韓国の全体主義

2015.11.28.05:15

「親日有罪」の国、韓国でまた妙なことが起きているようです。
「旧日本軍の慰安婦問題について朴裕河(パク・ユハ)・世宗大教授が韓国で出版した著書『帝国の慰安婦』が、元慰安婦の名誉を毀損したとして、韓国の検察が朴氏を在宅起訴した」という話です。

 これは日本語版も出ているそうで、アマゾンで多くの支持票を集めているklezmerさんという人のレビューを見て、これはレベルの高い書評と思われますが、僕も買って読んでみたくなりました。むろん政治的にホットな問題を扱ったものであるから、異論は様々ありうるでしょうが、良心的な研究書であることは間違いなさそうだからです。

 にしても、韓国の政府及び検察当局は、「言論の自由」というものを一体どう考えているのでしょう? こういうことをやるから対外的な信用を失い、「やっぱり韓国は異常だ」ということで日本人の嫌韓感情も強まるだけだと思うのですが…。

 僕は日本の右翼歴史修正主義者たちの活動を快く思っていませんが、彼らの本を発禁処分にすべきだとは思いません。出鱈目なものなら、出鱈目であると、言論の場で批判すればいいことで、言論の自由は、それが悪意に満ちた卑劣な中傷でしかないもの(ネットにはそれがいくらか多すぎるようですが)は別として、守らねばならないものだと考えるからです。

 すでに「日本やアメリカの学者や作家ら54人が11月26日、抗議する声明を発表した」そうで、次の記事にはその「抗議声明」の全文が紹介されています。

「帝国の慰安婦」朴裕河教授の在宅起訴に学者ら54人抗議声明

 この声明、熟読に値するいい文章だと思いますが、今回の起訴騒ぎは日本人の目からすると、過度な反日歴史教育をしておいて、理性より感情で反応する体質を国民の間に作り出し、それに逆に公権力が縛られるようになって、言論の多様性も何も許容できなくなってしまった全体主義国家のやっていることとしか思えません。韓国の人たちが憎む、戦前の日本の政治体制、社会の体質と同じになってしまっているのです。それは皮肉なことだと思わないのでしょうか?

 韓国の人たちというのは、どうも日本人以上にメンツを気にするようなので、日本人(アメリカ人も含まれますが)からの抗議声明に出くわして検察当局が対応を改めれば、また「不当な非難に屈した!」という検察バッシングが始まるのでしょう。だから引っ込みがつかなくなって、検察は起訴を取り下げることはしない。そうすると、それを見て、「あれはなんて国だ!」という反応が日本ではまた起きるので、両者の相互感情は一段と悪化するのです。

 事実の解明よりも自己正当化に熱心な日本の右翼と韓国のナショナリストたちが相互に非難し合い、“協力”して相互の国民感情を悪化させている。それを何とかしたいという思いもあって、朴裕河さんはこの本を書かれたのだろうと思いますが、全体の文脈(上記「声明」によれば、それは「帝国日本の根源的な責任を鋭く突いており、慰安婦問題に背を向けようとする日本の一部論調に与するものでは全く」ないものなのです)は無視して、部分の言葉尻だけ捉えて問題に仕立て、「国家と国民に対する裏切り」と決めつけ、犯罪者扱いしようとするのです。良識あるまともなオトナのやることではない。

 先のアマゾンのレビューでも、「日本会議系の超保守が政権中枢部にいる原状」を憂えて、「心配なのは、この本が日本の右翼に全体の文脈を無視して曲解され、彼らの責任回避言説に悪用されるのではないかということ」だと書かれていますが、韓国検察による今回の起訴は、「韓国人は思い込みや感情でものを言うだけで、元から正しい歴史認識なんかできっこないのだ」という“証拠”として彼らに悪用されかねません(自分たちもそれは同じなのですが…)。その程度の見通しが、どうしてつかないのでしょう? それとも両国関係を悪化させるのが目的なのか? そういうところからしても、理解に苦しむ話です。

 僕らにできることは、両国のおかしな人たちの悪感情の煽り合戦から距離を取って努めて冷静に対応することだけですが、安倍政権の国内マスコミに対する「中二病」的な恫喝といい、韓国の国家権力によるこうした歴史研究に対する近視眼的で野蛮な対応(「迫害」の名に値する)といい、近年の両国の政治レベルの低さには驚くべきものがあります。最近の韓国経済は“絶不調”と伝えられていますが、外からは国民の間に広がる不満や他罰感情のはけ口を良心的な学者に向けてガス抜きをはかろうとしているのではないかと勘繰られるのが関の山で、韓国民自身にとってもいいことは何もないのです。

 韓国の国内にも検察のこうした動きに疑問をもつ人たちはいるでしょう。日本と韓国どちらにも、国家権力や一部の偏狭なナショナリストたちが不毛な対立を煽るのを手厳しく批判して、おかしな思想統制や洗脳に抗う人たちがいてくれないと困るので、強力なカウンター(対抗)が全体主義的な動きを止めるのには不可欠です。僕自身は若い頃から徒党を組むのが嫌いで(人づきあいはそんなに悪くない方だと思うのですが)、デモの類に参加したこともなければ、どんな政治団体・組織にも所属せず、喧嘩をするときもいつも個人でやってきたのですが、自由な個人のゆるやかな連帯というものがなければもはや無理なところまで来ているのかなと、近頃少し思ったりします。有名人だけでなく、両国の一般市民の中のそういう人たちが国をまたいで草の根で協力し合うということも、これからは考えていかないといけないのかも知れません。それぐらい両国の関係は「ヤバい」状況になりかけているように感じられるからです。
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