二つの十字軍

2016.11.26.22:00

 最近、僕は二冊の本を買いました。一冊は延岡の書店にも置かれていたもの(ついでに言うと、僕が読みたいと思う本はめったにこちらの本屋にはない)で、リチャード・エンゲル著『中東の絶望、そのリアル』(冷泉彰彦訳 朝日新聞出版)です。原題はAND THEN All HELL BROKE LOOSE-Two Decades in the Middle East となっているから、それに近い感じで訳すと、『かくして地獄の釜の蓋は外れてしまった―中東の二十年』ぐらいになるでしょうか。P.18~19にこうあります。

 私の知る限り、独裁者に支配されていた中東世界は、怒りに満ち、抑圧されていて、芯から腐っていた。振り返ってみると、その頃の中東は、凝った印象的な造りで、外観は丈夫に見えたが中は老朽化して傾いている家々のようだった。そして、その中身といえばシロアリとカビだらけだった。空洞を抱えた木々のようなもので、外側からは強く見えた国でも、僅かな一押しで倒されたのは、そのためだ。
 つまりジョージ・W・ブッシュ大統領が、そこに一撃を加えたからだった。6年間の軍事戦略で、ブッシュ政権はイラクを侵略し、占領し、恐ろしいほど間違った統治を行い、1967年以来続いた体制を倒した。ブッシュが中東の最初の一軒の家を破壊した後、やがてオバマが登場した。オバマは、中東での冒険主義に反対する米市民によって選ばれた大統領だ。だが、そのオバマは一貫性のない政治判断でさらに多くの政治体制を崩壊させたのだった。
 オバマ大統領は、民主主義の名において起こった、2011年のカイロの反乱を奨励した。そして、アメリカの協力者だったムバラクを見捨てた。さらにリビアの反乱軍を軍事的に支援した。そのくせシリアでは迷いを見せて行動を起こさなかった。何度も一線を越えた判断が試されたが、約束は守られなかったのだ。その結果、決定的に信頼が損なわれた。ブッシュの過剰なまでの介入主義、そしてオバマの臆病さと一貫性のなさは、相乗効果を発揮して中東を完全に破壊した。


 それについてはこの本ではかんたんにしか触れられておらず、かつその軍事行動は「成功」だったとされていますが、ブッシュはこれに先立ってアフガニスタン攻撃も「9.11の報復」として行っていたので、それでタリバンをいったんは追い出したが、彼らはまた戻ってきて、状況は以前にも増して深刻なものになっていると伝えられます。たとえば、次の記事。

【AFP記者コラム】米軍進攻から15年、希望を失ったアフガニスタンの今

 この『中東の絶望、そのリアル』という本の優れているところは、単にリアルタイムで中東の戦場にいた記者の報告というにとどまらず、歴史的な経緯を詳しく説明してくれているところです。だから、上記の引用に続いて、「スンニ派とシーア派の対立を引き起こしたのはアメリカではない。その対立は、アメリカ独立宣言の千年前から存在している」という言葉が続く(第一次世界大戦後の英仏両国による勝手な「切り取り」にも触れられている)のですが、問題はブッシュ政権もオバマ政権も、そうした歴史的経緯と中東の入り組んだ宗派・部族対立の現実には驚くほど無知なまま、そこに愚かな首の突っ込み方をしてしまった、という点にあります。その結果、彼らが自負する「民主主義の福音」(今のアメリカにそんなものがあるかどうか自体疑問ですが)を行き渡らせるどころか、逆に地獄図絵を出現させてしまうことになったのです。

 IS(イスラム国)の出現と拡大にも、アメリカは大きな貢献をした。というか、上に見たアメリカの相次ぐ愚行がなければ、今のあの「テロリスト国家」は存在しなかったのです。そのあたりの皮肉な因果関係の説明は直接この本に当たってお読みいただくとして、アメリカは「ブッシュ教皇の十字軍」と、「リベラル・オバマの優柔不断」によって、自国の威信の喪失のみならず、中東の地下からあまたの悪霊悪鬼を呼び覚まし、そこを地獄に変えたのです。

