大阪桐蔭vs仙台育英

2017.08.20.13:28

 あの試合を見ていて、大方の人は唖然としたでしょう。僕もテレビのスイッチをあやうく切ってしまうところでした。終わったはずが終わっていなくて、勝ったはずがその後でまさかの逆転サヨナラ負けを喫したのです。

 一塁手が実はベースを踏んでおらず、あわててベースに足をつけるより早く、ヘットスライディングした打者の手がベースに届いていたので、あれは誤審ではなかったようですが、こういうのは緊張した場面の高校野球では必ずしも珍しくないことです。昔、やはり夏の甲子園で、延長何回だったかは忘れましたが、表で1点入れて、その裏ツーアウトで打者が平凡な外野ファウルフライを打ち上げ、それで試合終了のはずが落としてしまって、ピッチャーが次に投げた球がホームランされてしまい、振出しに戻ってしまった、なんてのもありました。それで結局、そのチームは負けてしまった。勝ったのは和歌山の簑島高校で、その年優勝したように記憶しています(地元なので、僕は簑島を応援していました。安倍ごときに「郷土を愛する心」をもてと言われるまでもない。今は宮崎県選出の高校と、両方応援するのです)。

 だから一塁手の子を責めるのは酷なので、甲子園というのはそういうところなのです。そもそもの話、大阪桐蔭はほんとは2回戦で智辯和歌山に負けていた(安打数も7対12で、明らかに力負けしていた)。あれは4回表チャンス時の三塁塁審の“タイムリー誤審”や、その後の智辯側の急ぎ過ぎの相次ぐ走塁ミスで勝てたので、そうしたまずい攻めも元々はあのミスジャッジで入るべき点が入らなかった焦りに由来すると思われるので、あの誤審のおかげで勝たせてもらったようなものだったのです。

 その智辯にしても、1回戦の沖縄興南戦で0-6から大逆転したので、その段階で運を相当使ってしまったのかも知れず、それが2回戦の不運につながったのです。大阪桐蔭は、その智辯相手の2回戦のラッキーな勝利で、3回戦分の“運の貯金”がなくなっていた、ということなのかも知れません。

 こういうふうに何でもかんでも「運」で説明してしまうのはやりすぎですが、そういうところが高校野球にはあるので、大逆転や接戦の末、最後まで勝ち上がるチームというのは、よほど強い運をもっていた、ということなのでしょう。より正確に言えば、運を味方につけられるだけのしぶとさ、粘りをもつチームということになりますが。

 にしても、ああいうのは教訓的です。最後の最後まで勝負事というのはわからない。運頼みでは勝てず、歴然たる実力差があれば必敗します(だから努力して実力をつけるのが先決)が、負けている側は最後まで諦めてはいけないし、勝っている側も、ほんのちょっとした油断やミスから目の前の勝ちを逃してしまうことがあるのです。

 繰り返しますが、高校生ぐらいだと、緊張してかんじんなところでミスをしてしまうのは無理からぬところがある。だから誰も責めないだろうし、本人も気に病まない方がいいのですが、勝負事というのはこれだからこわいなと思うのです。

 思えば、人生というのも先が読めない高校野球みたいなもので、よく「人生の達人」なんて言いますが、そんな人はほとんどいないので、僕らは皆人生のアマチュアです。僕のような無計画が服を着たような人間は人生の生活設計なんて考えたこともありませんが、そういうことを怠りない堅実で計画的な人でも、「こんなはずではなかった」ということは少なからず経験するでしょう。幸いにそれはスコアを競うゲームではない(成功崇拝の人にとってはそうかも知れませんが)ので、単純な勝ち負けがつくものではないのですが、十歳の子供に三十になった自分はわからないし、三十歳の人間に、その倍の年になった自分がどうなっているのかはわからないのです。いや、一年先のことすらわからないので、今元気な人が死んでいることもあるし、何をどう考えても絶望的な状況で、自殺でもするしかないなと思い詰めた人が、思いもよらぬかたちで危地を脱していることもある。何がどうなるかは実際に生きてみないとわからないので、「人間万事塞翁が馬」と心得ておいた方がいいわけです。

 話を少し戻して、僕は毎年大学受験生を相手にしていて、これは受かるか落ちるかしかないので、その意味では「勝負の世界」です。塾教師としては、むろん、全員第一志望に合格してくれるのが願いなのですが、そうは問屋が卸さないのがこの世界で、合格率は高い方だろうと思うのですが、そうそう思い通りにはいきません。長いこと同じ仕事をしていると自然に勝負勘のようなものは働くようになるので、模試などのデータには表われない部分のことで、これは行けそうだとか危ないなとか、そうした予感はよく当たるようになります。もちろん、偏差値50の子が70の大学を受けても受かるはずがないので、そこは大体データ通りなのですが、似たような成績でも、こちらは大丈夫な感じがするが、これは心配だなとか、そういうのがあるのです。センターの判定が同じCやDでも、これは突っ込ませても大丈夫とか、これは無理そうだなとか、割とはっきりした勘が働く。そのファクターには性格的なものはもとより、模試の点数にはダイレクトに反映していないと感じられる学力の質の差異、勢いのあるなしなどもある。説明が難しいそのあたりのことが結果を大きく左右するのです。

