朝課外は廃止できる

2018.04.26.15:58

 最近この問題に関するコメントがまたぽつぽつ来ているので、ひさしぶりに「延岡の高校」コーナーの記事を書いてみます。

 先日、塾に来た生徒(新2年)が「疲れた」と言うので、理由を聞いたら、朝課外がまた始まったからのようでした。延岡高校では「課外不受講届」なるものを出せるようになったのですが、出すと、トムさんという方がここのコメント欄で紹介してくれた西日本新聞の記事の生徒の言葉のように「すさまじい圧をかけられる」ことになるので、それを恐れて出せなくなるのです。学校の心証を害して、推薦がもらえなくなるのではないか、という心配などもあるのでしょう。

「君らはやり方が下手だねえ」と僕は笑ったのですが、大部分の生徒が「朝課外いらない」と思っているのなら、皆でその「不受講届」を出してしまえばいいのです。そしたら、広い教室で先生たちは2、3人の生徒相手に課外をやらなければならなくなり、それまで時給1600~1800円程度もらっていたのも、僅か200円ほどになり、「こんなの、やってられませんよ」ということになるでしょう。そしたら時間の問題で「もう廃止しましょう」という流れになるのです。届を出す生徒の方が多ければ、「説得」と称する脅し・強要もできなくなる。先生たちの中にも「こんなことに意味があるのか?」と内心思っている人はいるのだから、「支持がないのだから、もう廃止した方がよいのではありませんか?」と職員会議で発言することなども容易になるのです。

 割とかんたんな話でしょう? 朝課外が大部分の生徒にとって深刻な慢性睡眠不足の原因となっていることは明らかだし、それで学力が伸びたという証拠は全くない。慢性的な寝不足で学習効果が上がるわけはないから、それはあたりまえの話なのです。なかには朝型人間で早起きが得意という子もいるかもしれませんが、そういう例外的な生徒は自宅でなり、他より早く学校に行くなりして、勝手に勉強すればいいのです。今、自分に何が必要かということを考えてその都度勉強プランを立てれば、それは一律の課外授業よりずっと効果が上がるはずです。主体性を育てるのにも役立って、それは大学入学後伸びる素地になる。

 延岡高校には日向市から電車で通学している生徒がかなりの数いて、二年連続でうちの塾にもそういう子たちがいたので、話を聞いて「へえ、そんなに多いの?」と驚いたのですが、彼らが口を揃えて言うのは、朝課外がなければ、特急を利用しなくて済み、毎日300円の特急料金を余分に支払わなくて済む、ということでした。月20日だったとしても、合計で6000円です。朝課外の内容が課外費プラスそれ(年額いくらになるかは各自計算して下さい)を支払っても受けたいと思うようなものならまだいいが、とてもそんなふうには思えないと、彼らは顔を曇らせるのです(それなら日向高校に行けばいいじゃないか、と言う人もいるかも知れませんが、委細は省くとして、生徒の学力レベルや学校の雰囲気にだいぶ違いがあるから、彼らはそういう選択をしたのです)。

 いやいや、そんなことはない、あんたの言うことは偏っている、とおっしゃる親御さんたちもいるかも知れません。延岡高校は昨年は現役国公立大合格率が70%に達したというし、今年はそちらの率はそれほどでもなかったが、国立医学部医学科の合格者は8人、九州地区の医学部合格ランキングでは24位に入り、旧帝大の合格者も8人(但し、九大医学部医学科の1人が重複)いたのだ。これは課外抜きでは考えられない輝かしい成果ではないかと。

 そういう認識がそもそも間違っているのです。昨年、2017年度は、こういう言い方は率直すぎて叱られるかもしれませんが、この十年で最も見栄えのしない学年でした。生徒たちも「上がいない」と笑っていましたが、いわゆる難関大の合格者は例年よりずっと少なかったし、その自慢の合格率も、多くが推薦で稼いだものだったのです。わが零細塾ですら推薦で進学を決めた生徒が7人もいたので、延岡高校流に言えば、「過去最高」だったのです。一般受験の生徒の方が少なかったので、塾としては受かってくれさえすればいいのですが、こういう年も珍しいなと思ったものです。

 今年の場合はどうかと言うと、国立医学部医学科合格者8人のうち、5人は浪人です。つまり、そちらは学校の手柄ではない。そして残り3人は二次試験免除の宮大地域枠合格者でした(うち2人はセンターの得点率が85%に達していたそうなので、「当確」だろうねと僕は言っていたのですが、それ以下でも1人入った)。現役一般受験組の合格者はゼロ。

 旧帝大に関してはどうか? その8人のうち、九大2人、名古屋大の2人が推薦です。従って、一般受験合格者は4人しかいないが、そのうち2人は浪人、1人が現役後期です。要するに、前期での現役合格者は京大の1人しかいなかった。受験者がいなかったわけではないので、旧7帝大に東工大、一橋、神戸を加えたものを業界では「十大国立難関大」と呼んだりしますが、今年の受験者には東工大や一橋もいたし、京大は3人もいた。「全員受かったら、君らの学年はかなりすごいことになるね」と言っていたのですが、ふたを開けてみたら、1人を除いて全滅だったのです。

 以上、事実だけを書いたのですが、あまり学校が自慢できる話ではないので、こういう進学データというのはその中身をよく見なければならないということです(ちなみに、その現役6人の旧帝大合格者のうち2人は日向から電車通学していた生徒です。名古屋大理学部〔セあり推薦〕の生徒と、京大文学部に一般入試で合格した生徒)。

 僕はいつも思うのですが、学校がおかしな邪魔をしていなければ、生徒たちの資質からして、難関大の合格者はもっと増えるでしょう。今年の「1人を除いて全滅」という残念な結果にしても、直接は知りませんが、落ちた生徒たちは皆優秀だったと聞いているので、時期に応じた適切なアドバイスが受けられ、発展学習に使える自学自習のゆとりをもっと与えられていれば、本当は大方受かっていたのではないかという気がするのです。いわゆる地頭はいいのに、環境がそれを生かしてくれるようにできていない。その象徴があの朝夕課外です。

 延岡高校には当地とその周辺の優秀な生徒たちが多く集まります。前は小規模ながら私立の尚学館の進学実績がかなりよくて、健闘していたのですが、うち続く不況も影響しているのか、他にも要因があるのか、生徒の集まりがよろしくないようで、今はその面影はありません。以前は現役・既卒を分けて発表していた合格データも、一緒にしてごまかすようになった(だからそれを見ても現役なのか浪人なのか、判別がつかない)。私立の進学校の「東大京大よりも医学部へ」というのは全国的な傾向で、ここもそうだと言われそうですが、今年のデータを見ると、医学部医学科は私立の東海大の一つしか出ていない。それも現役か浪人かわからないのです(うちの塾では数年前から尚学館の生徒はゼロになりました)。

 だからこのあたりでは「延高一強」になったなと僕は見ているのですが、問題は生徒を思うように伸ばせていないことで、その根っこにあの課外があると思われるのです。

 課外は上位1割の優秀層には「迷惑」でも、中位・下位の生徒にはプラスが多いと言う人もいます。前者の生徒たちはほうっておいても自分で勉強するし、何が必要かもわかっている。だからいらないかも知れないが、後者には強制されないと勉強しない者が多く、課外で勉強量が増えるから、それが「底上げ」につながっているのだと。

 果たしてそれは本当なのか、と僕は疑っています。朝課外など、そういう生徒は寝ぼけまなこだったり、実際に寝ていたりすることが多いと聞いているからです(それでも「睡眠学習」効果がある?)。頑張って起きている子たちも、疲れているから頭は働いていないのです。今年の九大の英語入試問題に、再度「睡眠不足の害」を説く英文が出ていて、面白いのは睡眠時間を6時間に限定して、軽度の睡眠不足状態にすると、本人たちはperfectly wellだと思っているが、実際はIQテストなどの成績も下がって、明白な機能低下が認められる、とあったことです。早速塾でその英文を生徒たちに読ませたのですが、そんなに難解な英文ではないし、学校は朝課外でこれを教材に使用したらどうでしょうかね?

