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河合塾の予想

2020.01.20.11:18

 生徒たちは今頃、学校で自己採点しているだろうと思いながら、これを書いています(なぜか早く目が覚めてしまったので、今朝は5時から起きている)。

 予備校の平均点予想というのはかなり外れることもありますが、河合塾は逸早くそれを「大胆予想」しています。

・センター試験予想平均点(速報版)

 これは受験生には「朗報」でしょう。平均点が文系・理系とも、20点ぐらい下がると予想されているからです。英語も、僕は125点と予想しましたが、これでは115点と、10点も低く出ている。受験生には喜ばしいことです。これは「河合塾講師による分析と、河合塾生約480人による即日自己採点に基づいて算出した速報予報」(リセマム)らしいので、僕のカンピューターよりは信憑性がある。駿台は、もっとデータを集めてから予想平均点を発表するのでしょう。

 これによれば、どうも数学が難しかったようです。両方合わせた平均点が5割しかない。英数で計23点の低下になっているので、平均点低下はそのせいだということになる。これはあくまで予想であって、もっと高くなって、去年とあまり変わらないことになる可能性もなくはありませんが、毎年、自己採点しながら泣き出してしまう女子受験生もいると聞いているので、こういう予想は慰めになるでしょう。

 センターの平均点が下がると受験生は志願先えらびが慎重になる傾向がありますが、今年は来年から新テストに変わるというので「超安全志向」になっていると言われているので、なおさらそうなるかも知れません。逆に言えば、二次の配点が圧倒的に高い難関大は狙い目になる。むろん、それは二次にある程度自信がある人にかぎりますが、今年は「逆張り」もいいかも知れません。

 二次の比重が低い地方国立大でも、判定がCやDでも受かることはあります。そういうのがうちの塾でも過去4人ほどいたので、彼らの場合は下げようがないから突っ込むしかなかったのですが、無理だろうと思っていたら受かっていた。聞けば、「ヤバい!」ということになって、科目が少ないから必死にやったら、予想外に二次はできたという話で、センターがそこまで悪いと落ち込んでいるゆとりもないので、目の色が変わって、それが幸いしたのです。そういうこともあるから、最後まで諦めないことです。こういうのは男子が多くて、「やっぱりセンターには魔物がいました」なんて言っていましたが、「魔物」は呑気に構えていた自分の方で、それ以前にちゃんとやっとかないからだと言ったのですが、尻に火がつかないと必死になれないタイプの生徒はいて、思いきり悪いと「まあまあ」のときよりずっと切迫感があるから、それが幸いすることもあるのです。

 これは実話なので、センターが悪かったという人でも、希望的観測に頼るのではなく、必死になれば二次の配点が300点程度でも逆転は可能だと信じて頑張ることです。まだ1ヶ月はあるのだから、目の色が変われば学力の飛躍的伸びは期待できる。よかった人も、守りに入ると勝負事は失敗するので、攻めの気持ちを忘れずに頑張って下さい。

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2020年センター英語平均点予想

2020.01.19.02:17

 いつもどおり、ネットに問題が出るのを待って、10時半からパソコンの画面で問題を解いてみました。この形式最後の今年は発音・アクセントで1問もミスらなかった自信があったので、初のパーフェクト達成の期待が(勝手に)高まりましたが、採点してみると不要文削除の㉘で間違えていて、わが得点は195点となりました。しかし、ここは5点と配点が大きいから何ですが、ミスが1問だけというのは僕としては「過去最高」です。問4は死ぬほど退屈な問題だったので、あやうく寝てしまいそうになりましたが、コーヒーの力を借りてそこを何とか持ちこたえたのがよかった。メールを書いたり、他の用事があってこれを書くのが遅れましたが、時間は計ってやっているので、インチキはなしです。

 問5はなかなか感動的な話でした。文学的な、幻想文学的なと言うべきか、そちらのセンスがある人は、あの the old man は愛犬の化身ではないかと思ったでしょう。警察に勤めたことがある、しかもドイツのルーツをもつ、というあたりでその思いはさらに強まり、Tomo という犬の名前が彼の口から出たところで確信に変わる、といった感じでしょうか(犬につけていたタグをその老人が拾っていたからわかった、従ってあれはふつうの人間だったと解釈することは可能ですが)。ともかく、あれは僕好みの話でした。今回のセンターの白眉と言える。現実派の真面目な受験生は「これは一体何なの?」と思ったかもしれませんが。

 それで、僕のカンピューターによる予想平均点ですが、125点ぐらいでしょう。文法は、「このあたり要注意」と塾で教えたのが三つ、四つ出ていたので、とくにわが塾の生徒たちの出来には期待しているのですが、ちょっと気になったのは、⑨のところで、あれはうしろの ends が問題なので、end と単数になっていれば、either なのです。either には「両方の」の用法があって、私大では出ているのですが、それを知らないと引っかけられるので、後ろが単数になっていれば either を使い、複数になっていれば、both sides (ends)というふうになると教えたのですが、前の部分の説明の印象が強すぎて、逆に引っかかってしまった生徒がいるのではないかと、少しそれが心配です。either にそんな用法があるのを知らない受験生の場合には逆に引っかからないので、あれはその意味である程度学力のある生徒を念頭に作られたものです。

 国語は、河合塾の予想では「易化」と出ているので、明日(すでに今日ですが)の数学が難しくなければ、総合平均点は高く出るかもしれません。

最後のセンター試験

2020.01.16.17:10

 いよいよ明後日となりました。

 来年からの新共通テストなるものがどうなるのか、英語の民間試験導入も国数の「記述」も見送りになって、要するに目玉は全部潰れて、それでも残りをそのまま実施するつもりなのか、さっぱりわかりませんが、「元通りセンターを継続する」とは文科省や関係したセンセイたちのメンツがあるので言えないのでしょう。今の日本社会の最大の問題点はこの「オトナのメンツ」というやつで、ほんとの仕事というのは問題本位でやるべきなのですが、関係者の犬も食わないプライドがその邪魔をする。それがどれほどこの社会を腐らせているかという自覚はない。困ったものです。

