僕は先日、世界的なベストセラーになったという『チベットの生と死の書』(大迫正弘&三浦順子訳 講談社)という本を古本屋から取り寄せて読みました。同時に田中美知太郎著『プラトン(全四巻)』(岩波書店)も同じところから買ったので、われながら選定が不可解ですが、あれこれ調べ回っているうちに、偶然そうなったので、全く系統の違う本を同時に読み進めるというのは、若い頃からの悪癖の一つです。
田中美知太郎大先生のこのライフワークについては、昔読みそびれたままになっていて、頭が駄目にならないうちにぜひ読んでおきたいと思っていたものです。途中で挫折しても、古代ギリシャ・ローマなんて今どき全くはやらないものを専攻している息子(父親から譲り受けた『ツキディデスの場合』を読んで、彼もこの偉大な哲学者のファンになった)が代わりに読むだろうから、無駄にはならない。そう思ったのですが、この『チベットの…』は彼は読まないだろうから、僕だけの本です。それで『プラトン』は寝る前だけにし、先にこちらを読み始めたのですが、カルマ論やバルド論はたいへん面白かったものの、第九章「師と歩む道」のあたりで少々引っかかり、どういう人間なのか自分で調べてみようと、中座してネットで名前を英文検索したら、目下不名誉なスキャンダルの渦中にいる人らしいということが判明し、次の順序でそれに触れる羽目になりました。
・DALAI LAMA SPEAKS OUT ABOUT SOGYAL RINPOCHE
・Sexual assaults and violent rages... Inside the dark world of Buddhist teacher Sogyal Rinpoche
上はYoutube、下は英国テレグラフ誌電子版の記事です。後者は日付を見ると、21 September 2017 • 6:00am となっているから、ちょうど一年前の記事だということになります。日本語で検索しても、この件のまとまった紹介は見当たらないので、上記テレグラフのかなり長い記事を翻訳して紹介することにします。僕にはこれは個人崇拝の危険なカルトの特徴をよく示すものだと思われるので、個別の案件にとどまらない、一種普遍的な事例として役に立つでしょう(同じくヴァジラヤーナなるものを振りかざしていたオウム事件の理解にも役立つはず)。あの本を読んでソギャル・リンポチェのファンになったという人たちにはショック(この記事によれば、あれも大部分はゴーストライターによって書かれたもの)でしょうが、今は紛らわしい自称「精神的指導者」なるものが多い時代で、上のYoutubeをご覧になればわかるように、あの本に序文を寄せたダライ・ラマご本人が憤慨して、「こういうことは黙っていないで、告発するように」と呼びかけているほどです(善良な猊下は、その善良さゆえにこの異常な人物――変態的で悪辣な宗教詐欺師と断定して差し支えなさそう――の裏を見抜くことができなかった、ということになりますが)。
それでは訳文を載せますが、これは塾の授業で英文を口頭で訳していくのと同じ要領のものなので、適度に意訳をまじえたとはいえ、本にするときのような細かいチェックや推敲は経ていないことをお断りしておきます(【】は註記、〔〕は訳文の補い)。尚、これは署名入りの記事で、By Mick Brown となっています。冷静かつ周到な、すこぶる良心的な記事だと、僕自身は判断しています(訳してみたら2万字の大長編になり、空き時間の多くを費やしたにもかかわらず、訳語に苦慮することも少なからず、丸五日かかってしまったので、心してお読み下さい)。
・性的暴行と烈しい怒り…仏教導師ソギャル・リンポチェの暗黒世界の内情
昨年〔=2016年〕8月、全世界で300万部以上を売り上げた『チベットの生と死の書』の著者であるチベット人のラマであり、おそらくはダライ・ラマに次いでもっとも有名なチベット仏教の師であるソギャル・リンポチェは、フランスのセンター、レラブ・リン(Lerab Ling)で年次講話を行った。
ソギャルの組織、リグパ――チベット語で「心の本質」を意味する――は世界40ヶ国に100以上のセンターをもっている。しかし、中でもエロー県【南仏】のひなびたゆるやかな丘陵地にあるこのレラブ・リンは王冠の宝石のごときもので、それは西洋にあるチベット寺院で最大の規模を誇るが、2008年に、ダライ・ラマ、当時フランス大統領夫人であったカーラ・ブルーニ・サルコジ、その他高位高官列席の元で大々的にオープンされたのであった。
ソギャルはその信者たちから、仏教の知恵と慈悲の教えの生きた具現化とみなされている。但し彼は、「狂気の知恵」として知られる、高度に非オーソドックスなやり方で教えを垂れる人物でもある。
その日、彼がステージに向かって歩いているとき、寺院には千人以上もの信徒が集まっており、彼はデンマーク人の尼僧、Ani Chotyi に伴われていた。御年70歳のソギャルは恰幅のいい、メガネをかけた人物で、講話の際、王座〔演台〕にのぼるとき、足を載せる台を要求する【写真を見ればわかるとおり、彼はかなり背が低い】。そこに近づいたとき、彼は立ち止まり、それから突然振り返ると、尼僧のみぞおちにきついパンチを食らわした。
「私は足載せ台が正確な位置に置かれていなかったのだろうと思いました」と、最前列の一つに座っていた、信者歴20年以上のアメリカ人、ギャリー・ゴールドマンは言った。「彼は怒りの発作に駆られて、いきなり腰の入ったパンチを食らわしたのです。私は唖然としました。一体何が起こったのか? 私の周りの誰もが固まっていました。尼僧は泣き出しましたが、すると彼は立ち去れ、出て行けと彼女に命じたのです。そしてそれから、彼は講話を始めました」
「師を人間ではなく、仏陀それ自身と見ることは」と、ソギャルはしばしば信徒たちに語ってきた。「最も高度な祝福の源泉なのだ」と。彼の教えに列席する者は、彼のふるまいに驚いたり、〈誤った結論〉をそこから引き出したりしないよう気をつけねばならない。見たところは非合理な、たとえ暴力行為であったとしても、それは〈たんなる見た目〉だけだと見なされるべきなのだと言われる。
しかし、尼僧のみぞおちにパンチを食らわすとは…。「後で、誰もが起きたことを理解しようとしました」ゴールドマンは言う。「人々はひどく動転したのです」リトリートの後、信徒たちがソギャルの上席インストラクターに、その日の教えについて思ったことや疑問をメールすることは習わしになっていた。
若い頃、ゴールドマンは米軍のレンジャーとして、ベトナム戦争に従軍していた。「私たちは皆、何らかのことを書きました」と彼は言う。「私はこう言いました。彼の手法が非伝統的なものであることは承知している。しかし、尼僧にパンチを食らわすなどというのは〈想定外〉だと」
「私は軍隊でこの種のことを目にしたことはありますが、私たちはもうそんなことはしません。少なくとも合法的なものとしては。しかし一方、こういうことが『狂気の知恵』の教えの一部だとすれば、私たちは真剣にそれについて話し合う必要があったのです」
翌日、リグパの幹部の一人が疑問をもつ信徒たちに答えた。彼が言うには、ソギャルは信徒たちが彼の手法を疑問視するのにたいへん驚いた。もし信徒たちが実際に起きたことを理解しないなら、その場合、その信者たちは約束された彼の高いレベルの教えを受ける準備ができていないのであり、ソギャルはそのリトリート【修養会のようなもの】の間、二度と教えることはないだろうと。
「これが彼のやり口なのです」とゴールドマンは言う。「何かが起きると、彼は言葉巧みに信者を操って引き下がらせようとする。こんなことはもうたくさんだと、私は思いました」
告発のカタログ
ダライ・ラマの優しい温和な微笑のおかげもあって、チベット仏教はこの30年の間に、西洋で大きな人気を博すようになった。そして概して他の宗教組織で起きたようなスキャンダルは免れてきた――少なくとも表には出なかった。
仏教徒コミュニティの内部では、しかしながら、ゾギャル・リンポチェは長く論争の的となる人物であった。長年、彼のふるまいに関する噂がインターネット上を流れていた。そして19990年代に、ある性的・身体的虐待をめぐる訴訟が示談〔で和解〕になった。
けれども、西洋における彼の仏教の高僧としての地位は揺らぐことはなく、今日まで安泰なままになっている。7月、八人の地位の高い、信者歴の長い現・元信者たちが、ソギャルに12ページの質問状を送りつけた。「あなたのふるまいに関して長くくすぶっている諸問題は」という言葉で、その手紙は始まっている。「もはや無視したり否定したりすることはできなくなりました」そして次に、彼に対する非難の申し立てを列挙する。
ソギャルの常習的な身体的虐待は、とその手紙は申し立てている。「あなたの僧侶、尼僧、一般信徒たちを傷だらけにし、癒えることのない傷と共に去らせた」のだと。彼は自らの師としての役割を「若い女性たちに接近し、彼らを強要し、脅して、あなたに性的な接待をさせるために」用いてきたのだと〔それは述べている〕。信徒たちは服を脱ぐよう命じられた。「君の生殖器を見せるために」「君にオーラルセックスをするために」そして「君のベッドでわれわれのパートナーたちとセックスをするために」である。
ソギャルは、とその手紙は続ける。「ぜいたくで、粘っこい、快楽にふける」生活を送ってきた。そしてそれは多数の信者には秘密にされ、「自分の献金は世界にさらなる知恵と慈悲をもたらすために使われていると信じている」信者たちの寄付金によって賄われてきた。
「もしもあなたが私たちや他の人たちを蹴とばしたり殴ったりし、信徒や既婚女性とセックスをし、あなたの快楽的な生活に信者たちの献金を使うことが仏教の師としての道徳的で慈悲に満ちた行動だというのなら、どうか私たちにわかるように説明して下さい」
写しがダライ・ラマや、ソギャルの高弟たちにも送られたので、その手紙はすぐにリグパの土台を根底から揺るがせる騒動になった。ソギャル・リンポチェ自身にとっては、それは恩寵からの劇的な転落への序曲となるものだった【その後、彼は辞任に追い込まれる】。
チベットからケンブリッジへ
ソギャル・リンポチェのケースは、たんなる常軌を逸した霊的教師の浅ましい話にとどまらず、西洋人が十分に理解していないエソテリックな霊的教えのとりこになるとき起きうる危険性を示す例となるものである。それはまた、東洋の導師がセレブ崇拝の魔力と誘惑にさらされたとき、どういうことになりやすいかを示すものでもある。
ソギャル・レイカー【彼の本名】はチベット東部のカムに、貿易商の子供として生まれた。弟子たちの間では、彼はダライ・ラマ十三世(現在のダライ・ラマは十四世)の師であったラマ、ソギャル・テルトンの生まれ変わりだと信じられている。しかし、ソギャルの背景を調査してきたオランダ人学者で仏教徒のRob Hogendoornによれば、その主張の裏付けは、ソギャル自身の母親のものでしかない。ソギャルは公式の仏教徒のトレーニングはほとんど受けていない。そしてチベット人のコミュニティでは、彼の教えに列席したことがある人がほとんどいないのも注目に値する。
生後6ヶ月の頃、母親は彼の世話を姉のカンド・ツェリン・チュドウンに委ねた。彼女は著名なチベット人ラマ、ジャムヤン・キェンツェ・チュキ・ロドウの若い配偶者、または霊的配偶者であり、ジャムヤン・キェンツェはソギャルの守護者となった。
1954年、一族は進攻してきた中国軍から逃れて、西ベンガルのカリンポンに飛んだ。そこのカトリック系の聖オーガスティン小学校でソギャルは教育を受けた。ジャムヤン・キェンツェはソギャルが10歳か11歳の頃亡くなり、彼の教育はデリーの聖シュティファン・カレッジの聖公会派学校で続けられた。1971年、彼はケンブリッジのトリニティ・カレッジに入り、神学と宗教学のコースを取ったが、卒業はしなかった。
彼が若い仏教徒、メアリー・フィニガンと出会ったのはケンブリッジでのことだった。彼女は今ではソギャルの最も手厳しい批判者となっており、彼の不行跡の軌跡を丹念に洗い出してきた。
当時、英国在住のチベット人ラマは四人しかいなかった。「ロンドンには教えを授ける人は誰もおらず、センターもありませんでした」とフィニガンは言う。彼女はソギャルの最初の講話を手配したが、そこは彼女が住んでいたロンドンの一角で、1979年までは彼の教え子としてとどまった。
ソギャルはエキゾチックな外見をした、流暢な英語を話すチベット人で、自分が話していることについて心得ているように見えた。彼の追随者は急速に増え、有名な英国の喜劇俳優から10万ポンドの寄付を得て、彼はロンドンに自分の最初のセンターを設立することができた。
やんごとないリンポチェ(それは「高貴な人」を意味する)を僭称して、ソギャルは自らをヴァジラヤーナ、タントラ密教の師として打ち出した。それはチベット仏教の深くエソテリックな側面を示すと信じられていて、その信徒はエゴの鎖を断ち切り、たった一度の人生で悟りを達成するとされる。ソギャルの言葉で言うと、それは「山頂へのヘリコプター【長時日を要せず、一気に悟りに導くメソッド】」なのであった。
それは信徒が、ラマが行うことは何であれ、それがどんなに非合理で理解不能に見えようとも、その信徒の利益のためなのだと信じて、ラマに全面的に服従することを含意している。師の手法について信徒の心にいかなる疑問が兆そうとも、それは「不純な知覚」のせいなのである。
チベット仏教の伝承は、偉大な師、あるいはマハシダたちの、狂気の沙汰のように見える手法によって弟子を悟りに至らせた話で充満している。最も有名なものの一つは、9世紀のマハシダ・ナロパの物語で、彼の師のティロパは、彼を寺院のてっぺんから飛び下りさせて骨折させたり、火の中や凍った水に飛び込ませたり、妻をティロパに贈り物として捧げさせたりといったことを含む、一連の苦難に彼を従わせたのであった。
これらの物語によれば、ナロパが骨折したり死にかけたりするたびに、ティロパは彼を手かざしによって癒し、ナロパの心をより進んだ境地に導くような指示を与えたのだった。
この師と弟子との関係の基礎は、サマヤまたは信頼の絆にあり、その中で、弟子はグルへの全面的服従を誓うのみならず、グルは弟子の利益のためだけに行動すると誓うのである。サマヤを破ることは、「ヴァジラ地獄」への追放や無限の不幸な再生〔=輪廻〕を含む、最も深刻な結果をもたらす。
「ひとたびチベット仏教の秘儀の世界に入るや、あなたは西洋的合理性への後戻りはできなくなるのです」8年間自らもチベット仏教僧でもあった、イギリス人の仏教教師であり、学者でもあるスティファン・バチェラーは言う。「あなたは徹頭徹尾内的であるように見える世界に入ります。そこではすべてが意味をなし、力の諸構造が悟りのこれらの理想に仕えているように見えます。そしてそこでは何を措いても、グルとの関係こそが最も効果的なやり方でこの道を進むための鍵となるのです」
しかし、ヴァジラヤーナはとくに困難な道と認識されている。チベット文化に深い理解をもたない西洋人の信徒にとってはとくに。
特徴的な屈託のないスタイルで、ダライ・ラマはヴァジラヤーナを論じる上での彼自身の用心について語っている。「教えを説くとき私は自分が言うことに注意しなければならない。というのも、中にはナロパの物語を文字どおり受け取り、グルが指示していると考えて崖から飛び降りたりする者もいないではないからである。私は手かざしで骨折した体を癒す能力はもたないし、ここダラムサラにおいては、救急車を呼ぶことさえできないのである!」
