優しいシリアルキラーと今の日本社会

2017.11.08.17:22

 何でもアメリカの後追いをしてきたわが国は、いずれ異常殺人者の比率でもアメリカに接近することになるかも知れません。もうだいぶ前のデータですが、米国では逮捕されていないシリアルキラー(連続殺人鬼)が全体で数百人はいるだろうという話で、あの国は銃社会ゆえの殺人事件の多さとはまた別に、そういう「病気」のプレデター(捕食者)と化した人間もどきも大量に生み出しているのです。

 今回の座間市の九人殺害の犯人、白石隆浩は、発覚しなければ犯行をさらに重ねていたであろうと見られています。彼の「狩場」はネットの自殺サイトの類に助けを求める自殺志願の若い娘たち(被害者には15歳の少女も含まれていた)で、ツイッターで「首吊り士」と名乗って「獲物」を引き寄せていたのだという。最初の被害者の女性からは50万を巻き上げ、それをアパート契約の見せ金に使ったが、カネをもっている相手からはそれを取り上げ、ない相手も快楽殺人の対象にはなるから、解体した前の被害者たちの遺体を置いたままのアパートに次々呼び寄せて殺していたわけです。この世の沙汰とは思えないが、この世にも「魔界」は出現しうるわけで、彼は見た目は人間の姿をしているが、実際はあのハリウッド映画の『プレデター』そのものになっていたわけです。頭蓋骨のコレクションが、実際そこにはあった。

 東名高速のあの事件の犯人の土木作業員は見るからに「凶悪顔」で、その短絡的で身勝手な反応パターンも外見と一致していて、ある意味わかりやすいが、このプレデターは気の弱そうな優男で、そこらへん、イメージとはだいぶギャップがあります。子供時代の彼を知る人たちは一様に「おとなしい」「影が薄かった」と言っているようですが、大人になってからも「凶暴」な印象は与えることがなく、おそらく派手な喧嘩なんかは一度もしたことがない(というより、できない)若者だったのでしょう。

 それでも、彼が餌食にしたのは非力な自殺志願の若い娘たちだから、殺すのは造作なかったわけです。子供の頃から存在感が希薄で、とくに秀でた面は見当たらず、外面(そとつら)だけは妙によかったといった話からして、彼は喜怒哀楽に乏しい、「偽りの感情」を演出しながらかろうじて生きてきた人間だったのではないかという疑いがもたれます。一種の情性麻痺です。だとすれば、元々問題を抱えていたわけで、それが仕事も長続きせず、違法スカウトの仕事で逮捕され、執行猶予判決を受けてからは新しい仕事を探す気も失せて、元々抱えていた強い自己不全感が前面に出て、人を殺すことのスリルに束の間の「リアルな実感」を見出し、それに中毒してしまった。そう想像されます。警察での供述は二転三転して、何が真実なのかよくわからないという話ですが、元々「真実がない」というのがこうしたシリアルキラーの特徴の一つで、「本物の感情」の欠落に、彼らは一番苦しんでいるのです。だから「自分も死にたいと思った」というのもおそらく嘘ではないので、彼らの犯行は通常、自己破滅衝動と表裏一体をなしているとされます。この世界は「リアルさ」をもてない彼らにはモノトーンの堪えがたい世界でしかない。瞬時の「殺人の快楽」以外、生を確認する手立てがなくなったのです。

 これは完全な「病気」ですが、自然から遊離し、周囲の人間にさえ基本的に無関心で、心の自然な通じ合いというものが乏しくなって家族間ですらそれがないのが珍しくないという今の文明社会では、「感情の稀薄化」は程度の差こそあれ共通の病理で、互いをモノ扱いすることからなおさらそれは募ります。自殺志願の若い娘たちにしても、半ば嘘と知りつつ、白石のような男の「優しい言葉」にだから魅かれてしまうのでしょう。防衛の鎧をつけた人々の間で、マニュアル化された言葉、対応に囲まれて生きるというのは辛いことです。だから感情を殺すようになって、そうするとそれによる「生の実感」の欠落が何とも言えない閉塞感、空虚感を生み出すのです。

 白石のような、おそらくは子供の頃から「感情の稀薄さ」という病理を抱えていたのであろう人間は、その本来の傾向に拍車がかかってしまう。それは十分考えられることです。豊かな感情の持主に囲まれていれば、生来の感情的な稀薄さもそれに刺激を受けて改善の方向に向かったかもしれないが、こういう社会下ではそれが逆に作用して、どんどん情性麻痺の症状が進んでしまうのです。

 それで行き着いたところが連続殺人というのでは洒落にはなりませんが、そういうところがあるのではないでしょうか。話はいくらか横道にそれますが、僕はかねて、昔はあちこちにたくさんいた「笑える変人」が今はいないのはなぜだろうと思うことがあるのです。今の変人というのはたんなる「異常者」で、背筋が寒くなるような連中ばかりだからです。

 先日も郷里の母親と電話で話していて笑ったのですが、昔電話がまだ普及していなかった頃は、地区に一本の電話しかなくて、何か緊急の用があるときは、そこに電話をして、マイクで呼び出してもらっていたものです。ある地区ではその呼び出しを担当している家のおばあちゃんが、「○○家の△△さん、電話やで。早う来い!」と言った後、「ついでやから、浪花節を一つやったろか」と言って、誰も頼んでいないのに浪花節を長々と披露し始め、それが地区全体にマイクの大音量で流れるのです。おばあちゃんが電話を取ったときはほとんど毎回のように昔の浪花節を聞かされるというので、地区の人たちは閉口したようですが、ご本人は気にした風もなく、平気で浪花節を歌い続けたという話で、このおばあちゃんには他にも数々の笑えるエピソードがあったのですが、その変人ぶりはその息子にも受け継がれ、民生委員をその人がやっていたとき、地区の若者のために「婚活パーティ」を開き、仲をとりもつ役を任されたのだという。ご本人を知る人は皆笑って「それはアカンわ」と言ったそうですが、果たしてその予想は的中し、パーティの後、女性の側に「どうや?」と聞いて、ちょっと口ごもるようなことがあると、そのまま男性の家に行って「おまえ、相手は全然その気がない。男らしゅうさっさと諦めや」なんてことを言うので、成婚率はいつまでたってもゼロのままで、耐えかねた役所の職員が「人選の誤り」を認めて、その役回りから手を引いてもらったとか。

 こういうのは土地柄にもよりますが、僕が子供の頃はそういう個性豊かな「ヘンなオトナ」がたくさんいたもので、ヘンでない大人の方がむしろ少なかったような気がするのです。それはむろん、不気味な感じの「ヘンさ」ではなかったので、互いに譲らぬ変人のAさんとBさんが道で会って、こういうことになったというような話が尾ひれをつけて語られ、皆はそれを面白がっていたので、そういう話がほとんど無数にあったのです。

