fc2ブログ

タイトル画像

毎日新聞の朝課外についての記事

2021.07.13(21:53) 846

 前に毎日の一宮記者が取材を進めている旨書きましたが、第一弾が出たようです。まだ序章という感じですが、非常に読みやすい目配りの利いた記事で、多くの人に読んでもらいたいと思います。これで生徒や保護者の正直・切実な声が多く寄せられれば、取材の上さらに詳しい記事が書け、またそのプロセスで問題点もいろいろ浮かび上がってくるでしょう。学校や県教委側の言い分もあるだろうから、それとも対比させ、議論を深めるきっかけになってくれればいいと思います。それはそもそも学校教育とは何か、という大問題にもつながってくるはずです。

 一番望ましいのは、この記事の九州大大学院の元兼正浩教授(教育行政学)の「学校はこれに向き合い、朝課外を続けるのなら生徒側が納得できる理由を示さないといけない」という言葉にもあるように、学校・教師側がきちんと生徒とコミュニケーションをとることです。これは日本の公教育全体の問題点ですが、生徒が不可解な校則をはじめとする決まりごとや時代遅れの「伝統」に疑問をもって質問しても、どこやらの総理の答弁や記者会見と同じで、そのことには直接答えず、意味不明の御託を並べて、話を一方的に打ち切ってしまう教師が多いことです。だから生徒側は「いくら言っても無駄だ」とウンザリして、何も言わなくなってしまう。対話が成立しないのです。ガースーの真似をしてはいけない。

 民主的な自主自立の精神を育てるどころではない。むしろその反対で、それが日本人の悪しき「諦めメンタリティ」の拡大にかなり大きな影響を及ぼしているのではないかと僕は疑っていますが、教師は自信があるなら正面からきちんとそうした話し合いに応ずべきで、説得する自信がないから権力的に異議申し立てを抑え込むというのでは教育者として失格だと自覚すべきです。

 保護者(記事中に「勉強の方針を学校と親たちが決めている」という箇所がありますが、厳密にはこれは「親たち」ではなく、学校の翼賛機関と化したPTAが、です)には、自分の子供を人質にとられているような思いがあって、生徒自身、内申を握られ、最近急増している推薦入試(国立も推薦枠を拡大している)でも、職員会議でその可否が決定されるので、学校や教師の心証を悪くするとまずいという判断が働いて、僕にはそれはしばしば今風の過剰な忖度のようにも見えますが(というのも、私情だけで生徒評価を決めるようなトンデモ教師はごく一部にとどまるはずだからです)、理不尽なことにも声を上げにくいという事情がある。要するに、学校は一個の権力なので、そうであればなおさら、それにあぐらをかくようなことはすべきではないでしょう。

 何はともあれ、以下の記事をお読み下さい。一宮記者の元に多くの声が寄せられることを期待しています。

九州の高校で続く「朝課外」は半強制? 声をあげた生徒会


スポンサーサイト




祝子川通信 Hourigawa Tsushin


タイトル画像

学校が変わらない理由

2021.05.31(16:55) 835

 延岡高校は一時、それは段校長の時代ですが、いい方向に改革がかなり進みました。内部に「抵抗勢力」(以前の古いやり方に固執する教員は多い)を抱えている関係で、いきなりは変えられないから、徐々にという考えだったようですが、生徒にゆとりを与える方向に進んで、前と較べて無茶な宿題も減り、生徒たちの表情も明るくなっていたのですが、その退任後は「旧勢力」が盛り返したらしく、今では明確に後退に転じたように見えます。

 だからこれを書かざるを得なくなったわけで、一通り書いて出そうとした矢先(日曜深夜)、11年前に書いた「教育という名の児童虐待:延岡の県立普通科高校の場合」に対する次のような非公開メールが入っていました。非公開だから公開はしてくれるなということでしょうが、これは僕が塾の2年生たちから聞いている話と全く同じで、生徒が特定されるおそれはないと思うので、紹介させてもらいます。

 延岡高校に通っている者です。宿題の量は今も変わりません、多すぎます。また、提出したプリントを提出してもなにがダメなのか分からないまま再提出を要求されます。生徒に何を求めているのか分かりません。
 本当に辞めたい。


 これはかなり深刻ですが、多くの生徒の声を代表しているような文面です。塾の生徒にも体調をすっかり崩してしまった生徒が複数出ているので、だんだんクレイジーになってきているのです。朝課外で早起きを強いられる上に、宿題が半端でなく多く、部活を終えて帰ってからそれをやっていると、平気で深夜の2時とかになってしまう。睡眠時間が3時間とか4時間、長くても5時間というような非人間的な状態になっているのです(おまけに、この文面にあるような「意味不明の再提出要請」なんてものまである)。学校の教師はそれぞれ自分の指導科目のことしか考えていなくて、全体としてそれがどれほどの分量になるか、把握していないのです。それで殺人的な量になってしまうのですが、そういうことが頭に思い浮かばないというのは、それ自体が無責任かつ非人間的なことです。

 先日僕は塾の生徒たち(こちらは3年)から驚くべき話を聞きました。「学校に文句があるのなら、やめればいいんだ」と放言する教師までいて、その教師は顧問をしている部活でも生徒に平気で暴力をふるっているというのです。前者は学校にどんな問題があっても生徒はそれに抗議することは許されず、問答無用で「それなら学校をやめてしまえ」と言う権利が学校と教師の側にあると思っているということであり、後者の生徒に対する常習的な暴力は、表沙汰になれば懲戒免職ものですが、学校はそれを放置しているということです。

 北朝鮮やナチスではあるまいし、どこの国にそんな馬鹿な話があるのかと思いますが、げんにあるのです。県教委にそういう通報があれば、彼らはあわてて学校に確認の電話を入れ、「あのブログに書かれていることは事実ですか?」とたずね、校長や教頭は狼狽して、「聞き取り調査をしてみましたが、そんな事実は確認できませんでした」と答えて一件落着というわけで、こちらが嘘を書いたことにされてしまうのでしょう。こういうのは今までいじめ自殺事件などでも数えきれないくらい繰り返されてきたことで、最後には第三者委員会というものが設けられて調査し、学校の姑息な隠蔽が発覚するのです。時すでに遅し…ですが。

 今、毎日新聞の一宮俊介記者(延岡高校OB)が取材を始めていて、宮崎県の県立普通科高校の問題、とくにあの悪名高い朝課外について詳しい記事を書いてくれるだろうと僕は期待しているのですが、その参考に供するため、僕が知っている延岡高校の課外の現状についてまとめておきます(延岡星雲高校はすでに朝課外を廃止した)。

①課外については「受講する・しない」を生徒が選択できるようになった。初めは「不受講届」なるものを出すかたちにして、あえてそれを出すのは勇気がいるので、「姑息なやり方だ」と批判されると、「受講・不受講いずれかに○」の形式に変えたのですが、最初の不受講届のときは二人だけ、それを出した生徒(どちらも女子)が3年生にいた。学校はすると、彼らを呼び出して翻意するよう「説得」という圧力をかけた。これは僕が直接その生徒の一人から聞いたことでたしかな話です(学校側は県教委の聴き取りに対してそれを否定したという話を聞いたことがありますが、それは嘘だということです)。

②3年生は部活引退後、夕課外が始まるので、課外は朝夕二つになるが、大多数の生徒が「夕課外はいいが、朝課外はいらない」と考えている。しかし、その選択肢はない。前にその選択も可能にするべきだと書いたことがありますが、これを可能にすると、朝課外の受講者が激減し、先生に出す課外手当(学校によっても違うようですが時給1600~2000円の範囲)が出せなくなったり、何より朝課外が不成立になることを恐れているからなのでしょう。課外費の徴収が複雑になるなどというのは言い訳にすぎない。その場合は半額か三分の二にするなど、あらかじめ決めておけば足りるからです。

③尚、1・2年は季節課外の類は除き、朝課外だけですが、クラスで差はあるものの、不受講は各クラス二、三人にとどまっている(今はそれに対して受講を強要することは行われていない)ようで、それが多すぎる宿題とも相まって上に見たような深刻な慢性睡眠不足の原因になっている。嫌がっているにもかかわらず、受講を選択する生徒が多いのは、課外の時間に平常授業の続きをやる教師もいるからだそうです(言うまでもなく、これは違法です)。

④現生徒会長は全生徒にアンケートをとるつもりで校長と交渉しているが、校長はそれを渋っている。来年から再検討の予定だから見合わせてくれと言うだけで、明確な反対の理由は示されていない。それで朝課外を支持しない生徒が大多数になると、学校側が窮地に陥るからだとしか思えない。そもそもの話、学校が生徒会のこの種のアンケートまで制止できる権限をもっているということ自体、著しく非民主的なことで、理解しかねる話です。


 以上が課外についての現状ですが、こういう学校はブラックなので、公教育の名においてこのようなことが行われているのは嘆くべきことで、「知性、心身の健全な発達」を妨害しているとしか思えず、「自治・信愛」を学校のモットーに掲げながら、生徒を信頼し、その自主性を尊重しているとも思えない。健康に深刻な害(その悪影響が成人後表われることも少なくないというのが医学的知見)になるだけでなく、生徒を慢性睡眠不足にして学力が伸びるはずもなく、寝不足の頭では授業にも集中できない。宿題に関しても、先に見た通りで、教師は自分の指導科目のことしか考えておらず、生徒にどれほど過大な負担がかかっているか、把握していないのです。

 それでも昔と大きく違うのは、今は生徒側に選択権が与えられていることで、僕が保護者なら、それはよかった、不受講にマルをつけて出せ、とわが子に言うだろうし、自分が生徒なら、嬉々としてそちらに印をつけて出すだろうと思います。朝課外で平常授業の続きをやる先生もいるから出ないと授業がわからなくなるということなら、それは学校が実質的に受講を強制しているのと同じで、率直に言えば犯罪的です。それを学校が黙認しているというのなら、校長の責任は免れない。