 話を戻して、課外による長時間拘束の弊害は、そのために生徒たちが忙しくなりすぎて、自分の頭を整理したり、復習が必要なところを自分で勉強し直したりするゆとりが奪われるという点にもあります。それで学力が伸びるはずはない。単語の暗記テスト(しかも一度の量が多すぎる)などもよくやっているようですが、ああいうのも時間が取られる割に効果は乏しいので、たいていはテストが終わった瞬間、全部忘れてしまうのです。僕は暗記が不要だとは言いませんが、主体的に自分で単語集を買ってチェックし、不足分を補おうとしたりするのとは性質が違うのです。げんに、単語も熟語もほんとに知らないなと、僕は塾の授業で苦笑させられることが多いので、効果はほとんど認められないのです。そもそも、よくできる子というのは、機械的な暗記力にすぐれているからできるのではなく、文脈を把握し、考えながら読む能力が高いからなので、英文を読む中でその語を捉え、実地の用法を理解しながら憶えていく、というのが単語やイディオムをマスターする上で一番合理的なのです。知識や情報というのは、その人の頭の中で有機的な関連付けが行われてこそ役に立つ。また、そうすれば無理なく憶えられるのです。文法だって、ここではなぜこういう言い方になるのか、説明できることはたくさんあるので、それ抜きで機械的に暗記しても、理解が伴っていないのだから、すぐに忘れてしまうし、応用も利かないのです(前にここにも書いたように、あのベーシック・グラマーなる文法プリントの嘘の解説などは、生徒の頭の混乱を募らせるだけなので、ない方が親切というものですが)。

 要するに、物事の理解には勘所というものがあって、頭にも「使い方」がある。そうしたことを授業を通じて生徒に伝えるのがよい教師です。しかし、前にも何度も書きましたが、忙しすぎると人間は考える手間を省くようになる。何でも機械的に処理しようとする悪い癖がつくので、学校でつけられたその悪い癖を矯正するのが塾教師の僕の仕事の一つになってしまっているので、これは本当に嘆かわしいことなのです。

 だから、早く無用な課外は廃止して、正規授業の質の向上に取り組むべきだと繰り返し言っているので、これは道理にかなった注文でしょう。しかし、課外で多忙になっているからなおさら、先生たちにはそのゆとりがなく、やたら暗記の小テストなど繰り返して生徒から自律的な学習の時間を奪い、事態を悪化させる羽目になっているのです。本末転倒も甚だしいので、なぜそれがわからないのでしょう。「考える力」は教員にも必要なのでは?

 ここで一つ「そもそも論」をさせてもらうと、田舎のふつうの公立高校の場合、大学受験指導をするのにはかなりの苦しさがあります。有名進学校の場合なら、教員も教科学力の非常に高い、教養的な厚みもある、入試問題にも精通した先生を揃えているのでしょうが、地方のそうでない公立普通科高校の場合、むしろそういう先生は例外的な存在です。一つの学校に3、4人もいればいい方でしょう。教員採用試験というのはそういうことを基準としていないからです。だから、そのような学校に生徒の受験指導を委ねること自体無理があるので、基礎はきちんと教えていただくとしても、それ以上のことは生徒の自主性に任せた方がいい。できないことをしようとするからかえって基礎までなおざりになってしまうのです。

 課外の必要性についてよく主張される理由は、「田舎には塾や予備校がないから高校が肩代わりすることが必要だ」というものです。それは学校側にその指導能力があって初めて言えることなので、「ない」場合には見当外れな無理を生徒に強いて、有難迷惑になってしまうことがあるのです。

 前にも書きましたが、今はスタディ・サプリのような、全国どこでも利用できる廉価なネット予備校もある時代です。たしかに対面授業で都会の予備校に匹敵するような授業ができる塾は田舎には少ない。延岡あたりでも、大学受験の場合には、自習のための場所を提供する自習塾の類が大半です。しかし、ネット予備校の普及でそのへんは補われている。学校で申し込むと費用が割引されるらしくて、学校自身がそれを推奨しているほどです。

 しかし、課外と多くの宿題にプラスしてそれでは、生徒の睡眠不足と過労を募らせるだけです。だから費用は払ったが、全然利用していないということにもなりかねないので、やっていることが支離滅裂なのです。

 僕の塾は英語塾(頼まれれば、小論文指導もする)ですが、十五年前「開業」した当初は、課外と宿題で生徒たちが忙しすぎるのに同情して、負担になるような宿題は極力出さないようにし、内容も学校に合わせるようなかたちをとりました。やや高級な補習塾みたいな感じだったのですが、開業時一年生だった生徒たちが受験を迎えたとき、それが完全な間違いだったことに気づいて、方針を変えました。生徒が疲労困憊してセンターで大失敗したり、二次学力の不足から受かっていいはずのところに受からなかったりするのを見て、文字どおり「頭に来た」のです(その中には一浪してセンターで全教科合計92%を取り、記述学力も申し分のないものを身につけた女子生徒も含まれている)。

 その後、いくらかの試行錯誤はありましたが、「二次に照準を合わせた指導」に転換したのです。質問があればいつでもそれは受け付けるとして、学校は無視することにした。すると効果が出始めて、優秀な生徒はちゃんとそれに見合った大学に受かるようになった。この十年の一般入試現役合格率は、運にも恵まれ、旧帝大にかぎって言えば100%です(零細塾だから数はそう多くないが、京大3、阪大2がその中には含まれると言えば、田舎ではそのあたりの合格者自体が珍しいのだから、なかなかのものでしょう?)。1人も該当者がいない年もあれば、3人受験者がいる年が続いたこともあるというふうに、そのへんはマチマチなのですが、センター判定がCやDでも、ふだんの授業と過去問の出来具合(何年分も添削していれば、大体のところはわかる)から判断して、むろん、他科目の成績も考慮に入れてですが、これなら二次で十分挽回できると見たときは、ゴーサインを出すのです。

