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福島原発事故から九年、それでもまだ原発を続ける国の異様さ

2020.03.11(18:38) 696

 ネットのニュースサイトを見ていると、相変わらずコロナウイルス関係の記事ばかり目立ちます(株2万円割れをとやかく言うのもちらほら)が、今日は3月11日で、あの東北大震災、福島第一原発事故の日です。もちろん、あの事故は収束からはほど遠いので、あれだけ悲惨な事故が起きて、それでもまだ原発をやめず、経産省あたりは新規原発建設まで目論んでいるという話なので、「喉元過ぎれば…」で、とうの昔に“原子力ムラ”は息を吹き返しているようだし、この国のエスタブリッシュメントというのはほんとにこわいなと思います。言葉の真の意味での「責任感」といったものは、彼らにはないのでしょう。自分たちの権力と利権の防衛がすべてです。外国と違って、その闇を描く映画やドラマも製作されない。そういうのは社会の健全さを示すバロメーターの一つになると思うのですが。

 僕は気になるニュースは「お気に入りバー」(名称が問題ですが)というのに登録しておいて、そのうち3分の1ぐらいはここの記事を書くとき使って、使ったら削除するというふうにしている(残り3分の2の半分ぐらいは消し忘れて残ってしまうので、増えて困る)のですが、次の記事は先日9日のものです。

福島第一原発の汚染処理水の海洋放出の知られざるリスク「サンデーモーニング」が指摘した“不都合な真実”

 これ、大問題ですよ。「処理後も基準の100倍以上というものもあり、全体で7割が規制基準を超えていることがわかった」のみならず、東電は「(生物への影響も小さい)トリチウム以外の放射性物質は除去できる」と言っていたが、「(汚染処理水に)トリチウム以外の物質が含まれていることが明らかになった」というのだから、またいつもの嘘が繰り返されていたわけです。

 しばらく前に韓国の政治家と団体が虚偽の「放射能汚染マップ」を作って、日本非難に悪用している、といったニュースがありましたが、韓国の「反日無罪」だから日本攻撃の嘘は何でも許されるといった異常な体質はいい加減にしてもらわないと困るが、こういうのはそれとは違うわけで、こういうことをやっていたのでは、「おまえら、嘘言うな」ときっぱり物申すこともできなくなるわけです。それでなくても溜まり続ける汚染水をどうするのかについては世界の注目が集まっているのに、東電の虚偽体質は全く変わっていない。

 こういうのは、元をただせば、あの「原発安全神話」に遡り、最初に嘘をつくと、居直りを交えつつ、嘘の上塗りを重ねるしかなくなるという、嘘つき特有の病理によって説明できるのですが、その元々の大嘘は完全に破綻したのだから、正直路線に切り替わっても不思議でないはずが、そうはならずに、まだ「組織防衛」にしがみついているのです。

 日本の裁判所は、昔からそうなのですが、国策がらみになると組織犯罪には非常に甘い。次の記事は今日出たものです。

原発事故9年、吉田所長の宿命と旧経営陣の無罪

福島第一原発の事故をめぐっては、2度の検察審査会を経て、当時の勝俣恒久会長、武黒一郎副社長、武藤栄副社長の3人が安全対策を怠った業務上過失致死傷の罪で強制起訴されている」が、「2019年9月19日に東京地裁で無罪判決が言い渡された」のです。

 この判決については、次のNHKのサイトに詳しい記事が出ています。下の方に「判決文の概要」が出ているので、そこをクリックしてご覧ください。

詳報 東電刑事裁判

 論点の中心は、法律学のいわゆる「予見可能性の法理」に基づいて処罰できるかどうか、だったのですが、

 以上のとおり、本件発電所に10m盤を超える津波が襲来する可能性について被告人ら3名がそれぞれ認識していた事情は当時の知見を踏まえ、上記津波の襲来を合理的に予測させる程度に信頼性、具体性のある根拠を伴うものであったとは認められない。