 難しいのは、教師の側のその反応が、生徒に影響を及ぼしてしまう可能性も否定できないということです。先生のあの顔を見ると自分は大丈夫だなとか、駄目かもしれないなとか生徒が思ってしまって、それが生徒の当日のパフォーマンスに小さくない影響を及ぼし、それで結果がこちらの予想通りになってしまう、という可能性です。それでも、センターがかなり悲惨な結果になり、本人もこちらも「まあ、無理だろうな」と思ったが、他に選択肢がないので受けたらなぜか受かっていた、ということも一年か二年に一回ぐらいはあるので、こういう場合はどうなのかと思いますが、それは本人に通常の緊張がなく、火事場の馬鹿力みたいなもので、直前に必死に勉強し、当日も居直って試験に臨むしかなかったので、予想外にいい点が取れてしまった、ということなのかも知れません。

 どういう場合にも言えることは、「守りに入ってしまったら負ける」ということです。大阪桐蔭のあのサヨナラヒットを打たれてしまった気の毒なピッチャーの子にしても、勝ったと思ったのが一転それが消えて、逆にツーアウト満塁のピンチになってしまった。こうなるとメンタルは最悪なので、命拾いをした相手の打者は九回裏ツーアウトで、負けているのだから失うものは何もないという構えでバッタへボックスに入れるが、それに対して虎の子の1点を守ろうと、逃げの、守りの投球になってしまうのは避けがたいことです。果たしてそれを痛打された。

 入試でも、センターは予想以上に取れたというので、その“貯金”を守りたいという感じになると、二次で意識が守りに入って失敗するということがあるのです。あんまりビハインドが大きすぎると気力が萎えたり、あるいは二次で何としても逆転しなければならないと肩の力が入り過ぎたりしてしまうが、適度なビハインドだと、さしたる葛藤もなく、積極的な攻めの構えに入れる。それが思いきりのよさを生んで、よいパフォーマンスができるということがあるので、そこらへんふつうの勝負事と同じなのです。

 あと、勝負事には「希望的観測」は禁物です。それがいわゆる「プラス思考」だと思っている人がいるようですが、さにあらずで、そういう人は何をやっても成功するのが難しいでしょう。それは現実逃避の一形態でしかないからです。おそらく一番いいのは、「成るものは成る、成らないものは成らない」と考えて、結果は運命の手に委ね、自分はやりたいこと、やるべきことをするだけだと思って、落ち着いて目の前のことに集中することでしょう。そうすると能力も上がるし、中身のあるいい仕事(勉強)もできるようになるので、結果も自然よくなることが多いのです。イメージトレーニングなるものをやるスポーツ選手が今は多いそうですが、そういうのが意味をもってくるのも、コツコツやるべきことをやっている人にとってだけでしょう。

 高校野球の話から脱線しましたが、若い球児たちの熱戦は、見ていて手に汗握るだけでなく、人生を考えるよすがを与えてくれる、貴重な体験ともなりえるということです。
スポンサーサイト

ヤマカガシは神様ヘビ

2017.08.01.13:05

 こういうニュースがありました。以下、昨日付の神戸新聞電子版の記事。

 兵庫県伊丹市の小学5年の男子児童(10)がヤマカガシとみられる毒ヘビにかまれ一時意識不明になった事故で、一緒にいた同級生が「ヘビを捕まえるために山に入った」と話していることが31日、伊丹署への取材で分かった。同署は、男子児童らがヘビを見つけた場所は伊丹市内の公園ではなく、宝塚市切畑の山中だったと発表内容を訂正。男子児童が捕獲の際と友人宅で遊んでいた時の2回、ヘビにかまれたことも判明した。
 伊丹署によると、男子児童は29日午前10時半ごろ、友人2人と自転車などで宝塚市切畑の山道に入り、ヘビを発見。素手で捕まえてリュックサックに入れたが、その際、左手人さし指をかまれたという。
 南へ約2・5キロ離れた伊丹市内の公園で指の傷を洗った後、同市内の友人宅でヘビをリュックサックから出そうとして、今度は右手首をかまれた。夕方、自宅に帰っても出血が止まらなかったため母親が119番したという。
 発見場所が訂正されたことを受け、宝塚市は「ヘビを見かけても刺激しないように」などとホームページで注意を呼び掛けている。


