読んだことのある人は少なくないと思うのですが、1928年12月生まれだというから、もう90歳近い人だということになります。この本は「語り下ろし」だそうなので、高度な集中力を要求される彼の他の本と較べてはるかに読みやすい。
スティーブン・M・グリア氏の方は、僕はこの方面に疎いので知りませんでしたが、この本の「著者紹介」によれば、
ディスクロージャー(公開)・プロジェクト、地球外知性体研究センター(CSETI)、 およびオリオン・プロジェクトの創始者。2001年5月に米国ナショナル・プレスクラブにおいて衝撃的な記者会見を主催。20名を超える軍、政府、情報機関、および企業の証人たちが、地球を訪れている地球外知性体の存在、宇宙機のエネルギーおよび推進システムの 逆行分析等について証言し、その模様はウェブ放送されて世界中で10億人を超える人々が視聴した。
全米で最も権威のある医学協会アルファ・オメガ・アルファの終身会員でもある グリア博士は、一連のプロジェクトに専念するため現在は救急医の職を辞しているが、かつてはノースカロライナ州カルドウェル・メモリアル病院の救急医療長を務めた。
博士には本書の他に4冊の著書があり、多数のDVD も制作していて、地球外文明と平和的にコンタクトする方法を指導すると共に、真の代替エネルギー源を一般社会に普及させる研究を続けている。また、サンスクリットのヴェーダを学び、30 年以上にわたりマントラ瞑想を教えていて、映画「古代の宇宙人」「スライブ」等にも出演するなど、 極めて多彩な活動を精力的に行なっている。
という、元は医師だが、「UFO研究の権威」の一人なのです。僕はこの方面には詳しくありませんが、関心は昔からあったので、ある程度はこの方面の本も読んでいて、Roswell Incident(ロズウェル事件)に関しては、訳本のみならず、英語のペーパーバックを買って読んだこともあるくらいです。あの事件など、観測気球ごときであの騒ぎになるわけはないので、どう見ても隠蔽工作が行われたとしか思えなかった。この本の複数の証言によれば、やはりあれは本物の「UFO墜落事件」だったということになるので、乗員であるET(地球外生命体)の遺体もそのとき回収されていたのです。
この本には日本航空ボーイング747のUFO遭遇事件も詳しく述べられています。それは1986年のアラスカ上空でのことで、それは当時の日本の新聞にもベタ記事として出ていたような気がするのですが、FAA(米国連邦航空局)やFBI、CIAはいつものように揃って口裏合わせをして、「なかったこと」にし、その記録を隠蔽したのです。だから、この種の事件の続報はきまっていつもない。お気の毒だったのは見たものを正直に見たと言った寺内機長で、日航は「この事件に関して医学審査委員会を開」き、「その結果、そのような奇妙な現象を見るパイロットを飛行させることは、日本航空にとり賢明でないとの結論になっ」て、寺内氏は地上勤務に降格されてしまったのだという(その後復帰)。地上の航空管制官とのやりとりが実際にあって、そこのレーダーでも31分間にわたって奇妙な動きを見せる目標が捕捉されていたのだから、それが幻覚や錯覚の類であるはずがない。寺内機長はそれを視認して、747機のおよそ四倍の大きさがある「一個の巨大球体」であると管制官とのやりとりで述べたようですが、位置を自在に変え「機の周囲を跳ね回」りながら追尾する巨大飛行物体など「ありえない」ので、かかる幻覚を見るようなパイロットは精神に異常が認められ、危険である、ということにされてしまったのでしょう。
こういうのは、僕に言わせれば無意識的な「ヒト至上主義」に基づく人間の傲慢な思い込みの一つにすぎませんが、それは一般的なものとして存在するので、軍や政府諸機関はその心理を隠蔽に利用するのです。「そんなもの、常識的、科学的に考えてありえないでしょう? 無意識の願望が投影されて、そういうものが見えたと錯覚することがあるので、そういう人たちはみんな少々頭がおかしいんですよ」などと。仮に中世の人間が今のふつうの航空機を見たとすれば、それは「ありえない」ので、幻覚を見たか、悪魔にとりつかれたかだと思われたでしょう。幸い今は火あぶりにされることはありませんが、それと似たようなものです。