 したがって、被告人ら3名において、本件発電所の運転停止措置を講じるべき結果回避義務を課すに相応しい予見可能性があったと認めることはできない。

 指定弁護士は、被告人らが、一定の情報収集義務を尽くしていれば、10m盤を超える津波の襲来は予見可能であった旨主張するけれども、被告人らが更なる情報の収集又は補充を行っていたとしても、上記津波が襲来する可能性につき、信頼性、具体性のある根拠があるとの認識を有するに至るような情報を得ることができたとは認められない。


 ということで、無罪となったのです。しかし、上の記事では、「東電社内では福島第一原発の敷地内に15メートルの津波が到来するという具体的な予測データがあった」(事故の3年も前に)のであり、「この予測数値を当時の経営陣にあげていたのが吉田所長」だったとしているのです。しかし、防護策にカネがかかりすぎるとか、面倒だということで、結局それは握り潰されてしまった。吉田にしても、一応上には何度か言ってみたということで、「自らが抱いた危機感を経営陣に丸投げすると同時に、責任を転嫁しようとしたともいえる」わけですが、もしも彼が存命なら、割と正直率直な人柄だったので、自身の責任を回避することなく、そのときの詳しいやりとりを法廷で証言して、そうなれば判決も変わっていたのではないかというのが、この記事の趣旨でしょう。

 この記事のとおりなら、上の判決理由は間違いであり、「予見可能性」は十分あったことになって、ほんとは有罪なわけです。それは韓国式の国民感情に影響されての「情緒判決」の類とは全く違うので、それこそが客観性のある「正しい判決」だったということになる。上の引用文より少し前には、

 被告人ら3名は、条件設定次第では10m盤を超える津波が襲来するとの数値解析結果が出る、もしくはそのような津波襲来の可能性を指摘する意見があるということは認識しており、10m盤を超える津波の襲来を予見する可能性がおよそなかったとはいい難い。

 しかしながら、一連の事実経過を踏まえて考えても、被告人ら3名はいずれも平成23年3月初旬までの時点においては、本件発電所に10m盤を超える津波が襲来する可能性について、信頼性、具体性のある根拠を持っているとの認識がなかったとみざるを得ない。


 という曖昧な文言があって、「どっちなんだよ」と言いたくなりますが、吉田所長が出廷して、「自分はその危険性をずっと前に認識していたし、重く見たからこそ上に報告した」と証言していれば、裁判官も、彼ら経営幹部が「信頼性、具体性のある根拠を持っているとの認識がなかった」と認定することは、たとえそうしたくても難しかったでしょう。

 それにしても、これは甘い判決です。高い地位にある人間には、それだけ重い責任が課せられる、というのが近代民主国家の大前提ですが、日本的権威主義の下では、そこまで罪が及ばないように、もっと下の段階で「泥をかぶる」のが美徳みたいになっています。これは、「偉い人」が執行猶予なしの懲役判決など受けると、その権威が損なわれて、モラル・ハザードが起き、青少年教育に悪影響を及ぼす、なんて無意識に思い込んでいるからなのかもしれません。それと、裁判官としても、自分たちも結局は「原発安全神話」に加担していたのだから、それは棚に上げて、彼らだけ非難するのは人間としてどうか、なんて個人的な“道徳感情”も作用していたのかもしれません。

 むろん、それは無意識のことですが、日本人にはそういうところがある。これは韓国人とは正反対で、韓国の場合、歴代大統領のあの悲惨な末路を見てもわかるように、自分たちがやんやの喝采で大統領に押し上げていても、それが権力を失うと、安易に「新たな正義」を振りかざす側に自己同一化して、「水に落ちた犬」を叩くのに躊躇がないのです。それは自分が裏切られただけなので、自己の“善性”を証明するためにもなおさらそうしなければならないと思うからで、「悪は他者にあって自分にはない」と思いたがる性格がとくに強いからなのでしょう。日本人にもそういう幼稚な人はかなりいて、最近はそれが増えている気もしますが、国民性としては、「お互いさまというところがあるのだから、あんまり他者を悪く言うのはよくない」として、攻撃を抑制する性質が強い。

 これは、それ自体としては日本人の美点でしょうが、そのためきっちりけじめをつけるべきところでも甘くなりすぎて、上に見た妙な権威主義と結びつくと、高位権力者に対してはとくに及び腰になってしまって、権力の腐敗や弛緩を助長してしまい、かえってモラル・ハザードの原因を作りやすいと言えるかもしれません。とにかく、上の判決ではそれで「予見可能性」の見立てが甘くなって、それを予防するのを怠った「不作為責任」の認定が回避されたわけです。こういうのは、西洋先進諸国ではまず考えられないことでしょう。そういういい加減なことをしていたのでは、社会システムに対する信頼感が決定的に損なわれると、裁判官ならなおさら、それを危惧するはずだからです。

 あの原発事故のとき、今後の原発政策をどうするか、国民投票にかけるべきだという意見がかなり強くあったにもかかわらず、「原発廃止」が多数になるのを恐れて、自民に移った政府はそれをやろうとしませんでした。地震多発国の日本に原発を建てるということ自体、自殺行為に近いのだとわかったし、たとえ事故が起きなくても10万年も隔離しておかないといけない高レベル放射性廃棄物の処理場がどこにもないということにも、国民はあらためて気づかされた。プルサーマル計画とやらはとっくに破綻していて、もんじゅはカネ食い虫になっているだけ(言い繕うことができず、16年末ついに廃炉が決定)だし、ウランは百年ももたずに枯渇する。原発は電力単価を安くするなんてのも、実は嘘っぱちだったとわかったのです(あの福島原発事故のいつ終わるとも知れない膨大な後始末費も結局国民負担になる)。人的被害があの程度で済んだのは奇蹟みたいなものでしたが、周囲は人の住めないゴーストタウンになってしまったのです。次の大地震でまたどこかの原発がやられてメルトダウンしたら、日本はほとんど終わりでしょう。

 これまでの原発政策の誤りに気づいて「脱原発」に明確に方向転換した小泉元首相のような人もいますが、彼の言うとおり、オルタナティブ電源の開発に資金と技術力を傾注すれば、日本人の能力からして大きな成果が期待できるので、将来その技術を海外に売ることもできるし、経済的にも大きな見返りがある。なのに、元に戻って、新規に原発をまた建てたり、海外にそれを売ろうなんて、アホなことを考えるとはどういうことなのか。

 子供の教育を考えても、悪影響しかない。それは彼らを大きな危険にさらすだけでなく、日本というのはそういう国で、根本的なところは何も変えられないのだから、それにいくら問題があっても、逆らうのは無駄で、既存の権力構造やシステムの中でうまい汁が吸える立場になるよう、世渡りをうまくやるしかないのだと教えているのと同じだからです。そういう「後ろ向きの適応」しかできないのでは、労働生産性が先進国最低になってしまうのもわかるので、新しいアイディアややる気なんて、出てくる道理がないでしょう。老人ばかり増えて、生産・労働人口が減り、医療費と社会保障費の高騰の中で、何とかしのぐには生産性を上げるしかないのに、新陳代謝が止まってしまった産業界の中では、非正規を増やして人件費を抑えるだけで、旧態依然たる仕事を漫然と続ける。格差が拡大して、貧乏人が増えるばかりだから、購買力は落ちる一方で、モノもサービスも売れないから、余計に苦しくなるのです。

 今回の新型コロナウイルス騒動はそれにさらに拍車をかけているのですが、大本がそれなのです。悲惨な原発事故が起きても、ああいう大地震はめったにないだろうから、しばらくは大丈夫だろう(大地震は必ず来ると地震学者たちが言っているにもかかわらず)というので、そのままの路線で行きましょうということになる。温暖化が進んで、この先大変なことになるでしょうが、そういうことに対しても、日本人の危機感は他国よりずっと乏しいようです。環境大臣の進次郎が国連の気候サミットで語った言葉、「気候変動のような大きな規模の問題に取り組むことは、楽しく、クールで、セクシーに違いない」なども、「具体性ゼロで、意味不明」と批判されましたが、何を言っていいかわからないから、受け狙いであんなつまらないことを言ったのでしょうが、日本の面積の半分が消えたオーストラリアの山火事にしても、アマゾン密林の危機にしても、極地の氷山の溶解にしても、アフリカの大旱魃(プラス僅かな農地へのバッタの大襲来)にしても、現実に起きていることと比していかにもノーテンキな軽い印象を与えたので、目の前のそういう現実に悩まされている人たちのところに行って、「いやあ、こういう問題に取り組むのは、楽しく、クールで、セクシーですね」と言えば、その場で張り倒されるでしょう。しかし、その深刻な影響はいずれ日本にもやって来る。挑戦は受けて立つというような「進取の気象」がかつてないほど乏しくなっているところに、です。

