・菅首相 「最大限の警戒状況」“静かなマスク会食”呼びかけ
「おかあさん、スガ首相の『静かなマスク会食』って、どうするの? マスクしたままごはん食べるの?」
「そんなことできるわけないでしょ。ジュース飲むときなんかは、マスクの下からストローを差し込んでチューチュー吸うことはできるけど」
「じゃあ、どうするの? ごはん食べるときだけマスクを外して、話すときは急いでまたマスクつけるとか、するの?」
「まあ、そうね。食事中はマスクをあごの方にずらして、話すときだけ元に戻すってこともできるけど」
「でも、そうしたら、とんかつのソースとか、ドレッシングなんかが垂れてマスクが汚れない? デザートのアイスを食べるときもくっつきそう」
「そうね。あんただと不器用だから、きっとそうなるわね。あのみっともなくて役に立たない、うちではほとんど使ったことがないアベノマスクを、そういうときだけ使ってということもできるけど、洗うのめんどくさいし…。要するに、食事中は一言もしゃべらないようにして、全部食べ終わってからマスクをつけてお話しすることにすればいいのよ」
「それだとちっとも楽しくない。出かけないで、うちで食べた方がいい」
「何言ってるんですか! おかあさんは Go To イートの食事券を何種類もたくさん貯めてるんですからね! 使わないとソンでしょう。うちで作るより、あっちの方がトクだとやりくり上手のおかあさんはしっかり計算したんだから」
「もう無限くら寿司は行きたくない。あのヘンなレストランももういい。おかあさんの作るニラレバ炒めや、形は崩れているけどおいしいオムライスの方がいい」
「(ここで感動してちょっと涙ぐむ)まあ、あんたの言うことはわかったわ。とにかくクーポンや食事券がなくなるまで、もう少し我慢しなさいね」
…なんて会話が、各家庭でかわされているのでしょうか?
「おかあさん、スガ首相の『静かなマスク会食』って、どうするの? マスクしたままごはん食べるの?」
「そんなことできるわけないでしょ。ジュース飲むときなんかは、マスクの下からストローを差し込んでチューチュー吸うことはできるけど」
「じゃあ、どうするの? ごはん食べるときだけマスクを外して、話すときは急いでまたマスクつけるとか、するの?」
「まあ、そうね。食事中はマスクをあごの方にずらして、話すときだけ元に戻すってこともできるけど」
「でも、そうしたら、とんかつのソースとか、ドレッシングなんかが垂れてマスクが汚れない? デザートのアイスを食べるときもくっつきそう」
「そうね。あんただと不器用だから、きっとそうなるわね。あのみっともなくて役に立たない、うちではほとんど使ったことがないアベノマスクを、そういうときだけ使ってということもできるけど、洗うのめんどくさいし…。要するに、食事中は一言もしゃべらないようにして、全部食べ終わってからマスクをつけてお話しすることにすればいいのよ」
「それだとちっとも楽しくない。出かけないで、うちで食べた方がいい」
「何言ってるんですか! おかあさんは Go To イートの食事券を何種類もたくさん貯めてるんですからね! 使わないとソンでしょう。うちで作るより、あっちの方がトクだとやりくり上手のおかあさんはしっかり計算したんだから」
「もう無限くら寿司は行きたくない。あのヘンなレストランももういい。おかあさんの作るニラレバ炒めや、形は崩れているけどおいしいオムライスの方がいい」
「(ここで感動してちょっと涙ぐむ)まあ、あんたの言うことはわかったわ。とにかくクーポンや食事券がなくなるまで、もう少し我慢しなさいね」
…なんて会話が、各家庭でかわされているのでしょうか?
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祝子川通信 Hourigawa Tsushin
誰が初めにそう呼んだのか、命名自体が絶妙で、SNSでは大受けしているようです。どんなときにも、いやこういうときにこそ笑いは必要(笑うと免疫能力が高まる!)なので、それに莫大な費用がかかることを除けば、久々にヒットした首相パフォーマンスであったと言えるかもしれません。「安倍さんのあの給食係みたいなマスク姿が可愛くて素敵!」といった声も聞かれるほどです。これで支持率が上がるのは確実と思われますが、次のサイトなどは、その「正しい洗い方」についての画像音声付きの説明(経産省監修!)まで載せてくれているので、全国民必視聴と言えるでしょう。
・アベノマスクが小さいし変! 2枚はいつ配布? 洗い方も判明!
しかし、前に何かで「布マスクは効果がない」という話を読むか聞くかした記憶があったので、その言葉でグーグル検索してみると、これは首相発表の後の朝日新聞の記事ですが、やはり次のように書かれています。
・布マスクは有効? WHOは「どんな状況でも勧めない」
「どんな状況でも勧めない」なんてひどすぎますが、
九州大学大学院の矢原徹一教授(生命科学)は「国は布マスクの配布に加え、子どもたちのために自作するよう要請しているが、適切ではない」と指摘する。
布マスクは織り目のサイズが大きいため、飛沫(ひまつ)を防ぐ効果が小さい。また繰り返し洗って使う場合、管理が悪いと雑菌がはびこる可能性があり、かえって不衛生になる可能性も挙げる。
5年前に英国の医学誌に発表された論文では、1607人の医療従事者を、医療用マスクをつける人、布マスクをつける人、マスクをつけたり外したりする人にわけて感染リスクを比べたところ、布マスクをつけた人がもっとも呼吸器疾患やインフルエンザ症状を示した人が多かったという。
とあって、これではせっかくの首相の親切な思いやりも台無しに見えますが、
聖路加国際大学の大西一成准教授(公衆衛生学)も「布マスクには他者からの感染を防ぐ効果はまったく期待できない」と話す。布マスクとの間に不織布を挟むというアイデアもあるが、顔との間に隙間ができてしまうため、効果は限定的という。ただ、大きな飛沫をせき止め、のどを保湿する可能性はあるため「他人にうつさないという目的を考えれば、『つけない』という選択肢はない」と話す。
と結ばれているので、「他人にうつさない」という意味では意味がないわけではないということがわかって、無症状・無自覚な若い感染者あたりが、僕のような長年の喫煙で肺が弱くなっていて(本人にその自覚はなくても、です)、移されたらイチコロに死にそうな年寄りにつばきを飛ばして感染させることはある程度防げるかも知れないということです。それなら、80億円程度の国家予算を振り向ける価値は大いにある…のかもしれません。
しかし、「一世帯に2枚」というのがビミョーで、家族が3人以上いた場合には、また、洗って代わりがない場合には、一体どうすればいいのかという新たな悩みも出てきそうで、それが生乾きだったりした場合には、雑菌が繁殖してかえって危険になることもあるのでしょう?
いや、だからこれは元気な若者や子供に限定してつけさせればよい(乾燥機も活用!)ので、重症化する危険性があって、まだ感染していない老人などには、上の朝日記事によれば、どのみち感染を防止する性能はないわけだから、つけさせなければよいわけです。「元気な若い無自覚的感染者限定」と解すれば、それで十分足りるかもしれない。
そういうふうにちゃんと説明して下されば、感情的には「つまらんことに無駄なカネを使うな!」という気持ちは依然として残ったとしても、“理性”の力によって、僕らは自分を無理やり納得させることはできるわけです。
ちなみに、僕は紙マスクはもっています。買い溜めに走ったからではなく、何年か前に、インフルエンザがはやったとき、奥さんに、「塾生用にも備品として塾に置いておくのが常識でしょう!」と大量に入ったのを渡され、それがまだ残っているのと、今回のコロナの初期に、彼女は息子に都会ではすでに入手し難くなっている紙マスクを送ったらしいのですが、ついでに僕用にも買ったらしく、それを届けに来た(僕はアパートで一人暮らししているので)からです。こちらの方は、箱ごと手つかずで残っている。
じゃあ、あんたはマスクをせずに出歩いているのかって? ときたまつけて出たりもしますが、めんどくさがりなので、忘れて出てしまうことの方が多くて、だからあれは使い捨てなのに、なかなか減らないのです(むろん、怒られるので、奥さんには内緒です)。まあ、延岡あたりでは感染者も聞かないので、用心が必要になったら、もっと気をつけると思いますが、今の段階では春先の草木の匂いをかぎながら自転車をこいでいた方が健康的でいい。アベノマスクも、危険なところから優先的に配布するらしいので、このへんはいつになるかわからないでしょう。そもそも、今言ったようにマスクはあるので、わざわざアベノマスクを送ってもらう必要そのものがないのですが(長引けば別ですが、その場合は給食用のマスクではないマスクも、店頭にまた出回るようになっているでしょう)。
これでいわゆる「感染爆発」してしまった日には目も当てられませんが、日本人は清潔好きで、用心深い人が多いので、それほどひどいことにはならずにすむかもしれません。そうなったら、こういうのは検証のしようがないので、検証できないということは「効果があった」と解釈することもできるので、アベノマスクは素晴らしい政策であったと、自画自賛するだけでなく、例のWHOの事務局長あたりにも「的確な対応!」とほめちぎってもらえるかもしれません。そうすると、善良な日本国民は、「あのときは笑ったけど、やはり安倍総理と日本の官僚たちの洞察力は素晴らしかったのだ!」と感動して、心ない痛罵嘲笑を浴びせたことを心から反省するのです。
前に、映画の『ダーティ・ハリー』を見ていて、何作目だったか忘れましたが、クリント・イーストウッド演じるハリー・キャラハン警部が、シニカルな口調で「泣ける」という言葉を繰り返していたのがあって、原語は marvelous!だったと記憶していますが、今回の4月1日の安倍宣言も、この marvelous!の評言がぴったりするかもしれません。「洗って何度でも使える布マスクを各家庭に2枚ずつ漏れなく配布! 泣ける!」とキャラハンなら言うことでしょう。日本国民の「マスクが…」という切実なる思いにエイプリルフールではなく、首相おんみずから真面目に応えてくださったのです! それを物笑いにするなど、もってのほかと言うべきでしょう。
最後に、ips 細胞の山中教授がこんな提言をしておられるようです。首相の卓抜な思いつきには到底及ばないでしょうが、安倍総理とその優秀なる参謀の皆さんは、こちらもご覧になってはいかがでしょう。
・山中教授が「批判を恐れず」5提案 コロナ対応「ペースダウン」に危機感
・アベノマスクが小さいし変! 2枚はいつ配布? 洗い方も判明!
