「一体それはどういう話なのだ…?」
先の尼崎市の角田美代子にまつわる事件に関する報道に接して、怪訝に思った人は少なくないでしょう。あまりにもわけのわからない印象を受けていたので、僕も先週、それについての特集記事を載せていた『週刊文春』11月1日号を買って読みました。
果たして、途中で読むのがイヤになってしまうほどのひどさでしたが、この記事によれば、「疑惑」の対象となっているものは十件を超えるようです。要するに、十人以上が殺されるか自殺に追い込まれるか、した可能性がある。
この「疑惑」が仮に「事実」として立証されれば、今までわかっている分だけでも十分に「凶悪」ですが、日本犯罪史上、稀に見る極悪非道な犯罪者だということになるでしょう。ハリウッド映画も真っ青の悪辣ぶりです。
彼女は「常軌を逸したクレーマー」で、たんにそれで人を困らせて喜ぶだけではなくして、それを生活の糧としていたのです。その際、「婚姻や養子縁組によって他人家族と法的な身内になり、因縁をつけ財産を奪い、人に貸し付ける」という独特の“メソッド”を用いた。それでこの女は女王様気取りで、自分はぜいたく三昧、手下を従えて暴力をふるわせながら、64歳のこんにちまで生きてきたのです。それでいくつもの家族が塗炭の苦しみを舐めさせられ、死に追いやられる人が続出、他にも迷惑をこうむった人は数知れないというのだから、記事は「鬼女」と評していますが、最低最悪の人間もどきです。
このような邪悪なモンスターがなぜ誕生したのか? 文春のこの記事によれば、「今で言う左官の人材派遣を仕切っていた父親はかなり羽振りがよく、近くにあった赤線(遊郭)に入り浸っていた」そうですが、正当な理由もなさそうなのに借家の立ち退きに頑として応じず、ここは自分の土地だと言い張って「縄を張って居座っ」ていたとかで、“クレーマー気質”はこの父親譲りのようです。そして小学校は休むことが多かったそうですが、中学になると「友達はおらへんかったけど、他校のワルを五、六人引き連れて学校にやってきて、目立つ奴を呼び出しては『調子に乗んなや』とシメとった。制服の背中にドスを仕込んで学校に来たこともあったな」という同級生の証言からもわかるとおり、早くも「鬼の片鱗を見せ始め」ていたのです。
中三時の担任の先生は、事件を起こすたび「引き取り手がいないから、私が家庭裁判所に掛け合ったり、警察に迎えに行くということが日常茶飯事でした」と述懐し、「主な原因は家庭の放任にあったと思います」と語っているので、家庭も滅茶苦茶で、それは家庭と呼べるようなものではなかったのでしょう。異常な父親と無力な母親のネグレクト(育児放棄)家庭。そこから化け物が生れた、というわけです。
原因論はさておくとして、しかし、たかが性格の悪い女一人です。別に暴力団がバックにいたわけでもない。なのに、それにどうして多くの人たちがいいようにされてしまったのか。僕の疑問はそこにあります。
文春の記事は二部構成で、後半は「美代子に『洗脳』され『崩壊』した家族の悲劇」と題して、食い物にされた五つの家族のことがかなり詳しく説明されています(関係が入り組みすぎているので、必ずしもわかりやすい説明とは言えませんが)。これが言語を絶したひどさで、「ほんとにそんなことがありうるのか」と思ってしまうようなものばかりなのですが、どうやって食い入られることになったのかを見ておくことは、この種の人間の餌食にされるのを防ぐための教訓になりそうなので、少し見ておくことにしましょう。
