地方で進行する見えない「砂漠化」

2014.08.26.16:11

 お盆明けの広島市安佐南区の集中豪雨による土砂崩れは、家がかなりたて込んでいたこともあって、多くの死者・行方不明者を出して大きなニュースになりましたが、梅雨と夏が一緒になったような雨だらけの今年の夏は、「そもそもこれが夏と言えるのか?」と言いたくなるほどヘンテコなものでした。

 気象庁の定義では、異常気象というのは「30年に一回」程度の頻度でしか起きないもの、となっていたと思いますが、近年は「観測史上初」のオンパレードで、異常が常態になった観があります。

 尤も、長いスパンで見れば、地球の気候が激変したことは過去に無数にあるようで、有史以前の生物の大量絶滅(90%が死滅したこともあった)にまで遡らなくても、昔、大飢饉(それはわが国でも何度も起きた)が発生したときなどは、数年数十年単位で続く異常気象が関係していたのでしょう。

 そういうことも考え合わせると、今の時代は何も特別なことではなくて、安定期が過ぎ去り、変動期に突入しただけだと言えそうですが、それに温室効果ガスの大量排出や熱帯雨林の消失など、人為的な要素がどれだけ関係しているのか、専門の学者に聞いてみないとそのあたり詳しいことはわからないし、有効な手立てがあるのかどうかもわかりません。

 素人ながら、今僕が心配しているのは、自然が荒廃してやせ細っているところに、異常気象が重なると、ある一定段階まで来たところで、食糧供給や住居の確保が一気に困難になって、今の文明が崩壊の危機にさらされる危険もあるのではないかということです。

 早い話が、わが国でも自然は荒廃しています。“見かけによらず”そうだと言えるので、今年僕は父の初盆で帰省して、そこに自分が子供の頃あった豊かな自然はもはや存在しなくなっているのをあらためて確認して、少なからぬショックを受けました。

 これ、経済発展で人口が増大して、宅地開発や工場建設が進み、自然破壊が進んだというような話では全然ないのですよ。極端な過疎化の進行で、「限界集落」化しているのに、周囲の自然はかつてないほど貧しいものになってしまっているのです。都会ではなく、過疎地で自然の荒廃が進む。これはかなり深刻な話ではありませんか。

 たぶん、これは僕の田舎にかぎった話ではなく、全国的な現象ではないかと思うから書くのですが、こういうことはたんに外から見ただけではわかりません。僕の田舎の山は今も緑に覆われ、川の水もきれいです。しかしその山はかつての豊かな原生林ではなく、大方は杉とヒノキの人工林で、ろくな手入れもされないままに荒れてしまったところがあちこちにあるし、川はどうかと言えば、こちらもそれに劣らずひどいことになっている。昔は川漁師ができるくらい魚が豊富な川だったのに、今はそれが量も種類も激減して、昔の十分の一もいないのではないかと思われるほどなのです。

 先頃、国際自然保護連合(IUCN)というところがニホンウナギを新たに絶滅危惧種に指定したというニュースがあって、話題になりましたが、学校のお勉強などはそっちのけの川小僧だった僕は中学生の頃、夏場だけで毎年百匹は下らないウナギを捕っていました。ツケバリ、モドリ、穴釣りといった色々な漁法があって、僕はそれを全部やっていたのですが、当時は子供がまだたくさんいて、僕みたいに熱心なのは珍しい部類だったとはいえ、程度の差こそあれ、皆川に行って魚を捕っていたのだから、全体としては大変な漁獲量になり、にもかかわらず、一向ウナギもその他の魚も減る気配はなかったのです(言うまでもありませんが、餌の豊富な渓流育ちのウナギは立派で、水がきれいなので泥臭さもなく、たいそう美味です)。

 このウナギ激減の原因は、シラスウナギの乱獲や、海の回遊ルートの障害、海流変化など複数の要因が関係しているということですが、「生息環境の悪化」もその一つとして挙げられているので、川が今のような状態になってしまっては、餌も乏しいし、棲むに適した場所もないから、絶滅以前に、あんな川にはもう住んでくれないだろうと思うのです。

 その川がどうして駄目になったのか? 奥山の原生林が消滅すれば、川はそれでなくてもやせてしまいますが、それに加えて有害無益な砂防ダムをむやみやたらと増やしたものだから、河床は僕が子供の頃のそれと較べても二メートル近く上がり、昔は大きな石がごろごろしていて、勢いよく流れる瀬と瀬の間には青い水をたたえた淵があったのが、今は拳より少し大きいぐらいの石しか見えず、深い淵も姿を消しているのです。そして川岸のそこここには、無残なコンクリの防護壁が作られているというわけで、一見しただけでこれは駄目だなとわかるものになってしまっているのです。

