FC2ブログ

反面教師としての学校

2019.05.11.09:57

 前々回、ここに「朝課外と夕課外を分けてみたら?」と題した記事を書きましたが、結局課外届なるものは「一括方式」で「受講する・しない」の選択肢しか設けなかったようで、これはむろん、延岡高校の話ですが、「ほんとに進歩のない学校だな…」と僕はあらためて呆れました(「月曜の朝課外は廃止しました」なんて、無意味なことを下線を引いて強調していたのには笑ってしまいましたが)。PTA総会でこの問題を議題にかけるなんてこともなかったようです。

 これはたぶん、それを分けたら、「朝課外は受講しない」の選択者が圧倒的になって、それが「自動消滅」するのを恐れたからでしょう。僕の隠れた意図はそこにあったのですが、さすがにそのへんは“敏感に察知”なさっているのです。

「朝課外いらない派」の生徒は、うちの塾の生徒を見るかぎり、ほぼ100%です。しかし、3年生では夕課外は科目によって受講したいのがあるという生徒が多いので、そういう生徒は「受講」を選択せざるを得なくなって、「いらない朝課外」も受けさせられる羽目になり、文句タラタラ状態は相変わらず続き、「学校なんてこんなもの」という諦めにも似た思いがずっと尾を引くことになるでしょう。

 それで僕が生徒に言ったのは、あれは正規の授業ではなく、別料金を払って受講する「おまけ」なのだから、カネを払った上で取捨選択するのは本来君たちの自由であるはずだ、ということです。だから、一括になっているから仕方なく「受講する」にマルをつけただけで、本来朝課外はいらないと思っているのだから、その部分は受講しなければいいのだと。

 塾だって、月謝だけ払って生徒が出てこなければ、僕は喜ぶことはあっても怒ることは決してありません。そんなオイシイ商売はないからです。誰が始めたのか知りませんが、九州地方の県立高校のこの愚かしい制度は、「地方には塾や予備校がないから、学校が肩代わりする必要がある」という理由で始めたそうなので、別料金を取っているのだし、その部分は「塾や予備校と同じ」なのです。法律的にも何ら強制力はなく、料金を払った上で出る出ないを選択するのは生徒側の自由のはずです。それは「正当な権利」なのです。

 この論理におかしなところがあったら、言ってください。いつでも論争には応じます。僕が高校生の時代には、生徒が教師相手にガンガン言って、教師を言い負かすぐらいのことは平気でできたのですが、今の子供たちは育ちがよすぎてそんな荒っぽいことはできないようなので、代わってお相手するということです。

 にしても、この学校の「改革力のなさ」は何なのだろうと思ってしまいます。企業ならとうの昔に潰れていますが、公立学校は潰れないので、そういうヴァイタリティのないのが集まっていて、生徒はおかげで慢性的睡眠不足に陥り、疲れて学力も伸びず…という「負のスパイラル」の中に閉じ込められてしまうのです。

 何度でも言いますが、その点延岡星雲高校は「朝課外全廃」を思い切りよく決断したので、立派です。最近ある筋から聞いた話では、この課外の問題は校長の決断次第でどうにもなるという話なので、延岡高校の今の校長は優柔不断だからそれができないのでしょうか? それとも校内の教員の「抵抗勢力」が強くてそれに負けてしまうからなのか、どちらか知りませんが、いずれにしても、今の若い子にはこういうのは「他山の石」なので、こういう生き方を決して真似てはいけません。今は凪(なぎ)の状態になっていますが、今後世界が「激動の時代」に入るのはほぼ確実なので、こういうのを真似ていたのでは、そのとき世界をいい方向に引っ張る有用な改革人材になることは決してできないだろうからです。

 これは小泉元首相が最近愛用しているらしいので、若い人にも聞き覚えがあるだろうと思いますが、論語の学而篇に「過てば則ち改むるに憚(はばか)ることなかれ」というのがあります。神ならぬ人間は認識においても、行為においても、しばしば過(あやま)つものです。その場合、重要なのは自己卑下に陥ることでも、自分の責任ではないと言い逃れをしたり、それが正しいと強弁したりすることでもない。為すべき唯一のことは、「これは違うな」と率直に認めて、すぐにそれを改めることだ、というのです。

 小泉さんは自民党政権時代、「原発安全神話」に則って、それを推進する側に立ってきましたが、福島原発事故を見て、あれは「安全」どころの話ではない、人間の生存を根本から脅かすもので危険極まりなく、たとえ事故が起きなくても放射性廃棄物をどうするかについて何の答も用意していない無責任この上ない技術で、経済的にも全く引き合わないということに気づき、「脱原発」を唱えるようになったのです。日本はそのための新技術で世界をリードする立場になれる、そうすれば経済効果も大きいと、これは全く正しいと僕も思いますが、考えるに至ったのです。自分の認識の過誤に気づいて、その有力な反対者になった。

 問題の大小の違いこそあれ、課外の場合も同じです。とくにあの朝課外は有害で、それが深刻な睡眠不足の原因となり、その睡眠不足は健康に各種の有害な影響を及ぼすだけでなく、学力低下の原因にもなると科学的に今ではわかっているのです。なのにそれを続ける理由は、「今までこういうやり方でやってきたから」という理由にもならない理由しかない。教育者の良心にかけてこういうことは改めなければならない。そう考えるのが当然ではありませんか? 延岡高校はこの問いかけにどう答えるのか、生徒や保護者(ただの翼賛機関にすぎないPTAではなくて)は知りたいと思っているでしょう。

※尚、ついでに塾の広告をさせてもらうと、今うちの塾では1・2年生を募集しています。5月末で3年は部活を引退して早い時間帯に移動するので、部活をやっていても大丈夫な遅い時間帯(8:00-)が空くことになり、今が一番いい募集のタイミングなので、書かせてもらうことにしました。このブログ経由でもメールは送れますが、ややこしい操作はわからないという方は、次のメールアドレスにてお問い合わせください。
 dragonfield@hotmail.co.jp


スポンサーサイト



朝課外と夕課外を分けてみたら?

2019.04.13.14:21

 PTA総会に諮ってから決めるというような話で、生徒たちにもまだ詳しいことはよくわからないようですが、延岡高校はこれまでの「課外不受講届」を、「受講」「不受講」どちらかにマルを付けて出す、というやり方に変えるようです。「不受講届」というのは、不受講希望の場合にのみ出させるというかたちで心理的抵抗を大きくし、出すのを困難にさせようという姑息な思惑が感じられて実にセコいと僕はここで批判していましたが、今度はもっと“公正”なやり方にする、ということなのでしょう。

 しかし、実は問題はまだ残っているので、生徒たちの慢性的寝不足の深刻な要因になっている朝課外は、教育的見地からしても“不適切”なのでいらないとして(だからほんとは延岡星雲高校のように潔く廃止を宣言すればいいのですが)、3年生の場合、部活引退後は夕課外が始まって、そちらは受講したいという生徒はかなりの数いるようです。だから両方を分けて、どちらか一方だけ選択するというオプションを与えてくれればいいのですが、それはできないとなると、朝課外はいらないと思っている生徒も、夕課外には未練があるという場合、仕方なく朝課外も受けざるを得ないということになって、不満は解消されないのです。

 もう一つ、課外で平常授業の続きを平気でやる先生がいるそうで、それだと課外に出ないと平常授業もわからなくなってしまいます。これは完全な“反則”なので、それだと別のかたちで課外受講を強制しているのと同じです。こういう理不尽なことはいわゆる「意識の高い」地域や都会なら、生徒からも親御さんたちからも怒りの声が続出して、まず絶対に許されないでしょう。課外が正規のものではなく、ましてや選択を前提とするものである以上、許してはならないルール違反です(そもそもこれは法律違反だということを、学校側はご存じのはずです。裁判で訴えられたら負けますよ。土地柄、そんな思い切ったことをする親や生徒はいないと高を括っているのかも知れませんが)。

