あさって25日から国立大学の二次試験が始まりますが、僕が高校生の頃、国立の授業料は年額で3万6千円でした。当時は円-ドルの為替レートが固定制で、1ドル=360円だったからよく憶えているのですが、塾の生徒たちにこの話をすると、一様に「ホントですか?」と驚いた顔をします。今の国立大の授業料は53万5800円なので、約15倍になっているのです。
調べてみると、3万6千円だった時代は、1972~5年までで、それ以前は1万2千円、76年になると、これが一気に9万6千円に値上げされます。それから大体2年ごとに値上げが繰り返されて、1987年には30万の大台に乗る。その後も上がり続けて、2005年から現行額になった、というわけです。
私立はどうかというと、これは文科省のデータ(末尾のURL参照)で、文系・理系を一緒にしたその平均値ですが、1975年段階では18万2677円(私立は他に施設費などの費用が加わる)で、2005年段階で81万7952円。国立との差は、75年当時で5.1倍の開きがあったのが、1.6倍にまで縮まったのです(入学金は今は私立の方が安い)。
これを物価と比較するとどうなるか? 一番わかりやすいのは、大卒の初任給と比較してみることでしょう。そうすると、75年当時のそれは、男子で9万1272円、女子で8万5884円です。今は20万少しだと思うので、2倍強にすぎません。なのに国立大の学費は15倍、私立のそれは約4.5倍に上がっているのです。
大学進学率は、最近は四年制大学への進学率が5割を超えていますが、1975年当時のそれは、調べてみると27.2%です。1970年は17.1%と出ているので、戦後の高度経済成長を背景に急激に進学率が上がっていたことがわかるのですが、その後も足踏みはあったものの、着実に上昇を続けて、2009年についに50%に到達したのです(短大・専門学校も含めた進学率は7割を超える。むろん、18歳人口全体に対する比率です)。
これでは親が大変になって、少子化が進むのはあたりまえです。一人の子供を社会人にするまでにお金がかかりすぎる。
費用の点でもう一つ、見逃せない要因は、学生アパートの家賃の高騰です。いつからそんなに上がってしまったのか知りませんが、70年代の学生はたいてい男子なら、風呂なし・炊事場とトイレは共同の、家賃一万円台の下宿に住んでいました(今みたいなケータイはなかったので、電話は呼び出しで、大家さんの呼び出しと、共同のピンク電話の二種あった)。
東京でもそうだったのですが、これが今だとワンルームで5~7万はするというのだから、住む場所を確保するだけでも昔の3、4倍の費用がかかるのです。こちらも他の物価上昇率をはるかに超えている。
それでトータルして考えると、当時の国立ではない、私大生と今の国立下宿生の比較でも、私大の学費が授業料+諸費で年間25万程度(文理平均)だったとして、今の国立授業料の半分以下、当時の家賃が1万5千円(僕自身は新宿駅から徒歩10分もかからない家賃1万の四畳半に住んでいた)として年間18万、今が6万として72万だから、4分の1で、合計して再計算すると、43万と約126万で約3倍になります(国立同士の比較だと、5.8倍)。同じ私大下宿生同士で比較すると、文系でも100万を超え、理系だと150万を超える(あれこれの名目で授業料以外の諸費用が多いからそうなる)ので、安い文系と比較しても4倍を超えるのです。物価が2倍になっているとしても、上がり方が激しすぎる。
それでいて、進学率は上がり続けて、四年制大学への進学が「人並み」になってしまったのだから、親はたまらない、ということになるわけです。「失われた20年」で、家計の実質収入は減り続けているのに、です。実家から通える範囲に大学がたくさんある都会なら、学費の心配だけすればいいのだからまだ楽ですが、わが子を下宿させねばならない地方の場合はそうはいかず、しかも地方の方がおしなべて親の収入は低いので、大変だということになるのです。
だから、余分な費用のかかる浪人は極力避け、国立と私立間の「学費格差」は縮まったとはいえ、少しでも安く上がるように国公立に進学しなさい、ということになる。生活費が安上りの「地元志向」もこれが関係するでしょう。僕はかねて、国立と私立の学費格差が小さくなっているのに、国公立志向が強まるのはなぜなのかと不思議に思っていました。文系同士の比較だと、とくにその差は小さい。しかし、よく考えてみれば、今の国立ですら昔の私立より学費は高く、アパート代も加味すると、かつてとは比較にならないくらい費用が多くかかるのです。上に見たとおり、それは通常の物価上昇率の比ではないので、少しでもその負担を減らしたいと思うのは人情でしょう。
