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「関係性」というヘンな日本語、誰が作った?

2019.11.11.16:37

 昨夜、珍しくNHK午後7時のニュースを見ました。そのニュースのメインはむろん「即位祝賀パレード」で、僕自身は皇室にはニュートラルな立場ですが、沿道の熱狂ぶりを見ながら、象徴天皇制というのはなかなかいいアイディアだなとあらためて思いました。政治的な欲にまみれた独裁者が国民に崇拝を要求するというのは、北朝鮮の例を見てもわかるように、たんなるグロテスクでしかありませんが、政治的には中立で、時の権力におもねることもなく(これは法律的に地位と生活が保障されていることが大きい)、「日本国民統合の象徴」として凛然としたたたずまいを示す人がいてくれるというのは、国民にとって精神衛生上もかなり大きなプラスの意味をもつように思われたからです。幸いにして、先代・今上天皇皇后両陛下とも、心映えすぐれたその地位にふさわしいお人柄で、軽薄のそしりを受けるような心配はない。問題は、「象徴」たるに相応しい各種制限を生活上受けることで、下々の者はさぞや窮屈なことだろうと、その点に同情するのです。

 それはともかく、そのニュースで、「何?」と思われることが一つあって、それは次のNHKのニュースサイトに出ているシーンです。

御厨貴さん「国民と両陛下の関係性縮まった」

 僕はかねてこの「関係性」という言葉を好みません。昔はこんなヘンな言葉は使わなかったので、僕はふつうの人よりは本をたくさん読んでいると思いますが、見たことがなかった。ところが最近、やたらこれが多いので、どこの馬鹿(失礼!)がこんなおかしな言葉を使い始めたのだろうと不思議に思っていました。日本語のセンスのない、高級ぶってやたら「的」だの「性」だのを付けたがる若手の社会学者あたりが使い始めて、それが広がってしまったのだろうと思っていたのですが、何のことはない、こんなじさまが使っていたのです!

「お二人の自然体の姿に国民が共感して、スマートフォンなどで撮影する様子をみて、国民と両陛下の関係性が縮まってきたと強く感じた」

 確かに、ニュースの映像でもそう言っていました。「関係性が縮まってきた」なんて、およそ日本語ではありませんが、「関係がより親密になって、距離が縮まってきた」という意味なのでしょう。それならそう言えよ。何にせよ、いい齢した東大の名誉教授がこんないい加減な言葉の使い方をしているのだから、端正な日本語が失われるのは当然です。

 ついでに、どういうふうにこれが乱用されているかというと、今日のニュースサイトに出ている記事ですが、「勝間和代さん、パートナーの増原裕子さんと関係解消を報告『好きな人が他にできたと…涙が出てきて止まりません』」という見出しのそれ(スポーツ報知)があって、何でも「同性愛婚」が破綻したそうなのですが、勝間氏のその「悲しいおしらせ」を載せたブログにも「時間がたてば関係性は良好な状態に戻ると期待をしていましたが」といった表現が出ているのです。悲しみに追い討ちをかけるようで相済まないが、何で「関係」ではなく、わざわざ「関係性」にしなければならないのか、さっぱりわからない。

 僕が想像するに、これは英語のrelation と relationship の違いを無理に作ろうとして、二流の翻訳家が「関係」と「関係性」に訳し分けたのがきっかけかもしれません。まともな英和辞典ならどちらにも「関係」という訳語が当てられているはずで、またそれでいいのですが、悪疫のようにそれが広がって「関係性が悪化した」なんて珍妙な日本語があちこちに氾濫するようになったのです。

 昔は福田恆存(英文学者・批評家)や、高橋義孝(独文学者)のような日本語にうるさい御意見番がいて、彼らがいてくれればこういう「洒落たつもりで無意味かつ下品な」日本語には鉄槌を下してくれたでしょうが、今はそういう人が誰もいないのです。

 僕が「関係性」という言葉を容認するとすれば、それは「関係の性質」と後ろの「性質」を強調したいときだけで、「その複雑な関係性を描き出す」(これは息子が書いた文章に出てきた表現)ぐらいならそう違和感はないが、これだって本当は「関係」で足りるわけです。「関係」は「関わり方(関係の性質)」の意味を含むからです。

 こういうのはひところはやったらしい、「私的(ワタシテキ)には~」なんかと似たような不細工さで、必然性のないところにやたらと「性」とか「的」とかを付けるべきではないのです。かえって意味が不明確になり、何を書いているのか、読んでいるのか、わからなくなってしまう。御厨貴・東大名誉教授の「国民と両陛下の関係性が縮まった」なんて、頭が悪いとしか思えない。雰囲気で言葉を使って、ロジックが成立していないのが自覚できていないのです。

 これは前にも書いたことがあるかどうか、僕は学生時代、刑法の教授が書いた教科書を読んでいて、「占有とは支配意志の客観化した状態である」というくだりを読んで、何じゃ、それはと笑ったことがあります。それで、こういう日本語も満足に使えないセンセの本を読むのは時間の無駄だと考えて、古本屋にそれを叩き売り、もっと頭のいい人が書いた本を買うことにしたのですが、この「支配意志の客観化」教授は学界では結構な有名人で、その後母校の総長にもなったのだから、アホだとは思われていなかったのです。

「意志(意思)」というのはもとより「主観的」なものです。それが「客観化」するというのはどういうことなのか? 何か普通人には理解不能な高度な概念のように見えるかもしれませんが、何のことはない、「第三者から見て、その人が支配の意志をもって占有していると認められる状態」のことなのです。それなら素直にそう書けよと言いたくなるので、かんたんなことを西洋語(この先生の場合はドイツ語)のど直訳調の抽象表現でもって高尚ぶりたがるのは二流学者の特徴です。

 だから、そういうのを真似てもまともな思考展開ができなくなるだけで、一向賢くはならないので、やめた方がいいのです。「関係」の何が気に食わなくてわざわざそれに「性」を付けるのか? 御厨教授のような、「関係性が縮まった」がまともな日本語だと思うような言語センスのない人が増えたからだとしか僕には思えないのですが。

