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かくて課外は存続する~課外の「不受講届」について

2016.04.19.15:17

 地震の件で少し書くのが遅れましたが、“新文書”を入手しているので、久しぶりに「延岡の高校」コーナーの記事です。

 これは延岡高校のPTA会長名義で出された「【朝夕課外・土曜講座・長期休業中講座】の不受講届について」と題されたA4版一枚のものです。下に切り取り線のラインが入っていて、「不受講届」なるものを生徒と保護者連名で書いて出すようになっていて、本文の文章量は少ないので、全文を引用します。

 陽春の候、保護者の皆様におかれましてはますますご清祥のこととお慶び申し上げます。
延岡高校は、昨年度卒業生の現役国公立合格率が過去最高記録を更新したと伺っております。今後の更なる発展が期待されるところです。
 さて、その発展の大きな下支えとなっている朝夕課外・土曜講座・長期休業中(夏冬春)講座につきましては、PTAの総意として全員参加の形で学校に依頼・実施をしているところでございますが、今年度より、受講を希望されないご家庭のご意向を確認させていただく運びとなりましたのでご案内します。受講を希望されない場合は、下記の届をご提出ください。部分的な受講はできないこと、また年度途中からの変更ができないこともご了承ください。期日までにご提出のない場合は、受講希望として判断させていただきます。
 なお、受講料の納入・返金につきましては、後日改めてご連絡をさせていただくことになる点もご承知おきください。(現在の「課外受講費(年額)」は、1~2年生は約1万円/3年生は訳1.4万円で、7~9月に分割して納入いただいております)
年度初めのお忙しい中、誠に恐縮ですが、4月18日までにご提出をお願いいたします。


 以上(下線部も原文のまま)ですが、ある意味でこれは「画期的」です。しかし、日付は平成28年4月13日となっていて、僅か5日間しか考える猶予は与えられておらず、「不受講届」を出す勇気のある保護者・生徒はほとんどいなかったことでしょう。

 塾の生徒にこれを見せられた時(ちょうど最初の地震があった夜のことでした)、「僕が親なら喜んで署名・捺印して、子供に『もってけ!』って渡すけどね」と笑ったのですが、いかにも学校に敵対するかのような形のこういうやり方は、たいていの人なら避けたいところでしょう。「昨年度卒業生(これは今春の卒業生のこと)の現役国公立合格率が過去最高記録を更新した」が、「その発展の大きな下支えとなっている」のが課外である、というロジックになっていることからして、その“有難い課外”を受講しないなんてヘンでしょう、と言いたげでもあるから、なおさらのことです。

 ここでちょっと流れをおさらいしておくと、前にも一度書いたとおり、課外は元々は学校主催でした。それが全員強制かつ有料というのは違法ではないか、というので沖縄県で裁判沙汰になったりしたので、そうした批判への回避措置として、「運営主体」のPTAへの移管が行われたのです。前に僕はそれを、パチンコ店の景品買いシステムにたとえました。あれは店で換金することは違法なので、換金用の景品を店が出し、それを別の業者が買っているというタテマエにしているのです。実質的にはそれと似たようなもの。

 だから、「PTAの総意として」と書かれていますが、それは形式だけの話であって、親の総意なるものがそこにあったわけではそもそもないのです。学校が「これではまずい」というので、「PTA主催ということにして下さい」ということで、そうなっただけ。今のPTAなるものは学校の翼賛機関にすぎないということも、前に書きました。PTA無用論というのは高校にかぎらず、全国に根強くありますが、僕もその種のヨイショ組織は無用の長物であると思っています。こう言えば、仕方なく役員になった親にはいくらかお気の毒ですが。

 延岡高校の課外の問題点の一つは、運営主体が変わった一時だけは、課外の時間に平常授業の続きをやることは差し控えられたようですが、その後いつのまにか元に戻ってしまい、科目によっては正規授業と区別のない扱いをしているものもあるらしく、その場合、課外に出ないとふだんの授業もわからなくなってしまう恐れがあることです。それは平常授業と「不可分一体」の関係にあるかのごとくで、独立してはいないのです。

 そうすると、課外に出ないわけにはいかなくなる。こういう文書を出すからには、そのあたり今後は明確に線引きするということなのだろうと思いますが、生徒からの「不受講届」が一つも出なければ、そのままずるずる行ってしまう可能性もある。意地の悪い見方をすれば、これはそれを見込んで、「課外は強制ではなく、生徒と保護者が自分で選択したものです」というアピールを目的とした措置にすぎないとも言えるわけです。

 僕自身はだから、大して変わり映えせず、むしろ今後は「生徒・保護者が自ら望んだものだ」ということで、課外の正当性を強調して、縛りを強化するのに用いられるおそれさえあるのではないかと懸念しています。「おまえたちが自分で選択したんだろうが。なのに、授業中寝るとは何事か!」といった具合に。