幸いにして、大学それ自体は入りやすくなっています。国立でも地方のいわゆる「駅弁大学」の場合、医学部や獣医学部、薬学部といった学部を別とすれば、昔よりはるかに入りやすくなっていると言えます。旧帝大でさえ、ここは昔のそれに準じる国立と同じくらいのレベルになっているのではないかと思うものがあるほどです。但し、年配の人たちは知らないでしょうが、農学部なんかは昔と違って人気学部の一つになっているので、工学部や教育学部より今は難しいことが多いのです。
にしても、大学進学率はなぜこんなに上がったのか? 一つには、それは就職の問題でしょう。僕は1973年に関西の公立高校を卒業したのですが、就職した仲間は多くが公務員になったり、関西電力、今のNTT、JT、大阪ガスといった有名どころに就職したと記憶しているので、大学進学の道をえらんだのは家が裕福であるとか、人も認める秀才であるとかが大半で、一部に僕みたいな気まぐれで大学に行こうと考えた、秀才でもなければ家が裕福なわけでもない不良(そういうのは大方浪人になって新聞配達でもする羽目になる)が混じっているといった具合でした。その年の秋に第一次オイルショックが起きて経済の潮目が変わるのですが、高度経済成長時代最後の年で、就職口にも恵まれていたのです。
今の高卒にはそれほど恵まれた就職先はない。あったとしてもごくわずかで、だから皆進学を考えるのですが、それもできれば学費が少なくてすむ国立ということで、科目どっさりのセンター試験(今年からさらに負担が増えた)をこなし、その上で二次を受けねばならないのだから、かなり大変です。昔は試験は大学別の個別試験のみだった。一次と二次に分かれていたのは東大だけだったので、今の国立受験生は皆、昔の東大受験生並の面倒な手間をかけさせられているのです。秀才揃いの東大受験生ならさほど苦労せずこなせるだろうが、ふつうはそうではないはずで、だからしんどくなるのです。
その大変さがわかっていたので、僕はわが子には初めから「大学は私立でいい」と言っていました。怠惰な父親の血を引いていれば、5教科7科目にプラス二次試験なんてのはとうてい無理と思われたからです。先に見た通り、文系なら今は国立と学費はそう違わないし、私立なら受験勉強は3教科ですむから、そうあくせくせずにすむのです。教科書勉強嫌いの本人もそのつもりだったのが、それでプレッシャーがかからなかったのが逆に幸いしたらしく、結局5科をこなして国立に入ったのは、妙な感じでした。ふつうの親なら、「私立でいい」なんて甘いことを言うと子供が怠けると考えるでしょう。小学生の頃から彼は母親に「おとうさんは甘い」と言っていたそうで、僕はたしかに大甘の父親なのですが、子供にプレッシャーをかけすぎない方がうまく行くということもあるのです。勉強に関してはとくにそうかも知れません。
話を戻して、この私立にしても国立にしても高額になってしまった進学費用を今の親たちはどうしているのか? 子供が3人もいて、それが大学院も含めて全部重なったりすると、かなり裕福な部類の家庭でも家計がパンクしてしまうでしょう。「教育費の高騰」は家計にとって大きな脅威となっているのです。その場合は各種の奨学金で不足分を補うしかない。また、祖父母が裕福なら、そちらからの応援があって何とかなっている場合もあるのでしょう(僕の見るところ、この「祖父母ファクター」はかなり大きい)。
大学が「大衆化」したのに伴って、学費も低廉になったというのならめでたいが、事実は逆なので、これでは「教育における機会の均等」は損なわれます。資産のある家庭は幼時から教育にお金がかけられ、大学受験に強い私立の中高一貫校にわが子を入学させ、大学もそれに見合った有名どころに入れ、就職戦線でも優位に立てるが、貧しい家庭だとそうはいかないからです。大学段階だけで見ても、地方の親がわが子を都会の国立大に行かせるとして、1975年段階なら学費(入学金5万含む)と下宿代込みで年間26.6万プラス生活費ですんだのが、今だと153.78万プラス生活費になるのです。