まず「大江家」の惨劇。きっかけは死亡した大江和子さん(コンクリート詰めで遺棄された)の次女・裕美被告の元夫・川村博之被告にありました。彼は阪神電鉄に勤めていたそうですが、「電車のドアにベビーカーがはさまった」という美代子側からの“クレーム”がそのきっかけだったのだと(まっ先に「クレーム」が来ている点、よく憶えておいて下さい)。川村被告は、このとき、会社を辞めてその退職金を元手に喫茶店を開くことを考えていたが、妻の裕美はそれに反対、「住宅ローンと娘二人を抱える夫婦の関係は離婚話にまで発展していた」のです。そこで人もあろうに、この男は角田美代子に相談相手になってもらったのです。そこから滅茶苦茶な展開になってゆくのですが、離婚後もこの夫婦はなぜ美代子の言いなりになったのかと言うと、二人の子どもを美代子の家に預けていて、人質に取られる格好になっていたからだという。裕美は飛田新天地の売春街で娼婦にさせられかけたが、それは実現しなかったものの、元夫婦は強制的に借金を重ねさせられ、そのカネは美代子に渡ったようです。親族も巻き込まれて、「博之らは美代子の指示で同じアパートに住まわされ、暴力は美代子に反抗的だった和子さんに集中。昨夏には近隣公園で小5の娘を美代子、香愛、裕美、博之の四人がリンチする場面も目撃されている」というようなことになり、昨年九月に和子さんは死亡するのです。
次は「谷本家」の場合。こちらは四国は高松の“名家”で、当主の誠さん(仮名)は「その人柄や顔の広さから市議選の候補者に推す声もあ」ったほど人望のある人だったそうですが、何でそれが札付きの美代子なんかと関わりをもつ羽目になったかというと、妻の実家が目下「義父以外の全員が死亡か行方不明になって」いる犠牲家族の一つの「皆吉家」で、そこから素行の悪い甥っ子(のちに美代子の「暴力装置」となる李正則)を預かってくれと言われたのがきっかけだったとか。家には、しかし、二十歳と高2の娘がいる。断ろうとしたが、妻の懇請でやむなく受け入れ。「だが、すでに三十歳近くになっていた正則を矯正させるなど望むべくもなかった」ので、数ヶ月で尼崎に帰したのですが、その後で大変なことになったのです。記事をそのまま引用すると、
「03年が明けた頃、複数の男女が高松に乗り込んできた。
『面倒をみてくれるというから任せたのに、それを帰すとはどういうことや。こっちはいままで矯正しようとして、カネも労力も使ってきたのが水の泡や。どう責任とるんや!』
こうまくしたてたのが、角田美代子だった。美代子は誠さんを新しい獲物に選んだのだ」
この後、誠さん夫婦の間で突然の離婚話が持ち上がり、「誠さんは『慰謝料』として「千八百万ほどを支払ったが、金は美代子に流れたと見られる」というのは、たぶん正しい推測でしょう。それが目当ての騒動なのですから。奇妙なことに(それが美代子に強要されたものなら別に奇妙ではありませんが)「夫婦はこの離婚騒動の後も一緒に生活し」、「その後も誠さんは親戚にお金を無心し続け、誠さん夫婦への美代子一派の暴行も過激さを増して」ゆくという展開になり、「結局、美代子らが谷本家からむしりとった額は4千万近くに達していた」ということになるのです。
谷本家の二人の愛娘たちはどうなったのか? 当時高2だった瑠衣は美人で頭がよく、性格もいいという三拍子揃った子で、県下有数の名門進学校の生徒だったのが、美代子の「洗脳」によってたちまちのうちに「赤毛のヤンキー」になってしまい、「美代子に言われるがまま、両親に殴る蹴るの暴行を繰り返すようになった」のです。そして高校を退学して尼崎に移り住み、「2007年には美代子の息子と結婚」、二人の子をもうけるまでになり、「美代子の“側近中の側近”」と呼ばれるまでになるのです。姉の方はその後どうなったかというと、「原形をとどめなくなるまでボコボコに殴られ」て死亡、母親も、「尼崎の路上で倒れているところを発見」(死亡)されたのです。詳細はこの記事からはわかりませんが、68歳の伯父(誠さんの兄)も、遺体で発見されているとのこと。
