チビチリガマを荒らしたお馬鹿さんたちは「教育棄民」か?

2017.09.16.16:39

 先ほどネットのニュースサイトに毎日新聞電子版の次のような記事が出ていました。

 沖縄県読谷村の「チビチリガマ」で遺品などが壊された事件で、県警嘉手納署は15日、器物損壊の疑いで16~19歳の少年4人を逮捕した。少年らは「心霊スポットに行こうと思った」「肝試し」などと供述し、4人は容疑を認めている。

 平和を祈る象徴的な場所である「チビチリガマ」を荒らした疑いで地元の少年たちが逮捕されたことを受けて、沖縄では怒りやむなしさが広がった。
 16日午前、チビチリガマの遺族会の関係者らが、荒らされた入り口付近などを丁寧に清掃した。集団自決で祖父母ら5人を亡くした与那覇徳雄会長(63)は、少年たちの逮捕について「遺族としては一安心だが、まさか少年たちがこういう行為をするとは夢にも思っておらず、怒りも覚えるし、ショック。なぜこんなことをしたのか、とにかく動機が知りたい」と語った。そのうえで「今後ともチビチリガマから平和を発信していきたい」と述べた。
 石原昌家・沖縄国際大名誉教授(平和学)は「今回の事件は常識ではありえない行為で、死に対する畏れが欠如している。犠牲となった住民らは集団死に追い込まれ、1987年にもガマは荒らされた。今回で3度『殺された』ことになる。教育の現場で沖縄戦の実態や歴史が伝わっていないのではないか」と指摘した。チビチリガマのある読谷村の石嶺伝実(でんじつ)村長は「容疑者が少年だったことに衝撃を受けている。歴史の風化が叫ばれているが、それがここまで来たのかという思いだ」と話した。【佐藤敬一、佐野格】


 先日はYoutube にアクセス数を稼ごうと、明白に法に触れる過激影像を投稿して逮捕される馬鹿な若者が跡を絶たないという記事が出ていましたが、こういうのも同レベルで、事の是非善悪、物事の軽重の弁えが全くつかないというのは、怒りを通り越して、悲惨な印象を与えます。頭が悪いにもほどというものがあるので、こういう子供や若者は家庭や学校で人間としてのまともな扱いを受けていないからそうなるのだとしか思えない。

 僕はこういう子供や若者を広義の「教育棄民」と呼びたいのですが、その数は増え続けているように見えます。その彼らが文字どおりの「心なし」としか言いようのない無残な行為を繰り返す。無神経・無知も度を越しているから、たやすく犯罪行為にも結びつくわけです。

 先に「頭が悪い」と書きましたが、こういうのはむろん、知能だけの問題ではないので、人間的な心というものが育っていないからそうなるわけです。人は無意識に自分がされたことを周囲に、社会に返すものなので、これは彼らが人間的な扱いを受けていないということを意味します。だから、お説教すればそれで片付くという問題ではない。日頃の人間的なケアが、彼らには圧倒的に不足しているのです。

 昔と違って、今は地方でも地域共同体が空洞化し、家庭が孤立してそれぞれの子育てを行うようになっているので、親に教育力がないと、それが子供にモロに出てしまいます。親がろくすっぽ子供のことを顧みず、世話もしない、学校でも落ちこぼれて教師にお荷物扱いされるということになると、子供はよくなる道理がなく、淋しさから似たもの同士集団を作って群れるようになり、それがこういう事件にもつながるのでしょう。

 塾で生徒たちの相手をしているかぎりでは、今の子供たちは昔の子供と違って親に大事に育てられてるなという印象を受ける(僕など、昔の基準では「過保護」だったが、今の基準ではその範疇には入らない)のですが、塾に通えるということ自体、家庭に余裕があって、子供も大学進学を前提にできるだけの素質があるということなので、生徒たちに中学時代の話を聞くと、やはりとんでもない家庭のとんでもない子は一部にいるようだということがわかって、僕が直接知っているのはかぎられた範囲の子供たちでしかないということがわかるのです。親御さんたちは子供の教育に大きな関心をもっているが、なかにはそんなものはまるでない、という親もいるわけです。

 問題はそういう広義のネグレクト家庭の子供たちに社会がどう対処するかでしょう。そういう無責任な親は子供を作るな、ではすまない。そう言いたくなるのはわかりますが、下手すると、そういう言い方はおかしな優生学思想につながりかねないからです。

 そもそもの話、今の時代は子供を育てるのにお金がかかりすぎます。四年制大学への進学が十八歳人口の五割を超えているということは、大学進学が「標準」になっているということですが、ことに地方の場合、子供が三人もいて、全員を大学かそれに準じる短大・専門学校へ行かせるとなると、よほど裕福でないかぎり借金を免れない。子だくさんだった昔の地方の親なら、義務教育だけ受けさせて後は子供を放り出せた。高校進学率は戦後かなり早い段階で急上昇しましたが、地元の公立高校なら費用は高が知れていて、今ほどの負担にはならなかったのです(塾そのものがほとんど存在しなかったので、塾代も不要だった)。

 家庭事情から、大学はもとより、高校も怪しいという子供は、早い段階で希望を失ったような感覚をもつでしょう。親も、世間並のこともできないという劣等感から、投げやりな子育てに傾きやすくなるのではないかと思われる。そういう「教育格差」の問題も、ここにはからんでくるわけです。

 少し考えただけでも、あれこれ問題が隠れているのがわかるので、「どうしようもない馬鹿ども」と罵ったり、「親の顔が見たい」と冷笑を浮かべて言うだけでは問題は解決しない。何らかの意味で彼ら(親も含めて)は社会から「排除」された存在なので、本人たちにその意識的自覚はなくても、予期しない形で彼らは社会に復讐するのです。だから、そういう連中のことは知らん、というわけにはいかない。

「心霊スポット」だの「肝試し」だの、その年齢の子供にはありがちなことですが、歴史的・社会的文脈の中でものを考えたり、文化というものの深みがわからないというのは、何も彼らにかぎったわけではなさそうなので、あの愚劣なポケモン何とかにしても、その点では同じでしょう。軽薄な時代思潮にそういう「教育棄民」のような子供や若者はことに影響されやすい。そういうことも言えそうです。
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学校で殺されないようにする方法

2017.09.04.15:42

 学校の新学期が始まる9月1日前後は、子供の自殺が一番多く発生する時期だそうで、各種の「自殺防止の呼びかけ」が行われたようですが、いじめや友達関係の深刻な悩みはない子供でも、夏休み明けはイヤなものでしょう。楽しい夏休みは終わってしまって、しかも宿題は丸残りだったりするからです。親にも先生にも「何をやっていたのだ!」と叱られる。昔と違って、今はちゃんと宿題をやっていく子の方が多いので、周りからも浮いてしまい、白い目で見られるのです。「ダメな子供」をかばってくれる人はどこにもいない。

 元「ダメな子供」の僕は彼らに同情します。宿題の件だけではない、またあの面白くない学校が始まるのかと思うと意気阻喪するのです。自殺という考えに結びつくことはありませんでしたが、僕も子供の頃、夏休み明けはイヤで仕方がなかったものです。

 オトナになれば、「学校なんて、行きたくなければ行かなければいいだけの話だ」と言えるのですが、子供にとっては「学校に行く」というのは絶対的な現実で、他に選択肢はないように見えるので、深刻にならざるを得ないのです。

 いや、オトナでもいまだに大方の人は、「学校は絶対に行かなければならないもの」と思っているかも知れません。だからわが子が不登校になったりすると大騒ぎになるのです。子供の方も、それがわかっているから行きたくなくても何とか頑張って行こうとする。いじめがあっても、友達関係や先生との関係に大きな問題があっても、よい子ほど頑張って、そしてある日力尽きて自殺するのです。

