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丸腰国家論

2014.07.15.15:55

「非常識」と嗤(わら)われるのは承知で、一度これを書いてみたいと思っていたので、書いてみます。馬鹿げているかどうかは、最後までお読みになったあとでご判断下さい。

 今では既成政党で、自衛隊は違憲で、廃止すべきだというようなことを言う政党は一つも存在しないようですが、今の自衛隊が憲法第9条に規定された「陸海空軍その他の戦力」であることは否(いな)めないところで、その前の「前項の目的を達するため」というわけのわからない文言(もんごん)の解釈を別とすれば、「違憲」だとする方が論理的には正しいでしょう。

 そもそも9条全体が、成立過程の入り組んだ思惑(話が長くなるのでそれは端折ります)を反映して、妙に紛らわしいものになっているのです。あらためてそれを見てみましょう。

【第9条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。】

 わかりにくくなっているのは、第一項の「国際紛争を解決する手段としては」と、第二項の「前項の目的を達するため」のせいですが、前者「国際紛争を解決する手段」については、国と国との戦争はいずれにせよ「国際紛争」であるから、侵略戦争の類のみならず、自衛戦争もできないということになります。いくら何でもそれでは不都合だというので、「自衛のための戦争まで否定したものではなく、これは侵略戦争や、他国間の紛争に軍事介入することを禁止する趣旨のものである」と解釈されるのがふつうですが、第二項はそう解釈すると不可解この上なく、「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」というのは、「自衛のための戦争」は認め、それ以外は禁止するという趣旨なら、自衛用の「戦力」は保持するが、それ以外用の「戦力」は保持しないということになって、「陸海空軍その他の戦力」は使いようによってはどちらにもなることからして、ほとんど意味をなさないことになります。続けて、「国の交戦権は、これを認めない」と来て、自衛のための戦争も通常の言語理解としては明白に「交戦」になるのだから、やっぱり全部の戦争を禁止していると解するのでなければ意味が通じない。憲法前文の「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」という文言からしても、すべての戦争を放棄するという趣旨のもの(それがどんなに「非常識」に見えようとも)だと解釈するのが適切でしょう。

 要するに、この第9条は日本語表現として一部紛らわしい箇所をもつが、ふつうに読めば全面的な戦争放棄を規定したものと理解する他ないだろうということです。集団的自衛権どころか、個別的自衛権ですらそこから導き出すのは難しい。「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使」は、「永久に放棄」されているのです。

 これは、むろん現実の今の日本の姿とは矛盾している。その憲法の縛りがあるからこそ、今まで自衛隊は他国の軍隊と戦火を交えたことは一度もないのですが、それでもそれは戦闘用の装備と人員をもった立派な「軍隊」です。だから憲法9条は「偽善」であり、早くそれを改正して、自衛隊に国軍としての正規の地位を認め、“ふつうに”戦闘行動にも参加できるようにすべきだ、というのが今の自民党の主張で、野党にもそれに賛成するところがあるわけです。
 ついでだから、ここで自民党の憲法改正草案の該当箇所を見てみましょう。

【第9条(平和主義)1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動としての戦争を放棄し、武力による威嚇及び武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては用いない。
2 前項の規定は、自衛権の発動を妨げるものではない。
第9条の2(国防軍)1 我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全を確保するため、内閣総理大臣を最高指揮官とする国防軍を保持する。
2 国防軍は、前項の規定による任務を遂行する際は、法律の定めるところにより、国会の承認その他の統制に服する。
3 国防軍は、第一項に規定する任務を遂行するための活動のほか、法律の定めるところにより、国際社会の平和と安全を確保するために国際的に協調して行われる活動及び公の秩序を維持し、又は国民の生命若しくは自由を守るための活動を行うことができる。
4 前2項に定めるもののほか、国防軍の組織、統制及び機密の保持に関する事項は、法律で定める。
5 国防軍に属する軍人その他の公務員がその職務の実施に伴う罪又は国防軍の機密に関する罪を犯した場合の裁判を行うため、法律の定めるところにより、国防軍に審判所を置く。この場合においては、被告人が裁判所へ上訴する権利は、保障されなければならない。
第9条の3(領土等の保全等) 国は、主権と独立を守るため、国民と協力して、領土、領海及び領空を保全し、その資源を確保しなければならない。】

