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神と人間

2016.07.26.12:24

 こう言うと「意外だ」といってよく笑われるのですが、僕は神の存在を信じています。それは八百万の神ではなく(そちらも次元を異にする神霊としては否定しませんが)、「唯一絶対の神」の方です。むろんセム的一神教(ユダヤ教、キリスト教、イスラム教等)いずれの信者でもない。僕のそれは「人格化された神」ではないのです。

 僕にとって、それは信仰というより、認識の問題です。そしてそれは人類にえこひいきする、ましてや特定の個人にえこひいきするような神ではない。だから自分が惨めな死に方をする羽目になったり、世界の崩壊を目撃するようなことになっても、それが揺らぐことはないでしょう。

 人類や個人の運命に関与するのは、「存在のレベル」からすれば下位の神霊の方でしょう。だから僕は神社や氏神様に参拝するときは、世界の平和や身内や友人知人の健康・安全を祈願します。自分のことは祈願しませんが、それは利己的に思われ、祈りそれ自体と矛盾するように思われるからです。そういうことは代わりに誰かが、たとえば母親が祈願してくれるので、それでバランスがとれるわけです。僕はその種の祈願が無効だとは思っていません。

 人間世界に起きる大惨事、たとえばホロコーストのようなものは、「人間のしわざ」です。人間のしわざなら、それは人間が止めるしかない。愚かな戦争で死ななくていい大勢の人たちが死ぬ場合も同じです。それは人間が止めるべきもので、神にその責任を言いかぶせるのはたんなる人間の側の無責任です。それは「神も仏もない」からではない。人間がしでかすことなので、落とし前は人間がつけなければならないのです。その防止のために何もしないでおいて、起きてからも何もせず、「神に祈る」というだけではたんなる現実逃避です。そのような「信仰」なら、それはない方がマシだとさえ思います。「何もしない」ことによってそういう人たちは悪の伸長を助けるのですから。人間の領分のことは、人間が始末をつけなければならない。Heaven helps those who help themselves(神は自ら助くる者を助く)という有名な英語の諺を、僕はそういう意味に解釈しています。

 僕が考える「神」とは、単純化して言うと次のようなものです。――それは宇宙の森羅万象に浸透し、それによって物質を組織化し、そこに法則をあらしめ、地球のような惑星に生命を生み出し、それを慈しみ育て、進化を促す見えざる統一的な力であると。それは知性と慈悲を備えた一個の巨大なエネルギーです。

 よく地球上の生物世界は「冷酷な弱肉強食の原理」に支配されていると言います。しかし、それは一面的なものの見方で、実際はそれほど単純なものではない。それは壮大な相互依存の生きたシステムで、相互扶助の関係を併せもち、捕食者が下位の被捕食者の存続とその健康な進化を助けているという側面もあって、たとえばオオカミのようなトップ・プレデターが絶滅すると、シカなどが異常繁殖して、生態系を破壊してしまい、かえって深刻な事態を招いてしまうことがあるのが今はよく知られています。そうなると、それは他の動植物にとって傍迷惑なだけでなく、存立の基盤を失って、シカ自身(あれは見かけは可愛いが、草木の根まで食い尽くしてしまうというまことに愚かな動物です)がいずれ絶滅する他なくなるのです。

 このあたり、知能だけは高いが、ヒトはシカに似ています。後先考えず、何もかも食い尽くしてしまう、という点がです。その高い知能によって巨大な機械力とテクノロジーを発達させ、地球の支配者となったから、なおさら始末が悪い。大自然はその横暴と搾取に耐えかね、瀕死状態に陥っています。

 僕が若い頃、『文明の生命力~テクノロジーからエコロジーへ』(ジャン・ドルスト著 宮原信訳 TBSブリタニカ)という本がはやったことがあります。「はやった」と言えば語弊があるが、文系理系を問わず、若者には多く読まれたのです。今ネットで調べてみると、出たのは1981年の7月です。昔のことなので詳しいことは覚えていませんが、それはいっときは隆盛を誇った過去の色々な文明がどうやって滅びたかを検証したもので、戦争やら異常気象やら要因は様々あるが、その根本には「生態学的無知」が共通してあった、というもので、最初はうまく行っていた(だから人口も激増した)生産システムがそのためだんだん機能しなくなってきて、やがてどん詰まりに陥り、そこに異常気象などがからんでくると、部族や都市国家間の争いなども自然に激化して、ほんとは戦争などやっている場合ではないが、根本的な問題の解決に英知を結集するということはせず、分捕り合戦になって、負けた側を奴隷にして、というようなアホなことをやっているうちに、そういうことでは問題の解決にはならないので、大混乱のうちに「自滅」を余儀なくされた、ということです。

 その本ではそういう表現は使われていなかったかもしれませんが、文明にはtipping pointというものがあって、機能不全状態も徐々にそれが表われるというのではなしに、ある一定段階に達した時、一気に破局的な事態が襲いかかる、ということが多いようです。つまり、78の段階ではまだ事態は顕在化していないが、これが80になると一挙にそれが表面化し、総崩れのようになってしまうということです。

 むろん、その予兆は久しい以前から観察されていたのです。わかる人にはそれはわかっている。しかし、警告しても、表面上はまだうまく行っているから、「大袈裟なこと言うなよ。何ともないじゃないか」で片づけられてしまう。そういうことが何度も繰り返されるうちに、あの原子力安全委員長のマダラメ氏の言葉ではないが、「あちゃー」という事態になってしまうのです(それでも懲りずにまだ原発政策を続けようとするところが凄いが、こういうところも昔の滅んだ文明の支配階級がやっていたことと同じなわけです。権力と経済の論理・構図が、自然の道理とは遊離したものになっているからそうなるのですが)。