 こういうのはむろん、生徒の素質と努力(+本番度胸)次第です。塾教師の仕事は彼らのたんなるサポートにすぎない。また、ついでに書かせてもらうと、ネットにも電話帳にも出ていないあの「謎の塾」には難しい入塾テストがあって、生徒を選別するなんてのはただのデマなので、僕はそんなことは一度もしたことがありません。上から下まで、色々な生徒がいるのです。それぞれの生徒がそれぞれに適した大学に入ってくれればいいので、そういうことで生徒を差別したりはしない(お勉強はどうでも、感性豊かでキャラが面白いという生徒は、僕のお気に入りになるのです)。

 話を戻して、上記旧帝大一般受験合格者の中に女子が1人(こちらは九大)しか含まれていないのは奇妙ですが、僕の「指導」の中には、「夜はちゃんと寝ろ、学校はうまく手抜きしろ、いらないものはやるな」という助言も入っているので、女の子は真面目で、それができずに疲労が蓄積して途中で失速してしまう子が多い、という事情が関係しているのかも知れません(実際、それで志望校を下げるケースは珍しくない)。学校のあの課外や宿題に、塾の宿題がプラスされ、それを全部ちゃんとこなそうとすれば、こなせるわけはないのですが、疲れ果ててしまうのです。この点、男の子の方が手抜きがうまい。

 つまり、うまく行くようにするためには、学校に対して適切な「防衛」措置を講じなければならないということなのです。これは塾に通っていようと、スタディサプリを使っていようと、完全な自学自習戦略を取っていようと、変わりがない。学校側は生徒に「学校の先生方の指導に従っていれば間違いない」という「先輩からの助言」を配布したりしていますが、あれはヤラセまたは偽造なので、真に受けてはならないのです。「間違いない」のなら、なぜ優秀な生徒たちの難関大合格率がこんなに低くなるのか? 僕はよく、受かった生徒たちに、学校から後輩たちに話をしてくれと要請されたら、「あんな課外なんて疲れるだけのものはいらない」と言ってやれよと言うのですが、皆苦笑するのです。また、平気でそんなことを言いかねないような生徒にはお呼びがかからない。そこらへんの学校の人物選定眼の鋭さには感心させられるので、僕が凄いなと思うのは、そういうところだけです。

 最後に、話を整理しておきましょう。朝課外は深刻な睡眠不足の元凶になっており、それは学校授業全般の学習効果を低下させる。さらに、疲労が蓄積して、学年が上がるほど、また頑張れば頑張るほど成績が伸び悩むという悪しき結果をもたらす。もう一つ、これは朝夕課外全部ひっくるめてですが、十分な受験指導能力をもつ先生は少ないので、その「受験対策効果」自体が疑わしい。それなら生徒に自由にやらせた方がいい(塾やスタディサプリ、通信添削のようなものを利用するなり、自分で計画を立てて勉強するなり)。強制しないと勉強しない生徒には必要だという意見については、強制しても勉強しない生徒は勉強しないので、どのみち無意味なのです。大体、大学受験の勉強は強制されてやるものではない。また、先生たちはそれで多忙になるから、自己研鑽の時間とエネルギーが奪われ、正規授業の質のアップが難しくなる。授業の質が劣化して、効果が上がらないというので、さらに課外や宿題を増やしたりするのは本末転倒で、事態をさらに悪化させるだけなのです。

 以上は課外廃止の十分な理由になると僕は思うのですが、いかがなものでしょう? あらためてそのあたり、よく考えていただきたいと思います。

【追記 4.29】 大分県の県立高校ではついに朝課外が廃止された! 角田あやさんという方のコメントをクリックしてご覧ください。  

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あり得るのか?―間違いを指摘された英文法の駄目プリントをそのまま使い続ける延岡高校

2018.01.28.20:29

 阪大に続いて、京大でも入試の物理の問題に不備が指摘されたという報道がこの前ありましたが、ああいうのはかなり高級な問題で、これとは次元が異なります。

 僕が「延岡高校『ベーシック・グラマー』の解説の嘘について」と題した一文をここに載せたのは、2016年10月のことでした。「あれはオレが作ったのだ」と自慢していた英語科のボスが他校に転出したのがその翌年で、この問題が多すぎた英語科教師は何でも自分の手柄にしたがって平気で嘘をつく習性があったので、それがほんとかどうかは知りませんが、とにかく彼がいなくなれば、このアホなプリントの使用もやめるだろうと、僕は喜んでいました。

 何せ、2年の途中まで英語の授業と言えばほとんどこればかりなので、おかげで学校の授業と宿題だけやっているだけの生徒はほとんど学力が伸びないという深刻な弊害が出ていたのです。それで文法だけはわかるようになるというのならまだしも、うちの塾の生徒など見ていると、文法が一番苦手という生徒が多いので、3年で塾に来た生徒にまで一から文法を教え直さねばならなくなったりするのです。要するに、何の役にも立っていない。

 いや、もっと悪いというべきで、ワンパターンの同じ形式の羅列なので、考えずに機械的にやってしまうという悪癖がつく。当然、退屈で面白くないことこの上ないので、多くの生徒が言うように「手が疲れるだけ」なのです。

 これは実話ですが、息子が高2の一学期だったか、僕は彼の模試の成績表を見ていて、文法の失点が異様に多いのに気づいて驚きました。3分の1しか得点できていないのです。長文で稼いでいるから全体として点数は悪くないが、一体どうしてこうなるのだとたずねたところ、「あのBG(ベーシック・グラマーのこと)ばかりやらされているうちに、だんだん文法がわからなくなってきた」と言うのです。何だって!? 僕は高校生になったら英語は教えるよと約束していたので、塾で週に一回(3年時は週2に増やしましたが)英語長文の授業を始めました。文法ぐらいは学校で足りるだろうと思っていたのですが、逆効果になっていることが判明したのです。

 おまえ、それはまずいよ、ということで、自分で本屋に行って、薄めの文法・語法の使いやすそうな問題集を一冊買って、それを2週間ぐらいで終わらせて、不明箇所はまとめて質問するよう言いました。彼はその通りやって、すると以後、文法の失点は激減しました。

「一体、学校は何をやっているのだ?」とあらためて呆れたのですが、その時点ではあれがクソプリントだという認識はあったものの、見る気もしないので、嘘の解説まで施されていることには気づかなかったのです。

 あれに気づいたのは偶然で、生徒が定期試験前にそれをもってきている時、何気なく手に取って解説を読み、「何じゃ、これは?」と驚いたので、それがたまたま仮定法の箇所だったのです。仮定法は当然ですが、重要箇所です。その冒頭にあんなトンデモ解説(率直に言って、頭が悪いとしか思えない)を載せているのだから、致命的なので、こういうのはよくあるミスプリの類とはわけが違う。自信たっぷり、大嘘を教えているのです。それで仮定法がほんとにわかるようになったら、その方が不思議なくらいです。解説の執筆者である当の教師の側が仮定法を誤解しているのですから。

 僕はそれ以前にも、あんなものは役に立たないから使用をやめるべきだと書いていました。そこに嘘の解説まで重なっているとなれば完全に終わっているので、とどめを刺すつもりであれを書き、幸いにおかしな英語ボスも転出したことだし、使用はやめることになるだろうと、生徒のためにも喜んだのです。