 とにかく31年続いたというセンター試験は今回で終わりで、僕はいつもここでセンター試験の英語を「眠たい試験」と悪口ばかり言ってきましたが、これで終わりかと思うとそれなりに感慨深いものがあります。センター試験というのはひとくちに言うと、「それだけ出来たからといってどうということはないが、できないと困る試験」です。難関大なら全科目トータルで8割前後は必要で、東大・京大、医学部は9割前後必要というのは、学校の定期試験ではあるまいし、思えば恐ろしい試験です。全体ではものすごい暗記量で、それで8割、9割取れるなんてすごいなと、昔から暗記が苦手だった僕などは素直に感心します。新テストも基本的にそこは変わらないようですが、僕が今の高校生なら発狂してしまうのではないかと思うほどです。今の日本の高校生たちはほんとにエラい。

 だから、たとえ6割、7割しか取れなくても、君らは頭がいいのだと僕は言うのですが、一般のオトナはその大変さを知らないから、「たったこれだけしか取れないのか!」なんて言うのです。尤も、今の親の世代は大卒なら、共通一次を受験した世代だから、そう言う資格はあるのかもしれません。しかし私大卒なら自分は3教科で済ませていたわけで、それには知らぬ顔しておいて、わが子には国立受験を強いて、「この程度の易しい試験で8割も取れなくてどうする!」なんて脅すのは、フェアではないでしょう。一つ一つの試験は難しくなくても、科目が多いから暗記するだけでも大変なのです。

 たとえば、理系の工学部なら、英語、国語、数ⅠA・ⅡB、物理、化学(どちらも発展の方)、社会一つはたとえば日本史とか、これに二次では数Ⅲが加わるから、結構な量です。文系だと、英語、国語、数ⅠA・ⅡBまでは同じで、こちらは社会が二つ、たとえば世界史と地理Bとか、日本史と倫政経などの組み合わせになって、理科は基礎二科目、たとえば生物と化学といった組み合わせになるのです。むろん、学校の定期試験とは違って、出題は全範囲からです。昨日も生徒の一人が授業前に何か見ているから、それは何なのといって見せてもらったら、化学の暗記事項がびっしり書かれていて、見ているだけで頭痛がしてきましたが、全体としては膨大な暗記量です。興味があろうがなかろうが、大方は学校の教科書というのは恐ろしく退屈なものなので、そこに「知的興奮」なんてものはあまりなさそうですが、我慢して詰め込まなければならないのです。

 それで暗記に忙殺されてヘトヘトになっていると、今度は「今どきの子供は暗記ばかりで考える力がない!」などと言い出す。それで思考力、記述力を見る要素をさらに付け加えなければならないと言うのですが、暗記量は減らさず、面倒なものをさらに追加するだけ、ということになると、それはたんなる虐待ではありませんか? しかも、制度設計がメチャクチャで、ここをこうすればどうなるという全体の見通しがまるでなくて、今回の「改革」なるものはそれで頓挫したのだから、オトナの側に「考える力」がまるでないのが歴然としていて、高校生の側からすれば、「あんたたちにそんなこと言われたくないわ」ということになってしまうでしょう。この前ここで取り上げた旗振り役の鈴木寛・東大&慶大教授の、嘘と誇張と我田引水にまみれた出鱈目きわまりない言い分など読んでいると、日本の大学教授の知的レベルもそこまで落ちたかと慨嘆せざるを得なくなるので、問題なのはむしろ今のオトナのヤマイダレのついたチセイの方なのだということがはっきりするのです。お友達人事が目立ちすぎる安倍政権ではとくに、教育再生会議とか何とか、メンバーの選び方に難がありすぎるので、もっとマシな学者・教育者たちを集めて議論していただきたいものです(上の鈴木寛氏など、元は通産官僚、政治家で、元々が研究や教育畑の人ではないわけです。世渡り上手で、政治家時代は民主党だったのに、自民の有力者たちとも仲良しで、権力者に取り入る能力は抜群らしいから、東大や慶大はそこを見込んで彼に教授職を与えたのでしょうか?)。

 ともかく受験生たちはまずこの「暗記たくさん」のセンター試験をクリアしておいて、二次の本格的な学科試験に臨まなければならない。本格的な勝負は後者で、大学入試らしいのもこちらの方で、英語の試験なども二次にはレベルの高い問題が多いので、真の学力が試されるのはこちら、と僕は見ているのですが、多くの受験生はセンター用の暗記にエネルギーの大半を奪われてしまうので、そうでなければもっと緻密に、知識に有機的な関連性ももたせて、ていねいに深くものを考える力も身につくのではないかと、僕はいつも思っています。ここらへん、入試制度改革を考える人たちはもっとよく考えてもらいたいのですが、表面的なことに終始して、いたずらに受験生の負担を増やす方にばかり行ってしまうのは遺憾なことです。

 何はともあれ、受験生たちは結果の心配はあまりせずに、自分のこれまでの努力に信頼して、もてる力を出し切るつもりで頑張って下さい。これだけ科目が多いと、完全な準備などというものは誰にもできないのだから、不安になる必要はありません。人間の体というものは自分が信頼してあげないとうまく働いてくれません。脳はとくにそうなので、自分の頭を信頼してあげれば、それに見合った働きをしてくれるものです。ミスに過度に神経質になると逆にミスが増えてしまうということもあるので、思い切りのよさが大切です。

 うちの塾では、次の週にセンターの得点を集計して、生徒別に志願先の選択も含めてどうするかを相談し、決まったらそれに合わせた戦略的学習をするということにしている(二次に英語がない場合はその段階で終了)のですが、センターが予想を下回った場合でも、その時点でうまく戦略を立てて対応すれば、結果は吉と出るものです。

 だから二日後の最後のセンター試験、受験生諸君はあまり先の心配はせずに、落ち着いて頑張って下さいね。

大学入試新テスト「記述」推進者に見る“東大話法”

