日中戦争が起きないもう一つの理由

2015.04.27.15:58

 週刊新潮先週号に、「大新聞の論調はお先真っ暗でも…。悪い話ばかりじゃない『人口激減社会』の利点検証」という記事が出ていました。

 僕自身はかねてから、今の日本の人口は多すぎると考えている者です。7、8千万ぐらいでちょうどいいのではないかと思うので、ただ問題は一時的に高齢者の比率が高くなりすぎてしまうことで、あと10年ほどで最も数の多い、いわゆる「団塊の世代」が全員75歳以上の後期高齢者になるので、今でさえ健康保険や年金などのやりくりが大変なのに、そこをどう乗り切るつもりなのだろうと心配になります。

 新潮の記事ではそこらへん何も触れられていなくて、人口減少をカバーするためにイノベーションが起きるとか、家賃が下がって田舎にセカンドハウスがもてるようになるとか、通勤ラッシュが解消するとかいうような楽観的な話(ついでに移民反対の議論も出てくる)ばかりでしたが、いい点はもう一つあって、国内にそんな深刻な問題を抱えていては、戦争どころではない、ということです。中国もこれと同じか、もっと深刻な高齢者問題(2013年にすでにaged societyの定義に合致する高齢者人口比率14%を超え、その後も急速に高齢化が進む)を抱えることになるので、戦争ついでに老人の「一括処理」を目論んでナチスばりにガス室送りにするというのでもないかぎり、戦争は不可能でしょう。

 つまり、安倍政権が仮想する日中戦争は起きないということです。そんな「ゆとり(?)」はない。老人は戦争には行けないので、若者が「出陣」することになるわけですが、それでなくとも少子化で子供の数が少ないのに、戦争で大量死されたのではたまったものではありません。そもそも、一人か二人しかいないわが子が「お国のために」死にに行くことを許す親がどれくらいいるでしょう?(中国は周知の「一人っ子政策」の国です)。昔は国家(天皇)のために国民が存在するかのような「愛国教育」が行われていた。今は、それは当然のことですが、国家は国民のために存在することになっているのです。それを元に戻したいという病的な連中が一部に存在するとしても(「戦争になっても、戦闘に参加するのは自衛隊員だけで、一般国民は徴兵されない」なんてのは詭弁です。そうなると自衛隊への入隊希望者は激減するので、安倍のいわゆる「わが軍」が維持できなくなってしまうからです。工場がハイテクで無人化したのと同じ理屈で、昔より人が少なくて済むとはいえるかも知れませんが、殺されるのは昔と同じリアルな人間なのだということも忘れてもらっては困る)。

 集団的自衛権だの、憲法改正による自衛隊の国軍への昇格だのと、戦争妄想にとりつかれてよけいなことをするヒマがあったら、少子高齢化の社会・経済対策の方をもっと真剣にやれ、と言いたくなるところですが、「浦島太郎の経済学」と呼ばれるアベノミクスにそんな視点はありません。「百年安心の年金システム」なんて、よく恥ずかしくもなく言えたものです。ほんとは民主党政権のとき、消費税を上げてそれを年金財源にして、消費税を中心として賄う基礎年金の制度をつくるはずだったはずですが、それは安倍政権で反故にされました(このアイディアは厚生年金の受け取り分が減るとか、消費増税で不景気になるとか、あれこれ叩かれたようでしたが、僕は今でもそれしか方法はないと思っています。仮に消費税が20%になっても、それで老後の心配がなくなるなら、安心してお金が使えるから、むしろ経済は活性化する)。思えば、民主党はツイてなかった。自民党政権が推進してきた原発政策が、東日本大震災に伴う福島第一原発の大事故で破綻をきたしたが、大混乱の中でその対応に追われ、批判にさらされたのは自民党ではなくて民主党の方だったのです。そうして安倍自民は、一時の混乱状況が収まると政権に復帰して、あたかもそんな大事故などなかったかのごとく(実際は全然「収束」なんかしていないのですが)、原発再稼働に方向を戻した。経済の方も、アベノミクスのおかげではなくて、底を打って復調に転じ始めたときに、彼がたまたま政権の座に就いたという事情の方が大きかったのだと、各種の経済指標を示しながら説明してくれる人もいます。目下のところ、アベノミクスの“成果”と呼べるものは、元祖のアメリカと同じく、経済格差を拡大させ、貧乏人の数と比率を増やしたということでしかないでしょう。公共工事増大の「土建屋政治」の復活で潤っている向きもあるでしょうが、波及効果なるものは小さく、それは「時限爆弾」視される巨額の赤字国債の積み増しによるものでしかありません。

 やたらと「グローバル」という言葉が連発される昨今ですが、国際貢献なるものは平和的なものに限るべきで、9.11以後、「テロとの戦い」を掲げて、無法なアフガン、イラク戦争に打って出たアメリカは、当該国の国民に塗炭の苦しみを味あわせ、平和がもたらされるどころか無秩序を拡大して、かえってテロリスト集団の世界的拡大を見る皮肉な結果になりました(アメリカ兵の自殺者が戦死者数を上回った、というニュースも前に雑誌で見ました。この問題に関しては、『帰還兵はなぜ自殺するのか』〔デイヴィッド・フィンケル著 古屋美登里訳 亜紀書房〕も参照のこと。戦闘地域への自衛隊派遣が実現すれば、これは明日の自衛隊員の運命ともなるでしょう。先のイラク派兵でも、帰還後の自殺者が異常に多かったと言われているのに)。

 カウボーイ気取りの単細胞ブッシュが、軍産複合体の思惑(戦争は彼らにとって大きな利益を生む)に乗って始めたのがあれらの戦争だったわけですが、個人的なコンプレックスの裏返しで「誇り」だの「男らしさ」だのの妄想に取りつかれた人たちは、たやすく表面的な大義名分に乗せられてしまう。しかし、武力によって平和がもたらされたためしはほとんどないので、「公的で公正」であるかのような国連軍にしても、実話を基にしたとされる映画『ホテル・ルワンダ』では、フツ族民兵によるツチ族の虐殺が始まる中、国連軍は在留外国人だけ救出し、ルワンダ人は見捨てて撤退してしまう。かんじんなときには何の助けにもならなかったわけで、各国の利害思惑が渦巻く国連では、本当にその国の人々ためになるような軍事介入はめったに行われたことがない、というのが実態でしょう。そういったことをつぶさに検証すれば、「軍事目的の自衛隊の海外派兵」を正当化する論理はほとんど成り立たないということがわかるはずです。単純に自国の利益=正義と決めつけるなら、それは成り立つかもしれないが、その場合は他方にそれと対立する「正義」があるわけで、勝っても負けてもそれは他方にとっては「正義の蹂躙」になるから、遺恨を残さずにはすまず、それは新たな火種となるのです。真の国際協調とは、そうした対立の地平を超えたところに解決の道筋を探すことでしょう。それは武力によっては果たされえない。

 日中戦争不可能論からは脱線しましたが、「戦争ができる国」にする必要は何もない、ということです。それをとくに若い世代にわかってもらいたい。戦争で殺される兵士や、巻き添えになる民間人が死ぬとき何を思うか、そして残された家族縁者がどういう感情と共に取り残されるか、それを想像する人間らしい力も大切です。
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