【人間は真面目一辺倒ではいられないもので、書き手の生理的必然としてこのようなものができてしまったので、「分類」をよくご確認の上、可とする方のみお読み下さい。】
過日、「唐変木出版社長兼編集主幹・猿野真似夫」と名乗る人から、電話がかかってきました。何でも、『超訳 クリシュナムルティ』という企画を考えているから、ぜひご協力願いたいという…。
「何かそれ、どこかで聞いたようなタイトルですね。『超訳 ニーチェの言葉』とか、そういうのがありませんでしたっけ?」
「そうです。今や世は『超訳』ブームです! 弊社では他にも、『超訳 プラトン』や『超訳 論語』なども考えておりまして、他にもですね、『座右の二宮尊徳』とか、『座右のディオゲネス』などを検討中です。これらはすべて“目に優しい”大活字本で提供される予定でして」
「その『座右の…』というのもどこかで聞いたような…。ときに、その『超訳』の話が、何で僕のところにきたんですか?」
「実は、あちこち打診したのですが、『不謹慎だ!』とか『冒涜だ!』ということで、目ぼしい訳者の方々には全部断られてしまいまして…。どうも、このクリシュナムルティという先生の関係者にはお堅い方が多いようで、あれはヒマラヤ出身の、ヨガの先生なんでしょう? もう少し柔軟性があってしかるべきだと思うのですが」
「ヒマラヤじゃなくて、インドですよ。それに、ヨガの先生でもありません。ということは、あなたは彼をお読みになったことはないんですか?」
「編集者たるもの、多忙でして、そんなにあれこれ読めるもんじゃないんです。読むのは読者の仕事でして、私どもの仕事は“売れる企画を立てること”、これですよ」
「なるほど。しかし、失礼ながら、僕は貴社の名前を寡聞にして知りませんので、これまでどんな本をお出しになっているのか、参考までに教えていただけますか?」
「よくぞ聞いてくださいました。レパートリーは広く、ほとんどあらゆる分野を網羅しております。たとえば先月は、『残念な人の健康法』というのを出しまして、テレビ・雑誌などで話題沸騰中です。同時に、『勉強嫌いの中学生のノートはとても汚い』という本も出しまして、こちらも快調に売れています。先月はもう一冊、ビジュアルな表紙の『もし高校バスケ部の女子マネージャーがハイデッガーを読んだら』という本も出版しまして、こちらも好調です」
「何か、ビミョーに聞いたことのあるタイトルばかりですね。最初のは何となく内容に見当がつくものの、『勉強嫌いの中学生のノートはとても汚い』なんて、どういう趣旨のものか全くわかりませんね」
「これはですね、うちの息子が大の勉強嫌いで、とにかく早く遊びに行きたい一心で、あの宅習ノートというんですかね、あれが滅茶苦茶なんですよ。それで、あるとき女房に言われてお説教していたんですが、『こういう自分でも何を書いているのかわからんようなノートを作っているから、おまえの成績は悪いのだ!』と言った瞬間、閃きましてね。こういうのをズラッと並べて、通知表も一緒に載せてですね、こういうノートを作る子供は成績が上がらないというのを示せば、『他山の石』と申しますか、『逆をやればいいのだ!』というのがわかって、教育的かと。それに、これはここだけの話ですが、『ウチの子はこれよりはマシだ』とひそかに安心する親御さんもおられるでしょう。どちらに転んでもこれはうまくいくと、それに、何せ子供のノートをペタペタ貼るだけで大方出来上がってしまいますし、手間も印税もいらず、儲けが大きいわけですよ。うはは…」
「もう一つの『バスケ部の女子マネージャーがハイデガー』というのは、どういうものなんですか? こちらはなおのことわかりにくい感じがするんですが」
「これもですね、世界内存在とは何か?なんて考え込みすぎて、結局うまく行かないということを、女子マネが悟るという話でして。存在と時間の本質なんて、そんなことあれこれ考えていた日には、すばやいパス回しどころの話ではなくなるので、やっぱりそれは向いていないから、他の本にした方がいいとわかるという筋書きです」
