能年玲奈を潰すな!

2016.05.29.16:41

 僕は「芸能界のことを何も知らない」オヤジの一人ですが、能年玲奈のことだけは知っていて、「十年に一人の逸材」だと思っています。彼女はたぶん、同世代の若者はもとより、「お年寄りから子供まで」ほとんどの人に好かれる、稀有なキャラでしょう。なにせAKB48を、「えーけーびー、よんじゅうはち」と読んで、「先生、あれはフォーティエイトですよ!」などと、塾の生徒に訂正されている僕のようなオヤジですら、ファンなのですから。

 しかし、「芸能界の掟」に従わなかったというので、目下干されており、「芸能界追放」の危機にさらされているのだという。別に犯罪を犯したわけでもないのに、何でそんな理不尽なことが許されるのか? 次の記事をご覧ください。

能年玲奈はこれから徹底的に潰される…! 関係者語る“裏の取り決め”とは?

 僕に理解しがたいのは、彼女は所属プロダクションとの「契約更新を拒否」したということですが、それはたんなる民事契約であって、更新しようとしまいと、「個人の自由」ではないかということです。しかし、今の芸能界ではそのようなことは許されない。ネットの書き込みふうに言うなら、「どんだけ古い体質しとるんや!」ということになりませんか?

 少し、順を追って見ていきましょう。記事によれば、「発端は昨年1月、能年が『生ゴミ先生』と慕う魅力開発トレーナーの滝沢充子氏とともに、個人事務所『三毛andカリントウ』を設立したことに始まる(引用者注:この事務所の意味不明のネーミングも能年らしくてよい)。レプロという所属先がありながら、勝手に個人事務所を立ち上げることは芸能界では御法度。以来、能年とレプロの関係は疎遠になり、弁護士同士のやりとりが続いていた。能年とレプロの所属契約は今年6月まで」というのですが、要は、その「レプロエンタテインメント」なる会社は、初めから能年の独立など認める気は一切なかった、ということなのではありませんか? だから、彼女が「話し合いに応じない」といっても、それはそもそも「話し合い」ではないので、「個人事務所は解散して、うちに残れ。さもなければおまえは芸能界を追放される」という、恫喝を伴う「説得」でしかないのです。彼女の側に選択の余地は与えられていない。

 新人の彼女を売り出すのに費用がかかっているということなら、それは個人事務所が今後分割で支払うとか、そういうふうにすればいいのではないかと思いますが、そのレプロという大手プロダクションには、そういうつもりははなからなかったのではないかと思われるのです。

「レプロは“芸能界のドン”ことS社長率いるバーニンググループの一員」なのだそうですが、その「S社長はタレントの引き抜きや、無断移籍は『業界の秩序を乱す』という観点から、厳しいことで知られる」のだそうです。しかし、どうもここは居心地が悪いなとか、システムに納得のいかないことが多いとか、そういうことはありうるでしょう。そのとき、移籍しようとか独立しようとかしても、それが事実上できないということなら、それはそこの所属タレントが一種の奴隷状態に置かれているということを意味します。

 こういうのは端的に言えば「憲法違反」です。安倍自民とそのお仲間たちは、わが国の憲法は「個人の自由」を認めすぎて、「わが国古来の醇風美俗を破壊している」というので、九条の改正だけでなく、そのあたりも変えたいと思っているようですが、民法には「信義誠実の原則」というものがちゃんとあって、それが「契約自由の原則」とペアになっているから、別にそれによって無秩序がもたらされることはないのです。

 むろん、おかしな「業界の慣習」に反するから、それは「信義に反する」ことだという理屈にはならない。「契約自由の原則」を根底から否定するようなものなら、その慣習自体が許されないものと解すべきなのです。

