(今回は久しぶりに「罵詈雑言」を書かせてもらいますので、そういうのがお嫌いな人は読まないで下さい。)
ドン・ナベツネ率いる読売グループと清武英利氏のバトルは、ボス支配の巨大組織に歯向かった個人がどうなるかのモデルケースみたいなものなので、僕はそれをずっと気にかけているのですが、分が悪いのはどうやら前者の方のようです。最近読売側は訴訟狂のようになっていて、何か暴露記事が出るたびに、「こんなことをバラすのはあの清武しかいない!」と決めつけながら、相手を名誉毀損その他で訴えるということを続けているようですが、そうした裁判の結末がどうあれ、墓穴を掘るのはナベツネと読売の方でしょう。“公器”であるはずの読売新聞本体の記事までそのためにせっせと利用し、公正もへったくれもなくなっているようなので、新聞としての信用はすでにガタ落ちで、「こんな会社、もう辞めたい」と思っている記者は少なくないのではないかと思われます。中には、「いや、これでナベツネは血圧の上がり通しなので、ポックリ行く日も近い。そうなったらナベツネの茶坊主たちを一掃して、新体制を作る好機がやってくる」と考えている人たちもいるかも知れませんが。
次の清武氏関連の訴訟事件はあまり大きなニュースにはならなかったので、ご存じない方が多いだろうと思いますが、そちらの地裁決定はすでに出て、今ネットで確認してみたら、「清武氏関与の書籍復刻本 販売禁止の仮処分命じる」と題されたスポニチの記事(6.15)が出ていたので、それをご紹介します(僕がこれについて最初に知ったのは『週刊金曜日』5/18日号の記事によってです)。
【プロ野球巨人の球団代表を解任された清武英利氏が取材に関わった書籍をめぐる仮処分で、東京地裁(東海林保裁判長)は15日、読売新聞東京本社の主張を認め、復刻本を出版した「七つ森書館」(東京)に販売禁止を命じる決定をした。復刻本は既に販売が始まっており、同書館は異議を申し立てる。
決定は、書籍の著作権が読売新聞東京本社にあるとした上で、「出版契約をした当時の社会部次長は会社を代理する権限がなく、契約は無効」と判断、販売による著作権侵害を認めた。
問題となった本は第一勧銀の利益供与事件などを取り上げた『会長はなぜ自殺したか』(1998年)。七つ森書館は昨年5月、読売側と出版の契約を結んだ。だが清武氏が11月、渡辺恒雄球団会長が巨人のコーチ人事に不当介入したと告発した後、読売が契約解除を申し入れた。
七つ森書館は応じず、読売は出版契約の無効確認を求め東京地裁に提訴。5月の第1回口頭弁論直後、同書館が本の販売を公表したため、仮処分を申し立てていた。
読売側は「妥当な決定。出版妨害には当たらないとの主張が認められたと受け止めている」とのコメントを出した。】
少し記事の補足をさせてもらうと、元は読売は了承していたわけです。ところがその後、清武氏は“離反”した。この復刻本の著者名は「読売社会部清武班」となっていて、ナベツネと読売は清武氏の離反騒動で「名誉を損なわれた」のに、こんな本が出たのでは清武氏の「評価を上げる」(元々彼は有能な社会部記者でした)ことになってしまうから、大いに腹立たしく、不都合だということになったのです。読売側は「この復刊本には、約15年前の事件関係者の実名も多数掲載されており、『重大なプライバシー侵害にあたる』として、別の裁判部にも出版差し止めの仮処分を申し立てている」(読売自身の記事)とも言っていますが、こういうのは後でとってつけた自己正当化のための屁理屈にすぎないのは誰の目にも明らかで、つまりは訴訟責めにして相手を弱らせる魂胆なのです(上記記事の「出版契約をした当時の社会部次長は会社を代理する権限がなく、契約は無効」という理屈についても同じ。読売の「内規」ではそうなっているなどと言っても、通常ならそれは正式契約として追認されていたはずだからです)。
読売は最初、出版取りやめには「金銭補償」をする旨申し出た。この「七つ森書館」というのは社員5人の零細出版社だそうですが、「やめにしてくれたら、たんまり出すものは出して、出版した場合よりずっと大きな利益が見込めるように措置しますよ」と言ったのでしょう。しかし、七つ森書館は、目的は利益ではなく、良書を出版することだと、これに応じなかった。『高木仁三郎著作集』の版元だけあって、気骨のある出版社なのです。
しかし、それでタダですむはずはない。「なんや、ほなら痛い目に遭いたいんか?」ということで、読売は訴訟を起こし、同時に取次や書店、印刷所など、あちこちに妨害じみた働きかけを始めた(七つ森書館のホームページ←ここ参照)。「うちは天下の読売やで。逆ろうたらどんな目に遭うか、教えたろやないか!」ということになったのです。
こういうのを正しい日本語では「ごろつき」と呼びます。同じごろつきでも、読売新聞の場合は強大な資本と権力をもっているから始末に負えない。街のごろつきなら逆襲して相手を上回る“脅威”を示せば逃げ出しますが、こちらはそうはいかないのです。零細出版社なら裁判費用が大きな負担になるし、それで何度も呼び出されたりするから、業務にも深刻な支障が出てしまうでしょう。