「初めから、そんなことはわかっているような気もしますが…。たしかに取り合わせが奇抜だから、何だろう?とは思うかもしれませんが」
「そこを、私も狙ったわけです。しかし、駄目づくしではありません。最後にこの女子マネはハイデッガーの“使える活用法”というのを一つ発見するのです」
「それは、何ですか?」
「それはですね。『ダー・ザイン!』と叫んで、スリーポイントシュートを決めるという方法です。これはもう、タイミングがぴったり合うんですよ」
「恐ろしい活用法ですね。あのツチヤ教授でもそこまでは考えつかないだろうなという感じです。他に売れた本というのはあるんですか?」
「これはもう数年前になりますが、『ピーマンはどこへ行った?』という本はよく売れましたね。今も売れ続けているので、弊社のロングセラーと言えます」
「ピーマン? チーズじゃないんですか?」
「いや、ピーマンです。これは一種の寓話ですが、青虫の成長物語になっているんですね。それが若い読者の共感を呼びまして」
「青虫はキャベツでしょう。ピーマンに青虫なんて、聞いたこともありません。僕は子供の頃、川へ魚釣りに行くのに、畑のキャベツについた青虫を集めた記憶がありますからね。餌にしたんですよ。ピーマンは関係ありません」
「いや、そういうことはどうでもいいんですよ。理科の教科書じゃなくて、イメージの世界のお話ですからね。ファンタジーなんです。短いがよくできた教養小説のようになっておりましてね。感動間違いなしです。今度一冊お送りしますよ」
「結構です。何と言うか、他にもう少しマシな本はないんですか? 硬派の…」
「あります、あります。もっと上の世代向けには『今、なぜ山中鹿之助なのか?』が受けました。『われに七難八苦を与えよ』というあれが、バブル崩壊後のリストラ・倒産に苦しむ中高年世代に勇気を与えるものとして共感されたんですよ。離婚を考える主婦層には、『貧乏父さん、金持ち母さん』が具体的なヒントを与えるものとして歓迎されました。これなんか、あまりにもよくできていて危険なので、私は女房には決して読ませなかったほどです。このとおりやられたら、私は身ぐるみ剥がされて家を追い出された上、別れた女房のために一生タダ働きさせられますからね。そうそう、半年前ぐらいですか、『そうだったのか! コンカツ』というのを出して、これも婚活ブームを背景にかなりの売り上げを記録しました。あと、おっしゃるカタい本としてはですねえ、『面白いほど人生がわかる本』というのも幅広い読者層を獲得しました。全部が三分以内に読める短文かフレーズの集積でしてね。しかも、ホリエモンや今をときめくAKB48のメンバーの言葉から、ブッダ、ゲーテ、トルストイ、孔子の言葉までちりばめられているというスグレモノで、奥が深いんですよ」
「恐ろしい企画ばかりですね。しかし、僕はその種のハウツーものとか、ベストセラーの類には興味がないんですよ。やはり書物というものはじっくり腰をすえて読まれるべきものだという、そういう古風な考えをもっておりますので」
「わかります、わかります。そういう読者も逃がさないように、弊社では『と』シリーズや『における』シリーズというのもちゃんと出しております。『ゲーテとトルストイ』とか『ショーペンハウエルとニーチェ』とか、『トリスタンとイゾルデ』とか、以前はその種のものが多かったですからねえ。『における』では、『プラトンにおけるイデアの観念』とか、『近代ドイツにおける国家の理念』とか、そういう感じのものがあって、中高年読者にはそうしたタイトルに郷愁を抱く人が少なくないのです」
「それは素晴らしいですね。具体的にはどんな出版物があるのですか?」
「まだ発刊点数は少ないのですが、『夏目漱石とアフリカ』とか『ドストエフスキーにおける貯蓄の観念』といったものがございます。只今進行中の企画としては、『ウィトゲンシュタインとマネーゲーム』というのがあって、これなどは読者待望の画期的な著作ではないかと仕上がりを楽しみにしているところです」
