これは闘病中の僕にとっても明るいニュースでした。「コロナ対策に集中するため」というのは例によって好都合な後からのこじつけで、その前は解散を先にやって自民党総裁選を先延ばしすることを画策し、党利党略ならぬ「個利個略」だと批判されて潰れると、「今はコロナ優先で、そんなことをしているときではない」とそれを正当化したのと同じで、何のことはない、その後もいつものように裏であれこれ企み、結局全部うまく行きそうもないのがわかったので、とうとう観念したのです。超不評の二階を幹事長から外す程度ではもはやどうにもならなくなった。菅や二階が権力の源泉として悪用してきた巨額の機密費(使途の報告義務はない)についての記事も最近よく見かけますが、今の自民は日本社会に巣食う癌細胞以外の何ものでもないので、次の総理総裁が誰になるかは知りませんが、ちゃんと通じる言葉と論理で語って、そこに真実性があるような人に総理をやってもらいたいものです。ガースーのように自分の言葉も、生きた理念やヴィジョンも、人々への共感能力も何もなく、裏で恫喝・画策するのは得意だが、正面切って語れるものが何もない政治家だけは願い下げです。ほんとに、戦後最悪の総理でした。自分から引いたということで、日本社会のつねとして、「菅総理のよかったところ」を無理に語る記事がしばらく増えそうですが、「やれやれ、やっとか…」という思いしか、僕にはありません。ガースーや二階、麻生や安倍といった面々は、国会議員そのものをやめて引退すべき(それが自民党のためでもある)と思いますが、それはしそうにないから、古い体質は温存され、それが今後も大きな仇になりそうです。
次は岸田になるのか、河野になるのか、それとも石破なのか? 問題はその選出プロセスで、今度は注目されているから派閥が裏であれこれというのは難しそうですが、それでもやってしまうのが今の自民党なので、とんだ茶番にならなければ幸いです。仮にガースーが引き続き立候補したところで、オープンにやった場合、彼には正面から議論を戦わせ、相手を説得したり抑え込んだりする能力は元からないから、上の三人の誰が相手でも、勝ち目はなかったでしょう。独善性のかたまりのような彼も、さすがにそのあたりは読めたのです。
株価はガースー辞任の一報が流れた後、一時500円も上がったそうですが、これも理解しうることで、彼が総理の座にある限り、社会の沈滞ムードは募るばかりで、上向く気配がありませんでした。コロナだけではなく、菅総理その人が疫病神みたいに感じ取られるようになっていたわけです。彼が真実性に乏しい「前向きな」言葉を棒読みすればするほど、聞いている側の疲労倦怠感が募る。何でもいいから、早くおまえどっかに消えてくれと、感じている人はおそらくかなりの多数に上ったでしょう。遅きに失したとはいえ、日本人はやっと“ガースー禍”からは解放されるのです。それだけはほんとによかった。
愚かな東京五輪開催へのこだわりと、甘い希望的観測に基づいてしか行動しない菅政権の無能無策のために、日本のコロナからの回復は他の先進諸国と較べて大幅に遅れそうですが、とにかく今の日本社会に欠けているのは希望です。ともに協力し、助け合って、困難を乗り切っていこうという気風が、世論完全無視で勝手なことばかり仕出かすガースーのアホタレ政治のせいで深刻に損なわれてしまった。本来はそういう雰囲気がつくりやすい日本でそうなってしまったのです。次の自民総裁にはそこらへんよくわかった人が就任してもらいたいので、それで自民人気が復活すれば今度の選挙で灸を据えることは難しくなるかもしれませんが、野党も「無責任だ」という非難(じゃあ、ガースーが続けた方が日本のためだというのか?)ばかりではなく、明確な政策を打ち出して、正面から戦う姿勢を見せてもらいたいものです。マスコミもそこらはちゃんと報道する。結局のところ、今の有権者が最も求めているものは、「人間として信用の置ける、当事者能力のある誠実な政治家」でしょう。それがどこにもいないということになると、政治家たちはたんなる社会の寄生虫としてしか存在しないということになります。与野党問わずそれでは、この国は今後の国難的自然災害の到来以前に、終わっていたということになるでしょう。そういう緊張感、少しでも今の政治家センセにはあるのでしょうか? 言葉はタダとばかり、鹿爪らしい顔つきでやたら大袈裟なことを言う御仁はたくさんいるようですが…。
次は岸田になるのか、河野になるのか、それとも石破なのか? 問題はその選出プロセスで、今度は注目されているから派閥が裏であれこれというのは難しそうですが、それでもやってしまうのが今の自民党なので、とんだ茶番にならなければ幸いです。仮にガースーが引き続き立候補したところで、オープンにやった場合、彼には正面から議論を戦わせ、相手を説得したり抑え込んだりする能力は元からないから、上の三人の誰が相手でも、勝ち目はなかったでしょう。独善性のかたまりのような彼も、さすがにそのあたりは読めたのです。
株価はガースー辞任の一報が流れた後、一時500円も上がったそうですが、これも理解しうることで、彼が総理の座にある限り、社会の沈滞ムードは募るばかりで、上向く気配がありませんでした。コロナだけではなく、菅総理その人が疫病神みたいに感じ取られるようになっていたわけです。彼が真実性に乏しい「前向きな」言葉を棒読みすればするほど、聞いている側の疲労倦怠感が募る。何でもいいから、早くおまえどっかに消えてくれと、感じている人はおそらくかなりの多数に上ったでしょう。遅きに失したとはいえ、日本人はやっと“ガースー禍”からは解放されるのです。それだけはほんとによかった。
愚かな東京五輪開催へのこだわりと、甘い希望的観測に基づいてしか行動しない菅政権の無能無策のために、日本のコロナからの回復は他の先進諸国と較べて大幅に遅れそうですが、とにかく今の日本社会に欠けているのは希望です。ともに協力し、助け合って、困難を乗り切っていこうという気風が、世論完全無視で勝手なことばかり仕出かすガースーのアホタレ政治のせいで深刻に損なわれてしまった。本来はそういう雰囲気がつくりやすい日本でそうなってしまったのです。次の自民総裁にはそこらへんよくわかった人が就任してもらいたいので、それで自民人気が復活すれば今度の選挙で灸を据えることは難しくなるかもしれませんが、野党も「無責任だ」という非難(じゃあ、ガースーが続けた方が日本のためだというのか?)ばかりではなく、明確な政策を打ち出して、正面から戦う姿勢を見せてもらいたいものです。マスコミもそこらはちゃんと報道する。結局のところ、今の有権者が最も求めているものは、「人間として信用の置ける、当事者能力のある誠実な政治家」でしょう。それがどこにもいないということになると、政治家たちはたんなる社会の寄生虫としてしか存在しないということになります。与野党問わずそれでは、この国は今後の国難的自然災害の到来以前に、終わっていたということになるでしょう。そういう緊張感、少しでも今の政治家センセにはあるのでしょうか? 言葉はタダとばかり、鹿爪らしい顔つきでやたら大袈裟なことを言う御仁はたくさんいるようですが…。
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祝子川通信 Hourigawa Tsushin
僕は前回書いたような事情により、捨てる物を少しずつ整理して、まとまったら便利屋でも呼んで全部持ってってもらうつもりでいるのですが、今の日本政治も一緒にゴミに出して捨ててしまえばどんなに清々するでしょう。次のような記事を読まされると、ことにその思いが強くなります。
・なりふり構わぬ”岸田潰し”の菅首相にドン引き 幹事長候補は総裁選断念した下村政調会長か?