ネットを見ていたら、ここを支援しているサイト(その名も「神州の泉」)があって、そこに次のような記事(七つ森書館社長・中里英章氏からの支援者たちへのメールのようです)が出ています。
●裁判費用カンパのお願い●読売新聞側は、さらに仮処分などの訴訟を仕掛けてくると予想されます。多大な訴訟費用がかかります。ひとり七つ森書館の力で闘い抜けるものではありません。誠に恐縮ですが、裁判費用のカンパをお願いします。
・郵便振替口座 00170-1-37996 株式会社七つ森書館
「裁判費用カンパ」と明記してください。今後の経過報告をお送りするとともに、報告集会などを企画し、ご案内を差し上げます。どうぞ、よろしくお願い申し上げます。
皆さん、この勇気と志ある小出版社を応援しましょう! 図体はどんなにデカくても、ごろつきはごろつきなので、そういうのに勝手な真似をさせてはなりません。
以上は清武氏ご本人から“飛び火”した裁判の一例ですが、こういうのは「そこまで読売はやるのか!」と感嘆させるに十分なものでしょう。
さてここから、本日のお題の「原スキャンダル」に入りますが、発端は、今週号に掲載されているという週刊文春の「プロ野球、読売巨人軍の原辰徳監督が、女性問題で元暴力団員に脅され1億円を支払っていた」という記事だそうです。
読売はこの情報を事前に入手して、「発売日前日となる2012年6月20日、巨人軍の桃井恒和社長らが会見で、原監督の記事をめぐって近く同誌を名誉毀損の損害賠償請求訴訟を起こすことを明らかにした」というのです。
「訴訟大好き人間」の面目躍如ですが(この際「訴訟新聞」と社名を改めた方がいい)、一体どこが「けしからん」のかというと、その記事が事実無根の虚報だからではない、「原監督が金銭を支払った相手は“反社会勢力に属する人物”ではなかった」からなのです。愛人問題で脅され、要求されるまますぐに一億円を支払ったという、核となる話は事実なのです。ただ、「元暴力団員」というところが間違っていて、だから「名誉が傷つけられた」というのです。
???ですが、読売や原の非難はここから清武氏へと向けられる。一体この情報がどこから漏れたのか? それはあの清武氏以外には考えられない。あの憎むべきキヨタケがまたしてもこのような内部の“恥多き”トップ・シークレットを漏らしたのだと、読売側も原監督本人も決めつけて憚らないのです。
中でもケッサクなのは原監督その人によるものだという、「清武さんへ」と題された次の「メッセージ」なるものです。後世に残る名文(迷文?)なので、謹んで全文を引用させていただきます。
【清武さんへ
巨人軍の選手、OB、関係者を傷つける報道が相次いでいます。たくさんの暴露が行われ、巨人軍関係者を混乱させ、選手、OBを苦しませています。私は監督という立場で心を痛めてきました。
こんなことがなぜ続くのか。清武さんのほかに、いったいだれがいるのか。
今回は、私のことで良かったと思っています。
巨人軍の低迷期に清武さんと会い、同じ釜の飯を食い、同じ目的に向かって、悔しい時も、うれしい時も本気で涙を流してきました。ファンに愛され、強くある巨人軍をめざし、リーグ3連覇、日本一も成し遂げました。
巨人軍を育て、守り、築いてきた偉大な先輩方がたくさんいられます。未来へ夢をつなぎ、巨人軍の発展を願っている方もたくさんいられます。清武さんもその一人だと信じます。
巨人軍の一員だったことを誇りとして、これからも歩んでください。
まだ間に合います。 原辰徳】
感動…ではありませんかね? まるで指名手配の重大犯に悔悟と自首を勧告するかのような文章です。しかし、そもそもの話、先の巨人軍数人の新人選手の法外な裏契約金(それを巨人はひた隠しにしてきた)をめぐる朝日新聞の一連の報道も、「事実」であることには間違いなかったのでしょう? 今回の文春の記事も、一億円ゆすりとったのが暴力団員であったかどうかはともかく、彼がそれを球団に相談もせず支払っていたことは事実なのです。要するに、「外部に知られると具合が悪い(悪すぎる!)」事実ばかりなわけで、根も葉もないこ出鱈目をあげつらった「心ない中傷」とは性質が違う。そのことはきれいに棚上げして、あたかも“純粋な高校球児”みたいなこんなことを、よくも恥ずかしくもなく言えるものだなと、フツーの人間は聞いて呆れるのです(大体、こうしたぶざまな現実を知りながら、どうして「巨人軍の一員だったことを誇りと」できるのですか?)。しかも、清武氏が情報を漏洩したという明確な証拠は何も示されていないのです。
大体、原辰徳という男は、今でも大そうな嘘つきです。彼が直ちに発表したコメントによれば、「1988年ごろ、私(=原辰徳)はある女性と関係を持ちました」が、「プロ野球と関係ある人物」から2006年8月に電話があり、女性関係をつづった日記の存在を告げられたうえで「表に出ないように私に任せてほしい」と言われたのです。そのとき彼はどう思ったのか?