「すごいですねえ。漱石がアフリカと関係していたなんて、僕は全然知りませんでしたし、ドストエフスキーなんか、あれは賭博狂だったので、貯蓄の観念なんか、果たしてあったのかと疑われるほどです。ウィトゲンシュタインも、言語ゲームというのは知っていますが、まさかマネーゲームとは!」
「そこです。調べてみたらやっぱり関係はほとんどなかったということを、著作の綿密な読み込みと、伝記的事実の詳しい検討に基づいて明らかにしたという労作です。『ウィトゲンシュタインとマネーゲーム』につきましては、言語ゲームとマネーゲームを混同して、彼が株の仕手戦に従事していた人だとカン違いする人がいるかも知れないので、そうではありませんということを、その本では詳しく解説することになっているのです」
「あのう…僕はもうそろそろ仕事に出かけなければならないので、続きはまたの機会に、ということにしていただけないでしょうか?」
「そうですか、それは残念です。最後に一つだけ、『超訳』の話に気乗りがされないようでしたら、映画の字幕翻訳というのはいかがですか? 弊社では近々そちらの方にも進出する予定で、わが国ではあまり知られていない海外の名作を、DVDかブルーレイディスクでビデオレンタルショップに直接卸すことを考えているのです。字幕をつけねばならないので、そちらを担当してくださる方を募集中なのです」
「僕は未経験なのでわかりませんが、そちらは面白そうですね」
「でしょう? 目下検討中なのは『沈黙の絶叫』というタイトルの映画です。主演はスッチーフン・セマールで、脇をいぶし銀の魅力のアル・マジーロが固め、監督はカリント・ウエストウッドという豪華版です」
「スチーブン・セガールの間違いでは? 僕は彼の映画はあまり見ませんが、『沈黙の…』というタイトルの映画が彼にはたくさんあるようですし。それと、アル・パチーノとクリント・イーストウッドはよく知っていて、僕は昔から彼らのファンです。そちらとは違うのですか?」
「微妙に、別です。しかし、内容は素晴らしいのです。セマール扮する動物園の飼育係が、テロリストたちの恐ろしい陰謀に気づいて、それに注意するよう何度も政府に掛け合うのですが、相手にしてもらえず、引退したCIAの元凄腕スパイ、マジーロに相談して、動き出すという物語です」
「動物園の飼育係が何でテロリストの陰謀と関係してくるんですか?」
「そこなんですよ。お聞きになりたいですか?」
「あまり時間がかからないようなら…。あと五分で出ないと、遅刻しますから」
「大丈夫です。テロリストたちは超小型の核兵器を開発して、それを大量に集めたある動物の背中につけて、アメリカを攻撃させるのです。この動物、何かおわかりですか?」
「全然、見当もつきませんね」
「実はエリマキトカゲなんです! 動物園の飼育係は世界中のエリマキトカゲが次々姿を消し、動物園のそれまでもが何者かに奪い去られるという事件を追ううちに、テロリストがひそかにエリマキトカゲを集めて訓練を施し、背中に小型核兵器をつけてホワイトハウスやペンタゴンを同時攻撃する計画を練っているのを知る。そこから始まるのです。それで、飼育係とCIAの元スパイの奮闘空しく、恐怖のそのときが来てしまう! 深夜、何者かの気配に気づいたペンタゴンとホワイトハウスの守衛たちは、懐中電灯で照らした闇の中に、二本足で立ち上がった核兵器装備の大量のエリマキトカゲの姿が浮かび上がるのを見る。その瞬間、エリマキトカゲたちは一斉にあのエリマキを広げて、奇怪な声を発し、威嚇するのです。守衛たちはあまりの恐怖に凍りつき、声も出なくなってしまう…」
「エリマキトカゲって、鳴くんでしたっけ? ともかくそれで『沈黙の絶叫』という不可解なタイトルは何となくわかったような気がしますけど、元のタイトルはどうなっているんですか? というのも、スティーブン・セガールのあの『沈黙の…』シリーズも、日本で勝手に付けているだけで、原題はそんなのじゃないわけでしょう?」
