「学習された無力感」の話(2)

2010.06.28.02:17

(1の続き)

 「公」や「大」と名の付くものに極端に弱いのも、日本人の特徴です。戦国時代なんかには結構日本にも独立独歩の強烈な個性の持主がいたようなので、これは「江戸二百七十年」の後遺症がずっと続いているせいなのかなという気もするのですが、霞が関のエリートたちがあんまり賢くなくて、勝手なことや愚劣なことをしでかすのは珍しくないことだし、大きな力をもっている大企業がその力を利用してしばしば不正な独断専行に及ぶのもよくあることですが、多くの日本人にはいまだに権力をもった“お上”や大きなものには従うしかないのだという、「情念」レベルの条件づけに縛られているかのようです。

 何年か前に宮崎県の綾町で、豊かな自然と貴重な生態系を保持している全国有数の照葉樹林の森に、九州電力が送電線用の鉄塔を建設するというので、反対運動が起きたことがあります。今は自然保護というのは、たんなるセンチメンタルな感情によるものではなく、長い目で見ればその方が経済的な面から見てさえ賢明なのだということが理解されるようになり、目先の利便から自然破壊を行なうのは控えねばならないという暗黙のコンセンサスが人々の間にできつつあります。

 九電のこの鉄塔建設はその意味で「暴挙」というべきだと、綾町とその周辺の有志の人たちは反対運動を起こし、それには全国から多数の支持と署名が集まったのですが、にもかかわらずそれは「強行」されてしまいました。理由の一つは、地元住民たちの多くが明確な反対の意思表示をしなかったことにもあるのではないかと見られています。九電が説明会の類を開いたときも、ご説ご尤もとおとなしく九電側の話を聞く人が目立つようでは、「ごらんなさい、ごく一部の人が騒いでいるだけで、実際は大きな反対なんてないではありませんか」と言われてしまいかねないのです。その反対運動の中心になっていた女性の一人が、こう嘆いていたという記事を、僕は新聞か雑誌で見たことがあります。「皆さん、顔を合わせると『頑張って下さいね』と言ってくれますが、かんじんなところでは何も言ってくれなくて、それでは全然応援してくれることにはならないんです」と。

 九州電力は電力の供給という公共の事業を営むとはいえ、たんなる一企業にすぎません。そしてまた、そこに鉄塔を建設しなければ電力の供給が不可能になるというわけでもない。にもかかわらず、何も言えないというのはどうしてなのか。鉄塔建設で潤う土木建設業者が大きな圧力をかけたのでないのなら、それはそこに住む人たちの「“お上”を恐れる理性以前のメンタリティ」のなせるわざだと解釈する他はないでしょう。「公」や「大」と名の付くものが決めたことには逆らえない、黙って従うしかないのだという「無力」心理がそこにはあるのです。

 学校の問題などでも、そういうことはありえます。僕はこの前このブログで延岡の公立普通科高校の現状について、「考え直す必要があるんじゃないですか?」という問題提起をさせてもらったわけですが、僕自身はそこにわが子を通わせている親でも、そこの教師でも、教育行政に関わる者でもないので、後は直接当事者である学校・教委・生徒・保護者たちがどういう対応をとるかを眺めさせてもらうしかないのですが、学校の場合、親たちがよく言うのは、「子供を人質にとられている」恰好なので、なかなか正面からものは言いにくい、ということです。だから学校側がそのあたりのことによく配慮して、自発的に改善の方向で動いてくれるのが一番望ましいのですが、そのための一環として、学校が在校生の保護者相手に意見を聞く会でも開いたとして、そこでふだん囁かれている批判的な意見がどの程度出るかは、正直かなり疑わしいことだと思われるのです。そうすると、「何だ、どこかの塾の教師が勝手に大げさなこと言ってるだけで、生徒や親たちは学校に何も不満などもっていないではないか」ということにもなりかねないわけです。