 もう一つ、不受講の選択をためらう理由として、そうすると学校の意向に反することになって、推薦入試で推薦状を書いてもらえなかったり、内申書で不利な扱いを受けるのではないかという心配でしょう。今は国公立でも推薦が増え、延岡高校でも推薦による進学は外部が思っているよりずっと多くなっている(進学実績のそういう内訳は発表していないから多くの人はそれがいかに多いかを知らない)ので、不受講なんか選択すると学校の心証を害して不利な扱いを受けるのではないかと、よけいな心配をするのです。仮にそんなことがあったとすれば、それは不法なことなので、学校側もその辺は理解しているからそれは杞憂だろうと思いますが、一般の生徒や保護者はそういう余計な忖度までするのです(ちなみに、「敵性塾」視されているはずのうちの塾の生徒にも推薦で国公立を受験した生徒はこれまでたくさんいますが、けしからん塾に通っているからという理由で不利益な扱いを受けた者は一人もおらず、その大部分が合格しています。だから課外を受けなくても不当な扱いは受けないはずなので、もしもそういう例があったらメールでお知らせください。県教委に見解を問い質します。ついでに言うと、延岡高校の先生の子供が塾に来ていたこともあって、延岡高校ではそれは稀なことですが、こちらは一般受験で国立医学部に一発合格しました)。

 生徒や保護者も勇気をもってもっと主体的に行動すればいいのではないかと僕は思いますが、この前も塾の3年生男子相手にそういう話をしていると、「めんどくさいんですよ」と彼らは言いました。たとえば、夕課外を受けたいから受講にマルをつけているだけだというのなら、いらない朝課外はサボって、夕課外だけ出るということはできるはずで、課外はあくまで課外なのだから、費用を全部払った上で、必要なものだけ出るのは本来何ら問題はないはずです。それは塾で週二回分の月謝を払って、一回だけ出るというのと同じで、仮に全員そうしてくれれば、僕は週一回の授業で二回分の月謝がとれるというので大喜びするでしょう。ところが学校だと、それは課外であるにもかかわらず、担任に呼び出されて「説諭」されるとか、面倒なことになるのが目に見えているので、それがウザいと彼らは言うのです。統制の好きな日本の学校ではそれは大いにありそうなことですが、生徒を課外と大量の宿題で深刻な慢性睡眠不足に追い込んで、そういう重要な問題には無関心なくせに、どうでもいいところだけヤケに細かいというのは何なのでしょう? 僕には理解不能です。

 企業の労働組合の力が弱くなって労働者の待遇がどんどん悪化してブラック企業が増えたのと同じで、今は学校でも生徒たちの団結力は乏しく、学校が理不尽なことをすると生徒たちが怒って全員で授業ボイコットをするなんてこともできなくなっているのでしょう。課外の場合も、それは僕と同世代か少し上の延岡高校OBの塾生の父親から以前聞いた話ですが、当時課外は強制でしたが、クラス全員でボイコットしてしまい、その年は「課外不成立」になったという話で、「あんなもの、潰そうと思えばかんたんに潰せるんですよ」と言っていました。

 こういうのは僕の世代の人間には感覚的によくわかるので、僕がいた高校(課外なんかはなかった学校ですが)でも、職務熱心な風紀係(今で言う生活指導係)の教師二人が、文化祭当日、生徒が出払っている隙をついて「3年の不良下宿生」の部屋を無断捜索し、大騒ぎになるという事件が起きたことがありました。彼らは勝手に生徒の部屋(当時は鍵なんてものはかかっていなかった)に侵入し、タバコ、酒、シンナー、エロ本等の「不適切な物品」を押収し、動かぬ証拠を突きつけて不良どもを恐れ入らせ、停学または退学処分を下す計画だったのです。盛り上がった文化祭の後、上機嫌で帰ると、下宿のおばさんが飛び出してきて、「私は必死に止めたんだけど、先生たちが勝手に…」と言うので驚いたのですが、何と僕もその標的に含まれていたのです。僕は下宿のおばさんからは絶大な信用を得ていたので、それはおばさんにとっても不可解なことでしたが、2年の頃、問題教師二人をやり込めたり、3年になってからは自分で時間割を作って勝手登校していて、それを真似る連中が続出したりしていたので、そういうことが風紀係の先生たちからすれば「許しがたい非行」と思われたのでしょう。あいにくなことに、僕の部屋からはその種の「不適切物品」は何も発見できず、空振りに終わったのですが、なかにはタバコの類のみならず、大事なカノジョの写真まで没収された生徒もいたのです。

 果たして、翌日学校に行くと、すぐに大騒ぎになった。生徒会の実権はすでに2年に移っていましたが、違法なひどい人権蹂躙だとただちに緊急生徒集会が招集され、全会一致で授業ボイコットが決議され、学校全体が丸1ヶ月、完全な授業不能状態に陥ってしまったのです。不良どもにはもっけの幸いでしたが、学校にとっては悪夢以外の何ものでもなく、二人の風紀係教師は生徒に停学を言い渡すどころか、自分が謝罪を余儀なくされる羽目になったのです(事はそれだけでは済まなかったのですが)。

 脱線したので話を戻して、これは今の生徒たちが大学受験の大きな圧力にさらされていることとも関係するかもしれません。昔と違って、今は一定レベル以上の普通科高校の場合、ほぼ全員が四年制大学進学希望です(先の課外ボイコットのお父さんは高卒だったし、僕も高3の途中まで大学進学は考えていなかった)。それも「一浪と書いて“ひとなみ”と読む」という川柳があった呑気な昔と違って、現役合格しなければと思っている。その大きなプレッシャーの中で高校生活を送り、課外と宿題に追われ、ハードな部活もやっているという状況では、それに対応するのが精いっぱいで、学校相手にあれこれやり合うなんて余分なエネルギーはないのです。逆説的ですが、だからおかしなことがあっても、それに対処する余裕がない。三年間何とか辛抱して、大学入学にこぎつければいいと考えるのです。

 ある保護者から聞いた話では、OB会が朝課外の廃止に反対しているのだそうで、僕が知っている延岡高校のOBにはそんなことを言っている人は一人もいないので、それは学校側が言い訳にそんなことを言っているだけなのではないかという気もしますが、「自分はあれに耐えた。おかげでこんにちの自分がいる」なんてことを言いたがる人は、ブラック部活のOBをはじめ、世間には結構いるものです。これに対しては、そういうのは自分の過去の美化心理から言ってるだけの話で、「あんなものはない方がいい」と思っているOB、OGの方がずっと多いのだと言っておけば足りるでしょう(そういう強制がなければ勉強しなかったなんてのは自分の主体性のなさを宣伝しているようなもので、自慢にも何にもならないことです)。

 だから一番いいのは、学校がさっさと朝課外を廃止することですが、九州地区の公立高校の朝課外はテレビの『マツコ会議』でも取り上げられて、「今でもそんなおかしなことをやっている学校があるのか!」と全国の視聴者に驚きを与え、科学的合理性も全くない(九大は近年、二度にわたって英語入試に「睡眠不足の害」についての英文を出題している)ことだし、他県(たとえば大分)などでは廃止に舵を切ったのですが、宮崎県ではそれがなかなか進まないのです。その頑固さと決断力のなさは五輪の中止が決められない今の菅政権並で、モゴモゴと意味不明のことばかり言っているところも同じです。

 課外で学力が伸びたという証拠もない。健康を犠牲にしてでも学力さえつけばいいとは僕は思いませんが、僕が塾で見てきたことからすれば、学力面でも明らかにマイナスが目立つのです。慢性睡眠不足では頭は働かない。暗記はまだしも、とくに考える、理解する能力は落ち込むので、学習効果が乏しくなるのです。ふつうかそれ以下の生徒の場合、課外や宿題で手いっぱいで、自分で弱いところを復習して補う余裕もなく先に進んでしまうから、いつまでたっても穴だらけで、基礎がちゃんと身につかないまま終わってしまう。達成感もないから、モチベーションも上がらない。一方、よくできる生徒には、退屈な授業や宿題が多すぎる。自分で勝手にやった方が能率が上がって、読書の時間などもとれていいということになるのです。今のセンター改め共通テストの英語の問題などは死ぬほど退屈ですが、二次になると全く問題の性質が違うので、そちらは知的好奇心の強い、考えることが好きな生徒向きで、教科書以外にあれこれ考えたり、本や雑誌を読んでいる生徒に有利なのですが、平板な詰め込み暗記教育を中心としている学校の教育ではそちらには満足に対処できない。だから勝手に勉強させた方がいいので、こういう度の過ぎた管理は、上にも下にも、生徒から無駄に時間とエネルギーを奪うマイナスの側面の方が大きくなるのです。

 教育現場に身を置いていて、どうしてそれがわからないのでしょう? ついでに言うと、最近の大学入試は、少子化の影響もあって、年々楽になっている印象です。東大や京大でも、上の層は変わらなくても下はかなり下がっていると言われますが、それはあくまで東大や京大にしてみれば、という話でしょう。学力低下が目立つのは地方の中堅国立以下の大学で、昔は駅弁でも国立ならどこでもかなりの学力がないと入れないと思われていましたが、今は相当低くても入れるようになっているのです。難しくなったのは医学部ぐらいのもので、体調不良になってダウンを繰り返すような騒ぎをしなくても、ふつうに勉強して基礎固めをしさえすれば、かなりのレベルの大学に入れるのです。だから、その意味でも過剰な課外や宿題で生徒を疲労困憊させるようなことは愚策だということになるので、逆に言えば、そのせいで受かるものまで受からなくなったり、本来入れるところよりレベルを下げた受験を余儀なくされるようになったりするわけで、本末転倒しているのです。

 以上、後は毎日の一宮記者にお任せしたいと思います。連載で掘り下げた記事を書いてくれることを期待しています。


【追記】次はプレジデント・オンライン 6/3 の記事です。これは今の学校関係者たちにも、生徒たちにもぜひ読んでもらいたい記事です。参考になることがたくさんあるはず。

「宿題なし・定期テストなし」勉強しろと言わないのに生徒が勝手に勉強する公立中学校の"魔法の質問"3つ(「起立・気をつけ・礼・着席」は逆効果)



祝子川通信 Hourigawa Tsushin


タイトル画像

まず朝課外だけ廃止してみたら?

