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「安定」という言葉が死語となった世界

2020.07.05(12:38) 735

 一昨日夜の大雨はこちらでもかなりのもので、雨音からもその凄まじさがわかりましたが、熊本県では球磨川の堤防があちこちで決壊して、大きな被害が出たようです。この場を借りてお見舞い申し上げます。先には地震で大きな被害が出ていたので、熊本の人たちは災難続きですが、今後どこを災害が襲うかはわからない。2011年夏には僕の郷里の和歌山県でも台風に伴う集中豪雨でいわゆる「山体崩壊」が起き、木々ごと崩れ落ちた山の大量の土砂が川を隔てた対岸の家々を呑み込み、上に逃げた人々をヘリで救出するという事態になりました。土砂は川を完全にふさいで天然のダムができ、やがて決壊した。その際、かつて道路があった箇所を数十メートルの深さでえぐり取り、そこを水が通り抜けたので、地形が変わってしまったほどでした。僕の父親はその集落の出身でしたが、過疎で人口が激減していたところにそれで、以後、その集落は無人となって、事実上消滅しました。

「異常気象」という言葉は三十何年かに一度という頻度のものを指すという話ですが、今やそれは日常的なものとなって、「異常が常態」になりました。この前書いた中国の三峡ダムの件も、やはり豪雨が収まらず、決壊を避けるための放流でしのいでいるようです。上下流でひどい洪水になっているようなので、ダムは「洪水調整機能」をもつどころか、決壊すれば大惨事になるということで、むしろ新たな脅威を増やしただけになっているようです。

 先週金曜にはアフリカの南部ボツワナで、ゾウが謎の大量死を遂げているというニュースが出ていました。頭数には報道によって違いがあります(250~400頭)が、まだ収まっておらず、現在進行形のようなので、下手をすると絶滅に近い状態にまで行ってしまうかもしれません(密猟によるものではない、とすれば何かのウイルスか?)。この前のオーストラリアの長期間にわたる大規模な山火事、アマゾン密林の急ピッチの減少、サバクトビバッタの大量発生等々、これに今世界中を悩ませている新型コロナウイルス禍が加わっているのだから、聖書の黙示録さながらです。関東で異臭がして、大地震の予兆ではないかという話も囁かれているようなので、関東地方の人たちは気をつけて下さい。とは言っても、自然はしばしば人の予測を裏切るものなので、南海トラフ大地震の方が先かもしれませんが。

 東西冷戦時代は、「核戦争」が最大の脅威みたいに言われていました。実際、米ソ両国が核戦争を始めれば、人類絶滅はほぼ確実だったので、放射能汚染だけではなく、いわゆる「核の冬」と呼ばれる現象が起きて、それは恐竜が絶滅したときの巨大隕石衝突後の気象変動のインパクトに劣らない。それが今では、核戦争以前に、地球温暖化とそれに伴う気象の異変による自然災害の多発、生物大量絶滅、新種ウイルスの出現などで、文明はたやすく崩壊するであろうことが認識されるようになったのです。僕が若い頃、『文明の生命力―テクノロジーからエコロジーへ』(ジャン・ドルスト著、宮原信訳、TBSブリタニカ 1981)という本が出て、それを読んで感銘を受けたことがあります。それは過去の幾多の文明の滅亡が「生態学的無知」によるものであることを説明したものでしたが、何のことはない、今の文明もそれと同じで、人類の「生態学的不遜」のために破滅の危機に瀕しているのです。

 しばらく前に、「古代マヤ予言による世界の終わり(2012年)」なるものが取り沙汰されたことがあります。あのとき僕は、「次のカレンダーの周期を計算する前にマヤ文明自体が滅んでしまっただけだろう」と言っていましたが、ナショナルジオグラフィックにそれに関連する記事が出て、これは慶大理工学部の英語の入試問題に少し語句を改めてそのまま出題されたのですが、そこにはそれを裏書きすることが書かれていて、やはりこれも元々は「生態学的無知」によったのです。マヤ文明は大がかりな灌漑施設を作って、初めはそれがうまく機能し、人口も増えた。しかし、それが機能不全になりかけたところに、気候変動も手伝って、繰り返し深刻な食糧不足に見舞われるなど、危機に陥った。この時点で人間の我欲と政治の無能が顕在化してきます。当時のマヤ文明は都市国家で、それぞれが王を戴く国家の集合体だったのですが、婚姻関係を通じて王族の数は増え続け、王は彼らのご機嫌を取り結ぶことなしには権力を維持できなくなっていた。彼らは民がどうなろうと自分たちのぜいたくな生活が維持できることが最大の関心事でした。しかし、経済システムそのものが機能不全に陥っているのだから、どうしようもない。それで戦争によって他の都市国家を攻め落とし、そこの財宝を分配し、そこの人民を奴隷化するなどの方策で、現状を糊塗し、配下の王族たちの支持をつなぎとめようとして、戦乱が続き、ついに滅んでしまったと、単純化して言うと、そういうことになったのです。都市国家間で協力して対策を協議し、生産システムをつくり替え、共生の道を模索しようとはしなかった。断じて既得権益を手放さまいとする富裕層の利己性と、「安きにつく」政治の愚かさが自らの破滅を招いたのです。

 今の文明も同じことになりかねない。過去の文明と今が違うのは、経済のグローバル化によってそれが事実上、単一文明化していることです。中国のような共産党一党独裁国家も、西側の民主主義諸国(尤も、一部の富裕層の支配になって、民主主義が行われているかどうかは甚だ疑問ですが)も、経済的に深く結びついているので、たとえば中国の三峡ダムが決壊して、中国経済が壊滅的な被害を受ければ、西側諸国も市場や生産拠点を失って、大打撃になるのです。尤も、今の経済システム、大量消費のあり方は、「持続可能」ではないことがはっきりしていて、コロナで経済活動が後退を余儀なくされたことも、地球環境全体から見ればプラスに働いている側面があるので、「おまえら、これを機に考え直せよ」と自然が言っているように感じられますが、とにかく大混乱になる。昔の文明は局地的なものだったが、今はそうではないので、その崩壊も局地的なものではすまなくなるのです。また、人類は核兵器をすでにもっている。貧すりゃ鈍するで国家間の摩擦が増え、敵対心が募って戦争になったとき、その使用をどこまで忍耐できるかは疑問です。テクノロジーは確かに発達したが、精神的に人類が進歩し、賢明になったかは疑わしいので、少なくとも文明国家では、これほど自閉的、利己的なメンタリティが蔓延したことはかつてないほどだと思われるのです。

 コロナがなくても、自然災害の多発がなくても、今のままでは自然資源が枯渇して、人類はその生物的生存の基盤を失う。それは明白なことで、この文明は「持続可能性」をもたないのです。そこを明確に認識して、人類は英知を結集してそれを乗り切らねばならないが、トランプでも習近平でも「自国ファースト」「自己権力ファースト」丸出しで、世界の二大大国の首脳がそれでは、見通しは暗いのです。北朝鮮みたいに、経済がどん詰まりで、いつ暴発するかわからない国もある。今どき国家の世襲体制なんて犬も食わないので、それを維持することが最優先課題だなんて馬鹿げ切った話ですが、現実にはそうらしいので、体制崩壊が避けられないとなると、何をしでかすかわからなくなる。悪いことに、あの国はすでに核をもっているのです。