ダライ・ラマは、執着と自己満足の誘惑を乗り越えた導師であるかどうかは、彼らが排泄物でも、通常の食べものを食べるときと全く同じ平静さをもって食べられるかどうかで決まると思い込んでいるような信徒に警戒してきた。どのチベットの導師がこれができるほど十分な高いレベルの自己実現を達成しているかと問われて、彼は答えた。「ゼロだ」と。
浴びるように酒を飲むグル
1976年、ソギャルはチベット人ラマ、チョギャム・トゥルンパ【かつて日本でも多くの本が翻訳、紹介された】に会うためにアメリカを訪れた。当時彼は、「狂気の知恵」の教えの最も極端な実践者とみなされていた。トゥルンパは浴びるように酒を飲んでいた(彼は1987年に、アルコール中毒が原因の合併症で死んだ)。彼は公然と弟子たちと寝、自分の組織を封建的な王宮のように運営し、えりぬきのボディガードで自分の周りを固め、ときに自らも近衛兵のようないでたちをして面白がった。「グルの真の役割は」と彼はかつて言ったものだった。「君を侮辱することなのだ」と。「ソギャルはトゥルンパがもっているものを見ました」と、メアリー・フィニガンは言う。「そして言ったんです。『あれが私が欲するものなのだ』と」
トゥルンパのように、彼も非正統の、ときにふざけた教え方のスタイルを採用した。しかし彼は有能な演説家であり、聴衆を思い通りに操る能力と、仏教の教えを明快で理解しやすいかたちで伝える力をもっていた。「霊的な実践と情報を求めて現われる三種類の人たちがいます」と、ギャリー・ゴールドマンは言う。
「あなたは、好奇心の強い、それについて何か学びたいと思う知識人たちを手に入れるのです。また、積極的に道を求め、人生とは、世界とは何かを理解しようと探求している人たちがいます。さらに、心理的に混乱して、滅茶苦茶になった人たちがいます。彼らは虐待されたり、恐ろしい目に遭った人たちです。ソギャルはこれら三種の人たちすべてを満足させることができました。非常にうまく、同情に満ちた態度で、です」
ソギャルを金持ち有名人にした本
1992年、彼は『チベットの生と死の書』、西洋人読者向けに、幸福な人生とよき死についての伝統的なチベットの教えを紹介する本を出版した。臨床医、ホスピスで働く人たち、そして心理学者たちが、末期的な病にかかっている人たちに慰安をもたらすものとして、こぞってそれを称賛した。初期の支持者であったジョン・クリースは、それを「私がこれまで読んだ中で最も役に立った本の一つ」と述べた。
それは大成功だった。しかし、どの程度ソギャルがそれに関与したかについては議論の余地がある。そのプロジェクトに詳しい人たちによれば、その著作の大半はゴーストライターによって書かれたものだった。〔そのゴーストライターとは〕ソギャルの最側近の信徒で、今は彼の右腕になっているパトリック・ガフニィ、そして著作家のアンドリュー・ハーベィである。
その本はソギャルをセレブにした。彼はベルナルド・ベルトルッチ監督の映画『リトル・ブッダ』に出演し、世界中を旅して回り、新しいセンターを設立した。ソギャルのカリスマ――現代世界に古の叡知を伝える者――とチベット仏教の神秘家という組み合わせは、新たな信者を呼び寄せる大きな誘因となった。新たに彼の講筵に連なるようになった人々は、かつての追随者の一人が言ったように、ソギャルが「瞑想を個人的なカルトへの誘導薬物として利用している」ことなどほとんど知らなかった。
しかし、すでに最初の暗雲が形成されつつあった。ソギャルは僧侶ではなかったので、彼が結婚したり、性的関係をもつことへの禁止は理論上は存在しなかった。しかし、彼の性的行為は仏教徒のサークルでは問題になり始めた。とりわけ彼が周囲に若い女性たちをはべらせてハーレム状態になっていたこと、ソギャルが彼女たちを自分の「ダキニ(霊的なミューズを意味するチベット語)」と呼んでいたこと、などである。
1994年、一人のアメリカ人信徒が、合法的な偽名、ジャニス・ドゥを使って、ソギャルに対する訴訟を起こした。訴えによれば、彼は自分の霊的指導者としての立場を利用して、彼女を性的・身体的に虐待し、彼女を夫と家族に敵対させたのだった。
この嫌疑は、多くの女性に対してなされた虐待の一例を示すものでしかなかった。雑誌テレグラフは、二人のイギリス人女性がソギャルとの間で経験した性的事件について語った事例を特集記事にした。
「あなたは選ばれました、このことがあなたを自分は特別なのだと感じさせるのです」一人の女性が言う。「彼は私の霊的な先生なのだから、彼が求めることはどんなことでも、私のためになることだと信じたのです。…あなたは霊的な道で進歩したいと思います。そして先生と寝ることによって、あなたは皆が熱望する先生とのお近づきを得るのです。私はそれを、経験と感情の幻想的な本質に関する教えの一部だと解釈しました。しかし、実際は、それは私が解決できない多くの苦痛を私にもたらしただけだったのです」
別の女性は、最初に彼と関係をもったすぐ後に、ソギャルが三人の他の信者ともセックスしているのを知ったときの苦悩について語った。彼女が言うには、ソギャルは「教えを、私との性的関係を維持するために使ったが、それは私が望まない関係」だったのである。
身体的虐待と言葉による侮辱
ジャニス・ドゥの訴訟は、法定外でひそかに処理された。そしてインターネット以前の時代には、『チベットの生と死』の読者たちは、知らぬが仏、そうしたスキャンダルには何も気づかないままだった。むしろ逆に、その本は彼に新たな追随者を供給する強力な媒体となった。
その中に、のちに仏教の尼僧となって、ドルマ[Drolma]という法名をもつことになる一人のオーストラリア人女性がいた。
ドルマは21歳のとき、初めてソギャルの本を読んだ。「私はとても素敵だと思いました。でも、そのときは必要なかったので、本棚に戻してしまいました」。二年後、妊娠中絶と困難な関係の崩壊の後、人生が「バラバラになる」と共に、ニュー・サウス・ウェールズでのソギャルのリトリートに彼女は参加した。
「私の人生は、自分が経験している苦しみが理解できないという段階に差しかかっていました。そしてこれ[=リトリートへの参加]は何らかの答と、瞑想のような何らかの実際的手立てを与えてくれたのです」
彼女はリグパへの関わりを強めて、トリートと勉強会のためにレラブ・リンへ旅をした。2002年に、彼女はアーティストとしての開花しつつあったキャリアを捨てて、尼僧になった。「私は師に献身すべきだと強く感じたのです。それは神の愛の炎のように感じられました。従うことのできる本物の師に出会った、そう感じたから私は仏教徒になったのです」
尼僧としての誓いを立てる前ですら、彼女はソギャルの「狂気の知恵」の例となるものを目撃していた。彼は講話のセッションで一人の男性信徒を公然と辱めていたのである。「彼は旅行の計画か何かの件を処理するのを忘れていたのです。ソギャルは彼を演台の下にひざまずかせ、テントの中を前に後ろに、這い回らせました。そして彼はそれを、命じられるがままおとなしくやったのです。私はひどく不快でしたが、反面、師からそのような近しい注意を向けられて、彼は幸運だなとも感じました」
ソギャルはドルマを自分の個人的な助手にして、スケジュール管理に当たらせた。その後彼女は彼の母親と伯母、カンドの世話をさせられることになる。彼らは当時、レラブ・リンにやってきて、住むようになっていたからである。彼女の義務は、ソギャルのダキニたちのインナー・サークル【いわば大奥】をトラブルが起きないよう、うまく維持することも含んでいた。
「彼女たちの生活は信じられないほど緊張の強いものでした」と彼女は言う。「たくさんの嫉妬、たくさんの秘密がありました。もしそのうちの一人が不機嫌だったり沈んでいたりすると、全員が緊張を感じてしまうので、私たちは彼らをサポートするのに最善を尽くさなければならなかったのです」
初めてソギャルが彼女の頭を、彼がどこにでも持ち歩いている孫の手で激しく叩いたとき、ドルマが言うには、彼女はそれを、彼の「怒りのこもった」トレーニングの一部として受け取った。「私は思ったんです。まあ、先生はほんとに私を信頼していて下さるのだわ」
それは長年にわたって続くことになる、身体的虐待と言葉による辱めの始まりだった。「彼が母親のことや、ガールフレンド、あるいは経済問題のことなどで心配になると、彼は私の頬をひっぱたいたり、孫の手で私の頭を殴ったりするのです。あるとき、彼は私の耳をひどく乱暴に引っ張ったので、血が出てしまったほどです」
彼が最初に彼女のみぞおちにパンチを食らわしたのは、レラブ・リンの寺院の控室でのことだった。そこでドルマは、来賓のラマや随行の僧侶たちを迎えての重要な儀式に先立つ、彼の儀式用の道具の準備をしていた。
「彼は車から降りて、何らかの理由で怒り狂っていたのですが、ドアをバタンと閉めたかと思うと、いきなり私を殴ったのです。それから彼は僧衣を着て、私たちは〔本堂の〕中に入りました。私は涙を浮かべて彼の背後を歩いていました。ひどく惨めでしたが、そこにいたチベットの僧侶たちは『おかしな西洋人尼僧だな…』と思ったことでしょう」
そうした暴力事件や虐待は、ソギャルの側近くに仕える人々にはありふれたことだったが、リグパ内部の上席インストラクターたちによって、ラマが用いる「熟練した手法」だと説明されて片付けられてきた。
「リグパ内部には明らかに非常に巧妙に考え抜かれた構造があって、それは虐待の知覚〔=率直冷静なその認識〕をブロックするのです。〔先のナロパのような〕歴史的な物語を使うとか、これは師の注意を引いているからで、自分は特別なのだと感じさせることなどによってです」ドルマは言う。「信者たちはこう言うのです。『どうかリンポチェ、私を鍛えて下さい』と」
テレグラフ誌は、ソギャルの最側近の信徒たちに加えられた夥しい数の類似の虐待事例を知らされている。孫の手で激しく頭を殴られた女性、ソギャルに蹴飛ばされ、顔を殴られ、壁に押しつけられて手で喉を締めつけられ、頭をあまりに強くハードカバーの本で殴られたので、床に転倒してしまった男性の例など。
「一日の終わりに自分の部屋に帰ると、一体これはどういうことなんだと考えるのです。しかし、まだ信頼にしがみつこうとして、これは悪しきカルマの浄化プロセスの一部なのだと思い直すのです」信者歴二十年のある男性は語った。
ソギャルを警察に通報しようという考えは一度も頭に浮かんだことがありませんでした、と彼は言う。「こういうのは犯罪行為です。しかし問題は、私たちが共謀してそれを許し、彼にそういうことをさせ続けていることです」
こういう環境下では、万事が合理化され、「教え」として受け入れられる。数人の人がテレグラフ誌に、ソギャルが排便中に近しい弟子たちに話しかける様子を語った。チューダー朝の君主のように、自分のダキニたちに「奉仕」のデモンストレーションとして適切な下の世話【abultionは沐浴などの「浄めの儀式」だが、文脈からして、ここは口にするのもおぞましい不穏当なふるまいを指すものと思われる】を命じるのです。
君主のたとえは不適切なものではない。彼のインナー・サークルの中では、ソギャルが頻繁に「領主の初夜権」を行使し、あからさまにかひそかにか、最も忠実な男性信者の妻や恋人をセックスの相手として召し上げているのだ。男性信者たちはこれを、教えの一部として受け入れることが期待された。ある人が文句を言ったとき、ソギャルは彼のパートナーに、「あいつは悪魔にとりつかれている」と言った。〔そうしたことを暴露している〕八人の署名入りの手紙はさらに、少なくとも一度、ソギャルは自分の女弟子の一人を別のラマのセックスのために提供したことがあると述べている。
女性にとって、ソギャルのセックス相手に選ばれることは「名誉」とみなされていたと、ドルマは言う。「それはその女性がダキニの素質をもつことを意味したのです。そうしてあなたはラマの寿命を延ばしているのだと言われるのです」
旅行、濫費、そして「つつましい生活」
信者からの献金は、ソギャルの放蕩的な濫費生活を維持するのに役立った。レラブ・リンでは、彼は杉製のパネルで飾り付けられたシャレ―【別荘】に住んでいたが、そこからは彼自身の温水プールが見渡せるのだった。巨大なテレビがあって、それで彼は好きなアメリカのアクション映画を見て楽しんだ。「ラマのキッチン」では、仕えの信者たちが昼夜を分かたず、いついかなる時でも彼のお気に入りの食事が出せるように待機していた。
世話係の信者たちと彼のインナー・サークルは、彼に仕えるために肉体的疲労の限界まで働かされた。ソギャルがレラブ・リンにいるとき、あるいはどこであれ彼のお供をして旅をするときはいつでも、ドルマは週六日、日に14時間は働いた。「もしそうしないならどんな反動があるかわからないので、彼の要求にただちに応えられるようつねに身構えていなければならなかったのです」
海外旅行では、彼は従者を引き連れてファーストクラスに乗った。オランダ人女性のOane Bijlsma は、2011年にリグパに加わり、その後ソギャルの世話係の一人になったが、2012年のイギリスでのイースター講話のために、どのようにしてリグパがヘイリーベリー、ハートフォードシャーのパブリックスクールを引き継いだかを説明する。そのとき、ソギャルは音楽教師の家に滞在していた。
彼の指示に従って、信者たちはそれぞれの部屋を注意深く写真に撮り、それから家具の一つ一つを倉庫に移した。それからそこに、ソギャルの好みに合う調度品を設置し直した。それには衛星放送が見られる薄型の大画面テレビも含まれていた。六日間の講話の終わりに、各部屋は元の状態に戻された。Oane は食料品担当だったが、地元の肉屋を訪ねて、肉の一番いい切り身の写真を撮ってくるよう指示された。ソギャルにそれを見せて是認が得られた後でのみ、買うことが許可されたのだ。
「私はポケットに何百ポンドもの現金を入れて食料品店を回りました。私は買えるかぎりの、馬鹿げたほど大量の最良の肉を買っていました。それからワイン、ロゼ、チョコレートと…。そしてその後、インナー・サークルの人たちは講話の際ステージに上って、ソギャルがつつましい生活を送り、自分のためには何も所持しないことについて話すのです。それは〔偽善の極みで〕不道徳そのものでした」
「チベットでは、ラマはもっとずっと多くのコントロールを受けていたでしょう」と、一人の元信者が私に言った。「組織が彼の行き過ぎを制御したのです。しかし、ソギャルは、彼の言うこと為すことは何でも完全だと信じる西洋人の追随者に囲まれていました。それは彼にとっても、他の皆にとっても災いだったのです。彼は現実との接点を完全に失ってしまいました」
飽和点に達する
リグパ内部の人たちが、それは彼ら自身の利益のためなのだと言われながら叩かれたり虐待されたりしているとどうなるか、それは予見しうる次のような結果をもたらす。「それは人々の間に人格の分裂をつくり出すのです」とある信者が言った。「人々はたえずソギャルの行動によって反証されている教えに忠実たらんとしているわけで、〔グルの教えとそれを説くグル自身の行動が矛盾しているのだから〕、彼らの心は二つに分裂してしまうのです」【ここは心理学のダブルバインド理論を想起されたい】
2007年、ソギャルは彼が「リグパ・セラピー」と呼ぶプログラムを導入した。そこではリグパの信徒でもある、多くの資格をもつ心理療法家たちが、教えに疑いをもつ人たちの治療に当たるよう命じられた。ドルマはその〔“治療”される側の〕一人だった。