 呆れるのは、ごていねいにもと言うべきか、本流だけでなく、支流の谷という谷にも、入口に何メートルもの高さのコンクリの砂防ダムが作られてしまっていることです。何用あってこんな馬鹿なことをするのか? これではふつうの魚は遡上を阻まれて、昔はアマゴ(ヤマメの双子の兄弟みたいな魚)がたくさんいた谷も、大水が出て流されてしまえば、元の棲家に戻るのは不可能になってしまいます。だからそうした谷も全部駄目にされてしまったので、よくもこんな無意味かつ無神経なことを平気でするなと呆れますが、役人も土建屋たちも、そんなことは何一つ考えていないのです。生態学的無知がどうのという以前に、人間としての基本的な感受性が欠落していると言わざるを得ない。彼らは税金を使ってせっせと環境破壊に精出しているのです。

 しかし、こうしたことは何も今に始まったことではないとは言えるので、僕の郷里の川は熊野川の支流の一つで、三越(ミコシと読む)川と呼ばれる川なのですが、その熊野川には上流の奈良県十津川村に水力発電用の巨大ダム(三箇所あるはず)があります。それは1950年代に作られて60年頃から運用が開始されたのですが、これがもたらした生態系破壊の一部と言える側面があるのです。

 どういう因果関係によるのか? かつての熊野川は満々たる水を湛えた大河でした。僕の母親が子供の頃は、そこで遠泳をやらされたというくらいで、吉野熊野の大量の木材(丸太)はその川をいかだ流しで新宮まで運ばれたのです(僕の父親はそのいかだ流しを経験した最後の世代でした)。

 ところが、上流をダムで堰き止めたものだから、水量が激減し、川には次第に土砂が堆積するようになった。この前帰ったとき途中のバスから熊野川を見て驚いたのは、僕が子供のときと較べても河原が全体としてゆうに三、四メートルは上がってしまっているのではないかということで、三年前の台風の集中豪雨の際は熊野川町では水が上の道路を楽々越えて大災害になり、水没した電柱にその跡が残っていましたが、国道の数メートル上まで来たのです。当然ながら、そのさらに下流の新宮市街も水浸しになった。これは、川床が上がっている上に、通常の増水に加えて絶妙(?)のタイミングでダムが大量の放水をしてしまったためだと言われていて、どちらにしても人災の要素が多分にあったのです。

 僕の郷里の川の砂防ダム建設もこれと関連している。もしも熊野川が以前と同じ満々たる大河なら、土砂はそのまま熊野川に流れ込み、海まで運ばれるから、砂防ダムの必要などはなかったはずが、渇水期に水切れまで起こすようになってはそうは行かず、流れないままどんどん堆積してしまいます。下流の低地にある町場は河床が上がると僅かな雨でも水害に見舞われるというので、その上流に砂防ダムがいくつも建設されるようになり、ついには今のような悲惨な川の状態になったのです(ついでに言うと、海辺の砂浜の減少もこれと関係するので、海まで流れた土砂が海岸に打ち寄せて豊かな砂浜を形成するのです)。

 わが郷里の川が“致命的”な打撃を受けたのは、やはり三年前の台風による紀伊山地集中豪雨のときでした。あれで奥の集落の川を隔てた向かいの山が大規模な「深層崩壊」を起こし、その土砂は半端な量ではなかったので、川を完全にふさいで、天然のダムができ、それが決壊して、下流に大量の土砂(対岸の下の平地にあった公民館やお寺、数軒の家が呑み込まれたので、その残骸も含まれる)が流れ、その堆積が昔の川の面影を完全に消し去ったのです。

 しかし、これはそのためだけではなかったことが、今回墓参り(父方のお墓の方はその深層崩壊で壊滅的な打撃を受けた集落にある)に弟と行ったついで、そのずっと奥まで林道を歩いてみて、わかりました。その大規模な土砂崩れの現場より上流に行っても、川の様子は下流のそれと変わらないのです。五百メートルほど上手にある高い砂防ダムの一つが、ちょうどその真ん中あたりに大きな穴があいてグシャグシャに崩れ、荒々しい滝のようにジグザグに流れていましたが、魚がいそうなところはその下の大きな淵ぐらいで、あとは昔の渓流らしい面影は全くない。それより上流に行っても同じ。昔はあった大きな石がごろごろした瀬も、深い淵もほとんど皆無なのです(そのあたりはかつてはアマゴの宝庫で、方言でヘシという、表向き禁止されているゴムで飛ばす銛を持ってよく突きに行ったものなのですが)。