生活費を含めると年200万を超えるでしょうが、地方の受験生の場合、入試検定料以外に、交通費・ホテルの宿泊費など諸々の受験費用や、アパート契約時のまとまったお金、必要な家財道具一式の購入費用がかかるので、国立志望でも私立の滑り止めを数校受験したと仮定すれば、こうした諸費用(私立の滑り止めを用意する場合、合格時に最低一校の入学金相当額を“保険”として納めておかねばならない)だけで100万を超える出費を覚悟しなければならないのです。別途それだけかかるのだから、ふつうの家庭にはきついのです。
僕は塾で生徒たちに、私立の選択肢のない医学部受験生(ふつうのサラリーマン家庭で私大医学部は経済的な負担が大きすぎる)以外には、後期が確実な滑り止めになる場合は別として、国立第一志望でも私立を受けておくよう勧めます。私立の押さえ(行く気が全くないような大学だと意味はありませんが)があると、第一志望の国立受験の際、断崖絶壁に立たされたような追いつめられた心理にならなくてすみ、その方が実力が発揮できて、合格する可能性も高くなるからです(勝負事ではパフォーマンスに及ぼすメンタルの影響はつねに非常に大きいのです)。しかし、そのためには最低でも50万程度の余分な出費は避けられないので、二の足を踏む親御さんが少なくないのです。
以上、大学進学が今はどんなに物入りかということを書いてきましたが、それが「人並み」とみなされるようになった今、多くの家庭はわが子の大学進学を既定ルートのように考えています。そうであればなおさら、子供は多くつくれないなと思う。昔みたいに、子供を中卒、高卒で世の中に放り出せばよかった時代とは違うのです。これが少子化の隠れた大きな要因になっていることはおそらくたしかでしょう。
にしても、今の大学の学費は高すぎる。都会のアパート代も同じですが、何とかならないものかと思います。政府は机上の空論に基づいておかしな入試制度いじりをするより、こちらの問題の方を先に何とかすべきでしょう。何? アベノミクスで地方の景気もよくなって、高度経済成長時代のような経済の好循環が生じるから、いずれ家計収入の伸びも大学の学費や高家賃に追いつくだろうって? それは時代錯誤のおとぎ話でしかありません。
・文科省:国立大学と私立大学の授業料等の推移
調べてみると、3万6千円だった時代は、1972~5年までで、それ以前は1万2千円、76年になると、これが一気に9万6千円に値上げされます。それから大体2年ごとに値上げが繰り返されて、1987年には30万の大台に乗る。その後も上がり続けて、2005年から現行額になった、というわけです。
私立はどうかというと、これは文科省のデータ(末尾のURL参照)で、文系・理系を一緒にしたその平均値ですが、1975年段階では18万2677円(私立は他に施設費などの費用が加わる)で、2005年段階で81万7952円。国立との差は、75年当時で5.1倍の開きがあったのが、1.6倍にまで縮まったのです(入学金は今は私立の方が安い)。
これを物価と比較するとどうなるか? 一番わかりやすいのは、大卒の初任給と比較してみることでしょう。そうすると、75年当時のそれは、男子で9万1272円、女子で8万5884円です。今は20万少しだと思うので、2倍強にすぎません。なのに国立大の学費は15倍、私立のそれは約4.5倍に上がっているのです。
大学進学率は、最近は四年制大学への進学率が5割を超えていますが、1975年当時のそれは、調べてみると27.2%です。1970年は17.1%と出ているので、戦後の高度経済成長を背景に急激に進学率が上がっていたことがわかるのですが、その後も足踏みはあったものの、着実に上昇を続けて、2009年についに50%に到達したのです(短大・専門学校も含めた進学率は7割を超える。むろん、18歳人口全体に対する比率です)。
これでは親が大変になって、少子化が進むのはあたりまえです。一人の子供を社会人にするまでにお金がかかりすぎる。
費用の点でもう一つ、見逃せない要因は、学生アパートの家賃の高騰です。いつからそんなに上がってしまったのか知りませんが、70年代の学生はたいてい男子なら、風呂なし・炊事場とトイレは共同の、家賃一万円台の下宿に住んでいました(今みたいなケータイはなかったので、電話は呼び出しで、大家さんの呼び出しと、共同のピンク電話の二種あった)。
