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地震と日本人の無常観

2018.09.09(16:09) 594

 北海道は元々地震が少なくないところだという話ですが、南海トラフ大地震だの、首都圏直下型地震だのと較べて注目度が低かったので、大方の人はあの地震には驚きました。衝撃的だったのは次の映像です。記者の耳障りな上ずった声(ああいうのはどういう種類の興奮なのか、リポーターたちは少し自省してみた方がよいのではないかと思います)など余計なものが入っていないこれは、読売新聞のヘリからのもののようです。

北海道で震度7の地震 厚真町で大規模な土砂崩れ

 専門家の間では、しかし、あそこは危険とみなされていた地域の一つだったようです。次も読売の記事。

震源域「ひずみ」蓄積しやすく…関東地方にも

 東京とその周辺や、京都、大阪も危ないということになりますが、これに南海トラフ地震での想定被害区域を重ねると、無事なところはどこにもないということになりそうです。

 次は気象庁のホームページに出ている地図です。

南海トラフ地震で想定される震度や津波の高さ

 むろん、同時に全部が起きるということはないわけですが、地震はそのときそのとき「危ない」と言われているところではなく、別のところで起きることが多いので、活断層マップ(ついでにそれも示しておきます)というのが公開されていますが、それらとは違うところで起きて、「未知の活断層が動いた」なんて説明される場合もありうるわけです。

日本全国の活断層マップ・情報

 しかし、人間のつねとして、「自分が住んでいるところは大丈夫だろう」と考える。そのあたり、人間はいつ死ぬかわからないのですが、自分は死なないだろうと何となく思って生きているのと同じです。「つねに死を想え」と昔の哲人たちは言いましたが、ふつうの人間にはそれはできず、したとしてもそれは神経症的な取り越し苦労みたいにしかならないので、死の忘却によって安逸を得ようとするのです。

 南海トラフ地震など、可能性は70~80%あるという話ですが、それも何十年、百年単位の予測なので、いつ起きるかはわからない。首都圏直下型の地震など、僕が高校を卒業して上京したのは昭和48年(1973年)でしたが、当時から言われていて、それから45年たちますが、まだ起きていないのです。それは当時の予測がデマだったからではなく、明日起きるのか50年たってから起きるのかはわからないからです。地震予知ではそのあたりは「誤差」の範囲に入ってしまう。

 場所を特定するのが難しいのも、プレートと呼ばれる割れた板をくっつけ合わせたようなものの上に僕らは住んでいるわけですが、その端っこ同士は重なり合っていて、それが押し合うのでひずみがたまるとその反作用で地震が起こるとされていますが、その板そのものにあちこち無数のひび割れがあって、それのどれがそのとき割れるかはわからないからです。完全なシミュレーションはできず、今度はここら辺に地震が起きそう、ぐらいのことしか言えない。あくまで確率論的な話なのです。

 しかし、それは確率論的には正しいわけで、南海トラフ地震も首都圏直下型地震も、遠くない将来、いずれ起きることは起きるのでしょう。起きたときのディティールも予想とは違う可能性が相当あるが、それはシミュレーションの限界です。

 僕自身は政治や行政の担当者ではなく、たんなる一個人で、もう若くもないので、「人間、死ぬときは死ぬ」と考えて、別に備えなどというものは何もしていないのですが、政治や行政に携わる人たちはそうはいかないでしょう。被害を最小限に食い止めるためにはどうすべきか、日夜頭をひねって、それに備えた体制の構築に苦慮する。

 唐突なようですが、ここで僕が思い出すのは、あの『平家物語』の冒頭の一節です。

 祇園精舍の鐘の声、諸行無常の響きあり。娑羅双樹の花の色、 盛者必衰の理をあらはす。奢れる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。猛き者もつひにはほろびぬ、ひとへに風の前の塵に同じ。

 ここに出ている日本人独特の無常観は、地震列島の住民ならではというところもありそうで、げんに平家物語のこれは、地震と無関係ではなかったのです。「文治地震は壇ノ浦の戦いの約4ヶ月後に発生し、『平家物語』や『方丈記』にその記述が見られ」(ウィキペディア)るからで、『平家物語』には「大地震」の章まで設けられているのです。ネットにその原文・現代語訳両方が出ていますが、現代語訳の方をご紹介します。その地震の描写はすさまじいものです。

