大谷翔平に見る「今どきの日本の若者」の底力

2018.04.09.12:58

 エンゼルスの大谷が、三戦連続本塁打に加えて、投手としても「7回無失点・12奪三振の好投で今季2勝目」(朝日見出し)という驚異の大活躍を見せているようです。それでSHO Time なんて造語までできた。今後は警戒され、研究されていつまでも快進撃とはいかないでしょうが、現実離れのした凄さです。

 彼だけではない。平昌五輪男子シングル金銀メダルの羽生・宇野や、将棋の藤井聡太六段など、度胸も能力も満点の若者が今の日本にはたくさんいるので、今後日本は社会全体が大きな危機に見舞われるだろうと予測されますが、各分野で頼もしい若者が次々出てきて、その危機を救う大活躍を見せてくれるだろうと期待されます(ここに挙げたのは男子ばかりですが、それはたまたまで、女子にもいるはず)。ノーベル賞なども、愚かな科研費の大幅削減(安倍のアホに、海外歴訪のたびに無考えなバラマキをさせる余裕があるなら、もっと税金をマシなことに使え!)のために今後日本の受賞者はゼロになってしまうのではないかと言われていますが、科学や、人文社会科学を含めた各種の学問分野でも、大学者の卵はすでに出現しているでしょう。

 僕はながく子供相手の仕事をしてきましたが、飽きっぽい性格なのに予想に反してそれが長続きしたのは、「オトナは駄目でも、子供はまだ大丈夫」という感触がつねにあったからで、そういう思いを抱かせてくれたのは当の子供たちです。言葉で説明しろと言われれば難しいが、僕が接してきた子供や若者の多くは、ハートがあって、性格的にも感性的にも、頭脳の点でも、自分たちが子供の頃より「進化」してるなという感じがあって、育て方を間違えさえしなければ、将来が楽しみな子が多いなと自然に思えたのです。ちょっと見ただけではわからない「宝」を秘めている子が多い。少子化で過保護に育っているから駄目だというのは表面的な見方で、彼らはそんなにヤワではないのです。

 人間が生きるのに必要なのは、何より「希望」です。カネも最低限は必要だが、それは大した問題ではない。今の子供や若者に、従来の規矩では括れない豊かな資質をもっている子が増えているとするなら、僕らオトナのやるべきことは、少しでもそんな彼らへの妨害を減らし、環境整備を心がけることです。幸いなことに、あの超低次元の、戦前返り安倍政権もそろそろ終わりそうだし、「社会の無限後退」には歯止めがかかりそうです。

 今のような「かりそめの平和」が続くのは後せいぜい十年かな、と僕は見ていますが、「若者よ、大志を抱け!」で、将来活躍できるように、今のうちにしっかり勉強して能力を伸ばし、必要な教養も身につけておいてもらいたいと思います。

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スポーツでも勉強でも、結局は「やっている本人次第」

2018.04.07.15:53

 この件はやっと決着がついたようです。

・パワハラ認定、衝撃大きく=意見できなかった周囲―レスリング(時事通信4/7)

 第三者機関の調査で栄氏のパワハラ行為が明確に認定された。五輪4連覇達成で国民栄誉賞にも輝いた伊調選手に対しての、長期間にわたる嫌がらせ。レスリング界にとどまらず、スポーツ界に与えた衝撃は大きい。
 栄氏は強化本部長を辞し、代表強化の現場から身を引くことになった。長く女子の指導に情熱を注ぎ、日本に五輪金メダルを計11個もたらした名伯楽であることは間違いないが、選手への思い入れが強過ぎた。イメージダウンとともに協会にとっては大きな損失だが、福田会長は「本人が辞表を出していなければ、解任していたと思う」。スポーツ団体の不祥事に厳しい目が注がれる中、処分は避けられなかった。
 嫌がらせが始まったのは、2008年北京五輪後に伊調選手が東京に練習拠点を置き、愛知に拠点を置く栄氏の下を離れてから。関係者は「伊調に裏切られたと感じたようだ。離れると一気に冷たくなる人」と明かす。
 栄氏のパワハラ行為に感づいている関係者も多かったが、絶対的な実績を残している指導者に意見できる雰囲気ではなかった。「成果だけを見て、指導の中身については精査していなかった」。福田会長は管理が至らなかったことを認めた。
 今回の問題は、指導者の個人的資質だけに原因を求めてはならない。第三者機関の調査前、日本協会は「パワハラはなかった」とする見解を一度は文書で発表した。こうした不祥事への危機感が薄かったのは明らかだ。もはや暴力や権威で選手を縛ることは許されない。東京五輪まで2年。再発防止に取り組むとした協会と、レスリング界全体の姿勢が問われる。