しかし、前に何かで「布マスクは効果がない」という話を読むか聞くかした記憶があったので、その言葉でグーグル検索してみると、これは首相発表の後の朝日新聞の記事ですが、やはり次のように書かれています。
・布マスクは有効? WHOは「どんな状況でも勧めない」
「どんな状況でも勧めない」なんてひどすぎますが、
九州大学大学院の矢原徹一教授(生命科学)は「国は布マスクの配布に加え、子どもたちのために自作するよう要請しているが、適切ではない」と指摘する。
布マスクは織り目のサイズが大きいため、飛沫(ひまつ)を防ぐ効果が小さい。また繰り返し洗って使う場合、管理が悪いと雑菌がはびこる可能性があり、かえって不衛生になる可能性も挙げる。
5年前に英国の医学誌に発表された論文では、1607人の医療従事者を、医療用マスクをつける人、布マスクをつける人、マスクをつけたり外したりする人にわけて感染リスクを比べたところ、布マスクをつけた人がもっとも呼吸器疾患やインフルエンザ症状を示した人が多かったという。
とあって、これではせっかくの首相の親切な思いやりも台無しに見えますが、
聖路加国際大学の大西一成准教授(公衆衛生学)も「布マスクには他者からの感染を防ぐ効果はまったく期待できない」と話す。布マスクとの間に不織布を挟むというアイデアもあるが、顔との間に隙間ができてしまうため、効果は限定的という。ただ、大きな飛沫をせき止め、のどを保湿する可能性はあるため「他人にうつさないという目的を考えれば、『つけない』という選択肢はない」と話す。
と結ばれているので、「他人にうつさない」という意味では意味がないわけではないということがわかって、無症状・無自覚な若い感染者あたりが、僕のような長年の喫煙で肺が弱くなっていて(本人にその自覚はなくても、です)、移されたらイチコロに死にそうな年寄りにつばきを飛ばして感染させることはある程度防げるかも知れないということです。それなら、80億円程度の国家予算を振り向ける価値は大いにある…のかもしれません。
しかし、「一世帯に2枚」というのがビミョーで、家族が3人以上いた場合には、また、洗って代わりがない場合には、一体どうすればいいのかという新たな悩みも出てきそうで、それが生乾きだったりした場合には、雑菌が繁殖してかえって危険になることもあるのでしょう?
いや、だからこれは元気な若者や子供に限定してつけさせればよい(乾燥機も活用!)ので、重症化する危険性があって、まだ感染していない老人などには、上の朝日記事によれば、どのみち感染を防止する性能はないわけだから、つけさせなければよいわけです。「元気な若い無自覚的感染者限定」と解すれば、それで十分足りるかもしれない。
そういうふうにちゃんと説明して下されば、感情的には「つまらんことに無駄なカネを使うな!」という気持ちは依然として残ったとしても、“理性”の力によって、僕らは自分を無理やり納得させることはできるわけです。
ちなみに、僕は紙マスクはもっています。買い溜めに走ったからではなく、何年か前に、インフルエンザがはやったとき、奥さんに、「塾生用にも備品として塾に置いておくのが常識でしょう!」と大量に入ったのを渡され、それがまだ残っているのと、今回のコロナの初期に、彼女は息子に都会ではすでに入手し難くなっている紙マスクを送ったらしいのですが、ついでに僕用にも買ったらしく、それを届けに来た(僕はアパートで一人暮らししているので)からです。こちらの方は、箱ごと手つかずで残っている。
じゃあ、あんたはマスクをせずに出歩いているのかって? ときたまつけて出たりもしますが、めんどくさがりなので、忘れて出てしまうことの方が多くて、だからあれは使い捨てなのに、なかなか減らないのです(むろん、怒られるので、奥さんには内緒です)。まあ、延岡あたりでは感染者も聞かないので、用心が必要になったら、もっと気をつけると思いますが、今の段階では春先の草木の匂いをかぎながら自転車をこいでいた方が健康的でいい。アベノマスクも、危険なところから優先的に配布するらしいので、このへんはいつになるかわからないでしょう。そもそも、今言ったようにマスクはあるので、わざわざアベノマスクを送ってもらう必要そのものがないのですが(長引けば別ですが、その場合は給食用のマスクではないマスクも、店頭にまた出回るようになっているでしょう)。
これでいわゆる「感染爆発」してしまった日には目も当てられませんが、日本人は清潔好きで、用心深い人が多いので、それほどひどいことにはならずにすむかもしれません。そうなったら、こういうのは検証のしようがないので、検証できないということは「効果があった」と解釈することもできるので、アベノマスクは素晴らしい政策であったと、自画自賛するだけでなく、例のWHOの事務局長あたりにも「的確な対応!」とほめちぎってもらえるかもしれません。そうすると、善良な日本国民は、「あのときは笑ったけど、やはり安倍総理と日本の官僚たちの洞察力は素晴らしかったのだ!」と感動して、心ない痛罵嘲笑を浴びせたことを心から反省するのです。
前に、映画の『ダーティ・ハリー』を見ていて、何作目だったか忘れましたが、クリント・イーストウッド演じるハリー・キャラハン警部が、シニカルな口調で「泣ける」という言葉を繰り返していたのがあって、原語は marvelous!だったと記憶していますが、今回の4月1日の安倍宣言も、この marvelous!の評言がぴったりするかもしれません。「洗って何度でも使える布マスクを各家庭に2枚ずつ漏れなく配布! 泣ける!」とキャラハンなら言うことでしょう。日本国民の「マスクが…」という切実なる思いにエイプリルフールではなく、首相おんみずから真面目に応えてくださったのです! それを物笑いにするなど、もってのほかと言うべきでしょう。
最後に、ips 細胞の山中教授がこんな提言をしておられるようです。首相の卓抜な思いつきには到底及ばないでしょうが、安倍総理とその優秀なる参謀の皆さんは、こちらもご覧になってはいかがでしょう。
・山中教授が「批判を恐れず」5提案 コロナ対応「ペースダウン」に危機感
祝子川通信 Hourigawa Tsushin
あけましておめでとうございます。今年は途中で改元ですが、本年もよろしくお願いします。
「不景気の極みで、一体何がめでたいんだ?」と不機嫌に言う人もいるかもしれませんが、正月は素直に「めでたい」と言うものです。失業していてもからだが健康なら、どうとでもなると考えられるからめでたい。借金があってもまだこの程度で済んでいるのはめでたい。正月を前に婚約が破談になったという人も、成就しない方が身のためだと見た神のはからいだったかもしれないと思えば、めでたい。中にはあらゆることがうまく行かず、八方ふさがりだと言う人もいるでしょうが、人間は弱く愚かな生きものなので、とことん行き詰まらないと変わることができず、その貴重なチャンスが天から与えられたとのだと考えれば、大いにめでたいのです。
およそこの世の中のことでめでたくないものはない。人は死ぬことを恐れますが、老いてからだが不自由になって、認知症の徴候も出てくるようになると、死んでこの世界から解放されることは恩寵になるのです。十分苦しんでからでないと死ねない場合もありますが、それもその人がこの世への未練を断ち切るために必要だからなのかもしれません。
僕はストアの哲人、エピクテートスが好きなのですが、元奴隷の彼にとって恐れなければならないことは自分が自分の精神の主人たりえなくなることだけだったので、外部的なこと一切に対する彼の徹底した断念は、おそらく最強の処世術です。迫害、追放、死や病気、一切の外部的な脅威が、彼にとっては取るに足りないことだったのです。「私は君を殺すだろう」「そう、このちっぽけな肉体をね」といったやりとりや、様々な葛藤を抱えた相談相手に対する彼の受け答えは、恐れることを多くもつ人には当時も受け入れ難いものだったでしょうが、明快そのもので、世間的な悩みのほとんどは彼にとっては悩むに値しない、内面の混乱を原因とするものでしかなかったのです。哲学が役に立たないと言う人は一度この人の語録を読んでみるといい。それは理解力と胆力を必要としますが、ここまで行くと「役に立たない」どころではないのです。
それでは、お約束のジョークに入るとして、最初は「どんな状況でも知恵次第でやりようはある」という、これまでの話ともどこかつながるお話です。
・手の貸し方(Helping Hands)
ある男が武装強盗の容疑で刑務所に入れられた。二、三ヶ月後、彼は父親から一通の手紙を受け取った。
「親愛なる息子よ。今年はどうやら庭にジャガイモの植え付けができそうもない。残念だが、私一人の力で耕すには私は年を取りすぎている。おまえがここにいてくれれば、おまえは私のためにそれをやってくれただろう。目下の事情では、しかし、なすすべもない。おまえが達者でいてくれることを祈っている。父より」
