いつまで入試制度の“改悪”を重ねれば気がすむのか?

2017.07.12.17:08

 こちらも書いておきたくなったので、異例ながら連投します。

 以下は、「新大学テストでの英語 受験生の負担増が心配だ」と題された7月12日付毎日新聞社説の全文です。

 3年後にスムーズな大学入試改革を実現するため、なお検討を重ねるべきだろう。
 大学入試センター試験に代わって2020年度に実施する「大学入学共通テスト」の実施方針を文部科学省がまとめた。
 英語は23年度までの4年間、現在のマークシート式と、英検やTOEFLなど、民間の試験を併存させることになった。
 大学がどちらか一方を、または両方を利用できるようにする。24年度からは民間試験に完全移行する。
 20年度から民間試験に一本化する案も検討されたが、急な制度変更を懸念する高校などの声に配慮したということだろう。だが、試験制度が複雑になるため混乱が生じないか、不安がつきまとう。
 まず心配なのは、受験生の負担増だ。両方の試験をどう使うかは、大学が選択する。志望する複数の大学が民間試験とマーク式の異なる試験を課せば、受験生は両方の準備が必要になってしまう。
 試験結果の公平な評価を、どう確保するかも課題となる。大学で両方の試験の選択型を採用した場合、もともと性質の異なる2種類の結果を比較しなければならないからだ。
 民間試験も課題は残されている。文科省が例示する民間試験は8種類ある。たとえばTOEFLは留学を、TOEICはビジネスを想定した試験だ。目的や内容、難易度も一律ではない。
 入試に際しては、実施団体が採点し、国際基準の「CEFR」(セファール)の6段階評価に当てはめる。だが、得点がどの段階に当たるのかは各団体が決める。やはり公平に評価できるのかが問題になる。
 民間試験の場合、受験料の負担や、試験会場などで受験機会に格差が生じる懸念もある。環境整備に早急に取り組む必要がある。
 国語と数学では記述式問題の導入が決まった。だが、採点基準など詳細を詰めるのはこれからだ。
 文科省は11月に5万人規模のプレテストを実施して、問題点を洗い出していくという。
 大学側には、新制度が円滑に始動できるか、なお不安が根強い。見切り発車にならぬよう、しっかりとした検証と計画の策定が欠かせない。


 駄目な役所の特徴は、何かしろと言われて、軽挙妄動し、明確な見通しもないまま、何が何やらわからない中途半端なことをして現場に混乱をもたらすことで、文科省のこれなんか、その典型でしょう。

 近いところでは法務省と法曹団体によるあの「司法試験制度改悪」が想起されるので、訴訟大国アメリカの猿真似でロースクールを作って合格者を大幅に増やしたものの、弁護士余りが甚だしく、食えないというので、今度は昔通りの700人に減らせ、と言い出す始末です。しかも、無駄にカネと時間ばかりかかるというので、それを避けられる予備試験の受験者が激増(ロースクール入学希望者の方は激減)し、その予備試験経由の合格者がすべての大学のロースクールを押えてトップになり、判検事の採用でも、大手法律事務所の採用でも、予備試験組が一番優秀だというので優遇されるようになっているというのだから、ほとんどマンガです。その“成果”は学部にも及んで、法学部の不人気と偏差値低下を招き、経済学部などに文系優秀層が逃げてしまう現象まで起きているのです。現実的なシュミレーションができない馬鹿の集まりが法務省と法曹団体トップなのかと、笑いものになっています。

 センター試験について言えば、そもそもその前身の「共通一次」導入が失敗だったのです。それ以前は一次と二次に分かれた試験は東大だけで、他は大学別の個別試験だけだった。しかも、共通一次より東大の一次試験の方がずっとレベルはましだった。それは機械的な丸暗記に頼らなくて済むものだったからです。

「マーク馬鹿(思考の緻密さと深さがなくなる)」という言葉が生まれて、それは名称は変わったが今のセンター試験も同じで、僕は毎年、パソコンで試験当日深夜にその年の英語問題を解くのをつねとしていますが、全くもってあれは眠たい試験です。あんなもので、語学力の適正診断など出来るわけがない。端的に言えば、センター9割でも二次の記述の得点は3割以下ということになっても何の不思議もないようなものなのです。

 まあ、昔も受験者がむやみと多かった多い私立は記号問題中心にせざるを得ず、わが母校の問題など低級知能パズルのできそこないみたいで、何たるクソ問題かと思えるようなものでしたが、幸い受験生の多くはそんなかったるいものばかり「対策」でやっているわけではなかったので、その弊害も和らげられたのです。