 だから、そこらへんのことはちゃんと考えて新しい「課外受講・不受講届」を提示する必要がある。①全部受けない②全部受ける③朝課外・夕課外のどちらかを指定して一方だけ受講する、の3つを選択可能にして、さらに④課外で平常授業の続きをするようなルール違反は行わない、という確約を与える必要があるのです。

 1・2年の場合は、夕課外はないので、①②と④、3年の場合は①②③④、ということです。それを明示して、生徒に選択させる。③のオプションは入れるのに何の困難もない。朝課外の費用に、夕課外の費用を上乗せしているだけだろうからです。両方が1万ずつの計2万円なら、夕課外のみ選択の生徒は1万ということにすればいいわけです(今の正確な金額を僕は知りませんが)。

 いちいちうるさい奴だなと、学校や県教委は思うかもしれませんが、これが意思決定上、重要な論点だということは、生徒の立場に立って考えるならわかるはずです。生徒たちにも「書いといてあげるよ」と約束したので、これは彼らの代弁のようなものなのです。

 僕が親なら、むろん、①にマルを付けて出せ、と子供に言います。廉価なネット予備校まである今の時代、受験勉強で学校の古くさいシステムに依存する必要はないからです。自分でメニューを考えてやった方が効果的な勉強ができる。一年前の卒業生の中に一人勇気のある生徒がいて、堂々と「不受講届」を出し、そこまではよかったものの、「何でおまえだけこんなものを出した!」と担任に呼び出されて“説得”攻勢に遭って閉口していた(出したのは学年で二人しかいなかったそうで、二人とも女子でした)ので、今回はもうそんなことはないだろうから、「もっと早くそうしてくれていたら…」と彼女は思うはずです。

 ついでに書いておくと、延岡高校には日向からの電車通学組がかなりの数います。彼らは朝課外に間に合わせるために、毎朝特急を利用しなければならず、それに300円余分にかかっているのです。月に20日としても、毎月6000円の余分な出費です。年間だとかなりの額になってしまいますが、あの朝課外にその費用に見合った内容があるとはとうてい思えないと、うちの塾に来ていた生徒全員が言っていたとお伝えしておきます。

 とはいえ、これは以前と較べれば進歩です。生徒や親御さんたちがどういう判断を下すのか、以後は黙って見物させてもらうつもりですが、仮に上記のような選択肢がちゃんと用意された上での選択になったとすれば、僕は二度と生徒たちの泣き言は聞かなくてすむようになるでしょう。なぜなら、彼らは自分で選択したのだから、泣き言は言わないはずだからです。朝課外をやる先生たちも、以後はやりやすくなるでしょう。進んで選択した生徒たちなので、寝てばかりいる生徒は激減すると見込まれるからです(中には課外を取らないと学校側の心証を害して、推薦をもらえないのではないかと心配する生徒もいるようですが、そんな馬鹿なことはありえません。そういう心配までするというのは、いかに歪んだ教育環境で育っているかという証明のようなものですが…)。

 ともかく、そういうわけなので、不満が出ないように、学校は以上のことをよく考慮して、適切な課外選択オプションを用意してあげて下さい。

 そうすれば、僕が課外のことをとやかく言うのは、これで最後になるでしょう。学校(県教委)と“敵性塾教師”の僕の間に、ついに「和解の日」が訪れるのです。

延岡高校の進学実績低迷への処方箋

2019.03.23.23:09

 久しぶりの更新です。今年も受験シーズンが終わりました。うちの塾はここ二年、一人ずつ浪人を出していた(幸いどちらも一浪で雪辱を果たして元の志望大学に合格してくれた)のですが、一人後期にずれ込んだ生徒がいたものの、無事合格してそこに進学することになったので、今年はめでたく「浪人ゼロ」となりました。

 それはともかく、僕には一つ気になっていることがあります。それは塾の“顧客”のほとんどを占める延岡高校の大学合格実績の低迷です。生徒たちから話を聞いて、ここ数年悪くなってるなという感じがしていたのですが、データを見るとそれがはっきりする。それは一口に言えば、「成績上位層の不振」であり、「難関大合格率の著しい低下」です。

 こういうことを言うと、「大好きな母校の悪口を言われた!」とか何とか、すぐ怒ってくる人がたまにいるので困るのですが、そういうことは文を最後まで読んで、かつ内容を正しく理解してから言ってもらいたいので、これが「中傷」の類でないことは、学校が公表しているデータを見てもわかるのです。

 延岡高校のホームページを見ると、2014年以降しか情報は出ていないので、その年度以降に話を限定しますが、センターの国語の平均点が「史上最低」だったその年は、阪大に5人が一度に現役合格し、九大も6人いました。その年は京大と東北大が1人ずついたので、旧帝大現役合格者は計13人いたことになります。翌15年も、京大2人、東工大2人、東京外語大1人、九大5人(いずれも現役のみカウント)と、質的にはそれに劣らず豪華だった。その年は推薦ですが筑波の医学部もいたし、地方国立医学部の一般受験合格者も1人いたのです(二次免除の地域枠や推薦以外、一般入試での国立医の現役合格者は延岡高校にはほとんどいない)。

 ところが、翌16年から不振に陥り、上と同じくこれは現役のみのカウントですが、九大・神戸が上限となり、推薦を含めてもその総数は7人に減り、17年は、うちの塾で最も推薦進学組が多かった年(学校全体でも異常に多かった)ですが、「上がいない」と彼らが苦笑していた如く、国公立大の進学率こそ推薦で稼いで高かったとはいえ、難関大は九大・神戸が2人ずつで、計4人に減ったのです。そして去年18年は、難関大受験者の数は多く、塾で生徒たちから話を聞いて「みんな受かったら、君らの学年はかなり凄いことになるね」と言っていたのですが、蓋を開けてみると、前期はほぼ壊滅で、旧帝大レベルの合格者は京大の1人だけということになってしまったのです(九大も、推薦の2人を除けば現役は後期合格の1人だけ)。名古屋大の合格者2人はいわゆる「セあり推薦」の合格者です。

 そして今年はどうなったかといえば、前期の旧帝大現役合格者は九大の2人だけ(後期で1人増えて計3人になった)。東大・京大・阪大はゼロ(京大経済学部の合格者が一人いますが、これは去年失敗して雪辱を果たした生徒で、浪人です)。神戸もいない。むろん、東工大とか一橋とか、そのあたりもいません。医学部は、二次免除の宮大地域枠合格者の2人だけです。私立では早稲田が前年に引き続き1人いますが、これはいずれも指定校です。

 いかがですか? これには出ていない13年も、細かいデータはわかりませんが、僕の記憶ではよかったので、わが零細塾だけでもその年、京大が1人、九大が2人いたのです(「自分の手柄みたいに言うな!」と叱られそうですが、14年、18年の京大合格者もうちの塾生でした)。とにかく、15年までよかったのが、それ以降落ち込み始め、17年度は、上にも触れたように、飛び抜けた生徒がいなかった学年で、そういう年もたまにはあるわけですが、他の年はそうではなく、特に去年と今年は、トップ層が総崩れの状態で、「受けても受からない」傾向が顕著になっているのです。