 話を神に戻して、さっきの話にグノーシス主義的・カタリ派的な彩りを加えると、この「暗く重たい」物質世界は悪神デミウルゴスの所産であって、神のものではありません。そこに侵入して、物質のヴァイブレーションを高め、秩序を生み出し、生命を発生させ、愛をもってその進化を導くということが行われているとするなら、神は「敵の陣地」で戦っているのです。生物進化が「弱肉強食」の外見をとっているのも、この物質世界の性質上、Aを犠牲にしてBがいのちをつなぐということなしにはかなわぬからで、それは「敵地における神の余儀なき戦略」だと解することができます。

 それでともかく、四十億年もかけて、間に数度の「大量絶滅」をはさみながら、生物進化はついにヒトにまで達した。科学的に言っても、生物が繁栄できる条件をもつ惑星というのはごくごく稀な現象のようで、年末ジャンボ宝くじの一等当選確率も問題にならない奇蹟のような確率で、僕らは今ここにいるわけです。過去にいくつもの大文明が滅びたが、幸い人類絶滅は免れ、今や世界人口は73億にも達した。

 しかし、この夥しい犠牲と類稀な幸運によって存続を許されている自称「万物の霊長」は、今何をやっているのでしょう? 旧約聖書の創世記では人間は神にかたどって作られたことになっていますが、現状は悪魔に似ている。この世界を「よきもの」たらしめようとした神の企ては失敗に終わり、悪神デミウルゴスはまんまと裏をかいて、ヒトを自己の道具に仕変えたかのようです。「オレ様の領分に手を出すからこうなるのだ!」という彼の高笑いが聞こえるようです。

 生物学者たちによれば、今は史上五番めか六番目の生物の「大量絶滅」期に入っているそうですが、過去のそれと違うのはこれは人為的なものだということです。いずれ僕らはその高いツケを支払わされるでしょうが、それ以前に、人間のこの文明世界は内部崩壊する可能性が高い。人間の経済システムは自閉的な発達を遂げ、それは自然と遊離してしまいましたが、今はその上に利己的なマネーゲームにふける金融システムが君臨し、それが異常肥大して実物経済を翻弄するようになってしまいました(だから株価が上がっても、景気は一向よくならず、実質賃金は低下を続けるというようなことも起きるのです)。これにはIT、インフォメーション・テクノロジーの発達が大いに寄与したわけですが、ITは同時に、雇用を激減させるように働いている。モノが安くなり、便利になればそれでいいというものではないのです。

 かつては自然と直結していた農業や畜産、漁業のようなものまで、今は機械力とコンピューター・テクノロジーの発展で「工業化」しており、それらがどんな破壊的な影響を周辺環境に及ぼしているかを僕はだいぶ前に『ファーマゲドン~安い肉の本当のコスト』(フィリップ・リンベリー &イザベル・オークショット著 野中香方子訳 日経BP社)で読んであらためて戦慄させられたのですが、TPPなんか、よほどうまくやらないと、「工業化」していない、従って自然に親和的な手法の農漁業・畜産業は価格競争ではそういうものには勝ち目がないので、廃絶に追いやられてしまうでしょう。文字どおり「悪貨は良貨を駆逐する」のです。

 今のような目先の株価に一喜一憂する経済効率至上主義では、こういう問題は解決できない。労働の側面では、テクノロジーによる効率化を追いかけて、ブラックな職場が増えるだけでなく、省力化でまともな雇用の場はどんどん減ってゆく。加えて、水野和夫氏が『資本主義の終焉と歴史の危機』 (集英社新書) で指摘したような「フロンティアの消滅」があるから、帝国主義時代の植民地拡大で、植民地の犠牲の上に自国民の利益増大をはかるというようなこともできなくなってしまった。そうすると国家の内部に「辺境」を作り出して、経済格差を大きくし、それを利用して「国内の貧困層の犠牲の上に富裕層の利益拡大を図る」ことしかできなくなるが、そういう行き方に未来はない。仮にその現状を後追いして、席が減るばかりの椅子取りゲームからはじき出されまいと皆が必死になるとすれば、やっとのこと席にありつけた人間もいずれ無事ではすまなくなるのです。

 僕は無神論者のように見え、実際、冒頭にも書いたようにこういうことは「人間のしわざ」であるから、無神論者と同じように考え、行動しますが、この世界と進化の背後に「見えざる神」が存在するとすれば、僕は存在すると思っているのですが、現代の文明人が神を裏切っていることは明らかです。「そんなのは全くのナンセンスだ」と嗤う人はともかく、「一体人間は何のためにこの世界に出現し、ここにこうしているのか?」とたまには真面目に考えてみたらどうでしょうか? 世界の見方、物事の理解の仕方はかなり変わってくるのではないかと思います。ポケモンGOなんて傍迷惑な現実逃避のオモチャ(仮想現実によって生きた現実から目をそむけさせるのみならず、それまでをも慰みものにしてしまう、という無神経な軽薄さはいかにも現代的です)のおかげで、任天堂のみならず関連企業の株価も上がって「景気浮揚効果」があったと喜ぶなど、アホらしさを通り越して悲惨さすら感じてしまうのです。
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