東京でもそうだったのですが、これが今だとワンルームで5~7万はするというのだから、住む場所を確保するだけでも昔の3、4倍の費用がかかるのです。こちらも他の物価上昇率をはるかに超えている。
それでトータルして考えると、当時の国立ではない、私大生と今の国立下宿生の比較でも、私大の学費が授業料+諸費で年間25万程度(文理平均)だったとして、今の国立授業料の半分以下、当時の家賃が1万5千円(僕自身は新宿駅から徒歩10分もかからない家賃1万の四畳半に住んでいた)として年間18万、今が6万として72万だから、4分の1で、合計して再計算すると、43万と約126万で約3倍になります(国立同士の比較だと、5.8倍)。同じ私大下宿生同士で比較すると、文系でも100万を超え、理系だと150万を超える(あれこれの名目で授業料以外の諸費用が多いからそうなる)ので、安い文系と比較しても4倍を超えるのです。物価が2倍になっているとしても、上がり方が激しすぎる。
それでいて、進学率は上がり続けて、四年制大学への進学が「人並み」になってしまったのだから、親はたまらない、ということになるわけです。「失われた20年」で、家計の実質収入は減り続けているのに、です。実家から通える範囲に大学がたくさんある都会なら、学費の心配だけすればいいのだからまだ楽ですが、わが子を下宿させねばならない地方の場合はそうはいかず、しかも地方の方がおしなべて親の収入は低いので、大変だということになるのです。
だから、余分な費用のかかる浪人は極力避け、国立と私立間の「学費格差」は縮まったとはいえ、少しでも安く上がるように国公立に進学しなさい、ということになる。生活費が安上りの「地元志向」もこれが関係するでしょう。僕はかねて、国立と私立の学費格差が小さくなっているのに、国公立志向が強まるのはなぜなのかと不思議に思っていました。文系同士の比較だと、とくにその差は小さい。しかし、よく考えてみれば、今の国立ですら昔の私立より学費は高く、アパート代も加味すると、かつてとは比較にならないくらい費用が多くかかるのです。上に見たとおり、それは通常の物価上昇率の比ではないので、少しでもその負担を減らしたいと思うのは人情でしょう。
幸いにして、大学それ自体は入りやすくなっています。国立でも地方のいわゆる「駅弁大学」の場合、医学部や獣医学部、薬学部といった学部を別とすれば、昔よりはるかに入りやすくなっていると言えます。旧帝大でさえ、ここは昔のそれに準じる国立と同じくらいのレベルになっているのではないかと思うものがあるほどです。但し、年配の人たちは知らないでしょうが、農学部なんかは昔と違って人気学部の一つになっているので、工学部や教育学部より今は難しいことが多いのです。
にしても、大学進学率はなぜこんなに上がったのか? 一つには、それは就職の問題でしょう。僕は1973年に関西の公立高校を卒業したのですが、就職した仲間は多くが公務員になったり、関西電力、今のNTT、JT、大阪ガスといった有名どころに就職したと記憶しているので、大学進学の道をえらんだのは家が裕福であるとか、人も認める秀才であるとかが大半で、一部に僕みたいな気まぐれで大学に行こうと考えた、秀才でもなければ家が裕福なわけでもない不良(そういうのは大方浪人になって新聞配達でもする羽目になる)が混じっているといった具合でした。その年の秋に第一次オイルショックが起きて経済の潮目が変わるのですが、高度経済成長時代最後の年で、就職口にも恵まれていたのです。
今の高卒にはそれほど恵まれた就職先はない。あったとしてもごくわずかで、だから皆進学を考えるのですが、それもできれば学費が少なくてすむ国立ということで、科目どっさりのセンター試験(今年からさらに負担が増えた)をこなし、その上で二次を受けねばならないのだから、かなり大変です。昔は試験は大学別の個別試験のみだった。一次と二次に分かれていたのは東大だけだったので、今の国立受験生は皆、昔の東大受験生並の面倒な手間をかけさせられているのです。秀才揃いの東大受験生ならさほど苦労せずこなせるだろうが、ふつうはそうではないはずで、だからしんどくなるのです。