2019.12.21.16:15

 新しい「大学入学共通テスト」なるものは“挫折”が続いていて、英語の民間試験導入の見送りに続いて、国語と数学の記述式も見送られ、「ゼロから見直す」方針が萩生田文科相から示されたそうです。まずはよかった、受験生、という感じですが、文科省やこれを推進してきた学者先生たちの面目は丸潰れで、マスコミ報道が間違っていたからこうなったというような責任転嫁発言をしている先生もいます。以下は、「この大学入試改革を構想し、陣頭指揮を執ってきた…東京大と慶應大SFC(湘南藤沢キャンパス)の教授を務める鈴木寛氏」へのインタビュー記事です。

大学入試のマークシート偏重に識者「将来の失業者量産」危惧

 突っ込みどころ満載の記事で、ふつうの「読解力」と「リテラシー」さえあれば、高校生でもこの先生が論理の詐術にふけっているだけなのはわかるのではないかと思います。「考える力」がなくても、詐欺的なロジックを操る力さえあれば、今の東大や慶応の教授(ほんとに両方を兼務しているらしい)は務まるのかと、皮肉の一つも言いたくなります。学生がかわいそうなので、もっとマシな学者を雇った方がいいのではありませんか?(東大はこの前も、特任教授だか何だかが「不適切発言」をして騒ぎになったばかりです。)

 引用しつつ、順にコメントしていきましょう。

 マークシート試験というのは、「人から与えられた選択肢の中から、一つ一つ重箱の隅をつつくように間違いを探して、消去法で正解を選ぶ」という試験です。だから、マークシート試験の訓練をしていると、ミスや欠陥を見つけるのが速くなる。解答が1段ズレたら0点になるから正確さも求められる。これまでの工業社会では、マークシートで測れるような能力が必要とされていました。工場の生産ラインでは機械が製造をしても、製品の欠陥を見つけるのは人間の仕事だったのです。今まではそういった仕事が他にもたくさんありましたが、シンギュラリティの時代にはAIに取って代わられるのです。

 ややこじつけ気味ながら、一般論としてはそうも言えるかなという感じで、このあたりはまあいいとして、問題はここからです。

 だから、新しい学習指導要領や大学入試改革は、AIを使いこなし、AIにはできない、人間にしかできない能力をいかに身につけさせるかを主眼に置いています。また、学習指導要領でも「言語活動の充実」を掲げ、「書くこと」「読むこと」を重視してきました。にもかかわらず、“入試に関係ない”多くの高校の現場では記述・論述に力が入れられてきませんでした。もちろん、東大や京大、一橋大など国立のトップ校の二次試験や、私立でも慶應大の入試では以前から記述式を導入しています。こうした大学を狙う受験生は“入試に関係ある”ので、思考力や判断力、表現力などを伸ばす勉強を熱心にしてきました。しかし、これまで国立大の約半分と慶應大以外の私大はマークシート試験のみだったのです。

 揚げ足を取るようですが、「国立大の約半分と慶應大以外の私大はマークシート試験のみ」というのは嘘で、国立で二次の学科試験があるところはふつう記述式が入っているでしょう(昔から)。私立も、今は英作文だけ記述式にしたり、下線部訳を書かせる問題を含めるなど、可能な範囲で対処している。

「“入試に関係ない”多くの高校の現場では記述・論述に力が入れられてきませんでした」というのも意味が不明確で、入試に「記述式を導入して」いる「東大や京大、一橋大など国立のトップ校」や「私立でも慶應大」などを受ける生徒は、「“入試に関係ある”ので、思考力や判断力、表現力などを伸ばす勉強を熱心にしてきました」ということになっているので、文脈から判断して、それ以外のいわゆるフツーの大学を受験する生徒は「“入試に関係ない”」方にカウントされているようです。

 意地が悪いと言われるかもしれませんが、こういうふうに、東大と慶大の両方の教授を務めるというこの大先生の仰ることには、何となく論理の体裁は取っているものの、何を言っているのかをあらためて考えると、著しく明確さに欠けるところがあるのです。

 それで、“非名門”大学への進学者が多いフツーの地方の県立高校などは「“入試に関係ない”多くの高校」に入り、そうした高校の教育「現場では記述・論述に力が入れられてきませんでした」という意味なのだと解釈してみましょう。この「記述・論述に力が入れられて」こなかったという言葉も、それは具体的にどういう意味なのかは不明で、どこの高校でも、教材はマーク式問題集ばかりで、定期試験もマーク式だけ、というような話は聞いたことがありません。げんに僕が塾で相手にしている高校生たちが通う学校では、ふつうに定期試験は記述式です。授業でも、マーク式の問題ばかり解いているわけではない。

 問題点は別のところにあって、試験の形式は「記述式」でも、しばしばそれが「暗記したことを書く」だけになっているのが問題なのです。塾の生徒に、英語の定期試験の範囲で疑問点があったら質問していいよと言うと、彼らは「ただの暗記ですから」と笑って言います。応用力を問うのではなく、ただ暗記したことを書かせる。そういうつまらない試験を作るのは大学入試とは無関係で、多忙なせいかどうか知りませんが、今の先生たちにはそういう工夫がないのです。

 僕の塾の授業は長文読解がメインですが、英文法や語法が弱い生徒相手に、市販テキストを教材に使って教えることがあります。それで単元ごとに確認テストを作ったから復習しておいでと言うと、彼らは学校の定期テストのときと同じ要領で丸暗記だけしてくるのです。ところが、そのテストプリントを見ると、同じ問題ではない。前にそれを見て「エグい!」と叫んだ生徒がいて、笑ったのですが、僕が見ようとしているのはやったことをただ暗記しているかどうかではなく、それを理解しているかどうかなのです。同じ問題でなくても、説明をちゃんと聞いて、それを理解し、応用できるようになっていれば解ける、そういう問題を作っているのです。そういうふうにするのが勉強というものなので、理解なしの機械的な丸暗記なんて、何の役にも立ちません。そういう勉強の仕方では駄目なのだということを、頭を使うとはどういうことなのかをおわかりいただくために試験はあるのです。今の学校は、名門高校などでは違うのでしょうが、そうはなっていないことが多い。それは大学入試のありようとは無関係です。また、記述になっていればいいというものではないので、僕が作るそれにはむろん四択問題も、並べ替えも、空所補充もあります。暗記したことを書くだけなら、記述には記述の意味がなく、逆にマークだからといって考える力が問われないということもない。形式だけ見てとやかく言うのはナンセンスに近いのです。

 とりあえず、次に進みましょう。

 そこで、記述式導入について大学入試改革では3本の柱を立てました。1本目は、国立大はすべて二次試験を記述式にする。これで国立大学はこれまで4割だった記述式試験の割合が9割にまで上がった。2本目は、私学の雄である早稲田大学が記述式に変える。そういう改革を強くお願いし、早稲田は自発的な判断で、記述式導入に留まらず、文系でも数学を必須にし、英語も4技能(読む、書く、聞く、話す)を問う試験に変えるなど、入試の大改革をしました。予備校の私大受験指導は早慶受験が基準になるので、早稲田も記述式になると予備校の指導はガラリと変わります。最後の3本目が、共通テストでの記述式導入です。

 この3本柱の内、国立大と早稲田大学の2つについてはほぼ達成できました。都市圏では早慶、地方では国立大の影響が大きいので、そうした大学に生徒を送り出す高校の学びは大きく変わるでしょう。しかし、問題はやはり早慶以外の私大です。早慶は独自に記述式試験を実施する体制も能力もありますが、他は難しい。このままだと他の私大を受ける受験生は、相変わらずマークシート向けの受験勉強をすることになる。だから、3本目の柱として、私大も利用する共通テストに記述式を導入しようとしたのです。


 おやおや。今度は自分の働きかけのおかげで、「国立大学はこれまで4割だった記述式試験の割合が9割にまで上がった」とのたまうのです(ほんまかいな)。それなら、センターに記述式を導入する必要はもうなくなったわけです。違いますか? 次も笑えます。

「2本目は、私学の雄である早稲田大学が記述式に変える。そういう改革を強くお願いし、早稲田は自発的な判断で、記述式導入に留まらず、文系でも数学を必須にし、英語も4技能(読む、書く、聞く、話す)を問う試験に変えるなど、入試の大改革をしました」

 今年の段階ではまだそうはなっていませんが、早稲田は政経で2021年度から数学を必須にすると発表しています。それのことなのでしょう。しかし、それはこれからの話だし、今のところそれは政経だけで、数学能力が必要な商学部あたりならまだしも、たとえば文学部が数学を必須にするなんてことはまずないでしょう。また、早稲田が入試を全面的に記述式にするなんて話、聞いたこともありません。受験人数の多さからして、それはまず不可能でしょう。言うことがいくらか出鱈目すぎるのではありませんか?

 ついでだから訊きますが、早稲田は条件英作文など、ごく一部に書かせる問題はあったものの、昔から記号選択方式です。低級知能パズルじみたそれを、僕の時代もウンザリしながら解かされたのです。僕は法学部でしたが、難解として悪名高かった国語の問題など、予備校によって記号問題なのに、正解とされるものがマチマチになっているケースも珍しくなくて、しばらく前の入試問題にも問題文に面白いのがあったので、ついでだから難関国立文系志望の生徒に解かせたのですが、三つの大手予備校の答が全部違う設問があって、「そんなことってあるんですか?」と生徒は驚いていましたが、どれが大学側によって正解とされているのかは謎なので、最低点スレスレの受験生だと、純然たる運が合否を分けることになるわけです(大方の設問は正解の判断も一致するので、実力のある生徒ならその程度で合否が左右されることはないでしょう。僕がやらせた生徒もよくできていました)。

 話を戻して、何を言いたいのかと言うと、僕らの世代も記述式の試験を受けていないわけですが、だからといって当時は記述能力に乏しくて、文章を書くのが苦手だなんて学生はめったにいなかったので、早稲田のOB、OGは物書きやジャーナリストがやたらと多いことからしても、「マーク式の試験で入ったから、記述能力が低い」なんて因果関係は成立していなかったわけです。いや、早稲田の学生は昔は東大落ちが多かったから、そのおかげで記述力があったのだ、なんてのは嘘で、そうでない学生も試験とは無関係に記述能力はもっていた。げんに僕は文章能力がないなんて、子供の頃から一度も言われたことがありません(だから英語や国語の場合、東大京大の記述問題にも対応できた。マーク式だからではなく、数学が苦手だからとか、科目が少なくて済むから私立にしたという学生が、今は知りませんが、昔は多かったのです)。今の受験生の記述能力が低下しているとすれば、それは別の要因によるのです。

 続けましょう。「早慶は独自に記述式試験を実施する体制も能力もありますが」と持ち上げておいた後で、「このままだと他の私大を受ける受験生は、相変わらずマークシート向けの受験勉強をすることになる。だから、3本目の柱として、私大も利用する共通テストに記述式を導入しようとしたのです」というのも論理のペテンで、それは国立受験生がスベリ止め用に受ける「センター利用」のことを言っているのでしょうが、それで入る生徒はごく僅かで、主力は大学別の個別試験(センター利用はハードルが高いので、国立の併願組でもこちらを受けることが多い)なので、新テストに記述式を入れたからといって、私立第一志望の受験生には関係がないのです。

 ここまでで、すでにして彼の論理はすべて破綻している。国立は二次に記述があるから、共通テストに記述式を入れる必要はない。私大だけ受ける生徒は、共通テストは関係ないから、それに記述を入れようがいれまいが、影響はないわけです。