 一体これはどういうわけなのか? 僕が塾の生徒から聞いている話では、彼らはたいへん優秀な子たちで、模試やセンターも概してよかったのです。原因として考えられるのは、やはり二次対策の不足でしょう。僕は延岡で塾を始めてからもう丸十六年になるのですが、最初、知人に集めてもらった一年生8人(4人ずつの二クラス)でスタートし、それが受験学年になったとき、九大を受験した生徒が2人いたのですが、1人を落としてしまったのです。もう1人は中高一貫私立校の理系の生徒で、こちらは順当に合格したが、法学部を受けた延岡高校の生徒の方が落ちてしまった(ちなみに、その生徒のセンター英語の得点は196点でした)。センター併用で受けた東京の、法学部で有名な私大も落ちてしまった。結局、センター利用で合格していた関西の有名私大の一つに進学したのですが、これは僕にはショックで、何がまずかったのかと考え、一つの結論に達しました。僕はその当時、課外に加え、学校の宿題が多すぎるので、可哀想だと思って、延岡高校の生徒たちのクラスでは宿題はあまり出さないようにして、かつ、学校と歩調を合わせて、同じ文法単元をやるなどし、大学の二次対策のようなことはほとんどしなかったのです。それが悪かったので、そこをちゃんとやっていれば、元が優秀な子だったので、その子は楽に合格していたはずです。

 これで文字どおり「頭にきた」僕は、学校を完全に無視してやるように塾の方針を切り替えました。具体的なやり方は試行錯誤しながら徐々に変えていったのですが、その生徒の弟の方は阪大に無事合格し、後でその子のお母さんが彼の二次の成績をメールで教えてくれました。こちらは理系の生徒でしたが、英語の得点が非常に高かったことがわかったのです。それなら、やっていたことは間違いではなかったわけだと、僕は意を強くしたのですが、その頃から、旧帝大にかぎって言えば、合格率は100%になったのです。受験者はのべ十何人いるはずですが、誰も落ちていない。さすがにEで受けた子は一人もいませんが、センター判定がCやDでも、落ちなくなったのです(全体でも、二次に英語がある国公立の受験成功率は75%を切ることはないはずです)。

 試験に運不運はつきものだし、これはたまたま幸運が重なっただけだと言えるかもしれません。たしかに100%は出来すぎです。しかし、当初のやり方を続けていれば、最初の失敗例のように、能力の高い子でも落ちるケースの方が圧倒的に多くなってしまったのではないかと思われるので、難関大はとくに二次比重が高いので、センターでいくら高得点を取っても、二次力が弱ければ絶対に合格しないのです。

 むろん、二次は英語だけではない。理系なら数学と理科、場合によっては国語も含まれ、文系なら国語と社会、難関大なら数学も当然入ってくる。英語だけできれば受かるというものではないので、げんに今年など、「理系なのに数学と理科が弱い」という、ある意味致命的な生徒がいました(うちの塾に来るより早く、高1の頃からずっと数学塾には通っていたようですが、「○○自習塾」などと陰口を叩かれているそこは、面倒見がよくないようで、数学はそのせいなのだろうと僕は思っています)。センターは8割ギリチョンでしたが、それは得意な英語と、今年易しかった国語で稼いだもので、元々は某旧帝大が志望でしたが、そこは数学と理科が各500点ずつの計1000点、対して英語は300点の配点しかないのです。とてもカバーしきれない。センターの総得点からすれば狙えるセンでも、センターで数学・理科が平均72%の得点率しかないのでは、その大学の、とくに数学には歯が立たない。それで相談の上、数学が比較的易しく、英語の配点比率もそこよりは高い、関東の某有名準難関国立に土壇場で切り替えたのです。仮にそのまま元の志望大に突っ込んでいれば、あえなく討ち死にという結果になっていたでしょう。

 近年は、生徒と二人で、二次得点のシミュレーションをやることも多いので、たとえば文系なら、英語6~7割、社会は7割、国語は6割から5割、数学は3割を切らないようにすれば、過去の最低点に照らしても、十分合格には足りる、というような一応の「予定」を立てるのです。あとで生徒に得点開示の報告をしてもらうと、社会と数学は目標を何点かずつ上回り、英語はその上限近くとれたが、国語がまさかの4割で、僕自身は、英語はそこの問題は手ごわいので、6割を切らなければいいと考えていたのが、仮に6割なら、国語のしくじりをカバーしきれずに落ちていたのがわかった、というようなことがあるのです。「危ないところだったね」と二人で笑ったのですが、その生徒は文系なのにたしかに国語に強い苦手意識をもっていたのです。だから英語7割を目指して頑張って、本人の狙い通りのパフォーマンスができたから、合格できた。同じ大学で、他の科目はよく似た得点分布だったが、国語が予想をだいぶ上回っていたために、全体でかなりの貯金ができ、仮に数学が零点でも受かっていたというケースもあります。理系で、先の阪大の受験生のように英語の高得点が効いて上位合格を果たしたというケース(本人は物理で大失敗したので落ちたと思い込んでいたが、他の受験生にとってもその年の物理は難しかったのです)もありますが、僕の方は過去問も十年分添削して「6割は行くはず」と見ていたのに、実際の英語の二次得点は52%で、その代わり数学で75%の高得点を叩き出したので、余裕で受かっていたという子もいます(彼の場合は、国語が零点でも足りた)。

 こういうのはむろん、過去問を一通り解いたうえで、実際にどれくらい取れそうかという自己査定に基づいて行うのです。希望的観測に基づいたそれでは、完全な「絵に描いた餅」で終わってしまって、意味はないことになる。そして今見たように、そこにはいくらかの「誤差」は出てくるが、ある程度余裕のある見積もりをしていれば、少しぐらいしくじりをしても、合格最低点を下回ることはなくて済むのです。

 僕は英語教師なので、ふだん教えている生徒の英語の得点については大体予想がつきますが、他は本人にどれぐらい取れそうか聞くのです。学力の高い生徒だと、かなり客観的な自己評価ができるので、その分見積もりも信頼の置けるものになる。「これでは足りない」となると、どの科目でどの程度上げればいいか、また上げられるか、目標を立てることもできるので、生徒にとってもやりやすいでしょう。最初は過去問を添削していて、「これでは5割に届かない。志望大を変えさせないと駄目か…」と思っていたものが、だんだんよくなってきて、「行ける!」というかなり明確な感触に変わることもあるのです。自己修正能力の高い、かつよく努力する生徒の場合には、そういうことが起こる。同業者ならわかるでしょうが、こういうときは塾教師としては嬉しいものです。

 むろん、志望大の過去問だけ解いていればいいというものではないので、ふだんの授業では他大のものをたくさんやっているのです。僕は内容のある、読んで面白いものは片っ端から使う主義で、そのテーマも多種多様に及ぶ。稀に、全く同じ英文が受験した大学に出たとか、そこで使われている話が前にやった英文に出ていたものと同じだったなんてこともありますが、そういうのは「おまけ」みたいなもので、知識と理解の幅を広げ、色々な構文やらイディオムやらが出てくるので、そういうのにあれこれ接していれば、読解力自体の底上げが期待できて、それはどこの大学を受けようと役に立つのです。

 あとは英作文ですが、これは添削するにかぎる。手間がかかるが、生徒にどういうところに気をつけなければならないか、わからせるにはこれが一番なのです。一人でやっている生徒は、だから、信頼できる学校の先生にお願いして、添削してもらうなどするとよいでしょう。そうすれば、確実に進歩する。自分に使える構文のストックが少なすぎるといい英文は書けないものですが、途中でそれに気づけば、英文を丸暗記する必要性なども感じて、自発的にそれをやるようになるでしょう。そうやって、今自分に必要なことが何なのかを把握しながら、勉強していくことが大切なのです。受け身で、あてがわれたものをただ機械的にこなしていくようなことは勉強ではない。そういうやり方では学力は伸びないのです。