「行きたくなければ行かなくてもいい」なんて甘いことを言うと、大方の子供は不登校になってしまうのではないかと心配する人がいるかもしれません。さにあらずで、その方が子供も気楽になって、かえって不登校にならずに済むということがあるのです。

 げんにうちの息子は小1の頃、「学校は行きたくなければ行かなくてもいいところ」だということを学習しました。それはやはり夏休みの終わり頃のことでしたが、母親の話によれば極度に落ち着きを失って「ふつうでない」状態に陥ったのです。一体原因は何なのか? 母親が聞き出したのは、一学期の終わり頃に、学校でこういう事件があったということでした。クラスの中に一人情緒不安定な子がいて、その子が授業中、エンピツかシャーペンで隣か前の席の子の、机の上に出していた手をいきなり突き刺した。ギャーッという悲鳴が響く。後ろの席にいたうちの息子は思わず立ち上がり、呆然としてその光景を眺めていた。すると、担任の女性教師の「あんたは何を面白がって見てるわけ!」という皮肉とも叱責ともつかぬ声が飛んできたのです。その前にもこういう話があった。そのとき彼は学校で飼っているウサギの世話係の一人に当たっていたのですが、ある日ウサギ小屋を見ると一羽が死んでいる。それで他の子供たちと、どこか校庭の片隅に埋めてお墓を作ろうと相談した。ともあれ先生の許可を得ようとそれをていねいに両手で抱えてその担任の元に行ったところ、ロクに子供たちの話も聞かないまま、「そう」と言って、ウサギの死体を無造作に片手でつかむと、そのまま生ゴミ用のゴミ箱に叩き込んだのです。

 当時僕は横浜にいて、母子は延岡にいました。「あの子が壊れてしまった…」という母親の深夜の電話に戦慄した僕はすぐに飛行機で飛んできましたが、そこでその話を聞いて激怒しました。男性教諭ならすぐ学校に飛んで行ってその場でボコボコにするところでしたが、僕は女性や子供には断じて暴力を振るわない主義です。子供の方は父親の顔を見て安心したのか、急速に元気を回復して、日ならずして笑顔が戻りました。

 電話の段階で、「学校には行かなくていいから、そう言って本人をまず安心させろ」と言いました。それで当分は休ませることにして、学校に話をしに出かけると、校長と教頭が待ち構えていました。ありていに言えば、母子家庭だと思って甘く見ていたところ、いきなり父親なる人物が出現したので、慌てたのです。僕はそのクソ教師をここへ呼べと言いましたが、教頭がわけのわからない言い訳をして、いやあの先生は教育者一家に育って、父親もどこかの校長を務めた立派な人で…と言いました。僕はそれを聞いて、あんた方は馬鹿ではないのかと言いました。親が学校の教師でその子も教師というのにはロクなのがいないと世間では相場が決まっている。そういう常識を知らないのは学校教師だけなので、そんなことが教師のまともさの保証になると思うのは笑止千万であると。大体、あんた方管理職はそういう未熟教師の指導をするのが仕事だろうに、教師が「そんなことはしてません」と言ったら、そのまま嘘を信用するのか。あんた方がどう思おうと知ったことではないが、こちらは正直なわが子の話を信じる。今の学校教師というのは、児童心理学の初歩も知らないようだから、いっぺんタダでレクチャーして差し上げるので、先生たちを集めておいたらいかが、むろん飛行機代はそちら持ちで、云々。

 それで結局、その問題教師の代わりに知的障害などの問題をもつ生徒を特別に預かる教室の担当だという年配の女性の先生が呼ばれて、元のクラスに戻すのは見合わせてしばらくそちらでどうでしょう、という提案が学校からなされたのですが、こんなクソみたいな学校、信用できるかと腹を立てていた僕はいい顔をしませんでした。しかし、母親の方があの先生なら大丈夫そうだと感じるというので、試しにそちらに通わせてみることになったのですが、母親の見立ては正しく、彼はその先生にはすぐなついたらしく、大方は勉強せず、毎日ウンコの絵なんか描いて上機嫌で遊んでいたようですが、学年の終わりまでそこに通い続けたのです(その担当の先生とはその後僕も親しくなりました。当初はわからなかったが、その年配の先生は今の学校教育に批判的な、職員室にもよりつかない異端教師で、異端同士ウマがあったのです)。

 その間も、学校を休ませて母親が事前に調べ上げた関東のフリースクールをいくつか、親子で見学させてもらったりしました。それで息子は、「学校にも色々ある」ことを実地に見て学び、「イヤなら無理して学校に行く必要はない」という親の言葉が真実であることを理解したのです。

 色々世話をしてくれる人たちに助けられ、翌年春に僕は延岡に引っ越して今の塾を始めたのですが、息子は学年が上がったとき、元の集団に戻されました。今度はまともな先生だったので、トラブルもなく、そのまま上に進んだのです。日常的にキャッチボールなどで遊び相手をしながら様子を観察していた僕の目にも、心配はなさそうに見えました。学年が上がるにつれて父親の遊び相手としての優先順位は下がり、そのうち友達の習い事などで遊び相手が見つからないときにしかお呼びがかからなくなったのは残念でしたが、それは彼が順調に成長している証でもありました。

 前にも別の文脈で書きましたが、高校に入ったときも、「イヤになったらいつでもやめていい」と言いました。僕は息子の高校入学までにあの課外を廃止に追い込むつもりで、ここにもあれこれ書いたのですが、それには失敗していたので、自分ならあんな学校はイヤになるにきまっているから、これは「本心」で言ったことです(僕の言うことはほとんどつねに本心なので、子供としてはその「解釈」に頭を悩ませる必要はないのです)。

 塾で英語を教えている時も高校の管理教育の悪口で父子の話はしばしば盛り上がったのですが、結局彼はその高校も無事卒業し、そのまま大学生になりました。「イヤなら行かなくていい」と言い続けても、そうなったので、「下手なことを言うと子供が不登校になる」と心配している人たちにはいい反証になるでしょう。「いつでもやめられる」という気楽な態度で学校に行っていたから、むしろそれが幸いしたと言えるのです。大学受験にしても、本人は入学時は3科目で済む私立のつもりだったので、親の方も「それなら何とかなる」と考えていたのですが、意外や割とオールラウンドにできるのが途中で判明して、遅い段階で国立に切り替えたので、ふつうの場合とは逆の展開になったのです。これも無理な目標を立てなかったのがかえって幸いしたと言えるでしょう。

 いじめなどでは問題はもっと複雑になるでしょうが、そもそも何で子供間の執拗・悪質ないじめが起きるかといえば、それだけストレスを抱えた子が多いということなので、家庭や学校の見えない「虐待システム」がそこには作用していると言えるのです。いじめっ子の家庭に問題があることは、たぶん教育関係者にとっては常識でしょう。そちらに目立った問題がないなら、学校が抑圧機関として大きな作用を及ぼしていると考えるしかない。「学校は絶対に行かなければならないところ」という観念はその一部なので、これに受験のプレッシャーなど、色々なものがからんでくるわけです。