「それぞれのセッションの最重要点は」と彼女は言う。「ソギャルがしたことが私の人生上の他の過去の関係とどのように関連するかを調べることでした。そういうことばかりで、私の困難はソギャルとは無関係であること、そして、どのようにして彼の祝福【慈悲に満ちた虐待行為?】が私をその当時に遡らせ、それを乗り越えさせる〔よう作用している〕か、ということでした。要するに、セラピストたちは人々が〔ソギャルを見限って〕立ち去るのを防止するために連れてこられたのです」
同じ頃、ドルマは「現代世界にとっての古の叡知」という、ソギャルに関するドイツの映画に出て、彼との関係について話している。「ときに彼は私の父のようでも、母のようでも、上司のようでも、友達のようでもあります。敵のようでもある。なぜなら、彼は私のボタンを押す〔=怒りを誘発する〕からです」彼女はそう述べている。「でも私には、彼の心と動機が純粋そのものなのがいつもわかっているのです」
「彼はいつも私が何者であり、何者でないかを私に見せてくれます。彼が押すボタンは、本当の私ではない〔私の悪しき部分〕です。彼が押すボタンは、取り除かねばならないものです。ときにボタンが押されることは喜びです。なぜならそれははぎ取るべきものを私に示してくれるからです。苦痛があるときはいつでも、それは本当の私が傷ついているのではないのです。リンポチェが取り除こうしているのはエゴなのです」
上席インストラクターたちは彼女の出演をほめたたえた。しかし、彼女の疑念は強まっていた。「私は飽和点に達したのです」彼女は自分の気持ちを訪問中のスペイン人尼僧に打ち明けた。「私はすべてを外部の人に秘密にしておくようつねに訓練されていました。しかし、私はとうとうすべてを彼女に話したのです。彼女は言いました。『それははっきり言って虐待よ。あなたは出てかないといけないわ』と」
2010年に、彼女はレラブ・リンから、他の三人の尼僧と一緒に、修行のために台湾に旅をした。彼女はフランスに戻ったが、レラブ・リンには戻らず、ソギャルからの電話を無視して、パリに身を隠した。「その電話は、『親愛なるドルマ、君を愛しているよ。このことについて話し合おう」というものから、『どこにいやがるんだ、このアマ。本気でワシを怒らせたな。戻った方が身のためだ、さもないとおまえは地獄行きだ』のようなものまでありました」
彼女はインドに飛び、尼僧院に住んだ後、ついにオーストラリアに帰った。2011年に、彼女は意を決してソギャルの伯母、カンドの葬儀のためレラブ・リンに戻った。「それは私がしたことのなかで最も困難なことでした」と彼女は言う。「私は尼僧の服装をして、まだ戒律を守っていたのです」
「〔尼僧の〕ローブを着るとき、あなたは片方の腕を露わにします。あたかも私が彼の性的対象物であるかのように、彼は私のその部分に触れたのです。ぞっとして鳥肌が立ちました。私は彼の私への関わり方がすっかり変わることがあるのだと理解しました」葬儀が終わると、彼女はオーストラリアに帰り、僧衣を脱ぎ捨てた。
「振り返ってみると」と彼女は言う。「私は何が起きているかを明確に理解する能力をすっかり失っていたのです。彼は完全に私を打ちのめしました。私は人を信じやすいたちでした。それで彼は、私のそういうところを利用したのです」
「私は友達と別れたことを恥じました。そして家族の元に帰ることを恥じ、自分が失敗したと言うことを恥じたのです」彼女はそこで一息入れた。「そういう恥の感情がたくさんあったのです」
秘密、否認、そしてさらなる訴え
リグパの内部、ソギャルのインナー・サークルの間では、秘密と否認の文化が支配的になっていたので、彼の最悪のふるまいも、リトリートや講話に出席する何千という一般信徒たちには秘密にされていた。
「それは閉鎖的な家族のようなものです。そこではあなたは家族外に秘密を漏らしません」と、ソギャルに性的虐待を受けたある女性は語った。しかし、不穏なことについての主張がインターネットに流れ出すのは避けられなかった。
2011年、イギリス人著作家で元信者のメアリー・フィニガンは、『タンカの陰で』と題した文書を発表した【「タンカはチベット仏教の仏画の掛軸の総称」とウィキペディアにある。記事の原文でthankasとなっているのはthangkasのミスプリ。尚、このBehind The Thangkasは著者によってインターネットに英語全文が公開されている】。そこではソギャルの性的虐待の歴史が〔被害者たちの〕主張に基づいて列挙され、ラマ・ケアとして知られるサブ・セクトがリグパ内部には存在し、彼が旅行する時にはいつでも、彼のセックス相手の女性が供されるよう手筈が整えられていると主張されている。そして、「ダキニたち」は本人の意志に反して乱交パーティに参加するよう強いられるのだと。
同じ年、「悟りの名において」と題されたカナダのドキュメンタリーが放映され、元信者たちによるさらに多くの虐待被害の訴えが伝えられた。
2015年、リグパ・フランスの会長、オリヴィエ・ローリックが辞任し、フランスの雑誌マリアンヌのインタビューに応じて、「私は謙虚、愛、真理、そして信頼の教えのためにやってきました。そして私は自分が、二枚舌をつねとするスターリンまがいの独裁者のもとにいることを知る羽目になったのです」と説明した。ソギャルは、と彼は言った。「会合では荒々しい口調で人々に沈黙を強い、嘲ったのです。批判的思考は彼の周囲では禁じられています。否定的なフィードバックは決して彼の元には届きません。賞賛だけが報告される。側近の人たちは彼を恐れているからです」
伝えられるところでは、リグパの内部では、信徒たちはソギャルの前にひざまずき、ローリックの告発には決して耳を貸さないと誓わされるのだという。ローリックはたんに自分の瞑想教師としてのキャリアのためによい評判を得ようとしているだけの日和見主義者なのだと非難されている。
翌年、フランス人学者Marion Daspance はles Devots du Bouddhisme【仏教信者たち】と題した本を出版し、さらなる虐待の訴えを取り上げて、ソギャルのインナー・サークルの「カルトじみた」行動を批判した。
レラブ・リンのウェブサイトに投稿された返答は、彼女を「極度の偏見をもつ」「承認しがたい」人物だとして、ロジョン(lojong)と呼ばれる慈悲に基づいて心を訓練するチベットの教えを権威あるものとして引き合いに出し、その核となる原理は「すべての利得を他者に与え、すべての損失と欠点をわが身に引き受ける」ものだと主張する。【つまり、ソギャルは慈悲心に基づいて虐待に励んでいるのであり、相手を傷つけるどころか、高度な自己犠牲に献身しているのだという理屈になる】
この投稿はさらに続けて、ソギャルは「過去の偉大な聖人たち」に連なる者として、そのような主張には決して答えないだろうと述べている。
スキャンダルを完全に無視して、2016年11月、パトリック・ガフィニィは、代わりにリグパのメンバーたちに手紙を送り、もう一人のラマで、ソギャルの親しい友であるオーゲン【ウーゲン】・トプギャル・リンポチェが、今後数年が「ソギャルの人生において決定的な時期」になると信じて、「リンポチェの人生、健康、仕事へのいかなる障害」も回避するために、何を為すべきか、チベットの「一人のユニークな千里眼マスター」に相談を行ったと説明した。
その「千里眼のラマ」は、これらの障害を取り除くために多くの様々な儀式を執り行うよう勧めた。最も重要なことは、ソギャルの信者たちが、マントラを唱える集中的な行に着手することによって、「サマヤ――弟子とグルの間の信頼の誓い――の損傷を修復すること」であるとされた。その目標は、とガフィニィは書いている。毎年、百のマントラの章句を一億回〔合計で〕唱えることである。それは三千人の信者が、一日につき40分ずつ詠唱することを必要とする。
「もしもそれが実行されれば」とガフィニィは続ける。「リンポチェは少なくとも85歳まで生きられることになるだろう」
それは拡大しつつあるスキャンダルを抑え込み、疑いをもつ信者たちを脅して引き下がらせるための巧妙なやり方だと見る人たちもいた。「それはソギャルの行為がもたらした結果の責任を、信者たちに転嫁しようとするものです」とある元信者は私に語った。「グルに背くことはなしうる最悪のことなのです。誰もヴァジラ地獄に落ちたいとは思いません」
ソギャルの公の回答
7月、八人の署名入りの手紙が野火のように広がったとき、ソギャルは公の回答書をリグパのメンバーたちに送った。私は人生のすべてを、とその中で彼は書いている。仏陀の教えに仕えるための「最善の努力」に費やしてきたのだと。「そして一日たりとも、私は自分の弟子たちのためを思わずに過ごしたことはないのです」しかし、起きている論争に鑑み、そして私の健康や人生全般に生じている障害についての私自身の師のアドバイスに従って、今は「できるだけ早く」リトリートに入るつもりでいるのだと。
彼はこう続けている。私はまた「癒しと理解が行き渡るように祈り、修行するつもりでおり、グル…過去のマスターたちの霊に誓って、わが身に苦しみを引き受け、幸福と愛が他の人々に与えられますように」願っているのだと。
ソギャルのふるまいに関する噂や告発が出回る長年月の間、あるグループが不可解な沈黙を守っていた。それは彼の仲間のラマたちである。ソギャルの大勢の信奉者たちと財産が、彼をチベット仏教徒のコミュニティで大きな存在にしていた。彼は何年も気前よくネパールやインドの僧団組織に寄付をしてきた。そして他のラマたちはレラブ・リンで教え〔る機会?〕を頻繁に与えられた。彼らの訪問がソギャルの信任状に権威を付与していた〔=おかげでソギャルは権威ある高僧というイメージを流布させることができた〕のである。
「チベット文化では、他のラマを批判することは決してありません。とくに同じグループ内ではそうです」とスティファン・バチェラーは言う。「しかし、問題の根は、彼らが亡命中の身で保存しようとしている古いチベット社会のタントラ的、貴族的な構造の中にあります。彼らはそれを改革するのではなく、自分たちの伝統にしがみついているのです」
「他のラマたちが直面している問題は、もしも彼らがこうした批判を受け入れるなら、ある意味、彼ら自身のパーソナリティの支えにもなっているシステム全体についての批判を受け入れることになってしまうことです。そしてもし自分は何も知らないと言えば、〔今度は〕あからさまに言って虐待行為にしか見えないものに見て見ぬふりをしていると受け取られかねないのです」
「もしもこのことがチベット仏教の信用棄損につながるのなら、それは恐ろしいことです。なぜなら、ヴァジラヤーナは仏教の遺産の豊かな一部だからです。しかし同時に、こうした虐待は明るみに出されるべきです。チベットの伝統はそれと折り合いをつける〔=おかしなところは改善して、近代化する〕必要があるのです」
ダライ・ラマはよく仏教導師の非道徳な行為を非難して、信徒たちがそれに反対の声を上げるよう奨励してきた。「新聞を通じて、ラジオを通じて…公にするのです」――とくにソギャルの名前を挙げてではなかったが。しかし、先月、ㇻダッカで話をした際、彼はチベット人組織の「封建的なシステムの影響」を改善する必要性について述べた。信者たちは、と彼は言った。「『この人は私のグルだ。グルが言うことには何にでも従わねばならない』と言ってはならない。それは完全に間違ったことなのだ」と。もしも教師が非道徳的なふるまいをするなら、それを公にする義務があるのだと。
「最近のことだが」と彼は続けた。「ソギャルロリンポチェは、私のよい友達であったが、面目を汚した【he is disgraced】…」と。
部外者にとっては、それはたまたまの軽い言及でしかなかったと見えるかもしれない。しかし、仏教徒コミュニティにとって、それは破門宣告に等しいものだった。
ダライ・ラマのスピーチの僅か数日後、ソギャルは、彼をめぐる訴えの「波乱」を原因として挙げ、リグパの霊的監督者〔スピリチュアル・ディレクター〕としての地位を「引退」すると発表した。虐待行為についての釈明もなければ、謝罪や遺憾の意の表明も何もなかった。
もはや霊的監督者ではなくなったが、と彼は言った。彼ら〔=自分の信者たち〕の導師ではあり続けると。「私は今も今後も決してあなた方を見捨てることはないということを、どうかご理解ください。私には皆さんに悟りをもたらす手助けをする厳粛な責任があります。そして私はその約束を断じて破りません!」
テレグラフ誌はリグパとコンタクトを取り、この記事に書いたものを含む訴えの詳細なリストを送って、回答を求めた。組織〔=リグパ〕は訴えに関してはノーコメントだといい、その代わり、ソギャルが霊的監督者を辞任した際のプレス・リリースを参照するよう言ってきた。
「専門的かつスピリチュアルな助言」を求めて、とその声明にはある。リグパは様々な訴えを調査する「中立的な第三者」からなる委員会を設置する予定であると。そして「行動規範」とリグパのメンバーたちからの「苦情処理」に当たるための協議会を発足させ、新たに「スピリチュアルな助言グループ」を作って、組織の指導に当たらせる、云々。
リグパは、この独立した調査委員会がどういう形態のものになるのか、具体的に説明することは拒んだ。また、その「スピリチュアルな助言グループ」なるものがどういう人たちから構成されることになるのかという点についても、「独立した専門家たちが内部調査を行い、おそらくは秋の中頃にスタートすることになるだろう」と言うだけだった。
ソギャルが公の席に最後に姿を見せたのは、7月30日、タイでのことだった。彼はそこで開かれた第七回世界青年仏教徒シンポジウムでスピーチをしたのだ。彼の講演は、「瞑想と心の平安」をテーマにしたもので、自分を呑み込んだスキャンダルについての言及はなかった。「もしもあなたの心がリラックスしてくつろいでいれば」と彼は若い聴衆たちに向かって語った。「いかなる危機にあなたが直面していても、悩まされることはないでしょう。困難がやってきたときでも、あなたはそれを自分の利点に変えることができるのです」
全くの話、今こそそう言う彼の真価が問われているのだ。元リグパのメンバーたちからの提議に続いて、〔英国の〕慈善事業監督委員会が、事件とソギャルの支配についての徹底した調査が必要かどうかを判定するために、審査会を開いた。同時に、元信者たちが刑事告発の動きに出ていた。
「これは虐待である」と認識すること
人はスピリチュアルな組織を離れます、とドルマは言う。安堵、恥、後に残してきた人たちへの罪悪感など、様々な思いが入り混じった感情と共に。
「私は仏教の教えに背を向けたわけではありません」と彼女は言う。「でも、人々に何が起きているかを知らせることは重要なのです。ソギャルは虐待者で、妄想的な人間です。そして彼は人々に本当に深い害を及ぼしてきたのです。それはいかなる場所でも正当化できるものではありません」
「仏陀が言ったように」と、ギャリー・ゴールドマンは言う。「誰もが人生で幸せになりたいと思います。だからあなたは組織に入るのです。あなたは気分がよくなります。人々は親切です。あなたは関わりを強めます。あなたは多くの時間を、おそらくは多くのお金も、それに捧げるでしょう。ある時点まで来ると、それはあなたの心に深く織り込まれます。それはあなたの一部となるのです。そしてそれを放棄することは信じられないほど困難で苦痛なことになります。私は(ソギャルを)友人とみなしました。そして何らかのレベルでは、私は今でも彼を成就した教師と認めます。しかし、彼は道を踏み外したのです。それはとても悲しいことです」
