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傍迷惑な抗議者について

2020.01.31(14:38) 686

 世の中にはいわゆる「残念な人」の他に、「困った人」というのがいて、後者の場合、本人は素知らぬ顔ですが、周りが半端でなく迷惑するので、だから「困った人」なのです。

 僕のこのブログは、いくつかのコーナーに分かれていますが、このうち「延岡の高校」コーナーにその「困った人」が一人執着し続けていて、僕はほんとに困っています。よりにもよってこの気ぜわしい時期におかしなことをしでかすので、なおさら困る。

 最近は、「またか…」とコメント欄に何の新味もない、過去のそれと同工異曲だが、しかし文面に問題のありすぎる彼の投稿が入るたびに削除しているのですが、受け付け不能にしたら、今度は別のアドレスで書いて寄越す。こういうのは一種のストーカーですが、先日の晩など、深夜に突然電話がかかってきて、身内か知人の訃報ではないかと身構えたら、見ず知らずの大学生で、何でもその困ったちゃんに電話するよう言われてしたのだと言う。全くわけがわからないので、完全にブチ切れてしまいました。

 その面倒な人について書く前に、この前消した彼の投稿をここに載せておきましょう。これは、ブログにコメントが入るとメールで自動的にこちらに通知されるシステムになっているので、そこに残ったものをそのままコピーしたものです。日時はコメント投稿時のもので、日本語がおかしいのもそのままにしてあります(「3年〇組」としてあるのは、ほんとは具体的な数字が入っているのですが、その保護者の迷惑を考えて消したものです。また、彼自身が講師として勤務したことがあるという私立高校の名も、本人が後で困ることになるだろうと思うので、わからないようにしています)。

 3年〇組の延岡高校生保護者と2019年4月に草野球で、お会いして課外の話を聞きました。
 その保護者は「全員課外を受講するから課外で授業をすると聞いた」と言って、いました。
  課外は全員受講するしないは関係なく課外で授業してはいけないはずだと私が思い、後日、課外を詳しく調べて課外のルールや経緯の説明をしようと草野球のグランドで再びお会いする機会が無かったので、その保護者の会社連絡先を調べて今日2020/01/24の昼休みに、その保護者の会社に電話をして、保護者が出たので2011年の沖縄県課外裁判や課外報酬やルール説明をしっかりしました。
 保護者は自分自身も延岡高校に通い子供も延岡高校に通って三年目だけど、初めて課外の内容やルールを知った!と言いました。延岡高校は保護者の課外の無知について、課外のルール説明をしてません!
 この会話をボイスレコーダーで録音したので録音内容を延岡高校と宮崎県教育委員会へ持っていき明後日2020/01/26抗議しに行きます!
 宮崎県教育委員会と延岡高校含む宮崎県普通科は課外で授業してません!と惚けてますが、保護者の証言を持ってどういう事かを説明を含め抗議します! 2020/01/24 (金) 22:21

 私は宮崎〇〇と△△高等学校で教師をしてました。
 〇〇と△△高等学校は無料と無報酬で業者模試監督と課外を実施して私学教育は大変な目にあっているのに、宮崎県普通科進学校は公務員教師でありながら公僕であるのに課外手当や業者模試監督手当を貰いならがら高い報酬と給料をもらいながら、課外のルールや経緯の説明せず保護者の無知につけ込んで授業を進行するとは許せないので、延岡高校と宮崎県教育委員会に抗議しに行きます! 2020/01/24 (金) 22:32


 類稀なる悪文で、いつもこの調子なのですが、より深刻なのはその内容です。下は本人の個人的な愚痴としか思えないシロモノですが、上の文からわかるのは、彼が延岡高校の生徒の保護者と会い、「全員課外を受講するから課外で授業をすると聞いた」というので、それはけしからんと、新たな「抗議」ネタを発見して勇躍した、ということなのです。

 これ、課外で授業をするのはあたりまえの話で、わけがわからないと思う人が多いでしょうが、言わんとしていることは「平常授業の続きをした」ということなのでしょう。そこらへんも彼の文章の特徴として著しく正確さに欠けるのですが、とにかくそういうことだったとして、現実的に考えて、全員受講しているのなら、課外で平常授業の続きをやっても生徒に実害はないということになります。問題になるのは、課外を受講していない生徒がいるのに、教師が勝手に平常授業の続きをそこでやってしまう場合、あるいは「課外でも続きをやるからな」と生徒たちを脅して、間接的に全員に課外受講を強要している場合です。ちゃんと選択権を与えて、その結果、全員受講になったのなら、杓子定規に「課外は絶対別枠でやらねばならない」といきり立つ必要はないように思います。

 しかし、アルカイダみたいな原理主義者の彼には何としてもそれは許しがたいのです。それで、次に会う機会がなかったので、誰かにその保護者の勤務先を聞くなどして、電話番号も調べ、そこに電話をして、ご親切にもわざわざそれが「違法」である旨を説明したのです。それも話を聞いてから9ヶ月もたってからなのです。これだけでも十分驚くに値しますが、それを無断で(そうは書いてありませんが、ほぼ間違いなくそうでしょう)ボイスレコーダーに録音して、それを持って「延岡高校と宮崎県教育委員会に抗議しに行」くというのです。

 それが「明後日2020/01/26」だというのですが、カレンダーを見たらそれは日曜だったので、県教委も学校もふつうは休みのはずです。わけがわからない。しかし、今はセンターが終わったところで、高校では休み返上で、先生たちが志願先を決める生徒との重要な面談をしている可能性がある。そんなところに押しかけられては迷惑そのものです。前回も書いたように、センターから一ヶ月は受験生にとって何より重要な時期なのですから。しかし、よりにもよってその大事な時期につまらないクレームを付けに行こうというのです。生徒のためと言いながら、実はそんなこと、何も考えていない。

 傍迷惑お構いなしというのは、これだけでもわかるでしょう。その保護者にしても、草野球の場で課外の話を持ち出され、それに適当に応じていたら、ずっと後になって突然会社に電話がかかってきて、かつそのとき話したことが勝手に録音されていて、それがわが子が今現在通う学校への「抗議」の材料に使われるということなので、それを知ったら冷静ではいられなくなるでしょう。しかし、彼は平気でそういうことをやらかすのです。

 他にも色々問題があって、彼は四、五年前、どうやってか看板も出していないうちの塾を探り当てたらしく(僕の知り合いの紹介とか、そういうことでは全くない)、突然授業中に塾にやってきて生徒たちを不気味がらせたのですが、お相手は授業が終わるまでお待ちいただくしかなかったとして、後で彼を見た女生徒の一人が、「あのヘンな人、よく図書館で見かける」と言ったのです。延岡高校の制服を着ている生徒たちに声をかけて、「課外への不満」話を収集していたらしいのですが、その程度ならまだ「ちょっと変わった人」ぐらいで許容範囲としても、去年塾の生徒から、友達(女子)が一人で帰宅途中ずっとヘンな男の人に自転車でつきまとわれて、「こわかった」と言っていたという話を聞いたときは仰天しました。「ねえねえ、課外って、ほんとはいらないよね」「ええ…」「ところで、君は何組なの?」というようなことで、その女生徒は十分か十五分か知りませんが、恐怖の中で過ごしたのです。

 ここまで来ると立派なストーカーです。彼以外にそんなことをする人間がいるとは思えなかったので、今度見かけたら厳重に注意しとくからとその生徒に言いました。そしたら、タイミングよくと言うべきか、その話を聞いたまさにその晩、塾を閉めて帰ろうとした時、彼が現われたのです。僕は中に入るように言い、「おまえはヘンタイか!」と怒鳴りつけました(拳で思いきり机を叩いたら、手を痛めてしまった)。やることが限度を超えている。そして、今後一切、よけいなことはしないよう言いました。

 しかし、その後も「よけいなことしまくり」なのが、上の投稿を見てもわかるわけです。疲れること夥しいので、人の忠告の一体何を聞いているのか?