 僕の父親なども偏屈で有名で、上の浪花節語りのおばあちゃんの息子と同世代ですが、同時期に民生委員をしていて、二人ともそれは長かったのですが、どちらも口が悪い割には老人などの面倒見はよかったので、適任と言えば適任でしたが、その独断と無遠慮さではいい勝負だと言われていて、にもかかわらず、互いに「自分はあいつと違って常識がある」と思っているらしいのは笑えたのです。父に関しては、昔、こういうことがありました。あるとき、息子の他、従兄たちも集まった席で、若者向けの訓戒を垂れたことがあったのです。「言いたいことが十あったら、言うのは半分にしなければならない」と言った後で、ちょっと考えるふうを見せ、「いや、それでもまだ多すぎる。一つか、多くても二つにしないといかん」と訂正しました。いつも自分が言いたいことだけ言うと、相手の反応などにはお構いなしでさっさと去ってしまう人間だったので、そのときも通りかかったついでに訓戒を垂れたという感じで、そのまま盆栽いじりか何かをしに行ってしまいました。それは正月で、ミカンを持ってきた母に、従兄の一人が笑いをこらえて「○兄はあれでも言いたいことを我慢しとるのやろか? 百パーセント、全部言うとるような気がするけどな」と言うと、母は澄ました顔で、「さあ、あれは本人の『努力目標』みたいなものと違うか」と答えたので、爆笑になったのです。誰がどう見ても、「言いたいことを一つか二つにとどめている」人間には見えなかった。目上の人にでも、「そんな馬鹿なことがあるか」などと平気で言うので、母はハラハラしっぱなしだということを、僕は子供の頃から見てよく知っていたのです(フヌケはイヤだが、父さんみたいな人も恐ろしいので、世の中にはなかなかちょうどいい人はいないものだというのが母の嘆きでした)。

 こういうのは、昔は全体に精神的なゆとりがあって、そういう変人に対する社会の許容度が高かったからだと思うのですが、今はその種の許容度が低下して、その分楽に生きることができなくなり、互いに「正常」を装い合う努力の中で感情の抑圧が進んで、かえって異常になってしまう人間が増えたのでしょう。日頃ホンネで交流することが少ないから、喧嘩も含む自然なやりとりの中で人間的に成熟してゆくということも難しくなった。僕自身は長男のつねとしてそういう変人の父親としょっちゅう衝突していましたが(ワンマン的な人は意外にそうですが、父も権威主義的でなく、不思議な柔軟性があった)、家父長的な父親がまだいた時代には、子供や若者は父親という「権力」に対抗して人格形成をはかり、その過程で「体力」も養われたので、並大抵のことでは潰れないだけのタフネスがそれで身についたような気もします。僕はそういう封建制を懐かしがる者ではなく、家庭が「民主的」になったのは進歩だと思うのですが、子供や若者はその分、自分で「壁」を見つけないと成長の機縁がないまま大人になってしまうという危険も生じたのです。また、「民主的」な家庭は、悪くすると当たり障りのない関係になりかねないので、ホンネのやりとりが不足して、外から見ると仲はよそさそうだが、実は風通しが悪く、互いの間に大きな壁ができてしまうということもありうるのです。互いに気をつかって、精神的な負担になりそうなことは隠して言わなくなり、問題が大事に発展して初めてそれがわかるようなこともある。互いに「優し」すぎるから、それが裏目に出てしまうのです。

 そういうふうに、あれやこれや、別に意図したものではないにもかかわらず、「感情の抑圧」システムが社会のあちこちにできてしまい、それが笑えない変人=異常者を生み出す土壌になってしまっているような気がするのですが、いかがなものでしょう?

 一般に、正気を担保するのは理性だと思われていますが、これは間違いで、感情の豊かさと安定なのです。前に愛知県の高3生だったか、「人を殺す経験がしてみたかった」と言って、見ず知らずの中年主婦を金槌でボコボコにした上で、包丁で刺して殺すという事件がありました。彼は模試の成績が偏差値70を楽に超える成績優秀な生徒でしたが、なぜ主婦を襲ったかときかれて、「未来のある若い人はよくないと思ったから」と答えました。中年のおばさんならもう大した未来もないからいいだろうと考えたということになりますが、その是非はともかく、彼は「合理的に」考えてはいたのです。頭はすこぶるよかったことからして、理性能力はあったが、感情的に異常に未熟だった。この場合も情性麻痺の症状は明確に認められるので、犯行の原因はそこにあったのです。裁判の精神鑑定では「犯行時はアスペルガー症候群が原因の心神耗弱状態であった」とされ、医療少年院に送致されたそうですが、理性能力というのは安定した豊かな感情の支えなしでは何の役にも立たないのです。ナチス流の優生学思想なども「合理的」ではあるので、それが「狂気の沙汰」であると判断できるのは人間らしい、生きた感情があるときだけなのです。

 だから感情の抑圧ほど有害な、恐ろしいものはないと言えるので、硬直した政治的・宗教的イデオロギーや道徳的タテマエなどはそれをもたらすからこそ危険なのです。文明化、社会の組織化が進んで、機械に似せて作ったシステムに人間が適応を強いられるときも、同じ弊害が生じる。昔、心理学者のユングが何かに書いていましたが、文明化が進むにつれて、戦争は長期化し、犠牲者の数も格段に増えるようになった。抑圧された感情は無意識の中でネガティブな化学反応を起こし、それが憎悪や怒りなどの感情を生み出すのですが、文明化された社会ではその蓄積量がかつてないほど多くなり、それが「消費」されるのに時間がかかってしまうのです。昔の未開部族社会の戦争などはごく短期間しか続かなかった。争いにエネルギーを供給する敵意や憎悪の蓄積量が少ないからで、それが尽きてしまうとアホらしくなって戦いを続けることができなくなり、自然「もうやめようや」ということになってしまうのです。

 地下のマグマが一定量蓄積すれば、時間の問題で火山は噴火します。戦争なども政治経済的要因の分析だけでは説明できなくて、文明化された社会では感情が抑圧されやすいから、上記の「化学反応」でどんどんネガティブなどす黒い感情が蓄積されていくと、それははけ口をどこかに見出さずにはいられなくなり、病的な犯罪や戦争というかたちで噴出せずにはすまなくなるのです。

 こういうことからすると、いわば「心の政治学」というものが必要なのがわかるので、今の日本社会は相当焼きが回っているなと感じられます。自民党の政治家たちや日本会議などの右翼団体は「愛国心」や「道徳教育」を学校でもっと行うべきだと言いますが、そんなものは必要ではない。健康な成熟した市民をつくり出したいのなら、家庭でも学校でも、子供が自分の正直な感情や思い(それが「前向き」なものでなければならないというのは、それ自体が抑圧です)を口にでき、オトナがそれと正面から向き合って、感情を抑圧することなく、対話を通じて子供のホンネの成熟がはかれるような教育を行うべきなのです。ところが、今のオトナは全般にロボットのできそこないみたいな人が多く、ことに学校の教師には空虚なタテマエ以外には何も持ち合わせていないような人が多すぎるのです。家庭でも企業がどんどんブラック化する中、オトーサンたちは疲れ果ててしまって、子供の教育の責任は全部母親になすりつけておしまい、という人が増えている。子供はその成長のプロセスで親や学校の教師に対して「挑戦」を試みることが何度もあるものですが、頭ごなしの否定やタテマエを振りかざすだけでそれにまともに対応しないというのでは、「言っても無駄」ということで、子供は何も言わなくなります。そしてそういう子供たちは、いわゆる「よい子」であればあるほど、自分のホンネに向き合うことを、葛藤が増えるのを恐れて避けるようになって、そのうち自分の正直な感情が何なのかもわからなくなり、出来合いのタテマエに振り回される中、強い自己不全感に悩まされるようになるのです。自分の深い感情がキャッチできなくなっているので、そこにどんなものが蓄積されているのかもわからなくなる。そうして非常に危険な状態に導かれてしまうのです。