「今、私はとても不幸です。心にぽっかり穴があいています。しかし、多くの人たちはそれを放棄することができません。彼らは彼に結びつけられているのです。彼らにとって彼は権威者、父親のような存在です。だからそれを失うことは大きな損失なのです」
7月、八人の信徒たちからの告発状が大騒動を巻き起こしていたとき、仏教徒たちのサイトで、2016年の、尼僧のAni Choki がみぞおちにパンチを食らわされた例の事件についての話が取り沙汰されていた。Ani Choki はフェイスブックに投稿して、リトリートの際のソギャルの教えは「どんな平凡な描写も超える素晴らしいもの」だったと述べ、みぞおちへのパンチは「より大きな文脈から受け取られるべき」だと言った。
「私は師の熟練した手法に同意します。それは私の惑わしを純化し、明知へと変容させて、私の執着を断ち切るために取られた手段なのです」と彼女は書いた。「時にこうした手段は激しい怒りとなって現わされ、それは愉快な経験ではないとしても、私に必要なのは、私を盲目にし、固着させている無知のあらゆる層を見通せるようになることなのです」ソギャルは、と彼女は続ける。「断じて怒りの発作に襲われたのではありません。一瞬ちょっとキレただけで、それはソフトなパンチとなって表われたのですが、それは暴力でも虐待でもなかったのです。少なくとも私の感情にとってはそうです」
ドルマはリプライを投稿した。自分は Ani Choki の捉え方が完全に理解できる、と彼女は書いた。なぜならそれは、自分がかつてソギャルの自分に対するふるまいを正当化していたときのやり方と同じだからである。「仮にこの種の『〔虐待に他ならない〕特別な訓練』を受けた信徒が、自分の人生の他の関係で虐待の歴史をもっているとすれば(それは私自身を含む多くの人に当てはまりそうですが)、その場合、なおさらそれは自然なことになって、〔虐待行為を働きながら同時に〕おまえを深く愛していると言っている相手からの怒気に満ちた注意を受け入れることは慰めにすらなるのです」
しかし、それから、と彼女は書いた。「スイッチがぱっと入るみたいに、『これは虐待だ』と私は認識したのです。そしてそれに伴って、私が起こるのを許してきた過去のあれこれを私は自省し始めたのです。それはオズの魔法使いのようなものです。最後にカーテンがあけられた時、あなたはそこに『全能のオズ』などいなかったことを悟るのです。そこにいるのは、マイクに向かって叫んでいる一人の小男だけなのです。…」
以上、末尾の訴えを起こされている虐待の一覧を除く全文の訳ですが、お読みになってどう思われたでしょう? これは多くの病的な宗教カルトには多かれ少なかれ当てはまるものだと思いますが、信者たちは心理学的な一種の「悪魔の罠」にはまるのです。
僕がややこしいなと思うのは、『チベットの生と死の書』には次のようなことが書かれていることです。これは「師と歩む道」の章の一節です。
「…ただ残念なことに、そういった教えを体現している師が数えるほどしかいないうえに、真理の探究に欠かせない『本物を見る目』がほとんど失われているのだ。西洋は宗教的ペテン師たちの天国になってしまった。…見たところ、鳴り物入りで打って出れば、誰でも信者を集めることができそうだ」(訳書p.223)
「誰が本物の師で誰がそうでないかを見分けるのは微妙で難しい。気散じと、お手軽な解答と、即席の解決策にどっぷりつかったような今のような時代にあっては、精神的に卓越した者の醒めた〈さりげなさ〉が人目を引くことはまずない。聖なる者といえば、信心深く、穏やかで、おとなしいという通念にとらわれて、悟りを得た心の、力強く、ときにはあふれんばかりに陽気で明るい発現を見逃してしまう(同p.224)
いかにも、といった感じで、自分はそんじょそこらの宗教ペテン師とは違う、別格の、「本物」だということを強調しているのです。それで見てきたような超がつくお粗末さなのだから恐れ入るので、紛らわしいことこの上なしです。
ついでに、僕がどこに「引っかかり」を感じたのかといえば、「かつて悟りにいたったすべての覚者たちのなかで、導師に依ることなく成就した者は一人もいない」とか、「導師を人間としてではなくブッダその人として見ること、これが至高の加護の源泉なのだ」「導師をブッダとして見ることができず、一人の人間として見ているかぎり、完全な加護が訪れることはない」といった箇所です。
むろん、ゴーストライター先生は、そこらへん、外部の導師は普遍的なものとしての内部のそれが外に具現化したもので、真の導き手は心の中にいる、なんて説明を加えて、それは通常の盲信とは違う高度なものなのだ、というような巧妙な説明を怠らないのですが、こういう能書きを垂れる人間を僕は基本的に信用しないのです。大体、「完全な加護」とは何か? そんなもの、この世にあるはずがないので、それ自体が妄想なのです(お釈迦様だって人間だったので、ケガもすれば、病気にもなった)。
しかし、強まるばかりの恐れと不安におののく現代人は、こういうのに弱い。グルは多種多様な神通力をもち、ほとんど全能で、自分もグルに従って修行に励めば神に等しい存在になると信じて盲従し、挙句はサイコパス教祖の悪事の片棒を担ぐ羽目になるのです。
今後も多種多様なカルトが出現するでしょうが、神に等しい教祖なんているわけがないので、神扱いを要求するような教祖は全部ロクでもない奴だと思って間違いはありません。「神のごときプラトン」という表現がありますが、それはプラトンの傑出した叡知をたたえたもので、別にプラトンを神格化するものではないのです。
そういうわけで、僕は田中美知太郎先生の『プラトン』に移って、「正気の議論」で頭の中をすっきりさせたいと思います。
田中美知太郎大先生のこのライフワークについては、昔読みそびれたままになっていて、頭が駄目にならないうちにぜひ読んでおきたいと思っていたものです。途中で挫折しても、古代ギリシャ・ローマなんて今どき全くはやらないものを専攻している息子(父親から譲り受けた『ツキディデスの場合』を読んで、彼もこの偉大な哲学者のファンになった)が代わりに読むだろうから、無駄にはならない。そう思ったのですが、この『チベットの…』は彼は読まないだろうから、僕だけの本です。それで『プラトン』は寝る前だけにし、先にこちらを読み始めたのですが、カルマ論やバルド論はたいへん面白かったものの、第九章「師と歩む道」のあたりで少々引っかかり、どういう人間なのか自分で調べてみようと、中座してネットで名前を英文検索したら、目下不名誉なスキャンダルの渦中にいる人らしいということが判明し、次の順序でそれに触れる羽目になりました。
・DALAI LAMA SPEAKS OUT ABOUT SOGYAL RINPOCHE
・Sexual assaults and violent rages... Inside the dark world of Buddhist teacher Sogyal Rinpoche
上はYoutube、下は英国テレグラフ誌電子版の記事です。後者は日付を見ると、21 September 2017 • 6:00am となっているから、ちょうど一年前の記事だということになります。日本語で検索しても、この件のまとまった紹介は見当たらないので、上記テレグラフのかなり長い記事を翻訳して紹介することにします。僕にはこれは個人崇拝の危険なカルトの特徴をよく示すものだと思われるので、個別の案件にとどまらない、一種普遍的な事例として役に立つでしょう(同じくヴァジラヤーナなるものを振りかざしていたオウム事件の理解にも役立つはず)。あの本を読んでソギャル・リンポチェのファンになったという人たちにはショック(この記事によれば、あれも大部分はゴーストライターによって書かれたもの)でしょうが、今は紛らわしい自称「精神的指導者」なるものが多い時代で、上のYoutubeをご覧になればわかるように、あの本に序文を寄せたダライ・ラマご本人が憤慨して、「こういうことは黙っていないで、告発するように」と呼びかけているほどです(善良な猊下は、その善良さゆえにこの異常な人物――変態的で悪辣な宗教詐欺師と断定して差し支えなさそう――の裏を見抜くことができなかった、ということになりますが)。
それでは訳文を載せますが、これは塾の授業で英文を口頭で訳していくのと同じ要領のものなので、適度に意訳をまじえたとはいえ、本にするときのような細かいチェックや推敲は経ていないことをお断りしておきます(【】は註記、〔〕は訳文の補い)。尚、これは署名入りの記事で、By Mick Brown となっています。冷静かつ周到な、すこぶる良心的な記事だと、僕自身は判断しています(訳してみたら2万字の大長編になり、空き時間の多くを費やしたにもかかわらず、訳語に苦慮することも少なからず、丸五日かかってしまったので、心してお読み下さい)。
・性的暴行と烈しい怒り…仏教導師ソギャル・リンポチェの暗黒世界の内情
昨年〔=2016年〕8月、全世界で300万部以上を売り上げた『チベットの生と死の書』の著者であるチベット人のラマであり、おそらくはダライ・ラマに次いでもっとも有名なチベット仏教の師であるソギャル・リンポチェは、フランスのセンター、レラブ・リン(Lerab Ling)で年次講話を行った。
ソギャルの組織、リグパ――チベット語で「心の本質」を意味する――は世界40ヶ国に100以上のセンターをもっている。しかし、中でもエロー県【南仏】のひなびたゆるやかな丘陵地にあるこのレラブ・リンは王冠の宝石のごときもので、それは西洋にあるチベット寺院で最大の規模を誇るが、2008年に、ダライ・ラマ、当時フランス大統領夫人であったカーラ・ブルーニ・サルコジ、その他高位高官列席の元で大々的にオープンされたのであった。
ソギャルはその信者たちから、仏教の知恵と慈悲の教えの生きた具現化とみなされている。但し彼は、「狂気の知恵」として知られる、高度に非オーソドックスなやり方で教えを垂れる人物でもある。
その日、彼がステージに向かって歩いているとき、寺院には千人以上もの信徒が集まっており、彼はデンマーク人の尼僧、Ani Chotyi に伴われていた。御年70歳のソギャルは恰幅のいい、メガネをかけた人物で、講話の際、王座〔演台〕にのぼるとき、足を載せる台を要求する【写真を見ればわかるとおり、彼はかなり背が低い】。そこに近づいたとき、彼は立ち止まり、それから突然振り返ると、尼僧のみぞおちにきついパンチを食らわした。
「私は足載せ台が正確な位置に置かれていなかったのだろうと思いました」と、最前列の一つに座っていた、信者歴20年以上のアメリカ人、ギャリー・ゴールドマンは言った。「彼は怒りの発作に駆られて、いきなり腰の入ったパンチを食らわしたのです。私は唖然としました。一体何が起こったのか? 私の周りの誰もが固まっていました。尼僧は泣き出しましたが、すると彼は立ち去れ、出て行けと彼女に命じたのです。そしてそれから、彼は講話を始めました」
「師を人間ではなく、仏陀それ自身と見ることは」と、ソギャルはしばしば信徒たちに語ってきた。「最も高度な祝福の源泉なのだ」と。彼の教えに列席する者は、彼のふるまいに驚いたり、〈誤った結論〉をそこから引き出したりしないよう気をつけねばならない。見たところは非合理な、たとえ暴力行為であったとしても、それは〈たんなる見た目〉だけだと見なされるべきなのだと言われる。
しかし、尼僧のみぞおちにパンチを食らわすとは…。「後で、誰もが起きたことを理解しようとしました」ゴールドマンは言う。「人々はひどく動転したのです」リトリートの後、信徒たちがソギャルの上席インストラクターに、その日の教えについて思ったことや疑問をメールすることは習わしになっていた。
若い頃、ゴールドマンは米軍のレンジャーとして、ベトナム戦争に従軍していた。「私たちは皆、何らかのことを書きました」と彼は言う。「私はこう言いました。彼の手法が非伝統的なものであることは承知している。しかし、尼僧にパンチを食らわすなどというのは〈想定外〉だと」
「私は軍隊でこの種のことを目にしたことはありますが、私たちはもうそんなことはしません。少なくとも合法的なものとしては。しかし一方、こういうことが『狂気の知恵』の教えの一部だとすれば、私たちは真剣にそれについて話し合う必要があったのです」
翌日、リグパの幹部の一人が疑問をもつ信徒たちに答えた。彼が言うには、ソギャルは信徒たちが彼の手法を疑問視するのにたいへん驚いた。もし信徒たちが実際に起きたことを理解しないなら、その場合、その信者たちは約束された彼の高いレベルの教えを受ける準備ができていないのであり、ソギャルはそのリトリート【修養会のようなもの】の間、二度と教えることはないだろうと。
「これが彼のやり口なのです」とゴールドマンは言う。「何かが起きると、彼は言葉巧みに信者を操って引き下がらせようとする。こんなことはもうたくさんだと、私は思いました」
告発のカタログ
ダライ・ラマの優しい温和な微笑のおかげもあって、チベット仏教はこの30年の間に、西洋で大きな人気を博すようになった。そして概して他の宗教組織で起きたようなスキャンダルは免れてきた――少なくとも表には出なかった。
仏教徒コミュニティの内部では、しかしながら、ゾギャル・リンポチェは長く論争の的となる人物であった。長年、彼のふるまいに関する噂がインターネット上を流れていた。そして19990年代に、ある性的・身体的虐待をめぐる訴訟が示談〔で和解〕になった。
けれども、西洋における彼の仏教の高僧としての地位は揺らぐことはなく、今日まで安泰なままになっている。7月、八人の地位の高い、信者歴の長い現・元信者たちが、ソギャルに12ページの質問状を送りつけた。「あなたのふるまいに関して長くくすぶっている諸問題は」という言葉で、その手紙は始まっている。「もはや無視したり否定したりすることはできなくなりました」そして次に、彼に対する非難の申し立てを列挙する。
ソギャルの常習的な身体的虐待は、とその手紙は申し立てている。「あなたの僧侶、尼僧、一般信徒たちを傷だらけにし、癒えることのない傷と共に去らせた」のだと。彼は自らの師としての役割を「若い女性たちに接近し、彼らを強要し、脅して、あなたに性的な接待をさせるために」用いてきたのだと〔それは述べている〕。信徒たちは服を脱ぐよう命じられた。「君の生殖器を見せるために」「君にオーラルセックスをするために」そして「君のベッドでわれわれのパートナーたちとセックスをするために」である。
ソギャルは、とその手紙は続ける。「ぜいたくで、粘っこい、快楽にふける」生活を送ってきた。そしてそれは多数の信者には秘密にされ、「自分の献金は世界にさらなる知恵と慈悲をもたらすために使われていると信じている」信者たちの寄付金によって賄われてきた。
「もしもあなたが私たちや他の人たちを蹴とばしたり殴ったりし、信徒や既婚女性とセックスをし、あなたの快楽的な生活に信者たちの献金を使うことが仏教の師としての道徳的で慈悲に満ちた行動だというのなら、どうか私たちにわかるように説明して下さい」
写しがダライ・ラマや、ソギャルの高弟たちにも送られたので、その手紙はすぐにリグパの土台を根底から揺るがせる騒動になった。ソギャル・リンポチェ自身にとっては、それは恩寵からの劇的な転落への序曲となるものだった【その後、彼は辞任に追い込まれる】。
チベットからケンブリッジへ