 今ではヤマカガシは強力な毒蛇として知られるようになりましたが、昔は田舎でも一般にその認識はなくて、僕も大学生の頃、帰省していた際父親に聞いて驚いた記憶があります。それが実家に隣接する氏神様のところにいつもいた「神様ヘビ」のことだと知って二度びっくり。幼児の頃、そこで一人でよく遊んでいて、首に黄色い輪のある可愛らしいヘビを毎度のように見ていたからです。そこのお供えをしたり掃除をしたりしている祖母に聞くと、それは「神様ヘビ」というのだという話で、神様のおつかいだから、いじめたり殺したりしてはいけないという話でした。それは樫と椋の巨木が聳え立つ小さな社で、境内も縦長の狭いものでしたが、一度に何匹も見かけたもので、申し分なく可愛らしかった。今思えばそれはヤマカガシの幼体で、「ああ、これこれ」という写真をネットで見つけたので、ご覧ください。

ヤマカガシ 幼体写真

 可愛いでしょ? 子供はほんとにこんな感じなので、脇を細い用水路が走り、その先は田んぼになっていたので、好物のカエルがたくさんいるということで、ヤマカガシがその氏神様の周辺で子供を産んでいたのでしょう。大人になるとこの首の特徴的な輪は薄れて消えるようで、成体の方も、今思えば「そうか、あれがヤマカガシだったのか」と思い当たるのですが、当時はマムシ(これもヤマカガシほどではないが、かなりたくさんいた)は警戒しても、ヤマカガシは全く気にも留めなかったのです。マムシにかまれて死にかけたという話はあっても、ヤマカガシにかまれたなんて聞いたこともなかった。それは非常におとなしいヘビで、攻撃的なところがないからです。

 この坊やは、乱暴なことしすぎです。どんなおとなしいヘビでも、そんなことすれば噛みつくでしょう。まあ、昔の子供も、腕白坊主は尻尾をつかまえてブンブンやって投げ飛ばすなんてことをしてたもので、被害に遭ったヘビにはヤマカガシも含まれていたでしょうが、それだとヘビには噛みつくヒマもないわけです。あと、ヘビの死体は猛烈な悪臭を発するので、むやみと殺したりするものではないということは大方の子供もわかっていました。ほんとにあれはすごい臭いなのです。だからヘビ殺しは嫌われた。マムシは危険だから見つけたらすぐ大人に言って殺してもらわねばならない(そのあとはマムシ酒にするとか、皮をはいで遠火で焼いたり、日干しにしたりして食べるのです。香ばしくて非常においしい)が、他のヘビはむやみと殺すものではないとされたのです。

 マムシを食べるなんて野蛮じゃありませんか、と言われそうですが、昔の田舎ではふつうに食べていたもので、肝が据わっていてマムシとりの名人でもあった僕の祖母は、虚弱な孫によく炙って食べさせたので、僕の胃袋には何匹分かのマムシは入ったのです。やせている割には丈夫で、大きな病気一つしなかったのは、そのおかげかも知れません。

 話をヤマカガシに戻して、祖母が「神様ヘビだからいじめたり、殺したりしてはならない」と教えたのは、あれが毒蛇だということを知っていたからなのかどうか、今となってはわかりません。しかし、それは祖母の命名ではなく、昔からそう呼ばれていた(実際、神社の境内なんかでは多く見かける)ようだから、昔の人はおそらく知っていたのでしょう。そう教えて、おかしなちょっかいを出さないようにさえさせておけば、何も害はないからです。僕自身は、名前が「神様ヘビ」だし、そのヘビは小さいのからやや大きいのまでいつも見かけていたし、安心しきって、毒蛇の子供に囲まれているという自覚なんかはまるでなかったのです。

 今思うに、こういう教え方をするというのは一つの文化です。「あれは見かけはただのヘビだが、実は恐ろしい毒蛇なのだ」と教えるよりずっとエレガントです。子供の恐怖心を掻き立てることなく、危険な行為をしないように仕向けて、安全を守るのです。

「史上6番目の大量絶滅の時代(今回は人為的な原因による)」と言われる今は、他の生物同様、ヘビの個体数や種類も激減しているようで、僕はそれを憂慮する者の一人ですが、大体、自然の中にいるものを勝手につかまえてきたりするものではありません。僕は小学生の頃、ある家の軒先に雀の巣があるのを見つけてヒナを取り、母親が「放してやれ」と言うのも聞かず、それを飼っていたことがあるのですが、ある日庭の柿の木に吊るした籠の中の2羽のヒナに親鳥が餌を運んできているのを目撃して、ショックを受け、逃がしてやりました(もう飛べるまでになっていた)。こちらは可愛がっているつもりでも、野生の鳥には迷惑なのです。ましてやヘビなんか、ペットにするものではありません。毒蛇でなくてもそれは同じなので、「自然観察」にとどめておいてもらいたいものです(と、一応立派なことは書いたものの、僕も自分が好きなトノサマガエルがヘビに呑まれかけているところを見て、怒って棒で叩いて自然の営みを妨害したりしていたので、その資格があるかどうかは疑わしいところです)。

 近くにヤマカガシがいるという人は、子供たちに「あれは神様ヘビだよ」と教えてあげてはどうでしょうか?「科学の時代」の今の子供には効き目はありませんかね?

