敵が弱いうちに…安倍のモリカケ解散

2017.09.19.15:09

 以下は、日本版人民日報、安倍御用新聞の“名声”を不動のものにしている読売新聞の本日付社説です。

 安倍首相が、衆院解散・総選挙に踏み切る意向を固めた。「10月10日公示―22日投開票」の日程を軸に調整している。
前回の衆院選から3年近く経過しており、この時期に国民に信を問うのは異例ではない。首相は、衆院選の意義を丁寧に説明することが求められる。
 首相が解散を決断したのは、一時は急落した内閣支持率が回復傾向にあることがある。
 民進党は離党ドミノで混乱している。小池百合子東京都知事に近い若狭勝衆院議員らによる新党結成の動きも緒に就いたばかりだ。野党の準備が整う前の方が有利だという戦術面の判断もあろう。
 首相が解散権を行使し、衆院選に勝利することで、重要政策を遂行する推進力を得ようとすることは理解できる。そのためには、きちんと争点を明示すべきだ。
 今回は、北朝鮮の核とミサイルの脅威が拡大した中での選挙戦となる。いかに日米同盟を強化して抑止力を高め、中国、ロシアを含めた国際包囲網を構築するか、しっかり論じ合う必要がある。
 安倍政権は、安全保障関連法が日本の平和を守る法的基盤として機能していることを具体的に訴えることが重要だろう。
 政府は、北朝鮮の新たな軍事挑発にも即応できる体制を常に維持し、1か月前後の「政治空白」の影響を最小化せねばならない。
 経済政策アベノミクスに関する評価も問われよう。
景気は緩やかに回復しているものの、力強さを欠いている。成長戦略をどう強化するのか。2019年10月の消費税率10%への引き上げを予定通り実施するのか。各論を深めることが大切である。
 憲法改正について自民党は、9条1、2項を維持しつつ、自衛隊の根拠規定を追加する案などを争点化することを検討している。
 衆院選で首相は、改正の必要性を堂々と訴え、その具体像を分かりやすく語るべきだ。
 安倍自民党は国政選に4回連続で大勝している。だが、今回は、政権の驕おごりと緩みが問題視されており、決して楽観はできまい。
 民進党など野党は、今回の解散について、森友学園や加計学園の「疑惑隠しだ」などと批判している。臨時国会で追及する機会が失われることを踏まえたものだが、政権選択の選挙でこの問題ばかりを論じるわけにはいくまい。
 民進党は、現実的な政権構想と政策を提示し、政権担当能力を示さなければ、国民の信頼を回復することは望めない。


「問われよう」とか「できまい」「いくまい」とか、やたら勿体ぶった割には中身は何もない駄文ですが、あのヨミウリがこう書いているくらいなのだから、これはホントなのでしょう。最近安倍は鳴りを潜めていて、おかげで僕もイライラさせられずにすんでいるのですが、日本人は概して淡白なので、それだけで支持率は回復基調にあり、民進党は四分五裂で、「敵が弱いうちなら、不人気でも勝てる!」と計算したのでしょう。いかにも卑怯者の安倍らしい考えです。ま、安倍ごときに上杉謙信の美徳を期待するのが、そもそも無理というものですが。

 こういう状況で選挙をやれば「サルでも勝てる」と僕は思いますが、安倍はもう完全に「賞味期限切れ」なので、それでほどほどの戦果を収めた後は、岸田あたりに“禅譲”して、「名誉ある撤退」をはかる、という腹積もりなのでしょうか? それならまだ許せるが、彼はカン違いしやすいタイプなので、「国民の支持は私にある。まだやれる!」なんて思い込まないかどうか、それが心配です。選挙戦ではそれには極力触れないようにしておいて、終わったら「これでモリカケ問題についてのみそぎはすんだ」なんて言い出すのです。破綻したアベノミクスと例の「異次元の金融緩和」の深刻な副作用が出てくるのはまだこれからですが、それのツケに苦しめられるのは後の後の政権ぐらいからです。今はまだ大丈夫というわけで、妄執と化した「悲願の憲法改正」「祖父も成し得なかった偉業」に“邁進”されては困る。そのためには北朝鮮にミサイルをたくさん飛ばしてもらって、例の「Jアラート」なるものを鳴りっぱなしにして(ホリエモンは怒ると思いますが)、国民の正気を失わせるにかぎる。サンケイやヨミウリも一緒になって騒いでくれるでしょう。