 オール・オア・ナッシングという選択の仕方自体、かなり乱暴なものです。課外でやることをあらかじめ示し、そこから生徒に選択させるとか、そういう親切さは全くない。内容がわからないまま、全部を丸呑みするか、一切を拒絶するか、どちらかをえらべというのでは、生徒も保護者も困惑させられるだけでしょう。

 子供と保護者にしてみれば、課外を拒否して、その結果がよければいいが、それで大学に落ちたら周囲に何を言われるかわからない、と思うでしょう(課外を受講してそうなった場合には、そういうケースはむろんこれまでもたくさんあったのですが、とやかく言われるおそれはない)。とびきりよくできて、受験勉強は自分で勝手にやれる、あるいは頼りになる塾や予備校がある、という生徒ならその決断もしやすいでしょうが、それでも失敗するリスクはあるので、やはり勇気はいるのです。「不受講届」を出す用意をして学校に行ったら、周りには他にそんな生徒は誰もいなかった、なんてこともありうる。

 自分が親ならさっさと署名・捺印して出させる、とさっき言いましたが、僕の場合は塾教師です。かつてわが子が高校に入学した時、「いやになったらいつでも学校をやめていい」と真っ先に言ったのですが、高卒認定試験(旧大検)というものがあるので、それを受けて大学受験資格を取ってしまえば、あとはこちらのもので、学校がなければ余裕をもって受験勉強に取り組める。好きな本を読むゆとりなどもたっぷりもてるので、その方がかえって「健康で文化的な生活」を送れるのです。いっとき友達がいなくなって孤独になるが、大学に入ればまた新しい友達ができるから、それもしばらくの間のことです。だから何の心配もいらないと言ったのですが、受験関係の情報とノウハウには通じているので、そういう態度もとれたわけで、ふつうの親子なら不安になるでしょう。

 僕がそう言ったのは課外のことだけではなく、延岡の県立高校の過剰な管理教育が気に食わなかったからですが、そういう話をするとまた長くなるので、ここはカットします。とにかくそういうわけで、一般家庭の場合にはノーとは言いにくい。だからタイトルのように、「かくて課外は存続する(しかも新たに正当性を付与されたものとして!)」結果になるだろうと思うのです。

 この文書を出した学校・PTAにはその自覚はないでしょうが、こういうやり方はかなり「あざとい」ものです。延岡の人たちはよく言えば温厚、悪く言えば気が小さくて大胆さに乏しいので、あえて「不受講届」を出す勇気のある人はほとんどいないだろうということを見越して、この手を使ったと見ても、穿(うが)ちすぎとは言えないのです。どちらかにチェックを入れて出すのではなく、「不受講」の場合だけ出せ、というのは心理的抵抗を高める。それも計算に入れているのです(いや、そんな意図はありませんでした、なんてのは控えめに見てもsensibilityに欠けすぎた話です)。

 それでも、学校側が「受講しない」という選択肢を明確に示した意義は大きい。あえて「不受講届」を出さなくても、これはあくまで課外であって、別料金を支払って受講しているものなので、塾などと同じで、それに出席するしないの自由はあるのだから、課外の中でもこれは出る出ない、というふうに、選択的な対応もとれるのだと解釈する余地も生まれたわけです。延岡高校ではすでに、以前のように課外に出なかったら呼び出されて叱責されるというようなことはなくなっていると聞いています。それは「義務」ではなく、別枠で料金を支払って受講するものなのだから、受講料金を支払った上で、選択的に対処する自由は生徒側に与えられていると解釈するのが妥当です。“課外の部分は民間と同じ”なのだから、民間に適用されるのと同じルールが、課外部分に関しては該当するのです。これは理論的には正しい。学校側もそれは認めざるを得ないでしょう(月謝だけ払って、授業には出ないという生徒がたくさんいれば、塾は大儲けできるので怒るどころか大喜びですが、残念ながらそういう生徒はいません。自習塾の性質が強いところでは、自習スペースを確保するのがメインで籍を置いているという生徒はいるでしょうが)。

 先日も書いた通り(それは「塾通信」の項に分類されていますが)、今年の延岡高校の「現役国公立合格率」は「過去最高」だったかも知れないが、難関大の合格率は非常に低かった。それで失敗した生徒の大半は、後期でいずれかの大学に合格したでしょう。それは受験では成功とはいえないが、「国公立合格率」にはそうした差異は何も反映されていないのです。また、これもすでにそのとき書いたとおり、挑戦的な受験をやめて安全パイを選択する生徒が増えれば、国公立合格率そのものは半自動的に上がる。

 難関大の合格率が低いということは、それらの大学はおしなべて二次の比重が高いので、二次対応の学力が不十分だったということです。かんたんに言ってしまえば、それは「考える力」が弱いということで、それは作業学習的なものや、詰め込み暗記学習の類によっては養成できないものなのです。星雲高校の場合もむろん同じですが、延岡の県立高校の場合、定期試験はただの丸暗記試験、ふだんの授業でも「なぜこれはこうなるか?」というところを考えさせもしなければ、説明も与えないような性質のものが多く、作業学習的なものが大半で、宿題だけたくさん出して、ロクな説明もなく、答え合わせをして終わり、みたいなものも少なくない。退屈なだけでなく、それでは知識が有機的な関連を形成しながら増大していくということはならないので、学力も伸びないわけです。

 センター試験レベルのものなら、それでも対応できるかもしれません。英語の場合、それが顕著ですが、あれはほとんど頭を使わない試験です。低級知能パズルみたいな側面はあって、その意味では多少頭は使うが、深みというものがまるでないので、解き終えたときの疲労感が半端ではない。二次の英語長文には内容的に面白いものがいくらもあって、塾で教材をえらぶときも不自由しないのですが、こちらは英文そのものは難しいと感じても、内容があるので、同じ単熟語を調べたり、構文を考えたりするのでも、努力のし甲斐があると生徒には感じられるでしょう。科学やら、環境問題やら、教育、心理学、諸々の社会・政治問題でも、知的刺激に満ちたものが数多くあって、それをとっかかりに生きた教養を身につけるのに役立つような性質のものがそこにはあるのです(難関大の英文は概して内容の抽象度も高いので、なおさら「考える力」がモノを言います)。

 そこからわかるのは、大学側は、たんなる教科書知識の丸暗記勉強だけしてきたような生徒はほしくない、と思っているということです。学科の基礎知識はむろん必要だとしても、それを社会的な諸問題に結びつけて考え、柔軟に思考できるような学生がほしい。理科の問題でも、あることを調べるにはどういう実験をすればいいか、それを考えて書けとか、ある実験を示して、その結果を答えさせると共に、その実験の狙いはどういうところにあるか、考えて答えよ、なんて問題が出る大学もあるという話です。こういうのはふだんの学習姿勢を問うもので、受け身の暗記勉強をしてきただけの受験生には対応しにくいのです。

 だから入試で高得点を取ることを目的にカリカリ勉強してきた者より、知的好奇心旺盛で、文学・思想関係の本をあれこれ読んだり、時事的な問題にも興味をもって、テレビのドキュメンタリー番組を見たり、科学雑誌の特集記事を読んだり、受験目的とは別の“よけいなこと”をしてきた生徒の方が受験でも強くなる、ということが実際にあるのです。

 これはむろん、学科の勉強はしなくていいということではなく、基礎知識は絶対に必要だが、プラスアルファのあるなしが結果として大きな差異を生む、ということです。

 これは今に始まったことではなく、昔からそういう余分な部分を多くもっている学生の方が大学入学後は強かった。大きな山は裾野が広いのと同じです。

 こういうのは学校の授業の質とも関係するので、生徒の知的好奇心を刺激するような創発的な授業のあり方をもっと工夫した方がいいので、そのためには先生にもゆとりがもっと必要なのに、余分な課外に時間をとられてかえって授業の質そのものが低下するというのでは、本末転倒ではないかと僕は思うのです。それが生徒の側のゆとりを奪うことになっているのは言うまでもない。

 こう言えば、「いや、あんたの言うことは成績上位層には当てはまっても、下位層には当てはまらない。彼らには無理じいしてでも勉強させることが必要で、その苦労を知らないのだ」と反論されるかもしれません。しかし、それもおかしな話だと僕は思うのです。成績下位層ほど学校の宿題にアップアップの状態で、それでどうなるかというと、彼らはそれをこなすのに「考えること」を省くようになってしまうのです。とても考えているゆとりなどはないからで、僕は塾教師として、そこに理屈があって、論理的に説明がつくところはできるだけ説明するのですが、それを理解しておいた方が暗記も容易になるから結局はそちらの方が効率的なのですが、また今度学校の大量の例文暗記試験が控えているというような生徒は、気もそぞろで、そんな説明に頭を労している余裕はない。

 実際のところは、文構造の理解もなしにただ機械的にその時だけ丸暗記しても、試験が終わればきれいさっぱり忘れてしまうのであり、意味はあまりないのですが、それがおわかりではないのです。英作文を書かせると無茶苦茶なものを平気で書いてきたりするのも、生きた構文の理解が欠落しているからなのですが、物量作戦で無理を強いられると、かんじんな「理解する」手間を省く悪い癖がつき、だから学力が伸びなくなるのです。頭には「使い方」というものがあって、学力を向上させるには頭のどの部分を使わなければならない、ということはかなりはっきり言えるのですが、学校はそのあたり側頭葉偏重の「有害な癖」をつけてしまう。それを矯正するのに僕がどんなに苦労させられているか、神のみぞ知る、です。