 問題の性質はいくらか違いますが、思い出したのでついでに書いておくと、今からちょうど二十年ぐらい前になりますが、僕は埼玉県のある市で、中学生対象の集団塾の校長をしていました。そこに、三年生の生徒のお母さんたちが五、六人、「相談がある」と言って突然押しかけました。聞けば、子供たちが通う公立中学で暴力事件が起き、それは数人の不良グループが一人の子にトイレで集団リンチを加えたというもので、三年生用の男子トイレに血が飛び散るほどひどいものだったらしいのですが、校長はすぐに三年生の保護者全員に呼び出しをかけ、「この話を絶対に外部に漏らすな」という緘口令(かんこうれい)を敷いたというのです。その校長は親たちに向かってこう言いました。このことが外部に知られると、あなた方の子供全員が不利益をこうむる。推薦入試の生徒は「あの中学の出身か」ということで不合格にされるだろうし、一般入試の場合にも不利な扱いを受けることは避けられない。だから、この事件は内々に処理したいので、それを校長である私に一任してもらいたい、と。

 お母さんたちはあっけにとられてその場は黙ってしまったものの、後でだんだん腹が立ってきたそうで、そのようなことは公にすべきことで、親をそういうことで脅して事件をもみ消そうとするのは、校長自身の保身のためとしか思えない、大多数の子供たちは真面目な子たちなのに、無関係な彼らがそういうことで不合格にされたり、入試で不利になったりすることは本当にあるのですか、と僕にきいたのです。

 僕は驚いて、すぐに話を市の教育委員会にもっていくよう助言しました。そのようなことは許されることではないからです。それで、もしも市の教育委員会が身内のかばい合いのような態度をとってそれを黙認し、何もしないようなら、経緯を詳細に書いた文書を代筆して差し上げるので、それをもって新聞社に行けばよい。自浄作用が期待できないのなら、その場合は“外圧”をかけるしかないからです。子供たちが不利益を受けるかも知れないということに関しては、むしろそのようなものが明確な事件として処理されず、噂としてだけ広まる方がずっと危険です。事が明らかになり、大多数の生徒はそれと関係がなく、学校側も事件に毅然とした対応をとったということがわかった方がずっといいので、それでも不利益な扱いを受けるなどということは公正にもとることなので、ありえないでしょうと、申し上げたのです。

 勇気のある母親たちは、それではまず教育委員会に話をもっていきますというので、即座に行動しました。そのときの市の教育委員会の対応も見事で、すぐさま動き出し、事件を公にすると共に、その不届きな校長を更迭しました(学期途中で、そうすると校長が不在になるので代理は教頭先生が務めたのでしょう)。事は正しく処理され、問題は解決したのです。その中学の生徒たちが推薦入試でも一般入試でも、不当な扱いを受けるということは全くなかったと記憶しています。

 僕は今でも、そのお母さんたちは偉かったなと思います。理不尽を見過ごさず、勇気をもって協力して事に当たったからです。子供たちはそういう親の姿を見て、学校の勉強以上に大事な何かを学んだはずです。間違ったことにはきちんと異議を唱え、行動すれば問題は解決するのだということを、親たちは身をもって子供に示したのですから。
 これが逆に親たちが校長の脅しに屈して沈黙を守っていたのなら、子供たちはそれを見て何を思ったでしょうか。理不尽なことや不正なことでも、権力をもつ人間のやることには従うしかないのだという「無力さを学習」することになったのではないでしょうか。

 今の例の中学校長の対応などは、明白におかしいとわかるものなので、保護者たちも明確な行動がとりやすかったのだと、一応は言えるかも知れません。これに対して、僕がこの前指摘したような点は、僕から見れば十分に不合理で理不尽だと思われるのですが、誰が特定の“悪玉”がいるというわけではなく、そこまでの派手さ(?)はないので、異議申し立てがしにくいということなのかも知れません。延岡以外の僕の知人であれを読んだ人は、ほぼ一様に「そんな状態を放置しているとは信じがたい」と驚いた様子でしたが、中には正直に、「でも自分が実際にそちらに住んでいて、そういう学校にわが子を通わせていたら、おかしいと思っても、何も言えないかも知れない」と言った人もいます。以下はそのときの、その知人(主婦)との電話のやりとりです。それは「親の立場の難しさ」というものを代弁してくれているという意味でもここに採録するだけの価値はあると思うので、ご紹介するものです。