 わが国にはいろんな業界に「ドン」と呼ばれる、強大な権力をもつ独裁者がいるようです。それでそのドンは、自分が気に入らない人間や、自分に逆らう人間がいると、「あいつを使うな!」というお触れを出す。するとその業界の人たちは、ドンの逆鱗に触れるのを恐れて、その通りにするのです。それに従わないと、後でどんな意趣返しをされるかわからないと、そのことを恐れるからです。

 こういうのは論壇などにもあるようで、僕は若い頃、英文学者で批評家の福田恆存氏がこういうことを書いていたのを憶えています。氏は自ら「保守反動」をもって任じていた人で、今の右翼の人たちには偶像視されているようですが、当時はまだ左翼の全盛期で、今とは社会の雰囲気が全然違っていたのです。その中で福田氏は「保守反動」ぶりをいかんなく発揮する堂々の論陣を張っていたのですが、氏は群れないタイプの人で、同じ保守派にも容赦のない批判を加えた。僕が一番驚いたのは、月刊誌『中央公論』に掲載された、「近代日本知識人の典型、清水幾太郎を論ず」という激烈な論文でした。ある雑誌はそれを評して、「保守本流、怒りの鉄槌!」と書いていたので笑ったのですが、僕はそれを読んで、有名な社会学者の清水幾太郎氏が元は60年安保闘争のイデオローグで、その後「右旋回」して、『核の選択』なる本を出し、日本の核武装を進言するまでになったのだということを初めて知りました。僕が最初に読んだ彼の本は岩波から出ていた『倫理学ノート』で、これは思想的には「右寄り」なので、初めから右の人だろうと思っていたのです。ところが、元はガリガリの左翼だった。

 福田氏はその論文で、この高名な社会学者がどのような経過で「変節」していったか、その変節の「隠れた個人的動機」がどこにあったか、どんなふうに他人の主張をパクって自分のオリジナルのように見せたか、等々を詳述しています。思想が変化するのが悪いのではない、その間の「つながり」が不明で、動機が不純すぎることを指摘したのです。「古くからの友人」の内面のありようを、福田氏は解剖学者のような手つきで解剖して見せた。

 同じ保守派の人たちはこれを喜びませんでした。「福田は注目を集める清水氏に嫉妬しているのだろう」などという下世話な揶揄まであって、多くは「左から右陣営に転向してきた人をなぜ暖かく迎えてやらないのだ」と言って、自分は「福田とは違って、度量の大きな人間だ」ということを示そうとしたのです。

 福田氏の批判がそのような低劣な動機から出たものでないことは、ふつうに読めば明らかでしたが、政治的な人間はこのような「和を乱す行為」は陣営の勢力拡大には不都合なもので、許しがたいものと見たのです。福田恆存に叩かれたのは清水幾太郎だけではありません。今では保守派の大御所みたいになっている渡部昇一氏なども、「夜郎自大の成り上がり者に過ぎない」と、こっぴどく批判されていたので、「うかつなことを言うと、いつ福田に叩かれるかわからない」という恐怖にも似たおそれが、保守派の論客たちにはあったのです。左翼を攻撃するのなら、いくらやってもいいが、あいつは「身内」でも平気で叩く、危険この上ない男だと見られていたのです。

 そういうこともあって、福田氏は保守派論壇の大ボス、S氏を怒らせてしまった。そのS氏は「福田を日干しにしてやる!」と公言して、「あいつには書かせるな」というお触れを各方面に出した。そういう話なのです。この「S氏」とは誰なのか? それはフジ・サンケイグループの総帥、鹿内信隆氏だったのでしょう。このボスは当時、保守系の新聞、雑誌、テレビに絶大な影響力をもっていたのです。おかげで「お座敷がかからなくなってしまった」そうで、物書きは土方と同じで、書いてなんぼだから、どこからもお呼びがかからなくなれば、生計の手立てを奪われて飢え死にするしかなくなってしまうのです。