 彼は、延岡高校のOBです。人間的に幼い印象なので、外見的に二十代はあり得ないとしても、まだ三十代だろうと思ったら、夜中に電話をしてきた彼の講師時代の短期間の「教え子」だという私大生によれば、「四十代半ば」のはずだというので、年齢不詳なのですが、たぶん独身で、いたって愛想はよく(だから初見ではこういうことをする人間だとはわからない)、「実はですねえ…」と言いながら、話題はもっぱら宮崎県の高校の「けしからん」ところなのですが、熱心に語る。自分の高校時代の個人的な恨みつらみがそこには重なっているのではないかと思われますが、察するに、彼は何年か前、僕がここに書いた「教育という名の児童虐待」という一文を見つけて、味方がいたと狂喜したのです。これでリベンジの手がかりが得られたと、そう思ったのかもしれません。

 これはそう断定して差し支えないだろうと、僕は思っているのですが、彼が僕のブログで読んでいるのは「延岡の高校」コーナー、または入試・学校関係のいくつかの記事だけです。それもどういう読み方をしているのかわからないのですが、他のことには全く関心がない。話をしてみると、社会科の教師とは思えないほど視野が狭いので、高校時代のトラウマか何か知りませんが、過去の個人的な恨みに固着し、それで大人になり損ねたのです。

 僕は最近、このコーナーの記事をあまり書いていません。それは彼のような不満派には面白くないからいらざることを再々書いて寄越すのでしょうが、理由はかんたんで、少なくとも延岡市内の県立高校の場合、前よりずっと事情はよくなっているからです。星雲高校は朝課外を廃止したし、延岡高校も、敷居を高くする「不受講届」ではなく、「受講・不受講」どちらかにマルをつけて出す書式に替え、「説得」という名の無理な強要もしなくなった(げんに今、塾生には受講していない子がいる)。冬場の1・2年の朝課外は休止になっているし、「前進」しているのです。僕は今のシステムになったとき、生徒たちにこう言いました。「受講・不受講、君らは自由に選択できるようになったのだから、こんなものいらないと思えば、受講しなければいいだけの話で、ボールは今や君らの手に渡ったのだ」と。3年生の場合、朝課外と夕課外を分けて選択できるようにするなど、改善の余地はまだ大いにありますが、ここまで来たからには、外野が騒ぎ立てる必要はほぼなくなったと言っていい。朝課外というのは科学的・生理学的に見ても不合理な、慢性睡眠不足をひき起こして学習効果を下げるだけのナンセンスなシステムですが、悪しき慣行も、先例踏襲の教育公務員の世界ではなかなか変えられないらしく、それでも他県(たとえば大分)では廃止に踏み切るところが出てきているのに、保守的で優柔不断な宮崎県はまだその決断ができないのです。しかし、学校の先生たちの間でも「朝課外不要論者」は増えつつあるようだし、生徒に明確な選択の自由が与えられた。いまだに無理強いしている学校があるとすれば、その場合、その学校の生徒や保護者が直接抗議して善処を求めればいいだけの話でしょう(ついでに言うと、僕が「無駄に量が多いだけで、何の役にも立たないクソプリント」と呼んでいた延岡高校の英語教材、「ベーシック・グラマー」もやっと二年前廃止になりました)。

 だから、僕はもう原則として自分の出番はなくなったと思っているのです。仮にとんでもない暴力教師など出てくれば、また書くでしょうが、今のところそういう話も聞いていない。これは喜ばしいことです。

 しかし、彼のような人には喜ばしくないので、非難攻撃する材料をたえず見つけなければならないのです。課外を受講するよう学校側が不当な圧力をかけ続けているとか、先に見たような課外の運営方法に問題がある、などです。たしかに、課外の受講者はまだ圧倒的に多い。しかし、それは学校が不正なことをしてそうなっているのでないかぎり、生徒たちの選択の問題なので、宮崎県人の県民性として、積極的に変化を生み出そうとする気概には乏しいので、勉強も自分で独り立ちしてやっていこうという気にはなかなかなれないからでしょう。それをこうしろと無理強いすることはできない。自分で進んでリスクを取ることにはかなりの勇気が必要だからです。それを外から植え付けることはできない。だから僕は「あとは君ら自身の問題だよ」と言うのです(思い出したのでついでに書いておくと、去年彼が例によって予告もなく授業中に押しかけてきて、クシャクシャになった紙片を僕に渡したことがありました。それは宮崎市内の某県立高校の英語科教師が生徒に配布した文書だという話で、課外をサボると一回につき何点、平常点から減点すると書かれていて、仮に全部受けないと、大幅減点になるので、定期テストで満点を取っても3か4しか取れないということです。ずいぶんとイカれた教師がいるものだなと僕は呆れましたが、こういうのを撤回させるのはかんたんで、コピーを県教委に送って、「こういうやり方、ありですか?」と言えばいいだけの話です。「しかし、こんな汚い紙、人に読んでくれと言って渡す奴がいるかね」と言うと、生徒たちは爆笑しました。彼らもその非常識には呆れたのです)。

 とにかく彼は静かにしていることができないようなので、異常としか思えないような軽挙妄動を間歇的に(何かバイオリズムの周期のようなものも関係しているのではないかという気がするのですが)繰り返す。そういうことをされると、真面目に課外廃止または縮減に向けての運動をしている人たちの信用が害されることにもなるので、百害あって一利なしです。たとえば彼は前に、星雲高校のPTA会長のところにこのブログ記事のコピーをもっていきなり押しかけて行ったことがあるらしく、学校に課外を廃止するよう要請すべきだと言ったら拒否されたと言って寄越したことがあります。彼は大いに憤慨しており、僕にも共感してもらえると思ったようですが、こちらは呆れただけで、そんなこと、相手の立場上あたりまえの話です。順序もへったくれもなく勝手に自分の思い込みで行動して(もちろん、僕のブログをコピーして渡したりする際、事前にこちらの承諾を得ているわけでも何でもない)、それが通らないと「けしからん!」と憤る。誰がそんな非常識なことしろと言った、と怒鳴りつけたくなりますが、それがいかに傍迷惑かつ無意味な行動であるかという自覚は全くないのです。

 彼はまた、県教委にクレームをつける「お得意さん」でもあるらしく、二、三年前、まだ「不受講届」制だった頃の話ですが、延岡高校の3年生に二人だけそれを出す勇気のある生徒がいて、どちらも女子でしたが、学校側は「皆が受けるのに、おまえだけ何でだ!」と呼び出してそれを撤回させようとしたという事件がありました。そのうちの一人は塾の生徒で、「いらない科目は別室で自習する」という条件で仕方なく「受講」に切り替えさせられた(もう一人も撤回させられた由)らしいのですが、これは明らかに「受講の強要」です。このブログ記事でも差し障りのない範囲でそれには触れましたが、彼はこの話を元に、県教委に直接抗議を行なった(例によって勝手に)というのです。すると、県教委の担当者は「あの祝子川通信に書かれていることが正しいとはかぎらないので、盲信するのは危険だ」と言い、「学校側に確認したところ、そんな事実はない」と答えたというのです。僕は生徒に確認を取っているので、それは嘘の皮なのですが、この県教委の反応それ自体は何ら驚くに足りない。学校側が教委の問い合わせに対して正直に「ええ、強要しました」と答えるわけはないからです。

 それで僕は彼に、「君は何のためにそんな無意味な抗議をしているのだ?」と訊きました。そういうのは実情を知らない者同士、二手に分かれて、強要した、いや、しなかったと水掛け論を繰り返してそれで終わりだからです。何の意味もない。県教委がそれを認めないのはけしからんと彼は言うのですが、僕は認めないのが当たり前だと思うので、何ら憤慨は感じない。彼はその生徒の証言がほしいと思ったようですが、そんな要請に僕が応じるわけがない。わかりきったことで、生徒を守るのが塾教師としての僕の務めだからです。

 県教委が無理にそれを認める必要もないのです。その関係者が不快を我慢してこのブログを読み、そこに自分たちに不都合なことがたくさん書かれているのを見て、学校に確認して、学校が「そんなことはありません」と答えたとして、そうしてもらわないと教委も立場上困るわけですが、どこに真実があるかはおおよそ察しがつくでしょう。大勢の人がそれを見ていることも彼らは知っている。そうすると、「これはどうもまずそうだな」ということになって、表向きはどうあれ、対応は徐々に変化してくるはずだからです(そのスピードがお役所組織らしく、異様に遅いとしても)。げんにもう課外の無理強いは行われなくなった。少なくとも延岡高校の場合、僕が塾の3年生に確認したかぎりでは、そうなのです。

 これを彼は「自分の抗議行動のおかげ」だと自画自賛しているかもしれませんが、そんなわけはないので、先方には「傍迷惑な病的クレイマー」だと思われているだけです。ひょっとしたら、県教委は僕が彼のような偏執狂的な人間を焚き付けておかしな業務妨害行為をさせていると思っているかもしれません。事実は逆なのですが、そうなるとこちらの信用まで害されてしまうわけです。