日本古典文学摘集 平家物語 巻第十二の二 大地震 現代語訳

 昔のことなので、この文治地震については正確なことはわかりませんが、そのために改元が行われたほどの広域にわたる大地震で、ウィキペディアの同じ記事には「内陸地震にとどまらない津波を伴った南海地震の可能性が指摘される」と記されています。上の平家物語の記事からしてもそれは頷ける。この地震は1185年8月のことであったというから、それから833年たっているわけです。

「諸行無常」「盛者必衰」の受け止め方は人それぞれでしょうが、それを念頭に置けば、この世界の見方、自分の生き方、価値の優先順序も、おのずと変わってきそうです。心映えのすぐれた人なら、「いつ死んでも悔いのないように自分の時間とエネルギーを有益に使おう」となり、そうでない人でも、物質至上主義的な、あるいは利己的な価値観にいくらか変化が生じるでしょう。刹那主義に流れるという人はまずいない。いたとすれば、それは「いつ死ぬかわからない」ということの本当の意味がわからない人だけです。

 別に地震が来なくても、基本的に僕ら人間が置かれた状況は同じです。病気や事故の類は、つねに危険として日常に潜んでいるからです。いつ何が起こるかわからないということは、人を不安にさせるより、むしろ失われている生の切実感を高めてくれるものでしょう。頭ではわかっても、それが心の部分では実感できないというのが人間の弱点ですが、その分裂が解消されれば、それだけで、この人間世界はもっとまともな場所に変わるかもしれません。その意味では、地震列島に暮らす日本人は、より多くの気づきの機会を与えられていると考えることもできるでしょう。

 かつて小林秀雄は、一言芳談集に触れ、「現代人は、中世のなま女房ほどにも、無常といふことがわかつてゐない。常なるものを見失つたからである」と書きました。無常が実感されてこそ、「つねなるもの」への希求も生まれるので、それは人間をより精神的にしてくれるのです。無常を恒常視して、それにしか拠り所をもたない人間は不安で弱い。またそれゆえに僕らは愚かになるのだと思います。

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祝子川通信 Hourigawa Tsushin


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地震続報~南海トラフ地震の前兆?

2016.04.16(12:16) 382

 ゆうべ深夜一時半頃の地震は、前夜のそれよりもこちらでは大きいものでした。震度は5弱だったようですが、地震慣れしていない土地のこととて、皆さんショックは大きかったのではないかと思います。塾の生徒によれば、一昨日の地震の後、子供たちは余震におびえてよく眠れない子が多かったようで、みんな眠たそうな顔で学校に来ていたとか。

 今回の方がマグニチュードは大きかったようで、熊本では山崩れというより、大規模な「深層崩壊」現象まで起きているようです。死者・被災者はさらに増えている。

 生徒から、福島から震災後、宮崎県に越してきた人が「あのときと似ている」と言っているらしい、という話を聞いたので、そんなことがあるのかなとネットで調べてみると、次のような記事が出ていました。

「熊本地震は南海トラフ地震の前兆」専門家が緊急警告(現代ビジネス)

 たしかに似ているようです。詳しくはクリックして全文をお読みいただくとして、次のように述べられているからです。

 この地震は、非常に「いやな位置」で発生した地震である。というのも、この震源が阿蘇山のすぐふもとを走る府田川断層である考えられるからだ。阿蘇山というのは、長野、静岡、愛知、和歌山から四国を突き抜け、九州に至る巨大な断層の集中帯の上にある。
 このことを考慮すると最悪の場合、長野や静岡、四国、九州で、今回と同じような内陸直下地震が立て続けに起こる可能性があるのだ。そして、その先には、南海トラフの巨大地震が控えている。
 イメージとして、今回の熊本の地震は、2011年3月11日に起こった東北地方・太平洋沖地震(東日本大震災)に先立って発生した、岩手・宮城内陸地震(08年)と類似していると考えていただきたい。


 むやみやたらと不安を煽るのはよろしくないとしても、この記事は専門家(高橋学・立命館大教授)の科学的予測に基づくものであり、デマの類ではありません。自然のメカニズムは複雑であり、天変地異の類は科学者のシュミレーションとは違った形で起こるのがむしろふつうですが、何にせよ、不穏な動きが起きているのはたしかなのです。