 大体、前に筑駒生の記述式批判の記事を引用しておきましたが、新テストご自慢の記述式自体が、体裁が記述式になっているだけで、機械的な「当てはめ」能力を問うものでしかないのです。まさにそれこそが「AIにとって代わられる能力」なので、意味はない。記述式=考える力が問われるという図式自体が、安直かつ機械的すぎるのです。

 僕が問題だと思うのは、この程度のオツムの先生たちが入試制度いじりに暗躍しているということです。この人、東大法学部を出ているそうですが、中学レベルの数学もおぼつかないらしいのは、次の文を見てもわかります。

 大学への進学率は現在5割ですが、2割がトップとして、トップ校だけでいいとなれば(AI時代は)8割が失業することになる。しかし、共通テストに記述式を導入すれば、高校の校長たちが強くその重要性を意識し、大学受験生が学ぶすべての高校の教育が変わり、進学せずに高卒で就職する人たちも含めて恩恵を受けられる。すべてとは言いませんが、全体の8割くらいに影響が及ぶはずです。

 これ、どういう計算になっているのでしょうか? 5割のうちの2割(そう解釈しないとトップが多すぎることになる)ということは、残り5割は大学進学しないのだから、全体から見れば1割でしょう。そうすると9割は失業するということになります。次の、「大学受験生が学ぶすべての高校の教育が変わり、進学せずに高卒で就職する人たちも含めて恩恵を受けられる」というのも意味不明です。商業、工業など、大学進学者が少なく、大学受験を前提にした指導をしていない学校が、どうして大学進学共通テストの記述式の恩恵を受けるのでしょう? 公立の場合は、普通科、職業科の学校を教師が行き来するから、校長や教員の側の「意識改革」が起きて、それが全体に波及するとでも言いたいのでしょうか?

 大体、あの程度の「記述式」が何かを大きく変えることはないわけで、よくもこんな誇大妄想的なことが言えるなと感心します。その後、「採点のブレ」批判に反論を試みた箇所で、フランスのバカロレアの話が出てきますが、新テストのつまらない添え物の「記述式」と、あれは全然異質のものです(説明はネットにも出ているでしょうから、各自お調べください)。こういう緻密さゼロのお粗末な議論を得意げにしている鈴木教授があれを受験すれば、悲惨な点数になってしまうのではないでしょうか。フランスのリセには授業に哲学があって、バカロレアにも含まれているようですが、とくにそれで目も当てられないことになってしまうでしょう。

 次のこれも、感心しかねる議論です。

 それと、面白い話を聞きました。私も、最初、「バイト?」と思ったときがありました。担当者に聞いてみると、民間の模擬試験会社は何十年も模試をやってきて、様々なノウハウを持っています。これまでも、教員OBや現役の教員、大学院生、大学生のバイトを雇って長年にわたり採点をしてきたわけですが、実は、もっとも採点のブレが小さいのは、「優秀な大学の大学生」だそうです。高校の時から記述式試験のための勉強をしっかりやって難易度の高い入試を突破してきた学生ですし、教員と違って指導経験がない分、採点基準を忠実に守るそうです。高校教師は、自分が教えてきた生徒のレベルに引っ張られてしまい、採点基準で示しても、独自の基準で採点してしまう人も多いそうです。なので、バイト云々よりも選抜と研修が重要だそうです。なるほどな、と思いました。

 僕はかねて生徒たちに、「模試の採点と二次本番の採点はかなり違うよ」と言っています。記述式模試の採点基準なるものはかなり機械的です。バイトを使うとなるとマニュアル化しないといけないからで、要素としてこれとこれとこれが入っているか、とか、部分をチェックして、文章が全体としては成立していないようなものでも、そういうのが入っていればかなりの高得点がもらえるようですが、本番ではそうはいかないだろうと見ているからです。そのあたりはよくわかりませんが、「予備校の解答と全然違うんですけど」と入試後生徒が言ってくるとき、どんなふうに書いたのときいて、「君ので大丈夫だよ」とか、「それはちょっとズレすぎだね」「日本語として成立していないからまずいね」と答えたりするのですが、後で得点開示で知らせてもらった点数を聞いて、自分の見積もりに近かったということが多いので、ある程度読みは正しいかなと思っています(難易度がそう高くない大学だと、採点が甘くなって、僕の採点より得点が高く出ることが多い)。そういう意味で、僕は模試の採点を全面的には信用していないので、「この子はいい日本語書くなあ」とか、「頭が緻密で、まとめるのがうまい」とか思う生徒は、たいてい二次の成績もいいので、本番の採点の方が全体をよく見ている印象を受けるのです。

 二次の記述式の場合は、その大学の先生たちがそれぞれ心血を注いで採点業務に当たり、いわゆる「筋のいい答案」とそうでないものとを見分けて、それにふさわしい点数を与えるようかなりきめ細かく対応しているでしょう。僕自身はそういうマニュアル化が難しい点に記述問題採点の命が宿っているように思うので、マニュアル化された模試の採点を基準にしてどうのこうの言うのは説得力に乏しいと感じられるのです(50万人分の答案を相手に、高度なことは初めからできない)。

 要するに、自分の保身のために無責任な思いつきを並べ立てているだけ、というのがこの先生の言い分を読んだ僕の印象です。僕自身は、前からここでも言っているように、よけいな代わりの新テストを作るのではなく、センター試験そのものを廃止してしまえばいいと思っています。国公立も共通一次以前の大学別の個別試験だけにすればいいのです(当時は東大だけ独自の一次試験をやっていて、それは今のセンターよりずっとマシなものだった)。そうすれば、センター対策、二次対策と分けて、受験生が無駄に多忙になることも少なくて済むわけで、そちらの方がよほど合理的です。その場合、国立でも文系は理科なし、理系は社会なしという大学があってもいい。あるいはICUみたいな教科横断的な総合基礎学力テストに、重要教科だけ本格的な試験を課す、というのでもいいわけです。大学院の試験のような英語と目方のある小論文による入試も可。そこらへんは大学に大幅な裁量権を与えるのです。

