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車椅子の乗客~乙武騒動で思い出したこと

2013.05.28(02:11) 217

 乙武洋匡さんが銀座のイタリアンレストランで入店を拒否されるという事件があったそうで、乙武さんが店名を挙げてツイッターでそれについて書いたことから、かなりの大騒ぎに発展したという話です。それには「その店はけしからん」という通常の反応から、「弱者を気取った有名人による弱者いじめだ」といううがったものまで、色々あったようですが、その顛末については両者のブログに説明されています。

(乙武氏のブログ)
(店のブログ)

 乙武さんは一時の激情にかられて冷静さを失ったことを反省、謝罪しておられますが、それは無理もないと思えるもので、こういう傲慢とも冷然とも見える態度にぶつかれば、誰だって腹を立ててしまうでしょう。乙武さんにはからだのハンデからそれはできないわけですが、「これがうちのスタイルなんで」などと言われると、一発相手にパンチをぶち込んで、「これが僕のスタイルなんで」と倒れた相手を見下ろしながら言い返してやりたくなるでしょう。

 一方、店主の側の文章を見ると、「そんな失礼な言い方はしていない」というのは、たぶん嘘だろうと僕は思いますが(人間は自分に不都合なことはよほど正直な人でないかぎり忘れたがるもので、じっさい忘れるもののようです)、小さな店で、シェフの自分ともう一人の店員だけでやっていて、余力が全くないのに、立て込んでいるときにいきなりそういう客に来られると困るというのはよくわかります。それで苛立った。また、相手が有名人だとわかって、有名人だから上まで運ぶのは当然だ、みたいなつもりが相手にあるのではないかという先入見を店主がもってしまって、それでよけいにそういうつっけんどんな態度になってしまった可能性もあります。元から傲岸不遜で度々そういうトラブルをひき起こしている人物では、この人はなさそうに思えるからです(もしもそうなら、一度思い切り痛い目に遭わせてやった方が、その後いくらかは自制するようになるだろうから、周りのためだけでなく本人のためにもなりそうに思いますが)。

 要するに、この場合は人格がどうのと言うより、どちらにも困った事情があった。その上での不幸な衝突だったのではないかという印象を僕は受けたのですが、こういうのは第三者だから言えることで、その場の当事者にはなかなかうまく対処するのは難しいでしょう。

 僕は乙武さんの本は読んだことがないし、人物もよく知りませんが、『五体不満足』という本がベストセラーになったとき、その写真を見て驚きました。車椅子の上にちょこんと乗っていて、腕も少ししかない…。しかしその表情は明るく耀いているのです。一体ご両親はどんな育て方をしたのだろうと、まずそれに感心しました。当時彼はまだ大学生でしたが、在学中にテレビの報道番組にサブキャスターとして出演したり、卒業後はスポーツライターになった後、小学校の教員免許を通信教育で取得して、実際に東京杉並区の公立小学校教諭を三年間勤めるなど、実に多くの仕事をこなしてきたとのこと。行動力も抜群なわけです(ロックバンドのボーカルまでやっているとか)。震災後は被災地にも足を運び(ボクには足はありませんよ、とブラックユーモアの持主でもあるらしいご本人には返されるかもしれませんが)、本を書いています。

 僕は単純に、こういう人には脱帽します。ウィキペディアには「障害は不便ではあるが、不幸ではない」という彼の言葉が紹介されていますが、ふつうはなかなかそうは言い切れないものなので、こういう人は一種の天才だなと思います。

 しかし、こういう乙武さんにはファンも多いが、アンチもまた少なくないようです。アマゾンの『五体不満足』に関するレビューを見ると、「ただの甘えん坊だとしか思えない」とか、「乙武氏が不満足なのは五体ではなく社会で生きる人間としての最低限もっているべき真っ当な心根だ」というような否定的なレビューが一番上に来ていて、驚かされるのです。今回の騒動をめぐるツイートには、「このカス達磨はこんな歩く地雷みたいな性格してるから手足召し上げられたんだろうなwwwwwwwwいつまでも乙ちゃんルールで生きていけると思うなゴミが」なんて、一体どんな性格してるんだと呆れるようなものまであって、それに対して乙武さんは「そっか、ゴミか…」と軽く返していますが、こういうのはよく使われる言い回しを使えば、「同じ日本人として恥ずかしい」ものです。