 これは元の憲法条文に輪をかけた悪文で、「武力による威嚇及び武力の行使は…用いない」なんて、「そんな日本語あるわけないだろ」と冷やかさずにはいられない拙劣な文章センス(中学生でも日本語としておかしいのはわかる)ですが、内容そのものについても、「国権の発動としての戦争を放棄」するとしながら、しかしこれは「自衛権の発動を妨げるものではない」と前後矛盾したことを言い(もっと頭を整理してから文は書くものです)、その先は何のことはない、「戦争を前提とした軍隊は当然持ちますよ(海外の紛争にも「国際社会の平和と安全を確保するため」と称して当然兵を出す)」ということなのです。この「国防軍」は国民に知られると困ることがたくさんあるらしく、「機密」という語が短い文の中に二度も出てきて、「軍人その他の公務員がその職務の実施に伴う罪又は国防軍の機密に関する罪を犯した場合」は軍法会議にかけるぞと威嚇するのを忘れない(注)のですが、「内閣総理大臣を最高指揮官とする国防軍」というあたり、安倍や石破(いずれ総理にと思っている)には「なくてはならない」こだわりの文章なのでしょう。

※(注)これにかぎらず、全体に自民党のこの改正草案は、文章がなっていないだけでなく、愛国心の強要から、「国民の責務」の強調まで、国民よりも「国家権力を守るための憲法」というところが歴然としていて、寒気がしてくるシロモノです。軍を「公の秩序を維持」することにも使えるということは、国内のデモ鎮圧などにも「国防軍」がお出ましになるということなのでしょう(安倍からすると、祖父の岸信介が反安保デモの鎮圧に自衛隊を使おうとして断られた恨みがあるのかも知れません)。

 この改正案では、第一項は完全なお飾りで、なくもがなの空文になっています。要するに、「ふつうに軍隊はもち、必要とあらば戦争も当然しますよ」ということなのです。他のどの国とも同じで、元の憲法にあった特異かつ明確な「平和主義」は放棄されているのです(そこを何とかごまかしたいと、元の条文を模した一項が置かれているだけ)。

 話を元の憲法の解釈に戻しましょう。先に見たとおり、それはどんなに「非常識」に見えようとも、軍隊の保持と戦争の全面放棄を定めたものだとしか思えないので、そのロジックに忠実に、わが国が“丸腰”になったとしたら、どうなるでしょう? 安倍政権の「解釈」とは正反対の厳密な「解釈」をして、それを徹底するのです。その場合、軍隊がなく、戦闘機やミサイルなどの通常の戦争兵器ももたないのだから、他国が侵略しようと思えばかんたんにできるでしょう。アメリカの軍隊にも頼らないことにする。それでは前文の「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」という文言にも反するからです。現実問題としては「平和を愛する諸国民の公正と信義」は大いに疑わしいとしても、われらが日本国民はそれに賭け、それに「信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」のです。これぞまさしく「崇高な理想」です。

 それで米軍には沖縄から撤退していただく。他の米軍基地も日本中から全部消えるのです。一億二千万余の人口を擁する経済大国(落ち目とはいえ、まだそうです)が、軍事攻撃をしかけられたらひとたまりもないという危険を冒し、あえて丸腰で世界と相対するのです。何があろうとも、武力に訴えることはせず、話し合いで解決するのだというところを世界に示す。これは実に「世界史上の奇蹟」であり、偉観です。

 北朝鮮や中国は「しめしめ…」と思うでしょうか? それで武力侵攻して、日本を軍事力という暴力で支配下に置く。誇り高い日本人は、しかし、この理不尽に対しては不服従を貫きます。中には自発的にゲリラとなってローテクだけで抗戦する人たちも出てくるでしょう(それは国家による管理や指令に基づくものではない)。これは侵略国としては面白くないことなので、彼らは片っ端から日本人を殺します。それで日本人は絶滅させられてしまうかも知れない。