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グレタ・トゥンベリさんの主張

2019.09.29.22:22

 やや旧聞になりますが、このスウェーデンの16歳少女は一躍世界的な有名人になったようです。僕には本質的なこととは思えない彼女の「発達障害」も大きく取り上げられた。

・トゥンベリをからかったトランプの投稿、障害者への侮辱

 記事の最後に、「実年齢よりも大人びたトゥンベリは、トランプ大統領の屈辱的なツイートにも屈せず、それを茶化す余裕を見せた。トゥンベリは自身のツイッターアカウントのプロフィール欄を一時、『明るく素晴らしい未来を楽しみにしているとても幸せな若い女の子』に変更した」とあるように、切り返しの見事さでもこの16歳少女の“完勝”ですが、そもそもの初めから、非科学的な「地球温暖化は存在しない」信者のトランプやアメリカのネオコンがアホすぎるので、あのスピーチで彼女が言ったことは正しいのです。

 そのスピーチの動画は次の記事についているので、あらためてご覧ください。

「よくもそんなことが」気候行動サミット、トゥンベリさんが遅い対応に怒り

「よくもそんなことが」と訳されているのは、How dare you(do that)! の箇所です。大学受験には必須のフレーズなので、高校生は忘れないように。それはともかく、僕はこれを見て感動したので、他の動画を探すと、有名なTEDのこういうのが出てきました。字幕もついていて親切なサイトなので、英語を勉強している人は、そちらの意味でも為になるでしょう(彼女の母国語は英語ではないはずなので、その点でもすごい)。

気候危機を訴える学校ストライキ ─ ルールを変えて世界を救おう | グレタ・トゥーンベリ | TEDxStockholm

 実に堂々たる、完璧なスピーチで、あらためて驚いたのですが、いくらか迷信深い僕の解釈によれば、これは超鈍感で愚かな人類のために、神がこの世に遣わしたエージェントです。わが“心眼”には、この可愛い少女の背中に大きな白い羽根が生えているのが見える。

 彼女の「障害」については、こういう記事もあります。

「アスペルガーは私の誇り」グレタ・トゥーンベリさんが投げかける「障がい」の意味

「グレタさんは、アスペルガー症候群と強迫性障害、選択性緘黙であることを公表している」とありますが、三番目のTEDのスピーチによれば、彼女が「アスペルガー症候群と強迫性障害、選択性緘黙であること」がわかったのは11歳のとき、環境問題で深刻に悩み、鬱状態になってしまって、食べることも話すこともしなくなったのがきっかけのようです。それで僅か2ヶ月で10キロもやせてしまい、たぶん親が心配して医者のところに連れて行ったのでしょう。それで、身体的には何も異常がないことが判明し、心理的な面に何か問題があるのかもと調べたら、そういう「障害」があることが判明した、そういうことなのかなと思います。

 しかし、こういうのが「障害」なのかどうか、僕はそれを疑問視しています。むしろ人間としては正直で「まとも」すぎるから、自分の私生活上の問題をはるかに超えるこうした問題をわが事として悩むわけで、ミーイズム全盛の折柄、こういう若者がいることは一服の清涼剤であるのみならず、人類の未来にとっての希望と言えます。トランプみたいな自分にとって損か得かという打算しかない、目立ちたがりの悪徳不動産屋が世界最大の国家の大統領になるというのはそれ自体、今の文明社会が深刻に病んでいる何よりの証拠ですが、それとは正反対です。彼女の爪の垢でも煎じて飲めと言いたくなる。

 アスペルガーは天才科学者・芸術家などにも少なくないと言われていますが、元々が「病気」のように言われる多くのものが実は病気でも何でもなくて、それは自然が作り出した「個の多様性」だと考える人もいます。一定数毛色が違う個体がいるからこそ、文化や文明は進歩するので、同質のものばかりでは発展はなく、種の存続自体がそれでは危うくなる。

 僕は塾教師として、たくさんの子供と接してきましたが、少し変わっている子供の方が相手をしていて面白いのです。そうした個性が醜いものとなるのは、利己主義と深く結びついたときだけで、そうでなければそれはいずれも魅力のある、愉快なものとなるのです。

 にしても、僕が驚いたのは、ヤフーのニュースサイトにはコメント欄がありますが、関連記事のそれを見ると、彼女に対する否定的なコメントがずらりと並んでいたことです。ほめているのだろうと思ったので、びっくりした。とくに上に引用した最後の記事など、コメント数は四千件を超え、それがほとんど利口ぶったオトナの難癖コメントなのだから、ほんとに今の日本人にはロクなのがいないなと呆れてしまうのです。

・もう少し彼女が穏やかになれるように、周りでフォローしつつ、問題点を攻撃的ではなく、理性的に、改善できるような話し方ができれば、もっと環境に興味を持つ人が出るのではないでしょうか。
このやり方では、彼女自身に対する反感や嫌悪感が大きくなりそうで、かわいそうな気がします。
環境や動物愛護に熱心な人は、とにかく相手に攻撃的で恐ろしさを感じます。


 見た目は親切ぶっていて尤もらしいが、ただの難癖です。話し方がよろしくないと言うのですが、微笑でも浮かべて、淡々とていねいな語り口で地球環境の危機について語って、「皆さん、ぼちぼち環境問題について考えてみませんか?」とでも言えばいいのか? そしたらもっと効果が上がると? 馬鹿馬鹿しい。別に「彼女自身に対する反感や嫌悪感が大きくなりそう」な様子はないので、書き手が「反感や嫌悪感」を隠しもっているだけの話でしょう。しかし、これなんかはまだいい方です。

・考え方が0か100なんだよねぇ。
 全てを0にしてしまえない事情もあり、難しいんだよね。
アスペルガーである子供と考えたらこれを放置するのは良くない。
いろんな考えがあるのを学ぶ必要がある。
正義感だけでは人を傷つけることもあるのだと。
親はどうしているんだろう?
この子が広告塔のようになるのは良いことだと思っているのだろうか。