 いくらか強引だと言われるかもしれませんが、福島原発事故のようなすさまじいことがあっても、しばらくたつとまるでそんなことは何もなかったかのようになってしまうこと、責任をとった人間は誰もおらず(あの大嘘こいた原子力ムラの東大教授なんかも、クビにもならず、そのままでしょう)、教訓が全く教訓にならず、ナアナアで済ませてすぐ元に戻ってしまう今の日本社会のありようが、日本人の道徳的退廃を助長し、困難に進んで立ち向かおうとする活力を奪っているのではないかということです。

 思い起こせば、中止の可能性が高まっているあの東京オリンピックにしてからが、誘致運動のとき、「今、そんなことやっている場合か。震災地の復興にもっと力を入れろ」と反対する意見が多かったのです。安倍はIOCで、全然まだその気配がなかったのに「アンダー・コントロール」と澄まして言い、進次郎の新妻、滝川クリステルは「お・も・て・なし」とやったわけで、今思えば奇妙な因縁に思われます。にしても、この異様とも言える「空気のぬるさ」はどこから来ているのでしょうか? どなたか分析して下さい。


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祝子川通信 Hourigawa Tsushin


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それでも原発をやめない理由

2016.11.07(16:32) 416

 昨夜、半月ぶりにテレビを見ました。次の番組です。

NHKスペシャル 廃炉への道 膨らむコスト~誰がどう負担していくか

 ご覧になっていない方は、11月12日(土) 午前0時10分から再放送とあるので、そちらを見ていただくといいと思いますが、大体そんなものだろうとは思っていたものの、あらためてそのひどさには溜息が出ました。ろくに報道もされないまま、安倍政権下で東電の「免責」と天文学的な数字の各種後始末費用(合計13兆なんて数字が出ていましたが、それは最低で、今後もっと増えるのです)の国民負担強化が着々と進んでいるわけで、それでもなお原発再稼働は進めるということなのだから、政策というものは安倍政権がよく使う「国民の安全」だの、経済的合理性だのとは無関係に、強大なシステムがいったんできたら、それを解体することはできず、自動運動のようにして、既成システムの存続論理に基づいて決定される、ということでしかないのだろうということがわかります。

 そういうやり方はモラルハザードをひき起こすだの、合理性は全くないだのと言っても無駄です。不都合なことは全部棚上げして、「脱原発なんて言っても、日本中の原発を全部廃炉にしたら、どれほどの費用がかかるかわかってるんですか?」などと別のことを言いかねない(それでも、全部合わせても福島原発事故一つの後始末よりずっと安く上がるはずなのですが)。具合の悪い既成事実は、先に作ってしまった方が勝ちなのです。

 前にも何度か書きましたが、原発の皮肉な「取柄」は、そのおかげでわが国が「戦争のできない国」になってしまったことです。核ミサイルではなく、ただのミサイル(それは相応の破壊力をもつものであることは必要ですが)を原発めがけて打ち込めば足りる。北朝鮮でも中国でもいいが、二発ほど命中させれば、それでジ・エンドになるので、日本は阿鼻叫喚の地獄の中、滅亡することになるのです(ミサイルなど使わずとも、工作員を送り込んで稼働中の原発を機能不全に追い込み、人為的に事故を誘発する方がかんたんだという説もありますが)。

 いや、だから防衛力を強化して、早く自衛隊を軍に昇格させて、アメリカにも媚びを売って、おたくがやらかす戦争には協力して兵を出しますから(イラク戦争の際もわが国は真っ先に支持を表明して、戦闘員としてではないが、自衛隊を送りましたぞ!)、万が一攻撃された時はよろしくお願いします、ということにしておかないといけないのだと言うのですが、「ミサイル迎撃システム」なんてものも実際は絵に描いた餅でしかないようだから、全体にナンセンスに近い(大金をかければそれが百発百中になるというような迷信話を僕は信じません)。それ以前にまた大地震が起きて、せっかく再稼働した原発が「想定外の事態」でまたぞろメルトダウンし、他国からの攻撃を待たずして国家崩壊に至る危険もなきにしもあらず、ですが。

 危機管理というものは、最悪の事態を想定して、そこから作り上げるものですが、原発に関しては、この「最悪事態の想定」というものが無間地獄の様相を呈するので、初めからこんなものは作るべきでないという結論にならざるを得ず、それはそのまま原発否定につながるというので、見積もりはつねに甘いものになるのです。福島第一原発の事故が証明したのはまさにそのことだったのですが、わが国の政府とエスタブリッシュメントはそこから何も学ばなかった。「未曽有の」「想定外の」天変地異はめったに起こるものではないから、そんなことは忘れることにしようというので、例の「国土強靭化計画」なるものでも、原発事故の想定は外されているのです。何でも、それは「計算不能」だからだという。ほとんどマンガみたいな話ですが、運頼みの希望的観測にすがるのはオカルトまがいの成功本の読者だけではなく、政府そのものがそうなのです。靖国神社だの伊勢神宮だのに行って、安倍総理は何を「お祈り」しているのでしょうか? 私の首相在任中は大地震が起きませんようにとか、北朝鮮のミサイルが“間違って”本土かその近くに着弾し(但し、原発の近隣は除く!)、憲法改正に弾みがつきますようにとか、その類でなければ幸いです。

 憲法改正より先に、まず原発問題で国民投票を行うべきでしょう。既成事実に弱い日本人の習性(それが「オトナの現実主義」だと妙な自慢をする人もいる)からして、存続派も一定数いるでしょうが、7割方は原発廃止に投票するだろうと僕は見ています。それがわかっているからそんなことはしないのだというのが見え見えですが、役立たずのアベノミクスなどより、脱原発技術投資の方が長い目で見て経済活性化にもずっと貢献するでしょう。ナショナル・セキュリティ、国家安全保障の見地からも、その方が有効なのです。


祝子川通信 Hourigawa Tsushin


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原発再稼働は次の原発事故まで続く

2016.09.05(16:45) 405

 だろうな…と、次の朝日新聞電子版の記事を見てあらためて思いました。

九電、川内原発停止要請に応じず 三反園知事「遺憾」

 ポイントは、「経営安定に原発が欠かせない九電は、知事に原発を停止させる法的な権限がないほか、応じれば全国の他の原発の稼働にも影響を与えかねない、などとも考慮し、停止要請を拒む方針を固めていた」というところでしょう。

「経営安定に原発が欠かせない」というのは、長年かけてそういうシステムを作ってしまったからで、たとえていえば、オモテとウラの顔をもつある企業家ファミリーがいて、オモテの顔はカタギだが、裏稼業は泥棒マフィアで、そのウラをやめると経営が成り立たなくなる、というようなものです。泥棒のたとえはよろしくないと言われるかもしれませんが、国策として続けられてきた原発には多額の税金が投入されています。原発の建設と維持(立地自治体への補助金バラマキも含めて)、さらには廃炉にかかる費用を全額電気代に転嫁して回収しているわけではない。そうなると原発が割高なのは明白になってしまうからで、そのあたりは各種の名目で税金が使われるので、その点では税金を「泥棒」しているのと同じです。

 こういうのは何も電力業界にかぎらない。自動車産業などでも、その普及・販促に必要な道路整備は国と自治体の税金で賄われる。その費用をメーカーが負担しているわけではないから、車の値段はそれを含んだものではないのです。大企業が多額の政治献金するのはそういう見返りがあるからで、ゼネコンの場合などは公共事業目当てだからそのあたり露骨でわかりやすいが、中には関係が見えにくいものもある。

 原発の場合はとくに、事故が起きると悲惨なことになるので、この前の福島原発の事故の場合、あれでもまだ運がよかった方で、「東日本壊滅」も十分ありえたと言われています。いくつもの幸運な「偶然」が重なってあの程度ですんだという話ですが、それでも「収束」とはほど遠く、損害賠償額も天文学的な規模に達するので、ふつうの対応をすれば、東電はとうの昔に潰れているはずです。それがそうならないのは、「ふつう」でないインチキが行われているからで、マスコミはその「インチキの詳細」を暴いて、「こういうふうになっているんですが、こういうことが許されていいのでしょうか?」という問いかけを国民に行うべきでしょう。2020年の東京オリンピック誘致運動の際、われらが安倍総理は「アンダー・コントロール」と力強くお叫びになり、見事誘致に成功したわけですが、「そんなことやってる場合か!」という声は当時根強くあったはずが、最近はそんな声もほとんど聞かれず、五輪関係の土木事業のせいで、資材の値上がりと人手不足が起き、被災地の復興が思うように進まないという批判も片隅に追いやられ、オリンピックの主催国になることは「子供や若者に夢を与える」みたいなアホダラ経ばかりが幅を利かせているのです。

 話を戻して、長期間原発が全面停止し、にもかかわらず電力供給には支障がなかったことから、あんなものは「なくてすむ」ことが明らかになりました。いや、そのせいで火力発電に頼り過ぎたから、原油輸入が増えて電力会社は赤字に苦しむことになったのだ、と言われるかもしれません。しかし、その火力発電も、今は発電効率を飛躍的に向上させる技術が開発されているのだという話で、同じ税金を使うなら、新型火力発電所の建設など、そちらに使えばいいのではないかと思うのですが、そうすると原発維持派には都合が悪いものだから、それはしないのです。これに太陽熱、風力、地熱、潮力発電など、うまくミックスし、従来からある水力発電も活用すれば、何も問題はなくなるはずです。日本人の「世界に冠たる技術力」をそちらの方面に投入すれば、経済活性化にもつながる。税金も正しく使われれば、誰も文句は言わないのです。あの「夢のプルサーマル計画」なんて、途方もない額の税金を投入して、成果はゼロに等しいわけでしょう? 迷夢もいいとこです。

 むろん、そうして脱原発に舵を切ったところで、すでにして大量に蓄積され、どこにも行き場のない「高レベル放射性廃棄物」の問題はそのまま残ります。が、原発再稼働はそれをさらに増やすわけで、増やし続けてそれをどう始末するのか、何も考えていないらしいのは驚くべきことです。

 僕に何より不可解なのは、今は地震の活動期に入っていて、今後大地震が起こる確率は高まるばかりで、従って事故の発生確率も高まると見込まれますが、それがわかっていて原発再稼働は「経済的利益にかなう」なんて、どうして言えるのかということです。安倍は「わが国の国民の安全を守る」なんて馬鹿のひとつ覚えみたいに言ってますが、原発の存在はそれを直接脅かしているのです。福島原発事故はその警告でした。それを警告と受け取らず、再稼働を続けてまた悲惨な事故が起きれば、自業自得だと言われても仕方がないでしょう。そういう愚かな人間は、神ですら見捨てる他ないのです。

 上の朝日の記事に、「九電は避難計画見直しへの支援や、情報発信の強化などには応じる姿勢だ」と書かれていますが、福島の原発事故の教訓の一つは、「避難計画」がどうのという以前に、事故が起きてメルトダウンにつながるような事態になってしまうと、もう終わりだ、ということです。それはむしろ枝葉の問題に属する。それによる直接の死者は少なくてすんでも、原発事故は長期的かつ深刻な、責任の取りようがない問題を惹き起こすからです。

 原発事故の恐ろしさはそこにあって、「人的被害を最小限に食い止めればいい」というような話ではない。それがわからない、あるいは、わかってもそのことには頬かむりするという安易さ・鈍感さ、なあに、大地震だの津波だの、そんなものはめったやたらと起こるものではないさ、起きたらアウトだけど、それはまたそのとき言い繕えばいい、的な感性が、原発それ自体と同じくらい危険なものであることを、どうして認識しないのでしょう? 「原発マフィア」という言葉がありますが、ほんとに連中はマフィアです。国家権力とマスメディアは永遠にその使い走りを続けるつもりなのでしょうか?


祝子川通信 Hourigawa Tsushin


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福島第一原発に新たな危機?

2015.05.01(00:52) 315

 僕はこれをさっきYahooのニュースサイトを見て初めて知ったのですが、大騒ぎになってしかるべきが、そんな様子がないのはガセネタだからなのでしょうか?

 記事を一読した印象では、どうもそんなふうには見えないのですが、僕同様、ご存じなかったという方はぜひご覧ください。こんなところで「情報統制」したり、マスコミが報道を「自粛」したりしているのだとすれば、愚民政策もきわまれりで、この国はもう終わっているでしょう(数値の急上昇が記録された後、「福島県は、すぐに40ヵ所ものモニターを“機器調整中”とし測定を止め」たというのも、ほんとだとすれば信じられない対応です)。「お気に入り」に登録している小出裕章さんに関するサイト(「小出裕章・非公式まとめ」)を見ても、これに関するコメントは何も見当たりませんでした。

 記事は順に、4月27日、28日のものです。

周辺地域で線量が1000倍に急上昇! “フクイチ”で何かが起きている!?

“フクイチ”で新たな恐怖! 海外の研究者や政府関係者が不安視、苛立つ最悪の「地底臨界」危機進行中?



祝子川通信 Hourigawa Tsushin


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原発避難民 賠償金という名の麻薬

2014.08.03(02:30) 272

 これは先週の『週刊新潮』(7月31日号)の特集記事についての話なのですが、僕はその記事を見て驚いた者の一人なので、一週遅れながら書いておきます。こういう話、マスコミなんかにはほとんど出てきませんよね? 僕が知らなかっただけなのでしょうか?

 ネットで検索してみると、この種の話は大量に出てくるので、僕が無知なだけだったのかもしれません。その新潮記事に関連するのが、Youtubeのこれ(←クリック)です。おかしな中傷ではないので、見ても大丈夫です。

 原発避難民の場合、たとえば4人家族なら、赤ん坊からお年寄りまで、全員一律に10万(体育館などの集団避難所の場合は12万)ずつ、毎月「精神的損害賠償」金が支払われていて、それだけで毎月40万円になるという話です。これに加えて、「就労不能損害賠償」というのもあって、「震災前の収入は自己申告すると全額補償」ということになるので、仮にそれ以前の月収が夫が30万、妻が10万なら、合わせて80万になる。

 むろん、自宅や田畑などの賠償金はこれらとは別なので、新潮の記事に出てくる「楢葉町から避難してきた60代の男性」の場合、そちらの賠償金は約2000万だったとか。この人は、「夫婦と息子の家族を合わせて7人」で「借り上げ住宅に避難」したそうですが、精神的損害賠償金だけで70万、「一時は月収が200万近くにな」ったとか。

「なおかつ、家賃は無料、医療費は免除され、所得税や地方税も支払う必要はない」(この最後のは住民票を移さなければ、ということのようで、実際移さない人が多いようですが)

 それで避難先の土地住民と軋轢が起きている、というのですが、それは起きるでしょうね。税金も医療費もタダで、必死に働いて税金を納めている人たちより、何もしなくても数倍は収入があって、ということなのですから。

 避難民の多い福島県いわき市では、そんな“避難民効果”で宝飾店の売り上げが伸び、高級外車も飛ぶように売れるようになり、彼らが買うことから、不動産まで大幅値上がりして、地元のサラリーマンなどには手が出せなくなっているとのこと。当然ながら水商売も繁盛し、キャバクラ嬢が言うには、「豪勢なおカネの使い方をするのは、だいたい避難民です」ということになるのです。パチンコ屋も大盛況で、「ここら辺の大型パチンコ店の売り上げは、どこも全国トップ10にランク入りするほど」なのだという。

 うーむ。賠償が必要なのは当然ですが、何か腑に落ちない。僕なんかは、東電が払う賠償金なんて微々たるもので、自分の家も仕事も奪われて、貯金を取り崩しながら明日も見えない絶望と闘いながら日々を懸命に生きている、というのが避難民のイメージだったので、正直、唖然とさせられました。原発関係の交付金でおかしくされていたのは、事故後も同じだったのです。

 これはむろん、東電から「原発避難民」と認定された人たちにかぎっての話なのでしょうが、そこらへんの報道がほとんどなされないのは、ほんとにおかしな話です。同じ震災の被災者でも、原発と直接関係がなければ事情は全く異なるはずで、苦境と必死に戦っている人は実際にたくさんいるでしょう。どういう立場の人はどういう補償を受け、という具体的な話をなぜ大手メディアは報じないのでしょう? そしたら、「ここらあたりはバランスが悪すぎる」ということで、被災者間のおかしな「格差」の是正にもつながるだろうと思うのですが。

 避難先のいわき市の地元民も、最初は避難民に同情したようですが、こういう実態を知るにつれ、「同情して損した」と思うようになったようですが、それは無理からぬことです(ある年配の避難民女性は、スーパーのレジ待ちの列に割り込んで店員に注意されると、「私は被災者よ! なぜ優しくできないの!」と逆ギレしたそうですが、そんな勘違いオバハンまでいるとなると、なおさらでしょう。こういうのは単純に頭が悪いだけ、という見方もできなくはありませんが…)。

 新潮の記事はこう結んでいます。

【東京電力の原発避難民への補償金は、原子力損害賠償支援機構からの交付金によって賄われている。いずれ、原発をもたない沖縄電力以外の全国の電力会社で返済しなくてはならず、その分が電気料金に転嫁されることは自明だろう。
 惜しげもなくジャブジャブと注ぎ込まれる補償金のツケは、国民全体に回ってくるのだ。】

 仮に回ってきても、それが理にかなった有意義なものなら仕方がありませんが、こういうおカネの使い方は人をスポイルするだけです。かえって自主的な生活再建への意欲を削いでしまう。

 ネットを見ていたら、「『30km圏利権』という罠」というタイトルで、次のように書かれているブログがありました。

【先日、某新聞社記者から電話があって、「川内村がいち早く帰村宣言をしたが、今の気持ちと村の現状を聞かせてほしい」という。
 逆にその記者に、「本当のことを書けるのですか?」と訊いた。
 テレビでは「除染が完全に済んでいないのに帰れない」といったことを言う「避難者」が映し出される。それを見て視聴者は「汚染された村に帰れだなんて、村長は人殺しか」などというトンチンカンなコメントをネットに書き散らす。
 全然違う。
 放射能汚染はもはや関係ない。最初から、村の中心部の汚染は避難先の郡山市などより低いということをここでも何度も書いている。
 帰れないのは、帰ると補償金がもらえなくなるから。
 非常にシンプル、かつ切実な理由からだ。】

 詳しくはこちら(←クリック)を見ていただきたいのですが、要は「一人当たり10万」の先の賠償金のことなのです。

 同じ被災者でも待遇に差がありすぎるようなので、国会でもそのあたりはきちんと突っ込んだ議論がなされるべきでしょう。マスコミも「被災者の苦しみに寄り添う」みたいな偽善的なお涙頂戴の報道ばかりせずに、こういう暗部はちゃんと伝えるべきです。それをしないと、こういう話はネットで拡散しているようなので、福島だというだけでロクな補償も受けていない人たちを一緒くたに扱って、二重に傷つけることにもなるでしょう。

 それにしても、原発というのはどこまでも罪つくりな存在だなと、あらためて思います。

祝子川通信 Hourigawa Tsushin


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原発関連
  1. 福島原発事故から九年、それでもまだ原発を続ける国の異様さ(03/11)
  2. それでも原発をやめない理由(11/07)
  3. 原発再稼働は次の原発事故まで続く(09/05)
  4. 福島第一原発に新たな危機?(05/01)
  5. 原発避難民 賠償金という名の麻薬(08/03)
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