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アマゾンが死ねば、人類も死ぬ

2019.08.22.14:49

 アマゾンといっても、ネットのアマゾンではありません。本物の、アマゾンの熱帯雨林のことです。

炎上するアマゾン、ネットで話題に ブラジル大統領はNGO非難

 僕はアナコンダをこよなく愛していますが、彼らも生息地を失うというような話はともかく、あそこは新薬原料の宝庫であるだけでなく、CO2を吸収したり、世界の気候を安定させてくれたりしているこの上なく貴重な存在です。このままでは時間の問題で草原地帯になってしまい、川は枯れ、次は砂漠化するというプロセスを辿りそうですが、そうなったら人類もジ・エンドです。いや、火星に移住すればいいのだなんてノーテンキなことを言う人もいるでしょうが、勝手に移住すればいい。日本の森林も、アホで無責任な農水省の際限もない植林奨励政策のために、奥山まで植林してしまい、原生林は大方なくなって、崖崩れ、洪水(スギやヒノキの人工林に保水能力はない、ましてや材木が売れずに放置されたままではなおさら)、花粉症蔓延の原因となるスギ、ヒノキだらけになって、川や海の生態系も深刻なダメージを受けています(クマやサルが里に出てくるようになったのもそのためです)が、あの広大なアマゾンが消滅するとなったら、その深刻さは想像を絶するものとなるのです。

 周知のとおり、広大なアマゾンは数ヶ国にまたがっていて、「60%はブラジルにある」(ウィキペディア)のですが、いずれの政府も発展途上国特有の工業化や、外資導入政策に熱心で、反対する先住民を圧迫して、密林伐採と鉱物資源採掘を推進(言うまでもなく、それは深刻な環境破壊、健康被害をもたらす)しようとしていて、それがいかに重要な「財産」であるかは認識していないのです。この記事によれば、ブラジルの「ボルソナロ大統領は21日…『こういったNGOが私とブラジル政府に対して人目を引き付けるために行った犯罪行為』が森林火災の原因かもしれないと指摘」しているのだとのこと。馬鹿言うんじゃない、という感じなので、「開発」側がこちらの方が手っ取り早いと火をつけたり、伐採によって乾燥化が進んでいるから、自然発火による火災も起きやすくなっているのでしょう。これは国連で話し合うべき問題で、これらの国の政府首脳にきちんとその重要性をレクチャーし、必要なら経済援助もして、密林と共生できる経済システムを作れるよう持っていくべきです。多国籍企業や投資家たちも、今の彼らは自分の金儲けのことしか考えていないように見えますが、密林破壊にひそかに加担している企業などはその名前を暴露して、社会的制裁を受けさせるべきです。全くもって、ロクでもない連中なのだから。

 こうした自然林の消滅はニュースにならないだけで、東南アジアでも進行していて、アマゾンの話だけではないようですが、こういう自殺行為をなぜするのかと言えば、全体や将来のことを考える気持ちが今の拝金主義の多国籍企業や投資家たちには全くないからです。彼らが現地の無知な権力者を陰で操っている。これは「陰謀論」の類でも何でもないので、今の文明社会は自己増殖にしか関心がなく、能がない、癌細胞に冒されているのと同じになっているのです。これをストップさせなければならない。

 というようなことを極東の島国の一介の塾教師が書いてもあまり意味はなさそうですが、あんまりやっていることがアホすぎるので、書かないではいられないのです。

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南海トラフ地震について

2019.05.22.13:58

 ネットのニュースサイトに次のような記事が出ていました。西日本新聞です。

日向灘 周期地震警戒を M7.1級 30―40年で発生 津波増幅の恐れも

 この中の次のような箇所は、延岡市に住んでいる者としては大いに不気味です。

 日向灘の地震に詳しい京都大防災研究所宮崎観測所の山下裕亮助教(観測地震学)は「日向灘のプレート境界地震の震源域は、宮崎県延岡市沖の北部と、宮崎市沖の南部に分けて考えるべきだ」と提唱する。
 北部震源域は1662年と1968年にM7.6前後の大地震を起こしており、46年の南海地震(M8・0)の震源域にも近い。今年3月27日にM5.4の地震が発生しており、岡村氏も「この震源域で大地震が起きれば、南海トラフにつながる可能性を簡単には否定できないかもしれない」と話す。


 先には「地震予知失敗、100回中99回 南海トラフで学者回答」という見出しの、次のような記事(共同通信)も出ていました。

 南海トラフ巨大地震について、事前に発生する時や場所、規模を正確に言い当てる直前予知を100回試みても99回程度は失敗すると日本の地震学者が考えていることが、林能成関西大教授(地震学)が行ったアンケートで19日、分かった。
 観測データを基に危険性を判断するのが地震学者で、予知の実用化が不可能に近いことを改めて示す結果となった。
 林教授は、予知の難しさが市民や行政担当者に正しく伝わっていないと指摘。「突然の地震でも被害を少なくする防災を進めるのが先。予知を防災の前提としてきた過ちを繰り返さないようにすべきだ」としている。


 要するに、南海トラフ地震はいずれ起こるが、「いつどこに、どのようにして」を正確に予測することは専門学者でもほぼ不可能ということで、責任をとやかく言われないように「アテにしないでください」と“予防線”を張っているのですが、「言われなくても、そんなことはわかってますよ」という感じがしないでもありません。データをあれこれ入れ込んでシミュレーションしても、カウントされていない要素はつねにあって、それらが関与した場合、地震のメカニズムは複雑なので、予測とは違った結果になるのは当然だからです。