「ゆすられていると思い、不安を感じた一方、私を助けてくれるのだとも解釈し、要求された現金を渡しました」というのです。
これは実に不可解な心理です。「ゆすられている」と思いながら、同時に「私を助けてくれる」人だと思うことなど、ふつうはありえません。「カネを出さないと、この情報(=愛人の日記)はマスコミに流れてしまうよ。そしたらあんたは困るだろう。一億出せばオレがうまく話をつけてやるから」と言っているのだから、純然たる脅迫です。なのに「私を助けてくれる」などと考えるようなおめでたい人間など、いるものでしょうか? 「流す」人間とそれを「止める」人間が別でも、両者はグルになっているのです。
事実は、彼もそれが純然たる脅迫であることはわかっていたのです。スケベなくせに体裁屋で紳士ぶりたがる小心な彼はそれで縮み上がってしまった。だから球団にも内緒であわてて要求どおり一億のカネを支払ったが、こういうヘタレはワルにとってはいいカモなので、今度はその連中の知り合いが「もっと搾り取れる」と考えて、その三年後、今度は球団に「女性問題のことを書いた日記が監督の手に渡ったはずだ。それを返してほしい」と要求する電話をかけてきた。それで事が球団側に知られることとなったわけです(このときは球団事務所近くの路上でガスボンベとガソリン缶を持って、「ここで腹を切ってやる」などと叫び、騒ぎ立てたために、威力業務妨害の現行犯で逮捕)。
しかし、球団はこの事件を“組織ぐるみ”で隠蔽。それは成功したかに見えたのに、今頃になってそれを何者かが暴露した。清武さん、それはあんたでしょ。あんたしかいない。何でそんなひどいことするんですか、ということになったのです。体裁屋の原は、この期に及んでもまだいいカッコをしようとして、「いや、これは私個人の問題でよかった、私が耐え忍べばそれですむことですから…」なんて、あたかも罪なき善人が不当な非難中傷を耐え忍ぶかのようなポーズを取って見せるのです。悪いのは「憎むべきキヨタケ」で、自分は被害者に他ならないのだと、話をすり替えて同情を買おうとするのです。
その後のインタビューではこんなことも言っています。
「どこかに心のつかえがこのところありました。こういう状況になって、なにかそのモヤモヤが取れたような、逆にこういう事柄に関して感謝をしたいなという風に思います」
この前向き男! いつもさわやか、若大将! しかし、ことの経緯を考えるなら、「さわやか」どころの話ではない。同性から見た(おそらくは女性から見ても)彼の一番のだらしなさは、愛人がどうのというより(彼はそこをカン違いしているようですが)、そういう脅しに手もなく屈して一億円もの大金(億の年俸を取る彼にとってもそれは小さな出費ではなかったでしょう)をほいほい払ってしまうという腑甲斐なさです。「ジャイアンツ愛、これですよ」なんて監督就任当初彼はペラペラと紙みたいに軽い言葉を並べ立てていて、「気色の悪い奴だな」と思ったものですが、見栄と世間的体裁とタマ打ちの能力を取ってしまったら何も残らないのが原辰徳という男です。かんじんの自分のタマは持っていない。上から黒と言えと言われれば黒と言い、白と言えと言われれば、白と言う、そういう人間がいるものですが、彼はその手のタイプです。
今さら「さわやか」ぶっても、だからもう遅いわけですが、球団の方は彼と較べるとそのあたりはもっと敏感で、相手が「暴力団」「反社会勢力」ではなかったということをさかんにアピールするのも、「脅しに屈した」という印象を何とかして少しでも和らげたいと思うからでしょう。原本人の談話に「「ゆすられていると思い、不安を感じた一方、私を助けてくれるのだとも解釈し、要求された現金を渡しました」という矛盾したくだりが出てくるのも、そのためです。彼はそう言えと言われたのでしょう。相手は困った状況になりかねない彼を“助けてくれる”人だと思ったからこそ、相手の要求に応じた。無理にでもそういうことにしないと、「世間に知られて社会的体面を失うのを恐れる一心で、悪いことは百も承知しながら、ビビってすぐ要求に応じてしまった」ということになってしまうからです。選手たちのあの契約金裏金騒動で「球界の紳士」の自己宣伝イメージは大打撃を受けたのに、この上監督まで裏社会の人間の脅しにあっさり屈していたというのでは、暴排キャンペーンもたけなわの折柄、目も当てられないことになってしまう。球団はそう考えたのです(さっき仕事の帰りに書店で文春を立ち読みしたら、何と彼は素知らぬ顔で警察の「暴排キャンペーン」のCMまで引き受けていたとのこと。“私は脅しに屈しません!”文春の言うとおり、それは「ブラックジョーク」以外の何物でもありません)。
僕らふつうの人間は、相手が暴力団の組員であろうとなかろうと、そのような脅迫をする人間はカタギではないとみなしますが、そういう形式的なところに必死にこだわるのが、いかにも法律論争の好きな体裁屋の読売らしいところです。
しかし、ナベツネと球団はご安心を。心配しなくても、世間の人は原が巨人軍の監督にふさわしくないなどとは思いませんよ。彼はジャイアンツの偽善ぶりを象徴する、まさにうってつけの人物だからです。意味不明のあの妙な“前向きさ”も巨人的で、これ以上の適材適所は考えられないほどです。裏金問題の阿部捕手と一緒に、「最高です!」と叫びましょう。
さて、清武氏です。彼はこうした一連のスキャンダル報道全部を仕掛けた“犯人”と読売側に決めつけられているわけですが、いずれも憶測で、証拠は挙がっていない。読売側はそれを裁判で示すつもりなのかも知れませんが、仮に違っていたらどうするつもりなのでしょう? 「何、そのときは慰謝料を払えばすむことだ」とでも思っているのでしょうか? それとも、「あれは『清武氏しか考えられない』という当方の“主観の表明”であって、『清武だ』という“事実の断定”を行なったわけではない」とかいった法廷弁論(それを「三百代言」というのですが)を展開するつもりなのでしょうか?
