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2019年センター試験英語について

2019.01.20.18:53

 予備校の「講評」によれば、河合塾と東進が「昨年並み」、駿台が「やや易化」となっていますが、僕もゆうべ夜の10時半から、パソコン画面で時間をはかって解いてみました。問題によってはスクロールして問題文を読み返さねばならないので、このやり方は面倒なのですが、いつもこのやり方でやっています。

 去年・一昨年の平均点は123点台だったので、上の予備校の見立てでは120~25点ぐらいということになりますが、最近精度が落ちてきたわが“カンピューター”に基づくと、やや下がって118点とか、そのあたりに落ち着くのではないかという気がします。

 その根拠は? ヤマカンというのは明確な根拠はもたないものなので、あらためてそう問われても困るのですが、やってみて、長文のセクションでミスを誘いそうな箇所がいくつかあったというのが、根拠といえば根拠です。文法はいつもにも増して易しいなという印象ですが、今年のうちの受験生には文法が苦手な子が多いので、behind schedule とか it can’t be helped とか、皮肉なことにこれは去年のセンター直前文法演習でやったもので、その頃2年生として在塾していた子たちにはついでにやらせたはずですが、それも一年も前の話なので、忘れている可能性が高い。あと、不要文削除の㉘は迷った生徒がかなりいたでしょう。恩師への贈物の㉛㉜あたりも迷いそうです。大問4は、例によってと言うべきか、内容が死ぬほど退屈ですが、それさえ我慢すれば設問自体はかんたんなので、ここは大部分の生徒が無傷で通り抜けたでしょうが、続く大問5の㊺は、消去法で3しか残らないが、微妙にニュアンスがズレているようにも感じられるので、厳密に考えるタイプの受験生は釈然としない思いが残ったかも知れません。大問6は悩ませられるような箇所はほとんどない。㊾で invisibly がわからないと痛い、というぐらいです。センターの英語は深く考える能力は何ら問われないスピード勝負の試験なので、読むのが遅い人は時間不足で落とさなくていいものまで落とす。そこはいつもと同じです。

 去年は、しかし、あのセンターの問題にしては珍しく笑えた「タコ型宇宙人」の海中探査の問題で「途中でわけがわからなくなってしまった」と言っていた生徒が何人もいたので、それと較べれば今年は意表を衝くような英文がない分、やりやすかったと言えるかもしれません。そう考えるなら、今年の受験生全体の学力にもよりますが、平均点が125点ぐらいに上がる可能性もあるわけです。生徒のためにも下がるように祈っていますが。

 問題はこれからです。こんなこと言うと気を悪くする人がいるかもしれませんが、センターの英語は高いレベルの読解力や英作能力などとは無関係で、スピードと基本知識さえあれば、9割得点することは難しくなく、差がつきません。学力の高い子の方が下になることもあって、優秀でも凡ミスの多い子はそれで10点前後落とすことがある。ただ、二次の英語では、正味の学力差がはっきり出るので、たとえばセンターで185点だった方が二次の記述で7割、195点だった方が4割というような大きな差が出ることも、とくに難関大の入試では珍しくないのです。センター得点しか見ていないリサーチの結果というのは、その意味でアテにならないので、判定がCやDでも、二次力があると見ている子には僕は迷わずゴー・サインを出します。逆の場合にはA判定でも心配する。むろん、これは英語だけ見て判断できることではなく、二次の他の科目がどれくらい取れそうかにもよる(とくに理系は数学理科の配点が大きい)のですが、出願の際には同じ判定でも、大学によって二次の問題レベルにかなりの差があることがあるので、そこらへんよく見て判断しないと失敗します。

 こういうのは受験指導では常識ですが、地方の公立高校の先生などには、そこらへんが全くわかっていないまま「指導」している先生が珍しくない(「またうちの学校の悪口が書かれているのではないか…」とこのブログを“警戒チェック”している先生たちはマシになっている?)ので、要注意なのです(大学別のいわゆる冠模試に関しては、形式は似ているが問題文がおかしな具合に難しすぎたり、採点基準が本番の入試とはかなり違うと思われるので、「参考程度」の扱いでよろしい)。

 そういうわけで、受験生はそのあたりよく考えて志望校を決め、国立の前期二次試験まであと1カ月余り、もう一頑張りして下さい(塾では月曜に、3年生から自己採点結果を教えてもらうのですが、聞くのがいつも恐ろしい)。