 ところが、新1年生にもまだあれを使い続けていると知ったときは「何を考えているのだ?」と信じられない思いで、しかし、時間的余裕がなかったので暫定的にそうしているだけで、僕が指摘した箇所などは急場しのぎの直しを加えて、“その次の学年”から正式に使用を中止する腹積もりなのだろうと、よい方に解釈しました。

 最低限の常識があればそうするはずです。しかし、先日、学校にはそんな「常識」などはカケラもないことが判明したので、塾の1年生の授業の時、「君ら、そろそろ仮定法に入ったんじゃないの?」ときくと、「はい」というので見せてもらったら、全然直っていなくて、嘘の解説をそのまま載せ、授業でもその嘘を復唱しているというのだから、開いた口がふさがらないのです。英語教師としてふつうの学力があれば、あれは嘘だと気づくはずです(それもないのなら、教師なんかやるなよ)。

 とにかくそれで、今、延岡高校のメディカルサイエンス科のあるクラスでは、生徒たちの間であの記事のコピーが回し読みされたり、直接このブログでそれを読んだりして、結構盛り上がっているようですが、いたずら小僧たちはそのコピーを知らんぷりして教卓の上に置いておくとか、提出する課題の中に“誤って”混入させてしまうとか、あれこれよからぬ作戦を考えているようです。

 僕が彼らに示唆したもっと良い方法は、先生にあれを見せて、「先生、わが校の誇りである神聖なベーシック・グラマーに難癖をつけ、あれは最低のクソプリントだと言って、こういう誹謗中傷を書いているけしからん塾の教師がいるので、反論してやっつけてやって下さい。あれのこの解説部分が嘘だなんて書いているのですが、ありえないですよね? げんに僕らはそう教わっているのだし、ぜひ学校の公式ホームぺージで反論していただきたいのです。それと、この記事には、先生方が親切にも単語集のこの単語は入試には出ないから覚えなくていいとバッテンをつけさせていることにも言及して、『げんに入試には出ているから単語集にも載せられているので、よけいなことするな!』なんてことも書いているのですが、こういう失礼なことにも反論してやってください〔註:さすがにこれはまずいと思ったのか、今の1年にはこの単語集バッテン指示は出ていないようですが〕」云々。

 そうしていただければ、僕にも自らの愚かさにあらためて気づくきっかけが与えられるので、喜ばしいのですが、ついでにここの課外に関する記事も見て、「朝課外の必要性と素晴らしさ」についても述べていただければ、「生徒を慢性的睡眠不足に陥らせ、健康を害し、学習能力を低下させる効果以外は何もない」とするわが認識の誤りにも気づかされるでしょう。この問題は去年9月、福岡の県議会で取り上げられて以来、朝日や毎日、日経など、大手新聞社まで「九州地区の公立高校の異様な風習」として記事化するようになっていますが、学校側はここらへんで生徒たちを納得させてやる必要があるのです。名目的に「不受講届」なんてものを出させ、実際に出すとその生徒を呼び出して「説得(事実は強要でしかない)」するなんて姑息な裏工作はせずに、です。

 その際は、いまだに生徒や保護者の間には「善意のボランティア」で先生方がやって下さっているのに、それに文句を言うなんてバチが当たる、と信じ込んでいる人たちがいるので、実際は時給1500~1800円(学校によって違う由)の「おいしいバイト」になっていて、教育公務員は残業手当が出ないからと通常の賃金自体が他の公務員と較べて割増しになっているのにそうしているのだということも、正直に明示しておくことです(小中学校の先生たちの長時間労働は社会問題化していますが、彼らのそうした超過勤務は基本的に無給なので、同情に値します)。兼業禁止の公務員法規定に反するおそれがあるというので、PTA主宰という名目に数年前に変えた姑息な対応にも、併せて触れておくべきでしょう。そういうことは全部すでにこのブログで指摘していますが。

 ついでに言うと、先日、宮崎市の某私立高校で講師をしているという人が塾を訪ねて来て、こういう話を聞きました。そこは朝課外はないが夕課外や土曜授業はあって、しかし、それに対する残業代は支払われていないのだと。そちらは美しき「無償の奉仕」なのです。「それで給料はいくらもらってるんですか?」と露骨な質問をすると、副担までもっているのにかなりの薄給で、公立の先生よりずっと低いのです。その人の意見では、その課外も、公立高校のそれと同じで生徒を疲れさせているだけで、むしろ生徒たちの自学自習の妨げになっているとしか思えない、という話で、宮崎県には強い私立が一つもないのですが、県立高校の退職教師を雇って校長や教師にすることが多いので、眠たい授業が多く、意識も旧態依然のままだから、やることのアホさ加減では似たようなものになってしまうのです。

「何だと、私らをアホというのか!」と先生たちは怒るかもしれませんが、アホ以外の何者でもないでしょう。何もかも「昔からやってることだからやめられない」だけです。こういう人たちにはいくら道理を説いても無駄で、何も考えないのだから、そういう先生たちが団子になって生徒たちに「考える力」をつけさせるというのは、ブラックジョークでしかありません。自分にそれがないのに、どうやって生徒に考える力をつけさせるんですか?

 教育者というのは生徒に対応するとき、「こうだからこうだ」という説得力をもたねばなりません。親の場合でも、まともな親は子供に正直なところを語らせ、ホンネのやりとりを通じて子供を納得させるようにするもので、都合が悪くなると「誰に養ってもらってると思っているのだ!」なんてわめくのは下の下です。

 学校の教師となればなおさらで、校則であれ、課外であれ、生徒を納得させるだけの言葉をもっていなければなりません。僕が高校生の頃は、理不尽なことがあると生徒が教師に反論してやり込めるというのはとくに珍しいことではありませんでした。僕自身そうした経験があるので、あるとき似たようなことが二度続いて、その先生たちは職員室に帰ってから「あの生意気な生徒は何だ!」と担任の先生に当たり散らしたらしく、朝のホームルームの後、廊下に呼ばれて「おまえは無茶苦茶言いすぎる。少しは私の身にもなってくれ」と、叱責とも哀願ともつかぬことを言われたことがありますが、僕は別に個人的な恨みからそうしたわけではないので、げんにクラスの皆は大喜びしていたのです。こいつは生徒をなめてるなと腹が立ったので、言い方はきつくなってしまったが、言ったこと自体は正しかったと今でも思うので、それで教師の対応や授業は変化したから、無駄ではなかったのです。

 昔は高校生は子供扱いされていなかったので、高校生の言い分はそれだけ尊重されたとも言えるでしょう。今は「わが校ではこうなっている。おとなしく従え」となっているようで、それを生徒たちが不快に思うのは当然です。僕は塾で生徒にそういう対応はしていないので、自分が間違えたときは素直に謝るが、それで生徒たちに軽んじられるということは別にないわけで、何で学校の先生たちはそうしないのでしょう。

 前に全校集会の議題で、それはクラス毎に出すのですが、「朝課外について話し合いたい」という意見が一番多かったという話を生徒たちから聞いたことがあります。民主主義の原理からすれば、それを一番に取り上げるのが筋ですが、学校側はそれを議題に乗せないよう妨害した。そこには取り上げるべき理由がクラスごとに書かれていて、僕はそれを見せてもらいましたが、生徒たちがきちんと理論武装もしていることがそこから読み取れたので、やっていれば実りある議論になったでしょう。ところが学校はそれを葬り去った。生徒たちの疑問に答え、説得する自信がなかったからそうしたのです。

 わかりきったことですが、それは僕がそそのかしたからではありません。一人もうちの塾の生徒がいないクラスでもそうだったので、彼らは自分で考えて強い疑問を抱いたのです。学校側はそれに正面から向き合う義務がある。なぜそうしないのでしょう?