まだ三家族分、残っていますが、書く方もウンザリなので、これでやめにしときます。全体を見て、角田美代子が他人の家族を食い物にするそのやり口には共通のものがあって、(1)人の心の弱みに付け込む、(2)クレームをつけてゆさぶり、相手一家を混乱・恐怖に陥れて支配権を握る、ということです。その上で養子縁組などで逃げられなくするのです。
紹介した最初の例の川村博之の場合には、写真からしてもいかにも気弱そうな男に見えますが、ヘビににらまれたカエルよろしく、そのクレームの件で脅されるうちに、自分の内面の葛藤までさらすことになり、「離婚話にケリをつけてやる」と言われたときは、もはや抗えない状態になっていたのでしょう。妻の裕美も、威圧的な大声で怒鳴る美代子に強烈な恐怖心を植えつけられて、彼らは何も言えないまま、二人の子どもを美代子の言いなりに彼女に預けてしまい、二進も三進も行かなくなった。邪悪な人間は人の心理の弱点を衝くことに関しては天才的なところがあるので、会社の担当者としてクレームの応対に出た気弱そうな博之を見たとき、「こいつはいいカモだ」と即座に見抜かれてしまったのでしょう。美代子に限らず、いわゆるモンスター・クレイマーと呼ばれるような連中は、あちこちでクレームをつけて回りながら、餌食にできそうな人間を物色して、その特有の執拗さでもって人を追い込んでゆくのです。そして恐怖に屈したときは奴隷同然になっている。
谷本家の場合も、始まりはクレームです。年頃の娘が二人もいる家に素行が悪くてどうしようもない三十近い男を無理に預けておいて、それを送り返したからと言って、「どう責任とるんや!」もクソもあるかと、僕などは思ってしまいますが、おそらくは当主の誠さんはよほど人のいい人物だったのでしょう。あるいは、二人の娘や妻に何かあっては困ると、それを恐れたのかも知れません。それで美代子の言いなりになるうち、すでに見たような悲惨な結果になったのです。
ここからは一般論ですが、この角田美代子ほど極端ではないにしろ、おかしな因縁をつけてきて人からゆすろうとする類は必ずしも珍しくありません。ゆすり目的でなくても、執拗に人にからんでいやがらせをする病的な手合いもいる。僕は自分の知人・友人には、そういうクソみたいな奴にからまれた場合は相談して下さいとかねて言っているのですが、時間がたってからでは遅いので、この種の手合いに遭遇したときは、できるだけ水際で食い止めることが大事です。ダニも深く食い込まれるとやっかいなのと同じで、早い段階で「これはカモにはできないな」と相手に悟らせないといけないのです。
クレームや因縁というのは、つけようと思えばいくらでもつけられるもので、道徳的な、善良な人ほどそこにある「一分の理」に動揺させられるものです。しかし、客観的に見ると相手の方が百倍は悪かったりするので、「そういうおまえは何なんだ」と斬って捨ててしまえばいいものを、真面目に取り合いすぎ、かつ、相手が非を指摘されてもそれを認めるどころか、逆ギレしてまた別のことを言い募ったりするのを見ると、気の弱い善人は「こんな人がいるのか?」とこわくなってしまうのです。
今はいくらか平和が長く続き過ぎたせいもあって、「何事も穏便に」という人が多くなりすぎています。世の中はたしかに、つまらない争いなどはせず、平和に暮らせるのが望ましいものですが、時と場合によって、また相手によっては、「穏やかな話し合い」などでは解決しないこともあるのです。この角田美代子なんてタチの悪い女はその典型で、そういう態度で臨むとかえってそこに付け込まれるのです。
その際、一番大事なのは、相手が集団で押しかけて騒ぎ立てても、動じたふうを見せないことです。そして、そういう手合いといくら話しても、言葉尻をとらえられてまた新たな難癖の材料を与えてしまうだけなので、「こういうところでいくら話しても埒が明かないので、出るところに出ましょう」と言って話を打ち切ることです。「出るところ」というのは。むろん、警察であり、裁判所です。そういう相手には暴力も使えない。