 だから、霊能者の「地震予知」の方がまだしも信用できそうな気もしますが、それも甚だアテにはならないことが証明されているので、昔、あれは僕が上京した年の冬だったから、1973年から74年にかけてのことだったと思うのですが、ある霊能者が「東京に直下型の大地震が起きる!」と日時まで指定して断言し、「外れたら腹を切る」とまで言っていたので、よほど自信があるのだろうと思って、僕はその時間(夜中の何時だったか忘れましたが)、深夜営業の喫茶店に待機して、本を読みながらその「決定的瞬間」を待ち受けていました。元々東京は地震が多いところですが、あいにくなことに予告されたその晩は微細地震すら起きなくて、その霊能者は行方をくらまして逃走したという話でした。僕は当時新聞配達をしながら浪人していたので、中途半端に寝ると起きられなくなるとそのまま徹夜して、眠い目をこすりながら朝刊の配達に出かけたのですが、あれは一体何だったのか。その後「富士山大噴火」なんて予知本を出して大儲けしたオッサンもいましたが、そういうのも大ハズレだったのです。

「災害と不幸は忘れた頃にやって来る」なんて言うので、学者先生や霊能者の皆さんに「起きる起きる」と脅され続けて、その都度身構え、だんだん疲れてアホらしくなって警戒心が薄れたところでドカン、ということになるのかも知れません。

 ついでなので、僕もその尻馬に乗って物騒な「予知」を一つご紹介しておきましょうか。今ある本を訳しているとこの前書きましたが、その中に「地球規模の大異変」について色々な人のヴィジョンや夢の描写が次々出てくる章があって、それは全部「これから先起きること」として語られているのですが、その中にJapan が出てくる箇所が一つあったのです。そこだけ引用すると、

 …She has also seen “a ring of fire to the left of Japan”. Beginning in the northern hemisphere, the Earth’s axis will shift, she has been told, causing “a lot of depression and chaos” unless people work to become “grounded” and “deeply connected with the Earth”.

 まず最初の文は、「〈日本の左側に炎の輪〉が見えた」ということですが、この to the left of Japan というのが、「日本列島の左側の部分」なのか、「日本列島の左隣」なのか、用法としてはどちらもあると思われるので、はっきりしないのですが、ここは前者だとして、地図を見ればわかるとおり、「左側」とは西日本です。巨大南海トラフ地震が起きれば、霊視の類では西日本全体が「炎の輪」に包まれるというイメージになっても不思議ではない。そして、続きはこうなっています。「北半球から始まって、地軸がシフトし、それは、〈多大な落ち込みと混乱〉を惹き起こすだろう(と言われた)」。ここのdepressionも、心理学なら「抑うつ状態」、経済学なら「不況」で、どちらなのか両方なのかわからないのですが、地軸が動くとなると、当然それは世界的な大異変につながるわけです。

 しかし、地震と地軸移動が関係するのか? そう思ってネットで検索してみると、National Geographic 日本語版の記事(2010.03.02)が最初に出てきて、そこにはこう書かれています。

 2010年2月27日にチリで大地震が発生した。そのすさまじい破壊力によって地球の軸が移動し、1日の長さが短くなった可能性があるとNASAが発表した。
 今回の地震マグニチュードは、アメリカ地質調査所(USGS)の発表によると観測史上5番目の規模となる8.8だった。この地震によって地球の自転速度が早まり、1日が”100万分の1.26秒”短縮したという。カリフォルニア州にあるNASAジェット推進研究所の地球物理学者リチャード・グロス氏が最新のコンピューター・モデルで算出した数値である。
 なお、2004年12月に発生したマグニチュード9のスマトラ沖地震では、同じモデルで1日が100万分の6.8秒短くなったと確認されたという。


 してみれば、そういうことは実際にありうるのです。上の英文、最後も訳しておくと、それにはこういう「条件」が付いています。「もしも人々が地に〈足を着け〉、〈地球と深くつながる〉ようになるよう努力しなければ」。

 これは、“X”の部分がその人の語った言葉そのままという意味ですが、誰のヴィジョンかと言えば、アメリカ北東部の都市に住む45歳(当時)の二人の娘をもつ主婦のものです。彼女はある存在たち(the beings)にえらく生々しい映像またはイメージを見せられながら、そういう説明を受け(she has been told となっているのはそのため)、「人類はこういう勝手なことばっかりやってたのではあきまへんで」(彼らに関西なまりがあったとは書かれていませんが)と警告を受けたというのですが、これは山のようにある、多数の人が受け取った類似の警告の一例にすぎません(実はもっと恐ろしいのもある)。

 最後の unless を僕は「if …not と同じ」と塾では教えることが多くて、訳ではそれで差し支えないのですが、文法書の類では「例外的な条件」に多く用いられると書かれていて、この文だと、「そうする見込みはあまりなさそうだが、仮にあんたたち(ここは日本人ではなく今の文明人全体を指す)がジコチューで破壊的な自然搾取(と人間世界での卑劣な弱い者いじめやその見て見ぬふり)をやめて、心がけを改めれば回避は可能かも」と相手は考えている、ということになります。

 こういうのは現代科学では「迷信」ということにされているのですが、この前の『リターン・トゥ・ライフ』にもそれに関連する込み入った議論が一部に出てきたように、物理学の最先端では「物質と精神」の境界が実は不明確になっていて、意識または精神が先にあって、物質はその後になるという、従来の考え方(たとえば、意識だの心だのは物質としての脳の電気化学的な反応の副産物にすぎない)とは逆の主張が、科学の側からも行われるようになってきているぐらいなので、それを嘲笑する方がむしろ「時代遅れ」かもしれないのです。