 以上は、「こういうやり方もある」という一つの例示にすぎませんが、受験にもやはり戦略というものは必要なのです。しばらく前、僕は免許証の書き換えに行って、そのときの講習で宮崎県は「漫然運転」による事故がやたら多い県なのだという話を聞いて笑ってしまいました。全国でも一、二を争うほどだ、というのです。延岡高校の近年の大学受験実績の不振も、学校の以前からの「漫然指導」に加えて、生徒たちの「漫然受験」が増えているからではないかと、僕には疑われるので、そこを改善しないと挽回は難しいだろうということを言いたいのです。

 この問題で、僕が一番危惧しているのは、何でこういう結果になってしまうのかという分析はしないで、学校が「大変だ! 何とかしなければ!」ということで、焦って宿題を増やしたり、課外を強化したりしなければよいが、ということです。それは確実に事態を悪化させる。今でもすでにそういうことは目立っているようですが、ランクを下げての受験がさらに多くなって、東大・京大が九大になり、九大受験生は熊大に下げるとか、そういうことが常態化してしまうのです。前期で失敗してそうなるのはやむを得ないが、初めからそういう受験の仕方になってしまうのです。そして医学部の受験生は、初めから現役では受からないという構えになって、諦めムードが漂う。そして課外と、増えた宿題のせいでさらに寝不足は募り、自分の勉強をする時間もさらに削られて、学年が上がるにつれて疲労も蓄積し、模試の成績も全体が見事な“右肩下がり”になって、これではならじと焦った学校は、さらに「よけいなお世話」的管理を強化して、いっそう二次力を下げるだけではなく、センターすら満足にとれなくしてしまうのです(尤も、来年で現行センター試験は最後ですが)。

 前から課外はあり、無用な宿題も少なくなかったが、にもかかわらず難関大に首尾よく合格していた生徒たちは、賢く「学校を手抜き」して、合格に必要な手立てを自分で講じていたのです。前にも一度書いたことがありますが、あれは2012年のことだったか、延岡高校の男子生徒が2人、わざわざ塾に礼を言いに来てくれたことがあります。部活の後輩に塾の生徒がいて、大体の場所は聞いていたようですが、何しろ看板も何も出ていない、ネットにも電話帳にも情報は皆無の「謎の塾」なので、探し当てるのに苦労したようですが、彼らはこのブログに書いた関連記事を読んで、自分が日頃感じている学校に対する疑問が正当なものであることを確信し、自力救済しかないと、学校をうまく手抜きして、自分の勉強時間を確保し、ちゃんと戦略的にやって、現役合格を勝ちとったのです。それは九大と京大の合格者でした。わざわざ挨拶に来てくれるなんて律儀な若者ですが、僕はむろん喜びました。そこに書いた学校批判が生産的な結果を生み出したことがわかったのですから。

 有名大に進学した先輩が学校の招きで在校生相手に話をすることがあっても、学校側は「学校の言うことなんかおとなしく聞いていたのでは君らが行きたい大学には受からないので、うまく手抜きして自分で何とかしないと駄目だよ」なんて平気で言うような人間は絶対に呼びません。そのあたりの先生たちの嗅覚の鋭さには驚くべきものがあって、僕はいつも感心させられるのですが、だから真相がわからないのです。時々「先輩たちのメッセージ」なんて冊子が配られて、そこには「先生方の言うことを聞いていれば間違いない」なんてよく書かれているのですが、うちの塾の生徒たちは「これ、ホントですか?」と笑っているので、ホントのわけはないと思うのです。

 先に見た近年の難関大合格率の“激下がり”は、そういうことがよくわかっていなくて、表面的に過去の輝かしい合格実績だけ見て、「先輩たちは判定がCやDでも受かっている。だから自分も何とかなるかも…」なんて甘いことを考えて、周到な二次対策を怠るとか、学校の言いなりに忙しすぎる生活を送って、センター後にようやく過去問を見て、「とても間に合わない!」と半分パニック状態に陥ったまま、不安いっぱいで本番に突入したりしているからではないかと、僕は想像するのです(これはわかりきったことですが、模試の偏差値がいくらよくても、あれは同じ問題を全員に解かせているわけで、一番重要なのは「その大学の実際の問題がどれくらい解けるか」なのです。また、大学別の冠模試というのがありますが、あれも形式は似せているが、妙なところで難しすぎたり、採点基準にいくらか疑義があったりするので、「参考程度」の扱いが適切でしょう)。

 だから学校が焦って管理を強化したりすると逆効果になるので、いつも言うように、慢性的睡眠不足の原因になっているだけの朝課外なんてものはさっさと廃止すればいいのですが、延岡星雲高校の方は廃止に踏み切ったのに、延岡高校の方は最近「月曜だけ朝課外をやめる」なんて中途半端な決定をしたそうで、意味がよくわからないのです。

 余談になりますが、僕はこの前それでジョークを言って生徒たちを笑わせたのですが、最近『東大・京大に合格する子は毎朝5時半に起きる』という本が出ているようです。アマゾンの内容紹介文には「長男は、東京大学理科Ⅰ類に現役合格、次男は京都大学理学部に現役合格、長女は、英国の高校へ単身留学中。そんな河村家の「子育ての秘密」とは?」と書かれています。前に『東大合格生のノートはかならず美しい』という本が出たときは、塾でも、ある日家に帰ったら、この本がさりげなく自分の机の上に置かれていて驚いたと言った生徒がいたので、僕は笑って「それで読んでみたわけ?」と訊くと、親御さんにはお気の毒ながら「そんなの、読むわけないじゃありませんか! 私とトーダイは何の関係もないので、そんなキモいもの、段ボールの一番下に押し込んで、二度と目に触れないようにしました」と答えていましたが、今回のこの『毎朝5時半に起きる』なんて本も、高校の先生たちは「だから朝課外は正しいのだ!」という思い込みの強化に利用するおそれがあるわけです(まさか学校で大量購入して、全生徒に配布するということはないでしょうが)。5時半に起きれば、7時半の朝課外には楽々間に合うわけで、何の問題があるか、というわけです。

 でもねえ、そういうのは早寝しているからで、部活を終えて夜の8時に帰宅し、遅い夕食とお風呂を済ませて、たくさんの宿題をやってたら毎日深夜の12時、1時、下手すると2時になってしまうというような生活を送っていて、朝5時半に起きたら、ティーンエイジャーにはとくに多くの睡眠時間が必要だと科学的にも証明されているのに、慢性的なひどい寝不足になってしまって、学校の授業も皆目頭に入らず、当然学力は全く伸びなくて、最悪の場合、Fラン大学にしか入れないということになってしまうのではありませんか?