・『私のようなアスペルガーの人間にとっては、ほとんど全てのことが白黒どちらかなのです。』
ここが全てを物語っていますね。
0と1だけのコンピューターロジカルで容易に解決できるのは導かれるべき正解がひとつしかない計算処理くらいでしょう。

・アスペルガーが全員同じだとは思いません。
思わないからこそ、この方の極端な思い込みの激しい思想は『アスペルガー代表』のような体裁であまり公式に取り扱わない方が良いのではないかと感じます。意義・主張は大いに結構。とても素晴らしいです。でも、『自分が絶対に正しい』と信じて疑わず聞く耳持たず脳天から噛みつくその姿勢は障がい云々関係なく問題があるのではないでしょうか。
 まだまだ子供、伸び代はたくさんあると思います。
まずは被害妄想・誇大妄想をカウンセリングで軌道修正するなどして論理的思考が可能になるようにトレーニングを受ける等、是非とも頑張ってください。


 一体何を考えて、こういう下らない御託を並べているのか?「いろんな考えがあるのを学ぶ必要がある。正義感だけでは人を傷つけることもあるのだと」「『自分が絶対に正しい』と信じて疑わず聞く耳持たず脳天から噛みつくその姿勢は障がい云々関係なく問題があるのではないでしょうか」――こういうのは日本人お得意の論法ですが、環境問題の悪化は深刻な問題で、「私は青が好きだが、あなたは黄色が好き」というような問題とは性質が違うのです。彼女にとってはそれは切迫した問題だが、私にとっては別に大したことはないので、自分の給料が上がるかどうかが何より切実なのだ。そういう私を非難しているみたいに感じるから、正義ぶらないでほしい。せいぜいがその程度の話でしょうが。正直にそう言え。

 彼女はおそらく、こういう子です。ある問題について激論になったとする。TEDのプレゼンテーションを見てもわかるように、彼女は非常にロジカルです。だから、そのやりとりの中で自分の考えが間違っていると思えば、ぱっと考えを改めるでしょう。どうしてなのかというと、彼女にとっては何が真実で、何が正しいのかということが何より重要だからです。そこに、下らない自分のメンツがどうのといった問題は介入してこない。そういう点、いわゆる「ふつう」の人よりずっと柔軟なのです。

 むしろ「正常」を装っている人に頑固なのが多いので、議論になって自分が負けそうになると、「人の考えはそれぞれだから」と言い出す。だから、自分の浅はかな考えや間違った考えも等しく尊重されるべきだと言うのですが、それはケチな自尊心が何より大事だからで、考えと人格の区別も付けられないほど幼稚なのです。それで同類の人間ばかりで集まって、「そうだよねー」と盛り上がる。

 僕がこういうことを言うのは、アスペルガーだったかどうかは知りませんが、自己主張の強い、白黒はっきりさせないと気が済まない、言うことが「すべて結論」みたいな独断的な父親をもったからです。気質が似ていたからそうなったのかどうか、長男の僕は二十代の半ばになるまで、顔を合わせるたびに父と衝突していました。どちらかが「それは違う!」と言い出して、喧嘩になるのです。他の家族は雲行きが怪しくなると、必死に話題を他に向けさせようとしましたが、二人ともそんなものにごまかされる人間ではなかったので、正面から激突することになったのです。後で考えると、人生経験豊富な父の方が正しかったなと思うことの方が多いのですが、彼には一つ不思議なところがあって、たまに突然沈黙して、「今のはおまえが正しい」と言うことがあり、そういうときは一瞬で考えを改めたのです。ホンネとタテマエのややこしい区別とか、そんなものはなかったので、そこは非常にわかりやすかったのですが、そういう人間だったので、僕は父とやり合うことが無駄だと思ったことは一度もないのです。彼は昔の尋常小学校卒の学歴しか持っておらず、元が名うての悪ガキで、学校のお勉強はさっぱりだったという人間でしたが、昔の田舎の人間にしてはずいぶんと進歩的な考えをもっていた。不良息子の相手をしているうちにそうなったので、僕は父から多くのことを学びましたが、父もまた変化したのです(断っておきますが、僕自身はわが子を育てる際には、自分の父親とは全く違うやり方をしました)。

 トゥーンベリさんは、TEDで「私たちは嘘をつくのがあまり上手ではありません」と言っていますが、僕の父も嘘をつかない、正直な人間として有名でした。いわゆる「空気を読む」人間ではなく、そんなことにはおかまいなしで、目上の人に無遠慮にきついことを言うことも珍しくなかったので、母はハラハラしていましたが、そのあたりもアスペルガー的です。父の前ではこちらも嘘がつけなかった。全部見破られてしまうという感じがあったので、いわゆる「アスペ的」な人というのは、そういう直観力も人よりすぐれているのかもしれません。

 今の会社では受けが悪いのでそういう人は減っているようですが、「ワンマン上司」というのがいて、昔は社長や部長クラスにそういう人が結構いた。僕は学生アルバイトの時代も含めて、そういう人の相手をするのを得意としていました。ふだん敬して遠ざけられ、「あの人は全然人の言うことを聞かないから…」などと部下に陰口を叩かれているのですが、僕は「この人はうちの親父に似ているな」と親近感をもつことが多かったのです。それで異見を言いに行くと、「何か文句があるのか?」みたいな不機嫌そのものの顔つきをする。「あの指示はおかしいのではありませんか?」と言うと、「何だと!」なんて言い方も平気でするのです。大方の人はそれで引いてしまうが、僕は父親の相手をしていたおかげで免疫がついていたので、かまわずその理由の説明を始める。仕方なく話を聞き、反論してくるが、あるところまで話が進んで分が悪いと知ると、苦笑を浮かべて、「じゃあ、おまえはどうすればいいと思っているんだ?」ときく。それで意見を言うと、「わかった。それでやってみろ」と言ってくれる。そういう切り替えも早いのです。後で、「あの若いのはほんとに生意気だな」と言ったという話は聞いても、嫌われていないことはよくわかるので、昼休みに見かけると、「おまえ、メシはまだか?」と言って食事に連れて行ってくれたりする。誰も一緒に行きたがらないので、それで周りからとやかく言われることもないのです。そういう人は面白いので、歩きながら通りかかった犬に、「シロ、シロ」と呼びかけているから、「あの犬はシロって名前なんですか?」ときくと、「知らん。色からしてあれはクロのはずはないから、そう言ってみただけで、色々言ってればどれかは当たるだろ」なんて澄まして答えるのです。

 こういう人には信念やハートがあり、決断力と行動力に富んで、性格的にもカラッとしていることが多いので、僕は好きなのですが、世間の人は誤解することが多い。彼らは見た目ほど頑固ではないのです。反対に見た目は受容的で、うんうん言って話を聞くふりをするが、実際は非常に自己防衛的で、それまでの議論がなかったみたいに「でもねえ…」と没論理的なことを決まって言い出し、話すだけ無駄という人はたくさんいるのです。議論でやりこめられたりすると、深く根にもって、陰湿なやり方で仕返しをしようとするのもこのタイプの人たちで、それがいわゆる「ふつう」の人たちの中にどれほど多いか。アスペルガーがどうのこうのと言う人たちは、そちらの「異常」についても少しは考えてみたらどうかと思います。この社会を本当に毒しているのは、自分のつまらないメンツや硬直した価値観に執着して変化に抵抗する、そういう人たちなのです。

 彼女の病名には「強迫性障害」というのも入っていますが、僕なども子供のときはこれだったので、精神科を受診させれられていれば、そう診断されたでしょう。トゥンベリさんは11歳のとき、環境問題で悩んで鬱状態に陥った。僕も12歳頃、「1足す1はどうして2なのか?」という疑問にとりつかれて、それから7年間、それについて考え続ける羽目になったのです。何が問題だったのかと言うと、それが正しい理由がわからなかったからです。それから僕は自分の頭に浮かぶ考えに「正しいという根拠」を問い質す癖がつき、ずっと辿っていくと、1+1=2の場合と同じく答が見つけられなくなるのに気づいて戦慄したのです。周りの子供たちが自信たっぷりなのが羨ましかった。

 元々学校の勉強が嫌いでしたが、おかげで勉強すること自体ができなくなった。頭を使うと、必然的にそうした疑惑と不安が強化されるからです(自然の中にいるときだけ、それを忘れることができた)。それでほとんど受験勉強もしないままビリで高校に入って、それから苦労したのは、たとえば数学の問題を解く際、僕はいちいちそれに使う公式を証明してからでないと取りかかれなかったのですが、その公式がいくつもあって、三角関数みたいに芋づる式に遡れる場合、全部を証明しないと気が済まず、また、昨日その証明を済ませていた場合でも、今となると疑わしく思えるので、もう一度やり直さなければならないのです。それというのも、根本に1+1=2への不安があるからで、その不安がそうした強迫的な確認行為を誘発するのです。暗記科目が嫌いで苦手な僕は、数学とは割と相性がよかったのですが、それが原因で数学を遠ざけるようになった。

 むろん、試験前にはそれを一時的に眠らせて対応したし、昔はバイク免許取得が禁止されているということもなかったので、それを取ってバイクで走り回ったり、ふつうの高校生がするようなことは全部やって、それなりに生活をエンジョイしていたのですが、その疑問は強迫観念として僕の心に貼りついたままだったのです。

 それでどうなったかと言うと、自分の頭で考えられるようなことはほぼ考え尽くして、どうしようもなくなっていたのですが、はたちの誕生日を迎えたばかりの頃、そうした疑惑が一気に消滅するという不思議な体験をした。その直前、僕は他のことに多忙で、自分のことを考えるのをすっかり忘れていたのですが、ある朝ふと気づくと、頭の中のモヤモヤがすっかり消えていたのです。そんな馬鹿なと思った僕は、一週間ほど意図的にその疑惑をぶり返させようとしました。しかし、それは二度と戻ってこなかった。

 しかし、確認癖そのものは生まれつきの性格として残っていたので、何が起きたのかを今度は解明しようとしました。何かがわかって、だからそれは消えたはずだが、その「何か」が何なのか、わからないのです。それで僕は哲学、心理学、精神病理学など様々な本を読んだのですが、そのプロセスで、自分の「病状悪化」のピーク時点でのそれが、統合失調症(当時は精神分裂病と言った)のある患者の描く内界と酷似しているのを知って驚きました。もしもその当時医師の診断を受けていれば、そう診断されることもありえた、ということです。

 その二年後に、僕は「わかった!」と叫んで、その問題についての論文もどきを書きました。そのとき友達に聞いたところでは、数学者による1+1=2の証明は既に存在していて、それは「背理法」を使うものだったと記憶しているという話でしたが、僕は「逆説」という言葉を使ったので、似たところがあるのかもしれません。しかし、僕はそれを哲学の問題として解こうとしたのです。それは三段構成になっていて最後は証明不可能な直観に依拠するので、ふつうの意味での証明にはならなかったのですが、その直観に対する僕の信頼はその後一度も揺らいだことがないので、大げさな言い方をすれば、それはその後の自分の思想的営為の基底をなすものとなったのです。

 後でこの話を聞いた僕の母親は、「おまえは大学生にもなって、そんな幼稚園の子供でも知っているようなことを知らなかったのか!」と驚き呆れ、「そうだ」と答えると、「世間に恥ずかしい」から、絶対にそんなことは口外してはならぬ、と口止めされました。「かねておまえが非常識なアホだとはわかっていたが、まさかそこまでとは思わなかった」と半端でない嘆きようでした。落第の言い訳にそんな馬鹿げた話を持ち出すのは言語道断だというのです。