 何にせよ、今の世界は非常に際どいところに立たされている。元々人間は、平和な時代でも明日何が起こるかわからないもので、昔、禅の坊さんたちは「無常迅速、生死事大」と言いましたが、今後はそういう外部環境からも、多くの人にそれが実感されるような時代になるでしょう。僕自身は若い頃から、長生きはしたくないとずっと思っていて、すでに六十五年も生きたので、べつだんこの世に名残惜しいということは何もないのですが、子供たちや若者の未来を奪うようなことはしたくない。オトナたちは近視眼的な既得権益や自己保身などの見苦しいことにばかりかまけるのはやめて、「今後の世界には何が必要か」ということを今少し真面目に考えるべきでしょう。若者たちも、沈みかけた泥船のどのポストに入り込めるかというような後ろ向きのセコいことばかり考えずに、自分たちで未来を作っていくことを考えてもらいたいものです。危機の時代には人材が出てくるものなので、これからはこれまでにはなかったタイプの大人物が出てくるかもしれません。そのためにはいい意味でのアウトサイダーでなければならない。こんなクソみたいな世の中に後ろ向きに「適応」することしか考えられないのではお先真っ暗でしょう。

 僕自身は自分にすることがまだ何かあるのかと考えると悲観的にならざるを得ないのですが、書き残しておきたいことが少しはあるので、それを書いておこうかと思っています。いくら言っても通じないなと思うことが多くて、だから言うだけ無駄だと思って書いていないことがあるので、それを書いてみようかと考えているのです。今度出る予定のジョン・マックのエイリアン・アブダクションの研究書の翻訳もそうですが、僕は「知のパラダイム転換」を要請するような本ばかり、えらんで紹介してきました。根本的な自己認識、世界理解の仕方が変わらないとどうにもならないと考えたからです。翻訳紹介というかたちでそれをやってきて、自分はその背後に隠していたのですが、それもだんだんめんどくさくなってきた。だから今度は自分で書きたいことを書いてみることにします。「無常迅速、生死事大」なら、生きられる時間をただ漫然と過ごしてはならないと、珍しく殊勝な心境になりかけているのです。皆さんもそのあたり、仕事の性質を見直すとか、自分の他者や世界との関係を見つめ直すとか、お考えになってはいかがでしょう?

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祝子川通信 Hourigawa Tsushin


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京大のヘンな研究

2020.05.16(01:16) 720

 ネットのニュースサイトを見ていたら、他とは異質ののどかな記事が出ていて、元を辿るとここに行き着きました。

ヒガラはシジュウカラの警戒声から天敵の姿をイメージできることを解明 -鳥類における他言語理解-

 多くの動物は天敵(捕食者など)に遭遇すると特別な鳴き声を発して警戒します。この鳴き声(警戒声)は、同種の仲間に危険を伝えるだけでなく、周囲に暮らす他種の動物にも警戒行動を促すことが知られています。本研究では、ヒガラが他種(シジュウカラ)の警戒声に反応する際、天敵の姿をイメージし、その意味を理解していることを実験によって明らかにしました。私たちは外国語を理解するとき、単語の指示する対象や概念をイメージしながら解釈します。動物たちも同様の能力を使って他種の音声(他言語)を理解していることが、今回初めて示されました。
 本研究は、野生動物の高度なコミュニケーション能力を明らかにしただけでなく、私たちの言語能力の起源や進化に迫る上でも重要な成果です。


 この記事についている写真の図解がわかりやすくて笑えますが、その実験手法を産経新聞が簡潔にまとめているので、それをご紹介すると、

 実験では、長野県北佐久郡で計93羽のヒガラを対象に調査。録音したシジュウカラの警戒音をスピーカーから流し、ヘビが木の幹を上ったり地をはったりする様子に似せて、小枝をひもで動かしてヒガラの行動を調べたところ、ほとんどの個体が接近して枝を確認した。一方、他の鳴き声を聞かせた場合や枝の動きがヘビに似ていない実験では、ヒガラはほとんど近づかなかった。

 というものです。うーむ。「ヘビが木の幹を上ったり地をはったりする様子に似せて、小枝をひもで動かしてヒガラの行動を調べ」るなんて、実際の実験風景を想像すると、牧歌的というか、のどかそのものです。これをいい齢した大学の先生、院生、学部学生が協力してやっているのかと思うと、微笑を禁じえない。

 もう一つ、同じ京大の実験で、「これは笑える」と思って書こうとしてついそのままになったのがあるのですが、お気に入りに登録してあったので、それもご紹介しておきましょう。

カエルとヘビの膠着状態のメカニズムを説明 -双方にとって後手に回って行動することが有利となる-

「ヘビににらまれたカエル」という言葉がありますが、この研究は「そのときほんとはどういうことが起きているのか?」を“学問的”に明らかにしようとしたものです。

 捕食者と被食者が対峙したとき、先手を取った側が有利であると一般的に考えられてきました。しかし、トノサマガエルとシマヘビにおいては、先手で動き始めると相手の対抗手段に対して脆弱になってしまうことが明らかになりました。そして、双方ともに後手に回ろうとした結果、我慢比べのような膠着状態が生じうることが示されました。また、この先手が不利となる状況の成立は両者間の距離に依存しており、トノサマガエルとシマヘビは、距離に応じて先手を取るかどうかを適切に選択していることが明らかになりました。

 つまり、「先手必勝」ではなく、むしろ「後手必勝」なので、「双方ともに後手に回ろうとした結果、我慢比べのような膠着状態が生じうることが示され」たというのです。

 うーむ。「深い!」ではありませんか? しかも、距離によっては先手が有利になる場合もあって、トノサマガエルとシマヘビは、そのあたりのことも考えつつ、にらみ合っていたのです。添えられた写真を見つつ、次のようなやりとりを想像してみて下さい。

トノサマガエル「あんた、ボクが右に跳ぶと思ってるんでしょう? 甘いわ! そう見せかけておいて、あんたが半歩出たところで、左にかわすんだからね」
シマヘビ「ふっふっふ。いったんフェイントをかまして、難を逃れたと思ったところを急襲するというのがワシの高等戦術なのよ!」

 詳しい内容はPDFがついているので、そちらをお読みいただくとして、トノサマガエルは跳躍の際、動きが読まれて空中で捕捉されることがあり、他方、シマヘビは攻撃がかわされたとき、0.4秒ぐらい次の行動に移れない(からだが伸びきってしまうため?)ので、それくらいの時間があれば、トノサマガエルは「安全圏となる周辺の水場に到達できる」という話です。