僕は宇宙人が地球を侵略するなんてことはまずないと思っていますが、それは彼らのテクノロジーをもってすれば赤子の手をひねるようなかんたんなことのはずなのに、それをまだやっていないということからして、彼らはむしろ憐れみをもって人類の有様を眺めているのではないかと思うからです。「どうして連中はああも利己的で、アホなんだろ? とくに支配層が最悪だ。地上の他の生物のためにも、根絶をはかるべきではないのか?」「いや、未開で遅れているんだから、仕方がない。われわれの先祖もかつて愚かだったことがある。彼らのDNAはサルとほとんど同じなのだ。それを思えば頑張っているとは言えるので、もう少し慈悲心をもって、愚かさに自分で気づくまで寛大に見守ってやるべきではないのか?」というような会話が、ETたちの惑星間会議の場で交わされていても、何ら不思議ではないように思われるのです。地球史上、第六番目の生物大量絶滅が進行しつつある今、今回のそれは人為的な要因によるものなので、ETたちの間でも「有害生物退治派」が優勢になりつつあるのではないかという気もしますが、その場合でも彼らの意図は「侵略」ではなくて、「ダニ駆除」みたいな趣旨のものだろうと思われるのです。基本的に彼らは人類ほど利己的でも邪悪でもない。まあ、「宇宙人も色々」かもしれませんが(本書の著者もETたちは核戦争など、人類の愚行を懸念していて、こちらが攻撃しないかぎり襲ってくることはない友好的な存在と見ているようです)。
この手の本は玉石混交ですが、この『ディスクロージャー』は良質なもので、本文だけでも700頁を超えるので読むのは大変ですが、資料集、証言集としても大きな価値があるので、手元に置いておくと便利です。「へっ、UFOなんて…」という侮蔑も露わな反応を見せる知人に読ませて感想を聞くのもいい。この本によれば、その高度なテクノロジー、エネルギーシステムに学び、それを活用すれば、今の人類が直面する多くの問題が解決できるようなので、きちんと情報を公開してもらいたいものですが、電気自動車ですら石油メジャーは既得権益を害されるというので普及を妨害したのだから、道のりは遠そうです。今の支配階級(民主主義の今、そのようなものは存在しないというのは、それこそ「幻想」に過ぎません)の目に余る利己性からして、彼らが「地球や人類の将来的福祉」はおかまいなしに「目先の自己利得」を最優先するのは明らかなので、それは困難なのです。
ここで話はめでたくチョムスキーの本とつながります。今のアメリカは完全に「病気」だと僕は思っていますが、どうしてあそこまでひどいことになってしまったのか、そのあたりの経緯をこの本はわかりやすく解説してくれています。訳者の註も周到かつ親切なもので、申し分がない。
要するに、今のアメリカは「民主主義社会」ではないのです。資本主義かといえば、それも疑問で、著者の皮肉な言い方を借りれば、「企業社会主義」みたいなもので、政治はごく一部の強欲・利己的な特権階級の手に握られている。1970年代にそれは変質し、その後その度合いはエスカレートして今日に至った、というのが著者の見立てです。民主党政権だろうが、共和党政権だろうが、そこは同じなのです。むろん、アメリカンドリームなんてのは今は昔の話で、階級間移動の最も困難な国に、アメリカはなってしまった。
愚かにも、僕はオバマが当選した時喜びました。あのブッシュの後だったからなおさらですが、同時に暗殺されるのではないかと心配した。しかし、しばらくすると、これは暗殺の心配なんか全くない男だというのがわかったので、相も変らぬ「ウォールストリート政権」のままだったのです。Change!のスローガン空しく、人相も見る見る卑しくなっていった。目玉のオバクケアも保険会社・製薬会社の策謀で「ない方がマシ」なものに変えられてしまったよう(国民皆保険のようなものはアメリカでは「政治的な支持が得られない」ので、これは「ゴールドマンサックスやJPモルガンチェイスなどの金融機関からの支持が得」られないというのと同義だそうです)だし、国際政治に関しても見るべきところは何もなかった。