「原題は、An Unspeakable Terror です。これ、文字通りに訳せばどうなりますか?」
「『言い表せないほどのひどい恐怖』という意味でしょう。お話を伺ったかぎりでは、Unspeakable Nonsense というタイトルの方が適切に思われますが…。最後はどうなるんですか?」
「それは企業秘密というか、見てのお楽しみということで、申し上げられません。いかがですか、私はこれは絶対に当たるという確信をもっているので、ぜひお引き受け願えませんか?」
「それもまた、あちこちで断られたからでしょう? ご存じかどうか、僕はそれでなくとも『一言多すぎる訳者』として、一部の読者の烈しい憎悪を買っている人間なのに、おたくの言われるようなおかしな仕事を引き受けた日には、どんなことになってしまうのかと寒気がしてくるので、このままおとなしくしておいた方が得策というものです」
「そうですか、たんまり謝礼はお支払いするつもりでしたのに、残念です。ですが、まだ色々企画はございますので、その節はまたぜひ。学習塾をおやりになっているのでしたら、ウチには学習教材の『五分でわかる』シリーズというのがございまして、そちらの執筆なんか、いかがです? 『五分でわかる大学入試英語』とか…」
「もしほんとにそんな本があるのなら、僕の商売は上がったりだし、学校も不要になるから、子供たちは大喜びでしょうが、人生はそう甘くありませんよ」
「今、閃きました! 『甘くない人生』なんて、辛口コラム集はどうでしょうか? それでゆくゆくは『甘くない』シリーズというのを作るのです」
「申し訳ありませんが、僕はもう出かけます。もう少しまともな企画が思い浮かんだときだけ、またご連絡下さい」
どうもこの人は売れない物書きや、僕のようにひまをもて余している元翻訳屋なんかに片っ端から電話しているようなので、皆さん、ご注意下さい。
過日、「唐変木出版社長兼編集主幹・猿野真似夫」と名乗る人から、電話がかかってきました。何でも、『超訳 クリシュナムルティ』という企画を考えているから、ぜひご協力願いたいという…。
「何かそれ、どこかで聞いたようなタイトルですね。『超訳 ニーチェの言葉』とか、そういうのがありませんでしたっけ?」
「そうです。今や世は『超訳』ブームです! 弊社では他にも、『超訳 プラトン』や『超訳 論語』なども考えておりまして、他にもですね、『座右の二宮尊徳』とか、『座右のディオゲネス』などを検討中です。これらはすべて“目に優しい”大活字本で提供される予定でして」
「その『座右の…』というのもどこかで聞いたような…。ときに、その『超訳』の話が、何で僕のところにきたんですか?」
「実は、あちこち打診したのですが、『不謹慎だ!』とか『冒涜だ!』ということで、目ぼしい訳者の方々には全部断られてしまいまして…。どうも、このクリシュナムルティという先生の関係者にはお堅い方が多いようで、あれはヒマラヤ出身の、ヨガの先生なんでしょう? もう少し柔軟性があってしかるべきだと思うのですが」
「ヒマラヤじゃなくて、インドですよ。それに、ヨガの先生でもありません。ということは、あなたは彼をお読みになったことはないんですか?」
「編集者たるもの、多忙でして、そんなにあれこれ読めるもんじゃないんです。読むのは読者の仕事でして、私どもの仕事は“売れる企画を立てること”、これですよ」
「なるほど。しかし、失礼ながら、僕は貴社の名前を寡聞にして知りませんので、これまでどんな本をお出しになっているのか、参考までに教えていただけますか?」
「よくぞ聞いてくださいました。レパートリーは広く、ほとんどあらゆる分野を網羅しております。たとえば先月は、『残念な人の健康法』というのを出しまして、テレビ・雑誌などで話題沸騰中です。同時に、『勉強嫌いの中学生のノートはとても汚い』という本も出しまして、こちらも快調に売れています。先月はもう一冊、ビジュアルな表紙の『もし高校バスケ部の女子マネージャーがハイデッガーを読んだら』という本も出版しまして、こちらも好調です」
