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巣立ちの春

2013.03.16.17:14

 このブログ、しばらくご無沙汰してしまいましたが、再開します。

 「あいつの塾の生徒たちは結局どうなったのだ?」と、野次馬根性…ではなかった、心配して下さっている読者もおられるでしょう。新しい記事が出ないのは、結果が悲惨で、僕が落ち込んでいるからではないかと。

 別にそういうわけではなかったのですが、国立前期までの結果が全部判明し、生徒たちに次々会っていたら、今年の3月は気温の上下が激しいせいか、一段落ついてほっとしたせいか、ゴホゴホ目の前でいってる生徒に移されたのか、風邪を引いて熱を出してしまいました。僕は38度台までの熱は平気な人間なので、寝込むほどのことはなくそのまま過ごしましたが、さすがに疲れて、今は熱はとれたものの、口の周りがヘルペスだらけになってしまいました。発熱よりも、こちらの方が僕には不快です。
 しかし、まあ、これでしばらくゆっくりできるので、ご報告がてら、これを書いておくことにしました。

  毎度のことですが、入試は「思い通り(そのまま第一志望で受験して合格)」と、「まあまあ満足すべき結果(センターが思わしくなくて受験大学のランクを少し下げたとか、国立はダメだったが第二志望の私立には合格したとか)」と、「残念!」組に分かれます。
 今年は受験生の人数が零細塾にしては多かったので、一時は「どうなることやら…」と案じられましたが、「思い通り」と「まあまあ」組がほとんどになったので、全体としては「成功」の部類に入るだろうと思います。

 今年は受験生が22人いました。前期終了段階で、18人の進学先が確定し、後期受験者は3人、全員合格するだろうと思いますが、2人は受かっても浪人するので、もう一人早々と浪人が決まった生徒一人を入れて浪人は3人、もう一人は後期で受かった大学に進学するだろうと思うので、大学入学19人、浪人3人になる予定です。

 大学入試は高校入試とは違うので、これならそう悪くはない結果と言えるかと思います。それでも、一人、「これは痛かったな…」と思う子がいて、倍率の高い国立医学部なので仕方がないと言えばそれまでですが、それが今回一番僕には応えました(他の学部なら、旧帝大レベルに合格できていたでしょう)。残りの浪人2人に関しては、どちらも勉強の絶対量が足りていないので、本人も納得だろうから、とくに残念というほどではない。いずれも一年浪人してしっかり勉強してくれれば、ちゃんと結果が出るだろうと思います(去年浪人した子が一人いたのですが、律儀に合格の報告に来てくれました)。

 それで、次に生徒たちの進学先(複数受験があるので、合格大学ならもっと賑やかになる)を並べてみます。大学名だけなら生徒たちのプライバシーの侵害にはならないだろうし、学校に「何? あろうことか、あの優等生のよい子まで、学校の悪口ばかり書いているけしからん塾に行っていたのか!」とバレても(何人かはこれでバレてしまうと思いますが)、卒業した今は後の祭りで、彼らに累は及ばないだろうと思いますので(後ろに何も付いていないのは一般入試の合格者、一般推薦は(推)、センター利用推薦は(セ推)、指定校推薦の生徒には(指推)の表示が付いています)。

〔国公立〕
 九州大、大分大=各2名、京大、筑波大、千葉大(推)、鹿児島大、佐賀大(医・セ推)、宮崎大、北九州市立大(推)=各1名
〔私立〕
 福岡大2名、西南学院(指推)、早稲田(指推)、同志社、日大、専修大(推)=各1名

 これが現段階での18人の進学先です(生徒の所属先は、延岡高校15人、尚学館2人、延岡星雲高校1人)。宮崎大は後期であと一人増える予定です。
 このうち北九州市立大の推薦入学の生徒は、直前駆け込み組で、入塾三ヶ月目ぐらいで合格してしまったのですが、他は半年以上在籍した生徒で、季節講習(そんなものはやっていない)や、途中でやめた生徒などはカウントされていません。