無能なガースーもこういう場面になるとにわかに活き活きしてきて、動きが素早く、的確で、かつ頭もよく回るようになるようですが、そこに二階だの、下村だの、甘利だの、安倍だの麻生だのといった寒気がするような面々が入り乱れて、いわゆる「政局闘争」というのをやっているのです。彼らにとって政治とはまさにこれで、一般国民が政治だと思っているようなものは彼らの意識のほんの片隅を占めるものでしかないのです。
この中では岸田が一番「人間的」ではありますが、かつては評判がよかったのに、安倍からの政権禅譲を期待するあまり、節操のないゴマスリ、迎合一点張りで、「ああ、こんな主体性のないゴマスリ野郎は駄目だ」と見切りをつけられてしまったから、国民へのアピールにも乏しいのです。おまけに勝負勘がないし、喧嘩の仕方も知らない。政治信条で一致した、その方面に強い右腕的存在がいてくれればいいが、彼にはいなさそうです。人がいいというだけで、カリスマ性には乏しいのでしょう。
ついでに、こういうニュースもありました。しばらく前に、「アフガンから自衛隊が日本人一人を救助した」というニュースがあって、なんじゃそれはと思っていたら、本当は「関係アフガン人500人救助」を意図していたというのです。それなら自衛隊機を送ったのもわかる。ところが完全に失敗して、日本人一人を助けただけに終わった。次の記事はそれに関する詳報です。
・日本の「アフガン退避作戦」こんなにも遅れた理由
むろん、自衛隊が悪かったのではない。政治が怠慢すぎて、初動が遅すぎたからです。次のような話は読む人の心胆を寒からしめるものです。
なぜ日本政府が動くのはこんなにも遅かったのか。残念ながら、日本政府は日本人に協力してきたアフガニスタン人について何も考えてなかったように見える。
実際、日本大使館の職員12人は8月17日にイギリスの軍用機を利用して国外退避した。この時、アフガニスタン人のスタッフが1人も同乗していない。
「いったん外交官の退避が終わると、『任務は完了した』という安堵感が漂った」と、鶴岡准教授は指摘する。「政治家たちの注意力は低いままだったが、自民党議員に背中を押され、他国の作戦を目の当たりにしてやっと、政府はアフガニスタン人の同僚たちも救出されるべきではないかと気がついた」。
岡田隆駐アフガニスタン大使は、ガニ政権崩壊までにアフガニスタンを離れていたと伝えられている。イギリスやフランスの大使が、最後まで残って業務を続けたのと対照的だ。
早い話が自分たちだけさっさと逃げて、今後危険にさらされそうなアフガン人職員や関係者のことは念頭になかったということなのでしょう。他の先進国でそんな対応を取った国があるとは寡聞にして聞きません。人間の自然の情として、現地スタップたちがその後無事で済むのか、身の上を案じるのはごく自然なことだからです。現派の大使館員たちも「彼らを助けないと」とは言わなかったのか? それとも日本政府は軍隊は送り込んでなかったから、そこで働いていても敵視はされないということなのか? それなら後で500人脱出させるなんて話は出なかったはずで、要はジコチューすぎたから日本人だけ脱出させて事足れりとしかけたのです。後で「これでは他国からも批判されるかもしれない」という情けない外圧で動き出したが、時すでに遅し。何かぞっとさせられる話です。率直に言わせてもらえれば、血の通った人間のやることとは思えない。やってることにハートがなさすぎるのです。
福島原発事故の際も、東電社員は蜘蛛の子を散らすようにまっ先に逃げ出していたと言われましたが、今のコロナ対応のまずさ、想定外(菅政権にとっては)の感染拡大で病院は満杯で人手も足りないから、ギリギリまで自宅療養して下さい、容態が急変して間に合わなくなることもありますが、それには目をつぶって下さいという(むろん、表面上は残念でならないようなふりだけしてみせるのですが)ガースーや小池知事の酷薄さも、こういう対応と通底している感じがします。小池知事も、いまだに国政への色気は大ありだという話で、それであれこれ二階と連絡を取り合っていたりするのでしょう。あれは緑のタヌキというより、ほとんど妖怪に近い。
仮に早い段階でオリンピック中止を決断し、国民の信頼と協力も得て、コロナ対策に邁進していれば、今の医療崩壊同然の事態には立ち至らなかったでしょう。国民の政治の受け止め方も全然違って、社会にももっと前向きの雰囲気が生まれた。ひどい政治不信で、今の日本人はメンタル的にもひどく傷ついているのです。それは全く無用な傷だった。
冒頭の記事にもあるように、しかし、自民は反省なしで今後も政局闘争に明け暮れ、国民不在の政治を続けてくれるでしょう。野党の異常な不人気(それには僕も驚いていますが)のおかげで、議席は減らしても過半数は維持できる。コロナ騒ぎが落ち着き、経済の先行き見通しも立ってくれば、国民も“冷静”になって、また支持率も上がってくるはずだとガースーは楽観しているのでしょう。にしても、そもそも彼らは何のために政治家になり、政治で何を実現しようとしているのでしょう? 権力ゲームそれ自体の他に、何か社会のため国民のためという生きた目標があるのか? 人間味に乏しいガースーや二階の表情からそのようなものを読み取るのは、おそらく誰にとっても困難でしょう。環境問題がセクシーだの何だの言い始めたあたりから、おかしさが本格的に目立ち始めた進次郎なんかも、ここにきてえらくガースーに肩入れして、何が目当てなんだと言われていますが、悪魔に魂を売り払うのがどういうことなのか、若い彼に自覚があるとは思えないので、考え直すなら今のうちだと思います。
・なりふり構わぬ”岸田潰し”の菅首相にドン引き 幹事長候補は総裁選断念した下村政調会長か?
無能なガースーもこういう場面になるとにわかに活き活きしてきて、動きが素早く、的確で、かつ頭もよく回るようになるようですが、そこに二階だの、下村だの、甘利だの、安倍だの麻生だのといった寒気がするような面々が入り乱れて、いわゆる「政局闘争」というのをやっているのです。彼らにとって政治とはまさにこれで、一般国民が政治だと思っているようなものは彼らの意識のほんの片隅を占めるものでしかないのです。
この中では岸田が一番「人間的」ではありますが、かつては評判がよかったのに、安倍からの政権禅譲を期待するあまり、節操のないゴマスリ、迎合一点張りで、「ああ、こんな主体性のないゴマスリ野郎は駄目だ」と見切りをつけられてしまったから、国民へのアピールにも乏しいのです。おまけに勝負勘がないし、喧嘩の仕方も知らない。政治信条で一致した、その方面に強い右腕的存在がいてくれればいいが、彼にはいなさそうです。人がいいというだけで、カリスマ性には乏しいのでしょう。
ついでに、こういうニュースもありました。しばらく前に、「アフガンから自衛隊が日本人一人を救助した」というニュースがあって、なんじゃそれはと思っていたら、本当は「関係アフガン人500人救助」を意図していたというのです。それなら自衛隊機を送ったのもわかる。ところが完全に失敗して、日本人一人を助けただけに終わった。次の記事はそれに関する詳報です。
・日本の「アフガン退避作戦」こんなにも遅れた理由
むろん、自衛隊が悪かったのではない。政治が怠慢すぎて、初動が遅すぎたからです。次のような話は読む人の心胆を寒からしめるものです。
なぜ日本政府が動くのはこんなにも遅かったのか。残念ながら、日本政府は日本人に協力してきたアフガニスタン人について何も考えてなかったように見える。
実際、日本大使館の職員12人は8月17日にイギリスの軍用機を利用して国外退避した。この時、アフガニスタン人のスタッフが1人も同乗していない。
「いったん外交官の退避が終わると、『任務は完了した』という安堵感が漂った」と、鶴岡准教授は指摘する。「政治家たちの注意力は低いままだったが、自民党議員に背中を押され、他国の作戦を目の当たりにしてやっと、政府はアフガニスタン人の同僚たちも救出されるべきではないかと気がついた」。
岡田隆駐アフガニスタン大使は、ガニ政権崩壊までにアフガニスタンを離れていたと伝えられている。イギリスやフランスの大使が、最後まで残って業務を続けたのと対照的だ。