 「でも、子供が神経性の下痢や胃痛を訴えたり、不眠がちになって朝起きられなくなったり、目立って元気がなくなってきて、『もう学校をやめたい』などと言い出したら、君は親としてどうするわけ?」
 「うーん。とりあえずは一度お医者さんに連れていって、薬をもらって、あんまりひどかったらしばらく休ませて、でも、頑張りなさい、なんて言いそうね」
 「多すぎる宿題や課外、それからおかしな罰則なんかの脅し教育については、どう?」
 「あんまりひどいと思ったら、勇気を出して学校に言いに行くと思うけど、私たちふつうの母親は専門家じゃないから、教育内容についてはどこがどういうふうに不適切かなんて、細かくはわからないし、言えないでしょう? あなたの場合は、塾の先生だから具体的にどこがどうと言えるんでしょうけど、ふつうの親は、『これはわが校の長年の方針で、十分な成果を上げているし、素人が口をはさむことではありません』なんて頭ごなし言われると、反論しにくいんじゃないかしら? 何かおかしいと思って、言いに行こうとしても、頭の中でそんなやりとりをシュミレーションして、やっぱりやめとこう、ってことになることが多いんじゃないかしらね」
 「なるほど(笑)」
 「だから、親もつらいだろうと思うのよ。私があれを読んで一番腹立たしかったのは、学校はそういう親の弱い立場というのはわかっているはずでしょう? 子供たちが疲れているのも見ててわかるはずよ。なのに、全く人間味や総合的な判断力がないっていうのか、どうすれば負担が大きくなりすぎないようにして生徒たちに学力をつけさせるかという、そちらの工夫にエネルギーを使うことはしなくて、これだけ熱心にやってるんだから文句は言うな、みたいな、何とも言えない一方的な、ひとりよがりの独善性のようなものが感じられるのよ。生徒にアンケートなんかとって、その意見に何の応答も配慮もしないっていうのも、今どきそんなことしてるところがあるのかなと思うし…。ふつうの会社なんかだったら、そんなことしてたらすぐ潰れてしまうでしょう?」
 「それにはいくつか理由がありそうで、たとえば『生徒の意見を聞かない』ということに関しては、これは地域的な性格も相当ありそうなんだけど、一つは今の高校生はおとなしすぎるということもあってね。昔はクラスに一人や二人は元気のある鼻っぱしらの強いのがいて、これはおかしいじゃないかってことがあると、教師に面と向かって文句を言って、皆も暗黙の支持をその生徒に与えて団結してたから、教師の方がタジタジになってしまって、それは必ずしも生徒に迎合するってことじゃないけど、初めから生徒たちの立場や考えには配慮して対応を考えざるを得ないというところがあった。でないと、どういう騒ぎになってしまうかわからないわけだからね」
 「わかるわ。あなたみたいな口の悪い男子がクラス代表で喧嘩を売って、私みたいなその他大勢組がそれをしっかりサポートしている、って図式ね(笑)」
 「君がそんなにおとなしい女生徒だったかどうかは疑わしいけど、今はそういうふうにならないらしくて、生徒たちに聞くと、『そんなことしても自分が孤立させられるだけ』って不安が強いみたいなんだよ。生徒会なんかでも、今は生徒の不満や要望を代弁する機関じゃなくて、会社の御用組合と同じで、学校側の意向を予め汲んで動く、『よい子の会』みたいになってしまっている。『校内美化のために花壇に花を植えましょう』みたいな…」
 「それって、かなり深刻な話よね。でも、うちの子も今、私立の高2だけど、推薦用に内申をよくするために生徒会に立候補する子がいるって話を聞いたことがあるから、そういうのが多くなっているのかもね」
 「だからね、そのへんのこともあるんだよ。『こんなことは受け入れられない。無理にでも押しつけるというのなら、こちらにも考えがある』ってことで、授業ボイコットに出て、教室に一人も生徒が残らなくなってしまうようだと、学校側も無理はできないけど、『はい、これ連休の宿題。夏休みも三分の一に削って、残りは補習だからね』と言われても、面と向かっては誰も何も言わない。前に生徒の父親に聞いた話では、昔は延岡高校あたりでも、『こんなことやってられるか』ってことで課外を皆でボイコットして、そのクラスだか学年だかが課外不成立になってしまったこともあるそうなんだけど、そのお父さんは大体僕と同世代だから、その時代にはここでもそんなことがありえたわけだよ。