 学校、とくに公立学校の先生にはいまだに軍隊式の規律が好きな人が多いようです。とにかくやたら「整然たる一斉行動」なんてものが好きなので、それは一種の病気です。僕のように管理するのも管理されるのも嫌いな人間には理解しがたい。管理しないと秩序が維持できないというのは迷信なので、僕はギャングエイジの中学生相手の集団塾の校長も、個別形式の学生講師がたくさんいる(二つの教室で計八十人はいた)部門の責任者もしたことがありますが、大まかなことだけ言って、別に管理的なことは何もしませんでした。それでもちゃんと回るので、だからと言って僕が生徒や講師たちになめられているという事実はなかったのです。恐ろしい無秩序が支配していたのではないかって? それは僕の机の上だけ(よく事務アルバイトの子たちに叱られていた)で、教室は相応に賑やかだったが、秩序は保たれていたのです。でないと学習成果も上がらず、塾は潰れてしまう。

 過剰な管理は子供の自立心(自分で感じ、考え、判断し、行動する力)の成長を妨げるという意味でも有害なのですが、それは今の学校の大きなストレス要因の一つでもあるでしょう。よく日本の役人の特徴は「遅れず、休まず、働かず」だと言われますが、こういうのも学校教育の成果だと言えるわけです。おそらく彼らは学校に問題を感じないまま過剰なまでに適応した「よい子」たちだったのでしょう。それがそのまま役人になって、「役人は際限もなく無用な仕事を作り出す」というパーキンソンの法則にのっとり、自動機械のようにいりもしない企画や書類仕事を無限に作り出して忙しがっているのです。昔からの習慣で、何のためにこれが必要なのかという一番肝腎なことは考えない。そういう無能な税金泥棒を育てることに何の意味があるのだと、僕のような人間は思いますが。

 話を学校教育に戻して、だから学校がもっと風通しのいい、のんびりしたところだったら、いじめや友達関係のトラブルもずっと減るでしょう。いや、そんなところなら、子供は怠けて自堕落になって、勉強しなくなる。厳しく管理して、無理にでも勉強させる必要があるのだ、と学校の先生たちは反論するかもしれません。

 しかし、妙に窮屈なくせに教え方は下手だから学力も大してつかず、だから塾が繁盛するのです。「厳しく管理」している割にはその成果には乏しいので、そういう論理は成立しない。おかしな管理体制をやめて、もっと伸び伸びやらせた方が学力も向上するのです。

 僕はわが子のお勉強には高校入学までタッチしませんでした。理由は、落ちこぼれて基礎も身についていないのでは困るが、そうではないようなので細かい学校の成績なんてどうでもいいと思っていたからです。小2か小3のとき、僕は彼が算数の宿題プリントを猛烈な勢いで片づけて、「終わった!」と言って外に遊びに出かけようとするところを目撃したことがあります。1分も経たない早業なので、「こいつは天才か?」と驚いた僕は、彼が無造作に放り投げたプリントを拾いました。「見んで、見んで!」と言って彼はそれをひったくろうとしましたが、それを制止して見てみると、ところどころ問題がすっ飛ばされていて、やったところも、文字どおりミミズがのたくったような字で、字があまりに汚いので、自分で数字を読み違えて、計算ミスになっているところが二、三箇所ありました。なるほど、速いはずだと笑ったのですが、早く遊びに行きたい一心で、心ここにあらずなのです。僕はもちろん、遊びに行くのを許可しましたが、子供というのはふつうそういう生きものです。

 いつぞや『東大生のノートはかならず美しい』という本が話題になりましたが、僕は『勉強嫌いの子のノートはかならず汚い』という本を出してやろうかと思ったほどです。自分の息子のノートをそのまま複写すれば足りる。そうすると世の親御さんたちは、「うちの子はこれよりはマシだ!」と安心して、ベストセラーになるかも知れないと思ったのです。子供たちも「かならず美しい」東大生のノートと比較してとやかく言われたりせず、「おまえのはこれと較べればずっとマシで、よくやっている」とほめられるかも知れないのです。

 しかし、わが国の出版業界、とくに教育関係のそれは、ブラックユーモアを解するほど成熟していない。また今出せば、彼は結局京大に進学したので、嫌味にしかならなくなります。「こんな勉強嫌いの子供でも有名大に合格しました(注)」という持って回ったセコい自慢話にしかならないからです。子供の頃腹いっぱい遊べて、勉強しろとは言われず、母親の日常的な小言(すぐ物をどこかに忘れてくる)以外には何ら強制めいたことは経験せず、学校もイヤなら行かなくていいと言われ続けて育ったことは、何ほどか彼の成長(もうじき一年の予定で留学していたドイツから帰ってくるのですが、そういうのも彼が勝手に決めてやったことです)には役立っただろうと、親は思っていますが。

※注 有害な誤解を防ぐためにお断りしておくと、彼もむろん、大学受験の際はちゃんと勉強したわけで、勉強しないで入れるわけがない。母親の語るところでは、三年の二学期以降は、それまではテレビのお笑い番組が始まると呼びに行っていたのが、ピリピリしてそれも憚られるようになったとのこと。「じゃあ、それまではそんな下らんものを見ていたのか?」と父親は後で聞いて呆れましたが、とにかく勉強はしたのです。

 まあ、今の学校に過剰な管理をやめろ、もっと風通しのいい空間を作れと言っても、それは難しいでしょう。そこを根本から考え直さないと問題の解決にはなりそうもありませんが、家庭ですぐできることはあるので、子供の様子がおかしいようだと気づいたら、まず学校を休ませることです。そうしてよく話を聞いてあげると共に、フリースクール見学などに連れて行って、学校など大したことはないのだということを本人にわからせる。妙に深刻になるから、後々ほんとに深刻になってしまうのです。うちの息子は高校に入ったとき、一つ上の小中学の先輩から、「おまえが何でここにいるの?」と驚かれたそうです。小1の時、彼は特殊学級に入っていた。だから知恵遅れに違いないと、その先輩は決め込んでいたのです。世間体を気にする親なら、わが子を特殊学級に入れることを拒む人もいるでしょう。僕にとってはそういうのはどうでもいいことで、実際そこの担任が自由主義的な考えのよい先生だったので、彼は喜んでそこに通ったのです。他に何人かいた学年が上の子たちともよい関係が築けた。おかしな偏見を、彼は何ももっていませんでした。知的障害も「個性」ととらえたようで、むしろそれは人と接するうえで彼にはプラスになったのです。

 発明王エジソンが学校入学早々、担任教師の心ない罵倒にさらされて不登校になったというのは有名な話です。あとは母親が本人がほしがるものなどを与えて教育した。それが彼の自由で創造的な発想を育んだのです。僕も、いざとなれば自分で教育すればすむことだと考えていました。そうなると唯一の問題は友達がいなくなることで、その場合どうするか、そこは難しいが、知人の子供たちとは交流できるだろうから、そこから先は様子を見ながら考えればいいと思っていました。幸い元に戻ったので、それ以上考えなくてすみましたが、やりようはいくらでもあるのです。

 僕が何より重視したのは、子供が元気になることです。他のことは二次的、三次的な問題にすぎない。もう一つは子供を信じることでしょう。僕はわが子が異常でも何でもないことを確信していました。何かあると心配症の母親は不安になるもので、それと一緒になって心配してもマイナスにしかならないのです。大体、大きな不安や恐怖を抱えていれば、子供は誰だって一時的にはおかしくなります。僕は精神科医やセラピストによって作られる「病気」は少なくないのではないかと疑っています。病名を与えられて、薬など処方されると、自分は病気だと思い込むようになるのです。そうするとそのうち本物の病気になってしまう。不安が消えて元気になれば、大方の場合、神経症的な症状も消失するのです。そういう時必要なのは安心感を提供してくれる人であって、分析医や薬ではない。