 今は各種のマニュアルやハウツー本の花盛りですが、機械の使用マニュアルならともかく、いちいち接客や仕事の手順、クレーム対応、勉強の仕方まで細かく型通りの指示を押しつけ、押しつけられる方もそれを有難がるなんてのは管理社会の末期症状で、病気だと僕は思います。セールスの電話などでも、録音テープを向こうで回しているのかと不気味になってくることがあるのですが、ロボットが人間に近い能力を示すようになるのに歩調を合わせて、人間がロボットに近づいているのです。いずれはどちらなのか区別がつかなくなってしまいそうですが、人間はロボットにはなりえず、それには必ず無理が伴うから、感情が抑圧されて、その部分が成熟しないまま大人になり、それが異常な犯罪や愚行としか言いようのない政治行動などにつながって、この世界に破壊的な作用を及ぼすようになるでしょう。

 シリアルキラーの話からは脱線しましたが、こういうのも大きな文脈に置いてみれば、そうした社会病理の一面を示すものではないかと、僕は申し上げたかったのです。風通しの悪い管理社会化の中で進行する、生きた人間としての感情の稀薄化やその抑圧がどれほど危険なものであるか、僕らはもう少しそれを認識すべきではありませんか? 健全なモラルも、豊かな生きた感情があればこそ、なのです。

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悲報! 山口敬之「準強姦罪」不起訴相当

2017.09.23.12:58

 2ちゃんねるふうのタイトルにしてみましたが、何の話かはおわかりでしょう。どの新聞も似たようなものですが、コピーの都合から産経記事。

 警視庁に準強姦(ごうかん)(当時)容疑で書類送検された元TBS記者でジャーナリストの山口敬之氏(51)を不起訴とした東京地検の処分について、東京第6検察審査会が「不起訴相当」と議決したことが22日、分かった。議決は21日付。
 議決書は「慎重に審査したが、検察官がした不起訴処分の裁定を覆すに足りる事由がなかった」としている。
 警視庁に被害届を出した28歳の女性が「詩織」という名前を公表し、地検が嫌疑不十分で不起訴となったことを不服として、検察審査会に審査を申し立てていた。女性によると、平成27年4月に東京都内の飲食店で山口氏と会って食事をした後に記憶をなくし、目覚めたらホテルの客室で裸にされ、山口氏が上にまたがっていたと訴えていた。

 詩織さんのコメントは次の通り。

 検察審査会の議決までにはもう少し時間がかかるものとうかがっていたので、本日この結果を知り驚きました。私たちが集め直した証言や証拠が『不起訴処分を覆すに足る事由がない』と判断されたことについて、なぜそうなったのか、しっかり説明して頂きたかったと思います。今回の結果にかかわらず、私が会見を行った理由である性犯罪・性暴力に関する司法・捜査のシステム、また社会の在り方を変える必要性については、引き続き伝えていきたいと考えています。3年後の刑法改正見直しまでに少しでも改善されるよう願っています。

 山口氏は代理人の弁護士を通じ次の通りコメントした。

 5月29日に検察審査会への不服申し立てを行った相手方女性を巡る案件で、検察庁の昨年7月の不起訴処分の判断に加え、今般検察審査会においても、当該不起訴処分の判断を相当とする「不起訴相当」の判断がなされました。
 この案件に関しては、当該女性の記者会見の前後から、女性の主張を鵜呑みにし、私を犯罪者であると断定するかのような週刊誌や新聞、テレビの報道が大量に流布されました。しかし、11名の一般国民の方々により構成された独立性を有する組織である検察審査会は、当該女性の主張は勿論のこと、検察庁が保有する全ての証拠資料の提供を受け、3カ月以上の時間をかけて厳正に審査した結果、不起訴処分が相当であるという結論に立ち至ったわけです。
 一連の経過において犯罪行為があったと認定されたことは一度もなく、今回不起訴処分が確定したことで、この案件は完全に終結しました。
 しかし、これまで一部の報道機関や政治家、記者、コメンテーターなどは、当該女性の主張のみに依拠して私を犯罪者と断定するような報道や発言を行い、私の名誉は著しく傷つけられました。大変残念であり、事案によっては法的措置も検討しています。
 今般の検察審査会の判断により、今後は私に関して誤った報道がなされることはないものと期待しております。万が一、私の名誉を傷つけるような報道が引き続きなされた場合には、そちらも法的措置の検討対象となることもご承知おきください。


 山口のコメントのこの最後の部分など、ほとんど脅迫ですが、彼のコメントだけを見ると、全く事実無根の冤罪であったかのようです。しかし、元々は高輪署の捜査員が成田で帰国する彼を待ち構えて逮捕する構えでいたところ、直前に安倍ご贔屓の中村刑事部長の「鶴の一声」でストップがかかったというくらいで、ふつうの「準強姦罪」としては「嫌疑十分」だったのです。引きずるようにして詩織さんをタクシーから下ろし、ホテルの部屋に向かったというあたり、タクシー運転手の証言も、ホテルの監視カメラの映像もある。詩織さんが気づいたら、ホテルのベッドに寝かされて、服も脱がされている自分の上に山口が「またがって」いて、たぶん犬みたいにハアハア言ってたのでしょうが、これを彼は「同意の上」の性行為だったと弁明したわけです。何でも、「あなたのような素敵な女性が半裸でベッドに入ってきて、そういうことになってしまった」のだとか。山口のような風采の上がらないチョビ髭の清潔感ゼロの中年男相手に、そういうのはおよそありそうもない話で、大体、酒が強い詩織さんがあんなふうになるとは考えられないと知人たちは口をそろえて言っていて、山口は薬剤をアルコールの中に混入したのではないかと疑われているのです。

 こういう犬畜生以下の山口の所業は、しかし、時間が経過していることもあって、立証が困難です。不可能と言ってよい。だから今回も「不起訴相当」ということにならざるを得なかったのではないかと思われるので、山口はエラそうにこんなコメントを出せる立場にはないのです。ボクが「またがった」のは彼女も同意の上だったんです! そりゃあ、ホテルに連れ込んだのは認めますが、彼女は酔ってたから、ボクが世話しただけなんです! そう主張しているにすぎません。「ああ、わかります。よくありますよね、そういうことって」と“共感”するのは山口と同類の変態オヤジぐらいのものでしょう。自分の仕事上の地位を利用して、ジャーナリスト志望の若い女性を食い物にするというあたりも卑劣なので、男の風上にも置けない。安倍の愚劣なヨイショ本を書く手合いには似合っているとは言えても、です。