 ちなみに、今年の国語の評論部門には、沼野充義氏の「翻訳をめぐる七つの非実践的な断章」というのが出ているというので、翻訳屋のはしくれである僕も読んでみましたが、問題文はいいとして、設問の面白くないのには閉口したので、自分も昔、受験生の頃はこういうのをやらされていたのだなと、あらためて国語の試験問題の特殊性というものを感じました。英語はよくできて、文章力もちゃんとあるのに国語(とくに現国)が苦手という子はいますが、ふつうに文章を読んで理解するのとはまた違う頭の使い方を要求されるわけで、そこらへんの要領がそういう子たちはわかっていないのでしょう。いわば「国語ムラの掟」というものを知らないからで、それは自然な国語力とイコールではない。そこらへんをうまく解説した参考書を一冊読めば、コツがわかって高得点者に変身できるのではないかと思います。そういう人は「自分は国語力がない」と決めつけず、それを試してみればいいのです。

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私立医大の入試不正、募集要項に明記したら?

2018.10.18.16:09

 東京医科大の不正に端を発したこの問題は、他にも飛び火し、新たに昭和大、順天堂大などでも常習的に受験生の得点操作が行われていたことが明らかとなって、世間の注目を集めています。大体は20点内の幅で、男子受験生には加点、女子と多浪生は減点、というようなもので、他は自校OBの子弟を補欠合格の際には優先する、といった情実主義的なものです。昔は願書を提出すると、ただちに「寄付のお願い」という文書が送られてきて、一口ン百万のそれを何口かしておけば、合格は保証されたようなものだという、露骨というか「わかりやすい」金権医大もあって、名前は言いませんが、「あそこ出身の医者がやっている病院には行かない方がいいよ」なんて話が囁かれたりもしたのですが、近年は医学部人気のおかげで、国家試験の合格率も低かったそうした「ヤブ医者製造工場」と見なされていた元三流医大でも、軒並み偏差値60を超えているのだから驚きます。

 地方の医学部受験生の場合、私学を受けるのは親が病院経営など金持ちの場合にかぎられていて、親がふつうのサラリーマン、公務員だと、学費の関係で初めから国公立オンリーです。わが零細塾でも、これまで医学部に進んだ生徒は何人かいますが、一人を除いて他は全員国立で、私大の選択肢はなかった。だからあまり関係はないのですが、一般論として書いておきます。

 それは、初めから入試要項に、受験生の属性に応じた加点、減点のその対応方針を具体的かつ詳細に明示しておけ、ということです。医学部には国から多額の補助金が出ていて、私立でも比率は違うとはいえ、出ているのは確かなのだから、その不公平さの度合いに応じて補助金の減額または全面カット等の措置は当然行うとしても、それが正直、明朗なかたちのものなら、ある程度認めてやってもいいのではないかと思うのです。

 わが国では不自然なまでに女性医師の比率が低くて、それは「医者は男の方がいい」という古くさい思い込み(女性の方が概してコミュニケーション能力が高いというのは心理学では常識なのですが)によるところが大きく、医師の労働環境が女性には適さないというのなら、そちらを変えればいいのですが、そういう取り組みはせずに、うちは旧態依然たる思い込みに基づいてやってる大学です、ということを天下にPRするのです。多浪の受験生にも、そこを受ける場合には20点は現役より多く取ることが必要だとわかって親切です。「そんな差別をする大学になんか行くか!」と思う正義派の受験生は初めから受けないので、加計のあの獣医学部だって、僕が親なら、あんな設立経緯にいくつもの疑惑があるところはわが子が獣医志望でも絶対に受けさせませんが、それでもかまわないと思う受験生だけ受けることになって、他に害は及ばなくなるのです。内々でこっそりやるから悪い。

 こんなことを言うと叱られるかもしれませんが、元々私立には裏口がつきものです。僕自身、新聞配達しながら浪人していたとき、店主から裏口の話をもちかけられたことがあります。その人はなかなかのやり手で、販売店をいくつももっていました。本社に対してかなりの発言力をもっていただけでなく、都内二つの私大に裏口ルートをもっていた。そのうちの一つは東京六大学の一つだったと言えば驚くかも知れませんが、僕が聞いたところではそれは事実なのです。もう一つも誰でも名前は知っている中堅大学でした。後者の方は、店で扱っているスポーツ新聞の営業部長がその大学のOBで、母校に顔が利き、毎年数人の個人枠があるということでした。げんにそのおかげでそこに入ったという先輩が僕が勤務する店にも一人いたくらいです。よく顔を見せるその恩着せがましい営業部長氏(内ポケットから手帳を出して「君の点数は…」なんて言ったりする)を、当然ながらその先輩は嫌っていましたが、販売店としては、あの業界は当時から人手不足に悩まされていたので、その代わり大学卒業までそこで働くという条件なら、利益になるのです。