 その後のディティールはともかく、「これはえらいことになってしまうぞ」と、僕はアメリカのアフガン攻撃の当初から思っていました。私事ながら、僕が最初の訳書『二つの世界を生きて』を出したのは2001年12月ですが、その本の「訳者あとがき」を書き終えたのは9月10日で、例のテロ事件の前日でした。それから本になるまでの間に、アメリカはアフガン攻撃を始め、深刻な懸念を覚えたので、「アメリカ・テロ事件を受けての追記」を書き加えた。精神科医の自叙伝と何の関係があるのかということになりますが、書かずにはいられなかったのです。僕はそこに、単純に「憎悪によって憎悪に報いる」こういうやり方をしていたのでは「『テロの根絶』どころか、かえって逆の結果を招いてしまう羽目になる」「一つのテロ組織を潰しても、また別のテロ組織が出現する。シンパシーがある限り、テロ組織は生き延びる。すなわち、類似の『災難』はまたアメリカを襲いうる。厳密にはそれは『災難』ではなく、自ら蒔いた種なのだ」と書きました。

 その時点では、まさかイラクまで攻撃するとは思ってもみなかったので、そうなったときはしんから呆れたのですが、とにかく以来、中東は壊滅的と言える混乱の連鎖に陥り、世界中にテロが蔓延するようになってしまった。アルカイダがさらにバージョンアップして強力化したような、「国家」を主張するISまで出現した。「いや、少し時間がかかっているだけで、いずれISも叩き潰す」と言うかも知れませんが、仮にそうなったとして、中東に、世界に平和は戻りますか? 今の状態ではISとの「和解」なんてものは不可能で、潰すまでやり続けるしかないでしょうが、その後の混沌たる状態を誰が収束させるのでしょう? シリアはロシアの意向もあることだし、元通りアサド政権に担当させる? 結構な話です。エジプトも「ムバラクのときよりひどい」と言われる軍事政権をそのまま容認し、混乱の続くイラクはシーア派、スンニ派、クルド人の三つ巴の対立・紛争をそのままにしておく? カダフィ亡き後、事実上の無政府状態が続いているリビアは? 要するに、問題は悪化しこそすれ、何一つ解決しないままで、火掻き棒の役目を果たして混乱を引き起こした無責任なアメリカは、もう中東イシューにはウンザリしている。そこで新たに選出された大統領が、あのドナルドダック…ではなかった、ドナルド・トランプなのです。

 この本の著者、リチャード・エンゲルは、そのあたりどう見ているのか?

 私は、これから数年の間に、中東の多くの国で改めて有力者による独裁が成立してゆくのではないかと見ている。IS、スンニ派とシーア派の流血、トルコ人によるクルド族への敵意、アラブ人とペルシャ人の代理戦争、そうした一連の悲惨な対立に取って代わる者として、新しい独裁者は、姿を現してくるだろう。そして新たな独裁者は、いったん権力を握って体制を固めた後には、往年の独裁者たちよりも悪質な統治を行うだろう。…(中略)…新たな独裁者は、ここ数年の混沌を解決するためには必要だということを理由に、国民の権利を奪うだろう。「往年の混沌状態を改めたいのなら、自由を諦めよ」というわけだ。
 しかし、こうした独裁者候補たちの前途は容易ではない。多くの独裁者たちが登場するだろうが、全員が生き残るとは限らない。ここまで古い体制を壊してきた混沌のエネルギーは、そうは簡単に収束しない。ISの支持者たちは、自分たちが確保した足場を死守するためには命を賭して戦うだろう。新たな指導者が登場する前に、そして混沌状態が沈静化する前に、まだまだ多くの殺戮が待ち構えている。(P.314~15)


 中東の次の十年で、激しい暴力が横行することは間違いない。だが、その暴力の多くは局地的な派閥抗争が主となるだろう。アメリカのイラク進攻のような大規模なことは起きず、おそらくアメリカ人の関心も薄れるのではないだろうか。2015年、私が国際会議のためにアメリカに戻った時、私は人々が中東に関してほとんど気にかけていないことに気づいた。アメリカ人にとって中東は、ただひたすら流血があふれている場所であり、利害関係の対象ではなくなっていた。そして、中東に関するニュースを新聞で読むのも、テレビニュースで聞くのも、もう嫌気がさしていた。とにかく、もう関わりたくないというのだ。(P.324)