 ここの記事を利用すること自体に僕は反対しているのではないので、有意義に使ってもらう分にはいいのですが、彼のようにそれが周囲にどういう波紋をひき起こすかも考えず、無責任かつ軽薄な「抗議行動」に結びつける人間がいると、こちらとしても悪用を警戒してかえって情報を出せなくなってしまいます。たとえば、去年、延岡高校のある理系科目の3年担当の先生が、授業時間が足りないので課外でも続きをやらせてもらうが、あのブログ(生徒たちは「先生のブログ」だと言いました)に書かれるとおおごとになって、「(クビになって)路頭に迷う」かもしれないから、漏らさないでほしいと皆の前で哀願したという話を塾の生徒から聞いて、大げさな話だと笑ったことがありました。生徒の一人は、だから先生がそれをブログに書くと、自分たちが「密告」したみたいになるから、それはやめてほしいと言うので、その教師は自分でまずいと思っているのなら、初めからそんなことしなければいいので、こちらを悪者にして自分が被害者ぶるのはそもそもおかしいだろうと答えたのですが、まあ、書かないことにしてあげるよと言ったのです。

 それは、生徒たちの立場のこともむろんありますが、その先生の場合、入試対策もちゃんとやりたいが、時間的に課外も使わないと間に合いそうもないと、生徒第一に考えてそういうことになったのだろうと思ったからです。英語など時間数が多く、平常授業で無駄なことをやらなければ十分足りる科目ではそういう言い訳は通用しないが、カリキュラム上、理科社会の場合は授業時間が足りなくなるということは実際にあるでしょう。生徒たちもそれを受容したのなら、いいのではないかと思ったのです。

 しかし、これまでの経緯からして、彼のような原理主義者がこういう話を読むなり聞くなりすれば、「けしからん!」といきり立って、早速「抗議」に出かけて、ややこしいことになってしまうのは目に見えています。鬼の首でも取ったような気分になって、当事者でも何でもないのに、これでもかと学校を責め立てるのです。その結果、その先生がクビになるようなことはないでしょうが、課外は別枠でやることになって、そうなると彼には「勝利」でしょうが、その科目の授業全体が中途半端なことになり、入試対策もロクにできないまま受験シーズンを迎え、生徒たちの成績が芳しくないことになった、ということにもなりかねない。生徒のほとんどが課外を選択しているのなら、被害は軽微で、飛び抜けた秀才なら独習でカバーもできるからなおさらのことです。これが生徒の半分、三分の一が「不受講」を選択していたとなると、話は全く別ですが。

 こういうのは、カリキュラムを整備し直せばすむことだとして、そちらが本筋ですが、今現在の現実としてはそういう問題も出てくるわけです。単元別に演習部分は課外でやり、教科書は平常授業でのみ進める、という方法は可能だとしても。

 しかし、課外受講が100%だろうと50%だろうと、原理原則は断固貫かねばならないという彼のような人間にはそんな微妙な話は通用しない。げんに冒頭の彼の投稿にあったように、全員が受講していても、絶対に課外は別枠にしなければならないと言うのですから。

 僕は実質主義者なので、タテマエに基づいてものは考えません。行き過ぎた課外も、寝不足と健康問題への悪影響が懸念される朝課外はとくにそうですが、益よりも害の方がはるかに大きいと思っているから、反対しているわけです。統計的なアンケートをとったわけではありませんが、朝課外がいらないと思っている生徒は少なく見積もっても80%以上いるでしょう。あらゆる面から見て、それに合理性は乏しい。だから今はその制度がある九州地区全体に朝課外廃止の動きが広まって、廃止するところも増えてきているわけです。

 改善の動きが明確なものとして出てきているのだから、それを見守り、必要と見たときだけ意見を言えばいいだけだと僕自身は思いますが、彼のようなアルカイダ的原理主義者には、こういうのは「何を生ぬるいことを言っているのだ!」ということになるらしく、これは最新の投稿(一昨日消しときましたが)ですが、こんなことを書いて寄越すのです。

 課外希望制は私を〇〇高校の教師に紹介した宮崎市の塾長が、2018年7月に宮崎県議会において、宮崎県議員が課外の改善を述べた文章を持って行って、オンブズマン仲間を率いて、集団で課外の強要や課外の拘束に対して抗議を宮崎県教育委員にしたのです。
 宮崎県教育委員会の平社員が「分かりました。宮崎県教育委員会の上司に課外希望制を2019年に宮崎県普通科全校に通達するようにします!」と集団抗議に折れて2019年度に課外希望制になったのです。行動が実を結んだのです!行動あるのみ!  2020/01/28 (火) 2:25


 例によって甚だしい悪文で、最初の文なんか「てにをは」が完全に崩壊していますが、このブログの過去の記事をご覧になってもわかるように、少なくとも延岡高校(言うまでもなく、宮崎県教委の管轄です)では2016年度から課外はタテマエ上とはいえ、選択制になったのです。つまり、「課外希望制」が導入されたのはその三年も前の話だったのですが、彼のこの文章が正しいとすれば、物理学的な時間は崩壊して、それより後の「行動」が過去に遡って影響を及ぼしたことになるのです。最新の量子物理学によれば、そういうのもありだということになるのかもしれませんが、専門の物理学者に聞けばそんなことはないと教えてくれるでしょう。

 彼がこれで一番言いたいことは、最後の「行動あるのみ!」で、僕が何度も繰り返し「やめとけ」と言った彼の非常識な「抗議」でさえも大いに役立っているということなのでしょう。だから、受験シーズンの忙しいさなか、無断でボイスレコーダーに録音した「保護者の証言」を持って学校に押しかけることなども「正義の行動」なのです。僕の電話番号を元「教え子」の大学生に勝手に教えて、夜中に人騒がせな意味不明電話をかけさせるなども「正義にかなう」わけです。

 仮に彼が延岡高校や県教委にこの「保護者の証言」を持ってほんとに「抗議」に出かけていたとしましょう。「全員が課外を受講」していたのなら、そこで平常授業の続きをやっていたとしても実害はありませんが、それは課外の原理原則に反しているので許しがたい。そう彼は主張するのですが、相手としては「だから何なのだ」とホンネでは思うだけでしょう。生徒たちも誰も被害は受けていないのだから、その「抗議」に感謝する者は一人もいない。まともに取り合ってもらえないことに焦った彼は、その保護者が誰だと明かし、生徒名簿を出せと要求し、すでにクラスは特定されているのだから、姓から生徒を特定するのも容易で、「この子の親だ」ということを説明するかもしれません。それで「でっち上げ」ではないことがめでたく証明されるのですが、そのときはそれがプライバシーの深刻な侵害であることは忘れているのです。その場合、保護者は困惑または激怒するでしょうが、こうなると、彼は刑事処罰の対象に十分なりえます。僕が検事なら、有罪にもって行くことはたやすいと考えるでしょう。

 冗談ではなしに、今後も周囲の迷惑や人権への配慮に欠けた愚かな「抗議行動」を続けるなら、彼はいずれ刑事告訴される羽目になるでしょう。こういうのは完全な病気です。僕に不思議でならないのは、どうして親や周囲の人たちは彼に精神科の治療を受けさせないのかということです。皮肉で言っているのではなく、真面目にそう思っている。ある種の政治団体の会員やモンスター・クレイマーの中には精神疾患を患っている人が結構いるものですが、彼らは周囲にいたずらに混乱をひき起こすだけでなく、最後には自分自身を深刻に害してしまうのです。彼の家族や友人がこれを読めば、たやすくそれが誰なのかはわかるでしょうから、そう進言してあげて下さい(彼の名誉のために一言付け加えておくと、僕の見るところ、彼にはおかしな凶暴性などはなく、抗議に出かけても、暴力を振るったりすることは今までなかっただろうと思います。むろん、だから許されるというわけではないのは、ここまでお読みになった人にはおわかりになるでしょう)。

 前にも僕は彼の迷惑行為(ここに含めなかっただけで、他にもギョッとさせられるようなことはいくつもあった)に腹を立てて書きかけたことがあるのですが、そのときは「かわいそうかな…」と思いとどまりました。しかし、ほっとくとほんとにキリがないので、犯罪者として告発される前に警告しておくほうがいいかと思ってこれを書きました。きちんと治療して、もっと建設的な「人生の目標」をもてるようになってもらいたいのです(前にも彼自身に直接、「この問題でとやかく言うのはもういいから、自分の人生を生きろ」と言ったのですが…)。

 以上です。


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祝子川通信 Hourigawa Tsushin


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反面教師としての学校

2019.05.11(09:57) 631

 前々回、ここに「朝課外と夕課外を分けてみたら?」と題した記事を書きましたが、結局課外届なるものは「一括方式」で「受講する・しない」の選択肢しか設けなかったようで、これはむろん、延岡高校の話ですが、「ほんとに進歩のない学校だな…」と僕はあらためて呆れました(「月曜の朝課外は廃止しました」なんて、無意味なことを下線を引いて強調していたのには笑ってしまいましたが)。PTA総会でこの問題を議題にかけるなんてこともなかったようです。