 もうこの川は完全に終わってしまったなと、僕は甚だしく落胆しましたが、この川の惨状が奥山の原生林の消失と関係することは明らかです。昔は同じ砂防ダムがあっても、あんなに土砂は堆積せず、渓流らしさは保たれていたのです。それがなぜこうなってしまったかと言うと、植林されて手入れの行き届かない杉やヒノキの山からは、水と一緒に大量の土砂が流出してしまうので、それが川を埋めてしまったのです。原生林の多い山は、大雨が降っても濁りが少ないし、早くそれが消える。その証拠に、奥山に原生林が多く残っている大塔川は、帰省の際、バスからそれを見たのですが、他の川よりずっと濁りが少なかったのです(当然、川も昔の渓流らしい姿を保っている)。

 今は日本中、杉やヒノキの人工林ばかりです。奥山も、昔は雑木林だった里山も、大方は杉とヒノキの森に変わってしまっている。そしてそうなってしまった地域の川は、流れ込んだ土砂が堆積して、もはや昔の面影はなくなっているはずです。そういう川はすぐに濁ります。虫が減り、餌も減り、川の環境も激変したとなれば、魚の数も種類も激減する。

 今の地方の集落はどこでも、昔は奥山にしかいなかったサルやイノシシ、鹿などが里に降りてきて、田畑を荒らすのに悩まされていますが、それも原生林消失の副産物です(奥山の崖っぷちにしかいなかったカモシカが家の庭先まで出てくるというのだから、驚きです)。僕の田舎には、春先に採るのが楽しみだったイタドリはもう一本も生えません。鹿は見た目は可愛いが、実に馬鹿な動物で、後先考えずに根こそぎ食ってしまうので、昔は水はけのいい斜面や川岸などにたくさんはえていたそれが、食い尽くされてしまって、二度と生えなくなってしまったのです(数が増えすぎたのも関係するのでしょうが)。

 この環境破壊の元凶とも言える人工林はなぜこれほど増えてしまったのか? ここでそれをちょっとおさらいしておきましょう。これは政府の戦後の「拡大造林政策」なるものの後遺症です。戦後の復興期から経済成長期、木材需要は急増して、当時自給率が9割だった国産木材価格は急騰しました。それで、原生林を伐採した後は成長の早いスギやヒノキに植え替えなさいということで、とんでもない奥山にまで植林が奨励され、場所の適不適を問うことがなかった。里山の雑木林もそうして杉、ヒノキに次々とって代わられたのです。当時は原生林の奥深い多様な働きや、里山の重要性は認識されていなかったのです。

 それが、東京オリンピックと同じ1964年、木材輸入が全面自由化されると、徐々に様相は変化し始めた。1980年をピークに、国産木材の価格は下がり始め、採算が取れないようになって、今にいたるのです。現在の木材自給率は僅か20%、価格競争で完全に外材に負けて、かつては「植林は銀行預金より堅い」と言われていたものが、伐り出しても赤字になってしまうので、ロクに手入れもされないまま放置される人工林が増えたのです(なのに、1996年まで、この拡大造林政策は見直されることなく続いていたというのだから、政策の整合性も何もなく、お役人の旧習墨守の「考えない」態度には今さらながら驚かされます)。

 採算が取れず、山仕事で生計を立てるのは不可能だということになると、当然後継者はいなくなります。わが国の山は急峻なものが多く、僕の田舎の奥熊野もそうですが、僕の父親の代で、伐採や山の管理ができる人間は、最後になったのです。伐採といっても、それはかんたんな話ではなく、周囲の木々の位置や枝振り、木を倒す角度など多くのことを同時に考慮に入れて、しかも足場の悪い切り立った斜面で行なわねばならないのだから、危険な重労働である上に、相当高度な技能を要するのです。しかし、そうした技術伝承は行なわれなかった(今の森林組合の職員などは、エキスパートと呼ぶにはほど遠いでしょう)。

 手間いらずの原生林を、手のかかる人工林に変えて、かつそれを世話する人間は消えたのだから、山が荒れ放題になるのは道理なのです。

 皮肉に思われるのは、僕の田舎には世界遺産に認定された熊野古道が走っていて、僕が小3まで通った向かいの山の上の分校(むろん、過疎で子供がいなくなり、とうの昔に廃校になった)はそのルート上にあって、「水呑王子」の石碑が校舎脇に立っていましたが、その熊野古道も、外から訪れる人がなかった昔は多くが原生林の中を通っていて、季節ごとに違った顔を見せ、雅趣に富んでいたのが、今では周囲が杉やヒノキの山林ばかりで、面白くとも何ともなくなっていることです。背の高い杉林では見晴らしも著しく悪いわけで、この国家政策は貴重な観光資源をも台無しにしてしまったのです。