 その思想や主張に賛成であろうとなかろうと、そういう人だったからこそ福田氏は人間として信頼できる人だったのですが、今の「仲良しクラブ」化した右翼に、福田恆存氏のような独立した思想家は、おそらく一人もいないでしょう。安倍政権を都合のいい傀儡政権として「強力サポート」している、得体の知れない「日本会議」なるものの屋根の下、気持ちの悪い「美しい国」幻想を盛り立てるのに、皆さん「一丸となって」協力しておられるのです。「邪魔者は潰してやる」という気概(?)のもとに(ちなみに、菅野完著『日本会議の研究』扶桑社新書は、この面妖な団体について貴重な情報を提供してくれる良書です)。

「能年事件」からは脱線してしまいましたが、まるきり関係がないというわけでもない。どちらの「S氏」も、「秩序維持」だの「内輪の和」だのの美名のもとに、恣意的に権力を行使し、パワハラを行っているのです。

 少し考えてみればいい。所属するプロダクションに逆らったからという理由だけで、どうして「芸能界追放」処分を受けねばならないのでしょう? 別に覚醒剤を使ったわけでも、犯罪で逮捕されたわけでもない。ドンが「あいつは使うな」と言えば、その通りになってしまう業界というのも、不健全そのものに見えます。一人の若い女性の運命が、どうしてそういうことで決まってしまうのか? 彼女の人気は今でも大いにあるのだから、それは視聴者の意向を無視することにもなってしまうのです。

 プロダクションとの問題はあくまで民事上の問題です。双方弁護士を立てて話し合い、それでも決着がつかなければ法廷に持ち込めばいい。あいつは言うことを聞かない、「業界の秩序」を乱した、だからもうどこでも仕事ができないようにしてやる、なんてのは横暴以外の何ものでもありません。そんな前近代的なことがどうして許されるのか? それはそのドンが「オレ様が法律だ」と言っているのと同じなのです。

 これはそのドンが個人的に「いい人」かどうかとは何の関係もない。端的にそれは許されないことなのです。「業界の掟」なるものを業界人が勝手に決めて、それを内部の人間に強制するというのなら、それは治外法権を認めるのと同じになります。社会共通の法律ではなく、その掟によって裁かれることになり、しかもそれにはドンの意向が大きく反映しているということになるのですから。

 僕が案じているのは、今の日本社会はこうした「前近代性」と「みみっちさ」を、むしろ以前より強めているのではないかということです。あちこちに大小様々な「ボス」がいて、それに逆らうと左遷されるとか、「自主退職」に追い込まれるとか、サラリーマン社会でもそういったことは無数に起きているのではないでしょうか? そういう組織や社会はイエスマンだらけになって活力を失い、権力者の恣意的な権力乱用がまかり通ることから、不正や理不尽も多くなってしまう。それはどんどん「暗黒化」してゆくのです。

 むろん、えげつなさすぎる引き抜きや移籍というものはあるでしょう。たとえば零細プロダクションが発掘した新人タレントを手間ひまかけて育て、やっと売れるようになったと思ったら、大手に引き抜かれてしまう、などです。その大手に所属していれば、タレントは多くの便宜を図ってもらえ、活動の場も広がる。待遇も前よりいい。そうなると野心的なタレントなら、心が動くでしょう。信義上の問題は残るが、零細プロダクションには「そんなことは許さない!」と言えるほどの権力も影響力もない。それで雀の涙ほどの移籍金で、虎の子を奪われてしまうのです(球界でこの種の「えげつないこと」をやり続けてきたのが、目下7連敗中の読売ジャイアンツです。武器は引退後の「元ジャイアンツ選手」の肩書と、大量の札束。そこにもドンのナベツネがいるのは言うまでもありません)。

 今回の能年のケースはその逆です。零細から大手が奪うのは許されるが、大手からタレントが零細事務所を立ち上げて独立するのは許さない。それが公平な話か、ということです。

 僕はこの件をそのように理解しましたが、違うのでしょうか? CMですら彼女が出ているとつい見てしまうほどのファンには、能年玲奈がそのような理由で「追放」されるという話にはどうにも納得がいかないのです。
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