 とにかく今はこの「二重制度」のおかげで、受験生はセンター対策と二次の個別試験対策の二つを同時にやらねばならなくなった。これはそれ自体、余計な負担です。その分忙しくなって、ロクに読書なんかしているひまもないということになると、大学入学後モノを言う生きた学力の方は必然的に低下せざるを得ないでしょう。駅弁国公立の理系の場合、二次は英語がないところも少なくないのですが、センター英語だけで英語力を判定することは無理なので、昔の個別試験一回きりのときは当然英語も試験科目に含まれていたわけだから、そちらの方がよかったのです(これはあのセンター国語も同じです)。

 まともな大学は、今でも入試問題作成には力を入れています。自力でまともな入試問題一つ作れないような低レベルな大学は潰れてしかるべきなので、ゴチャゴチャおかしなことをやるより、センター試験=統一試験そのものを廃止してしまえばいいのです。シンプル・イズ・ビューティフル、なぜそうしないのかと不思議でなりません。その方が税金の節約にもなる(TOEFL、TOEIC対策なんて、今はふつうにどの大学でもやってますよ。その段階では遅すぎるということはない)。

 当時聞いたところでは、あの共通一次=センター導入に際しては、高校の先生たちのおかしな「要望」が大きかったのだそうで、彼らは大学の入試問題は難しすぎる、これは高校の現場教育をないがしろにするものだと文句を言ったのです。つまり、学校の授業をちゃんと聞いてさえいれば6、7割はとれるような試験にすべきだ、そしたら生徒たちも真面目に授業を受けるようになるだろう、ということだったのです。

 これも現実的思考力の欠落をよく示すもので、それでは差がつかないから、二次試験を重視して、そこで難しい問題を出題してふるいにかけるということにならざるを得ないので、受験生にとっては、新たにセンターの負担が増えただけ、という結果になったのです。

 要するに、高校教師のつまらないプライドが事態を複雑にした。ワリを食ったのは受験生たちだったのです。昔は「ふつうの」学校授業は入試の役には立たなかった。しかし、それはそれでいいので、大学、特に難しい大学を受ける連中は入試との「落差」を埋めるために自分で勝手に勉強した。それで何が悪いのかと思いますが、それでは学校教師の立場がないというのでおかしな共通テストを導入させ、結果として難関大の二次は相変わらず「学校レベル」を超えているので、受験生にとって負担は増えたが、「役に立たない」のは今も同じなのです(有名進学校のそれは別でしょうが、ここは「ふつうの公立高校」の授業を念頭に置いて言っているのです)。

 今は国公立も推薦枠を拡大しています。私立の前例に見られるように、推薦入学者の学力が低くて、その占有率が大きくなると大学の信用自体が低下してしまうというリスクはありますが、そうなると困るのは大学の方なので、当事者だからそうならないように対策は自然に講じるようになるでしょう。げんに講じているのを僕は知っているので、文科省がとやかく指図するには及ばないわけです。

 だから、改革のディティールがどうの、方向性がどうのというより、いらんことをしなければいいだけなのです。大学毎の個別試験だけに戻し、推薦制度なども独自に考案させればよい。それが受験生にとっても、大学にとっても、一番いい解決策でしょう。

 大体あの、何とか審議会とか諮問会議というのは何なのでしょう? 有識者だの文化人だの企業家だのを集めてどうのこうの言わせても、所詮は名誉欲とプライドだけ無駄に高い素人の集まりで、誰もグランド・デザインをもっている人はいないのです。そこでやることはといえば、大方は他国、とくにアメリカの猿真似(統一試験を2種に分けるなんて、完全にそれですよ)で、いじればいじるほど制度を悪くしてしまう。愚の骨頂とはこのことです。

 政府も文科省も「いらぬお世話」から手を引け。僕が一番言いたいのはそのことです。とくにノータリンの安倍政権になってからのズレた「教育制度」いじりは目に余るので、大学の文系学部潰しだの、企業の下請け化だの、僕は腹の立てどおしです。幸いあの政権はもうじき潰れますが、この際だから、こういうのは全部白紙に戻してしまえばいいのです。僕はセンター全廃主義者ですが、下手にいじり回して複雑にするよりはまだ今のままの方がマシ、と考えています。同じ意見の人は、教育関係者には多いだろうと思うのですが。

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受験と環境

2017.02.20.16:29

「名子役」として有名な芦田愛菜ちゃんが「偏差値70を超える私立名門中学に合格!」というのがネットでは大きなニュースになったようです。芸能界に疎い僕は、いつぞやも生徒たちに「先生はピコ太郎も知らなくて生きてるんですか!」と呆れられたのですが、これも塾で話題にならなくてよかった。アシダアイナと読んで恥をかくところだったからです。