 世間の大方の人はたぶんうちの母親と同じ反応を示すでしょう。1+1=2は自明のことであって、今さらそれがどうして正しいのかなどとは考えない。それが「正常」というものです。しかし、「強迫性障害」をもつ僕はそれに引っかかって、しまいにはそれを問う「自己」そのものを疑って精神崩壊の危機にさらされる羽目になったのです。しかし、その結果、僕は自分にとって重要なものをつかんだ。それもたしかなのです。僕はその発見を「シェア」したいと思っています。それがわかれば、無意識の不安の多くが消えて、もっと安心してものが考えられるようになるだろうと思うからです。しかし、多くの人はそれを説明しても、それをたんなる観念として受け取るだけで、実感としてそれが何を意味するかを理解することはないようなので、そこが難しいのです。水はH²Oだと説明しても、それで水がわかったことにはならないのと同じです。それに触れ、そこで泳いでみて、初めてそれが実感としてわかる。それが実在するものだと確信できるのです。

 科学でも哲学でも、文化芸術でも、それらは何か特殊な「こだわり」をもつ人たちによってつくられたものです。社会活動家にしても、半端でないしつこさをもたなければ、事は成し遂げられない。そう言ってよければ、彼らには何かきちがいじみたところがあるのです。知性や才能はむろん必要ですが、それだけでは足りない。実験に百回失敗すれば、諦めるのが「分別」というものです。しかし、彼らは手を変え品を変え、しぶとく続ける。それは「異常」なことですが、そのおかげで彼らは何かを発見したり発明したりし、結果として僕らはそのおかげをこうむることになるのです(注意すべきは、彼らのそうしたこだわりは見栄から出たものではないということです)。心理学者や精神医学者たちはそうした彼らの性格を異常視して「発達障害」と呼ぶ。アインシュタインの相対性理論は、常識を平気で無視する彼の性格に負うところが大きかったと言われています。ニュートン流の時空観念をそれは否定するもので、「非常識」でなければ、ああいう発想自体ができないからです。そして彼は典型的なアスペルガー型天才の一人だったとされているのです。

 僕はグレタ・トゥンベリさんの将来に期待しています。「ああいうのはテロリストになる恐れがある」なんてアホな中傷コメントをしている人もいましたが、なるわけない(笑)。彼女は遠い将来ではなくて、今行動を起こさねば間に合わないのだと言い、そうしているわけですが、同時に環境問題についての勉強を熱心にしているようなので、警世活動を続ける生態学者、地球環境学者や、疲れを知らぬ環境保護活動家になるかも知れません。頭のいい彼女なら、そのどれにもなれそうです。僕らオトナは、アスペルガーだからどうのこうのと下らない御託を並べるのではなく、彼女が突きつける疑問に正面から答えられるようにしなければならない。それが間違っているというのなら、彼女の主張のどこがどう間違っているか、ロジカルに説明しなければならないのです。それができないので、人格や病気を持ち出すというのは卑劣極まりないことなので、僕は彼女が言っていることを聞いて、「君の言うとおりだよ」としか言えませんでした。「今の人間世界では変えるのは難しいのだ」なんて、彼女は先刻承知なので、にもかかわらず、変えなければならないと言っているのです。彼女と違って僕らが切迫感をもたないのは、鈍感で不勉強で、馬鹿だからにすぎない。なぜそれを素直に認められないのかと、それが不思議でならないのです。僕は塾でも、自分が間違えたときは生徒にちゃんと謝ってますよ。それは恥ではないので、それを認めないことこそが恥なのです。

米海軍の新たなUFO報告

2019.09.19.16:58

 最近、このブログは「韓国もの」で埋まっていますが、文政権の際限もない愚劣さ、非常識には驚き、呆れる他なく、自然にそうなってしまったので、「不可抗力」によるものです。あの独善性の化け物みたいな、狂気の観念左翼(文とその取り巻き)の愚行は今後もまだまだ続くと思われるので、あの韓国自身にとっても危険な政権が退陣するまで辛抱強く書き続けるつもりでいるのですが、今回は全く別の話です。

未確認飛行物体の目撃報告、米海軍が「本物」と確認

 オカルトサイトではなく、CNNの記事なので、これは読む人も多いでしょう。「海軍報道官はCNNの取材に対し、この物体を『未確認航空現象(UAP)』と形容した」とありますが、UAPというのは聞き慣れない呼称で、何の略かと調べたら、Unidentified Aerial Phenomena の頭文字をとったもののようです。要するに、UFOだとは断定しないが、それらしきものが空中に(aerial)出現する奇異な現象(高校生向けに書いておくと、phenomena は phenomenon の複数形)、ということなのでしょう。

 映像は2017年12月~18年3月にかけて公開されたもので、高速移動する長方形の物体を、高性能赤外線センサーがとらえている。
 このうち2004年に撮影された映像では、センサーがとらえた物体は急加速して画面の左側に消えていた。センサーは物体の速度に追いつけず、再発見することはできなかった。
 残る2本はいずれも2015年の映像で、戦闘機のパイロットが交わした「ドローンだ」「全部風に逆らってる」「見ろよ、あれ!」といった会話が収録されている。
 海軍報道官によると、UAPに関する情報公開の目的は主に、パイロットの安全を脅かしかねない訓練空域への「侵入」について、訓練生による目撃情報の報告を促すことにある。


 こういうのは「海軍の訓練空域で頻繁に目撃される侵入事案のほんの一部にすぎないと報道官は強調」しているというのだから、何ら珍しいことではないのです。

 新たにエイリアン本(翻訳作業は完了した)を出そうと目論んでいる僕には、こういう記事が増えると世間の関心が高まって出しやすくなるので、「もっとどんどん公開して!」という感じなのですが、UFO、エイリアン問題というのは、ふつうの人が考えているよりずっと奥行きが深くて、人類の文明や生き方、価値観にダイレクトにつながる問題なのです。彼らは人類文明の行く末を文字どおり「憂慮」し、人類は自滅の瀬戸際に立っていると見ている。深刻な地球温暖化や環境破壊の進展一つとっても、そういうのは何もエイリアン様に教えていただかなくともわかりそうなものですが、今の世の有様を見ると、「わかってない」としか思えない。あのトランプとアメリカのネオコンなんか、問題そのものを否定しているぐらいなのです。