「何か、ビミョーに聞いたことのあるタイトルばかりですね。最初のは何となく内容に見当がつくものの、『勉強嫌いの中学生のノートはとても汚い』なんて、どういう趣旨のものか全くわかりませんね」
「これはですね、うちの息子が大の勉強嫌いで、とにかく早く遊びに行きたい一心で、あの宅習ノートというんですかね、あれが滅茶苦茶なんですよ。それで、あるとき女房に言われてお説教していたんですが、『こういう自分でも何を書いているのかわからんようなノートを作っているから、おまえの成績は悪いのだ!』と言った瞬間、閃きましてね。こういうのをズラッと並べて、通知表も一緒に載せてですね、こういうノートを作る子供は成績が上がらないというのを示せば、『他山の石』と申しますか、『逆をやればいいのだ!』というのがわかって、教育的かと。それに、これはここだけの話ですが、『ウチの子はこれよりはマシだ』とひそかに安心する親御さんもおられるでしょう。どちらに転んでもこれはうまくいくと、それに、何せ子供のノートをペタペタ貼るだけで大方出来上がってしまいますし、手間も印税もいらず、儲けが大きいわけですよ。うはは…」
「もう一つの『バスケ部の女子マネージャーがハイデガー』というのは、どういうものなんですか? こちらはなおのことわかりにくい感じがするんですが」
「これもですね、世界内存在とは何か?なんて考え込みすぎて、結局うまく行かないということを、女子マネが悟るという話でして。存在と時間の本質なんて、そんなことあれこれ考えていた日には、すばやいパス回しどころの話ではなくなるので、やっぱりそれは向いていないから、他の本にした方がいいとわかるという筋書きです」
「初めから、そんなことはわかっているような気もしますが…。たしかに取り合わせが奇抜だから、何だろう?とは思うかもしれませんが」
「そこを、私も狙ったわけです。しかし、駄目づくしではありません。最後にこの女子マネはハイデッガーの“使える活用法”というのを一つ発見するのです」
「それは、何ですか?」
「それはですね。『ダー・ザイン!』と叫んで、スリーポイントシュートを決めるという方法です。これはもう、タイミングがぴったり合うんですよ」
「恐ろしい活用法ですね。あのツチヤ教授でもそこまでは考えつかないだろうなという感じです。他に売れた本というのはあるんですか?」
「これはもう数年前になりますが、『ピーマンはどこへ行った?』という本はよく売れましたね。今も売れ続けているので、弊社のロングセラーと言えます」
「ピーマン? チーズじゃないんですか?」
「いや、ピーマンです。これは一種の寓話ですが、青虫の成長物語になっているんですね。それが若い読者の共感を呼びまして」
「青虫はキャベツでしょう。ピーマンに青虫なんて、聞いたこともありません。僕は子供の頃、川へ魚釣りに行くのに、畑のキャベツについた青虫を集めた記憶がありますからね。餌にしたんですよ。ピーマンは関係ありません」
「いや、そういうことはどうでもいいんですよ。理科の教科書じゃなくて、イメージの世界のお話ですからね。ファンタジーなんです。短いがよくできた教養小説のようになっておりましてね。感動間違いなしです。今度一冊お送りしますよ」
「結構です。何と言うか、他にもう少しマシな本はないんですか? 硬派の…」