 これはたぶん、それを分けたら、「朝課外は受講しない」の選択者が圧倒的になって、それが「自動消滅」するのを恐れたからでしょう。僕の隠れた意図はそこにあったのですが、さすがにそのへんは“敏感に察知”なさっているのです。

「朝課外いらない派」の生徒は、うちの塾の生徒を見るかぎり、ほぼ100%です。しかし、3年生では夕課外は科目によって受講したいのがあるという生徒が多いので、そういう生徒は「受講」を選択せざるを得なくなって、「いらない朝課外」も受けさせられる羽目になり、文句タラタラ状態は相変わらず続き、「学校なんてこんなもの」という諦めにも似た思いがずっと尾を引くことになるでしょう。

 それで僕が生徒に言ったのは、あれは正規の授業ではなく、別料金を払って受講する「おまけ」なのだから、カネを払った上で取捨選択するのは本来君たちの自由であるはずだ、ということです。だから、一括になっているから仕方なく「受講する」にマルをつけただけで、本来朝課外はいらないと思っているのだから、その部分は受講しなければいいのだと。

 塾だって、月謝だけ払って生徒が出てこなければ、僕は喜ぶことはあっても怒ることは決してありません。そんなオイシイ商売はないからです。誰が始めたのか知りませんが、九州地方の県立高校のこの愚かしい制度は、「地方には塾や予備校がないから、学校が肩代わりする必要がある」という理由で始めたそうなので、別料金を取っているのだし、その部分は「塾や予備校と同じ」なのです。法律的にも何ら強制力はなく、料金を払った上で出る出ないを選択するのは生徒側の自由のはずです。それは「正当な権利」なのです。

 この論理におかしなところがあったら、言ってください。いつでも論争には応じます。僕が高校生の時代には、生徒が教師相手にガンガン言って、教師を言い負かすぐらいのことは平気でできたのですが、今の子供たちは育ちがよすぎてそんな荒っぽいことはできないようなので、代わってお相手するということです。

 にしても、この学校の「改革力のなさ」は何なのだろうと思ってしまいます。企業ならとうの昔に潰れていますが、公立学校は潰れないので、そういうヴァイタリティのないのが集まっていて、生徒はおかげで慢性的睡眠不足に陥り、疲れて学力も伸びず…という「負のスパイラル」の中に閉じ込められてしまうのです。

 何度でも言いますが、その点延岡星雲高校は「朝課外全廃」を思い切りよく決断したので、立派です。最近ある筋から聞いた話では、この課外の問題は校長の決断次第でどうにもなるという話なので、延岡高校の今の校長は優柔不断だからそれができないのでしょうか? それとも校内の教員の「抵抗勢力」が強くてそれに負けてしまうからなのか、どちらか知りませんが、いずれにしても、今の若い子にはこういうのは「他山の石」なので、こういう生き方を決して真似てはいけません。今は凪(なぎ)の状態になっていますが、今後世界が「激動の時代」に入るのはほぼ確実なので、こういうのを真似ていたのでは、そのとき世界をいい方向に引っ張る有用な改革人材になることは決してできないだろうからです。

 これは小泉元首相が最近愛用しているらしいので、若い人にも聞き覚えがあるだろうと思いますが、論語の学而篇に「過てば則ち改むるに憚(はばか)ることなかれ」というのがあります。神ならぬ人間は認識においても、行為においても、しばしば過(あやま)つものです。その場合、重要なのは自己卑下に陥ることでも、自分の責任ではないと言い逃れをしたり、それが正しいと強弁したりすることでもない。為すべき唯一のことは、「これは違うな」と率直に認めて、すぐにそれを改めることだ、というのです。

 小泉さんは自民党政権時代、「原発安全神話」に則って、それを推進する側に立ってきましたが、福島原発事故を見て、あれは「安全」どころの話ではない、人間の生存を根本から脅かすもので危険極まりなく、たとえ事故が起きなくても放射性廃棄物をどうするかについて何の答も用意していない無責任この上ない技術で、経済的にも全く引き合わないということに気づき、「脱原発」を唱えるようになったのです。日本はそのための新技術で世界をリードする立場になれる、そうすれば経済効果も大きいと、これは全く正しいと僕も思いますが、考えるに至ったのです。自分の認識の過誤に気づいて、その有力な反対者になった。

 問題の大小の違いこそあれ、課外の場合も同じです。とくにあの朝課外は有害で、それが深刻な睡眠不足の原因となり、その睡眠不足は健康に各種の有害な影響を及ぼすだけでなく、学力低下の原因にもなると科学的に今ではわかっているのです。なのにそれを続ける理由は、「今までこういうやり方でやってきたから」という理由にもならない理由しかない。教育者の良心にかけてこういうことは改めなければならない。そう考えるのが当然ではありませんか? 延岡高校はこの問いかけにどう答えるのか、生徒や保護者(ただの翼賛機関にすぎないPTAではなくて)は知りたいと思っているでしょう。

※尚、ついでに塾の広告をさせてもらうと、今うちの塾では1・2年生を募集しています。5月末で3年は部活を引退して早い時間帯に移動するので、部活をやっていても大丈夫な遅い時間帯(8:00-)が空くことになり、今が一番いい募集のタイミングなので、書かせてもらうことにしました。このブログ経由でもメールは送れますが、ややこしい操作はわからないという方は、次のメールアドレスにてお問い合わせください。
 dragonfield@hotmail.co.jp




祝子川通信 Hourigawa Tsushin


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朝課外と夕課外を分けてみたら?

2019.04.13(14:21) 629

 PTA総会に諮ってから決めるというような話で、生徒たちにもまだ詳しいことはよくわからないようですが、延岡高校はこれまでの「課外不受講届」を、「受講」「不受講」どちらかにマルを付けて出す、というやり方に変えるようです。「不受講届」というのは、不受講希望の場合にのみ出させるというかたちで心理的抵抗を大きくし、出すのを困難にさせようという姑息な思惑が感じられて実にセコいと僕はここで批判していましたが、今度はもっと“公正”なやり方にする、ということなのでしょう。

 しかし、実は問題はまだ残っているので、生徒たちの慢性的寝不足の深刻な要因になっている朝課外は、教育的見地からしても“不適切”なのでいらないとして(だからほんとは延岡星雲高校のように潔く廃止を宣言すればいいのですが)、3年生の場合、部活引退後は夕課外が始まって、そちらは受講したいという生徒はかなりの数いるようです。だから両方を分けて、どちらか一方だけ選択するというオプションを与えてくれればいいのですが、それはできないとなると、朝課外はいらないと思っている生徒も、夕課外には未練があるという場合、仕方なく朝課外も受けざるを得ないということになって、不満は解消されないのです。

 もう一つ、課外で平常授業の続きを平気でやる先生がいるそうで、それだと課外に出ないと平常授業もわからなくなってしまいます。これは完全な“反則”なので、それだと別のかたちで課外受講を強制しているのと同じです。こういう理不尽なことはいわゆる「意識の高い」地域や都会なら、生徒からも親御さんたちからも怒りの声が続出して、まず絶対に許されないでしょう。課外が正規のものではなく、ましてや選択を前提とするものである以上、許してはならないルール違反です(そもそもこれは法律違反だということを、学校側はご存じのはずです。裁判で訴えられたら負けますよ。土地柄、そんな思い切ったことをする親や生徒はいないと高を括っているのかも知れませんが)。

 だから、そこらへんのことはちゃんと考えて新しい「課外受講・不受講届」を提示する必要がある。①全部受けない②全部受ける③朝課外・夕課外のどちらかを指定して一方だけ受講する、の3つを選択可能にして、さらに④課外で平常授業の続きをするようなルール違反は行わない、という確約を与える必要があるのです。

 1・2年の場合は、夕課外はないので、①②と④、3年の場合は①②③④、ということです。それを明示して、生徒に選択させる。③のオプションは入れるのに何の困難もない。朝課外の費用に、夕課外の費用を上乗せしているだけだろうからです。両方が1万ずつの計2万円なら、夕課外のみ選択の生徒は1万ということにすればいいわけです(今の正確な金額を僕は知りませんが)。

 いちいちうるさい奴だなと、学校や県教委は思うかもしれませんが、これが意思決定上、重要な論点だということは、生徒の立場に立って考えるならわかるはずです。生徒たちにも「書いといてあげるよ」と約束したので、これは彼らの代弁のようなものなのです。