 けっこういいでしょう? 受験は何より生徒本人の能力と努力(それに運も)次第で、塾の手柄ではなく、「この子の場合には塾はほとんど関係ないな」と思われるものもあるのですが、塾教師として喜ばしいのは、一般入試組だけでも京大、九大、筑波、同志社といった難関に計5人も一度に通ったということもさることながら、私立も進学先は全部名の知られた中堅以上の大学になったことです(福岡大と西南学院は九州地区の私立二大ブランド)。だから、イヤイヤ入学するという生徒がほとんどいない。それが僕にとっては何より嬉しいのです。なかには連絡が来ないので、前期の合格発表から数日たって電話をしたら、果たして落ちていて、後期の小論文の対策が必要になったので、「心得を教えるから、塾に来るよう言って下さい」という話をお母さんとしていたら、その電話当日に、落ちていたはずの私立から、追加合格の書類が届いた、なんてラッキーなケースもありました。後期の大学よりそちらの方が本人にとってもよかったので、めでたく問題は解決してしまったのです。そんなヘンな話があるのか、と僕は驚きましたが、その手の“怪奇現象”なら、いくら起きてくれてもいい。 

 看板も広告も出さず、電話帳にすら載っていない(だから塾の名前もついていない)口コミだけで営業してきた謎の零細英語塾としては、たぶんこれは望みうる最大の“戦績”でしょう。僕は去年冗談半分、「来春はメンバーが揃っているから、延岡最強の塾であることが証明されるよ」と言っていたのですが、僕の塾は最近増えている自習塾の類ではなく、授業オンリーの塾なので、質から言えば、それは満更誇張ではなかったと言えるでしょう(名大、阪大の合格者は過去に出ているので、これで関東以西の旧帝大で合格者をまだ出していないのは東大だけになりました。受かりそうな子はいたが、医学部志望だったりして、要はまだ受験者がいないのです。九大に複数の合格者を出したのは今回が初)。

 ということで、ご報告がてら自慢させてもらいましたが、僕個人としては一つ困ったことがあって、それは他でもない、今年は受験生が多すぎたことです。塾のコマが受験生だけで埋まってしまって、「在庫一掃セール」みたいになってしまい、残っている生徒が僅か5人になってしまったのです(しかもうち1人は自分の息子なのだから、商売にはならない)。

 僕の塾は一クラス上限5名の少人数指導です。平均で3~4人。だものだから、これだけ人数がいると、三年生だけでコマが埋まってしまい、下の学年を入れることが困難になってしまう。今年の受験生の半分は、すでに二年のときからいたので、去年はダメージが少なかったが、三年が消えて出来た穴が一・二年ではなく新三年で埋まってしまったから、こうなったのです。

 だから、喜んでばかりもいられないので、先週残った二年生たちに、「そういうわけで、うちの塾は潰れるかも知れないよ」と言ったら、「えーっ! そんなのダメですよ。ちゃんと他の塾みたいに宣伝して、生徒を集めてください!」と言われてしまいました。たしかに、広告ゼロで、十年も存在し続けてきたこと自体が不思議です(「食えればいい」という主義で、稼ぎが少ないからこその話なのですが)。

 ただ、前にも一度似たようなことがあって、夏前には「神の見えざる手」(じっさいは卒業生や、その親御さんたちが宣伝してくれたおかげ)によって大方コマが埋まっていたので、今度もしばらく大赤字にはなるとして、ほっといても大丈夫かな、という気はするのですが、今度は一度、延岡のローカル紙『夕刊デイリー』に広告を出してみるかも知れません。「広告しないものは存在しない」時代なので、そういうことも必要かもしれません。

 だから、3月下旬か4月中にでも、一度出してみることになるでしょう。また3年ばかりになると困るので、1・2年を中心に集めたいのですが、このブログの読者で延岡在住の生徒や親御さんたちは、そちらをごらんください。その際は、ここで事前に広告記事の予告をするつもりです。