「あります、あります。もっと上の世代向けには『今、なぜ山中鹿之助なのか?』が受けました。『われに七難八苦を与えよ』というあれが、バブル崩壊後のリストラ・倒産に苦しむ中高年世代に勇気を与えるものとして共感されたんですよ。離婚を考える主婦層には、『貧乏父さん、金持ち母さん』が具体的なヒントを与えるものとして歓迎されました。これなんか、あまりにもよくできていて危険なので、私は女房には決して読ませなかったほどです。このとおりやられたら、私は身ぐるみ剥がされて家を追い出された上、別れた女房のために一生タダ働きさせられますからね。そうそう、半年前ぐらいですか、『そうだったのか! コンカツ』というのを出して、これも婚活ブームを背景にかなりの売り上げを記録しました。あと、おっしゃるカタい本としてはですねえ、『面白いほど人生がわかる本』というのも幅広い読者層を獲得しました。全部が三分以内に読める短文かフレーズの集積でしてね。しかも、ホリエモンや今をときめくAKB48のメンバーの言葉から、ブッダ、ゲーテ、トルストイ、孔子の言葉までちりばめられているというスグレモノで、奥が深いんですよ」
「恐ろしい企画ばかりですね。しかし、僕はその種のハウツーものとか、ベストセラーの類には興味がないんですよ。やはり書物というものはじっくり腰をすえて読まれるべきものだという、そういう古風な考えをもっておりますので」
「わかります、わかります。そういう読者も逃がさないように、弊社では『と』シリーズや『における』シリーズというのもちゃんと出しております。『ゲーテとトルストイ』とか『ショーペンハウエルとニーチェ』とか、『トリスタンとイゾルデ』とか、以前はその種のものが多かったですからねえ。『における』では、『プラトンにおけるイデアの観念』とか、『近代ドイツにおける国家の理念』とか、そういう感じのものがあって、中高年読者にはそうしたタイトルに郷愁を抱く人が少なくないのです」
「それは素晴らしいですね。具体的にはどんな出版物があるのですか?」
「まだ発刊点数は少ないのですが、『夏目漱石とアフリカ』とか『ドストエフスキーにおける貯蓄の観念』といったものがございます。只今進行中の企画としては、『ウィトゲンシュタインとマネーゲーム』というのがあって、これなどは読者待望の画期的な著作ではないかと仕上がりを楽しみにしているところです」
「すごいですねえ。漱石がアフリカと関係していたなんて、僕は全然知りませんでしたし、ドストエフスキーなんか、あれは賭博狂だったので、貯蓄の観念なんか、果たしてあったのかと疑われるほどです。ウィトゲンシュタインも、言語ゲームというのは知っていますが、まさかマネーゲームとは!」
「そこです。調べてみたらやっぱり関係はほとんどなかったということを、著作の綿密な読み込みと、伝記的事実の詳しい検討に基づいて明らかにしたという労作です。『ウィトゲンシュタインとマネーゲーム』につきましては、言語ゲームとマネーゲームを混同して、彼が株の仕手戦に従事していた人だとカン違いする人がいるかも知れないので、そうではありませんということを、その本では詳しく解説することになっているのです」
「あのう…僕はもうそろそろ仕事に出かけなければならないので、続きはまたの機会に、ということにしていただけないでしょうか?」
「そうですか、それは残念です。最後に一つだけ、『超訳』の話に気乗りがされないようでしたら、映画の字幕翻訳というのはいかがですか? 弊社では近々そちらの方にも進出する予定で、わが国ではあまり知られていない海外の名作を、DVDかブルーレイディスクでビデオレンタルショップに直接卸すことを考えているのです。字幕をつけねばならないので、そちらを担当してくださる方を募集中なのです」
「僕は未経験なのでわかりませんが、そちらは面白そうですね」
「でしょう? 目下検討中なのは『沈黙の絶叫』というタイトルの映画です。主演はスッチーフン・セマールで、脇をいぶし銀の魅力のアル・マジーロが固め、監督はカリント・ウエストウッドという豪華版です」
「スチーブン・セガールの間違いでは? 僕は彼の映画はあまり見ませんが、『沈黙の…』というタイトルの映画が彼にはたくさんあるようですし。それと、アル・パチーノとクリント・イーストウッドはよく知っていて、僕は昔から彼らのファンです。そちらとは違うのですか?」