これはかんたんなことに見えますが、それができる人は驚くほど少ないのです。それというのも相手の威勢を恐れ、かつ「事を穏便にすませたい」という願望が捨てられないからです。冷静に、はっきりとした対決の姿勢を示すしかないのに、それができない。だからそれが自分でできないなら、できる人に同席してもらうのです(こういうとき、気の弱い中途半端な善人ほど邪魔になるものはありません。相手がちょっとでも譲歩するような態度を見せると、すぐそれに飛びついてしまって、おもねるようなことを言ってしまうからです。そういうときは、「あんたは引っ込んでろ!」と厳しく言って黙らせないとうまく行かないでしょう。驚くべきことに、しばしばその手の弱々しい人には誰が敵か味方かの区別すらつかないのです)。
人間というのは誰でも自然に人間になるのではありません。人間たらんとする不断の努力(と言えばいくらか大げさですが)ゆえに人間たりうるので、それを放棄して身勝手な化け物になり下がったような連中相手に、「人としての良識や感情」を期待するのは土台無理なので、おかしな真似をすると逆に自分がブタ箱に叩き込まれて痛い目に遭うことを思い知らせてやる他はないのです。そしたら彼らもすごすご引き下がるしかなくなるので、それ以上の犯罪行為に及べず、悪事を未然に防ぐことになるから、それは連中にとっても“親切”なことになるわけです。
一番いいのは角田美代子のような低劣・非道な化け物を生み出さないことですが、今の世の中はこういうモンスターが付け込む隙の多い社会になってしまっているようで、僕にはそれが残念です(水際作戦で侵食を食い止めれば、被害者の「洗脳」がどうのこうのと言う必要もなくなるわけです)。
以上、話がいくらか大雑把すぎるのは承知で、感じたことを書かせてもらいました。
先の尼崎市の角田美代子にまつわる事件に関する報道に接して、怪訝に思った人は少なくないでしょう。あまりにもわけのわからない印象を受けていたので、僕も先週、それについての特集記事を載せていた『週刊文春』11月1日号を買って読みました。
果たして、途中で読むのがイヤになってしまうほどのひどさでしたが、この記事によれば、「疑惑」の対象となっているものは十件を超えるようです。要するに、十人以上が殺されるか自殺に追い込まれるか、した可能性がある。
この「疑惑」が仮に「事実」として立証されれば、今までわかっている分だけでも十分に「凶悪」ですが、日本犯罪史上、稀に見る極悪非道な犯罪者だということになるでしょう。ハリウッド映画も真っ青の悪辣ぶりです。
彼女は「常軌を逸したクレーマー」で、たんにそれで人を困らせて喜ぶだけではなくして、それを生活の糧としていたのです。その際、「婚姻や養子縁組によって他人家族と法的な身内になり、因縁をつけ財産を奪い、人に貸し付ける」という独特の“メソッド”を用いた。それでこの女は女王様気取りで、自分はぜいたく三昧、手下を従えて暴力をふるわせながら、64歳のこんにちまで生きてきたのです。それでいくつもの家族が塗炭の苦しみを舐めさせられ、死に追いやられる人が続出、他にも迷惑をこうむった人は数知れないというのだから、記事は「鬼女」と評していますが、最低最悪の人間もどきです。
このような邪悪なモンスターがなぜ誕生したのか? 文春のこの記事によれば、「今で言う左官の人材派遣を仕切っていた父親はかなり羽振りがよく、近くにあった赤線(遊郭)に入り浸っていた」そうですが、正当な理由もなさそうなのに借家の立ち退きに頑として応じず、ここは自分の土地だと言い張って「縄を張って居座っ」ていたとかで、“クレーマー気質”はこの父親譲りのようです。そして小学校は休むことが多かったそうですが、中学になると「友達はおらへんかったけど、他校のワルを五、六人引き連れて学校にやってきて、目立つ奴を呼び出しては『調子に乗んなや』とシメとった。制服の背中にドスを仕込んで学校に来たこともあったな」という同級生の証言からもわかるとおり、早くも「鬼の片鱗を見せ始め」ていたのです。