 しかし、仮に彼がふつうの人よりいくらか図々しかったとしても、むしろその方が周りにはやりやすいかも知れないのです。ヘンな気をつかわなくてすむからです。冒頭の彼のブログを読むかぎり、彼は心のレベルでは申し分なく「五体満足」だと僕には思われるのですが、身障者が周りにかなりの程度の負担をかけてしまうのはあたりまえで、むしろあんまり遠慮してくれない方が周りも気楽に付き合えると言えるのではありませんか。

 古い話で恐縮ですが、また、こういう話を書くと性格的にいじけた人の中には「自慢話」みたいに受け取る人もいるでしょうが、僕は学生時代、こういう経験をしたことがあります。むろん、潤色なしの実話です。

 平日午後の3時台だったかと思うのですが、僕は高田馬場から山手線に乗りました。大学の授業の方は例によってサボって、生協の書籍部に注文していた本を取りに行った帰りだったように思うのですが、その時間帯だったので、電車は比較的空いていました。ふと見ると、ドアの近くに車椅子に乗った中年男性(今の僕ぐらい?)がいる。しかし、周りの人たちは皆他人然としていて、その人の連れらしき人は見当たりませんでした。僕にはそれが不思議に思われました。どうやって電車に乗ったのだろう? 駅のホームには階段があって、電車に乗るのだってかなりの段差があるので、自力で乗れるわけはないからです。僕にはそれが気になりましたが、まさか聞くわけにもいかないので、黙っていました。その人も、ゲンコツを固めたような無愛想な顔つきで、ちょっとその表情は自分の父親に似てるかな、という感じでした。

 謎は電車が新宿駅に着いたとき解けました。乗客がドッと降りかけたとき、その背後からその人が何か早口の大声で言ったのです。僕は当時新宿に住んでいたので降りる客の中に含まれていましたが、もともと気になっていたのであわてて戻って、「おじさん、何?」とたずねました。ものすごい早口なので聞き取りにくいが、「ここで降りるから誰か手伝ってくれ」ということだったのです。

 僕は車椅子の後ろに回って押して電車から出ようとしましたが、「前輪を少し持ち上げて、そっと下ろせ」といきなりの注文です。こちらは早く降りないとドアが閉まってしまうかもしれないと焦っているのに、そんなことはおかまいなしです。それから、無事ホームに出て、自分が降りる西口の方に無意識に行きかけると、また早口で「そっちじゃない!」と言う。中央口に行け、ということで方向転換したのですが、今度は「あと二人必要だ」と言う。つまり、階段をおりるときに、車椅子の両側をもつ人間が必要だということなので、おじさんはまた「誰か手伝ってくれ!」と呼ばわり始めました。無遠慮な大声なので、何となくこちらが恥ずかしい。すると、恋人同士らしいアベックの二人がまず来てくれました。ところがおじさんは、「女はダメだ!」とニベもない。もう一人男性が必要だというわけです。階段の近くまで来たとき、体育会系らしい屈強な若者が一人、応じてくれました。その体格を見て、「おお!」とおじさんは満足そうでした。

 それで、うしろは僕がそのまま持ち、アベックの片割れ氏と体育会が車椅子の両側をもって階段を下りることになったのですが、「前に傾けすぎるな」とか「左右のバランスをうまくとれ」とか、いちいち指図が飛ぶ。笑って、「大丈夫ですよ」と言うと、おじさんは「そうか、そうか」と上機嫌でした。

 それで次は改札へと思ったら、そうは問屋が卸さない。実は乗換えだったのです!「今度はあそこだ」と長い階段を指さす。それで三人の若者と、それに付き添ったアベックの一人の女性(皆のバック類を持ってくれた)は、おじさんをえっちらえっちら別のホームまで運び上げました。その際も、「今度は登りだから、うしろにひっくり返らないよう気をつけろ」とか、指示を怠らない。わかってますって、そんなことは。

 それで、僕ら男3人女性1人の若者は、そのままそのホームに立っていました。無言の了解で、誰もが電車が来たらそのおじさんを乗せなければならない、と思っていたからです。少しして、おじさんははっと気づいたように、「あ、もういいよ。また誰かに手伝ってもらうから大丈夫。ありがとう、ありがとう!」と例の大声で言いました。

 それでチームは互いに会釈してその場で解散したのですが、「いいようにこき使われてしまったな」という感じで、気分はさわやかでした。そのおじさんに妙に気をつかわれたら、逆に何か意図した善行みたいな重苦しい感じが伴わざるを得なかったでしょう。それがその人の無遠慮ともいえる態度のおかげで救われた気がしたのです。