無人戦闘機ドローンによる民間人殺害で名を上げただけだったのです。彼の大統領職はたんなるお飾りでしかなかった。それなら思いっきり粗野で下品なトランプのような男の方が「突破力」があるのではないかと期待して、「貧すりゃ鈍する」中で、ああいうのをえらぶ羽目になったのです。またしてもその期待は裏切られるでしょうが(トランプに二期目はないが、今も危ないので、「余命一年」なんて言われています。しかしそれも、マスコミや良識派の批判によってそうなるというのではなく、「エスタブリッシュメントの意向」に合致しないからその場合は切られるわけで、仮に彼が差別的言動に怒ったイスラム過激派によって暗殺された場合でも、それは防護を意図的に怠ってそう仕向けたという性質のものでしょう)。
この本には「人類の支配者」という言葉が何度も出てくるので、これはオカルト的陰謀論の類ではないか、と思う人がいるかもしれませんが、元はアダム・スミスの言葉だそうで、述べられていることはいたってまっとうなことです。アメリカ人は“伝統的に”「小さな政府」を好み、とりわけ共和党はそうだと言われますが、額面通りにそれを受け取ることはできないので、強欲なエスタブリッシュメントは人々に自助努力を説きながら、「自分たちが経営危機に陥ったときに、国民の税金を総動員して自分たちを救ってくれる強力な政府機能」と「強力な軍隊」は欲するのです。「それがあれば、世界を支配下に置くことができますし、世界中で展開している彼らの悪行(企業活動)に抗議する『民衆暴動』から身を守ることができ」るからです。
70年代以降、なぜアメリカの金融資本は巨大化したのか、また、それは「歴史の必然」みたいに思われていますが、なぜアメリカの産業(製造業)は空洞化したのか、あの馬鹿げた経済の「トリクルダウン学説(金持ちを税制で優遇してもっと金持ちにしてやれば、貧乏人もそのおこぼれに預かることができる)」は、わが国でもマック竹中こと竹中平蔵あたりがさかんに吹聴していましたが、そうしたことは彼ら「人類の支配者」の利益にかなうがゆえに「必要なこと」だと主張され、実行されたのです。彼らにとっては確かにそれは「必要」だったが、大多数の人たちにとってはそうではなかった。それは自然なことでも防げないことでもなかったのです。
アメリカの大学の学費は馬鹿高いことで有名ですが、これも昔は安かったらしいので、名門のアイビーリーク(すべて私立)ですら例外ではなかったのです。今は州立大学ですら驚くほど高額なので、その理由は「合衆国の半分以上の州で、州立大学の財源のほとんどは、州政府からの交付金ではなく、学生が自分の懐から支払う授業料になってしまって」いるからです。その結果、多くの学生は多額の学生ローンを背負って卒業(または中退)することになり、これも有名な話ですが、それは自己破産しても免除されない。著者によれば、彼らは「ネズミ捕りにつかまったネズミ」に等しくなり、たとえ弁護士になっても、借金返済のために「儲けのために動く民間の法律会社に就職せざるを得なくなって」しまうのです。これは他の職種でも同じでしょう。彼らは解雇を恐れて上の命令に唯々諾々と従う「従順な羊」にならざるを得ないのです(日本とアメリカの共通点は、異常に労働時間が長いことです)。
初等・中等教育もアメリカは悲惨で、貧困地区の学校には予算がないため、まともな教育は提供されず、この本には「ドラッグを飲ませて成績の向上を図ろうとしている医者が少なからずいる」という話まで紹介されていますが、教育に対する公的扶助が徹底して削られているのです。とにかく削れるものは皆削る。そうしないと財政が悪化してやっていけないからだ、と説明するのですが、富裕層の税金を軽減し、金融機関が悪質なマネーゲームに走って潰れそうになったときなどは巨額の税金投入で救済する「余裕」はつねにあるわけで、それは嘘なのです。政治家は選挙(それはますますカネのかかるものになっている)のたびにスポンサー(多国籍企業や機関投資家)の援助をアテにしているから、タテマエはどうあれ、実際の政策や予算の使い道は彼らの意向に合わせたものになる。