 何も考えない学校の先生たちは当然ながら考えていないでしょうが、これは最悪の政治教育なのです。理不尽なことでも権力には逆らうな、正当な疑問でも口に出すことはするな、どうせ言っても何も変わらないのだから、議題として出すならどうでもいい花壇の新設とか、そういうものにしろ、後はネットの2ちゃんあたりに他人の下劣な中傷文でも書いて憂さ晴らしをするがいい、そう教えているのと同じなのです。それが税金で食わせてもらっている公務員、教育者のやることか? ここは北朝鮮なのか?

 課外の話はこれくらいにして、あの無駄に英語授業を潰す手段になっているベーシック・グラマーに話を戻すと、あの批判記事は小中学校の先生や、他校の教師たちは読んでいて、生徒にも知っている子が少なくないのに、延岡高校の英語科の教師は一人も読んでいないというのは妙な話です。それとも指摘が難しすぎて、読んでも何が書かれているのか理解できなかったとでも言うのでしょうか? あるいは、全校集会で課外の問題を取り上げないようにしたときと同じで、「見なかった」ことにしているだけなのか? そうすれば使い続ける口実になるからです。間違いが書かれていても、どんなに学力をつけるのに役立たなくても、それは前任者たちの責任であって、自分の責任ではない。代わりの教材や授業をどうするか、考えるのは大変なので、そのままにしておくことにしましょう…。そういう「暗黙の合意」が先生たちの間にはあるのでしょうか?

 何にしても、その場合、被害者は生徒たちになるわけで、僕としては呆れる他ありません。あれを使い続けるというのなら、げんにこういう指摘がある以上、そうする「正当な理由」を示さねばなりません。でないと、解説の嘘を指摘したあの記事と、この記事のコピーが自己増殖を始めてそこらじゅうにばらまかれ、学校は本格的に困ったことになってしまうでしょう。それは僕のせいではないので、責任転嫁されては困るとだけ、最後に言っておきたいと思います(学校側から要望があれば、いつでもファイルを送って差し上げますよ。それを職員会議の資料にでもなさったらいかがでしょうかね)。

宮崎県の県立高校 課外1コマ1800円の教員報酬?

2017.06.28.16:27

「延岡の高校」コーナーに日曜、新たにこういうコメントが入っていました。

 課外と模試は全員参加になっているのは不参加者が半分もいたら先生に払う課外と模試の手当が払えないから全員参加を強要するのでないかと思います。宮西は課外手当を便覧に公表しました。1コマ1800円と記載されてます。
 宮西は数学と英語の教科書を課外で進行させてます。国語は課外で古文漢文を進行させてます。
  延岡高校が不受講願を出させているから不受講願を大多数の生徒が出せないのは、授業と課外を連結してる証拠でないかと思います。


 この人の投稿文(Y君でしょ?)は句点が不足している上に、いつも微妙に「てにをは」がヘンなので、もっとよく頭を整理してから文を書いてもらいたいと思うのですが、とくに最後の部分は日本語になっておらず、意味不明です。それでその箇所を推測すると、延岡高校では「不受講届」というのをタテマエ上は出せるようになったが、大多数の生徒が出せないのは、「授業と課外を連結している」からではないか、ということなのでしょう。

 これについては、延岡高校の場合、今は一応正規授業とは「分離」するよう上から指示は出ているようです(守っていない先生はいるかも知れませんが)。分離はしていても、大方の生徒が受講するなら「受講しない」と言うのは勇気がいるし、仮にその届を出しても、担任の先生から翻意するよう説得されて、結局は受けさせられることになってしまう、という問題があるのです。だから結果として何も変わらないことになる。

 この高校の課外(とくに朝課外)は、去年の冬頃、テレビの「マツコ会議」でも取りあげられて、「そんなのあるの??」とマツコはもとより、他地域の多数の人を驚かせたらしい、という話を前についでに紹介しておきましたが、長く九州全体で広く行われており、それが一向改まる様子がないところから、「九州地方の宿痾(しゅくあ)」と化しているのです。

「宿痾」というのは「長く治らないしつこい病気」のことです。親もそれを経験して「あたりまえ」と思っている人が多いし(九州の外に出てみれば、それは「異常」だったとわかるのですが)、この制度は「塾や予備校の肩代わりをする」という名目で始まったようですが、課外費は徴収されていても、それは安い(在校生全員を顧客にできるのだから、あたりまえの話ですが)ので「助かる」と思っている親御さんはいまだにいるようです。

 むろん、「あんな課外では受験学力はつかず、目指す大学には受からない」と思っている生徒や保護者は多い。いわゆる「意識高い系」の親子はほとんどがそうでしょう。そういう人たちは、仕方なく課外に付き合いながら、塾に行ったり、通信添削を受けたり、スタディサプリの類を活用したり、あれこれ工夫しながら勉強しているわけです。朝課外で寝不足になり、疲れているから、塾に通う場合でも、効果はその分減殺されてしまうのですが。

 教員報酬については、一コマ50分1800円というのは、他の高校も大体似たようなものかなと思いますが、先生たちにとっては悪くない「副業」でしょう。朝早くからボランティアで先生方がやって下さっているのだから、文句を言うと罰が当たる、なんて無邪気に思い込んでいる生徒も少なくないようですが、それは違うわけです。よくある「サービス残業」でそれをやっているわけではなくて、休日に模試の試験監督をする場合でも、給料とは別にちゃんと手当は出ているのです。

 ちなみに、前にも書きましたが、課外の主宰者を名目上PTAに変えたのは、この課外の件は沖縄かどこかで裁判沙汰になったことがあって、学校主宰ではまずい、ということで、変更されたのです。何がまずかったのか? あらためて調べてみると、「教育公務員特例法」という法律の、次の条文に抵触すると恐れたからのようです。

第十七条=教育公務員は、教育に関する他の職を兼ね、又は教育に関する他の事業若しくは事務に従事することが本務の遂行に支障がないと任命権者において認める場合には、給与を受け、又は受けないで、その職を兼ね、又はその事業若しくは事務に従事することができる。

 公務員は原則「兼業禁止」ですが、こういう「例外」が設けられていて、課外はこの「教育に関する他の事業」に相当するが、学校が自分で課外費を集め、主宰者としてやっていたのでは、公立の学校で税金から給料をもらいながら、同時に事業主体として「塾商売」もしていることになって、法令違反になってしまうのです。それでPTAを名目だけでも主宰者に立て、その「要請」に応じて、「それならやってあげましょう」というかたちで実施しているということにすれば、「教育に関する“他の”事業に従事」という体裁になって、「給与を受け」ても「違法」ではないことになる。そういう仕掛けなのです。この場合の「任命権者」というのは県なのでしょうが、そこに届を出しておけば足りる。