 何はともあれ、茶番の解散総選挙が近いということで、またしばらくは騒がしくなりそうです。安倍に選挙の必勝秘策を授けるとしたら、「これを花道に私は首相の座を去ります」と彼が確約することでしょう。そしたら、日本人の困った習性で同情票が集まって、自民は今と同じぐらいの議席を確保できるかも知れない。安倍にはそんな潔いことはできそうにないから、あえてこうして書くのですが…。にしても、今の政界というのは、どうしてこうも良識の欠落したのばかりが目立つんでしょうかね? 例の騒ぎで自民を離党した、豊田議員みたいなのまでまた出るという話で、「一体何を考えているのだ?」と空恐ろしくなってきます。

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終わった民進党~今どき不倫ごときで…

2017.09.09.16:58

 僕はその記事を見ていませんが、民進党の山尾志桜里衆院議員(43)の「不倫」が週刊文春で暴露され、新執行部での幹事長就任もおかげで立ち消えになったのだとか。「政治経験の少ない二回生ごときが幹事長になってよいのか!」という嫉妬が民進党内部に渦巻いていたそうで、「内部(男性議員)のリーク」説も囁かれているそうです。

 全くねえ…。ただ自分が異性にモテないだけで、だから「不倫」もしなくてすんでいるだけの話ではないのかと皮肉の一つも言いたくなりますが、不人気で崩壊の危機に瀕している政党内部のこうした見苦しい権力争いは、民進党が解体するしかないことを示しているように見えます。

 いきなりこんなこと言うと叱られそうですが、そもそもが、結婚制度はとうの昔に実質的には崩壊しているのです。哲学者のニーチェが「神は死んだ」と言ったとき、それがヨーロッパ人に衝撃を与えたのは「深い部分の心理的事実を言い当てていたからだ」と心理学者ユングは言いましたが、これは昔、そのユングが言ったことです(たしか「ヨーロッパの女性」と題された講演でだったと思うのですが)。

 西洋式の結婚式では、夫は妻を、妻は夫を永遠に愛しますなんて誓いを立てさせられるわけですが、それは虚構で、男女の愛は永遠ではありません。たまにそういう人たちもいるが、それはむしろ例外で、生物学的に言ってもそこには無理が伴うのです。離婚しない場合でも、それは「永遠の愛」ゆえにではなく、一種の「盟友関係」がそこに成立するのと、世間体というものがあるからで、前に防虫剤のテレビCMに「亭主元気で、留守がいい」というのがありましたが、大方はその程度のものでしょう。

 だからと言って、僕は別に「不倫」を奨励するものではありません。発覚すると浮気をされた側は傷ついてみじめな思いをして、離婚に発展することが少なくないだろうし、そうなると子育てにも影響するので、色々面倒なことが起きるのを覚悟しなければなりません。それなしの安易な浮気は愚かというものですが、結婚後「運命の人」(とその人が思う)に巡り合うこともあるだろうし、そういう場合は離婚→再婚という手順を踏むのが“正しい”やり方だということになるのでしょうが、それでも関係者が傷つくことや、相応のドタバタは避けられないのです。

 昔は離婚件数が少なかったのは、世間体の縛りがきつく、たいていは一方が他方に我慢していた(多くの場合は妻が夫に)からです。人生は忍耐力の修練の場だという考えからすれば、これにはそれなりに合理性がありますが、基本的に男女関係というものは、一方が他方に愛想を尽かしてしまったら、それで終わりでしょう。今は女性も生活力がある場合が多いので、そうなったらさっさと離婚する。問題は子供がいる場合で、片方が引き取っても他方はそれに対して責任があるので、相応の援助をする必要があります。離婚して母子家庭になった場合、それで困窮してしまうことが多いのは、元亭主が応分の役割を果たすことが少ないからで、そのへんは西洋式に、相応の援助を父親はすると共に、子供にも定期的に会えるというふうにきちんと取り決めをするのがよいでしょう。子供中心に考えるなら、そういうことになる。母親がその後再婚した場合でも、子供が「現おとうさん」「元おとうさん」と呼んで、両方と付き合っているケースがあって、それだとその子は他の子より多くの父親をもっていることになって、心強いわけです。「元おとうさん」もわが子の成長をずっと見守ることができる(DV夫、DV父の場合には話はまた別で、その“病気”を治さないとどうにもなりませんが)。

 山尾議員と相手の弁護士もそうすべきだと、僕は言っているのではありません。「男女の関係はない」というのなら、その必要はないでしょう。しかし、いずれにせよこういう騒ぎになると双方の家庭にヒビが入る。それが修復できるか、そのままこわれるところまで行くかは当事者たちの問題ですが、僕が言いたいのは、どちらにしてもそれは部外者が騒ぎ立てる問題、ましてや議員辞職を迫るような性質のものではないのではないか、ということです。

 それが深刻な道徳的問題であるとは、僕は思わない。お友達の便宜を図った、加計学園に代表される安倍の低レベルの公私混同政治や、その安倍のヨイショ本を二冊も書いた山口某の卑劣なレイプ事件は僕には不快ですが、これはそういうものではない。「結婚と家庭は神聖犯すべからざるものである」と考える人たちには違うのでしょうが、それのどこが「神聖犯すべからざるもの」なのか、僕には理解できないのです。それは現代社会の実態には即していない。

 むろん犯罪は許されませんが、政治家は政治の仕事を公正かつ誠実に果たせばいいので、私生活は問うところではない、というのが健康な見方ではないですか。政治家に愛人が何人いようと、それで政治の公正を歪めたのではないかぎり、僕にはどうでもいいことのように思われるので、ずいぶんマメな人だなと感心するだけです(前にも書いたことがありますが、三木武吉という政治家は何人も愛人を抱えていて、本妻への愛情は、にもかかわらず終生変わらなかったという人でした。そして彼は、どの愛人の面倒も最後まで見たというのだから、そのへんがそこらのただの浮気男とは違っていたのです)。

 嫉妬心から彼女の追い落としを図るためにリークした人間がいるのだとすれば、そちらの方が醜い。山尾議員はあの年でも十分美人なので、そういうことがあっても不思議ではないなと僕は思うだけです。「家族を苦しめるからけしからん」と言う人たちも、別にその家族のことを真面目に心配しているからではないでしょう。悪感情のうっぷん晴らしにそれを利用しているだけにすぎません。

 まあ、週刊誌にとっては恰好のスキャンダルであることはたしかで、文春がこれに飛びついたのはわかりますが、問題は民主党内部の「離党しないと党に傷がつく」「いや、議員辞職に値する」といった自称「批判」です。いつから日本会議みたいな封建道徳のかたまりになったのか知りませんが、民主党の不人気はそういうことが原因ではない。つまらないカマトトぶりを見せつけられて、有権者はいっそう愛想を尽かすのです。他に言うこと、することがないのかと。

 ちゃんとした強力野党がいてくれないと、自民党がいい気になってのさばりすぎるので、民進党のこのていたらくは嘆かわしいことです。こうなったら解党して、新しい党で一から出直すしかないだろうと僕は思って見ているのですが、やっぱり人材不足で明確な方向を示して、まとめられる人はいないんですかね? 愚かしい嫉妬や権勢欲で人の足を引っ張りたがる手合いはたくさんいても…。こういう何が起きるかわからない危機の時代に最大野党がこの有様とは、ほんとに情けないことです。

菅官房長官の「まだら認知症」と安倍の「境界性パーソナリティ障害」

2017.08.09.16:13

 最近行われた各社世論調査では、最新のJNNのそれだけは「支持率続落」で、支持は39.7%に対し、不支持率は59.7%だったそうですが、他は大体持ち直し、依然不支持の方が多いとしても、その差は縮んだようです。共同通信だけは、支持が不支持をやや上回り、44.4%対43.2%となっています。

 この共同通信の場合も、支持理由の中で一番多かったのは「他に適当な人がいない」の44.0%で、不支持理由としては「首相が信頼できない」が56.0%で最多だというのだから、ホンネのところは、「マシなのがいれば変えたい」ということなのです。とくに不支持理由に「首相が信頼できない」が一番多いというのは致命的です。これは今後も支持率の回復が難しいことを意味している。あれだけ常習的に嘘をついていれば、「信頼できる」と思う方がどうかしているわけで、それはあたりまえと言うべきですが。

 内閣改造はある程度評価されたようです。とくに野田聖子・総務相、河野太郎・外相あたりが。しかし、何といっても最大の功労者は内紛続きの民進党で、もっとまともな強力野党がいれば、自民はすぐにでも総裁の首を代えざるを得ないところまで追い込まれたでしょう。それは都民ファーストに完膚なきまでにやられた、あの都議選を見てもわかることです。

「もり・かけ」問題の追及では、民進党議員も結構頑張ったのですが、今のあれは、政党としての体をなしていません。解党して新しいのをつくるしかないので、それを急いだ方がいいでしょう。民進党の党首選は前原と枝野の一騎打ちとなったようですが、この二人だけ見ても、同じ党に一緒にいるのが不思議なくらい違います。二つに割ってしまえば、それだけ主張が明確になるでしょう。それで競った方がいい。僕はリベラルな側を応援しますが。それが共産党あたりと連携すれば、今の民進党より支持率よりはずっと上がるはずです。

 悪評高い、あの「連合頼み」もやめた方がいい。それがあるから原発問題でも明確な廃止方針が打ち出せないのだそうで、馬鹿げています。大体、今のああいう御用組合団体は、そもそも労働組合と呼べるかどうかも疑わしいので、そういうののケチな組織票より、無党派層の票の方が比較にならないくらい大きいのです。連合なんてつまらないものにひっついているから無党派からも嫌われるので、それぐらいの計算はできそうなものです。あんなものは自民党にくれてやればいいので、スタンスがはっきりすれば、今よりずっと支持率は上がりますよ。

 こんなかんたんなことすらわからないのは、頭が悪いとしか思えない。馬鹿(民進)が馬鹿(安倍自民)を助けているのです。おかげであんなクソ政権がまだ息を永らえているわけで、考えていると、だんだん腹が立ってきます。ダメ野党が腐敗与党を助けて、哀れな日本国民は、「ほかに適当な人がいない」という理由にもならない理由で、公私のけじめも何もない危険なネトウヨの小ヒトラー政権に40%台もの支持を与える羽目になっているのです。こういうの、「三流国家の証明」以外の何ものでもないでしょう。

 と、本題に入る前に、前置きの方が長くなってしまいましたが、最近は「影の総理」と言われていた頃のオーラの輝きもすっかり失せてしまった、菅官房長官についてのニュースです。これは記事の見出しのつけ方も秀逸です。

【特大ブーメラン】「当たらない」でおなじみの菅官房長官、ついに自分の過去発言がクリティカルヒット

 この「2015年6月に行われた獣医学部新設を巡る国家戦略特区ワーキンググループ(WG)のヒアリングに愛媛県と今治市の担当者らと共に加計学園の幹部3人が参加していた」ことは、「岩盤規制の突破」なるものが加計のために他ならなかったことを示す明確な証拠の一つですが、それが世間に知られては具合が悪いということで、「議事要録からの削除」が行われたのです。しかし、それは「ルールに基づいて行った」のだと、いつもの調子で政府側は強弁する(安倍首相はむろん、加計理事長と会食やゴルフを何度も共にしていたにもかかわらず、当時は加計学園が獣医学部新設を計画していたこと自体、何もご存じなかったのです!)。

 一体それはどんな「ルール」なのだと突っ込んでも無駄です。とにかく「ルール」だから「ルール」なので、それ以上の説明が必要だという指摘は「当たらない」(菅官房長官の口癖)のです。総理自ら、「認可直前まで加計が関係していることは知らなかった」とおっしゃっているのだし、議事要録からの削除も「ルールに基づいてやった」と“正直に”話しているのに、どうして問題視されるのか、全然わからない。安倍官邸の理解によれば、それをマスコミや野党がしつこく追求しようとするのは「悪質な印象操作」以外の何ものでもないのです。そうですよね、有権者の皆さん? なのに何で、この程度のことで支持率が下がるんですかっ!(豊田議員なら、このあとヤケになって、例の「ミュージカル風罵倒」が始まるところです)。

 さて、この記事のキモはその後です。質問者は朝日の記者だそうですが、これはほんとに笑える。

記者=「歴代の保守の政治家は歴史的検証に耐えられるようにということで、公文書の管理にはかなり力を入れてこられたと思う。ある政治家は『政府があらゆる記録を国民に残すのは当然で、議事録はそのもっとも基本的な資料で、その作成を怠ったことは国民への背信行為だ』と仰られているんですが、その発言を本に記されていた方がどなたかご存じですか?」
菅官房長官=「知りません」
記者=「それ、(菅)官房長官の著作に書かれているんですが、2012年に書かれた著作に表明されていた見解と、今政府で起きていることを照らし合わせて忸怩たる思いとか、やはりきちんと残すべきだというお気持ちにはならないんですか?」


 ふつうなら「がーん!」となるところですが、「この後、官房長官は八田座長が説明したとおりだと繰り返し、必要な情報は公開されていて問題ないという認識を改めて示して記者会見は終わりました」という淡々とした筆致が魅力的です。

 まあ、政治家の著書なるものは一部の例外を除き、大方はゴーストライターが書いているのだろうから、「知りません」もその意味ではわからなくはないのですが、自分の名前で出した本にそう書かれていたというのはやはり痛すぎる。一応はそのゴーストライター本にも後で目を通すぐらいのことはしていただろうから、「まだら認知症」の疑いも出てくるわけです。「当たらない」で全部片づけていたら、とんでもないところで「当たって」しまったわけで、「クリティカルヒット」とは言い得て妙です。

 こういうこともあるから、菅官房長官にあらせられては、今後は答弁の方法を変えて、辻占い師の「当たるも八卦、当たらぬも八卦」を採用されてはいかがでしょうか?「当たろうが当たるまいが、どちらにしても問題ではない」ということで、これなら最強です。まだら認知症が全面認知症に進んでも、心配なし。安倍の尻拭いをするにはそれが一番です。

 懲りない安倍は、まだ「総裁3選」への意欲を示しているという話で、妄執と化した「憲法改正に邁進」するつもりのようですが、妻のアッキー以上に「空気が読めない」そのノーテンキぶりには驚くのを通り越して感心させられます。その常習的な嘘つきぶり(それで良心が痛むことはない)にしても、幼児的な呆れた独善性(「印象操作だ!」と言ってたえず責任転嫁をする一方、自己中心的な要求をし続ける)にしても、傲慢な態度を批判されると悪びれる風もなく、一転へりくだったポーズを取って見せるその「カメレオン的行動」にしても、全体を通して見られる「公的、道徳的感情の欠落」にしても、明らかに異常心理学の範疇です。こういうのは何かで読んだ記憶があるので、本棚から関係書を引っ張り出して調べてみると、やはりありました。「境界性パーソナリティ障害」というのがそれです。

 興味のある方は自分で関係書に当たるなり、ネットの信用できそうなサイトの記事をお読みになるなり、していただければいいと思いますが、明らかに彼はこれです。これは脳それ自体に器質的な微細障害が認められる病気で、いわゆる「邪悪な成功者」の中には珍しくない病気です。つまり、わが国は国家の最高指導者として精神異常者を戴いているのです。

 だから、菅官房長官風に言えば、正常な人間であることを前提に彼の行動を理解しようとしたり、批判したりするのは、「当たらない」のです。むしろそれは危険な誤解を生む。「今回ばかりは彼も反省しているようだから、これからはいい方向に変わるだろう」といったような…。僕はここで何度もオウムの麻原との比較に触れましたが、どちらも精神異常なのです。はっきりそう認識しておかないと、大変なことになりかねない。

 先の共同通信の世論調査を扱った新聞記事でも、「安倍内閣が優先して取り組むべき課題」として有権者が挙げたものは、「年金・医療・介護」が42.8%で最多、次が37.0%で「景気や雇用など経済政策」だったという話です。つまり、「憲法改正」などは喫緊の課題ではないと、大方の人が思っているのです。改正賛成派ですらそう考える人が多く、とくに安倍的な性質の「改憲」には賛同しかねるという意見が目立つ。

 カメレオンの安倍は、そこは見ているから、「社会保障・経済重視でやってゆく(しかし、効果的な方策は何ら示されていない)」と言っているわけですが、あの無責任なアベノミクス自体、彼は「天下取りに必要」だからと打ち出しただけなのです。彼のホンネは「何でもいいから憲法改正に持ち込む」というところにあって、「もり・かけ」問題で躓いたが、健忘症の日本人はそういうことはすぐ忘れてしまうから、もう少し時間がたてば、北朝鮮の暴走ぶりは相変わらずだし、折に触れ危険だと不安を煽って「憲法改正の必要性を理解」させることは十分できるようになると思っているのです。

「もり・かけ」問題はもうどうでもいいから、早く上記の二つに取り組んでもらいたいと思っている有権者は多いようですが、あの問題であぶり出された安倍政権の危険性は、実は小さくないのです。それは何より、安倍晋三個人の異常なキャラクターを白日の下にさらした。彼が「境界性パーソナリティ障害」の持主であることを明確にしたと言えるのです。

 複数メディアが伝えるところでは、安倍はこのまま3選され、憲法改正を果たしたのち、甚だ煮え切らないあの岸田文雄への「禅譲」を狙っているということですが、そういうことを許してはならない。あらためてそれを強調しておきたいと思います。

灘中校長を歴史教科書採択で詰問~安倍政治の本質

2017.08.04.15:59

 安倍にとっては内閣改造で人気挽回を狙ったこの時期に、こういうニュースがネットに出回るのはさぞや困ったことでしょう。元気のいい時なら、「何でこういう偏った、“誤解を与えかねない”記事を書くのだ!」と官邸から直接圧力をかけることもできたでしょうが、そういうメディアコントロールがもはや効かなくなったので、「報道が正常化」しつつあるのです。以下、神戸新聞の記事。

灘中に「教科書なぜ採択」盛山衆院議員ら問い合わせ

 この、「学び舎」の歴史教科書については、僕もだいぶ前に教育関係者の間で評判になっているという話を聞いたことがあります。よく工夫された、ていねいに作られた教科書だという話で、きわめて良心的なものだというのです。だから名門の灘中がそれを採用していると聞いても、何ら驚きはない(右翼からは「自虐史観教科書の一つ」とみなされているのは説明するまでもないでしょうが)。

 これと反対の不快な話は、「新しい歴史教科書をつくる会」とやらの元幹部が執筆に加わったという育鵬社の「歴史」や「公民」の教科書採択を、安倍自身が「新しい教育基本法の趣旨に最もかなった教科書は育鵬社の教科書であると確信しております」(2011年9月21日、都内で開かれた「教科書改善の会」主催のシンポへのメッセージ)と述べて、強力に後押ししているという話で、これらの教科書なるものがファナティックな「日本は素晴らしい」幻想に彩られた歴史修正主義者の書いたトンデモ本の一つであることは、いくらかでも歴史知識のある人には周知のところです。

 だから、この件もそうした文脈からすればよく理解できるので、いかにも金魚のフンみたいな安倍の子分どもがやりそうなことです。校長先生の「自民党の一県会議員から『なぜあの教科書を採用したのか』と詰問された」「本校出身の自民党衆議院議員から電話がかかり、『政府筋からの問い合わせなのだが』と断った上で同様の質問を投げかけてきた」というのは本当でしょう。盛山正仁衆院議員の「灘中の教科書について、OBとして周囲から疑問の声を聞いたので、校長に伝えただけだ」「『政府筋からの問い合わせ』と言った覚えは全くない」という弁明は、これまで安倍政権及びその周辺の連中が関与を否定する際行った「釈明」と全く同じパターンです。「圧力」ではなく「ただ聞いてみただけ」であり、脅しに使った「首相の意向」「政府筋からの問い合わせ」といった言葉は、「なかった」ことにされるのです。

 この記事に出てくる「200通以上の採択を批判する『文面が全く同一』のはがき」については、「草の根」を装った多数派工作を得意とする日本会議関係者のしわざだと見るのが一番妥当に思われますが、その日本会議流・サンケイ流のトンデモ史観(都合のいいように史実を取捨選択し、誇張もあちこち混ぜて「美しい歴史」を創作する)に洗脳された一人の病的なネトウヨのしわざだということもありうるでしょう。

 ここであらためて想起しておかねばならないのは、安倍はあの「森友学園教育」を讃美していた男だということです。別にアッキーだけが「暴走」していたのではない。幼稚園のあの異様な光景がネットやテレビに出回って、猛烈な批判が巻き起こるや、彼は慌てて「関係ない」ふうを装った。森友関係の講演会にしばしば招かれていた他の「文化人」「保守派論客」たちについても同様です。

 安倍のこれまでの歴史や教育についての発言を仔細に点検するなら(そういうサイトがすでにできているかも知れませんが)、彼が日本をどの方向に引っ張っていこうとしていたか、彼が目論む憲法改正の性質がどのようなものであるのか、はっきりわかるでしょう。僕が彼を許せないと思っているのは、アホノミクスは二の次で、何よりこの点なのです。それをどんな汚い手を使ってでもゴリ押ししようとした。追いつめられた彼は「経済政策重視」を必死にアピールしていますが、そんなものはただの人気取りのための付け足しで、彼の本質は「できそこないのヒトラー」「戦前回帰の全体主義者」たるところにあるので、それが見抜けないのは幼稚な人だけでしょう。今、彼の暴走を許せば、「忖度政治」が定着する中、二人目、三人目の安倍が必ず出てくる。それで戦前回帰の「安倍レジーム(それは日本会議レジームと言ってもいいが)」は完成するのです。

 まだ安心できませんが、際どいところでどうやらそれは回避できそうだと、今僕は思っています。問題は、しかし、安倍だけではない。「忖度」にこれ努める、周辺の政治家、官僚、学者、文化人の類です。「安倍一強」と言われる中で、これほど日和(ひよ)る奴が多いのかと、僕はそのことにびっくりしました。彼らにはむろん、自分が何をしているかの自覚はありません。本当の意味での歴史知識も、人間性に対する洞察力もない。「美しい国」の「美しい歴史」というフィクションに自尊心の拠り所を求めようとするのはそれ自体病的なことなのですが、社会的沈滞を背景にそうした病人が増えているので、それを保身・栄達に利用しようとしたり、あるいはそうした自身の心理的メカニズムには気づかないまま、“純粋に”「愛国心の高揚」に陶酔する、アッキーみたいな馬鹿もいるのです。

 いや、安倍自身がこれだと言ってよいでしょう。「首相の憲法改正への情熱は本物」だとよく言われます。教育基本法に「愛国心」を盛り込み(第一次安倍政権の時代.日本会議のサイトには嬉しげに「旧基本法の『人格の完成』を期すという抽象的な目標から、新基本法には、日本国民を育成するための大切な徳目が教育目標として明記されました」と、日本語がヘンですが、書かれています)、学校教育における「国旗国歌指導」の徹底を指導要領に明記させ、学問的には疑問のありすぎる「育鵬社の右翼教科書」を「新しい教育基本法の趣旨に最もかなったものと確信」して、採択活動を後押しし、政府に逆らいそうな「非国民」連中は「共謀罪」でたやすく内偵、逮捕できるようにして、仕上げは「愛国心」に染められ、かつ「国民の義務(納税や子供に教育を受けさせる義務だけでは足りないので、国家権力に忠誠を誓って奉仕する義務が必要)」を明記した新憲法への改正なのです。

 こう見ると流れは一貫しているわけですが、安倍はこれを彼の考える「美しい国」への必要不可欠な道程と本気で思っているので、「国家権力に都合がいいように法制度を変えてしまう」罪悪感などは微塵もないのです。それは彼の「燃える愛国心」のなせるわざで、「正義」だから、その実現のためには民主主義的な手続きなどどうでもいいと思っている。そのあたり、園児の教育勅語暗唱に感動の涙を流して、森友の小学校認可をゴリ押ししようとした妻のアッキーと同じくらい幼稚で“純粋”なのです。

 だからいいというものではないことは、説明せずともおわかりでしょう。そうした“純粋さ”は裏に病的な性質を秘めたもので、それゆえ無責任なものだからです(自己陶酔と情熱は本来似て非なるものです)。潮目が変わって安倍退陣が時間の問題になったのは「不幸中の幸い」でしたが、これまでのように「安倍一強」が続いて、周りの忖度行動が増え続けていれば、「物言えば唇寒し安倍の風」となって、彼の野望はすべて実現する可能性があった。それを思うと背筋がぞっとします。

 この灘中の一件に類した、安倍追随者の「忖度行動」は他にもたくさんあるでしょう。マスコミはこうした事例をきちんと報道すべきで、安倍政権のような独善的で狭量な政権がどれほど多方面にわたって有害な影響を及ぼすものなのか、国民はよく理解しておく必要があります。おそらく安倍政権の唯一の「業績」と呼べるものは、危険な独裁者が出現したとき、日本社会が権力者への忖度と批判の自粛によってどれほど「自発的隷従」に流れやすいか、それが学習できたことでしょう。小ヒトラーのおかげで大ヒトラーへの備えができたとすれば、この腐れ政権も多少は社会のためになったということです。

内閣改造、最大懸念は「首相留任」

2017.08.03.15:05

 今週も、各週刊誌は安倍批判の記事で埋まっていますが、内閣改造の顔ぶれが明らかになったようです。次はまとめの日経記事。

自民新3役決定 改造内閣、外相に河野氏

 目玉は、この記事にもあるように、「外相に河野太郎前行政改革相、総務相に野田聖子元郵政相」というところでしょう。二人とも安倍とは本来相容れないので、不人気に強いられての安倍の「自己否定」の産物です。つまり、そこだけは「まとも」になったということで、とくに河野太郎はかねて僕が注目している政治家です。その著書『原発と日本はこうなる』(講談社 2011)も読んだし、三年前の文藝春秋2014年7月号「隠蔽された年金破綻 粉飾と欺瞞を暴く」(西沢和彦氏との共同執筆)も読んだ。いずれも鋭く、的確な指摘で、「自民党にも人物はいる」ことを示すものでした。安倍とはオツムのレベルが違う。ちゃんとアメリカの大学を出ているから英語も達者で、外務大臣も官僚の協力があれば無理なく務まるでしょう。それで経験を積んで幅を広げてもらいたいものです。

 韓流歴史王朝ドラマの「悪徳重臣」さながらの麻生、二階、菅がそのままなのは笑えるところで、とくに麻生と二階は、「へっへっへ。わしの顔を潰すとあんたは一発で終わりでっせ」という脅しをかけていて、安倍は逆らえない。この二人は権力が自己目的化している古いタイプの政治家で、それ以外のことはほとんどどうでもいい(むろん、ご本人たちはそうは言いませんが)のです。高村副総裁もそのままですが、これは年長ながら安倍の腰巾着と化していて、憲法改正の推進役(言ってることが出鱈目すぎますが)なので、「目立たないかたちで安倍色を残しました」ということなのでしょう。

 ポスト安倍の最有力候補と言われる岸田文雄は政調会長で、ご本人も満足げですが、彼は「リベラル派」なのはいいとして、「優柔不断の殿様」気質が抜けないので、どうも頼りないなというのが周りの評価のようです。むやみやたらと喧嘩をするのはただの馬鹿ですが、勝負どころではきっちり喧嘩ができないとリーダーは務まらない。人柄がよければいいというものではないので、こういうのでは政権を取っても軍部の暴走を許した昔の近衛文麿みたいになりかねないのです。

 しかし、何といっても問題は「内閣総理大臣・安倍晋三」というところでしょう。「もり・かけ」問題は全然片づいていないし、ともちん問題も「何じゃ、あれは?」という疑念を残したまま(アッキー、加計孝太郎、下村博文、ともちんの証人喚問が真相解明には不可欠ですが、応じない構えです)。アベノミクスも終わっているし、外交上の「成果」といえば、ご本人は忘れてもらいたいでしょうが、IS人質事件のさなか、中東歴訪に出かけ、イスラエルのネタニヤフと熱い握手まで交わした上に、「IS対策にン億ドル」という演説を嬉々としてぶって、日本人人質の後藤さん殺害を後押ししたというだけの話です。北方領土問題でも、プーチンに「経済協力」を約束させられただけで進展はゼロ、対中国では習近平に終始一貫シカト扱いを受け、中国メディアは今回の安倍政権の凋落ぶりを面白おかしく微細にわたって報道しているという話ですが、すでに「終わった政権」扱いされているのです。トランプに対しては、就任直後あわてて駆けつけ、媚態を凝らした上「信頼できる政治家」と、アメリカ人も驚く持ち上げ方をして、世界の失笑を買っただけでした。

 おそらくまともな「成果」といえば、韓国との慰安婦問題の「最終決着」(それも安倍としては渋々だったのですが)だけですが、これまた文政権に代わって反故にされかかっているわけで、踏んだり蹴ったりとはまさにこのことです。原発や年金(「百年安心」とは笑える)などの重要問題はそっちのけ、いりもしない憲法改正にばかり熱心で、日本会議とネトウヨの「組織的な熱い支援(ネトウヨもネットでは少数の人間が多数派工作をする)」でここまで来たが、お友達とイエスマンばかりで周りを固めたがる性癖が災いして、忖度政治・情実政治を行き渡らせて社会を腐らせるだけの「裸の王様」であったことがもはや誰の目にも明らかになったのです(加計のための「岩盤規制の突破」に意味があると思うのは、安倍と加計の理事長だけでしょう)。

 だから首相の首をすげ替えないことには真の「内閣改造」にはならない。この期に及んでもまだ安倍は、「反省」を表明すれば何とかなり、自分のために党規改正をした総裁3選が可能だと思っているのかもしれませんが、その目はもうなくなったのだから、「名誉ある撤退」の方法を考える余地あるのみです。真面目にその準備をしておかないと、党内からも「石もて追われる」結果にしかならないでしょう。アッキー流に言うなら、自身の早期退陣こそ「神様の思し召し」なのです。
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