ワセダは省庁と仲良し?

2017.01.23.16:40

 この件に関しては、僕が見たかぎり東京新聞の次の記事が最も包括的かつ詳細です。

大学再就職 5年で49人 文科省天下り問題(1.21朝刊)

 要は早稲田だけの問題ではなく、文科省は「組織ぐるみ」でOBの大学への再就職斡旋をはかっていたということですが、「本紙の調べでは早大は2015年までの五年間に省庁出身者が10人再就職しており、他校に比べて多い」とされており、文科省にかぎらず、霞が関のお役人が大学に天下るケースは多いが、早稲田はその中でも目立つ大学だということです。

「早大側は『そのことで大学の独立が脅かされたことはない』と」言っているという話ですが、こういう話は額面通りには受け取れないもので、「直接」ではなくとも「間接的」な影響はあるでしょう。それで「省庁受け」がよくなると、補助金を始め、何かと好都合だと考えられるからです。それで「匙加減」が変わるということはある。

 昔の大学と今の大学は違います。今は「財務状況」や「就職率」が重視されるので、ビンボーで、やたらと留年や中退が多く、就職する気のない学生がたくさんいるなどという大学は、受験生とその保護者からそっぽを向かれてしまうのです。

 昔のワセダはまさにそういう大学でした。ビンボーだからかどうか知らないが、一切広告を出さず、それはたぶんデマだったでしょうが、日大(当時最大のマンモス大学)から金を借りていて、大隈講堂がその抵当に入っているなんて話がまことしやかに囁かれていたのです。学生たちはそれはありうることだと思っていた。慶応と違って貧乏で、OB、OGにも金持ちは少ないから、寄付金の集まりも悪いと聞いていたからです。ワセダというのはヘンな大学で、学生も卒業生も母校の悪口ばかり言っている。そのあたり、元々お金持ちのボンボンが多い慶応が「母校愛」に富み、三田会の「鉄の結束」を誇っているのと対照的です。

 今でもまだやっているかどうかは知りませんが、新入生は大学の入学式(全体と学部別の二つがあるのですが)で、『巨人・大隈重信』という大昔の白黒映画を見せられる。配給元は大映か何かだったと思うのですが、主だった役者はたいがいがワセダのOB、OGなのです。この映画の中で大きな笑いが起きる箇所が二つあって、一つは「謀反人」の大隈が専門学校を作ったというので、「よからぬことを企んでいるのではないか?」と緊急閣議が開かれ、その席上閣僚の誰かが「(国家権力にとって危険だから今のうちに)潰してしまおう」と発言するところです。もう一つは、大隈が入学式か何かの席上、「希望者は全員入学させる!」と力を込めて言うところで、当時は浪人がむやみと多く、実質倍率も10倍前後あったから、ブラック・ジョークみたいに聞こえたのです。

 学部にもよりますが、遺憾なことに今以上に「東大落ち」は多かった(だから彼らは優秀だったというのは都市伝説の一つにすぎません)。「良家の子弟」が意外に多いなという感じもあったのですが、当時はまだ地方色も豊かで、「何かといえば権力や権威に楯突きたがる田舎の反抗的な若者に好まれる大学」という指標があったとすれば、たぶんそれではトップだったでしょう(二位には立命館あたりが来たはず)。それで講義には出席せず、そういう連中は元々がビンボーなので、学費未納で除籍処分を食らう、というのが、ワセダにおける「出世の王道」とみなされていたのです。当時はシュウカツに勤しむなんてのは自慢できないことで、こっそりそれをやって、大企業や公務員に就職先を決めた連中は、聞かれもしないのに、「内部から改革を行う」という抱負を語ったりしたもので、あたかもそれがやましいことであるかのような雰囲気があったのです。

 こういうのは「今は昔」の話で、そういうのでは保護者からすれば危険きわまりなく、受験生にしても、それでは一生フリーターで終わってしまうのではないかと、敬遠の対象にしかならないのです。だからオンボロ建物もモダンなものに変え、昔より面倒見がよくなり、管理的になった。学生の気質も変わってきたので、公務員志望の学生や、上場企業への就職者も増えた。全体に「反権力」ではなく「親権力」に変わったので、教員に省庁からの天下りが増えるなんてのも、現場の元エライさんからアドバイスが受けられるという意味で、学生にとってはむしろウェルカムなのでしょう。

