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安全と安心~国の南海トラフ大地震被害予測に思う

2013.03.19(16:30) 207

 昔は、「地震かみなり火事親父」と言いました。こわいものを並べるとそうなると言うので、僕が子供の頃はまだ「なるほど」と思えるものでしたが、このうち最後の「親父」はもはやちっともこわいものではなくなりました。それは子供たちに聞けばわかることで、「ウザい」存在ではあっても、恐れの対象ではなくなったのです。「家庭の粗大ゴミ」と呼ばれて久しく、CMでイヌにされても怒らない親父。それどころか妻と娘に、「あんたにもあの秋田犬ぐらいの清潔感と稼ぎがあったらねえ」と言われて、でへへと力なく笑っていたりする有様です。「憐れむべきもの」を四つ並べたことわざができたとすれば、「親父」はその中に必ずや含められるものとなるでしょう(それでも妻子に暴力を振るうアホなDV親父よりは百はマシでしょうが)。

 今はこの言葉はだから、「地震かみなり火事原発」とでも言い替えるべきでしょう。福島原発事故から丸二年たちましたが、「全く、どうしてあんな恐ろしいものを…」と、そのようなものをこの地震の巣みたいな列島に50基も建ててしまったノーテンキさに、あらためて震撼せざるを得ないのです。あれだけの惨禍を惹き起して、しかも廃炉まであとたっぷり40年はかかるという。それにかかる費用だけでも途方もない額になるはずで、原発は「経済面」から見ても救いようのない技術です。いずれ全部廃炉にするしかないだろうと思いますが、全体でその費用はどれぐらいかかるか、また、十万年安全に保管しなければならないという溜まりたまった高レベル放射性廃棄物はどこにもって行くのか、「行きはよいよい帰りはこわい」とはまさにこのことです。

 さて、ことわざの最初に来る「地震」ですが、南海トラフ大地震の「最悪被害予測」というのが政府から発表されました。すさまじい数値が並んでいる。それで「防災対策をしっかりやれ」ということのようですが、そんな途方もない巨大地震がこの二、三十年内に起きたら、わが国は一巻の終わりでしょう。「首都圏直下型地震」というのも遠くない将来必ず起きると言うし、そういうのが十年、二十年の間隔で小出しに来られたら、たまったものではありません。

 昔、「ヴァージニアビーチの眠れる予言者」と呼ばれたエドガー・ケイシーという霊能者がアメリカにいました。彼は「日本沈没」(経済的・文化的な「沈没」を言ったものではなく、日本列島そのものが大部分、地震で海中に沈すると言った)の予言をして、小松左京のベストセラー小説『日本沈没』はそれに想を得て書かれたものだと言われています。

 今にいたるもそれは実現していないわけですが、いくつかに分けて大地震が来るよりも、固めて来てくれた方が、ジタバタしなくてすむので、その方が親切です。彼は高度な文明を誇ったアトランティスも、その強力なエネルギーシステムの誤用によって滅び、海中深く沈んでしまったと言うのですが、日本も、「日出ずる国、忽然として海に消ゆ」ということで、なかば伝説と化し、いくらかは美化されて、後世の世界に語り伝えられるかも知れません。「大昔は海のあのあたりに美男美女の住む、優雅な伝説の黄金国ジパングはあったのだ!」というふうに。
 滅びてそう呼ばれるのも、まんざら悪くはないでしょう。「ほんとはかなり馬鹿な人間たちがセコい内輪もめを繰り返しながら、暮らしていた」という“真実”を暴く歴史家が出てこないことを祈ります。

 しかし、地震がいつ、どこに起きるかはほんとにわからない。今からちょうど四十年前の今頃(高校の卒業式の翌日、東京行きの夜行列車に乗ったので、厳密にはもう少し早かったわけですが)、僕は浪人として上京して、新聞販売店の住み込みアルバイトを始めました。右も左もわからない田舎者がいきなり巨大ビルの林立する大都会に出たものだから、配達区域の順路を憶えるのも一苦労で、何せ、途中で道がわからなくなると、店に戻ること自体が困難になってしまうのです。仕事で迷子になったのでは洒落にもならない。しかし、必死に頑張ったので、仕事の覚えが早いとほめられ、三ヶ月の試用期間を一ヶ月に短縮されるほどでした。
 思えば、あの頃は若く、心がけも殊勝だったので、朝夕の新聞配達をしながら自活して、それで目指す大学に入ろうと、いわば「青雲の志」なるものを抱いて、人生に果敢なチャレンジを試みたのです。
 その当時も、しかし、「首都直下型地震」の近接は語られていた。都会暮らしにもようやく慣れた冬場のある日、確信に満ちたある自称霊能者が、何月何日何時何分に東京を直下型大地震が襲うと予言した。彼はもし外れたら腹を切るとまで言っているというので、そこまで言うのならホントかも知れないと、その「予告」時刻は深夜でしたが、僕はその晩は徹夜することにして、オールナイト営業の喫茶店で本を読みながら待機していました。むろん、微震すら起きなかったので、その霊能者氏は切腹しなければならない羽目に陥ったのですが、夜逃げして、行方をくらましたのです。僕の方は徹夜したまま、朝刊の配達に出かけねばなりませんでした。

 そんなふうに「来る来る」と言われながら、もう四十年です。その間、どれほど多くのオオカミ少年(多くはオジサンオバサンでしたが)が出現したことか。しかし、どれが最後のオオカミ少年になるのか、誰にもわからないのです。それに、地震というやつは、大方の専門家も予想しなかったところで、しばしば起こる。後になってから、「ここには地震が起きるだけの必然性があったのだ」と説明されるだけです。今さらそんなこと解説されても困るが、いつもそうなのです。