論争のテクニックの一つに、周辺的なことにわざと不用意に見える言葉を混ぜておく、というのがあります。それに相手が引っかかってきたところで、逆にきついカウンターパンチを入れるのです。僕個人はタチの悪い奴を相手にするときだけこれを使いますが、この手を使えば、相手を呼び込んだ上でコテンパンにすることができる。そういったかけひきも両者の間にはあるのでしょうか?
そのあたりのことはまだ僕にはわかりませんが、カネにあかせて強力な弁護団を組んだ読売に個人や小さな組織が法廷闘争で勝つのは難しいかも知れませんが(あれはあくまで訴因に限定した法解釈論なので)、トータルで見れば勝つことはできるので、清武氏はすでに半ば以上勝っています。躍らされているのは読売の方で、やたらと騒ぎ立て、それによってかえって社会的な信用失墜を重ねているからです。
先の七つ森書館の件でも、良識は七つ森の方に軍配を上げるでしょう。読売のやり口の汚さは悪質な脅し、いやがらせとしか見えないからです。しつこく訴訟を仕掛ければ仕掛けるほど、世間の注目は集まって、読売の旗色は悪くなる。だから、大変でも、七つ森書館側は持ち応えることです。そうすれば必ず勝てる。そのプロセスで世間の認知度も上がるので、げんに僕などもこの事件報道があるまでその存在を知らなかったのです。汚名ならむろんマイナスですが、これは明らかに「勇名」の方です。
それにしても、読売と読売巨人軍は、一体どういうモラルをもつ組織なのでしょうか? これを一人の人間にたとえてみるなら、その“性格の悪さ”は並外れています。相手を攻撃するときはどんな卑劣なえげつない手でも使う(しかもしつこい!)。一方、自分に不都合なこととなると、きれいにそれは棚上げして、被害者面して別のことを言い出す。これは今どきのモンスター何とかと全く同じです。自己愛性人格障害と呼ぶべきか、いっそサイコパスと呼ぶべきか?
読売新聞はこれでどうして福島原発事故をめぐる東電、政府の隠蔽工作や、原子力村の闇など追及することができるのでしょう? 僕は読売をふだん読んでいないので知りませんが、東電擁護で凝り固まった記事と論説ばかり並べ立てているのでしょうか? 僕のパソコンではグーグルのニュースサイトを開くと宮崎県(そういえば清武氏は宮崎県の出身でした)関連のニュースが横に出てくるのですが、そこに教育関係の読売の記事が何度か出てきて、それはいずれもたいへんよい記事でした。いい記事を書いている記者はちゃんといるのです。しかし、本体がこれでは、そうした個々の記者の奮闘も台無しです。
僕は前にここに「ナベツネの落日」と題した戯文を書いたことがありますが、病的な自尊心に凝り固まった一人の老人が巨大メディアを牛耳り、上を全部その茶坊主で固めるようなことをしているから、こういうていたらくになってしまうのでしょう。そういう夜郎自大な“オレ様新聞”に公正な報道機関としての務めなど望むべくもないわけで、「清武の乱」で始まったこの一連の騒動は、読売の報道機関にあるまじき深い病巣を世間の前にさらけ出す結果となったのです。それだけでも清武氏は社会に大きな貢献をしたことになるのではないかと思われます。
原のあのセンチメンタルな“ぶりっ子”メッセージは、いくつか言葉を入れ替えれば、清武氏ではなく、読売新聞と巨人軍の方に向けた「そんなことをしてていいんですか?」という呼びかけに使えるでしょう(ちなみに、僕は浪人生の頃、読売新聞の新聞奨学生をしていたことがあります。こんなお粗末なことばかりやってると、それでなくとも部数が減っている今、販売店はどんなに苦労させられていることかと、同情を禁じえません)。
ドン・ナベツネ率いる読売グループと清武英利氏のバトルは、ボス支配の巨大組織に歯向かった個人がどうなるかのモデルケースみたいなものなので、僕はそれをずっと気にかけているのですが、分が悪いのはどうやら前者の方のようです。最近読売側は訴訟狂のようになっていて、何か暴露記事が出るたびに、「こんなことをバラすのはあの清武しかいない!」と決めつけながら、相手を名誉毀損その他で訴えるということを続けているようですが、そうした裁判の結末がどうあれ、墓穴を掘るのはナベツネと読売の方でしょう。“公器”であるはずの読売新聞本体の記事までそのためにせっせと利用し、公正もへったくれもなくなっているようなので、新聞としての信用はすでにガタ落ちで、「こんな会社、もう辞めたい」と思っている記者は少なくないのではないかと思われます。中には、「いや、これでナベツネは血圧の上がり通しなので、ポックリ行く日も近い。そうなったらナベツネの茶坊主たちを一掃して、新体制を作る好機がやってくる」と考えている人たちもいるかも知れませんが。