 しかし、そこまでは今の状況を見るとなかなか踏み込めないでしょう。だったら、これまでのセンター試験で何が悪いのかということになるので、中途半端なおかしなことをやるより、そのままにした方がずっとマシなわけです。

 私大はマークだから駄目(私立のみ受験する生徒は将来AIにとって代わられて確実に職なしになる?)という議論についても、ものは考えようなので、彼らは受験科目が少ないから、国立受験組が多科目の勉強に追われる中、好き勝手本を読んだり、考えごとをしたり、ネットで調べ物をしたりといったこともできやすいわけです。それをすれば問題ないので、他科目の受験勉強で手いっぱいの国立受験生より、そうした活動を通じて読解力、記述力をつける機会はむしろ多くなると言えるかもしれない。

 全般に、今の高校生の読書量の少なさにはかなり驚くべきものがあるので、だから大学生も本を読まなくなっているわけです。こういう傾向はすでに90年代には歴然としていましたが、今はそれがもっとひどくなっている。それで記述力、文章力がつくわけはないので、原因は試験がマーク式だからではなく、本を読まないからです。昔の受験生は、少なくとも一定レベル以上の大学を受験する生徒は、受験とは別個にかなりの量の本を読んでいた。背伸びをして、かなり難しいものも読んでいたのです。だから試験がマークであろうと何だろうと、そんなこととは関係なく、読解力、記述力があった。

 英語に関しても、ある程度基礎ができれば、興味のある分野のペーパーバックを読んだり、対訳本を読んだりしていたので、そういうことが学力の底上げにつながった。今の時代だと、洋書は安くなっているし、インターネットで外国の新聞も読めるし、ニュース映像も見られる。Youtube で英語字幕、日本語字幕付きの良質なドキュメンタリーを視聴することもできるし、DVDでもネット配信の映画・ドラマのサイトでも、自在に字幕の切り替えが可能で、どこかのサイトに英文でメールを書けば、返事が返ってくるのです。その気になれば、スカイプ(無料)で外国人と直接会話もできる。そういうのとうまく付き合うことができれば、いわゆる「四技能」も自然に向上するでしょう。非常に恵まれた環境の中に今の子供たちはいるのに、それがほとんど活用できていないのです。

 大きな原因の一つは、今の過剰管理の学校にあります。最近は廃止するところが増えていますが、九州地区の公立普通科高校には、朝課外なんて傍迷惑なものまであって、生徒を寝不足にして学習効果を下げるだけだからやめろと言っても、まだしつこくやっているところがあるのです(九大はこれを問題視しているらしく、2009年、2018年と、二度にわたって「睡眠不足の深刻な害」を説く英文を出題した)。これに「君らはオリンピックの強化選手か?」と言いたくなるような長時間部活が加わり、宿題もどっさりということになると、他に何をする時間もなくなってしまう。夏休みなんかも、夏課外なんて有難くないものがあって、半分か、ひどい場合は三分の一に削られるのです。

 それで、学校の授業が退屈極まりないものだということになれば、生徒を無駄に疲弊させ、学力の伸長を妨げているだけということになる。最近は減っているようですが、これに教師のパワハラまで加わると最悪で、そんな学校ならない方がマシだということになってしまうのです。こういうの、センターに記述があるかないかとは何の関係もない。

 だから、鈴木教授のような、学校が大学受験指導を丸抱えするのが当然みたいな前提の議論は、それ自体が問題含みと僕には思えるのです。生徒たちにもっと自由な時間を与えるべきで、そうすれば彼らはもっと自分で工夫して勉強するすべを身につけるでしょう。今の子供たちは自由な野遊びが足りなかったことや早い時期からの塾や習い事が災いしているのか、自分で工夫するすべを知らず、何でもすぐに「どうすればいいですか?」とききます。これに加えて、学校の方は聞かれてもいないのに、ああしろ、これをやれと先走って指図するのです。しかも、しばしばそれが一貫性のない、混乱したものでしかない。それでは「自分で考える力」などつくはずがない。むしろひたすら低下するのです。今の学校は「AIにとって代わられる人材」の量産に一路邁進しているわけです。これはその下の中学、小学校も基本的に同じです。僕はわが子が小学校低学年の頃に、母親がうるさく言うので仕方なく参観授業というのに出たことがあって、そのとき見た光景から、これは「悪しき家畜化教育」以外の何物でもないなと思い、危機感を覚えたので、その影響力を殺いでわが子の「家畜化」を防ぐことにひそかに意を用いてきました。学校も親も権威視せず、野生動物らしい自由に感じ、考える能力を維持し、育てるようにしたつもりですが、概してそれは成功したように思われるのです(その結果、ものおじせず単身どこにでも出かけていく人間になったのはいいが、西洋古代史なんて、「AIにとって代わられる」以前に、この実用重視の時代にはそれ自体が消滅しかねない分野を研究する“絶滅危惧種”になってしまったのですが)。

 昔も学校は退屈なところでしたが、今ほど余計なお世話はしなかったので、そこに大きな取柄があった。「学校教員のブラック職場化」が話題になる昨今、むしろ活動を縮小するのが望ましいと言えるでしょう。学校に子供を長時間縛りつけることをやめ、基礎だけしっかり教えることに注力し、あとは聞かれた時には適切なアドバイスができるだけの情報と教養をもち、生徒に勝手に勉強させた方がいいのです。とくに英語の勉強など、先に述べたように、今のネット環境では豊富な教材があるのです。学校の刺激に乏しい下手クソな授業(失礼!)と長時間拘束のせいで、そういうことが何もできなくなってしまうというのでは本末転倒で、生徒の足を引っ張っているのと同じなのです。

 生徒や保護者も、学校に過度な期待をもちすぎるのが悪いので、勉強も自分で工夫してやるすべを学ばなければならない。それこそが「将来AIにとって代わられない」人間になる方法なのです。むやみと権威に弱くて、鈴木教授のような人の議論のインチキ性も見抜けないようでは、見通しは暗いでしょう。