 南海トラフ巨大地震もその類かも知れず、それはやっぱり、四十年、五十年たっても起きず、代わりにどこか内陸部に強烈な直下地震が起きるかも知れない。で、「そうだ、そうに違いない」と安心していたら、裏をかいてそのままの連動型巨大トラフ地震が起こったりして、というのが自然現象です。別に自然が意地悪をしているのではない。人間が勝手に予測して、勝手に外れているだけなのです。

 僕はむろん、防災対策や防災訓練には反対しません。しないよりはしていた方がいいでしょう。しかし、地震はいつどこで、どんなふうにして起こるのかはわからない。最後は運で、運は天に任せる他はない、というのが僕の考えです。

 僕は子供の頃、自分の母親が道から転落するのを二度、目の前で見たことがあります。どちらも、十数メートル下まで落ちた。一度は小3くらいの頃の話で、下の弟が母のおなかにいて、もうかなり大きくなっていました。それでも平気で動き回っていたので、二人で山に薪を取りに行き、それを背負って帰っている途中のことでした。僕はすぐ後ろを歩いていましたが、彼女は何かの拍子にバランスを崩して、「あっ」という短い叫びを発すると、草叢に倒れ、そのままマリのように回転しながら柿の木の間の急斜面を猛烈な勢いで下に落ちていったのです。大変なことになった! 僕は荷を背負ったまま、あわてて道を駆けおり、その斜面を横切る小道に飛び移りましたが、そこを走っていくと、その細い道に、母が薪を背負ったまま、ちょこんと正座しているのが見えました。驚いて、何をしているのだと聞くと、転がり落ちて自然にこの体勢になったというので、何と運よくそこにポンと落ちて止まったのです。流産もしませんでした(弟の色が黒いのは、あのときのことが原因で、あちこちぶつけてしまったからそれでこんなに真っ黒になってしまったのではないかと、彼女は冗談を言いました)。

 もう一度は、一輪車に養鶏用の飼料を積んで運んでいるときで、そのときもバランスを崩して、一輪車ごと下に落ちたが、今度は落ちた場所が悪かった。あちこちにとがった岩が突き出た草も何もない垂直に近い崖で、そのとき僕は中学生でしたが、上から見下ろして母は死んだな、と凍りつきました。下におりていくのが恐ろしい。少なくともふつうの怪我ではすんでいないだろうと思ったからです。そのときも、彼女は奇跡的に擦り傷だけですみました。さかさまに落ちて行きながら、スローモーション映像のように下が見え、「今度あの岩にぶつかったら死ぬな」と自分でも何度か思ったそうですが、うまい具合にそれはその都度頭と肩をかすめて、下まで無傷で落ち切ったのです。どちらの場合も、運がよかったとしか言いようがない。人は助かるときには助かり、死ぬときは死ぬのです(今もまだ元気で百姓をしていますが)。

 「備えあれば憂いなし」と言っても、人は地震に対してそこまでの「備え」はできない。だから運次第というところは出てくるので、その運は人間にはコントロールできません。だからそこは天に任せる他ないので、僕は前方不注意の車(免許証を取り上げろ!)にはねられて死ぬなんてのは真っ平なので、その種のことにはそれなりに注意していますが、そういう対応ができないことに対しては、運を天に任せるのみです。

 でないと、この世界には安心などと呼べるようなものはない。僕ぐらいの年齢になると、もう十分生きさせてもらったという感じがあるので、別にいつ死んでもいいという気になりますが、願わくば子供や若者には人生を堪能するだけの時間を与え給え、といったところです。

 ともあれ、そういう考え方でいれば、安全はなくても安心はあるでしょう。

 政府までオオカミ少年の一人になって、「起こりうる巨大地震の最悪被害想定」を出すのは勝手ですが、大方の人はそれで防災意識が高まるというより、「そんなデカいのが来たらもうこの国も完全に終わりだな」と思うだけなので、意図が奈辺にあるのか、はかりかねるのです。

 大体、それは今回の東北大震災でもはっきりしましたが、一番深刻なのはそこに原発事故が重なった場合です。周辺は復旧自体が不可能になってしまう(人が住めない土地になってしまうのだから)。浜岡原発なんか、それでなくても危ないと言われているのに、そんな大地震が来たらイチコロでしょう。ところが「予測が困難」という理由で、それは加味されていない。できるだけ早く原発を再稼働させたい安倍政権としては、「寝た子を起こした」くなかったのでしょうが、一番かんじんなところは外して「こんなに危ない」と言うのは、ご都合主義もいいところで、その「予測」作成に参加した学者先生たちの良心も疑われます。

 結局のところ、「防災補強対策」でカネを使わせて景気を押し上げ、一方、臭いものにはフタをしておきたいというのがホンネなのでしょう。実際に起きてみたら、地震の規模はマグニチュード7.0(想定は9.0)程度のもので、被害も言われているようなものではなくてすんだが、原発がやられてしまって、トータルでは被害想定をはるかに超えるものになってしまった、なんてことにもなりかねないのです。

 そっちの方が僕にはずっと現実味のある「予測」に思えるのですが、「想定が困難」という理由付けで“現実的な”想定をしない政府発表なんて、何の役に立つんですかね? 原発事故はなかば以上「人災」なので、「正しく恐れ」てきちんと手を打っておかなければならないのは、むしろそちらの方でしょう。

 国民を「最悪想定」で脅すより、そっちの方の手立てをちゃんとやっといてくれと言いたくなります。「死ぬときは死ぬ」と思っている僕は、天変地異の類で自分が死ぬのはやむを得ないと思っていますが、生きてまた、原発周辺の人々が苦しむのを見、電力会社と政府が「想定外」の言い訳を重ねるのは聞くのは、勘弁してもらいたいと思うのです。
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祝子川通信 Hourigawa Tsushin


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