 そのやり方は、どちらも実際の入試得点に10点か20点の下駄をはかせるというもので、東京医大や昭和大のそれと同じだったのです(300点満点でそれならかなり大きい)。むろん、それでも全然足りないという場合は落ちてしまうので、それで足りる程度には得点できなければならない。「君の場合には…」と店長は僕を呼んで言いました。その東京六大学の方が大丈夫だろうと。他の人が利用するのは気にならないとして、自分がそういうものに頼るのは好まなかった僕は即座に断りましたが、ではどこに行きたいのだと訊くから大学名を言うと、「うーん。あそこになるとちょっと無理だね。ルートがない」と真面目な顔で言ったので思わず笑ってしまったのですが、実はそこにもちゃんと(?)裏口が存在したことがその後何年も経ってから判明したのです。それは商学部の不正入試事件でした。

 真偽は不明ながら、その後大学生になってから、アルバイト先で麻雀の負けが込んでバイトを余儀なくされたという慶応医学部の大学院生と会って、その人は名古屋大を出てからそこに入ったという話でしたが、慶応の医学部にも裏口はあるという話を聞かされたことがあります。慶応医学部は当時から私大医学部のトップでした。ほんとかなと思いましたが、それはあるので、多額の寄付金の見返りに金満医者の馬鹿息子などを入れるのだという話で、しかし、そういうのは大方落第していずれ中退することになるから、大学としても傷はつかず、慶応らしいたいへんスマートな集金方法なのだとその院生は説明しました。なるほどねえ。1980年に発覚して大騒ぎになった早稲田の商学部のあの事件にしても、一人1千万なら、一学部あたり10人ずつそれを入れれば、学部単位1億の増収になって、貧乏大学(当時、金持ちの日大に借金していて、大隈講堂がその抵当に入っているという噂が学生間でまことしやかに囁かれていた)としては大いに潤う。公然とそういう枠を設けていいのではないかと、僕は事件当時悪友どもと話した記憶があるので、そういうのがあると、あまりにもアホな学生は、「あいつは例の裏口組だな」と言われてしまうので、少しはまともになるかもしれない。そういう内部の引き締め効果も期待できるので、メリット満載ではないかと思われたのです。それはせずに、ヒロスエだの東国原だのを、何の実益もないのに、不透明な何とか入試で入れるから「あんなのと一緒にされたくない」心理が働いて、逆効果になる。「裏口定員枠各学部10名。必要な寄付金は、そのときの倍率、または学部の偏差値等によって多少変動する場合がありますので、専用窓口にお電話にてお問い合わせ下さい。☎ 03-○○○○-9696」と募集要項に明記すればいいのです。

 アメリカの有名な、いわゆるアイビーリーグの大学は全部私立ですが、有力者やOBの子弟が優遇されていることは明らかで、たとえば、あの非道なイラク戦争の元凶、元大統領のブッシュ・ジュニアなどにしても、彼は名門イェール大学の出身ですが、彼の知能・学力からして実力で入れたわけがない。大学OBのパパ・ブッシュの口利きで入ったことは明らかで、日本式に言えば完全な「裏口」なのです。その後、ハーバードのロースクールに入ったのも、父が裏から手を回したからで、アメリカでそれが糾弾されたという話は聞いたことがありません。ああいうのは皆が初めから奴は裏口だと承知していて、一般のイェールやハーバードの基準で見ることがないから、実害もないわけです。

 そこらへん、「わかりやすい」わけで、アメリカの猿真似ばかりしたがる日本は、そのあたり、もっと正直にわかりやすくしたらどうかと思います。権力者なので、あるいは寄付をたくさんしたので入れました、ということが世間にわかりやすくなればいいのです。それが全体の数パーセントにとどまり、それが守られ、外部にも周知されているかぎり、その大学の一般学生の評価が下がることはない。

 そうしたことを明らかにせず、公平無比であるかのように装って、裏でこっそり加点したり、減点したりするから悪いのです。そういうのは詐欺なので、昔は短大などで、推薦で大部分の入学者を確保しておいて、それを告知せず入試をやって僅かな合格者しか出さず、偏差値を釣り上げ、文科省に「改善」を命じられたけしからんところがありましたが、正直明朗にデータ提示をしないのは卑怯というものです。そういうことをやっているから医療費の不正請求を平気でするような医者が続出するので、こういうのは大学がそのお手本を医者の卵に示しているのと同じです。