どうも今の子供たちを見ると、共通の敵といっては語弊があるけど、学校に団結して立ち向かうというようなところはまるでなくて、何か“諦めのなかの労わり合い”みたいなのが友情になっているのかなと思うことがある。昔の、少なくとも僕らの頃のふつうの高校では、学校側と生徒の間に支配・被支配の関係をつくることは不可能だった。生徒がかなり強かったからね。だから今よりはずっと民主的な学校運営になっていたわけだけど、今はそれが成立してしまう。それで管理がどんどんエスカレートしてしまって、こういうことになったのかなという感じは、正直あるんだよ」
 「つまり、生徒も悪いんだってこと?」
 「ある意味ではね。福沢諭吉じゃないけど、人間のこの世界には『力の均衡』ってものが必要なんだよ。彼の言葉を借りると、人間には誰しも勝手をやりたがる『専制の精神』というものがあるから、これに対する『抵抗の精神』が一方になければならない。そのバランスが取れないと、民主的な運営は不可能になって、必ず行き過ぎや一面的な偏りを生んで、最後には破綻する。家庭でも、夫の専制に妻が抵抗して異議を唱えることが無理なくできて、話し合いが行なわれ、だからこそうまく回っていく、というようなものだろ?」
 「わが家の場合には、私が『専制』しすぎてるって気もするけど(笑)、たしかに自分一人だけで、チェック・アンド・バランスというのは難しいわね」
 「そうそう。それで、話をだいぶ戻して、さっきの君の意見にまで戻るけど、学校側がどうして独善的になって『専制』してしまうのかというもう一つの理由は、こんなことを言うと先生たちには怒られるかも知れないけど、『井の中の蛙』というか、他の世界のことを知らなさすぎるからだよ。大方の教師は、大学を出てそのまま教師になって、宮崎の公立高校の教師なら、県内の公立高校のことしか知らない。多くの場合は、出身も宮崎県内で、自分が高校生のときも同じような教育を受け、大学を出てまた同じ環境に舞い戻ってきただけだから、朝夕課外なんか、それがないことの方が想像しにくいのかも知れない。それで、大学まで宮崎県内だったとしたら、最悪だよ(笑)。もっと困るのは、高校時代も学校の言いつけどおり、宿題も課外も忠実・真面目にこなして、おかげで大学に受かりましたって人。そうなるとこのシステムが神聖犯すべからざるものに見えてきても、不思議ではない。だからそのシステムを科学法則みたいに自明視してしまって、外側に出てこれを見直すなんてことは考慮の外ということになる。学力が伸びない? それはかつての私みたいに学校の言いつけをよく守らないからだ、ということで『厳しく生活指導』をし、さらに宿題を増やし、夏休みなんかも削れるだけ削って、課外授業を行ないましょう、ってことになるんだよ。こういうのは、表面上“前向き”で“熱心”に見えるから、職員会議でそういう意見に他の先生が異を唱えることも雰囲気的にしにくいのだろう。それがいいのかどうか、本当は疑わしいと思っている先生もいるはずだけど、例の日本人特有の『世間心理』でそれは言い出しにくいんじゃないのかな」
 「でも、高校時代、その朝夕課外がイヤだったって先生はいないのかしら?」
 「こちらの僕の知り合いにはそういう人はたくさんいるんだけど、そういう人間はタイプとして、学校の教師になることはほとんどないんだよ(笑)。これは僕の昔の友達でも、塾の生徒たちを見ていてもそうだけど、面白い人間はめったに教育学部には行かない。行っても、教育実習なんかで『自分にはこういう職場は向かない』といって、民間企業に就職してしまうことが多い。だから、これは偏見かも知れないけど、今の学校というところには多様な人材が集まりにくくなっていて、似たようなタイプの人が多くなっている感じだね。それもパターンに分けると何種類かあるんだけど、個性豊かな人というのはめったにいない。僕は高校の頃、発想の柔軟な、頭のいい面白い物理の先生に当たったことがあるけど、その先生はパイロットになりそこねて仕方なく教師になったのだと言っていた。文学少女のなれの果てだという現国の先生なんかも、教師的な臭みのないいい先生だったけど、今はそういう人が減っているのかなという気がする。権威に弱い権威好きというか、生徒を型にはめるのが好きな、その手のタイプの人が多すぎる気がするね。だから、よけい管理教育の方に傾きやすくなるんじゃないのかな」
