可愛い子には旅をさせよ~「超安全志向」時代の受験術

2016.01.24.05:08

 毎年この時期になると、二次の志願先をどこにするかで多くの受験生は悩みます。センターが思うように取れた人は悩まないでしょうが、それは少数派で、なかなか人生、思うようには行かないものだからです。

 場合によっては、親子喧嘩が勃発することもある。子供の方は当初の志望大学にこだわり、親の方はセンターリサーチの判定がCかDだったというので、危険すぎる! AかB判定が出ている近県の○○大か△△大にしなさい、と叫ぶのです。「ああ、いまウチはその状態です」という親御さんもおられるでしょう。

 ちなみに、二次試験の配点が高い大学(難関大はたいていそう)の場合、センター判定はAだろうがCだろうが、あまり関係ありません。今は得点開示が行われているので、そのあたりよくわかるのですが、センター判定はDだったが、二次の成績が良くて、上位で楽々合格したという生徒はいくらもいるからです。その反対に、Aだったけど落ちた、という受験生もいるでしょう。二次試験の出来次第なのです。

 センターの比重が圧倒的に高くて、たとえばセンター900点に対して、二次が200か300点というような場合には、そんなことはないだろうと思われるかもしれませんが、この比率でもけっこう逆転は起きるのです。げんにそういう比率で判定Aなのに落ちてしまったという子と、センターがかなり悲惨で、「まあ、こうなったらダメ元でやってみるしかないね」と言って送り出したら、受かっていたという両方のケースを、僕は直接塾で見ているからです。幸いなことに、後者のケースの方が多い。うちの塾の生徒にはたまたま悪運の強い子が多いだけなのかも知れませんが、実際にそういうことはあるのです。

 この「A判定なのに落ちた」という生徒の場合、行きたい大学があったが、センターで失敗して、とてもこれでは受かりそうもないというので、ランクをいくつも下げて、親と学校の先生の言いなりに不本意なまま受験したケースです。かなり深刻に気落ちしていたので、二次に向けての勉強もなおざりになってしまったのでしょう。そのためにたぶん、二次試験(本来の得意科目)の成績がひどいものになってしまったのです。

 一方、D判定で後がない生徒の方は、必死になっていた。二次が300点しかなくても、気落ちしたA判定の生徒が120点しか取れなかったのに対して、がむしゃら勉強の甲斐あって250点もぎ取ったとすれば、その差は130点になるので、センターで100点差がついていても、合計点では上回るのです。

 だから二次試験までの間、どういう心持で、どういう勉強の仕方をして過ごすかは非常に大きい。これはそういう両極端でない、ふつうの受験生の場合でも同じです。AやB判定の生徒は、安心するのはまだ早いし、たとえ“折り紙付き”のD判定の生徒でも、諦めるのは早すぎるのです。

 C判定ぐらいの生徒で、「こりゃ駄目そうだな」と感じさせる受験生は、「ほんとに受かるでしょうか?」とか、つまらないことを何度も聞いたり、落ちた場合のことをあれこれ心配するような生徒です。悪い意味で「余裕がありすぎる」ので、こういうのが失敗するのは当然なのです。本気になったときは、人にそんな余裕はない。四の五の言ってるヒマがあったら、とっとと勉強せんかい!と怒鳴りつけてやるのが正しい対処法なのですが、過保護な女子生徒などの場合、そんなこと言ったら大変で、「センセイは優しくないから、もうキライ!」なんて言われかねません。しかし、いちいち慰めているヒマなんかは、こういうときにはないのですよ。そんなことしてると、受かるものも受からなくなってしまう。

 今の世の中は「安全志向」で、子供以上に親がそうなっているというのが僕の実感です。推薦入試が大はやりで、その倍率が高くなっているのも、「早く安心したい」といういまどきの親子の心理の反映なのでしょう。

 しかし、「安全な」人生なんて、何が面白いのかと、僕個人は思います。そもそもの話、人生に安全なんてものはないのです。次の文章は、かつて僕がある訳本の帯に書いた広告文です。なかなかいいなと今でも思うので、手前味噌ながら引用させてもらいます。

 生に安全はない。安全への希求を放棄したとき、生の豊饒が姿を現す!

 これで決まりです。「安全」病の人は死人も同然なので、生のエッセンスを取り逃がすのです。大学受験は、高校受験と違い、よほど不人気な大学の学部学科でないかぎり、たいてい二、三倍程度の倍率はあります(昔は全体にもっと高かった)。これは要するに、「受かる人間より落とされる人間の方が多い」ということです。つまり、「安全な受験」など存在しないということで、だからこそ受験には価値があるのです。「リスクをとる」という貴重な体験を、それは若者に提供するのです。過保護な親たちはそれを必死に回避させようとするのですが、何でそんなもったいないことをするのかと、僕は怪訝に思うのです。

 塾の生徒から聞いた話では、延岡あたりの親には「大学は九州地区にかぎる」なんて子供に注文をつける親もいるという話で、それは娘を溺愛するどこかのヘンな父親のことだろうと思ったら、相手は男の子だという。このボーダーレスの時代にどういう感覚をしているのか? 僕ならわが子はできるだけ遠くに行かせます。海外にも、出るチャンスがあればどんどん行けばいい。場合によっては、こんなせせこましい国は捨ててよい。僕にはわが子にみとられて死にたいなんて願望はゼロなので、そのまま帰ってこなくてもいい。本人が充実した人生を送ってくれさえすれば、それが最大の親孝行です。よく「孤独死」なんて言いますが、よくわからない言葉で、人間はどうせ独りで生まれてきて、独りで死ぬのです。「孤独死」なのはあたりまえです。それのどこが悪いのか? 病院で体をチューブだらけにされて死ぬのだけは勘弁してもらいたいけれど。

 話を戻して、僕が言っておきたいと思う要点を箇条書きにすると、こういうことです。

(1)センターの判定がAだろうとDだろうと、最終結果は二次試験の出来で決まる(だから受験大学の過去問をよく見て、それが自分にどの程度解けるか、早めに当たりをつけておけ、と言っているのですが)。
(2)従って、落ちる可能性はつねにある。その可能性を除去することはできない。
(3)だから受かるか落ちるかと、よけいな心配をするのは無駄で、そんないらざることをしているヒマがあったらさっさと受験校を決めて、勉強に集中した方がいい。
(4)高校生はもう子供ではないのだから、親や教師はできるだけ本人の意思を尊重してあげた方がいい。仮に結果が悪くても、それなら「自己責任」と納得できる。
(5)できるだけわが子を近くに置きたいと思うのは、親の病気である。いい加減に子離れした方がいい。子が親元を離れたくない場合は、子供の病気で、その場合はできるだけ遠方の大学に行かせて、精神的な自立を促した方がいい。
(6)落ちる者の方が多い大学入試は、わが子に「リスクをとる」経験をさせる貴重な機会である。その際のストレス、葛藤は、主体的に乗り越えられるべきものであって、回避すべきものではない。結果はどうあれ、最後まできちんとやり通すことは、若者を成長させる。
(7)入試は学力試験であって、人格試験ではない。だから、それに失敗して、自分が無価値だと思うのは頭が悪すぎる話なのであって、それはそういう受け取り方をする方が悪い。ただ、投げやりになったり、自己憐憫のとりこになったりせず、逃げずに最後まで努力できるかどうかは人格的な要素としては重要である。それができさえすれば、結果の如何を問わず、その人は立派である。


 以上です。多少は受験生、親御さんたちの参考になりましたかどうか…。
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