中三時の担任の先生は、事件を起こすたび「引き取り手がいないから、私が家庭裁判所に掛け合ったり、警察に迎えに行くということが日常茶飯事でした」と述懐し、「主な原因は家庭の放任にあったと思います」と語っているので、家庭も滅茶苦茶で、それは家庭と呼べるようなものではなかったのでしょう。異常な父親と無力な母親のネグレクト(育児放棄)家庭。そこから化け物が生れた、というわけです。
原因論はさておくとして、しかし、たかが性格の悪い女一人です。別に暴力団がバックにいたわけでもない。なのに、それにどうして多くの人たちがいいようにされてしまったのか。僕の疑問はそこにあります。
文春の記事は二部構成で、後半は「美代子に『洗脳』され『崩壊』した家族の悲劇」と題して、食い物にされた五つの家族のことがかなり詳しく説明されています(関係が入り組みすぎているので、必ずしもわかりやすい説明とは言えませんが)。これが言語を絶したひどさで、「ほんとにそんなことがありうるのか」と思ってしまうようなものばかりなのですが、どうやって食い入られることになったのかを見ておくことは、この種の人間の餌食にされるのを防ぐための教訓になりそうなので、少し見ておくことにしましょう。
まず「大江家」の惨劇。きっかけは死亡した大江和子さん(コンクリート詰めで遺棄された)の次女・裕美被告の元夫・川村博之被告にありました。彼は阪神電鉄に勤めていたそうですが、「電車のドアにベビーカーがはさまった」という美代子側からの“クレーム”がそのきっかけだったのだと(まっ先に「クレーム」が来ている点、よく憶えておいて下さい)。川村被告は、このとき、会社を辞めてその退職金を元手に喫茶店を開くことを考えていたが、妻の裕美はそれに反対、「住宅ローンと娘二人を抱える夫婦の関係は離婚話にまで発展していた」のです。そこで人もあろうに、この男は角田美代子に相談相手になってもらったのです。そこから滅茶苦茶な展開になってゆくのですが、離婚後もこの夫婦はなぜ美代子の言いなりになったのかと言うと、二人の子どもを美代子の家に預けていて、人質に取られる格好になっていたからだという。裕美は飛田新天地の売春街で娼婦にさせられかけたが、それは実現しなかったものの、元夫婦は強制的に借金を重ねさせられ、そのカネは美代子に渡ったようです。親族も巻き込まれて、「博之らは美代子の指示で同じアパートに住まわされ、暴力は美代子に反抗的だった和子さんに集中。昨夏には近隣公園で小5の娘を美代子、香愛、裕美、博之の四人がリンチする場面も目撃されている」というようなことになり、昨年九月に和子さんは死亡するのです。
次は「谷本家」の場合。こちらは四国は高松の“名家”で、当主の誠さん(仮名)は「その人柄や顔の広さから市議選の候補者に推す声もあ」ったほど人望のある人だったそうですが、何でそれが札付きの美代子なんかと関わりをもつ羽目になったかというと、妻の実家が目下「義父以外の全員が死亡か行方不明になって」いる犠牲家族の一つの「皆吉家」で、そこから素行の悪い甥っ子(のちに美代子の「暴力装置」となる李正則)を預かってくれと言われたのがきっかけだったとか。家には、しかし、二十歳と高2の娘がいる。断ろうとしたが、妻の懇請でやむなく受け入れ。「だが、すでに三十歳近くになっていた正則を矯正させるなど望むべくもなかった」ので、数ヶ月で尼崎に帰したのですが、その後で大変なことになったのです。記事をそのまま引用すると、
「03年が明けた頃、複数の男女が高松に乗り込んできた。