 そもそも、朝の5時半に起きようと、7時半まで寝ていようと、東大・京大に入れるかどうかとは何の関係もない(嘘だと思うなら、東大・京大生に訊いてみればいい)。人間には朝型と夜型の違いもあって、哲学者のデカルトなんかは低血圧でなかなか朝起きられないので、学校の寄宿舎に入れられていたときも、彼だけ特別に遅くまで寝床にいることを許されたほどです。デカルトは数学の分野でも有名な天才ですよ。

 もう一つ、同じ早起きをしても、それを自分の時間として使えるかどうかが重要で、朝課外がなければ、そういう子たちももっと時間の有効活用ができるのです。朝課外は早起き生徒の妨害にもなっている。それも認識していただかないと困ります。

 あと、学校の授業+課外と部活と宿題だけで一日が終わり、ヘトヘトになって他には何もできないなんて生活を送っていると、世界の動きや社会問題などは何も知らないことになって、今の英語の入試問題はそういうものを反映した出題が多い(だから面白いのですが)のに、基礎知識が全くないから、日本語で読んでもよくわからないのに、英文ならなおさら、ということになりかねないのです。最近は英作文でもあるテーマを出して、それについての自分の意見を書けというのが多くなっているのですが、「何を書いていいのか全然わからない」と言う生徒が実に多いのです。大学としても、学校の教科書勉強以外には何も知らず、他のことには何の興味もないなんて学生は、大学入学後伸びないのがわかっているから、ほしくないのです。

 僕も、テストでいい点を取ることだけが生き甲斐なんて生徒の相手はしたくないので、ごく稀にですが、英文の内容が面白いかどうかなんてことには全く反応せず、答が合っているかどうかだけが重要なんて生徒がいるので、そういう人間味のない人のお相手はご免こうむりたいのです。そういうのが大学で教職を取って、学校の先生になるなんてことになると、悲劇はやがて彼または彼女の教え子たちに及ぶのです。僕が子供なら、そういう先生には教わりたくない。授業が面白くないにきまっているからです。

 部活に関しても、今のそれは時間が長すぎ、かつ休みが少なすぎる。オリンピック用の強化選手ではあるまいし、今の部活はしばしば度が過ぎ、その結果、「バランスの取れた心身の健全な発達」という本来の目的をかえって阻害することになっているのです。これに関しては最近、宮崎県でも、学校の先生たちの「ブラック職場化」解消策の一つとして、中高の部活の休養日を増やしたり、一日の部活の時間を短縮するなどの取り組みが始まっているようですが、これは歓迎すべき動きで、生徒たちにもそれは助けになるはずです。中にはそんなことにはおかまいなしの外部コーチがいて…というようなこともあるようですが、たんなるご本人の自己満足のためにそんなことをやられては迷惑なので、そういう人には学校側も保護者も改善を申し入れた方がいい。

 そうして、朝課外は率先廃止し、部活も無理のないものになって、宿題も必要最小限度のものになり、平常授業の質もアップしたとしましょう。それによって生徒はゆとりを回復し、自分のニーズに合った勉強ができるようになるので、基礎が不安な生徒は十分な復習をして、学力の底上げができるようになり、上位層は応用力を伸ばして、受験の際には過去問対策も万全で臨める、という状態にもっていけるのです。

 実にいいことづくめではありませんか? 先生たちも課外(それは時給1500~1800円程度のおいしい“副業”になっているそうですが)に無駄な時間を使っているヒマがあったら、自己研鑽に励んで学科指導能力を高め、平常授業の質をアップし、大学の入試問題も少しは研究して、もう少し効果的な受験指導ができるよう心掛けるべきなのです。受験大学を決める最終の三者面談で、ホッチキスでとめた予備校のセンターリサーチの一覧表を見ながら、二次の問題がどういうレベルかなんてことは何もご存じないまま、「ここはどう?」なんてテキトー過ぎるヤマカン指導をして生徒を不合格に導くなどという“事故”(僕の見るところ、それもけっこう起きている)も避けられるようになるでしょう。また、生徒に「全自動教科書読み上げ機」なんて不名誉なあだ名をつけられている先生は、そんな授業なら全部自習にしてくれた方がよほど生徒には親切ですが、課外がなくなった余力を活用して勉強に励み、汚名挽回を果たすことができるのです。

 長くなったのでこれくらいにしますが、塾などと違って公立高校は潰れる恐れがないから、漫然たる旧習墨守に陥って改革を怠りがちになるので、とくに田舎には脅威となるような有力私立も存在しないので、なおさらそれが助長されるのです。延岡星雲高校のフロンティア科の入試倍率は今年2倍になったそうですが、それは朝課外の廃止が好感されたことが一因だと僕に睨んでいるので、三年後、彼らが成果を出し、普通科の合格実績も「伸び伸び学習」のため大幅に改善したとなると、十年もたてば両者の進学実績は逆転しているかもしれない。その程度の危機感はおもちになったほうがいいのではありませんか。

〔尚、その前に仕上げておこうと急いで書き上げたこれですが、私用で一週間塾をお休みにし、その間はパソコンも開かないので、仮にこの件でメールを戴いても、ご返信は30日以降になります。その点はご諒承ください。〕

祝・延岡星雲高校、朝課外廃止!

2018.11.18.22:22

 ほんまかいなと、しばらく前に塾の生徒から話を聞いたときは疑わしく思ったものですが、調べてみると本当のようです。以下をご覧ください。

平成31年度から「学び」が変わります(宮崎県立延岡星雲高校のサイト)

・0限(朝課外)の廃止
 1 朝のゆとりで心にも栄養チャージ
 2 ゆっくり登校・自主学習ができる
 3 学習意欲の向上・家庭学習の充実


 力強く、そう明記されているではありませんか!「自主学習ができる」だの「学習意欲の向上・家庭学習の充実」だの、それなら今までは自らそれを妨害していたのか、と突っ込みを入れたくなる人もいるかもしれませんが、そんな野暮な真似は僕はしません。朝課外の廃止によってそのような「プラス効果」が期待できることについては、このブログでも再三書いてきたからです(最初の「朝のゆとりで心にも栄養チャージ」というのは、健康食品かトクホの広告文みたいで笑えますが)。

 収まらないのは、延岡高校の生徒たちです。「何で星雲が…」と彼らは心穏やかではないので、星雲高校はこれまで課外だけでなく大量の「クソみたいな」意味のよくわからない宿題でも悪名を馳せていて、それと較べれば延高の方がはるかに自由で、マシだと思われていたのです。

 それが、「朝課外廃止」で一気に形勢逆転となり、星雲が優位に立った。あんな眠たいだけの朝課外なんて意味ないと思いつつも、これまでは選択の余地がなかったのが、朝課外がない方をえらべるようになったのです。

 こうなると、意識の高い保護者や生徒は、「それなら星雲に…」となる可能性が高くなった。僕が中3の子をもつ親なら、間違いなくそちらを勧めるでしょう。僕もかつてわが子に、併願で受けた私立にしたらどうかと言ったことがあります。どのみちこのへんの高校の「指導」なんて、言っては悪いが、大学受験の役には立たないので、それなら朝課外がなくて負担が少ない私立の方がマシなように思えたからです。彼は、しかし、人数が多くて活気がありそうだという理由で、延岡高校をえらびました。当時、星雲はそれよりさらに管理的で負担が多いとわかっていたから、初めから選択肢には入っていなかったのです(MS科ではなく普通科にしたのも、本人がたぶん文系だろうというのもありましたが、普通科の方が勉強面でやかましくなくて楽だと判断したからです)。

 しかし、朝課外が廃止になったということなら、話は違ってくる。それなら星雲がいいと、わが家の場合なら考えるでしょう。僕は大学受験の勉強は勝手にやるものだとわが子に教えていました。だから、学校の言うことなんか聞かなくていい、それでは受かるものも受からなくなってしまう。こちらはその道のプロだから、その都度必要な助言はすると。それで足りるので、学校全体の偏差値がどっちが上だの下だの、そんなことはどうでもよかったのです。この見地からすれば、朝課外があるのとないのとでは大違いです。

 おそらく、この朝課外廃止によって、星雲には優秀な生徒がこれまでよりずっと多く志願するようになるでしょう。「クソみたいな」(これは僕の言葉ではありません。星雲・延高両方の生徒がそう言っていたのです)宿題がそのままとか、朝課外がなくなった分さらに増えたというのでは台無しなので、それでは再び悪評が燃えさかることになるでしょうが、生徒の自主性を尊重してそれも「控えめ」になったとすれば、星雲人気が高くなって、十年後には大学進学実績まで逆転している、ということもありうるのです。