早い話が自分たちだけさっさと逃げて、今後危険にさらされそうなアフガン人職員や関係者のことは念頭になかったということなのでしょう。他の先進国でそんな対応を取った国があるとは寡聞にして聞きません。人間の自然の情として、現地スタップたちがその後無事で済むのか、身の上を案じるのはごく自然なことだからです。現派の大使館員たちも「彼らを助けないと」とは言わなかったのか? それとも日本政府は軍隊は送り込んでなかったから、そこで働いていても敵視はされないということなのか? それなら後で500人脱出させるなんて話は出なかったはずで、要はジコチューすぎたから日本人だけ脱出させて事足れりとしかけたのです。後で「これでは他国からも批判されるかもしれない」という情けない外圧で動き出したが、時すでに遅し。何かぞっとさせられる話です。率直に言わせてもらえれば、血の通った人間のやることとは思えない。やってることにハートがなさすぎるのです。
福島原発事故の際も、東電社員は蜘蛛の子を散らすようにまっ先に逃げ出していたと言われましたが、今のコロナ対応のまずさ、想定外(菅政権にとっては)の感染拡大で病院は満杯で人手も足りないから、ギリギリまで自宅療養して下さい、容態が急変して間に合わなくなることもありますが、それには目をつぶって下さいという(むろん、表面上は残念でならないようなふりだけしてみせるのですが)ガースーや小池知事の酷薄さも、こういう対応と通底している感じがします。小池知事も、いまだに国政への色気は大ありだという話で、それであれこれ二階と連絡を取り合っていたりするのでしょう。あれは緑のタヌキというより、ほとんど妖怪に近い。
仮に早い段階でオリンピック中止を決断し、国民の信頼と協力も得て、コロナ対策に邁進していれば、今の医療崩壊同然の事態には立ち至らなかったでしょう。国民の政治の受け止め方も全然違って、社会にももっと前向きの雰囲気が生まれた。ひどい政治不信で、今の日本人はメンタル的にもひどく傷ついているのです。それは全く無用な傷だった。
冒頭の記事にもあるように、しかし、自民は反省なしで今後も政局闘争に明け暮れ、国民不在の政治を続けてくれるでしょう。野党の異常な不人気(それには僕も驚いていますが)のおかげで、議席は減らしても過半数は維持できる。コロナ騒ぎが落ち着き、経済の先行き見通しも立ってくれば、国民も“冷静”になって、また支持率も上がってくるはずだとガースーは楽観しているのでしょう。にしても、そもそも彼らは何のために政治家になり、政治で何を実現しようとしているのでしょう? 権力ゲームそれ自体の他に、何か社会のため国民のためという生きた目標があるのか? 人間味に乏しいガースーや二階の表情からそのようなものを読み取るのは、おそらく誰にとっても困難でしょう。環境問題がセクシーだの何だの言い始めたあたりから、おかしさが本格的に目立ち始めた進次郎なんかも、ここにきてえらくガースーに肩入れして、何が目当てなんだと言われていますが、悪魔に魂を売り払うのがどういうことなのか、若い彼に自覚があるとは思えないので、考え直すなら今のうちだと思います。
祝子川通信 Hourigawa Tsushin
今回のこの件で僕が違和感を覚えるのは、「アメリカはアフガンに自由と民主主義を根づかせようとしたが、うまくいかなかった」みたいな論調がかなりあることです。あたかもアメリカが親切で介入し、強権的なタリバンを追い払っていたかのようです。
前回書いたように、そんな事実は全くないので、アメリカは9.11の報復でアフガン攻撃を行なっただけです。それも、「おまえんところにアルカイダってテロ集団がいるだろ。そいつらを今すぐ出せ!」と高圧的な態度で迫り、相手が「応じられない」と言うと(こういう場合、「はい、わかりました」と言う方がどうかしていますが)、ただちに爆撃に踏み切った。にもかかわらず、ビンラディンはじめアルカイダ幹部は脱出していて、アメリカの目的は果たされなかった(ビンラディンが見つかり、殺されたのはオバマ政権になってから)のですが、タリバン自身はあのテロには何ら関与していなかったし、「どうも正当化根拠が弱すぎるな」というので、「婦女子虐待のクレイジーな原理主義者からアフガン民衆を解放しようとした」みたいな話が付け加えられたのです。
イラク戦争の真の狙いが石油だったように、こちらの隠れたそれは天然ガスだったという説もありますが、とにかくアメリカはアフガン民衆の苦境に同情して戦争に乗り出したわけではさらさらなかった。当時のブッシュ政権にそんな高尚なメンタリティなどあるわけもなかったので、アフガンでもイラクでも、動機がまともでなかっただけになおさら、自分が持ち出した美辞麗句に縛られ、「自由と民主主義の普及」というタテマエの実現にこれ努めるというポーズを示さざるを得なくなったのです。しかし、アメリカが作った傀儡政権は所詮「理念なき烏合の衆」で、そんなものの実現能力があるわけはなかった。
かくして、事ここに至ったわけで、
【モスクワ共同】ロシア通信は16日、アフガニスタンのガニ大統領が、車4台とヘリコプターに現金を詰め込んで同国を脱出したと伝えた。在アフガニスタンのロシア大使館広報官の話としている。
車4台が現金でいっぱいになったため、残りをヘリコプターに積み込もうとしたが入りきらず、現金の一部は飛行場に残されていた。
ガニ氏は15日、妻や側近とともに出国したと報じられている。
ロシア当局者は、地元ラジオ局に「ガニ大統領が持ち出した金が公金でないことを願う」と話した。(共同通信8/16)
なんてことになってしまうわけです。政府軍幹部の腐敗はすさまじかったと言われていますが、政府のトップがこれなら、それもむべなるかなで、兵士がそんな連中のために命を賭して戦うわけがない。当然、こんな政府や軍が国民の福祉のために尽力するなんてこともあり得ないわけです。だからタリバンは易々と全土を制圧できた。
結局アメリカは、ブッシュが始めた愚行のために何千兆ドルものアメリカ人の税金と、数千人の自国兵士の命(負傷者を含めるとその数は2万5千人を超える)を犠牲にすることになったのです。そしてその成果はゼロに等しい。アフガンでは敵やテロリストと誤認されて戦闘機やドローンによって爆殺される民間人が跡を絶たなかったのだから、アフガン国民には感謝されているというわけでも全くない。あれやこれや、これなら昔のタリバン政権の時代の方がずっとマシ、と考える人が増えても不思議ではありません。
だから、今回の「タリバン復活」劇は、なかば以上必然でしょう。誰にも得られるものはほとんどないのだから、アメリカは予定通り撤退した方がいい。
中国とロシアは早速タリバン政権容認の態度を示したようです。両国にとってアフガニスタンは地政学上の要衝で、タリバンの強権的な在り方はむしろプーチンや習近平共産党の好みには合うし、自国にテロリストを送り込んでくるような真似さえしなければ、政治経済両面で支援して自陣営に取り込むのが一番という判断なのでしょう。次は「中国、タリバン政権掌握を容認 安定確保を期待」という見出しの共同通信の記事です。
【北京共同】中国外務省の華春瑩報道局長は16日の定例記者会見で、アフガニスタン情勢に関し、反政府武装勢力タリバンが「各党派、民族と団結し、国情に合った政治的枠組みを確立することを望む」と述べた。タリバンによる政権掌握を事実上容認した形だ。
華氏は、タリバンが国内の安定を確保し「各種のテロや犯罪行為を抑え込むことを期待する」と強調した。「アフガン人民が自身の命運を自ら決める権利を尊重する」と語った。
内政不干渉の原則を維持し、アフガンと友好関係を続けると説明。平和の実現に向け建設的な役割を果たすとも表明した。
この華報道局長の「各党派、民族と団結し、国情に合った政治的枠組みを確立することを望む」「各種のテロや犯罪行為を抑え込むことを期待する」「アフガン人民が自身の命運を自ら決める権利を尊重する」といった言葉はどれも尤もなものです。アメリカは「いいところを全部中国にもって行かれた」と思うかもしれませんが、この言葉通りのことが実現すれば、それはアフガン国民にとっても、世界にとっても、望ましいことです。この二十年でタリバンも国際世論から学ぶところはあっただろうから、女性や子供に対する扱いが変われば、前よりはよい治世が期待できるかもしれない。