 「そうなると、教員採用のあり方から見直さなきゃならないってことになるけど、さしあたってはどうすればいいのかしらね」
 「それはこの前書いたとおりだけど、学校側は時間はいくらかかかっても、システム全体を見直して、改善すべきことは改善し、生徒や保護者たちももう少し自分の意見というものを率直、明確に表明するよう、ふだんから心がけるべきだろうと思うね。そしたら、学校と生徒・保護者間の意思疎通や、信頼関係の回復ももっと進むだろう。初めに、『わが子がこういうふうになったらどうする?』という質問を君にしたけど、子供に『頑張りなさい』と言うだけでは問題の解決にはならないので、それでは結局、不登校→中退というコースを辿ることが多くなってしまうだろう」
 「あなたが親だったら、どうするわけ? 今中学生だったかしら?」
 「父親に似て勉強嫌いだから、先が思いやられるけど、問題が起きたときは、一度学校に話し合いに出向いて、申し上げるべきことは申し述べ、しばらくやりとりしても全然話が通じないようだったら、中退も視野に入れて考えざるを得なくなるだろうね。昔の大検、今は高卒認定試験というんだけど、これはそんなに骨の折れるものじゃないから、そちらで大学受験資格を取らせて、勝手に勉強させた方がむしろ入試に関しては効率がいいくらいだと思うけど、学校というのは子供たちには友達づきあいの場でもあるので、その場合、気がかりなのはそっちのことだね。大学に入ってしまえば、そこでまた友達はできるから問題はなくなるけど、そこまでのプロセスで寂しい思いをしなければならなくなる。それでも、ロクに睡眠時間もとれなかったり、過剰なストレスで心身に変調をきたされるのよりはマシだから、これはもう無理だなと判断したら、そちらを選択するだろう。これは今のままのこの二つの高校のどちらかに進学し、さらに言っても何も変わらなかったという前提での話だけど、公立で普通科高校というのはここにはその二つしかなくて、税金で運営されている学校に進学させるのに、こういうおかしなことで親が悩まなければならないというのは、本当に異常なことだと思う。学校側はそのあたり、もっと真剣に考えてくれないと困るわけで、上の子が行ったというようなことから、実情を知っている延岡の親たちのかなりの部分は、そういう懸念を抱きつつも、『他に選択肢がないから』というのでそうしているということをわかってもらいたい。上級学校は本来、子供たちにとって『憧れて行く』ところであって、『仕方なく行く』ところではないはずなので、そこの第一歩からして懸念と恐怖に彩られているというのでは、非常に困ったことになる。君の息子さんなんかは大丈夫なの?」
 「うちも勉強はそれなりに厳しそうだけど、平日でもちゃんと7時間は寝ているようなので、ご心配なく(笑)。割と自由な校風の学校で、時々先生の悪口は言ってるけど、先生と生徒たちの距離も近くて、雰囲気もアットホームで、かなり居心地はよさそうよ。大学受験が心配なんだけど、本人は何とかなると高を括っているみたいで、上の娘の方は何も言わなくてもちゃんと勉強したけど、この子は心配。一度厳しさを教えてやってもらえないかしら?」
 「それは駄目だよ。君は僕のかつての不良ぶりをよく知ってるわけだから、その子供に、どの面下げてそんなお説教なんてすればいいんだい? 賢い学校のサボり方とか、うまい一夜漬けの方法とか、そういうのならいくらでも教えるけど、それでは逆効果だろ。そういうのは、学校の熱血受験指導主事の先生あたりに頼む方が無難だよ」
 「言われてみれば、たしかにそうねえ。それにしても、あなたみたいに学校と名のつくところはサボれるだけサボったって人が、管理教育がとくにきつい土地で塾の先生なんかして、生徒の代わりに学校に注文をつけてるなんて、こういうのは“天の配剤”みたいなものなのかしらね。それともさっきの『力の均衡』?」
 「別にそんな結構な話ではないので、僕みたいな“社会のお邪魔虫”は、お堅い仕事には不向きなので、漂流の挙句、こういうことになってしまったというだけの話。そろそろ仕事に出るので、このへんで失礼するけど、色々貴重なご意見をありがとう」