次の清武氏関連の訴訟事件はあまり大きなニュースにはならなかったので、ご存じない方が多いだろうと思いますが、そちらの地裁決定はすでに出て、今ネットで確認してみたら、「清武氏関与の書籍復刻本 販売禁止の仮処分命じる」と題されたスポニチの記事(6.15)が出ていたので、それをご紹介します(僕がこれについて最初に知ったのは『週刊金曜日』5/18日号の記事によってです)。
【プロ野球巨人の球団代表を解任された清武英利氏が取材に関わった書籍をめぐる仮処分で、東京地裁(東海林保裁判長)は15日、読売新聞東京本社の主張を認め、復刻本を出版した「七つ森書館」(東京)に販売禁止を命じる決定をした。復刻本は既に販売が始まっており、同書館は異議を申し立てる。
決定は、書籍の著作権が読売新聞東京本社にあるとした上で、「出版契約をした当時の社会部次長は会社を代理する権限がなく、契約は無効」と判断、販売による著作権侵害を認めた。
問題となった本は第一勧銀の利益供与事件などを取り上げた『会長はなぜ自殺したか』(1998年)。七つ森書館は昨年5月、読売側と出版の契約を結んだ。だが清武氏が11月、渡辺恒雄球団会長が巨人のコーチ人事に不当介入したと告発した後、読売が契約解除を申し入れた。
七つ森書館は応じず、読売は出版契約の無効確認を求め東京地裁に提訴。5月の第1回口頭弁論直後、同書館が本の販売を公表したため、仮処分を申し立てていた。
読売側は「妥当な決定。出版妨害には当たらないとの主張が認められたと受け止めている」とのコメントを出した。】
少し記事の補足をさせてもらうと、元は読売は了承していたわけです。ところがその後、清武氏は“離反”した。この復刻本の著者名は「読売社会部清武班」となっていて、ナベツネと読売は清武氏の離反騒動で「名誉を損なわれた」のに、こんな本が出たのでは清武氏の「評価を上げる」(元々彼は有能な社会部記者でした)ことになってしまうから、大いに腹立たしく、不都合だということになったのです。読売側は「この復刊本には、約15年前の事件関係者の実名も多数掲載されており、『重大なプライバシー侵害にあたる』として、別の裁判部にも出版差し止めの仮処分を申し立てている」(読売自身の記事)とも言っていますが、こういうのは後でとってつけた自己正当化のための屁理屈にすぎないのは誰の目にも明らかで、つまりは訴訟責めにして相手を弱らせる魂胆なのです(上記記事の「出版契約をした当時の社会部次長は会社を代理する権限がなく、契約は無効」という理屈についても同じ。読売の「内規」ではそうなっているなどと言っても、通常ならそれは正式契約として追認されていたはずだからです)。
読売は最初、出版取りやめには「金銭補償」をする旨申し出た。この「七つ森書館」というのは社員5人の零細出版社だそうですが、「やめにしてくれたら、たんまり出すものは出して、出版した場合よりずっと大きな利益が見込めるように措置しますよ」と言ったのでしょう。しかし、七つ森書館は、目的は利益ではなく、良書を出版することだと、これに応じなかった。『高木仁三郎著作集』の版元だけあって、気骨のある出版社なのです。
しかし、それでタダですむはずはない。「なんや、ほなら痛い目に遭いたいんか?」ということで、読売は訴訟を起こし、同時に取次や書店、印刷所など、あちこちに妨害じみた働きかけを始めた(七つ森書館のホームページ←ここ参照)。「うちは天下の読売やで。逆ろうたらどんな目に遭うか、教えたろやないか!」ということになったのです。
こういうのを正しい日本語では「ごろつき」と呼びます。同じごろつきでも、読売新聞の場合は強大な資本と権力をもっているから始末に負えない。街のごろつきなら逆襲して相手を上回る“脅威”を示せば逃げ出しますが、こちらはそうはいかないのです。零細出版社なら裁判費用が大きな負担になるし、それで何度も呼び出されたりするから、業務にも深刻な支障が出てしまうでしょう。
ネットを見ていたら、ここを支援しているサイト(その名も「神州の泉」)があって、そこに次のような記事(七つ森書館社長・中里英章氏からの支援者たちへのメールのようです)が出ています。
●裁判費用カンパのお願い●読売新聞側は、さらに仮処分などの訴訟を仕掛けてくると予想されます。多大な訴訟費用がかかります。ひとり七つ森書館の力で闘い抜けるものではありません。誠に恐縮ですが、裁判費用のカンパをお願いします。