 人間の記憶のスパンというのは短いものです。昨日、心配した郷里の母親から電話がかかってきて、昔の話になったのですが、和歌山県奥熊野にある僕の実家の前には半径二百メートルぐらいの大きさで半円状に田んぼが広がっていて、そこから急傾斜で川に向かって坂を下る、という構造になっています。わが家はその巨大な岩盤のいわば付け根に位置している(背後が山の斜面になっていて、そこに家々が点在する)のですが、母がまだ子供の頃、大きな地震があって、地域の人が皆集まってきました。昔から地震のときはそこが一番安全だと考えられていて、事実そうだったのですが、余震が長期間続いたので、家の中に多人数を収容し続けることができず、その前の田んぼの一つに被災者用の小屋、今で言う「仮設住宅」を建てました。田んぼにはそれぞれ名前があって、その一つに「こや田」というのがあるのですが、それは「小屋田」の意味で、その仮設住宅が建てられたことに由来する名前なのだという。僕はそれがどういう意味なのか、考えたこともなかったので、聞いてあらためて驚きました。

 子どものとき母から、学校にいたとき大きな地震があって、立っていられないので校庭の木にしがみついていたが、校舎に続く階段の脇に池があって、その池の水が、「ちょうど茶碗の水を揺らしてひっくり返すようにして」空っぽになってしまった、という話を聞いたことがあります。彼女はそれをあっけにとられて見ていたのです。「高等科の頃だった」というので、それは今なら中学に相当するので、母が十四、五歳の頃のことでしょう。上の話もそのときのことではないかと思われるのですが、昭和5年の生まれだから、これはたぶん戦時中の昭和19年に起きた「昭和東南海地震」のことです。そして終戦をはさんでその二年後の昭和21年、紀伊半島沖を震源とする有名な「昭和南海地震」が発生する。それはマグネチュード8の巨大地震でした(その二年前のものはM7.9)。いわゆる「南海トラフ」が動いたのです(「こや田」にはまた、小屋が建てられたにちがいありません)。これらの地震は、その前の南海地震である「安政南海地震」から、それぞれ90年、92年後に起きたのです。

 僕の母は今86歳だから、それから70年以上経過している。だからいつ起きても不思議ではないと考えた方がいいのでしょう。

 ウィキペディアの「昭和南海地震」の項には、こう書かれています。

 また、この地震の2年前である1944年(昭和19年)12月7日には昭和東南海地震も起きている。その地震後に今村明恒は「宝永地震や安政東海・南海地震は東海・南海の両道に跨って発生したものであるが、今回の地震は東海道方面の活動のみに止まっており、今後、南海道方面の活動にも注視するべきである」と指摘していたが、当時これに耳を傾けるものはいなかった。

 巨大地震の前には、それに先立って、それよりは規模が小さいが大きな地震が起こる。東北大震災のときがそうだったし、この巨大南海地震のときもそうだったのです。高橋教授の指摘は、その意味でも軽視できないものと言えるのではないでしょうか。


祝子川通信 Hourigawa Tsushin


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チンピラが重要ポストに就いてしまう国

2011.07.06(15:20) 97

 僕はテレビをめったに見ないので、「何じゃ、これは…」とゆうべ深夜0時のNHKニュースでその光景を見てのけぞりました。復興大臣とやらに任命された(この件を受けて辞任)松本龍という民主党の議員が被災地の首長たちにものすごい態度を取っている、あれです(そうした対応の一つについて、地元ローカル局の詳しいニュースがYoutubeに出ています。こちら)。

 この男は、被災地のことがどうのというより、自分のケチな自尊心、虚栄心が何より大事なので、だからこそ勝手にカン違いして、ああいう傲慢不遜な態度も出てくるわけでしょう。「書いたらもうその社は終わりだから」という記者に対する恫喝にも恐れ入る。こんな奴に国会議員をやらせているということ自体、税金の浪費の最たるものです(「長幼の序」がどうたらとエラそうなことを言うなら、儒教の土台となる論語ぐらいは読んだことがあるのだろうから、そこに重要徳目として述べられている「仁」の内実が何であるか、少しは考えてみるがいいのです)。

 大体、復興予算は国民の税金で執行されるもので、政治家個人が自腹でまかなっているのではない。仮に自分が全部出すという場合でも、ああいう態度では、「誰がテメエみたいな奴に頼むか!」ということに、相手はなるでしょう。権力をカサに着て、許しがたい下種です。