 同時に、当初の謎が解けた。そのおじさんは一人でも、そうやってその場にいる人たちに手伝わせるから、自由に電車の旅ができるのです。

 そのとき僕は考えました。あのおじさんも初めからああは行かなかっただろうなと。最初は心の葛藤があったはずです。しかしある段階で、遠慮せずそこにいる人たちに手伝ってもらうことにしたのです。未知の人たちの善意に信頼して。それは非常識なのではなくて、勇気のいることだと思います。彼は別に「手伝うのが当然だ」という押し付けがましい傲慢さからそうしていたのではない。「手伝える人がいたら手伝ってくれ」ということで、げんにそれに応じてくれる人はつねにいたのです。あの細かい指示にしても、どうせ手伝ってもらうなら、危険のないよう指示を出すのは当然の務めだという感じで、そこに不快なものは何も感じられませんでした。僕は昔から横柄傲慢な人間が我慢ならないタチで、若い頃はそういう手合いに出くわすと「喧嘩売ってるのか?」ぐらいは言わずにいられなかったのですが、そのおじさんには、その命令口調にもかかわらず、その種のものを何も感じなかったのです。何か独特の分け隔てのなさのようなものがあって、自然にこちらが「こき使われる」展開になったのです。少し大げさな言い方をさせてもらうなら、そのおじさんは「無私の境地」に達していたのです。妙な自意識というものがない。そうなのだろうと、僕は思いました。

 人の世の中は基本的に助け合いです。困っている人がいれば、その場その場で応分の手助けをすればいい。忙しすぎたり、その負担が大きすぎたりすれば、それは難しいでしょうが、通常はそんなに大変なことではないのです。そして誰しも自分がささやかでも人の役に立てたことは嬉しいことでしょう。手伝ってもらう側も、過度に気を遣わなくていいのです。その方が気楽に手伝える。

 乙武さんも、二人で店を切り盛りしている忙しい店の人ではなく、通りがかりの人に頼めばよかったのかも知れません。快く「いいですよ」と応じてくれる人は今の都会にもいるのではありませんか。力のありそうな体育会系の気のよさそうな青年なんか、見当たりませんでしたか?

 しかし、今の日本の都会ではそのあたり難しくなっているのもたしかでしょう。僕は十四、五年前、息子が幼い頃、前に彼をだっこして、後ろに大きなリュックを背負って京浜急行に乗っていたことがあります。動物園か何かの帰りで、帰宅時間と重なって結構混み出していたので、こういうかさぱった状態では他の乗客に迷惑だろうなと恐縮気味でしたが、どこからか声が聞え、それが自分に向かって発せられているのを知ったのは、その人が僕のそばまでわざわざ来て肩を叩いてくれたときでした。驚いたことに、それは黒人女性でした。こちらに来て、自分の席に座れと言ってくれていたのです。かなり離れているのに、その人は目ざとく前後にかさばった僕の姿を見つけて、同情してくれたのです。たぶん横須賀の米軍基地に駐留している米国人兵士の奥さんか何かだったのでしょう。僕はお礼を言ってその席に座らせてもらいましたが、日本にいて、そういうことをしてくれたのが外国人だったということに、少し考えさせられました。そして僕はといえば、自分が他の乗客に迷惑になっていると、そういう意識の働き方しかしていなかったので、これもおかしな具合に今の日本社会に適応させられた結果なのかもしれないと思いました。それを他者にもそのまま適用すると、やれベビーカーが邪魔だ、こんな時間に車椅子で電車に乗るのは非常識だ、ということにもなりかねない。そういうのは「常識」なのか、はたまたただ意地が悪いだけなのか、わからないではありませんか。

 乙武事件では、ついでにそういうことも考えさせられました。この前僕は「女性の扱いは文明を測るよき尺度だ」というガーダムの言葉を引用しましたが、「親切心は文化のレベルを測るよき尺度だ」とも言えるのではないでしょうか。僕は無愛想でわが子は平気で叩くが、老人やからだの弱い人には恐ろしく親切な父親に育てられました。バスでは必ず席を譲っていたし、自分で車を運転するようになってからは、てくてく歩いている人を見かけると必ず車を止めてその人を乗せ、遠回りになっても家まで送り届け、重そうな荷物があると自分で担いで家まで行ったのです。きれい好きなのに、雨の日で車の中が泥足で汚れる(当時、町道は舗装されていなかった)など、そんなことには一切頓着しなかった。そういう大人は例外的な存在ではなかったので、昔の日本社会はその意味でもっと文化レベルは高かったのではありませんか。田舎と都会の違いはあるとしても、です。
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