タリバンはアメリカが敵視するイランとの関わりも深いし、中国が味方についたとなると厄介なことになると心配する向きもあるでしょうが、何より望ましいのは、かつてのソ連によるアフガン侵攻(1979-1989)以来ずっと混乱が続いてきたあの国の人々に安寧がもたらされることです。米中対立とは別に、両国はアフガン問題では協力して支援してもらいたいもので、そういう態度がアフガンをテロリストの製造工場にしない最良の方法でもあるでしょう(アルカイダのようなテロ集団がアメリカに敵意を募らせたのにも、それ相応の理由があった)。華報道局長の「内政不干渉の原則」は、ウイグル人問題や、香港、台湾問題、シナ海での中国の覇権的行動に、だから皆さんも文句を言わないでねと言っているようにも聞こえますが、それとこれとは別問題です。武漢ウイルス研究所の件も残っている。そちらはそちらとして、中国が疲弊したアフガンに援助をするのはよいことで、アメリカもこれまでの関わり上、ここは共に協力し合うべきでしょう。
ペシャワール会の中村哲先生は、元が医師なのに、医療で人を助けるのみならず、井戸を掘ったり、江戸時代の古文書で見つけたという日本古来の灌漑方法を使って川から畑に水を引くなど、生活の基盤を作ることが何より大切だということでアフガンで長年努力され、現地の人たちから大きな尊敬と信頼を得ていました。あるドキュメンタリーで、現地の人たち(ちゃんと日当を払っていた)と灌漑工事の最中、突然現れたアメリカ軍の戦闘機から機銃掃射を受け、皆で慌てて逃げるシーンが出ていましたが、それは危険な連中と見なされたからで、そういうことは珍しくなかった由。アメリカの「自由と民主主義の普及」なんて抽象的なお題目は、この人は何も信じていなかったでしょう。武力で平和がもたらされるわけはないこともよく承知していた。アフガンで活動するというのは、いつ誤認攻撃を受けるかわからないので危険この上ないが、映画『花と龍』のモデルとなった玉井金五郎の孫だけあって、ずいぶん肚の据わった人だなと感心させられました(2019年、ジャラーラーバードで車で移動中、何者かの銃撃を受けて死去)。軍事協力して兵を送っても感謝されないが、僕ら日本人は中村さんのような人たちのおかげでアフガンの人たちから好意的に見られているのです。
何が人々のほんとの助けになるか、テロリストを生み出さないようにするには何が必要か、中村さんたちの活動はそれを考える上で大きなヒントになりそうです。
前回書いたように、そんな事実は全くないので、アメリカは9.11の報復でアフガン攻撃を行なっただけです。それも、「おまえんところにアルカイダってテロ集団がいるだろ。そいつらを今すぐ出せ!」と高圧的な態度で迫り、相手が「応じられない」と言うと(こういう場合、「はい、わかりました」と言う方がどうかしていますが)、ただちに爆撃に踏み切った。にもかかわらず、ビンラディンはじめアルカイダ幹部は脱出していて、アメリカの目的は果たされなかった(ビンラディンが見つかり、殺されたのはオバマ政権になってから)のですが、タリバン自身はあのテロには何ら関与していなかったし、「どうも正当化根拠が弱すぎるな」というので、「婦女子虐待のクレイジーな原理主義者からアフガン民衆を解放しようとした」みたいな話が付け加えられたのです。
イラク戦争の真の狙いが石油だったように、こちらの隠れたそれは天然ガスだったという説もありますが、とにかくアメリカはアフガン民衆の苦境に同情して戦争に乗り出したわけではさらさらなかった。当時のブッシュ政権にそんな高尚なメンタリティなどあるわけもなかったので、アフガンでもイラクでも、動機がまともでなかっただけになおさら、自分が持ち出した美辞麗句に縛られ、「自由と民主主義の普及」というタテマエの実現にこれ努めるというポーズを示さざるを得なくなったのです。しかし、アメリカが作った傀儡政権は所詮「理念なき烏合の衆」で、そんなものの実現能力があるわけはなかった。
かくして、事ここに至ったわけで、
【モスクワ共同】ロシア通信は16日、アフガニスタンのガニ大統領が、車4台とヘリコプターに現金を詰め込んで同国を脱出したと伝えた。在アフガニスタンのロシア大使館広報官の話としている。
車4台が現金でいっぱいになったため、残りをヘリコプターに積み込もうとしたが入りきらず、現金の一部は飛行場に残されていた。
ガニ氏は15日、妻や側近とともに出国したと報じられている。
ロシア当局者は、地元ラジオ局に「ガニ大統領が持ち出した金が公金でないことを願う」と話した。(共同通信8/16)
なんてことになってしまうわけです。政府軍幹部の腐敗はすさまじかったと言われていますが、政府のトップがこれなら、それもむべなるかなで、兵士がそんな連中のために命を賭して戦うわけがない。当然、こんな政府や軍が国民の福祉のために尽力するなんてこともあり得ないわけです。だからタリバンは易々と全土を制圧できた。
結局アメリカは、ブッシュが始めた愚行のために何千兆ドルものアメリカ人の税金と、数千人の自国兵士の命(負傷者を含めるとその数は2万5千人を超える)を犠牲にすることになったのです。そしてその成果はゼロに等しい。アフガンでは敵やテロリストと誤認されて戦闘機やドローンによって爆殺される民間人が跡を絶たなかったのだから、アフガン国民には感謝されているというわけでも全くない。あれやこれや、これなら昔のタリバン政権の時代の方がずっとマシ、と考える人が増えても不思議ではありません。
だから、今回の「タリバン復活」劇は、なかば以上必然でしょう。誰にも得られるものはほとんどないのだから、アメリカは予定通り撤退した方がいい。
中国とロシアは早速タリバン政権容認の態度を示したようです。両国にとってアフガニスタンは地政学上の要衝で、タリバンの強権的な在り方はむしろプーチンや習近平共産党の好みには合うし、自国にテロリストを送り込んでくるような真似さえしなければ、政治経済両面で支援して自陣営に取り込むのが一番という判断なのでしょう。次は「中国、タリバン政権掌握を容認 安定確保を期待」という見出しの共同通信の記事です。
【北京共同】中国外務省の華春瑩報道局長は16日の定例記者会見で、アフガニスタン情勢に関し、反政府武装勢力タリバンが「各党派、民族と団結し、国情に合った政治的枠組みを確立することを望む」と述べた。タリバンによる政権掌握を事実上容認した形だ。
華氏は、タリバンが国内の安定を確保し「各種のテロや犯罪行為を抑え込むことを期待する」と強調した。「アフガン人民が自身の命運を自ら決める権利を尊重する」と語った。
内政不干渉の原則を維持し、アフガンと友好関係を続けると説明。平和の実現に向け建設的な役割を果たすとも表明した。
この華報道局長の「各党派、民族と団結し、国情に合った政治的枠組みを確立することを望む」「各種のテロや犯罪行為を抑え込むことを期待する」「アフガン人民が自身の命運を自ら決める権利を尊重する」といった言葉はどれも尤もなものです。アメリカは「いいところを全部中国にもって行かれた」と思うかもしれませんが、この言葉通りのことが実現すれば、それはアフガン国民にとっても、世界にとっても、望ましいことです。この二十年でタリバンも国際世論から学ぶところはあっただろうから、女性や子供に対する扱いが変われば、前よりはよい治世が期待できるかもしれない。
タリバンはアメリカが敵視するイランとの関わりも深いし、中国が味方についたとなると厄介なことになると心配する向きもあるでしょうが、何より望ましいのは、かつてのソ連によるアフガン侵攻(1979-1989)以来ずっと混乱が続いてきたあの国の人々に安寧がもたらされることです。米中対立とは別に、両国はアフガン問題では協力して支援してもらいたいもので、そういう態度がアフガンをテロリストの製造工場にしない最良の方法でもあるでしょう(アルカイダのようなテロ集団がアメリカに敵意を募らせたのにも、それ相応の理由があった)。華報道局長の「内政不干渉の原則」は、ウイグル人問題や、香港、台湾問題、シナ海での中国の覇権的行動に、だから皆さんも文句を言わないでねと言っているようにも聞こえますが、それとこれとは別問題です。武漢ウイルス研究所の件も残っている。そちらはそちらとして、中国が疲弊したアフガンに援助をするのはよいことで、アメリカもこれまでの関わり上、ここは共に協力し合うべきでしょう。
ペシャワール会の中村哲先生は、元が医師なのに、医療で人を助けるのみならず、井戸を掘ったり、江戸時代の古文書で見つけたという日本古来の灌漑方法を使って川から畑に水を引くなど、生活の基盤を作ることが何より大切だということでアフガンで長年努力され、現地の人たちから大きな尊敬と信頼を得ていました。あるドキュメンタリーで、現地の人たち(ちゃんと日当を払っていた)と灌漑工事の最中、突然現れたアメリカ軍の戦闘機から機銃掃射を受け、皆で慌てて逃げるシーンが出ていましたが、それは危険な連中と見なされたからで、そういうことは珍しくなかった由。アメリカの「自由と民主主義の普及」なんて抽象的なお題目は、この人は何も信じていなかったでしょう。武力で平和がもたらされるわけはないこともよく承知していた。アフガンで活動するというのは、いつ誤認攻撃を受けるかわからないので危険この上ないが、映画『花と龍』のモデルとなった玉井金五郎の孫だけあって、ずいぶん肚の据わった人だなと感心させられました(2019年、ジャラーラーバードで車で移動中、何者かの銃撃を受けて死去)。軍事協力して兵を送っても感謝されないが、僕ら日本人は中村さんのような人たちのおかげでアフガンの人たちから好意的に見られているのです。
何が人々のほんとの助けになるか、テロリストを生み出さないようにするには何が必要か、中村さんたちの活動はそれを考える上で大きなヒントになりそうです。
祝子川通信 Hourigawa Tsushin
・アフガン政権崩壊 ガニ大統領「タリバンが勝利」FBで声明
「やっぱりな…」という感じもしますが、この20年、一体アメリカはアフガンとイラク(後者は少し遅れて2003年ですが)で何をやっていたのでしょう? 実に多くの罪もない現地の人たちが犠牲になった。それは9.11テロの犠牲者(当時は6000人と言われたが、実際はその半数)の比ではなかったのですが、アメリカ軍の兵士たちもまた心を病み、これはディヴィッド・フィンケルの『帰還兵はなぜ自殺するのか』(古屋美登里訳 亜紀書房 2015)という本の帯に書かれた文句ですが、「イラク・アフガン戦争から生還した兵士200万のうち、50万人が精神的な傷害を負い、毎年250人が自殺する」と言われ、いつぞや何かで見ましたが、戦死者数より帰還後の自殺者数の方が多くなってしまっているのです。トラウマを抱えた帰還兵士による異常な殺人事件なども増えている。
アメリカによるアフガン戦争は、元々国際法違反の戦争でした。ブッシュはテロを起こしたアルカイダのメンバーたちを当時アフガンを実効支配していたタリバンがかくまっているというので、いきなり攻撃したのですが、タリバンが9.11テロの首謀者だったとか共謀者だったというならともかく、アルカイダとタリバンは別ものです。引き渡せと交渉して、いや、俺たちはアルカイダの行為を支持する、と言って頑として拒んだというのならともかく、いきなりおまえらも同類だと言って大規模な軍事攻撃に入ったのですから(リメンバー・パールハーバーなんて言われましたが、真珠湾攻撃は日本政府と軍によって“正式に”なされたもので、国家の関与が明白なそれと、テロ組織によるこの種の事件では性質が異なります)。
当時僕はあの件に激しく憤り、ちょうどその頃、最初の訳書『二つの世界を生きて』を出す直前だったので、「アメリカ・テロ事件を受けての追記」というのを書き加えました。精神科医の自伝にそんなものは関係なさそうですが、ガーダムが大きな関心を寄せていた「悪」の見地からしても大いにかかわりがあるとこじつけて、それも入れてもらったのです。次はその一節です。
タリバン政府が崩壊するのは時間の問題で、今これを書いている時点でタリバンは首都カブールを撤退し、かねて戦火を交えていた北部同盟が代わってそこに入ったと伝えられている。マスコミは「ポスト・タリバン」情勢についてさかんに論じている。新政府の発足は様々な思惑が入り混じった多難なものになるだろうと予想されているが、とにかくテロ事件の余波で一国の政権が覆り、世界最大の大国アメリカは「敵対勢力」の掃討にまた一つ成功したわけである。しかし、事はそれでは片づかない。憎悪によって憎悪に報いたアメリカは、今も見たように新たな憎悪の種をまた一つ蒔いたのだ。いずれそれはかたちをとって現われてこよう。一つ確実に言えることは、近年とくに顕著になっているアメリカのエゴイスティックな国際的対応(環境問題含む)が改められず、「合法」的な外観をとりつつ、強大な軍事・経済力を背景に力でゴリ押しするようなことを続けていれば、アメリカに対する隠れた憎悪と敵意は強まりこそすれ弱まることはないだろうということである。そうなれば一つのテロ組織を潰しても、また別のテロ組織が出現する。シンパシーがあるかぎり、テロ組織は生き延びる。すなわち、類似の「災難」はまたアメリカを襲いうる。厳密にはそれは「災難」ではなく、半ばは自らまいた種なのだ。
当時ブッシュはさかんに「テロとの戦い」を言い立てましたが、アメリカ自身がCIAなどを介して、中南米などの自分に親和的でない民主派政権を倒すための「テロ支援」をしていたのは周知の事実で、アルカイダ首領のビンラディン自身、元はアメリカの支援対象だったことがあるのは皮肉な話でした。また、何の罪もない自分の両親や家族をアメリカの無差別爆撃などによって殺された青少年がアメリカに強い憎悪の念を抱き、テロリスト集団に加入したり、シンパになったりするのも容易に想像できることで、自らの独善的な無法行為によってかえって潜在的テロリストを増やしてしまうことになるのです。
話を戻して、米軍撤退と共にタリバンは再び首都カブールに戻ってきた。その驚くべき都市奪還のスピードは、アメリカが作った傀儡政権の軍に戦う気がほとんど全くなかったことと、民衆の支持が政府になかったことをよく示しています。タリバンは西側報道では男女差別とアナクロニズムの権化みたいに言われていますが、それはおそらくは偏った見方で、人々が腐敗しきった現政府よりはタリバンの方がずっと忍びやすいと思っていることを示唆しています。
イラク戦争の場合には、僕はあのとき心底呆れたのですが、大義名分などというものは皆無でした。イラクのフセインとアルカイダの関係などは見つかっていなかったので、それを無理に正当化するために「大量兵器疑惑」なんてものをでっち上げた(世界最大の大量破壊兵器保有国がそんなことを言うのは笑止ですが、自分は正気だが、彼らは頭がイカれているから危険だという理屈なのでしょう)のですが、僕自身は最後まであれは嘘っぱちだろうと思っていました。恥じるところのないブッシュ政権は、自ら砂漠の何かの建物に生物兵器でも持ち込んで、「あった!」とやるのではないかと思っていましたが、生物兵器だと後で分析されてその由来がアメリカ産とわかってしまうからそれは思いとどまったらしく、「ガセネタに騙された」ということで幕引きを図ったのです。フセインという独裁者はむろん、国内でも評判は悪かった。しかし、アメリカがもたらした大混乱は、「当時は一人のフセインがいただけだが、今は千人のフセインがいる」とか、「かつてはフセインの悪口を言う以外の自由は何でもあったが、今はフセインの悪口を言う以外の自由は何もない」と言われるような惨状をもたらしたのです。そして、アフガンでも事情は同じですが、大義名分なき戦争の現実に気づいたアメリカ軍兵士たちは、爆弾や襲撃の恐怖におびえるだけでなく、自らが関与する戦争に対する深い疑念ゆえになおさら心を蝕まれていったのです。
イラク戦争が始まったとき、わが国の小泉政権はいち早く支持を表明し、「いくらなんでもこれは正当化は無理だな」ということで距離を取ろうとしていた多くの西側諸国の首脳を驚かせました。そして自衛隊をイラクの「非戦闘地域」に派遣した。野党に突っ込まれた小泉首相(当時)は、「アメリカは日本への攻撃は自国に対する攻撃とみなすと言っている。他にそんなこと言ってくれる国がどこにありますか!」と奇妙な反論をした。そこまでアメリカが信義に厚いとは思えないが、仮にそうだったとしても、「A君はボクの頼れる友達だ。だからそれに報いるためにもA君が強盗するときは支持して、手伝わなければならないんだ」と言うのと同じです。友達ならそれはまずいよと耳に痛い助言もすべきだという発想にはならない。だから、「ブッシュのポチ」と呼ばれたのです。
リベラル派のオバマ(ドローンで最も多くの民間人を殺した大統領として歴史に名を残した男にノーベル平和賞というのは笑えますが)には歴史修正主義者とみなされて嫌われていたものの、安倍はトランプには大いに気に入られて、「トランプのポチ」になったし、日本政府はずっとポチ路線です。IOCのバッハにすら物申せないガースーはなおさらでしょうが、日本政府が追随してやまないアメリカは、イラクでもアフガンでも、無用な混乱をひき起こし、罪なき大量の人々を死傷させ、生活を破壊し、あるいは難民化させた。イラクは今も混乱し、疲弊したままですが、アフガンは元通りタリバン支配下に戻りつつあるのです。一体これは何のための騒ぎだったのか?
ソ連が崩壊した後、アメリカは一時一人勝ち状態になりました。そして独善性を強め、横暴さもさらに目立つようになって、国内でも不平等が一層拡大して活力を失い、衰退ぶりが目立つようになった。今は中国が台頭して、アメリカに劣らぬ勝手なふるまいをしてあちこちで敵視を招き、次第に包囲網が形成されるようになった。かつての日本も、日清、日露、第一次大戦と無敗を誇り、増長したまま日中戦争に乗り出して、引きどころを知らず、判断ミスの連発の中、気づいたら周りは敵だらけになっていて、自滅に向かったのですが、人間は、国家は、愚かなものだなとあらためて痛感させられます。
愚かな権力の暴走を止められないと、罪なき多くの人々が塗炭の苦しみを味わうことになるのです。戦争は必要悪だと考えている人たちは、観念的にならず、おぞましい戦場に送られる兵士や、空爆などの犠牲になって死ぬ大量の民間人の存在、その苦しい内面を想像する能力だけは決して失わないようにすべきでしょう。
「やっぱりな…」という感じもしますが、この20年、一体アメリカはアフガンとイラク(後者は少し遅れて2003年ですが)で何をやっていたのでしょう? 実に多くの罪もない現地の人たちが犠牲になった。それは9.11テロの犠牲者(当時は6000人と言われたが、実際はその半数)の比ではなかったのですが、アメリカ軍の兵士たちもまた心を病み、これはディヴィッド・フィンケルの『帰還兵はなぜ自殺するのか』(古屋美登里訳 亜紀書房 2015)という本の帯に書かれた文句ですが、「イラク・アフガン戦争から生還した兵士200万のうち、50万人が精神的な傷害を負い、毎年250人が自殺する」と言われ、いつぞや何かで見ましたが、戦死者数より帰還後の自殺者数の方が多くなってしまっているのです。トラウマを抱えた帰還兵士による異常な殺人事件なども増えている。
アメリカによるアフガン戦争は、元々国際法違反の戦争でした。ブッシュはテロを起こしたアルカイダのメンバーたちを当時アフガンを実効支配していたタリバンがかくまっているというので、いきなり攻撃したのですが、タリバンが9.11テロの首謀者だったとか共謀者だったというならともかく、アルカイダとタリバンは別ものです。引き渡せと交渉して、いや、俺たちはアルカイダの行為を支持する、と言って頑として拒んだというのならともかく、いきなりおまえらも同類だと言って大規模な軍事攻撃に入ったのですから(リメンバー・パールハーバーなんて言われましたが、真珠湾攻撃は日本政府と軍によって“正式に”なされたもので、国家の関与が明白なそれと、テロ組織によるこの種の事件では性質が異なります)。
当時僕はあの件に激しく憤り、ちょうどその頃、最初の訳書『二つの世界を生きて』を出す直前だったので、「アメリカ・テロ事件を受けての追記」というのを書き加えました。精神科医の自伝にそんなものは関係なさそうですが、ガーダムが大きな関心を寄せていた「悪」の見地からしても大いにかかわりがあるとこじつけて、それも入れてもらったのです。次はその一節です。
タリバン政府が崩壊するのは時間の問題で、今これを書いている時点でタリバンは首都カブールを撤退し、かねて戦火を交えていた北部同盟が代わってそこに入ったと伝えられている。マスコミは「ポスト・タリバン」情勢についてさかんに論じている。新政府の発足は様々な思惑が入り混じった多難なものになるだろうと予想されているが、とにかくテロ事件の余波で一国の政権が覆り、世界最大の大国アメリカは「敵対勢力」の掃討にまた一つ成功したわけである。しかし、事はそれでは片づかない。憎悪によって憎悪に報いたアメリカは、今も見たように新たな憎悪の種をまた一つ蒔いたのだ。いずれそれはかたちをとって現われてこよう。一つ確実に言えることは、近年とくに顕著になっているアメリカのエゴイスティックな国際的対応(環境問題含む)が改められず、「合法」的な外観をとりつつ、強大な軍事・経済力を背景に力でゴリ押しするようなことを続けていれば、アメリカに対する隠れた憎悪と敵意は強まりこそすれ弱まることはないだろうということである。そうなれば一つのテロ組織を潰しても、また別のテロ組織が出現する。シンパシーがあるかぎり、テロ組織は生き延びる。すなわち、類似の「災難」はまたアメリカを襲いうる。厳密にはそれは「災難」ではなく、半ばは自らまいた種なのだ。
当時ブッシュはさかんに「テロとの戦い」を言い立てましたが、アメリカ自身がCIAなどを介して、中南米などの自分に親和的でない民主派政権を倒すための「テロ支援」をしていたのは周知の事実で、アルカイダ首領のビンラディン自身、元はアメリカの支援対象だったことがあるのは皮肉な話でした。また、何の罪もない自分の両親や家族をアメリカの無差別爆撃などによって殺された青少年がアメリカに強い憎悪の念を抱き、テロリスト集団に加入したり、シンパになったりするのも容易に想像できることで、自らの独善的な無法行為によってかえって潜在的テロリストを増やしてしまうことになるのです。
話を戻して、米軍撤退と共にタリバンは再び首都カブールに戻ってきた。その驚くべき都市奪還のスピードは、アメリカが作った傀儡政権の軍に戦う気がほとんど全くなかったことと、民衆の支持が政府になかったことをよく示しています。タリバンは西側報道では男女差別とアナクロニズムの権化みたいに言われていますが、それはおそらくは偏った見方で、人々が腐敗しきった現政府よりはタリバンの方がずっと忍びやすいと思っていることを示唆しています。
イラク戦争の場合には、僕はあのとき心底呆れたのですが、大義名分などというものは皆無でした。イラクのフセインとアルカイダの関係などは見つかっていなかったので、それを無理に正当化するために「大量兵器疑惑」なんてものをでっち上げた(世界最大の大量破壊兵器保有国がそんなことを言うのは笑止ですが、自分は正気だが、彼らは頭がイカれているから危険だという理屈なのでしょう)のですが、僕自身は最後まであれは嘘っぱちだろうと思っていました。恥じるところのないブッシュ政権は、自ら砂漠の何かの建物に生物兵器でも持ち込んで、「あった!」とやるのではないかと思っていましたが、生物兵器だと後で分析されてその由来がアメリカ産とわかってしまうからそれは思いとどまったらしく、「ガセネタに騙された」ということで幕引きを図ったのです。フセインという独裁者はむろん、国内でも評判は悪かった。しかし、アメリカがもたらした大混乱は、「当時は一人のフセインがいただけだが、今は千人のフセインがいる」とか、「かつてはフセインの悪口を言う以外の自由は何でもあったが、今はフセインの悪口を言う以外の自由は何もない」と言われるような惨状をもたらしたのです。そして、アフガンでも事情は同じですが、大義名分なき戦争の現実に気づいたアメリカ軍兵士たちは、爆弾や襲撃の恐怖におびえるだけでなく、自らが関与する戦争に対する深い疑念ゆえになおさら心を蝕まれていったのです。
イラク戦争が始まったとき、わが国の小泉政権はいち早く支持を表明し、「いくらなんでもこれは正当化は無理だな」ということで距離を取ろうとしていた多くの西側諸国の首脳を驚かせました。そして自衛隊をイラクの「非戦闘地域」に派遣した。野党に突っ込まれた小泉首相(当時)は、「アメリカは日本への攻撃は自国に対する攻撃とみなすと言っている。他にそんなこと言ってくれる国がどこにありますか!」と奇妙な反論をした。そこまでアメリカが信義に厚いとは思えないが、仮にそうだったとしても、「A君はボクの頼れる友達だ。だからそれに報いるためにもA君が強盗するときは支持して、手伝わなければならないんだ」と言うのと同じです。友達ならそれはまずいよと耳に痛い助言もすべきだという発想にはならない。だから、「ブッシュのポチ」と呼ばれたのです。
リベラル派のオバマ(ドローンで最も多くの民間人を殺した大統領として歴史に名を残した男にノーベル平和賞というのは笑えますが)には歴史修正主義者とみなされて嫌われていたものの、安倍はトランプには大いに気に入られて、「トランプのポチ」になったし、日本政府はずっとポチ路線です。IOCのバッハにすら物申せないガースーはなおさらでしょうが、日本政府が追随してやまないアメリカは、イラクでもアフガンでも、無用な混乱をひき起こし、罪なき大量の人々を死傷させ、生活を破壊し、あるいは難民化させた。イラクは今も混乱し、疲弊したままですが、アフガンは元通りタリバン支配下に戻りつつあるのです。一体これは何のための騒ぎだったのか?
ソ連が崩壊した後、アメリカは一時一人勝ち状態になりました。そして独善性を強め、横暴さもさらに目立つようになって、国内でも不平等が一層拡大して活力を失い、衰退ぶりが目立つようになった。今は中国が台頭して、アメリカに劣らぬ勝手なふるまいをしてあちこちで敵視を招き、次第に包囲網が形成されるようになった。かつての日本も、日清、日露、第一次大戦と無敗を誇り、増長したまま日中戦争に乗り出して、引きどころを知らず、判断ミスの連発の中、気づいたら周りは敵だらけになっていて、自滅に向かったのですが、人間は、国家は、愚かなものだなとあらためて痛感させられます。
愚かな権力の暴走を止められないと、罪なき多くの人々が塗炭の苦しみを味わうことになるのです。戦争は必要悪だと考えている人たちは、観念的にならず、おぞましい戦場に送られる兵士や、空爆などの犠牲になって死ぬ大量の民間人の存在、その苦しい内面を想像する能力だけは決して失わないようにすべきでしょう。
祝子川通信 Hourigawa Tsushin
個人的なことながら、おととい、僕は胃カメラを飲んできました。症状が出たのはもっと前からですが、医者に行く前の一週間余りは食欲がゼロになって、毎日おにぎり一個程度しか食べておらず、みぞおちの違和感と軽い吐き気が収まらず、何とも言えない不快感が続く。市販の胃薬も全く効かない。何も食べないままでは衰弱するので、これではどうもまずいなということになって、胃腸科を受診したのです。十何年前、その病院でピロリ菌を除去してもらったことがあって、僕は若い頃から無理をすると胃に来るたちで、これは癇癪持ちの父親から受け継いだ遺伝体質なのだろうと思っていたのですが、原因はどうやらそのピロリ菌だったらしく、以後、すっかり胃腸のことは忘れられるようになっていたのです。「ピロリ菌を除去しても、胃がんになる確率は初めからそれがない人の2倍です。毎年検査を受けないと駄目でしょう!」と早速先生に叱られる羽目になったのですが、僕は昔から医者を怒らせる名人で、三十代の頃痛みで夜も眠れなくなって仕方なく医者に行ったときなど、胃カメラ検査のとき、あまりに不快だったので医者と看護師を押しのけて胃カメラを途中で引き抜いてしまい、「あなたのような乱暴な患者は見たことがありません!」と医者を怒らせ、それでも最低限の画像はとれたのですが、医者はそれを示しつつ、「こんなひどい状態になるまでほっとく人間がどこの世界にいますか!」とさらに叱られ、「以前ならこれだと即手術で、胃の三分の二を除去しています。幸いに今はいい薬があるので、それで治せます」と言われ、おお!と喜んで、早くそれを出して下さいと言い、「あなたは一生薬を飲み続けねばならない病人です」というような脅しは無視して、数日で痛みは取れたので医者にはそれきり行かなくなったのですが、あのときは背中にも激痛があったのに、今回はないので、むしろもっと厄介かもしれないと思ったのです(喫煙等の悪条件も揃っている)。それで苦しむのは嫌だが、もう十分生きたので、死ぬこと自体は何ら問題ではない。僕にとってそれはむしろ「解放」なので、気がかりはかんたんには死ねないということだけです。
前夜八時以降は何も食べてはいけないというのがあれの決まりですが、食欲が全くないのだから、それを守ることは造作もないことです。まず、血圧検査を受けましたが、驚いたことに上は100に届かず、下は50台しかない。僕は元々低血圧ですが、ここまで低いのはしばらく食事をほとんど取っていなかったことが関係するのでしょう。それから喉にシュッシュッと麻酔剤を噴霧され、胃の緊張を取るための筋肉注射を受ける。麻酔で一時間寝てから、というオプションも提示されましたが、それはいりませんということで早く検査に入れた。この病院は胃カメラが上手で、そんなに苦しくないのですが、長引くにつれだんだん苦しくなって来た。「もう少しです」という声に励まされて無事終了したのですが、昔の十二指腸潰瘍が治癒した跡のふくらみがあるくらいで、後はきれいなもので、異常は何ら発見されませんでした。潰瘍も癌らしきものもないのです。ピロリ菌の復活もない。先生も「問題ありません」と安堵の表情でした。
それで、消化剤を二種もらって帰ってきたのですが、不可解なのはそれではこの何とも言いようのないむかつき、不快感はどこから来ているのかということです。僕は夏には強いので、たんなる夏バテとは思えない。しばらく前までは一人暮らしの郷里の母親のことがいつも気がかりだったが、今は施設に入所できたので安心できるようになった。身内の病人も、今は比較的安定しているので、一時ほどの心配はしなくなった。ストレスの結果というのは、その最中ではなく、一息ついた頃出てくるものなので、そういったことが無関係とは言えないが、僕は元々そんなにストレスに弱い方ではありません。目下、僕にとっての最大のストレスは、あのガースーの出鱈目な施政です。「制御不能」レベルに達した今のコロナの感染爆発と医療崩壊は、「独善的な希望的観測と愚劣な政治的打算に基づいて、しなくてもいい余計なことばかりして、するべきことは何もしてこなかった」あの無責任で愚かな男による人災の側面がかなり強いので、あのアホ面をニュースで見るだけでムカムカすると言う人は多いが、僕もその一人です。
それで僕はこれを「ガースー胃炎」と命名しました。あの馬鹿が政権を率いているかぎり、完治することはない。吐き気、むかつきが消えることはないのです。IOCのバッハの厚顔や、あの面相からして不潔で汚らしい名古屋市長の「メダル噛み事件」(後藤投手、新しいのと取り替えてもらえるようになって、ほんとによかったですね)も僕を憤慨させました。二階や、麻生、安倍などの馬鹿面も耐えがたい。ああいうのを全部集めて無人島送りにし、二度と日本に戻ってくれなくすれば、たちどころに食欲は回復しそうです。ああいうクソ連中だけに感染して死に追いやるというコロナ変異株はどうして出現しないのか? それなら流出元の武漢ウイルス研究所も少しはほめてもらえるでしょう。
こう言えば、「エビデンスが明確でない」と言われるでしょうが、今の感染力が並外れて強いと言われるデルタ株も、ストレスで免疫力が低下している人が多くなっているから、なおさら感染しやすくなっているのではないか? 日本の場合でいえば、ガースーが国民にストレスを与え続けていて、それで免疫力が一層低下して、感染爆発を助長してるという側面はないのか? 「デルタ株の感染力は麻疹や水痘と同レベル」だと言われますが、この麻疹というのは「はしか」のことです。あれは小学校に上がる前だったと思いますが、周囲ではしかがはやったことがありました。当時はワクチン注射などはまだ行われておらず、罹患して免疫力を獲得するというのがふつうで、あれは年齢が低い方が軽症で済むと言われていました。これは実話ですが、いつも一緒に遊んでいた近所の同い年の子もはしかになり、考えることがいつも乱暴な僕の母親は、これを千載一遇の機会と捉えました。母親同士も友達だったので、発熱して寝込んでいるその子の隣に布団を敷いて、数時間そこに寝かせ、わが子を強制的にはしかにかからせるという名案(?)を思いついたのです。彼女にはこれは「絶対確実」な方法と思われたのです。その後、母はわが子の発症を今や遅しと待ち構え、毎朝「調子はどうか?」とたずねましたが、一週間たっても十日たっても何ら発症の兆候は見えず、「どうしておまえははしかにならないのだ?」と不満げに言いました。それは後年の「どうしておまえは受験生なのにそんなに怠け者で勉強しないのか?」と同じような非難がましいものでした。地域の免疫のない子供たちが次々発症したのに、母の努力にもかかわらず、僕だけ罹患しなかったのです(数年後学校でもらったのか、やっと罹患した)。
今はコロナの家庭内感染が激増していますが、そういう中でもなぜか一人だけ感染しなかったというような例はあるでしょう。それは謎ですが、感染力が高いから必ず感染するとは限らず、逆に、ストレスなどで免疫力が大きく低下しているとたやすく感染するのです。そして今の日本社会は、コロナそれ自体とはまた別に、政治の支離滅裂と無能無責任に対する怒りとストレスで、人々の免疫力はかつてないほど低下している。そこにデルタ株が襲ったものだから、ひとたまりもないことになっているのです。
だから、ガースーはコロナの感染拡大をその存在自体によって助長していると考えられるので、一刻も早い退陣が望まれるのですが、その思い込みと安易な希望的観測は現実離れのした方向に向かう一方なので、その自覚はない。いまだに「オリンピックでは過去最高のメダル数になり、『やってよかった』が5割を超えているのに、なぜ支持率が上がらないのだ? これは左翼マスコミの煽動のせいに違いない」とか、「ワクチン接種が進みさえすれば問題はすっかり解消する(それまでの多少の不具合はどうでもいい)」とか、とにかく周りには竹中平蔵とその子分とか、さざ波笑笑の元参与といった類の、彼の愚かしいバイアスを強化してくれそうな取り巻きしかおらず、「国民の間でも菅政権続投への声が高い」という二階の何の根拠もない妄言を真に受けたりするので、国民の高まるばかりの政治ストレスはよそに、「私はまだやれる」という傍迷惑な意欲をもつのです(一段落したら懲りずにまた新ゴーツーを計画しているというのだから呆れます)。
こんなのをまともに相手にしていたのでは、誰でも病気になる。コロナにはかからなくても僕のように胃カメラを飲む羽目になる人間もいるので、皆さんもお気をつけください。ガースーが退陣して、僕の吐き気や胃腸の不調がすっかり治れば、これはエビデンスとして採用されますかね? 他にも「ガース―うつ」とか、「ガースー心身症」とか、ガースーが原因の病気はたくさんありそうです。コロナとガースーという二大災害(今は大雨も降っていますが)が、今の衰弱した日本を襲っているのです。コロナには感染しないよう細心の注意を払うとして、ガースーに対しては、ニュースを一切見ないようにするのが効果的かもしれません。ガースーのあのトンチンカン会見や虚ろな顔つきを見ることは、あなたの健康を阻害し、免疫力を確実に低下させるのです。見ても得られるものは何一つありませんしね。
前夜八時以降は何も食べてはいけないというのがあれの決まりですが、食欲が全くないのだから、それを守ることは造作もないことです。まず、血圧検査を受けましたが、驚いたことに上は100に届かず、下は50台しかない。僕は元々低血圧ですが、ここまで低いのはしばらく食事をほとんど取っていなかったことが関係するのでしょう。それから喉にシュッシュッと麻酔剤を噴霧され、胃の緊張を取るための筋肉注射を受ける。麻酔で一時間寝てから、というオプションも提示されましたが、それはいりませんということで早く検査に入れた。この病院は胃カメラが上手で、そんなに苦しくないのですが、長引くにつれだんだん苦しくなって来た。「もう少しです」という声に励まされて無事終了したのですが、昔の十二指腸潰瘍が治癒した跡のふくらみがあるくらいで、後はきれいなもので、異常は何ら発見されませんでした。潰瘍も癌らしきものもないのです。ピロリ菌の復活もない。先生も「問題ありません」と安堵の表情でした。
それで、消化剤を二種もらって帰ってきたのですが、不可解なのはそれではこの何とも言いようのないむかつき、不快感はどこから来ているのかということです。僕は夏には強いので、たんなる夏バテとは思えない。しばらく前までは一人暮らしの郷里の母親のことがいつも気がかりだったが、今は施設に入所できたので安心できるようになった。身内の病人も、今は比較的安定しているので、一時ほどの心配はしなくなった。ストレスの結果というのは、その最中ではなく、一息ついた頃出てくるものなので、そういったことが無関係とは言えないが、僕は元々そんなにストレスに弱い方ではありません。目下、僕にとっての最大のストレスは、あのガースーの出鱈目な施政です。「制御不能」レベルに達した今のコロナの感染爆発と医療崩壊は、「独善的な希望的観測と愚劣な政治的打算に基づいて、しなくてもいい余計なことばかりして、するべきことは何もしてこなかった」あの無責任で愚かな男による人災の側面がかなり強いので、あのアホ面をニュースで見るだけでムカムカすると言う人は多いが、僕もその一人です。
それで僕はこれを「ガースー胃炎」と命名しました。あの馬鹿が政権を率いているかぎり、完治することはない。吐き気、むかつきが消えることはないのです。IOCのバッハの厚顔や、あの面相からして不潔で汚らしい名古屋市長の「メダル噛み事件」(後藤投手、新しいのと取り替えてもらえるようになって、ほんとによかったですね)も僕を憤慨させました。二階や、麻生、安倍などの馬鹿面も耐えがたい。ああいうのを全部集めて無人島送りにし、二度と日本に戻ってくれなくすれば、たちどころに食欲は回復しそうです。ああいうクソ連中だけに感染して死に追いやるというコロナ変異株はどうして出現しないのか? それなら流出元の武漢ウイルス研究所も少しはほめてもらえるでしょう。
こう言えば、「エビデンスが明確でない」と言われるでしょうが、今の感染力が並外れて強いと言われるデルタ株も、ストレスで免疫力が低下している人が多くなっているから、なおさら感染しやすくなっているのではないか? 日本の場合でいえば、ガースーが国民にストレスを与え続けていて、それで免疫力が一層低下して、感染爆発を助長してるという側面はないのか? 「デルタ株の感染力は麻疹や水痘と同レベル」だと言われますが、この麻疹というのは「はしか」のことです。あれは小学校に上がる前だったと思いますが、周囲ではしかがはやったことがありました。当時はワクチン注射などはまだ行われておらず、罹患して免疫力を獲得するというのがふつうで、あれは年齢が低い方が軽症で済むと言われていました。これは実話ですが、いつも一緒に遊んでいた近所の同い年の子もはしかになり、考えることがいつも乱暴な僕の母親は、これを千載一遇の機会と捉えました。母親同士も友達だったので、発熱して寝込んでいるその子の隣に布団を敷いて、数時間そこに寝かせ、わが子を強制的にはしかにかからせるという名案(?)を思いついたのです。彼女にはこれは「絶対確実」な方法と思われたのです。その後、母はわが子の発症を今や遅しと待ち構え、毎朝「調子はどうか?」とたずねましたが、一週間たっても十日たっても何ら発症の兆候は見えず、「どうしておまえははしかにならないのだ?」と不満げに言いました。それは後年の「どうしておまえは受験生なのにそんなに怠け者で勉強しないのか?」と同じような非難がましいものでした。地域の免疫のない子供たちが次々発症したのに、母の努力にもかかわらず、僕だけ罹患しなかったのです(数年後学校でもらったのか、やっと罹患した)。
今はコロナの家庭内感染が激増していますが、そういう中でもなぜか一人だけ感染しなかったというような例はあるでしょう。それは謎ですが、感染力が高いから必ず感染するとは限らず、逆に、ストレスなどで免疫力が大きく低下しているとたやすく感染するのです。そして今の日本社会は、コロナそれ自体とはまた別に、政治の支離滅裂と無能無責任に対する怒りとストレスで、人々の免疫力はかつてないほど低下している。そこにデルタ株が襲ったものだから、ひとたまりもないことになっているのです。
だから、ガースーはコロナの感染拡大をその存在自体によって助長していると考えられるので、一刻も早い退陣が望まれるのですが、その思い込みと安易な希望的観測は現実離れのした方向に向かう一方なので、その自覚はない。いまだに「オリンピックでは過去最高のメダル数になり、『やってよかった』が5割を超えているのに、なぜ支持率が上がらないのだ? これは左翼マスコミの煽動のせいに違いない」とか、「ワクチン接種が進みさえすれば問題はすっかり解消する(それまでの多少の不具合はどうでもいい)」とか、とにかく周りには竹中平蔵とその子分とか、さざ波笑笑の元参与といった類の、彼の愚かしいバイアスを強化してくれそうな取り巻きしかおらず、「国民の間でも菅政権続投への声が高い」という二階の何の根拠もない妄言を真に受けたりするので、国民の高まるばかりの政治ストレスはよそに、「私はまだやれる」という傍迷惑な意欲をもつのです(一段落したら懲りずにまた新ゴーツーを計画しているというのだから呆れます)。
こんなのをまともに相手にしていたのでは、誰でも病気になる。コロナにはかからなくても僕のように胃カメラを飲む羽目になる人間もいるので、皆さんもお気をつけください。ガースーが退陣して、僕の吐き気や胃腸の不調がすっかり治れば、これはエビデンスとして採用されますかね? 他にも「ガース―うつ」とか、「ガースー心身症」とか、ガースーが原因の病気はたくさんありそうです。コロナとガースーという二大災害(今は大雨も降っていますが)が、今の衰弱した日本を襲っているのです。コロナには感染しないよう細心の注意を払うとして、ガースーに対しては、ニュースを一切見ないようにするのが効果的かもしれません。ガースーのあのトンチンカン会見や虚ろな顔つきを見ることは、あなたの健康を阻害し、免疫力を確実に低下させるのです。見ても得られるものは何一つありませんしね。