 これは「総理案件」だったから、例の「全自動忖度機」が機能して、山口は土壇場で「救済」されたにすぎない。そう見るのが常識というものでしょう。そして今回も決め手となるような物証はなかったから、「疑わしきは罰せず」の法理が適用されて不起訴となったにすぎない。詩織さんの「落ち度」は相手がどれほど卑劣なオヤジか、事前に見抜けなかったことぐらいですが、「中年オヤジを見たら全部ヘンタイと思え!」なんて決めつけをされても困るわけです。

 山口が若い女性相手に通常の「不倫」をしたというのなら、「お好きにどうぞ」としか言えませんが、卑劣な手口による強姦となれば話は全く別です。だから非難の集中砲火を彼は浴びることになったので、立証が困難だから起訴が見送られたというだけの話を、涼しい顔で「この案件は完全に終結しました」とは言えないでしょう。げんに詩織さんは無念の唇を噛んでいるのです。事実無根なら、若い女性が無慈悲な好奇の目にさらされるのを覚悟で記者会見まで開くはずはなかろうと思われるので、この世の司法は欺けても、あの世に行ったら閻魔様の前で申し開きしなければならない。そのときは嘘は通用しないから、山口敬之にはさぞや楽しみな“来世”でしょう。

「安倍晋三=モンスター・チャイルド」の恐怖

2017.06.20.22:56

 加計問題で、新たに次のような記事が出ていました。

今治市がたった一日で即決した96億の補助金 安倍首相が会見でスルーした加計疑惑が再燃

 記事は後半に重点があるのですが、僕が何より驚いたのは冒頭の部分なので、今回はそちらに絞って書きます。昨日の総理記者会見の一部です。

「印象操作のような議論に対して、つい強い口調で反応してしまう。そうした私の姿勢が、結果として政策論争以外の話を盛り上げてしまった。深く反省している」と謝罪。

 うーむ。どう思われますか? そこらへんを朝日の会見詳報記事から補足すると、

 政策とは関係ない議論ばかりに多くの審議時間が割かれてしまった。国民に大変申し訳なく感じている。印象操作のような議論に対して、つい強い口調で反論してしまう。そうした私の姿勢が、結果として政策論争以外の話を盛り上げてしまった。深く反省している。

 要するに、こういう論理なのです。自分は政策論争を積極的にやるつもりでいたが、森友や加計学園の問題が出てきて、そういうのは「印象操作」にすぎないのだが、自分もそういう言いがかりをつけてくる野党の卑劣さについエキサイトして、結果としてそちらの話ばかり盛り上がってしまった。だから共謀罪なんかもそれに時間を取られてああいうかたちで可決となってしまったので、国民の皆さんが不満に思って支持率が下がるのも無理はない。その点は反省している、というのです。

 あのー、そういう話じゃないんですけど…とほとんどの人がこれにはあっけにとられるでしょう。多くの国民が腹を立てているのは、森友や加計の問題が野党やマスコミの「印象操作」ではなくて、証拠も揃った「きわめて信憑性の高い疑惑」だと思われたからで、にもかかわらず、安倍はそれに正面から答えることなく、何ら説得力ある反証もないまま、頑なに否定し続けたからなのです。

 安倍はしかし、ここでもそのことには触れず、野党の「印象操作」に乗せられて、つまらないことに時間を取られてしまった、要するに、それは野党が悪いのだが、それにつきあってしまった自分にも非があると「反省」のポーズをとって見せているのです。

 すぐに僕の頭に思い浮かんだのは、モンスター・チャイルドのことです。教育に携わる人なら、ごく稀にですが、次のような子供に遭遇することがあるでしょう。何か悪さをしたとか、不正を行ったというので、動かぬ証拠を突きつけられる。正直な子供なら、うなだれたり、泣き出したりします。これだと、「わかったら、もうこんなことをしては駄目よ」で済む。自己肯定感に乏しい、心に何か問題を抱えた子供なら、事実は認めつつも、自分がそうしたのは何か他に理由があるからで、自分が全面的に悪かったわけではないのだと言い訳します。こうなると少し面倒ですが、べつだん異常と言うほどではなく、このあたりまでは「正常」の範疇です。しかし、ごく稀に恐ろしい子供がいて、根拠は全く示さないまま、その証拠は嘘で、自分はあくまで無関係で、誰かが自分を陥れるためにそういう嘘の証拠をでっち上げたのだと言い張るのです。しかし、これはそういうものではなくて、裏もとれている。これのどこが嘘なのだときいても、それには答えず、そんなものはウソにきまっている、ボクが悪いわけはないのだと頑固に言い張るのです。

 挙句の果てに、先生はボクのことが嫌いで、だからこんなものでボクを罰しようと企んでるんでしょ、ウチに帰って、ママとパパに言いつける。ボクの家はお金持ちで、力をもっているから、先生なんかいつでもクビにできる。警察だってボクの味方なので、先生に勝ち目はありませんよと、激していたのが、いつのまにかうすら笑いすら浮かべているのです。

 教師はその脅しにではなく、良心が全く欠落したその子供の内面のありように戦慄します。要するに、この子は、その証拠が嘘でないことは百も承知しているのです。しかし、絶対に自分の非は認めない。嘘だと言い張り、相手を脅せば、そこから逃れられる。また、そうすればいい、そうして悪い理由は何もないと思っているのです。

 翌日、その子は先生のもとに「謝罪」に訪れます。教師は喜んで、やはりこの子にも良心はちゃんとあったのだと思います。子供にはそんな悪魔みたいな子がいるはずはない、一時とはいえ、教育者である自分がそれを疑ったのは間違いだったと、教育者としての信念のなさを恥じる気持ちになります。ところが、その子はこう言うのです。

 昨日は先生に時間を取らせてしまってすみませんでした。あの程度のことでついカッとなってしまった自分をボクは反省しました。後で考えると、先生があれをボクのせいだと勘違いしたのはわかります。もちろんボクは無関係ですが、先生が誤解したのも今はわかるので、ボクはもうそれは許す気になっています。気分を害したからとはいえ、先生を脅すようなことを言ったのは行き過ぎでした。そのことをひとこと詫びたいと思い、こうして先生に謝罪しに来ました。ボクはボクを陥れようとした人も許す気になっています。あの件はだから、ボクも今後は忘れるので、犯人探しなどしてもらわなくてけっこうです。冷静に考えてみれば、あれはどうでもいいような、些細な問題だったのです。

 口調も滑らかに、「立て板に水」といった調子で、その子はそう言うのです。あたかも自分は被害者であるかのようで、こんなふうに「謝罪」されたとしたら、あなたがその先生だったとして、どう感じますか? 恐怖のあまり、凍りついてしまうのではありませんか? そして途方もない無力感を感じるでしょう。それは人間に対する信頼が根底から崩れてゆくような感覚です。