 アメリカでは、これは一定年齢以上の人しか知らないかもしれませんが、名子役として人気を博したブルック・シールズやジョディ・フォスターの例があります。前者はプリンストン大学、後者はイェール大学に入ったから、才色兼備と騒がれたので、今は映画監督としても活躍しているジョディなどは「高校時代はロサンゼルスのリセ(註:これは厳密にはリセのロサンゼルス校と言うべきでしょうが)に在籍し、バカロレアを取得。卒業後はハーバード大学、コロンビア大学などを蹴って、イェール大学に入学した。アメリカ文学を専攻し、トニ・モリソンの論文で優秀な成績(Magna Cum Laude)で卒業した」(ウィキペディア)というから、その才媛ぶりも半端ではないのです。

 天は二物を与えず、と言いますが、しばしば与えるので、前にうちの塾でも、可愛い上に頭がいいというので、男の子たちに騒がれ、本人は迷惑がっていたようですが、ストレートで国立医学部に入った女子生徒がいました。文学好きで、歌もプロ並のうまさだというので、二物どころか五物くらいもっているように思われたのですが、「神はえこひいきする」のです(頭がいいのも道理で、両親は共に国立大出身の医師。母親は、「こんな美人の女医さんも珍しいな」という人だったので、そちらも遺伝なのです)。

 その芦田愛菜ちゃんは、実は小4の頃から中学受験塾に通っていたそうで、とくにここ数か月は毎日十時間を超える猛勉をして、栄冠を手にしたということです。先週末、週刊誌を立ち読みしたら、合格したのは女子学院と慶応中等部だったとのこと。女子学院に進んでトーダイを目指すか、手堅く慶応をえらんでそのまま慶大にエスカレーター進学するか、迷うところでしょう。ひょっとしたら、国際派女優を目指しているようでもあるので、大学はアメリカの名門を、と考えているのかもしれません。

 元は関東の塾にいたので、僕も中学受験の大変さはよく知っています。小4から塾通いをするのはふつうで、お金も親の手間も、半端でなくかかる。入試の際には面接で親の「品性」もチェックされるというので、僕みたいな人間だと「わが校の上品な校風からすれば言語道断」ということで、わが子がいくら頑張っても落とされてしまいそうです。

 今年はまだこれからですが、毎年出る「東大合格者高校ランキング」を見ると、ベストテンはつねに有名私立・国立の中高一貫校で占められています。国公立医学部も、統計を取ればそうなってしまうでしょう。京大は公立高校もぽつぽつ混じっていて、全体に特定の学校への偏りが少ない(地元占有率も低く、割と全国からバランスよく集まっている)が、いずれにせよ私立が強いことには変わりがないので、「お受験」が過熱するわけです。

 中高一貫校が大学入試に強いのは、有名難関校の場合、元々頭のいい子が集まっていて、そういうのが切磋琢磨すれば半自動的に学力も上がる、ということがまずあるのですが、他に、先行学習で五年間で六年分の課程を全部終えてしまって、高3段階では入試演習に入って、丸一年受験準備に使えるということが大きい。これに加えて、都会だと有名予備校や塾にも通えるので、万全の対策が取れるわけです。教員も、そういう学校は能力の高い教師を揃えられるので、低次元の丸暗記ばかり強いる並の公立高校とは違って生徒に刺激に富む、面白い授業を提供できる。あれやこれや、「受験に強い」のはあたりまえなのです。

 地方の並の公立高校の場合、六年分を五年で詰め込むのと違って、二年で三年分は無理だし、生徒の粒もそこまで揃っておらず、教師の質も劣るので、初めから勝ち目がない。当地の高校などの場合には、ここの「延岡の高校」コーナーに何度も書いたとおり、朝夕課外なんて余計なものまであって、内容も貧弱そのもので、その目立った効果は生徒を慢性睡眠不足に追い込むだけなので、逆に生徒の足を引っ張る結果になるのです。それでは基礎も応用もどちらも駄目ということになりかねず、いずれにせよ自分で勉強するしかないが、その時間的・内面的ゆとりもないので、たとえていうなら、何かのスポーツ部に入って、毎日過酷なうさぎ跳びの練習ばかりやらされて、身も心もクタクタになったが、かんじんのスポーツ技能の方はまるで上達しなかった、というようなものです。この鬼コーチ、その指導の非科学性をいくら説明してあげても自分の指導の正当性に固執するので、処置なしなのです。「考える力」のない教師に「考える力」のある生徒が育てられるわけはないが、「ある」つもりでいるから、始末に負えない。

 話を戻して、中学受験の場合、小学生の頃からそんなにお勉強させて大丈夫なのかという問題はあって、僕自身は昔から、その年齢では好きなだけ外で遊ばせた方がいいと考える派です。勉強は後でいくらでも取り返せるが、子供時代の楽しい遊び体験は取り返せない。私立には小学校からというのもあって、一番有名なのは慶応幼稚舎ですが、あんまり早くから同質集団の中で育つと、人間や社会の見方に偏りが生まれやすいという懸念もある。色々な家庭、能力の子供が混在するふつうの公立小中にも「世の中の実相」を学ぶという点で、それなりのメリットがあるのです(いじめは私立にもある。ある意味でそれはいっそう陰険ですが、表に出にくいというだけの話です)。