 ついでだから、僕の塾はどういうことをしているかをちょっと紹介させてもらうと、授業は長文読解が中心です。教材には最新の入試問題(有力国立大学の二次と私立有名大の問題)を多く用いますが、トピックスが多方面にわたって、かつ内容的にも面白いものになるよう、選定しています。面白い、読んでタメになる英文なら読解のし甲斐があるし、時事・社会問題に関する知識や一般教養も自然に身につくでしょう(授業では、口頭でですが、全訳し、構文やイディオム等の説明の他に、必要に応じて背景についての“漫談つき解説”も加わります)。文法をやる場合には、テキスト(同じものを使うとやってる方も飽きるのでよく変えます)を使い、後で何回かに分けた小テストを作って、それをやってもらうことが多い。僕が作る文法プリントは“邪悪すぎる”というので、生徒たちには不評です。引っかけの選択肢を複数用意して、彼らを罠に陥れるというのが僕の趣味だからで、よくできる生徒でも5割取れないことが少なくない。狙いは、どんな意地の悪い入試問題でも一定以上の点数は取れるようにすることで、そのへんはヒネていても、リサーチはちゃんとやっているので、今の入試に出ないようなものは省かれています。それと、正確な知識を習得させることです。知識が正確なら、引っかけの選択肢にはまることはないはずだからです。「何でこうなるのか?」という説明もできるだけ詳しくする。論理的な説明を好む生徒には、たぶん僕の説明はわかりやすいでしょう(それが可能なものについては、「理解した上で記憶する」というのが学力を伸ばす最善の方法です。うろ覚えの機械的丸暗記知識ぐらい役に立たないものはない)。

 あとは、志望大学の過去問を各自にきちんとやってもらうことです。大学ごとに入試問題にはかなりの個性があるので、全員同じ問題を解く模試の判定は、実際の入試問題がそれよりはるかに難しい場合、あまりアテにはならないのです(たとえば、最も一般的な進研模試の成績だけで、東大・京大あたりの合否を占うことはできない。問題のレベルが違いすぎるからです。駿台のハイレベル模試あたりなら、参考になると思いますが)。

 今年の受験生を見ても、そのあたりの準備をきちんとやっていた生徒は大体いい結果になった。中には十年分ぐらい過去問を解いてきて、ふだんの授業とは別に、それを全部添削した生徒もいるのですが、最終的にはこれなら悪くても6割を切ることはまずないだろうというレベルに達していたので、他の科目が悪ければともかく、オールラウンド型の秀才で、そうではなかったので、僕はその生徒のことはほとんど心配しなかったのです。「こんなしち難しい英文を大学入試に出すなよ」とブツクサ言いながら、その作業をしていたのですが(途中から、同じ大学を受けると言い出して同じことを始めた生徒がいましたが、そちらは合格水準には届きそうもなかった。どうしても受けるというので、仕方がなかったのですが、結果は僕の予想どおりになりました。マーク式の問題なら稀にそういうこともあるが、記述式ではマグレはまず期待できないのです)。

 要するに、うちの塾はセンターではなく、二次試験(私立なら中堅以上の一般入試)に照準を合わせたものです。英語はセンターだけでいいという生徒には、だから、向いていない。センターより難しい問題をやってもらうことになるので、センターの問題が易しく見えてきて、そちらも点が取りやすくなる、ということは言えるかも知れませんが、それは教材をちゃんと消化できた生徒にだけ当てはまることです。

 僕も延岡で塾を始めた当初は、これまで何度も書いたように、延岡の県立普通科高校は朝夕課外に、宿題もどっさり出るというわけで、生徒が疲れていることが多いので、無理はさせられないなと、学校に歩調を合わせてぼちぼちやっていたのですが、何とかセンターだけは取れても、二次学力がないから、生徒が国立私立の難関にはほとんど受からない、という状況に遭遇したのです。そこで方針を転換した。そしたら、以後はそれなりの成果が出るようになったのですが、せめて学校があの無用な朝課外を廃止して、無駄な宿題を減らしてくれれば、生徒はもっと自分の勉強ができるようになるから、進学実績も向上するだろうにと、それが残念でならないのです。