 そのメカニズムはまだ解明されていないとしても、心のありようと外部現実は関係する。ここらへんは難しいので、たとえば不正な経済システムの中で貧乏人が増えたとして、それはその歪んだシステムが悪いのであって、「おまえらが貧乏なのは心がけが悪いからだ」なんて1%の金持ちが99%の貧乏人(アメリカの猿真似ばかりしているといずれ日本もそうなる)にお説教するのは筋違いというものなので、その場合はシステムをもっとまともなものに変える必要があるのですが、そういう「頭の悪すぎる」議論とは別に、たしかに関係するなという部分はあるように思われるのです。

 この前の東北大震災に伴う福島原発の事故でも、あれはいまだに「収束」とは程遠い(東京オリンピックなんかやってる場合か!)ようですが、あれで「東日本壊滅」とならずに済んだのは、実は「奇蹟」に近かったらしいので、慈悲に満ちた何らかの存在がきわどいところで助けてくれたのだと考えることもできる。これはむろん、被害に遭った人たちは「心がけが悪かった」というのではなく(そんなアホなことを言うのはあの石原慎太郎という救い難いじさまぐらいです)、逆に「日本人の悪しきカルマ」を引き受けて犠牲になってくれたのかも知れない。とにかく、日本人全体の問題として、「こういうことをやってていいのか、もうちょっとおまえたちも考えるように…」ということで、セカンド・チャンスを与えられたのだと考えることができるわけです。にもかかわらず、それで反省するどころか、性懲りもなく原発再稼働なんてやっているのを見ると、「この国の政治家や財界人にはほんとにロクなのがいないな…」と僕は呆れるので、「地球意識」はこういう有様を眺めて、「あんなアホな民族は生かしておいてもロクなことはない」というので、地下の大ナマズに、「もう遠慮なくどんどん暴れていいから」なんて許可を出して、首都圏直下型大地震に、南海トラフ大地震と、立て続けに起きて、原発も倒壊、放射能汚染まみれでわが日本民族は地上から姿を消す、というようなことにならないともかぎらない。

 今の「地球意識」というのは、僕ら個人の意識もほんとはそれに乗っかっているので、ただ、先の引用文にもあったように、それと「つながる」のをやめてしまったので、わからなくなっているだけなのです。だから、深い部分から言えば、その場合、僕らは進んで「自壊行為」または「自己処罰」を行おうとしているのだということになる。自分から進んで惨事を呼び求めているのと同じことになって、「地震よ、早く来い。それも超弩級のが来て、日本が壊滅しますように」と祈っているのと同じになるわけです。今の日本社会のありようから考えると…。

 そういうことはないでしょうかね? 僕は適度に「迷信深い」人間なので、そういう関連はありそうに思うのです。大惨事になるように自ら仕向けて、僕ら今の無責任なオトナがそれで「絶滅」するのは自業自得みたいなものでノー・プロブレムだとしても、罪のない子供たちにはいい迷惑ではありませんか? 要するに、防災訓練より、ハートの部分で今の日本人が忘れかけている、何かもっと大事なことがあるのではないかということです。

異次元との遭遇

2019.05.19.09:05

 低気圧が停滞しているとかで、こちらはずっと雨です。天気予報によれば、月曜いっぱいまでは同じだという。風がうなり声を上げていて、まるで小型台風でも来ているみたいですが、沖縄はすでに梅雨入りしているそうで、九州もこのまま梅雨に入るのでしょうか? 僕は子供の頃から梅雨が嫌いでしたが、そう言うと、「今の時期は雨が降ってもらわないと田んぼの稲が育たないのだ」と親に叱られたものです。

 こういうのは、しかし、室内で仕事をするには好都合です。「サボらずにきっちり仕事をやれ」と言われているのだと解釈して、僕は翻訳仕事に精出しているのですが、そればかりやっていたのでは疲れるので、気分転換にこれを書かせてもらうことにしました。

 最近僕が思うのは、塾で授業をするときみたいに口頭で訳して、それを自動的に文書化してくれる機械があればどんなに便利かということです。そうすると数倍のスピードで作業が進むでしょう。三百ページの本なら一通りの作業は一ヶ月あれば終わる。その後間違いをチェックしたり、文章を手直ししたりすればいいわけです。技術的には今ならそういう機械はかんたんに作れるでしょう。ニーズがないから製造・市販されないだけです。

 そんな文句を言っても仕方がないので、ちまちまパソコンのキーを叩いているのですが、それでも手書きと違って便利です。何より直すのが簡単なので、「直し魔」の僕はとくに助かる。便利な世の中になったものだと、こういうときだけは「文明の進歩」に感謝します。

 しかし、翻訳というのはそもそもがめんどくさいものです。僕は子供の頃、怠惰な自分がこんなことをするようになるとは夢にも思いませんでした。英語も大嫌いで、早々と中一でわからなくなってしまい、そのまま全く勉強しなかったから、高校入試では英語はほとんど零点だったのです。だから僕が大学に入ったとき、大学の入試科目には英語がないのだろうと、うちの母親は真面目に信じていたほどです。塾教師になって英語を教え始めたときも、「おまえにそんなことができるはずはない」と言っていた。国語だけは子供の時からできたから、教えるのは国語だけにしろと言うのです。

 人生はかくの如しです。「絶対にそういうことにはならないだろう」と思っていたことが現実になることがある。だから子供を見て、この子は将来こういうことをするようになるだろうなんて予想はまず立てられないのです。その子が一番苦手としていた、不向きだと思われたことを仕事にするなんて皮肉なことも起きうる。僕がそのいい例です。

 しかし、どんな仕事にも楽しみはあるもので、頼まれ仕事をやったこともありますが、僕は基本的に自分が訳したいもの、日本の読者に紹介しておきたいと思うものを勝手に訳して、出版社に頼んで出してもらっているので、なおさらです。一度良質な文学作品を訳してみたいというのはあるのですが、これまで訳されていないもので、英米圏となるとなかなかそういうものは見つからない。文学ではなくて、人文科学系の本で一冊、これは絶対に面白いだろうというのがあって、それはまだ出版はされておらず、予告が出ているだけなのですが、こういうのはすでに岩波あたりが版権を取得して、名の売れた大学教授あたりを訳者に用意しているでしょう。だから、残念ながら、僕にはお鉢が回ってこないのです。

