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困ったときのナショナリズム

2012.08.20(17:08) 166

 先頃の韓国大統領・李明博氏の一連のパフォーマンスに示された「突然のご乱心」はわれわれ日本人を驚かせました。先日も友人と電話で話をしていて、途中でその話題が出ましたが、彼の見立ては「たぶん、最大の理由は、大統領退任後の訴追を免れるためなのだろう」というものでした。今の韓国の大統領は再選を許されないので、有能無能、人気不人気を問わず一期(五年)で終わりですが、歴代の大統領は大方が悲惨な末路を辿っており(後でそうなるのは「在任中は内乱又は外患の罪を犯した場合を除いて刑事上の訴追を受けない」からです)、前大統領、盧武鉉氏(民主的・開明的な弁護士として人気の高かった彼はネット世代の若者の強い支持を得て当選していた)が収賄疑惑の捜査中に自殺したのはまだ記憶に新しいところです。現大統領の場合はどうか。

「李大統領は既に深刻な支持率低下に悩まされ、今年7月には前国会議員の実兄があっせん収財の罪で逮捕された。側近からも逮捕者が出ており、すでに政権の体をなしていない」(週刊ポスト2012年8月31日号)

 そういうこともあって、このままでは自分も訴追を免れないと考えた彼は、韓国民衆の好きな「反日英雄」を気取って、世論を味方につけ、“空気”を変えようとしているのだろうと言うのです(李大統領には元々大阪生まれという“ハンデ”があります)。

 だとすれば、情けない話ですが、少なくとも動機の一つとしてそれがあることはたしかなことだろうと、僕も思います。でないと不自然すぎる。友人はついでに財閥支配の韓国経済の話なんかもしていましたが(だから今の日本以上に「格差社会」の度合いもきつくて、社会には大きな不満が渦巻いている)、他にかの国には前近代的な“血族主義”と悪しき“情実支配”がまだ色濃く残っていて、一族の誰かが出世すると、同族はそのおこぼれにあずかろうとして、「おまえは権力者になったのだから、わしらにも利権の分け前を寄越せ」というような露骨な話になって、権力が腐敗の温床になりやすいのは、事実が示しているように思われます。だから、政権が汚職まみれになって、退任後大統領が訴追される羽目になるのは、べつだん不可解な話ではないわけです。

 この前のオリンピックのサッカー日韓戦のときの、「独島(日本名・竹島)はわれらが領土」パフォーマンスなんかはどうか。ああいうのは国際的な約束事として明確に禁じられていることなのだから、かなり非常識で、場所をわきまえない浅はかな愚行と断罪されても仕方がないと思いますが、韓国人一般の国民性としてはもうひとつ、ヒロイズムに弱いというのか、後先考えずに一時の強い感情から行動してしまって、後で困ることになるのは、割と多く見受けられることのように思われます。日本人以上にワーッとなりやすいのです。李大統領はむろん、そういう国民性はよく承知していて、「反日英雄」イメージをふりまいておけば、退任後も国民に好感されてひどい目には遭わずにすむと計算したのかも知れません。そういうのと汚職の問題なんかは別次元の話のはずですが、それがそうはならない妙なところがあるのだとすれば、日本以上に“前近代的”な没論理の国だということになるでしょう。

 僕はもとより“反韓”でも“嫌韓”でもありません。「韓流ドラマ」も見るので、歴史ドラマ『イ・サン』なんかは、日曜夜11時のNHK総合の放送を楽しみにしていましたが、途中で待つのが面倒になって、DVDで借りてきて全部見てしまったほどです。むろん、面白かったからで、今のNHKの大河ドラマなんかすぐに見る気が失せたことを思えば、かなりの“韓流びいき”と言っていいのです。実際あのドラマは恋愛ドラマ(健気で可愛いソンヨン!)としても、宮中政治の泥沼(恐怖のテビ様!)を描いたものとしても出色に思われました。ああいうのだけ見て、「韓国の人たちには非常にピュアな部分と、公私混同に陥りやすい個人感情の激しさが同居している」なんて言うのは即断のそしりを免れないでしょうが、日本の歴史ドラマとは一味違うわけで、そこが興味深く思われたのです。