・郵便振替口座 00170-1-37996 株式会社七つ森書館
「裁判費用カンパ」と明記してください。今後の経過報告をお送りするとともに、報告集会などを企画し、ご案内を差し上げます。どうぞ、よろしくお願い申し上げます。
皆さん、この勇気と志ある小出版社を応援しましょう! 図体はどんなにデカくても、ごろつきはごろつきなので、そういうのに勝手な真似をさせてはなりません。
以上は清武氏ご本人から“飛び火”した裁判の一例ですが、こういうのは「そこまで読売はやるのか!」と感嘆させるに十分なものでしょう。
さてここから、本日のお題の「原スキャンダル」に入りますが、発端は、今週号に掲載されているという週刊文春の「プロ野球、読売巨人軍の原辰徳監督が、女性問題で元暴力団員に脅され1億円を支払っていた」という記事だそうです。
読売はこの情報を事前に入手して、「発売日前日となる2012年6月20日、巨人軍の桃井恒和社長らが会見で、原監督の記事をめぐって近く同誌を名誉毀損の損害賠償請求訴訟を起こすことを明らかにした」というのです。
「訴訟大好き人間」の面目躍如ですが(この際「訴訟新聞」と社名を改めた方がいい)、一体どこが「けしからん」のかというと、その記事が事実無根の虚報だからではない、「原監督が金銭を支払った相手は“反社会勢力に属する人物”ではなかった」からなのです。愛人問題で脅され、要求されるまますぐに一億円を支払ったという、核となる話は事実なのです。ただ、「元暴力団員」というところが間違っていて、だから「名誉が傷つけられた」というのです。
???ですが、読売や原の非難はここから清武氏へと向けられる。一体この情報がどこから漏れたのか? それはあの清武氏以外には考えられない。あの憎むべきキヨタケがまたしてもこのような内部の“恥多き”トップ・シークレットを漏らしたのだと、読売側も原監督本人も決めつけて憚らないのです。
中でもケッサクなのは原監督その人によるものだという、「清武さんへ」と題された次の「メッセージ」なるものです。後世に残る名文(迷文?)なので、謹んで全文を引用させていただきます。
【清武さんへ
巨人軍の選手、OB、関係者を傷つける報道が相次いでいます。たくさんの暴露が行われ、巨人軍関係者を混乱させ、選手、OBを苦しませています。私は監督という立場で心を痛めてきました。
こんなことがなぜ続くのか。清武さんのほかに、いったいだれがいるのか。
今回は、私のことで良かったと思っています。
巨人軍の低迷期に清武さんと会い、同じ釜の飯を食い、同じ目的に向かって、悔しい時も、うれしい時も本気で涙を流してきました。ファンに愛され、強くある巨人軍をめざし、リーグ3連覇、日本一も成し遂げました。
巨人軍を育て、守り、築いてきた偉大な先輩方がたくさんいられます。未来へ夢をつなぎ、巨人軍の発展を願っている方もたくさんいられます。清武さんもその一人だと信じます。
巨人軍の一員だったことを誇りとして、これからも歩んでください。
まだ間に合います。 原辰徳】
感動…ではありませんかね? まるで指名手配の重大犯に悔悟と自首を勧告するかのような文章です。しかし、そもそもの話、先の巨人軍数人の新人選手の法外な裏契約金(それを巨人はひた隠しにしてきた)をめぐる朝日新聞の一連の報道も、「事実」であることには間違いなかったのでしょう? 今回の文春の記事も、一億円ゆすりとったのが暴力団員であったかどうかはともかく、彼がそれを球団に相談もせず支払っていたことは事実なのです。要するに、「外部に知られると具合が悪い(悪すぎる!)」事実ばかりなわけで、根も葉もないこ出鱈目をあげつらった「心ない中傷」とは性質が違う。そのことはきれいに棚上げして、あたかも“純粋な高校球児”みたいなこんなことを、よくも恥ずかしくもなく言えるものだなと、フツーの人間は聞いて呆れるのです(大体、こうしたぶざまな現実を知りながら、どうして「巨人軍の一員だったことを誇りと」できるのですか?)。しかも、清武氏が情報を漏洩したという明確な証拠は何も示されていないのです。
大体、原辰徳という男は、今でも大そうな嘘つきです。彼が直ちに発表したコメントによれば、「1988年ごろ、私(=原辰徳)はある女性と関係を持ちました」が、「プロ野球と関係ある人物」から2006年8月に電話があり、女性関係をつづった日記の存在を告げられたうえで「表に出ないように私に任せてほしい」と言われたのです。そのとき彼はどう思ったのか?