ソギャル・リンポチェのケースは、たんなる常軌を逸した霊的教師の浅ましい話にとどまらず、西洋人が十分に理解していないエソテリックな霊的教えのとりこになるとき起きうる危険性を示す例となるものである。それはまた、東洋の導師がセレブ崇拝の魔力と誘惑にさらされたとき、どういうことになりやすいかを示すものでもある。
ソギャル・レイカー【彼の本名】はチベット東部のカムに、貿易商の子供として生まれた。弟子たちの間では、彼はダライ・ラマ十三世(現在のダライ・ラマは十四世)の師であったラマ、ソギャル・テルトンの生まれ変わりだと信じられている。しかし、ソギャルの背景を調査してきたオランダ人学者で仏教徒のRob Hogendoornによれば、その主張の裏付けは、ソギャル自身の母親のものでしかない。ソギャルは公式の仏教徒のトレーニングはほとんど受けていない。そしてチベット人のコミュニティでは、彼の教えに列席したことがある人がほとんどいないのも注目に値する。
生後6ヶ月の頃、母親は彼の世話を姉のカンド・ツェリン・チュドウンに委ねた。彼女は著名なチベット人ラマ、ジャムヤン・キェンツェ・チュキ・ロドウの若い配偶者、または霊的配偶者であり、ジャムヤン・キェンツェはソギャルの守護者となった。
1954年、一族は進攻してきた中国軍から逃れて、西ベンガルのカリンポンに飛んだ。そこのカトリック系の聖オーガスティン小学校でソギャルは教育を受けた。ジャムヤン・キェンツェはソギャルが10歳か11歳の頃亡くなり、彼の教育はデリーの聖シュティファン・カレッジの聖公会派学校で続けられた。1971年、彼はケンブリッジのトリニティ・カレッジに入り、神学と宗教学のコースを取ったが、卒業はしなかった。
彼が若い仏教徒、メアリー・フィニガンと出会ったのはケンブリッジでのことだった。彼女は今ではソギャルの最も手厳しい批判者となっており、彼の不行跡の軌跡を丹念に洗い出してきた。
当時、英国在住のチベット人ラマは四人しかいなかった。「ロンドンには教えを授ける人は誰もおらず、センターもありませんでした」とフィニガンは言う。彼女はソギャルの最初の講話を手配したが、そこは彼女が住んでいたロンドンの一角で、1979年までは彼の教え子としてとどまった。
ソギャルはエキゾチックな外見をした、流暢な英語を話すチベット人で、自分が話していることについて心得ているように見えた。彼の追随者は急速に増え、有名な英国の喜劇俳優から10万ポンドの寄付を得て、彼はロンドンに自分の最初のセンターを設立することができた。
やんごとないリンポチェ(それは「高貴な人」を意味する)を僭称して、ソギャルは自らをヴァジラヤーナ、タントラ密教の師として打ち出した。それはチベット仏教の深くエソテリックな側面を示すと信じられていて、その信徒はエゴの鎖を断ち切り、たった一度の人生で悟りを達成するとされる。ソギャルの言葉で言うと、それは「山頂へのヘリコプター【長時日を要せず、一気に悟りに導くメソッド】」なのであった。
それは信徒が、ラマが行うことは何であれ、それがどんなに非合理で理解不能に見えようとも、その信徒の利益のためなのだと信じて、ラマに全面的に服従することを含意している。師の手法について信徒の心にいかなる疑問が兆そうとも、それは「不純な知覚」のせいなのである。
チベット仏教の伝承は、偉大な師、あるいはマハシダたちの、狂気の沙汰のように見える手法によって弟子を悟りに至らせた話で充満している。最も有名なものの一つは、9世紀のマハシダ・ナロパの物語で、彼の師のティロパは、彼を寺院のてっぺんから飛び下りさせて骨折させたり、火の中や凍った水に飛び込ませたり、妻をティロパに贈り物として捧げさせたりといったことを含む、一連の苦難に彼を従わせたのであった。
これらの物語によれば、ナロパが骨折したり死にかけたりするたびに、ティロパは彼を手かざしによって癒し、ナロパの心をより進んだ境地に導くような指示を与えたのだった。
この師と弟子との関係の基礎は、サマヤまたは信頼の絆にあり、その中で、弟子はグルへの全面的服従を誓うのみならず、グルは弟子の利益のためだけに行動すると誓うのである。サマヤを破ることは、「ヴァジラ地獄」への追放や無限の不幸な再生〔=輪廻〕を含む、最も深刻な結果をもたらす。
「ひとたびチベット仏教の秘儀の世界に入るや、あなたは西洋的合理性への後戻りはできなくなるのです」8年間自らもチベット仏教僧でもあった、イギリス人の仏教教師であり、学者でもあるスティファン・バチェラーは言う。「あなたは徹頭徹尾内的であるように見える世界に入ります。そこではすべてが意味をなし、力の諸構造が悟りのこれらの理想に仕えているように見えます。そしてそこでは何を措いても、グルとの関係こそが最も効果的なやり方でこの道を進むための鍵となるのです」
しかし、ヴァジラヤーナはとくに困難な道と認識されている。チベット文化に深い理解をもたない西洋人の信徒にとってはとくに。
特徴的な屈託のないスタイルで、ダライ・ラマはヴァジラヤーナを論じる上での彼自身の用心について語っている。「教えを説くとき私は自分が言うことに注意しなければならない。というのも、中にはナロパの物語を文字どおり受け取り、グルが指示していると考えて崖から飛び降りたりする者もいないではないからである。私は手かざしで骨折した体を癒す能力はもたないし、ここダラムサラにおいては、救急車を呼ぶことさえできないのである!」
ダライ・ラマは、執着と自己満足の誘惑を乗り越えた導師であるかどうかは、彼らが排泄物でも、通常の食べものを食べるときと全く同じ平静さをもって食べられるかどうかで決まると思い込んでいるような信徒に警戒してきた。どのチベットの導師がこれができるほど十分な高いレベルの自己実現を達成しているかと問われて、彼は答えた。「ゼロだ」と。
浴びるように酒を飲むグル
1976年、ソギャルはチベット人ラマ、チョギャム・トゥルンパ【かつて日本でも多くの本が翻訳、紹介された】に会うためにアメリカを訪れた。当時彼は、「狂気の知恵」の教えの最も極端な実践者とみなされていた。トゥルンパは浴びるように酒を飲んでいた(彼は1987年に、アルコール中毒が原因の合併症で死んだ)。彼は公然と弟子たちと寝、自分の組織を封建的な王宮のように運営し、えりぬきのボディガードで自分の周りを固め、ときに自らも近衛兵のようないでたちをして面白がった。「グルの真の役割は」と彼はかつて言ったものだった。「君を侮辱することなのだ」と。「ソギャルはトゥルンパがもっているものを見ました」と、メアリー・フィニガンは言う。「そして言ったんです。『あれが私が欲するものなのだ』と」
トゥルンパのように、彼も非正統の、ときにふざけた教え方のスタイルを採用した。しかし彼は有能な演説家であり、聴衆を思い通りに操る能力と、仏教の教えを明快で理解しやすいかたちで伝える力をもっていた。「霊的な実践と情報を求めて現われる三種類の人たちがいます」と、ギャリー・ゴールドマンは言う。
「あなたは、好奇心の強い、それについて何か学びたいと思う知識人たちを手に入れるのです。また、積極的に道を求め、人生とは、世界とは何かを理解しようと探求している人たちがいます。さらに、心理的に混乱して、滅茶苦茶になった人たちがいます。彼らは虐待されたり、恐ろしい目に遭った人たちです。ソギャルはこれら三種の人たちすべてを満足させることができました。非常にうまく、同情に満ちた態度で、です」
ソギャルを金持ち有名人にした本
1992年、彼は『チベットの生と死の書』、西洋人読者向けに、幸福な人生とよき死についての伝統的なチベットの教えを紹介する本を出版した。臨床医、ホスピスで働く人たち、そして心理学者たちが、末期的な病にかかっている人たちに慰安をもたらすものとして、こぞってそれを称賛した。初期の支持者であったジョン・クリースは、それを「私がこれまで読んだ中で最も役に立った本の一つ」と述べた。
それは大成功だった。しかし、どの程度ソギャルがそれに関与したかについては議論の余地がある。そのプロジェクトに詳しい人たちによれば、その著作の大半はゴーストライターによって書かれたものだった。〔そのゴーストライターとは〕ソギャルの最側近の信徒で、今は彼の右腕になっているパトリック・ガフニィ、そして著作家のアンドリュー・ハーベィである。
その本はソギャルをセレブにした。彼はベルナルド・ベルトルッチ監督の映画『リトル・ブッダ』に出演し、世界中を旅して回り、新しいセンターを設立した。ソギャルのカリスマ――現代世界に古の叡知を伝える者――とチベット仏教の神秘家という組み合わせは、新たな信者を呼び寄せる大きな誘因となった。新たに彼の講筵に連なるようになった人々は、かつての追随者の一人が言ったように、ソギャルが「瞑想を個人的なカルトへの誘導薬物として利用している」ことなどほとんど知らなかった。
しかし、すでに最初の暗雲が形成されつつあった。ソギャルは僧侶ではなかったので、彼が結婚したり、性的関係をもつことへの禁止は理論上は存在しなかった。しかし、彼の性的行為は仏教徒のサークルでは問題になり始めた。とりわけ彼が周囲に若い女性たちをはべらせてハーレム状態になっていたこと、ソギャルが彼女たちを自分の「ダキニ(霊的なミューズを意味するチベット語)」と呼んでいたこと、などである。
1994年、一人のアメリカ人信徒が、合法的な偽名、ジャニス・ドゥを使って、ソギャルに対する訴訟を起こした。訴えによれば、彼は自分の霊的指導者としての立場を利用して、彼女を性的・身体的に虐待し、彼女を夫と家族に敵対させたのだった。
この嫌疑は、多くの女性に対してなされた虐待の一例を示すものでしかなかった。雑誌テレグラフは、二人のイギリス人女性がソギャルとの間で経験した性的事件について語った事例を特集記事にした。
「あなたは選ばれました、このことがあなたを自分は特別なのだと感じさせるのです」一人の女性が言う。「彼は私の霊的な先生なのだから、彼が求めることはどんなことでも、私のためになることだと信じたのです。…あなたは霊的な道で進歩したいと思います。そして先生と寝ることによって、あなたは皆が熱望する先生とのお近づきを得るのです。私はそれを、経験と感情の幻想的な本質に関する教えの一部だと解釈しました。しかし、実際は、それは私が解決できない多くの苦痛を私にもたらしただけだったのです」
別の女性は、最初に彼と関係をもったすぐ後に、ソギャルが三人の他の信者ともセックスしているのを知ったときの苦悩について語った。彼女が言うには、ソギャルは「教えを、私との性的関係を維持するために使ったが、それは私が望まない関係」だったのである。
身体的虐待と言葉による侮辱
ジャニス・ドゥの訴訟は、法定外でひそかに処理された。そしてインターネット以前の時代には、『チベットの生と死』の読者たちは、知らぬが仏、そうしたスキャンダルには何も気づかないままだった。むしろ逆に、その本は彼に新たな追随者を供給する強力な媒体となった。
その中に、のちに仏教の尼僧となって、ドルマ[Drolma]という法名をもつことになる一人のオーストラリア人女性がいた。
ドルマは21歳のとき、初めてソギャルの本を読んだ。「私はとても素敵だと思いました。でも、そのときは必要なかったので、本棚に戻してしまいました」。二年後、妊娠中絶と困難な関係の崩壊の後、人生が「バラバラになる」と共に、ニュー・サウス・ウェールズでのソギャルのリトリートに彼女は参加した。
「私の人生は、自分が経験している苦しみが理解できないという段階に差しかかっていました。そしてこれ[=リトリートへの参加]は何らかの答と、瞑想のような何らかの実際的手立てを与えてくれたのです」
彼女はリグパへの関わりを強めて、トリートと勉強会のためにレラブ・リンへ旅をした。2002年に、彼女はアーティストとしての開花しつつあったキャリアを捨てて、尼僧になった。「私は師に献身すべきだと強く感じたのです。それは神の愛の炎のように感じられました。従うことのできる本物の師に出会った、そう感じたから私は仏教徒になったのです」
尼僧としての誓いを立てる前ですら、彼女はソギャルの「狂気の知恵」の例となるものを目撃していた。彼は講話のセッションで一人の男性信徒を公然と辱めていたのである。「彼は旅行の計画か何かの件を処理するのを忘れていたのです。ソギャルは彼を演台の下にひざまずかせ、テントの中を前に後ろに、這い回らせました。そして彼はそれを、命じられるがままおとなしくやったのです。私はひどく不快でしたが、反面、師からそのような近しい注意を向けられて、彼は幸運だなとも感じました」
ソギャルはドルマを自分の個人的な助手にして、スケジュール管理に当たらせた。その後彼女は彼の母親と伯母、カンドの世話をさせられることになる。彼らは当時、レラブ・リンにやってきて、住むようになっていたからである。彼女の義務は、ソギャルのダキニたちのインナー・サークル【いわば大奥】をトラブルが起きないよう、うまく維持することも含んでいた。
「彼女たちの生活は信じられないほど緊張の強いものでした」と彼女は言う。「たくさんの嫉妬、たくさんの秘密がありました。もしそのうちの一人が不機嫌だったり沈んでいたりすると、全員が緊張を感じてしまうので、私たちは彼らをサポートするのに最善を尽くさなければならなかったのです」
初めてソギャルが彼女の頭を、彼がどこにでも持ち歩いている孫の手で激しく叩いたとき、ドルマが言うには、彼女はそれを、彼の「怒りのこもった」トレーニングの一部として受け取った。「私は思ったんです。まあ、先生はほんとに私を信頼していて下さるのだわ」
それは長年にわたって続くことになる、身体的虐待と言葉による辱めの始まりだった。「彼が母親のことや、ガールフレンド、あるいは経済問題のことなどで心配になると、彼は私の頬をひっぱたいたり、孫の手で私の頭を殴ったりするのです。あるとき、彼は私の耳をひどく乱暴に引っ張ったので、血が出てしまったほどです」
彼が最初に彼女のみぞおちにパンチを食らわしたのは、レラブ・リンの寺院の控室でのことだった。そこでドルマは、来賓のラマや随行の僧侶たちを迎えての重要な儀式に先立つ、彼の儀式用の道具の準備をしていた。
「彼は車から降りて、何らかの理由で怒り狂っていたのですが、ドアをバタンと閉めたかと思うと、いきなり私を殴ったのです。それから彼は僧衣を着て、私たちは〔本堂の〕中に入りました。私は涙を浮かべて彼の背後を歩いていました。ひどく惨めでしたが、そこにいたチベットの僧侶たちは『おかしな西洋人尼僧だな…』と思ったことでしょう」
そうした暴力事件や虐待は、ソギャルの側近くに仕える人々にはありふれたことだったが、リグパ内部の上席インストラクターたちによって、ラマが用いる「熟練した手法」だと説明されて片付けられてきた。
「リグパ内部には明らかに非常に巧妙に考え抜かれた構造があって、それは虐待の知覚〔=率直冷静なその認識〕をブロックするのです。〔先のナロパのような〕歴史的な物語を使うとか、これは師の注意を引いているからで、自分は特別なのだと感じさせることなどによってです」ドルマは言う。「信者たちはこう言うのです。『どうかリンポチェ、私を鍛えて下さい』と」
テレグラフ誌は、ソギャルの最側近の信徒たちに加えられた夥しい数の類似の虐待事例を知らされている。孫の手で激しく頭を殴られた女性、ソギャルに蹴飛ばされ、顔を殴られ、壁に押しつけられて手で喉を締めつけられ、頭をあまりに強くハードカバーの本で殴られたので、床に転倒してしまった男性の例など。
「一日の終わりに自分の部屋に帰ると、一体これはどういうことなんだと考えるのです。しかし、まだ信頼にしがみつこうとして、これは悪しきカルマの浄化プロセスの一部なのだと思い直すのです」信者歴二十年のある男性は語った。