 ということで、正直にそれを明示しなさいね。たとえそれで受験者が減っても、それは仕方のないことで、加計の獣医学部と同じで、今の医学部人気からして、その減り具合は大したものではないでしょう。また、そういう不正が行われているのを承知で受験し、合格した女子学生や多浪生は、とくに優秀だった、少なくとも余裕で合格したことが明らかになって、入学後も鼻が高いわけです。世間からも立派だとほめてもらえる。それでいいではありませんか。英語の諺にもあるように、Honesty is the best policy です。

英語「民間試験導入」をめぐるこの喧嘩、明らかに東大が正しい

2018.09.21.15:54

 次の記事を読んで、東大を見直しました。同時に、KO元塾長の「見識」のお粗末さに慄然としました。

東大vs慶應 偉い教授たちが罵り合いの大ゲンカ勃発

 2020年度、つまり今の高1が大学入試に臨むときから、現行センター試験は「廃止」されて、英語は「民間試験」を代わりに使う、ということになっているのですが、これは安倍政権下で進行しつつある「教育破壊」(学歴コンプレックスが裏目に出て、とにかく彼はいらんことをしたがる)の代表例のようなもので、入試現場は大混乱に陥るだろうと、かねて僕は予言しています。そういうアホな答申をした連中の顔が見たいと思っていたのですが、この「元慶應義塾塾長・安西祐一郎氏」は、「2014~2015年に中央教育審議会(中教審)の会長を務め、『民間試験導入』の制度設計責任者だった」そうで、そのアホ答申のいわば「元締め」だったわけです。

 僕は今年の三月、進学大学が決まった生徒たち用にTOEICやTOEFL向け教材を使った授業をしたのですが、あらためて「こんなもの、大学入試に使えるわけない」と思いました。前者はビジネス英語、後者は留学の際必要になる試験です。用途が違う上に、要求される語彙量も多すぎる(とくにTOEFLは)。これに英検(これは「実用英語」検定試験)など加えて、そのどれかから選べと言っても、そこに統一的基準を設けるのはほぼ不可能です。

 だから、「現在、提案されているやり方だと、英語の試験を複数の民間業者に丸投げするようなかたちにもなりかねないが、それぞれビジネスや教養など目的も違い、設問の仕方も違う。それなのに無理にセンター試験のように共通の基準に換算しようとしている。それでは受験生のスコアを正確に比較することは簡単ではありません。走り幅跳びと棒高跳びを比べるようなものです」という阿部公彦・東大教授の指摘は正しい。

 安西氏によれば、「英語力というのは、しっかりした構文規則と豊富な語彙を使いこなし、相手の立場や文脈を考慮して、論旨明快に英語で表現する力のことだ」そうで、それには僕も賛成しますが、勉強には順序というものがあって、今の高校生にいきなりTOEICやTOEFLなんて、そもそも無理なのです。無理にそれをやろうとすれば、基礎がおろそかになって、かえって学力がつかなくなる。

 僕は高校レベル、大学入試レベルの土台ができた生徒相手にTOEICやTOEFL用の授業をしたのであって、その前段階を飛ばすことはできない。それはむろん、大学のレベルにもよりますが、そこをちゃんとクリアしたうえで、大学生になってから、その種の試験は受ければいいのです。「いや、今の大学入試用の勉強はその役にも立たないのだ」なんて安西氏は言うかもしれませんが、それは嘘なので、げんにうちの息子は初めから留学を考えていたので、大学に入ってからTOEFL用の勉強を始めて、受験しましたが、ibtで100点をクリアした。120点満点だから悪くはないわけで、「今の大学入試用の勉強は役に立たない」なんて大嘘なわけです。

 もう一つ、ああいう試験は半分は要領で、それがいいから申し分のない英語力があるという保証にもならない。「表面的」なのはセンター英語と同じなので、今の国立二次で問われるような抽象度の高い英文の精確な読解能力や、日本語に移し替える能力は、学問には不可欠なのです。

 同じ東大生と言ってもピンからキリまであるでしょうから、「東大生がすべてこの力をもっているとはとても言えない」とは言えるでしょうが、無責任な「民間試験導入」でそれが果たされるだろうとは「とても言えない」わけで、「何をとち狂ったこと言ってるんだ、このオッサンは…」ということにならざるを得ないのです。大体、こんなこと言っては叱られるでしょうが、中教審のセンセ方の語学力それ自体が大したことないのではありませんか? 緻密な思考能力が欠落していることは言うに及ばず。率直に言えば、頭が悪すぎるから、あんな無責任な答申を出すのです。