2020.06.21(08:33) 733

 もうこのコーナーに書くことはあまりないなと思っているのですが、しばらく前生徒に約束したので、一つだけ書いておきます。

 新型コロナによる学校休業、変則(間引き)通学の後、いきなり元通りになって、課外も同時に復活したものだから、生徒たちは肉体的にもヘトヘト状態で、かなり苦しくなっているようですが、彼らの意見を聞いてみると、「朝課外をやめてほしい」という点では一致しているようです。

 去年の段階で3年生に聞くと、朝課外は受けたくないが、夕課外は受けておきたいと言う生徒が多数派だったので、課外の受講・不受講だけではなく、朝課外と夕課外(3年)も分けて、「朝課外は受けずに夕課外のみ受講」が選択できるようになればいいだろうと前に書きましたが、現3年生もそう思っている生徒が多いようです。朝課外は今は「メニュー選択制」になって、自習や受験サプリ視聴なども選択できるようになっている(延高2年の話)そうですが、いずれにせよ眠いのには変わりがないので、やめた方がいい。それが原因で寝不足になると、その状態のままずっと授業を受ける羽目になって、学習能率も上がらない。それで成績が伸びるわけはないので、誰のため、何のためにそんなことやっているのかわからないのです。

 それで、3年の場合は上記のような選択肢も必要だと言ったのですが、あらためて考えてみると、そうすると朝課外は選択せず、夕課外のみ選択するという生徒が圧倒的になって、朝課外受講者は各クラス僅か数人ずつとなり、先生たちに課外費が払えない事態に陥るので、それはできないということなのかもしれません。たしかにその可能性は高いので、それでそういう選択肢が作れないということになっているのかもしれない。

 それなら朝課外を廃止してしまえば問題は解決する。無理に残して、朝課外と夕課外を分けて…なんて考えるとそういうややこしい問題になってしまうが、朝課外の方を廃止すれば葛藤は消え、悩まなくて済むのです。延岡高校の場合、日向から電車で通っている生徒がかなりいますが、そうすると毎回300円余分にかかる特急料金も節約できる(うちの塾に来ていた日向の生徒たちは全員、「あの課外にそんな価値があるとは思えない」と言っていました)。

 朝課外だけで、夕課外はない1・2年の場合はどうか? これも、寝不足の原因になっていることは間違いないので、ない方がいい。

 ということで、やはり朝課外は廃止するのがいいだろうというのが僕の結論です。今年はコロナによる長期一斉休校などで授業時間がかなり減ってしまったので、高校のみならず、小中学校でも学校の先生たちはどうしたものか悩んでいるでしょう。九月入学・進級のアイディアが出ていましたが、それはあれこれ支障が多いというので、反対が多くて潰れてしまったようなので、夏休みを削ったとしても、トータルの授業時間数がどうしても足りなくなる。地方の公立学校などではオンライン授業の体制は整っていないので、そちらで代替することもできなかったということで、悩みを抱えている学校が多いでしょう。人間は機械ではないので、その分宿題を増やして対処しようとしても、生徒を疲れさせるだけで、かえって勉強嫌いを増やすことにもなりかねない。

 課外をやっている高校の場合、「こういうこともあるからこそ、課外は有用なのだ!」と言うかもしれません。それを問題演習の時間にあてて、平常授業のペースを上げたりしやすくなるからです。それは調整弁として役立つとして、コロナ禍を課外必要論に利用する。実際にそんなことを言っている学校があるかどうかは知りませんが…。

 しかし、そんな話を課外の議論に持ちこむのはどのみち筋違いなので、「九州地区特有の時代遅れの制度」として、廃止に持っていくのが賢いやり方でしょう。今回のコロナ騒ぎでは、塾も年度の切り替え時にちょうどあれが当たったものだから、外出自粛で新規入塾が激減しただけでなく、在塾生の授業も休講を余儀なくされたりして、大きな打撃を受けたところが大半だったろうと思いますが、やっと学校が再開したと思ったら、冒頭述べたように生徒が疲れ切っているというのでは新たな塾通いどころではない。時期も半端になるし、今年はもうこのままで行こうと僕自身は肚(はら)を決めたのですが、ホリエモンではないが、今の学校というところ自体、何のために存在しているのかよくわからないところがあって、そういう主体性のある子供は多くないと言われるかもしれませんが、パソコン一台あれば今はどんな教科でもそう無理なく自分で勉強できてしまう。これは受験サプリのようなネット予備校だけを指しているのではなく、高校の場合だと、N高なんてオンラインの通信制高校もできているのです(今年、初の東大合格者が出た由)。仮にそういうネット予備校、ネット高校を利用しなくても、英語などは全くの独学でマスターすることが可能です。受験用の参考書や問題集は必要不可欠な分だけ買って、それは一通りきちんとやっておいた方がいいが、英文の記事は幅広い分野のそれがほとんど無尽蔵にあるし、Youtube を見ると、字幕付きのよいドキュメンタリーなども見つかる。その気になれば英語でチャットもできるし、海外の人とメールでやりとりもできる。そういうのの使い方を教えてあげれば、学校の授業そのものがいらなくなるだろうという気がするのです。むしろこちらこそ「アクティブ・ラーニング」になる。洋書を取り寄せるのでも、今はアマゾンや紀伊國屋のネットウェブを利用すれば、田舎にいてもすぐ届きます。僕はしばらく前に、絶版になっている本を海外の古書店のウェブサイトから取り寄せてみたのですが、少し時間はかかったものの、ちゃんと届いた。ほんとに便利になっているので、一昔なら、日本の書店に在庫があれば別として、そうでなければ50日ぐらいかかって、かつ値段が割高だったのです。今はスピーディな上に、値段が安い。そして、ネットの無料コンテンツが充実しているのです。大学入試の二次の入試長文にはウェブサイトの英文もよく出ているので、自分が面白いと思って辞書を引きながら読んだものが本番にそのまま出るということだってありうるのです。そういう苦労は無駄にならない。僕はたまに生徒に読ませたいと思ったものがあるとコピーすることがあるのですが、学校の退屈なリーダーのテキストよりそういうのは内容的にもずっと面白いでしょう。

 学校がないと困るのは、友達を作りにくいとか、部活をしないと運動不足になるとか、勉強以外の面だけではないかという気がするのです。少なくとも高校レベルではそう言える。社会科なんかは昔から独習派が多かったし、とくに苦手な科目だけネット予備校の講座を使うなどすればいいのです。要するに、学校授業自体がいらなくなりつつある。

 つまり、課外がどうのというより、学校授業の本体そのものの存在意義が疑われるような時代になっているということです。自分の時間管理、生活管理さえきちんとできれば、勉強は学校抜きでやれる。その方がゆとりももてるし、むしろ効率的でしょう。コロナ休校のとき、それに気づいた生徒もいるかもしれません。同じ理屈で塾もいらないんじゃないかって? そうです。概して学校よりは塾の方が授業は面白いのではないかと思いますが、それも塾によりけりだし、自分で調べながらやる力があれば、通常の学校も塾もなしで大学受験に対応できるくらいの学力はつけることができる。高校を中退するとか、初めから行かなかった場合でも、高卒資格認定試験は年に2回あって、毎年計1万人近くが合格しているようですが、それと大学入試のレベルにはかなりの差があるとしても、難関大合格者はかなりいるのです。昔はこれは「大検」と言って、大学時代の僕のクラスメートにも一人いました。今はそういうタイプはいないでしょうが、彼は高校時代、左翼過激派で、学生運動をやりすぎて退学処分を食らったのです。それでしばらく飯場暮らしの労働者になっていたが、一念発起して勉強し直し、人よりだいぶ遅れて大学に入った。真面目な男に見え、僕はあるとき飲み会で酔った彼にからまれ、アウトロー呼ばわりされて閉口した(親しげな口調だったとはいえ、なんで元過激派にそんなこと言われなければならないのか?)ことがあるのですが、その後司法試験に合格して、最初検事になったが、のちに弁護士に転じた。十年ほど前、思い立って昔の知り合いがどうしているかネットで調べていたとき、彼がネトウヨたちから激しく攻撃されているのを発見して苦笑したのですが、法学関係の雑誌にも寄稿したりして、その筋ではかなり有名な人権派弁護士になっていたのです。むろんネットの悪口も、イカれた連中が誹謗中傷しているだけで、彼は立派な仕事をしていたのです。

 小泉元首相ではないが、「人生色々」で、大学には毛色の違うのが色々いた方が面白いのです。今でも変わったルートの学生はいるようで、僕の息子は一年ドイツ留学したのをきっかけに寮に移ったのですが、そのとき同室になった法学部の先輩がかなり年長で、これが元パチプロだったという話を聞いて笑ったことがあります。何ら崩れた感じはなくて「真面目でしっかりしたよい人」だという話でしたが、色々な意味でストレートで入るよりむしろそっちの方が難しそうです。彼も「そう思う」と言っていました。

 こういう話を聞くと、少し広やかな気分になりませんか? 「なった」というので、そのまま高校をやめて、自分で好きにやるつもりがダラダラするだけになって、入試にも受からず、そのまま引きこもりになってしまったというので、後で責任を取れと言われても困りますが、本気でやりさえすればそれは十分可能なのです(自分がそれで成功したとか、身近にそういう例があるとかいう人がいたら教えて下さい)。