 菅総理は「任命責任」を問われているという話ですが、あんなアホを大臣にするとは一体どこに目玉をつけて人選しているのかと、あらためてゲンナリさせられます。この男は先に防災大臣もしていたが、ほとんど何もせず、全く役に立たなかったという。それをまた復興大臣に任命するとは、不見識も度が過ぎていて、唖然とさせられる他ありません。

 さっきネットのニュースで見たら、あの態度は菅を政権から早く引きずり降ろすための「深謀遠慮」かも知れないといううがった見方もあるようですが、その後の記者会見を見ても、そこまで考えた上での芝居であるはずはない。権力をもたせると威張りくさっていい気になる、ただのチンピラです。民主党の人材の枯渇ぶりも、自民党以上に深刻です。
 それにしても、この松本龍という男は何者なのか? ウィキペディアを見ると、こうあります。

 「1951年生。福岡県福岡市出身。部落解放の父と呼ばれた松本治一郎の養孫(血筋の上からは治一郎の大甥にあたる)であり、自身も部落解放同盟副委員長を務めた。実家は養祖父の代からの福岡の中堅ゼネコンの松本組で、弟が社長である。自身も顧問を務める。
 福岡市立馬出小学校から福岡市立福岡中学校、福岡県立福岡高等学校を経て中央大学法学部政治学科卒業。1980年、父松本英一(参議院議員)の秘書となる」

 部落解放同盟の関係者なら、社会的弱者や困難な立場に置かれた人たちの気持ちは人一倍よくわかるはずです。それでこれとは、なおさら腹が立ちます。

 部落解放同盟も今や一個の権力で、この御仁は「2008年度の国会議員の所得公開で国会議員でトップの8億4366万円の所得を得ていたことが伝えられている」とあるように、苦労知らずのボンボンだから、昔の馬鹿殿と同じで、こういうことになるのでしょうか。

 それにしても、今の政治家たちのお粗末さには驚かされることばかりです。しばらく前には自民党の石原幹事長の「集団ヒステリー」発言というのがありました。イタリアで原発についての国民投票が行われて、「脱原発」が圧倒的多数を占めたことについて述べられたもので、いつものあの勿体ぶった口調で、「福島の原発事故の後だから、心情としては理解できる」などと余裕の表情で、「集団ヒステリー」だと言ったのです。「妄言製造機」の異名を取る東京都知事の父親を崇拝する彼にはお似合いの発言だと見ることもできますが、ご本人は“オトナの現実主義者”であることを示したつもりで、ちょっと得意だったのでしょう。福島に行って、「皆さんが今回の事故で集団ヒステリーに陥って、原発反対になるのは心情としては理解できますが、ごく稀な事故で、原発は危険すぎると思い込むのはいかがなものでしょう?」と演説してみればいいのです。そこに血の気の多い若者でもいれば、演壇から引きずりおろされてボコボコにされ、少しは「危険」という言葉の意味も身にしみてわかるようになるでしょう。

 今の選挙の問題点は、組織票というものに守られて、こういう連中でもまた当選して国会に戻ってきてしまうことです。個人が独立した見識と判断力をもち、それを実践しないと、民主主義的な議会にはならない。だから何かあったとき、虚栄心のみ肥大した無能なクソ議員ばかりで役に立たず、国民が難儀させられることになるのです。

 安易に組織の指示に従う人たちは、その意味でこの国を腐らせるのに一役買っているのです。少しでも社会をまともにしたいのなら、今後は自分の頭でよく考えて、投票もしなければなりません。ロクな候補者がいなければ、選択の余地もなくなってしまうので、そのあたりももっと何とかならないものかとは思いますが…。


※ グーグルのピックアップのところに、「しんぶん赤旗」の非常に興味深い記事が出ています。こういうのはすぐサイトから消えてしまうことがあるので、ここにアドレスを付けておきます。こちら

 「原発推進へ国民分断、メディア懐柔 これが世論対策マニュアル」と題したこれは、「原子力発電を推進するために学校教育や報道機関に情報提供を行っている日本原子力文化振興財団がまとめた『世論対策マニュアル』」だそうで、「停電は困るが、原子力はいやだ、という虫のいいことをいっているのが大衆である」ということで、「虫のいい」われわれ国民を低脳とみなして、それをどう操るかを心理学を応用して指南して下さるという、原発推進関係者には懇切なマニュアルです。わが国には素敵な財団があるものだと、あらためて感心させられました。ぜひご一読ください。