 僕はいまだに日本には残っている在日朝鮮人の人たちに対する差別感情にも不快を覚えます。何を根拠に…と思うので、個人的な話になりますが、僕が生れたとき、誕生の祝福を家族以外に最初に与えてくれたのは、若い在日朝鮮人夫婦で、そのことを徳としているくらいです。僕は朝方生まれましたが、その夜、わが家には偶然宿泊客が一組いて、それがその夫婦だったのです。当時、僕の集落では架橋工事が行われていました。工事の人たちは公民館に泊り込んで仕事をしていましたが、それは全員よそから来た在日の人たちで、土木工事の類が好きだった祖父はよくその見物に出かけて、そこの親方と仲良くなりました。ある日、そこで働く一人の若者を、入籍して間もない妻が訪ねてきました。かなり遠くからわざわざ訪ねてきたらしいので、部下思いで人情の機微に通じた親方は公民館で皆が雑魚寝しているような状況では、久しぶりに会うその若い夫婦がかわいそうだと考えて、一夜の宿を貸してやってくれないかとわざわざ頼みにきたのです。祖父母にも両親にもその種の偏見はまるでなかったので、それは快諾されました。ただ、お産が近いので、部屋は別でも夜中に騒がしいことになって迷惑がかかるかも知れないと言ったら、ほんとにお産が始まって、明け方孫の僕が生まれたのです。そういうわけで、僕は珍しい人たちの祝福がよけいに受けられたのです。小学生の頃は、砂防ダムかため池の工事に来ていた親方の子が僕が通う分校に転校してきて、工事の終了と共にその子はまた転校していったのですが、後で学校の皆宛てに手紙が届いた他に、僕だけそれとは別に自宅に手紙をもらったので、両親は「ほうほう、おまえにもラブレターが来た!」と言って僕を冷やかしました。その父子も在日の人たちだった(ふつうの日本人以上に折目正しい人たちでした)ので、そういう環境に育ってそういう経験を重ねれば、悪感情などもちようがないのです。

 だから韓国と日本、双方の国民感情が悪化するのを僕は望みません。仲良くしてもらいたいと思うのです。先の戦争の際、日本が韓国を侵略して勝手なことをしたのは、歴史的事実です。中国の場合もそれは同じですが、戦争というのは大方の場合、大義名分はどうあれ、一方が他方を侵略して乱暴狼藉を働くもので(近いところではアメリカによるアフガン、イラク戦争における米軍兵士の行動が、それらの国民の目にどんな非道なものとして映っているかを見てもそれはわかります)、侵略された側からすれば不快この上ないことで、恨みが残るのは避けようがありません。大統領が言及した例の従軍慰安婦問題などに関しては、日本軍による「強制連行」の事実があったかどうかそれ自体はかなり疑問視されているようですが、そういうのは冷静な歴史研究にまつとして、韓国の人たちにとって先の日本軍による侵略が強い感情的しこりを残したのはあたりまえの話です。先祖と子孫は「別人格」なので、それをそのまま今の日本と韓国の関係に等置するのはヘンだとしても、「あの戦争では韓国の人たちに申し訳ないことをした」と、僕個人は日本人の一人として思っています。

 国としては公式に何度も「謝罪」しているはずですが(民間や一部政治家にそれが気に食わない右翼がいるのはどの国でも同じで、そういう人たちの存在ゆえに公式のそれも「謝罪とは認められない」と言われたのではなすすべがありません)、このタイミングで「謝罪したいのなら天皇が来てもよい(=天皇の訪韓を許す)」なんてのは、これまでの友好関係構築の努力に冷水を浴びせる、相当に礼を失した言い方で、一国の大統領として口にすべきことではないと感じられるので、政治家なら、相手国の国民の感情反応がその国の政治家にとってはどれほど厄介なものであるかはわかっているはずです。それに強く抗議しなければ、それはヌフケと見られるので、当然抗議する。すると、それにまた韓国の人たちは感情的に強く反発する…というわけで、売り言葉に買い言葉で、相互の敵対感情は自然にエスカレートするのです。それを、在野のデマゴーグがやるのならまだしも、国の舵取りを委ねられた大統領ともあろう人がなぜするのか、よほど思慮の足りない人なのか、それとも意図的に対立関係の強化を狙っているのか、そのどちらでもないとすれば、冒頭の友人が言うような個人的な自己保身のためのパフォーマンスにすぎないのか、あれこれ勘繰らざるを得なくなるのです。

 これは世界的な傾向のようですが、近年わが国でもナショナリズムが強くなってきています。経済がどん詰まり状況になり、社会に欲求不満や不安が渦巻くようになると、「過去の民族の栄光」(そのためには無理にでも過去の歴史を美化しなければならない)にすがって乏しい自己肯定感を高めようとしたり、二流の政治家なら外部に敵を作って、それを利用して不満のガス抜きをはかろうとしたり、あれこれロクでもない動きが目立ち始めるので、そのご多分に漏れずだなと僕は憂鬱な思いで見ていますが、今回の韓国大統領の一連のパフォーマンスなどは、そうした日本国内の傾向に火に油を注ぐようなものなのです。