 むろん、こんな子供は、仮にいたとしても、百人に一人もいないでしょう。千人に一人でも多すぎると感じられる。しかし、安倍晋三は、ひょっとしたらこういう子供だったのではないでしょうか(彼にそんな論理の駆使能力はないとしても、です)。ふだんは無邪気に軽口を叩いているが、何かまずいことをやらかしたときは、頑なに自分の非を認めず、いつもとは一変した姿を見せるのです。

 その子はあるグループのリーダー的な存在で、先生はかねてそれを不思議に思っていました。人望があるとか、頭がいいとか、面倒見がいいとか、男らしくて喧嘩が強いとか、女の子にモテるとか、そういうところは何もないからです。たしかに家庭は金持ちで、王子様扱いされて甘やかされ、おこづかいをたくさんもらっているので、それで他の子供たちにおごったりはたまにしているようです。しかし、それだけではリーダーにはなれない。何か妙にヘラヘラしたところがあって、仲間と一緒にハンデのある子や家庭の貧しい子を無神経にからかったりすることがあるので、それが気になっていたのですが、どうして子分のような子供たちが何人もいるのか、いくら考えても理解できない。しかし、今回の一件で、この子の何が他の子供たちを恐れさせ、支配する力になっているのか、わかった気がしたのです。それは平然と嘘をつく能力、自分にどれほど非があっても、それはきれいに棚に上げて、相手の些細な落ち度を追及して、それを非難し、自分を危地に陥れるような相手にはどんなことでもするのではないかという恐ろしさです。大人の私でも恐怖を感じたのだから、子供ならなおさらこわいと感じるだろうと。

 もう一つ、先生が感じたのは、頭はよくないくせに、妙なズル賢さがあることです。この子は考えたに違いない。家に帰って両親につくり話をして、教師攻撃に乗り出させたとしても、自分が嘘を言っていて、その証拠は本物だったことがいずれバレてしまうだろう。だからそうするのは得策ではないので、ここは一応教師にかたちだけでも「恭順の意」を示して、追及をやめさせるのが賢いやり方であると。その際、しかし、その奇妙な「謝罪」の仕方が、どれほど異様な印象を相手に与えてしまうかまでは計算できなかったのです。

 あなたがその先生だったとして、このモンスター・チャイルドの行く末をどう占いますか? 毛並がよくて、有名な政治家の家の三代目なら、将来政治家になることはほぼ確実で、ひょっとしたら総理大臣になる日が来るかもしれない。彼が巨大な権力を手にしたら、どうなるだろう? さらに具合が悪いことに、この子は途中でおかしな神がかり国家主義にまでかぶれてしまった。類は友を呼ぶで、彼の周りには不誠実な嘘つきの権力亡者が集まるだろう。何か具合の悪いことをボスがしでかすと、彼らは手足のように働いて隠蔽のために手段をえらばずの行動を取り、その見返りに政権で高い地位に就くだろう。「悪貨は良貨を駆逐する」を地で行くその政治は、社会に異常な精神空間をつくり出し、公私、善悪の区別など、もはや誰にもつけられなくなってしまうだろう。それはおそらく、あの悪魔映画『オーメン』の世界に近いものになってしまうのではないか?

 いくら何でも、まさかそこまではねえ…と苦笑する人が多いでしょう。しかし、僕は今、かなり真面目にこれを書いているので、仮にあんな記者会見で支持率が回復するようなら、もうこの国は終わったも同然です。

 参考までに、その会見詳報から、上記「モンスター・チャイルドの論理」にぴたりと当てはまりそうなものを列挙しておきます。

・また国家戦略特区をめぐる省庁間のやりとりについて、文部科学省が先週、徹底的な追加調査を行った結果新しく見つかったものも含め文書を公開した。これを受け、内閣府の調査も行い、関係する文書などを明らかにした。しかし、最初に調査した段階では、それらの存在を確認できなかった。二転三転したかたちとなり、長い時間がかかることとなった。こうした対応が国民の政府への不信を招いたことは率直に認めなければならない。「信なくば立たず」だ。何か指摘があれば、その都度真摯(しんし)に説明責任を果たしていく。

・英国で、フランスで、イランでテロ事件が発生した。テロの恐怖は世界に拡散している。こうした時代に東京オリンピック・パラリンピックを3年後に控える我が国にとって、テロ対策の強化は待ったなしだ。テロを未然に防止するため、国際組織犯罪防止条約を締結し、国際社会と連携を強めていく。今回成立した「テロ等準備罪処罰法」は、そのために必要なものだ。今後、通常国会での審議、様々なご指摘などをしっかりと踏まえながら、本法を適正に運用し、国民の生命と財産を守る。そのことに万全を期してまいる。

・国会終盤では、国家戦略特区における獣医学部新設について、行政が歪(ゆが)められたかどうかをめぐり、大きな議論となった。獣医学部はこの50年以上新設が全く認められてこなかった。しかしいま、鳥インフルエンザ、口蹄疫(こうていえき)など、動物から動物、さらには動物からヒトにうつるかもしれない伝染病が大きな問題となっている。専門家の育成、公務員獣医師の確保は、喫緊の課題。そうした時代のニーズに応える規制改革は、行政を歪めるのではなく、歪んだ行政をただすものだ。岩盤規制改革を全体としてスピード感をもって進めることは、総理大臣としての私の意思だ。当然、その決定プロセスは適正でなければならない。ですから国家戦略特区は民間メンバーが入った諮問会議や専門家を交えたワーキンググループにおいて議論を進め、決定されていく。議事はすべて公開している。むしろ、そうした透明で公平・公正なプロセスこそが内向きの議論を排除し、既得権でがんじがらめとなった岩盤規制を打ち破る大きな力となる。これが国家戦略特区だ。半世紀ぶりの獣医学部新設についても、審議に携わった民間議員の皆さんは、プロセスに一点の曇りもないと断言している。まさに岩盤規制改革の突破口だ。しかし、この特区制度について、この国会では民進党のみなさんから制度自体を否定する法案が提出された。岩盤規制の改革には抵抗勢力が必ず存在する。しかし、わたしは絶対に屈しません。既得権と手を結ぶことも決してありません。今後とも総理大臣である私が先頭に立ち、ドリルの刃(やいば)となって、あらゆる岩盤規制を打ち破っていく。


 これで納得がいきましたというアホな有権者はどれぐらいいるんでしょう?「信なくば立たず」とは言いも言ったりで、誰が台本を書いたのか知りませんが、ここまで不誠実な駄文、僕は読んだことがないので、ほとほと呆れます。「質問や批判には答えず、論点をずらしつつ、いかにも情熱を傾けているかのように別のアジ演説をする」安倍内閣の面目躍如です。こういう政権相手に、国会でまともな議論など成り立つはずもない。税金の無駄づかいでしかないのです。しかし、そうなってしまうのもモンスター・チャイルド安倍に言わせれば、「印象操作に巧みな野党と一部マスコミのせい」なのです(野党の皆さんに一言アドバイスしておきたいのは、安倍のような男は初めから異常人格の持主だと承知して相手にしないと駄目だ、ということです。そういう認識をもてば、おのずと対応の仕方も変わってくるでしょう)。

