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「皆様のNHK」は「安倍様のNHK」になった?

2014.01.30(16:06) 252

 NHKというところは「公共放送」だというので、国民から視聴料を強制徴収しています。払っていない人もたくさんいるようですが、僕のようにCMが嫌いな人間は、CMがないだけまだマシかな、ということで渋々支払っています。ところが、最近は自社番組の愚劣なCMがやたら多くて(番組の名を借りて見るに耐えないお手盛りのヨイショをやることもしばしば)苛々させられることが多く、その“恩恵”すら疑わしくなっているのですが、先頃はいかにもそこらにいそうな無教養なオヤジを新会長に選んで、就任記者会見で「不適切発言」を連発し、「何なんだ、この“戦前感覚”のおっさんは!」と心ある日本人を呆れさせました。

 この件に関しては、法政大教授・元テレビディレクターの水島宏明氏のこちらのコラムに批判が出ているので、それに譲るとして、今度は次のような記事が出ていました。「NHK『脱原発発言やめて』東洋大教授がラジオ降板」と題された中日新聞(1月30日 11時24分)の記事です。

【NHKラジオ第一放送で30日朝に放送する番組で、中北徹東洋大教授(62)が「経済学の視点からリスクをゼロにできるのは原発を止めること」などとコメントする予定だったことにNHK側が難色を示し、中北教授が出演を拒否したことが分かった。NHK側は中北教授に「東京都知事選の最中は、原発問題はやめてほしい」と求めたという。
 番組は平日午前5時から8時までの「ラジオあさいちばん」で、中北教授は「ビジネス展望」のコーナーでコメントする予定だった。
 中北教授の予定原稿はNHK側に29日午後に提出。原稿では「安全確保の対策や保険の費用など、原発再稼働コストの世界的上昇や損害が巨額になること、事前に積み上げるべき廃炉費用が、電力会社の貸借対照表に計上されていないこと」を指摘。「廃炉費用が将来の国民が負担する、見えない大きな費用になる可能性がある」として、「即時脱原発か穏やかに原発依存を減らしていくのか」との費用の選択になると総括している。
 中北教授によると、NHKの担当ディレクターは「絶対にやめてほしい」と言い、中北教授は「趣旨を変えることはできない」などと拒否したという。
 中北教授は外務省を経て研究者となり、第1次安倍政権で「アジア・ゲートウェイ戦略会議」の座長代理を務めた。NHKでは、2012年3月21日の「視点・論点」(総合テレビ)で「電力料金 引き上げの前に改革を」と論じたこともある。
 中北教授は「特定の立場に立っていない内容だ。NHKの対応が誠実でなく、問題意識が感じられない」として、約20年間出演してきた「ビジネス展望」をこの日から降板することを明らかにした。
 <NHK広報局の話> 中北さんに番組に出演していただけなかったのは事実です。詳細は番組制作の過程に関わることなのでお答えを控えます。】

 どうとでもつくのが理屈というものですが、いくら都知事選で「脱原発」が争点の一つになっていると言っても、これには無理がありすぎます。記事から判断するかぎり、それは都知事選とは無関係な「原発の経済性」に関する客観的な議論で、しかもあまり多くの人が聴かないラジオ番組でしょう? 信じられない対応です。

 これは、しかし、安倍政権のお得意の「おともだち人事」が早速功を奏したものだと言ってよいでしょう。NHKにもこういう小役人じみたヘタレだけでなく、気骨のあるジャーナリストはいるでしょうが、新会長が「政治との距離」について聞かれ、「『(政府と)相談しながら放送していく必要はないが、民主主義に対するわれわれのイメージで放送していけば、全く逆になることはない』との認識を示した」(毎日新聞)と言ったのを受けて、その「民主主義に対するわれわれのイメージ」とは籾井氏ご本人の勝手な「イメージ」でしかないのですが、早速それに擦り寄る姿勢を見せてトップへの恭順ぶりを示したのです。

 心理学ではこういうのを「過剰適応(適応過剰)」と言います。これは日本人に最も顕著な心理特性の一つで、必死に空気を読み、上の意向を推しはかり、しなくてもいいことまで率先してしてしまうのです。これは社畜特有の保身根性というよりもっと根深いもので、打算でそうしているというより、そうしないと罪悪感のようなものすら感じてしまうのです。そうしなければ「和」は保てず、それが保てないのは道徳的な罪悪に等しいと思ってしまうのです。

 冷静に考えれば、これは実に馬鹿げたことです。それで組織が自閉的な病的なものになり、その組織全体が反社会的なものになってしまうことも珍しくないのですが、彼らにはほんとの意味での「公」の観念はないのです。それは明確な「個」というものをもちえないからそうなってしまうのですが、かつて西洋史学者の阿部謹也氏が指摘していたように、日本人には「世間」はあっても「社会」の観念はない。それは頭の先だけのもので、そしてその「世間」とはしばしば自分が所属しているムラでしかないので、本当の「公共」の性質をもつものではないのです。子供から老人まで、日本人はそれぞれのムラに住んでいる。貧弱な個しかもてない日本人にはそれに対する強い恐怖心理が働くので、そのムラを超える視点はなかなかもてず、社会的な問題に関する議論であっても、それはそれぞれが自分の所属するムラの代弁をしているにすぎず、だから議論は実りあるものとならないのです。

 NHKのこの担当ディレクターの対応も、ムラの村長が代わって、安倍総理のおともだちになったからには(がさつな人間のようだからよけい睨まれたらコワい!)、忠勤に励んで、自民党に不利なことは何としても避けねばならないという心理が強力に作用したものでしょう。むろん、意識の上ではご本人は、「皆様のNHK」は「不偏不党」でなければならないから、「選挙に影響する恐れ」のあるものは排除しなければならないと思っているのです(その都知事選、殿こと細川氏は公式会見を再三延期したり、宇都宮候補との一本化もできなかったし、選挙演説も何か中途半端なようで、舛添氏圧勝が予測されているから、ラジオ番組で一度「脱原発の必要性」が語られたぐらいでは何の影響もなさそうに思えるのですが、にもかかわらずここまでするというのが過剰適応の過剰適応たるゆえんなのです。それとも選挙後、期間中の番組を細かくチェックされ、その「非協力」姿勢を咎められて降格されるのを恐れているのでしょうか?)。

 おそらく、今後NHKのニュース報道はこれまでにもまして“消毒の効いた”ものになるでしょう。安部晋三は過去にも自分の政治信条に反するというのでNHKの番組にクレームをつけたことがありましたが、今後はそういうことのないよう、新会長の「われわれのイメージで放送していけば、逆になることはない」というポリシーに忠実に、“危なげのない”番組づくりに精出し、政府ににらまれる恐れのある報道番組の類は極力減らして、娯楽路線を強化し、愚にもつかないそれらのCMを番組の間ごとに垂れ流して、「国家権力に優しい」北朝鮮か中国の国営放送のようなものになってゆくでしょう(“先進国”だから娯楽番組だけは多い?)。

 有無を言わさず視聴料を取られている国民こそ、いい面の皮です。昔、わが国が無謀な戦争に突っ込んでいったときも、マスコミは率先してそれを煽り立て、まともな異論・反論は表に出ないようにしてしまったのですが、似たようなことになる日もそう遠くないかもしれません。進歩しない国民、なんでしょうかね?
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祝子川通信 Hourigawa Tsushin


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