 話を戻して、翻訳というのは精読のための方法の一つです。曖昧なところが一つも残らないように、少なくとも自分なりの理解はきっちりつけようと、そういうつもりでやっているとふつうに原文を読んだだけの時には気づかなかった難所に遭遇したりして、いい勉強になるのです(本筋からは重要でない、枝葉の部分で苦労させられることの方が多かったりもするのですが)。経験値というのもあるので、真面目にやっていると読解力が上がるだけでなく、訳文を作る場合も、こういう長すぎる文はこういうかたちで構文を変えて切って訳そうとか、瞬間的にアイディアが出てくるようになって、それなりに上達するのです。

 高校生ぐらいだと、いい本を読むと、読む前とは世界が違って見えるということがあるものです。僕は学校の勉強はしなかったが、当時本は(当時から翻訳ものの方が好きだったのですが)割とたくさん読んだ方で、読み終えると異次元空間から日常に戻ってきたみたいで、妙な感じがしたものです。本を全然読まない、あるいは意識の変化をもたらすような良書を全く読まない人は、視野が日常見聞きする現実に限定されて狭くなるだけでなく、自分の思考や感情の枠組みを外から眺める体験というものもしないままで終わるでしょう。自分を揺さぶられることがないから楽かもしれませんが、若いときからそれでは先が思いやられるので、厚くなる一方の無意識の固定観念の中で自分を窒息させることにもなりかねない。それでは半分死んだのと同じです。

 この「意識の変化」をもたらす要素も、良質な文学書のようにとくにそこに何か異常な事件が出てくるわけではなくても、その捉え方と描かれる心の深みのようなものでショックを与えるものと、そこに出てくる事柄または事実が意表を衝くようなもので、それによって感情の深みを掻き立てられたり、思考の枠組みを壊されたりといったかたちで作用するものとがあります。

 僕が今訳している本はそういう分類で言えば後者の要素が大きく、そこに出てくるのはふつうの見地からすれば「全く現実離れのしたありえない話」で、しかしそれが「現実」だというところに深刻さがあって、僕自身訳しながら、異次元世界に入り込んでしまったような感じになって、二つの世界に同時存在しているような不思議な感覚になるのです。SFなら、これは「作り話」だということで切り離して考えられる。自分の現実感、世界の捉え方は影響を受けずに済むのです。

 逆に言えば、だからそういうもの、フィクションとして提示すれば、無難で受け入れられやすいのですが、そうではないということになれば厄介なことになる。僕はつむじが曲がっているので、だからこそ訳してやろうと思ったのですが、これをまともに読み、嘲笑や無視といった安易な方法で逃げずにきちんとそれを受け止めれば、ほとんどの人は不安になるでしょう。それまでと同じ生き方を続けるのは難しくなる。

 しかし、こういうこともありうるのです。自分がすっぽりはまり込んでいるこの文明世界とその価値観に無意識に強い違和感を感じていて、しかし、その正体が何なのかわからない。そういう場合に、その違和感がはっきりとしたかたちをとってそこに示されているのを見ると、それに刺激され、大袈裟に言えば「魂が覚醒」するのです。

 だから揺さぶられるのも悪くない。そのとき、あなたは眠らされていた本当の自分に気づくのです。自分が寄りかかっていた、それに自己同一化していた世界が実はとんでもないものだったと気づく。それによってあなたは自分も他の人も、自然も虐待していたのだと気づく。薄々そうだと気づいていたが、その無意識はこれまで明確なかたちで意識にのぼることがなかったのです。一冊の本がそうした覚醒のきっかけとなる。

 僕自身はいま訳しながら、自分の子供の頃の心の中を思い出すという不思議な経験をしています。僕は自然が好きで、よく山や谷の奥深く一人で入り込んでそこで長い時間を過ごしたのですが、そのとき目にした風景が、そのときの心の動きと一緒に記憶に蘇るのです。この本には今は哀れなことになっている世界の先住民の文化の話もよく出てくるのですが、山奥に育った僕自身が先住民みたいなもの(僕は祖母に可愛がられましたが、彼女は明治生まれで、旧暦に従って神事を執り行い、一年を送っていた)で、学校というところを窓口として「文明」の中に組み入れられ、表面的には「適応」してきたのですが、強い違和感が消えたことは一度もなかった。おそらくその根は感性のレベルにあるのです。

 僕は今の文明はあと百年ももたないだろうと思っています。不況や局部的な戦争が起きて難儀するだろうというような話ではありません。全体が崩壊するのです。そうなるだろうという内面・外面のあらゆる兆候をこの文明は無視している。昔の栄華を誇った文明も同じようにして滅んだのかもしれませんが、それは驚くべき鈍感さ、想像力のなさです。しかし、文明に同化していない人間、たとえばマイナーな「先住民」にはそれがわかる。

 アメリカのインディアンでも、オーストラリアのアボリジニでも、アマゾンの密林に住む先住民でも、アフリカの伝統文化を守る先住民でも、彼らは土地を奪われ、進歩のお荷物として辺境に追いやられた。生き残った人たちは自分の文化を否定され、この文明への「適応」を強要されて根無し草になり、誇りとアイデンティティを奪われてドラッグや自殺に追い込まれる。しかし、窮地を脱するために学ぶべきことは虐げられ、嗤うべきものとして否定されてきた彼らの文化に、そこに脈打つ素朴だが深い感性の中に隠されている。それがこの本が伝えるメッセージの一つです。