 それで、この写真のケースだと、先手か後手のどちらが有利なのでしょう? 僕の見るところ、この距離ではほぼ間違いなく「後手必勝」です。かなりの距離があるから、トノサマガエルがどちらに跳んでも、シマヘビは対応できる。むろん、反射神経が鈍いヘビ(個体によって不器用なのもいる)だと無事ですが、一般的な判断としてはそう思われるのです。これがもっと距離が縮むと、途中から先手必勝になる。シマヘビが予測した方と反対に跳べば、トノサマガエルは危地を脱出できる。他方、シマヘビの側からすれば、トノサマガエルが「どっちに跳ぼうか?」と考えるより先にパクッとやれば、捕えられるのです。

 しかし、こういう場合、シマヘビからした成功率はどれくらいなのでしょう? 「ヘビににらまれたカエル」説では100%ということになるが、それは誤りで、この研究ではそうではないということになるはずだからです。僕は子供の頃、何度か両者がにらみ合っているところに遭遇しましたが、カエルがかわいそうなので、いつもヘビを追い払ってしまった。とくにトノサマガエルは僕のお気に入りだったので、ツチガエルなんかにはそうでもなかったのですが、口にくわえて呑もうとしているところをヘビを棒で叩いて強引に助けようとしたことまである。今思うと、こういうのは自然の摂理みたいなものなので、ヘビに悪いことをしたなと思うのですが、当時はそういうことがわからなかったのです(ちなみに、シマヘビは神経質なヘビだとされますが、子供の頃、僕がヤバい奴だなと思ったのは真っ黒なカラスヘビです。概して体も大きかった気がするのですが、小道の真ん中にとぐろを巻いているのを蹴とばして追いかけられたことがある。同じシマヘビの黒化個体だそうですが、なぜだか気性が荒いのです。あれはどうしてなのでしょう? 二匹いたような気もするから、ひょっとして交尾中だったのか? マムシやヤマカガシと違ってあれに毒はないのですが)。

 話を戻して、僕がこの二つの記事を見て思ったのは、いかにも京大らしい研究だということです。ヒマ人というか、変人というか、一見どうでもよさそうなことに注意を向けて、大真面目に研究するというあたりが“京大的”なのです。そういう感じ、しませんか? 僕は関西出身なのに京都に行ったことがなくて、もうかなり前ですが、息子が学部の一年生の終わり頃、彼のアパートに行って、そこに数日泊まって一緒にあちこち京都の町を見て歩いたのですが、まず驚いたのが京大生専用というそのアパートが異常に静かだったことで、ほんとに他の部屋に人が入っているのかと訊くと、全部入居しているという話で、彼の部屋は一階にあったのですが、その真上の部屋には大学院でゴキブリの研究をしている先輩が入っているという。むろん、真面目に研究しているのです。大家さんがひと月か二月に一度、鮨など取って無料の食事会を開くことがあって、出席率は芳しくないという話でしたが、あるときその先輩もそこにいて、無口そのものだったそうですが、大家さんがこの前台所にゴキブリがいて…というような話をすると、即座に反応して、「そのゴキブリには羽根が何枚ありましたか?」と質問したという話です。誰もそんなことには注意を払わないから、訊かれてもわかるわけありませんが、真剣そのもののまなざしだったというのです。

 うーん、たしかに変人が多そうだなとあらためて感心しつつ、それにしても、おまえ、このコタツが異常に熱いのはどうしてだときくと、買ったときからずっと熱いままなのだと言う。だから、しばらくコタツに入っていて、耐えがたいほど熱くなるとそこから出て、寒くなったらまた戻るようにしているのだというのですが、ちゃんと「低・中・高」の調節つまみがついているはずで、何でそれを調整しないのだと言うと、彼は「えっ」と驚いて、コードをまさぐって、「入・切」のスイッチしかついていないと言う。いや、そこじゃなくて、こういうのは本体に付いているはずだと言って布団をめくって見ると、ちゃんとついていて、果たして「高」になっているのです。熱いのはあたりまえじゃないか。

 しかし、彼は全くそのことに気づいていなかったのです。遊びに来た友達がその点に疑問を呈したことも一度もないと言う。そういうことには無関心な連中ばかりなのでしょう。それで、これ、前におとうさんに借りた本だから返しておくと言って出した本が、自分で買った本なのです。それは面白いから読んでみたらとは言ったが、貸してはいない。僕の家にはちゃんとそれがあるのです。そう言うと、「そういえばそうだった」と思い出す。彼の場合は文系ですが、京大にはこういうのが多いのです。学生証を食堂かどこかに忘れてきて、ネットに落とし物の掲示が出ていて、あれはおまえのじゃないかと友達から電話がかかってくるまで、なくしていること自体に気づかない。必然的にそういうのが京大に引き寄せられて、変人だらけになる。フツーの人間が注意を払うところに払わず、世間の人がどうでもいいと思っているようなことに熱烈な興味を示して、研究したりするのです。

 こういうのはかなり当たっているのではありませんか? 上のような研究にはそういう“京大気質”のようなものが反映していて、だからふつうの人はあまり目を向けないようなところに目が向くのではないかと思われるのです。それにしても、冒頭の研究は「鳥類における他言語理解」というサブにも見られるように、研究者の側に人間と鳥の差別意識がないことが明らかだし、二番目は、ヘビとカエルのにらみ合いにあらためて疑問をもつというあたり、小学生的な感性が失われずに温存されていたことを示すものです。総長がゴリラの研究者で、ゴリラ社会に人間社会にはない高度な叡知を見出しているのと関係するのかどうかは知りませんが、面白いなと、根がヒマ人の僕などは思うのです。



祝子川通信 Hourigawa Tsushin


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にわにワニ?

2020.05.02(17:06) 716

 空は晴れ渡り、適度に風も吹いて温暖な今日あたりは絶好のアウトドア日和ですが、あの武漢ウイルス(表現に中国習近平政権への怒りがにじむ?)のために折角のゴールデン・ウイークが「外に出るな」のコールド・ウイーク(called game のもじり)になってしまったのは残念なことです。

 こういうときはイライラしても仕方がないので、笑える、またはほほえましいネタでも探すにかぎると思ってネットのニュース記事を見ていたら、「うまい!」と思わずうなるキャプションのついた記事がありました。前から読んでも、後ろから読んでも同じです。また、この映像のワニがど迫力で、デス・ロールで頑張ってみたものの、最後にはズルズル引きずられて沼に戻される姿もマンガの落ちのようで笑えます。

にわにワニ... 捕獲大作戦 アメリカ

 この「捕獲大作戦」でついでに思い出したのは、15年ほど前になりますが、息子が小2か小3の頃、祝子川の河川敷の前に水が澱んで沼のようになっているところがあって、そこにウシガエルが何匹かいたのを今頃の時期に発見したので、二人でそれをつかまえる計画を立てたことです。僕はこれを「ウシガエル捕獲大作戦」または「オペレーション・ウシガエル」と命名し、海釣り用の大きなタモ網まで用意して、7月頭ぐらいの日曜だったと思いますが、二人で泥につかりながら、1時間余り大奮闘したのです。