 このサイトの説明によると、一回の授業時間も5分ずつ短くなって、「Ⅲ 主体的な学びをサポート」の項を見ると、その分、35分の「青雲プログラム」なるものが導入され、これも「基礎学力を定着させ、得意科目を伸ばす」とか、講座の選択制など、見た目はよさそうです。3年生の、夜の8時まで学校に縛りつけていた悪名高い「超夕課外」はどうなるのか知りませんが、そういう病的なものも廃止されるのでしょう。でなければ、朝課外だけなくしても意味はなく、「自主学習ができる」「学習意欲の向上・家庭学習の充実」アピールは嘘だということになるからです。

 何にしても、星雲高校のこの勇気ある方針転換は画期的で、僕は拍手を送りたいと思います。ぱちぱち。

 問題は延岡高校です。聞けば、朝課外がそのままであるだけでなく、3年の夕課外は70分になって、前より長くなっていると言う。時代に逆行しているというか、空気が読めていないというか、去年(厳密には今春)の大学入試(一般・前期)で難関大受験組が惨敗(過去十年間で最悪と言える)したことへの反省が裏目に出ているとしか思えないので、僕に言わせれば、それは生徒たちの能力不足でも、彼らへの管理が不足していたためでもなく、よけいな朝夕課外や宿題で生徒から自主的な勉強時間を奪うことで十分な二次対策ができないまま受験した生徒が多かったからでしょう(難関大は例外なく二次比率が高いので、センターだけ取れても仕方がない)。なのに、そこがわかっていない。

 唯一の「進歩」は、かねてここでも批判していた英語のベーシック・グラマーなる無駄に量だけ多くて文法力は全くつかない(解説に嘘まで入るおまけ付き)文法プリントを今年の一年生から完全廃止したことですが、今度は文法の体系的な授業が全く入っていないという結果になり、要するに、「これをやめたら、次は代わりにこうして…」という計画性が何もないのです。とても給料に見合った仕事をしているとは思えないので、だから「学校の授業は役に立たない」と言われてしまうのです。

 挙句、10日間の夏休み(春休み?)オーストラリア・ホームステイなるものを旅行業者の片棒を担いで勧め、その費用が40万だというから聞いて呆れるのです。そんなので英語力がアップするわけはないし、料金が高すぎる。調べてみると、オーストラリアのホームステイ費用の相場は1ヶ月で10万弱、学生がよく使う格安航空券を使えば、往復の飛行機代も10万からあるという。たった10日間で何でそんな金額になるのかわからないから、そんな話には乗るなと生徒には言ったのですが、公立の学校で業者を呼んで説明会を開くなんてのは大いに問題があるのではありませんか? つまらん世話を焼いているヒマがあるのなら、本業の方をもっと真面目にやれ。そう言いたくなります。

 今の日本企業の長時間労働と生産性の低さはよく問題視されますが、課外の弊害はこういうところにも出ているので、教師もそういうので多忙になって、かんじんの教えるという仕事の質が低下するのです。それできわめて「生産性の低い」授業を行き当たりばったりダラダラやることになって、それに付き合わされる生徒も「生産性の低い、意味に乏しい機械的学習」に時間とエネルギーを取られて、学力が伸びなくなる。ふつうの仕事の場合でも、能力の高い人はやり方を工夫して、そうでない人よりずっと少ない時間でずっと大きな成果を上げます。仕事の精度もずっと高い。そして仕事が終わればさっさと帰って、オフ時の充電も怠らないから、仕事能力自体が上がってゆくのです(僕が塾の生徒に、「つまらない宿題プリントは手抜きしていいから、少しは本を読め」と言っているのも、そちらの方が知力の底上げに役立つからです)。今後は「創造性」だの「主体的に考える能力」だのが学校でも養成目的として重視されるようになると言いますが、教師にそんなものがまるでなければ、一体どうやってそれを「養成」するのか、「国際性」の時代になったから、皆さん、夏休みに40万使ってオーストラリアに十日間ホームステイしましょうなんて、アホかと言いたくなるような創造性・主体性のなさです(親の懐の痛みも考えていない)。

 このままでは延岡高校は改革に後れを取って、人気でも進学実績でも、星雲高校の後塵を拝するようになるでしょう。星雲の改革意欲が本物で、カリキュラムの編成や、教材、授業の質をよく考えて、先生たちが本気でその改革に取り組むなら、十年後には両者の立ち位置は逆転する。延岡高校は、「昔はあそこも割とよかったんだけどね」と過去を懐かしがられるような存在になるのです。

「まさか…」とこれを笑う人たちは、かつて公立のスベリ止めでしかなかった私立が、多くの地域(九州には有力私立が少ないが、むしろそれは例外的です)で公立の上に立ち、優秀な生徒を集めるようになったプロセスを考えてみるといいでしょう。そうした私立は初めから優秀な生徒を集めていたのではないのです。むしろ公立の落ちこぼれを拾ったので、そういう生徒たちを伸ばして徐々に実績を挙げ、「あそこに行けば子供は伸びる」という評判を勝ち取るところから、変化は始まったのです。同じ公立同士の間でも、同様の逆転現象は起きうるので、それは改革に取り組んだのと、変わるのを拒否して旧態依然たる状態に安住していたのとの差がもたらす結果なのです。

 延岡高校は今後、どうするのでしょうかね?

朝課外は廃止できる

2018.04.26.15:58

 最近この問題に関するコメントがまたぽつぽつ来ているので、ひさしぶりに「延岡の高校」コーナーの記事を書いてみます。

 先日、塾に来た生徒(新2年)が「疲れた」と言うので、理由を聞いたら、朝課外がまた始まったからのようでした。延岡高校では「課外不受講届」なるものを出せるようになったのですが、出すと、トムさんという方がここのコメント欄で紹介してくれた西日本新聞の記事の生徒の言葉のように「すさまじい圧をかけられる」ことになるので、それを恐れて出せなくなるのです。学校の心証を害して、推薦がもらえなくなるのではないか、という心配などもあるのでしょう。

「君らはやり方が下手だねえ」と僕は笑ったのですが、大部分の生徒が「朝課外いらない」と思っているのなら、皆でその「不受講届」を出してしまえばいいのです。そしたら、広い教室で先生たちは2、3人の生徒相手に課外をやらなければならなくなり、それまで時給1600~1800円程度もらっていたのも、僅か200円ほどになり、「こんなの、やってられませんよ」ということになるでしょう。そしたら時間の問題で「もう廃止しましょう」という流れになるのです。届を出す生徒の方が多ければ、「説得」と称する脅し・強要もできなくなる。先生たちの中にも「こんなことに意味があるのか?」と内心思っている人はいるのだから、「支持がないのだから、もう廃止した方がよいのではありませんか?」と職員会議で発言することなども容易になるのです。

 割とかんたんな話でしょう? 朝課外が大部分の生徒にとって深刻な慢性睡眠不足の原因となっていることは明らかだし、それで学力が伸びたという証拠は全くない。慢性的な寝不足で学習効果が上がるわけはないから、それはあたりまえの話なのです。なかには朝型人間で早起きが得意という子もいるかもしれませんが、そういう例外的な生徒は自宅でなり、他より早く学校に行くなりして、勝手に勉強すればいいのです。今、自分に何が必要かということを考えてその都度勉強プランを立てれば、それは一律の課外授業よりずっと効果が上がるはずです。主体性を育てるのにも役立って、それは大学入学後伸びる素地になる。

