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ナベツネの落日

2011.11.12(15:21) 123

 事件の経緯についてはすでにご存じでしょうから、委細は省きます。「プロ野球巨人の清武英利球団代表兼ゼネラルマネジャー(61)が11日に会見を開き、球団会長で読売新聞グループ本社会長兼主筆の渡辺恒雄氏(85)による球団運営の関与に『ノー』を突きつけた」(サンケイ記事)という件です。「渡辺氏からの『1、2年後に君を社長にする。すべてを受け入れて仕事を続けてくれ』と出世を条件にした懐柔劇まで暴露した」(同)というのだから、ナベツネとしては面目丸潰れです。

 もう一つ、僕が笑ったのは、ナベツネが自分もすでに了承していた人事を勝手にひっくり返して、「ヘッドコーチにしろ!」と言って担ぎ出そうとしたのが、あの江川卓だったということです。今の若い人は、テレビのスポーツ番組で見る「太ったオジサン」の印象しかないでしょうが、同世代の僕はよく記憶しています。彼こそが「空白の一日」とやらを悪用して、ドラフト制度の盲点を衝き、巨人に入団した男であったということを。

 当時はそれで“エガワる”という言葉がはやったものです。自分の利己的な願望を満たすためには手段をえらばず、ズルをすることを総称してそう言ったもので、その後も彼の“銭ゲバ”ぶりはしばしば話題になりましたが、巨人内部で“財テク”をはやらせたのも彼だったと聞きました。後輩の桑田真澄投手なんかもその方面の弟子で、現役時代は「投げる不動産屋」の異名をとったものでした。ところが、その財テクは大失敗、二人とも巨額の借金を背負って、そのためにせっせと働かねばならない羽目に陥ったのです。

 ナベツネが江川をヘッドコーチにするというのは、彼を次期監督にするための布石だったのでしょう。江川にとってはおいしい話が、これでぶち壊しになったのです。

 このブログの読者は、僕が筋金入りの“アンチ巨人”であることをすでにご存じです。父親が巨人ファンだったこともあって、僕も子供の頃はジャイアンツファンでした。当時は監督は川上、選手には王と長島がいた巨人の黄金時代で、僕は王選手の熱烈なファンでした。テレビではアニメ『巨人の星』をやっていて、僕もピンポン玉で“大リーグボール”を投げる練習をしたものです。ピンポン玉ならそれは可能に思われたからです。

 僕が巨人に嫌悪感を抱くようになったのは、それだけが理由ではないが、やはりあの“江川騒動”も関係している。そういうチームは僕の美意識と相容れなかったのです。大体、その前後十年ぐらいは現実離れのしたテツガク青年になってしまっていたので、野球そのものに興味を失っていた。関心が復活してから、ヤクルトファンになったのです(選手個人として一番好きなのは広島カープの前田智徳選手なのですが)。

 その後も巨人は薄汚い真似を繰り返してやるようになりましたが、それにナベツネがどの程度関与していたか知りませんが、かなり関係していたでしょう。根っからの民主主義者である僕はあの手の権力的な、傲慢ジジイが大嫌いなので、周辺にその手の人間が出現したときは無視したり罵倒したりして怒らせるのをつねとしてきました(高校を卒業して上京する際、父親は息子に「人に逆らうな、とくに目上の人間に」という訓戒を与えましたが、それは何の効果もありませんでした)。おかげでその手の勿体ぶったオヤジ連中とは長くつきあわずにすみましたが、ナベツネは権力の“在位期間”が並外れて長いので、それが読売新聞と巨人軍に及ぼした悪影響にははかり知れないものがあるでしょう。下の人たちはよく我慢してきたものだと思います。

 頑迷独善的な独裁者の下には追従を事とする日和見主義者しか残らないもので、それがその組織の劣化と弱体化を惹き起します。ナベツネは政界にも幅広い人脈をもつ、人心操縦術に長けた悪賢い男であるようですが、それだけに彼が垂れ流してきた害悪には深刻なものがあったわけです。読売巨人軍の腐敗はその一部にすぎません。

 独裁者は“密室政治”がことの他お好きで、そのことに権力の自己満足を得るもののようですが、ナベツネの感覚では、今回もそれで通るつもりだったのでしょう。ところが、そのお粗末な内情を記者会見で暴露されて、進退谷(きわ)まった。ナベツネにとっては不都合でも、社会にとっては好ましいことです。

 この前のオリンパスの件もそうですが、最近はこの手の話がほんとに多いなという気がします。僕自身はそれをプラスの兆候と評価しています。今の時代は“大掃除”の時代で、これまでなら隠されたままになった不正や欺瞞が次々表に出てくるようになった。それをちゃんとやりきることができるか否かで、これからの社会がどうなるか、ある程度占えるように思います。
 ナベツネはたぶん死ぬまで権力の座に居座り続けるでしょうが、今回の件はそれ自体は小さなことながら、彼の権力が空洞化するエポックメーキングな出来事となるでしょう。重ねて、それはめでたいことだと思います。むろん、僕はナベツネに何ら個人的な恨みはありませんが、風通しのいい公正な社会をつくっていくためには喜ばしい出来事だと思うのです。
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