 今は公立の地盤沈下を食い止めようと、全国的に公立の中高一貫校を作る試みが行われている(宮崎県にも三校ある)ようで、そうすると受験に強い私立と同じ態勢がとれる。学費は私立と較べてずっと安いから、親の経済力にかかわらず、優秀な子供たちに私立と同じ教育を受けさせられる可能性が広がったと、一応理論的には言えます。「一応」というわけは、今は教員の社会的地位が低く、教員志望者の学力レベルも他の業種の大卒者と較べて概して見劣りする上に、公立の教員採用試験の基準は外から見ると不透明なので、それに見合った資質と能力をもつ教員が確保できるのかどうか、いくらか疑念があるからです。

 ついでに公立中高一貫校の入試について言うと、どこもかなりの高倍率になっているようですが、それは私立入試とは少し違うのだそうです。次の記事をご覧ください。

・合否を決めるのは入学試験ではなく「適性検査」

 公立中高一貫校を語るうえで忘れてならないのが、「適性検査」です。公立中高一貫校の場合、「受験」ではなく「受検」といいます。なぜかといえば、学校教育法が受験競争の低年齢化を防ぐ目的で、公立中学校は私立などで行われる「学力検査」を禁じているからです。
 そこで、私立受験のような科目別テストではなく、作文などを通して考える力や表現力など、教科を超えた総合的な思考力や表現力などを見るための「適性検査」が行われます。
「適性検査では、私立と違って、ほとんど知識量が問われることがありません。公立である以上、入試による学力選抜ということができないので、その子の思考力や学校で学んだ基礎学力を測る問題になっているといっていいでしょう。私立に比べて、小学校の勉強にプラスアルファといった感じの知識が問われる程度で、あとは思考力や計算力、作文力を鍛えることで対策ができることも魅力の一つです」と中村さんは言います。(日経DUALの記事より引用)


「私立受験のような科目別テストではなく、作文などを通して考える力や表現力など、教科を超えた総合的な思考力や表現力などを見るための『適性検査』が行われ」るとありますが、こういう「試験らしくない試験」は、実は頭のよさをはかる手段としては最も有効です。いわゆる「地頭」のよしあしは、そういうところにはっきり出るので、もしその趣旨どおりの「適正検査」が行われているなら、知識量や特殊なテクニックがモノを言う試験よりずっと効果的に優秀な子供をえらび出すことができるでしょう(そもそもが私立中学自体、「受験対策」ではカバーしきれないそういう面を見られるような試験問題づくりに苦慮しているはずですが)。

 だから公立の中高一貫校は、教員の質の問題さえクリアすれば、大学受験に関しても私立に負けない成果を出すことができるでしょう。地域差はむろんあるとしても、素質の高い生徒を集めて、それで難関大にはめったに受からないということになれば、それは教える側に問題があったということになるわけです。

 問題はそういう公立の中高一貫校もなく、私立にも見るべきものがないというような地域の子供たちで、延岡などはまさにこれに該当するのですが、環境的に不利になることは否めないので、自力本願にならざるを得ない。学校側の管理・時間拘束がきつすぎて、その「自力」の発揮まで妨げられるのは問題で、当地で半ば公然と保護者の間で語られているのは、「ああいう『指導』ではよくできる子でもせいぜい九大どまりで、阪大レベルになるともう無理。国立医学部も推薦でないと狙えない」といったことです。これは二次学力が身につかないからで、センター試験は基礎さえしっかりすれば特段の指導は必要ないし、生徒たちは何のためにあんな忙しい思いをさせられているかわからないわけです(その基礎も怪しいのは、延岡高校でも、他の教科のことは知りませんが、センターの英語が5割を切る生徒がたくさんいることからもわかります。あの試験、基礎力さえあれば7~8割は行くはずで、主要3教科の中で一番点が取りやすい)。

「せいぜい九大どまり」なんて言うと、旧帝大で九州随一の大学である九大様を馬鹿にするのか!と叱られるかもしれません。わが零細塾でも、ここ十年で九大に現役で行った生徒は八人ほどいて、いずれも優秀な生徒たちだったので、そういうつもりはないのですが、言わんとしているのは、生徒本来の資質からすると、1ランクか2ランク下の大学しか受からなくなる、少なくともそういう傾向が強い、ということです。これは教育環境というファクターでそうなってしまうので、僕は別に難関大信者でも何でもなく、それぞれの生徒がその能力に見合った大学に合格してくれれば嬉しいのですが、ふつうに考えてそれは惜しいことでしょう。逆に言うと、九大は大丈夫だろうなと見ていた生徒が、重なる疲労で途中から失速して熊大になってしまう、といったこともあるのです。そういうのは塾教師から見ると歯がゆい感じがする。中には思った以上に伸びて、当初は視界に入っていなかった上位の大学にすんなり合格する生徒もいるのですが、率直に言って、それは学校のおかげではないのです。むしろそちらの「手抜き」がうまく行って、必要な効果の上がる勉強ができたということが大きい。