 延岡高校には日向市から電車で通学している生徒がかなりの数いて、二年連続でうちの塾にもそういう子たちがいたので、話を聞いて「へえ、そんなに多いの?」と驚いたのですが、彼らが口を揃えて言うのは、朝課外がなければ、特急を利用しなくて済み、毎日300円の特急料金を余分に支払わなくて済む、ということでした。月20日だったとしても、合計で6000円です。朝課外の内容が課外費プラスそれ(年額いくらになるかは各自計算して下さい)を支払っても受けたいと思うようなものならまだいいが、とてもそんなふうには思えないと、彼らは顔を曇らせるのです(それなら日向高校に行けばいいじゃないか、と言う人もいるかも知れませんが、委細は省くとして、生徒の学力レベルや学校の雰囲気にだいぶ違いがあるから、彼らはそういう選択をしたのです)。

 いやいや、そんなことはない、あんたの言うことは偏っている、とおっしゃる親御さんたちもいるかも知れません。延岡高校は昨年は現役国公立大合格率が70%に達したというし、今年はそちらの率はそれほどでもなかったが、国立医学部医学科の合格者は8人、九州地区の医学部合格ランキングでは24位に入り、旧帝大の合格者も8人(但し、九大医学部医学科の1人が重複)いたのだ。これは課外抜きでは考えられない輝かしい成果ではないかと。

 そういう認識がそもそも間違っているのです。昨年、2017年度は、こういう言い方は率直すぎて叱られるかもしれませんが、この十年で最も見栄えのしない学年でした。生徒たちも「上がいない」と笑っていましたが、いわゆる難関大の合格者は例年よりずっと少なかったし、その自慢の合格率も、多くが推薦で稼いだものだったのです。わが零細塾ですら推薦で進学を決めた生徒が7人もいたので、延岡高校流に言えば、「過去最高」だったのです。一般受験の生徒の方が少なかったので、塾としては受かってくれさえすればいいのですが、こういう年も珍しいなと思ったものです。

 今年の場合はどうかと言うと、国立医学部医学科合格者8人のうち、5人は浪人です。つまり、そちらは学校の手柄ではない。そして残り3人は二次試験免除の宮大地域枠合格者でした(うち2人はセンターの得点率が85%に達していたそうなので、「当確」だろうねと僕は言っていたのですが、それ以下でも1人入った)。現役一般受験組の合格者はゼロ。

 旧帝大に関してはどうか? その8人のうち、九大2人、名古屋大の2人が推薦です。従って、一般受験合格者は4人しかいないが、そのうち2人は浪人、1人が現役後期です。要するに、前期での現役合格者は京大の1人しかいなかった。受験者がいなかったわけではないので、旧7帝大に東工大、一橋、神戸を加えたものを業界では「十大国立難関大」と呼んだりしますが、今年の受験者には東工大や一橋もいたし、京大は3人もいた。「全員受かったら、君らの学年はかなりすごいことになるね」と言っていたのですが、ふたを開けてみたら、1人を除いて全滅だったのです。

 以上、事実だけを書いたのですが、あまり学校が自慢できる話ではないので、こういう進学データというのはその中身をよく見なければならないということです(ちなみに、その現役6人の旧帝大合格者のうち2人は日向から電車通学していた生徒です。名古屋大理学部〔セあり推薦〕の生徒と、京大文学部に一般入試で合格した生徒)。

 僕はいつも思うのですが、学校がおかしな邪魔をしていなければ、生徒たちの資質からして、難関大の合格者はもっと増えるでしょう。今年の「1人を除いて全滅」という残念な結果にしても、直接は知りませんが、落ちた生徒たちは皆優秀だったと聞いているので、時期に応じた適切なアドバイスが受けられ、発展学習に使える自学自習のゆとりをもっと与えられていれば、本当は大方受かっていたのではないかという気がするのです。いわゆる地頭はいいのに、環境がそれを生かしてくれるようにできていない。その象徴があの朝夕課外です。

 延岡高校には当地とその周辺の優秀な生徒たちが多く集まります。前は小規模ながら私立の尚学館の進学実績がかなりよくて、健闘していたのですが、うち続く不況も影響しているのか、他にも要因があるのか、生徒の集まりがよろしくないようで、今はその面影はありません。以前は現役・既卒を分けて発表していた合格データも、一緒にしてごまかすようになった(だからそれを見ても現役なのか浪人なのか、判別がつかない)。私立の進学校の「東大京大よりも医学部へ」というのは全国的な傾向で、ここもそうだと言われそうですが、今年のデータを見ると、医学部医学科は私立の東海大の一つしか出ていない。それも現役か浪人かわからないのです(うちの塾では数年前から尚学館の生徒はゼロになりました)。

 だからこのあたりでは「延高一強」になったなと僕は見ているのですが、問題は生徒を思うように伸ばせていないことで、その根っこにあの課外があると思われるのです。

 課外は上位1割の優秀層には「迷惑」でも、中位・下位の生徒にはプラスが多いと言う人もいます。前者の生徒たちはほうっておいても自分で勉強するし、何が必要かもわかっている。だからいらないかも知れないが、後者には強制されないと勉強しない者が多く、課外で勉強量が増えるから、それが「底上げ」につながっているのだと。

 果たしてそれは本当なのか、と僕は疑っています。朝課外など、そういう生徒は寝ぼけまなこだったり、実際に寝ていたりすることが多いと聞いているからです(それでも「睡眠学習」効果がある?)。頑張って起きている子たちも、疲れているから頭は働いていないのです。今年の九大の英語入試問題に、再度「睡眠不足の害」を説く英文が出ていて、面白いのは睡眠時間を6時間に限定して、軽度の睡眠不足状態にすると、本人たちはperfectly wellだと思っているが、実際はIQテストなどの成績も下がって、明白な機能低下が認められる、とあったことです。早速塾でその英文を生徒たちに読ませたのですが、そんなに難解な英文ではないし、学校は朝課外でこれを教材に使用したらどうでしょうかね?

 話を戻して、課外による長時間拘束の弊害は、そのために生徒たちが忙しくなりすぎて、自分の頭を整理したり、復習が必要なところを自分で勉強し直したりするゆとりが奪われるという点にもあります。それで学力が伸びるはずはない。単語の暗記テスト(しかも一度の量が多すぎる)などもよくやっているようですが、ああいうのも時間が取られる割に効果は乏しいので、たいていはテストが終わった瞬間、全部忘れてしまうのです。僕は暗記が不要だとは言いませんが、主体的に自分で単語集を買ってチェックし、不足分を補おうとしたりするのとは性質が違うのです。げんに、単語も熟語もほんとに知らないなと、僕は塾の授業で苦笑させられることが多いので、効果はほとんど認められないのです。そもそも、よくできる子というのは、機械的な暗記力にすぐれているからできるのではなく、文脈を把握し、考えながら読む能力が高いからなので、英文を読む中でその語を捉え、実地の用法を理解しながら憶えていく、というのが単語やイディオムをマスターする上で一番合理的なのです。知識や情報というのは、その人の頭の中で有機的な関連付けが行われてこそ役に立つ。また、そうすれば無理なく憶えられるのです。文法だって、ここではなぜこういう言い方になるのか、説明できることはたくさんあるので、それ抜きで機械的に暗記しても、理解が伴っていないのだから、すぐに忘れてしまうし、応用も利かないのです(前にここにも書いたように、あのベーシック・グラマーなる文法プリントの嘘の解説などは、生徒の頭の混乱を募らせるだけなので、ない方が親切というものですが)。

 要するに、物事の理解には勘所というものがあって、頭にも「使い方」がある。そうしたことを授業を通じて生徒に伝えるのがよい教師です。しかし、前にも何度も書きましたが、忙しすぎると人間は考える手間を省くようになる。何でも機械的に処理しようとする悪い癖がつくので、学校でつけられたその悪い癖を矯正するのが塾教師の僕の仕事の一つになってしまっているので、これは本当に嘆かわしいことなのです。

 だから、早く無用な課外は廃止して、正規授業の質の向上に取り組むべきだと繰り返し言っているので、これは道理にかなった注文でしょう。しかし、課外で多忙になっているからなおさら、先生たちにはそのゆとりがなく、やたら暗記の小テストなど繰り返して生徒から自律的な学習の時間を奪い、事態を悪化させる羽目になっているのです。本末転倒も甚だしいので、なぜそれがわからないのでしょう。「考える力」は教員にも必要なのでは?