 ちなみに、この首相記者会見から三十分もたたないうちに、森友の家宅捜索が始まったという話で、その段取りのよさには薄気味の悪さすら感じます。検察まで片棒を担いで、政権に不都合なものは「消去」するたんなる「闇の掃除人」にならないかどうか、今後の展開を注視したいところです。

つかまえてみたら犯人はPTA会長だった、という話

2017.04.17.14:23

 こういうのはたしかに子供をもつ親御さんたちにとっては「衝撃」でしょう。例の千葉県我孫子市で、地元の公立小に通うベトナム国籍のレェ・ティ・ニャット・リンちゃん(9歳)の遺体が見つかった事件です。自ら志願して保護者会(PTAと実質的に同じ)会長になり、登下校時の「見守り」活動にも熱心に参加していた二児の父親が、同じ学校に通う小3のいたいけな女の子を誘拐し殺害、遺棄した犯人だった(まだ確定ではありませんが、警察は十分な証拠を握っているのでしょう)というのですから。「もう誰を信じていいのかわかりません」となるのは必定です。

 たぶん逮捕された「不動産賃貸業」渋谷恭正容疑者(46)は病的な小児性愛者の一人だったのでしょう。この「不動産賃貸業」というのも親の遺産をそのまま引き継いだもので、実態は体のいい無職だったようです。ヒマがたくさんあって、妄想を膨らませた挙句の犯行だったと見れば何ら不思議はないのですが、こういう「内部の犯行」は防ぐのが難しい。前にもセキュリティ万全のマンションに住む若い独身女性が行方不明になり、犯人は隣の部屋に住むIT関連の企業で働く技術者だった(逮捕されるまではマスコミの取材にも応じ、「こわいですねえ」などと素知らぬ顔で話していた)というケースがありましたが、それと似たような話です。

 学校の教師にも小児性愛者は混じっているし、こういうのは難しいなと思います。「人を見たらヘンタイと思え」と子供に教えるのでは教育上よろしくない。別に変態ではない、子供好きのオトナは昔からいるものですが、今だと知らない人は全員「不審者」です。

 前にスーパーの前で、僕はよちよち歩きの可愛い男の子が何かウワウワ言いながらこちらに近づいてくるのに出くわしたことがあります。僕に何か言っていることはわかるのですが、それが何なのかはわからない。実にフレンドリーな幼児で、足元まで来たので抱き上げて、「どうしたの?」ときくと、手をのばして人のほっぺたを触ったりしながらまた何か言う。依然として内容は不明ですが、上機嫌です。これぐらいの年齢の子は目の白い部分がうっすらと青みを帯びていて、いかにも“新品”という感じがするのが可笑しいのですが、にしても、この子は一体どこから来たのか…。そう思って見ていると、駐車場の方から母親らしき人が小走りに駆けてきて、「すみません、すみません!」と言いながら、その子を僕の手からひったくりました。そのお母さんの目には野球帽にジーパン姿の中年男の僕が「危険な不審者」としか見えなかったのは明らかで、苦笑したのですが、仮に僕がその子を抱いたままスーパーに入って、アイスなど買ってあげたりしていれば、行方不明の知らせを受けて駆けつけた警察官に誘拐犯扱いされてしまったことは確実でしょう。

 せちがらい世の中になったと嘆いても仕方がない。今の子供たちは多くの危険にさらされていて、親たるもの、それからわが子を守らねばならない(と思っている)のです。しかし、PTA会長が最も危険な変質者だったということになると、途方に暮れざるを得ない。世間の常識からすれば、そういう人は「安全」だということになっているからです。

 要するに、そういうステレオタイプな人の見方が間違っているわけで、PTAの役員だから信用できるというわけでも、部外者の子供好きはみんなヘンタイというわけでもないのは、考えてみればわかりきったことです。そこらへんは個別に人柄を判断する他ない。

 むろん、「個別に人柄を判断する」といっても、それも容易ではないわけで、うかつに「あれは要注意だよ」なんて言うと、「みだりな中傷」ということになりかねない。後で問題が起きて、「あのときは失礼なことを言う人で、そういう偏見で人を見てはいけないと思ったんですが、やっぱりそうでした。何でわかったんですか?」と言われたことが僕は過去に何度かあります(むろん、その「問題」は殺人ではない)が、そういうのは言葉では説明しにくいので、英語で言うweirdな印象を受けないかぎり、いくら口が悪くても僕もそんなことは言いませんが、そういう人もたまにはいるのです。学歴とか社会的地位とか、愛想がいいとか悪いとか、そういうのは関係ない。だから子供がまだ小さくて、そういう人が周りにいれば、僕はそれとなく警戒するでしょう。日雇い労務者風の気のいいおじさんとか、悪ぶってるが根は善良なヤンキーとか、そういうのは一目で大丈夫とわかるので、そういうことで人を差別したりはしていないつもりです。

 前に東京にいて短期間サラリーマンをしていた頃(まだ三十代でした)、仕事帰り会社の人たち何人かと山手線に乗ったら、僕は混んでいるのが苦手で、どういうわけだか空いているところが見えたので、「あっちに行こう」と言って移動したら、そこにいかにも日雇い労務者風のおじさんがいて、缶ビール片手に何かわめいている。口の周りに泡がいっぱいついているのがユーモラスで可笑しかったのですが、周りの乗客たちはそれを遠巻きにしていて、だからそこだけ空いていたのです。

 僕は「おじさん、どこから来たの?」とたずねました。おじさんは話相手が見つかったので大喜びで、大阪のあいりん地区から来て、今は山谷にいるが、東京の日雇い労務者は堕落している、とご立腹でした。大阪には自由があったが、山谷の労務者たちは暴力団の何とか組に牛耳られていて、独立不羈の気概を失っていると嘆くのです。僕は大いに共感して、耳を傾けましたが、話が結構面白かったのです。

 池袋で別れの挨拶をして降りたのですが、ホームを歩いている時、会社の同僚の女性が「大野さんはああいう人の扱いに慣れてるのね」と呆れたように言いました。僕には一目でその人が善良な人だとわかったから話しかけたので、恐れる方がどうかしているのです。こういうのとは反対に、いかにもエリートサラリーマン然としているが、まっ黒なオーラを発している人間もいるので、僕はむしろそちらに警戒する。ところが、そういう場合には平気で皆さん、そばに立っているのです。人間に本来備わっている第六感が退化しているとしか思えない。僕は文明人ではないので、まだそういうものを幾分か残しているのです。

 こういう事件もその第六感が働けば、それとわかって防げるような気もするのですが、どうなのでしょう? 僕はアッキーなんかと違って十分に論理的な人間のつもりですが、そうした直感は大事にしているので、太陽神経叢(これは大体みぞおちのあたりに位置します)に寒気が走るような人間には警戒します。渋谷容疑者は偽装に長けていたのかも知れませんが、見る人が見ればすぐにそれとわかるものをもっていたのではないでしょうか?