そのすぐ後、父親は息子からの手紙を受け取った。それにはこうあった。「後生ですから、お父さん、庭を掘らないでください! 僕はそこにお金を埋めているんです!」
数日後、FBIエージェントの一団が家に現われて、庭を掘り出した。隈なく全部を掘ったが、隠された金は発見できなかった。混乱したまま、父親はまた手紙を書き、息子に何があったかを説明した。「私はどうすればいいのだろう?」と父はたずねた。
息子の返信は次のようなものだった。「さあ、これでジャガイモが植えられます」
FBIにタダで耕作をやらせたわけで、オチの説明は不要でしょう。次は、信心深いのはいいとして、神への誤れる信仰はすべてを台無しにすることもあるというお話です。
・生への感謝(Appreciating Life)
数週間雨が降り続いたために、その小さな町は水浸しになり、住民たちは自宅からの避難を余儀なくされた。救援ボートがある区画の最後の家に着いたとき、レスキュー隊は一人の男性が玄関の広間に、腰まで水に浸かって立っているのを発見した。「こちらへ! 増水は続いています。ボートに乗って下さい!」レスキュー隊員が彼に向かって叫んだ。
しかし、信心深いその男性はこう叫び返した。「ノー! 私は神を信じている。必ず私を助けて下さるはずだ!」
二、三時間後、水かさはさらに増し、その男は二階に上がった。幸運にも、別の救援ボートが通りかかり、「そこの方、ここはもう無理です! 水位は高くなるばかりです! ボートに乗って下さい!」と呼ばわった。
「いやだ」とその男は応えた。「私は神を信じている。必ず私を助けて下さるのだ!」
水位は上がり続けた。そしてほどなく、男は家の屋根の一番高いところにのぼるのを余儀なくされた。
しかし、幸いにも、救援ヘリコプターがその上を通りかかり、ハシゴを下ろした。パイロットはメガホン越しにこう呼びかけた。「そこの方! お願いです! このハシゴにつかまって、早くここから脱出して下さい!」
その男は、断固としてこれを拒んだ。「ノー! 私は神を信じている。神が私を助けて下さるのだ!」
しかし、水かさはさらに増し、屋根は完全に水没して、男は流され、ほどなく溺れ死んだ。
〔死んで〕真珠門に着いたとき、彼は神との会見を要求した。「神様」と彼は言った。「私はあなたが私を救ってくれるはずだと確信していました。なのに、あなたは私を死なせた。なぜなのでしょう? なぜあなたは私を見捨てられたのですか?」
神は答えた。「一体何を言っとるのかね? 私は二艘のボートと、ヘリコプターを一機、おまえのところに送ったではないか!」
もう一つは、冬場には川や湖で氷に穴をあけてワカサギなどを釣る穴釣り(ice fishing)というのがありますが、それの話です。今はそのシーズンでしょうから、愛好家の皆さんもこういうことには注意しましょう。
・いない魚は釣れない(A Fish Story)
アメリカはバーモント州のある男が酔っぱらって穴釣りに行く決心をし、釣り竿と椅子兼用のバケツ(どういうものがよくわからないので、sitting bucketを仮にこう訳します)を持って氷の張った場所に向かった。彼がノコギリを出して氷に穴をあけていると、突然、頭上から轟き渡るような声が聞こえた。「そこに魚はいません」
あっけにとられて男は周りを見回したが、誰の姿も見えなかった。彼は自分の頭を引っ掻くと、穴あけ作業を再開した。再び、頭上から大音声が響いた。「そこに魚はいません」
男は震え上がって、天を見上げ、叫んだ。
「神様、あなたですか?」
「いいえ」と声が答えた。「こちらは当スケートリンクの支配人です」
少しは笑っていただけましたか? 正月なので、今回はブラック度の強いものは避けましたが、そちらはまた今度。ちなみに、僕はいつも親子三人で行く初詣の際におみくじを引くのですが、今年は「小吉」でした。帰省していた息子がただの「吉」で、母親の方が「大吉」。父子に共通していたのは、「色情(いろごと)」に対する警告が出ていたことです。僕のには「色情にことにきをつけなさい」「色情慎め」とくどく念押しされている。出ているのが息子のだけなら、「尻軽女に浮気して、賢いカノジョに振られないように」とお説教もできたのですが、親父の方がひどく書かれているとなると、立場がない。「ううむ。まだこの年でも十分モテるということなのか」と都合よく解釈することもできるのですが、考えてみると、僕の場合、おみくじのご託宣というのは当たったためしがないので、美人に惑わされるという期待もぬか喜びに終わりそうです。
おみくじも当たることは稀にあるらしく、この話は前にも一度書いた記憶があるのですが、僕の母親は若い頃、大凶(今は入っていない)を引いたことが一度あったそうで、それは的中したのです。そこには「縁談こわれる」とはっきり書かれていた。そのとき母はまさにその縁談のために呼び戻されていた。複雑な事情があって末娘の母が家を継がねばならなくなって、昔の田舎のことなので、父親が勝手に婿を決めていて、それを了承させるために呼ばれたのですが、男まさりの母は死ぬほどそのナヨナヨした男性がイヤだったそうで、父親と大喧嘩になった。それで一睡もできぬまま戻る途中、神社に寄っておみくじを引いたら、最悪の卦が出たのです。その後まもなく、その縁談は不可解な経緯で破談になった。母は別の男性(元が手に負えない悪ガキで、性格からして最も入婿には不向きとみなされた)と見合い結婚することになったのですが、今度の相手はそれほどいやではなかったらしく、その夫は一家の屋台骨として十分な働きをしてくれた(先の婿候補は数年後病没する運命にあった)。いわば「大凶」のおかげで彼女は救われたのです。そうでなければ僕も生まれていなかったのだから、運命というのは不思議なものです。だから、大凶といえどもいちがいに悪いとは言えない…というところで、今回の正月記事はおしまいにします。
「不景気の極みで、一体何がめでたいんだ?」と不機嫌に言う人もいるかもしれませんが、正月は素直に「めでたい」と言うものです。失業していてもからだが健康なら、どうとでもなると考えられるからめでたい。借金があってもまだこの程度で済んでいるのはめでたい。正月を前に婚約が破談になったという人も、成就しない方が身のためだと見た神のはからいだったかもしれないと思えば、めでたい。中にはあらゆることがうまく行かず、八方ふさがりだと言う人もいるでしょうが、人間は弱く愚かな生きものなので、とことん行き詰まらないと変わることができず、その貴重なチャンスが天から与えられたとのだと考えれば、大いにめでたいのです。
およそこの世の中のことでめでたくないものはない。人は死ぬことを恐れますが、老いてからだが不自由になって、認知症の徴候も出てくるようになると、死んでこの世界から解放されることは恩寵になるのです。十分苦しんでからでないと死ねない場合もありますが、それもその人がこの世への未練を断ち切るために必要だからなのかもしれません。
僕はストアの哲人、エピクテートスが好きなのですが、元奴隷の彼にとって恐れなければならないことは自分が自分の精神の主人たりえなくなることだけだったので、外部的なこと一切に対する彼の徹底した断念は、おそらく最強の処世術です。迫害、追放、死や病気、一切の外部的な脅威が、彼にとっては取るに足りないことだったのです。「私は君を殺すだろう」「そう、このちっぽけな肉体をね」といったやりとりや、様々な葛藤を抱えた相談相手に対する彼の受け答えは、恐れることを多くもつ人には当時も受け入れ難いものだったでしょうが、明快そのもので、世間的な悩みのほとんどは彼にとっては悩むに値しない、内面の混乱を原因とするものでしかなかったのです。哲学が役に立たないと言う人は一度この人の語録を読んでみるといい。それは理解力と胆力を必要としますが、ここまで行くと「役に立たない」どころではないのです。
それでは、お約束のジョークに入るとして、最初は「どんな状況でも知恵次第でやりようはある」という、これまでの話ともどこかつながるお話です。
・手の貸し方(Helping Hands)
ある男が武装強盗の容疑で刑務所に入れられた。二、三ヶ月後、彼は父親から一通の手紙を受け取った。
「親愛なる息子よ。今年はどうやら庭にジャガイモの植え付けができそうもない。残念だが、私一人の力で耕すには私は年を取りすぎている。おまえがここにいてくれれば、おまえは私のためにそれをやってくれただろう。目下の事情では、しかし、なすすべもない。おまえが達者でいてくれることを祈っている。父より」
そのすぐ後、父親は息子からの手紙を受け取った。それにはこうあった。「後生ですから、お父さん、庭を掘らないでください! 僕はそこにお金を埋めているんです!」
数日後、FBIエージェントの一団が家に現われて、庭を掘り出した。隈なく全部を掘ったが、隠された金は発見できなかった。混乱したまま、父親はまた手紙を書き、息子に何があったかを説明した。「私はどうすればいいのだろう?」と父はたずねた。
息子の返信は次のようなものだった。「さあ、これでジャガイモが植えられます」
FBIにタダで耕作をやらせたわけで、オチの説明は不要でしょう。次は、信心深いのはいいとして、神への誤れる信仰はすべてを台無しにすることもあるというお話です。
・生への感謝(Appreciating Life)
数週間雨が降り続いたために、その小さな町は水浸しになり、住民たちは自宅からの避難を余儀なくされた。救援ボートがある区画の最後の家に着いたとき、レスキュー隊は一人の男性が玄関の広間に、腰まで水に浸かって立っているのを発見した。「こちらへ! 増水は続いています。ボートに乗って下さい!」レスキュー隊員が彼に向かって叫んだ。
しかし、信心深いその男性はこう叫び返した。「ノー! 私は神を信じている。必ず私を助けて下さるはずだ!」
二、三時間後、水かさはさらに増し、その男は二階に上がった。幸運にも、別の救援ボートが通りかかり、「そこの方、ここはもう無理です! 水位は高くなるばかりです! ボートに乗って下さい!」と呼ばわった。
「いやだ」とその男は応えた。「私は神を信じている。必ず私を助けて下さるのだ!」
水位は上がり続けた。そしてほどなく、男は家の屋根の一番高いところにのぼるのを余儀なくされた。
しかし、幸いにも、救援ヘリコプターがその上を通りかかり、ハシゴを下ろした。パイロットはメガホン越しにこう呼びかけた。「そこの方! お願いです! このハシゴにつかまって、早くここから脱出して下さい!」
その男は、断固としてこれを拒んだ。「ノー! 私は神を信じている。神が私を助けて下さるのだ!」
しかし、水かさはさらに増し、屋根は完全に水没して、男は流され、ほどなく溺れ死んだ。
〔死んで〕真珠門に着いたとき、彼は神との会見を要求した。「神様」と彼は言った。「私はあなたが私を救ってくれるはずだと確信していました。なのに、あなたは私を死なせた。なぜなのでしょう? なぜあなたは私を見捨てられたのですか?」
神は答えた。「一体何を言っとるのかね? 私は二艘のボートと、ヘリコプターを一機、おまえのところに送ったではないか!」
もう一つは、冬場には川や湖で氷に穴をあけてワカサギなどを釣る穴釣り(ice fishing)というのがありますが、それの話です。今はそのシーズンでしょうから、愛好家の皆さんもこういうことには注意しましょう。
・いない魚は釣れない(A Fish Story)
アメリカはバーモント州のある男が酔っぱらって穴釣りに行く決心をし、釣り竿と椅子兼用のバケツ(どういうものがよくわからないので、sitting bucketを仮にこう訳します)を持って氷の張った場所に向かった。彼がノコギリを出して氷に穴をあけていると、突然、頭上から轟き渡るような声が聞こえた。「そこに魚はいません」
あっけにとられて男は周りを見回したが、誰の姿も見えなかった。彼は自分の頭を引っ掻くと、穴あけ作業を再開した。再び、頭上から大音声が響いた。「そこに魚はいません」
男は震え上がって、天を見上げ、叫んだ。
「神様、あなたですか?」
「いいえ」と声が答えた。「こちらは当スケートリンクの支配人です」
少しは笑っていただけましたか? 正月なので、今回はブラック度の強いものは避けましたが、そちらはまた今度。ちなみに、僕はいつも親子三人で行く初詣の際におみくじを引くのですが、今年は「小吉」でした。帰省していた息子がただの「吉」で、母親の方が「大吉」。父子に共通していたのは、「色情(いろごと)」に対する警告が出ていたことです。僕のには「色情にことにきをつけなさい」「色情慎め」とくどく念押しされている。出ているのが息子のだけなら、「尻軽女に浮気して、賢いカノジョに振られないように」とお説教もできたのですが、親父の方がひどく書かれているとなると、立場がない。「ううむ。まだこの年でも十分モテるということなのか」と都合よく解釈することもできるのですが、考えてみると、僕の場合、おみくじのご託宣というのは当たったためしがないので、美人に惑わされるという期待もぬか喜びに終わりそうです。
おみくじも当たることは稀にあるらしく、この話は前にも一度書いた記憶があるのですが、僕の母親は若い頃、大凶(今は入っていない)を引いたことが一度あったそうで、それは的中したのです。そこには「縁談こわれる」とはっきり書かれていた。そのとき母はまさにその縁談のために呼び戻されていた。複雑な事情があって末娘の母が家を継がねばならなくなって、昔の田舎のことなので、父親が勝手に婿を決めていて、それを了承させるために呼ばれたのですが、男まさりの母は死ぬほどそのナヨナヨした男性がイヤだったそうで、父親と大喧嘩になった。それで一睡もできぬまま戻る途中、神社に寄っておみくじを引いたら、最悪の卦が出たのです。その後まもなく、その縁談は不可解な経緯で破談になった。母は別の男性(元が手に負えない悪ガキで、性格からして最も入婿には不向きとみなされた)と見合い結婚することになったのですが、今度の相手はそれほどいやではなかったらしく、その夫は一家の屋台骨として十分な働きをしてくれた(先の婿候補は数年後病没する運命にあった)。いわば「大凶」のおかげで彼女は救われたのです。そうでなければ僕も生まれていなかったのだから、運命というのは不思議なものです。だから、大凶といえどもいちがいに悪いとは言えない…というところで、今回の正月記事はおしまいにします。
祝子川通信 Hourigawa Tsushin
近々、深山幽谷に一人こもって「最終解脱」のための瞑想や滝行に専念する予定なので、このブログはしばらくお休みします(そのまま仙人と化して、人間世界に戻ってこないこともありえます)。それで、その前に何か一つ書いておきたいと思ったのですが、ちょうど英語のジョーク集を読んでいて、いずれその中の面白いものについてはここでもいくつか翻訳紹介するつもりですが、自分でも西洋風ジョークを一つ作ってみようかという気になり、これを書きました。
僕の場合、性格からしてどうしてもブラックなものが好みなので、そういうものになってしまうだろうと予想していましたが、実際に書いてみるといくらかその度が過ぎたようで、笑うのが難しいものになってしまいました。ですが、人によっては笑っていただけるでしょうから、載せておきます。最初のカッコ内は「場面設定」です。
* *
【天上の神の宮殿。玉座に背をもたせかけた神は昔ながらの白いローブに身を包み、いくらか不機嫌そうに見える。その前には007を彷彿させる、タキシードを粋に着こなした悪魔。神の右前のテーブルには紅茶のカップが置かれ、悪魔の片手にはワイングラスが光る。】
「今日、君をここに呼んだのは他でもない」と神は単刀直入に切り出した。「人間界の有様を見るに、最近、君の活躍がちと目立ちすぎるように思われるからだ。要するに、君は近頃調子に乗りすぎている」
「そいつはまた」と悪魔は驚いた様子で言った。「一体どこからの情報なんで? 人間どもの世界では今、フェイクニュースというのが大はやりですが、旦那もそれに引っかかってしまったんで?」
「何を言っとるのだ!」神は怒気を含んだ顔つきで言った。「情報も何も、君のしわざでなくて何であんなふうになるのだ!」
それから神は今の人間世界のひどい有様を詳述した。環境問題に詳しい神は、まず地球温暖化に伴う異常気象の頻発に触れ、次に、地球史上六回目の恐るべき生物大量絶滅が進行中であることを指摘して、「いいか、これはすべて欲深な人間の無思慮で過剰な経済活動とやらのせいなのだ」と付け加えた。
「ああ、そいつはどこやらの副大統領だったゴアとかいう奴がふりまいている噂話ですね」と動じた風もなく悪魔が応じたので、神は大量の書籍や報告書を執事に持ってこさせ、自分の言うことが元政治屋のいい加減な話ではなく、「学問的研究」または「科学的根拠」に基づくものであることを強調した。
「それだけじゃない」と神は言った。そうして〈人間世界の驚くべきモラルと知性の退廃〉に話を移し、世界でイカレポンチ大統領や首相が次々誕生していること、企業の強欲CEO、汚職役人、忖度役人が激増していること、教育現場の目も覆わんばかりの荒廃、民衆の間に蔓延している〈甚だしい利己的無関心〉、さらには〈下劣な悪感情の掃き溜め〉と化しているインターネットのことなど、事細かく指摘した。
「これだけの証拠があってどうして」と神は憤りを無理に抑えたような声で言った。「君が関与していないと言えるのだ!」
悪魔が不審げな顔つきのまま沈黙しているので、神は再び語り始めた。「これまでわしは、君の仕事をある程度評価はしていた。人間が惰眠をむさぼらないようにするためには、〈適度な刺激〉が必要で、欲や恐怖心を刺激してという〈不純な手法〉にはいくらか問題があるとしても、君はそれで人間の知能の増進や勤勉さの獲得には貢献してきたのだ」