 僕が訳した本は、いわゆるエイリアン・アブダクション(宇宙人による誘拐)現象を扱ったものですが、物質的な側面よりも精神面への影響の解明に重点が置かれ、スピリチュアリズムに分類されるものですが、その影響はネガティブなものではないのです。よくSF映画に出てくる「宇宙人による侵略」なんかは僕自身は全く心配していないので、そういうのは人間の無意識の恐怖と攻撃性の投影にすぎません(その気があれば、彼らのテクノロジーは人類のそれとは比較にならないのだから、とうの昔にやっている)。人類にとって最も危険なのは、自分自身なのだということを僕らはよく理解しなければならない。「いやー、まだ大丈夫ですよ」なんて、太平楽なことを言っているうちに人類は絶滅する。その想像力の乏しさには驚くべきものがあるので、その馬鹿さ加減は「万物の霊長」どころの話ではないのです。

 軍事基地周辺でUFOの目撃情報が多いというのは、何も今に始まったことではありません。彼らは戦争、とくに核兵器を使った戦争が起こることを懸念しているので、偵察や情報収集にやってきているのでしょう(核兵器は第二次世界大戦の終わり、広島、長崎への原爆投下によって初めて世に現われたという事実を僕らは忘れるべきではありません。そして今は、その量、破壊力共に、戦慄すべきレベルに達しているので、今度世界大戦があれば、確実に人類は終わるのです。その使用を「抑制」できるほどの自制心があるとは、僕は思っていません。そんなに人類は賢くないのです)。

 墜落したUFOを調べて、その模造品を作る研究なんかもひそかに進められているらしいので、中には「地球製のUFO」も混じっているのかもしれず、話はややこしくなりますが、彼らが武器を使用不能にしたというような話はあっても、爆撃を加えたというような話は聞いたことがないので、その方面のことを心配する必要はないだろうと僕は思っています。韓国の「反日」と同じで、意図的にミスリーディングして、軍や政治家が自分たちの醜行から目を逸らさせるために宇宙人を悪者に仕立てる可能性はかなりあると思いますが。

 僕は創造力豊かな人間なので、時々自分が宇宙人になって地球の有様を眺めることがあります。「何や、この幼稚で超ジコチューのサルの変種は!」と思わざるを得ないので、地球の明るい未来のためにもかかる「害虫」は駆除しなければならないと考える方向に傾くのです。しかし、現実には彼らは驚くべき慈悲と忍耐をもって、遠回しに何とかこれを啓蒙し、教育しようと骨折っているようなので、リスペクトしないではいられなくなる。僕が今回訳した本に出てくるエイリアンたちも、それには色々いて、中にはかなり笑えるのもいるのですが、人類の行く末を心配していて、根本的に信頼しうる、そう結論づけられるのです(むろん、そういうのを目撃したり、宇宙船に連れて行かれてあれこれ色んなことをされたりすると、大方は深刻なトラウマになる。それは通常「あり得ない」ことなので、それを事実として受け入れること自体が世界観の崩壊を招くのです。しかし、それを乗り越えたとき、そこには全く違う意味合いが含まれていることを発見して、彼らの世界観や自己観は大きく変化するのです)。

 尚、こういう話自体が「全くありえない」ことだと言い張る人たちはまだいて、「科学」を装って非科学的な決めつけをして恥じない代表格の本の批判を、その訳本が出る(まさにそれが目下の僕にとっては問題なのですが…)のに合わせて、このブログに載せる予定なので、それを読んでから、どちらが「科学的」で「まとも」なのか、読者はご判断ください。

 にしても、この画像の謎の物体、バットマンのマークみたいに見えませんか? 「ちょっとサービスしてやろう」ということで、こういう形態を見せたのでしょうか?

アマゾンが死ねば、人類も死ぬ

2019.08.22.14:49

 アマゾンといっても、ネットのアマゾンではありません。本物の、アマゾンの熱帯雨林のことです。

炎上するアマゾン、ネットで話題に ブラジル大統領はNGO非難

 僕はアナコンダをこよなく愛していますが、彼らも生息地を失うというような話はともかく、あそこは新薬原料の宝庫であるだけでなく、CO2を吸収したり、世界の気候を安定させてくれたりしているこの上なく貴重な存在です。このままでは時間の問題で草原地帯になってしまい、川は枯れ、次は砂漠化するというプロセスを辿りそうですが、そうなったら人類もジ・エンドです。いや、火星に移住すればいいのだなんてノーテンキなことを言う人もいるでしょうが、勝手に移住すればいい。日本の森林も、アホで無責任な農水省の際限もない植林奨励政策のために、奥山まで植林してしまい、原生林は大方なくなって、崖崩れ、洪水(スギやヒノキの人工林に保水能力はない、ましてや材木が売れずに放置されたままではなおさら)、花粉症蔓延の原因となるスギ、ヒノキだらけになって、川や海の生態系も深刻なダメージを受けています(クマやサルが里に出てくるようになったのもそのためです)が、あの広大なアマゾンが消滅するとなったら、その深刻さは想像を絶するものとなるのです。

 周知のとおり、広大なアマゾンは数ヶ国にまたがっていて、「60%はブラジルにある」(ウィキペディア)のですが、いずれの政府も発展途上国特有の工業化や、外資導入政策に熱心で、反対する先住民を圧迫して、密林伐採と鉱物資源採掘を推進(言うまでもなく、それは深刻な環境破壊、健康被害をもたらす)しようとしていて、それがいかに重要な「財産」であるかは認識していないのです。この記事によれば、ブラジルの「ボルソナロ大統領は21日…『こういったNGOが私とブラジル政府に対して人目を引き付けるために行った犯罪行為』が森林火災の原因かもしれないと指摘」しているのだとのこと。馬鹿言うんじゃない、という感じなので、「開発」側がこちらの方が手っ取り早いと火をつけたり、伐採によって乾燥化が進んでいるから、自然発火による火災も起きやすくなっているのでしょう。これは国連で話し合うべき問題で、これらの国の政府首脳にきちんとその重要性をレクチャーし、必要なら経済援助もして、密林と共生できる経済システムを作れるよう持っていくべきです。多国籍企業や投資家たちも、今の彼らは自分の金儲けのことしか考えていないように見えますが、密林破壊にひそかに加担している企業などはその名前を暴露して、社会的制裁を受けさせるべきです。全くもって、ロクでもない連中なのだから。