「全く、心の狭い、クソみたいなオヤジだな…」と事件報道当初、僕は思いましたが、同時に、「こういう奴、よくいるよな」とも感じたので、いわゆる「熱血スポーツ指導者」にはありがちなことです。何かご本人がカン違いしている。そして「周りが何も言えない」というのも、中高レベルの部活あたりでも、いわゆる強豪校の監督・コーチなどに関して、よく耳にする話です。「絶対的な実績を残している指導者に意見できる雰囲気ではなかった」ということになるのです。

 こういうのは、しかし、「選手本人の資質と努力あればこそ」なので、優秀な選手が多く集まれば、指導者がよほどのボンクラでないかぎり、結果は出ます。コーチや監督の能力、指導方法のよしあしはむろん関係するが、結局は選手次第なのです。

 勉強なんかでもそのあたりは同じなので、僕は大学受験用の零細英語塾をやっていますが、「一を聞いて十を知る」タイプの自己修正能力の高い生徒は、最初は「どうもこれは無理っぽいな。志望校を下げさせないと…」なんて思ってたのが、「案外いけるかも」となって、最後には「大いに見込みあり」という判断に変わることもあるのです。そうなると大方は成功する。

 むろん、「十を聞いて一を知る」反対のタイプの生徒もいるわけで、嬉しくないことに、こちらも大方は予感(悪い予感の方)が的中したりするのです。僕は割と良心的な塾教師なので、生徒によって扱いが違うということはないよう心掛けているのですが、こういうところはいかんともしがたいので、「そのあたり、頭の使い方(と勉強方法)を変えた方がいいよ」と言っても、その意味がパッと分かる生徒とわからない生徒がいるのです。そこらへんがいわゆる「地頭の差」ということになるのでしょうが、そういうところまで教える側が変えることはできないので、結局は生徒次第なのです。

 地方の場合だと、学校の「指導」なるものにしばしば無茶苦茶なものがあって、そんなものにまともに付き合っていた日には、疲労困憊させられるだけで、その生徒の資質よりずっと低い大学にしか受からなくなってしまうので、「学校とは距離を取って付き合えよ」とアドバイスせざるを得ないのですが、こういうのは論外です。助けるのではなく、生徒の足を引っ張っているのですから。

 そういう「迷指導」は論外として、まともな指導でも、結局は生徒次第だということなので、わが零細塾は規模に比して難関大合格率はたぶん地域で一番のはずですが、僕がそういうことを宣伝しないのは、そのあたり「生徒次第」だということがよくわかっているからです。月謝を取って商売しているのだから、それなりの成果が出るのはあたりまえで、受かりそうな資質の持主が来ているから受かっているだけの話なのです。

 スポーツ指導者たちもそのへんはよく認識しておいた方がいい。あんた方の手柄ではなくて、選手たちの手柄なのだということを。端的に言えば、栄氏の場合、「頭が悪すぎた」のです。それが卑劣なパワハラにもつながった。

 ついでに、勉強のノウハウの話にも少し触れておくと、そういうものはたしかにあって、僕も適宜それは教えていますが、それがうまく活用できるかどうかは、これまた生徒次第なのです。機械的に真似てうまく行く方法なんて一つもない。そう思っていた方がいいのです。

 僕自身は非科学的な根性論が昔から嫌いなので、そういうものに頼らない勉強法が大事だと思いますが、よく生徒たちに言うのは、一人一人性格が違うように、頭にも皆個性があるということです。自分のそれがどういう性質のものであるかを発見して、その長所を伸ばし、短所を補うような勉強法を編み出すのが大切なことで、大学受験の際にそういうものの雛型となるようなものをつかんでおけば、大学入学後の勉強に役立つのはもとより、社会に出てからの仕事にも役立つ。それは「一生モノ」の宝になるのです。