 昔、いくらか滑稽に思われたのは、教授たちが東大を目の敵にしていたことです。こちらがライバル視しても、向こうがしてくれなければ意味はないだろうと学生たちは苦笑していましたが、今は教授陣を自校出身者で固めるという愚かな「純血主義」政策(だから「教員三流」と言われた)もやめたようで、教授に東大出身者も増えたことから、あれはあれで面白かったのですが、そういう意味でも「反体制気質」は薄れたことでしょう。

 つまり、今のワセダには「在野精神」なんてものはすでにないわけで、大体が、今はそういうのは売り物にならないのです。むしろ、それが災いして「親エスタブリッシュメント」の慶応に水を開けられたと言えるので、省庁や大企業幹部のOBを多く受け入れて、そのへんを挽回したいというのが大学のホンネなのではないかと思われます。

 僕にはそれをいいとか悪いとか言う気はありません。こういうのも時代の流れです。今の時代で一番「古き良き時代」の自由な雰囲気と野放図さを残している大学は京大だろうと思いますが、今回の「国家公務員法違反」でワセダに天下りした文科省の元局長は、京大法学部出身だったと聞いて、僕は思わず笑ってしまいました。京大の中でも法学部は例外的に「権力志向」が強い学部だとはいえ、個性と自由を看板にする(あるいはしていた)代表的な二つの大学が、今回のそれに反する事件に関係していたというのは、ある意味象徴的です。僕はどうせ東大法学部出身者だろうと思っていましたが、「東大的見地」からすれば文科省は二流省庁で、だから東大出身者の比率もあそこは高くないのかもしれません。

 まあ、しかし、お役人たちは法律ぐらいは守りましょうね。中国や韓国と較べると、わが国の官僚はずっとクリーンですが、組織ぐるみでセコい脱法行為を働いて、口裏合わせまで依頼していたというのでは示しがつきません。学校行政のトップに立つ文科省の場合、どの面下げてエラそうに指図しているのだと子供たちにまで思われるので、面目丸潰れです。

 ワセダも教員採用は公募で、公明正大にやった方がいい。この件に関する早大ホームページの記事には「元高等教育局長が高等教育に関する高い識見および著作権制度についての優れた教育・研究業績を有しており、本学教授(任期付)としてふさわしいと判断し、採用を決定」したのだとありますが、「オープンにやるので、あらためて個人で応募してください」と突き返すぐらいの度胸とプライドはあってしかるべきでした。選考を内々でコソコソやってるから、そこにつけ込まれてこういうことにもなるのです。「在野精神」はもはや売り物にならないからといって、権力追従の牙を抜かれた家畜同然になっては、ワセダの存在価値はゼロになってしまうでしょう。

「サル化」する人たち

2017.01.18.15:25

 サルとヒトではDNAは僅か2~3%しか違わないという話ですが、その僅かな差が大きな違いを生んで、今のこの文明があるわけです。サルとヒトの大きな違いの一つは、「こうすればこうなるだろう」という推理推論に基づいてシミュレーションができる能力と、全体的な視野から物事を把握し、再考できる能力にあると思われますが、最近はこうした能力が欠落した、「サル返り」の人が増えている気がします。病的に独善的、一方的、一面的で、そうした自分の考え、というよりは思い込みに基づいて短絡的な行動を取り、近視眼的・自己中心的だから、「こうすればこうなるだろう」という全体的視野からの未来予想もできないので、周りからの反応に狼狽して、また混乱した行動に走ることになるのです。

 最近の韓国がそうだし、トランプを選出して、「何でこんなことになったのか?」と困惑している今のアメリカなんかも未来予見能力のなさの好例に見えます。一般世間でも「この人は何を考えて生きているのだろう?」みたいな近視眼的な行動・反応を示す人が増えているように思われるので、善良か悪辣か以前に、思慮が足りていないのです。行動する前に、立ち止まって考えてみることができず、そのときそのときの思い込みや気分だけで動いてしまうので、それによって生じるであろう周りの反応や他人の迷惑などは「思慮の外」なのです(そういう人は、それで困ったことになっても真摯な自己反省には向かわないので、失敗が教訓にならず、成長しない)。

 次のニュースなんかもその典型に見えます。

・「不正を罰する」威圧ジャンパー問題で市謝罪

生活保護受給者の自立支援を担当する神奈川県小田原市の複数の職員が、ローマ字で「保護なめんな」とプリントされたジャンパーを着て各世帯を訪問していたことがわかった。
 ジャンパーは職員が自費で作り、「不正を罰する」といった受給者を威圧するような英文も書かれていた。市は17日、記者会見を開き、「受給者に不快な思いをさせてしまい深くおわびする」と陳謝した。
 ジャンパーの胸には「HOGONAMENNA」のローマ字や、×印が付いた「悪」の漢字をあしらったエンブレムがある。背中側には「我々は正義だ」「不当な利益を得るために我々をだまそうとするならば、あえて言おう。カスである」という意味の英語が書かれている。(読売新聞1.18)