 李大統領は、そういうのも織込済みなのでしょうか? 相手は韓国だけではない、香港の“愛国主義”団体が尖閣諸島に強行上陸したりもして、中国では大規模な反日デモが年中行事のようになっています(それも中国政府には都合のよい民衆の不満のガス抜きでしかないと思われますが、最近は“過剰”にならないよう苦慮しているようです)。そこに韓国大統領の竹島パフォーマンスだの、「天皇は謝罪したいのなら来てもよい」発言だのが重なったわけで、わが国の“弱腰外交”を罵倒する一部の“愛国者”たちの発言力は今後さらに強まって、早く憲法を改正して、自衛隊を一人前の軍隊に昇格させろ、なんて主張が大きく支持を広げるようにもなりかねません。「毅然とした対応」を取るには「武力の後ろ盾が必要だ」という主張が説得力をもつものとして迎えられるようになるからです。

 ストレスと欲求不満を大量に抱え込んで苛立ちやすくなり、こらえ性がなくなった人々はその種の言説に惹かれやすくなる(原因が別のところにあることは都合よく忘れ去られる)。領土問題などは時間をかけた辛抱強い外交交渉で解決を模索する他ない、と僕は思いますが、そういうのは、まどろっこしく感じられて、「強いリーダー」(見かけが、ですが)を求める心理が強くなるのです。双方の国民がエキサイトすればするほど、政治家は支持を得ようと派手なパフォーマンスに頼るようになる。自衛隊を正規の国軍に昇格させて大増員をはかれば、若者の失業対策にもなる。軍需産業の復興も有効な経済政策になりうる。表立っては言わないまでも、そんなことを考えている政治家はすでにかなりの数存在するでしょう。子供たちの「愛国心教育」も今後さらに徹底しなければならず、過去の歴史を罪悪視するような“自虐史観”に基づく歴史教科書などは禁止されなければならない。そうでなければ中国や韓国の「反日」に“対抗”できないと考えるのです。
 
 そうして、これは日本人の不幸な国民性というべきものですが、いったんある方向に向きが変わると、何かのきっかけで、いっせいにそちらの方に雪崩をうって走り出すようになる(それは戦前戦中の日本社会の動きを見てもわかることです)。どこにも責任主体というものがいないまま、そうなってしまうのですが、それは強烈な圧力を生み出すので、僕なんかもそうなると、ここに呑気に“愛国心に欠しい”記事を書き散らしているわけにはいかなくなってしまうでしょう。どこやらの教育長(あれはひどすぎますが)みたいにハンマーで頭を殴られるようなことにもなりかねないわけです。

 韓国の政治家も、中国の共産党幹部も、あんまり自国民の「反日」を煽っていると、平和的・融和的対応を取ろうとする日本の政治家は国民の支持を失って片隅に追いやられ、好戦的な政治家や無責任なデマゴーグたちが国の舵取りを委ねられて、厄介なことになりかねないのです。ことに世界経済が綱渡りを強いられている今、不幸にしてクラッシュしてしまったときにそういう政治家が政権に就いていたりなどすれば、なおさら危険は大きくなります(戦争が「貧すりゃ鈍する」状態のとき起きやすくなるのは、あらためて説明を要しないことです)。

 そういうことを承知でああいうことをやっているのかなと、僕はちょっと疑問に思うのです。まさか、この前はひどい目に遭わされたから、今度はそのリベンジを果たそうと、わざと対立の方向に持って行っているのだとは思いませんが、もう少し考えた対応をとってもらわないと困ると思うのです。

 何にせよ、僕ら日本人は感情的にならずに、落ち着いて対応したいものです。政府の抗議や国際司法裁判所への提訴は、理性的な対応として僕は支持しますが、無用に感情的になることは避けねばなりません。幸い、韓国内部にも、大統領のあれは国益を損なうだけの無責任な人気取りでしかないという醒めた見方があるようです。「反日パフォーマンス」で汚職による弾劾を免れようなんて、仮にそんなセコい魂胆が大統領個人にあるのなら、日本の政治家以上にお粗末な話だと言わねばならないでしょう。韓国の人たちもそういう無責任な言動に乗せられないようにしてもらいたいものです。
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祝子川通信 Hourigawa Tsushin


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