「そうですとも、旦那」と、ワインを一口すすった後、悪魔はいくぶん嬉しげな顔つきで応じた。「私がいなかったら、連中は今でも木の上で寝るか、洞窟暮らしをしているか、していたでしょうからね。裸同然で。さすが旦那は、公正な見方をしておられる」
「他にも」と神は、優越感の混じった微笑と共に言葉を継いだ。「君はわしへの信仰心を高めるのに一役買ってくれたのだ。何となれば、君は彼らの高慢を煽り、対立を激化させ、しまいにみじめな失敗や混乱に落ち込ませることで、逆におのれの無力と〈神への謙譲〉を人間に学ばせることになったからだ」
「旦那はそれで」と悪魔は皮肉な笑みを浮かべて言った。「〈愛に満ちた寛大な赦しの神〉という役回りを首尾よく果たせたわけで、思えばあれは〈古き良き時代〉の懐かしい思い出ですなあ」
善なる神は、その並外れた善性ゆえに、悪魔の隠微な皮肉には気づかなかったと見え、「そうとも」と言った後、再び不機嫌な顔つきに戻って言った。「しかるに、昨今はどうだ? 誰もわしの方を見上げなくなった。君の妨害のせいで、彼らは〈愛と善性の源(みなもと)〉であるわしに辿り着けなくなってしまったのだ。挙句は〈神の不在〉に空虚を感じることも、恐れおののくこともなく、邪悪な自己に満足して、事足れりとするようになってしまった。救いの手を差し伸べようにも、誰もそんなものは求めなくなってしまったのだ! 地上的満足のため、賃上げと〈社会保障の充実〉とやらを求めて街頭デモに繰り出すだけ」
「ご愁傷さまで」と悪魔は言った後、一息置いた後でこう続けた。「やっと合点が行きました。旦那はそれが、私のせいだとカン違いしておられるわけですね?」
「カン違いだと!」神は紅茶のカップをテーブルの上の皿に戻しながら震える声で言った。「わしは君をこれまで大目に見てきた。それをいいことに、かくまで民をわしから遠ざけてしまって、それに責任がないなどとどうして言えようか!」
「ですが、旦那」と悪魔はえらく実際的な顔つきで言った。「ちょっとお考えになればおわかりになることだと思うのですが、人間どもが旦那のことを忘れてしまったとすれば、それは私のことも同時に忘れ去ったということなのではありませんか?」
「何?」と神は虚空に視線を漂わせて、意味がはかりかねる様子だった。
「つまり、こういうことでして…」と悪魔は説明を加えた。「旦那と私は昔からペアになってまして、むろん、旦那の方が上に位置するわけですが、人間どもの頭の中から神が消えれば、悪魔も同時に消えてしまう道理なんですよ」
「たしかに…」と神は思案を巡らせながら言った。「君の言うことには一理ある。しかし、君も消えたのなら、人間は、一体ぜんたい、どうしてああいうことになっているのだ?」
「それはつまり」と悪魔は淡々とした口調で言った。「昔は、旦那や私が色々世話を焼いていたのが、人間どもは今やすっかり〈自立〉したんですよ。今時分、旦那や私のことを話題にのぼせるなんて、小学生でもしませんからね。そういうのはごくごく一部のいわゆる〈スピリチュアル〉な連中か、カルトの信者ぐらいのものなので、我々はもはや存在しないも同然なのです」
「存在しないって、げんにここに存在するではないか!」神は何者かに抗議するかのように叫んだ。
「でもね、旦那」悪魔はなだめるかのような口調で言った。「存在しないと思われているものは認識もされないので、認識されなければ、存在しないのです。昔は〈神の声が聞こえる〉人間もいましたが、今はいても精神病院の入院患者だから、それは〈幻聴〉なのです。私も昔は時々いたずらで〈神の声〉を真似たりもしていたのですが、今はそういうのも無駄骨になってるわけです」
「君はそんなことまでしていたのか!」
「怒らないでください。過去のことですから」悪魔は軽く前かがみになって会釈してみせると、話を続けた。「今は何しろ科学が進んだ時代ですから、旦那が昔やったみたいに洪水を起こしたり、怪物の姿を取って脅しても、全部物質現象として解明されてしまって、旦那の関与がそこに認められることは金輪際ないわけです。従って、連中が旦那の前にひれ伏すこともない。そもそも存在自体が認められていないわけですから…。説明がつかないときもむろんあるにはありますが、そういう場合は、『ダーク・マターが関係しているようだ』なんて話になって、それで終わりなのです」
「ダーク・マター? それは一体何なのだ?」神は怪訝(けげん)そうに尋ねた。
「暗黒物質とかいうやつで、宇宙にはそれが遍在すると言われているんです。旦那や私もそのダーク・マターみたいなもので、そういうのが神や悪魔に取って代わったのです」
「実に、ありえない話だ!」神は憤慨して叫んだ。「かつては〈永遠の光〉と崇めたてまつられたこのわしを〈暗黒〉呼ばわりとは! かかる屈辱をわしに忍べと言うのか?」
「私の場合は元々が〈暗黒の王子〉なんで、そこは大して変わりませんが」と悪魔は微苦笑を浮かべて言った。「旦那の場合、ご立腹は無理もありません。ですが、我々はもはや人間にとっては存在しなくなった。それはたしかなのです」
しばし沈黙があった。神は懸命に事態を理解しようとしている様子で、悪魔はジェームズ・ボンドばりに、今度はマティーニを注文した。ほんとはウォッカがよかったのだが、神の前ということもあって、慎んだようだった。
「不可解なのは…」と神がやっと口を開いた。「神も悪魔もなしに、人間はどうやって生きていけるのかということだ。わしにはそれがどうしてもわからん」
「私の場合は根が邪悪で」と、悪魔は困惑した神への気遣いを見せながら言った。「〈物事を裏から見る〉性癖があるのでわかるのですが、それはそんなに不思議なことじゃありません。私はあの精神分析というやつが流行り出したのが決定的だったと見ているんですが、最初フロイトという奴が出てきて、次にユングという最悪なのが来た。これを要するに、我々はどちらも彼らの無意識の産物で、いわゆる〈元型〉の一つだということにされてしまったんです。つまり、神も悪魔も、初めから連中の心の中にあっただけで、それを超える〈客観的な実在〉ではなかった、ということになってしまったのです」
「よくわからんが、続けたまえ」と神は顔をしかめたまま、言った。
「要するに、人間の心というものが先にあって、神だの悪魔だのというのはその中の〈共同幻想〉の一つにすぎないということになり、〈人間中心主義〉が確立したのです。彼らはエゴだのイドだの、セルフだのという、人間の心をさらに混乱させる概念を発明して広めたのですが、何にせよ、そういうのはどれも彼らの〈心の属性〉であって、ここが重要なポイントなのですが、旦那や私には依存しない〈自己完結した存在〉になったのです」
「そうすると…」と神はもの思わしげに言った。「宇宙の森羅万象を統(す)べるこのわし、今も生きとし生けるものすべてを慈しみ育てているこのわしも〈幻想〉だというのか?」
「さようです」悪魔は頷きながら言った。「もしくは人間どもの心の一部なわけですね。ということは、つまり、連中が〈神〉になったということです。私もその一部、ということは、彼らは〈悪魔〉でもある。ここで重要なのは、旦那も私ももはや人間の心に〈外から〉働きかける存在ではなくなったということです。それは全部彼らの心の中に〈含まれる〉ものであって、旦那や私が人間を作ったのではなくて、逆に我々はたんなる彼らの発明品にすぎないことが明らかとなったのです。それは人間の〈心理的投影〉の産物でしかないのです」
「そんな馬鹿な話が…」と神は悶絶せんばかりの様子で叫んだ。「創造主たるわしが、逆に彼らの創造物にすぎないとは、冒瀆にもほどがある! わしはかねて君の傲慢を指摘してきたが、悪魔ですら神が自分の創造物であるなどとは言わなかったではないか!」
「仰せのとおりで」と悪魔は話を続けた。「しかし、こういうのは科学における遺伝子操作、ゲノムとやらの解読が進む時代にはマッチしているのです。彼らは文字どおり〈神の領域〉に足を踏み入れ、その自信を裏書きすることになったのですから(人間は「脳」まで作れるようになった。AIってやつをご存じですか?)。この際、元々のフロイト、ユングの思想がどうだったかというような細かい話は、どうでもいいのです。問題はそれがどういう受け取られ方をしたかということで、まさにそのように受け取られて、旦那も私も〈もはや存在しない〉ことになったのです。実際、存在しない。旦那がさっき言われたようなことは、私の関与とは全く無関係に、彼らが〈自力で〉やっているのですから。恐れながら神も、もはや必要ではないのです」
「何ということだ…」そう呟く神の表情には明らかな恐怖が見て取れた。