 父が追い込んで、子が網でとらえるという作戦でした。「ほら、そこんところに2つ目が水面に出てるのが見えるだろ?」「うん」「網をこれぐらいの高さに構えろ。今、おとーさんがわっとやるから、そうすると奴は驚いてそっちに跳ぶ。そしたらばっちりその中に入るから」ということで、やってみたところ、ウシガエルは驚異のジャンプ力で楽々それを飛び越え、ふたたび泥の中に潜ってしまいました。これには父子ともどもびっくり。最初は大きいのを狙っていたのですが、裏をかかれてばかりで成功しないので、小さめの奴も相手にすることにしたのですが、いずれもみじめな失敗に終わりました。

 他人のふりをして上の土手を散歩して戻ってきた母親は、「あんたたちは恥というものを知らないの! さっきから上を通る人はみんな笑いながら見てたんだからね。それで結局、泥だらけになっただけで、カエルの方がずっと賢いのがわかっただけ!」と例によって非難嘲笑し、水のきれいなところに行って泥を洗い流してくるよう命じられたのですが、教育的配慮に富む父としては、ウシガエルを芝生のグラウンドに連れて行って、その素晴らしいジャンプ力をわが子に観察させるつもりで、それが終わったら元のところに帰すつもりでいたのです。しかし、水の中にいるときですら、あんなに高く跳べるとは予想していなかったし、フェイント攻撃にも巧みに反応するその能力には舌を巻いたのです。

 後で考えてみれば、あれは釣ればかんたんだったのです。子供の頃、針はつけずに糸の先に草を縛って、よくそれでトノサマガエルやツチガエルを釣って遊んだものです。ぱくっと食いつくとそのまましばらく放さないから実際にそれでも釣れる。ルアーでウシガエルを釣る次のような動画が上の「にわにワニ」ついでにYoutubeで見つかりました。これは季節も今頃の映像のようです。

巨大ウシガエルを釣る方法!誰でも簡単ですよ!

 大きいでしょう? 僕が息子とつかまえようとしたのはこれよりもう少し大きい奴でしたが、ああいうやり方では成功しないのです。ついでに言うと、ウシガエルはおたまじゃくしも半端でなくでかいので、僕がウシガエルに初めてお目にかかったのは高校のときの下宿の前の河原ですが、ふつうのおたまじゃくしだと手で押すとすぐに潰れてしまうが、ウシガエルのそれは肉厚で、頑丈にできている。僕は惚れ惚れしながらそれを触ったのをよく憶えています(最初は夜中に聞えるあのウーッ、ウーッという鳴き声がカエルのものだとは到底思えなかった)。

 もう一つ、これは魚の方ですが、ものすごい視聴回数になっているから、人気動画なのでしょう。たしかに、ふつうこんなところでこんなものが釣れるとは思わない。しかし、自然相手ではときたまこういう予期せぬハプニングが起こるのです。

【衝撃】フェリー乗り場の隣で信じられない生物が・・・

 僕も高校のとき、「おまえは魚好きだから、あそこに行けば新鮮な海魚がたくさん食べられる」と親に言われて、もう一つは、休みの度に帰って来られては交通費がかかるので、できるだけ遠くに行かせた方が好都合だということだったようですが、山奥から電車とバスを乗り継いで当時片道5時間はかかる海辺の漁師町の高校に送られたのですが、地元の友達が磯釣りを教えてやるということで、2人で渡船で大きな岩礁の上に送ってもらって、そこで彼が用意してきた釣竿で初めて磯釣りをやったとき、「何じゃ、これは!」と思うようなグロテスクな魚が釣れてびっくりしたことがあります。ググッと引いた感触があったわけでも何でもなく、岩場なので、どこかに引っかかったとしか思えなかったのですが、リールを巻くと、なぜかガリ、ガリという感じで動くので、そのまま巻いていたら、海面に見たこともないような奇怪な姿の魚が姿を見せたのです。ゆうに30センチ以上ある。友達は「イガミだ!」と叫びました。めったやたらと釣れる魚ではなく、姿は醜いがたいへん美味だという。そのとき可笑しかったのは、途中で釣り針を全部駄目にしてしまい、しかし、渡船は午後4時にならないと迎えに来てくれないので、することがなくなり、おなかも減って、岩場にはりついた海苔を二人でせっせと食べたことです。文字どおりの「天然海苔」。

 下宿に持って帰ると、おばさんが大喜びで、これは水炊きにするとおいしいから、今夜はそれにしましょうということで、皆でそれを食べたのですが、ほんとにおいしかった。しかし、これは方言だろうから、正式名は何なのだろうと思って「魚 イガミ」で検索すると、ちゃんとそれがヒットした。下に地方名が出ています。

・ブダイ(Japanese parrotfish)

 僕が海釣りで初めて釣った魚がこれだったのです。姿を見てびっくりするのは当然です。釣れたのはこれよりもっと不細工に見えたのですが、とにかくど派手で原始的な魚に見えた。こんなのがいるのか、という感じだったのです。

 最後はコロナ騒ぎで観光客が減って、ジュゴンたちが喜んでのんびりしているらしいというニュースです。

タイにジュゴン大群、海亀産卵も コロナで観光客減、環境改善

 こういうのを見ると、コロナも悪いことばかりではないなと気が和むのです。ちなみに、世界のサンゴ礁は、このまま温暖化が進んで水温が上がり続けると、あと30年で完全消滅するという話です。アマゾンの密林が消えて平原に変わってしまうのも、たぶんその頃でしょう。海と陸地の生命をはぐくむ豊かな森が同時に消えてしまうのです。そのときは人類も終わってしまうでしょうが、そういう危機感は日本人にはとくに乏しいようです(ほんとは日本の自然も、見た目はきれいでも、昔と違っておそろしく生命の稀薄な世界になってしまっているのですが、気づいている人はどの程度いるのでしょう? この4、50年で激変したのです)。


祝子川通信 Hourigawa Tsushin


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「タバコのみ撲滅法案」施行

2020.04.01(22:07) 706

 昨日、このブログには不具合が発生して、画面の一部が表示されなくなり、問い合わせたら、一時的なものだったらしく、いつのまにか元に戻っていました。その途中で、「これが原因かな?」とあれこれいじくり回しているうちに、記事が一つ消えてしまったりしたのですが、めんどくさいのでそのままにして、夜が明けてから、「そう言えば、ふつうには今日から新年度だな」と思って、模様替えすることにしました。といっても、テンプレートを借り替えただけなのですが、今度のは画面が広く、文字も大きくて、僕同様、老眼に悩まされるようになった年配の人たちにも読みやすくてよいのではないかと思います。元々広告なんか入れていないのだから、それ用の空白部分がよけいだったのです(そういうのを入れてこづかい稼ぎにするというのもめんどくさい)。