 僕が親なら、むろん、①にマルを付けて出せ、と子供に言います。廉価なネット予備校まである今の時代、受験勉強で学校の古くさいシステムに依存する必要はないからです。自分でメニューを考えてやった方が効果的な勉強ができる。一年前の卒業生の中に一人勇気のある生徒がいて、堂々と「不受講届」を出し、そこまではよかったものの、「何でおまえだけこんなものを出した!」と担任に呼び出されて“説得”攻勢に遭って閉口していた(出したのは学年で二人しかいなかったそうで、二人とも女子でした)ので、今回はもうそんなことはないだろうから、「もっと早くそうしてくれていたら…」と彼女は思うはずです。

 ついでに書いておくと、延岡高校には日向からの電車通学組がかなりの数います。彼らは朝課外に間に合わせるために、毎朝特急を利用しなければならず、それに300円余分にかかっているのです。月に20日としても、毎月6000円の余分な出費です。年間だとかなりの額になってしまいますが、あの朝課外にその費用に見合った内容があるとはとうてい思えないと、うちの塾に来ていた生徒全員が言っていたとお伝えしておきます。

 とはいえ、これは以前と較べれば進歩です。生徒や親御さんたちがどういう判断を下すのか、以後は黙って見物させてもらうつもりですが、仮に上記のような選択肢がちゃんと用意された上での選択になったとすれば、僕は二度と生徒たちの泣き言は聞かなくてすむようになるでしょう。なぜなら、彼らは自分で選択したのだから、泣き言は言わないはずだからです。朝課外をやる先生たちも、以後はやりやすくなるでしょう。進んで選択した生徒たちなので、寝てばかりいる生徒は激減すると見込まれるからです(中には課外を取らないと学校側の心証を害して、推薦をもらえないのではないかと心配する生徒もいるようですが、そんな馬鹿なことはありえません。そういう心配までするというのは、いかに歪んだ教育環境で育っているかという証明のようなものですが…)。

 ともかく、そういうわけなので、不満が出ないように、学校は以上のことをよく考慮して、適切な課外選択オプションを用意してあげて下さい。

 そうすれば、僕が課外のことをとやかく言うのは、これで最後になるでしょう。学校(県教委)と“敵性塾教師”の僕の間に、ついに「和解の日」が訪れるのです。



祝子川通信 Hourigawa Tsushin


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延岡高校の進学実績低迷への処方箋

2019.03.23(23:09) 626

 久しぶりの更新です。今年も受験シーズンが終わりました。うちの塾はここ二年、一人ずつ浪人を出していた(幸いどちらも一浪で雪辱を果たして元の志望大学に合格してくれた)のですが、一人後期にずれ込んだ生徒がいたものの、無事合格してそこに進学することになったので、今年はめでたく「浪人ゼロ」となりました。

 それはともかく、僕には一つ気になっていることがあります。それは塾の“顧客”のほとんどを占める延岡高校の大学合格実績の低迷です。生徒たちから話を聞いて、ここ数年悪くなってるなという感じがしていたのですが、データを見るとそれがはっきりする。それは一口に言えば、「成績上位層の不振」であり、「難関大合格率の著しい低下」です。

 こういうことを言うと、「大好きな母校の悪口を言われた!」とか何とか、すぐ怒ってくる人がたまにいるので困るのですが、そういうことは文を最後まで読んで、かつ内容を正しく理解してから言ってもらいたいので、これが「中傷」の類でないことは、学校が公表しているデータを見てもわかるのです。

 延岡高校のホームページを見ると、2014年以降しか情報は出ていないので、その年度以降に話を限定しますが、センターの国語の平均点が「史上最低」だったその年は、阪大に5人が一度に現役合格し、九大も6人いました。その年は京大と東北大が1人ずついたので、旧帝大現役合格者は計13人いたことになります。翌15年も、京大2人、東工大2人、東京外語大1人、九大5人(いずれも現役のみカウント)と、質的にはそれに劣らず豪華だった。その年は推薦ですが筑波の医学部もいたし、地方国立医学部の一般受験合格者も1人いたのです(二次免除の地域枠や推薦以外、一般入試での国立医の現役合格者は延岡高校にはほとんどいない)。

 ところが、翌16年から不振に陥り、上と同じくこれは現役のみのカウントですが、九大・神戸が上限となり、推薦を含めてもその総数は7人に減り、17年は、うちの塾で最も推薦進学組が多かった年(学校全体でも異常に多かった)ですが、「上がいない」と彼らが苦笑していた如く、国公立大の進学率こそ推薦で稼いで高かったとはいえ、難関大は九大・神戸が2人ずつで、計4人に減ったのです。そして去年18年は、難関大受験者の数は多く、塾で生徒たちから話を聞いて「みんな受かったら、君らの学年はかなり凄いことになるね」と言っていたのですが、蓋を開けてみると、前期はほぼ壊滅で、旧帝大レベルの合格者は京大の1人だけということになってしまったのです(九大も、推薦の2人を除けば現役は後期合格の1人だけ)。名古屋大の合格者2人はいわゆる「セあり推薦」の合格者です。

 そして今年はどうなったかといえば、前期の旧帝大現役合格者は九大の2人だけ(後期で1人増えて計3人になった)。東大・京大・阪大はゼロ(京大経済学部の合格者が一人いますが、これは去年失敗して雪辱を果たした生徒で、浪人です)。神戸もいない。むろん、東工大とか一橋とか、そのあたりもいません。医学部は、二次免除の宮大地域枠合格者の2人だけです。私立では早稲田が前年に引き続き1人いますが、これはいずれも指定校です。

 いかがですか? これには出ていない13年も、細かいデータはわかりませんが、僕の記憶ではよかったので、わが零細塾だけでもその年、京大が1人、九大が2人いたのです(「自分の手柄みたいに言うな!」と叱られそうですが、14年、18年の京大合格者もうちの塾生でした)。とにかく、15年までよかったのが、それ以降落ち込み始め、17年度は、上にも触れたように、飛び抜けた生徒がいなかった学年で、そういう年もたまにはあるわけですが、他の年はそうではなく、特に去年と今年は、トップ層が総崩れの状態で、「受けても受からない」傾向が顕著になっているのです。

 一体これはどういうわけなのか? 僕が塾の生徒から聞いている話では、彼らはたいへん優秀な子たちで、模試やセンターも概してよかったのです。原因として考えられるのは、やはり二次対策の不足でしょう。僕は延岡で塾を始めてからもう丸十六年になるのですが、最初、知人に集めてもらった一年生8人(4人ずつの二クラス)でスタートし、それが受験学年になったとき、九大を受験した生徒が2人いたのですが、1人を落としてしまったのです。もう1人は中高一貫私立校の理系の生徒で、こちらは順当に合格したが、法学部を受けた延岡高校の生徒の方が落ちてしまった(ちなみに、その生徒のセンター英語の得点は196点でした)。センター併用で受けた東京の、法学部で有名な私大も落ちてしまった。結局、センター利用で合格していた関西の有名私大の一つに進学したのですが、これは僕にはショックで、何がまずかったのかと考え、一つの結論に達しました。僕はその当時、課外に加え、学校の宿題が多すぎるので、可哀想だと思って、延岡高校の生徒たちのクラスでは宿題はあまり出さないようにして、かつ、学校と歩調を合わせて、同じ文法単元をやるなどし、大学の二次対策のようなことはほとんどしなかったのです。それが悪かったので、そこをちゃんとやっていれば、元が優秀な子だったので、その子は楽に合格していたはずです。

 これで文字どおり「頭にきた」僕は、学校を完全に無視してやるように塾の方針を切り替えました。具体的なやり方は試行錯誤しながら徐々に変えていったのですが、その生徒の弟の方は阪大に無事合格し、後でその子のお母さんが彼の二次の成績をメールで教えてくれました。こちらは理系の生徒でしたが、英語の得点が非常に高かったことがわかったのです。それなら、やっていたことは間違いではなかったわけだと、僕は意を強くしたのですが、その頃から、旧帝大にかぎって言えば、合格率は100%になったのです。受験者はのべ十何人いるはずですが、誰も落ちていない。さすがにEで受けた子は一人もいませんが、センター判定がCやDでも、落ちなくなったのです(全体でも、二次に英語がある国公立の受験成功率は75%を切ることはないはずです)。

 試験に運不運はつきものだし、これはたまたま幸運が重なっただけだと言えるかもしれません。たしかに100%は出来すぎです。しかし、当初のやり方を続けていれば、最初の失敗例のように、能力の高い子でも落ちるケースの方が圧倒的に多くなってしまったのではないかと思われるので、難関大はとくに二次比重が高いので、センターでいくら高得点を取っても、二次力が弱ければ絶対に合格しないのです。

