錦織圭もクルム伊達公子も三回戦で姿を消しました(泣く!)。
しかし、錦織の場合、チャレンジシステムがないコートだったので、彼に不利なミスジャッジがいくつもあり、あれがなければ流れは変わって、彼は勝っていたのではないかと思います。こういうのも、しかし、ランキングが世界ベストファイブに入るぐらいだと、チャレンジの可能なメインコートで試合が行われることが多くなるだろうから、その種の不運には泣かずにすむようになるわけです。頑張ってランキングを上げてもらうしかない(と、こういうふうに日本人が期待をかけすぎるのも、選手たちにはプレッシャーになって、それがああいう場面ではマイナスになるのではないかといつも思うのですが)。
クルム伊達は、三回戦の相手が世界№1のセリーナ・ウィリアムズだから勝てるわけはなかったのですが、さすが伊達公子だというプレーが随所にあって、観客の声援と拍手の多くは、どの国の人かは問わず、そうした素晴らしいプレイをする彼女に向けられていたようでした。何せ、黒豹とクロサイが合体したような(これは差別的な形容ではありません。どちらも僕の好きな動物です)体力・運動神経・技能完備の強力無比なチャンピオンに、もうすぐ43歳になる、一度は引退していた小柄な選手が戦いを挑んだのです。そうして、その高度な技術と反射神経は、チャンピオンをして何度も天を仰がせた。相手があと十歳若ければ結果はどうなったかわからないと、セリーナ自身も思ったのではないでしょうか。あの年であんな敏捷な動きができるのは、世界で伊達公子ただ一人です。
というわけで、敗れはしたが、日本人選手たちのプレイには十分楽しませてもらいました。僕はこういう場合、感情移入がことに強いたちの人間なので、ハラハラドキドキで正直かなり疲れましたが、何時間も見ていて、少しも飽きることがありませんでした。
あとは外国人選手でひいきの選手の試合だけ見ることになりますが、日本人選手のときより気分的に楽に見られるので、その意味では安心(?)です。
ともあれ、日本人選手たちの健闘をたたえたいと思います。僕ら中年オヤジも、クルム伊達公子を見習って少しはしゃきっとしないとな、と思わされました。こういうところで評論家ぶってあれこれ能書き垂れるのではなく、事の大小、人が見ているかどうかは問わず、自分がやっておくべき仕事を納得の行くようにやっておくことが大事なので、それを忘れないようにしないといけないな、とあらためて思った次第です。人には誰でも、自分だけのウィンブルドンがあるのかも知れません。
しかし、錦織の場合、チャレンジシステムがないコートだったので、彼に不利なミスジャッジがいくつもあり、あれがなければ流れは変わって、彼は勝っていたのではないかと思います。こういうのも、しかし、ランキングが世界ベストファイブに入るぐらいだと、チャレンジの可能なメインコートで試合が行われることが多くなるだろうから、その種の不運には泣かずにすむようになるわけです。頑張ってランキングを上げてもらうしかない(と、こういうふうに日本人が期待をかけすぎるのも、選手たちにはプレッシャーになって、それがああいう場面ではマイナスになるのではないかといつも思うのですが)。
クルム伊達は、三回戦の相手が世界№1のセリーナ・ウィリアムズだから勝てるわけはなかったのですが、さすが伊達公子だというプレーが随所にあって、観客の声援と拍手の多くは、どの国の人かは問わず、そうした素晴らしいプレイをする彼女に向けられていたようでした。何せ、黒豹とクロサイが合体したような(これは差別的な形容ではありません。どちらも僕の好きな動物です)体力・運動神経・技能完備の強力無比なチャンピオンに、もうすぐ43歳になる、一度は引退していた小柄な選手が戦いを挑んだのです。そうして、その高度な技術と反射神経は、チャンピオンをして何度も天を仰がせた。相手があと十歳若ければ結果はどうなったかわからないと、セリーナ自身も思ったのではないでしょうか。あの年であんな敏捷な動きができるのは、世界で伊達公子ただ一人です。
というわけで、敗れはしたが、日本人選手たちのプレイには十分楽しませてもらいました。僕はこういう場合、感情移入がことに強いたちの人間なので、ハラハラドキドキで正直かなり疲れましたが、何時間も見ていて、少しも飽きることがありませんでした。
あとは外国人選手でひいきの選手の試合だけ見ることになりますが、日本人選手のときより気分的に楽に見られるので、その意味では安心(?)です。
ともあれ、日本人選手たちの健闘をたたえたいと思います。僕ら中年オヤジも、クルム伊達公子を見習って少しはしゃきっとしないとな、と思わされました。こういうところで評論家ぶってあれこれ能書き垂れるのではなく、事の大小、人が見ているかどうかは問わず、自分がやっておくべき仕事を納得の行くようにやっておくことが大事なので、それを忘れないようにしないといけないな、とあらためて思った次第です。人には誰でも、自分だけのウィンブルドンがあるのかも知れません。
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