 こういうのはむろん、事なかれ主義に基づく逃避であってはなりません。正面からきっちりコミットして、その上で「大丈夫だ」ということを示すのが大事なのです。子供が大変な精神状況に陥っているのに、親が逃げを打って見て見ないふりをするのは最悪なので、そこはきっちり助けに入らなければならないのです。

 警察の犯罪捜査では「初動」が何より大切だそうですが、子供の不登校やいじめの問題でも同じなので、愚図愚図して最初の対応を怠ると、大方は長引いてしまうでしょう。子供は周りの大人が本気になって動き出すと、それだけでかなり安心するものです。それがその後の好ましい展開につながる。また、ユングの共時性ではないが、親や教師が本気になると、直接の因果関係はないのに、外部状況それ自体が好ましい方向に変化することが多い。僕が相談を受けたケースでは大方がそうで、不思議だが、それは事実なのです。

 以上です。多少は参考になりましたかどうか…。


夏休みの変容~勝手に遊べなくなった今の子供たち

2017.07.22.12:07

 今回は煩わしいアベ政治(早く退陣してくれれば書かずにすむのですが…)のことはひとまず忘れて、夏休みの話です。

 今日は22日ですが、僕の記憶では、高校に入った頃は一学期の終業式が24日から20日に繰り上がって、夏休みは昨日からだったような気がします。すでに期末テストが終わった段階で授業は午前中だけの「短縮授業」というのに切り替わっていて、午後は毎日下宿近くの広い川(海まで数百メートルで、潮の干満で深さが変化した)で泳いでいたものですが、この日になるともう奥熊野の実家に帰っていて、今度は渓谷の淵でアマゴ(ヤマメの兄弟分)なんかを追いかけ回していたわけです。

 夏休みはだから、高校時代は42日間、小中学校では38日間あったわけです。しかも、その前の10日ほどは半ドンで、午後は好きなだけ遊べた。この「短縮授業」なるものは、昔の学校にはクーラーなんてものはなかった(ふつうの家にもなかった)ので、お勉強はまだ涼しい午前中に済ませて、あとは海や川、好きなところに行って泳ぐなり、魚とりをするなり、勝手にしろということだったのでしょう。いわば「夏休み前の肩慣らし期間」で、子供たちは喜んでその仰せに従っていたのです。

 60を過ぎた今でも、僕は夏場になると全身の細胞が活性化したみたいで元気になるのですが、これは子供時代のそうした幸福な記憶と関係している。昼間は川で好きなだけ遊んで、夜は夏休み用に楽しみにとっておいた西洋の長編小説(むろん、翻訳で)なんか読む、というパターンが定着していたので、夏になると自然に読書量も増えるのです。

 お勉強の記憶の方は、残念ながらほとんどない。小中学校の頃は、夏休みの間に登校日というのが2回ほどありました。朝礼とホームルームだけで終わりなのですが、これは学校が生徒たちの無事を確認するという趣旨のものだったのでしょう。そこで子供たちは「宿題やった?」「いや、丸残り」というような会話を交わして、「よかった! やってないのは自分だけじゃない」というので、「赤信号みんなで渡れば…」心理を強化することになり、心安んじてサボり続けることができたのです。その宿題も、今思えば1日30分か1時間もあれば終わる僅かなものだったのですが、それすらちゃんとやれなかったのです。

 そういうわけで、農家などでは家の手伝いもたまにはやらされたのですが、当時の子供にとって夏休みというのは、長期間心おきなく丸々遊べる、まさに「地上のパラダイス」でした。じっさいあんな嬉しいものはなかったので、当時はまだ日本中が貧乏でしたが、自然は豊かで、子供たちが好きなクワガタも、川の魚も、ウジャウジャいたから、そこで遊ぶのにお金はいらなかった(今は絶滅状態に近くなってしまったニホンウナギなど、信じられないくらいたくさんいたのです)。よく朝から川に出かけて、夢中になっているうちにおひるを食べに帰るのも忘れて、夕方腹ペコで帰って、大目玉を食ったものです。昼食を食べに戻ったときは、おなかがもつので、帰りが夜の8時になってしまうこともあって、またしても怒られる。そんなことの繰り返しでした。

 今は田舎でも、地域の年齢層の違う小中学生ぐらいの子供たちが川で群れて遊んでいるなんて光景を見ることはめったにありません。土日に家族連れを見かけることはありますが、昔は子供の中に大人の姿を見つけることは稀で、子供たちだけで遊んでいるのがつねでした。大人たちは皆仕事で忙しかったから、子供同士、勝手に川や海で遊んでいたのです。

 それがいつから始まったのかは知りませんが、当時は自主運営の子供会が健在で、月1ぐらいで地域の公民館に集まって会議を開いていた。メンバーは小3くらいから中3までだったと記憶しています。選挙で三役を決め、その時々の議題について討議するのです。お盆や正月前には、「道普請(みちぶしん)」というのがあって、大人たちと一緒に地域の共有道路の草刈りや清掃を行う。他に家々を回って空き瓶回収を行うこともあったので、それをリヤカーか何かで2キロほど離れた町場の酒屋までもっていって、代金をもらうのです。道普請でも大人から子供会への金一封が出た。そういうのをプールしておいて、「茶話会(さわかい)」と呼ばれる中3卒業生の送別会(数人ずついくつかのグループに分かれ、皆で買い出しから調理までやって、公民館ですき焼きやカレーを楽しんだ。そのときは終わり頃、大人の誰かが火の元の点検に来てくれました)などに使ったのです。山奥で近くに高校がなく、当時は中卒で就職する子が多かったので、その送別会は子供たちにとって大きな意味をもっていたのです。

 夏前、梅雨明けが近くなると、子供会でその年の「泳ぎ場」というのを決めました。大水が出ると川の流れが変わってしまうことが珍しくなくて、川はその都度姿を変えたのですが、今年は川のどの淵が地域の子供たち共通の「泳ぎ場」にふさわしいか、3つほどの候補の中から投票で決めるのです。このときにはA派、B派、C派というふうに分かれていて、自分の支持する場所に賛成が増えるように、事前の「多数派工作」なども行われて面白かったのですが、民主的に一番票が多かったところに決まるのです。そしてそれが決まると、いついつの日曜、そこに全員集合という付帯決議が行われる。皆でビーバーよろしく石や流木を組んでそこに堰(せき)をつくり、少し深くして、その淵がいっそうプールらしくなるようにするのです。そしてその淵のそばの河原には、先端に黄色い旗をつけた棒切れが立てられる。それは毎年学校から子供会長に渡される旗で、そこが「公認の泳ぎ場」であることを示すのです。

 むろん、子供たちは他でも泳いでいたのですが、「公認」なので、泳ぎがメインの目的の場合はたいていそこに行く。面白いのは、浮き輪をもった小さい子をそこに預けに来る親もいたことです。「頼むね」と言って、親はさっさと帰っていく。二、三時間するとまた連れに来るのですが、そこで遊ばせていれば、年かさの子供たちが注意して見ていてくれるので、親としては安心なのです。じっさい、そこは深いところは二メートルをゆうに超えるので、泳いでいて溺れかける子も出る。そういうときは泳ぎの達者の子がすぐ飛び込んで助けてくれるから、水死者などは一度も出たことがなかったのです。子供はそういうのを見ながら育つので、自然に年齢に応じた役割がどういうものか学習する。