 だから長時間、生徒を机の前に縛りつけ、宿題をしこたま出して、作業学習や暗記をさせていればいいという問題ではないので、そういうことばかりさせられているとかえって頭の性能が悪くなってしまうのです。

 そもそもの話、「強制しないと勉強しない」という考えそれ自体が間違いです。僕は管理や強制が大嫌いなので、強制されて勉強したことはない(ましてやいわれなく暴力や恫喝を用いるようなクソ教師は許さない)。だから生徒相手にもそういうことはしませんが、生徒は勉強が必要だと思えば勝手に勉強するようになるもので、それがない者にいくら強制などしたって、勉強するようになどならないのです。強制されて何かするというのは奴隷の特徴なので、仮にそんなものが奏功したとしても、それは奴隷化教育に成功したということでしかなく、長い目で見れば悪影響の方が大きいのです。将来ブラック企業で文句も言わずに過労死するまで働く人材を養成したいというのならともかく、そんなことを有難がる人がいますか? ブラック企業の経営者は別として、ですが。

 課外の問題からは少し外れた議論になりましたが、間接的なつながりはある。学校教育の質の問題を問い直すことなく、課外で拘束時間を延長し、ダラダラと面白くもない授業(失礼!)をいくらやったところで、大した成果は挙げられず、「労多くして益少ない」結果は変わらないということです。それよりは平常授業の質を上げて、拘束時間を減らし、生徒の自発的・自律的な勉強時間を増やしてあげた方がいい。その時間を生徒は自分で工夫して勉強するなり、塾や予備校に行くなり、「受験サプリ」のような廉価なネット予備校を利用するなり、各自うまく活用すればいいのです。

 しかし、学校側にはどうやらその気はない。「課外はいらないのではないか?」という声が高まるにつれ、どうもだんだん旗色が悪くなってきたなというので、PTAを使って、今回のような告知を出し、それは“自発的に”生徒と保護者が支持し、えらびとったものだという体裁をとることを意図したのです。そうとしか思えない。

 ただ、先にも書いたとおり、「不受講届」を出さなかった生徒も、課外の部分は民間の塾と同じなのだから、それに取捨選択して出席したりしなかったりする自由はある。それへの出席は「義務」ではないことがこれによって明示されたと解釈できるからです。

 最後に一言付け加えておくなら、大学受験の勉強は基本的に「自分でやるもの」です。僕はよく塾の生徒たちに、人間には一人ひとり個性があるのと同じように、頭にも固有の特性があるから、自分の頭に適した効果的な学習法を編み出すようにと言っています。予・復習のやり方なども、自分の頭の性質に適したうまいやり方を見つけてそれを実行することが必要なので、たとえば、僕自身は暗記がかなり極端に苦手で、その弱点を補強するのに人知れず苦労したのですが、長所は伸ばして短所は補強する自分独自の学習法を身につければ、それは大学入学後はもとより、社会人になってからも仕事で応用が利くのです。それは「一生モノ」の宝になる。

 だから学校であれ、塾・予備校であれ、そのシステムに全面的に依存して、与えられたものをただこなすというようなやり方は好ましくない。たとえそれが効果的なものでも、対応はあくまで主体的でなければならないので、そうでないと「指示待ち人間」「マニュアル人間」でしかなくなってしまう。仮にそれで大学には入れたとしても、それでは将来的に有用な人材にはなれないでしょう。大学に合格できさえすればいい、という問題ではないのです。世の教育ママ・パパたちには、そこらへん近視眼的で鈍感な人が多いようですが。

 過剰な生徒管理をしたがる学校が好ましくない理由の一つはそこにもあって、それで「主体的に、自分で考え、判断して行動する」態度を失ってしまうと、後々自分が困ることになる。それだけは忘れないでいてほしいと思います(「当時は『このオッサン、無茶苦茶言うとるな…』と思ったけど、後になって先生が何を言っていたのかよくわかった」という元塾生が少なくないので、「何? じゃあ、あのときは話が通じていなかったのか?」と苦笑させられるのですが、彼らがそれに気づいて、大学卒業後も有為の人材として社会で活躍しているのは嬉しいことです)。

※ 尚、課外その他の学校問題の相談(真面目なものにかぎる)や、塾へのお問い合わせなどは、このブログのメールフォームからも送れますが、返信の際、そのメールアドレスではなぜかローマ字入力しかできず、ひらがな入力に頼っている昔人間の僕は不便を感じているので、今後は rsn11243@nifty.com 宛にお願いします。
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