 そろそろ終わりにしようかと思ったら、上のインタビューの第二弾が出ていて、これもかなり笑えたので、それに触れて終わりにします。

大学入試改革が頓挫か キーマンが明かす「抵抗勢力の正体」

 詐術的な論理がここでも全開ですが、次の箇所を見て、僕は思わず失笑しました。

 だからもう、全国規模の改革は諦めて、全国一律のセンター試験を廃止し、各大学が独自に入試を実施する方式にすればいいのではないかと思います。学習指導要領を大括り化し、センター試験をやめるという案はありました。これにも、全高長は反対。大学ごとの入試になれば生徒の個別指導をどうしていいかわからず不安だからではないでしょうか。とにかく現状からビタ一文変えさせないのです。

 前の部分は、僕がかねて言っていることと一致します。新テストの添え物「記述」に意味がないことはすでに述べたので繰り返しませんが、それなら初めから廃止に舵を切って、愚劣な折衷案など出さなければよかったわけです。適当な思いつきをベラベラしゃべる御仁(ついでですが、「ビタ一文負けない」という表現はあっても、「ビタ一文変えさせない」なんて日本語はありませんよ)なので、こういうのも「都合が悪くなったからこう言う」みたいな感じで、信用はしかねますが、彼の語り口は福島原発事故のとき安冨歩・東大教授(出身は京大ですが)が指摘された「東大話法」を改めて思い起こさせます。次のウィキペディアの記事の「東大話法規則一覧」をご覧になって、この鈴木大先生の論法がいかにそれによく一致するかをご確認ください。知的誠実さも頭脳の緻密さも持ち合わせない、この程度のセンセイたちを入試改革や教育問題に関与させるのは、もういい加減にしなければなりません。かかる無責任な制度改悪は、原発事故に劣らないほどの「教育大惨事」かもしれないのです。

東大話法

大学入試新テスト・民間試験導入、主犯はベネッセと下村か?

2019.11.13.16:46

 非常に興味深い記事がネットに2本出ています。とくに最初のデイリー新潮(元は週刊新潮)の記事は強烈です。

英語民間試験ごり推しの裏に「ベネッセ」の教育利権…高校も大学も逆らえない

 前に楽天・三木谷会長の関与を指摘した記事を紹介しましたが、これを見ると、ベネッセの“黒さ”は半端なものではありません。クリックして詳細をお読みいただきたいのですが、記事は文科省の作業部会への露骨な関与や、関係者・大学教授の囲い込み、「個別の大学にもベネッセ関係者の天下りが増加中」だと指摘した上で、

 もはや受験生ファーストでなく、ベネッセ・ファーストの入試改革が進んでいたようにさえ見えるが、そうなった背景を教育ジャーナリストが説明する。
「14年に発覚した個人情報漏洩事件で、ベネッセは250億円を超える特別損失を計上。また事件を機に主力の“こどもちゃれんじ”や“進研ゼミ”など通信教育の会員が減少したため、一刻も早い業績回復が急務とされていました。その点、入試に英語民間試験が導入され、毎年、仮に20万人の受験生がGTECを選ぶことになれば、1回7千円として1人2回受けるとして、黙っていても28億円の売り上げが加算されます。そのうえ、GTECを受ける子は当然、GTECを作っているベネッセの問題集を買い、通信添削も受けておこう、ということになるでしょう」
 だが、それだけではない。
「ベネッセの営業マンは全国の高校を巡回し、模試や教材を売っていますが、高校にすれば買わざるを得ない状況にあるのです。ベネッセは8月には、大学入試共通テストに新たに導入される記述式問題の採点業務を、61億円で落札しています。加えて英語民間試験でも、GTECの受検者が多ければ、入試に関する情報をもっているベネッセの教材を、高校が無視できるはずがないのです」
 さらには、大学にもプレッシャーをかけていた、と打ち明けるのは、某大学関係者である。
「ベネッセは大学に、合格者のGTECのスコアが何点だったとか、他大学との併願状況がどうだとか、受験生情報を売りさばいています。実際、私学の担当者は、そういうデータを見て受験日を設定したりしますが、特に併願情報については、ベネッセは1学部につき350万円で販売しています。教育に関わる企業の倫理として認められるものでしょうか。リクナビが企業に学生の情報を売って問題視された件と、どう違うというのでしょうか」


 えげつないとしか言いようがありませんが、

「下村氏は見送りが決まってからも、まだ入試改革をあきらめていません。自民党内の部会では、国が英語民間試験の導入を私学助成金で支援することまで仄めかしています。導入しなければ助成金をもらえないのか、と大学側は受けとりかねません」

 とあるように、元々が東京の板橋区で小中学生相手の塾を経営していたという元文科相の下村博文がその背後につねに見え隠れしているのです。この安倍の太鼓持ち、茶坊主の腐れ政治屋については数々の疑惑があって、僕も前にここに「下村博文・文科相の不正献金疑惑問題」(2015.3.4)「下村博文・不正献金疑惑から浮かぶ加計学園理事長の巧妙さ」(2017.6.30)と題して二度書いたことがありますが、懲りずにまだやっているのかと呆れます。ベネッセは彼の隠れ政治団体「博友会」にせっせと献金するのみならず、何かおいしい餌でも与えているのでしょうか?