 こう言えば、それは自分で勉強できる優秀な生徒に当てはまるだけで、下位の生徒たちは該当しない、彼らはそうなるとまるで勉強しなくなって、どこにも受からなくなってしまうだろう、と言う人がいるでしょう。実はそれは「迷信」の最たるもので、度の過ぎた管理教育の弊害は、上の層よりも、むしろ下の層において甚だしいのです。

 それはどうしてか? 優秀な生徒たちは要領よく、スピーディに宿題を片付け、賢く取捨選択して無駄なものは無視する、という対応ができます。学校の休み時間中にそれを全部終わらせてしまう、ということも少なくない。だから自分の勉強時間を確保するということも可能になるのです(ほんとは読書などもできるといいのですが、大部分の生徒はそこまでの余裕はないようです)。

 「ふつう」の生徒たちには、しかし、それはできない。毎晩、宿題を終わらせるだけで夜中の1時、2時までかかってしまうのです。朝は朝課外なるものがあるので、早起きを強いられる。それで慢性的な寝不足になって、頭が働かなくなり、学習パフォーマンスが著しく低下する、という悪循環に陥るのですが、途中でわからないところを自分で復習したり、基礎固めをしようにも、その時間的・精神的ゆとりが全くないのです(塾も十分なヘルプができない)。だから、学年が上がるにつれて模試(実力テスト)の成績は下降線を辿る、という皮肉な結果となってしまう。勉強はしているのに、そうなるのです。これは多すぎる課外と宿題のために、そのときどきの、自分のニーズに合った主体的な勉強が妨げられるからです。「与えられたものだけやる」という受身の学習習慣がつくのもよろしくない。それでは何とか入試は通っても、大学入学後伸びなくなってしまうでしょう。「過ぎたるは及ばざるがごとし」で、いいことは一つもないのです。常識で考えればすぐわかるこの程度のことが、学校にはどうしてわからないのか、僕にはそれが不思議でならないのです。生徒たちの模試の平均偏差値が下がってくると、「これではならじ」と締め付けをさらに強化し、宿題の量を増やすというのでは、事態を悪化させるだけです。延岡の県立普通科高校の生徒たちの進学実績がふるわない(本来の生徒の資質を考慮すれば悪すぎる)のはそのへんのことが一番原因として大きいと思われるのですが、いい加減そのことに気づいてもらいたいと思います。教育というものは、方向を間違えると、生徒の成長の支援よりもむしろ妨害になってしまうので、的外れの“熱血指導”ぐらい傍迷惑なものはないのです。

 入試結果の報告のつもりが、最後はおきまりの学校批判になってしまいましたが、とにかく延岡の県立普通科高校は、生徒が受かればそれは学校の手柄、落ちれば本人の努力不足のせいにするという厚顔無恥な態度は改めて、朝課外の廃止も含めて、真摯に自分たちの指導方法を見つめなおすべきでしょう。カリキュラムの構成、授業の質、定期テストのあり方、いずれも全部見直す必要がある(とくに入学後「ペーシック・グラマー」なる無駄に量だけ多いワンパターンの文法プリントを、ほとんど専らそればかり、一年半も全生徒にやらせているあの延岡高校の英語指導は何なんだと思います。それで学力が伸びたら、その方がよっぽど不思議です。文法だけでもよくわかるようになったというのならまだしも、量だけ膨大で全くフォーカスの絞れていないあの最悪教材のせいでかえってわけがわからなくなってしまった、と言う生徒が続出しているのです)。