プラトンの哲人政治ではないが、少数者による独裁が正当化しうるのは、それが「良心的な、高潔なエリート」によるものであるときだけです。それでも独善性は免れないが、今のアメリカの場合、それは「極度に利己的なエリート」に支配されるようになっているのです。企業経営者も、四半期三ヶ月でどれだけの利潤が生みだされるかだけが評価され、長期的な視野やそこで働く従業員の福利厚生などは全く考慮されない。考慮されているのはCEOの巨額報酬と株主利益だけなので、人件費などは削った方が利益が上がるから、むしろ容赦なく削るのです。経済のグローバル化にしても、それは「必然」だったのではなく、まず「拷問部屋」と呼ばれるような途上国の貧困労働者を低賃金で使って利益を最大化し、その次は、彼らと競わせて、先進国の労働者の人件費を削減するという方向に進むので、それはアメリカの中産階級を没落させたが、支配層には好都合なことだったのです。
その際、労働組合が存在すればその妨げになるというので、これを潰すか無力化しなければならない。アメリカのエスタブリッシュメントはこれをやりました。おかげで今は民間の組織率は7%以下まで落ち込んだ、という話ですが、彼らはアカ(共産党)であり、「特殊権益の保持者」なので、世間の人たちとしてもそんなものを擁護すべき理由は何もないというわけです。こうして労働者は自分の首を絞める羽目になった。
日本の場合だと、労働組合は企業別、産業別ですが、こちらも組織率は下がり続けています。そして国民の支持も低い。理由の一つは、それは多く大企業の正社員を対象としたもので、大半は御用組合と化し、経営陣にすり寄る一方、増える一方のひどい待遇の非正規社員や下請けのために戦うことはないからです。たとえば高額の給料を得ているテレビ局の社員が属する労働組合だと、仕事を悪条件で丸投げしているプロダクションの労働者の待遇改善を求めて戦うことはないでしょう。公務員たちの組合も同様です。パートの人たちの悲惨な待遇を改善して、「同一労働同一賃金」を実現すべきだなどとは口が裂けても言わない。彼らの犠牲のもとに自分たちの好待遇が守られているのだということを承知していて、そうした「差別」は温存するのが得策と心得ているからです。もっとひどいのになると、自己関心しかないので、そういうところには全く目が向かないという人までいる。
要するに、今の労働組合というのは、正社員としての自分たちの既得権益を守るためのものでしかなく、「一緒に働く仲間」意識なんてものはないので、見ている方もシラけてしまうのです。また、電力会社の労働組合だと、脱原発には当然のように反対する。民進党のこの問題に対する対応が中途半端だったのは、支持母体の連合の電力総連に遠慮したためだったと言われています。国民益のために彼らは戦うのではなく、まさに「特殊権益の保持者」でしかなくなっているので、国民的な支持は得られないのです。
こういうのはエスタブリッシュメントの見地からすれば、この上なく好都合なことです。それは労働者階級の間に分裂と対立を作り出し、彼らにとっては脅威となる「連帯と団結」を防止することになるからです。非正規雇用が増加の一途をたどる中、正規と非正規の社員の対立が募って、労働者がバラバラになれば、企業が労働者への所得分配を減らして内部留保をため込むこともそれだけ容易になる。「同一労働同一賃金」についても、これはそれを口実に正社員の待遇を下げる口実にも使えるので、「労働者の団結」が欠けている中、結局いいようにしてやられるのです。
ついでに言うと、今の政府・日銀の円安政策は、輸入型・国内型の多数の中小零細企業にとっては輸入原材料の値上がりなどでメリットは何もありません。製品を値上げすれば、労働者の実質賃金は下がり続けているのだから、単純に売れなくなるので、価格を維持すれば、利益率が下がるだけだからです。こちらは内部留保どころではなく、経営がアップアップで、要は輸出型大企業に有利な政策を取っているだけの話です。正社員も賃上げは、だから、そうした大企業にかぎられることになる。安泰なのはそうした大企業と、景気対策として行われるバラマキ公共事業で潤う大手ゼネコンと関連産業、景気無関係の親方日の丸公務員だけで、他は「貧乏のスパイラル」に入るだけになり、げんにそうなっているのです。官製相場の株価の値上がりは庶民には何の関係もない。国や日銀が必死に買い支えることを承知の海外機関投資家にそのうまみを全部持っていかれているだけの話です。素晴らしい哉、アベノミクス。