ソギャルを警察に通報しようという考えは一度も頭に浮かんだことがありませんでした、と彼は言う。「こういうのは犯罪行為です。しかし問題は、私たちが共謀してそれを許し、彼にそういうことをさせ続けていることです」
こういう環境下では、万事が合理化され、「教え」として受け入れられる。数人の人がテレグラフ誌に、ソギャルが排便中に近しい弟子たちに話しかける様子を語った。チューダー朝の君主のように、自分のダキニたちに「奉仕」のデモンストレーションとして適切な下の世話【abultionは沐浴などの「浄めの儀式」だが、文脈からして、ここは口にするのもおぞましい不穏当なふるまいを指すものと思われる】を命じるのです。
君主のたとえは不適切なものではない。彼のインナー・サークルの中では、ソギャルが頻繁に「領主の初夜権」を行使し、あからさまにかひそかにか、最も忠実な男性信者の妻や恋人をセックスの相手として召し上げているのだ。男性信者たちはこれを、教えの一部として受け入れることが期待された。ある人が文句を言ったとき、ソギャルは彼のパートナーに、「あいつは悪魔にとりつかれている」と言った。〔そうしたことを暴露している〕八人の署名入りの手紙はさらに、少なくとも一度、ソギャルは自分の女弟子の一人を別のラマのセックスのために提供したことがあると述べている。
女性にとって、ソギャルのセックス相手に選ばれることは「名誉」とみなされていたと、ドルマは言う。「それはその女性がダキニの素質をもつことを意味したのです。そうしてあなたはラマの寿命を延ばしているのだと言われるのです」
旅行、濫費、そして「つつましい生活」
信者からの献金は、ソギャルの放蕩的な濫費生活を維持するのに役立った。レラブ・リンでは、彼は杉製のパネルで飾り付けられたシャレ―【別荘】に住んでいたが、そこからは彼自身の温水プールが見渡せるのだった。巨大なテレビがあって、それで彼は好きなアメリカのアクション映画を見て楽しんだ。「ラマのキッチン」では、仕えの信者たちが昼夜を分かたず、いついかなる時でも彼のお気に入りの食事が出せるように待機していた。
世話係の信者たちと彼のインナー・サークルは、彼に仕えるために肉体的疲労の限界まで働かされた。ソギャルがレラブ・リンにいるとき、あるいはどこであれ彼のお供をして旅をするときはいつでも、ドルマは週六日、日に14時間は働いた。「もしそうしないならどんな反動があるかわからないので、彼の要求にただちに応えられるようつねに身構えていなければならなかったのです」
海外旅行では、彼は従者を引き連れてファーストクラスに乗った。オランダ人女性のOane Bijlsma は、2011年にリグパに加わり、その後ソギャルの世話係の一人になったが、2012年のイギリスでのイースター講話のために、どのようにしてリグパがヘイリーベリー、ハートフォードシャーのパブリックスクールを引き継いだかを説明する。そのとき、ソギャルは音楽教師の家に滞在していた。
彼の指示に従って、信者たちはそれぞれの部屋を注意深く写真に撮り、それから家具の一つ一つを倉庫に移した。それからそこに、ソギャルの好みに合う調度品を設置し直した。それには衛星放送が見られる薄型の大画面テレビも含まれていた。六日間の講話の終わりに、各部屋は元の状態に戻された。Oane は食料品担当だったが、地元の肉屋を訪ねて、肉の一番いい切り身の写真を撮ってくるよう指示された。ソギャルにそれを見せて是認が得られた後でのみ、買うことが許可されたのだ。
「私はポケットに何百ポンドもの現金を入れて食料品店を回りました。私は買えるかぎりの、馬鹿げたほど大量の最良の肉を買っていました。それからワイン、ロゼ、チョコレートと…。そしてその後、インナー・サークルの人たちは講話の際ステージに上って、ソギャルがつつましい生活を送り、自分のためには何も所持しないことについて話すのです。それは〔偽善の極みで〕不道徳そのものでした」
「チベットでは、ラマはもっとずっと多くのコントロールを受けていたでしょう」と、一人の元信者が私に言った。「組織が彼の行き過ぎを制御したのです。しかし、ソギャルは、彼の言うこと為すことは何でも完全だと信じる西洋人の追随者に囲まれていました。それは彼にとっても、他の皆にとっても災いだったのです。彼は現実との接点を完全に失ってしまいました」
飽和点に達する
リグパ内部の人たちが、それは彼ら自身の利益のためなのだと言われながら叩かれたり虐待されたりしているとどうなるか、それは予見しうる次のような結果をもたらす。「それは人々の間に人格の分裂をつくり出すのです」とある信者が言った。「人々はたえずソギャルの行動によって反証されている教えに忠実たらんとしているわけで、〔グルの教えとそれを説くグル自身の行動が矛盾しているのだから〕、彼らの心は二つに分裂してしまうのです」【ここは心理学のダブルバインド理論を想起されたい】
2007年、ソギャルは彼が「リグパ・セラピー」と呼ぶプログラムを導入した。そこではリグパの信徒でもある、多くの資格をもつ心理療法家たちが、教えに疑いをもつ人たちの治療に当たるよう命じられた。ドルマはその〔“治療”される側の〕一人だった。
「それぞれのセッションの最重要点は」と彼女は言う。「ソギャルがしたことが私の人生上の他の過去の関係とどのように関連するかを調べることでした。そういうことばかりで、私の困難はソギャルとは無関係であること、そして、どのようにして彼の祝福【慈悲に満ちた虐待行為?】が私をその当時に遡らせ、それを乗り越えさせる〔よう作用している〕か、ということでした。要するに、セラピストたちは人々が〔ソギャルを見限って〕立ち去るのを防止するために連れてこられたのです」
同じ頃、ドルマは「現代世界にとっての古の叡知」という、ソギャルに関するドイツの映画に出て、彼との関係について話している。「ときに彼は私の父のようでも、母のようでも、上司のようでも、友達のようでもあります。敵のようでもある。なぜなら、彼は私のボタンを押す〔=怒りを誘発する〕からです」彼女はそう述べている。「でも私には、彼の心と動機が純粋そのものなのがいつもわかっているのです」
「彼はいつも私が何者であり、何者でないかを私に見せてくれます。彼が押すボタンは、本当の私ではない〔私の悪しき部分〕です。彼が押すボタンは、取り除かねばならないものです。ときにボタンが押されることは喜びです。なぜならそれははぎ取るべきものを私に示してくれるからです。苦痛があるときはいつでも、それは本当の私が傷ついているのではないのです。リンポチェが取り除こうしているのはエゴなのです」
上席インストラクターたちは彼女の出演をほめたたえた。しかし、彼女の疑念は強まっていた。「私は飽和点に達したのです」彼女は自分の気持ちを訪問中のスペイン人尼僧に打ち明けた。「私はすべてを外部の人に秘密にしておくようつねに訓練されていました。しかし、私はとうとうすべてを彼女に話したのです。彼女は言いました。『それははっきり言って虐待よ。あなたは出てかないといけないわ』と」
2010年に、彼女はレラブ・リンから、他の三人の尼僧と一緒に、修行のために台湾に旅をした。彼女はフランスに戻ったが、レラブ・リンには戻らず、ソギャルからの電話を無視して、パリに身を隠した。「その電話は、『親愛なるドルマ、君を愛しているよ。このことについて話し合おう」というものから、『どこにいやがるんだ、このアマ。本気でワシを怒らせたな。戻った方が身のためだ、さもないとおまえは地獄行きだ』のようなものまでありました」
彼女はインドに飛び、尼僧院に住んだ後、ついにオーストラリアに帰った。2011年に、彼女は意を決してソギャルの伯母、カンドの葬儀のためレラブ・リンに戻った。「それは私がしたことのなかで最も困難なことでした」と彼女は言う。「私は尼僧の服装をして、まだ戒律を守っていたのです」
「〔尼僧の〕ローブを着るとき、あなたは片方の腕を露わにします。あたかも私が彼の性的対象物であるかのように、彼は私のその部分に触れたのです。ぞっとして鳥肌が立ちました。私は彼の私への関わり方がすっかり変わることがあるのだと理解しました」葬儀が終わると、彼女はオーストラリアに帰り、僧衣を脱ぎ捨てた。
「振り返ってみると」と彼女は言う。「私は何が起きているかを明確に理解する能力をすっかり失っていたのです。彼は完全に私を打ちのめしました。私は人を信じやすいたちでした。それで彼は、私のそういうところを利用したのです」
「私は友達と別れたことを恥じました。そして家族の元に帰ることを恥じ、自分が失敗したと言うことを恥じたのです」彼女はそこで一息入れた。「そういう恥の感情がたくさんあったのです」
秘密、否認、そしてさらなる訴え
リグパの内部、ソギャルのインナー・サークルの間では、秘密と否認の文化が支配的になっていたので、彼の最悪のふるまいも、リトリートや講話に出席する何千という一般信徒たちには秘密にされていた。
「それは閉鎖的な家族のようなものです。そこではあなたは家族外に秘密を漏らしません」と、ソギャルに性的虐待を受けたある女性は語った。しかし、不穏なことについての主張がインターネットに流れ出すのは避けられなかった。
2011年、イギリス人著作家で元信者のメアリー・フィニガンは、『タンカの陰で』と題した文書を発表した【「タンカはチベット仏教の仏画の掛軸の総称」とウィキペディアにある。記事の原文でthankasとなっているのはthangkasのミスプリ。尚、このBehind The Thangkasは著者によってインターネットに英語全文が公開されている】。そこではソギャルの性的虐待の歴史が〔被害者たちの〕主張に基づいて列挙され、ラマ・ケアとして知られるサブ・セクトがリグパ内部には存在し、彼が旅行する時にはいつでも、彼のセックス相手の女性が供されるよう手筈が整えられていると主張されている。そして、「ダキニたち」は本人の意志に反して乱交パーティに参加するよう強いられるのだと。
同じ年、「悟りの名において」と題されたカナダのドキュメンタリーが放映され、元信者たちによるさらに多くの虐待被害の訴えが伝えられた。
2015年、リグパ・フランスの会長、オリヴィエ・ローリックが辞任し、フランスの雑誌マリアンヌのインタビューに応じて、「私は謙虚、愛、真理、そして信頼の教えのためにやってきました。そして私は自分が、二枚舌をつねとするスターリンまがいの独裁者のもとにいることを知る羽目になったのです」と説明した。ソギャルは、と彼は言った。「会合では荒々しい口調で人々に沈黙を強い、嘲ったのです。批判的思考は彼の周囲では禁じられています。否定的なフィードバックは決して彼の元には届きません。賞賛だけが報告される。側近の人たちは彼を恐れているからです」
伝えられるところでは、リグパの内部では、信徒たちはソギャルの前にひざまずき、ローリックの告発には決して耳を貸さないと誓わされるのだという。ローリックはたんに自分の瞑想教師としてのキャリアのためによい評判を得ようとしているだけの日和見主義者なのだと非難されている。
翌年、フランス人学者Marion Daspance はles Devots du Bouddhisme【仏教信者たち】と題した本を出版し、さらなる虐待の訴えを取り上げて、ソギャルのインナー・サークルの「カルトじみた」行動を批判した。
レラブ・リンのウェブサイトに投稿された返答は、彼女を「極度の偏見をもつ」「承認しがたい」人物だとして、ロジョン(lojong)と呼ばれる慈悲に基づいて心を訓練するチベットの教えを権威あるものとして引き合いに出し、その核となる原理は「すべての利得を他者に与え、すべての損失と欠点をわが身に引き受ける」ものだと主張する。【つまり、ソギャルは慈悲心に基づいて虐待に励んでいるのであり、相手を傷つけるどころか、高度な自己犠牲に献身しているのだという理屈になる】
この投稿はさらに続けて、ソギャルは「過去の偉大な聖人たち」に連なる者として、そのような主張には決して答えないだろうと述べている。
スキャンダルを完全に無視して、2016年11月、パトリック・ガフィニィは、代わりにリグパのメンバーたちに手紙を送り、もう一人のラマで、ソギャルの親しい友であるオーゲン【ウーゲン】・トプギャル・リンポチェが、今後数年が「ソギャルの人生において決定的な時期」になると信じて、「リンポチェの人生、健康、仕事へのいかなる障害」も回避するために、何を為すべきか、チベットの「一人のユニークな千里眼マスター」に相談を行ったと説明した。
その「千里眼のラマ」は、これらの障害を取り除くために多くの様々な儀式を執り行うよう勧めた。最も重要なことは、ソギャルの信者たちが、マントラを唱える集中的な行に着手することによって、「サマヤ――弟子とグルの間の信頼の誓い――の損傷を修復すること」であるとされた。その目標は、とガフィニィは書いている。毎年、百のマントラの章句を一億回〔合計で〕唱えることである。それは三千人の信者が、一日につき40分ずつ詠唱することを必要とする。
「もしもそれが実行されれば」とガフィニィは続ける。「リンポチェは少なくとも85歳まで生きられることになるだろう」
それは拡大しつつあるスキャンダルを抑え込み、疑いをもつ信者たちを脅して引き下がらせるための巧妙なやり方だと見る人たちもいた。「それはソギャルの行為がもたらした結果の責任を、信者たちに転嫁しようとするものです」とある元信者は私に語った。「グルに背くことはなしうる最悪のことなのです。誰もヴァジラ地獄に落ちたいとは思いません」
ソギャルの公の回答
7月、八人の署名入りの手紙が野火のように広がったとき、ソギャルは公の回答書をリグパのメンバーたちに送った。私は人生のすべてを、とその中で彼は書いている。仏陀の教えに仕えるための「最善の努力」に費やしてきたのだと。「そして一日たりとも、私は自分の弟子たちのためを思わずに過ごしたことはないのです」しかし、起きている論争に鑑み、そして私の健康や人生全般に生じている障害についての私自身の師のアドバイスに従って、今は「できるだけ早く」リトリートに入るつもりでいるのだと。
彼はこう続けている。私はまた「癒しと理解が行き渡るように祈り、修行するつもりでおり、グル…過去のマスターたちの霊に誓って、わが身に苦しみを引き受け、幸福と愛が他の人々に与えられますように」願っているのだと。
ソギャルのふるまいに関する噂や告発が出回る長年月の間、あるグループが不可解な沈黙を守っていた。それは彼の仲間のラマたちである。ソギャルの大勢の信奉者たちと財産が、彼をチベット仏教徒のコミュニティで大きな存在にしていた。彼は何年も気前よくネパールやインドの僧団組織に寄付をしてきた。そして他のラマたちはレラブ・リンで教え〔る機会?〕を頻繁に与えられた。彼らの訪問がソギャルの信任状に権威を付与していた〔=おかげでソギャルは権威ある高僧というイメージを流布させることができた〕のである。
「チベット文化では、他のラマを批判することは決してありません。とくに同じグループ内ではそうです」とスティファン・バチェラーは言う。「しかし、問題の根は、彼らが亡命中の身で保存しようとしている古いチベット社会のタントラ的、貴族的な構造の中にあります。彼らはそれを改革するのではなく、自分たちの伝統にしがみついているのです」