 むろん、二次は英語だけではない。理系なら数学と理科、場合によっては国語も含まれ、文系なら国語と社会、難関大なら数学も当然入ってくる。英語だけできれば受かるというものではないので、げんに今年など、「理系なのに数学と理科が弱い」という、ある意味致命的な生徒がいました(うちの塾に来るより早く、高1の頃からずっと数学塾には通っていたようですが、「○○自習塾」などと陰口を叩かれているそこは、面倒見がよくないようで、数学はそのせいなのだろうと僕は思っています)。センターは8割ギリチョンでしたが、それは得意な英語と、今年易しかった国語で稼いだもので、元々は某旧帝大が志望でしたが、そこは数学と理科が各500点ずつの計1000点、対して英語は300点の配点しかないのです。とてもカバーしきれない。センターの総得点からすれば狙えるセンでも、センターで数学・理科が平均72%の得点率しかないのでは、その大学の、とくに数学には歯が立たない。それで相談の上、数学が比較的易しく、英語の配点比率もそこよりは高い、関東の某有名準難関国立に土壇場で切り替えたのです。仮にそのまま元の志望大に突っ込んでいれば、あえなく討ち死にという結果になっていたでしょう。

 近年は、生徒と二人で、二次得点のシミュレーションをやることも多いので、たとえば文系なら、英語6~7割、社会は7割、国語は6割から5割、数学は3割を切らないようにすれば、過去の最低点に照らしても、十分合格には足りる、というような一応の「予定」を立てるのです。あとで生徒に得点開示の報告をしてもらうと、社会と数学は目標を何点かずつ上回り、英語はその上限近くとれたが、国語がまさかの4割で、僕自身は、英語はそこの問題は手ごわいので、6割を切らなければいいと考えていたのが、仮に6割なら、国語のしくじりをカバーしきれずに落ちていたのがわかった、というようなことがあるのです。「危ないところだったね」と二人で笑ったのですが、その生徒は文系なのにたしかに国語に強い苦手意識をもっていたのです。だから英語7割を目指して頑張って、本人の狙い通りのパフォーマンスができたから、合格できた。同じ大学で、他の科目はよく似た得点分布だったが、国語が予想をだいぶ上回っていたために、全体でかなりの貯金ができ、仮に数学が零点でも受かっていたというケースもあります。理系で、先の阪大の受験生のように英語の高得点が効いて上位合格を果たしたというケース(本人は物理で大失敗したので落ちたと思い込んでいたが、他の受験生にとってもその年の物理は難しかったのです)もありますが、僕の方は過去問も十年分添削して「6割は行くはず」と見ていたのに、実際の英語の二次得点は52%で、その代わり数学で75%の高得点を叩き出したので、余裕で受かっていたという子もいます(彼の場合は、国語が零点でも足りた)。

 こういうのはむろん、過去問を一通り解いたうえで、実際にどれくらい取れそうかという自己査定に基づいて行うのです。希望的観測に基づいたそれでは、完全な「絵に描いた餅」で終わってしまって、意味はないことになる。そして今見たように、そこにはいくらかの「誤差」は出てくるが、ある程度余裕のある見積もりをしていれば、少しぐらいしくじりをしても、合格最低点を下回ることはなくて済むのです。

 僕は英語教師なので、ふだん教えている生徒の英語の得点については大体予想がつきますが、他は本人にどれぐらい取れそうか聞くのです。学力の高い生徒だと、かなり客観的な自己評価ができるので、その分見積もりも信頼の置けるものになる。「これでは足りない」となると、どの科目でどの程度上げればいいか、また上げられるか、目標を立てることもできるので、生徒にとってもやりやすいでしょう。最初は過去問を添削していて、「これでは5割に届かない。志望大を変えさせないと駄目か…」と思っていたものが、だんだんよくなってきて、「行ける!」というかなり明確な感触に変わることもあるのです。自己修正能力の高い、かつよく努力する生徒の場合には、そういうことが起こる。同業者ならわかるでしょうが、こういうときは塾教師としては嬉しいものです。

 むろん、志望大の過去問だけ解いていればいいというものではないので、ふだんの授業では他大のものをたくさんやっているのです。僕は内容のある、読んで面白いものは片っ端から使う主義で、そのテーマも多種多様に及ぶ。稀に、全く同じ英文が受験した大学に出たとか、そこで使われている話が前にやった英文に出ていたものと同じだったなんてこともありますが、そういうのは「おまけ」みたいなもので、知識と理解の幅を広げ、色々な構文やらイディオムやらが出てくるので、そういうのにあれこれ接していれば、読解力自体の底上げが期待できて、それはどこの大学を受けようと役に立つのです。

 あとは英作文ですが、これは添削するにかぎる。手間がかかるが、生徒にどういうところに気をつけなければならないか、わからせるにはこれが一番なのです。一人でやっている生徒は、だから、信頼できる学校の先生にお願いして、添削してもらうなどするとよいでしょう。そうすれば、確実に進歩する。自分に使える構文のストックが少なすぎるといい英文は書けないものですが、途中でそれに気づけば、英文を丸暗記する必要性なども感じて、自発的にそれをやるようになるでしょう。そうやって、今自分に必要なことが何なのかを把握しながら、勉強していくことが大切なのです。受け身で、あてがわれたものをただ機械的にこなしていくようなことは勉強ではない。そういうやり方では学力は伸びないのです。

 以上は、「こういうやり方もある」という一つの例示にすぎませんが、受験にもやはり戦略というものは必要なのです。しばらく前、僕は免許証の書き換えに行って、そのときの講習で宮崎県は「漫然運転」による事故がやたら多い県なのだという話を聞いて笑ってしまいました。全国でも一、二を争うほどだ、というのです。延岡高校の近年の大学受験実績の不振も、学校の以前からの「漫然指導」に加えて、生徒たちの「漫然受験」が増えているからではないかと、僕には疑われるので、そこを改善しないと挽回は難しいだろうということを言いたいのです。

 この問題で、僕が一番危惧しているのは、何でこういう結果になってしまうのかという分析はしないで、学校が「大変だ! 何とかしなければ!」ということで、焦って宿題を増やしたり、課外を強化したりしなければよいが、ということです。それは確実に事態を悪化させる。今でもすでにそういうことは目立っているようですが、ランクを下げての受験がさらに多くなって、東大・京大が九大になり、九大受験生は熊大に下げるとか、そういうことが常態化してしまうのです。前期で失敗してそうなるのはやむを得ないが、初めからそういう受験の仕方になってしまうのです。そして医学部の受験生は、初めから現役では受からないという構えになって、諦めムードが漂う。そして課外と、増えた宿題のせいでさらに寝不足は募り、自分の勉強をする時間もさらに削られて、学年が上がるにつれて疲労も蓄積し、模試の成績も全体が見事な“右肩下がり”になって、これではならじと焦った学校は、さらに「よけいなお世話」的管理を強化して、いっそう二次力を下げるだけではなく、センターすら満足にとれなくしてしまうのです(尤も、来年で現行センター試験は最後ですが)。

 前から課外はあり、無用な宿題も少なくなかったが、にもかかわらず難関大に首尾よく合格していた生徒たちは、賢く「学校を手抜き」して、合格に必要な手立てを自分で講じていたのです。前にも一度書いたことがありますが、あれは2012年のことだったか、延岡高校の男子生徒が2人、わざわざ塾に礼を言いに来てくれたことがあります。部活の後輩に塾の生徒がいて、大体の場所は聞いていたようですが、何しろ看板も何も出ていない、ネットにも電話帳にも情報は皆無の「謎の塾」なので、探し当てるのに苦労したようですが、彼らはこのブログに書いた関連記事を読んで、自分が日頃感じている学校に対する疑問が正当なものであることを確信し、自力救済しかないと、学校をうまく手抜きして、自分の勉強時間を確保し、ちゃんと戦略的にやって、現役合格を勝ちとったのです。それは九大と京大の合格者でした。わざわざ挨拶に来てくれるなんて律儀な若者ですが、僕はむろん喜びました。そこに書いた学校批判が生産的な結果を生み出したことがわかったのですから。

 有名大に進学した先輩が学校の招きで在校生相手に話をすることがあっても、学校側は「学校の言うことなんかおとなしく聞いていたのでは君らが行きたい大学には受からないので、うまく手抜きして自分で何とかしないと駄目だよ」なんて平気で言うような人間は絶対に呼びません。そのあたりの先生たちの嗅覚の鋭さには驚くべきものがあって、僕はいつも感心させられるのですが、だから真相がわからないのです。時々「先輩たちのメッセージ」なんて冊子が配られて、そこには「先生方の言うことを聞いていれば間違いない」なんてよく書かれているのですが、うちの塾の生徒たちは「これ、ホントですか?」と笑っているので、ホントのわけはないと思うのです。