 それってインチキじゃありませんか、と言う人が多いでしょうが、たしかにインチキです。しかし、こういうかたちにすれば形式上「合法」にはなるので、「そういうまぎらわしいことを公教育に従事する人間がやっていいのか?」という疑問は当然ありますが、「課外を維持するにはこれしか方法がない」ということで、やっているわけです。

 本来この規定は、学校の優秀な先生が教科書や参考書を執筆したり、講演の依頼を受けて有料でそれを行うなどした場合、印税や講演料を受け取るわけですが、それもできないのでは困る、ということで設けられた規定でしょう。生徒の慢性睡眠不足の原因となる朝課外なんておかしな制度をバックアップするために作られたものでは毛頭ないのですが、それを「悪用」しているわけです。

 ただ、誰も言う人がいないようなので言っておきますが、これはそうしてもなお「法令違反」になっている疑いはあるのです。それは「本務の遂行に支障がないと任命権者において認め(られ)る場合」という但し書きがついているところで、先生たちはそれで多忙になりすぎて、本来教師に不可欠な自己研鑽を怠り、教科学力や指導力を伸ばせず、「本務の遂行に支障」をきたして、低レベルの授業しかできなくなっている可能性があるからです。

 僕はしばらく前にここで、延岡高校の文法プリント、「ベーシック・グラマー」に低レベルの嘘の解説が載せられていることを指摘しました。あれはMS科・普通科共通の教材で、解説の間違い以前に、無駄に量だけ多くて半端でなく退屈なシロモノ(その名に反して文法力自体がつかない)なのが問題なのですが、長くあんなものを使い続けているというのはたんなる教師の怠慢と学力のなさを示すものでしかない、と言えるわけです。すなわち「本務の遂行に支障」が出ているわけです。課外なんて余計な「副業」に励んでいるヒマがあったら、正規授業の中身をもっと工夫しろ、と言われても仕方がないのです。

 もう一つ、そもそもの話、ふつうの公立高校の先生に「塾や予備校の肩代わり」を求めること自体が無理なのです。彼らはその道のプロではありません。教員採用試験はそういうことを採用基準にはしていない。中にとびきり優秀な先生も数は少ないが混じっていて、そういう先生たちなら受験指導もできる、というだけの話なのです。宮崎県の課外制度は、しかし、「塾や予備校の肩代わり」を教師全員に押しつけることになる。そこにも無理があるわけです。

 むろん、塾や予備校にも無能な教師はいますよ。しかし、こちらには自由競争による「淘汰の法則」が働いて、僕は関東で中学生相手の集団塾の校長というのも三十代の頃していたことがあるのですが、生徒たちは無遠慮に「あの先生、わけがわからないから替えて」なんて言ってくるのです。一応本部で「研修」なるものを受けてから配属されることになっていたのですが、それでもそういうのはいるので、仕方がないから生徒と一緒にその講師の授業を受けてみて、あとで改善点をアドバイスしたりするのですが、中にはそれでよくなる者もいるとして、駄目なものはやっぱり駄目で、大方はクビになる以前に自分からやめていく。もしもそんな「わけのわからない」教師をそのまま雇い続けていれば、塾の激戦区ならなおさら、潰れるしかなくなるのです。そういうシビアさがこの業界にはあって、そこが破廉恥罪で逮捕でもされないとクビにはならない親方日の丸の公立学校とは違うのです。

 だから、学校の先生が塾の真似事をしたいのなら、知り合いにでも頼んで学校の外に塾を作ってもらい、そこで雇われている形式にしてやればいいのです。つまり、塾と同じ土俵で勝負すればいい。それなら紛らわしさはなくなるし、生徒の自由・自発性も担保されるでしょう。朝課外に相当する「早朝塾」というのをやればいいのです(怠惰かつ朝寝坊の僕などは、殺されてもそんなものはやりませんが)。眠い目をこすりながらでも、あの先生の授業ならぜひ受けたいと生徒が思えば、そこに行くでしょう。全員がということにはむろんならないから、希望者は激減して、費用も今よりはるかに高くしないと先生に時給1800円も払えませんが、それは仕方がないので、それでも生き残れれば、それは本物です。

 本筋から言えば、それが正しいのです。そして正しいことをやるのが公教育に携わる者の責務なので、生徒たちの多くには「絶不評」の朝課外を正面切っては釈明もできないようなやり方で全員に押しつけ、ずるずるそれを続けるのは姑息というものでしょう。

 僕のところには、ここのコメント欄だけでなく、ブログ経由でメールが届くこともあって、それがまともなものなら、返事はきちんと書いているのですが、他の塾経営者、保護者、生徒たちからのそれはあっても、当の学校の先生たちからのそれは絶無です。学校のホームページの類に反論が出ていた、という話も聞いたことがない。それは生徒たちが全校集会の話し合いのテーマに課外問題をとりあげてほしいと要望しても、ムニャムニャ言って拒絶してきたのと同じでしょう。そこらへん「もり・かけ」問題での安倍政権の対応と似ています。安倍は質問されると逆ギレしたり、説得力に乏しい意味不明の言い訳を並べたり、挙句の果ては全然違う話を持ち出して、国民にそれを早く忘れさせようとしているのですが、こちらの方が歴史が古いので、安倍政権はそれを真似たのかもしれません。つまり、宮崎県の県立高校のこの問題に関する対応は「国政をリード」しているわけで、学校の先生たちは生徒に、「今の安倍政権のやり方はうちの真似をしているのだ!」と自慢できるのです。

 おおっ、と生徒たちから感嘆の声が上がるかどうか、僕の知るかぎり、今の高校生たちはもっとずっとまともなので、安倍政権が支持率を大きく下げたのと同じ結果になるでしょう。いずれにせよ、学校には教育機関にふさわしいもっと正直、誠実な対応を望みたいものです。「いや、うちの子は何でもいいから強制されないと勉強しないので、あの課外は有難いんです」なんて言っている親御さんには、大学受験はそんな甘いものではないし、それでは主体性も何もない頼りないオトナにしかなりませんよ、とだけ言っておきましょう。

コメント欄の“場外バトル”についての見解

2017.05.23.12:58

 東大五月祭で高橋まつりさんのお母さんを招いてのシンポジウムがあったという東大新聞の記事について書きかけていたのですが、昨日仕事の出がけにメールを見ると、二件入っていて、何なのだろうと思ったら、ブログへのコメントの通知でした。

ホスト:sp49-104-18-204.msf.spmode.ne.jp
********************
どこの塾の方ですか?暇そうですね。
私は延高の卒業生です。
延岡高校の方針に疑問を多く持たれてますが、卒業生がどれだけ延高が楽しかったと卒業後に話してるのか知っていますか?
生徒たちがどれだけ学校を楽しそうにしてるのか知っていますか?
現に高校中退数は圧倒的に少ないです。
生徒、卒業生など不快になるようなものはやめてください。


 もう一つは、

名前:5/22の名無しコメント
タイトル:5/22の名無しコメント
ホスト:KD114020212165.ppp.prin.ne.jp
********************
5/22のコメントで延岡高校卒業生が楽しいとか言ってる奴いますがノスタルジーにふけってるだけです!
課外=加害とmixiやTwitterやFacebookで書き込みしたり課外に反感を持ってる現役生や卒業生が沢山います!
どんどん延岡高校なり星雲や宮崎県内の普通科情報を祝子川通信で書いて下さい!