「ベネッセは一線を越えた」英語民間試験の導入の経緯はブラックボックスの中

 こちらはアエラの記事ですが、その露骨な「利益至上主義」が指摘されています。

 ベネッセは、株主・投資家向けのビジネスレポートで、2018年度に162億円だった営業利益を20年度には350億円、22年度には600億円に引き上げる目標値を設定している。この中で「国内教育」領域の柱に「教育・入試改革を機会点としたさらなる成長」を挙げ、英語4技能教材の開発を重視することを明言。実際、グループ会社が大学入学共通テストで来年から導入の決まった国語記述式試験の採点業務を今年8月、61億6千万円で落札した。
 英語民間試験は高校3年生の4月から12月までの間に2回受けることが可能で、仮に共通テストの受験者の半数がGTECを選択して2回受ければ延べ約55万人が受験者になる。ベネッセが発表した検定料は税込み6820円で、それだけで数十億円規模の収入だ。さらに受験生向けの対策講座や参考書などの商品開発も加われば「教育・入試改革を機会点としたさらなる成長」という皮算用をしていたのだろうか。


 民間試験導入は巨大な利権を生み、それにベネッセは子飼いの政治家、学者、さらには役人まで使って食い込み、主役の座をつかんだということですが、職業倫理もへったくれもないので、深刻なのはこれが新テストに参加する国公立・私立の大学すべての入試の合否に関わってくるということです。大学側も、「そんな不透明なものは無視する」とは言えない。上の新潮の記事にもあるように、

 …たとえば、東京大学は昨年3月10日、英語民間試験は「合否判定に用いない」と発表した。ところが、ひと月余りのちの4月27日、一転して「使う方向で検討を始めた」と公表したのである。
 その間になにがあったのかについて、さる政府関係者は耳打ちする。
「下村博文さんが東大の五神(ごのかみ)真総長と幹部を自民党本部に呼びつけ、“センター試験廃止は教育再生実行会議で決まっている”“これ以上、遠藤(利明)さんを困らせるな”と、叱責したと聞いています。大学への金銭的プレッシャーも仄めかされ、幹部は蒼ざめて帰っていったそうです」


 これを下村側は「『100%ない』と否定」しているそうですが、彼は政治家らしくと言うべきか、常習的な嘘つきなので、誰も信じる人はいないでしょう。そもそも、東大はそれならどうして対応を一変させたのか? いかにも「権力に弱い東大」らしいが、何らかの圧力がかからなければ、「正論だ」と評価されていたのに、それを急に撤回することはなかったでしょう。「逆らうと為にならんぞ」と脅されたのです。

 他にも僕が驚いたのは、天下の阪大にまで、ベネッセが社員を送り込んでいたことです。

「たとえば、大阪大学高等教育・入試研究開発センターの山下仁司教授は、ベネッセでGTECの開発統括を務めた人。旧帝大で阪大だけが英語民間試験を必須としていたことと、関係があるといわれています」

 たしかに、関係はあるでしょうね。しかもこの御仁、肩書は事務関係ではなく、「教授」なのです(調べてみると、阪大文学部卒)。一体、学問的などんな専門をもっているのか、不可解この上ないので、旧帝大ナンバー・スリーの阪大も格が落ちたものだなと嘆息させられます。アエラの記事には、「ベネッセグループには、今回の英語民間試験の導入経緯に密接に関わってきた政官財学のメンバーが大勢ぶら下がっている」とありますが、ベネッセと仲良くしておけば、文科省の覚えもよくなるとか、癒着の詳しい内情を知るがゆえの人事だったのでしょうか? そう疑われても仕方はないのです。

 今の高校生や親御さんたちは、こういう話を読んでどう思われますか? 長い物には巻かれろで、それなら進研ゼミを受講して、使う教材はベネッセのものにして、外部試験はGTECを選択して、できるだけ入試に有利なようにしたいと思うのでしょうか? それとも「薄汚い話だ!」と憤るでしょうか! 後者が正常だと、僕は思いますが。

 安倍内閣の主要人物が旗振り役となり、教育現場を舞台に民間企業への利益誘導を図る構図は「森友・加計学園問題」とそっくりで、関係者の間で第3の疑惑と目されてきた。

 アエラの記事にはそうありますが、その規模の大きさと不透明さ、大学入試全体に及ぼす悪影響において、これは「森友・加計学園問題」とは比較にならない。ベネッセにはおそらく有能な顧問弁護士がついていて、明確な違法・不正行為と判断されて検察の捜査を受ける羽目にはならないよう、指南を受けているのだろうと思いますが、アメリカの企業や産業組織がよく使う、法案や政策策定の場に関係者を送り込んで中身を好都合なものに変えてしまう「合法の外観を装った不正」が日本にも上陸していることが、これではっきりわかるのです。

 思うに、公金と受験生を食い物にするだけの英語の民間試験と国数記述式導入はやはり白紙撤回すべきでしょう。親は余分な出費を強いられ、受験生は一層多忙になり、しかも、その効果はないに等しい(その理由については前回も述べた)ので、ベネッセその他の業者とそれに飼われている学者先生、政治屋、一部のジャーナリストの懐を温めるだけなのです。

 仮にこういうことが「ちょっと延期されただけ」で、そのまま通ってしまうとすれば、それはバブル崩壊後の銀行救済のあれを凌ぐ深刻なモラル・ハザードをひき起こすかもしれない。とくに若者に影響するので、「日本社会というのはこういうものなんだな」と受験生たちは学習し、どんなおかしな社会になろうと、大事なのはそれに追随して「うまい汁を吸える」側につくことだと考えて、まともな感性を失うのです。そうして20年もたたないうちに活力のない、不正と賄賂にまみれた後進国になり下がる。

 後世の歴史家はこれを「重要なターニングポイントの一つだった」として、ベネッセ、下村、そして文科省をその「最大の功労者」としてとくに名前を挙げて記録し、子々孫々に伝えてくれるかもしれません。それは全5巻ぐらいの『日本国衰亡史』あるいは『いかにして日本は三流国家となったのか』の最後を飾るヤマ場の一つなのです。

 最後に一言、元同業者の下村博文に言っときたいのですが、彼のような根性の卑しい、ヤマイダレのチセイの持主が国会議員になり、文科相になり、数々の不正疑惑で名を馳せるなんて、学習塾業界としては恥以外の何ものでもありません。学部が違うのはせめてもの慰めですが、自分と母校が同じだと聞くとなおさら腹が立つ。悪質かつ恥さらしなことをいつまでも続けるのは許し難いので、潔くさっさと引退するよう勧告しておきます。

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