「なるほど」と思う見方です。イランの核問題に関連して、次のような不気味なことも書かれています。

…仮にイランの合意が崩れるか、あるいは軍備拡大競争につながるのであれば、アメリカは知らず知らずの間に、自分がその穴に戻っていることに気づくだろう。そうなれば、地域におけるイランのライバルであるサウジアラビアは自身で核開発計画に乗り出すか、別の国から核兵器を導入するだろう。その場合に、最も可能性があるのはパキスタンだ。それとは別に、ISやアルカイダによる大規模攻撃は、アメリカをイスラム世界での新たな戦争に引っ張り出すことを可能にする。中東は磁石だ。そして、アメリカはそこに簡単に引き寄せられる因果があるのだ。(P.325)

 僕に一つ不思議なのは、この本は出てからすでにかなりの日数が経過していて、この手の本にはアマゾンにすぐレビューが出そうなのに、まだ一件のレビューもないことです。読むのにそう時間がかかる本でもない。引用文でおわかりのように、訳文も明快そのもので、内容も優れているのに、何でかなと思うのですが、理由の一つは、そこに「救い」が見出し難いことにあるのかも知れません。第9章の「増殖するISの残忍」には、悪辣という言葉では足りない、彼らの冷酷無残な所業も書かれている。

 これほど深刻な惨害と混乱の引き金を引いてしまったブッシュとの会見にも短く触れられていますが、その驚くべきノーテンキぶりには失笑を禁じ得ないので、かつてナチスのアイヒマン裁判を傍聴したハンナ・アレントは、小心で几帳面、上からの命令には忠実に従う、自分の行為がどれほど深刻なものであるかを想像する能力を全くもたない彼の「小物公務員」ぶりに驚いて、「悪の凡庸さ」について書きましたが、ブッシュの場合にはその驚くべき軽薄さ、思慮のなさが、ヒーローぶりたがる彼の幼児性と相まって、「悪魔の器」としての条件を満たしたのです。自ら考える能力をもたない下っ端公務員的な人間と、あり余る支援を与えても、ことごとく失敗してきた万事にイージーな名家の道楽息子が、ユダヤ人ホロコーストと、それに優るとも劣らない中東の大混乱を引き起こした。そうしてブッシュの尻拭いは、「秀才」のオバマがやらされることになったのですが、彼は机上の空論は得意でも、冷徹な現実認識と決断力に欠けていたのです。

 目下のところ、中東の事件は僕ら日本人にとってはよそ事です。「戦乱に巻き込まれた一般庶民はお気の毒に」ということでしかない。アメリカとの「同盟」のよしみに、自衛隊を戦場に派遣するようなことにでもなれば、わが国でもイスラム過激派によるテロは現実のものとなるでしょうが。

 イスラム過激派はアメリカの介入を「十字軍」とみなしていますが、それはアメリカ政府のメンタリティとしてはまさにそうだったので、しかしそれは、「自由と民主主義」をもたらしたのではなく、かえって人々により多くの不自由と圧政をもたらす(それも命があったらの話ですが)皮肉な結果となっている、あるいはなるであろう見通しなのです。

 もう一つ、本物の過去の「十字軍」を扱った本が出て、それは『異端カタリ派の歴史~十一世紀から十四世紀にいたる信仰、十字軍、審問』(ミシェル・ロクベール著 武藤剛史訳 講談社選書メチエ)です。おそろしく分厚い本で、768ページもある。しかも、余白を減らして詰めているので、実際の頁数以上のボリュームがあるのです。定価が税抜き3100円というのは破格の安さで、僕はこれを関東の知人からメールをもらって早速取り寄せたのですが、ようやく半分読んだところです。