 ここまで次元が低いのも珍しいので、「世間の目」を過度なまでに気にする、慎重なお役人のやることとはとうてい思えない。誰かがこういうものを「提案」しても、それが非常識であることは歴然としているので、職場の賛成を得られず、「何を馬鹿なこと言ってるんだ」で終わってしまうでしょう。ところが、そうではなかったのです。

 こんなことを考えた理由は何か? 別の読売の記事によれば、

「受給者に対する差別意識を持っている職員はいない」「内部に対して『生活保護(担当を)なめんなよ。みんな頑張っているんだ』と訴えたかった」。市役所で行われた会見で、市福祉健康部の日比谷正人部長らはこうした説明を繰り返し、職員の連帯意識を高めることが目的だったと強調した。
 ジャンパーは2007年、生活保護の受給を巡って職員が切りつけられた事件をきっかけに、有志の職員が作ったという。1着4400円で、その後に配属された職員も含め約10年間で計64人が購入。複数の職員が受給世帯の訪問時にも着用していたという。


 という話で、「受給者に対する差別意識を持っている職員はいない」「内部に対して『生活保護(担当を)なめんなよ。みんな頑張っているんだ』と訴えたかった」というのは大嘘だと思いますが、「職員が切りつけられた事件をきっかけに」始まったというのも解せないので、ヤンキーや暴走族が同じド派手な刺繍なんかをあしらったジャンパーを着て強がり、対抗グループや一般市民を威圧しようとするのと心理的には同じなのです。

 しかし、相手はそれでなくとも「心苦しい」思いをしている生活保護受給者ですよ。いや、「不正受給」を強く疑われる相手にだけこれを着用した、ということなのでしょうか? おそらくそうではないはずで、無神経の極みです。

「何や、おまえ、そのジャンパーは?『悪』て何のことや? ゴチャゴチャ横文字で書いとるのも、きっちり日本語に訳してみんかい!」そう、「不正受給」の暴力団の組員もどきに脅されたら、ビビってそれで終わりなのではないですか? 大体、あの手の連中をいくらかでも知っている人間なら、そういうのは逆に相手につけ込む材料を与えるだけだとわかるはずです。頭が悪すぎるので、それで結果として、そうでない善良な受給者を不当に貶めるだけになるのです。別に自分の財産を相手に与えているわけではなく、自分も税金から給料をもらっている身なのに、ですよ。

 僕も過去に、その手の“もどき”から「不正に」三度ばかり脅迫されたことがありますが、一度は完全無視で、残りは言いがかりとしか思えないそのふざけた言い草に激怒してしまいましたが、その反応を見て、「こいつはやばい」(今頃気づくな!)と思ったらしく、早々に退散して下さったので無事でした。別にジャンパーやイレズミ(大阪市の職員にそういうのがいるというニュースが前にありました)なんかはいらないので、そもそもの話、そんなものは何の役にも立たないのです。

 要するに、まともな人を不快にさせるだけで、何のメリットもない。市の上の方から、「受給者が増え続けて困る。何とかしてそれを抑えろ!」という命令が出ていて、「不正受給は許さない」というアピールをするために、また、個人としては弱々しいのが揃っているので、何とかして強がりたいとそんなものを考えついたのでしょうが、それがどういう効果、反応を引き起こすか、全く予見していなかったのです。そこらへんの思慮の乏しさは「サル的」と言う他はない。

「自分はひょっとしてサルではないのか?」と、たまには自省してみたらどうですかね? 僅か2~3%の差しかないのだから、油断するとヒトは容易にサルに戻ってしまうのです。コマギレの知識・情報の類をいくら集めても、それはヒトのサル化を防いでくれるものではない。むしろ情報洪水の中で自己を顧みることが少なくなったために、「サル化」は加速していると見るべきでしょう。

慶大「広告研」集団強姦事件に思う

2016.10.16.11:05

 金曜の夜、仕事の帰りに本屋で週刊誌を立ち読みしたら、この事件を文春、新潮が揃って大きく取り上げていたのに、ちょっとびっくりしました。そして以前(調べてみるとそれは2003年のことだったようですが)、早稲田の学生、和田某(まだ刑務所にいる由)という腐れが首謀者で起こした、スーパーフリー事件というのを思い出しました。

 これは、調べればまだ余罪がかなり出てくるかも知れません。慶大当局は最初、このサークルに「未成年飲酒」を理由に解散命令を出したようですが、両週刊誌はそれを「姑息な真相隠蔽」だと非難して、この記事を出したわけです。

 慶応側はこうしたメディアの動きに、大学ホームページで次のように反論、「報道されているような事件性を確認するには至りませんでした」と述べました(10月12日付)。

 さる10月4日、公認学生団体「広告学研究会」の解散を命ずる告示文を学内掲示およびウェブサイトで公表しました。
その後、告示文に明記した解散事由以外にも違法な行為があった、と一部報道がなされております。今回の解散処分にあたっては、複数回にわたり関係者に事情聴取を行う等、大学として可能な限りの調査を行いましたが、報道されているような事件性を確認するには至りませんでした。
 もとより、捜査権限を有しない大学の調査には一定の限界があります。一部報道にあるような違法行為に関しては、捜査権限のある警察等において解明されるべきであると考えます。大学としては自ら事件性を確認できない事案を公表することはできず、したがって、一部報道されているような情報の「隠蔽」の意図も事実もありません。
 なお、事件性が確認されるような場合には、捜査等の推移を見守りつつ、厳正な対処を行うというのが、従来からの慶應義塾の方針です。


「力強いお言葉!」という感じですが、仮に集団強姦が事実なら、被害に遭った女子学生とその家族にとっては屈辱の上塗りになるでしょう。女子学生の方は直接大学に相談していたそうなので、これが意味するのは、たしかにそういう訴えはあったが、レイプ犯を疑われる学生たちに聞いたら、「やってない」もしくは「同意の上だった」ということだったので、「事件性は確認できません」と結論した、ということになります(そこで「性行為があった」ことまでは確認済みだという)。

「さすが、スマートな慶応さん、ものわかりいいっすね」という感じですが、週刊誌に書かれているのはそんな呑気な対応をしていられるようなレベルの話ではないので、これはやっぱり「隠蔽」の意図はあったと見るべきでしょう。「常習的な未成年飲酒」なら世間的な体面もそう悪くはない。しかし、集団レイプ事件となれば、激しいバッシングと大学のイメージダウンは避けられないからです。

 僕自身は、これは週刊誌の方に分があると見ています。細部はともかく、報道されているようなひどいことは確実にあったと判断したということですが、レイプは親告罪で、被害者本人が訴え出ないと表面化しないので、このサークルでは前にもその種のことはいくつもあったと見た方が妥当でしょう。

 早稲田はかつてあの「スーパーフリー事件」で大ダメージを受けました。それに関係した大学の学生は早稲田だけでなく、慶応、明治、東大…と多岐にわたりましたが、「ワセダのスーパーフリー」というので有名になったので、以来2ちゃんねるなどでは、早稲田は「和田」と揶揄されるにいたったのです。

 これはもとより、OB、OGにとっては不快きわまりなかったので、僕なども「そんな腐れ、叩っ殺したらんかい!」と思ったほどでした。父親が「出所したら自らの手で殺す」と言ったそうなので、それに期待(?)してますが、元々がアホが多い大学なので、多種多様なアホはいてもいいが、ああいう奴だけは許しがたい。生かしておく価値があるとは、今でも思えないのです。

 大体が、レイプというのは卑劣ですが、それを酒を食らって集団でやるというのは最悪なわけで、こういう連中は一体どういう女性観をもっているのでしょう? 僕には不思議でならないので、人をモノ扱いするという時点ですでに「生きている資格なし」です。仮に若い頃知り合いにそんな目に遭ったという女性がいれば、警察を通すことなしに、木刀持参で自分で始末しに出かけていただろうと思います。その方が女性の名誉を傷つけずにすむし、刑務所にぶち込むより効果的な懲罰が与えられると思うからです。その手の人間を半殺しにしてもわが良心は痛まない。幸い、そんなことをする必要に迫られたことはありませんでしたが。

 別にいい人ぶるつもりはありませんが、僕は酒席でのセクハラも許したことはありません。酒にまぎれてドサクサまぎれそのようなふるまいに及ぶというのが癇に障るので、だから僕が同席したところではその種のことはゼロだったはずです。僕の見るところ、この種のことに対して潔癖なのは案外不良や元不良に多いので、学生時代の知り合いに「素手の喧嘩をやらせたら、関東で三本指に入る」と言われている元ヤクザ(当時三十代)がいましたが、その人も、そういうところは潔癖そのものでした。彼らはそのあたり、美学において共通していたのです。

 そういえば、こういうこともありました。仲間の一人にえらく可愛い、美人の妹をもつ奴がいて、その妹に会った連中の話では、「とてもあいつと同じところから出てきたとは思えない」ほどだというのですが、その妹を学生証をちらつかせてナンパしようとしたアホが同じ大学の別の学部(政経)にいて、妹に「お兄ちゃんの大学の学生って、程度低いねー」と言われてしまったというのです。たしかに程度が低すぎる。そういう恥さらしをのさばらせておくのは大学の名折れなので、「おまえの妹はまだそのアホの顔を憶えているか?」ときくと、「だろうと思うけど」という話だったので、「じゃあ、今度おまえの妹を連れてきて、そいつを探させよう」と僕は提案しました。「どうするつもり?」と言うから、「そいつに灸を据えておく」と答えると、「あかん! そんなことしたらうちの妹が逆恨みされてどんな目に遭わされるかわからんやろ!」(大阪出身だったので、関西弁になる)と不安げな面持ちなので、「心配せんでもええ。そんなことしたら今度は殺されると思うようなやり方でやっておくから、任せといてくれ」と答えたのですが、彼は頑として応じず、「そんなアホより、おまえに会わせる方がうちの妹にはよっぽど危険やわ」と言われてしまいました。仲間を信じないというのは嘆かわしい話ですが、とにかくそれで「正義の懲罰」は実現しなかったので、残念に思われたのですが、「学生証ナンパ」ですら恥さらしで、頭の悪すぎることだという良識が当時は大学生の間にも「共通認識」としてあったので、今回のような事件とは千里の距離があるのです(大体そういう馬鹿は、相手の女性の方が「偏差値の高い」大学の学生だったらどうするのでしょうかね?)。