 さて、今日から「改正健康増進法」なるものが「全面施行」されることになりました。次は時事通信の記事です。

飲食店やオフィス、屋内禁煙 小規模店・専用室は例外 改正健康増進法が全面施行

 僕はこれをかねてから「タバコのみ撲滅法案」と呼んでいます。この「タバコのみ」というのは、「酒飲み」というのと同じで、喫煙者のことです。今では喫煙者はほとんど犯罪者と同じです。タバコは値上がりを続けて、その大半が税金なのですが、余分に税金を払っているというので評価されるなんてことは全くなく、喫煙のせいで病気になる率が高いから、医療費の高騰に拍車をかけていると非難される。いや、私、タバコを吸ってても元気で、今まで医者にかかったことは全然タバコを吸わない人よりずっと少ないと思うんですけど、などと言っても無駄で、有害な副流煙のせいで無数の犠牲者を周囲に出しているのがわからないのかと非難されるのです。

 たしかに、昔駅のホームでは、吸殻入れからもうもうと煙が上がっているなんてことがありました。ああいうのは迷惑そのもので、ちゃんと消してから入れない馬鹿がいるから、中の吸殻に燃え移ってそうなるのです。また、体調が悪い時などは、タバコのみでも他人のタバコの臭いに不快を感じることがあって、僕なども昔は、そういうとき駅のホームでタバコを吸っている人のところに近づいて、「こんなところでタバコを吸うんじゃない!」と文句を言ったりしたものです。ちゃんとそこには吸殻入れがあって、当時は吸ってもよかったのですが、相手は「すみません」と勢いに押されてあわててタバコを消す。体調が悪いと機嫌が悪いので、下手に抵抗すると殺されるかもしれないという雰囲気があったせいか、そういうときにトラブルになったことは一度もないのですが、後で考えると自分勝手極まりないので、相手も何で謝らなければならなかったのだろうと後で思ったはずです。

 しかし、近年は社会の雰囲気が全く違う。数年前、こういうことがありました。スーパーでコピーを取っていて、そのときはかなりの枚数があったので、途中でコピーをとりたいのではないかという七十歳前後のご婦人の姿を認めて、「お先にどうぞ」といったんコピーをやめてその人に譲ったのです。するとそのご婦人、近づきながらいかにも迷惑そうな顔でゴホゴホと咳をして見せ、「あなた、タバコ吸うでしょう?」と言う。もちろん、そのとき吸っていたわけではないのですが、衣服にタバコの臭いがついていて、その不快な臭いが咳を誘発したのだとのたまうのです(僕は洗濯したばかりの服とズボンを身につけていたのですが)。その人はそれで、当然のようにコピーをして、挨拶も何もなく、そこを離れて、そのまま遠ざかるのかと思いきや、近くでコホン、コホンとしつこくやっている。にっくき喫煙者を告発してやまないという感じで、このクソばばぁは何なのだろうと、さすがに僕もむっとしましたが、「われに正義あり」という感じで、この手の人が激増している印象です。

 上の記事には面白い記述があります。

 全面施行により、飲食店やオフィスなどの中も原則禁煙になるが、喫煙が主目的のバーや個人の自宅、ホテルの客室などは対象外となる。

「個人の自宅」まで含まれているというのが笑えるので、もしそれまで禁止にするというのなら、完全な「撲滅法案」になります。むろん、結婚して小さな子供がいるというような場合、タバコのみの夫は妻から「室内禁煙」を命じられるのがふつうで、アパートやマンションのベランダで、冬場は寒さに震えながらプカプカやるのです。タバコの先の火が点滅するので、彼らは「ホタル族」と呼ばれる。僕も昔、幼いわが子の健康に害を与えないよう率先してそれをやっていましたが、今だとこれも隣の住民から「有害な副流煙が流れてくる」と苦情を言われてしまうでしょう。

「ホテルの客室などは対象外」というのは“寛大な措置”と言えるかもしれません。アメリカなどでは久しい以前から客室でも吸えないからです。但し、今は全面禁煙のホテルも増えているはずで、「どこでも吸えない」という状況が多くなっているのです。商店街などにはよくあった、吸殻入れが置かれたベンチからも吸殻入れだけが最近は消えている。仕方なく、どこかの隅で携帯用の灰皿をもって吸っていると、白い目で見られるのです。歩行禁煙はとうに禁止されている。見つかると罰金をとられる地域まであるのです(上の記事にもあるように、今回の法施行で、「禁煙場所で喫煙した個人に30万円以下、禁煙場所に灰皿を設けた施設管理者に50万円以下の過料」が科されることになる)。これではまだ手ぬるいと、そのうち懲役刑まで検討されるようになるかもしれません。

 今回の新型コロナでは、喫煙者は重症化して死にやすいと言われています。喫煙によって肺に障害(無自覚でも)が発生しているからだと思われますが、皮肉な言い方をするなら、喫煙によって早死に傾向が高まるというのなら、医療費高騰の大部分は高齢者の増加によるのだから、その方が老人の数が減ってよさそうなものです。僕自身は認知症になるのを最も恐れていて、長生きするとそれは避けられそうもないので、そうなる前に死ねる方がいいと思っているのですが、喫煙がそれをサポートしてくれるとすれば、それはむしろ望ましいものと感じられるのです。

 しかし、実際問題としては、タバコのみに長生きな人は結構多い(有名人では、養老孟司氏や山崎正和氏など)。だからこの願望は実現しないかもしれないので、概していえば、大酒飲みの方が早死にするのです。僕も昔はいくらか飲んだことがあって、一時うつ気味になったときはがぶ飲みしたこともありますが、ちっとも酔えなくて頭が痛くなるだけなのでそれもやめて、今はふだん一滴も飲まないのですが、これは元々酒が好きでなく、中毒になることがなかったからで、努力してそうなったというわけでは全くありません(若い頃、大酒飲みの年上の知り合いが何人かいて、よくお供させられたのですが、自分は大して飲まなかったのです)。タバコやコーヒーは好きで、こういうのは体質的なものでしょうが、人によって何にはまるかは違うのです。

 アメリカはかつて「禁酒法」なるものを制定して、そんなもの守れるはずがないので、密造酒製造が盛んになって、アル・カポネなんかのギャングを儲けさせるだけに終わったのですが、中毒性のあるものは禁止が難しい。だからタバコも「禁煙法」を制定して、タバコそのものの製造販売を禁止するのは難しいので、こういう外的規制に訴えるのでしょうが、飲酒と喫煙のどちらが有害かと言えば、それはむしろ前者でしょう。「ほど」をわきまえればいいが、酒好きの人はどうしても度が過ぎてしまって、健康を害することになりがちです。酩酊による「酒の上での失敗」というのもあって、どさくさまぎれセクハラ行為に及ぶ輩もいる(そういう卑怯な馬鹿はその場で殴ってやるのが一番です)。タバコで人格が変わるなんてことはありませんが、酒はそうではない。その意味でも、タバコより酒の方が問題は深刻ですが、今はもっぱら「タバコの害」ばかりが言い立てられるのです。

 今の状況では、喫煙者は十字軍の旗を掲げるキリスト教徒に追い立てられる異教徒のようなものです。道徳的優位があちらにあって、こちらは「何とかお目こぼしを…」という感じにならざるを得ない。罪人もしくは三等国民で、タバコ会社の陰謀で中毒にさせられて、そこから離脱できない哀れな意志薄弱者であるのみならず、副流煙という害をまき散らす犯罪的存在でもあるのです。だから先のご婦人のように、わざわざ近づいてくんくん嗅いでみせ、タバコの臭いが服に付着していることを咎め立てするような人まで出てくるのです。

