パソコンに振り回される

2010.09.30.06:08

 光回線への切り替えの勧誘電話がかかってくるたび、近いうちにパソコンを買い換えることになるだろうからそのとき…と答えて断っていたら、本格的にパソコンがおかしくなってしまい、半月ほどパソコン抜きの生活を余儀なくされました。丸五年も酷使に耐えて働いてくれたのだからよしとしなければなりませんが、僕の場合は元がワープロが製造中止になってしまったから、書き物のために仕方なくこちらに変えたもので、久しぶりに体験するインターネットと無縁の生活は、静かでなかなかいいものでした。テレビは退屈で、ニュースとドキュメンタリー以外ほとんど見ないので、あまりすることがなくて部屋の掃除と片付けに精出す羽目になり、いつになく周囲が清潔になったのは幸いでした。
 それにしても、このパソコンという奴はやっかいです。今回は設定を全部自分でやることにしたものの、入力にわずか一文字でも間違いがあるとエラーメッセージが出て、そのメッセージというやつがまたカタカナの“専門用語”だらけときているので、どこにどういう細部のミスがあって、かつ、それを修正するにはどういう手順で操作するのかということが、電子機器オンチの文系オヤジにはわからない。大体、キーボードが英語の略語表示と来ているので、何でこれを漢字表示にしないのかなと思います。deleteなんて「削」でたくさんです。altはalternateの略だそうですが、「切替」にすればいいし、ctrlは管理だから、「管」にするとか。fというのはfunction(機能)の意味だそうだから、「能」とすればいい。能1、能2なんて、ユーモラスでいいではありませんか。「管理キーを押しながら能4を押して下さい」というふうに説明された方がよっぽど呑み込みやすい。それで操作に失敗したときは、「この能なしめ!」と罵って、機械に責任を押しつけて鬱憤晴らしができるわけです。escは「逃避」の意味ではないようだから、実際の用途に合わせて「取消」とする。
 僕は前に、「面倒な横文字なんて、用がなければ絶対読まない」と言って、知人に「とても翻訳家の言葉とは思えない」と笑われたことがありますが、本職も英語塾の教師なのだから、ふつうの人よりは英文に接する機会が多いでしょう。しかし、そういうのは仕事のときだけで十分なので、日ごろ使う機械まで、英語表示にしてもらいたくはないと思うのです。炊飯器でも、ラジカセの類でも、ボタンはたいてい日本語で表示されているではありませんか。あれが正しい。
 八つ当たりはこれぐらいにしますが、そんなこんなで、これで大丈夫かな、と思える状態になるまでさらに一週間かかってしまいました。
 それで、今やっとこれを書いているのですが、パソコンもプロバイダーも変わってしまったので、これにアクセスできるか不安でしたが、大丈夫なようです。但し、前に延岡の県立高校の問題について書いた文の最後に付けていたメールアドレスは無効になりました。迷惑メールはお断りですが、御用の方はdragonfield@hotmail.co.jpの方へ。用件は、真面目なものなら、別にあの件でなくてもかまいません(知人友人用に使っていたヤフーのメールアドレスはしばらくそのまま残すことにしました)。

 それにしても、パソコンというのはどの程度必要なものか。“なしで暮らす”生活をしばらくしてみて、あらためてそれを考えました。インターネットは調べ物をするのには便利だし、各種のニュースも見たいときに見られる。必要とあらば、地球の裏側に住む人とでもメールですぐコンタクトが取れます。田舎に住んでいても、本の取り寄せもすぐできる。その他、ヤフーの雑誌新着記事一覧のサイトは僕は重宝しているし、Youtubeで60・70年代の懐かしい和洋のフォークやロックが手軽に聴けるのも有難い。あれやこれや、便利なことはたくさんありますが、「ついでの閲覧」で時間が潰されるのは否めないし、よくよく考えてみれば、そういったことができなければ大きな不都合があるということも、とくにはないわけです。なければないですんでしまう。じっくり考え事をしたり、本を読んだりするのには、むしろない方がいいくらいです。
 僕は山のてっぺんに住んでいて、毎日自転車でそこを駆け下り、街中にある塾に“通勤”しています。車に負けないスピードで斜面を駆け下りるのは快感で、その代わり帰りは上らなければなりませんが、往復でコースを変えてあるので、自転車から降りるなんて面倒はせずに一気に上り切ることができて、ちょうどいい運動になります。たぶん、僕は同年輩のふつうの事務職の人たちと較べれば体力はあるでしょう。それはこのおかげです(行きの所要時間は約十五分。最高記録は七分で、このときは暴走に加え、信号無視の連発でした)。携帯電話もいまだにもたないままで、音楽スタジオに間借りさせてもらっただけの塾には固定電話すら付けていないので、緊急時の連絡が取れずに不便だと言われることがありますが、緊急事態なんてそうそうやたらとあるものではないので、大した支障はないのです。塾なのにコピー機も置いていないというので、「先生、コピー機もない塾なんて、日本中でここだけですよ」と生徒に皮肉を言われることもあるくらいですが、あれも途中のコンビニで十分用は足りるのです。メンテナンスの手間が省けていい。貧乏だから買えないので、それでは君らの月謝を上げて、買うことにしようと言ったら、親孝行な彼らは、「なくていいです」とあわてて言うのが可愛いところです(ちなみに、僕は都会暮らしの頃からクーラー付きの部屋に住んだことはほとんどなく、今もありません。それはひどいというので、扇風機をもってきてくれた人がいますが、何年も押入れで埃をかぶったままです。僕は寒いのは苦手ですが、暑いのは昔から割と平気な人間で、山の上だから風がよく通るので、それだけで十分なのです。塾は頑丈なコンクリートの建物なのであれがないともたず、何より生徒たちがかわいそうなのでつけていますが、自分としてはあの自然に反した、人工的な冷風が好きではないのです)。
 そういう原始的な感覚の、そういう時代遅れの生活をしている人間に、パソコンなどというハイテクは、そもそも初めから不似合いなのかも知れません。どう見ても昭和三十年代から進歩していないような生活をしている人間が、“光回線”を利用するなどというのは、悪い冗談みたいなものです。どんなに便利な機能がついていると説明されても、大方は使わないままになってしまうわけだから、意味はほとんどないわけです。

 と、まあ、いらざることばかり書き並べましたが、パソコンがないおかげで静かにゆっくり考えごとなどもできて、いくらか書いてみたいこともできたのですが、それはまたの機会に。
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