「ゆすられていると思い、不安を感じた一方、私を助けてくれるのだとも解釈し、要求された現金を渡しました」というのです。
これは実に不可解な心理です。「ゆすられている」と思いながら、同時に「私を助けてくれる」人だと思うことなど、ふつうはありえません。「カネを出さないと、この情報(=愛人の日記)はマスコミに流れてしまうよ。そしたらあんたは困るだろう。一億出せばオレがうまく話をつけてやるから」と言っているのだから、純然たる脅迫です。なのに「私を助けてくれる」などと考えるようなおめでたい人間など、いるものでしょうか? 「流す」人間とそれを「止める」人間が別でも、両者はグルになっているのです。
事実は、彼もそれが純然たる脅迫であることはわかっていたのです。スケベなくせに体裁屋で紳士ぶりたがる小心な彼はそれで縮み上がってしまった。だから球団にも内緒であわてて要求どおり一億のカネを支払ったが、こういうヘタレはワルにとってはいいカモなので、今度はその連中の知り合いが「もっと搾り取れる」と考えて、その三年後、今度は球団に「女性問題のことを書いた日記が監督の手に渡ったはずだ。それを返してほしい」と要求する電話をかけてきた。それで事が球団側に知られることとなったわけです(このときは球団事務所近くの路上でガスボンベとガソリン缶を持って、「ここで腹を切ってやる」などと叫び、騒ぎ立てたために、威力業務妨害の現行犯で逮捕)。
しかし、球団はこの事件を“組織ぐるみ”で隠蔽。それは成功したかに見えたのに、今頃になってそれを何者かが暴露した。清武さん、それはあんたでしょ。あんたしかいない。何でそんなひどいことするんですか、ということになったのです。体裁屋の原は、この期に及んでもまだいいカッコをしようとして、「いや、これは私個人の問題でよかった、私が耐え忍べばそれですむことですから…」なんて、あたかも罪なき善人が不当な非難中傷を耐え忍ぶかのようなポーズを取って見せるのです。悪いのは「憎むべきキヨタケ」で、自分は被害者に他ならないのだと、話をすり替えて同情を買おうとするのです。
その後のインタビューではこんなことも言っています。
「どこかに心のつかえがこのところありました。こういう状況になって、なにかそのモヤモヤが取れたような、逆にこういう事柄に関して感謝をしたいなという風に思います」
この前向き男! いつもさわやか、若大将! しかし、ことの経緯を考えるなら、「さわやか」どころの話ではない。同性から見た(おそらくは女性から見ても)彼の一番のだらしなさは、愛人がどうのというより(彼はそこをカン違いしているようですが)、そういう脅しに手もなく屈して一億円もの大金(億の年俸を取る彼にとってもそれは小さな出費ではなかったでしょう)をほいほい払ってしまうという腑甲斐なさです。「ジャイアンツ愛、これですよ」なんて監督就任当初彼はペラペラと紙みたいに軽い言葉を並べ立てていて、「気色の悪い奴だな」と思ったものですが、見栄と世間的体裁とタマ打ちの能力を取ってしまったら何も残らないのが原辰徳という男です。かんじんの自分のタマは持っていない。上から黒と言えと言われれば黒と言い、白と言えと言われれば、白と言う、そういう人間がいるものですが、彼はその手のタイプです。
今さら「さわやか」ぶっても、だからもう遅いわけですが、球団の方は彼と較べるとそのあたりはもっと敏感で、相手が「暴力団」「反社会勢力」ではなかったということをさかんにアピールするのも、「脅しに屈した」という印象を何とかして少しでも和らげたいと思うからでしょう。原本人の談話に「「ゆすられていると思い、不安を感じた一方、私を助けてくれるのだとも解釈し、要求された現金を渡しました」という矛盾したくだりが出てくるのも、そのためです。彼はそう言えと言われたのでしょう。相手は困った状況になりかねない彼を“助けてくれる”人だと思ったからこそ、相手の要求に応じた。無理にでもそういうことにしないと、「世間に知られて社会的体面を失うのを恐れる一心で、悪いことは百も承知しながら、ビビってすぐ要求に応じてしまった」ということになってしまうからです。選手たちのあの契約金裏金騒動で「球界の紳士」の自己宣伝イメージは大打撃を受けたのに、この上監督まで裏社会の人間の脅しにあっさり屈していたというのでは、暴排キャンペーンもたけなわの折柄、目も当てられないことになってしまう。球団はそう考えたのです(さっき仕事の帰りに書店で文春を立ち読みしたら、何と彼は素知らぬ顔で警察の「暴排キャンペーン」のCMまで引き受けていたとのこと。“私は脅しに屈しません!”文春の言うとおり、それは「ブラックジョーク」以外の何物でもありません)。
僕らふつうの人間は、相手が暴力団の組員であろうとなかろうと、そのような脅迫をする人間はカタギではないとみなしますが、そういう形式的なところに必死にこだわるのが、いかにも法律論争の好きな体裁屋の読売らしいところです。
しかし、ナベツネと球団はご安心を。心配しなくても、世間の人は原が巨人軍の監督にふさわしくないなどとは思いませんよ。彼はジャイアンツの偽善ぶりを象徴する、まさにうってつけの人物だからです。意味不明のあの妙な“前向きさ”も巨人的で、これ以上の適材適所は考えられないほどです。裏金問題の阿部捕手と一緒に、「最高です!」と叫びましょう。
さて、清武氏です。彼はこうした一連のスキャンダル報道全部を仕掛けた“犯人”と読売側に決めつけられているわけですが、いずれも憶測で、証拠は挙がっていない。読売側はそれを裁判で示すつもりなのかも知れませんが、仮に違っていたらどうするつもりなのでしょう? 「何、そのときは慰謝料を払えばすむことだ」とでも思っているのでしょうか? それとも、「あれは『清武氏しか考えられない』という当方の“主観の表明”であって、『清武だ』という“事実の断定”を行なったわけではない」とかいった法廷弁論(それを「三百代言」というのですが)を展開するつもりなのでしょうか?