 これだけでは何のことかわからないでしょうが、僕はそれは正しいと思っています。出版してくれるところは後で探すつもりですが、文明の質と方向を変える上でこの本は、正しく理解されればですが、重要な意味をもつものとして受け止められるでしょう。自分の固定観念を壊されたくない人は決して読まないでしょうが、そうでない人は出たら買って読んでください。そのときタイトルを見て「えっ、そういうとんでもない現象を扱った本なんですか!」とびっくりする人がいるかもしれませんが、それが何なのかは今のところ内緒です。前回の「生まれ変わり本」よりさらに“非常識”度が高いのだけは確かですが…。

UFOとUMA

2019.05.06.13:34

 このブログ、ご無沙汰しました。天皇陛下の代替わりの儀式もつつがなく済んで、めでたく「令和元年」となったようで、社会的にも連休中は大きな事件もなく、平和なゴールデンウイークとなったようです。

 令和最初の記事がオカルト談義というのも妙ですが、今回は表題のとおりUFO(未確認飛行物体)とUMA(未確認生物)です。5月1日に、次のような記事をネットのニュースサイトで見つけました。

・ヒマラヤ山脈で「イエティの巨大足跡」インド陸軍が発見!

 うーむ。ちょっと僕に引っかかったのは、二足歩行の生物なら、ラインがきれいに一本になっているのが不自然で、右と左、二列になっているはずでしょう? これはしかし、そうなっていないので、そこが不可解なのですが、続報によれば、ネパール軍は「熊の足跡」だと異を唱えているそうです。こういうのは縄張り争い的な感情的反発もあるのかも知れず、客観性はあまりなさそうですが、いわゆる正統派科学ではあれはヒグマを誤認したものだということになっているらしいので、それにならった異議でしょう。

 同種のUMAにはカナダのサスクワッチ、アメリカのビック・フットなどがいて、これらは基本的に同じ生物ではないかと僕は思っているのですが、これは物の本では空飛ぶ円盤、UFOと関連付けられることがあって、宇宙船からそれが出てくるところを見たなんて目撃情報もあるくらいです。有名なネッシーを宇宙人と結びつける説さえある。

 通常、UMAは太古の生物の生き残り、または生物学的変種と考えられ、だから「ロマンをかきたてる」のですが、ふつうの生物ならある程度の個体数がいないと存続できないので、そんなにいるとは思えず、それが否定の有力な論拠の一つになっているわけです。しかし、宇宙人がらみということになると、話はまた違ってくる。

 そんなとんでもない妄想に付き合っているヒマはない、そもそも宇宙人の存在さえ何ら証明されていないのだと怒りだす人もいるかもしれません。実はそこも興味深い点の一つなので、こうしたいわゆる「超常現象」には、証拠らしきものはたくさんあるのですが、懐疑派を納得させるに足るほどの明確かつ決定的な証拠はないのです(当然ながら、実験室での再現実験などはできない)。僕はこの前生まれ変わりに関する本を訳しましたが、あれだって似たようなもので、検証によってその子がもつ前世記憶に適合する人物が過去に実在したことが明らかになって、それなら生まれ変わりはあると解釈するのが一番無理のないことなのに、数の上ではごく少数にとどまるのと、今の科学的な人間理解には合わない(魂またはそれに相当するものの死後存続は証明されていない。実は存続しないという証明もまた存在しないのですが)という理由で、正統科学が受け入れるものとはならないのです。

 UFOやUMAの場合も同じで、仮に学者がそんなものに興味をもち、下手に首を突っ込んだりすると、「学者ムラ」から白眼視され、追放される憂き目に遭う。それが錯覚や妄想だと「証明」すると「よくやった!」とほめてもらえるのですが、いや、これはリアルな本物の現象だなどと言うと、現代版の「異端審問」にかけられ、昔みたいに生きたまま火あぶりにはされないが、追放処分を受けて学者としてのキャリアを棒に振らざるを得なくなる危険が高まるのです。それは学者にとっては死刑宣告に等しい。

 その点、僕みたいな人間は気楽なので、こういう話も平気で書けるわけです。それで、ネッシーやイエティが仮に存在するとして、それがどうしてUFOやエイリアンと関係するのかといえば、彼らの遺伝子操作実験の産物、またはどこか別の世界から連れてきたものかも知れないと考えるのです(もう一つの可能性についてはのちに言及)。

 ある意味で、人間それ自体が甚だ不可解な生物です。サルとDNAが僅か2、3パーセントしか変わらない割には、差が大きすぎる。ダーウィンの進化論ではヒトは十分説明できないので、あの進化論のアイディアは元々はアルフレッド・ウォーレスのものだったと言われていますが、彼は人間の脳は環境への適応の産物としては説明できない(過剰な部分が多すぎる)というので、その後心霊研究の方に入ってしまったのですが、宇宙人が地球上の進化のプロセスに介入して、ヒトを生み出したという可能性だってあるのです。

 だとすれば、どうやら宇宙人のこの実験は失敗した。「万物の霊長」を自称して勝手なことをやりすぎ、地球環境を破壊して、生物の大量絶滅をひき起こし、地球の気候まで大きく変えてしまって、人類自身の存続すら危ぶまれる事態に発展しているからです。これにむろん、核兵器や恐ろしい生物兵器などの開発・備蓄も加わっているから、この先、世界規模の深刻な経済危機に追い込まれると、持ち前の利己性と愚かさをいかんなく発揮して、第三次世界大戦を引き起こし、地球上の他の生物も巻き添えに「自爆」する危険が出てきたのです。