 先に見た近年の難関大合格率の“激下がり”は、そういうことがよくわかっていなくて、表面的に過去の輝かしい合格実績だけ見て、「先輩たちは判定がCやDでも受かっている。だから自分も何とかなるかも…」なんて甘いことを考えて、周到な二次対策を怠るとか、学校の言いなりに忙しすぎる生活を送って、センター後にようやく過去問を見て、「とても間に合わない!」と半分パニック状態に陥ったまま、不安いっぱいで本番に突入したりしているからではないかと、僕は想像するのです(これはわかりきったことですが、模試の偏差値がいくらよくても、あれは同じ問題を全員に解かせているわけで、一番重要なのは「その大学の実際の問題がどれくらい解けるか」なのです。また、大学別の冠模試というのがありますが、あれも形式は似せているが、妙なところで難しすぎたり、採点基準にいくらか疑義があったりするので、「参考程度」の扱いが適切でしょう)。

 だから学校が焦って管理を強化したりすると逆効果になるので、いつも言うように、慢性的睡眠不足の原因になっているだけの朝課外なんてものはさっさと廃止すればいいのですが、延岡星雲高校の方は廃止に踏み切ったのに、延岡高校の方は最近「月曜だけ朝課外をやめる」なんて中途半端な決定をしたそうで、意味がよくわからないのです。

 余談になりますが、僕はこの前それでジョークを言って生徒たちを笑わせたのですが、最近『東大・京大に合格する子は毎朝5時半に起きる』という本が出ているようです。アマゾンの内容紹介文には「長男は、東京大学理科Ⅰ類に現役合格、次男は京都大学理学部に現役合格、長女は、英国の高校へ単身留学中。そんな河村家の「子育ての秘密」とは?」と書かれています。前に『東大合格生のノートはかならず美しい』という本が出たときは、塾でも、ある日家に帰ったら、この本がさりげなく自分の机の上に置かれていて驚いたと言った生徒がいたので、僕は笑って「それで読んでみたわけ?」と訊くと、親御さんにはお気の毒ながら「そんなの、読むわけないじゃありませんか! 私とトーダイは何の関係もないので、そんなキモいもの、段ボールの一番下に押し込んで、二度と目に触れないようにしました」と答えていましたが、今回のこの『毎朝5時半に起きる』なんて本も、高校の先生たちは「だから朝課外は正しいのだ!」という思い込みの強化に利用するおそれがあるわけです(まさか学校で大量購入して、全生徒に配布するということはないでしょうが)。5時半に起きれば、7時半の朝課外には楽々間に合うわけで、何の問題があるか、というわけです。

 でもねえ、そういうのは早寝しているからで、部活を終えて夜の8時に帰宅し、遅い夕食とお風呂を済ませて、たくさんの宿題をやってたら毎日深夜の12時、1時、下手すると2時になってしまうというような生活を送っていて、朝5時半に起きたら、ティーンエイジャーにはとくに多くの睡眠時間が必要だと科学的にも証明されているのに、慢性的なひどい寝不足になってしまって、学校の授業も皆目頭に入らず、当然学力は全く伸びなくて、最悪の場合、Fラン大学にしか入れないということになってしまうのではありませんか?

 そもそも、朝の5時半に起きようと、7時半まで寝ていようと、東大・京大に入れるかどうかとは何の関係もない(嘘だと思うなら、東大・京大生に訊いてみればいい)。人間には朝型と夜型の違いもあって、哲学者のデカルトなんかは低血圧でなかなか朝起きられないので、学校の寄宿舎に入れられていたときも、彼だけ特別に遅くまで寝床にいることを許されたほどです。デカルトは数学の分野でも有名な天才ですよ。

 もう一つ、同じ早起きをしても、それを自分の時間として使えるかどうかが重要で、朝課外がなければ、そういう子たちももっと時間の有効活用ができるのです。朝課外は早起き生徒の妨害にもなっている。それも認識していただかないと困ります。

 あと、学校の授業+課外と部活と宿題だけで一日が終わり、ヘトヘトになって他には何もできないなんて生活を送っていると、世界の動きや社会問題などは何も知らないことになって、今の英語の入試問題はそういうものを反映した出題が多い(だから面白いのですが)のに、基礎知識が全くないから、日本語で読んでもよくわからないのに、英文ならなおさら、ということになりかねないのです。最近は英作文でもあるテーマを出して、それについての自分の意見を書けというのが多くなっているのですが、「何を書いていいのか全然わからない」と言う生徒が実に多いのです。大学としても、学校の教科書勉強以外には何も知らず、他のことには何の興味もないなんて学生は、大学入学後伸びないのがわかっているから、ほしくないのです。

 僕も、テストでいい点を取ることだけが生き甲斐なんて生徒の相手はしたくないので、ごく稀にですが、英文の内容が面白いかどうかなんてことには全く反応せず、答が合っているかどうかだけが重要なんて生徒がいるので、そういう人間味のない人のお相手はご免こうむりたいのです。そういうのが大学で教職を取って、学校の先生になるなんてことになると、悲劇はやがて彼または彼女の教え子たちに及ぶのです。僕が子供なら、そういう先生には教わりたくない。授業が面白くないにきまっているからです。

 部活に関しても、今のそれは時間が長すぎ、かつ休みが少なすぎる。オリンピック用の強化選手ではあるまいし、今の部活はしばしば度が過ぎ、その結果、「バランスの取れた心身の健全な発達」という本来の目的をかえって阻害することになっているのです。これに関しては最近、宮崎県でも、学校の先生たちの「ブラック職場化」解消策の一つとして、中高の部活の休養日を増やしたり、一日の部活の時間を短縮するなどの取り組みが始まっているようですが、これは歓迎すべき動きで、生徒たちにもそれは助けになるはずです。中にはそんなことにはおかまいなしの外部コーチがいて…というようなこともあるようですが、たんなるご本人の自己満足のためにそんなことをやられては迷惑なので、そういう人には学校側も保護者も改善を申し入れた方がいい。

 そうして、朝課外は率先廃止し、部活も無理のないものになって、宿題も必要最小限度のものになり、平常授業の質もアップしたとしましょう。それによって生徒はゆとりを回復し、自分のニーズに合った勉強ができるようになるので、基礎が不安な生徒は十分な復習をして、学力の底上げができるようになり、上位層は応用力を伸ばして、受験の際には過去問対策も万全で臨める、という状態にもっていけるのです。

 実にいいことづくめではありませんか? 先生たちも課外(それは時給1500~1800円程度のおいしい“副業”になっているそうですが)に無駄な時間を使っているヒマがあったら、自己研鑽に励んで学科指導能力を高め、平常授業の質をアップし、大学の入試問題も少しは研究して、もう少し効果的な受験指導ができるよう心掛けるべきなのです。受験大学を決める最終の三者面談で、ホッチキスでとめた予備校のセンターリサーチの一覧表を見ながら、二次の問題がどういうレベルかなんてことは何もご存じないまま、「ここはどう?」なんてテキトー過ぎるヤマカン指導をして生徒を不合格に導くなどという“事故”(僕の見るところ、それもけっこう起きている)も避けられるようになるでしょう。また、生徒に「全自動教科書読み上げ機」なんて不名誉なあだ名をつけられている先生は、そんな授業なら全部自習にしてくれた方がよほど生徒には親切ですが、課外がなくなった余力を活用して勉強に励み、汚名挽回を果たすことができるのです。

 長くなったのでこれくらいにしますが、塾などと違って公立高校は潰れる恐れがないから、漫然たる旧習墨守に陥って改革を怠りがちになるので、とくに田舎には脅威となるような有力私立も存在しないので、なおさらそれが助長されるのです。延岡星雲高校のフロンティア科の入試倍率は今年2倍になったそうですが、それは朝課外の廃止が好感されたことが一因だと僕に睨んでいるので、三年後、彼らが成果を出し、普通科の合格実績も「伸び伸び学習」のため大幅に改善したとなると、十年もたてば両者の進学実績は逆転しているかもしれない。その程度の危機感はおもちになったほうがいいのではありませんか。

〔尚、その前に仕上げておこうと急いで書き上げたこれですが、私用で一週間塾をお休みにし、その間はパソコンも開かないので、仮にこの件でメールを戴いても、ご返信は30日以降になります。その点はご諒承ください。〕



祝子川通信 Hourigawa Tsushin


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祝・延岡星雲高校、朝課外廃止!