その大変さがわかっていたので、僕はわが子には初めから「大学は私立でいい」と言っていました。怠惰な父親の血を引いていれば、5教科7科目にプラス二次試験なんてのはとうてい無理と思われたからです。先に見た通り、文系なら今は国立と学費はそう違わないし、私立なら受験勉強は3教科ですむから、そうあくせくせずにすむのです。教科書勉強嫌いの本人もそのつもりだったのが、それでプレッシャーがかからなかったのが逆に幸いしたらしく、結局5科をこなして国立に入ったのは、妙な感じでした。ふつうの親なら、「私立でいい」なんて甘いことを言うと子供が怠けると考えるでしょう。小学生の頃から彼は母親に「おとうさんは甘い」と言っていたそうで、僕はたしかに大甘の父親なのですが、子供にプレッシャーをかけすぎない方がうまく行くということもあるのです。勉強に関してはとくにそうかも知れません。
話を戻して、この私立にしても国立にしても高額になってしまった進学費用を今の親たちはどうしているのか? 子供が3人もいて、それが大学院も含めて全部重なったりすると、かなり裕福な部類の家庭でも家計がパンクしてしまうでしょう。「教育費の高騰」は家計にとって大きな脅威となっているのです。その場合は各種の奨学金で不足分を補うしかない。また、祖父母が裕福なら、そちらからの応援があって何とかなっている場合もあるのでしょう(僕の見るところ、この「祖父母ファクター」はかなり大きい)。
大学が「大衆化」したのに伴って、学費も低廉になったというのならめでたいが、事実は逆なので、これでは「教育における機会の均等」は損なわれます。資産のある家庭は幼時から教育にお金がかけられ、大学受験に強い私立の中高一貫校にわが子を入学させ、大学もそれに見合った有名どころに入れ、就職戦線でも優位に立てるが、貧しい家庭だとそうはいかないからです。大学段階だけで見ても、地方の親がわが子を都会の国立大に行かせるとして、1975年段階なら学費(入学金5万含む)と下宿代込みで年間26.6万プラス生活費ですんだのが、今だと153.78万プラス生活費になるのです。
生活費を含めると年200万を超えるでしょうが、地方の受験生の場合、入試検定料以外に、交通費・ホテルの宿泊費など諸々の受験費用や、アパート契約時のまとまったお金、必要な家財道具一式の購入費用がかかるので、国立志望でも私立の滑り止めを数校受験したと仮定すれば、こうした諸費用(私立の滑り止めを用意する場合、合格時に最低一校の入学金相当額を“保険”として納めておかねばならない)だけで100万を超える出費を覚悟しなければならないのです。別途それだけかかるのだから、ふつうの家庭にはきついのです。
僕は塾で生徒たちに、私立の選択肢のない医学部受験生(ふつうのサラリーマン家庭で私大医学部は経済的な負担が大きすぎる)以外には、後期が確実な滑り止めになる場合は別として、国立第一志望でも私立を受けておくよう勧めます。私立の押さえ(行く気が全くないような大学だと意味はありませんが)があると、第一志望の国立受験の際、断崖絶壁に立たされたような追いつめられた心理にならなくてすみ、その方が実力が発揮できて、合格する可能性も高くなるからです(勝負事ではパフォーマンスに及ぼすメンタルの影響はつねに非常に大きいのです)。しかし、そのためには最低でも50万程度の余分な出費は避けられないので、二の足を踏む親御さんが少なくないのです。
以上、大学進学が今はどんなに物入りかということを書いてきましたが、それが「人並み」とみなされるようになった今、多くの家庭はわが子の大学進学を既定ルートのように考えています。そうであればなおさら、子供は多くつくれないなと思う。昔みたいに、子供を中卒、高卒で世の中に放り出せばよかった時代とは違うのです。これが少子化の隠れた大きな要因になっていることはおそらくたしかでしょう。
にしても、今の大学の学費は高すぎる。都会のアパート代も同じですが、何とかならないものかと思います。政府は机上の空論に基づいておかしな入試制度いじりをするより、こちらの問題の方を先に何とかすべきでしょう。何? アベノミクスで地方の景気もよくなって、高度経済成長時代のような経済の好循環が生じるから、いずれ家計収入の伸びも大学の学費や高家賃に追いつくだろうって? それは時代錯誤のおとぎ話でしかありません。
・文科省:国立大学と私立大学の授業料等の推移
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