祝子川通信 Hourigawa Tsushin


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中世キリスト教異端カタリ派の「予言」

2011.04.22(18:27) 73

 「これから一体どうなるんでしょうね…」
 近頃は、オトナ同士が顔を合わせるときまってそういう話になって、やはりきまって「わからない」という結論(?)になるのですが、原発事故の収束まで、何ヶ月、何年かかるかわからないというのだから、それも無理はありません。チェルノブイリなんかは四半世紀経った今でもまだブスブス放射能を出し続けているわけで、そういうことまで考えるとキリがありませんが、一応の決着がつく日(たとえば、石棺で覆えるようになる)がいつなのか、それすら全くわからないのだから、人間はそんなに長く緊張にもちこたえられるようにはできていないことからして、現場で作業に当たっている人たちにとってはもとより、ふつうの人にとってもこれは過酷な事態です。しまいには「もうどうでもいい」ということにもなりかねないわけで、それが一番こわい。

 原発というやつは、いったん大事故が起こるとこういうことになりかねないわけで、「めったに起きない」などと言っても、航空機事故などとは根本的に性質が違う。今回の地震では、どこかで石油コンビナートが黒煙を上げて燃えるのがテレビに出ていましたが、ああいうのも事象は単純なわけで、タンクからタンクへと爆発を繰り返しながら燃え移っても、燃え尽きるなり、消し止めてしまえばそれで終わりです。原発はそうは行かない。放射能がすべての作業を妨害し、かつ、それが周囲に漏れて長期にわたって深刻な害悪を及ぼし続けるからです。ほんとに恐ろしいなと思います。

 今の菅内閣は身内の民主党からも見限られて、四面楚歌の状態にあるようですが、これが地震と津波の被害への対応だけなら、こんなに苦労させられることはなかったでしょう。誰がやっても、いったんこういう事態になってしまった以上、原発事故を迅速に終焉させることはできなかっただろうから、僕はその点には同情しています。

 それにしても、他国の軍隊でもテロリストでもなく、自国の一電力会社のために、小出裕章先生の言葉を借りれば「たかが電気のために」、国民の生活と生命が深刻な脅威にさらされるとは、全く皮肉なことです。

 門外漢があれこれ心配を重ねても仕方がないと思い、自分は自分でやり残したことをせめてやっておこうと、僕はしばらく前から、翻訳の仕事をするきっかけとなった、英国の精神科医、アーサー・ガーダムのThe Great Heresy(『偉大なる異端』)のパソコンへの打ち込み作業に入りました。ずっと前に訳稿はできていて、しかしそれは昔のワープロを使ってやったものだったので、パソコンには入れていないからですが、それを入力して、ついでにもういっぺん推敲を加えておこうと、前から計画していたのです。これはカトリックの激しい「草の根分けても」といった非道な弾圧を受けて滅ぼされたヨーロッパ中世のキリスト教異端カタリ派の歴史とその秘密教義を扱ったもので、第一部の「歴史」の方は、ガーダムという人は学生時代歴史家になることも考えたことがあるというほど歴史好きで、そちらにも明るい人だったので、ふつうの人が読んでも抵抗のない記述が大部分なのですが、後半が「オカルト」なので、そこに出版上の困難があって、出すのは難しいだろうなと、僕自身が考えています。どういうふうに「オカルト」なのかといえば、ガーダムは元々「疑り深いトマス」とあだ名されたくらい懐疑的な合理主義者だったのですが、体質的にそれと全く相反するサイキックな素質をもっていて、精神科医としての仕事を通じて「生まれ変わり」の実例に遭遇するうち変わってくるのですが、晩年は何と「肉体をもたない霊(?!)」と直接コミュニケートする能力を獲得したらしいのです。それは主として十三世紀に生きていたカタリ派の聖職者たちの「霊」です。ここで大方の人は「馬鹿馬鹿しい」ということになってしまうだろうから、中味がどうのこうのという以前に、アウトになってしまう。逆に、やたらとそういう話が好きな、いわゆる「信じやすい」人も、彼の読者には不向きに思われるところがあって、ここで語られている「カタリ派の宇宙論」などは非常に奥深くて面白いと僕には思われるのですが、頭が痛くなるようなややこしい話も含まれているので、そういう意味でも出版は難しそうに思われるのです。