 とにかく、学校の「必要不可欠度」は減っている。いわんや課外をや、ということで、かつてないほど今はそうなのです。そこらへんの時代認識が全くできないまま、朝課外一つ廃止できない学校というのは一体何なのだろうと、僕には不思議でならないのです。


祝子川通信 Hourigawa Tsushin


タイトル画像

偏執狂のブログ荒らしへの最後通牒

2020.04.10(03:29) 710

 世の中はコロナで右往左往させられているというのに、全く別世界にいるかのように、自分が固執する問題にのみ拘泥して、とんでもない糞コメントを寄せる馬鹿者がいます。だいぶ前に僕はここに「傍迷惑な抗議者について」と題して書いたことがあります(今年1月末)。「延岡の高校」コーナーをクリックされれば、今回これが先頭に来るかもしれませんが、その次に出てくるはずです。あのときは入試戦線真っただ中の忙しいときに、おかしなことを続けざま書いて寄越して、煩わしいのを我慢して消し続けていたのですが、「何じゃこれは?」と思うことが起き、とうとう堪忍袋の緒が切れてしまったのです。

 経緯はそちらを読んでいただくとわかりますが、こちらはもうすっかり忘れていたのに、2ヶ月以上もたった今、突然深夜に罵詈雑言・脅迫のコメントが来て、びっくり仰天させられました。呆れ果てて、ブログの品位に関わるのですぐ消しましたが、「種明かしをしてやる!」と題した次のような投稿が深夜零時過ぎに送られてきたのです。当人には文章読解力が全くないようなので、書いても理解されるかどうかわかりませんが、ここに載せた二つの後には、「クソじじい、消すなよ!」という短文コメントまで入っていたので、そうすると品位を保ちつつ撃退する方法はただ一つ、本文に取り込んで、正常な文章で囲み、害毒を弱めつつ、きっちり答えてやることだけです。省略せず、全文を載せておきます。青字の部分がそれです。

※ これはゆうべの夜中のものですが、今夜も12時を過ぎてから同じような糞コメントが5つも立て続けに入っていて、ブラックリストに載せたら、アドレスを変えたらしく、しつこくまた書いてきたのです。むろん、同じ人間ですよ。完全にイカれているので、今後も続くようなら警察沙汰にするしかありません。実のところ、僕は様子を見てこれを載せるかどうかを決めようと思っていました。妄想をたくましくしているうちに一時的に頭に血がのぼりすぎてこんなものを書いたのだとしたら、本人が後で後悔するだろう。その場合は叩くとかわいそうだと思ったからです。が、そんな配慮は全く必要ないのをこの連続糞コメントで確認したので、昼間書いたものをそのまま掲載することにしました(本人に言っときますが、最後まで読めよ!)。

コメントをどうぞ
種明かしをしてやる!
先ず放射能教師の話だが俺が放射能教師をこのブログで知って電話で宮崎県教育委員会や宮崎県人権事務局や延岡人権事務局0982332179に訴えて放射能教師は大人しくなった!彼とは教育実習で知り合った仲だから多分、彼だろうと思った!放射能教師は大人しくなっただろうが!


 意味が著しく不明確で、「彼」が誰を指すのかも明確ではありませんが、そこは適当に解釈するとして、これはかなり大昔の話です。その上で、そういう事実はなかったとはっきり言っておくべきでしょう。あの「放射能教師」の問題が完全に消えたのは、彼が転勤していなくなったからですよ(それもあの発言から何年もたってから)。彼はその後も、東大以外は大学ではないようなことを言って(自分は駅弁大卒なのに)生徒を憤慨させたり、さらにその後は「模試で日曜が潰されなくなったのは、オレが言ったおかげだ」と生徒に恩着せがましく自慢していたりしていたので、それでは「改心」したとは言えないでしょう。そもそも、生徒を放射能呼ばわりして、そういう情報が外に出れば、あまりにも非常識なので県教委から学校に注意が行くに決まっている。君の自慢にはだから、何ら根拠がないわけです。その放射能教師が模試の件を自分の手柄にしていたのと同じです(あの模試の件は当時の段校長の意向が反映したものと僕は見ています。あの校長の時代にいい方向に事が動き始めた。ほんとはあれでもまだ不十分で、金曜の午後を全部模試に当てるなどすれば、土曜にあんなに多くの科目を詰め込む必要がなくなってよいのですが)。

俺は教員免許更新講習が終了して返信するが、貴方と公明党議員を携帯電話で繋いだ事を、覚えているか?

 それは覚えていますが、だから何なわけ? いきなり電話してきて、勝手に「電話を代わりますから」と言って、相手をさせられ、その議員も困惑気味でしたが、「こちらに事前に連絡の上、来ていただければ詳しい話をしますよ」と言ったが、それきりだった。あのとき僕が思ったのは、こういう妙な騒ぎ方をする連中と組んでいいのかという逡巡がその議員にはあるのではないかということでした。その公明党議員がこのコメントを見れば、「やっぱり…」と思うでしょう。

貴方が延岡高校の物理教師(間違いなく○○)が課外で教科書進行していると情報を提供したから公明党議員が課外の苦情を訴えた! 

 だから、それが余計なんだって。○○のところは実名が書かれていますが、人権感覚ゼロで、公開コメントに平気でそれを書くこういう無神経さもビョーキ以外の何ものでもありませんが、全部この伝なのです。これはいつのことなのか、それも明示されていないのでわかりませんが、しばらく前のことなら、生徒たちはそういうことをやられると自分がチクったと思われるから、書かないでほしいと僕に言ったので、君みたいな順序もやり方もわきまえないのがいるから、情報もかえって出しづらくなるわけ(だからあれでは「理科系科目」と書いたはず)。ほぼ全員が受講しているなら、弊害はほとんどないから、この前書いたとおり、別に目くじら立てる気は僕にはなかった。それで範囲が終わらなかったり、演習の時間がとれなくなる方が生徒には実質的にマイナスになる。生徒たち自身がそう受け止めているなら、タテマエよりそちらの方を尊重すべきでしょう。

公明党議員が宮崎県議会で訴えた内容は、課外で生徒が苦しんでいると述べた内容だった!
2015年1月あたり俺は公明党議員が述べた内容を情報開示センターで大量コピーして宮崎市内や延岡市内でコピー内容を配りまくった!
延岡高校の課外不受講願も間違いなくコピー内容を俺が配りまくったからだ!


 また脈絡なく話が飛んでいますが、この前は2018年の抗議行動がどうのという話だったよね? それで、「行動が実を結んだのです!」と自慢していた。それに対して、僕は形式的には選択制は延岡高校では16年からだと言った。それで具合が悪くなったので、今度は「2015年1月あたり」に時間を遡らせたわけだ。テキトーな思いつきで物を言うなよ。

 何にせよ、こういうのは県教委と学校だけが知っている話なので、自分勝手な憶測にすぎない。そもそもの話、課外は九州地区全体の問題で、2016年11月5日放送の「マツコ会議」でもこれが取り上げられて話題になったという話は前にここにも書いたし、ウィキペディアの「朝課外」にも出ている。お隣の大分ではトップの上野丘がそれを廃止したと教えてくれた読者もいる。「朝課外廃止」で検索すれば、福岡県の八幡高校も去年から廃止したのがわかる。君は他県にも遠征して、大活躍なさっているのですか? こういう変化は大きな流れの中で起きているので、君のコピー配りのおかげだと思っている人は君以外にはいないでしょう。そういうのを誇大妄想という。君は前にここで指摘した女子生徒に対するストーカーまがいの自分の迷惑行為には全く触れていないが、そういう「活動」をする人間を信用する者はまずいない。保護者との電話内容をボイスレコーダーに無断で録音して、それをもってその保護者の子供がげんに在籍する高校と県教委に抗議に行くなんてのも同様。非常識極まりないのでやめろと言っているのに、君は懲りた様子もなく、またぞろこんな下劣きわまりないコメントを書いて寄越すわけだ。県教委も「何をしでかすかわからない」という意味では君に警戒しているだろうが、それはモンスター・クレイマーを相手にするときのそれで、手強いから恐れられているというのとは性質が全く違うでしょう。

宮崎市内の塾長は貴方のブログを見て「大野君は塾生が苦しんでいるのにネットで叫んでいるだけ!行動なんにもしないじゃん!俺は今現在、宮西塾予備校説明会で宮西塾生が居眠りしている事を講義しているよ」と言ってます!
私は11月に行われた延岡高校塾予備校説明会に聖心ウルスラ高校の仕事終了後に、駆け付けて延岡高校に延岡高校生がフェイスブックやtwitterで課外で授業進行している事実や苦情を訴えました!


 相変わらず誤字が多いが(「講義」は「抗議」でしょう)、別に僕は「ネットで叫んで」なんかいませんよ。そういうところは全く読んでいないか、読んでも理解していないのだろうが、課外に関しては、前にも書いたように、すでに生徒側にボールは渡っている。受講・不受講は生徒が選択できるようになっているのだから。3年に関しては、朝課外と夕課外を別にして、朝課外は受けないが、夕課外は受ける、という選択を可能にしてもらう必要性はある。そういうことはここにもすでに書いているので、いずれ検討されることになるでしょう。

 高校生は小中学生とは違うのだから、自分で責任ある行動が取れるはずです。不受講届を出したら、呼び出されて撤回させられるということは、僕の知るかぎり、延岡高校ではもうなくなっている。つまり、それは最初のタテマエだけの「不受講届」ではなくなっているということです。こんなものいらない、と思えば、不受講にマルを付けて出せばいいわけです。課外なしで自分でやるのは不安だというので課外を受講し続ける生徒が大多数になっているという場合、それは外野がとやかく言うことではない。そうしながら、生徒が不満を言っているというのなら、それは彼ら自身の中に矛盾があるということです。それは彼ら自身の問題でしょう。「課外を受講しないなら、オレはそこで平常授業の続きをするから、覚えとけよ!」と、君がここで言っているような口調で事前に生徒に脅しをかけるなら、それは教師が悪い。しかし、僕はそんな話、延岡高校の生徒からは聞いてませんよ。今後、仮に不受講が多くなれば、平常授業の続きをそこで行うことは困難になる。それが自然な流れです。

何故、貴方は早朝課外の弊害を俺に対して胸ぐら掴むぐらい文句を行って延岡高校校長の宮野原には何にも言わないの?
貴方は弱虫ネット弁慶で吠えてるだけ!


 僕が君に怒ったのは、女子生徒につきまとってストーカーみたいな行動までしていると知ったからですよ。だから、おまえはアホかと言った。げんに君はそうした行いを知る生徒たちには変質者と見られているのだ。その前にいい加減にしろと言ったのも、星雲のPTA会長相手に馬鹿げた抗議行動をしたと君自身から聞いたからです。それを忘れてもらっては困るね。君に対して、課外のことで文句を言うなんて無意味なことをしたことはないので、話をすり替えないようにしてもらいたいものです。延岡高校の校長はストーカーなんかやってませんからね。そんな非常識行為をするのは君だけで、ここにとんでもない迷惑コメントを寄せているのもげんに君だけです。

 このあとすぐ、また彼は次のようなコメントを書き込みました。その異常さは一段とエスカレートする。

俺の課外廃止の目的を分かりやすく伝えてやる!
俺は宮崎第一や聖心ウルスラ高校で課外をしたが生徒は遅刻や欠席は当然!
俺はウルスラ高校で早朝課外開始15分前に来て教壇に立ち先に板書していたが早く来た分の時給は出ない!しかし生徒から「貴方は教師の鑑だ!教師の中には教師が遅刻して知らん振りしてる奴いるから」と言われました!
俺は嬉しかった反面、早朝課外や課外そのものに教師もヤル気を失って課外をする事に意味があるのか?と思っていると感じました!


 だったら、「校内課外廃止運動」でもやってコンセンサスを形成すればいいでしょう。しかし、文句は言っても、人を説得したり、集団をまとめたりする力はまるでない。僕のところに来て自分の言い分が認められないと愚痴をこぼすだけで、そのまま講師契約打ち切りで終わってしまったわけでしょう(そもそもの話、そんなにしつこく憤り続けるのなら、初めから朝課外がない高校の教師になればいいわけです。教員免許は全国共通なのだから、ない県に行って就職することはできるはずです)。

今現在、俺は宮崎第一から聖心ウルスラまた今現在はマンモス校で特進科を担当しますが、やはり課外補習に疑問を持つ生徒は沢山いる!
俺は貴方と違い学校に対して物言う教師ですからハッキリ言ってます!
貴方は学習塾で講師していたそうですが、学習塾に不満あったら面と向かって学習塾経営に言いましたか?俺は宮崎第一校の教頭や校長や教科主任にも「塾予備校通い生徒やスタディサプリ使用者に課外強要や課外脅迫でなくて棲み分けしたらどうですか?」とハッキリ言いました!
貴方はネットやブログで吠えてるだけ!


 僕が前に長くやっていたのは塾の講師ではなく管理職(3ヶ月でスピード出世した)で、かつ塾長に運営を丸投げされていたので、大方のことは自分で決めていましたよ。本部から指示が来ても、おかしなものは受け付けなかった。だから君のように、自分の言うことが全く通らないというような不満は何もなかったわけです(むろん、クビになって辞めたわけではない)。今は自分でやってるからなおさら。何をわけのわからないこと言ってるわけ?

私は面と向かってハッキリ言いました!
私は課外廃止によって自分自身が教師するならば時間を有効活用したい!
または延岡市内で予備校設立を考えてますから、宮崎市内の学習塾塾長と提携する話をしてます!
宮崎市内の学習塾塾長が休みの時に俺が経営する予備校に宮崎市内の学習塾塾長が来て授業をして貰い俺が休みの時に宮崎市内の学習塾塾長の所に加勢して行く形態を模索している!


 日本語が相変わらずだが、こんな短い文章もまともに書けなくて何とする。それはともかく、塾開業云々は勝手にやればいいわけですよ。それは自由にできる社会なのだから。

延岡や宮崎市内で塾予備校経営するならば課外は邪魔だ!
課外が無ければ生徒は沢山来る!
課外を廃止したら予備校を延岡に設立して貴方の塾や昴をぶっ潰す!


 そういうのだから、君は人に信用してもらえないのですよ。前にも言ったことがあるけど、「塾には学校の課外が邪魔だから」というのは、生徒より塾都合の話でしょ。仮に学校の課外が素晴らしかったとして(そうは思っていませんが)、それを潰して皆が塾に行くようになれば(これまた、それは疑わしいが)、課外費より塾費用の方がずっと高いから、保護者にとっては負担が増えるわけです。しかし、塾としてはその方が好都合で儲かるから、課外反対をやってます、では、説得力はなくなる。僕が課外についての異議をここに書き始めたのはずっと前です。その頃は誰も表立って異議を唱える人はいなかったわけです。それから何年もたって、君のような人間がそれをダシに騒ぎ始めた。しかもおかしな具合に、です。

 僕があれを書き始めたのは、生徒がかわいそうだと思ったからです。星雲なんかは当時とくにひどかった。当時は課外は完全な強制だったから、生徒たちにはどうしようもなかった。塾商売に邪魔だからという動機で書き始めたのではない。おまけにわけのわからない宿題やら罰則がどっさりあって、完全な人権蹂躙です。それを黙って見過ごすわけにはいかない。塾商売で学校を敵に回すのは得策ではないのを承知で書いたので、その記事はだいぶ時間がたってから、生徒の口コミで広がり出したのです。

 そしてやっとここまで来たので、それも君みたいな人間に言わせれば、「オレが活躍したからだ!」という話になってしまうのですが、そう思いたければ、勝手に思っているがいい(大体、僕は君とは違うから「オレのおかげだ!」なんて吹聴してはいないのです)。何にせよ、事態がここまでくれば、もうこちらがとやかく言うには及ばない。そう判断して黙って見ているということなのです。

宮崎市内の学習塾塾長も延岡進出を狙って俺と提携を望んでいる!
貴方よりも宮崎市内の学習塾塾長は英語講師としてリキリは上です!
宮崎市内の学習塾塾長は英検1級でバブル時代に宮崎市内に進出していた筑波ゼミナール講師でしたから貴方なんかよりも実力者ですよ!
課外廃止になったら
覚悟しろよ!


 へえー、御大層なことで、僕の「実力」を君は何を基準に判断しているわけ? 一つ予言しておきましょうか。君が延岡で塾を始めたとして、成功する可能性はきわめて低いでしょう。君の専門は世界史だと聞いたが、世界史を教わりに塾に来る生徒はほとんどいない。いや、英語はその宮崎市の塾長に頼んで、数学は有能なのを採用する。国語も、君の文章力からして無理に決まっているから、それも担当講師を雇わなければならない。しかし、そうやって講師を増やすと、かなりの人数の生徒がいないとやっていけない。自分の親が土地持ちなら、土地代なしに建物は立てられるが、それにもカネはかかる。どこかのビルを借りるなら、テナント料がいる。

 そもそもの話、塾は今や完全な斜陽産業です。地方では子供の減り方が激しいからなおさら。そして、大学のハードルは前より低くなっているから、地方の駅弁大学程度なら、塾に行かなくても合格できる(だから、今多いのは自習塾の要素が強いところです)。加えて、今はスタディサプリのような廉価なネット予備校ができている。昴まで潰すターゲットにしているということは、あそこは高校受験がメインだから、中学生も取り込んで、中高両方の生徒を顧客にしようということなのでしょう。今現在で延岡市の塾はすでに飽和状態で、廃業も続出しているのに、そこに乗り込むとなると、他をぶっ潰して、ということにならざるを得ないが、僕が延岡で塾を始めることにしたとき、第一に考えていたのは、同業者を圧迫しないようにしようということです。だから、拡大する考えが初めから全くなかった。すでに消えてしまったところもあるが、数学塾など、僕は生徒を何度も紹介したことがある(それで義理堅くも、菓子折りまでもって挨拶に見えた塾長もいた)。原則として中学生を断ってきたのも、理由の一つは中学生相手の塾はたくさんあるからです。僕は「共生思想」の持主なので、元々は関東の激戦区で塾の管理者をやっていたのだから、その種のノウハウがないわけではないが、こんなところで「戦争」をやる気はなかった。

 君は、しかし、そういう人間に宣戦布告しているわけです。そしてその理由はと言えば、自分の度の過ぎたストーカーみたいなつきまといと、非常識な行動で相手を怒らせてしまったから。それを逆恨みして、こうした愚劣なコメントを書いて寄越すのです。

 あらためて言いますが、精神科を一度受診しなさい。引用したこの文面を精神科医が見れば、完全に治療が必要なレベルだと思うでしょう(付記:今夜も夜中に5件も迷惑メールを入れ、ほうっておいたら毎晩やらかすのだろうから、治療というよりは入院が必要なレベルです。面白いから、そのままにして見ていてやろうか? そしたら通常の読者もそれに気づいて、「何だ、このきちがいは!」ということになる。それで君はすっかり有名人になって、県教委からも学校からも、生徒や保護者からも、完全な狂人扱いされることになるでしょう。それが望みなのかね?)。ここまでしつこくひどいことをしているのだから、君の名前を明かしても何ら問題はないだろうが、それではやっとありついた今の私立の講師もすぐにクビになってしまうでしょう。自業自得とはいえ、それで路頭に迷うのを見るのは忍びないと思って書かないでいるのだが、こうやって自分の前歴を不用意に書いていたら、誰なのか特定するのは容易になって、その学校の関係者がこれを読めば、「こんなのを講師に雇っていて大丈夫なのか?」と思うでしょう。それでクビになったら、また人を逆恨みするつもり? これを消すなと言ったのは君自身なのですがね。いや、延岡に塾を開いて、他塾を蹴散らすメジャーになるからそんなもの、クビになろうとどうしようとへっちゃらだって? しかし、君がこういう人間だと知って、わが子を通わせようと思う保護者がいると思うのかね? 上に書いた理由以前に、すでに君は人格面に大きな問題を抱えているのです。

 前にも言ったように、君のような人間の相手は金輪際お断りするので、そんなに自分が正義のかたまりみたいに思っているのなら、自分でブログでも立ち上げて、自信があるのならちゃんと本名も出して、そこで「活動報告」でもやればいいのです。今回はこういう抗議活動をやりました、ということをそこで逐一報告して、世に知らしめればいい。賞讃されるか、嫌悪されるか、それは知りませんが。何でそうはせず、いつまでも人にしつこくからんでくるのかね? ひょっとして、僕がたまらなく好きだからとか? 求愛を拒まれて逆上するというのは、今どきの自己愛のみ肥大した未熟な人間にはありがちなことですが、僕にはそんな趣味、ありませんからね(笑)。

 以上が僕の「逆コメント」です。これでまたブチ切れた場合には、自分のブログを作って、そこに非難罵倒、好きに書けばいい。もちろん、僕はそんなもの読まないでしょうが、名誉棄損に該当する場合には、宮崎市内に教え子の弁護士が一人いるから、彼に訴訟手続きを任せるでしょう。そのときは慰謝料をたっぷりいただく(法律に無知そうな君に教えておくと、警察は刑事で、こちらは民事)。

 どうですかね? もう一つ、君は自分の言っていることが根本的に矛盾しているということもわかってないようです。君はこのブログに影響力はないと言いたいわけでしょう? ないのなら、黙って無視すればいいわけ。大体、僕は君のせいで仕方なくこんなものを書いているけど、このコーナーの課外がどうのといった記事は最近書いていないので、そんなもの、ネチネチ読んでいるのは君ぐらいしかいないわけだよ。こっちだって忘れている。このブログの大方の読者もそうです。それをしつこくどうのこうの言ってくるとはどういう料簡なわけ?

 自分の「抗議活動」なるものが大変有意義で影響力が大きく、ストーカーもするし、事を進める順序もクソもないし、他者の人権も平気で無視するけど、そのおかげで事態は大きく変わったというのなら、人のブログに迷惑コメントを書き続けるのではなく、上に書いたように自分でブログを立ち上げる(デジタル音痴の僕でもできたのだから、かんたんにできる)他に、何なら自分のやってることの素晴らしさを書いた文書を大量コピーして、延岡中にばらまけばいいわけです。君はそういうの、得意にしてるんじゃないの? そうすれば、延岡中の高校生たちが感謝の花束をもって君の元へ押し寄せるかもしれない。実験してみたら?

 最後に、それだけ自分の活動が立派で意義があるというのなら、君は何でコソコソしていないで、自分の本名で書いてこないのかね? こういう糞コメントも、君は立派なこと、してるつもりなんでしょ? だったらきっちり名乗りを上げないと、男がすたるというものです。君が現在勤務している私立高校にも、この英姿を見せてやるといい。素晴らしい、これぞわが校の誇り、教師の鑑だと言ってくれるのを期待して。

 以上です。だから今度は本名のフルネームで書いてこいよ。そしたら消さずに残してやる。それもできないのは、君は最低の弱虫だということです。そういう人間に、人のことをとやかく言う資格ある? 県教委の職員も、公立高校のどんな問題教師も、こんな卑劣なことはしないだけ、君よりはずっとマシだと思うけど。


祝子川通信 Hourigawa Tsushin


タイトル画像

傍迷惑な抗議者について

2020.01.31(14:38) 686

 世の中にはいわゆる「残念な人」の他に、「困った人」というのがいて、後者の場合、本人は素知らぬ顔ですが、周りが半端でなく迷惑するので、だから「困った人」なのです。

 僕のこのブログは、いくつかのコーナーに分かれていますが、このうち「延岡の高校」コーナーにその「困った人」が一人執着し続けていて、僕はほんとに困っています。よりにもよってこの気ぜわしい時期におかしなことをしでかすので、なおさら困る。

 最近は、「またか…」とコメント欄に何の新味もない、過去のそれと同工異曲だが、しかし文面に問題のありすぎる彼の投稿が入るたびに削除しているのですが、受け付け不能にしたら、今度は別のアドレスで書いて寄越す。こういうのは一種のストーカーですが、先日の晩など、深夜に突然電話がかかってきて、身内か知人の訃報ではないかと身構えたら、見ず知らずの大学生で、何でもその困ったちゃんに電話するよう言われてしたのだと言う。全くわけがわからないので、完全にブチ切れてしまいました。

 その面倒な人について書く前に、この前消した彼の投稿をここに載せておきましょう。これは、ブログにコメントが入るとメールで自動的にこちらに通知されるシステムになっているので、そこに残ったものをそのままコピーしたものです。日時はコメント投稿時のもので、日本語がおかしいのもそのままにしてあります(「3年〇組」としてあるのは、ほんとは具体的な数字が入っているのですが、その保護者の迷惑を考えて消したものです。また、彼自身が講師として勤務したことがあるという私立高校の名も、本人が後で困ることになるだろうと思うので、わからないようにしています)。

 3年〇組の延岡高校生保護者と2019年4月に草野球で、お会いして課外の話を聞きました。
 その保護者は「全員課外を受講するから課外で授業をすると聞いた」と言って、いました。
  課外は全員受講するしないは関係なく課外で授業してはいけないはずだと私が思い、後日、課外を詳しく調べて課外のルールや経緯の説明をしようと草野球のグランドで再びお会いする機会が無かったので、その保護者の会社連絡先を調べて今日2020/01/24の昼休みに、その保護者の会社に電話をして、保護者が出たので2011年の沖縄県課外裁判や課外報酬やルール説明をしっかりしました。
 保護者は自分自身も延岡高校に通い子供も延岡高校に通って三年目だけど、初めて課外の内容やルールを知った!と言いました。延岡高校は保護者の課外の無知について、課外のルール説明をしてません!
 この会話をボイスレコーダーで録音したので録音内容を延岡高校と宮崎県教育委員会へ持っていき明後日2020/01/26抗議しに行きます!
 宮崎県教育委員会と延岡高校含む宮崎県普通科は課外で授業してません!と惚けてますが、保護者の証言を持ってどういう事かを説明を含め抗議します! 2020/01/24 (金) 22:21

 私は宮崎〇〇と△△高等学校で教師をしてました。
 〇〇と△△高等学校は無料と無報酬で業者模試監督と課外を実施して私学教育は大変な目にあっているのに、宮崎県普通科進学校は公務員教師でありながら公僕であるのに課外手当や業者模試監督手当を貰いならがら高い報酬と給料をもらいながら、課外のルールや経緯の説明せず保護者の無知につけ込んで授業を進行するとは許せないので、延岡高校と宮崎県教育委員会に抗議しに行きます! 2020/01/24 (金) 22:32


 類稀なる悪文で、いつもこの調子なのですが、より深刻なのはその内容です。下は本人の個人的な愚痴としか思えないシロモノですが、上の文からわかるのは、彼が延岡高校の生徒の保護者と会い、「全員課外を受講するから課外で授業をすると聞いた」というので、それはけしからんと、新たな「抗議」ネタを発見して勇躍した、ということなのです。

 これ、課外で授業をするのはあたりまえの話で、わけがわからないと思う人が多いでしょうが、言わんとしていることは「平常授業の続きをした」ということなのでしょう。そこらへんも彼の文章の特徴として著しく正確さに欠けるのですが、とにかくそういうことだったとして、現実的に考えて、全員受講しているのなら、課外で平常授業の続きをやっても生徒に実害はないということになります。問題になるのは、課外を受講していない生徒がいるのに、教師が勝手に平常授業の続きをそこでやってしまう場合、あるいは「課外でも続きをやるからな」と生徒たちを脅して、間接的に全員に課外受講を強要している場合です。ちゃんと選択権を与えて、その結果、全員受講になったのなら、杓子定規に「課外は絶対別枠でやらねばならない」といきり立つ必要はないように思います。

 しかし、アルカイダみたいな原理主義者の彼には何としてもそれは許しがたいのです。それで、次に会う機会がなかったので、誰かにその保護者の勤務先を聞くなどして、電話番号も調べ、そこに電話をして、ご親切にもわざわざそれが「違法」である旨を説明したのです。それも話を聞いてから9ヶ月もたってからなのです。これだけでも十分驚くに値しますが、それを無断で(そうは書いてありませんが、ほぼ間違いなくそうでしょう)ボイスレコーダーに録音して、それを持って「延岡高校と宮崎県教育委員会に抗議しに行」くというのです。

 それが「明後日2020/01/26」だというのですが、カレンダーを見たらそれは日曜だったので、県教委も学校もふつうは休みのはずです。わけがわからない。しかし、今はセンターが終わったところで、高校では休み返上で、先生たちが志願先を決める生徒との重要な面談をしている可能性がある。そんなところに押しかけられては迷惑そのものです。前回も書いたように、センターから一ヶ月は受験生にとって何より重要な時期なのですから。しかし、よりにもよってその大事な時期につまらないクレームを付けに行こうというのです。生徒のためと言いながら、実はそんなこと、何も考えていない。

 傍迷惑お構いなしというのは、これだけでもわかるでしょう。その保護者にしても、草野球の場で課外の話を持ち出され、それに適当に応じていたら、ずっと後になって突然会社に電話がかかってきて、かつそのとき話したことが勝手に録音されていて、それがわが子が今現在通う学校への「抗議」の材料に使われるということなので、それを知ったら冷静ではいられなくなるでしょう。しかし、彼は平気でそういうことをやらかすのです。

 他にも色々問題があって、彼は四、五年前、どうやってか看板も出していないうちの塾を探り当てたらしく(僕の知り合いの紹介とか、そういうことでは全くない)、突然授業中に塾にやってきて生徒たちを不気味がらせたのですが、お相手は授業が終わるまでお待ちいただくしかなかったとして、後で彼を見た女生徒の一人が、「あのヘンな人、よく図書館で見かける」と言ったのです。延岡高校の制服を着ている生徒たちに声をかけて、「課外への不満」話を収集していたらしいのですが、その程度ならまだ「ちょっと変わった人」ぐらいで許容範囲としても、去年塾の生徒から、友達(女子)が一人で帰宅途中ずっとヘンな男の人に自転車でつきまとわれて、「こわかった」と言っていたという話を聞いたときは仰天しました。「ねえねえ、課外って、ほんとはいらないよね」「ええ…」「ところで、君は何組なの?」というようなことで、その女生徒は十分か十五分か知りませんが、恐怖の中で過ごしたのです。

 ここまで来ると立派なストーカーです。彼以外にそんなことをする人間がいるとは思えなかったので、今度見かけたら厳重に注意しとくからとその生徒に言いました。そしたら、タイミングよくと言うべきか、その話を聞いたまさにその晩、塾を閉めて帰ろうとした時、彼が現われたのです。僕は中に入るように言い、「おまえはヘンタイか!」と怒鳴りつけました(拳で思いきり机を叩いたら、手を痛めてしまった)。やることが限度を超えている。そして、今後一切、よけいなことはしないよう言いました。

 しかし、その後も「よけいなことしまくり」なのが、上の投稿を見てもわかるわけです。疲れること夥しいので、人の忠告の一体何を聞いているのか?

 彼は、延岡高校のOBです。人間的に幼い印象なので、外見的に二十代はあり得ないとしても、まだ三十代だろうと思ったら、夜中に電話をしてきた彼の講師時代の短期間の「教え子」だという私大生によれば、「四十代半ば」のはずだというので、年齢不詳なのですが、たぶん独身で、いたって愛想はよく(だから初見ではこういうことをする人間だとはわからない)、「実はですねえ…」と言いながら、話題はもっぱら宮崎県の高校の「けしからん」ところなのですが、熱心に語る。自分の高校時代の個人的な恨みつらみがそこには重なっているのではないかと思われますが、察するに、彼は何年か前、僕がここに書いた「教育という名の児童虐待」という一文を見つけて、味方がいたと狂喜したのです。これでリベンジの手がかりが得られたと、そう思ったのかもしれません。

 これはそう断定して差し支えないだろうと、僕は思っているのですが、彼が僕のブログで読んでいるのは「延岡の高校」コーナー、または入試・学校関係のいくつかの記事だけです。それもどういう読み方をしているのかわからないのですが、他のことには全く関心がない。話をしてみると、社会科の教師とは思えないほど視野が狭いので、高校時代のトラウマか何か知りませんが、過去の個人的な恨みに固着し、それで大人になり損ねたのです。

 僕は最近、このコーナーの記事をあまり書いていません。それは彼のような不満派には面白くないからいらざることを再々書いて寄越すのでしょうが、理由はかんたんで、少なくとも延岡市内の県立高校の場合、前よりずっと事情はよくなっているからです。星雲高校は朝課外を廃止したし、延岡高校も、敷居を高くする「不受講届」ではなく、「受講・不受講」どちらかにマルをつけて出す書式に替え、「説得」という名の無理な強要もしなくなった(げんに今、塾生には受講していない子がいる)。冬場の1・2年の朝課外は休止になっているし、「前進」しているのです。僕は今のシステムになったとき、生徒たちにこう言いました。「受講・不受講、君らは自由に選択できるようになったのだから、こんなものいらないと思えば、受講しなければいいだけの話で、ボールは今や君らの手に渡ったのだ」と。3年生の場合、朝課外と夕課外を分けて選択できるようにするなど、改善の余地はまだ大いにありますが、ここまで来たからには、外野が騒ぎ立てる必要はほぼなくなったと言っていい。朝課外というのは科学的・生理学的に見ても不合理な、慢性睡眠不足をひき起こして学習効果を下げるだけのナンセンスなシステムですが、悪しき慣行も、先例踏襲の教育公務員の世界ではなかなか変えられないらしく、それでも他県(たとえば大分)では廃止に踏み切るところが出てきているのに、保守的で優柔不断な宮崎県はまだその決断ができないのです。しかし、学校の先生たちの間でも「朝課外不要論者」は増えつつあるようだし、生徒に明確な選択の自由が与えられた。いまだに無理強いしている学校があるとすれば、その場合、その学校の生徒や保護者が直接抗議して善処を求めればいいだけの話でしょう(ついでに言うと、僕が「無駄に量が多いだけで、何の役にも立たないクソプリント」と呼んでいた延岡高校の英語教材、「ベーシック・グラマー」もやっと二年前廃止になりました)。

 だから、僕はもう原則として自分の出番はなくなったと思っているのです。仮にとんでもない暴力教師など出てくれば、また書くでしょうが、今のところそういう話も聞いていない。これは喜ばしいことです。

 しかし、彼のような人には喜ばしくないので、非難攻撃する材料をたえず見つけなければならないのです。課外を受講するよう学校側が不当な圧力をかけ続けているとか、先に見たような課外の運営方法に問題がある、などです。たしかに、課外の受講者はまだ圧倒的に多い。しかし、それは学校が不正なことをしてそうなっているのでないかぎり、生徒たちの選択の問題なので、宮崎県人の県民性として、積極的に変化を生み出そうとする気概には乏しいので、勉強も自分で独り立ちしてやっていこうという気にはなかなかなれないからでしょう。それをこうしろと無理強いすることはできない。自分で進んでリスクを取ることにはかなりの勇気が必要だからです。それを外から植え付けることはできない。だから僕は「あとは君ら自身の問題だよ」と言うのです(思い出したのでついでに書いておくと、去年彼が例によって予告もなく授業中に押しかけてきて、クシャクシャになった紙片を僕に渡したことがありました。それは宮崎市内の某県立高校の英語科教師が生徒に配布した文書だという話で、課外をサボると一回につき何点、平常点から減点すると書かれていて、仮に全部受けないと、大幅減点になるので、定期テストで満点を取っても3か4しか取れないということです。ずいぶんとイカれた教師がいるものだなと僕は呆れましたが、こういうのを撤回させるのはかんたんで、コピーを県教委に送って、「こういうやり方、ありですか?」と言えばいいだけの話です。「しかし、こんな汚い紙、人に読んでくれと言って渡す奴がいるかね」と言うと、生徒たちは爆笑しました。彼らもその非常識には呆れたのです)。

 とにかく彼は静かにしていることができないようなので、異常としか思えないような軽挙妄動を間歇的に(何かバイオリズムの周期のようなものも関係しているのではないかという気がするのですが)繰り返す。そういうことをされると、真面目に課外廃止または縮減に向けての運動をしている人たちの信用が害されることにもなるので、百害あって一利なしです。たとえば彼は前に、星雲高校のPTA会長のところにこのブログ記事のコピーをもっていきなり押しかけて行ったことがあるらしく、学校に課外を廃止するよう要請すべきだと言ったら拒否されたと言って寄越したことがあります。彼は大いに憤慨しており、僕にも共感してもらえると思ったようですが、こちらは呆れただけで、そんなこと、相手の立場上あたりまえの話です。順序もへったくれもなく勝手に自分の思い込みで行動して(もちろん、僕のブログをコピーして渡したりする際、事前にこちらの承諾を得ているわけでも何でもない)、それが通らないと「けしからん!」と憤る。誰がそんな非常識なことしろと言った、と怒鳴りつけたくなりますが、それがいかに傍迷惑かつ無意味な行動であるかという自覚は全くないのです。

 彼はまた、県教委にクレームをつける「お得意さん」でもあるらしく、二、三年前、まだ「不受講届」制だった頃の話ですが、延岡高校の3年生に二人だけそれを出す勇気のある生徒がいて、どちらも女子でしたが、学校側は「皆が受けるのに、おまえだけ何でだ!」と呼び出してそれを撤回させようとしたという事件がありました。そのうちの一人は塾の生徒で、「いらない科目は別室で自習する」という条件で仕方なく「受講」に切り替えさせられた(もう一人も撤回させられた由)らしいのですが、これは明らかに「受講の強要」です。このブログ記事でも差し障りのない範囲でそれには触れましたが、彼はこの話を元に、県教委に直接抗議を行なった(例によって勝手に)というのです。すると、県教委の担当者は「あの祝子川通信に書かれていることが正しいとはかぎらないので、盲信するのは危険だ」と言い、「学校側に確認したところ、そんな事実はない」と答えたというのです。僕は生徒に確認を取っているので、それは嘘の皮なのですが、この県教委の反応それ自体は何ら驚くに足りない。学校側が教委の問い合わせに対して正直に「ええ、強要しました」と答えるわけはないからです。

 それで僕は彼に、「君は何のためにそんな無意味な抗議をしているのだ?」と訊きました。そういうのは実情を知らない者同士、二手に分かれて、強要した、いや、しなかったと水掛け論を繰り返してそれで終わりだからです。何の意味もない。県教委がそれを認めないのはけしからんと彼は言うのですが、僕は認めないのが当たり前だと思うので、何ら憤慨は感じない。彼はその生徒の証言がほしいと思ったようですが、そんな要請に僕が応じるわけがない。わかりきったことで、生徒を守るのが塾教師としての僕の務めだからです。

 県教委が無理にそれを認める必要もないのです。その関係者が不快を我慢してこのブログを読み、そこに自分たちに不都合なことがたくさん書かれているのを見て、学校に確認して、学校が「そんなことはありません」と答えたとして、そうしてもらわないと教委も立場上困るわけですが、どこに真実があるかはおおよそ察しがつくでしょう。大勢の人がそれを見ていることも彼らは知っている。そうすると、「これはどうもまずそうだな」ということになって、表向きはどうあれ、対応は徐々に変化してくるはずだからです(そのスピードがお役所組織らしく、異様に遅いとしても)。げんにもう課外の無理強いは行われなくなった。少なくとも延岡高校の場合、僕が塾の3年生に確認したかぎりでは、そうなのです。

 これを彼は「自分の抗議行動のおかげ」だと自画自賛しているかもしれませんが、そんなわけはないので、先方には「傍迷惑な病的クレイマー」だと思われているだけです。ひょっとしたら、県教委は僕が彼のような偏執狂的な人間を焚き付けておかしな業務妨害行為をさせていると思っているかもしれません。事実は逆なのですが、そうなるとこちらの信用まで害されてしまうわけです。

 ここの記事を利用すること自体に僕は反対しているのではないので、有意義に使ってもらう分にはいいのですが、彼のようにそれが周囲にどういう波紋をひき起こすかも考えず、無責任かつ軽薄な「抗議行動」に結びつける人間がいると、こちらとしても悪用を警戒してかえって情報を出せなくなってしまいます。たとえば、去年、延岡高校のある理系科目の3年担当の先生が、授業時間が足りないので課外でも続きをやらせてもらうが、あのブログ(生徒たちは「先生のブログ」だと言いました)に書かれるとおおごとになって、「(クビになって)路頭に迷う」かもしれないから、漏らさないでほしいと皆の前で哀願したという話を塾の生徒から聞いて、大げさな話だと笑ったことがありました。生徒の一人は、だから先生がそれをブログに書くと、自分たちが「密告」したみたいになるから、それはやめてほしいと言うので、その教師は自分でまずいと思っているのなら、初めからそんなことしなければいいので、こちらを悪者にして自分が被害者ぶるのはそもそもおかしいだろうと答えたのですが、まあ、書かないことにしてあげるよと言ったのです。

 それは、生徒たちの立場のこともむろんありますが、その先生の場合、入試対策もちゃんとやりたいが、時間的に課外も使わないと間に合いそうもないと、生徒第一に考えてそういうことになったのだろうと思ったからです。英語など時間数が多く、平常授業で無駄なことをやらなければ十分足りる科目ではそういう言い訳は通用しないが、カリキュラム上、理科社会の場合は授業時間が足りなくなるということは実際にあるでしょう。生徒たちもそれを受容したのなら、いいのではないかと思ったのです。

 しかし、これまでの経緯からして、彼のような原理主義者がこういう話を読むなり聞くなりすれば、「けしからん!」といきり立って、早速「抗議」に出かけて、ややこしいことになってしまうのは目に見えています。鬼の首でも取ったような気分になって、当事者でも何でもないのに、これでもかと学校を責め立てるのです。その結果、その先生がクビになるようなことはないでしょうが、課外は別枠でやることになって、そうなると彼には「勝利」でしょうが、その科目の授業全体が中途半端なことになり、入試対策もロクにできないまま受験シーズンを迎え、生徒たちの成績が芳しくないことになった、ということにもなりかねない。生徒のほとんどが課外を選択しているのなら、被害は軽微で、飛び抜けた秀才なら独習でカバーもできるからなおさらのことです。これが生徒の半分、三分の一が「不受講」を選択していたとなると、話は全く別ですが。

 こういうのは、カリキュラムを整備し直せばすむことだとして、そちらが本筋ですが、今現在の現実としてはそういう問題も出てくるわけです。単元別に演習部分は課外でやり、教科書は平常授業でのみ進める、という方法は可能だとしても。

 しかし、課外受講が100%だろうと50%だろうと、原理原則は断固貫かねばならないという彼のような人間にはそんな微妙な話は通用しない。げんに冒頭の彼の投稿にあったように、全員が受講していても、絶対に課外は別枠にしなければならないと言うのですから。

 僕は実質主義者なので、タテマエに基づいてものは考えません。行き過ぎた課外も、寝不足と健康問題への悪影響が懸念される朝課外はとくにそうですが、益よりも害の方がはるかに大きいと思っているから、反対しているわけです。統計的なアンケートをとったわけではありませんが、朝課外がいらないと思っている生徒は少なく見積もっても80%以上いるでしょう。あらゆる面から見て、それに合理性は乏しい。だから今はその制度がある九州地区全体に朝課外廃止の動きが広まって、廃止するところも増えてきているわけです。

 改善の動きが明確なものとして出てきているのだから、それを見守り、必要と見たときだけ意見を言えばいいだけだと僕自身は思いますが、彼のようなアルカイダ的原理主義者には、こういうのは「何を生ぬるいことを言っているのだ!」ということになるらしく、これは最新の投稿(一昨日消しときましたが)ですが、こんなことを書いて寄越すのです。

 課外希望制は私を〇〇高校の教師に紹介した宮崎市の塾長が、2018年7月に宮崎県議会において、宮崎県議員が課外の改善を述べた文章を持って行って、オンブズマン仲間を率いて、集団で課外の強要や課外の拘束に対して抗議を宮崎県教育委員にしたのです。
 宮崎県教育委員会の平社員が「分かりました。宮崎県教育委員会の上司に課外希望制を2019年に宮崎県普通科全校に通達するようにします!」と集団抗議に折れて2019年度に課外希望制になったのです。行動が実を結んだのです!行動あるのみ!  2020/01/28 (火) 2:25


 例によって甚だしい悪文で、最初の文なんか「てにをは」が完全に崩壊していますが、このブログの過去の記事をご覧になってもわかるように、少なくとも延岡高校(言うまでもなく、宮崎県教委の管轄です)では2016年度から課外はタテマエ上とはいえ、選択制になったのです。つまり、「課外希望制」が導入されたのはその三年も前の話だったのですが、彼のこの文章が正しいとすれば、物理学的な時間は崩壊して、それより後の「行動」が過去に遡って影響を及ぼしたことになるのです。最新の量子物理学によれば、そういうのもありだということになるのかもしれませんが、専門の物理学者に聞けばそんなことはないと教えてくれるでしょう。

 彼がこれで一番言いたいことは、最後の「行動あるのみ!」で、僕が何度も繰り返し「やめとけ」と言った彼の非常識な「抗議」でさえも大いに役立っているということなのでしょう。だから、受験シーズンの忙しいさなか、無断でボイスレコーダーに録音した「保護者の証言」を持って学校に押しかけることなども「正義の行動」なのです。僕の電話番号を元「教え子」の大学生に勝手に教えて、夜中に人騒がせな意味不明電話をかけさせるなども「正義にかなう」わけです。

 仮に彼が延岡高校や県教委にこの「保護者の証言」を持ってほんとに「抗議」に出かけていたとしましょう。「全員が課外を受講」していたのなら、そこで平常授業の続きをやっていたとしても実害はありませんが、それは課外の原理原則に反しているので許しがたい。そう彼は主張するのですが、相手としては「だから何なのだ」とホンネでは思うだけでしょう。生徒たちも誰も被害は受けていないのだから、その「抗議」に感謝する者は一人もいない。まともに取り合ってもらえないことに焦った彼は、その保護者が誰だと明かし、生徒名簿を出せと要求し、すでにクラスは特定されているのだから、姓から生徒を特定するのも容易で、「この子の親だ」ということを説明するかもしれません。それで「でっち上げ」ではないことがめでたく証明されるのですが、そのときはそれがプライバシーの深刻な侵害であることは忘れているのです。その場合、保護者は困惑または激怒するでしょうが、こうなると、彼は刑事処罰の対象に十分なりえます。僕が検事なら、有罪にもって行くことはたやすいと考えるでしょう。

 冗談ではなしに、今後も周囲の迷惑や人権への配慮に欠けた愚かな「抗議行動」を続けるなら、彼はいずれ刑事告訴される羽目になるでしょう。こういうのは完全な病気です。僕に不思議でならないのは、どうして親や周囲の人たちは彼に精神科の治療を受けさせないのかということです。皮肉で言っているのではなく、真面目にそう思っている。ある種の政治団体の会員やモンスター・クレイマーの中には精神疾患を患っている人が結構いるものですが、彼らは周囲にいたずらに混乱をひき起こすだけでなく、最後には自分自身を深刻に害してしまうのです。彼の家族や友人がこれを読めば、たやすくそれが誰なのかはわかるでしょうから、そう進言してあげて下さい(彼の名誉のために一言付け加えておくと、僕の見るところ、彼にはおかしな凶暴性などはなく、抗議に出かけても、暴力を振るったりすることは今までなかっただろうと思います。むろん、だから許されるというわけではないのは、ここまでお読みになった人にはおわかりになるでしょう)。

 前にも僕は彼の迷惑行為(ここに含めなかっただけで、他にもギョッとさせられるようなことはいくつもあった)に腹を立てて書きかけたことがあるのですが、そのときは「かわいそうかな…」と思いとどまりました。しかし、ほっとくとほんとにキリがないので、犯罪者として告発される前に警告しておくほうがいいかと思ってこれを書きました。きちんと治療して、もっと建設的な「人生の目標」をもてるようになってもらいたいのです(前にも彼自身に直接、「この問題でとやかく言うのはもういいから、自分の人生を生きろ」と言ったのですが…)。

 以上です。



祝子川通信 Hourigawa Tsushin


延岡の高校
  1. 毎日新聞の朝課外についての記事(07/13)
  2. 学校が変わらない理由(05/31)
  3. まず朝課外だけ廃止してみたら?(06/21)
  4. 偏執狂のブログ荒らしへの最後通牒(04/10)
  5. 傍迷惑な抗議者について(01/31)
次のページ
次のページ