 僕は現行のセンター試験に関しては、単純に全廃して、各大学の個別試験に委ねるべしという考えですが、民間試験導入よりは今のシステムの方がまだマシだと考えています。東大はおそらく独自の一次試験を、英語に関しては課すつもりなのでしょう。元々東大は、共通一次導入以前にも、独自の一次試験をやっていました。そちらに戻せばいいのです。

 共通一次(センター試験の前身)導入の際は、僕の記憶が正しければ、東大の法学部と医学部が「参加しない」と表明して、文部省(当時)を激怒させ、仕方なくそれにおつきあいすることになりました。ついでにいえば、京大は「全面協力」を表明して、当初は「共通一次重視」の配点をしたのですが、しばらくするとキャンパスの雰囲気が変わってしまい、「何じゃ、これは?」という感じの薄っぺらな学生が増えてしまって、危機感を抱いた大学当局は一転、「二次重視」に配点を変えた。それでやっと「元通り」になったというような話を、僕は当時の文学部長だった藤沢令夫氏のエッセイで読んだ記憶があります。学問というのはヘンにものわかりのいい、表面的な理解しかもたない人間には不向きなので、大方の人が「あたりまえ」だと思うことがどうして「あたりまえ」なのかわからないと、そういうところにひっかかりをもつある意味馬鹿な人間が必要なのだと、このプラトンの研究者は言っていたので、そのままセンター重視でやっていれば、深みのない平面ガエル的秀才(そういうのはAIの発達でもう用済みになっている)に侵略されて、京大の良き伝統は失われる羽目になっていたでしょう。

 共通一次の時みたいに圧力に屈することなく、東大は「誤った政策に対する『最後の防波堤』」になれるかどうか、真価が試されていると言えそうです。「官の圧力に弱い」のは東大の宿痾(しゅくあ)のようなものなので、土壇場で腰砕けになって「やっぱり…」と言われないようにしていただきたいものです。

学力テストの地域間格差について思ったこと

2018.08.02.13:39

 小6と中3を対象とした平成30年度の「全国学力・学習状況調査(通称「学力テスト」)」の結果が7月31日公表されたそうですが、「例年、調査結果は8月末に公開していたところ、教育現場が夏期休業を利用して結果分析や学習改善を計画できるよう、2018年度から7月末の公開に前倒しした。各都道府県は今後、調査結果をもとに授業の見直しを図る見込み」(リセマム)なのだそうです。文科省の老婆心、というか余計なお世話のおかげで、平均点が低かった自治体の関係職員や学校の先生たちは、夏休みもおちおち休めなくなるわけです。

 こういう試験は元々、教育現場にはかなりの負担になっているでしょう。実施の手間だけではなく、「全国平均を下回るのは恥だ!」ということで、いわゆる過去問をやらせたりして、その「対策」に時間が取られているだろうからです。

 今どきの学校はすぐそういうことをする。高校などでも、今は業者模試を受ける際、事前に過去問をやらせて「対策」することがあたりまえになっているようです。実力テストは実力で受けるからこそ実力テストなので、何でそんな余計なことしているのかなと、昔人間の僕などは思いますが、学校の先生たちは思わないのです。中には、自分が担当する教科の問題を事前にこっそり見ていて、「問題演習」にかこつけて、授業でそれとほとんど同じ問題を解かせたりするのまでいる。当然、平均点は上がります。そうやって自分の教科指導能力を学校の同僚や管理者に向けてアピールしたいのでしょうが、仮に本番の入試でそれをやったら明白な不正行為です。まともな生徒も「よけいなことしやがって」と腹を立てる。

 およそ日本人ぐらい横並び競争が好きな民族もいないので、「世間並」が学テの場合、「全国平均」になる。それを下回っては大変と各学校、自治体は必死になるのです。

 しかし、実際問題としていい県はどこで、駄目な県はどこなのかと、こういうニュースを見るとつい気にかかってしまうものです。それでニュースを検索していると、次のような記事に出くわしました。

学力テスト 過去2度最下位の和歌山  小学校国語Aで10位

 おお、これは! わが郷里の和歌山県は不名誉な最下位争いを演じていたのです。

 和歌山県内の公立小中学校の平均正答率は、小学校では過去2回(平成26、28年度)全国最下位だった小学校の国語Aで10位となるなど改善がみられた。中学校では数学A以外全てで全国平均を下回った。