 塾は英語でcram school(詰め込み学校)と訳されますが、僕は塾でそんな教え方はしていないので、当地では学校の方がクラム・スクールなのです。しかも、効果が上がらなくて、民間ならとっくの昔に潰れているはずのそれなのです。ああいう授業をしているのなら、英語など授業時間を半分に削って、生徒に自習させるか、数学、理科、社会などの一定数の授業時間が絶対に必要な科目に振り分けた方がいい。今年のうちの卒業生に聞けば、大部分がこれに賛成するでしょう。そのことの深刻さに思いをいたさなければ、延岡の高校に未来はないのです。

 最後に、卒業生たちにも一つ言っておきたいのは、「大事なのは大学に入学してから」なのだということです。高校レベルのお勉強ができたできないは、実のところ、知的尺度としてもさして当てになる指標ではない。有名大学を出たというだけの頼りない(要は中身のない)人は、世の中に掃いて捨てるほどいるので、かんじんなのはこれから何をするかということなのです。

 今の若者は、早い時期からお勉強のことばかりで、子供時代の遊びが足りていないせいか、管理のされすぎか、将来の就職のことなんかはやけに心配する反面、社会性に乏しく、情緒面で幼稚なところが割と目立ちます。とくに男の子の育て方が今の家庭はおしなべて下手なので、プライドだけは一人前だが、幼児的な自己中心性を持ち越し、社会的に未熟すぎて、だからこそ自分の考えというものももてず、自信がないので狭い仲間内の付き合いしかできず、それも互いに傷つかないよう表面的なことに終始するといった具合で、これは勉強ができるできないに関わらずそうだな、という印象を僕は受けています。だから、見ていて「この子はこのあたりを押されると、すぐぺしゃんこになってしまうのではないか?」という危惧を覚えることがあるので、そこらへんを大学生になったら自覚的に変えていかないと、幼稚なままで社会に出てしまうことになるでしょう。「そこまでガキでは、使い物にはならないよ」と注意してもらえるのはせいぜい大学生までです。そこで変わることができなければ、後はモンスター社員、モンスタークレイマー、モンスター市民、モンスターペイシェント、等々になる他なく、親になればモンスターペアレントとなる。途中で頭をぶつけて、そのまま引きこもりになったりもするでしょう。

 思うに、人間には成長段階に応じた悩みというものがあります。それを一つずついわば誠実に悩んでいかないから、次の悩みの土台というものができず、どう悩めばいいかもわからなくなって、そのうちパンクしてしまうのです。小学生に大学生の悩みは悩めないので、対応しようにも、そのとき土台が二つ三つ欠けている、というようなことが起きているのではないでしょうか? 早くからお勉強ばかりで、悩むヒマもなく大きくなると、そういうことになりかねません。

 そういうふうに「悩むのをサボってきた」若者でも、まだ大学生ぐらいまでなら何とかなる、と僕は見ています。それはかなりしんどいことかも知れないが、「まとめて悩む」ことができるのではありませんか? おそらくそれが最後のチャンスで、社会に出てからでは難しい。「ボクはほんとは小学生なんだ!」と言っても、そんなことは周りに受け付けてもらえないからです(一番困るのは、本人にその自覚さえないことですが…)。

 昔のテレビコマーシャルに、「ソ、ソ、ソクラテスか、プラトンか、みんな悩んで大きくなった」というのがありましたが(作家の野坂昭如氏の作とのこと)、それは真実なので、悩みに遭遇したときは、安易にカルト宗教などに頼らず、自分でしっかり悩んでください。悩むから人はあれこれ本も読んだり、人と議論したり、考えたりもするわけで、それでこそ生きた教養が身につき、人間としての奥行きも出てくるわけです。専門の勉強だけでなく、そちらもしっかり、と言っておきたいと思います。専門知識を使うのはその人なので、人としての部分が貧弱すぎたり未熟すぎたりすると、それは益よりも害の方が大きくなるだろうと思われるからです。本人も困るし、周りも迷惑する。若者が悩むのは完全に正常なことで、悩むべきときに悩まないのは、その方がずっと異常だし、危険なのです。

 それでは、話があちこち飛びまくって長くなったので、今日はこのへんで。
プロフィール

大野龍一

Author:大野龍一

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