 大体そのようなやりとりをして電話を切ったのですが、ここで言ったことをかんたんにまとめると、学校は「伝統」だというので毎日の課外を維持し、さらに進学率が高くなる中、とにかく大学進学実績を上げねばならないと、罰則の類で脅しながら宿題を増やし、長期休暇中の課外授業の時間数も増やして、生徒側の消化能力や負担の大きさは考えずに「拡大」路線をひたすら邁進し、そうした中でどんどんわが子の元気がなくなっていくのを見る親たちは、もう少し子供の全体的な成長や健康に配慮した教育をやってもらいたいと思いながらも、「専門家ではない」ので注文はつけにくいということで沈黙を守り、生徒たちは生徒たちで、協力・団結の精神や覇気に乏しく、ほとんど抵抗もできないまま締め付けの強化に身を任せて苦しむ―。そういう図式のようなものができてしまっているのではないか、ということです。
 僕も彼女と同じく、最大の要因は「学校側の独善性」にあると思うのですが、先生たちもそれを“主体的に”推進しているようには見えないので、敷かれたレールの上を走っているうちに、ブレーキをかける者もいないまま、だんだんそれがエスカレートして、こうなってしまった、というようなところが強いように思えるのです。

 ひょっとしたらこれは、それに関係する人たち皆が多かれ少なかれ「学習された無力感」の中にいるということなのではないでしょうか? その結果ひき起こされる問題点の一つに、「環境に対する積極的・自発的な働きかけが起こらなくなる」ということが挙げられていましたが、生徒や保護者たちが「忍従」しているというだけでなく、学校の先生たちも既成のレールの上をひたすら走り続けることしか知らないように見えるからです。

 しかし、教育のみならず、ビジネスでも学問研究でも、スポーツの類でも、それは同じですが、自発性や主体性を欠いて成功するようなものは何一つありません。短期的には頭ごなしの管理的なスパルタ指導が大きな成果を上げることはありますが、その寿命は短く、しばらくすればそれは主体性・自発性を奪われたことによる無気力によってマイナスの埋め合わせを余儀なくされるのです。

 過度な管理教育は、受験のようなことにおいてすら、生徒の自発性・主体性を尊重する教育に結局は負けてしまうでしょう。それを私たち大人はよく認識すべきではないでしょうか。今は羅針盤のない困難な時代で、これを突破するには創造的で柔軟な発想のできる、パイオニア精神と行動力に富む若者を育てるしか方法はないと思われます。今の「延岡式」の過ぎた管理教育でそのような人材が育つと考える人はたぶん一人もいないと思うので、関係者各位はよくよくお考えいただきたいと思うのです。

 これで、言いたいことは大体言わせてもらった感じなので、この件に関してはひとまず終わりにして、事態の推移を見守りたいと思います。

 長い一連の文を読んで下さった方々には、お礼を申し上げます。
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