チョムスキーは、今のアメリカ社会の荒廃は、70年代から強力に進められた「金融の規制緩和」と、「産業空洞化(製造業の海外移転)」に国民レベルで有効な反対ができなかったことにあると見ているようです。繰り返しますが、それは偶然そうなったのでも、「歴史の必然」だったのでもなく、「人類の支配者」の意図によって行われたもので、産業・社会構造が意図的に作り替えられたのです。「グローバリズム」なるものは、従って、その意思によって推進されたものです。
今では当たり前のように思われている、カネがカネを生むマネーゲームにしても、それは社会に財もサービスも文化も何も生み出さない。しかし、それが最も儲かる産業になっているというのは、思えば異常で馬鹿げたことです。製造業でも、「利潤の最大化」を求めて、環境規制・労働者保護規制の少ない低賃金・低コストの国や地域を探し回り、そこに工場を作って安価に製品を作って大儲けしようとする多国籍企業(しばしば法を巧妙にかいくぐって法人税も支払わない)は、元の工場を閉鎖して、大量の失業者を生み出すが、そうした労働者の運命には何の関心も同情も示さないのです。アメリカで起きたことはまさにそれで、これら二つがその潤沢な資金力を背景に、政治を自在に操ろうとし、それに成功してきたのです。
そうして「グローバル経済」は作られた。「良貨は悪貨を駆逐する」で、いったんそういう構造が出来上がってしまうと、どこでも似たようなことが行われるようになる。そうでないと生き残れないということになってしまうからです。その中で労働者は「低賃金競争」を強いられることになる。格差もその中で生み出される。正社員の賃金をそれに合わせて削ることはできないとなると、それを補うために低賃金で身分保障のない非正規労働者を増やして、トータルで人件費を削るしかなくなってしまうからです。「下見て暮らせ圧力」が強くなるので、正社員の立場も自然弱くなる。「何、文句があるって? 非正規と較べて、自分がどんなに恵まれているか、わからないのか?」で、サービス残業もあたりまえということになり、職場のブラック度がどんどん増すことになるのです。
長時間労働が一般的になれば、それは「労働者を従順にする」効果をもつ、とチョムスキーは指摘します。余暇や精神的ゆとりがなければ、じっくりものを考えることなどはできなくなるからです。その分、安易な政治プロパガンダに乗せられることも多くなる。低能のトランプはそこらへんをはき違えて逆さまなことを言っていますが、アメリカ発のグローバリズムは、同時に世界に「富と権力の一部の集団への集中」という現象をも輸出した。経済成長の果実は、発展途上国においても公平に配分されることはなく、かえって貧富の格差を拡大する方向に作用しているのです。アメリカでは1950年代、60年代は経済成長の恩恵は全階層に行き渡っていたが、今はそうではないとありますが、それは日本においても同様です。中国やインドはアメリカに劣らず格差が甚だしい国だと著者は言いますが、それはこれらの国々が遅れて経済発展した国だからで、それは今のグローバリズムの中に内蔵された性質だからです。そこには権力(それと結託した富裕層)の横暴を抑制する装置は存在せず、貧しい者は貧しいままに留め置かれ、インドや中国では公共事業のためと称して農民が土地を奪われて流民化するという現象まで起きているのです。
アメリカは「世界に先駆けて」富裕層の減税、法人税減税、投資減税などを行ってきたわけですが、かの国が大きな経済成長を遂げていた50、60年代は金持ち個人に対する税金は今よりはるかに高いものだったと、チョムスキーは言います。法人税はそれよりさらに高く、また株の配当に対する課税はもっと高くて、全体として富裕層の税負担は今とは比べものにならないくらい高かったというのです。