 僕に奇妙に思われたのは、6月に『偉大なる異端~カタリ派と明かされた真実』という訳書を出したばかりだったからです。僅か5か月の間を置いて、日本人にとってはマイナー中のマイナーとも言えるカタリ派関係の本が二冊出た。このロクベールという人は、『偉大なる異端』の第14章「諸家のカタリ派解釈」で最後に言及されている著者(そこでは「ロックベール」という表記になっている)で、そこで言及されているのは同じ著者の『カタリ派の叙事詩』第一巻で、「それは非常な明晰さをもって書かれている。著者はデュベルノワ氏に師事しており、これはそれ自体、正確さと誠実さの保証となるものである」と称賛されているのですが、この『異端カタリ派の歴史』は全5巻となったその『カタリ派の叙事詩』を完成させた後、集大成として書かれた本である由。

 訳文も読みやすい、すぐれたもので、僕は大喜びしたのですが、『偉大なる異端』では略述されているに過ぎないその歴史が、背景、その前後も含めて、実に克明に描かれている。『偉大なる異端』の方は思想、信仰面に重点が置かれ、著者と「カタリ派の霊」との霊界通信(!)まで含まれているので、内容的にバッティングはしないのですが、僕の注文を言えば、先にこちらを出してくれていれば、人名や地名の表記に苦労させられたので、どんなに訳出作業で助かったか、また、歴史関係の註釈はこちらを典拠にしてできたのにと、それが少し残念です。

 しかし、それはぜいたくというもので、僕はこの本の出版を素直に喜びたいのですが、それにつけても今の日本で何でカタリ派なのか、というところはあって、奇妙な偶然です。僕のオカルト的解釈によれば、これは「危機が迫っている」ことの証しです。暗黒時代の到来を前に、「カタリ派についての学び」が意味を帯びてくるということで、これらの訳書は連続して出ることになったのだろうという気がしないでもないのです。

 来週中には全部読み終えるだろうから、何かとくに書きたいことがあればそれはそのとき書きますが、先に上げた『中東の絶望…』と連続して読んだために、僕の頭の中では今の中東の人々の苦難と、昔のラングドックの人々の難儀が重なって見えてきて、実に妙な気分になってしまったのです。平和をもたらさず、かえって殺戮と混乱をもたらす十字軍。大きく違うところは、当時の異端審問は迫害するカトリックの側からなされたのに対し、今のそれは、十字軍側のアメリカではなくて、ISなどのイスラム原理主義者が土地の住民に対して行うもので、その異常な独善性と偏狭さ、冷酷さは両者に共通していますが、そのあたりは「弱者が弱者を虐待する」というかたちで、さらにいびつで陰惨なかたちになっていることです。

 にしても、人間というのは何と進歩しない生きものでしょうか。カタリ派はグノーシス主義と同じく、「この物質世界の王は神ではなく悪魔である」と見たのですが、今の世界もそれを地で行っていて、それが改まる気配はない。そしてこの世界を地獄にしてしまう連中は、しばしば「神の使徒」「正義の使徒」を自任する人たちなのです。自称「正義」や「真理」が「内なる悪魔」を解放する口実となるのを人間はいつになったらやめるのか。むろん、それは人間の利己性や権力欲、党派心とつねに連携しているのですが、そのことには無自覚なのです。これに「その他大勢」組の気弱な日和見主義の安易さが加わって、地獄は完成する。今ではさらに「市場」を神と仰ぎ、戦争でも災害でも金儲けのチャンス、あるいは損害の原因としか見ない「心なし」の投資家たちの一団が加わったのです。

 そもそも人間の良心とは何なのか? しばらく前に僕はハンナ・アレント著『責任と判断』(中山元訳 ちくま学芸文庫)を、これまたネットで取り寄せて読んだのですが、彼女の議論は「学問的」すぎてふつうの人には難解すぎるので、そこらへんを引用や照会ぬきのわかりやすい言葉で論じる思想家がそろそろ出てきてくれてもいい頃だと思います。それとも、僕が知らないだけで、すでにそういう人はいるのでしょうか? 下らない成功本や「何事も気持ちのもちよう次第」みたいな気休め本の類は山とありますが(ああいうつまらない本が多すぎるから、棚がいっぱいになってしまって、いい本が出ても田舎の本屋の棚には並ばず、読者のレベルも低下するのです)、そういう本質的な議論にはとんとお目にかからないのです。今の日本の若い人たちには、平和が一応続いている今のうちに、そこらへんの勉強をしっかりして、自分なりの考えをもてるようになっておいてもらいたいと思うのですが。
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