 僕自身は、生まれ変わりがどうのというような話には、すでに興味をなくしています。自分の精神の一部にはそのカタリ派が含まれているだろうということはわかっていて、げんに「身元」を知っているらしい人にも会ったことがありますが、それは僕には大した意味をもたない。しかし、この本を訳しておくことは自分のしておかねばならない仕事、いわば「元カタリ派としてのミッション」の一つだろうとは思っていて、とにかく訳を作っておきさえすれば、後でどういう成りゆきでかは知りませんが、誰かそれを出版してくれる酔狂な人が出てくるかも知れない。そう考えているということです(カタリ派の高度な教義については弾圧したカトリックの側の、異端審問記録によるもの以外、情報はほとんどありません。これはユダヤ人についての情報をゲシュタポに頼るのと同じで、そういうものの信頼性は当然疑わしいので、残された道はそういう超常的な回路による他はないわけです。それがナンセンスなものであるかどうかは、その内容によって判断されるべきだろうと、僕は考えています)。 

 それで、ここで話はやっと前とつながるのですが、その本の第二部の「秘密教義」のところに、「原子力」についての議論が出てくるのです。そこをご紹介しておきましょう。これは「鉱物が内に秘めている力」との関連で述べられたものです。少し長くなりますが、該当段落を全文そのまま引用してみます。

「科学者による鉱物の放射能の研究は、非常に邪悪なものとなった。しばしば原子力エネルギーを戦争で何十万もの人々を殺戮するのに使うこと[=原爆]は逸脱だが、それをいわゆる創造的目的のために産業用燃料として使うこと[=原発など]は賞賛すべきことだと言われる。そのような論理は粗雑で危険である。問題の要点は、そうした知識は深い洞察力と高潔さをもった少数の人々の手によってのみ、そのような人々によってだけ研究されるべきだということである。われわれはすでに、グラハムやギラベール・ド・カストルが生の防護壁が維持されるものとして線引きした研究の範囲をはるかに越えてしまっている。こんにちでは、適切な学術的資格をもつ個人なら誰でも、物理学の研究室で自由にこうした研究を行うことができ、禍に満ちた原材料[プルトニウムなど]を解き放つことができるようになってしまった。霊たちは強調した。現代科学の全パターンは、邪悪で破局的な結果をもたらすものの生産に魅せられていると。科学の秘密は、一握りの、科学が宇宙的な知識のほんの一つの局面をあらわすにすぎないのだということをよく理解した、進歩した少数派以外の人々には決して探究されることがない。そのような少数派は、僅かな人にしか明かされず、決して探究されたことのない科学的真理が存在するということを知っている。人間は自然の秘密の乱用によって自らを最終的に破滅させるだろうということが[霊たちによって]指摘された。ありそうなのは核戦争による[終局的]破壊ではない。なぜなら、アマチュアの予言者たちによって描かれる恐怖にもかかわらず、それで惹き起される荒廃は絶対的なものではなく、生命の絶滅を含むものではないだろうからである。もっとずっとありそうなことは、鉱物、とりわけ放射性物質を含む鉱物に閉じ込められた生命創造力の、人間による解放によって、頻発する地震や台風、破局的な大洪水が惹き起されることである。人間によるエネルギーのこうした絶えざる開発は、コントロール不能の連鎖反応を惹き起し、それがこの惑星の破壊に帰着するだろう」(『偉大なる異端』第二部・第十八章)

 「不安を煽るな!」と叱られるかも知れませんが、これは別に今回の福島の原発事故について述べられたものではなく、原発以外にも「放射性物質を含む鉱物に閉じ込められた生命創造力」の利用はありうるわけで、今後もその種の力の無思慮な「乱用」を続けていると、いずれは地球規模の破壊・天災が連鎖的に惹き起されてジ・エンドになってしまうだろうと、そういう話なのです。

 ちなみに、この本が出版されたのは、1977年です。

祝子川通信 Hourigawa Tsushin


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ポール・シフト(極移動)が起きている?