「他のラマたちが直面している問題は、もしも彼らがこうした批判を受け入れるなら、ある意味、彼ら自身のパーソナリティの支えにもなっているシステム全体についての批判を受け入れることになってしまうことです。そしてもし自分は何も知らないと言えば、〔今度は〕あからさまに言って虐待行為にしか見えないものに見て見ぬふりをしていると受け取られかねないのです」
「もしもこのことがチベット仏教の信用棄損につながるのなら、それは恐ろしいことです。なぜなら、ヴァジラヤーナは仏教の遺産の豊かな一部だからです。しかし同時に、こうした虐待は明るみに出されるべきです。チベットの伝統はそれと折り合いをつける〔=おかしなところは改善して、近代化する〕必要があるのです」
ダライ・ラマはよく仏教導師の非道徳な行為を非難して、信徒たちがそれに反対の声を上げるよう奨励してきた。「新聞を通じて、ラジオを通じて…公にするのです」――とくにソギャルの名前を挙げてではなかったが。しかし、先月、ㇻダッカで話をした際、彼はチベット人組織の「封建的なシステムの影響」を改善する必要性について述べた。信者たちは、と彼は言った。「『この人は私のグルだ。グルが言うことには何にでも従わねばならない』と言ってはならない。それは完全に間違ったことなのだ」と。もしも教師が非道徳的なふるまいをするなら、それを公にする義務があるのだと。
「最近のことだが」と彼は続けた。「ソギャルロリンポチェは、私のよい友達であったが、面目を汚した【he is disgraced】…」と。
部外者にとっては、それはたまたまの軽い言及でしかなかったと見えるかもしれない。しかし、仏教徒コミュニティにとって、それは破門宣告に等しいものだった。
ダライ・ラマのスピーチの僅か数日後、ソギャルは、彼をめぐる訴えの「波乱」を原因として挙げ、リグパの霊的監督者〔スピリチュアル・ディレクター〕としての地位を「引退」すると発表した。虐待行為についての釈明もなければ、謝罪や遺憾の意の表明も何もなかった。
もはや霊的監督者ではなくなったが、と彼は言った。彼ら〔=自分の信者たち〕の導師ではあり続けると。「私は今も今後も決してあなた方を見捨てることはないということを、どうかご理解ください。私には皆さんに悟りをもたらす手助けをする厳粛な責任があります。そして私はその約束を断じて破りません!」
テレグラフ誌はリグパとコンタクトを取り、この記事に書いたものを含む訴えの詳細なリストを送って、回答を求めた。組織〔=リグパ〕は訴えに関してはノーコメントだといい、その代わり、ソギャルが霊的監督者を辞任した際のプレス・リリースを参照するよう言ってきた。
「専門的かつスピリチュアルな助言」を求めて、とその声明にはある。リグパは様々な訴えを調査する「中立的な第三者」からなる委員会を設置する予定であると。そして「行動規範」とリグパのメンバーたちからの「苦情処理」に当たるための協議会を発足させ、新たに「スピリチュアルな助言グループ」を作って、組織の指導に当たらせる、云々。
リグパは、この独立した調査委員会がどういう形態のものになるのか、具体的に説明することは拒んだ。また、その「スピリチュアルな助言グループ」なるものがどういう人たちから構成されることになるのかという点についても、「独立した専門家たちが内部調査を行い、おそらくは秋の中頃にスタートすることになるだろう」と言うだけだった。
ソギャルが公の席に最後に姿を見せたのは、7月30日、タイでのことだった。彼はそこで開かれた第七回世界青年仏教徒シンポジウムでスピーチをしたのだ。彼の講演は、「瞑想と心の平安」をテーマにしたもので、自分を呑み込んだスキャンダルについての言及はなかった。「もしもあなたの心がリラックスしてくつろいでいれば」と彼は若い聴衆たちに向かって語った。「いかなる危機にあなたが直面していても、悩まされることはないでしょう。困難がやってきたときでも、あなたはそれを自分の利点に変えることができるのです」
全くの話、今こそそう言う彼の真価が問われているのだ。元リグパのメンバーたちからの提議に続いて、〔英国の〕慈善事業監督委員会が、事件とソギャルの支配についての徹底した調査が必要かどうかを判定するために、審査会を開いた。同時に、元信者たちが刑事告発の動きに出ていた。
「これは虐待である」と認識すること
人はスピリチュアルな組織を離れます、とドルマは言う。安堵、恥、後に残してきた人たちへの罪悪感など、様々な思いが入り混じった感情と共に。
「私は仏教の教えに背を向けたわけではありません」と彼女は言う。「でも、人々に何が起きているかを知らせることは重要なのです。ソギャルは虐待者で、妄想的な人間です。そして彼は人々に本当に深い害を及ぼしてきたのです。それはいかなる場所でも正当化できるものではありません」
「仏陀が言ったように」と、ギャリー・ゴールドマンは言う。「誰もが人生で幸せになりたいと思います。だからあなたは組織に入るのです。あなたは気分がよくなります。人々は親切です。あなたは関わりを強めます。あなたは多くの時間を、おそらくは多くのお金も、それに捧げるでしょう。ある時点まで来ると、それはあなたの心に深く織り込まれます。それはあなたの一部となるのです。そしてそれを放棄することは信じられないほど困難で苦痛なことになります。私は(ソギャルを)友人とみなしました。そして何らかのレベルでは、私は今でも彼を成就した教師と認めます。しかし、彼は道を踏み外したのです。それはとても悲しいことです」
「今、私はとても不幸です。心にぽっかり穴があいています。しかし、多くの人たちはそれを放棄することができません。彼らは彼に結びつけられているのです。彼らにとって彼は権威者、父親のような存在です。だからそれを失うことは大きな損失なのです」
7月、八人の信徒たちからの告発状が大騒動を巻き起こしていたとき、仏教徒たちのサイトで、2016年の、尼僧のAni Choki がみぞおちにパンチを食らわされた例の事件についての話が取り沙汰されていた。Ani Choki はフェイスブックに投稿して、リトリートの際のソギャルの教えは「どんな平凡な描写も超える素晴らしいもの」だったと述べ、みぞおちへのパンチは「より大きな文脈から受け取られるべき」だと言った。
「私は師の熟練した手法に同意します。それは私の惑わしを純化し、明知へと変容させて、私の執着を断ち切るために取られた手段なのです」と彼女は書いた。「時にこうした手段は激しい怒りとなって現わされ、それは愉快な経験ではないとしても、私に必要なのは、私を盲目にし、固着させている無知のあらゆる層を見通せるようになることなのです」ソギャルは、と彼女は続ける。「断じて怒りの発作に襲われたのではありません。一瞬ちょっとキレただけで、それはソフトなパンチとなって表われたのですが、それは暴力でも虐待でもなかったのです。少なくとも私の感情にとってはそうです」
ドルマはリプライを投稿した。自分は Ani Choki の捉え方が完全に理解できる、と彼女は書いた。なぜならそれは、自分がかつてソギャルの自分に対するふるまいを正当化していたときのやり方と同じだからである。「仮にこの種の『〔虐待に他ならない〕特別な訓練』を受けた信徒が、自分の人生の他の関係で虐待の歴史をもっているとすれば(それは私自身を含む多くの人に当てはまりそうですが)、その場合、なおさらそれは自然なことになって、〔虐待行為を働きながら同時に〕おまえを深く愛していると言っている相手からの怒気に満ちた注意を受け入れることは慰めにすらなるのです」
しかし、それから、と彼女は書いた。「スイッチがぱっと入るみたいに、『これは虐待だ』と私は認識したのです。そしてそれに伴って、私が起こるのを許してきた過去のあれこれを私は自省し始めたのです。それはオズの魔法使いのようなものです。最後にカーテンがあけられた時、あなたはそこに『全能のオズ』などいなかったことを悟るのです。そこにいるのは、マイクに向かって叫んでいる一人の小男だけなのです。…」
以上、末尾の訴えを起こされている虐待の一覧を除く全文の訳ですが、お読みになってどう思われたでしょう? これは多くの病的な宗教カルトには多かれ少なかれ当てはまるものだと思いますが、信者たちは心理学的な一種の「悪魔の罠」にはまるのです。
僕がややこしいなと思うのは、『チベットの生と死の書』には次のようなことが書かれていることです。これは「師と歩む道」の章の一節です。
「…ただ残念なことに、そういった教えを体現している師が数えるほどしかいないうえに、真理の探究に欠かせない『本物を見る目』がほとんど失われているのだ。西洋は宗教的ペテン師たちの天国になってしまった。…見たところ、鳴り物入りで打って出れば、誰でも信者を集めることができそうだ」(訳書p.223)
「誰が本物の師で誰がそうでないかを見分けるのは微妙で難しい。気散じと、お手軽な解答と、即席の解決策にどっぷりつかったような今のような時代にあっては、精神的に卓越した者の醒めた〈さりげなさ〉が人目を引くことはまずない。聖なる者といえば、信心深く、穏やかで、おとなしいという通念にとらわれて、悟りを得た心の、力強く、ときにはあふれんばかりに陽気で明るい発現を見逃してしまう(同p.224)
いかにも、といった感じで、自分はそんじょそこらの宗教ペテン師とは違う、別格の、「本物」だということを強調しているのです。それで見てきたような超がつくお粗末さなのだから恐れ入るので、紛らわしいことこの上なしです。
ついでに、僕がどこに「引っかかり」を感じたのかといえば、「かつて悟りにいたったすべての覚者たちのなかで、導師に依ることなく成就した者は一人もいない」とか、「導師を人間としてではなくブッダその人として見ること、これが至高の加護の源泉なのだ」「導師をブッダとして見ることができず、一人の人間として見ているかぎり、完全な加護が訪れることはない」といった箇所です。
むろん、ゴーストライター先生は、そこらへん、外部の導師は普遍的なものとしての内部のそれが外に具現化したもので、真の導き手は心の中にいる、なんて説明を加えて、それは通常の盲信とは違う高度なものなのだ、というような巧妙な説明を怠らないのですが、こういう能書きを垂れる人間を僕は基本的に信用しないのです。大体、「完全な加護」とは何か? そんなもの、この世にあるはずがないので、それ自体が妄想なのです(お釈迦様だって人間だったので、ケガもすれば、病気にもなった)。
しかし、強まるばかりの恐れと不安におののく現代人は、こういうのに弱い。グルは多種多様な神通力をもち、ほとんど全能で、自分もグルに従って修行に励めば神に等しい存在になると信じて盲従し、挙句はサイコパス教祖の悪事の片棒を担ぐ羽目になるのです。
今後も多種多様なカルトが出現するでしょうが、神に等しい教祖なんているわけがないので、神扱いを要求するような教祖は全部ロクでもない奴だと思って間違いはありません。「神のごときプラトン」という表現がありますが、それはプラトンの傑出した叡知をたたえたもので、別にプラトンを神格化するものではないのです。
そういうわけで、僕は田中美知太郎先生の『プラトン』に移って、「正気の議論」で頭の中をすっきりさせたいと思います。
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祝子川通信 Hourigawa Tsushin
僕はこの時期、ネットで最新の英語入試問題をチェックするのをつねとします。といっても、予備校のサイトに出ているもので、難関国立や、私立は早慶その他の有名どころにかぎられますが、これは仕事の必要性からそうするという意味はむろんありますが、どんな英文が出題されるのか、それ自体にも興味があるからです。
前にも書きましたが、入試に出る英文には面白いものがたくさんあって、それらはふつうの大人が読んでも十分に刺激的で、興味深いものです。いつも言うように、センター試験の英文は僕には大方が平板・退屈すぎて腹立たしいのですが、国立二次や私立の一般入試には、中には「これは受験生には酷だろう」と思うような難しすぎるものもたまに混じっているとはいえ、内容的によいものが多い。そこから、塾で使えそうなのをえらぶのですが、年度によって生徒の学力にはかなり大きな開きがあるので、面白いがかなり難しいものは、生徒を苦しめるだけになってしまうので、残念ながら使えないこともあります。そこらへんは、だから、生徒の学力次第なのです(ついでに高校生にアドバイスしておくと、学力を大きく伸ばしたいのなら、視野を広く持ち、知的好奇心旺盛でいなさい、ということです。教科書勉強以外のことをすると損だなどと思っている視野の狭いガリ勉ぐらい、相手をしても退屈な、将来性のないものはありません)。
今年の入試問題のイチ押しは、北大の入試英文の大問一です。北大にはかねてからよいものが多いが、今年のこれは、英文も平易、設問も適切なら、内容的にも面白い。現代の文明社会の暮らしより、狩猟採集民時代の暮らし(hunter-gatherer lifestyle)の方がはるかによかったのではないかというような話で、かねてサンカと呼ばれていた、日本版ジプシーみたいな人々の生活に強い郷愁を抱いている僕のような反文明的な人間は、この話には共感しまくりでした(僕は定住農耕民族の末裔では、おそらくありません。兼業農家で、祖父は炭焼き、父親はきこりという家庭に生まれたのですが、農業に適した素質は全くなく、子供の頃よく祖母に、「おまえは百姓仕事には向かないので、学問でもして身を立てるしかない」と言われました。こっけいなのは、学校の勉強が大嫌いで、学問の素質など全くなさそうに思えたことですが、祖母は何を見てそんなことを言っていたのでしょう? その代わり、遊びを通じて狩猟採集民としては大いなる有能さを発揮していたので、自分の前世の一つはサンカとしてのものだったろうと信じるに至ったのです)。
だからこの問題は二年生用の教材に使えると判断して、早速宿題に出したのですが、今回ここにご紹介するのは、これとは別で、やはり今年の東大の英語入試問題です。例年東大では大問1がAとBに分かれていて、Aが英文の要約(日本語で)、Bが脱けた段落を下からえらんで埋めさせるというものですが、今年はこのBが「言論の自由(free speech)」についてのものになっていて、批判的なことを言うと、「公正さに欠ける報道だ!」としてテレビ局に批判を自粛するよう圧力をかけたり、「電波停止」までほのめかす今の安倍政権下でのわが国の「言論の自由」の現状に照らして、タイムリーな、なかなかに興味深い出題です。
英文は無理のない読みやすいもの(但し、一部解釈が難しいところがある。受験生用に言っておくと、unlessとdoubtlessの処理)で、その意味でも良心的な出題ですが、今回のこれは一般国民にとっても内容的にタメになるものではないかと思うので、その和訳をお目にかけたいと思います。まだ全訳はどこにも出ていないでしょうから(訳は穴を埋めた後のもの。塾で生徒たち相手にするときと同じ要領で、アドリブ的に訳したものにすぎないので、多少の不備はあるかもしれません)。とくに後半に注目!です。
英文に関しては、次の河合塾のサイトをクリックしてご覧ください(設問の答えは、b→c→e→d→aの順に入る)。
・2016年度東大入試英語
言論の自由は国旗や標語と同様、たんなるシンボル的なものにすぎないのだろうか? それは互いに比較衡量すべき多くの価値観の一つにすぎないのだろうか? それとも言論の自由は根底的なもので、絶対とは言わないまでも、(その制限が)注意深く、明確に定義されたものである場合に限り、放棄すべき権利なのだろうか?