『面倒をみてくれるというから任せたのに、それを帰すとはどういうことや。こっちはいままで矯正しようとして、カネも労力も使ってきたのが水の泡や。どう責任とるんや!』
こうまくしたてたのが、角田美代子だった。美代子は誠さんを新しい獲物に選んだのだ」
この後、誠さん夫婦の間で突然の離婚話が持ち上がり、「誠さんは『慰謝料』として「千八百万ほどを支払ったが、金は美代子に流れたと見られる」というのは、たぶん正しい推測でしょう。それが目当ての騒動なのですから。奇妙なことに(それが美代子に強要されたものなら別に奇妙ではありませんが)「夫婦はこの離婚騒動の後も一緒に生活し」、「その後も誠さんは親戚にお金を無心し続け、誠さん夫婦への美代子一派の暴行も過激さを増して」ゆくという展開になり、「結局、美代子らが谷本家からむしりとった額は4千万近くに達していた」ということになるのです。
谷本家の二人の愛娘たちはどうなったのか? 当時高2だった瑠衣は美人で頭がよく、性格もいいという三拍子揃った子で、県下有数の名門進学校の生徒だったのが、美代子の「洗脳」によってたちまちのうちに「赤毛のヤンキー」になってしまい、「美代子に言われるがまま、両親に殴る蹴るの暴行を繰り返すようになった」のです。そして高校を退学して尼崎に移り住み、「2007年には美代子の息子と結婚」、二人の子をもうけるまでになり、「美代子の“側近中の側近”」と呼ばれるまでになるのです。姉の方はその後どうなったかというと、「原形をとどめなくなるまでボコボコに殴られ」て死亡、母親も、「尼崎の路上で倒れているところを発見」(死亡)されたのです。詳細はこの記事からはわかりませんが、68歳の伯父(誠さんの兄)も、遺体で発見されているとのこと。
まだ三家族分、残っていますが、書く方もウンザリなので、これでやめにしときます。全体を見て、角田美代子が他人の家族を食い物にするそのやり口には共通のものがあって、(1)人の心の弱みに付け込む、(2)クレームをつけてゆさぶり、相手一家を混乱・恐怖に陥れて支配権を握る、ということです。その上で養子縁組などで逃げられなくするのです。
紹介した最初の例の川村博之の場合には、写真からしてもいかにも気弱そうな男に見えますが、ヘビににらまれたカエルよろしく、そのクレームの件で脅されるうちに、自分の内面の葛藤までさらすことになり、「離婚話にケリをつけてやる」と言われたときは、もはや抗えない状態になっていたのでしょう。妻の裕美も、威圧的な大声で怒鳴る美代子に強烈な恐怖心を植えつけられて、彼らは何も言えないまま、二人の子どもを美代子の言いなりに彼女に預けてしまい、二進も三進も行かなくなった。邪悪な人間は人の心理の弱点を衝くことに関しては天才的なところがあるので、会社の担当者としてクレームの応対に出た気弱そうな博之を見たとき、「こいつはいいカモだ」と即座に見抜かれてしまったのでしょう。美代子に限らず、いわゆるモンスター・クレイマーと呼ばれるような連中は、あちこちでクレームをつけて回りながら、餌食にできそうな人間を物色して、その特有の執拗さでもって人を追い込んでゆくのです。そして恐怖に屈したときは奴隷同然になっている。
谷本家の場合も、始まりはクレームです。年頃の娘が二人もいる家に素行が悪くてどうしようもない三十近い男を無理に預けておいて、それを送り返したからと言って、「どう責任とるんや!」もクソもあるかと、僕などは思ってしまいますが、おそらくは当主の誠さんはよほど人のいい人物だったのでしょう。あるいは、二人の娘や妻に何かあっては困ると、それを恐れたのかも知れません。それで美代子の言いなりになるうち、すでに見たような悲惨な結果になったのです。