 しかし、世界はこれを見ているのです。そんなことがこの二十一世紀に許されると考える人がいるでしょうか? 侵略した国の国民にしても、丸腰の国を襲って、その命令に不服従で応じる無辜の人々を殺し続ける軍隊を見て、どう思うでしょう。自分はああいう非道なことをする国の市民だと思えば、自尊心も何ももてなくなってしまうのではありませんか? また、それで兵の士気は維持できるでしょうか? トルストイの『イワンの馬鹿』に、馬鹿のイワンが王様になっている国に軍隊が攻め込み(悪魔がそう仕向けたのですが)、しかしいくら行っても戦うべき軍隊に出会えず、人々の泣きまどう姿があるばかりで、それを見ているうちに兵士たちはだんだん気が滅入ってきて、「これでは私たちは戦争ができません」と戦いを放棄してしまう一節がありましたが、あれと似たことになってしまうでしょう。
 侵攻に成功したとしても(相手は丸腰なのだからそれは当然ですが)、それは戦争に勝ったのではない、初めから戦争ではなかったので、彼らはただの押し込み強盗、殺人者なのです。相手国が「日本は自国の固有の領土で、それを取り返しただけだ」とも決して言えないでしょう。どんな歴史資料を探してもそれは無理で、説得力はゼロだからです。

 妙な威嚇より、こちらの方がよっぽど「抑止力」になるのではないかと、僕は思います。いや、と言う人がいるかも知れません。中国はチベットを不法に侵略した。あれなんかはどうなのだ、と。たしかにあれは不法で、ひどい話です。中国自身が異常なまでにあれを気にしているのは、ダライ・ラマが各国の元首と会っただけですぐヒステリックな非難声明を出すことからもわかるので、あれはあの国の一番触れられたくない恥部なのです。言葉は悪いが、日本はチベットとは比較にならない大国です。それを軍事侵攻したとなると、それはたんなる神経質な反応ではすまなくて、自己の正当性の拠り所を根底から失ってしまうことになるでしょう。
 昔、日本は中国を侵略した。それでやり返しただけだと言っても、それをすると中国はかつての日本軍以下になってしまうのです。かつての中国は国民党と共産党に分裂していたとはいえ、組織的な軍事力をもって日本に応戦した。今度の日本はそうではないのだから、なおさらです。かの国が子供たちに教えているかつての「抗日美談」など吹き飛んでしまう。何とも情けない、卑劣で悪逆非道な国家だと、自ら認めざるを得なくなるのです。

 北朝鮮の場合はどうか? あの国は時代錯誤の世襲を繰り返す、最低のならず者独裁国家で、自国民でも逆らう者は片っ端から殺したり、政治収容所送りにしている。かの国の権力者に良心なんてものがあるとは思えないので、日本にミサイルを撃ち込み、軍事侵略しても、何らやましさなどは感じないのではないか? そうかも知れませんが、国際社会があの国に忍耐しているのは、目下のところ進んで他国の侵略になどは乗り出していないからで、そんなことをしたら、国際的な非難を招くのみならず、自らが軍事攻撃(国連軍でもアメリカ軍でも)を受けてひとたまりもなく崩壊してしまうのは目に見えています。ロクな良心はないかも知れないが、そうであればこそ打算はあるので、この前も書いたとおり、金正恩が自殺衝動に駆られるか発狂したのでもないかぎり、そんなことはしないだろうと考えられるのです。 

 してみれば、「丸腰国家」も悪くないのではありませんか? 丸腰でいてこそ、わが国は真に「平和の使徒」たりえ、その言葉に説得力も出るので、世界中で増殖を続けるテロ組織も、そういう国を敵視する論理を作り上げることは困難なはずです。

 こういうのは空想的で無責任な議論だと、多くの人は言うかもしれません。しかし、仮に第三次世界大戦が起きたら、人類は今度こそ終わりになる可能性が高いのです。前にも言いましたが、その理由の一つはかつては存在しなかった原発が今は多数存在することです。原発がその意味で「抑止力」になるというのは皮肉な話ですが、戦争になったとき、原発施設をどうやって完全に守るのですか? 仮に日中の全面戦争になったとします。中国も沿岸部を中心にいくつも原発があるので、互いにそれを避けながら爆撃をするなんてことがいつまでできるか…。「ええい、あれをやってしまえ」と現場の軍人が考え、一方がそれを爆撃すれば、他方もそれにお返しをするということで、数基の原発がそれでメルトダウンしてしまえば、一巻の終わりということになってしまうでしょう(原子炉そのものが破壊されなくても、外部の冷却のための装置が損傷を受ければ同じ結果になります。また原発が停止していても、無防備なプールに入れられた使用済み核燃料の問題があるので安全ではない)。それは核爆弾よりもある意味破壊的で、影響は長期にわたるのです。この戦争に勝者はいない。放射能は国境など気にしないから、他の国々も深刻なダメージを受けるのです。