ところがいまやそれは大きく修正されてしまいました。超大金持ちに対する税金は低くなる一方です。そして、それに反比例して民衆への税金は増大化しています。そのように税制が組み替えられてきたのです。しかも、所得税と売上税(消費税)だけで、株の配当には課税されない方向へと進んでいるのです。
産業空洞化に加えてこれでは、一般大衆の貧困化が進むのはあたりまえですが、わが国でも「経済成長にはそれが必要だ」なんて言うエコノミストがまだいるわけです。あの恥知らずなマック竹中なんかその典型ですが、どういうわけだかこうした動きを批判すると「空想的な左翼の寝言だ」なんて薄笑いを浮かべて言う人が少なくないのです。しかし、貧乏人の数を増やして、その可処分所得をさらに減らす、なんてことをやったのでは景気はよくなるわけがない。需要が縮小するからで、株高を演出し、インフレ期待を起こせば景気はよくなるなんて、たんなる机上の空論に過ぎません。モノが高くなれば買う量を減らすだけだから、企業の売上は増えず、従って賃金も上げられない。実体経済とは別のところで投資マネーが行き来しているだけなのです。そっちの方がよほど「空想的」な話だということになる。そして今の日本の「雇用の改善」なるものは大部分、たんなる労働者人口の減少に伴う自然現象にすぎないのです。アベノミクスの成果だなどと自慢するのは安倍本人だけです。
アメリカの場合だと、近年の経済成長の果実は大部分が富裕層に吸い取られ、一般のアメリカ人は確実に貧困化しているというデータが(この本ではないが)出ています。そのやり場のない怒りと不満がトランプ大統領を生んだ。彼はアメリカファーストで、国内に雇用を、製造業を取り戻すと言ったからです。それは間違った因果関係の理解に基づいていて、真の敵が国家内部にいることはわかっていないようなので、決して成功することはないでしょうが。
僕は経済学は素人ですが、実際の経済のしくみがどうなっているかは、カネの流れを追えばわかるということは承知しています。そこに不自然な富の偏在、集中が発生しているとすれば、それは経済構造が不正なものに作り替えられているということです。アメリカの支配層はそれをたしかにやって、そのシステムを世界に輸出してきた。それをまず認識しなければ、何も始まらないわけです。その経済構造の中でどうすればうまく行くかを考えても、それは第一着手が間違っているのだから、矛盾と混乱を募らせるだけです。
長くなったので、これくらいにしますが、チョムスキーのこの本はそこらへんをあらためて考えさせてくれる本でした。「日本を考える」役にも立つのです。もう一つだけ付け加えさせてもらうと、こうした「カネの流れ」というのは、予算などを見ても、見かけだけではわからない。たとえば、福祉予算、文教予算というものが示されても、それがどこに流れているかを調べないと、本当に名目通り役に立つものになっているかどうかはわからないのです。それがいりもしない特殊法人に流れて、天下り役人の法外な退職金支払いに流用されていることもあれば、政治家や役人と結託した悪徳事業者の私腹を肥やすために使われていたりすることもあるのです。発展途上国への医療支援のはずが、実際はその支援金の大部分が西側の悪徳巨大製薬会社に吸い上げられていた、なんて話はかなり有名ですが、今の世界には内外を問わず、そういう「吸血ダニ」みたいな連中がたくさんいるようです。彼らは表向き「名士」を気取っていても、社会の体力を奪う元凶になっていることが多い。日本の今の国家予算でも、そういう連中の懐に入る無駄金を全部排除すれば、消費税増税分を上回る金額が節約できるでしょう。それほどその規模は大きいと想像されるのです。寄生虫は余儀なき事情で生活保護を受けている人たちではない、紳士淑女顔したそういう連中なのです。見えにくいそういうところにも注意を向ける必要があるということですが、一般人にはそんなことを調べているヒマはないので、ジャーナリストたちはそこらへん、低俗ネタばかり追うのでなく、肩書にふさわしい仕事をしてもらいたいと思います。
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