 だから、前に「遺伝か環境か?」と題して書いた記事にもあるように、元々の素質、潜在能力というものは勉強に関しても大きいが、教育環境も受験には大きな影響を及ぼすので、地域によっては選択の余地があまりなくて、そういうところの子供は割を食うこともあるということです。

 こういう場合、学校がよけいな世話を焼かずに、無用な課外などは廃止して、無駄な宿題も減らし、授業では基礎の習得(たんなる暗記ではなくて理解に基づくそれ)を大事にする、というふうにしてくれれば、生徒たちは自分で勉強するゆとりがもてて、塾もいわゆる「発展学習」や入試向けの実戦力養成に傾注できるようになって助かるのですが、現実はなかなかそうは行かない。もう一つ、行き過ぎた部活の問題もあって、中には話を聞くだけで、それじゃ勉強との両立はとうてい無理だな、と思われるものもあるのです。何事もバランスを考えてやってもらわないと困る。

 前にも書いたように、今は地方でも塾があるし、スタディサプリ(受験サプリ改め)みたいな廉価のネット予備校もあって、それは経済的に余裕のない家庭の子でも無理なく利用できるので、学校が受験指導の任に当たる必要自体がなくなっているとも言えます。こう言っては失礼ながら、「生兵法は怪我の元」で、受験指導の場合には、指導する側ではなくて、それを受ける生徒の側が「怪我」させられるので、事態はいっそう深刻なのです。

 最後に、生徒や親御さん向けに言い添えておくなら、受験というのはやはり「よく準備した者が勝つ」ものです。二次試験の過去問を解かせて、その出来具合を見れば大体の予測はつくので、センターでいくらA判定が出ていても、いくら答案を文字で埋めても、これだとよくて3割の点数しかもらえないなというようなものなら、受かる道理がない。二次試験の問題というのは大学間でかなり極端な難易差があって、それは全員が同じ問題を解く模試などの偏差値では測りきれないところがあるので、実際の受験ではそのあたりをよく把握しておくこと、そしてそれに対する備えをしておくことが重要なのです(あの大学別の冠模試というのも、問題がズレたところで難しすぎたり、採点方式に疑問があったりするので、一応の参考にしかならない)。

 気をつけたいのは、本人は「かなりできた」つもりでも、実際はその半分以下の点数しかとれていないということもあることです。支離滅裂な英文和訳の文や、構文自体成立していない英作文など、実際はかぎりなく零点に近いでしょう。それでも半分ぐらいは点がもらえるのではないかというのは希望的観測というもので、そういうものに頼ってはいけないが、指摘されるまでそれがわからない人というのは案外多いものです。逆に本番後「しくじりました」と言うから、どんなことを書いたのかときくと、マイナーなミスがあるだけで、大筋は合っていて、まともな日本語にもなっているから、君が自分で思ってるほど悪くないよというケースもあって、こういうのは大方受かっている。そういうものです。

 そこらへんのことは過去問を解かせている段階で大体わかるので、いくら頑張っても単語などの知識レベルではなく、理解力レベルでここの問題は無理そうだなと思ったときは、僕は志望校替えを勧めます。むろん、他教科、たとえば数学が並外れてできて、二次でも満点近く取れそうだ(本人の希望的観測に基づくのではなしに)というのなら、また話は別です。しかし、他も人並なら、まず勝ち目はない。

 むろん、この大学のレベルなら、この問題はほとんどの受験生はできないだろうと思われるのもあって、そういう場合にはそこはできなくていいわけです。標準的、基本的な問題でおかしな答案を書かなければ無事合格する。

受験に関して一番アドバイスが必要なのは、おそらくこのあたりでしょう。そしてそうしたことも踏まえて答案の書き方、勉強の進め方で必要な自己修正(そこは素直さ、柔軟さが必要です)をやって、できる準備をきちんとした受験生は合格する。「うーん。微妙だな」と感じられるケースでは、とにかく結果を待つしかないわけですが、大方は受かるべくして受かるし、落ちるべくして落ちるので、予想外のことはあまり起きないのです(今は入試の得点開示が多くの大学で行われていて、京大、阪大の受験者あたりは今後のこともあるのでそれを事後に教えてもらっているのですが、これまでのところでは、センター判定のよしあしにかかわらず、皆二次への準備をきちんとした子たちだったので、余裕の点数で合格していました)。