「旦那の場合にはまだしも」と、ここで悪魔はいくぶん悲しげな表情を浮かべて言った。「やることがおありです。というのも、旦那の助けなしにはこの宇宙は成り立たないからです。そりゃあ、無視されるのは辛いことで、誰にも感謝されないとなると張り合いもありませんが、それでも〈日々の務め〉というものがあるのです。私の場合には、完全な失業状態で、この先もずっとそのままです。というのも、近頃では人間のやることや、心の動きを見ていて、私の方がこわくなることが多いからです。〈自立〉どころの話ではなく、悪魔の上を行く勢いで、今後はいかなる悲惨なことが起きようとも、私は自分の手柄を誇ることはできないのです。私とは無関係なのですから」
「それはまあ…」と慰めの言葉もないといった同情の顔つきで、神は言った。「〈諸行無常は世の習い〉と人間たちも言っているではないか。君の引退は、昔の君の華々しい活躍を知る者としては残念ではあるが、事ここにいたってはやむを得ない。日を改めて送別パーティを開くとしよう」
「あれを憶えておいでですか?」ややあって悪魔は言った。「昔の、例のエデンの園での一件です。〈禁断の木の実〉を私がイブとアダムに食べさせたという…」
「ああ」と神は応えた。「君はあのとき名文句で彼らを誘惑した。『汝ら、神のごとくなりて、善悪を知るに至らん』そう言ったわけだね?」
「そうです。あれは人間どもには珍しく聡明な、旦那とも私とも懇意にしていたゲーテという男の『ファウスト』という輝かしい本の扉に掲げられて、一躍有名になったものですが、私はあのことを時々思い出すのです。私はあれで彼らに〈自意識〉というものを目覚めさせたのですが、当時はまさかあの予言がこういうかたちで成就するとは、夢にも思いませんでした。私は虚偽をその本質とする存在です。それを彼らに真実と信じ込ませ、破綻に追い込んで悔恨の涙に暮れさせるというやり方で、かつてはそこで旦那の出番となったのですが、今ではそうはならず、虚偽がそのまま真実となってしまったのです。破綻に追い込まれたのはこの私…。当時の私は人間を甘く見すぎたのです。彼らは何と言ってもうぶで無邪気な、根は正直な生きもので、根底に神聖なもの、真理への強い憧憬と畏敬を抱き、物質的なものでない、超自然への感性を決して失わないものだと。だから惑わす甲斐もあったので、誰が言わずとも〈分際〉というものをわきまえていて、〈自分がすべて〉だなどと悪魔ですら恥じ入るような思い込みをもつことはよもやあるまいと。しかし、今やそういうつつましさは完全に消え去った。そうして彼らは臆することもなく自らを〈神の地位〉に据えたのです」
「仕方がないさ」と神は慈悲と諦念のまなざしを向けて、最後に言った。「君がさっき言ったように、人間は今やすっかり〈自立〉したんだからね。…」
【追記】「神」の指示により、次の記事をご紹介しておきます。島がどうのといったチマチマした領土争いなどより、こちらの方が事態ははるかに深刻で、切迫しています。このまま進めばアマゾンの密林は2050年以前に〈全滅〉する可能性がある。それが地球規模でどれほど大きな気象変化をもたらすかは、神ではなく、科学者に聞いても大体のところはわかるでしょう。生物多様性だけではなく、新薬などの貴重な源泉も失われる。見返りの経済援助をしてもいいから、国連はブラジル新政府に一刻も早く愚行を思いとどまらせるべきです。
・「サッカー場100万面」相当の森林、1年で消失 ブラジル
僕の場合、性格からしてどうしてもブラックなものが好みなので、そういうものになってしまうだろうと予想していましたが、実際に書いてみるといくらかその度が過ぎたようで、笑うのが難しいものになってしまいました。ですが、人によっては笑っていただけるでしょうから、載せておきます。最初のカッコ内は「場面設定」です。
* *
【天上の神の宮殿。玉座に背をもたせかけた神は昔ながらの白いローブに身を包み、いくらか不機嫌そうに見える。その前には007を彷彿させる、タキシードを粋に着こなした悪魔。神の右前のテーブルには紅茶のカップが置かれ、悪魔の片手にはワイングラスが光る。】
「今日、君をここに呼んだのは他でもない」と神は単刀直入に切り出した。「人間界の有様を見るに、最近、君の活躍がちと目立ちすぎるように思われるからだ。要するに、君は近頃調子に乗りすぎている」
「そいつはまた」と悪魔は驚いた様子で言った。「一体どこからの情報なんで? 人間どもの世界では今、フェイクニュースというのが大はやりですが、旦那もそれに引っかかってしまったんで?」
「何を言っとるのだ!」神は怒気を含んだ顔つきで言った。「情報も何も、君のしわざでなくて何であんなふうになるのだ!」
それから神は今の人間世界のひどい有様を詳述した。環境問題に詳しい神は、まず地球温暖化に伴う異常気象の頻発に触れ、次に、地球史上六回目の恐るべき生物大量絶滅が進行中であることを指摘して、「いいか、これはすべて欲深な人間の無思慮で過剰な経済活動とやらのせいなのだ」と付け加えた。
「ああ、そいつはどこやらの副大統領だったゴアとかいう奴がふりまいている噂話ですね」と動じた風もなく悪魔が応じたので、神は大量の書籍や報告書を執事に持ってこさせ、自分の言うことが元政治屋のいい加減な話ではなく、「学問的研究」または「科学的根拠」に基づくものであることを強調した。
「それだけじゃない」と神は言った。そうして〈人間世界の驚くべきモラルと知性の退廃〉に話を移し、世界でイカレポンチ大統領や首相が次々誕生していること、企業の強欲CEO、汚職役人、忖度役人が激増していること、教育現場の目も覆わんばかりの荒廃、民衆の間に蔓延している〈甚だしい利己的無関心〉、さらには〈下劣な悪感情の掃き溜め〉と化しているインターネットのことなど、事細かく指摘した。
「これだけの証拠があってどうして」と神は憤りを無理に抑えたような声で言った。「君が関与していないと言えるのだ!」
悪魔が不審げな顔つきのまま沈黙しているので、神は再び語り始めた。「これまでわしは、君の仕事をある程度評価はしていた。人間が惰眠をむさぼらないようにするためには、〈適度な刺激〉が必要で、欲や恐怖心を刺激してという〈不純な手法〉にはいくらか問題があるとしても、君はそれで人間の知能の増進や勤勉さの獲得には貢献してきたのだ」
「そうですとも、旦那」と、ワインを一口すすった後、悪魔はいくぶん嬉しげな顔つきで応じた。「私がいなかったら、連中は今でも木の上で寝るか、洞窟暮らしをしているか、していたでしょうからね。裸同然で。さすが旦那は、公正な見方をしておられる」
「他にも」と神は、優越感の混じった微笑と共に言葉を継いだ。「君はわしへの信仰心を高めるのに一役買ってくれたのだ。何となれば、君は彼らの高慢を煽り、対立を激化させ、しまいにみじめな失敗や混乱に落ち込ませることで、逆におのれの無力と〈神への謙譲〉を人間に学ばせることになったからだ」
「旦那はそれで」と悪魔は皮肉な笑みを浮かべて言った。「〈愛に満ちた寛大な赦しの神〉という役回りを首尾よく果たせたわけで、思えばあれは〈古き良き時代〉の懐かしい思い出ですなあ」
善なる神は、その並外れた善性ゆえに、悪魔の隠微な皮肉には気づかなかったと見え、「そうとも」と言った後、再び不機嫌な顔つきに戻って言った。「しかるに、昨今はどうだ? 誰もわしの方を見上げなくなった。君の妨害のせいで、彼らは〈愛と善性の源(みなもと)〉であるわしに辿り着けなくなってしまったのだ。挙句は〈神の不在〉に空虚を感じることも、恐れおののくこともなく、邪悪な自己に満足して、事足れりとするようになってしまった。救いの手を差し伸べようにも、誰もそんなものは求めなくなってしまったのだ! 地上的満足のため、賃上げと〈社会保障の充実〉とやらを求めて街頭デモに繰り出すだけ」
「ご愁傷さまで」と悪魔は言った後、一息置いた後でこう続けた。「やっと合点が行きました。旦那はそれが、私のせいだとカン違いしておられるわけですね?」
「カン違いだと!」神は紅茶のカップをテーブルの上の皿に戻しながら震える声で言った。「わしは君をこれまで大目に見てきた。それをいいことに、かくまで民をわしから遠ざけてしまって、それに責任がないなどとどうして言えようか!」
「ですが、旦那」と悪魔はえらく実際的な顔つきで言った。「ちょっとお考えになればおわかりになることだと思うのですが、人間どもが旦那のことを忘れてしまったとすれば、それは私のことも同時に忘れ去ったということなのではありませんか?」
「何?」と神は虚空に視線を漂わせて、意味がはかりかねる様子だった。
「つまり、こういうことでして…」と悪魔は説明を加えた。「旦那と私は昔からペアになってまして、むろん、旦那の方が上に位置するわけですが、人間どもの頭の中から神が消えれば、悪魔も同時に消えてしまう道理なんですよ」
「たしかに…」と神は思案を巡らせながら言った。「君の言うことには一理ある。しかし、君も消えたのなら、人間は、一体ぜんたい、どうしてああいうことになっているのだ?」
「それはつまり」と悪魔は淡々とした口調で言った。「昔は、旦那や私が色々世話を焼いていたのが、人間どもは今やすっかり〈自立〉したんですよ。今時分、旦那や私のことを話題にのぼせるなんて、小学生でもしませんからね。そういうのはごくごく一部のいわゆる〈スピリチュアル〉な連中か、カルトの信者ぐらいのものなので、我々はもはや存在しないも同然なのです」