 いずれにせよ、人は個人単位で、しかも見かけや肩書に頼るのではなく、見なければならない。PTAの会長がヘンタイだったなんてことはめったにないと思いますが、風体の怪しげな人も大方は危なくないのです。だから神経質になりすぎるのも考えものなので、登下校の「見守り」なるものも、交通安全の観点からすれば意味をもつでしょうが、変質者はそこらにゴロゴロいるわけではないので、誘拐防止のためにそれをやるというのは行き過ぎでしょう。今回の件などは、警戒に当たっている当の大人たちの中に犯人がいたわけで、彼はそれを悪用して子供の通学パターンなどを頭に入れ、犯行に及んだのです。システムがかえってあだとなった。保護者会の会長がそんな人間であるはずがないという「常識」も盲点の一つになったのです。

 彼の友人や一緒にボランティア活動をしていた人たちの中には、その危険性を感じ取っていた人もいるでしょう。問題はそういう場合、どういう手立てがとれるかです。小児性愛者でも殺人にまで及ぶことはそうないだろうから、うかつに「あいつは危ない」なんて言うと、名誉棄損で訴えられかねない。人間関係のもつれから、別に危なくない人を危ないと言って排除しようとする人だっているでしょう。そこらへんが悩ましいところですが、病的な傾向、異常性を察知したときは、それを他の人にも伝えて、それとなく警戒することはできるでしょう。犯罪的傾向をもつ人間はそういう空気には敏感なものなので、それは抑止力にはなる。疑われていると知れば、厚かましくPTA役員に立候補などもできなくなるでしょう。

 こういう問題はケース・バイ・ケースで、単純な解決策などあるはずもありませんが、女児には妙にベタベタし、男の子には平気で暴言を吐くなどの行動が観察されていたようだから、こういうのは「おかしい」にきまっているのです。この手の人間には必ずそれ「くささ」が伴うものだと思うので、周りの大人たちはそのあたりもっと敏感であってしかるべきでした。「地元の名士」だったという報道もありますが、ロクでもない自称「名士」はいくらもいるものなので、そういうので信用する方がどうかしているのです。

 ちなみに、最近は「PTA無用論」もよく聞かれます。僕は以前、知り合いの小学校の年配の女性の先生から、「親睦」と称して見るに堪えない下品な宴会(男性教諭によるストリップの出し物まであるのだという)をやったり、不倫(教師と親、ときに親同士)の温床になっているあの集まりは無用の長物で、ない方がマシ、という話を聞いたことがあります。今回は別の面でその「最悪の結果」を示してしまったわけで、何ともはや、です。

そんな仏像、韓国にくれてやったら?

2017.01.28.04:43

 25日、著書『帝国の慰安婦』で元慰安婦の名誉を傷つけたとして在宅起訴され、検察に「懲役三年」を求刑されていた朴裕河(パク・ユハ)教授への第一審判決(ソウル東部地裁)が下されたそうで、無罪となった由。「問題の再考を促す真摯な研究書に対し、民事で多額の損害賠償を課すだけでは飽き足らず、懲役刑まで求めるのか!」と、僕はこの件には半端でなく腹を立てていたので、その理由づけはともかく、よかったなと思いました。韓国にとっても、「感情論理がつねに理性に優越する国」として世界に恥をさらさなくてよかったと言うべきでしょうが、原告側は控訴する構えを見せているようなので、まだこの件も片付いたわけではないようです。

 その次にはこんなニュースがありました。朝日新聞1月26日付。

 長崎県対馬市の観音寺から韓国人窃盗団に盗まれた仏像について、韓国の大田(テジョン)地裁は26日、仏像を保管する韓国政府に対し、韓国中西部・忠清南道(チュンチョンナムド)にある浮石(プソク)寺に引き渡しを命じる判決を出した。14世紀に日本の海賊「倭寇(わこう)」に略奪されたとする浮石寺の主張を認めた形で、日韓関係はさらに悪化しそうだ。韓国政府側は即日控訴した。
 問題の仏像は、長崎県指定有形文化財「観世音菩薩坐像(ぼさつざぞう)」。対馬市の観音寺から2012年に盗まれ、13年に韓国で窃盗団が検挙された。仏像はその際、韓国政府が押収。観音寺や日本政府は返還を要求し、日韓の外交問題になっていた。
 訴訟では倭寇によって略奪されたかどうかが争われ、仏像の検証や専門家の証人尋問などが行われた。
 判決は、仏像の中から見つかった「結縁文」から1330年ごろに浮石寺に奉納するためにつくられたとみられると判断した。1352~1381年まで5回にわたり、浮石寺がある地域を倭寇が襲った記録があり、仏像自体にも焼け跡などが残っていると指摘した。
 これらを踏まえ、「浮石寺の所有であることは十分に推定できる」とし、贈与や売買など正常な方法ではなく、「盗難や略奪によって観音寺に渡ったとみるのが相当だ」と結論づけた。
 韓国政府は提訴される前の14年に専門家らを交えて仏像が日本に渡った経緯を調べた結果、「倭寇による略奪の可能性は高い」としたものの、断定はしていなかった。
 浮石寺の円牛住職は26日、記者団に対し、「日本には確認されただけで韓国の文化財7万点が不法流出している」とし、今回の判決について「文化財の返還の出発点になってほしい」と述べた。(大田=東岡徹)


 うーむ。2012年に日本の寺から盗んだのは韓国人窃盗団(素晴らしい同胞ですね)だが、それは大昔、六百年以上も前に、倭寇が韓国の寺から奪い去った疑いが濃厚なので、所有権は韓国の「浮石(プソク)寺」とやらにあるという判決なのです。裁判官と浮石寺の住職はおそらく並外れた霊能者なのでしょう。七世紀も昔のことであっても、それがどういう経緯で日本に渡ったのかを正しく判断できるというのですから(近代国家のふつうの裁判常識では、「状況証拠」だけで結論を下すのは差し控えるべきことと考えられています。説というだけなら、倭寇ではなく、「李氏朝鮮による仏教弾圧を逃れるため、島に持ち込まれた」と対馬では伝えられているそうなので、そちらの可能性も否定できないのです)。

 それはともかく、この論法で行けば、今のアメリカなど、原住民から丸ごと土地を奪い取ったようなものなので、それも即刻返還してしかるべきだということになって、トランプなんか、「不法移民は出ていけ!」なんて大きな顔して言ってるわけですが、出ていくべきなのはおまえら白人の方だということになるでしょう。大昔のことを問題視してやまないこの浮石寺の住職は、アメリカに出かけていって、従軍慰安婦像(というより少女像)なんて史実的には怪しげなものを建てて回るのではなくて、もっと大きな問題があるのだから、土地を奪われ、迫害されたネイティブ・アメリカン像をあちこちに建て回って、「アメリカ白人は出ていけ!」運動でも大々的に起こしたらどんなものでしょうか? だって「正義の味方」でしょ? 大体、これは「倭寇事件」なんかよりずっと新しくて、まだ二百年ちょっとしか経っていなくて、史実も明確なのです。オーストラリアに行って、アポリジニの聖地奪還運動に一肌脱ぐのもよろしい。