 こうした自然林の消滅はニュースにならないだけで、東南アジアでも進行していて、アマゾンの話だけではないようですが、こういう自殺行為をなぜするのかと言えば、全体や将来のことを考える気持ちが今の拝金主義の多国籍企業や投資家たちには全くないからです。彼らが現地の無知な権力者を陰で操っている。これは「陰謀論」の類でも何でもないので、今の文明社会は自己増殖にしか関心がなく、能がない、癌細胞に冒されているのと同じになっているのです。これをストップさせなければならない。

 というようなことを極東の島国の一介の塾教師が書いてもあまり意味はなさそうですが、あんまりやっていることがアホすぎるので、書かないではいられないのです。

南海トラフ地震について

2019.05.22.13:58

 ネットのニュースサイトに次のような記事が出ていました。西日本新聞です。

日向灘 周期地震警戒を M7.1級 30―40年で発生 津波増幅の恐れも

 この中の次のような箇所は、延岡市に住んでいる者としては大いに不気味です。

 日向灘の地震に詳しい京都大防災研究所宮崎観測所の山下裕亮助教(観測地震学)は「日向灘のプレート境界地震の震源域は、宮崎県延岡市沖の北部と、宮崎市沖の南部に分けて考えるべきだ」と提唱する。
 北部震源域は1662年と1968年にM7.6前後の大地震を起こしており、46年の南海地震(M8・0)の震源域にも近い。今年3月27日にM5.4の地震が発生しており、岡村氏も「この震源域で大地震が起きれば、南海トラフにつながる可能性を簡単には否定できないかもしれない」と話す。


 先には「地震予知失敗、100回中99回 南海トラフで学者回答」という見出しの、次のような記事(共同通信)も出ていました。

 南海トラフ巨大地震について、事前に発生する時や場所、規模を正確に言い当てる直前予知を100回試みても99回程度は失敗すると日本の地震学者が考えていることが、林能成関西大教授(地震学)が行ったアンケートで19日、分かった。
 観測データを基に危険性を判断するのが地震学者で、予知の実用化が不可能に近いことを改めて示す結果となった。
 林教授は、予知の難しさが市民や行政担当者に正しく伝わっていないと指摘。「突然の地震でも被害を少なくする防災を進めるのが先。予知を防災の前提としてきた過ちを繰り返さないようにすべきだ」としている。


 要するに、南海トラフ地震はいずれ起こるが、「いつどこに、どのようにして」を正確に予測することは専門学者でもほぼ不可能ということで、責任をとやかく言われないように「アテにしないでください」と“予防線”を張っているのですが、「言われなくても、そんなことはわかってますよ」という感じがしないでもありません。データをあれこれ入れ込んでシミュレーションしても、カウントされていない要素はつねにあって、それらが関与した場合、地震のメカニズムは複雑なので、予測とは違った結果になるのは当然だからです。

 だから、霊能者の「地震予知」の方がまだしも信用できそうな気もしますが、それも甚だアテにはならないことが証明されているので、昔、あれは僕が上京した年の冬だったから、1973年から74年にかけてのことだったと思うのですが、ある霊能者が「東京に直下型の大地震が起きる!」と日時まで指定して断言し、「外れたら腹を切る」とまで言っていたので、よほど自信があるのだろうと思って、僕はその時間(夜中の何時だったか忘れましたが)、深夜営業の喫茶店に待機して、本を読みながらその「決定的瞬間」を待ち受けていました。元々東京は地震が多いところですが、あいにくなことに予告されたその晩は微細地震すら起きなくて、その霊能者は行方をくらまして逃走したという話でした。僕は当時新聞配達をしながら浪人していたので、中途半端に寝ると起きられなくなるとそのまま徹夜して、眠い目をこすりながら朝刊の配達に出かけたのですが、あれは一体何だったのか。その後「富士山大噴火」なんて予知本を出して大儲けしたオッサンもいましたが、そういうのも大ハズレだったのです。

「災害と不幸は忘れた頃にやって来る」なんて言うので、学者先生や霊能者の皆さんに「起きる起きる」と脅され続けて、その都度身構え、だんだん疲れてアホらしくなって警戒心が薄れたところでドカン、ということになるのかも知れません。

 ついでなので、僕もその尻馬に乗って物騒な「予知」を一つご紹介しておきましょうか。今ある本を訳しているとこの前書きましたが、その中に「地球規模の大異変」について色々な人のヴィジョンや夢の描写が次々出てくる章があって、それは全部「これから先起きること」として語られているのですが、その中にJapan が出てくる箇所が一つあったのです。そこだけ引用すると、

 …She has also seen “a ring of fire to the left of Japan”. Beginning in the northern hemisphere, the Earth’s axis will shift, she has been told, causing “a lot of depression and chaos” unless people work to become “grounded” and “deeply connected with the Earth”.