ここからは一般論ですが、この角田美代子ほど極端ではないにしろ、おかしな因縁をつけてきて人からゆすろうとする類は必ずしも珍しくありません。ゆすり目的でなくても、執拗に人にからんでいやがらせをする病的な手合いもいる。僕は自分の知人・友人には、そういうクソみたいな奴にからまれた場合は相談して下さいとかねて言っているのですが、時間がたってからでは遅いので、この種の手合いに遭遇したときは、できるだけ水際で食い止めることが大事です。ダニも深く食い込まれるとやっかいなのと同じで、早い段階で「これはカモにはできないな」と相手に悟らせないといけないのです。
クレームや因縁というのは、つけようと思えばいくらでもつけられるもので、道徳的な、善良な人ほどそこにある「一分の理」に動揺させられるものです。しかし、客観的に見ると相手の方が百倍は悪かったりするので、「そういうおまえは何なんだ」と斬って捨ててしまえばいいものを、真面目に取り合いすぎ、かつ、相手が非を指摘されてもそれを認めるどころか、逆ギレしてまた別のことを言い募ったりするのを見ると、気の弱い善人は「こんな人がいるのか?」とこわくなってしまうのです。
今はいくらか平和が長く続き過ぎたせいもあって、「何事も穏便に」という人が多くなりすぎています。世の中はたしかに、つまらない争いなどはせず、平和に暮らせるのが望ましいものですが、時と場合によって、また相手によっては、「穏やかな話し合い」などでは解決しないこともあるのです。この角田美代子なんてタチの悪い女はその典型で、そういう態度で臨むとかえってそこに付け込まれるのです。
その際、一番大事なのは、相手が集団で押しかけて騒ぎ立てても、動じたふうを見せないことです。そして、そういう手合いといくら話しても、言葉尻をとらえられてまた新たな難癖の材料を与えてしまうだけなので、「こういうところでいくら話しても埒が明かないので、出るところに出ましょう」と言って話を打ち切ることです。「出るところ」というのは。むろん、警察であり、裁判所です。そういう相手には暴力も使えない。
これはかんたんなことに見えますが、それができる人は驚くほど少ないのです。それというのも相手の威勢を恐れ、かつ「事を穏便にすませたい」という願望が捨てられないからです。冷静に、はっきりとした対決の姿勢を示すしかないのに、それができない。だからそれが自分でできないなら、できる人に同席してもらうのです(こういうとき、気の弱い中途半端な善人ほど邪魔になるものはありません。相手がちょっとでも譲歩するような態度を見せると、すぐそれに飛びついてしまって、おもねるようなことを言ってしまうからです。そういうときは、「あんたは引っ込んでろ!」と厳しく言って黙らせないとうまく行かないでしょう。驚くべきことに、しばしばその手の弱々しい人には誰が敵か味方かの区別すらつかないのです)。
人間というのは誰でも自然に人間になるのではありません。人間たらんとする不断の努力(と言えばいくらか大げさですが)ゆえに人間たりうるので、それを放棄して身勝手な化け物になり下がったような連中相手に、「人としての良識や感情」を期待するのは土台無理なので、おかしな真似をすると逆に自分がブタ箱に叩き込まれて痛い目に遭うことを思い知らせてやる他はないのです。そしたら彼らもすごすご引き下がるしかなくなるので、それ以上の犯罪行為に及べず、悪事を未然に防ぐことになるから、それは連中にとっても“親切”なことになるわけです。
一番いいのは角田美代子のような低劣・非道な化け物を生み出さないことですが、今の世の中はこういうモンスターが付け込む隙の多い社会になってしまっているようで、僕にはそれが残念です(水際作戦で侵食を食い止めれば、被害者の「洗脳」がどうのこうのと言う必要もなくなるわけです)。
以上、話がいくらか大雑把すぎるのは承知で、感じたことを書かせてもらいました。
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