 ここで一つ「そもそも論」をさせてもらうと、田舎のふつうの公立高校の場合、大学受験指導をするのにはかなりの苦しさがあります。有名進学校の場合なら、教員も教科学力の非常に高い、教養的な厚みもある、入試問題にも精通した先生を揃えているのでしょうが、地方のそうでない公立普通科高校の場合、むしろそういう先生は例外的な存在です。一つの学校に3、4人もいればいい方でしょう。教員採用試験というのはそういうことを基準としていないからです。だから、そのような学校に生徒の受験指導を委ねること自体無理があるので、基礎はきちんと教えていただくとしても、それ以上のことは生徒の自主性に任せた方がいい。できないことをしようとするからかえって基礎までなおざりになってしまうのです。

 課外の必要性についてよく主張される理由は、「田舎には塾や予備校がないから高校が肩代わりすることが必要だ」というものです。それは学校側にその指導能力があって初めて言えることなので、「ない」場合には見当外れな無理を生徒に強いて、有難迷惑になってしまうことがあるのです。

 前にも書きましたが、今はスタディ・サプリのような、全国どこでも利用できる廉価なネット予備校もある時代です。たしかに対面授業で都会の予備校に匹敵するような授業ができる塾は田舎には少ない。延岡あたりでも、大学受験の場合には、自習のための場所を提供する自習塾の類が大半です。しかし、ネット予備校の普及でそのへんは補われている。学校で申し込むと費用が割引されるらしくて、学校自身がそれを推奨しているほどです。

 しかし、課外と多くの宿題にプラスしてそれでは、生徒の睡眠不足と過労を募らせるだけです。だから費用は払ったが、全然利用していないということにもなりかねないので、やっていることが支離滅裂なのです。

 僕の塾は英語塾(頼まれれば、小論文指導もする)ですが、十五年前「開業」した当初は、課外と宿題で生徒たちが忙しすぎるのに同情して、負担になるような宿題は極力出さないようにし、内容も学校に合わせるようなかたちをとりました。やや高級な補習塾みたいな感じだったのですが、開業時一年生だった生徒たちが受験を迎えたとき、それが完全な間違いだったことに気づいて、方針を変えました。生徒が疲労困憊してセンターで大失敗したり、二次学力の不足から受かっていいはずのところに受からなかったりするのを見て、文字どおり「頭に来た」のです(その中には一浪してセンターで全教科合計92%を取り、記述学力も申し分のないものを身につけた女子生徒も含まれている)。

 その後、いくらかの試行錯誤はありましたが、「二次に照準を合わせた指導」に転換したのです。質問があればいつでもそれは受け付けるとして、学校は無視することにした。すると効果が出始めて、優秀な生徒はちゃんとそれに見合った大学に受かるようになった。この十年の一般入試現役合格率は、運にも恵まれ、旧帝大にかぎって言えば100%です(零細塾だから数はそう多くないが、京大3、阪大2がその中には含まれると言えば、田舎ではそのあたりの合格者自体が珍しいのだから、なかなかのものでしょう?)。1人も該当者がいない年もあれば、3人受験者がいる年が続いたこともあるというふうに、そのへんはマチマチなのですが、センター判定がCやDでも、ふだんの授業と過去問の出来具合(何年分も添削していれば、大体のところはわかる)から判断して、むろん、他科目の成績も考慮に入れてですが、これなら二次で十分挽回できると見たときは、ゴーサインを出すのです。

 こういうのはむろん、生徒の素質と努力(+本番度胸)次第です。塾教師の仕事は彼らのたんなるサポートにすぎない。また、ついでに書かせてもらうと、ネットにも電話帳にも出ていないあの「謎の塾」には難しい入塾テストがあって、生徒を選別するなんてのはただのデマなので、僕はそんなことは一度もしたことがありません。上から下まで、色々な生徒がいるのです。それぞれの生徒がそれぞれに適した大学に入ってくれればいいので、そういうことで生徒を差別したりはしない(お勉強はどうでも、感性豊かでキャラが面白いという生徒は、僕のお気に入りになるのです)。

 話を戻して、上記旧帝大一般受験合格者の中に女子が1人(こちらは九大)しか含まれていないのは奇妙ですが、僕の「指導」の中には、「夜はちゃんと寝ろ、学校はうまく手抜きしろ、いらないものはやるな」という助言も入っているので、女の子は真面目で、それができずに疲労が蓄積して途中で失速してしまう子が多い、という事情が関係しているのかも知れません(実際、それで志望校を下げるケースは珍しくない)。学校のあの課外や宿題に、塾の宿題がプラスされ、それを全部ちゃんとこなそうとすれば、こなせるわけはないのですが、疲れ果ててしまうのです。この点、男の子の方が手抜きがうまい。

 つまり、うまく行くようにするためには、学校に対して適切な「防衛」措置を講じなければならないということなのです。これは塾に通っていようと、スタディサプリを使っていようと、完全な自学自習戦略を取っていようと、変わりがない。学校側は生徒に「学校の先生方の指導に従っていれば間違いない」という「先輩からの助言」を配布したりしていますが、あれはヤラセまたは偽造なので、真に受けてはならないのです。「間違いない」のなら、なぜ優秀な生徒たちの難関大合格率がこんなに低くなるのか? 僕はよく、受かった生徒たちに、学校から後輩たちに話をしてくれと要請されたら、「あんな課外なんて疲れるだけのものはいらない」と言ってやれよと言うのですが、皆苦笑するのです。また、平気でそんなことを言いかねないような生徒にはお呼びがかからない。そこらへんの学校の人物選定眼の鋭さには感心させられるので、僕が凄いなと思うのは、そういうところだけです。

 最後に、話を整理しておきましょう。朝課外は深刻な睡眠不足の元凶になっており、それは学校授業全般の学習効果を低下させる。さらに、疲労が蓄積して、学年が上がるほど、また頑張れば頑張るほど成績が伸び悩むという悪しき結果をもたらす。もう一つ、これは朝夕課外全部ひっくるめてですが、十分な受験指導能力をもつ先生は少ないので、その「受験対策効果」自体が疑わしい。それなら生徒に自由にやらせた方がいい(塾やスタディサプリ、通信添削のようなものを利用するなり、自分で計画を立てて勉強するなり)。強制しないと勉強しない生徒には必要だという意見については、強制しても勉強しない生徒は勉強しないので、どのみち無意味なのです。大体、大学受験の勉強は強制されてやるものではない。また、先生たちはそれで多忙になるから、自己研鑽の時間とエネルギーが奪われ、正規授業の質のアップが難しくなる。授業の質が劣化して、効果が上がらないというので、さらに課外や宿題を増やしたりするのは本末転倒で、事態をさらに悪化させるだけなのです。

 以上は課外廃止の十分な理由になると僕は思うのですが、いかがなものでしょう? あらためてそのあたり、よく考えていただきたいと思います。

【追記 4.29】 大分県の県立高校ではついに朝課外が廃止された! 角田あやさんという方のコメントをクリックしてご覧ください。  

プロフィール

大野龍一

Author:大野龍一

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR