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診断名ソシオパス~「正義の味方」挺対協・元代表、尹美香の正体

2020.05.13(16:40) 719

 前々回の続きです。朝鮮日報が関連記事を続々載せていて(中央日報も批判記事を出していますが)、どれも興味深い。欲をかきすぎて、国会議員にまでなり上がったのが彼女の運の尽きだったと言えそうですが、社会正義の見地からすれば、おかげで正体が暴露されることになって、韓国社会がこれをどう受け止めるかはまだ分かりませんが、挺対協=正義連がどういう団体であったか、疑惑の目を向けられることになって、韓国内部における信用は大幅に低下し、それは今後の日韓関係改善にはプラスに働くでしょう(文政権は内心、まずいことになったと思っているでしょうが)。

 前々回、ご紹介した彼女の嘘は――尹美香率いるこの団体が、2015年の「最終的かつ不可逆的な解決」を謳った日韓慰安婦合意を反故に追い込んだ――詳しい話を事前に韓国政府関係者から聞いていながら、「核心的なことは何も聞いていなかった」「慰安婦側の意向を無視したもの」と主張していたのに、実はそれは嘘で、伊本人は詳しい説明を受け、日本政府が拠出する10億円の基金についても、ちゃんと知っていながら、慰安婦たちには故意に伝えなかったというものです。これが元慰安婦の李容洙さんから暴露されると、「いや、ちゃんと伝えた」と言ったが、伊は「何も聞いていない」とその当時マスコミ向けに嘘をついていたのだから、何をかいわんや、ということになるのです。都合の悪いことを指摘されると、その都度違った嘘をつく。それが前の嘘とは矛盾するのだから、笑えるのです。

 伊・元代表は、立候補時に「李さんが支持してくれている」と語ったが、これも真っ赤な嘘だったとのこと。

慰安婦団体の前理事長 比例立候補時は疑惑提起の被害者が「支持」と主張

 尹氏によると、比例代表に立候補する前は李さんらと議論できず、立候補した後に李さんに話したところ「よくやった」と言われ、「支持を受けて飛び上がるほどうれしかった」という。
 だが、その後、尹氏がメディアとのインタビューで「李さんが私を支持してくれた」と発言したことについて、李さんが尹氏に電話をかけ「(慰安婦問題を)解決してから(政界に)行け。死ぬまでに解決しなければならないのにどこに行くのか」と話したという。
 尹氏は李さんに「喪失感、名残惜しさ」があったとして、「この問題を解決するため(政界に)行くと話しても受け入れてもらえなかったと思う」と述べた。


 何を言いたいのかよくわかりませんが、この件、嘘をついていたのが李さんではなく、尹美香の方だったということだけははっきりわかります。「元慰安婦の支持を得ている」と言わないと選挙に不利だから、嘘をついたわけです。

 また、この団体は元慰安婦たちをダシに、事あるごとに寄付や募金を募り、それは莫大な金額に達しているのですが、前々回も見たように、実際はそのうち僅か18.5%しか元慰安婦たちの手には渡っていなかった(中央日報によれば、過去3年間では10%未満)。一方、尹代表は、自分の娘をアメリカのUCLAの音楽学部に留学させていた。日頃反米のアジ演説ばかりぶっているにもかかわらず、何でその目の敵にしているアメリカに娘を留学させるのだという批判の他にも、申告している自分の所得額は僅か(それに関しては後述記事)なのに、どうして多額に上るはずの留学費用が捻出できたのだ、という疑惑が出てきたのです。

 これに関しても、尹美香は嘘をついていた。次は5/11の朝鮮日報の記事です。

発言が変化した尹美香氏「娘の留学費、夫のスパイ事件の補償金で」

 初めは「奨学金を支給してくれる大学を探して進学した」と言って、娘が優秀だから大方は奨学金だけで賄えている、みたいなことを言っていたわけです。しかし、それは嘘だとバレそうだと思ったのでしょう、今度は、

「『兄妹スパイ団事件』の再審で一部無罪の判決を受けた夫の刑事補償金などを使って、娘の留学資金を準備した」と党に釈明

 することになったのです。この「兄妹スパイ団事件」とは何か?

「兄妹スパイ団事件」とは、1993年に反戦平和運動連合研究委員の金三石(キム・サムソク)氏とデパート従業員だった妹の銀周(ウンジュ)氏が北朝鮮のスパイに抱き込まれ、工作金の支援を受けるなどの活動を行ったとして起訴された事件だ。金三石氏は尹氏の夫だ。翌年、大法院(最高裁判所に相当)は兄の金三石氏に懲役4年、妹に懲役2年(執行猶予3年)の確定判決を下した。
 しかし、金三石氏と妹は、スパイ行為をしたことはないとして再審を請求し、大法院は2017年5月、金三石氏にはスパイ容疑はないとして、不法拘禁など国の不法行為があったと判断した。
 ただし国家保安法違反は認められ、金三石氏に懲役2年(執行猶予3年)が言い渡された。一部無罪となった結果、金三石氏は1億9000万ウォン(現在のレートで約1700万円、以下同じ)の刑事補償金を受け取った。また、18年7月にソウル高裁は、金三石氏と家族らが「スパイという烙印(らくいん)を押され、苦痛を受けた」として国を相手取って起こした損害賠償訴訟で、国に対し、金三石氏の母親、尹美香氏、尹氏の娘に8900万ウォン(約780万円)を支払うよう命じた。夫の金三石氏は05年に京畿道水原でインターネットメディアを創刊し、運営している。(※夫のその会社に当該慰安婦団体が不可解な業務委託をしている疑惑もある。)
 家族が受け取った賠償・補償は総額2億7900万ウォン(約2400万円)に達する。尹氏が党に釈明した娘の留学費用の内訳は、総額8万5000ドル(約920万円)ほどだ。


 親北朝鮮の文在寅政権の成立と同時に「一部無罪」判決が言い渡され、刑事補償金と、それとは別に損害賠償訴訟を起こし、夫の一家は「総額2億7900万ウォン(約2400万円)」を手にしたという話です。すべてがその夫のものになったわけではないはずですが、とにかくそれで「娘の留学費用…総額8万5000ドル(約920万円)」を賄ったというのです。

 むろん、これも本当かどうかは疑わしい。5/12の朝鮮日報社説「飲み屋で1日3339万ウォン使った慰安婦団体、寄付金の内訳公開は拒否」は、そのあたり端的にこう指摘する。

 元正義連理事長の尹美香(ユン・ミヒャン)共に市民党当選人夫妻は、その所得税の納付額から推定される年収が2人合わせて5000万ウォン(約440万円)にしかならない。ところがその娘は1年の学費が4万ドル(約430万円)に達する米国の大学でピアノを勉強している。生活費まで合わせると年間7000万-8000万ウォン(約620万-700万円)はかかるはずだ。留学費用の出所について疑惑が指摘されると、尹当選人はインタビューで「娘は1年の全額を奨学金として支援される大学を選んで行った」と説明した。しかし米国の州立大学が外国人に全額奨学金を支払うケースはほぼないとの指摘もある。すると尹当選人は「スパイ捏造(ねつぞう)事件で一部無罪判決を受けた夫の刑事補償金などで留学費用を工面した」と説明を変えた。「全額奨学金」が「刑事補償金」に変わったのだ。「全額奨学金」がうそだったのであれば「刑事補償金」は本当なのだろうか。   ※ 前回僕は「私立」と書きましたが、UCLAの場合はこの記事のとおり「州立」が正しい。

 いい加減きわまりないのです。次は本日5/13付の社説です。

【社説】元慰安婦の「だまされた」発言を「親日勢力の攻勢」と主張する韓国与党勢力

「慰安婦被害者支援団体という正義記憶連帯(正義連)の寄付金使用の内訳が不透明」だと批判されると、「疑惑の当事者である尹美香(ユン・ミヒャン)『共に市民党』当選人も『私に対する攻撃は保守メディアと統合党が作った謀略劇』『親日勢力の不当な攻撃』と主張した。『6カ月かけてごっそり暴き立てられたチョ・グク元法相を思い出す』とも発言した」というのですが、都合が悪くなると、全部「敵側の謀略」のせいにするのはあのチョ・グクと同じだとの指摘です。この中にも、

・正義連が飲み屋で実際にはおよそ430万ウォン(現在のレートで約38万円。以下同じ)使ったのに「3300万ウォン(約289万円)使った」と申告していた疑惑

・元慰安婦らの葬儀を受け持ってきた互助会社に1170万ウォン(約102万円)払ったと言っていたが、同社は「無料で行っただけで、お金を受け取ったことはない」と主張した。そのカネはどこに行ったのか


 といった不審点が次から次へと出てくるのです。この互助会社も、善意で無料でやっていたのに、正義連がカネを払ったことにしていたのにはびっくりしたでしょう。韓国と日本ではいくらか法律も違うでしょうが、「正義の財団」である正義連は営利法人ではなく、NPO扱いされているはずで、税制でも優遇されているはずが、その帳簿は出鱈目そのもので、「使途不明金」がたくさんあるということです。次のような話も呆れる他ない。

 正義連は、元慰安婦女性らをたたえるとして立ち上げた奨学金も仲間内で分け合っているとの批判を受けている。故・金福童(キム・ボクトン)さんが「在日朝鮮人学生のために使ってほしい」として寄付した資金から始まった奨学金は、金福童さんの生前は在日学生らに支払われた。ところが昨年金福童さんが死去すると「正義連理事」だった関係者や市民団体、民主労総、農民団体などの関係者の子息らが支給対象となった。北朝鮮の金正恩(キム・ジョンウン)国務委員長を「偉人」とたたえ、駐韓米国大使館の塀を乗り越えて無断侵入した「大学生進歩連合」に所属する2人の大学生も奨学金を受け取った。それでも正義連は「おばあさんの遺志」と開き直っている。これは故人を利用しているのではないのか。

 慰安婦団体に入ってくる資金はそのほとんどが国民の寄付だ。使い道がはっきりしていて、会計が透明であれば国民に隠す理由はない。ところが正義連は「企業には(使い道の公表を)なぜ要求しないのか、あまりにも過酷だ」として公開を拒否した。企業は国民から寄付を受け取っているのか。詭弁(きべん)を弄(ろう)して寄付金の使い道を隠そうとするべきではない。ところが正義連は疑惑を提起した国民に向かって「反省してほしい」と逆に声を荒らげている。正義連はこのような形で「正義」を独占してきた。しかしその背後では被害者女性が「だまされるだけだまされ、利用されるだけ利用された」と訴えている。「正義」「公正」「民主」「人権」を掲げる集団の破廉恥さとネロナムブル(自分のことは棚に上げて、他人を非難すること)は今や国民の誰もが知っているが、「正義連」の場合は慰安婦女性たちの苦しみを利用したという点で度が過ぎている。
(前出社説「飲み屋で1日3339万ウォン使った慰安婦団体、寄付金の内訳公開は拒否」)

「元慰安婦を食い物にしている」と批判されるのは当然で、今後も「ああ言えばこう言う」で、嘘の上塗りを重ねるのでしょうが、そのボスである新国会議員、尹美香のツラの皮の厚さは半端ではありません。嘘はつき放題で、何一つ釈明にはならないことを平然と並べたてながら、「こうしたことはすべて親日派の謀略だ」主張して、とかえって攻撃に出ようとする。

 僕の診断は「ソシオパス」です。説明が面倒なので、何か代わりに説明してくれているサイトがないかなと思って見ると、こういうのがありました。ご参照ください。

ソシオパスを見分ける方法

 とくに「方法3」のところをご覧ください。尹美香には申し分なく当てはまることがお分かりになるでしょう。これが「虐げられた元慰安婦のおばあさんたちのために戦う」と自称し、激烈な日本非難を繰り返してきた団体のトップを務めてきた“正義の味方”の正体なのです。国会議員になって、さらなる日本攻撃に出ようとした矢先、自ら馬脚を露わしたことは、日本にとっては幸いなことでした。朝鮮日報や中央日報には今後も頑張っていただきたいと思います(ハンギョレなどは率先して「親日派の謀略論」を唱えていますが、数々の嘘がそれで正当化できるわけはないので、自社の信用を損ねるだけになるでしょう)。

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祝子川通信 Hourigawa Tsushin


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一句献上

2018.11.20(13:20) 613

・日産に 一足早い 除夜の鐘

 ゴーン、というわけで、なかなか秀逸ではありませんか? 報道によれば、

 ゴーン容疑者と代表取締役のグレゴリー・ケリー容疑者(62)は共謀し、平成22~26年度の5年間にゴーン容疑者が受け取った役員報酬は計約99億9800万円だったのに、計約49億8700万円と過少に記載した有価証券報告書(有報)を関東財務局に提出したとして19日に逮捕された。(産経新聞)

 のだそうで、他にも余罪があると見られていて、同じ産経の別の記事によれば、

 ゴーン容疑者らには私的な目的での投資金支出や経費支出などの疑いも浮上しており、高井弁護士は「それが事実であれば、会社法の特別背任罪や横領罪にあたる可能性もある」との見方を示す。

 というような話です。日本企業の経営者の報酬はアメリカのCEOなどには珍しくない異常な高額報酬と較べると安く、それは「正常」だということですが、カルロス・ゴーン氏は「アメリカ並」なのに、それでもまだ不満だったのかもしれません。

 いずれにせよ、「人間の欲にはキリがない」という古人の指摘は正しかったわけで、額が大きいと税金も高くなるから、何とかしてそれを減らして、私的な経費も会社のカネで落としたかったのでしょう。ひとくちに言えば「セコい」のですが、ゴーン氏のご面相を見て、その作りが一風変わっているだけでなく、何か動物的な印象を与えるなとかねて思っていた人には、「やっぱり…」という感想が思い浮かぶかもしれません。僕はかなりの部分、人を人相で判断しますが、この人には元から「大人(たいじん)」の風格がなかったのはたしかです。

 しかし、そんなに意地汚くカネを溜めて、彼は何をするつもりだったのでしょう? それが自己目的化しているのでなければこんなことにはならなかったはずで、やり手だか張り手だか知らないが、あまりにもアホすぎます。カス・ロス・ゴーン?

 日産はこれを機に、守銭奴CEOではなく、現場で働く社員の待遇をよくしてあげるといいでしょう。利益が上がっても潤うのは投資家と会社役員だけ、というアメリカの後追いをしてはいけません。



祝子川通信 Hourigawa Tsushin


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オウム事件、麻原処刑に際しての感想

2018.07.14(14:58) 585

 教祖の麻原はじめ、オウム事件の死刑囚計七人の刑の執行が7月6日午前中に行われました(同日は「亡国の」という枕詞を附けて呼ばれる例の「カジノ法案」が参院本会議で審議入りした日ですが、それが偶然なのかどうかは知りません)。

 日本中を震撼させたあの一連の事件もどうやら「過去の歴史」の一コマとなったようですが、今の高校生などは当時まだ生まれていなかったし、今二十代後半の人でも幼児か小学生で、記憶自体がほとんどないでしょう。

 麻原と同い年で、宗教に少なからぬ関心を寄せていた僕には、あれは申し分なくショッキングな出来事でした。まさか宗教団体が一般人相手に無差別殺人を企てるようなことがあるとは、夢にも思わなかったからです。

 麻原の遺骨の引き渡しをめぐって、彼の家族の間には対立が生まれているようですが、被害の甚大さを思えば、いくら「肉親の情」とはいえ、そういうことで揉めていられるような立場か、という感じは否めません。三女などは事件への父親の関与をできるだけ少なく見積もりたいようで、それに同調する有名人たちもいるようですが、一連の裁判を通じて一番責任転嫁に熱心だったのは教祖の麻原で、途中でおかしな様子を見せ始めたときも、だからこそ詐病を疑われたのです。もとより実行犯の幹部たちには責任があり、だから死刑という極刑判決が下されたのですが、「善良な教祖が知らないところで幹部たちが勝手に行動をエスカレートさせた」などということは裁判記録に照らしてもおよそありそうもない話で、最大の責任が教祖の麻原にあるのは明白です。

 親と子供は別人格です。親が凶悪犯でも、子供に罪はない。そうは言っても、世間はそう見てくれないし、子供自身が「あの親の子供」ということでどうしても自責の念に駆られてしまうのでしょう。そこから先どう進むかで、三女と四女の対応は分かれた。自分が彼らの立場だったならどうかと考えると心境は複雑ですが、麻原自身にそうしたことへの想像力が少しでもあれば、そもそもあんな事件は起こさなかったでしょう。それは自分の身内の今後を思うからではない、殺されたり重い後遺症を負わされたりした多くの人たちが同じように家族をもち、家族への強い愛情をもっていることがわかるから、そんなひどいことはできなくなるのです。

 戦争の場合でも同じです。何万、何十万の兵士が死ぬとき、それを嘆き悲しむ家族はその何倍もいるのです。悲嘆の声がそこらじゅうに満ちる。一人一人の人間はその場合、戦争ゲームの駒か統計数字の一つになってしまい、生きた人間の姿は消されてしまうのです。人々がそのことに深く思いを致すようになれば、政治家や軍人がいくら旗を振ろうと、誰もそんなことには協力しなくなって、この世から戦争は消えるでしょう。

 現代文明人は皆、多かれ少なかれ観念的です。それは生の切実さを失ったからですが、宗教というのは本来、人をその切実な生の現場に立ち戻らせるためにあると言っていいほどです。オウムの場合はそのあたり、逆になってしまっていた。バブル景気に沸き立つ不実で空虚な社会現実に背を向けようとしたまではよかったが、さらに悪い幼稚なファンタジーへの逃避になったのです。オウムの高学歴幹部や信者たちの多くは、ノストラダムスの大予言だの、ユリ・ゲラーのスプーン曲げ超能力だのになじんで育った世代だったと言われますが、修行というのは超能力目当てにするものでもなければ、悟れば何でもわかるとか、何でも自由にできるとか、そんなマンガチックなものではない。それは見失った「あたりまえ」のこと、あるがままの現実を再認識して、そこから生活を再構築するためにあるのです。それでカネが稼げるとか、病気にならなくなるとか、超能力が身につくとか、そういう馬鹿げた話ではない。超能力の類は、昔から妖怪狐狸の領分だと言われているので、そんなもの目当てにあれこれやっていれば、注文通り悪霊にとりつかれるのが関の山なのです。

 麻原は殺人を「ポア」と好都合に言い換えた。自分に服さない者、敵対する者は生きる価値のない人間で、それを殺すのが慈悲だと、身勝手にも考えたのです。徹頭徹尾「観念的」でもあって、それはユダヤ人は撲滅されるべき「劣等人種」で、アーリア人種のみ高貴で尊いとしたヒトラーの病的な妄想とえらぶところがない。仏教の「死の勧め」なるものは本来、妄想の根源たる自我に対して死ねという意味なので、それは自己に向けられたものです。どんなことでも曲解はできる。たとえば、オウムの内部は性的放縦に満ちていたようですが、そういうのもタントラ仏教の秘法の伝授と言いくるめたりできるのです。幼稚な人間の集合体では似たような詐術が横行し、集団で自己欺瞞にいそしむことになる。赤信号みんなで渡れば…みたいなものです。

 当時僕に理解し難かったことの一つは、教団外部の文化人、知識人、タレントなどにも麻原を持ち上げる人が少なくなかったことです。ああいう一目でそれと分かる宗教詐欺師を何でそんなふうに思ったのか? 彼らもまた無自覚に「メシア待望心理」のようなものに突き動かされていたのか?

 そのあたり、僕には今でもよくわかりませんが、彼のような元々が規範意識に乏しいサイコパス的な人間は、しばしば人たらしには長けているものなので、自尊心をうまくくすぐるなどして、あっさり取り込まれたのかも知れません。この手の人間は不都合なことを指摘されたりすると表情を一変させ、訊かれたことには応えず、相手の些細な落ち度を激しく攻撃したりするものですが、そうでない場合には、しみ入るような微笑を浮かべて相手を魅了することもできるのです。真に自由な人間と、モラルの全面的欠落ゆえにそう見えるだけの人間とは質的に違いますが、中途半端に知識だけある人間は本能的な直観力に乏しいので、そのあたりの区別がつけられないのかもしれません。

 貧しい家庭に育ち、視力のハンデがあった彼は、子供の頃から異常なほど金銭的執着が強かったそうですが、教団施設に警察が踏み込み、隠し部屋に大量の札束を抱えて隠れている彼のみじめな姿が発見されたとき、その人たちは何を思ったのでしょう。以来、彼は自己弁護と弟子たちへの責任転嫁に終始したのです。「最初にして最後の最終解脱者」の最低ぶりがいかほどのものであるのか、彼は身をもって世に知らしめたのです。

 当時は既成の宗教団体が駄目だから、「心の受け皿」がなく、あんなとんでもないカルトに若者が行ってしまうのだ、という意見も聞かれました。たしかにそれには一理あります。仏教やキリスト教はもとより、かつては「新興宗教」であった天理教や創価学会のようなものまで完全に「社会システムの一部」と化していて、おそらくその内部は、一般社会以上に保守的で俗っぽい世界になっているでしょう。今どきの若者にアピールするような教義も備えていない。オウムの場合だと、若い仲間もたくさんいて、そこに入って激しい修行に打ち込めば、悟りが開けて自由になり、超能力も身につくし、世界を救うこともできるのです。

 むろん、それは嘘っぱちですが、それは若者特有の自己顕示欲や誇大妄想癖、理想主義にうまくマッチしたのです。昔の学生運動世代は共産主義革命を夢見、それによるユートピアの実現を夢見た。久しい以前にそれは崩壊したので、作家のミヒャエル・エンデは「ポジティブなユートピアがないのが現代という時代の特徴」だと言いましたが、味気ない現実に耐え、その中での不毛な椅子取りゲームに終始して人生を終えるというのでは、あまりにみじめです。そんなことのために自分は生まれてきたのではないはずだ、と考える若者はたくさんいる。そしてその一部を、オウムは吸収したのです。

 麻原や僕は学生運動の熱狂が過ぎ去った後の世代です。それで、安保闘争世代が「あの頃はよかった」なんて懐かしげに言うのを聞いて、その感傷性に侮蔑心を抱くことも少なからずあって、それで左翼嫌いになる者が多かった(それ以前にも、日教組の活動家の教師と対立したりしたことがあったかも知れない)。僕もそういう青年の一人でしたが、今の若者の多くのように、そのまま自民党支持の保守派になるのではなく、反・反体制だが、体制支持でもないという、身の置き所のなさを強く感じたのです。それで、「この腐った社会を何とかしなければならない」なんて、一人リキんでみたりもするが、何をもってそれに対抗すればいいのかがわからないのです。

 僕はそれで、自分たちの世代を「精神的複雑骨折世代」なんて自嘲的に呼んでいましたが、当時はソ連のお寒い内幕(いわゆる「赤い貴族」が共産党独裁をいいことに勝手なことをやっていた)も知られるようになっていて、僕自身はアナキズム(無政府主義)に一番シンパシーを感じましたが、いずれにせよ政治イデオロギーに夢を託せるような状況ではなくなっていた。「カニは甲羅に似せて穴を掘る」と言いますが、どんな理想社会を構想しようと、人間の中身が変わらなければどうしようもないのです。

 そうすると、自然に心理学や宗教、精神病理学といったものにまで首を突っ込む羽目になって、その場合、当然ですがまず自分の内面が問題になるわけです。儒教では「修身斉家治国平天下」と言いますが、先に自分の問題を片付けておかないと話にならない。大袈裟に、かつ宗教的に言うと、「悟り」が必要になるのです。

 麻原の場合、そこらへんどうなったのかは知りませんが、熊本県八代市の貧しい畳職人の家の七番目の子として生まれた彼は、「先天性緑内障のため生来、左目がほとんど見えず、右目の視力は1.0程度だった」(ウィキペディア)のと、家庭の貧しさのため、県立の盲学校に入れられて、そこの高等部を、通常の高校の場合と比べて二年遅く、1975年3月、二十歳で卒業した。彼のその目の障害は水俣病の影響によるのではないかと言われ、僕もそう思いますが、戦後の高度経済成長が始まったとされる年に生まれた彼は、劈頭(へきとう)からその「負の側面」を身に負うかたちで人生を始めることになったのです。

 年譜によれば、盲学校卒業の年、「東京大学文科Ⅰ類受験を目指すため」上京、とありますが、半年もたたないうちに実家に戻り、翌年には長兄が熊本市で経営する漢方薬局の手伝いをしたりした。そして「1977年(昭和52年)春(22歳)に再上京し、代々木ゼミナールに入学」するが、結局ものにはならず、諦めて翌78年、その代ゼミで知り合った一人の女生徒と結婚、「千葉県船橋市湊町に新居を構え、そこに鍼灸院『松本鍼灸院』を開院。同年9月15日『松本鍼灸院』を廃し、同市本町に診察室兼漢方薬局の『亜細亜堂』を開業。同年12月、船橋市新高根に新居を購入し移住」(以上、ウィキペディア)という目まぐるしい動きを見せるのです。

 そして、「1980年(昭和55年)7月、保険料の不正請求が発覚し、670万円の返還を要求される」「1981年(昭和56年)2月、船橋市高根台に健康薬品販売店『BMA薬局』を開局、1982年(昭和57年)に無許可の医薬品を販売し四千万円を稼いだものの、『効き目がないどころか下痢をした』などと告発され同年6月22日に薬事法違反で逮捕、20万円の罰金刑を受ける」というふうに、生来の規範意識の乏しさが如実に出る事件を立て続けに起こしています。

 にしても、僕が感心するのは彼の不思議な「経済力」です。貧しい家庭に育ち、なかば口減らしのようにして盲学校に入れられた彼に、どうして上京して浪人生活ができるような「ぜいたく」ができたのか? ウィキペディアによれば、「金への執着が強く、同級生への恐喝によって卒業するまでに300万円を貯金していた」そうですが、当時の300万と言えばかなりの大金です。とても二十歳の若者がもてるような額ではない。その後も、上記薬事法違反の犯罪などにしても、罰金に比して稼いだ額が半端ではない。彼のライフ・ヒストリーを見ると、生まれつき強い犯罪性向をもった人間だったと思わざるをえませんが、手段はどうあれ、彼は「稼ぐ力」には秀でていたのです。

 ここで対比的に僕の場合はどうだったかという話をさせてもらうと、僕は彼より二年早く、高校を卒業して上京しました。彼と同じく、大学受験浪人として上京したのですが、元々は高卒段階で就職するはずだったのが、高3のとき気まぐれを起こして、大学に行くと言い出したのです。僕の実家はひどい山奥で、近くに高校がないので、親は高校進学させるにも子供を寮に入れるか下宿させるかして、仕送りしなければなりませんでした。実家は兼業農家で、父はきこりをなりわいとしていた(この「きこり」はすでに死語になっているようで、前に塾の生徒に、「僕らはそんなの民話でしか聞いたことがありませんよ」と笑われてしまったことがあります)。麻原の実家ほど貧しくはなかったでしょうが、財産があるわけではなく、働き者の両親は三人の息子を高校にやるだけで手いっぱいのはずでした。

 当時の田舎は、今の子供たちには想像が難しいほど貧しかった。僕の中学時代の同級生は70人いましたが、そのうち高校に進学したのは十数人にすぎず、それは子供自身の学力とは無関係でした(勉強好きで成績優秀な女子二人が「家庭の事情」のため高校進学を断念するのを見て、義憤のようなものを感じたのを今でも覚えています)。これはむろん、実家から通える範囲に高校がなかったという僻地の特殊事情も関係しますが、中卒の子供たちが「金の卵」と呼ばれ、集団就職列車で都会に向かったのは過去の話ではなく、げんにまだ集団就職列車は走っていたのです(最後のそれは、麻原が上京した1975年だった由)。

 僕の場合は、だから、大学進学は親に無理を言うことでした。それでどうしようかと迷っていたとき、担任の先生から新聞奨学生の応募書類を、「こういうのがあるぞ」と言って見せられた。僕はそれに応募して、ここと決めた大学があったので、生意気にも推薦の話は全部蹴り、周囲の予想通り受験に失敗して、東京の新聞販売店で住み込みアルバイトをしながら浪人生活を送ることになったのです。それで、卒業式の翌日、夜行寝台列車に乗って上京し、右も左もわからない田舎者なので、電話して店の人に最寄り駅まで迎えに来てもらって、早速翌朝から新聞配達の見習いを始めた。

 麻原や僕の時代はそういうものだったのです。ある意味、高度経済成長は元が貧しかったから可能になったのです。当時の田舎は、自然は本当に豊かでした。それにまつわる幸福な楽しい思い出が僕にはたくさんあるのですが、他の面では貧しかったので、今ある「文明の利器」の多くは存在しなかったか、存在しても貧しい庶民の手が届くようなものではありませんでした。僕の家に白黒テレビが入ったのはようやく小3になってからのことだったし、自宅に電話がある家は稀だった。冷蔵庫が入ったのもかなり遅く、自家用車などはむろんありませんでした。僕は小3まで川を隔てた向かいの山の上の分校に通ったのですが、そこに通う子供たちの中には、まだ電気が通っていない集落の子たちもいたほどです。昭和30年代とはそういう時代でした。小学生の頃、ときどき祖母にこっそり作ってもらって飲む砂糖水が何ともおいしく感じられた。そういう時代だったのです。

 麻原に話を戻しましょう。彼は権力志向が強く、東大法学部→政治家→総理大臣という誇大妄想的な夢を当時抱いていたと言われます。僕に興味深く思われるのは、現総理大臣、安倍晋三も同い年だということです(生年が一年ずれるのは、麻原が早生まれだからです)。安倍は祖父も父親も「東大法卒」の政治家の家に生まれましたが、ご本人はお勉強の方はからっきしで、エスカレーター進学で、さほど名の知られていない私大に入った。それでも家柄のおかげで父の跡を継いで政治家になり、総理大臣にまでのぼりつめたのですが、そうした「親の七光り」など全くない麻原の場合、野望の実現には「東大法卒」の肩書が必要だと考えたのでしょう。実家は貧しく、彼には目のハンデまであった。当時、ふつうの高校の授業ですら、難関大の入試には何の役にも立たないと言われていたのに、盲学校の場合はなおさらだったでしょう。麻原がとくに学業優秀だったという話もない。それは初めから実現可能性はほとんどない話だったのです。

 その「不可能な野望」を放棄した後、麻原は宗教に向かった。彼に特徴的なのは、利己的な立身出世願望と「悟り」や「世界救済」願望が一緒になっていたことです。そのライフ・ヒストリーからして、彼が反社会的精神病質人格、サイコパスであったことはほぼ疑いないと思いますが、宗教団体というのは、彼の虚言癖、誇大妄想的傾向、詐欺師的性格を隠すのにはうってつけだった。いわゆる「悟り」というものは、悟っていない圧倒的大多数の人間にとって想像するしかないもので、何を言われても嘘かほんとかわからないからです。彼は自分の目のハンデも巧みに利用した。それは彼の神秘性を高める道具となったのです。

 僕は虚言症の人に遭遇したことがありますが、彼らの特徴は自分がつくり出した妄想の中に入り込んでしまって、その中のヒーローを自ら演じ、ディティールも手が込んでいて、小道具までわざわざ買って周りの人を信用させてしまったりすることです。通常、嘘をつく人はそれが嘘だと自覚しています。しかし、彼らはそうではなく、そのつくり話を自分も信じ込んでしまう傾向が強く、真に迫っているので見破りにくいのです。

 僕が遭遇したケースでは、違う話を先に聞いていたのでおかしいなと思ったのですが、周りが全部それを信じ込んでいるので、自分が聞いていた話は間違いなのかなと思ってしまったほどです。しかし、嘘のストーリーがどんどんエスカレートして、ある時点に達したとき、どうもこれはおかしいなと思って、調べてみました。すると、自分が先に聞いていた話の方が正しく、彼が話していることはすべて出鱈目だと判明した。相変わらず架空の物語のヒーローを自信たっぷり演じている彼を僕は別室に呼んで、悪いけど調べさせてもらったよ、と言いました。そして事実はこうなのだろうと言うと、彼はひどくしょんぼりしてしまいました。僕はそれを見てかわいそうに思いました。自分の惨めな現実から逃れようとしてその妄想を発明し、周りを信じ込ませるのにも成功したので、心の奥底ではまずいと知りつつも、そこから出られなくなってしまっていたのです。

 麻原もこれと似ているなと思います。自分の妄想の中に深く入り込んでしまって、そこから出られなくなった。彼は1990年2月の衆院選に、真理党代表として東京4区から立候補し、例の自分を模した着ぐるみや、「ショーコーソング」で話題になったものの、僅か1783票しか取れず、落選しました。これに関して彼は、「選挙管理委員会を含めた大がかりなトリックがあった」と主張しました。あまりにも馬鹿げているから見向きもされなかっただけだとは思わなかったので、ウィキペディアには「小学部5年時に児童会長、中学部在籍時と高等部在籍時に生徒会長、寮長に立候補するが、全て落選している。後の真理党の時のように先生の陰謀だと言い出したこともあった」とあるので、彼のそういうところは何も今に始まったことではなかったのです。

 この落選をきっかけに、「『今の世の中はマハーヤーナでは救済できないことが分かったのでこれからはヴァジラヤーナでいく』として、ボツリヌス菌やホスゲン爆弾による無差別テロを計画する」ようになったとウィキペディアにはありますが、子供時代の「落選」も自分の人望のなさが原因だったのに、それを認めず、架空の「先生の陰謀」説をつくり出したのと同じで、彼は実現不可能な「麻原王国」の妄想に魅せられ、それが頓挫するのを認めることができず、妄想が妄想を呼ぶという悪循環の中にはまり込んでしまったのです。これ以前に、すでに坂本弁護士一家殺害事件などを起こしていますが、それも自分の妄想が破られるのを防ごうとしたためで、内部では「教祖の絶対化」に成功していたので、手足のように幹部を使ってそれを行うことができたのです。

 子供時代の「人を支配したい」という願望が、のちの東大を出て総理大臣になるという妄想につながり、それが潰(つい)えた後、宗教カルトを創設して、その内部で「神」扱いされることに成功すると、再びそれを足掛かりにして「国家の王」になろうという妄想が生まれた。そう見てもあながちこじつけではないでしょう。そして「グルへの絶対的帰依」を旨とするオウム内部ではその妄想が共有されることになったのですが、衆院選での惨めな敗北は、その妄想が全くの砂上の楼閣であることを強く感じさせた。ふつうならそこで現実に戻るが、彼は一段と妄想への執着を強め、自作自演の「ハルマゲドン」を構想するにいたったのです。地下鉄サリン事件は序の口で、計画にあったロシア製軍用ヘリによる首都圏サリン散布なんてことが実現していたら、恐ろしいことになっていたのです(そのとき信者たちは自家製の自動小銃で一斉蜂起、自衛隊内部のオウム信者もこれに呼応することになっていた)。

 何とかに刃物と言いますが、虚言症サイコパスにカルト宗教だったのです。

 にしても、と僕は思います。彼が熊本県の片田舎の子だくさんの貧しい畳職人の家ではなく、裕福な世襲政治家の家に生まれていればどうなったかと。彼は相応に弁は立つし、子供の頃はともかく、何らかのカリスマ性を備えるにいたったので、別に東大に入れずとも政治家にはなれ、支配欲、自己顕示欲とないまぜになったひどく独善的なものだったとはいえ、「世を救いたい」という願望は強くあったのだから、総理大臣も夢ではなかったかもしれません。しかし、環境に恵まれなかったため、それは「妄想」で終わらざるを得ず、その実現不可能性ゆえに無理をして、弟子に命じて殺人を重ねる羽目になった。サイコパスでも、境遇が違い、無理なくそれが実現できるようなものだったなら、敵を陥れるために卑劣な策略は用いたとしても、それを守るのに殺人までする必要はなかったのです。

 むろん、だから彼にも同情の余地は大いにある、という意味ではありません。規範意識の乏しい、少々怪しげな人間でも、踏み越えてはいけない線ぐらいは心得ている。彼の場合、自分の神秘体験の意味を誤解したのか、絶対者として信者たちの前に君臨するうち本格的に狂ってしまったのか知りませんが、暴走への歯止めがなくなってしまったのです。

 僕はこの事件をそのように理解しています。死刑執行後、オウムの残存団体内部で麻原が神格化されるおそれがあると言う人がいますが、仮にそういうことをする病的な連中なら、たしかにそれは危険な集団です。あの事件から何も学ばなかったということなのですから。

 しかし、そんなことはないだろうと信じたいところです。イエス・キリストの磔刑とはまるで性質が違う。麻原は思想信条や宗教活動のせいで迫害されたわけではなく、純然たる殺人指揮のために死刑判決を受けたのですから。細かい部分に疑いはあると言っても、根本的なところではそれは揺るがない。かつて大本教や天理教も国家による弾圧を受けたことがありますが、そういうのとはまるで性質が違うのです。その程度の分別はもってもらいたい。

 金儲けや権力欲の充足が目当てとしか思えないような詐欺的教祖を戴くカルトは他にもあるし、今後も出てくるでしょう。社会的不平等が拡大し、閉塞感が募る一方のこの世相では、経済的にも精神的にも困窮する人は増えるばかりだから、カルトが付け入る隙はたくさんあるのです。しかし、殺人を正当化するような教義を振りかざしてその「実行」を弟子たちに強要するような凶悪カルトは、麻原のような抑制を欠いた反社会的精神病質人格がリーダーになるときのみで、そうそう起きることだとは思えない。麻原の三女も四女も、その点では一致して、残存団体Alephの解散を望んでいるようですが、事件のことはほとんど何も知らないまま、日毎に麻原の写真の前で礼拝する若い信者たちが、教祖は悪しき国家権力と悪しき社会によって冤罪を着せられて殺されただけ、なんて出鱈目な説明を受けると、自分の社会への無意識的な怨恨も重なって、尖鋭化して危険なことになりかねないのはたしかです。どうせなら麻原とは無関係に、彼の写真を掲げるなどの愚劣なこともやめて、新しい出発をすればいいのではないかと、僕も思います。

 そもそもの話、「グルへの絶対的帰依」など求める宗教は、あまりにも時代錯誤で、馬鹿げたものとしか僕には思えないので、健康な宗教なら逆に「依存」を排して、自分の背骨で立つすべを教えるでしょう。「自灯明、法灯明」という言葉が仏典にはありますが、人を導くなら、そのように導くのが正しいのです。それでは宗教団体は商売にならないのかも知れませんが、ドグマや階層制に基づくその種の団体はすべて病的だと、言い切って差し支えないのではないかと思うのです。



祝子川通信 Hourigawa Tsushin


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富岡八幡宮殺人事件の教訓

2017.12.10(23:11) 538

「うーん。絵に描いたようなアホだな…」

 事件報道に接してそう呟いた人は少なくないと思いますが、金持ち神社のボンボンで、世間を知らず、人並の苦労は何もしたことがないジコチュー男の末路としては、殺人事件までは余計として、十分ありうることです。別に金持ちではなくとも、甘やかして「バカ殿教育」をしてしまうと、大人になっても幼児人格そのままで、その並外れたジコチューぶりに家族が頭を抱えてしまうというような話は世間に珍しくないので、その意味では教訓的です。

 この手の「世界は自分に奉仕するために存在する」と思い込んでいる人間の特徴は次のようなものです。

・極度に他罰的である。自分の思うようにいかないと、その原因を考えるが、病的な自己愛ゆえに「悪いのは他人か環境である」ということになって、自己反省に導かれることは決してない。彼または彼女にとっては自己が「神」であり、それを疑うことは禁忌なのです。

・従って、こういう人間とふつうにコミュニケーションを取ることは極度に困難です。自分に気に入ることしか受けつけず、人の言葉は何でも自分に好都合に解釈する(遠回しのサジェスチョンのようなものは全く通じない)。正面から叱責されるようなことがあると、ただちに逆上し、相手に対する激しい憎悪を示す。

・その論理は一方的で、すべて自己正当化のために用いられる。自分のことはきれいに棚上げして、周囲の人間の些細な落ち度を鵜の目鷹の目で探し出し、それを誇張して言い立てる。一見すると理路整然としているので、事情を知らない人は騙されることがあるが、後で詳しい事情を知ると唖然とさせられる。超主観的で身勝手な言い分に終始することが特徴で、自分に不都合なことには全く言及しないか、「やむを得ないこと」だったのだという言い訳で無理に正当化し、他を激しく非難中傷することによって責任転嫁する。

・他者への思いやりや愛情というものがカケラもない(妻子やペットなど、自己の延長と本人に感じられているものに対しては過剰かつ盲目的な「愛情」を示すことがある)。当然、人にしてもらったことへの自然な感謝の念はゼロである。反対に自分の「功績」と本人が考えるものや、「人にしてやったこと」は細大漏らさず記憶し、それを誇張して言い立てる。その百倍ほどはある「人にしてもらったこと」や周りにかけた迷惑に関しては、完全に忘れ去っている(極度の自己欺瞞ゆえにそうなる)。

・周囲から孤立することが多く(それはあたりまえですが)、そうなると被害妄想と憎悪をさらに募らせる。酒好きだと、明るく陽気な酒とは無縁で、飲酒するたびその妄想と他者憎悪が募って、偏執狂的な性格を強める。人を陥れるような讒言(ざんげん)も平気で行う。

・ユーモアの根本は、「自分を笑うこと」ですが、そういうゆとりが全くなく、気位のみ無駄に高く、しんから人と打ち解けたり、屈託のない笑いを見せることができない。目つきに和らいだところがなく、たまに見せる笑顔には自己中心的な人間特有の酷薄さが漂っている。要するに、その「人間的な部分」は全部つくり物である。

・最後には悪霊に憑依されて、殺人など、とんでもない事件を起こすことがある。


 大体、以上ですが、これは病的なジコチュー人間にはたいてい当てはまるので、周囲にこの通りか、それに似た人がいるという場合には、要注意です。このブログの読者にはあまりそういう人はいないと思いますが、自分がこれに該当するという場合には、早く「改心」しないと、周りに迷惑なだけでなく、自身がいずれ地獄を見る羽目になるでしょう。

 こういう手合いは、今は数が急増しているという印象がありますが、そこらにゴロゴロいるというわけではありません。僕はこれを「悪性自己愛症候群」と名づけていますが、仮に全人口の一割を占めるような事態になれば、この社会は間違いなく崩壊するでしょう。それほど危険な存在であることはたしかです。

 まともな人たちはこの手の人間にぞっとさせられますが、その精神構造はいたって単純です。その反応パターンは機械的で、犬も食わない自分の虚栄心やプライド、利益を守るためにはどんな卑劣なことでもやらかすというところに人は戦慄させられるのですが、その心理メカニズムそのものは単純で、良心や常識があるように偽装しているが、事実としてはそんなものはないので、悪知恵の働く猿と同じだと思って見ていれば、何ら驚くようなものはないのです。人間だと思うから驚くので、妖怪の類だと思っていれば、かんたんにやることは読める。彼らの得意技は「話のすり替え」ですが、それもそれしか手がないから行うので、いちいちまともに取り合うから面倒なことになるのです(そういうときはきっちり「元の問題」に話を戻してやればいい)。

 その本来の知能とは関係なく、彼らは愚かです。その病的なナルシシズムゆえの勝手なふるまいのために、彼らは周囲の信頼や愛情を失うのですが、仕事でも私生活でも、その結果彼らは孤立して、何よりも可愛い自己の利益に反する結果を生み出してしまうわけですから。それで窮地に立たされると、自分を反省するどころか、他者を非難中傷したり、周囲に対立を意図的に作り出したりして、自分の立場を守ろうとするのですが、一時的に功を奏することはあっても、いずれ事は露見して、それが成功することはなく、逆にいっそう自分の立場を悪くしてしまうのです。頭が悪いとしか言いようがありませんが、ジコチューだから他に考えが思い及ばないのです。

 今回の事件の犯人の富岡茂永にもそれは当てはまることですが、もう一つ付け加えておくべき彼らの特性は、次のようなものです。

・自分が孤立しかけていると知ると、必死に自分の仲間、支持者をつくり出そうとする。例によって自分に好都合な一方的、一面的な話をして、自分への同情や支持を集め、やれ「誰々さんもこう言っている」などと言って、トラブルになった相手方を弱らせようとするのです。彼らには良心はないが、心の深い部分に疚しさはあって、自信がなく不安だから「仲間集め」をするのです。事情を知らない人たちは、いくらかの真実はちりばめられているが勝手に文脈を移し替えたりした、本質は虚偽であるその話に騙されて、トラブルに巻き込まれてしまうことがある。彼らはトラブル・メーカーなので、それを知らないと厄介なことになってしまう。

 富岡茂永などはそれで怪文書をあちこちに送りつけて、それで騒擾をひき起こそうとしたわけです。氏子たちだけでなく、「(茂永容疑者の妻)富岡真里子名義の“告発状"が神社本庁に送られていた」こともあったというし、この「三度目の女房」は事件の際、自らも日本刀で運転手に斬りつけたともいうから、同じジコチューの「似た者夫婦」だった(それでなおさら彼の妄想も募った?)ようですが、「仲間集め」も一向功を奏さないとわかって、二人は恨み重なる姉の殺害を計画するにいたったのでしょう。

 僕はときたま、塾の善良な女子高校生たちから、「先生、女の子の世界って、こわいんですよ」といって、男の子たちの前ではぶりっ子をしているが、半端でなく性格の悪い同級生の話を聞かされることがあって、「そういうのはずうっとそのままで、大人になっても同じことをするだろうね」と苦笑させられることがあるのですが、この富永も「類は友を呼ぶ」の法則で、そういうのと一緒になったものかも知れません。まともな男なら、そういうのを間違って嫁にもらうと災難ですが、彼の場合は「引き寄せの法則」が働いたもので、自業自得と呼ぶべきでしょう。

 ちなみに、この報道では、富永は宮司解任後も「経済援助」を受けていたとあります。次はAERA dot からの引用です。

「茂永氏には退職金が支払われ、退任後も富岡家が経済支援をすることになった。茂永氏は神社、富岡家、責任役員、総代に迷惑を掛けたことを詫び、今後、一切迷惑を掛けないことを約束した。万一、約束に違反した場合は、経済的援助をストップされても止むを得ないこととされた」(佐藤弁護士)

 その「中身」はどういうものだったのか? 「デイリー新潮」に昔の記事が紹介されていて、それを見ると、その内容は驚くべきものです。

 茂永氏は1億2000万円もの退職金を手中にしたばかりか、毎月30万円の年金が支給され、約十数万円の不動産収入も約束されているというから羨ましい限り。

 彼が解任されたのは、元はといえば、その素行の悪さに加え、金銭トラブルが相次いだためだそうで、父親存命の頃に、父親によって解任されたのです。なのに、この厚遇には驚くので、「泥棒に追い銭」とはまさにこのことです。「吸血ダニ」としか言いようのない苦労知らずのボンボンであるこの男は、しかし、その「情け」にも感謝するどころか、実現するはずのない宮司職復帰に執着したのです。そうした「経済援助」など何もなければ、世間並の生活の苦労を余儀なくされ、少しはマシになったかもしれませんが、ヒマをもて余して、妄想にふけり放題だったので、そうした情けもアダになったのです。この手の手合いにつける薬はないと感じられます。

 世間的に言えば甘やかされて育った良家のボンボンにも、温厚で優しい人はいくらもいるものなので、育て方だけの問題ではない。あえて言えば、それは「劣った魂」の持主だからなのでしょう。これはあくまで「理想を言えば」の話ですが、宗教家は高い精神的資質を求められます。彼が神主の家に生まれてきたのは、劣った未熟な魂に成長の機縁を与えるためだったのだろうと思われますが、金満神社だったのが災いして、かえって「退化」する羽目に陥ったのです。身勝手な願望が満たされないのを恨んだ彼は、「死後においてもこの世に残り、怨霊となり、私の要求に異議を唱えた責任役員とその子孫を永遠に祟り続けます」とする手紙を神社関係者に送りつけていたそうですが、死後は地獄に直行となり、そこで閻魔大王の監督のもと、青鬼赤鬼にこづき回されながら、長い懲役の日々を送ることになり、怨霊となることすら許されないでしょう。そちらの「願望」も果たされないわけです。

 にしても、ジコチュー人間はなぜ愛も知恵もない人間となり果てるのか? 理由は単純であるように思われます。人間が豊かな愛情や同情などの共感能力をもち、知恵や洞察力をもち得るのは、宇宙の究極の源泉たるそれにアクセスし、そこからそれらのエネルギーが流れ込んでくるときだけです。自分がそれをつくり出すのではない。キリスト教流に言えば、それは「神の恩寵」ですが、病的なナルシシストは自分を「神」としてしまうために、それへの通路を自ら塞いでしまう。それが強烈な自己不全感をもたらし、心の中に得体の知れない空虚感と憎悪を抱え込む羽目になり、それには気づかないまま、自己執着をさらに強める悪循環に陥るのです。権力も地位も財力もそれを補償するものとはならない。なのにその根本的錯誤には気づかないのです。

 これは人間にとっては最も不幸な状態で、だからしまいには悪霊の類にとりつかれてしまう羽目に陥るのですが、言葉の真の意味での「正直さ」があれば、その間違いに気づく機縁はそこらじゅうに転がっている。ナルシシストは、しかし、その現実に直面することは巧妙に避けて、虚偽の神=自己にしがみつき続けるのです。誰が悪くてそうなるわけでもなく、そこにあるものを見ようとせず、愚かな自己正当化に明け暮れる方を選択するのだから、自分が悪いのです。

「馬鹿は死ななきゃ治らない」と言いますが、それこそ自己責任でそうなっているわけで、人として生まれて妖怪になり果てるとは、生を無益化すること、これより甚だしいものはありません。この事件の場合には、神職を引き継ぐ立場に生まれてそうなったのだから、皮肉この上ない話で、僕らはせめてそこに教訓を見て自己反省のよすがとする他ないと言うべきでしょう。人は人として生まれたから自動的に人間になれるわけではない。人間らしい心もちを失えば、悪鬼としてこの世界に害毒を振りまくしかなくなるのです。八幡様にもそれを止めることはできなかった。それができるのはその人だけなのです。「神への通路」を自ら塞いでしまった人間に近しいのは悪霊の類だけになるのだという恐ろしい真実を、この事件は教えてくれるのです。



祝子川通信 Hourigawa Tsushin


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優しいシリアルキラーと今の日本社会

2017.11.08(17:22) 531

 何でもアメリカの後追いをしてきたわが国は、いずれ異常殺人者の比率でもアメリカに接近することになるかも知れません。もうだいぶ前のデータですが、米国では逮捕されていないシリアルキラー(連続殺人鬼)が全体で数百人はいるだろうという話で、あの国は銃社会ゆえの殺人事件の多さとはまた別に、そういう「病気」のプレデター(捕食者)と化した人間もどきも大量に生み出しているのです。

 今回の座間市の九人殺害の犯人、白石隆浩は、発覚しなければ犯行をさらに重ねていたであろうと見られています。彼の「狩場」はネットの自殺サイトの類に助けを求める自殺志願の若い娘たち(被害者には15歳の少女も含まれていた)で、ツイッターで「首吊り士」と名乗って「獲物」を引き寄せていたのだという。最初の被害者の女性からは50万を巻き上げ、それをアパート契約の見せ金に使ったが、カネをもっている相手からはそれを取り上げ、ない相手も快楽殺人の対象にはなるから、解体した前の被害者たちの遺体を置いたままのアパートに次々呼び寄せて殺していたわけです。この世の沙汰とは思えないが、この世にも「魔界」は出現しうるわけで、彼は見た目は人間の姿をしているが、実際はあのハリウッド映画の『プレデター』そのものになっていたわけです。頭蓋骨のコレクションが、実際そこにはあった。

 東名高速のあの事件の犯人の土木作業員は見るからに「凶悪顔」で、その短絡的で身勝手な反応パターンも外見と一致していて、ある意味わかりやすいが、このプレデターは気の弱そうな優男で、そこらへん、イメージとはだいぶギャップがあります。子供時代の彼を知る人たちは一様に「おとなしい」「影が薄かった」と言っているようですが、大人になってからも「凶暴」な印象は与えることがなく、おそらく派手な喧嘩なんかは一度もしたことがない(というより、できない)若者だったのでしょう。

 それでも、彼が餌食にしたのは非力な自殺志願の若い娘たちだから、殺すのは造作なかったわけです。子供の頃から存在感が希薄で、とくに秀でた面は見当たらず、外面(そとつら)だけは妙によかったといった話からして、彼は喜怒哀楽に乏しい、「偽りの感情」を演出しながらかろうじて生きてきた人間だったのではないかという疑いがもたれます。一種の情性麻痺です。だとすれば、元々問題を抱えていたわけで、それが仕事も長続きせず、違法スカウトの仕事で逮捕され、執行猶予判決を受けてからは新しい仕事を探す気も失せて、元々抱えていた強い自己不全感が前面に出て、人を殺すことのスリルに束の間の「リアルな実感」を見出し、それに中毒してしまった。そう想像されます。警察での供述は二転三転して、何が真実なのかよくわからないという話ですが、元々「真実がない」というのがこうしたシリアルキラーの特徴の一つで、「本物の感情」の欠落に、彼らは一番苦しんでいるのです。だから「自分も死にたいと思った」というのもおそらく嘘ではないので、彼らの犯行は通常、自己破滅衝動と表裏一体をなしているとされます。この世界は「リアルさ」をもてない彼らにはモノトーンの堪えがたい世界でしかない。瞬時の「殺人の快楽」以外、生を確認する手立てがなくなったのです。

 これは完全な「病気」ですが、自然から遊離し、周囲の人間にさえ基本的に無関心で、心の自然な通じ合いというものが乏しくなって家族間ですらそれがないのが珍しくないという今の文明社会では、「感情の稀薄化」は程度の差こそあれ共通の病理で、互いをモノ扱いすることからなおさらそれは募ります。自殺志願の若い娘たちにしても、半ば嘘と知りつつ、白石のような男の「優しい言葉」にだから魅かれてしまうのでしょう。防衛の鎧をつけた人々の間で、マニュアル化された言葉、対応に囲まれて生きるというのは辛いことです。だから感情を殺すようになって、そうするとそれによる「生の実感」の欠落が何とも言えない閉塞感、空虚感を生み出すのです。

 白石のような、おそらくは子供の頃から「感情の稀薄さ」という病理を抱えていたのであろう人間は、その本来の傾向に拍車がかかってしまう。それは十分考えられることです。豊かな感情の持主に囲まれていれば、生来の感情的な稀薄さもそれに刺激を受けて改善の方向に向かったかもしれないが、こういう社会下ではそれが逆に作用して、どんどん情性麻痺の症状が進んでしまうのです。

 それで行き着いたところが連続殺人というのでは洒落にはなりませんが、そういうところがあるのではないでしょうか。話はいくらか横道にそれますが、僕はかねて、昔はあちこちにたくさんいた「笑える変人」が今はいないのはなぜだろうと思うことがあるのです。今の変人というのはたんなる「異常者」で、背筋が寒くなるような連中ばかりだからです。

 先日も郷里の母親と電話で話していて笑ったのですが、昔電話がまだ普及していなかった頃は、地区に一本の電話しかなくて、何か緊急の用があるときは、そこに電話をして、マイクで呼び出してもらっていたものです。ある地区ではその呼び出しを担当している家のおばあちゃんが、「○○家の△△さん、電話やで。早う来い!」と言った後、「ついでやから、浪花節を一つやったろか」と言って、誰も頼んでいないのに浪花節を長々と披露し始め、それが地区全体にマイクの大音量で流れるのです。おばあちゃんが電話を取ったときはほとんど毎回のように昔の浪花節を聞かされるというので、地区の人たちは閉口したようですが、ご本人は気にした風もなく、平気で浪花節を歌い続けたという話で、このおばあちゃんには他にも数々の笑えるエピソードがあったのですが、その変人ぶりはその息子にも受け継がれ、民生委員をその人がやっていたとき、地区の若者のために「婚活パーティ」を開き、仲をとりもつ役を任されたのだという。ご本人を知る人は皆笑って「それはアカンわ」と言ったそうですが、果たしてその予想は的中し、パーティの後、女性の側に「どうや?」と聞いて、ちょっと口ごもるようなことがあると、そのまま男性の家に行って「おまえ、相手は全然その気がない。男らしゅうさっさと諦めや」なんてことを言うので、成婚率はいつまでたってもゼロのままで、耐えかねた役所の職員が「人選の誤り」を認めて、その役回りから手を引いてもらったとか。

 こういうのは土地柄にもよりますが、僕が子供の頃はそういう個性豊かな「ヘンなオトナ」がたくさんいたもので、ヘンでない大人の方がむしろ少なかったような気がするのです。それはむろん、不気味な感じの「ヘンさ」ではなかったので、互いに譲らぬ変人のAさんとBさんが道で会って、こういうことになったというような話が尾ひれをつけて語られ、皆はそれを面白がっていたので、そういう話がほとんど無数にあったのです。

 僕の父親なども偏屈で有名で、上の浪花節語りのおばあちゃんの息子と同世代ですが、同時期に民生委員をしていて、二人ともそれは長かったのですが、どちらも口が悪い割には老人などの面倒見はよかったので、適任と言えば適任でしたが、その独断と無遠慮さではいい勝負だと言われていて、にもかかわらず、互いに「自分はあいつと違って常識がある」と思っているらしいのは笑えたのです。父に関しては、昔、こういうことがありました。あるとき、息子の他、従兄たちも集まった席で、若者向けの訓戒を垂れたことがあったのです。「言いたいことが十あったら、言うのは半分にしなければならない」と言った後で、ちょっと考えるふうを見せ、「いや、それでもまだ多すぎる。一つか、多くても二つにしないといかん」と訂正しました。いつも自分が言いたいことだけ言うと、相手の反応などにはお構いなしでさっさと去ってしまう人間だったので、そのときも通りかかったついでに訓戒を垂れたという感じで、そのまま盆栽いじりか何かをしに行ってしまいました。それは正月で、ミカンを持ってきた母に、従兄の一人が笑いをこらえて「○兄はあれでも言いたいことを我慢しとるのやろか? 百パーセント、全部言うとるような気がするけどな」と言うと、母は澄ました顔で、「さあ、あれは本人の『努力目標』みたいなものと違うか」と答えたので、爆笑になったのです。誰がどう見ても、「言いたいことを一つか二つにとどめている」人間には見えなかった。目上の人にでも、「そんな馬鹿なことがあるか」などと平気で言うので、母はハラハラしっぱなしだということを、僕は子供の頃から見てよく知っていたのです(フヌケはイヤだが、父さんみたいな人も恐ろしいので、世の中にはなかなかちょうどいい人はいないものだというのが母の嘆きでした)。

 こういうのは、昔は全体に精神的なゆとりがあって、そういう変人に対する社会の許容度が高かったからだと思うのですが、今はその種の許容度が低下して、その分楽に生きることができなくなり、互いに「正常」を装い合う努力の中で感情の抑圧が進んで、かえって異常になってしまう人間が増えたのでしょう。日頃ホンネで交流することが少ないから、喧嘩も含む自然なやりとりの中で人間的に成熟してゆくということも難しくなった。僕自身は長男のつねとしてそういう変人の父親としょっちゅう衝突していましたが(ワンマン的な人は意外にそうですが、父も権威主義的でなく、不思議な柔軟性があった)、家父長的な父親がまだいた時代には、子供や若者は父親という「権力」に対抗して人格形成をはかり、その過程で「体力」も養われたので、並大抵のことでは潰れないだけのタフネスがそれで身についたような気もします。僕はそういう封建制を懐かしがる者ではなく、家庭が「民主的」になったのは進歩だと思うのですが、子供や若者はその分、自分で「壁」を見つけないと成長の機縁がないまま大人になってしまうという危険も生じたのです。また、「民主的」な家庭は、悪くすると当たり障りのない関係になりかねないので、ホンネのやりとりが不足して、外から見ると仲はよそさそうだが、実は風通しが悪く、互いの間に大きな壁ができてしまうということもありうるのです。互いに気をつかって、精神的な負担になりそうなことは隠して言わなくなり、問題が大事に発展して初めてそれがわかるようなこともある。互いに「優し」すぎるから、それが裏目に出てしまうのです。

 そういうふうに、あれやこれや、別に意図したものではないにもかかわらず、「感情の抑圧」システムが社会のあちこちにできてしまい、それが笑えない変人=異常者を生み出す土壌になってしまっているような気がするのですが、いかがなものでしょう?

 一般に、正気を担保するのは理性だと思われていますが、これは間違いで、感情の豊かさと安定なのです。前に愛知県の高3生だったか、「人を殺す経験がしてみたかった」と言って、見ず知らずの中年主婦を金槌でボコボコにした上で、包丁で刺して殺すという事件がありました。彼は模試の成績が偏差値70を楽に超える成績優秀な生徒でしたが、なぜ主婦を襲ったかときかれて、「未来のある若い人はよくないと思ったから」と答えました。中年のおばさんならもう大した未来もないからいいだろうと考えたということになりますが、その是非はともかく、彼は「合理的に」考えてはいたのです。頭はすこぶるよかったことからして、理性能力はあったが、感情的に異常に未熟だった。この場合も情性麻痺の症状は明確に認められるので、犯行の原因はそこにあったのです。裁判の精神鑑定では「犯行時はアスペルガー症候群が原因の心神耗弱状態であった」とされ、医療少年院に送致されたそうですが、理性能力というのは安定した豊かな感情の支えなしでは何の役にも立たないのです。ナチス流の優生学思想なども「合理的」ではあるので、それが「狂気の沙汰」であると判断できるのは人間らしい、生きた感情があるときだけなのです。

 だから感情の抑圧ほど有害な、恐ろしいものはないと言えるので、硬直した政治的・宗教的イデオロギーや道徳的タテマエなどはそれをもたらすからこそ危険なのです。文明化、社会の組織化が進んで、機械に似せて作ったシステムに人間が適応を強いられるときも、同じ弊害が生じる。昔、心理学者のユングが何かに書いていましたが、文明化が進むにつれて、戦争は長期化し、犠牲者の数も格段に増えるようになった。抑圧された感情は無意識の中でネガティブな化学反応を起こし、それが憎悪や怒りなどの感情を生み出すのですが、文明化された社会ではその蓄積量がかつてないほど多くなり、それが「消費」されるのに時間がかかってしまうのです。昔の未開部族社会の戦争などはごく短期間しか続かなかった。争いにエネルギーを供給する敵意や憎悪の蓄積量が少ないからで、それが尽きてしまうとアホらしくなって戦いを続けることができなくなり、自然「もうやめようや」ということになってしまうのです。

 地下のマグマが一定量蓄積すれば、時間の問題で火山は噴火します。戦争なども政治経済的要因の分析だけでは説明できなくて、文明化された社会では感情が抑圧されやすいから、上記の「化学反応」でどんどんネガティブなどす黒い感情が蓄積されていくと、それははけ口をどこかに見出さずにはいられなくなり、病的な犯罪や戦争というかたちで噴出せずにはすまなくなるのです。

 こういうことからすると、いわば「心の政治学」というものが必要なのがわかるので、今の日本社会は相当焼きが回っているなと感じられます。自民党の政治家たちや日本会議などの右翼団体は「愛国心」や「道徳教育」を学校でもっと行うべきだと言いますが、そんなものは必要ではない。健康な成熟した市民をつくり出したいのなら、家庭でも学校でも、子供が自分の正直な感情や思い(それが「前向き」なものでなければならないというのは、それ自体が抑圧です)を口にでき、オトナがそれと正面から向き合って、感情を抑圧することなく、対話を通じて子供のホンネの成熟がはかれるような教育を行うべきなのです。ところが、今のオトナは全般にロボットのできそこないみたいな人が多く、ことに学校の教師には空虚なタテマエ以外には何も持ち合わせていないような人が多すぎるのです。家庭でも企業がどんどんブラック化する中、オトーサンたちは疲れ果ててしまって、子供の教育の責任は全部母親になすりつけておしまい、という人が増えている。子供はその成長のプロセスで親や学校の教師に対して「挑戦」を試みることが何度もあるものですが、頭ごなしの否定やタテマエを振りかざすだけでそれにまともに対応しないというのでは、「言っても無駄」ということで、子供は何も言わなくなります。そしてそういう子供たちは、いわゆる「よい子」であればあるほど、自分のホンネに向き合うことを、葛藤が増えるのを恐れて避けるようになって、そのうち自分の正直な感情が何なのかもわからなくなり、出来合いのタテマエに振り回される中、強い自己不全感に悩まされるようになるのです。自分の深い感情がキャッチできなくなっているので、そこにどんなものが蓄積されているのかもわからなくなる。そうして非常に危険な状態に導かれてしまうのです。

 今は各種のマニュアルやハウツー本の花盛りですが、機械の使用マニュアルならともかく、いちいち接客や仕事の手順、クレーム対応、勉強の仕方まで細かく型通りの指示を押しつけ、押しつけられる方もそれを有難がるなんてのは管理社会の末期症状で、病気だと僕は思います。セールスの電話などでも、録音テープを向こうで回しているのかと不気味になってくることがあるのですが、ロボットが人間に近い能力を示すようになるのに歩調を合わせて、人間がロボットに近づいているのです。いずれはどちらなのか区別がつかなくなってしまいそうですが、人間はロボットにはなりえず、それには必ず無理が伴うから、感情が抑圧されて、その部分が成熟しないまま大人になり、それが異常な犯罪や愚行としか言いようのない政治行動などにつながって、この世界に破壊的な作用を及ぼすようになるでしょう。

 シリアルキラーの話からは脱線しましたが、こういうのも大きな文脈に置いてみれば、そうした社会病理の一面を示すものではないかと、僕は申し上げたかったのです。風通しの悪い管理社会化の中で進行する、生きた人間としての感情の稀薄化やその抑圧がどれほど危険なものであるか、僕らはもう少しそれを認識すべきではありませんか? 健全なモラルも、豊かな生きた感情があればこそ、なのです。



祝子川通信 Hourigawa Tsushin


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