その答えは、言論の自由はじっさい根底的なものである、ということである。なぜそうなのかということを心に銘記し、その権利が疑問に付されるときにはなぜかと問う心構えをしておくことは重要である。
その最初の理由は、私たちが言論の自由は根底的なものであるかどうかと問うとき、私たちが行なっているまさにそのこと――つまり、思想を取り交わし、評価するというそのこと自体が、私たちがそれを行う権利をもっているということを前提としたものだ、ということである。言論の自由(あるいは他の何であれ)について論じるとき、私たちはまさに「論じている(言論の自由を享受している)」のだ。私たちは自分の反対を力やコイン投げなどで解決することはしない。もしもあなたが、ナット・ヘントフの言葉を借りれば、「言論の自由は私のためにあるのであって、あなた方のためにあるのではない」と進んで宣言するのであれば話はまた別で、その場合、言論の自由に反対の弁論をするために登壇した途端に、あなたは負けてしまうことになる。言論の自由を言論の自由に反対するために用いるなどというのは、およそ意味をなさないことだからである。
純然たる論理的推論によってはこのことが納得できないという向きは、これまでの人類史上の議論を見てみるとよろしい。歴史を知れば、宗教や政治の問題に関する真理を知っているのは自分たちだけだと主張する人々が、のちにしばしば間違っていた、しかもこっけいなぐらいそうだった、ということがわかるのである。
たぶん、現代史における最大の発見――それはその後のあらゆる発見にとって必要な発見だったのだが――は、私たちが前科学的な信念の源泉を信頼できないということを知ったということである。信仰、奇蹟、権威、未来占い、第六感、慣習的な知恵、そして主観的な思い込みは、誤りの発生源であり、捨て去るべきなのである。
では、どのようにして私たちは[正しい]知識を獲得できるのだろうか? その答えは仮説と検証と呼ばれるプロセスにある。私たちは現実の性質に関する考えを思いつく。そしてそれらを現実に照らして検証し、それによって世界が間違った考えを虚偽として斥けられるようにするのだ。この手続きの仮説の部分は、むろん、自由な言論の行使に依存している。私たちが間違った信念を避けられるのは、どの考えが検証の試みに耐えられたか、それを見ることによってのみなのである。
ひとたびこの科学的なアプローチが現代の初期に受け入れられるようになると、世界についての古典的な認識は覆されてしまった。真理の源泉としての権威【これは下のガリレオの例に見るように、絶大な権勢を誇ったキリスト教カトリックの権威を特に指す。当時はローマ教会が支持するプトレマイオスの天動説に反対することさえ異端であり、死に値する重罪だったのだ】に、実験と議論が取って代わり始めた。
この道に沿った重要な一歩は、地球は太陽の周りを回っているというガリレオのデモンストレーション、激しい抵抗を克服しなければならなかったその主張である。しかし、コペルニクス革命は、先祖たちには認識できなかった、世界についての今の私たちの理解を形成することになる、一連の出来事の手始めにすぎなかった。今では私たちは、どの時代、どの文化のものであれ、広く支持されている確信が、おそらくは私たちがこんにち信じているものも含め、明らかな間違いだと証明される[日が来る]かもしれないということを理解している。そしてこの理由から、私たちは新しい思想の自由な交換を頼りにするのである。
人類の繁栄にとって言論の自由が根本的なものであるという三番目の理由は、それが民主主義と、独裁の防止にとって不可欠なものだということである。どのようにして二十世紀のおぞましい支配体制は権力を獲得し、維持したのか? その答えは、暴力集団がそれに対する批判や反対者を黙らせたということである。そして、ひとたび権力の座に着くや、独裁権力は体制に対するいかなる批判も処罰した。これはこんにちでも、大量殺戮や他の野蛮行為で知られる政府【北朝鮮はもとより、中国もこれに近い】には当てはまる。
なぜこれらの体制はいかなる批判の表明も許さないのか? 実のところ、苦しんでいる何千人万もの人々が一緒になって行動すれば、どんな体制もそれに抵抗する力はもたない。市民が独裁者に対して団結しない理由は、彼らに共通の理解――皆が知識を共有し、それを共有していることを知っているという自覚――が欠けているからである。他の人たちが同じ時に自らを危険にさらしていることを知っていれば、人々は自分を危険にさらすことを辞さないものなのだ。
共通の認識は、公の情報によって生み出される。『皇帝の新しい衣装(裸の王様)』の話は、このロジックをわかりやすく説明してくれる。小さな少年が「王様は裸だ!」と叫んだ時、彼は何も他の人たちがまだ知らずにいたことを、わが目で見ることができないことを、言ったわけではない。にもかかわらず、少年は人々の認識を変えたのであって、それは皆が、他の人たちも王様が裸であるということを知っているということを知ったということである。それでこの共通の認識が、人々に力を与えて、笑いによって王様の権威に挑戦するということを可能にしたのだ。
私たちはまた言論を、権力者の力を殺ぐための道具としてだけでなく、日常生活で誰かに対抗するために使うこともある。要求がましい上司、威張りくさった教師、些細な決まり事を強硬に押しつけてくる隣人などを相手に、である。
なるほど、言論の自由には制限がある。私たちは人々を不誠実な個人攻撃から守るために、軍事機密の漏洩や、他者を扇動して暴力を振るわせることを防止するために、(それに制限を課す)法案を通過させることがある。しかし、これらの例外(としての法規)は厳格に定義され、かつ、個別に正当化できるものでなければならない。それは言論の自由を、多くの代置可能なよきものの一つに過ぎないものとして扱うための言い訳であってはならないのだ。
それで、もしもあなたがこうした議論に反対するというのなら――私の論理の弱点を指摘したいとか、私の考えの間違いを暴露したいとかいうのなら、その場合には、あなたがそうするのを許す自由な言論の権利が、あなたにはあるということなのである。
以上ですが、なかなかにイミシンでしょう? 安倍政権が怒って、東大に「不適切な」入試問題を今後出さないよう、予算の脅しと共に注文をつけるかどうかは知りません。
前にも書きましたが、入試に出る英文には面白いものがたくさんあって、それらはふつうの大人が読んでも十分に刺激的で、興味深いものです。いつも言うように、センター試験の英文は僕には大方が平板・退屈すぎて腹立たしいのですが、国立二次や私立の一般入試には、中には「これは受験生には酷だろう」と思うような難しすぎるものもたまに混じっているとはいえ、内容的によいものが多い。そこから、塾で使えそうなのをえらぶのですが、年度によって生徒の学力にはかなり大きな開きがあるので、面白いがかなり難しいものは、生徒を苦しめるだけになってしまうので、残念ながら使えないこともあります。そこらへんは、だから、生徒の学力次第なのです(ついでに高校生にアドバイスしておくと、学力を大きく伸ばしたいのなら、視野を広く持ち、知的好奇心旺盛でいなさい、ということです。教科書勉強以外のことをすると損だなどと思っている視野の狭いガリ勉ぐらい、相手をしても退屈な、将来性のないものはありません)。
今年の入試問題のイチ押しは、北大の入試英文の大問一です。北大にはかねてからよいものが多いが、今年のこれは、英文も平易、設問も適切なら、内容的にも面白い。現代の文明社会の暮らしより、狩猟採集民時代の暮らし(hunter-gatherer lifestyle)の方がはるかによかったのではないかというような話で、かねてサンカと呼ばれていた、日本版ジプシーみたいな人々の生活に強い郷愁を抱いている僕のような反文明的な人間は、この話には共感しまくりでした(僕は定住農耕民族の末裔では、おそらくありません。兼業農家で、祖父は炭焼き、父親はきこりという家庭に生まれたのですが、農業に適した素質は全くなく、子供の頃よく祖母に、「おまえは百姓仕事には向かないので、学問でもして身を立てるしかない」と言われました。こっけいなのは、学校の勉強が大嫌いで、学問の素質など全くなさそうに思えたことですが、祖母は何を見てそんなことを言っていたのでしょう? その代わり、遊びを通じて狩猟採集民としては大いなる有能さを発揮していたので、自分の前世の一つはサンカとしてのものだったろうと信じるに至ったのです)。
だからこの問題は二年生用の教材に使えると判断して、早速宿題に出したのですが、今回ここにご紹介するのは、これとは別で、やはり今年の東大の英語入試問題です。例年東大では大問1がAとBに分かれていて、Aが英文の要約(日本語で)、Bが脱けた段落を下からえらんで埋めさせるというものですが、今年はこのBが「言論の自由(free speech)」についてのものになっていて、批判的なことを言うと、「公正さに欠ける報道だ!」としてテレビ局に批判を自粛するよう圧力をかけたり、「電波停止」までほのめかす今の安倍政権下でのわが国の「言論の自由」の現状に照らして、タイムリーな、なかなかに興味深い出題です。
英文は無理のない読みやすいもの(但し、一部解釈が難しいところがある。受験生用に言っておくと、unlessとdoubtlessの処理)で、その意味でも良心的な出題ですが、今回のこれは一般国民にとっても内容的にタメになるものではないかと思うので、その和訳をお目にかけたいと思います。まだ全訳はどこにも出ていないでしょうから(訳は穴を埋めた後のもの。塾で生徒たち相手にするときと同じ要領で、アドリブ的に訳したものにすぎないので、多少の不備はあるかもしれません)。とくに後半に注目!です。
英文に関しては、次の河合塾のサイトをクリックしてご覧ください(設問の答えは、b→c→e→d→aの順に入る)。
・2016年度東大入試英語
言論の自由は国旗や標語と同様、たんなるシンボル的なものにすぎないのだろうか? それは互いに比較衡量すべき多くの価値観の一つにすぎないのだろうか? それとも言論の自由は根底的なもので、絶対とは言わないまでも、(その制限が)注意深く、明確に定義されたものである場合に限り、放棄すべき権利なのだろうか?
その答えは、言論の自由はじっさい根底的なものである、ということである。なぜそうなのかということを心に銘記し、その権利が疑問に付されるときにはなぜかと問う心構えをしておくことは重要である。
その最初の理由は、私たちが言論の自由は根底的なものであるかどうかと問うとき、私たちが行なっているまさにそのこと――つまり、思想を取り交わし、評価するというそのこと自体が、私たちがそれを行う権利をもっているということを前提としたものだ、ということである。言論の自由(あるいは他の何であれ)について論じるとき、私たちはまさに「論じている(言論の自由を享受している)」のだ。私たちは自分の反対を力やコイン投げなどで解決することはしない。もしもあなたが、ナット・ヘントフの言葉を借りれば、「言論の自由は私のためにあるのであって、あなた方のためにあるのではない」と進んで宣言するのであれば話はまた別で、その場合、言論の自由に反対の弁論をするために登壇した途端に、あなたは負けてしまうことになる。言論の自由を言論の自由に反対するために用いるなどというのは、およそ意味をなさないことだからである。
純然たる論理的推論によってはこのことが納得できないという向きは、これまでの人類史上の議論を見てみるとよろしい。歴史を知れば、宗教や政治の問題に関する真理を知っているのは自分たちだけだと主張する人々が、のちにしばしば間違っていた、しかもこっけいなぐらいそうだった、ということがわかるのである。
たぶん、現代史における最大の発見――それはその後のあらゆる発見にとって必要な発見だったのだが――は、私たちが前科学的な信念の源泉を信頼できないということを知ったということである。信仰、奇蹟、権威、未来占い、第六感、慣習的な知恵、そして主観的な思い込みは、誤りの発生源であり、捨て去るべきなのである。
では、どのようにして私たちは[正しい]知識を獲得できるのだろうか? その答えは仮説と検証と呼ばれるプロセスにある。私たちは現実の性質に関する考えを思いつく。そしてそれらを現実に照らして検証し、それによって世界が間違った考えを虚偽として斥けられるようにするのだ。この手続きの仮説の部分は、むろん、自由な言論の行使に依存している。私たちが間違った信念を避けられるのは、どの考えが検証の試みに耐えられたか、それを見ることによってのみなのである。
ひとたびこの科学的なアプローチが現代の初期に受け入れられるようになると、世界についての古典的な認識は覆されてしまった。真理の源泉としての権威【これは下のガリレオの例に見るように、絶大な権勢を誇ったキリスト教カトリックの権威を特に指す。当時はローマ教会が支持するプトレマイオスの天動説に反対することさえ異端であり、死に値する重罪だったのだ】に、実験と議論が取って代わり始めた。
この道に沿った重要な一歩は、地球は太陽の周りを回っているというガリレオのデモンストレーション、激しい抵抗を克服しなければならなかったその主張である。しかし、コペルニクス革命は、先祖たちには認識できなかった、世界についての今の私たちの理解を形成することになる、一連の出来事の手始めにすぎなかった。今では私たちは、どの時代、どの文化のものであれ、広く支持されている確信が、おそらくは私たちがこんにち信じているものも含め、明らかな間違いだと証明される[日が来る]かもしれないということを理解している。そしてこの理由から、私たちは新しい思想の自由な交換を頼りにするのである。
人類の繁栄にとって言論の自由が根本的なものであるという三番目の理由は、それが民主主義と、独裁の防止にとって不可欠なものだということである。どのようにして二十世紀のおぞましい支配体制は権力を獲得し、維持したのか? その答えは、暴力集団がそれに対する批判や反対者を黙らせたということである。そして、ひとたび権力の座に着くや、独裁権力は体制に対するいかなる批判も処罰した。これはこんにちでも、大量殺戮や他の野蛮行為で知られる政府【北朝鮮はもとより、中国もこれに近い】には当てはまる。
なぜこれらの体制はいかなる批判の表明も許さないのか? 実のところ、苦しんでいる何千人万もの人々が一緒になって行動すれば、どんな体制もそれに抵抗する力はもたない。市民が独裁者に対して団結しない理由は、彼らに共通の理解――皆が知識を共有し、それを共有していることを知っているという自覚――が欠けているからである。他の人たちが同じ時に自らを危険にさらしていることを知っていれば、人々は自分を危険にさらすことを辞さないものなのだ。
共通の認識は、公の情報によって生み出される。『皇帝の新しい衣装(裸の王様)』の話は、このロジックをわかりやすく説明してくれる。小さな少年が「王様は裸だ!」と叫んだ時、彼は何も他の人たちがまだ知らずにいたことを、わが目で見ることができないことを、言ったわけではない。にもかかわらず、少年は人々の認識を変えたのであって、それは皆が、他の人たちも王様が裸であるということを知っているということを知ったということである。それでこの共通の認識が、人々に力を与えて、笑いによって王様の権威に挑戦するということを可能にしたのだ。
私たちはまた言論を、権力者の力を殺ぐための道具としてだけでなく、日常生活で誰かに対抗するために使うこともある。要求がましい上司、威張りくさった教師、些細な決まり事を強硬に押しつけてくる隣人などを相手に、である。
なるほど、言論の自由には制限がある。私たちは人々を不誠実な個人攻撃から守るために、軍事機密の漏洩や、他者を扇動して暴力を振るわせることを防止するために、(それに制限を課す)法案を通過させることがある。しかし、これらの例外(としての法規)は厳格に定義され、かつ、個別に正当化できるものでなければならない。それは言論の自由を、多くの代置可能なよきものの一つに過ぎないものとして扱うための言い訳であってはならないのだ。
それで、もしもあなたがこうした議論に反対するというのなら――私の論理の弱点を指摘したいとか、私の考えの間違いを暴露したいとかいうのなら、その場合には、あなたがそうするのを許す自由な言論の権利が、あなたにはあるということなのである。
以上ですが、なかなかにイミシンでしょう? 安倍政権が怒って、東大に「不適切な」入試問題を今後出さないよう、予算の脅しと共に注文をつけるかどうかは知りません。