 たとえば、僕は子供の頃から丸暗記が苦手でした。不思議だったのは、山や川で遊んでいて、そういうところの複雑な地形などは一瞬で記憶してしまうのに、教科書に書いてあることはまるで頭に入ってこないのです。中学生ぐらいになるとそれが顕著になってきた。ずっと後になってから、こういうのは「原始心性」の特徴の一つだとわかったのですが、それではこの文明社会に適応するには大いに不利です。もう一つわかったのは、自分に興味がないことはまるで頭に入ってこないということです。興味があれば、憶える気はなくても自然に憶えてしまうが、そうでなければ、いくら試験の必要に迫られても憶えられないのです。生まれる時代を間違えてしまったと言っても、後の祭りです。

 一方、あれこれ想像しながら考えるのは好きで、その意味では勉強に向いていないというわけではなかったが、ここまで暗記が苦手ではどうしようもないなという感じで、一夜漬け能力は人並にあったが、それは「超短期」で失われるのです。英語なんかは英単語を知らないとどうにもなりませんが、それが憶えられないのです。そして、フィーリングのレベルでも納得がいかないと頭に入らないという性質から、「納得がいかない」ことだらけの英文法なども、皆目頭に入らないわけです。それがいつのまにか英語教師になったなんてのは悪い冗談みたいなものですが、それを何とかするのに人知れず苦労したのです。

 たとえば、October という単語があります。これが「10月」の意味だと、僕の頭にしっかり入ったのは、octopus が「タコ」なのは、足が八本あるからで、oct-は8の意味だと、何かで読んで、なのにOctober が八月でなくて十月なのは、ローマ時代に月が二つ追加されて、元は八月だったのが十月になったのだと知ったときで、その瞬間に「なるほど!」と合点がいったのです。めんどくさいことこの上ないが、そういう頭の構造になっているのだから仕方がない。むろん、全部をこういうやり方で憶えたわけではないので、たとえばNovember などは、Nが数字の11に似ているというので憶えたのです。涙ぐましいでしょ?(他に、語呂合わせの単語集も最大限活用しました)。

 いわゆる「論理的思考力」なるものは、別に不足しているとは感じませんでした。だから根が文系頭ですが、数学は苦手ではなかった。あれは暗記に頼らなくて済むのも有難かったのです。じっと集中して、直観的に「わかった!」と閃いたときは快感です。

 こういうふうに、人の頭には固有の癖というものがあるのです。その癖を把握して自分なりの勉強法というものを編み出さないといけない。それができるかどうかが学力を伸ばせるかどうかの大きな鍵です。僕にとってはそこに「意味」を見出せるかどうかが鍵でした。

 各種の勉強法も、それを踏まえて活用するのです。でないと振り回されるだけになってしまうでしょう。その「頭の個性」を誤解して、人の助言を受け入れず、頑固に自己流をふりかざすのは愚かですが、何事も自分の頭に適合するようにアレンジする工夫が必要だということです。

 もう一つアドバイスすると、僕の場合はそういうわけで、面白いと感じられないと頭が働かない(だから今でもセンターの長文など読んでいると眠くなってくることが多い)ので、気になったことは道草を食って詳しい、余計な本まであれこれ読んだりしたのですが、そういうのも頭の幅を広げたり、思考力を期せずして鍛えることになるので、長い目で見ればプラスになるということです。何をするにも結局、大事なのは有機的な知識のつながりなので、「よけいなことをすると損だ」などとは考えない方がいいということです。塾の生徒たちを見ていても、そういう「余計な話」を面白がって聞いているような生徒ほど伸び幅が大きいので、「頭の遊び」は大切だということです。

 多少は参考になることもありましたかどうか…。

定員厳格化による「追加合格」激増の問題点

2018.04.05.16:43

 まずは次の日経記事をご覧ください。

大学の「駆け込み合格」増える 受験者、喜びと困惑

 これは大学受験関係者には事前に予測されていたことで、「文科省というのはやるべきことはやらなくて、混乱をもたらすだけのよけいなことばかりやりたがるな」と呆れられていたのですが、大方の予想どおり、多くの私大は正規合格者を減らし、足りなくなった分を補欠合格または追加合格で補うという「姑息な手段」に頼らざるを得なくなったのです。

 国立と違って、私大は併願がふつうで、同じ大学でも学部間併願もできるから、合格者を余分に(1.5~5倍ぐらい)出すが、その歩止まり率を事前に正確に予測するのはほぼ不可能です。ところが、アホな文科省は、入学者が定員の1.1倍以上になったら補助金を全額カットすると言い出した。仮にある大学のある学部の定員が300人だったとして、330人になったら補助金カットなのです。それでこれまでだと800人の合格者を出していたのが、これだとその許容範囲の29人をオーバーする可能性が大だというので、一挙に600人台に減らしたら、今度は100人近い欠員が出て、あわてて追加合格を3月中・下旬に出すことになった、というような話なのです。

 そしてこれは玉突き連鎖を起こす。A大に落ちてB大に手続きを取ろうとしていた受験生にA大から追加合格通知が届くと、B大が定員割れになり、B大に落ちてC大に手続き中の受験生のところに今度はB大から追加合格通知が届いて…というふうに、こういうのはおそらく一人や二人の話ではないので、ドミノ的に連鎖してゆくのです。

 その追加合格者の数が半端ではないのは、この記事からもわかります。上智は3月になってから600人もの追加合格を出したという。今年の分は未確認ですが、慶応など、昨年は追加合格が計1000人を超えていた(!)のです。そういうのが上から下へと降りてくるのだから、中位・下位校はモロにその影響を受けてしまう。

 私大の場合、昔から受験生は学費の二重払いが不要なように、C大の一次入学手続き締切日前にB大の合格発表があり、受かっていればC大は流して、今度はB大の締め切り日前にA大の合格発表があって、A大が受かっていればB大も流す、というふうにして、大体は二重払いしなくて済むようにしていたのです。国立前期が本命の場合は、そのA大に入学金相当額だけ収めておいて、国立に受かれば、それはそのまま流してしまう。この場合、私大一つ分の入学金は掛け捨ての保険みたいな位置づけです。

 今年のような状況では、しかし、私大間の併願でも入学金相当額を捨てねばならなくなる。もう一つ困るのは、連絡が来る時期が遅いので、アパート探しにも苦労するだろうということです。そして、その追加合格には、あらかじめ補欠として発表していた受験生の上からとっていくものと、いきなり追加合格の電話が入るものと両方あるようですが、補欠にカウントされていても、入学が許可されるという保証はないし、補欠の形で発表されていない場合には、追加合格は青天の霹靂みたいになってしまうので、どちらにしても受験生にとっては不安定な状態に置かれて、精神衛生上すこぶるよろしくない。入学予定だった大学の入学金(それ以外は戻ってくる)の支払いがよけいなだけでなく、アパートを探し直すのも二重手間です。

 要は受験生・保護者泣かせなだけです。なのにどうしてこういうことをするかというと、私大の4割強、無名私大のほぼ全部が慢性定員割れを起こしているので、文科省はそれら大学の経営悪化を防ぎたいという思惑があってのことでしょうが、実際はその効果はごく僅かなものでしかない。そういうところに行くぐらいなら浪人するか、専門学校の方を選択するという受験生の方が多いだろうからで、実質的な意味はあまりないのです。定員割れがひどくなりすぎて潰れる大学はそのまま潰してしまえばいいのだと僕は思いますが、文科省の役人はそうは考えないのです。安倍の「腹心の友」の加計孝太郎氏の加計学園グループなど、いくつもそういう大学を抱えているので、こういうのも「総理案件」の一つだとでも言うのでしょうか? 

「超過は定員の1割未満。でないと補助金を全額カットする」というのはやりすぎなので、「できれば定員どおりが望ましいので、1割前後の超過ですむように努力せよ。それ以上の場合には度合いに応じて補助金を減額し、25%以上の超過になった場合には全額カットする」ぐらいなら、大学としてもある程度の幅があるので、今回のような極端なことにはならずにすむでしょう。

 こういう対応は推薦をさらに増やして受験生を青田買いして、一般入試の定員をさらに減らすように、各大学には作用するでしょう。原則として、推薦だとほぼ確実に入学するからです。しかし、推薦の濫用がいいことだとは僕には思えない。もっと問題を全体的視野に立って考える知恵を文科省はもつべきで、受験生と保護者に無用な負担をかけるだけのことはやめるべきでしょう。センターを廃止して、民間の英語検定試験(それらは本来趣旨も目的も異なる)を活用するというのも、いい加減そのもので、現場の混乱は必至ですが、何につけてもやることが行き当たりばったりすぎるのです。

「麻布」が一流の学校である理由

2018.02.15.09:51

 最近このブログの更新がないというので、何かあったのではないかと心配してメールをくれた人がいますが、幸いにと言うべきか、残念ながらと言うべきか、僕はいたって元気です。大学入試シーズンに突入して、生徒の過去問答案の添削やら小論文の直しやら、授業にプラスしていつもより仕事が増えている上に、試験を受けるのは受験生ですが、コーチ役の塾教師も無意識レベルでエネルギーを使ってしまうというところがあって、いくつか書いてみたいことはあったのですが、いずれもかなりの長編になりそうで、そこまでの余力はないなと思っているうちに時間がたってしまったものです。

 悪いことに、今年はこれに冬季オリンピックが加わっているので、ほとんど見ないテレビも多少は見るということで、なおさら時間がない。「日本人は集団になって妙な応援の仕方をして、選手に『日の丸を背負って』式のつまらないプレッシャーをかけすぎるから、逆効果になってメダルが減る(またはメダルのランクが下がる)のだ」というのが僕の持論ですが、幸い選手たちは頑張って、金はこれを書いている段階ではまだないが、七つのメダルを獲得しているようです。スキーのジャンプなんか、それでなくとも厳寒の中、選手のことは考えず、何だってあんな深夜にやるのだと思ったら、放映権料を出すテレビ局の都合でああなっているのだそうで、ビジネス最優先の今の文明社会のえげつなさにあらためて腹が立ったりするのですが、こういうことだって、掘り下げて議論したりすると長い話になってしまうので、片手間には書けないわけです。

 そういうわけで、当分はまだ書けそうもないので、今回は前回書いたこととも関連しそうな記事のご紹介だけ。

 僕はこの校長先生の意見に全面的に賛成です。麻布は言わずと知れた東京の私立の名門で、各界に人材を多く輩出している中高一貫の男子校です。よりすぐりの秀才ばかり集めているからそれでも秩序が保てるので、フツーの学校でそんなことができるか、と反論する人もいるでしょうが、僕は「できる」と考えています。愚劣な管理統制教育ばかりやって生徒から自由を奪い、自主独立の気概を育てないから、大勢順応型の小粒の保守主義者ばかり大量生産してしまうのです。僕は関西のふつうの公立高校の出身ですが、昔は生徒の自由の度合いがずっと大きかった。今は社会の方は創造力・突破力と明確な個性をもつ人材を必要としている(でないとこのまま全体が沈没する)時代になっているのに、学校教育の方は逆行しているのです。それが深刻な問題であることに気づいている人が少ないらしいことに、僕はいつも呆れています。中でも学校の先生たちが一番その自覚に乏しい。

 それは「ヤバい」ことなので、このインタビューを読みながら、「教育は何のためにあるのか?」あらためてよく考えていただきたいと思います。コメントしたい箇所はたくさんあるのですが、それは機会があればまた他日ということにしたいと思います。

茶髪も私服もOK、校則のない「麻布学園」校長が語る「自由」を育てることの大切さ

「実用的な思考力」とムーミン

2018.01.16.17:23

 大学入試センター試験は13日、全国695会場で2日間の日程で始まり、初日は地理歴史・公民、国語、外国語の順に試験があった。地理Bの問題にアニメの「ムーミン」、日本史Bには各地の自治体のPRを担う「ゆるキャラ」が登場。教科書に載っていない題材を使った問題を、基礎的な知識を生かして解く「実用的な思考力」を試す近年の傾向が今年も見られた。(毎日新聞)

 このうちムーミンについては、「舞台は架空のムーミン谷であって、それがフィンランドにあるとの確証は何もない」という指摘がネットにあふれ、「大阪大大学院のスウェーデン語研究室は15日、ムーミン谷がどこにあるかは原作に明示されていないとして『舞台がフィンランドとは断定できない』との見解を明らかにした。正解とされたフィンランドの在日大使館は『皆さんの心の中にある』としている」(日経)という騒ぎになっているようですが、いい年したおじ・おばが“柔軟な”ところを見せようとして無理するとこういう結果になる、という見本みたいなものです。