 これは延岡の県立校の生徒たちについてですが、概して受験準備に入るのが遅すぎるので、これは生徒たちが課外だの部活だので多忙すぎることもむろん関係するのですが、高3の途中から飛び込みで入った生徒たちの場合には、元からよくできる子ならともかく、もっと早く来てくれれば第一志望を諦めずにすんだのに、と思うケースが多いので、本来的な能力は十分ありそうなのに時間が足りず、基礎固めも終えないうちに本番に突入ということになってしまうのです。センター試験が終わってから初めて二次の過去問を見て、その準備に入るというようなのも遅すぎる。それが本人の学力レベルからすると下の大学の場合は別として、難関大の場合なんかとくに、間に合うわけはないのです。

 むろん、早くから来ていても、教えたことが右から左に抜けていってしまう生徒もいて、「これ、前にも何度か教えなかった?」と昔のことばかり繰り返す認知症の老人になったような気分できくと、「先生はわかってないんですね。メモリーの容量が決まっているので、古いのは自動的に消去されるんです」と澄まして答える生徒がいたりするのです。「それがほんとだとすれば、先に基本的な重要なことを教えるわけだから、大事なものから順に消されていくことにならない?」と言うと、「そうです! だから模試の成績が勉強すればするほど、逆に下がっていくということにもなるんですよ」と明快に解説してくれたりする。こういう生徒はユーモアがあって面白いのですが、教師はそれを聞いて顔では笑いつつも、心では泣くのです。パソコンみたいにメモリーの増設というのはできないものなのか…。

 冗談はさておき、そういうわけなので、生徒諸君は主体性をもって、早めに準備にとりかかることです。高2の終わりまでに英数国の基礎固めぐらいはしておく。それをしないから、理社も加わってやることが増えると、何が何やらわからなくなってきて、未整理のコマギレ知識の洪水の中で溺れる羽目になるのです。たとえメモリー容量が決まっていたとしても、知識が理解に基づいて整理されると、データが圧縮されて、空き容量が増えることになるでしょう。そのためにはロクに考えもせずやみくもに詰め込むのではなく、理解して入ってくる知識に有機的な関連をもたせ、整理する努力が必要です(そういうのだと応用も利く)。二流三流の学校というのは、指導も物量作戦に頼りがちですが、そうしたやり方に振り回されていると、多忙さからやることが万事雑になり、板についた緻密な思考ができない人間になってしまう。それでは学力も伸びず、それが要求される二次の記述などにはなおさら対応できなくなるので、後で泣く羽目になるのです。そのあたり、自覚をもつことが大切です。そうすれば自分の学力的な弱点も客観視できて、次に何をやればいいのか、どういう勉強の進め方をすればいいかといったことも、おのずと見えてくるでしょう。

今年のセンター試験

2017.01.17.15:06

 この前書いた僕の最速の英語平均点予想は大外れだったようです(涙)。

 河合・東進の実際の受験生データを基にした平均点は124点(リスニングは28点)。国語の方が107点、108点になっていて、そちらはその後問題を見て、まあ115点を切ることはないだろうと思っていたので、こちらも外れ。ほんとのところはまだわかりませんが、英語は120を下回ることはなく、国語は110には届かない、というところでしょう。

 僕が「当たったら自慢しまくる」と言っていた文法の予想問題は、tillとbyや、使役動詞、現在分詞と過去分詞の使い分けなど、「これは当たりと言えるだろう」というのが三つ、四つありましたが、あまりにもオーソドックスなので、大方は間違えないだろうというようなものばかりです(もう少しイディオムも出したら、と思いますが)。唯一、米会話ではよく使うのに、学校では教えてなかったりするhave got to を、「意味はhave to と同じだから、形から現在完了なんてヘンな思い込みしないように」と念を押しといたのはよかった。リスニングの第一問にそれが出てきたからです(尤も、これはふつうの入試用英文法問題集にも出ています)。

 塾の生徒たちのデータはまだ少ししか集まってませんが、今のところ平均を下回るようなものはない。生徒たちがいやがるだろうからここにその平均を書いたりはしませんが、例年「センターにはやっぱり魔物がいます!」なんて言う生徒もいるので何とも言えないものの、130を下回ることはないよう願っています。