 この手の連中はふだんモテなさすぎるから鬼畜の行為に走りやすくなるとも解釈できるので、容姿端麗で、女性への気配りに富む、絵にかいたような慶応ボーイなら、そのような愚かなことは決してしないでしょう(実際、そういう慶大生を僕は一人知っていましたが、彼は志操堅固でいくら女の子に騒がれても見向きもしないという風情でした)。スーパーフリーの和田某の場合なども、写真から判断してモテない条件をすべて具備している印象でしたが、今の大学はそういう学生向けに『異性に好かれるためのマナー講座』というのでも設けるべきかもしれません。ついでに喧嘩の仕方も教えておいた方がいいかも知れない。というのは、座が乱れておかしな雰囲気になりかけたとき、「やめんかい!」と一喝して黙らせるぐらいの迫力がないと、集団の暴走を止めることはできないからです。昔は親が、「酒は飲んでも、酒に飲まれるようなみっともない真似はするな」と教えていたものですが、今の教育ママパパは、お受験には熱心でも、そういうことは教えない。だからこの手のモラルのかけらもない馬鹿が出てくることになるのです。

 こういうのは病気で、調べれば脳の微細な器質的障害が見つかるだろうと言う人もいます。要するに、ある種のブレーキがこわれているのだということで、たしかにあの和田某などにはそう感じさせるものがありましたが、脳は柔軟性に富む組織なので、仮にそういう欠陥があっても、後天的な教育で修正が利くものでしょう。何でもそういうところに還元してしまうのは危険で、それは都合のいい言い訳材料にされてしまう。

 にしても、慶大当局のこの対応は解せないので、常識的に考えて、そういう被害者からの直接の訴えがあったのなら、適当な聞き取りだけで「事件性は確認できなかった」などとは言わないでしょう。大体、関係学生に聞いても、正直に答えるわけがない。それが最も悪質な、人倫にもとる行為だということは、連中も頭ではわかっているのだから。大学の社会的体面を守るのに必死で、「確認できなかった」というのは、その女子学生の訴えが嘘だったと結論づけているに等しいことには気づかなかったのです。そのハートのなさには恐れ入るので、こんな大学に娘をやるのは考えものだと、良識ある親なら思うでしょう。

 しばらく前には東大生五人による似たような事件があって、うち三人が起訴、有罪判決が下されましたが、偏差値秀才(慶応の場合は幼稚舎からのエスカレーター組がかなりいるので、みのもんたの息子みたいな、秀才とはほど遠いのも混じっていますが)たちのこの種の事件の賑やかさは、お勉強以外の部分がやせ細って、「並以下」になっている連中がいかに多いかを印象づけるものです。せめて「並」ではあってもらいたいものですが、世間がちやほやするために、なまじ有名な大学であればあるほど、こういう勘違いした馬鹿が出やすくなるのでしょう。学問的な意味でも、たかが高校レベルのお勉強ができたくらいでは何も大したことはないのですが、頭が悪いと、そうした「正しい自覚」ももてないのです。

 大学側はどうやってこの事件の収拾をつけるのか?「一部報道にあるような違法行為に関しては、捜査権限のある警察等において解明されるべきであると考え」ているそうですが、警察はすでに捜査に着手しているようです。その結果、犯罪性が明らかとなった場合には「厳正な対処を行う」そうなので、関係学生たちは退学等の処分を受けることになるのでしょう。その際、「隠蔽」に等しい対応でお茶を濁そうとした自身の姑息さは、「捜査権限を有しない大学の調査には一定の限界があ」ったためだとして、合理化されるのでしょう。被害女子学生が警察に届を出さず、週刊誌に書き立てられることもなければ、彼女の直接の訴えにもかかわらず、「未成年飲酒」がサークルの解散理由ということで内々に処理されたわけで、それが意味するのは「大学の体面を守るため、トンデモ学生は保護しても、その餌食にされた女性たちには泣いてもらう」ということです。慶応のOB、OGたちはこういう大学側の対応をどう見ているのか? そのあたり一度聞いてみたい気がします。
プロフィール

大野龍一

Author:大野龍一

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR