宮崎県の県立高校 課外1コマ1800円の教員報酬?

2017.06.28.16:27

「延岡の高校」コーナーに日曜、新たにこういうコメントが入っていました。

 課外と模試は全員参加になっているのは不参加者が半分もいたら先生に払う課外と模試の手当が払えないから全員参加を強要するのでないかと思います。宮西は課外手当を便覧に公表しました。1コマ1800円と記載されてます。
 宮西は数学と英語の教科書を課外で進行させてます。国語は課外で古文漢文を進行させてます。
  延岡高校が不受講願を出させているから不受講願を大多数の生徒が出せないのは、授業と課外を連結してる証拠でないかと思います。


 この人の投稿文(Y君でしょ?)は句点が不足している上に、いつも微妙に「てにをは」がヘンなので、もっとよく頭を整理してから文を書いてもらいたいと思うのですが、とくに最後の部分は日本語になっておらず、意味不明です。それでその箇所を推測すると、延岡高校では「不受講届」というのをタテマエ上は出せるようになったが、大多数の生徒が出せないのは、「授業と課外を連結している」からではないか、ということなのでしょう。

 これについては、延岡高校の場合、今は一応正規授業とは「分離」するよう上から指示は出ているようです(守っていない先生はいるかも知れませんが)。分離はしていても、大方の生徒が受講するなら「受講しない」と言うのは勇気がいるし、仮にその届を出しても、担任の先生から翻意するよう説得されて、結局は受けさせられることになってしまう、という問題があるのです。だから結果として何も変わらないことになる。

 この高校の課外(とくに朝課外)は、去年の冬頃、テレビの「マツコ会議」でも取りあげられて、「そんなのあるの??」とマツコはもとより、他地域の多数の人を驚かせたらしい、という話を前についでに紹介しておきましたが、長く九州全体で広く行われており、それが一向改まる様子がないところから、「九州地方の宿痾(しゅくあ)」と化しているのです。

「宿痾」というのは「長く治らないしつこい病気」のことです。親もそれを経験して「あたりまえ」と思っている人が多いし(九州の外に出てみれば、それは「異常」だったとわかるのですが)、この制度は「塾や予備校の肩代わりをする」という名目で始まったようですが、課外費は徴収されていても、それは安い(在校生全員を顧客にできるのだから、あたりまえの話ですが)ので「助かる」と思っている親御さんはいまだにいるようです。

 むろん、「あんな課外では受験学力はつかず、目指す大学には受からない」と思っている生徒や保護者は多い。いわゆる「意識高い系」の親子はほとんどがそうでしょう。そういう人たちは、仕方なく課外に付き合いながら、塾に行ったり、通信添削を受けたり、スタディサプリの類を活用したり、あれこれ工夫しながら勉強しているわけです。朝課外で寝不足になり、疲れているから、塾に通う場合でも、効果はその分減殺されてしまうのですが。

 教員報酬については、一コマ50分1800円というのは、他の高校も大体似たようなものかなと思いますが、先生たちにとっては悪くない「副業」でしょう。朝早くからボランティアで先生方がやって下さっているのだから、文句を言うと罰が当たる、なんて無邪気に思い込んでいる生徒も少なくないようですが、それは違うわけです。よくある「サービス残業」でそれをやっているわけではなくて、休日に模試の試験監督をする場合でも、給料とは別にちゃんと手当は出ているのです。

 ちなみに、前にも書きましたが、課外の主宰者を名目上PTAに変えたのは、この課外の件は沖縄かどこかで裁判沙汰になったことがあって、学校主宰ではまずい、ということで、変更されたのです。何がまずかったのか? あらためて調べてみると、「教育公務員特例法」という法律の、次の条文に抵触すると恐れたからのようです。

第十七条=教育公務員は、教育に関する他の職を兼ね、又は教育に関する他の事業若しくは事務に従事することが本務の遂行に支障がないと任命権者において認める場合には、給与を受け、又は受けないで、その職を兼ね、又はその事業若しくは事務に従事することができる。

 公務員は原則「兼業禁止」ですが、こういう「例外」が設けられていて、課外はこの「教育に関する他の事業」に相当するが、学校が自分で課外費を集め、主宰者としてやっていたのでは、公立の学校で税金から給料をもらいながら、同時に事業主体として「塾商売」もしていることになって、法令違反になってしまうのです。それでPTAを名目だけでも主宰者に立て、その「要請」に応じて、「それならやってあげましょう」というかたちで実施しているということにすれば、「教育に関する“他の”事業に従事」という体裁になって、「給与を受け」ても「違法」ではないことになる。そういう仕掛けなのです。この場合の「任命権者」というのは県なのでしょうが、そこに届を出しておけば足りる。

 それってインチキじゃありませんか、と言う人が多いでしょうが、たしかにインチキです。しかし、こういうかたちにすれば形式上「合法」にはなるので、「そういうまぎらわしいことを公教育に従事する人間がやっていいのか?」という疑問は当然ありますが、「課外を維持するにはこれしか方法がない」ということで、やっているわけです。

 本来この規定は、学校の優秀な先生が教科書や参考書を執筆したり、講演の依頼を受けて有料でそれを行うなどした場合、印税や講演料を受け取るわけですが、それもできないのでは困る、ということで設けられた規定でしょう。生徒の慢性睡眠不足の原因となる朝課外なんておかしな制度をバックアップするために作られたものでは毛頭ないのですが、それを「悪用」しているわけです。

 ただ、誰も言う人がいないようなので言っておきますが、これはそうしてもなお「法令違反」になっている疑いはあるのです。それは「本務の遂行に支障がないと任命権者において認め(られ)る場合」という但し書きがついているところで、先生たちはそれで多忙になりすぎて、本来教師に不可欠な自己研鑽を怠り、教科学力や指導力を伸ばせず、「本務の遂行に支障」をきたして、低レベルの授業しかできなくなっている可能性があるからです。

 僕はしばらく前にここで、延岡高校の文法プリント、「ベーシック・グラマー」に低レベルの嘘の解説が載せられていることを指摘しました。あれはMS科・普通科共通の教材で、解説の間違い以前に、無駄に量だけ多くて半端でなく退屈なシロモノ(その名に反して文法力自体がつかない)なのが問題なのですが、長くあんなものを使い続けているというのはたんなる教師の怠慢と学力のなさを示すものでしかない、と言えるわけです。すなわち「本務の遂行に支障」が出ているわけです。課外なんて余計な「副業」に励んでいるヒマがあったら、正規授業の中身をもっと工夫しろ、と言われても仕方がないのです。

 もう一つ、そもそもの話、ふつうの公立高校の先生に「塾や予備校の肩代わり」を求めること自体が無理なのです。彼らはその道のプロではありません。教員採用試験はそういうことを採用基準にはしていない。中にとびきり優秀な先生も数は少ないが混じっていて、そういう先生たちなら受験指導もできる、というだけの話なのです。宮崎県の課外制度は、しかし、「塾や予備校の肩代わり」を教師全員に押しつけることになる。そこにも無理があるわけです。

 むろん、塾や予備校にも無能な教師はいますよ。しかし、こちらには自由競争による「淘汰の法則」が働いて、僕は関東で中学生相手の集団塾の校長というのも三十代の頃していたことがあるのですが、生徒たちは無遠慮に「あの先生、わけがわからないから替えて」なんて言ってくるのです。一応本部で「研修」なるものを受けてから配属されることになっていたのですが、それでもそういうのはいるので、仕方がないから生徒と一緒にその講師の授業を受けてみて、あとで改善点をアドバイスしたりするのですが、中にはそれでよくなる者もいるとして、駄目なものはやっぱり駄目で、大方はクビになる以前に自分からやめていく。もしもそんな「わけのわからない」教師をそのまま雇い続けていれば、塾の激戦区ならなおさら、潰れるしかなくなるのです。そういうシビアさがこの業界にはあって、そこが破廉恥罪で逮捕でもされないとクビにはならない親方日の丸の公立学校とは違うのです。

 だから、学校の先生が塾の真似事をしたいのなら、知り合いにでも頼んで学校の外に塾を作ってもらい、そこで雇われている形式にしてやればいいのです。つまり、塾と同じ土俵で勝負すればいい。それなら紛らわしさはなくなるし、生徒の自由・自発性も担保されるでしょう。朝課外に相当する「早朝塾」というのをやればいいのです(怠惰かつ朝寝坊の僕などは、殺されてもそんなものはやりませんが)。眠い目をこすりながらでも、あの先生の授業ならぜひ受けたいと生徒が思えば、そこに行くでしょう。全員がということにはむろんならないから、希望者は激減して、費用も今よりはるかに高くしないと先生に時給1800円も払えませんが、それは仕方がないので、それでも生き残れれば、それは本物です。

 本筋から言えば、それが正しいのです。そして正しいことをやるのが公教育に携わる者の責務なので、生徒たちの多くには「絶不評」の朝課外を正面切っては釈明もできないようなやり方で全員に押しつけ、ずるずるそれを続けるのは姑息というものでしょう。

 僕のところには、ここのコメント欄だけでなく、ブログ経由でメールが届くこともあって、それがまともなものなら、返事はきちんと書いているのですが、他の塾経営者、保護者、生徒たちからのそれはあっても、当の学校の先生たちからのそれは絶無です。学校のホームページの類に反論が出ていた、という話も聞いたことがない。それは生徒たちが全校集会の話し合いのテーマに課外問題をとりあげてほしいと要望しても、ムニャムニャ言って拒絶してきたのと同じでしょう。そこらへん「もり・かけ」問題での安倍政権の対応と似ています。安倍は質問されると逆ギレしたり、説得力に乏しい意味不明の言い訳を並べたり、挙句の果ては全然違う話を持ち出して、国民にそれを早く忘れさせようとしているのですが、こちらの方が歴史が古いので、安倍政権はそれを真似たのかもしれません。つまり、宮崎県の県立高校のこの問題に関する対応は「国政をリード」しているわけで、学校の先生たちは生徒に、「今の安倍政権のやり方はうちの真似をしているのだ!」と自慢できるのです。

 おおっ、と生徒たちから感嘆の声が上がるかどうか、僕の知るかぎり、今の高校生たちはもっとずっとまともなので、安倍政権が支持率を大きく下げたのと同じ結果になるでしょう。いずれにせよ、学校には教育機関にふさわしいもっと正直、誠実な対応を望みたいものです。「いや、うちの子は何でもいいから強制されないと勉強しないので、あの課外は有難いんです」なんて言っている親御さんには、大学受験はそんな甘いものではないし、それでは主体性も何もない頼りないオトナにしかなりませんよ、とだけ言っておきましょう。

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コメント欄の“場外バトル”についての見解

2017.05.23.12:58

 東大五月祭で高橋まつりさんのお母さんを招いてのシンポジウムがあったという東大新聞の記事について書きかけていたのですが、昨日仕事の出がけにメールを見ると、二件入っていて、何なのだろうと思ったら、ブログへのコメントの通知でした。

ホスト:sp49-104-18-204.msf.spmode.ne.jp
********************
どこの塾の方ですか?暇そうですね。
私は延高の卒業生です。
延岡高校の方針に疑問を多く持たれてますが、卒業生がどれだけ延高が楽しかったと卒業後に話してるのか知っていますか?
生徒たちがどれだけ学校を楽しそうにしてるのか知っていますか?
現に高校中退数は圧倒的に少ないです。
生徒、卒業生など不快になるようなものはやめてください。


 もう一つは、

名前:5/22の名無しコメント
タイトル:5/22の名無しコメント
ホスト:KD114020212165.ppp.prin.ne.jp
********************
5/22のコメントで延岡高校卒業生が楽しいとか言ってる奴いますがノスタルジーにふけってるだけです!
課外=加害とmixiやTwitterやFacebookで書き込みしたり課外に反感を持ってる現役生や卒業生が沢山います!
どんどん延岡高校なり星雲や宮崎県内の普通科情報を祝子川通信で書いて下さい!


 投稿時間を見ると、15:07と16:56で、そのあとまた一件入ったようですが、「何だかねえ…」という感じなので、こちらからもリプライしておきましょう。

 ちなみに、僕が「撲滅」を目指しながらまだ果たせていない「朝課外」については、ネットに次のような笑えるサイトができています。

福岡の高校生「朝課外なくしてください」wマツコ会議で話題に!

 要するにこの傍迷惑な制度は延岡、宮崎県だけではないということですが、この中の、

朝課外全国共通化しようぜ 俺らの苦しみ全国民で分かち合おう? 朝課外はいいぞ? 眠いし寒いし頭働かないしおかしくなるぞ? やめられないぞ?

朝課外は九州特有なんすかまじすか、 朝6時半に家を出て帰宅が夜8時だったあの生活…4時間寝たら満足していた私…なんというブラック。笑

 なんてのは爆笑ものですが、上のコメント主に言わせれば、朝課外なんか全然問題ではない(むしろ大変有益?)ので、「生徒たちがどれだけ学校を楽しそうにしてるのか知っていますか?」ということになるのです。前に一人だけ、三年の年明けに朝課外がなくなったら、早起きの癖がついていたので調子が狂ったという生徒がいて、「おまえはアホか!」なんて他の生徒たちに野次られているのを見たことがありますが、寡聞にして僕は「朝課外が素晴らしい」という生徒の話は聞いたことがありません。十何年当地で塾をやっていて、その数はこのコメント主の知っている生徒の数よりはるかに多いと思いますが、「課外はクソ」という意見の方が圧倒的に多かったのです。

「現に高校中退数は圧倒的に少ないです」というのも、「中退数は圧倒的に少ない」のがむしろふつうなので、仮にそれが一割に達する高校があったとすれば、それは完全に異常な学校なので、逆に言うと、中退者が少ないからその学校には問題がないということには少しもならないということです。

「どこの塾の方ですか?暇そうですね」はご挨拶なので、いっぺん僕のところに直接言いに来たら? 無事で帰れるという保証は何もありませんが、そんな度胸ないでしょう? 自分がこういう曲解に基づく愚劣な投稿をして、そっちの方がよほどヒマなのではないかと思いますが、どんなものでしょう?

 以上ですが、こういうのは何かというと「自虐史観だ!」と怒り出し、「日本は素晴らしかった。悪いことなんか先祖は何もしていない」と強弁して過去の歴史を美化してやまないネトウヨと同じ精神構造で、愛校心というものをはき違えているのです。僕は「OB、OGが三人寄れば母校の悪口」というので有名な大学の出身ですが、だからといって愛校心がないわけではないので、そんなに単純で一体どうするの、と訊きたいくらいです。

 先のネットの記事を見てもわかるように、この朝課外というのは「九州限定(たぶん九州でも有名私立はやってないと思いますが)」で、にもかかわらず九州地方の受験生はとくに優秀で難関大合格率が高いとか、そんな事実は一切ないのです。むしろ地盤低下傾向にあるので、意味あるのか、ということです。2ページ目を見ると、「でも朝課外に来る学生もキツかっただろうけど何よりも朝課外をする先生たちもキツかっただろうと思う…お互い良いことあんまり無いような……」というコメントも出てきますが、これも僕が繰り返し指摘してきたことです(註:言い忘れましたが、あれは課外費をしっかり徴収しているので、先生たちは無料奉仕しているわけではありません。その手当てがいくらかは、前にここのコメント欄にどなたか書いておられました)。

 お母さんたちは早起きして弁当を作らねばならないし、生徒は慢性睡眠不足に陥るだけで学習能率はかえって低下する、というのではいいことなしだと僕は言っているのですが、それが違うのと言うのなら、どう違うのか、そこをきっちり説明して反論してもらわないと議論になりません(前に日向から通う生徒についての質問がありましたが、朝課外に間に合わせるために、彼らは特急に乗らねばならず、定期代とは別に、毎日300円、特急自由席券代がかかるのです。「馬鹿馬鹿しい出費」だと、彼らは言っていました)。

 何にせよ、上に紹介したサイトは面白くて笑えるので、ぜひクリックして見て下さい。冒頭のコメント主のような人は別として、「共感しまくり」だと思いますよ。

かくて課外は存続する(2)

2017.04.21.10:45

 一年前に、「かくて課外は存続する~課外の『不受講届』について」という一文をここに載せました。

 それは、延岡高校はこれより先に法律違反の嫌疑を逃れるために課外(費用は別途徴収)の主催者をPTAに移していたのですが、それでも批判があるので全員に強要するのはまずいと、受講したくない生徒にのみ、「不受講届」なるものを出させることにしたという話を巡るものでした。しかし、そのやり方がいかにも姑息(配布が今年も4/10で提出締め切りが4/14と「考える時間」も異常に短い)で、これでは「『不受講届』を出す勇気のある保護者・生徒はほとんどいなかったことでしょう」と書きました。果たしてその通りになったようですが、今年はそれを出す勇気のある生徒がいたそうで、学校にとってそれは「想定外」だったので慌てたらしく、その生徒たちは学年主任の先生か何かに呼び出されて、考え直すよう「説諭」されたという話です(生徒曰く、「出る杭は打たれるんです」)。

「やっぱり…」と聞いて僕は笑ってしまったのですが、それなら初めからそんな通知出すなよと言いたくなります。そういう自覚は当校の先生たちにはないのでしょうが、これは本当は教育の根幹にかかわる重要な問題なのです。今は安倍政権の「忖度(そんたく)政治」が問題になっていますが、生徒たちが将来社会人になったとき、国家権力が憲法違反の自由侵害を行っているという批判を避けるために、国民に何かを一律強制する際、「それに従わない自由」があるという見せかけを作ったとします。しかし、ほんとは全員強制であり、従わない者は「非国民」として処罰されるとか、その反対表明によって著しい不利益を受けるということなら、「従わない自由」は空虚なタテマエでしかありません。人々はそう「忖度」して、自分の“自由意志”で「従う」ことにしたのだと、「従いたくない」本心を偽る。そういう国家を「全体主義」と呼ぶのですが、延岡高校のこういうやり方はそうしたことのいわば“予行演習”になり、全体主義国家の「忠実な臣民」養成に進んで貢献していることになるのです。それが「ふつう」で、異を唱えるのが許されないのは問題でも何でもない(実はここが問題!)のだという「刷り込み」を行っているのと同じになる。

 北朝鮮のような独裁国家ならともかく、民主主義国家においては「自分で考えて、主体的に判断し、行動できる人間になれ」と教えるのがふつうです(少なくとも高校生ともなれば)。それと反対の教育を行って、今は権力の意向が右だから右、今度は左だから左と、それを忖度して迎合するしか能のない人間をつくるのが教育なら、そんなものはない方が百はマシでしょう。そういう教育でできた“善良な”骨なしクラゲの大群は市民社会を破壊する。

 僕の言っていることがわかりますか? 延岡高校では在校生に「大学に合格した先輩方の有難いお話」を聞かせたりもします(文書で配布することもある)。「学校の方針に従っていれば間違いない」「課外と宿題をこなしていれば大丈夫」なんて紋切り型の話ばかり聞かされるのですが、あれも実態はヤラセなのです。「こういうのにまともに付き合っていたら受からないな」と思って自分であれこれ工夫して勉強して、難関大に合格しました、というような生徒にはお呼びがかからない。学校批判を平気でぶちそうな卒業生は具合が悪いからで、二番手三番手の駅弁国立の合格者より、ほんとはそういう生徒の方がずっと有益な話をしてくれるのですが、学校側は「注意深く吟味」して、そういう卒業生には話をさせないのです。これ、「延岡の常識」です。

 延岡高校では今年、現役国公立合格者が全体の七割近くにのぼったと、「過去最高」を自慢しているそうです。去年も「過去最高」だと言っていたので、今年はさらにそれを上回る「好成績」を示したというわけです(PTA会長名義で出された「不受講届について」と題された今年の配布文書にもこのことが取り上げられ、「その発展の大きな下支えとなっている」課外と讃えられている)。

 僕は去年、「近年稀に見る悪さ」だったと書きました。浪人勢がよかったものの、現役勢はとくに難関大の失敗率が顕著だったからです(当然そういう生徒は後期には受かるから、上のデータでは合格者にカウントされる)。今年はそれに輪をかけてひどかった。東大・京大・阪大はゼロ、九大も僅か二人、国立医学部は地域枠推薦の一人だけ、というのはここ十年来なかったほどの悪さなので、同学年の生徒たちは「上がいない」のだと苦笑していましたが、二年連続で“不作”が続いたのです(生徒たちの模試の成績からして、来年再来年は挽回しそうだと見られますが)。

 にもかかわらず、学校は二年連続で「過去最高」を更新したと誇らかに言う。今年の顕著な特徴は、推薦組がむやみと多かったことです。それは実に生徒数全体の三分の一近くに上った。わが零細塾ですら推薦進学が七人もいた(内訳は、国立四人、公立二人、私立指定校推薦一人)ので、こんなに推薦組が多かったことはかつてありません。今の私大は、有名どころでさえ各種推薦やエスカレーター組で入学者の五割前後を占めますが、国公立も推薦枠を拡大していて、その流れに乗ったのです。これが全員一般受験でガチンコ勝負をしていれば、かなり悲惨な結果になっていたことでしょう。「国公立合格が多いって、こういうカラクリだったんですね。私は騙されていました」と、他でもない推薦で中堅国立に合格した生徒の一人が言うので、「君の合格もその“騙し”に利用されるんだよ」と僕は笑ったのですが、推薦でカバーし、一般受験の合格者は下位国立で数を稼いだというのが実情で、どう見ても自慢になるような話ではないのです(これに対して、都会の名門公立高校などの現役進学率が高くないのは、第一志望の受験に失敗すれば、浪人して再チャレンジする生徒が多いからです)。

 柿などに豊作と不作の年があるように、子供にも学年によってそういうのがあるのだと、昔、僕の母親は言っていました。「どうも、おまえの学年は全国的に出来が悪いのではないか?」と真顔で言われた(おまえの出来が悪いのも「不作の一部」だという含意)のですが、たしかに、僕の同級生にロクなのがいないのは、オウムの教祖・麻原彰晃や現首相の安倍晋三が同学年であることからしても正しいように思われます(僕はひそかにそれに責任を感じているので、早くオウム以上に危険で有害な――それが認識できない人が多いのは憂慮すべきことです――安倍政権を倒さねばならないと思っているのですが)。

 何を言いたいのかというと、だから大学進学実績の良し悪しなども、生徒個人の資質にもよるので、いちがいに学校の指導の良し悪しでは決められないということですが、僕の知るかぎり、ああいう課外や過剰管理が生徒の学力の底上げに役立っているという証拠は何もない。むしろそれは自学自習のゆとりと意欲を奪って、伸びる芽をつんでしまっているのではないかという疑念の方が強いので、生徒たちを慢性睡眠不足に陥れる弊害も併せ考慮して、「取柄のない制度」だと繰り返し言っているのです。それなら平常授業の質とレベルを上げることに、学校側は注力すべきだと。

 あとは生徒の好きにさせればいい。勝手に自分で勉強するなり、塾に通うなり、させればいいのです(主体性のあるそういう生徒の方が大学入学後も伸びる)。「地方で塾や予備校がないから、学校がそれを肩代わりする」なんて昔言ってたらしい理屈はすでに崩壊しているのです。「経済的に貧しい家庭の生徒には不平等になる」という論理も成立しない。受験サプリ改めスタディサプリなんて廉価なネット予備校も存在するからで、パソコン一台あれば毎月千円程度の費用でそれが利用できるのです(テキスト代は別途かかるようですが)。

 ほんとのところ、ああいうのは大手スーパーの進出に続き、ネット通販の普及で価格で太刀打ちできない個人商店が潰れてしまったのと同じで、あおりを食って塾もどんどん潰れている(去年の統計によれば、他業種は減っているのに、塾の倒産・廃業だけは増えている)のですが、それは時代の趨勢というものなので仕方がない。「対面授業」のメリットと塾の個性で勝負するしかない。この商売も甘くないのです。ところが公務員教師が集まる学校の課外だけは、その必要性もないのに、実質強制で生徒に選択の余地を与えないわけで、こういうのは職権乱用と同じくそれ自体不正なことです。課外が必要と思うかどうか、アンケートを「学校への忖度は無用」と明言した上でとってごらんなさい。80%以上は「いらない」と答えるでしょう。これまでも生徒集会で何度も課外廃止に対する要望は出されました。それらは学校側から頭ごなし全部無視されて議題から外されたので、教育者としてこういう生徒対応は最悪ではありませんか? おまえらはナチスか、と言いたくなります。違うと言うのなら、それをわかるように説明してみなさい。できないでしょう。

 今のここら辺の公立高校というのは何なのか、と思います。幸いに今回転出しましたが、生徒をいわれなく「放射能」呼ばわりするような人権感覚ゼロの頭の悪すぎる教師(他にも余罪多数あり)がデカい面をしていたり、僕には理解しがたいことばかりです。宮崎県はおそらく、全国でも最も難関大進学者が少ない県の一つでしょう。どうしてそうなってしまうのかという理由の一つに、こうした非効率で理不尽な課外による長時間拘束や、生徒に対する「自由の抑圧」がある。何が不当であるかという感覚もマヒしているのではないかと思われるので、北朝鮮に疎開させられても無理なく適応できる人間を育てるのが目的だというのなら別として、根本から教育というものを考え直した方がいいでしょう。安倍政権には「権力には意向を忖度して文句を言わず、進んで服従する人材をつくる」というので表彰してもらえるかもしれませんが、そういう人材をいくら「輩出」しても、日本社会の明るい未来はつくれないのです。

新学期始まる

2017.04.12.13:55

 10日の高校の入学式は、今年は桜の開花が遅れたせいでちょうど満開の時期にさしかかったようですが、あいにくの雨でした。ともあれ、無事新学期が始まったわけで、新入生たちとその親御さんにはお慶び申し上げます。

 この季節には公立教員の人事異動も行われ、生徒たちはいい先生が転出すると残念がるし、嫌われ者の先生が転出すると「やったー」と大喜びするものですが、延岡高校の場合だと、このブログにも何度か書いた「問題のありすぎる」教師がやっと転出して、僕も生徒たち共々、安堵の胸を撫で下ろしました。定年までそのまま居座るのではないかとなかば諦めていただけに、県教委には感謝です。その差配は絶妙で、左遷の印象を与えないものだったので、ご本人も傷つかなくてすんだでしょう。新赴任地では“イメチェン”して、「生徒の人格無視のパワハラ教師」から「愛される先生」へと変身を遂げていただきたいものです。

 ともあれそれで延岡高校の英語科の主任は交代し、幸いに評判のいい先生がきてくれたようなので、いっとき変化に伴う多少の混乱はあるかも知れませんが、教材の問題も含め、いい方向に変わるだろうと僕は喜んでいます。生徒たちから「またあの先生が…」という訴えを聞かされて腹を立てることもなくなって、心安らかに指導に専念できるようになるでしょう。笑える話ならいくら聞かされてもいいが、心が凍りつくようなのは御免です。

 後は「課外」の問題だけで、朝課外(夕課外は三年のみ、部活引退後に始まる)が廃止されればめでたいが、そこまで期待するのは欲張りすぎというものでしょう。「課外をやめると生徒たちが怠けて大学進学にも悪影響を及ぼす」と思い込んでいる先生はいまだに少なくないようだからです。

 ただ、新一年生や受験生に言っておきたいのは、「それなら早く寝ろ」ということです。11時には寝て、朝は6時起きなら、7時間は確保できるから、慢性寝不足にならずにすむでしょう。睡眠時間には個人差がありますが、大体その程度は必要で、平均睡眠時間が4~5時間では脳のパフォーマンスは著しく落ち、学習効果は上がらない。これは科学的根拠のある話で、集中力も思考力も落ちるから、長時間机に向かっていてもそれに見合った成果が出ないのです。部活がハードで、宿題も多く、朝課外のせいで早起きもしなければならないとなると、十分な睡眠時間が確保できなくなって、一生懸命やっているつもりなのに成果が出ない、これは自分の頭が悪いからではないかと思うかも知れませんが、そうではないのです。慢性的な睡眠不足は色々な病気(身体的なものだけではなく、うつなども含まれる)の原因になりますが、学習能力を大きく低下させるのです。真面目な生徒はそれには気づかず、「こんなに努力してるのに何で…」と悩むのですが、そう思って無理を重ねれば重ねるほど、疲労を蓄積させて学習効果を下げることになりかねない。それは避けねばなりません。

 だから、初めから浪人を覚悟しているのならともかく、現役で、しかも推薦入試の類ではなく一般入試で希望の大学に入りたいという人は、部活も適度なものを選択し、宿題は多すぎるようなら、必要性を自分で判断してときには手抜きをするということも必要でしょう。勉強というのはただあてがわれたものをこなしていれば学力がつくというものではないので、自分の弱点を見つけてその都度それを補強するなど、主体的にやらねばなりません。忙しすぎると与えられた課題を受け身で機械的にこなすだけになってしまって、何がわかって、何がわからないのか、そのへんの自覚もなしにただやりっぱなしになってしまうので、そういうやり方では学力はつかないのです。

 疲れていると、自転車で坂道を上るのさえおっくうになるでしょう。あれと同じで、集中力を発揮して難しいことを考えたりするのは面倒になって、やることが自然なおざりに、機械的になってしまうのです。暗記するにしても、理解して暗記すれば残るものは多くなるが、その「理解する」という部分をすっ飛ばしてしまう。そういうやり方をしていたのでは知力は伸びず、従って学力もつかないのです(他に、学校のお勉強だけではなく、少しは本も読むことです。それが知力に及ぼす影響は、ふつうに思われている以上に大きい)。

 これは慢性的な睡眠不足に陥りがちな生徒たちに共通することなので、そこらへんはくれぐれも注意して下さいね。以上、新学期に際してのかんたんなアドバイスでした。

今日は卒業式

2017.03.01.18:39

 今日3月1日は、全国の多くの高校で卒業式が行われたことでしょう。

 僕も先日、延岡高校の三年生たちから、「先生も来てくださいよ」と言われました。わが子の卒業式にすら出たことがないのに、どういう資格で?ときくと、「来賓で」と言うので、「じゃあ、それで行って、祝辞にかこつけて、『愚かな虐待教育に耐えて、君らはよく頑張りました』って、長々学校への皮肉を並べることにしようか」と言うと、「それがいい!」と爆笑になったのですが、森友学園ではないが、あとで学校のホームページに、「意図的に学校の名誉を傷つけようとした反日左翼の陰謀」云々と書かれるかもしれません。

 それでも延岡高校は、ここ数年は革新的な校長先生のおかげで、無駄な拘束が減り、以前よりずっとマシにはなっていました。しかし、生徒たちに慕われたその先生もこの三月で三年生と一緒に「卒業」だというので、「そのあとは保守反動の校長が来て、再び暗黒時代に戻ってしまうかもね」と僕は冗談を言って生徒たちを脅しているのですが、県教委もそこらへんは考えているだろうから、たぶんその路線を引き継いでくれる人が来るでしょう。

 いつものとおり、今年もネットで有名大の英語の入試問題速報を見ながらあらためて思ったのですが、もっと生徒たちに余裕があれば、こういう話もしとけばよかったなと思うことがたくさんあって、入試の観点から見た場合でも、今の学校教育は(少なくとも当地の学校のそれは)ズレ過ぎているのです。こうした入試英文のおかげで僕は使用教材には困らず、楽しみながらそれを使った授業ができるのですが、現代社会・文明のタイムリーかつ多様な問題がほとんどすべて網羅されていると言っていいくらいで、陳腐・平板なセンター英文と違って、二次英語は内容的にも深みのある、刺激に満ちた話の宝庫です。ステレオタイプ的な思考に異論をさしはさむものも多いから、とくに面白い(小論文でも、僕は見てちょっと驚いたのですが、慶応法の今年のそれは、安保法制の騒ぎの時によく話題になった「立憲主義」の問題でした)。

 しかし、死ぬほど退屈な学校授業の予習と宿題に終われている生徒たちには、そんなものを面白がる余裕はあまりないわけで、余裕が十分あるのは学校の宿題を手早く片付けてしまえる一部のとくに優秀な生徒だけでしょう。そんなつまらないものに時間を潰されるくらいなら、今はネットで無料で見られる面白い英文記事(それがそのまま入試に出ることもある)や英語のドキュメンタリー(日本語字幕の他、英語字幕のものもある)なんかがたくさんあるから、学校をさぼってそういうのを見ていた方がずっと勉強になるし、文法も、僕がかねて「最悪教材」と呼んでいるあの無駄に量だけ多い『ベーシック・グラマー』なんてわけのわからないもの(この前、その間違いも指摘しておきました)につきあわされるより、自分で薄手の問題集でもやってマスターした方がよっぽど時間の節約になるし、効果的なのですが、内申の問題があるから、そうもいかないのです(ついでに言うと、今年の延岡高校は推薦での大学進学者が異様に多く、全体のほぼ三分の一を占めました。塾の方も、どういうわけだかその比率が今年はそれに輪をかけて高かったのですが、感心なことに大方は二月いっぱい、塾の授業につきあってくれました)。

 もう一つ、僕がかねて疑問に思っているのは「何でこんなに今の高校生は英作文が苦手なのか?」という問題です。応用が利かない。毎年、秋ぐらいからはその添削をしているのですが、個人差はむろん大きいとしても、「まあ、これぐらいになれば本番でも六割以上はとれるかな」というところまでもって行くのにはかなりの時間がかかる。延岡高校なんかは、毎回の定期テストの最後に自由英作があるのですが、あれはとにかく字数だけ書いとけば点がもらえるシロモノで、かえってそういう教育が災いしている。文法的に出鱈目でも、論理をなさず、内容がほとんどなくても、点数が与えられるからで、「考えずに書く」悪い癖がついてしまうのです。とにかく学校は「考えずにやる」悪い癖を生徒につけさせる名人です。それが後で生徒にとってはアダになることがどうしてわからないのでしょう?

 今の入試の英作文は、意見作文というのが主流になりつつあります。特定の問題を提示、あるいは参考文や図表など資料を示した上で、その問題についての自分の意見を英語で書かせるのですが、こういうのはそんな問題、あることすら知りませんでしたでは、別に高度なことは書く必要はないとしても、読むに値するものを書けるはずがなく、基本的な理解がないのでまるっきりピントの外れた意味不明文を書いたり、小学生にも劣るような無内容なことを並べる羽目になりかねません。それに加えて、文法ミスのオンパレードで、そもそも英文の体をなしていないということになると、思考力も社会的基礎知識も、学力も全部ありませんと、自己宣伝しているようなものなので、ほとんど零点でしょう。とにかく書くのは書いたから点がもらえるだろうと思うのは、あの定期試験の悪しき条件づけによるので、それならあんなものはなくした方が親切なのです(英文の添削というのは手間ひまが一番かかるもので、分量が多くミスも多いと、「ここをどう直して何を補えばまともな展開の文になるか?」なんて考え出すとキリがなく、一人分手直しするのでも一時間、二時間、平気でかかってしまうことがある。だからそれを全生徒に直接やるのはほぼ不可能でしょう)。

 今の企業は就職面接の際、「社会人基礎力」というのを見ようとするのだそうですが、大学入試でもそのあたりは同じで、ろくすっぽその意味を考えもせず、教科書知識の機械的丸暗記だけしてきたような受験生はほしくないわけです。それを材料に考える力があって初めて、知識は意味をなす。ところが、物量作戦で量だけ多く押しつけられると、その「考える力」が犠牲になるのです。その結果、学力も伸びず、入試でもはかばかしい点が取れないことになる。英作文は俗に英借文と言われるように、お手本になるような英文を一定数、その構造を理解しながら頭に入れて、それらを応用して英文を作ってみるというプロセスを経て進歩するものなのですが、基本的にこういうのは自分で意識してやっていないと駄目なものです(だから学校で例文暗記テストを繰り返せばいいという問題ではなく、自律的な姿勢の問題)。また、英文を一定量以上読めば、感覚として“文の据わり”のよしあしもわかってくるのですが、こうしたことにはすべてそれ相応の時間がかかり、精神的・時間的な余裕も必要になる。忙しいからと雑なことばかりやっていたのでは、学力は向上しないが、今の学校というところは生徒にそういうふうに仕向けているのです。問題はそこにある。

 一日は誰でも24時間で、限られているのだから、生徒たちに「考えたり、自分で調べたりするゆとり」をもたせるには無駄なものは極力省いて、時間の拘束も減らし、自分の時間を多く与える必要がある。塾のある生徒が学校で先生に、「どうして課外は必要なんですか?」ときくと、その先生は「課外がないと、おまえら勉強しないだろう」と答えたそうです。僕はそれこそ「自己責任」だと思うので、管理強制して、それに受け身で従っていたところで、どうせ高い学力なんか身につくわけはないのです。上に見たとおり、多忙に紛れてやることが雑になり、考えることをしなくなるだけ。そうなるといくら学校が鞭を振るっても、成績は頭打ちになり、やがて下降線を辿るのです。学校が平常授業でできるだけ質の高い授業を提供すべく努め、その上で生徒にゆとりを与えて自学自習を促すなら、結果はその反対の望ましいものになるでしょう。その方向への改革が続くことを僕は願っています。

 それでは、卒業生諸君、これまでご苦労様。大学に入ったら自由度が一気に増すので、それを善用し、よく学び、よく遊べを実践して、将来有為の人材となって下さい。国立の結果はまだ出ていませんが、残念ながら浪人となった人は、心機一転、勉強の仕方も変えて、もう一頑張りです。
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