 宇宙人が地球の生物進化、とくにヒトの出現に関与したかどうかの証拠は、何せそのときは人間そのものがいなかったのだから、あるはずもない(映画『2001年宇宙の旅』はそのアイディアを元にしている)のですが、先祖が「星から来た人々」、いわゆるスター・ピープルだったとする伝承は先住民族の中にはいくらも存在するし、太古の文明をよく宇宙人が訪れていたらしいことは、彼らの伝説や神話にしばしばその証拠が見つけられる。洞窟壁画に、目が大きく、アゴの小さい、鼻と口や耳は痕跡のようなものでしかない現代人にはおなじみのエイリアンが描かれていることさえあるのです。彼らはそれぞれの時代に見合った技術や文化を人々に教えた。それでだんだん人類は「独り立ち」できるようになったが、少しばかりいい気になりすぎて、かかる惨状に陥ったのです。

 日本ではあまりそういう話は聞きませんが、UFOや宇宙人の目撃情報は世界的に見てここ数十年増えているそうで、彼らは「これはエラいことになった。早く連中の生き方や文明の進路を変えさせないと大変なことになる」と心配しているのではないでしょうか。仮に宇宙人が進化のプロセスに介入して、ヒトという中途半端な頭でっかちの生物が生まれたのだとすれば、彼らにも応分の責任はあるわけです。

 こういうのはむろん、仮説ですよ。僕がそういう疑いをもったのは、若い頃人間の奇怪さについてあれこれ考えていて、自然の産物にしては未熟すぎておかしいし、何でこんなヘンテコな生物が生まれたのだろうと思い、「何かあまり賢くない奴」がヒトの出現には関与していたのではないかと考え、神ではなく、「宇宙人犯人説」を思いついたのです。地球上のサルの一種を捕まえて、彼らはそこに操作を加え、その遺伝子の中にエイリアン的要素を挿入した。それでこういう不安定な、何をしでかすかわからない生物が誕生したのです。

 この考えは僕の気に入ったのですが、だとすれば僕らは元々がエイリアンとのハイブリッド(混血児)であるわけです。ややこしいのは、北米、中南米、アフリカなどでは宇宙人による誘拐事件が多発し、エイリアンたちは人間とのハイブリッドを作って、「人類滅亡後」に備えているというような話まであることで、「もう一度やるのか?」とそういう話を聞くと僕はいくらか呆れてしまいます。懲りない連中だなと思うからです。

 しかし、イエティやネッシーも宇宙人のしわざだとして、彼らは何のためにそんなものを連れてきたり、つくったりしているのか? ただの遊びみたいなものなのか? 宇宙人にも何種類もあるという話なので、中には人騒がせなことをして喜ぶ、モラルに欠ける手合いもいるのでしょうか?

 ややこしいのは、エイリアンもUMOも、彼らはこの同じ物質宇宙からやってきたものではなくて、異界、つまり一種の「霊界」からの訪問者だという説もあることです(全部それで説明するのは難しそうですが)。エイリアンが壁を通り抜けたりするのはそのためで、彼らの肉体はわれわれのそれとはそもそも異なっている。ある意味でそれは幽霊みたいなもので、彼らの身体や宇宙船を構成しているのは一種の疑似物質であるというのです。証拠がつかみがたいのもそれと関係があると。

 つまり、一面では物質現象であり、かつ他面では非物質的な現象であるという摩訶不思議な話になって、話がそこまで来るともう付きあいきれないと言う人もいるでしょうが、たとえば霊というものだって、見える人には見えて、見えない人には見えないものです。精神病やドラッグの影響で妙なものが見えるというのとは違う、そういう現象があるので、僕は子供の頃、祖母からこういう話を聞いたことがあります。少し離れた集落の下手(しもて)に氏神様があって、信心深い一人のおばあさんが毎日のようにそこにお参りしていて、あるとき、どうかご神体を一度お見せ下さいと一心に祈念したところ、巨大な黒いヘビが現われて、その氏神様の社は渓谷沿いにあったのですが、その胴体が谷の向こう岸にまで届いていたというのです。木々の枝がミシミシしなる音まで聞こえたというので、それを見ておばあさんは腰を抜かさんばかりに驚いたが、祖母の説明ではそれは黒龍だという話でした。どの霊能者に聞いてもあそこは黒龍様だということで一致している。そのときそのおばあさんにはその雄大な姿が見えたのだと。それは巨大アナコンダのようなものだったのでしょうが、可視化された霊体としてはそういう姿になるのです。

 ここで僕が高校生の頃した経験を一つ書かせてもらうと、山奥すぎて近くに高校がないので、当時は下宿していたのですが、春休みに実家に帰省して、原付バイクで奥山に行き、一人である谷に入り込んだ。そこは人があまり入らないところですが、アマゴ(ヤマメとほぼ同じ)がたくさんいそうだと見当をつけたのです。糸と釣り針だけ用意して、竿は竹藪で現地調達するつもりで、ナイフをもって行った。読みは的中して、かたちのいいアマゴが八匹ほど釣れたのですが、どんどん登っていくと、最後は高い断崖絶壁の滝になっていて、そのあたりだけ急に広くなっている。それは全く不思議な地形なのです。魚たちはそれ以上はのぼれないはずだから、そこの滝壺には大物がいるのではないかと思いましたが、竿が全然届かない。そこはそれほど広かったのです。それで、夏休みにまた戻ってきて、そこに潜ってやろうと思いました。四十センチ近い特大の奴がいるかもしれないと、それが楽しみだったのですが、夏に戻ってくると、渇水期なのでその滝の水は僅かになっている。すぐ下手の細長い淵には魚がうじゃうじゃいて、それならあそこにはどんなでかい奴がいるかと、胸が高鳴るのです。それで方言でワッパという水中眼鏡をつけ、右手には柄の先にゴムをつけた銛をもって、勇躍その大きな淵に飛び込んだのです。水はきれいに澄み、滝の水はもうチョロチョロなので、潜るとシーンという音が聞こえる。僕が驚いたのは、そこには小魚一匹、小エビ一つ、いなかったことです。折り重なった岩の下を見ても何も発見できない。断崖の上からは原生林の木の枝が突き出し、虫などがよく落ちてくるでしょう。なのに、そこは死の静寂が支配していた。そこと流れでつながった隣の淵には魚がたくさんいたのに、です。僕はそのとき、そのあたりの山中で大蛇の目撃情報がいくつかあって、物好きな人がリール竿でニワトリを餌にしてその大蛇を釣りに行ったという話を思い出しました(むろん、それは徒労に終わった)。ひょっとしたら、この滝壺は神霊でもあるその大蛇のねぐらではないのか? それで魚たちは近づかない。恐怖に襲われた僕は必死に泳いで岸まで戻りました。そして二度とその滝壺には足を踏み入れなかった。何か聖域を犯してしまったような気がしたのです。