 よくなったと言っても劇的な〈改善〉でないのはこうした文面からもわかりますが、よくよく考えてみれば、僕がかねて「和歌山の恥!」と呼んでいるあのセコい経済屋(あんな奴、学者のうちには入りません)のマック竹中こと、竹中平蔵や、今の自民党のドンの一人で、亡国の安倍3選の立役者、「本来は表に出てはいけない男」と言われている二階俊博などは和歌山県の出身で、自慢になるような有名人はあまり思い浮かばないのです。他に思いついたのは例の「毒入りカレー事件」の林眞須美と、この前の不審死の「紀州のドンファン(本家のドンファンに失礼です)」のドケチで色情狂のじさまぐらい。“ネガティブな有名人”揃いで、気が滅入るのです。

 僕が今住んでいる宮崎県はどうかと思って検索すると、次のような毎日新聞の記事が出てきました。

 文部科学省が28日に公表した全国学力・学習状況調査(全国学力テスト)の結果で、県内の小、中学校いずれも基礎知識を問うA問題で全国平均を上回った一方、応用力をみるB問題は全てで平均を下回った。

 要するに、「応用力はまるでなし」というご託宣が下されているのです。こちらも有名人と言うと、あの存在自体が「公然わいせつ罪」に該当しそうな元宮崎県知事でお笑い芸人の東国原ぐらいしか思いつかないので、元気が出ないのですが、その中でも延岡市となると、これは毎日の別の記事ですが、

 学力テストで全国平均を下回る宮崎県の中で、延岡市はさらに県平均よりも低い深刻な状況が報告され、教育委員からは教員のサポート人員の増加などを求める意見が相次いだ。

 となっているのです。市長も出席する会議で「県平均よりもさらに低い深刻な状況」が話し合われたというと悲壮感が漂いますが、宮崎県は元々、大学入試センター試験でも全国四十七都道府県中最下位になる(2011年度)など、〈その後〉がよろしくないのです(ちなみに和歌山県はこの年7位に入っているから、学テの頃よりはマシになっているように見えますが、受験者が少ないので、下位層が受けていないおかげでしょう。関西にはもともと、九州地区のような「国公立崇拝」はないので、それも関係するのだと思いますが)。

 話を学テに戻して、こうした試験の地域間格差については、二つの要因があるでしょう。一つは教員の指導能力、もう一つは子供自身の資質です。今はそんなことはないでしょうが、昔の僻地の中学などでは、体育の教師が数学を教えていたりして、当然「無免許」でそれをやっていたのです。僕も中3のとき、そういう先生(大変な酒好きで、論理的思考力があるようには見えなかった)に教わりましたが、事前にお勉強好きで数学が一番よくできる女子生徒をこっそり職員室に呼んで教わったりしていたもので、自分がろくすっぽわかっていないことを教えるのだから、生徒がわかるようになる道理はないのです。それでも通用したのは、生徒たちが勉学意欲に乏しく、親の方もそんなことには無関心だったからです。当然、模試などになると悲惨な結果になるのですが、英語もこれに劣らずひどかったので、中1時点で大部分の生徒が落ちこぼれてしまったほどでした(言うまでもなく僕もその一人で、おかげで高校入試では英語がほぼ零点だったのです)。

 生徒側の資質としては、例外はいくらかあるとしても、大都市圏の方が田舎より概して成績がよいようですが、これには次のような事情が関係していそうです。人口が分散していた昔は田舎にも優秀な子供がいた。その大部分が都会に出てしまって、そこに住みつき、その子供や孫の世代が大都市住民になって、都市部に優秀層が偏在するという現象が生じたのです。学力は半分は遺伝です。だからそうなっても不思議はないのです。

 僕は延岡で英語塾をやっていますが、あるときこういうことに気づきました。成績優秀な子供たちには親が旭化成勤務が多いなと。旭化成は言わずと知れた全国的知名度をもつ有名企業で、だから親も当然「全国区」の高学歴エリートが多い。他は医者の子供、学校の優秀な先生の子供などです。トンビがタカを生む場合もあれば、タカがトンビを生む場合も当然あるわけですが、家庭環境の影響もさることながら、遺伝の影響は歴然としてあるのです。

 遺伝学者の話によれば、遺伝の影響は一般に思われているのとは反対に、後になるほど強く出てくるそうです。だから、学テが行われる小中学段階ではまだ大きな差は出ていないと言えるかもしれません。今は高校も学力でかなりきれいに輪切りされているので、入学段階では同じ学校の生徒たちにはそれほど大きな学力差はないと言えるかと思いますが、高校3年間でかなり極端な開きが出てくる。それはどれだけ勉強を真面目にやるかとは必ずしもイコールではないので、やはり最近よく言われるところの「地頭」の違いが関係するのです。ひとくちに言えば、それは遺伝です。