 投稿時間を見ると、15:07と16:56で、そのあとまた一件入ったようですが、「何だかねえ…」という感じなので、こちらからもリプライしておきましょう。

 ちなみに、僕が「撲滅」を目指しながらまだ果たせていない「朝課外」については、ネットに次のような笑えるサイトができています。

福岡の高校生「朝課外なくしてください」wマツコ会議で話題に!

 要するにこの傍迷惑な制度は延岡、宮崎県だけではないということですが、この中の、

朝課外全国共通化しようぜ 俺らの苦しみ全国民で分かち合おう? 朝課外はいいぞ? 眠いし寒いし頭働かないしおかしくなるぞ? やめられないぞ?

朝課外は九州特有なんすかまじすか、 朝6時半に家を出て帰宅が夜8時だったあの生活…4時間寝たら満足していた私…なんというブラック。笑

 なんてのは爆笑ものですが、上のコメント主に言わせれば、朝課外なんか全然問題ではない(むしろ大変有益?)ので、「生徒たちがどれだけ学校を楽しそうにしてるのか知っていますか?」ということになるのです。前に一人だけ、三年の年明けに朝課外がなくなったら、早起きの癖がついていたので調子が狂ったという生徒がいて、「おまえはアホか!」なんて他の生徒たちに野次られているのを見たことがありますが、寡聞にして僕は「朝課外が素晴らしい」という生徒の話は聞いたことがありません。十何年当地で塾をやっていて、その数はこのコメント主の知っている生徒の数よりはるかに多いと思いますが、「課外はクソ」という意見の方が圧倒的に多かったのです。

「現に高校中退数は圧倒的に少ないです」というのも、「中退数は圧倒的に少ない」のがむしろふつうなので、仮にそれが一割に達する高校があったとすれば、それは完全に異常な学校なので、逆に言うと、中退者が少ないからその学校には問題がないということには少しもならないということです。

「どこの塾の方ですか?暇そうですね」はご挨拶なので、いっぺん僕のところに直接言いに来たら? 無事で帰れるという保証は何もありませんが、そんな度胸ないでしょう? 自分がこういう曲解に基づく愚劣な投稿をして、そっちの方がよほどヒマなのではないかと思いますが、どんなものでしょう?

 以上ですが、こういうのは何かというと「自虐史観だ!」と怒り出し、「日本は素晴らしかった。悪いことなんか先祖は何もしていない」と強弁して過去の歴史を美化してやまないネトウヨと同じ精神構造で、愛校心というものをはき違えているのです。僕は「OB、OGが三人寄れば母校の悪口」というので有名な大学の出身ですが、だからといって愛校心がないわけではないので、そんなに単純で一体どうするの、と訊きたいくらいです。

 先のネットの記事を見てもわかるように、この朝課外というのは「九州限定(たぶん九州でも有名私立はやってないと思いますが)」で、にもかかわらず九州地方の受験生はとくに優秀で難関大合格率が高いとか、そんな事実は一切ないのです。むしろ地盤低下傾向にあるので、意味あるのか、ということです。2ページ目を見ると、「でも朝課外に来る学生もキツかっただろうけど何よりも朝課外をする先生たちもキツかっただろうと思う…お互い良いことあんまり無いような……」というコメントも出てきますが、これも僕が繰り返し指摘してきたことです(註:言い忘れましたが、あれは課外費をしっかり徴収しているので、先生たちは無料奉仕しているわけではありません。その手当てがいくらかは、前にここのコメント欄にどなたか書いておられました)。

 お母さんたちは早起きして弁当を作らねばならないし、生徒は慢性睡眠不足に陥るだけで学習能率はかえって低下する、というのではいいことなしだと僕は言っているのですが、それが違うのと言うのなら、どう違うのか、そこをきっちり説明して反論してもらわないと議論になりません(前に日向から通う生徒についての質問がありましたが、朝課外に間に合わせるために、彼らは特急に乗らねばならず、定期代とは別に、毎日300円、特急自由席券代がかかるのです。「馬鹿馬鹿しい出費」だと、彼らは言っていました)。

 何にせよ、上に紹介したサイトは面白くて笑えるので、ぜひクリックして見て下さい。冒頭のコメント主のような人は別として、「共感しまくり」だと思いますよ。

かくて課外は存続する(2)

2017.04.21.10:45

 一年前に、「かくて課外は存続する~課外の『不受講届』について」という一文をここに載せました。

 それは、延岡高校はこれより先に法律違反の嫌疑を逃れるために課外(費用は別途徴収)の主催者をPTAに移していたのですが、それでも批判があるので全員に強要するのはまずいと、受講したくない生徒にのみ、「不受講届」なるものを出させることにしたという話を巡るものでした。しかし、そのやり方がいかにも姑息(配布が今年も4/10で提出締め切りが4/14と「考える時間」も異常に短い)で、これでは「『不受講届』を出す勇気のある保護者・生徒はほとんどいなかったことでしょう」と書きました。果たしてその通りになったようですが、今年はそれを出す勇気のある生徒がいたそうで、学校にとってそれは「想定外」だったので慌てたらしく、その生徒たちは学年主任の先生か何かに呼び出されて、考え直すよう「説諭」されたという話です(生徒曰く、「出る杭は打たれるんです」)。

「やっぱり…」と聞いて僕は笑ってしまったのですが、それなら初めからそんな通知出すなよと言いたくなります。そういう自覚は当校の先生たちにはないのでしょうが、これは本当は教育の根幹にかかわる重要な問題なのです。今は安倍政権の「忖度(そんたく)政治」が問題になっていますが、生徒たちが将来社会人になったとき、国家権力が憲法違反の自由侵害を行っているという批判を避けるために、国民に何かを一律強制する際、「それに従わない自由」があるという見せかけを作ったとします。しかし、ほんとは全員強制であり、従わない者は「非国民」として処罰されるとか、その反対表明によって著しい不利益を受けるということなら、「従わない自由」は空虚なタテマエでしかありません。人々はそう「忖度」して、自分の“自由意志”で「従う」ことにしたのだと、「従いたくない」本心を偽る。そういう国家を「全体主義」と呼ぶのですが、延岡高校のこういうやり方はそうしたことのいわば“予行演習”になり、全体主義国家の「忠実な臣民」養成に進んで貢献していることになるのです。それが「ふつう」で、異を唱えるのが許されないのは問題でも何でもない(実はここが問題!)のだという「刷り込み」を行っているのと同じになる。

 北朝鮮のような独裁国家ならともかく、民主主義国家においては「自分で考えて、主体的に判断し、行動できる人間になれ」と教えるのがふつうです(少なくとも高校生ともなれば)。それと反対の教育を行って、今は権力の意向が右だから右、今度は左だから左と、それを忖度して迎合するしか能のない人間をつくるのが教育なら、そんなものはない方が百はマシでしょう。そういう教育でできた“善良な”骨なしクラゲの大群は市民社会を破壊する。