2018.11.18(22:22) 612

 ほんまかいなと、しばらく前に塾の生徒から話を聞いたときは疑わしく思ったものですが、調べてみると本当のようです。以下をご覧ください。

平成31年度から「学び」が変わります(宮崎県立延岡星雲高校のサイト)

・0限(朝課外)の廃止
 1 朝のゆとりで心にも栄養チャージ
 2 ゆっくり登校・自主学習ができる
 3 学習意欲の向上・家庭学習の充実


 力強く、そう明記されているではありませんか!「自主学習ができる」だの「学習意欲の向上・家庭学習の充実」だの、それなら今までは自らそれを妨害していたのか、と突っ込みを入れたくなる人もいるかもしれませんが、そんな野暮な真似は僕はしません。朝課外の廃止によってそのような「プラス効果」が期待できることについては、このブログでも再三書いてきたからです(最初の「朝のゆとりで心にも栄養チャージ」というのは、健康食品かトクホの広告文みたいで笑えますが)。

 収まらないのは、延岡高校の生徒たちです。「何で星雲が…」と彼らは心穏やかではないので、星雲高校はこれまで課外だけでなく大量の「クソみたいな」意味のよくわからない宿題でも悪名を馳せていて、それと較べれば延高の方がはるかに自由で、マシだと思われていたのです。

 それが、「朝課外廃止」で一気に形勢逆転となり、星雲が優位に立った。あんな眠たいだけの朝課外なんて意味ないと思いつつも、これまでは選択の余地がなかったのが、朝課外がない方をえらべるようになったのです。

 こうなると、意識の高い保護者や生徒は、「それなら星雲に…」となる可能性が高くなった。僕が中3の子をもつ親なら、間違いなくそちらを勧めるでしょう。僕もかつてわが子に、併願で受けた私立にしたらどうかと言ったことがあります。どのみちこのへんの高校の「指導」なんて、言っては悪いが、大学受験の役には立たないので、それなら朝課外がなくて負担が少ない私立の方がマシなように思えたからです。彼は、しかし、人数が多くて活気がありそうだという理由で、延岡高校をえらびました。当時、星雲はそれよりさらに管理的で負担が多いとわかっていたから、初めから選択肢には入っていなかったのです(MS科ではなく普通科にしたのも、本人がたぶん文系だろうというのもありましたが、普通科の方が勉強面でやかましくなくて楽だと判断したからです)。

 しかし、朝課外が廃止になったということなら、話は違ってくる。それなら星雲がいいと、わが家の場合なら考えるでしょう。僕は大学受験の勉強は勝手にやるものだとわが子に教えていました。だから、学校の言うことなんか聞かなくていい、それでは受かるものも受からなくなってしまう。こちらはその道のプロだから、その都度必要な助言はすると。それで足りるので、学校全体の偏差値がどっちが上だの下だの、そんなことはどうでもよかったのです。この見地からすれば、朝課外があるのとないのとでは大違いです。

 おそらく、この朝課外廃止によって、星雲には優秀な生徒がこれまでよりずっと多く志願するようになるでしょう。「クソみたいな」(これは僕の言葉ではありません。星雲・延高両方の生徒がそう言っていたのです)宿題がそのままとか、朝課外がなくなった分さらに増えたというのでは台無しなので、それでは再び悪評が燃えさかることになるでしょうが、生徒の自主性を尊重してそれも「控えめ」になったとすれば、星雲人気が高くなって、十年後には大学進学実績まで逆転している、ということもありうるのです。

 このサイトの説明によると、一回の授業時間も5分ずつ短くなって、「Ⅲ 主体的な学びをサポート」の項を見ると、その分、35分の「青雲プログラム」なるものが導入され、これも「基礎学力を定着させ、得意科目を伸ばす」とか、講座の選択制など、見た目はよさそうです。3年生の、夜の8時まで学校に縛りつけていた悪名高い「超夕課外」はどうなるのか知りませんが、そういう病的なものも廃止されるのでしょう。でなければ、朝課外だけなくしても意味はなく、「自主学習ができる」「学習意欲の向上・家庭学習の充実」アピールは嘘だということになるからです。

 何にしても、星雲高校のこの勇気ある方針転換は画期的で、僕は拍手を送りたいと思います。ぱちぱち。

 問題は延岡高校です。聞けば、朝課外がそのままであるだけでなく、3年の夕課外は70分になって、前より長くなっていると言う。時代に逆行しているというか、空気が読めていないというか、去年(厳密には今春)の大学入試(一般・前期)で難関大受験組が惨敗(過去十年間で最悪と言える)したことへの反省が裏目に出ているとしか思えないので、僕に言わせれば、それは生徒たちの能力不足でも、彼らへの管理が不足していたためでもなく、よけいな朝夕課外や宿題で生徒から自主的な勉強時間を奪うことで十分な二次対策ができないまま受験した生徒が多かったからでしょう(難関大は例外なく二次比率が高いので、センターだけ取れても仕方がない)。なのに、そこがわかっていない。

 唯一の「進歩」は、かねてここでも批判していた英語のベーシック・グラマーなる無駄に量だけ多くて文法力は全くつかない(解説に嘘まで入るおまけ付き)文法プリントを今年の一年生から完全廃止したことですが、今度は文法の体系的な授業が全く入っていないという結果になり、要するに、「これをやめたら、次は代わりにこうして…」という計画性が何もないのです。とても給料に見合った仕事をしているとは思えないので、だから「学校の授業は役に立たない」と言われてしまうのです。

 挙句、10日間の夏休み(春休み?)オーストラリア・ホームステイなるものを旅行業者の片棒を担いで勧め、その費用が40万だというから聞いて呆れるのです。そんなので英語力がアップするわけはないし、料金が高すぎる。調べてみると、オーストラリアのホームステイ費用の相場は1ヶ月で10万弱、学生がよく使う格安航空券を使えば、往復の飛行機代も10万からあるという。たった10日間で何でそんな金額になるのかわからないから、そんな話には乗るなと生徒には言ったのですが、公立の学校で業者を呼んで説明会を開くなんてのは大いに問題があるのではありませんか? つまらん世話を焼いているヒマがあるのなら、本業の方をもっと真面目にやれ。そう言いたくなります。

 今の日本企業の長時間労働と生産性の低さはよく問題視されますが、課外の弊害はこういうところにも出ているので、教師もそういうので多忙になって、かんじんの教えるという仕事の質が低下するのです。それできわめて「生産性の低い」授業を行き当たりばったりダラダラやることになって、それに付き合わされる生徒も「生産性の低い、意味に乏しい機械的学習」に時間とエネルギーを取られて、学力が伸びなくなる。ふつうの仕事の場合でも、能力の高い人はやり方を工夫して、そうでない人よりずっと少ない時間でずっと大きな成果を上げます。仕事の精度もずっと高い。そして仕事が終わればさっさと帰って、オフ時の充電も怠らないから、仕事能力自体が上がってゆくのです(僕が塾の生徒に、「つまらない宿題プリントは手抜きしていいから、少しは本を読め」と言っているのも、そちらの方が知力の底上げに役立つからです)。今後は「創造性」だの「主体的に考える能力」だのが学校でも養成目的として重視されるようになると言いますが、教師にそんなものがまるでなければ、一体どうやってそれを「養成」するのか、「国際性」の時代になったから、皆さん、夏休みに40万使ってオーストラリアに十日間ホームステイしましょうなんて、アホかと言いたくなるような創造性・主体性のなさです(親の懐の痛みも考えていない)。

 このままでは延岡高校は改革に後れを取って、人気でも進学実績でも、星雲高校の後塵を拝するようになるでしょう。星雲の改革意欲が本物で、カリキュラムの編成や、教材、授業の質をよく考えて、先生たちが本気でその改革に取り組むなら、十年後には両者の立ち位置は逆転する。延岡高校は、「昔はあそこも割とよかったんだけどね」と過去を懐かしがられるような存在になるのです。

「まさか…」とこれを笑う人たちは、かつて公立のスベリ止めでしかなかった私立が、多くの地域(九州には有力私立が少ないが、むしろそれは例外的です)で公立の上に立ち、優秀な生徒を集めるようになったプロセスを考えてみるといいでしょう。そうした私立は初めから優秀な生徒を集めていたのではないのです。むしろ公立の落ちこぼれを拾ったので、そういう生徒たちを伸ばして徐々に実績を挙げ、「あそこに行けば子供は伸びる」という評判を勝ち取るところから、変化は始まったのです。同じ公立同士の間でも、同様の逆転現象は起きうるので、それは改革に取り組んだのと、変わるのを拒否して旧態依然たる状態に安住していたのとの差がもたらす結果なのです。

 延岡高校は今後、どうするのでしょうかね?



祝子川通信 Hourigawa Tsushin


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