論争のテクニックの一つに、周辺的なことにわざと不用意に見える言葉を混ぜておく、というのがあります。それに相手が引っかかってきたところで、逆にきついカウンターパンチを入れるのです。僕個人はタチの悪い奴を相手にするときだけこれを使いますが、この手を使えば、相手を呼び込んだ上でコテンパンにすることができる。そういったかけひきも両者の間にはあるのでしょうか?
そのあたりのことはまだ僕にはわかりませんが、カネにあかせて強力な弁護団を組んだ読売に個人や小さな組織が法廷闘争で勝つのは難しいかも知れませんが(あれはあくまで訴因に限定した法解釈論なので)、トータルで見れば勝つことはできるので、清武氏はすでに半ば以上勝っています。躍らされているのは読売の方で、やたらと騒ぎ立て、それによってかえって社会的な信用失墜を重ねているからです。
先の七つ森書館の件でも、良識は七つ森の方に軍配を上げるでしょう。読売のやり口の汚さは悪質な脅し、いやがらせとしか見えないからです。しつこく訴訟を仕掛ければ仕掛けるほど、世間の注目は集まって、読売の旗色は悪くなる。だから、大変でも、七つ森書館側は持ち応えることです。そうすれば必ず勝てる。そのプロセスで世間の認知度も上がるので、げんに僕などもこの事件報道があるまでその存在を知らなかったのです。汚名ならむろんマイナスですが、これは明らかに「勇名」の方です。
それにしても、読売と読売巨人軍は、一体どういうモラルをもつ組織なのでしょうか? これを一人の人間にたとえてみるなら、その“性格の悪さ”は並外れています。相手を攻撃するときはどんな卑劣なえげつない手でも使う(しかもしつこい!)。一方、自分に不都合なこととなると、きれいにそれは棚上げして、被害者面して別のことを言い出す。これは今どきのモンスター何とかと全く同じです。自己愛性人格障害と呼ぶべきか、いっそサイコパスと呼ぶべきか?
読売新聞はこれでどうして福島原発事故をめぐる東電、政府の隠蔽工作や、原子力村の闇など追及することができるのでしょう? 僕は読売をふだん読んでいないので知りませんが、東電擁護で凝り固まった記事と論説ばかり並べ立てているのでしょうか? 僕のパソコンではグーグルのニュースサイトを開くと宮崎県(そういえば清武氏は宮崎県の出身でした)関連のニュースが横に出てくるのですが、そこに教育関係の読売の記事が何度か出てきて、それはいずれもたいへんよい記事でした。いい記事を書いている記者はちゃんといるのです。しかし、本体がこれでは、そうした個々の記者の奮闘も台無しです。
僕は前にここに「ナベツネの落日」と題した戯文を書いたことがありますが、病的な自尊心に凝り固まった一人の老人が巨大メディアを牛耳り、上を全部その茶坊主で固めるようなことをしているから、こういうていたらくになってしまうのでしょう。そういう夜郎自大な“オレ様新聞”に公正な報道機関としての務めなど望むべくもないわけで、「清武の乱」で始まったこの一連の騒動は、読売の報道機関にあるまじき深い病巣を世間の前にさらけ出す結果となったのです。それだけでも清武氏は社会に大きな貢献をしたことになるのではないかと思われます。
原のあのセンチメンタルな“ぶりっ子”メッセージは、いくつか言葉を入れ替えれば、清武氏ではなく、読売新聞と巨人軍の方に向けた「そんなことをしてていいんですか?」という呼びかけに使えるでしょう(ちなみに、僕は浪人生の頃、読売新聞の新聞奨学生をしていたことがあります。こんなお粗末なことばかりやってると、それでなくとも部数が減っている今、販売店はどんなに苦労させられていることかと、同情を禁じえません)。
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