「微妙に、別です。しかし、内容は素晴らしいのです。セマール扮する動物園の飼育係が、テロリストたちの恐ろしい陰謀に気づいて、それに注意するよう何度も政府に掛け合うのですが、相手にしてもらえず、引退したCIAの元凄腕スパイ、マジーロに相談して、動き出すという物語です」
「動物園の飼育係が何でテロリストの陰謀と関係してくるんですか?」
「そこなんですよ。お聞きになりたいですか?」
「あまり時間がかからないようなら…。あと五分で出ないと、遅刻しますから」
「大丈夫です。テロリストたちは超小型の核兵器を開発して、それを大量に集めたある動物の背中につけて、アメリカを攻撃させるのです。この動物、何かおわかりですか?」
「全然、見当もつきませんね」
「実はエリマキトカゲなんです! 動物園の飼育係は世界中のエリマキトカゲが次々姿を消し、動物園のそれまでもが何者かに奪い去られるという事件を追ううちに、テロリストがひそかにエリマキトカゲを集めて訓練を施し、背中に小型核兵器をつけてホワイトハウスやペンタゴンを同時攻撃する計画を練っているのを知る。そこから始まるのです。それで、飼育係とCIAの元スパイの奮闘空しく、恐怖のそのときが来てしまう! 深夜、何者かの気配に気づいたペンタゴンとホワイトハウスの守衛たちは、懐中電灯で照らした闇の中に、二本足で立ち上がった核兵器装備の大量のエリマキトカゲの姿が浮かび上がるのを見る。その瞬間、エリマキトカゲたちは一斉にあのエリマキを広げて、奇怪な声を発し、威嚇するのです。守衛たちはあまりの恐怖に凍りつき、声も出なくなってしまう…」
「エリマキトカゲって、鳴くんでしたっけ? ともかくそれで『沈黙の絶叫』という不可解なタイトルは何となくわかったような気がしますけど、元のタイトルはどうなっているんですか? というのも、スティーブン・セガールのあの『沈黙の…』シリーズも、日本で勝手に付けているだけで、原題はそんなのじゃないわけでしょう?」
「原題は、An Unspeakable Terror です。これ、文字通りに訳せばどうなりますか?」
「『言い表せないほどのひどい恐怖』という意味でしょう。お話を伺ったかぎりでは、Unspeakable Nonsense というタイトルの方が適切に思われますが…。最後はどうなるんですか?」
「それは企業秘密というか、見てのお楽しみということで、申し上げられません。いかがですか、私はこれは絶対に当たるという確信をもっているので、ぜひお引き受け願えませんか?」
「それもまた、あちこちで断られたからでしょう? ご存じかどうか、僕はそれでなくとも『一言多すぎる訳者』として、一部の読者の烈しい憎悪を買っている人間なのに、おたくの言われるようなおかしな仕事を引き受けた日には、どんなことになってしまうのかと寒気がしてくるので、このままおとなしくしておいた方が得策というものです」
「そうですか、たんまり謝礼はお支払いするつもりでしたのに、残念です。ですが、まだ色々企画はございますので、その節はまたぜひ。学習塾をおやりになっているのでしたら、ウチには学習教材の『五分でわかる』シリーズというのがございまして、そちらの執筆なんか、いかがです? 『五分でわかる大学入試英語』とか…」
「もしほんとにそんな本があるのなら、僕の商売は上がったりだし、学校も不要になるから、子供たちは大喜びでしょうが、人生はそう甘くありませんよ」
「今、閃きました! 『甘くない人生』なんて、辛口コラム集はどうでしょうか? それでゆくゆくは『甘くない』シリーズというのを作るのです」
「申し訳ありませんが、僕はもう出かけます。もう少しまともな企画が思い浮かんだときだけ、またご連絡下さい」
どうもこの人は売れない物書きや、僕のようにひまをもて余している元翻訳屋なんかに片っ端から電話しているようなので、皆さん、ご注意下さい。
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