 昔は日本にも大蛇がいて(禅者の鈴木正三の語録にも出てきますが、中にはツノが生えたものもいた)、家畜が襲われたりするというので、村人たちが火縄銃で撃ち殺したというような伝説が全国にかなりたくさんありますが、それは単純に生物学的にそういうのがまだいたのか、それとも異界と往復する一種の霊獣のようなもので、人々の心の回路がそういう世界にまだ開かれていたから出現したのか、どちらなのかわからないなと思うのです。

 要は、UFOだのUMAだのも、単純にこの物質宇宙に異例の現象として存在するのか、それとも異次元空間にまたがるものとして出現しているのか、そのあたりはよくわからないということです。エイリアンの中には、われわれ人類の「未来の子孫」が混じっていると言う人もいて、そうすると彼らはタイムトラベルで現代にやって来ているということになりますが、これは少なくともアインシュタインの物理学では不可能だということになります。しかし、未来予知現象なども、多くの「予言」は出鱈目だとしても、真正のものがあるのだから、そこには未来も過去もないわけで、その場合のメカニズムがどうなっているのかは謎なわけです。

 議論がややこしくなりすぎたので、ここで少し整理すると、まず宇宙人に関しては、

①今の人類には理解不能な高度な科学テクノロジーを駆使して宇宙の遠くからやってきたもので、彼らは過去に地球上の進化に介入した可能性もあり、少なくとも過去何千年もの間、地球を訪れて人類の“幼少期”にはあれこれ世話を焼き、文明建設の手助けをした。
②そのうちの「グレイ」と呼ばれる種族などは、実は「人類の子孫」で、高度に文明を発達させた未来からタイムトラベルでやってきた。頭部と目だけ大きく、首から下が異様に貧弱なのは、あまり美的ではないが、退化と進化がそういうかたちで進んだものと推測される(目が大きいのは、あれはゴーグルのようなものをつけているからだとも解釈できる)。
③いずれにせよ彼らは現代人類の近視眼的で利己的なありようを憂慮していて、もっと地球環境保護に意を用いたり、心に愛をもつよう警告しにやって来ている。軍事基地周辺で目撃が多いのは、人類が戦争によって「自滅」することを警戒しているからで、にもかかわらず、軍は情報を秘匿しているので、彼らの切迫した思いが広く人類に伝わらない。
④彼らは「人類はもう駄目かもしれない」と思っていて、「ハイブリッド・プロジェクト」なるものを始めて、ハイブリット・ベイビーをつくり、育てて、人類絶滅後の万が一の日に備えている。
⑤あれは別次元の世界、いわゆる「霊界」から来たもので、昔の人が言った精霊の類と同じようなものであり、今は宇宙人の姿で現れるのは、今どきの人類の好みに合わせたものである(その証拠に、彼らは動物その他に「変身」して現われることもある)。宇宙人に色々な種類がいるのも、昔の精霊や神霊と呼ばれるものに色々いたのと同じである。
⑥単純に、そんなものは存在しない。


 次にUMAについてですが、

①ネッシーは太古の翼竜の生き残りであり、イエティは人里離れたところに住むために今まで発見されることのなかった霊長類の一種である。他にも不可解なものがたくさんいるが、いずれも従来のカテゴリーには入らない未知の動物たちである。
②あれは霊界とこの物質界を往来する存在で、その特殊なありようゆえに明確な証拠を発見するのが困難である(またふつうの生物のように存続を生殖に頼る必要もない)。
③宇宙人が連れてきた、または彼らの遺伝子操作実験の結果生まれた生物である。昔は時々そういうものを放して、迷信深い人々を恐れさえ、行いを慎ませるのに利用していた。
④エイリアンと同じく、幻覚・妄想の類で、そんなものは存在しない。


 大体そんなところですが、どれが正しいのでしょうね? どれも正しくないかもしれませんが、一度考えてみて下さい。

 最後に、これは1994年に起きた有名な事件ですが、ジンバブエのアリエル・スクールという、当地の富裕層の子供たちが通う私立小学校の校庭で、休み時間中、突然UFOが上空に現われ、ホバリングした後近くに着陸するのを62人の子供たちが目撃してパニックになるという事件が発生しました。中から二人の宇宙人が出てきて、何人かの子供たちはその宇宙人と直接話をした(テレパシーで)。このYoutubeの映像は、その後行われたインタビューの様子を写したものです。子供たちから聞き取りをしている前かがみの中年白人男性は、要請を受けて駆けつけたハーバード大学医学部教授、ジョン・E・マックです(冒頭の美人は彼の調査アシスタント)。彼は有名な「アラビアのロレンス」の評伝でピューリッツア賞を受賞した輝かしい経歴をもつのですが、その後エイリアン・アブダクションの研究を真面目に始めたというので、大学で査問委員会にかけられ、危うく「追放」されそうになった。英語なのでわかりにくいかも知れませんが、子供たちの表情を見ると、彼らが否定派の言うような「集団幻覚」なるものを体験したのか、それとも文字どおり真実の出来事であったのか、おおよその判断はつくでしょう。子供たちが可愛いし、非常に興味深い映像なので、ぜひご覧ください。