 それから、朝鮮半島は日本による占領以前、むやみと気位だけは高いが、申し分なく無能かつ利己的な支配階級のために混乱し、民は困苦に喘いで、こんな汚いところがあるのかというような状態だったそうですが、日本の右翼がよく恩着せがましく言うように、日本統治下でインフラ設備が進んだという側面はかなりあるようで、そのことはかの国の歴史家たちも認めているようだから、誇り高い朝鮮民族としては、「よけいなことを言わせないために」その費用を現代の金額に換算して日本に支払い、日本の右翼たちに思い知らせてやってはいかがでしょう? 何せ、七世紀も昔のことまで蒸し返して、その当時の権利関係が今のそれに優先するのは当然だとのたまうのですから(こう言えば、「侵略」したのは日本なのだから、そんな義理はないと言うでしょうが、それならなぜ日本の保護下に置かれるような羽目になり、西洋帝国主義諸国もこれを是としたのか、その自慢にならない朝鮮の前史についても「客観的に」論じる必要が出てくるでしょう。「韓流教科書」ではそのあたり、どう書かれているのか知りませんが)。

 ISなんかも、サイクス・ピコ協定がそもそもの悪だと言っているのだから、これにも韓国のその手の人たちは大いに共感するはずで、一緒に「中東を『帝国主義的分割』以前の状態に戻せ!」運動を起こしてあげてはどうですかね? ISは大いに気に入ってくれるはずで、アメリカやヨーロッパ諸国の機嫌は損ねてしまうでしょうが、韓国でイスラム過激派による自爆テロなんかは決して起きないでしょう。

 上の朝日の記事によれば、「浮石寺の円牛住職は26日、記者団に対し、『日本には確認されただけで韓国の文化財7万点が不法流出している』とし、今回の判決について『文化財の返還の出発点になってほしい』と述べた」そうですが、この際だから、それを徹底的に検証して、その中には昔、両国関係が良好だったとき贈られたものも含まれているはずですが、うるさく「盗まれた」と相手が主張するものは、全部突き返して差し上げたらどうかと思います。それは「韓国外交の勝利」ではなく、モンスター・クレイマーのお相手はキリがなくて疲れるので、「縁切り」のために行うのです。

 そうするとサバサバしていいのではないかと僕は思うのですが、いかがですか? それで国際社会に対しては、その間の経緯を全部詳細に明らかにする。そうすればわが国は何も不利益をこうむらないでしょう。僕は真面目にそう思います。

 別の新聞記事でその仏像の写真を見たことがありますが、あんなもの、と言っては失礼ながら、専門学者にとってはどうでも、それほど有難がるほどのものではないでしょう。韓国の寺側の主張が仮に正しいとすれば、それは二度盗まれたものです。そして今、政争の具になっている。そういうものに真に平和な霊は宿りません。人間の汚い心のエネルギーを大量に吸着して、それはグロテスクなエネルギーを発するものになっているはずです。ない方がマシなのではありませんか? たとえ返ってきたとしても、それは韓国・浮石寺の住職の強烈な「恨(ハン)のエネルギー」を宿らせたものなのです。功徳などあるはずがない。

 韓国政府は従軍慰安婦像の件でも難しい立場に追い込まれて苦慮しているようですが、この仏像の件でもややこしい立場に置かれたわけです。僕はそれには同情しますが、いつ果てるとも知れないこの手の韓国人のしつこい言いがかりにはほとほと呆れているので、こういう難しい隣人と付き合うのはほんとに大変です。最低限のおつき合いだけにとどめるべきで、日本の右翼も言質(げんち)を取られるような不用意なことはこれ以上言わないでもらいたいと思います。「専守防衛」に徹して、関わりをできるだけ減らすような手立てを講じるのが一番賢い。

 それでは仲良くなんかなりっこありませんが、あの国と仲良くするのは今は無理ですよ。そういうやり方をして国際交流がうまく行くかどうか、韓国の人たち自身がいずれその結果を見るようになるでしょう。まともに対応して話し合おうとしても、万事に感情的・一方的で、それが通用しない相手はいるものです。それがわかれば、わかった時点で対応をすっぱり変えた方がいい。それが結局は愚かな相手のためでもあるのです。

 次期韓国大統領がいずれ近いうちに「それしかない」ということをわれわれ日本人に痛いほど思い知らせてくれると思いますが、今後は「冷韓」という態度で接すべきでしょう。韓国は“お家芸”の「事大主義」で、中国の方を見たり、アメリカの方を見たり、北朝鮮との関係も二転三転して、一貫性のないことを今後も続ける(そうして行き詰まると、歓呼して新大統領を迎えた民衆は、いつものとおり「手のひら返し」で罵倒する)だろうと思いますが、それらにいちいち反応せず、距離を保ったまま落ち着いて対応すべきです。うかつに約束などもせず。でないと振り回され、いりもしない内紛にまで巻き込まれて、それではわが国のいわゆるナショナル・セキュリティまで危うくなってしまう。

 仏像の件は、だから「勝手にもってけ」ということでもう終わらせてはいかがですか? こういう言い方をすると、韓国の人たちはまた侮辱されたと怒るでしょうが、相手である長崎のお寺や町の人たちの感情は何も考えようとしないわけで、被害者意識に凝り固まった利己的人種の、それが特徴なのです。つねに自分が正義で、納得などできようはずはないが、大昔の「倭寇への恨み」(じゃあ、自民族の先祖はそんなに清廉潔白だったのかと皮肉の一つも言いたくなりますが)まで持ち出して、あまりにしつこいから手放すことにしたのだと、それぐらいはわかるように表現しておくべきだと思ったまでです(妙に集団的なくせして、現代のその韓国人窃盗団の行為を民族の恥と感じて、対馬の人たちに詫びようなんて気はさらさらないらしいのも不思議です。謝るべきはつねに相手なのか?)。

 今の韓国の場合、ロジックはつねに自己愛と利己感情のはしためとしてそれに奉仕しているだけで、客観性はもたないし、もたせようともしない。そういう例を重ねて見せられるうちに、僕のような元は「親韓」の人間まで、ついに愛想をつかしてしまった。その程度のことは韓国の人たちもよく認識しておくべきでしょう。竹島に慰安婦像を設立する募金活動も進んでいるという話(珍しく「挺対協」は反対している)ですが、それが「実現」すれば、両国関係はほぼ完全にアウトでしょう。今となっては、そうなった方が逆に始末がつけやすくなっていい(そこまで行けばさすがのアメリカも呆れて何も言えなくなるはず)と考える日本人が増えていることさえ、韓国はご存じないようですが、勝手に行くところまで行って、自分で墓穴を掘るがいいのです。右も左もない、「もう知らん!」というのが、今の大方の日本人の心情でしょう。

※尚、この記事、考えた結果、「政治」ではなく「異常犯罪」に分類しておきます。理由はお察し下さい。
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