 僕の言っていることがわかりますか? 延岡高校では在校生に「大学に合格した先輩方の有難いお話」を聞かせたりもします(文書で配布することもある)。「学校の方針に従っていれば間違いない」「課外と宿題をこなしていれば大丈夫」なんて紋切り型の話ばかり聞かされるのですが、あれも実態はヤラセなのです。「こういうのにまともに付き合っていたら受からないな」と思って自分であれこれ工夫して勉強して、難関大に合格しました、というような生徒にはお呼びがかからない。学校批判を平気でぶちそうな卒業生は具合が悪いからで、二番手三番手の駅弁国立の合格者より、ほんとはそういう生徒の方がずっと有益な話をしてくれるのですが、学校側は「注意深く吟味」して、そういう卒業生には話をさせないのです。これ、「延岡の常識」です。

 延岡高校では今年、現役国公立合格者が全体の七割近くにのぼったと、「過去最高」を自慢しているそうです。去年も「過去最高」だと言っていたので、今年はさらにそれを上回る「好成績」を示したというわけです(PTA会長名義で出された「不受講届について」と題された今年の配布文書にもこのことが取り上げられ、「その発展の大きな下支えとなっている」課外と讃えられている)。

 僕は去年、「近年稀に見る悪さ」だったと書きました。浪人勢がよかったものの、現役勢はとくに難関大の失敗率が顕著だったからです(当然そういう生徒は後期には受かるから、上のデータでは合格者にカウントされる)。今年はそれに輪をかけてひどかった。東大・京大・阪大はゼロ、九大も僅か二人、国立医学部は地域枠推薦の一人だけ、というのはここ十年来なかったほどの悪さなので、同学年の生徒たちは「上がいない」のだと苦笑していましたが、二年連続で“不作”が続いたのです(生徒たちの模試の成績からして、来年再来年は挽回しそうだと見られますが)。

 にもかかわらず、学校は二年連続で「過去最高」を更新したと誇らかに言う。今年の顕著な特徴は、推薦組がむやみと多かったことです。それは実に生徒数全体の三分の一近くに上った。わが零細塾ですら推薦進学が七人もいた(内訳は、国立四人、公立二人、私立指定校推薦一人)ので、こんなに推薦組が多かったことはかつてありません。今の私大は、有名どころでさえ各種推薦やエスカレーター組で入学者の五割前後を占めますが、国公立も推薦枠を拡大していて、その流れに乗ったのです。これが全員一般受験でガチンコ勝負をしていれば、かなり悲惨な結果になっていたことでしょう。「国公立合格が多いって、こういうカラクリだったんですね。私は騙されていました」と、他でもない推薦で中堅国立に合格した生徒の一人が言うので、「君の合格もその“騙し”に利用されるんだよ」と僕は笑ったのですが、推薦でカバーし、一般受験の合格者は下位国立で数を稼いだというのが実情で、どう見ても自慢になるような話ではないのです(これに対して、都会の名門公立高校などの現役進学率が高くないのは、第一志望の受験に失敗すれば、浪人して再チャレンジする生徒が多いからです)。

 柿などに豊作と不作の年があるように、子供にも学年によってそういうのがあるのだと、昔、僕の母親は言っていました。「どうも、おまえの学年は全国的に出来が悪いのではないか?」と真顔で言われた(おまえの出来が悪いのも「不作の一部」だという含意)のですが、たしかに、僕の同級生にロクなのがいないのは、オウムの教祖・麻原彰晃や現首相の安倍晋三が同学年であることからしても正しいように思われます(僕はひそかにそれに責任を感じているので、早くオウム以上に危険で有害な――それが認識できない人が多いのは憂慮すべきことです――安倍政権を倒さねばならないと思っているのですが)。

 何を言いたいのかというと、だから大学進学実績の良し悪しなども、生徒個人の資質にもよるので、いちがいに学校の指導の良し悪しでは決められないということですが、僕の知るかぎり、ああいう課外や過剰管理が生徒の学力の底上げに役立っているという証拠は何もない。むしろそれは自学自習のゆとりと意欲を奪って、伸びる芽をつんでしまっているのではないかという疑念の方が強いので、生徒たちを慢性睡眠不足に陥れる弊害も併せ考慮して、「取柄のない制度」だと繰り返し言っているのです。それなら平常授業の質とレベルを上げることに、学校側は注力すべきだと。

 あとは生徒の好きにさせればいい。勝手に自分で勉強するなり、塾に通うなり、させればいいのです(主体性のあるそういう生徒の方が大学入学後も伸びる)。「地方で塾や予備校がないから、学校がそれを肩代わりする」なんて昔言ってたらしい理屈はすでに崩壊しているのです。「経済的に貧しい家庭の生徒には不平等になる」という論理も成立しない。受験サプリ改めスタディサプリなんて廉価なネット予備校も存在するからで、パソコン一台あれば毎月千円程度の費用でそれが利用できるのです(テキスト代は別途かかるようですが)。

 ほんとのところ、ああいうのは大手スーパーの進出に続き、ネット通販の普及で価格で太刀打ちできない個人商店が潰れてしまったのと同じで、あおりを食って塾もどんどん潰れている(去年の統計によれば、他業種は減っているのに、塾の倒産・廃業だけは増えている)のですが、それは時代の趨勢というものなので仕方がない。「対面授業」のメリットと塾の個性で勝負するしかない。この商売も甘くないのです。ところが公務員教師が集まる学校の課外だけは、その必要性もないのに、実質強制で生徒に選択の余地を与えないわけで、こういうのは職権乱用と同じくそれ自体不正なことです。課外が必要と思うかどうか、アンケートを「学校への忖度は無用」と明言した上でとってごらんなさい。80%以上は「いらない」と答えるでしょう。これまでも生徒集会で何度も課外廃止に対する要望は出されました。それらは学校側から頭ごなし全部無視されて議題から外されたので、教育者としてこういう生徒対応は最悪ではありませんか? おまえらはナチスか、と言いたくなります。違うと言うのなら、それをわかるように説明してみなさい。できないでしょう。

 今のここら辺の公立高校というのは何なのか、と思います。幸いに今回転出しましたが、生徒をいわれなく「放射能」呼ばわりするような人権感覚ゼロの頭の悪すぎる教師(他にも余罪多数あり)がデカい面をしていたり、僕には理解しがたいことばかりです。宮崎県はおそらく、全国でも最も難関大進学者が少ない県の一つでしょう。どうしてそうなってしまうのかという理由の一つに、こうした非効率で理不尽な課外による長時間拘束や、生徒に対する「自由の抑圧」がある。何が不当であるかという感覚もマヒしているのではないかと思われるので、北朝鮮に疎開させられても無理なく適応できる人間を育てるのが目的だというのなら別として、根本から教育というものを考え直した方がいいでしょう。安倍政権には「権力には意向を忖度して文句を言わず、進んで服従する人材をつくる」というので表彰してもらえるかもしれませんが、そういう人材をいくら「輩出」しても、日本社会の明るい未来はつくれないのです。

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