 要するに、本土攻撃を受けるような事態になったら、わが国はそれでジ・エンドになる確率が高いということです。だから、「戦争になったら」という想定そのものがかなりノーテンキなものなので、「いや、だから脅しで抑止力を高めておくのだ」という議論は、今見たとおり、丸腰を貫くという方が逆によほど抑止効果も高いと考えられるのです(安倍がよけいな政治パフォーマンスを繰り返して中韓の反日感情を煽り、かえって対立と緊張を高めているというのは、この前書いたとおりなので、こういう手合いは昔はマッチポンプと呼ばれていたものです)。

 憲法9条を「改正」するというのはよろしい。しかし、その場合には、紛らわしさの余地がないように、元の趣旨を明確化する方向、つまり自民党のそれとは正反対の方向でやったらどうかと思うのです。そしたらほんとの“自主憲法”にもなる。どうしたところで危険は免れないのなら、道義的に誇れるようなものの方がいいでしょう。「軍事的な備え」を強調しさえすれば現実的だということには少しもならないので、僕はごっこ遊びが卒業できない安倍や石破ほどには「空想的」な人間ではないつもりなのです。

「力による抑止」理論がもはや有効でないのは、「裁きにかける!」だの「かかってこい!」だのと叫んで、カウボーイ気取りのブッシュが始めたあの「テロとの戦い」がどうなったかを見てもわかります。ビンラディンを殺害したと、オバマは自慢げに声明を出しましたが、テロ組織はそれで消滅するどころか、かえって強大化している。僕はアメリカ軍のアフガン攻撃の段階で、それは失敗し、逆効果になってしまうだろうと予言していました。「ならず者国家の独裁者フセイン」を退治すべく始めたあの無理無体なイラク戦争に関しても同様、「安全」になるどころか、結局手がつけられない混乱状態になり、罪もない多数の人々が巻き添えになって死ぬだけの結果になっているのです(わが国もアフガンやイラクに戦闘員を派遣していれば、自衛隊に戦死者が出ただけでなく、国内での「報復自爆テロの恐怖」にも悩まされる事態になっているでしょう。アメリカ並にやたらとセキュリティが厳格になって息苦しくなる)。

 今でも多くの軍事専門家は、慣れ親しんだ「力の均衡」理論を信奉していて、軍事バランスがどうのこうのというようなことばかり言っていますが、果たしてそれは正しいのでしょうか? 軍事膨張を続ける中国にしても、それが新たな侵略に出れば、それは多数の敵をつくり出して、世界から孤立し、テロにも悩まされるという羽目になって、自らの政権基盤を危うくするだけの結果になってしまうでしょう。人権意識に目覚め、条理に敏感になった今の世界では、昔ながらの「斬り取り御免」のやり方など通用するはずがないのです。加えて核兵器があり、原発がある今の世界では、第二次世界大戦までのような派手な空爆合戦は事実上不可能になってしまった。人類の絶滅を希望するのでなければ、大規模な全面戦争などはできないのです。巨大軍事力は宝の持ち腐れにならざるを得ない。

 かつてわが国は軍部の横暴に悩まされました。それは将校たちによる政府要人の暗殺なども含みます。国内では軍人によるテロや特高警察の恐怖、戦地では現場将官たちの勝手な暴走による戦火の拡大。政府はその中でなすすべもなく、主体性なく追認を繰り返して、まともな軍事戦略と呼べるようなものは何一つないまま、無益な大戦争へと引きずり込まれ、むざむざ多数の自国民を死地に追いやったのです。一般国民は「愛国心」の洗脳教育を受け、水も漏らさぬ情報統制の下、嘘八百の「大本営発表」を聞かされ続けた。

 それを美化して語る、ネトウヨレベルの歴史認識しかもたない安倍晋三のような男が総理大臣になって人気を博し、「戦後レジームからの脱却」なるものを説き、憲法改正を目論み、それはまだ無理そうだというので強引な憲法解釈をして、それを骨抜きにしようとしているのです。「わが国を取り囲む国際情勢」はたしかに変わった。しかしそれは安倍が言うような方向にではなく、別次元の「力による支配」は困難な性質のものへの変化なのです。旧態依然たる「力による抑止」理論が機能しなくなるそれは変化だと言ってよいでしょう。

 そういう中、日本国憲法の一見「非常識」な絶対平和主義は、大いに価値を高めているのではないかと思われるので、かんじんなときにかんじんなものを捨て去ろうとすることは、愚かにもほどがあるということになるのではないでしょうか。
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