 総合の平均点は文系・理系とも、去年とほとんど同じになりそうです。平均点のバランスがよくとれているので、科目間の得点調整もないでしょう。

 ここで一般的なアドバイスをしておくと、センターの成績で出願先を変更する場合、その大学の二次の問題をよく見とかないと失敗するので、過去の最低点がどれくらいで、二次ではこれくらい必要だが、このレベルの問題なら自分の学力でどれくらいまで行ける、というところを冷静に判断してかかることが大切です。毎年、A判だったのに落ちたとか、逆にDでも受かったなんてよく聞きますが、それはそのへんのことが大きく関係します。これにはむろん、押さえの私立があるかどうかといった、メンタル面も大きいのですが、二次の比重が高い難関大はとくに、センターでAかDかなんてあんまり関係がない。今は入試の成績開示が一般的になって、そのあたり確認できるのですが、二次に照準を合わせて勉強してきた生徒はD判でも上位の成績で合格したというのがあるし、その逆もあるのです。

 そういうところもよく見極めて、二次試験に向けて頑張って下さい。センターで大失敗した人も、私立ではうまく行って、格上のところに合格できたということもあるので、諦めたり安心したりするのはまだ早すぎるのです。

2017年センター英語平均点予想

2017.01.15.00:25

 例によってパソコン画面で解いてみましたが、大問4のA(問題番号㉟~㊳)が面倒です。あそこで時間を食われると気持ちが急(せ)いて大量失点の恐れがあるので、“カンピューター”を使った僕の今年の平均点予想は108点ぐらい。煩悩の数に合わせてみました、みたいな感じですが、「いらない文を取り除け」という問題などは例年以上に見え見えでわかりやすいし、ウェブサイト広告のところは一ヵ所引っかけがあるものの、発音・文法・長文共に全般に素直で易しい印象ですが、あそこで時間配分に失敗して、という人が相当いるでしょう。今の受験生はそのあたり要領がよくなって、僕も「時間が食われそうなところは後回しにする」よう言っているので、うまくしのいだ人もいるでしょうが、かなりの受験生があそこでつかえたと見て、下がると予想します。

 猫への変身譚は笑えましたが、話の趣旨はえらく道徳的です。国語はまだ見ていませんが、予備校の分析では易しかった去年よりは現国が難化して、平均点は下がると見ているようです。受験生諸君は残りの理系科目を頑張って下さい。

いよいよセンター試験

2017.01.11.17:10

 早いもので、今度の土日がセンターです。センターに合わせて寒波襲来みたいになっているのは気がかりなところで、暖かいこちらでも当日は最低気温が零度ぐらいになりそうですが、受験シーズンは寒いのが定番なので、そちらの方が「気分」が出るかもしれません。受験生諸君はそこらの対策をきちんと取って(但し、会場は暖房が効いてかなり温度が高くなる場合もあるので、着脱自在な構えをしておく)、落ち着いて試験に臨んでもらいたいものです。

 僕も今年は久しぶりに、「当てる」という明確な意図をもって文法の直前予想問題プリントを作りました。かつてはそれから一問か二問は出るということが三、四年続き、的中率の高さを誇っていたのですが、近年はあまりにも問題が素直すぎて、やる気を失って作るのをやめていました(センターには出なくても私立入試には出るのですが)。今年はそれを復活させて、A3三枚のそれを作った。当たったらここで自慢しまくりますが、外れたら、知らんぷりして一切触れないことにするでしょう。

 冗談はさておき、それは受験生なら誰でも知っているようなものは省いて、盲点になりそうな文法・語法の重要ポイントを網羅したものです。やるのが一週間以内なら、どんな忘れっぽい生徒でも憶えているでしょう。よく生徒が「この前塾でやったのが模試に出ました!」なんて喜んでますが、予備校の模試の問題を当てても意味はないわけで、本番で当たってくれないと作った甲斐がないのです。

 今年のセンターは去年易しすぎた国語(最も平均点が低かった2014年度と較べると、実に30.72点の差がある!)は少し難しくなるだろうと僕は見ていますが、平均点が安定的に推移している英語も、2020年以後の新テストをにらんで、いくらかは「考えさせる」性質の、いわゆる「新傾向」問題が出るかもしれません。センターの英文は内容的に毒にも薬にもならないようなものが多すぎるので、もう少し話の面白い、突っ込んだものが出ないかなと、平面ガエルになった気分で、毎年パソコン画面で退屈しながら解いている僕は思うのですが、全然変わらないかも知れないので、そこらへんは出題者の考え次第です。

「新傾向」などと言うと、生徒たちは「そんなのありですか!」と言いますが、それはありなので、但し、誰でも初めてお目にかかるのは同じなので、別に焦らなくていいわけです。それで動揺すると、取れるものも落としてしまうから、メンタル的に変化に弱い人はダメージを受けやすい。形式が違うというだけで易しい問題もあるし、難しい問題なら、大方の受験生が解けなくて平均点も低くなるから、あわてる必要は何もないのです。何事も不動心が大切です(試験に勝つ鉄則は、センターであろうと二次であろうと、「取れるところを確実に取る!」ことです)。