 ダムも、人工林も、戦後の高度経済成長時代の置き土産で、僕らは今そのツケを支払わされているということです。ダムは内側に土砂が堆積して使い物にならなくなるのは時間の問題だと言われているし、せっせと植林したスギやヒノキも行き場がなくなって、その弊害ばかりが目立つようになってしまったのです。

 とにかくそういうわけで、わが国の自然は深刻に荒廃している。山が荒れれば川が荒れ、それは海の荒れ具合にもつながってくるので、沿岸漁業の漁師さんに話を聞けば、ほぼ例外なく魚が昔のように捕れなくなった、と言うでしょう。おそらくそれは「激減」と言っていいほどの減り方なのではないかと思います。

 崖崩れが増えたことなどは別として、今は狩猟採集時代ではないのだから、魚は養殖すればいいのだし、田畑が維持されてさえいれば、別に周辺の自然がやせ細ったからといって、それは大したことはないのではないか、と言われるかもしれません。昔は腐るほどいたクワガタ(種類も多くて図鑑を見ても載っていないものがあった)なども、今は見つけるのが困難になっているほどですが、もう久しい以前から子供たちは自然の中で遊ばなくなり、田舎の子供でも、ケータイやパソコンいじりと、塾や習い事に通うことに多忙で、自然の変化などには関心をもたなくなっているので、僕のような中年オヤジのノスタルジーが打撃を受けたという、これはその程度の話ではないのかと。

 そうかも知れません。人類はすでに多くの動植物を絶滅させました。おかげで野山を危険な肉食獣が徘徊しているということはなくなったのだし、その程度が少し先に進んだだけだとも解釈できるのです。飼いならされていない野生の自然(英語のwilderness)がもはやどこにもなくなっても、誰もそんなことは気にしない。食用に適した、文明人に好まれる数十種程度の植物を効率的に栽培し、動物や魚も必要なものだけ人工飼育したり、養殖したりすれば足りる。植林された単調な森も、都会人からすればすがすがしい「森林浴」の対象になりうるのです(春先のあの大量のスギ花粉はよけいだとしても)。

 しかし、と僕は思うのです。人工的につくられたそういう「自然」しかなくなれば、人間はいずれ正気を失ってしまうだろう(どうしてかという理由は長くなるのでここでは割愛します)し、その「作られた自然」も、それ以外のものを絶滅させてしまえば維持できなくなってしまうのではないかと。生態系というものはそう単純なものではないからです。ものの本によれば、科学には「ティッピング・ポイント」なるものがあって、それは予測可能な変化をしていたものが、ある時点で急激な予測不能の変化を起こし始めて、それが破局につながることがあるという話ですが、このままではいつか文明全体を破局に導くようなそういうときがやってきそうに思われるのです。その場合、引き金になるのは異常気象の頻発かも知れないが、事態を悪化させるのはやせ細った、荒廃した周囲の自然環境なのです。

 そのとき人は衰弱しきった自然に初めて真剣なまなざしを向ける。けれどもそのときはすでに手遅れなのです。そういう可能性を、僕らは今少し真面目に考えてもいいのではないでしょうか。僕は自分の田舎の自然の荒廃ぶりを見て、「こういうことを放置していたのでは、いずれタダではすまなくなるのではないか?」という悪い予感に襲われたのです。林野庁のホームページを見ると、「わが国の森林面積は減少していない」とか、「手入れされた人工林は原生林に劣らない」とか、自慢げに書かれていますが、事はそう単純ではないので、それが周辺にどれほど多くの害をもたらす結果になったか、よく見てから言ってくれと言いたくなります。

 わが国のこの「やめどき」を知らなかった、過剰な「拡大造林政策」は、先のことを考えず、国土全体の生態系破壊に深刻な影響を及ぼした点で、原発政策に匹敵するほどひどいものだったと言えるかも知れません。いずれは取り壊すしかなくなるあのダムなども後始末が大変で、自然を破壊すると、それを元に戻すのは容易ではないし、いっときの利便の代償に後で高すぎるツケを支払わされる羽目になるのです。さっき鹿は馬鹿な動物だと言いましたが、「おまえらに言われたくない」と彼らは言うかもしれません。
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