 だから学力の地域間格差には、遺伝の地域間格差も含まれると言えば、「けしからん差別発言だ!」と怒り出す人もいるでしょうが、事実としてそれはあるように思われるのです。都市部の方が教育環境、とくに受験教育環境が整っているということもある。僕はこちらで高校の指導の仕方を見ていて、モチベーションが上がらない、ああいう下手なやり方をしていたのでは生徒の学力は伸びないだろうなとよく思うのですが、難関大に進学した元塾生たちも、「あんなヘンテコなことをしていなければ、もっとうちの高校の難関大合格者は増えるはず」と口を揃えて言います。半分は学校の指導のせいだというわけで、遺伝的要因にプラスして、そういう教育環境上のハンデも今の田舎にはあるのです。だからなおさら差がつくということになってしまう。

 報道によれば、「読書時間」も学テの成績には大いに関係するという話です。これはある意味わかりきったことで、スマホやゲームの類でだらだら時間を潰している子供が優秀になるわけはない。集中力がなく、基本的な文章さえ読めなければ、小学校で出てくる算数の文章題なども解けないでしょう。英語の場合でも、内容的にかなり複雑な、抽象度も高い長文が出る大学受験レベルになると、国語力が必須になるので、それがないと絶望的なことになってしまうのです(眠たいセンターの英文程度なら何とかなるでしょうが)。

 そこらへんは対応次第で何とかなるが、遺伝となると「仕方がない」という話になってしまうので、誰もそれには触れないのです。そういう要因がかなりの程度あるとすれば、それは国の中枢機能や大企業の首都圏への集中を緩和して、地方に分散させるという手しかない。そうすれば、大人の優秀層の分散が進んで、遺伝の法則により、子供たちの学力の地域間格差も解消の方向に向かうようになるのです。それは人材が増えたということで、地方の活性化にもつながるでしょう。どうやってそれを進めるかは難題ですが。

 ここで一つ、ミもフタもない遺伝話を緩和する話をすると、親が勉強好きな場合には、子供も勉強好きになって、成績がよくなる傾向があるということです(子供に「勉強しろ!」と言うのではなく、自分が勉強している親です)。僕の見るところ、それは環境だけでなく、遺伝子レベルにまで影響を及ぼしているように思われるので、遺伝それ自体が固定的なものではないかもしれないのです。「考える親」の元では「考える子供」が育つ。そういうことは確実に言えそうです。逆に言えば、親がいくら高学歴でも、それが過去の栄光にすがるしか能のない親の場合には、前向きの、賢い子供は育たないのです。

 もう十年以上も前の話ですが、こちらでこういう奇妙なニュースがありました。宮崎県には椎葉村というところがあって、それはかなりの山奥ですが、そこのダム湖で、体長が60センチにも達する謎の魚が捕獲されたのです。何匹もそういうのがとれたというので、一体これは何なのだと地元の人たちは首を傾げ、専門家に依頼して調べてもらうと、実はそれはヤマメだったということが判明した。ヤマメは通常そんなに大きくなりません。しかし、あれは元々サクラマスの陸封型で、サケのように、かつては川と海を行き来していた。その椎葉ダムの巨大ヤマメは、おそらく上流のものが大水で流されてきたものだったのでしょう。彼らはそれで広いダム湖を泳ぎ回っているうちに、遺伝子に刻まれたかつての遠い昔の記憶がよみがえり、そこを海と勘違いして、休眠状態になっていた遺伝子のスイッチが入ったのです。それで巨大なサクラマスに変身した。

 そういうことだったのだろうと僕は思うのですが、人間の脳は大部分が使われないままになっているというのは有名な話です。それは原始時代は使われていたが、その後文明が進んで休眠状態になったものから、まだ人類が使っていない未知の部分まである。あっても使われていないそれらは、スイッチが入ると機能し始めるのです。

 いわゆる天才と呼ばれる人たちの場合、元々の素質の問題だけでなく、あれこれ研究や修練を積んでゆくうちに、ふつうの人が使わない脳の領域を使わざるを得なくなり、それが活性化したケースとみなすこともできるでしょう。彼らはふつうの人とは似ていないが、それはヤマメとサクラマスの違いみたいなもので、眠れる遺伝子へのアクセスのあるなしが結果として大きな差異をつくり出したのです。