 この問題をどうすればいいのか? 一律に禁止するのではなく、それぞれの地域に「喫煙特区」というのを設けて、そこだと喫茶店でも飲み屋さんでも、自由にタバコが吸えるようにすればいいのではないかと、僕は思います。吸いたい人はそういうエリアの店に行くのです。非喫煙者が間違って入り込まないように、入口にはWARNINGのネオンでも点滅させる。その下には「ここから先は喫煙許可区域です。副流煙によってあなたが健康被害を受けても、それは自己責任と見なされます」というような掲示文を出す。

 この場合、とくにそこだけ治安が悪くなるということはないでしょう。先にも言ったように、喫煙によって人格が変わるというような異変は起きないからです。吸わない人には迷惑だというのなら、吸う人間だけが集まるエリアを作ってやればよいわけで、十字軍的情熱からすれば、こういうのは「後退」であり「妥協」と思えるかもしれませんが、その程度の寛大さは示していただきたいものです。

 今は通常の電車はもとより、特急や新幹線でも全面禁煙です。空港に行くと、狭苦しい喫煙室なるものがあって、それでもないよりはあった方がマシなのですが、そういうのまで全部なくなると、どこでもタバコは吸えなくなる。「だからやめるのがいいので、それが正しいんですよ」と言われるかもしれませんが、そういう「正しさ」の押しつけは僕のようなつむじの曲がった人間には承服しがたいので、何だか宗教カルトみたいで気持ちが悪い。

 昔から「百害あって一利なし」と言われるように、喫煙は健康によくないから、撲滅すべき悪しき習慣なんですよと、医者は言うかもしれません。しかし、こんなことを言っても通じるかどうか知りませんが、生きていること自体が健康にはよくないのです。この不潔で醜悪な社会がもたらすストレスは並々ならぬもので、たとえば今の安倍政治なんて、僕の健康にとってはすこぶる有害なものです。タバコでも吸って煙に巻いていないとやってられるか、と言いたくなるようなもので、酒飲みの人たちにしても、若い頃僕が知っていた人たちはいずれも仕事ではピカ一の有能な人たちでしたが、酒(当時は大方の人がタバコも吸っていた)でバランスを取っていた部分があったように思うので、酒もたばこもやらない、しかし無能この上ない人たちより、生産性はずっと高かったのです。だから人間的な魅力があって、話をしていても面白く、学ぶことが多かった。仮にそれで人よりいくらか早く死んだとしても、長生きした人より残したものは大きく、その人生も充実していたかもしれないのです。身体的に健康でありさえすればよいというようなものではない。健康に配慮するのは結構ですが、あなたはそもそも何のために生きているんですかとおたずねしたくなるようなただの「健康おたく」も少なくないのです。そういう人たちには spirit(精神/酒精)がない。

 十八の時分から吸っている僕の場合は、タバコと人生の喜怒哀楽を共にしてきたというところがあって、こういう文章を書くのだって、タバコという伴走者に助けてもらっているので、こう書くと、「それそれ、それを依存というのだ!」と言われるかもしれませんが、別にそれで正体不明になっているのではなく、むしろそれを借りて集中力を上げているのです。いや、それは錯覚なんですと、こう言うとまた医学者先生たちがここぞとばかり講釈を垂れてくれそうですが、医者の言うことも出鱈目が多いので、それは今現在の支配的な学説ではそうなっているというだけの話だったりするのです。とにかく、周囲への配慮はそれ相応にしながら吸っているものを犯罪みたいにとやかく言われたくないので、今のタバコのパッケージには、書くのを義務付けられているのでしょうが、パッケージのデザインをぶちこわしにする大きな文字で、「たばこの煙は、周りの人の健康に悪影響を及ぼします。健康増進法で禁じられている場所では喫煙できません」と書かれているのです。わかっとるわい、そんなこと! やや前だと、こういう脅迫文も入っていた。「喫煙は、あなたにとって肺がんの原因の一つとなります。疫学的な推計によると、愛煙者は肺がんにより死亡する危険性が非喫煙者に比べて約2倍から4倍高くなります。」

 ご親切なことですが、喫煙率は下がり続けているのに、肺がんによる死亡率は上がり続けているというデータがある(下のURL)ので、これは喫煙以外の肺がん誘発原因が他にあるのでなければ説明できません。こう言えば、喫煙撲滅に十字軍的使命感を抱いている人たちは、男女比で男性の肺がん死亡率がダントツで高いのは、男性に喫煙者が多かったことと関係するのだと言うかもしれません(ほんとはそれだけでは説明できないが)。そして、元喫煙者は、途中で禁煙しても肺がん罹患率は高いのだと。なるほど、それなら今さら僕みたいな年配の人間が禁煙してもほとんど意味はないということになるわけです。

肺がんの患者数

 だったら、「何十年も吸い続けてきた人の場合、今さらやめても手遅れです」と付け加えてもらわないと。今の若い人は、「喫煙有害教育」の成果と、タバコの値段が高すぎることから、喫煙者になる比率は激減している。僕も息子に、「ああいうのは、初めから吸わなければやめる必要もないから、吸わないのが一番だ」と言って、周りの仲間にも吸う人間はほとんどいないようなので、喫煙者にはなりませんでしたが、こちらはそれでいいわけです。

 問題は前からずっと吸ってきた人たちで、今の原理主義的なタバコ撲滅運動は、愛煙家にとっては迫害に等しい。禁煙しないと生存権を奪われるみたいなこういうやり方は感心できないので、「ここらで一服」の場所を設けてもらわないと、社会生活を営めなくなってしまうのです。愛煙家の中には社会貢献している人も結構多いと思うのですがね。

 今回のコロナウイルス騒ぎでも、「喫煙者は重症化する可能性が高い」と言われていますが、僕自身は、自分がそれで死んでも仕方はないと思っています。仮にそれで死んだとしましょう。今手掛けている訳本は、作業は完了しているので、死んでから出ることになるでしょう(訳者の遺作ということで、珍しく売れるかもしれない)。次の候補が見つかったので、それを訳してから死にたいという気もちょっとするのですが、それは遺書でも書いて、息子に代わりにそれをやらせることもできるし、是が非でもというほどではない。僕は隠居生活に憧れる気などは元からない人間なので、65年も生きれば、人生たくさんです。

 それと、こういうのは運命みたいなものです。小学校に上がる前か、上がったばかりの頃、はしかが流行して、ああいうのは早くかかった方が軽症で済むというので、僕のせっかちな母親ははしかで寝込んでいる同い年の子の母親に頼んで、症状真っ盛りの彼の隣に布団を敷いて、そこにわが子を一晩寝かせることにしました。彼女にはこれは名案であると思われたのです。周知のように、あれは麻疹ウイルスによるもので、その感染力は「極めて強い」とされ、飛沫感染はもとより、空気感染もします。一晩隣で寝ていたからには間違いなく感染しただろうと彼女は喜びましたが、いっかな発症せず、全然感染していなかったことがのちに判明しました。近隣の子がバタバタはしかになったのに無事で、「何でおまえははしかにならないのだ?」と悩ましげな顔で言いましたが、数年後、何かの折に感染して発症したのです。

