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「延岡の高校」最終記事

2014.08.08.15:31

 このところ、相次ぐ台風発生のせいで、九州南部は梅雨と夏が一緒に来たような天気続きで、当地の高校生たちも前期課外が終わってやっと夏休みになったかと思ったら、海にも川にも行けない悪天候というのはかわいそうですが、自然のやることだから、文句は言えません。

 思えばこのコーナーに、ずいぶんたくさん記事を書いたものです。最初の記事「教育という名の児童虐待」は2010年の6月に書かれたもので、もう丸四年以上たったわけです(実のところ、そのずっと前からぺーパー版では批判していたのですが、まだブログをやっていなかったので、多くの人の目に触れることはなかったのです)。

 その間、この最初の記事だけでアクセス数は数千にのぼったと思いますが、延岡高校を見るといくらか変化はあったようで(それは今の校長先生が赴任されてからのものが多いと思いますが)、学校の名誉のためにもそれについて触れておくべきでしょう。

 たとえば、模試で日曜は潰されなくなったし、宿題量も明らかに減りました。夏休みも、今年は一・二年生は18日間あると聞いているので、前よりは課外も減ったわけです(延岡星雲高校の方は、今は塾に該当生徒がいないので、情報がありません)。朝課外は、生徒たちからの要望が多いにもかかわらず、学校は話し合いのテーブルに着こうとはせず、まだ続いていますが、全体として見ると眉をひそめたくなるようなところは減ったと思います(冬場のマフラー禁止の件も、生徒たちが辛抱強くそれを求めた結果、ネックウォーマー解禁というかたちで、二年ほど前、一応の決着を見たようです)。

 僕の方はおかげで「過激な塾教師」という悪名を馳せる羽目になりましたが、少しのことが変わるにも恐ろしく時間がかかって、当時の塾生たちを助けることはできなかったし、自分の息子が高校に入る前に何とかしたいと思っていたのに、何のことはない、最初の記事を書いた翌年入学して、今年卒業してしまいました(尤も、彼は毎晩最低7時間は睡眠時間を確保していたようだし、適当に手抜きをしていたので、在学中それほどしんどい思いはしなくてすみ、おかげで入試が近づくにつれ、蓄積した疲労で成績が“失速”するという悪いパターンにも落ち込まなくてすみました)。

 今後どうなるか? 聞くところによれば、学校内部にも「朝課外廃止賛成派」の先生はおられるようです。ただ、それは依然少数派で、保護者にも宗教信仰にも似た「朝課外必要派」はまだまだ多いようなので、それを廃止に踏み切る日は永遠に来ないのかも知れません。僕は理をもって説いたつもりですが、日本社会というのはつねに「理よりも既成事実が優先される」国で、公立学校というのはお役所組織の一つなので、なおさらのことです(この前コメント欄に、大宮高校の出身だという若者が「普通です」と書き込んでいましたが、宮崎県では「普通」だから文句は言うな、というのはおよそ馬鹿げた話なので、他でも「普通」かどうか、よく調べてから物は言うことです。それで宮崎県の大学進学実績が他県と比べてよいというのならともかく、むしろ逆なのです。僕は大学進学実績だけを問題にしているのではなく、もっと広い観点から望ましくない旨、説明しているつもりなのですが)。

 ともかく、一とおりの問題提起はさせてもらったので、あとは学校、県教委、生徒や保護者の皆さんがどう考えて、どう行動するかだけの問題だと思うので、僕はこのへんで手を引かせてもらいたいと思います。何かとんでもない事件、たとえば生徒をさしたる理由もなく「放射能」呼ばわりするような非常識きわまりない低劣教師(あれは一度ではなかったのだから、ついうっかりの「失言」ではなく、日頃の生徒たちへの接し方からも「やっぱり…」と感じられたケースだったので、人権意識の高い土地なら、即クビになるか、そうでなければ全校生徒の前で土下座でもしないとすまなかったことでしょう)がまた出てきた、というような話を聞けば別ですが、でなければ、自分たちで主体性をもって行動して下さい、ということです。

 延岡の県立普通科高校の学校運営はお世辞にも「民主的」とは言えませんが、民主主義社会において重要なのは、人格的な独立性をもった個人が当事者意識をもって行動する、ということです。それができなければそれは一部の権力者や集団が壟断(ろうだん)するところとなって暴走し、いずれは破滅にいたる。それは、押しとどめることをしなかった側にも責任があるのです。

 僕が高校生だった当時は、高校生は子供扱いはされていませんでした。自分でも子供だなどとは毛頭思っていなかった。まだ経済的には親に依存しているというだけで。今の高校生は、しかし、子供扱いに甘んじ、独立した人格であることを自ら認めようともしない子供子供した人が多すぎるようにも見受けられるのです。大人なら屈辱と感じることも、子供ならそうでないことがあって、そこらへんの微妙な心理の違いも、こうした学校問題の解決を困難にしている一因なのではないかと思われます。

 教師は生徒を独立した人格をもったオトナとして尊重すべきだし、生徒の側もオトナの自覚をもっともて、ということです。それは双方を向上・成長させるでしょう。保護者もそうした人格的成長の見地から、過剰管理が望ましいものかどうか、考えればいいのです。
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大野龍一

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