 僕は時々塾で生徒たちにこの話をして、君らは今は体長15センチ前後のヤマメだが、心がけ次第では60~70センチのサクラマスに変身することもありうるのだと言います。「ほんまかいな」という顔を彼らはしますが、それはありうることなのです。それは東大に入れるかどうかというレベルのつまらない話ではなく、もっとスケールの大きい話なのです。大研究者、大企業家、大政治家、大芸術家になることもありうる。

 僕は別に気休めでこういう話をしているわけではないので、実際、成績の如何にかかわらず「将来の大物」を予感させる子供はいるのです。そういうことを含めて考えるなら、別に小中学時代の学力テストの結果に一喜一憂する必要はないわけで、それは高校になればまた大きく変わるし、大学に入ってから、さらには社会に出てからも変わるでしょう。

 それは先ほどの「遺伝の影響はむしろ後で出てくる」という話に基づけば、やっぱり遺伝のせいだということになってしまいますが、今の「ヤマメ→サクラマス」の話に従えば、別の解釈も成り立つのです。

 日本の場合、国民レベルで言うと、アメリカなどと較べて学力の凸凹がずっと少ないが、全体に小粒で、大物が少ないという弱点があります。これはモチベーションの低さも関係することなので、チマチマつまらない小中生の学力テスト(それは子供にとって解くのが面白い問題ではない)の結果にこだわるより、もっと遠くを見据えた対応が必要だろうと思うのですが、いかがなものでしょう。今のわが国が置かれた危機的な状況を見ると、小ぶりなヤマメの粒が揃うかどうかより、サクラマス級の“大化け”人材がどれだけ出てくるかの方がずっと重要だと思うのですが。

大谷翔平に見る「今どきの日本の若者」の底力

2018.04.09.12:58

 エンゼルスの大谷が、三戦連続本塁打に加えて、投手としても「7回無失点・12奪三振の好投で今季2勝目」(朝日見出し)という驚異の大活躍を見せているようです。それでSHO Time なんて造語までできた。今後は警戒され、研究されていつまでも快進撃とはいかないでしょうが、現実離れのした凄さです。

 彼だけではない。平昌五輪男子シングル金銀メダルの羽生・宇野や、将棋の藤井聡太六段など、度胸も能力も満点の若者が今の日本にはたくさんいるので、今後日本は社会全体が大きな危機に見舞われるだろうと予測されますが、各分野で頼もしい若者が次々出てきて、その危機を救う大活躍を見せてくれるだろうと期待されます(ここに挙げたのは男子ばかりですが、それはたまたまで、女子にもいるはず)。ノーベル賞なども、愚かな科研費の大幅削減(安倍のアホに、海外歴訪のたびに無考えなバラマキをさせる余裕があるなら、もっと税金をマシなことに使え!)のために今後日本の受賞者はゼロになってしまうのではないかと言われていますが、科学や、人文社会科学を含めた各種の学問分野でも、大学者の卵はすでに出現しているでしょう。

 僕はながく子供相手の仕事をしてきましたが、飽きっぽい性格なのに予想に反してそれが長続きしたのは、「オトナは駄目でも、子供はまだ大丈夫」という感触がつねにあったからで、そういう思いを抱かせてくれたのは当の子供たちです。言葉で説明しろと言われれば難しいが、僕が接してきた子供や若者の多くは、ハートがあって、性格的にも感性的にも、頭脳の点でも、自分たちが子供の頃より「進化」してるなという感じがあって、育て方を間違えさえしなければ、将来が楽しみな子が多いなと自然に思えたのです。ちょっと見ただけではわからない「宝」を秘めている子が多い。少子化で過保護に育っているから駄目だというのは表面的な見方で、彼らはそんなにヤワではないのです。

 人間が生きるのに必要なのは、何より「希望」です。カネも最低限は必要だが、それは大した問題ではない。今の子供や若者に、従来の規矩では括れない豊かな資質をもっている子が増えているとするなら、僕らオトナのやるべきことは、少しでもそんな彼らへの妨害を減らし、環境整備を心がけることです。幸いなことに、あの超低次元の、戦前返り安倍政権もそろそろ終わりそうだし、「社会の無限後退」には歯止めがかかりそうです。

 今のような「かりそめの平和」が続くのは後せいぜい十年かな、と僕は見ていますが、「若者よ、大志を抱け!」で、将来活躍できるように、今のうちにしっかり勉強して能力を伸ばし、必要な教養も身につけておいてもらいたいと思います。

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