 だから、なるときはなって、ならないときはいくらそうなるよう努めてもならないのです。僕の場合、精神だけでなく、身体もつむじ曲がりにできていたからなのかもしれませんが、人生かくの如しで、禅僧・良寛の言葉ではありませんが、「病むときは病むがよろしく、死ぬときは死ぬがよろしい」のです。むろん、わざわざあえて危険を冒すのは愚かでしょうが、人の生死は喫煙やコロナウイルスで決まるのではない、それは運命なのだと達観した方が、精神衛生上もよろしいのです。

 そろそろ終わりにしましょう。副流煙が有害で迷惑だということなら、さっき言ったように喫煙者専用エリアのようなものを作って、そこのパブや居酒屋、喫茶店ではタバコが自由に吸えるようにすればいいのです。喫煙者は一定数いるから、商売は十分成り立つ。これは一種のアパルトヘイトみたいなものですが、タバコのみにとっては、禁煙社会に強制同化させられるよりはずっとマシなわけです。健康のことは別に心配してくれなくていい。喫煙による害と、禁煙によるストレスが健康に与える害を考えると、どっちが大きいかはわからないので、心身複合体の人間存在はそうそう単純なものではないのです。

 僕もいつかは禁煙するかもしれませんが、それも自発的なものでありたいと思うので、目の敵にされるとかえって意地でもやめてやるかという気になってしまうものです。その意味でも、今のいくらか全体主義じみた、原理主義的「北風作戦」は賢明なやり方とは思えない。上の記事には、先の引用に続けて、

 飲食店でも、経営規模が小さい個人店は事業への影響も考慮し当面は対象外にした。具体的には、資本金5000万円以下かつ客席面積100平方メートル以下の既存店では、店頭に「喫煙可能」などと標識を掲示すれば、店主判断で喫煙できる。一方、1日全面施行の東京都条例は、従業員を雇う飲食店は面積に関係なく原則禁煙としており、改正法より厳しい規制になる。

 とあって、禁煙原理主義者に支配された東京都は駄目なようですが、それ以外の県の「経営規模が小さい個人店」なら、「店頭に『喫煙可能』などと標識を掲示すれば、店主判断で喫煙できる」とあるので、そういう店が残ってくれればと思います。

 何にしても、こういうのを見ると、タバコをやめでもしないかぎり、僕が東京に行くことはもうないだろうなという気がします。学生時代、喫茶店にたむろして、タバコとコーヒーをさかなに、あれこれ仲間と長時間議論していた頃が懐かしい。飲み屋さんでも、タバコとビールグラスを代わる代わる口につけて、文字どおり口角泡を飛ばしていたのです。そういう空間は、もはや東京には存在しなくなったということです。今は副流煙もなく、衛生的かつ健康的な環境の中で「盛り上がって」いるのでしょうか? 僕にはかなり想像しにくい光景ですが、そうなのだろうなと思う他はありません。

 最後に、タバコ会社にも注文を付けておくと、今の大方の紙巻タバコには中毒性を強化するためや、早く燃えるようにするためにいらざる化学物質がたくさん添加されているようなので、よけいなものをくっつけるな、ということです。真っ正直に、タバコの葉っぱだけで作れ。そうすれば有害さも多少は減るでしょう(いわゆる「健康的な」人たちの、自他の健康に深刻な悪影響を与えているであろう「有害な思考習慣」についても書くつもりだったのですが、長くなりすぎるのでそれはまたの機会にします)。


祝子川通信 Hourigawa Tsushin


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再び「新コロナウイルス=人工説」

2020.02.16(09:26) 690

「えっ、先生って、和歌山出身なんですか?」
「そうだよ。ものすごい山奥だけど、何で?」
「いや、何でもありません…」

 というようなやりとりが塾でこの前あったよなと思って、何でかなと思ったら、和歌山県有田の病院で新型コロナウイルスの患者が出たというニュースとあれは関係していたのではないかと思い、後で笑ってしまいました。塾の教師はしゃべるのが商売ですが、喉が枯れてコホコホしばらく咳が止まらなかったので、受験生たちは本能的に「ヤバい」と思ってしまったのかもしれません。しかし、僕はずっと延岡にいるのだから、別にそれで影響を受けているわけではないのです。あれも、しかし、最初外科医がかかったようですが、感染経路が全くわかっていない。言えるのは、東京や他県でもすでに患者はかなりの数出ているので、新型コロナウイルスは完全に「日本上陸」を果たしているということです。

 かかっても軽症だから、騒ぐには値しないと言う専門家が多いようですが、専門家というのもあまりアテにならないもので、僕らはそれを福島原発事故のときにこれでもかというほど思い知らされました。僕個人も医者の言うことが全くのデタラメだったという経験をしたことがある(「あんたは一生病人で、死ぬまでずっと薬を飲み続けなければならない」と脅されたにもかかわらず、薬も通院もすぐやめて、それから三十年たっても問題なく生きている)ので、「ははあ、今の学説ではそういうことになっているんですね」という程度の受け止め方しかしないのですが、下らない脅しは信じなければすむだけとして、これとは逆の「大したことない」が実は大嘘だったというケースは深刻なものなので、後で「医学の標準的なテキストには載っていませんでした」と言い訳されても、患者は困るわけです。

 次の記事はグーグルのニュースサイトの「ピックアップ」のところに出ていたから、非常に多く読まれている記事なのでしょう。この「大紀元」というサイトは中国共産党に敵対的なスタンスを取り、その闇を暴き続けているようですが、それはデマを流しているわけではなく、これまでのところ、正しい指摘が多かったようです(手段をえらばないあの独裁権力によく潰されないものだなと感心する)。この記事も、僕にはウイルス学の専門知識などないので、信憑性の正確な判断はできませんが、きわめてロジカルで説得力のあるものに思えます。

欧州のウイルス専門家、新型コロナウイルスに「消すことのできない人工的痕跡」

 要するに、今回の新型ウイルスは、当初武漢の海鮮市場から出たものだとされましたが、そことは無関係な人にも初期感染者が出ていたことから、同市にある管理が杜撰なウイルス研究所が火元ではないかと疑われ、この記事はその疑いに合理性があるとするものです。ポイントは次の箇所です。

 ある2本の論文は、新型コロナウイルスのスパイク・タンパク質にある4つの重要なアミノ酸残基が人為的に替えられたと指摘しました。4つのアミノ酸残基が替えられたにもかかわらず、スパイク・タンパク質と受容体の結合性に変化がないのです。1本の論文は、中国科学院パスツール研究所の専門家、崔傑氏が書いたものです。もう1本の論文は、インド工科大学のプラダン(Pradhan)教授らが執筆したものです。インドの研究チームは、新型コロナウイルスのタンパク質はHIVウイルスと酷似していると指摘しました。中国の研究チームは、新型コロナウイルスがACE2(血管機能に関わるアンジオテンシン変換酵素2)細胞受容体に結合して感染するとの見方を示しました。