 まず最初の文は、「〈日本の左側に炎の輪〉が見えた」ということですが、この to the left of Japan というのが、「日本列島の左側の部分」なのか、「日本列島の左隣」なのか、用法としてはどちらもあると思われるので、はっきりしないのですが、ここは前者だとして、地図を見ればわかるとおり、「左側」とは西日本です。巨大南海トラフ地震が起きれば、霊視の類では西日本全体が「炎の輪」に包まれるというイメージになっても不思議ではない。そして、続きはこうなっています。「北半球から始まって、地軸がシフトし、それは、〈多大な落ち込みと混乱〉を惹き起こすだろう(と言われた)」。ここのdepressionも、心理学なら「抑うつ状態」、経済学なら「不況」で、どちらなのか両方なのかわからないのですが、地軸が動くとなると、当然それは世界的な大異変につながるわけです。

 しかし、地震と地軸移動が関係するのか? そう思ってネットで検索してみると、National Geographic 日本語版の記事(2010.03.02)が最初に出てきて、そこにはこう書かれています。

 2010年2月27日にチリで大地震が発生した。そのすさまじい破壊力によって地球の軸が移動し、1日の長さが短くなった可能性があるとNASAが発表した。
 今回の地震マグニチュードは、アメリカ地質調査所(USGS)の発表によると観測史上5番目の規模となる8.8だった。この地震によって地球の自転速度が早まり、1日が”100万分の1.26秒”短縮したという。カリフォルニア州にあるNASAジェット推進研究所の地球物理学者リチャード・グロス氏が最新のコンピューター・モデルで算出した数値である。
 なお、2004年12月に発生したマグニチュード9のスマトラ沖地震では、同じモデルで1日が100万分の6.8秒短くなったと確認されたという。


 してみれば、そういうことは実際にありうるのです。上の英文、最後も訳しておくと、それにはこういう「条件」が付いています。「もしも人々が地に〈足を着け〉、〈地球と深くつながる〉ようになるよう努力しなければ」。

 これは、“X”の部分がその人の語った言葉そのままという意味ですが、誰のヴィジョンかと言えば、アメリカ北東部の都市に住む45歳(当時)の二人の娘をもつ主婦のものです。彼女はある存在たち(the beings)にえらく生々しい映像またはイメージを見せられながら、そういう説明を受け(she has been told となっているのはそのため)、「人類はこういう勝手なことばっかりやってたのではあきまへんで」(彼らに関西なまりがあったとは書かれていませんが)と警告を受けたというのですが、これは山のようにある、多数の人が受け取った類似の警告の一例にすぎません(実はもっと恐ろしいのもある)。

 最後の unless を僕は「if …not と同じ」と塾では教えることが多くて、訳ではそれで差し支えないのですが、文法書の類では「例外的な条件」に多く用いられると書かれていて、この文だと、「そうする見込みはあまりなさそうだが、仮にあんたたち(ここは日本人ではなく今の文明人全体を指す)がジコチューで破壊的な自然搾取(と人間世界での卑劣な弱い者いじめやその見て見ぬふり)をやめて、心がけを改めれば回避は可能かも」と相手は考えている、ということになります。

 こういうのは現代科学では「迷信」ということにされているのですが、この前の『リターン・トゥ・ライフ』にもそれに関連する込み入った議論が一部に出てきたように、物理学の最先端では「物質と精神」の境界が実は不明確になっていて、意識または精神が先にあって、物質はその後になるという、従来の考え方(たとえば、意識だの心だのは物質としての脳の電気化学的な反応の副産物にすぎない)とは逆の主張が、科学の側からも行われるようになってきているぐらいなので、それを嘲笑する方がむしろ「時代遅れ」かもしれないのです。

 そのメカニズムはまだ解明されていないとしても、心のありようと外部現実は関係する。ここらへんは難しいので、たとえば不正な経済システムの中で貧乏人が増えたとして、それはその歪んだシステムが悪いのであって、「おまえらが貧乏なのは心がけが悪いからだ」なんて1%の金持ちが99%の貧乏人(アメリカの猿真似ばかりしているといずれ日本もそうなる)にお説教するのは筋違いというものなので、その場合はシステムをもっとまともなものに変える必要があるのですが、そういう「頭の悪すぎる」議論とは別に、たしかに関係するなという部分はあるように思われるのです。

 この前の東北大震災に伴う福島原発の事故でも、あれはいまだに「収束」とは程遠い(東京オリンピックなんかやってる場合か!)ようですが、あれで「東日本壊滅」とならずに済んだのは、実は「奇蹟」に近かったらしいので、慈悲に満ちた何らかの存在がきわどいところで助けてくれたのだと考えることもできる。これはむろん、被害に遭った人たちは「心がけが悪かった」というのではなく(そんなアホなことを言うのはあの石原慎太郎という救い難いじさまぐらいです)、逆に「日本人の悪しきカルマ」を引き受けて犠牲になってくれたのかも知れない。とにかく、日本人全体の問題として、「こういうことをやってていいのか、もうちょっとおまえたちも考えるように…」ということで、セカンド・チャンスを与えられたのだと考えることができるわけです。にもかかわらず、それで反省するどころか、性懲りもなく原発再稼働なんてやっているのを見ると、「この国の政治家や財界人にはほんとにロクなのがいないな…」と僕は呆れるので、「地球意識」はこういう有様を眺めて、「あんなアホな民族は生かしておいてもロクなことはない」というので、地下の大ナマズに、「もう遠慮なくどんどん暴れていいから」なんて許可を出して、首都圏直下型大地震に、南海トラフ大地震と、立て続けに起きて、原発も倒壊、放射能汚染まみれでわが日本民族は地上から姿を消す、というようなことにならないともかぎらない。

 今の「地球意識」というのは、僕ら個人の意識もほんとはそれに乗っかっているので、ただ、先の引用文にもあったように、それと「つながる」のをやめてしまったので、わからなくなっているだけなのです。だから、深い部分から言えば、その場合、僕らは進んで「自壊行為」または「自己処罰」を行おうとしているのだということになる。自分から進んで惨事を呼び求めているのと同じことになって、「地震よ、早く来い。それも超弩級のが来て、日本が壊滅しますように」と祈っているのと同じになるわけです。今の日本社会のありようから考えると…。

 そういうことはないでしょうかね? 僕は適度に「迷信深い」人間なので、そういう関連はありそうに思うのです。大惨事になるように自ら仕向けて、僕ら今の無責任なオトナがそれで「絶滅」するのは自業自得みたいなものでノー・プロブレムだとしても、罪のない子供たちにはいい迷惑ではありませんか? 要するに、防災訓練より、ハートの部分で今の日本人が忘れかけている、何かもっと大事なことがあるのではないかということです。
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