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いじめ問題はどうなった?~青森県黒石市・夏祭り写真コンテスト事件

2016.10.21.23:21

 あれは「うーん。どうもなあ…」という事件の展開でした。まず、ざっと経緯をおさらいしておきましょう。

 問題となったのは、「黒石よされ写真コンテスト」で最高賞である市長賞に輝いた、アマチュアの男性カメラマンが撮った一枚の写真でした。報道に出たそれを見て、「ずいぶんきれいな娘(こ)だな」と僕はまずそのことに驚いたのですが、着物姿であでやかな笑顔を見せる、被写体となったこの女性はまだ十三歳、中学二年の葛西りまさんで、写真撮影から十日後、電車に飛び込み自殺をして帰らぬ人となったのだという。

「主催団体は、遺族の了解を得た上で、この作品に最高賞となる市長賞の授与を内定していた」というのだから、当初は自殺の事実は把握したうえで、それでもなおこの写真が一番すぐれているとして受賞を決めていたわけです。

 ところが、その後、これに「祭りの責任者や市長」から「祭りの写真としてふさわしくない」という意見が出され、それは取り消される。毎日新聞10月18日の電子版によれば、

 しかし、後になって審査会内部から異議が出たうえ、高樋憲市長も「そもそも亡くなった方がメインの写真を表彰、展示するのは、よされまつりを盛り上げるというコンテストの趣旨になじまない」と再考を促し、審査員が再協議したうえで13日に内定を取り消した

…のだという。最高賞を与えられた写真に写っているのが自殺した少女だなんて縁起でもない!――平たく言えば、そういうことだったのでしょう。

 ところが、「内定取り消し」を伝えられた遺族は、これを不服としてその写真と子供の実名をマスコミに公表、それは大きく報道されて、黒石市や観光協会には非難や抗議の電話、メールが殺到、慌てた市長と関係者は、一転、取り消しを取り消して、元通り受賞させることにした。

 以下は、これを書いている時点での最新の朝日新聞電子版の記事(10月20日付)です。

 青森県黒石市の夏祭りの写真コンテストで、8月に自殺した青森市の中学2年、葛西りまさん(当時13)が写った作品が、最高賞の市長賞に内定しながら取り消された問題で、黒石市の高樋憲市長は20日、りまさんの父、剛さん(38)らに謝罪した。
 高樋市長は一連の経緯を説明した上で、来月のイベントで写真を展示させてほしいと遺族に依頼。「いじめをなくす気持ちを多くの人に持ってもらえたら」と剛さんに快諾してもらったという。剛さんは面談後、「いじめをなくしたいという私たちの訴えを、市長は心からわかってくれたようだった。謝罪を素直に受け入れたい」と述べた。
 高樋市長は19日の記者会見で、りまさんの名前や写真が報道で公表されたことなどを理由に、改めて遺族の了承を得た上で市長賞を贈る考えを示していた。撮影者が市長賞の受賞を辞退しているため、遺族提供という形で他の入賞作品とともに展示することになるという。


 この記事によれば、撮影者の方は「受賞を辞退」しているために、受賞作品としての扱いはできず、変則的なかたちで展示されることになった、ということです。

 全体に不明朗な展開で、ずいぶんと姑息な話だという印象を受けますが、市長としてはこの写真がきっかけで「浪岡中学の悪質ないじめ」に日本中の注目が集まり、調査を命じなければならないような展開になるのを恐れたのでしょう。それでは夏祭りのPRになるどころか、不名誉なことで有名になるだけだし、学校や教委をバタバタさせ、いじめに関わった子供たちの親の不興も買って、「支持票を減らすだけ」だと本能的に恐れた。事なかれに終始する小心な田舎の政治家にはいかにもありそうなことです。

 一方、自殺した少女の父親は、「いじめをなくしたいという私たちの訴えを、市長は心からわかってくれたようだった。謝罪を素直に受け入れたい」と矛を収めたという話ですが、「けしからん!」と拳を振り上げていた人たちは、肩透かしを食わされたかっこうです。

 先の毎日の記事には、写真公表に踏み切った理由について、こう語ったと記されています。

「写真には笑顔の娘が写っている。娘は私たち家族に『笑っていてほしい』と思って会いに来てくれたのではないか。写真を公表することで、いじめられている子に力を与えたり、勇気づけられたりできれば。こんな笑顔の子も、いじめで命を失うという残酷さも伝わってほしい」

 このお父さん、テレビのインタビューの姿を見ても、たいそう温厚で優しげな人ですが、ネットには「何でいじめに遭っている子を学校に行かせ続けたんですか? それがそもそも理解できない」という類の意見が複数出ています。

 これは遺族には酷な見方ですが、正直、僕もそういう感想はもったので、シビアな言い方をさせてもらうなら、「写真を公表することで、いじめられている子に力を与えたり、勇気づけられたりできれば」というのはナンセンスに近い話でしょう。いじめは力づくでもやめさせるか、その被害者の子をいったん休ませて、転校やオルタナティブ・スクールを検討するなどして、いじめ地獄から救出するしかない。いじめられている状態のままで、「勇気づける」も何もないのです。そのあたり考えが甘すぎると言うべきでしょう。

 遺書となったメールには、「学校生活も散々だし、それでストレスたまって起立性になったのに、仮病とかいう人が沢山いて、説明しても、信じてもらえなかった」という箇所があります。この「起立性」というのは「起立性調節障害」のことらしく、関連サイトを見ると、「主な症状は、頭痛やめまい、朝起きられないことなどです。自律神経が不安定なために、このような症状が起こります。決して本人が怠けているからではありません」とあります。

 要は、中学入学以来ずっと続いていたといういじめのストレスから、彼女の心身は限界に達していたのです。これは医師の診察を受けた結果だろうから、当然家族も把握していた。だからこそ、「なのに何で学校に行かせ続けたんですか?」という疑問も出てくるわけです。

 これはおそらく、「学校は当然行かなければならないところ」という強固な思い込みが家族にも本人にもあったからでしょう。いじめの牢獄に閉じ込められているような感覚がこの子にはあって、逃れる道はもう自殺しかない、そう思い詰めたのです。

 僕によくわからないのは、なぜ誰も「学校に行く(行かせる)のをやめなさい」とアドバイスしなかったのかということです。診察した医師は事情を聞かなかったのでしょうか? 聞いていれば、何らかの助言をしたはずだと思うのですが…。

 こう言ったからとて、僕は別に親を責めているのではありません。そこは誤解してもらいたくないのですが、いじめに対する基本的な知識と理解が欠けていたのではないかと、何よりそれが残念なのです。

 ついでだから、こうした問題についての僕なりのアドバイスをさせてもらうと、こういうとき親は学校や教委をアテにしてはなりません。基本的にそれは事なかれ主義と身内の庇い合いに終始する公務員教師の集団にすぎないと見ておいた方がいい。類似の事件が起きるたびに、判で捺したように「いじめとは認識していなかった」という言い訳が繰り返されるので、もしも責任感のある、十分な当事者能力をもつ教師や管理者がいたとすれば、それは「幸運な例外」にすぎないのです。

 だから、学校に話を通して埒が明かないと見れば、すぐに自分で行動した方がいい。僕は塾教師として、一人の親として、今の学校というのはかなり恐ろしいところだというのをイヤというほど見てきました。鈍感かつ無能だから恐ろしい(嘘も平気でつく)ので、だから親から相談を受けたときは、初めから学校はアテにはできないという前提でアドバイスを行い、必要な場合は自らもとれる手段を講じることにしています。大方の場合、そういうふうにすれば解決の道筋が見えてくるものです。悪質ないじめや暴力の場合などは、子供の命が懸かっている。いじめをしている側や教師にその認識がないのは嘆かわしい、なんて太平楽なことを言っているヒマはないのです。彼らにその「認識や自覚」をもっていただくよう努めて…なんて悠長なことをしていると、子供が先に死んでしまう。それでは遅いのです。

 いじめる側の問題については、もう今から二十年以上も前ですが、副業で専門学校の非常勤講師をしていたことがあって、一般教養の社会学講座を担当していたのですが、その頃一人の女子学生のレポートを読んで、考え込んでしまったことがあります。彼女は僕のお気に入り学生の一人で、いつも教室の前の方に座って真剣そのものの顔つきで授業を聞いていたのですが、なんとその学生が中学生の頃は札付きのワル、女子不良グループのボスで、常習的にいじめを繰り返していたというのです。それで不登校になったり、転校を余儀なくされた生徒が何人も出たという。ターゲットを決めるといじめ抜いて、いなくなればまた別の獲物を見つける。担任教師は彼女たちの勢力に恐れをなして、叱るどころかご機嫌伺いをする始末で、いじめを受けている生徒に「いじめられるおまえにも原因がある」なんてお説教をしていたそうですが、彼女によればそれは笑止なことで、「いじめる理由などどうでもよかった」ので、適当に理由をこじつけていただけだったというのです。自分でも何でこんなひどいことをしているのか、よくわからなかったそうで、暴走状態を止められなかった。誰でもいいから、自分の前に立ちふさがってこれを止めてくれ、と叫びたいような思いが心の奥底にあったが、誰一人そんなオトナはいなかったというのです。

「私は腐ったガキだった」という書き出しで始まるそのレポートは、文章としても出色のもので、僕は迷わずAをつけたのですが、正義感が強くて聡明そうな、凛とした感じのその女子学生がほんとにそんな過去をもっていたのかと、にわかには信じられないほどでした。僕は授業でいじめ問題を取り上げたとき、卑劣ないじめをするクソガキどもにお情けは無用で、下らない屁理屈にはとりあわず、きっちり対決しないから駄目なのだと言っていたのですが、意外や、いじめの張本人だった彼女はそれに大いに共感していたのです。学校が使いものにならないというのも、彼女は自分の経験に即してその通りだと思ったようでした(他に、いじめられた側の経験レポートが数件あって、そちらも全部「学校は何もしてくれなかった」旨、書かれていたのですが)。

 何を言いたいかと言うと、中学生ぐらいの頃のいじめは、いじめる側にしても不透明な心理を抱えていて、彼らが皆「どうしようもないクズ」だとは限らないということです。そうして、いじめ自殺事件が報道されるたび、学校では全校集会などが開かれ、「いのちの大切さ」や「思いやり」について校長が訓辞を垂れたりするのですが、そういうのは教師の側のたんなる自己満足で、たいていの場合、何の役にも立たない。かなり凄惨ないじめを中学時代受けていたというある男子学生は、そういう校長の訓示があった後、「悪い予感」を覚えたそうですが、果たして教室に戻ってみると、いじめグループの数人が自分の机の周りにたむろしていて、ニヤニヤしながら、「おまえも自殺すんなよなあ」と言って、その後さらにいじめはエスカレートしたそうで、「あれはいい迷惑だった」と書いていました。彼はその後耐えかねていじめグループのボスに必死の体当たりを食らわし、相手がそれで吹っ飛んだのをきっかけにいじめは終息したという話を書き、「自力救済」しかないのだと結論づけていましたが、僕は彼のどことなく陰気な暗い表情を思い浮かべ、それが拭いがたい人間不信のトラウマのようなものとして彼の心に残ったのだろうと思いました。

 だから、悪いものは悪いと、大人の側はそれをきっちりやめさせ、他方、子供の心理はそう単純なものではないので、それで内面を裁くようなことはしないということが大切なのではないかということです。いじめを放置してそれで自殺者が出れば、彼らは間接的に殺人を犯したことになる。先の元いじめグループのボスだったという女子学生にしても、もしもいじめた相手に自殺者が出ていれば、あのような反省をして、回心を遂げるということは困難になっていたでしょう。そういうことも僕ら大人は考えるべきなのです。

 そして、いじめを受けている側の子は、とにかくその状況から救い出してあげるのが先決です。学校なんてつまらないところを休んでもやめても、それは大した問題ではない。そう言って安心させ、傷ついた内面の修復を手助けして、自然な自己肯定感を取り戻せるようにしてあげることが一番大切です。それから先のことは、その段階で考えればいい。あの写真の女の子の場合には、見たとおりのきれいな娘で、性格もよさそうだったから、かえってそれが嫉妬を買って、いじめられる原因になっていたのでしょう。欠点ではなく長所がいじめの原因になるというのは、ありふれたことなのです。

 今回の写真コンテスト事件で浮き彫りになったのは、相も変らぬ大人社会の「腰の引けた姑息な対応」で、自殺した少女の父親の願いにもかかわらず、それがいじめ問題の解決に貢献する度合いはほぼゼロでしょう。ハートのある、勇気ある対応を示した大人が誰もいない。いじめられている子には明確なアクションを起こしてその状況から救い出してくれる大人が、いじめをしている側にはその前に敢然と立ちふさがってくれる大人が、必要なのです。ふだんは昼行燈を決め込んでいても、かんじんなときには体を張って助けてくれる大人を、子供たちは求めているのです。きれいごとだけ並べて、問題解決能力のない大人が、今は多すぎるように思われます。こういうのも「平和ボケ」の一症状と言うべきでしょう(僕は別に大人が単身で立ち向かえと言っているのではありません。なぜ教師でも親でも、大人が共同戦線を張って対応することができないのですか?)。
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