 そして、その「泳ぎ場」の上流と下流には、泳ぎに飽きて魚とりを始めた子供たちの姿が点々とつながっている。そこでも小さい子は大きい子に、魚とりの方法を教わったりしているのです。晴れた日にはそういうわけで、子供たちは男の子も女の子も、全員川に出払っていた。そこにはのけ者にされた子は一人もいなかったので、中には知的な障害をもつ子もいましたが、そういうことも一緒に遊ぶには関係なかったのです(自然は面白いもので、そういう子供が構えた網に、とんでもない大物が飛び込んだりして、「えっ、おまえがそれとったの?」なんて周りがびっくりすることもあるのです)。

 今でも子供会というのは存在するようですが、それは親がかりです。部活も親がかりなら、遊びに行くのも親がかりで、「子供が外で勝手に遊べる夏休み」は事実上、消滅した。夏休み自体が今は短縮傾向にあるようで、静岡県の吉田町というところではそれが16日間にまで削減されるというので、子供たちが「町長のバカヤロー」と憤慨しているなんてニュースもありましたが、どのみち今の子供たちは背中の皮が三回むける(日焼けでそうなってしまうのです)まで夏休みに遊び倒すなんてことはできなくなっているわけです。

 見ていると、今でも地方には子供たちが遊べそうな場所は町から近いところにいくらもある。しかし、大人の地域共同体が崩壊してしまったのと同じで、子供のそうしたコミュニティも今は消えてしまったのでしょう。僕は子供の頃、山や川であやうく死にかけたことが何度かあります(むろん親には内緒)が、そうした経験もないので、自然とのつきあい方がわからず、子供たちだけで遊ばせると事故がこわいということもあって、学校や親が禁止しているのかもしれません。

 実際、水の事故は多くなっているようです。僕がこのブログに名前を借りている祝子川なども、下流は遊泳禁止になっています。水死者が毎年のように出るからです。このブログもかなり危険ですが、本家の祝子川もなかなかにこわい川なのです。にもかかわらず、僕は息子が小学生の頃、何度も一緒にそこで泳ぎました(母親には内緒でしたが)。そこが危険とされる理由の一つは、水量が多くて流れが見た目以上に強いというだけでなく、河原と川の境目がなだらかではなく、急に深くなっていることにもあるのでしょう。河原がすぐそこだから、もう足が着くだろうと思っても、ズボンといってしまうのです。どんな川でも、地形や流れなどに癖があるので、そのあたり心得ておく必要がある。プールと川や海は違うのです。足がつったときの対処法なども、昔は年上の子からふつうに教わったものですが、今はそれも知らない子が多いでしょう。

 しかし、こういうのも時代の流れで、いい悪いの問題ではありません。昔と違って進学率が上がった今はお勉強もしなければならない。中学生たちは部活の他、塾の夏期講習があるだろうし、小学生でも、中学受験をする子供たちは夏も大忙しなのです。高校生ともなればなおさらで、大学受験に備えて夏は猛勉しなければならない。今はふつうに学校の夏課外というのもあるから、少なくとも7月いっぱい学校は続く。塾の生徒に昔の高校生の夏休みは42日あったのだというような話をすると、一体それはどこの国の話ですか、みたいになるのです。

 まあ、僕みたいに子供の頃遊んでばかりで全然勉強しなかった人間は立派な大人になり損ねるということはあるかも知れないので、ほどほどには勉強もした方がいいと思いますが、楽しかった夏休みの思い出はいつまでも残るものなので、回数はそう多くなくても、親御さんたちは子供を川や海に連れて行くなどして、丸一日腹いっぱい遊ばせてやることは、やはりした方がいいでしょう。複数家族で出かけると、子供には遊び仲間がいるからなおいいということがある。彼らがガヤガヤやっている様子を見るのは、それ自体愉快なものです。すでに見たように、子供たちが勝手に遊べる時代ではなくなったから、意識的にそうする必要が出てきたのです。

 僕自身は、自分が遊びたいというのもあって、子供が小さい頃、事情が許すかぎり家族で川や海に出かけました。あれこれ魚とりの方法なども伝授したのですが、彼はすぐそれに夢中になったから、子供は昔も今も同じなのです。中学の頃は部活(熱烈野球少年だった)の関係で、お盆をはさんだ五日ぐらいしかまとまった夏休みがありませんでしたが、そのときは連日鮎とりで、高校になってもそれは続いた。高3の夏も日曜になるたび出かけていたので、そのために車を出さねばならない母親は「受験生で他にこんなことしてる子がいる?」と呆れ顔でしたが、「気分転換が必要である」という父子の主張が勝って、それは続いたのです。後で本人に聞くと、「あれは最高に楽しかった」そうなので、幸い受験もうまく行ったから、良質の気分転換になっていたのです。

 だから、それはお勉強とも両立するわけです。僕は「小中学生の頃は落ちこぼれさえしなければ学校の勉強はどうでもいい」と考えていて、中学になっても小学校時代の「家庭学習30分」が変わらないという母親の嘆きは笑って聞き流し、わが子の勉強にはノータッチでした。勝負は高校に入ってからで、それも別にガリガリやる必要はないので、落ちこぼれないようにしつつ、少しずつペースを上げていって、競馬でいうと最後の直線に差しかかったあたりで猛烈な追い込みをかければ、それまでの遊びや読書で培われたパワーがものをいう、と考えていました。先行逃げ切りタイプの馬もいますが、それでは面白くないので、途中までは目立たない位置につけておいて、最後に外から回り込むようにしてすーっと前に出て、そのまま先行馬をごぼう抜きにするというのが一番カッコいいわけです。

 むろん、中には、その直線で思うように伸びないこともあるでしょうが、先行していても息切れして次々抜かされてしまう馬もいるのだから、そのときはそのときなのです。とにかく早くから勉強していればいいというものではない(高3になって初めていくらか勉強し出すというのでは間に合わないでしょうが)ので、とくに「遊びも勉強のうち」という年頃では、しっかり遊ばせてあげた方がいい。All work and no play makes Jack a dull boy(勉強ばかりして遊ばない子は駄目になる)という英語の諺は真実なのです。

 前にここに書いた「父親よ、もっと子供と遊べ」という一文は幸い多くの人に読んでいただけたようですが、子供とコミュニケーションがうまく取れないという人は、小さい頃子供の遊び相手をしてあげなかったことも関係するのではないかと思います。僕自身、子供の頃、山仕事で多忙な父にモドリというウナギとりの仕掛けを作ってもらったことがあって、これは入口を竹細工で編んで作ったりして、結構精密な作業を要するのですが、目を皿のようにしてその作業を眺め、後で不器用ながら自分でもそれを作ったことがあります。父はそれを1、2週間田んぼの泥の中につけてくさみをとり、それを川の中にもぐって仕掛ける実演までしてくれたのですが、翌朝その筒の中にはかたちのいいウナギが8匹入っていた。父の偉大さが強く印象づけられたもので、他にも、ツケバリという仕掛けをするときの、時期による場所のシフト(同じ夏でもウナギの餌あさりのルートが変わる)の仕方とか、釣り針の糸の結び方、春先のアマゴ釣りのコツなど、その当時教わったことは今でもほとんど全部憶えているのです。男の子にとってはとくに父親に相手をしてもらうことは嬉しいので、それが先々の人間関係の土台となるのです。僕の父親は一本気な恐ろしく不愛想な人間で、大方は怒られてばかりだったのですが、それでもそういうところがあって、子供にはそれが嬉しかったのです。子供というのは、そういうものです。

 そういう自分の経験があるものだから、小さい頃、わが子にも遊びの相手はできるかぎりしてあげようと思いました。僕は怖い父親ではなく、自分の父親ほど多忙でもなかったので、その分多く相手ができたのですが、母親と較べて父親は子供と接する機会が少なくても、そうしておけばコミュニケーションに問題は生じにくいのです。遊び相手をしていれば子供の性格もよくわかるから、成長段階に応じた的確なアドバイスもそれだけできやすくなる。わが子の場合、「子供時代、十分遊べなかった」という不満はゼロのはずで、人間にとってそういう“納得感”というのは人格形成上、案外重要な意味をもつのです。

 だから、地方から都会に出ている人はお盆休み、おじいちゃん、おばあちゃんに孫の顔を見せに帰省する人が多いでしょうが、その際は子供に自分が昔やっていた魚とりの方法を教えるとかしてあげれば、子供たちはただ家でスイカを食べているよりずっと喜ぶでしょう。そうでない都会育ちの人も、家族で自然と直接触れ合えるキャンプなどされてはいかがでしょう? どちらの場合も、そこに無神経にゴミなど捨てないよう、「公徳心」教育もちゃんとしていただきたいのは言うまでもありませんが(前に神奈川県かどこかで、上流の山の方が大雨になっているのに、そのまま河原でキャンプしていて、増水した水に流されて死者が出るという事故があったので、そのあたり必要な予備知識はちゃんと備えておいていただきたいと思いますが)。


「でんでん」と「印象操作」~アホが教育にまで口を出すな!

2017.06.03.13:46

 この「でんでん」は子供たちの間でも有名で、「アベさんて、半端でなく勉強できない人なんですね」と思われる根拠の一つになっているようですが、アベノミクスから教育改革にいたるまで、振付師がたくさんいて(彼らは皆、「公平」を装いつつ、安倍擁護の論陣を張っているので、どうもおかしいなと思って調べると、安倍のブレーンの一人か、「お友達のお友達」だったということがやたら多い)、カタカナ語なんかは意味がわかっていようといまいと、読みを間違えることはないから、そのまま言わせれば足りるとして、漢字に全部ルビを振るわけにもいかないので、ときどきこういう“事故”が起きてしまうのです。

「印象操作」の方は、これを彼がどれほど乱発しているかをていねいに検証したまさのあつこ氏の以下の記事がヤフーのニュースサイトに出ていて、熟読に値しますが、要するに語彙も異常なまでに貧弱なので、とにかく形勢が不利になれば、「それは不当な印象操作だ!」と言い出すのです。自分の方は、この前、前川前事務次官の「風俗通い」を読売に書かせたときみたいに、露骨な「印象操作」を平気でやらかすのですが。

安倍首相、質問に「印象操作」で反論16回

 こういうふうにその“不適切”な使用ぶりを列挙されると、「また『印象操作』ですか?」と苦笑を誘うだけになって、「あんたはその『印象操作』という言葉によって、自分がさも卑劣な非難を受けているかのように“印象操作”しようとしているだけでしょうが」と、子供にまで見透かされて、誰からも相手にされなくなってしまい、自ら墓穴(まさかこれもボアナなんて読まないでしょうね?)を掘ってしまう結果になるのです。

 それであらためて安倍語録を思い出してみると、彼には「自分の言葉」というのが非常に少ないのがわかります。彼は歴代の首相の中で「総理にはあるまじき下品な野次」が最も多い男ですが、吉田茂みたいに「曲学阿世の徒」なんて言葉が自然にポンと出てくるといったことはないので、例の「日教組!」とか、ネトウヨ丸出しのヘイト野次みたいなものがせいぜいなのです。そしてそういうものにだけは妙に実感がこもっている。

 僕が彼に腹を立てているのは、その時代錯誤の国家主義的偏向や韓国並情実政治(こう言えば、嫌韓的言動だという人がいるかもしれませんが、それは韓国の人たち自身が認めるかの国の社会の前近代的体質なのです)だけではないので、彼はよく教育にも口出しして勝手な御託を並べていますが、「おまえみたいなアホが教育に口を挟むな!」とムカムカするのです。

 先日安倍は経団連のパーティに出席して、次のような御託を並べたという話です(朝日新聞5/31記事)。

 技術革新が加速し、(企業の)外部での人材育成が必要になっている。そこで、明治以来とも言える大学改革に着手する。地方大学を強化し、実践的な教育を充実させていく。
 第一に、実務経験のある教員を思いきって増やす。産業界のニーズに合う実務教育を行う。ここ(パーティー会場)にも、70歳を超えても80歳を超えてもバリバリ働く方がたくさんいる。リカレント教育(学び直し教育)の態勢を整えていく。
 第二に、大学の経営層に地元経済界の人材を登用し、ガバナンス改革を試みる。民間(企業の)出身者が大学経営に参画することで、大学教育が就職に結びつく。
 企業の外で人を育てる仕組みをつくるには、経団連の協力が必要だ。新卒一括採用だけではなく、大学でリカレント教育を受けた人材を積極的に中途採用していく方針を打ち出していただきたい。(都内で開かれた経団連創立70周年記念パーティーのあいさつで)


「リカレント教育(学び直し教育)」なんてカタカナ語も、安倍の空虚語の一つで、振付師にあてがわれたものでしょうが、「それが一番必要なのはおまえだろうが」というようなツッコミはさておき、安倍(というより、その後ろの傀儡師たち)にかかると、大学は完全な「企業の下請」です。大学のよさというのは本来、それが「社会の番外地」だというところにあったので、「実務経験のある教員を思いきって増やす。産業界のニーズに合う実務教育を行う」「大学の経営層に地元経済界の人材を登用し、ガバナンス改革を試みる。民間(企業の)出身者が大学経営に参画することで、大学教育が就職に結びつく」なんて、それが議論の余地のない善事みたいに頭ごなし言われては困るのです。

 今は有名な大学でも官僚上がりやビジネス界の人間が増えて、実務感覚かビジネスマインドか知らないが、それでやたら大学教員も書類やらマネジメントやらで多忙になって、「せちがらい浮世からは一線を画す」大学のよさが失われているようです。「大学は就職のためにある」なんて、昔も今も僕は全然思っていませんが(そんな下らないことのためだけに大学はあるのではない)、この前の文系学部潰しの「指令」もその一部ですが、こうした安倍式改革(とそれに対する大学側の“忖度”)のせいで、大学がどれほど深みや幅のない、面白くないところになりつつあるか、このどアホは全然考えていないのです。

 長い目で見れば、それは逆に日本社会の活力を殺ぐ結果になるでしょう。この世の中には「無用の用」というものがあって、それが文化を作り出し、一面的な経済至上主義の解毒剤になり、社会に正気を保たせる砦ともなるのです。いかがわしい投機不動産屋のトランプや、哲学書や古典の一冊も読んだことのない無教養な安倍のような男(前におねだりして文科相になった子分の下村博文なんかも最悪です)が分を弁えず、教育改革がどうたら言い出すのは「亡国の兆し」で、この政権の有害さには実にはかり知れないものがあります。

 安倍政権の問題はこういうあまり注目されないところにもあるわけで、一刻も早いご退場をと、願わずにはいられません。

安倍昭恵はAO義塾の宣伝にも一役買っていた、という話

2017.03.19.21:36

 あまり話題にはなっていないようですが、週刊新潮3月23日号のトップ記事は「文科省に圧力電話する安倍昭恵は私人か!」で、これは新潮にしては珍しく文章はお行儀がいいが、すぐれた記事です。

 こういう記事が出るのは「妻は私人だ」と安倍首相が言い張るからですが、一連の報道を見ると昭恵夫人のアホさ加減には驚くべきものがあって、「総理夫人」の威光を利用して“善意で”社会の公正を害するようなことを、このオバハンは数々やっているようです。事は森友問題だけではないということで、彼女に関してはこれまで、左派メディアも概して好意的でした。理由は、夫の「方針」に反して反原発に肩入れしたり、有機農法の真似事をしたり、居酒屋を経営したり(中には芸能人に酔って抱き着いてチューなんて脱線もあったようですが)していたからで、「家庭内野党」などという言葉が使われて、「自由で独立した女性」というイメージがふりまかれたからでしょう。美人とは言い難いその容貌も、“庶民的”だとして好意的に受け取られた(元森永製菓社長の娘なので、どう見ても「庶民」ではないのですが)。

 そういうのがネトウヨ夫への風当たりを和らげたという側面はあって、「内助の功」効果を発揮していたわけですが、今回の森友事件をきっかけに、「そんなまとものものなのか?」という疑問が生まれて、数々の「疑惑」が出てくるようになったのです。たとえば、ビジネス・ジャーナル3月17日の記事には、ある「全国紙記者」の話として、次のような談話が紹介されています。

「可能性として考えられるのは、昭恵夫人が安倍首相への断りなしに〔森友学園に〕勝手に寄付していたというケースです。そもそも昭恵夫人はこれまで、自民党の方針に反する反原発の言動を繰り広げたり、さまざまな社会的な運動に参加したり、雑誌などのメディアに積極的に露出して発言したりと、これまでの首相夫人とは明らかに違い、自由な言動が目立ちました。
 ただ、昭恵夫人は何か確固たる思想的信条に基いてそうした活動をしているのかといえば、まったくそんなことはなく、悪くいえば“ただの思いつき”。たとえば、数回にわたり役人を連れて見学に訪問した森友学園が運営する幼稚園では、『この幼稚園でやっていることが本当に素晴らしい』と言って涙を流していましたが、要はその場その場の感情に流されて、勝手気ままに発言したり行動したりしているだけです。よって、そんな“共鳴した”森友学園の理事長から『寄付してください』とお願いされて、個人の判断で寄付している可能性は十分に考えられます。もしそうであれば、安倍首相が『私や妻が関係していたとなれば、首相も国会議員も辞める』と言った以上、辞めざるを得ないでしょう。
 昭恵夫人は騒動が大きくなり名誉校長を辞任した後も、出席したある会合で、『今、なんで私はこう注目を集めてしまっているんだろうかと、すごく戸惑っています』『今は嵐の中にいる。嵐は自分の力ではどうにもならない』などと語り、反省している気配はゼロです。そんな昭恵夫人のバカげた行動によって安倍首相が辞任に追い込まれることになれば、文字通り“身内に足元をすくわれた”ことになるでしょう」


 たしかに、森友学園風の「教育」に“感動”するなどというのはふつうではありません。いいとこだけ見せられてそうなったのだと擁護する人もいるでしょうが、ある程度教育というものに理解のある人なら、その見せかけから透けて見える裏というものは必ずあるので、いったん判断を留保して、調べてみるぐらいのことはするでしょう。全然そういうことはしないでほいほいその場で感じた自分の印象を口にし、それに基づいて行動する。しかも、「総理夫人」という自分の肩書がどういう影響を及ぼすかということに関しては全く無自覚なので、こういうのは「利用された」ですむ話ではない。

 今回の新潮のこの記事などは、「利用された」とは言い訳できない、昭恵夫人の「積極的関与」を指摘したもので、彼女は「全国高校生未来会議」なるものに肩入れして、これを「主催するのは『リビジョン』という一般社団法人で、その代表は斎木陽平という24歳の青年だ」というのですが、その「イベントの打ち合わせに総理の官舎たる公邸を使えるように」便宜を図り、この青年のツイッターには「安倍昭恵です。全国高校生未来会議を応援しています。沢山の高校生が全国高校生未来会議に参加をして下さいます。この高校生たちがこれからの日本の未来を創っていくと、私は思っています。そのために、どうか多くのみなさまにご協力をいただきますように、私からもお願い申し上げます」という“応援メッセージ”まで寄せていたというのです。

 それの何が悪いのか? 記事は「ここで第1回未来会議がどんな内容であったか、確認しておく必要があるだろう」として、その詳細に入っていくのですが、これがかなり驚くべきものなのです。

 記事によれば、それは2016年3月23日から25日にかけて行われたのですが、「会場が衆院第一議員会館で、最終日は総理公邸まで使われた。そのうえ文科省と総務省が後援し、優秀者には総務大臣賞に地方創生担当大臣賞、そして内閣総理大臣賞までが贈られるという大盤振る舞い。常識的に考えて、弱冠23歳の若者であった若者が主催しうるイベントのスケールを、はるかに超えた様相だった」というものなのです。

 昭恵夫人からの支援要請があったことを文科省の関係者は認めているようですが、他にも夫人からは「いろいろなご相談が持ちかけられる」のだという。今、「第二の森友事件」として注目を集めている加計学園に関しても、「昭恵さんから省内にご相談をいただいたことがあるのは確か」だと語った由。

 要するに、昭恵夫人は自分が気に入ったものがあると文科省に「会ってあげてほしい」と頼んだり、「総理公邸に官僚が呼び出されることもしばしば」で、「そんな日常的“圧力”の一つとして、未来会議への支援を要請してきた」のです。

 当然ながら、お役人としては「総理夫人」の要請をむげに断ることもできないわけで、「一私人としての行動だ」と言うには無理があるのですが、そういう事実上の「職権乱用」には昭恵夫人はおかまいなしなのです。こういう非常識な総理夫人もめったにいないでしょう。

 文科省は夫人の「文部科学大臣賞を出すことを考えてほしい」という要請には抵抗して、何とか「踏みとどまった」そうですが、「後援」だけでも問題なので、省内ではその是非をめぐって議論になったという。それもそのはず、「高校生を支援するイベントは他にもたくさんあるのに、リビジョンなる14年に設立されたばかりの実績に乏しい団体が主催するイベントを後援していいのか」大いに疑問はあったからです。

 どう見てもそれは公平性に欠ける。しかし、ここで驚くべき話が出てくるので、別の文科省関係者の話では、「15年9月15日、当時の下村博文文科相から、全国高校生未来会議を首相直下の事業としてやってほしいという指示が下」ったのですが、「安保法案ですったものだの時期にいったいどうした、と誰もが思ったあとで伝えられたのは、リビジョンの斎木代表は安倍総理の親族だ、という話で、みな仰天しました」ということなのです。

 下村博文といえば、安倍の腰巾着の一人で、「博友会」なる塾団体からカネを吸い上げていながら、届は出さず、政治資金規正法違反の疑いをもたれたことは、前にここでも「下村博文・文科相の不正献金疑惑問題」(2015.3.4)として取り上げたことがありますが、いかにも公正観念の欠落した腰巾着らしい「指示」です。話を「親族」に戻すと、「山口県長門市のある市議」が語ったという詳細はこうです。

「斎木家は長門で代々医者の家系。陽平君の曽祖父は長門市長を務め、祖父は安倍総理の父親の晋太郎さんの後援会幹部でした。そのうえ、安倍家とは遠縁に当たるそうです」

 これは安倍事務所も認めているという話で、新潮記事は「要は、昭恵夫人は、親族かつ有力支援者の子弟に便宜を図るために、文科省に公然と圧力をかけ、大臣をはじめ政治家を動かしていたことになるのだ。その意味では、森友学園の問題よりも根が深いと言えよう」と指摘するのです。

 しかし、昭恵夫人にはそんな自覚はない。少し長くなりますが、そのあたり、記事を引用させてもらうと、

 第2回未来会議には文科省の後援はつかないが、昭恵夫人は相変わらず、公邸という「公の場」に主催者たちを呼んでは打ち合わせをさせ、未来会議の後押しをしている。また、今回も会場に総理公邸を使えるように、現在、尽力しているという噂もある。
 この期に及んで、なにゆえに未来会議に、公人然として関わりつづけるのか。昭恵夫人に連絡しても、梨のつぶてだったが、彼女は昨年12月には、本誌の取材にこう答えていた。
「陽平君は主人の父の後援者のお孫さんでもあって、非常に頑張っているので応援してきました。遠縁といえば、遠縁だと思います」
 と、総理夫人が公の力を使って支援すべきではない対象であることを認めながら、悪びれずに、続けた。
「陽平君だけじゃなくて、誰に対しても、良いことをやろうとするときは、私は“利用していいよ”と言っているので、若くて名前がない人たちは、信用を得るためにはすごく努力をしなくちゃいけない。それはすごく無駄なことだったりもするので、私が信用のために使えるのだったら、使ってもらって全然いいと思ってるんですね」
 かわいい子にこそ旅をさせることの見事な逆張りであるのはともかく、「利用していいよ」と言うが、なぜ昭恵夫人は利用するに足る存在なのか、それは、肩書に「総理」という冠がつく「公人」だからに他なるまい。


 常識的見地からすれば、こういうのは試験のカンニングやコネ入社などと同じなので、自分の親戚や接近してくる団体に「良いことをやろうとするときは、私は“利用していいよ”と言っている」というのは、進んで社会的不正に加担するのと同じ結果になるのに、ご本人にはそうした自覚が全くないということです。大体、森友学園のような戦前教育の復活にも「感動して涙を流す」ほどなので、その場合も「良いこと」というのは夫人自身の幼稚な主観による判断でしかないので、なおさら問題なのです。

 記事の内容とは順序が変わりますが、僕が読んで呆れたのは、

 しかし、それでも、主催した斎木氏が、若者の政治意識を高めるべく真摯に行動したのなら救いがあるが、現実に行っていたのは、自分が経営する塾への勧誘だったのである

 というくだりです。記事には「未来会議参加者の君へ」と題されたビラの写真が出ていますが、「これはAO義塾なる塾への誘いで」「なんのことはない、斎木氏は総理夫人の尽力で不自然に大掛かりになったイベントを利用して、参加者を自塾に勧誘していたのである」というから、驚くのです。

 何でも、この斎木という青年は、10年にAO入試で慶大法学部に入学したらしいのですが、早くもその年末にはこの塾を立ち上げ、ある塾講師が語るには、

「私が作った教材やノウハウを勝手に使い、苦情を言うと逆ギレする。うちの生徒がAO義塾を見学に行けば、私についてのウソの情報を流し、“うちに来た方がいい”と勧誘する。また、うちの塾に話をしに来て、うちの塾生に自分の名刺を配ってAO義塾に引き入れた。とにかく倫理的に逸脱しているのです」

 という輩で、「塾業界に詳しいジャーナリスト」によれば、「自塾の生徒を未来会議の運営に関わらせ、彼らが自主的に活動をしたかのような志望理由書を書かせてAO入試対策とし」たり、「イベントに集まった優秀な子に声をかけて誘導するため、東大の推薦入試でそれなりの結果を出す」のだそうで、この斎木という青年は明らかに「未来会議」なるものを悪用しているのです。

 それが「良いこと」だと思っているのは昭恵夫人と斎木青年だけのはずで、文科省が「再三、宣伝活動をしないように伝えてきたのに、事後に宣伝をしていたという情報が出てき」て、「頭を抱え」たというのは尤もなのです。

 塾教師の僕からすれば、こういうのは許しがたい手合いです。ここまで悪質ではないが、僕も自分の息子を延岡の某数学塾に「広告塔」代わりに利用されて腹を立てたことがあるので、ついでにそれを書いておきましょう。息子は割と礼儀正しい人間なので、合格後、挨拶に行ったのですが、そこの塾の生徒たちの前で話をしてやってくれと頼まれて、話をした。そこまではまだ許せたが、大学入学後も、お土産をもって行こうと電話したら、また似たようなことを頼まれたという話で、後で話を聞いて驚いた僕は「もうそういう要請に応じるのはやめろ。高校でなら、商売ではないからいいが、おまえにその気は全くなくても、そこの生徒たちや保護者はおまえがその塾にとくに世話になったと恩に着ているから、そういうことをしていると思うだろう。お人よしにもほどがあるので、宣伝の片棒を担がされているのと同じになる。事実は、おまえは最後まで数学が一番苦手だったし、二次試験では仮に数学が零点でも受かっていた〔今は成績開示のおかげでそういうこともわかる〕のだから、月謝以上の恩恵を受けたわけではさらさらない。大体、塾商売をしている人間が生徒をそういうかたちで利用するというのはまともな人間のやることではないので、実にふざけた野郎だ」と言ったのです。

 元々、彼がその塾に通い始めたのは、高1の時、数学の定期テストのクラス平均点が他のクラスより20点も低いというトンデモ教師に当たってしまったからです。文系でも、これはまずすぎる。中学までは数学が得意だったはずなのに「数学の授業がさっぱりわからない」と言うし、話を聞いているうちに、それは新米だからではなく、永遠にまともな授業ができないタイプの教師だなと判断したので、塾で数学塾に通っている生徒から電話番号を聞き、通わせることにしたのです。そのとき、そのトンデモ教師に当たった生徒は多くが緊急避難的に数学塾に通い始めたらしいので、塾としては一気に生徒が増えて大助かりだったようですが、その中にはそれまでその塾にはいなかったような優秀層が混じっていたので、大喜びしたのでしょう。

 僕自身は、元塾生にそんなことを頼んだことは一度もありません。たとえそれが塾を持ち上げるものではなく、公正客観的な「勉強の仕方」についての話でも、「効果」や「印象操作」の見地からして「えげつない」と感じるからです。それは生徒を利用したのと同じになる。息子は京大と早稲田4学部を一般受験して、全部に合格したので、そういう生徒がわざわざ何度も塾にやってきて話したとなると、その塾の印象はずいぶん影響を受けるでしょう。「そんなつもりはありませんでした」とそこの塾(他の数学塾が迷惑するかもしれないので、イニシャルだけ明示しておけば、S塾という名ですが)の経営者が言っても、それは通用する理屈ではない。もっとまともなやり方で勝負しろ、と言いたくなるので、一度このSという塾長は僕のところに息子が高校在学中に電話を寄越して、「おかげで助かってます」なんて言ってましたが、それは成績のいい子がいると塾としては間接的な宣伝になって「助かる」という意味だったのでしょう。だから、それを最大限に利用しようとした(そのときの電話も、手に負えない心理的問題を抱えた生徒をこちらに押しつけるためだけだったと後でわかって呆れたので、僕はまだ彼を信用していた頃、数学塾を探している生徒を何人か紹介しましたが、その逆はゼロだったのです)。

 こういう妙に調子のいいジコチューの御仁はどの業界にもいるものですが、このAO義塾の斎木という青年の場合には、詐欺のレベルに達していると言わねばならないでしょう。ノーテンキな昭恵夫人はそれをしも「良いこと」だと言うのか、直接会ってきいてみたいくらいです。

 世の中には「善意」を装って、あるいは極度の自己欺瞞から、人を利用することを恥としない手合いがたくさんいるので、権力者の妻たるもの、その片棒を担いでおきながら「そんなことは知りませんでした」ではすまないのです。私は馬鹿なのでいつまでたってもその見分けがつきませんというのなら、初めから出しゃばるなと言う他はないでしょう。
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