2011.04.19(17:02) 72

 東北・関東を中心に余震が多発する中、「余震ではない」と気象庁が言う大きな地震なども混じっていて、どうも多すぎるなと気になったので、先々日の日曜、「ポール・シフト」でグーグル検索してみました。

 僕は素人なのでよくわからないのですが、ポール・シフトというのは「極移動」のことで、南北の両極が逆転したり、地軸が変わることだと理解しています。地球は自転していて、それには回転軸が当然あるわけですが、その中心軸の角度が変われば、極も変わる。僕によくわからないのは、だんだんズレて、それが一定のところまで来たときにパッと南北両極が入れ替わるのか、それとも、北極と南極以外のところに極が移るのかということで、そのあたり無知でよくわからないのですが、そういうことがこれまで、何千年か何万年に一度という単位でですが、繰り返し起きてきたということは若い頃、複数の本で読んだ記憶があるので、地震もそれが始まる予兆として頻発することがあるのかなと、ちょっと気になったのです。言うまでもなく、それだと原発だらけの日本は大変危ないことになるわけです。

 一つお断りしておくと、僕はこの種のことに関連して一部の人たちの間で言われているらしいアセンションだの何だのということには、全く興味はありません。これは「上昇」、大文字だと「キリスト昇天」のことですが、今のオカルト説では「意識の次元上昇」というふうに理解されていて、聞いた話では、古代マヤのカレンダーは2012年の12月だかに終わっていて(それは解釈の間違いで、今年の10月だという説もあるそうですが)、それは「世界の終わり」を意味しないので、人間の意識がレベルアップして、いわば「進化」するのだと解釈されているようです。

 度の過ぎた物欲はもとより、愚かしい虚栄心、名誉欲、権力欲、党派根性、保身願望、病的な自己愛などで身動きもままならなくなっている今の文明人のありようを思えば、それは望ましいことですが、そんな棚からボタモチみたいなことは期待する方がどうかしていると、僕などは思うのですが、願望としてはわかります。しかし、相次ぐ天変地異の中、醜い争いと大混乱に陥って、事態をさらに悪化させ、そのまま破滅してしまうことの方がいっそうありそうな話です。尤も、地球にとっては、それは大したことではありません。地球の歴史ではこれまで、多い時だと生物の90%以上が死滅するという「大量絶滅」が何度も起きたそうなので、そうやってその都度「新規まき直し」して、今に至ったのです。早い話が、恐竜たちの天下がずっと続いていたのでは、その後の哺乳類の繁栄、従って人類の繁栄もなかったわけで、それは非難せず、自分の時代が終わるときにだけ「神はいないのか!」と叫ぶのは、人間のご都合主義でしかありません。生命全体の見地からすれば、恐竜と人類のどちらが罪深い存在であるかは明らかでしょう。人間はTレックスよりはるかに残虐な生物と言えそうだからです。ことに現代の文明人は、ハートというものをどこかに置き忘れてしまった。重要なのは、可愛いのは自分だけなのです。

 いきなり「人類絶滅」の話に飛んでしまったのでは困るので、少し話を戻して、ポール・シフトで検索していると、「鳥の大量死と地球の磁極移動(ポールシフト)、シアン化水素、HAARPの謎」というのが最初のページに出てきて、それをクリックすると「さまよえるbitch」というタイトルの、ある人のブログに入ってしまい、思わず苦笑してしまいました。bitchというのは、周知の通り例のサナバビッチson of a bitch!のビッチ(雌犬、転じて「あばずれ女」)で、そこに翻訳が出ているのです。洗練された達意の日本語訳で、この「さまよえるbitch」さんというのは、ご自分でそう名乗っているものの、どうやら並の女性ではなさそうですが、「翻訳 渡辺亜矢」とあるので、どういう方か存じませんが、その渡辺さんのブログなのでしょう。

 詳しくはそちらを直接見ていただくとして、極移動は実際に起きているようで、フロリダ州のタンパ国際空港では、そのために滑走路の番号表示が書き換えられた、という。要するに、地理上の極と、実際の磁極上の極がそういう対応を要請するまでにズレてしまったということのようで、それに伴って地磁気にも異常が生じていて、それが鳥の大量死や魚の大量死とも関係している、ということのようです。

 これの元の記事の日付は今年の1月13日、翻訳がアップされたのは同24日のようです。震災に二ヶ月ほど先立っていて、こういう全地球的な変化がどのように地震に関係するのかはわかりませんが、進行中(加速中?)の極移動によってプレートの動きに影響が出るのはあたりまえのように、あくまで素人考えですが、思われます。

 その記事の中に、「ここ数週間、何十万もの鳥や魚の死骸が地球上のあちこちで見つかっている。これまでの大量死の一覧はこちら」という箇所があって、次にそちらを見ると、今度は英文のNATURAL NEWS.comというサイトに飛んで、そこに、記事の前一ヶ月足らずの間に世界各地で報告された二十件を超える「鳥や魚の大量死」の例が列挙されていて、びっくり。