「厳密な思考力」の持主はかえって迷うかもしれないわけで、結局のところ、この「実用的な思考力」なるものは、「出題者の意図を忖度する能力」ということでしかないでしょう。将来官僚や政治家になって、安倍晋三のような幼児人格のボスに仕えることになった場合、その「忖度」能力が重要になってくるから、早いうちからそれを養成しておきましょう、というようなものです。

 国語の現代文なんかは「出題者の考え」をどう見抜くかが一番重要になってくるわけで、僕も時たまセンターの国語も解いてみることがあるのですが、150点を切ることはまずないものの、一番失点が多いのは解きやすいはずの現代文なので、古文や漢文ではあまり落とさない。現代文はそれだけ微妙な解釈にわたることが多くて、「全部違うような気がするが、自分の解釈に一番近そうなのはこれかな」というのでえらんだら、それが間違っているわけです。学校の国語のテキストには「作者の意図・心情を読み取る」なんてコーナーがありますが、あれにしても、作者のそれというより、テキスト編集者が解釈した「作者の意図・心情」なので、作者本人に聞けば、「へえー、私はそういうふうに思ったわけですか?」というようなことになりかねない。げんに、「入試問題に使わせてもらいました」というので、作家のところにその問題が送られてきたので、作者本人が解いてみたら、多くが不正解だったなんて実話もあるのです。

 今年のセンターの英語でも、僕が間違えた大問3のBなど、大学生の議論にしては型にはまりすぎた平板な議論(いくら何でも程度低すぎでしょ?)が展開されるわけですが、映画といえばふつうはフィクションで、なのに大学生が作るものだからか、ドキュメンタリー制作の提案で始まり、ドキュメンタリーなのかフィクションなのかは曖昧なまま最後まで行っているように思われるので、㉚は1か3か迷うし、㉜は1か4で迷うことになるのです。こういうのは、むしろ「実用的な思考力」がある人ほど疑問に思うところではないかと思うのですが、いかがなものでしょう? 迷わせるにしても次元が低すぎる。「作成者の意図」からして、あれが正解だということはわかるとしても、です。いずれにしても、どうでもいいようなことに頭を使わされるだけで、こういうのは「英文を的確に読み取る能力」や「考える力」とはほとんど関係がないのです。大問5も、僕には笑えて面白かったが、昨日塾で生徒たちに聞くと、「タコ型宇宙人」が出てくるとは「想定外」で、途中でわけがわからなくなって、その動揺が尾を引き、いつもは全問正解できる大問6でまで失点してしまった、という生徒が複数いたので、予期せぬエイリアン登場(しかもタコ型というのは火星人の実在が信じられていた頃の話で、非科学的すぎる上に、今の若い子にはあんまりな話でしょう)でダメージを受けた受験生は相当数いたようです。あのへんは全部6点で配点が大きいので、そこで合わせて4~5問も落とせば、「死にました」となるのは当然です。そういう受験生は文字どおり「タコにされた」と諦めるしかなく、二次か私大の一般入試で「復活」してもらうしかない。今度は幽霊が出てくるかも知れない(実際、過去にその例はある)ので、今度は落ち着いてもらわねばなりませんが。

 ちなみに僕もムーミンがどこの国かは知りませんでした。作者はトーベ・ヤンソンで、北欧だということは知っていたが、それ以上のことは知らない。「フィンランドにきまってるでしょ、そんなことも知らないわけ?」とあるおばに呆れられましたが、世代が違うので、僕ぐらいのおじは『チロリン村とくるみの木』の世代なのです。おばはそんなものは知らないという。それで僕は、昔NHKの子供向けの人形劇にそういうのがあったのだと説明しました。『ひょっこりひょうたん島』の前がそれだったのだと言うとようやくわかってもらえましたが、当時はムーミンなんか子供の世界にはまだいなかったので、知らないのです。日本史か何かで、「ようやくテレビが庶民の間にも普及し始めた頃、NHKで放映されていた人形劇は次のどれか?」というような問題が出ることはありませんかね。たんなるクイズのレベルですが、それなら「ゆるキャラ」も同じでしょ? 受け狙いで、あんまり程度の低い迎合はしない方がいいように思うのですが…。


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