 遺伝子の突然変異について、特にウイルスの遺伝子突然変異は一般的に、自然突然変異と言います。これは無作為で、いかなる機能性や目的性を持たないので、遺伝的浮動(genetic drift)と言い、ウイルスの自然的な再集合とも言います。しかし、新型コロナウイルスについて、われわれはこのウイルスが、受容体タンパク質の働きを保ちながら、正確に「異変」していることに驚いています。

 このウイルスはなぜ、その働きを保ちながら、正確に異変したのでしょうか。自然界では、このような現象はありますが、しかしウイルス研究者として、このような現象を目にする確率は非常に低いのです。だから、その2本の論文は、新型コロナウイルスが人為的に合成されたものだという仮説を唱えたのです。


「米国の科学者、ジェームス・ライオンズ・ウェイラー(James Lyons-Weiler)博士」はこう述べたという。

「なぜこのウイルス(2019-nCoV)の多くの遺伝子の中で、このタンパク質だけが配列が全く異なっているのでしょうか。これは全く筋道が通らないことです。他の場所から由来したとしか考えられません」

 要するに、遺伝子操作技術を使って「人工的に合成された」ウイルスである疑いが非常に濃い、ということです。

 ジェームス博士はその後、分子生物学のゲノム解析方法で、新型コロナウイルスのあの不自然なシークエンスを、非ウイルス由来のシークエンスと比較しました。この結果、博士は、SARSウイルスの再集合に必要なpShuttle-SNと呼ばれる特異の遺伝子配列に非常に近いと気づきました。Shuttle bus、シャトルバスをよく聞きますね。Shuttleは、定期往復便という意味です。遺伝子の研究では、Shuttleというのはある種を別の種に運ぶことを指します。遺伝子を運ぶ道具だと言えましょう。このpShuttle-SNを開発した実験室は、中国のSARS遺伝子ワクチンタンパク質を生成した実験室であります。

 ジェームス博士は、新型コロナウイルスが人為的に作られた生物兵器だとは思っていませんが、しかし実験室で行われた遺伝子組み換えによって、非常に危険なウイルスが合成されたとの見方をしています。研究員があるウイルスの一部の配列を別のウイルスの一部の配列に組み込んだことで、人工的な遺伝子組み換えウイルスを作り出したのです。このような人工的な遺伝子組み換えウイルスは、予想もしなかった毒性を持つようになるかもしれません。


 物騒きわまりない話ですが、要するに、疑われているのは「中国のSARS遺伝子ワクチンタンパク質を生成した実験室」だということです。中国発のあのSARSは世界を震撼させましたが、今度はそれを利用したとんでもないものをラボで人為的に作って、それが外に流出してしまったとなると、中国国内はもとより、世界中の人が激怒するでしょう。

 新型コロナウイルスのもう一つの特徴は、ヒトからヒトへの強い感染力です。このウイルスの潜伏期間に、他の人に感染する可能性があるのです。一般的なウイルス性伝染病の場合、症状が現れてから、初めて他の人に感染するのです。なぜなら、症状が出た時、体内にあるウイルスの毒性がピークになっているから、人にうつすことが可能です。

 しかし、新型コロナウイルスは潜伏期間内に他人にうつしています。公共施設にいる市民のなかに、誰がこのウイルスの感染者かを知る余地もないでしょう。だから、感染拡大防止に大きな困難をもたらしました。すべての人にウイルス検査を行うのは不可能だからです。

 新型コロナウイルスの致死率の高さにも注目しなければならないです。SARSが発生した当時は、致死率が9.3%でした。最近、医学誌「ランセット」で発表された論文は41人の感染者について調査を行い、致死率が15%だという見方を示しました。

 したがって、新型コロナウイルスの毒性が非常に強いとわかるのです。毒性は、ウイルスのタンパク質の機能と特性によって決められます。これが、私がなぜ新型コロナウイルスのゲノム配列をさらに研究する必要性を訴えるかの理由です。スパイク・タンパク質はこのウイルスの感染力を決めるのです。スパイク・タンパク質によってこのウイルスが人体の細胞に侵入するのです。だから、どのようなタンパク質がこのウイルスの毒性を生じさせたのか、どのように受容体、あるいは細胞に結合するのかなど、このような研究にさらに取り組む必要があります。


 詳しくは全文をお読みいただくとして、結論は、「中国で起きた今回の災難は、重大な人道的な災難だと言えます」ということなのですが、日本の多くの医学専門家はこういうのを「たんなる陰謀説もどき」と一笑に付すかもしれません。その根拠は、「まさかそんなことがあるはずはない」という非科学的な憶測にすぎなかったりするのですが、専門家というのはえてしてそういうものなので、彼らは概して独善的で、自分の「想定の範囲外」に出ることを嫌うのです。それは実際は効果が疑わしいとされる強力な抗癌剤を使った癌の標準的な治療(癌細胞だけでなく、健康な細胞まで攻撃するものが欠陥治療でないはずがない)をさも絶対的な、唯一の「正しい治療法」であるかのように言い張るのと同じです。

 話を戻して、この見立てが正しかったとして、中国共産党政府はその場合、国際的な非難の矢面に立たされることになります。それは「善意の」研究ではなく、危険な「生物兵器開発」とリンクした大失態であるとみなされるのは避けられないからです。それによって中国は世界中の人々に脅威を与えた。いくら世界第二位の経済大国になっても、やってることは北朝鮮以下だということになって、国際的な信用を一気に失う。それで亡くなった人たちは間接的な殺人の犠牲者だということになるからです。

 だから、善意の科学者、医学専門家たちがいくら真実を解明しようとしても、中国政府は巧妙にそれを妨害しようとするでしょう。アメリカ政府あたりも、ロクでもない生物兵器研究などをしているのは同じ(もう少しウイルス管理は厳格にしているとしても)なのだから、「明日はわが身」と、そこらへんは見て見ぬふりをして、いずれいったん終息はするだろうから、その時点でのわかったようなわからないような、中国御用学者のごまかしの説明を容認する。日本の専門家たちも、それが見抜けなかったのを糊塗するのには好都合だから、それは正しいものだとお墨付きを与える。今からそれが目に見えるようです。

 こういうのは、しかし、徹底的に究明してもらわないと困るので、中国共産党政府がやることには、今後そういう方面の妨害もないかどうか、細かく監視する必要があるでしょう。その結果、こういうのが「深読みのしすぎ」だったということもありえますが、その場合、そう主張する専門家たちには明確な論拠を示す責任が課せられる。上の記事に紹介されている研究からしても、それは「下衆の勘繰り」レベルのものではないことがはっきりしているからです。



祝子川通信 Hourigawa Tsushin


雑談
  1. 「安定」という言葉が死語となった世界(07/05)
  2. 京大のヘンな研究(05/16)
  3. にわにワニ?(05/02)
  4. 「タバコのみ撲滅法案」施行(04/01)
  5. 再び「新コロナウイルス=人工説」(02/16)
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