 にしても、地磁気の異常によって鳥や魚が方向感覚を狂わされるというのはわかるが、何で何千羽という鳥が一度に空から落ちてきたりするのか? 「地球の磁場は、数千年に1度の間隔で『入れ替わって』(または極転換して)いる。これを地磁気逆転という。この入れ替わりの間、磁場は非常に弱く混沌とし、『乱流』が発生して磁気圏に裂け目ができることがある。/こうした磁気の裂け目や弱まりから、通常は磁気圏で遮断されている外界の物質が進入し、鳥が飛ぶような低い高度にまで降りてくるということも、理論上可能である」として、「少なくとも鳥に関しては、猛毒の宇宙雲が大気圏の低い場所まで到達して飛行中の鳥が死に、地上に落ちたという仮説が成り立つ」とのことです。

 よくわからない? それは僕も同じで、御用学者の専門家たちに聞いても「馬鹿な!」という嘲笑が返ってくるだけかも知れませんが、何かふつうでないことが起きているのだろうとは察しがつきます。地上では原発事故の放射能、上空では「猛毒の宇宙雲(その中にある宇宙放射線または「シアン化水素という有毒ガス」)」というのでは、たまったものではありませんが、現実なら仕方がない。

 ちょうどそれを見た翌日、昨日のことですが、「クジラ53頭打ち上げられる」という新聞記事をニュースサイトで見かけました。

「茨城県波崎町(現神栖市)の海岸にクジラが打ち上げられているのをサーファーが発見した。約2キロにわたって53頭が確認され、半数は死んでいた。主に亜熱帯の遠洋に生息する「カズハゴンドウ」で、茨城県沿岸では珍しい現象。『集団で打ち上げられた原因は判断が難しい』と大洗水族館。生きているクジラは警察やサーファーらによって沖に戻された」(産経ニュース 2011.2.12 02:45)

 不可解なのは、記事に【十年前のきょう】というのが付いている(しかし、十年前の話ではない)のと、二ヶ月ほど前の記事であることで、こういうのは見る人が多いから、こうして出てきているのでしょうが、何で今頃そうなっているのかは、僕にはわかりません。物好きとは承知しながらも、ついでに「クジラ53頭打ち上げられる」で検索すると、オーストラリアでも3月18日だか、クジラ32頭が浜に打ち上げられたというニュースがあったと、これは2ちゃんねるなので少し怪しいが、似たような話が出ています。ああいうのはシャチに追っかけられてそうなることがあるようですが、もう一つ考えられる理由は地磁気の異変で方向感覚が狂ってしまうことでしょう。

 歴史的に見ると、地震も、あまり起きない比較的平穏な時期と、多発する時期があって、今の日本は地震が起きやすい時期に入っていると地震学者たちは口を揃えて言っているそうですが、それは磁極の移動も原因の一つなのかなと思った、ということです。

 原発事故報道のさなかに、「世界気象機関(WMO)は4月5日、有害な紫外線から生物を保護するオゾン層が破壊されて北極の上空にできる『オゾンホール』の規模が今春、最大になったと発表した。3月までのオゾン層破壊は、これまでの最大規模だった北極のオゾン層全体の約30%を上回る40%に達した」というニュースが流れました。「縮小傾向にある」と言われていたはずなのに、なぜそうなったのかは知りませんが、こういうことにも、今見てきたような地磁気の異変が関係するのかどうか、僕にはよくわかりませんが、どうやらあれこれ多難な時期に入ったのはたしかなようです。

 僕が言いたいのは、オゾンホールや大気上層の「宇宙雲」なるものはともかく、地震の多発期に入ったのならなおさら、早く原発は止めた方がいいのではないのか、ということです。危険な綱渡り作業が長期にわたって続くことが確実視される、福島の原発事故の後始末で手いっぱいのときに、また別のところで大きな地震が起きて、別の原発がやられたら、もう完全にアウトになってしまうでしょう。これがたんなる杞憂であればいいのですが…。

 この際だから、ほんとに「意識のアセンション」なるものが生じて、人からケチなメンツだの、「組織防衛」心理などが一掃されるとよいのですが。しかしそれは、タナボタで「自動的」に生じるものではないので、個人単位で深い自覚が生まれないと無理でしょうね。大自然に意思というものがあるとすれば、今はまさに人間のそこが問われているのだと思うのですが。

祝子川通信 Hourigawa Tsushin


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