Zimbabwe - UFO - 62 School Children

安倍‘忖度’政権に相応しい新元号

2019.04.01.14:20

 新元号が「令和」に決まったそうで、僕個人はふだん西暦を使って元号は使わないので、役所関係の文書で強いられる時以外は「関係ない」のですが、第一印象は、「何かやけに冷たい感じのする言葉だな…」というものでした。

 ネットの「漢字ペディア」によれば、「令」とは、

①いいつける。命じる。いいつけ。「令状」「命令」 ②のり。きまり。おきて。「訓令」「法令」 ③おさ。長官。「県令」 ④よい。りっぱな。「令色」「令名」 ⑤他人の親族に対する敬称。「令室」「令嬢」

 といったものです。冷たい感じがするのも道理です。おそらくこの④の意味を強調したいのでしょうが、①②③の意味の方が用例としても断然多く、④は影が薄い(上に、⑤もそうですが、「令名」だの「令嬢」だの、いずれも儀礼的で固い)。菅官房長官が万葉集から採ったものだと記者会見で説明していましたが、全体に万葉のおおらかな雰囲気ではない。「上からの命令には文句を言わずに従って、和を保て」と言われているみたいで、あまり愉快ではないのです。実は僕は「平成」も気に入らなくて、当時「これは平らに成る、つまり皆が揃って凡庸になって人間が平準化されるという意味なのだろう」と、当時勤めていた塾の月例通信に連載していたコラムに皮肉を書いた記憶があるのですが、ある意味でこれは当たったことになるでしょう。それは万事に創意や改革意欲の乏しい、停滞が続く「失われた三十年」になったのですから。

 もう一つ、僕がすぐ連想したのは論語の「巧言令色、鮮矣仁」という言葉でした。これは昔読んだ貝塚茂樹先生の読み下しでは、「巧言令色、鮮(すく)ないかな、仁」となっていて、今本棚の奥から引っ張り出してそこを確認すると、「弁舌さわやかに表情たっぷり、そんな人たちに、いかにほんとうの人間の乏しいことだろう」という訳が添えられています。

 解説文を読むと、「そのことばつきは孔子にしては激烈をきわめている。巧言令色で君主にとりいり、また甘い弁舌で世人を迷わせる佞人(ねいじん)が多かったので、孔子はずいぶん腹を立てていたとみえる。しかし、巧言令色のなかにもまったく真実が欠けているとはいわないで、『鮮(すく)ないかな』としたところに、孔子の心の広さがあらわれている」という、貝塚先生一流の含蓄に富む解釈になっているのです。

「令色」の箇所は上の訳文では「表情たっぷり」と訳されているわけですが、コトバンクでは「相手に気に入られようとして顔色をつくろうこと」となっています。要するにこれは、忖度して権力者の顔色をうかがい、お愛想たっぷりの顔をして見せることです。それによって「和」がもたらされるというのがこの「令和」の意味するところだとすれば、安倍政権には好都合というか、うすら寒い雰囲気が漂うのです。

 菅官房長官に記者会見でツッコミを入れて、すっかり嫌われてしまった東京新聞の望月衣塑子記者などは、今後、「あなたの存在自体が新元号に反しているのだ!」なんて官房長官に叱られるかもしれません(産経、読売、フジテレビなどを見習いなさい!)。「元号違反法」なんてものがそのうち新設されて、馬鹿な独裁者と「巧言令色」のゴマスリ政治屋、官僚、マスコミ、権力にヨイショして自分たちに好都合な政策・法令を実施させようとする企業家たちの天下となり、もうすでにそうなっているとも言えますが、それをとやかく言う者はすべてこの新法令で一網打尽にされるわけです。僕のこの穏やかなブログなども「閲覧禁止」の措置を受けて、闇サイトに引越しを余儀なくされるかもしれない。著しく「令色」の“美徳”に欠け、諸事において「和を乱す」ことが目立ちすぎるという理由によってです。

 安倍首相がその後「新元号談話」を発表するという話で、もうしたのでしょうが、興味がないので、僕はそんなものは見ません。能書きはどうあれ、この「命令の下での平和」を連想させる新元号は彼のフィーリングにはぴったりするものだったでしょう。「令和」は「零和」にも通じる。「本当の和はゼロになる」という意味かも知れず、それならミーイズム全盛の折柄、時代を先取りしたものだと言えるかもしれません。スピリチュアリズムの愛好家たちにとっては「霊和」と読み替えられて、「霊的次元での和合が実現する」と解釈できるのでめでたいということになるのかも知れませんが、それは「令による和」を克服したずっと先にあるものでしょう。

 人間はどんなものにも「慣れる」生きものなので、この新元号にもそのうち慣れて、誰も違和感を口にする者はいなくなるでしょう。今のうちだと思って書いた次第です。

【追記】候補が悪すぎる!

共同通信の記事によれば、

 政府が「元号に関する懇談会」の有識者や全閣僚会議などに示した六つの原案は、新元号に決まった「令和」のほか「英弘」「久化」「広至」「万和」「万保」だったことが分かった

 そうです。正直、ロクなものがありませんが、僕個人はこの中から選べと言われれば、開放感のある「広至(こうし)」を選んだでしょう。「広く至る」で意味も悪くない。「嚆矢」も読みは「こうし」だし、前向きの印象がある。「久化」なんて最悪ですが、考案者にもっと言葉のセンスのある人を選ぶことから今後は始めた方がよろしいでしょう。
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