「不動心」といえば、去年もこんなことがありました。ある生徒にセンターの自己採点結果を見せられて、僕は固まってしまったのですが、英語の得点が87点になっているのです。むろん、100点満点ではなくて、200点満点です。元はといえば彼は模試で英語は4割に満たない点数をとっていて、春先の入塾時にその成績を見て僕はひそかに戦慄したのですが、11月まで続いた部活には悩まされたものの、本人の奮闘努力の甲斐あって、12月にはほぼ7割というところにまで到達していたのです。模試でこれなら、センターではまず確実に7割は取れて、順調に力もついてきたようだから8割も夢ではないと思われ、本人も喜んでいたのですが、突然のごとく悪夢が再来したのです。

「ち、ちょっと先生、言い訳させてください…」と、彼は眉間に皺を寄せた僕に向かってあわてて言いました。これには「特殊な事情」があるのだというのです。ふーん。そんなに言うなら、一応聞いとこうか。何でも彼が言うには、前か横の席の受験生が英語の試験時間中ずっと寝ていて、「人が必死にやってるのに、何なんだ、こいつは!」とムカついて、全く集中できなくなったというのです。それで、後で見たら何てこともない問題まで落としまくる羽目になった。

 前にも数学が得意な生徒で、その数学の試験中、真後ろの受験生がずっと机の上で「鉛筆転がし」をやっていて、それに集中力を害されて不本意な成績になってしまったということがありました。これだとたしかに同情に値するので、僕ならそういうとき、後ろを振り向いて、「このどアホ、殺されたいのか!」ぐらいは言ってしまうだろうと思いますが、今どきの心優しい高校生にはそんなことは無理なので、そういうときは黙って手を上げて係員を呼び、事情を説明してその生徒に注意してもらえばいいのだと言ったのですが、そういう他の迷惑を顧みない非常識な馬鹿がいるというのは信じがたいことです(自分は無自覚でも、一生恨まれて、「生霊(いきりょう)の祟り」ほどこわいものはないので、ロクなことにはなりませんよ)。しかるに、今の彼の場合、相手の生徒はただ黙って寝ているだけなのです。心安らかに寝かせておいてやればいいだけで、その程度のことに心を乱されるとは何事かと僕は怒りました。それで事前予想より英語だけで50点以上も下げてしまい、それだけで6%も総合得点率が下がってしまったのだから、国立合格は絶体絶命のピンチに陥ったのです。

 それで僕は、二次試験のときは、たとえマグニチュード8の大地震が起きて、周りが大パニックになっても試験用紙と鉛筆を離さず、天井が崩れ落ちてその下敷きになっても、何事もなかったかのごとく、「不動心」をもってそのまま問題を解き続けるようにと言いました。二次(英語も入っていた)でも同じことをやらかせば、即死刑なので、「避難指示」に従って自分も逃げ出しましたなんて呑気なことを言ったら、僕に殺されることになるのです。

 そこで彼は「不退転の決意」を誓って、「今度はちゃんとできました」ということで、低倍率にも助けられたとはいえ、二次での雪辱がかなって無事合格できたのですが、うちの生徒には時々こういうのがいるからこわいのです。前には浪人生で、会場を間違えた(勝手に地元の私大だと決め込んでいたら実は宮崎大学だった)なんて恐ろしいのがいたし、翌年か翌々年、その話を別の浪人生にしていて、「あはは。会場も確認してないなんて間抜けですよね」なんて余裕こいて言ってたものの、「ところで、君はもうセンターの願書は出したんだろうね?」ときくと、「えっ? まだだいぶ先じゃありませんか?」と言うので、その場で調べてみたら、三日後が締切日(消印有効)だったなんてこともあったのです。必要書類の申請すらまだ学校にしていないというので、本人は顔面蒼白。これ、たまたまその日に偶然そういう話になったからよかったものの、翌週になっていたら、完全にアウトで、何のために浪人しているのかわからなくなっていたのです。どっちが「間抜け」の度合いが大きいのかわからないので、予備校に通っていればそのあたり注意してもらえるからいいとして、宅浪の受験生の場合、ほんとに「出し忘れ」で受けられなくなる人がいるのです。

 まあ、こういうのはどれもすこぶる人間的で、後になれば笑い話ですむ(皆それぞれしかるべき大学に進学できた)のですが、抜かりがないという人も、よくあるマークミスなんかには気をつけることです。残り一分で、マークが一つずつずれていることに気づいた、なんてことになるとパニックになって、泣くに泣けないので、そこらへんはマメに意識しながらマークするとよいでしょう。

 試験にはミスはつきもので、パーフェクト狙いの秀才は別として、ミスもあれば幸運なまぐれもあるというのがふつうの受験生で、その比率が半々なら、まず順当に実力は出せたということです。そう考えて、神経質になりすぎず、しかし一定の緊張を保って、二日間、最後まで諦めずに頑張って下さい。
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