「存在しないって、げんにここに存在するではないか!」神は何者かに抗議するかのように叫んだ。
「でもね、旦那」悪魔はなだめるかのような口調で言った。「存在しないと思われているものは認識もされないので、認識されなければ、存在しないのです。昔は〈神の声が聞こえる〉人間もいましたが、今はいても精神病院の入院患者だから、それは〈幻聴〉なのです。私も昔は時々いたずらで〈神の声〉を真似たりもしていたのですが、今はそういうのも無駄骨になってるわけです」
「君はそんなことまでしていたのか!」
「怒らないでください。過去のことですから」悪魔は軽く前かがみになって会釈してみせると、話を続けた。「今は何しろ科学が進んだ時代ですから、旦那が昔やったみたいに洪水を起こしたり、怪物の姿を取って脅しても、全部物質現象として解明されてしまって、旦那の関与がそこに認められることは金輪際ないわけです。従って、連中が旦那の前にひれ伏すこともない。そもそも存在自体が認められていないわけですから…。説明がつかないときもむろんあるにはありますが、そういう場合は、『ダーク・マターが関係しているようだ』なんて話になって、それで終わりなのです」
「ダーク・マター? それは一体何なのだ?」神は怪訝(けげん)そうに尋ねた。
「暗黒物質とかいうやつで、宇宙にはそれが遍在すると言われているんです。旦那や私もそのダーク・マターみたいなもので、そういうのが神や悪魔に取って代わったのです」
「実に、ありえない話だ!」神は憤慨して叫んだ。「かつては〈永遠の光〉と崇めたてまつられたこのわしを〈暗黒〉呼ばわりとは! かかる屈辱をわしに忍べと言うのか?」
「私の場合は元々が〈暗黒の王子〉なんで、そこは大して変わりませんが」と悪魔は微苦笑を浮かべて言った。「旦那の場合、ご立腹は無理もありません。ですが、我々はもはや人間にとっては存在しなくなった。それはたしかなのです」
しばし沈黙があった。神は懸命に事態を理解しようとしている様子で、悪魔はジェームズ・ボンドばりに、今度はマティーニを注文した。ほんとはウォッカがよかったのだが、神の前ということもあって、慎んだようだった。
「不可解なのは…」と神がやっと口を開いた。「神も悪魔もなしに、人間はどうやって生きていけるのかということだ。わしにはそれがどうしてもわからん」
「私の場合は根が邪悪で」と、悪魔は困惑した神への気遣いを見せながら言った。「〈物事を裏から見る〉性癖があるのでわかるのですが、それはそんなに不思議なことじゃありません。私はあの精神分析というやつが流行り出したのが決定的だったと見ているんですが、最初フロイトという奴が出てきて、次にユングという最悪なのが来た。これを要するに、我々はどちらも彼らの無意識の産物で、いわゆる〈元型〉の一つだということにされてしまったんです。つまり、神も悪魔も、初めから連中の心の中にあっただけで、それを超える〈客観的な実在〉ではなかった、ということになってしまったのです」
「よくわからんが、続けたまえ」と神は顔をしかめたまま、言った。
「要するに、人間の心というものが先にあって、神だの悪魔だのというのはその中の〈共同幻想〉の一つにすぎないということになり、〈人間中心主義〉が確立したのです。彼らはエゴだのイドだの、セルフだのという、人間の心をさらに混乱させる概念を発明して広めたのですが、何にせよ、そういうのはどれも彼らの〈心の属性〉であって、ここが重要なポイントなのですが、旦那や私には依存しない〈自己完結した存在〉になったのです」
「そうすると…」と神はもの思わしげに言った。「宇宙の森羅万象を統(す)べるこのわし、今も生きとし生けるものすべてを慈しみ育てているこのわしも〈幻想〉だというのか?」
「さようです」悪魔は頷きながら言った。「もしくは人間どもの心の一部なわけですね。ということは、つまり、連中が〈神〉になったということです。私もその一部、ということは、彼らは〈悪魔〉でもある。ここで重要なのは、旦那も私ももはや人間の心に〈外から〉働きかける存在ではなくなったということです。それは全部彼らの心の中に〈含まれる〉ものであって、旦那や私が人間を作ったのではなくて、逆に我々はたんなる彼らの発明品にすぎないことが明らかとなったのです。それは人間の〈心理的投影〉の産物でしかないのです」
「そんな馬鹿な話が…」と神は悶絶せんばかりの様子で叫んだ。「創造主たるわしが、逆に彼らの創造物にすぎないとは、冒瀆にもほどがある! わしはかねて君の傲慢を指摘してきたが、悪魔ですら神が自分の創造物であるなどとは言わなかったではないか!」
「仰せのとおりで」と悪魔は話を続けた。「しかし、こういうのは科学における遺伝子操作、ゲノムとやらの解読が進む時代にはマッチしているのです。彼らは文字どおり〈神の領域〉に足を踏み入れ、その自信を裏書きすることになったのですから(人間は「脳」まで作れるようになった。AIってやつをご存じですか?)。この際、元々のフロイト、ユングの思想がどうだったかというような細かい話は、どうでもいいのです。問題はそれがどういう受け取られ方をしたかということで、まさにそのように受け取られて、旦那も私も〈もはや存在しない〉ことになったのです。実際、存在しない。旦那がさっき言われたようなことは、私の関与とは全く無関係に、彼らが〈自力で〉やっているのですから。恐れながら神も、もはや必要ではないのです」
「何ということだ…」そう呟く神の表情には明らかな恐怖が見て取れた。
「旦那の場合にはまだしも」と、ここで悪魔はいくぶん悲しげな表情を浮かべて言った。「やることがおありです。というのも、旦那の助けなしにはこの宇宙は成り立たないからです。そりゃあ、無視されるのは辛いことで、誰にも感謝されないとなると張り合いもありませんが、それでも〈日々の務め〉というものがあるのです。私の場合には、完全な失業状態で、この先もずっとそのままです。というのも、近頃では人間のやることや、心の動きを見ていて、私の方がこわくなることが多いからです。〈自立〉どころの話ではなく、悪魔の上を行く勢いで、今後はいかなる悲惨なことが起きようとも、私は自分の手柄を誇ることはできないのです。私とは無関係なのですから」
「それはまあ…」と慰めの言葉もないといった同情の顔つきで、神は言った。「〈諸行無常は世の習い〉と人間たちも言っているではないか。君の引退は、昔の君の華々しい活躍を知る者としては残念ではあるが、事ここにいたってはやむを得ない。日を改めて送別パーティを開くとしよう」
「あれを憶えておいでですか?」ややあって悪魔は言った。「昔の、例のエデンの園での一件です。〈禁断の木の実〉を私がイブとアダムに食べさせたという…」
「ああ」と神は応えた。「君はあのとき名文句で彼らを誘惑した。『汝ら、神のごとくなりて、善悪を知るに至らん』そう言ったわけだね?」
「そうです。あれは人間どもには珍しく聡明な、旦那とも私とも懇意にしていたゲーテという男の『ファウスト』という輝かしい本の扉に掲げられて、一躍有名になったものですが、私はあのことを時々思い出すのです。私はあれで彼らに〈自意識〉というものを目覚めさせたのですが、当時はまさかあの予言がこういうかたちで成就するとは、夢にも思いませんでした。私は虚偽をその本質とする存在です。それを彼らに真実と信じ込ませ、破綻に追い込んで悔恨の涙に暮れさせるというやり方で、かつてはそこで旦那の出番となったのですが、今ではそうはならず、虚偽がそのまま真実となってしまったのです。破綻に追い込まれたのはこの私…。当時の私は人間を甘く見すぎたのです。彼らは何と言ってもうぶで無邪気な、根は正直な生きもので、根底に神聖なもの、真理への強い憧憬と畏敬を抱き、物質的なものでない、超自然への感性を決して失わないものだと。だから惑わす甲斐もあったので、誰が言わずとも〈分際〉というものをわきまえていて、〈自分がすべて〉だなどと悪魔ですら恥じ入るような思い込みをもつことはよもやあるまいと。しかし、今やそういうつつましさは完全に消え去った。そうして彼らは臆することもなく自らを〈神の地位〉に据えたのです」
「仕方がないさ」と神は慈悲と諦念のまなざしを向けて、最後に言った。「君がさっき言ったように、人間は今やすっかり〈自立〉したんだからね。…」
【追記】「神」の指示により、次の記事をご紹介しておきます。島がどうのといったチマチマした領土争いなどより、こちらの方が事態ははるかに深刻で、切迫しています。このまま進めばアマゾンの密林は2050年以前に〈全滅〉する可能性がある。それが地球規模でどれほど大きな気象変化をもたらすかは、神ではなく、科学者に聞いても大体のところはわかるでしょう。生物多様性だけではなく、新薬などの貴重な源泉も失われる。見返りの経済援助をしてもいいから、国連はブラジル新政府に一刻も早く愚行を思いとどまらせるべきです。
・「サッカー場100万面」相当の森林、1年で消失 ブラジル
祝子川通信 Hourigawa Tsushin
僕は動物園に一日中いても飽きないという人間で、わが子が小さい頃はよく親子で行ったものですが、最近はそういう口実もないし、何より近くに動物園がないのが残念です(都会の方がかえって動物園へのアクセスがいい)。
それで、たまにこういうニュースを見ると感動するのですが、やっぱり中国は広いなという感じで、今でもちょっと奥の方に行くと、こういうすごいのがいるのです。昔、僕がまだ二十代の頃だったと思うのですが、東京は池袋のサンシャインビルで、「大爬虫類展」というのが開催されて、大喜びで見に行ったところ、陸ガメやワニ、ニシキヘビの類だけでなく、直前に中国のどこかで捕獲されたという白色の巨大スッポンまでいて、その迫力にはびびったものです。他の記憶と混じったのでなければ、僕が初めてホワイトタイガーを見たのも、そこでだったような気がするのです(爬虫類展にいるというのはヘンですが)。あれはふつうの虎より一回り大きくて、その神々しい、凛々しい姿には息をのんだものです。
前置きはこれぐらいにして、その大トカゲの雄姿を見てもらいましょう。
・動画:レストランで「無銭飲食」? 体長2メートルの巨大トカゲ、店主に捕まる
この説明文もなかなかに秀逸です。
【CNS】中国・雲南省(Yunnan)景洪市(Jinghong)にあるレストランに、全長約2メートル、体重約16キロの巨大なトカゲが現れた。
トカゲはレストラン内にある鶏を「無銭飲食」しようとしたところで店主に捕らえられた。森林公安局の警察が現場に駆け付けたとき、トカゲはすでにおりの中に入っていた。トカゲの身体は黒く、淡黄色の斑点模様を持っていて、檻の中でおとなしくしていた。
森林公安局と専門家によると、このトカゲは中国国家一級保護野生動物のミズオオトカゲだということが分かった。数日の飼育観察をし、適正を見極めてから自然に戻すという。【翻訳編集】(c)CNS/JCM/AFPBB News
「現行犯逮捕」というわけですが、文面から察するに、「無銭飲食」は“未遂”に終わったようです。店主「ニワトリの調理の方はどういたしましょう?」大トカゲ「レアで。いや、そのまま丸ごとがいいな」「お支払いは?」「アメックス珍獣カードで」…というような展開にはならなかったのです。
こういうのがレストランに出没するということ自体がすごいので、トイレに行こうとしたら、でかいのが通路をふさいでいたりするのです。前にうちの塾で、珍しく今日は来るのが遅いなと思っていたら、入口のところで女子生徒とその母親が立ち往生していて、前の時間の生徒たちが出たときやっと入れたということがありました。
「一体どうしたの?」
「大変だったんですよ!」
聞けば、ドアの把手のところに大きなバッタが止まっていて、恐ろしくて入れなかったのだと言う。そのため十分以上もそこで足止めを食っていたのです。帰宅してからパソコンのメールを見ると、お母さんからのSOSメールが入っていて、「緊急! 助けて下さい! バッタがいて入れません!」と書かれていたので大笑いしたのですが、お母さんはそのメールアドレスが僕のケータイのそれだと思ったのでしょう。あいにくなことに僕はその種のものはもたない化石人種なので、何の意味もなかったのです。
バッタでそれなら、こういうのは完全な“気絶もの”でしょう。だから、この段階で書いても、もう手遅れかもしれませんが、そういう人たちはクリックして上の動画を見たりしてはいけないわけです。
上の動画には音声も入っていて、中国語がわからないので意味はわかりませんが、何となくユーモラスな感じです。中国一般庶民の善良さを感じさせるものです。檻のところに魚も一緒に映っているのは、大トカゲに餌として与えたものでしょう。「中国国家一級保護野生動物」という呼称も可笑しい。日本で言えば「特別天然記念物」あたりの位置づけなのでしょう。何かと問題が多いこわい中国共産党政府も、そうやって稀少動物は保護しているわけです。
僕は時々考えることがあります。地上最強(最凶)の動物は、言わずと知れた人間ですが、その中でも特にパワーゲームにふける権力者たちを集めて、一つの檻に入れ、動物たちに見せてあげたらどうだろうかと。その檻の上にはこう表示されています。〈世界最凶悪動物〉。見物どころではなく、恐れて誰も近づくものはいないかも知れません。彼らには〈霊視〉でその真の姿が見えるからです。
そういうわけで、僕らもたまには他の動物になったつもりで、その視点からわが姿を眺めてみると、大いに教訓的かもしれません。
それで、たまにこういうニュースを見ると感動するのですが、やっぱり中国は広いなという感じで、今でもちょっと奥の方に行くと、こういうすごいのがいるのです。昔、僕がまだ二十代の頃だったと思うのですが、東京は池袋のサンシャインビルで、「大爬虫類展」というのが開催されて、大喜びで見に行ったところ、陸ガメやワニ、ニシキヘビの類だけでなく、直前に中国のどこかで捕獲されたという白色の巨大スッポンまでいて、その迫力にはびびったものです。他の記憶と混じったのでなければ、僕が初めてホワイトタイガーを見たのも、そこでだったような気がするのです(爬虫類展にいるというのはヘンですが)。あれはふつうの虎より一回り大きくて、その神々しい、凛々しい姿には息をのんだものです。
前置きはこれぐらいにして、その大トカゲの雄姿を見てもらいましょう。
・動画:レストランで「無銭飲食」? 体長2メートルの巨大トカゲ、店主に捕まる
この説明文もなかなかに秀逸です。
【CNS】中国・雲南省(Yunnan)景洪市(Jinghong)にあるレストランに、全長約2メートル、体重約16キロの巨大なトカゲが現れた。
トカゲはレストラン内にある鶏を「無銭飲食」しようとしたところで店主に捕らえられた。森林公安局の警察が現場に駆け付けたとき、トカゲはすでにおりの中に入っていた。トカゲの身体は黒く、淡黄色の斑点模様を持っていて、檻の中でおとなしくしていた。
森林公安局と専門家によると、このトカゲは中国国家一級保護野生動物のミズオオトカゲだということが分かった。数日の飼育観察をし、適正を見極めてから自然に戻すという。【翻訳編集】(c)CNS/JCM/AFPBB News
「現行犯逮捕」というわけですが、文面から察するに、「無銭飲食」は“未遂”に終わったようです。店主「ニワトリの調理の方はどういたしましょう?」大トカゲ「レアで。いや、そのまま丸ごとがいいな」「お支払いは?」「アメックス珍獣カードで」…というような展開にはならなかったのです。
こういうのがレストランに出没するということ自体がすごいので、トイレに行こうとしたら、でかいのが通路をふさいでいたりするのです。前にうちの塾で、珍しく今日は来るのが遅いなと思っていたら、入口のところで女子生徒とその母親が立ち往生していて、前の時間の生徒たちが出たときやっと入れたということがありました。
「一体どうしたの?」
「大変だったんですよ!」
聞けば、ドアの把手のところに大きなバッタが止まっていて、恐ろしくて入れなかったのだと言う。そのため十分以上もそこで足止めを食っていたのです。帰宅してからパソコンのメールを見ると、お母さんからのSOSメールが入っていて、「緊急! 助けて下さい! バッタがいて入れません!」と書かれていたので大笑いしたのですが、お母さんはそのメールアドレスが僕のケータイのそれだと思ったのでしょう。あいにくなことに僕はその種のものはもたない化石人種なので、何の意味もなかったのです。
バッタでそれなら、こういうのは完全な“気絶もの”でしょう。だから、この段階で書いても、もう手遅れかもしれませんが、そういう人たちはクリックして上の動画を見たりしてはいけないわけです。
上の動画には音声も入っていて、中国語がわからないので意味はわかりませんが、何となくユーモラスな感じです。中国一般庶民の善良さを感じさせるものです。檻のところに魚も一緒に映っているのは、大トカゲに餌として与えたものでしょう。「中国国家一級保護野生動物」という呼称も可笑しい。日本で言えば「特別天然記念物」あたりの位置づけなのでしょう。何かと問題が多いこわい中国共産党政府も、そうやって稀少動物は保護しているわけです。
僕は時々考えることがあります。地上最強(最凶)の動物は、言わずと知れた人間ですが、その中でも特にパワーゲームにふける権力者たちを集めて、一つの檻に入れ、動物たちに見せてあげたらどうだろうかと。その檻の上にはこう表示されています。〈世界最凶悪動物〉。見物どころではなく、恐れて誰も近づくものはいないかも知れません。彼らには〈霊視〉でその真の姿が見えるからです。
そういうわけで、僕らもたまには他の動物になったつもりで、その視点からわが姿を眺めてみると、大いに教訓的かもしれません。