メロンパンのうた

2016.10.05.21:13

 というのを、突然ですが、ご存じですか? イオン系列のスーパーのパンコーナーでだいぶ前から流れている歌で、可愛い子供の声で、

♪ わたしが一番好きなのはメロンパン
   だけどメロンは入ってない


 というのです。ご不審は尤もながら、子供用の歌だとしても、よくこういう発想ができたなと感心していたのですが、気になってネットで調べてみると、何と歌っているこの子が作詞作曲も全部していて、立派な「シンガーソングライター」なのです。Youtubeに全曲がアップされているので、あらためてご鑑賞ください。

・メロンパンのうた(完全版)

 名前は「ゆっぴ」さんだそうで、驚いたことにウィキペディアにも出ている。そこの説明がまた笑えるので、

 ゆっぴ(1997年12月26日 - )は、日本の女性ギタリスト、シンガーソングライターである。東京都出身。
 小学校3年の時、『メロンパンのうた』を作曲。それを1学年上がった小学校4年の時に、ラジオで曲が流れたことによりブレイク。当時、主婦の間で流行った。
 学業専念のために2010年5月に活動を一時休止することを自身の公式HPで発表。


 とあって、この歌がリリースされたのは2007年、10歳のときだったらしいので、だいぶ前の曲なのです。にしても、「学業専念のため」というあたりが可笑しいので、2010年5月といえば、彼女はまだ12歳なのです。今はもう満の18歳ということになりますが、活動は「休止」したままなのでしょうか?

 前にもスーパーの、こちらは鮮魚コーナーで、

♪ さかな さかな さかな さかなを食べると
   あたま あたま あたま あたまがよくなる


 というのがよく流れていたことがあって、大方の人は憶えておいででしょう。あれも笑えましたが、塾の生徒が「先生、あれはホントですか?」とけっこう真面目な顔つきできいたりしていました。「うーん。まあ、うまくすれば偏差値が5は上がるかも」と答えたかどうかは忘れました。

 こちらは大人の女性の声で、昔から声のきれいな女性に弱い僕は、「きれいな声だな」とよく聞き惚れていたのですが、もっと若ければファンレターを出していたかもしれません。昔、大学生の頃ですが、NTTの電話番号案内で、おそろしく声のきれいな女性に当たって、「いやー、ほんとに声がきれいですね」と言ってしまったことがあって、相手は笑って「ありがとうございます」と応じてくれたのですが、その言い方がまたナチュラルそのものだったので、「ついでにあなたの電話番号も教えていただけないでしょうか?」と言いたくなるのを抑えるのに苦労しました。「あいつならその程度のことは平気でする」と言われるような分別のない若者だったのですが、かろうじて理性が勝ったのです。それで、その「さかなの歌」は次のものです。

おさかな天国

 こちらの歌詞は大人でないと作れない、言葉遊びも巧みなものですが、やっぱり声が可愛くて、きれいです。僕は声だけで大体その人の性格は判断できると考えている者ですが、これを歌っている女性はきっと性格的にも裏表があんまりなくて、素直ないい人ですよ。

 ところで、一体何のためにこんなことを書いているのか? そう聞かれると困るので、別に理由はないのです。「だから分類が『ナンセンス』になっているのか!」と今頃怒らないでくださいね。
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センター試験必勝法!

2014.01.02.06:12

 あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします。
 
 今年もセンター試験が指呼(しこ)の間に迫りましたが、今回はお正月特別企画として、読めば損する、ではなかった、読まないと損する重要アドバイスを受験生たちに贈りたいと思います(「指呼の間」なんて、きょうびの若い子は知らないでしょうが、これは「指さして呼べば答えるほどの近い距離」の意味で、それを時間の領域に転用したものです。滲み出る教養!)。

 センター試験といえばまっ先に思い出すのが、かれこれ十年も前の出来事です。センターが終わった後、一人の生徒が塾に報告に訪れ、ドアを開いて首をにゅうっと出すと、ニカーッと笑いました。僕はその笑みを見て、なぜだか悪い予感に襲われました。彼は言いました。
「よいしらせと悪いしらせがありますが、先生はどちらから聞きたいですか?」

 やっぱり…。しかしとにかく、報告を聞かないと始まらないので、「じゃあ、いい方から聞こうか」と言いました。

「英語が160点取れました」
「何? それはすごいじゃないか! 素晴らしい!」
 模試ではいつも偏差値50スレスレの低空飛行だったのに、画期的なことです。
「でしょう? もうこんな成績は一生取れないと、親とも喜び合ったところです」
 彼の顔には満面の笑みが浮かんでいました。

 しかし、そうなると気になるのは「悪いしらせ」の方です。一体それは何なのか?
「国語が70点でした」
「70点? 100点満点の?」
「いや、200点満点です。英数国は200点満点ですからね」

 そんなことは言われなくてもわかっているが、母国語の試験で一体そのような恐ろしい点数(100点満点に換算するとたったの35点!)がありうるのか? 僕は頭の中で忙しく計算しました。仮に英語の平均点が120点だったとして、そこで作った貯金の40点を国語の借金返済に回したとして、足しても110点。120点と110点だと、ひょっとして平均点を下回るということになってしまうのではないか!

「まあ、そういうことになりますね」
 動じたふうもなく、彼は淡々とした口調で答えました。
「他の科目はどうだったわけ? 君は理系だから、数学や理科はよかったとか…」
「あまりぱっとしませんでした。とくに数学は、そのときはできたと思ったんですが、後で見たら計算ミスをしていて、大量失点しました。あの計算ミスさえなければ…」

 もうそのあたりから、僕の記憶は飛んでしまいました。せめて国語を100点取っていてくれれば、英語の貯金も少しは残ったものの(その年はあいにくなことに、去年と違って国語の平均点はけっこう高かったのです)。

 傾斜配点で国語の配点が大幅縮減される場合は除き、英数と同じく他科目の倍あるのだから、理系文系問わず、国語は隠れた重要科目なのです。

 その翌年だったか、僕はまたしても「国語がまるで駄目」という生徒に遭遇しました。それがセンター直前にわかったので、二度と同じ過ちを繰り返してはならないと、急遽国語の特別授業を行なうことにしました。こちらは女子生徒でしたが、学校でセンター用の演習問題集をやらされているというので、それをもってこさせたのです。

「先生は国語も教えられるんですか?」
「何を言うか。君は知らないだろうが、僕はかつて『国語の天才』と呼ばれていた。現国、古文漢文何でもござれで、あまりにもできすぎるので、できない生徒がつまづくところがわからないという理由から、国語は教えていないだけなのだ」

 半信半疑の様子でしたが、とにかく生徒はその問題集をもってきたので、その問題集をひったくると、「いいかい」と前置きして、特別講義を始めました。とくに「論説文」が苦手だというので、そこを集中的に教えようとしたのです。「論説文」はかつて僕の最も得意とするところでした。

「こういうのはねえ」と、僕は自信に満ちた口調で言いました。「本文なんか何も読まなくったって、選択肢を一瞥しただけでもある程度の見当はつく。難しげな言葉が尤もらしく並んでいるだけの意味不明の選択肢を片っ端から消してゆけば、正解だけが残る。たとえば、この選択肢の③ね。これなんか、何言ってるんだか、まるっきり意味がわからないだろ? 精神病院を脱走してきた人だけが、こんなわけのわからない文を綴るのだ。それでこれをまっ先に消す。それから、他に消せるものは…あ、この①もそうだね。それから…あれ?」

 予期せぬことが起きました。どういうわけだか、選択肢が全部消えてしまったのです。
 しばしの沈黙。

「君、ひょっとして、この問題集には『正解なし』ってのも入ってるの?」
「いえ。ちゃんとひとつずつ正解があります」
「へえー。そうなの…。おかしいねえ…」
 さらに気まずい沈黙があった後、僕はやっとのことたずねました。
「それで、これの正解はどれになってるの? 全部違うとしか思えないんだけど…」
「それが…」と生徒はもじもじしながら、言いにくそうに言いました。
「先生が最初に『違う』とおっしゃった③が正解になっています」

 な、何ということだ…。しかし、インチキ霊能者と同じで、塾教師たるもの、この程度のことで心の動揺を外に表わすようであってはならないのです。

「あ、そうなの。なるほどねえ…。しかし、あれだね、こういうのは問題がそもそもよくないので、作成者の能力が低いと、誰にも正解がわからないということも珍しくない話なんでね、それに、考えてみれば、論説文を速成マスターするってのは少し無理があるから、もう時間もないことだし、思い切って論説は捨てることにしよう! 現国は小説文で勝負だ! なに、大したことはない。たったの50点で、まだ残りは150点もあるんだから!」

 これに懲りて、僕が国語を教えようなどという危険な野心はきっぱり捨てたことは言うまでもないことです。相変わらず国語が苦手という生徒は少なくないが、そういう生徒たちには「本を読め」ということと、昔僕は、選択肢の問題の場合には、自分がこうだろうと思っていることに内容的に一番近い選択肢をえらんで大体正解できていたので、そういうやり方をするようアドバイスするにとどめるようになったのです(古文漢文は、前にここに一度書いたように、問題文がよくわからなくても、部分的な理解だけで設問の選択肢から正解を見つけ出す方法がありますが)。
「ありえない」と自信たっぷり断定して、実はそれが正解だったなんてことが続出したのでは、塾教師としては面目丸潰れで、自殺行為というものです。

 しかし、何であんなわけのわからないのが「正解」なんでしょう? いまだに釈然としないので、昔、法学部の学生だった頃、刑法のテキストを読んでいて、その著者である教授が「刑法上の占有とは、私の定義によれば、支配意思が客観化した状態である」と書いているのを読んで、何を自慢げに「私の定義によれば」なんて勿体つけてわけのわからないこと(主観に属する「意思」が「客観化」なんかするわけあるか!)を言っているのだと腹を立てたことがありました。これは要するに、その人が支配の意思をもって何かを所持・占有しているらしいのが傍目(第三者)から見てわかる、そう解釈するのが妥当な状態、ということを言っているにすぎないのですが、かんたんにそう言えばいいものを、わざわざ意味不明の日本語を作って得意がっているというのは頭が悪い証拠です。入試問題の論説文にもこの類が少なくないので、入試問題作成者は、その必然性もないのに意味もなくわけのわからない表現(日本語になっていないだけ)をする著者のものは出さないことにすることです。でないと受験生の知性が深刻な害を受けてしまう。僕の文章なんて、実にわかりやすいでしょう? こういうのを入試に出せばいいのです。教育的配慮にも満ち満ちているし、実に賢明な選択ではありませんか?

 話を元に戻して、そういうわけで今の国語の試験は果たして本当に国語力を見る試験になっているのかどうか疑わしいところはあるのですが、センター対策としては、教材業者や予備校が作った想定問題集よりは、実際の過去問の方が選択肢に無理がないものが多い(ひとりよがりすぎるものを作るとすぐ激しい批判にさらされるので)ように思われるので、練習としてはそれをやるのが一番よいでしょう。あんまりヘンなものをやりすぎると、「正しさの基準」というのがわからなくなってしまって混乱するので、質の悪い問題集は避けたほうが賢明です。国語の問題は実際、一番作りにくいのです。とくに「支配意思が客観化した状態」なんて日本語表現を異常だと思わない人が作ると、目も当てられないものになってしまうでしょう。

 お次は英語に移るとして、こちらはどうすればいいのか? 量が多いセンターはスピード勝負というところがあるので、速く読む癖をつけろと言っていたら、速く読んだらわけがわからなくて、結局問題文を何回も読み返す羽目になって、かえって時間を食われている生徒がいるとわかったので、いつぞや、それなら少しスピードを遅くしてもいいから、何回も読み返さなくていいようにして、「一発で仕留めろ」というアドバイスをしたら、模試でそれをやったら、今度は時間が足りました、と言う生徒がいました。僕は満足して、「それで点数はどれくらい上がった?」と聞いたら、ほとんど上がっていないと言われてしまいました。

「先生の言うとおり、『一発で仕留めた』んですが、答が合ってなかったんです」

 胸を張って、そうおっしゃる。それじゃちっとも「仕留めた」ことにはならないじゃないかと思いましたが、どうも設問の段階で、二つ残ったのをうまく絞り込めなかったり、想像力が豊かすぎるのか、時々集中力にエアポケットのようなものができてしまうのか、よくわからない理由によって、平気で全然違うのをえらんだりしているようなのです。

「あとで解説を読んだり、説明されたりすると、『ああ、そうだな』ってわかるんですよ。でもなぜだか本番では違うのをえらんでしまうんです。こういうのって、どうすればいいですか? 先生、早く次の手を考えて下さい」

 ひとごとみたいに言うなよ。その「なぜだか」がこちらにはわからないから苦労しているのだ。
 うーん。これはやっぱりメンタルかな。君ら、部活のとき、試合になると焦ったりヘンな具合に緊張したりして、全然練習のときみたいにからだが動いてくれなかったということはない?

「そうですよ! 先生、よくわかりますね。それでいつも負けてたんです!」

 図星だと喜んでいる場合ではない。実はそういうのが一番やっかいなのだ。神経質で緊張しやすいタイプなのに、不思議と勝負どころでは強いという子もいて、こういうのはたいてい入試なんかにも強い。反対に、落ち着き払っているように見えるが、からきし勝負度胸はないというのもいてややこしいのですが、僕の見るところ、この子たちの場合は性格的に善良すぎるというのか、温暖な延岡の気候の中で育ったものだから、寒風は苦手で、緊張した場面では雰囲気に呑まれてしまいやすいというところがあって、それでうまく行かないのかも知れない。基本的に競争とか戦いとかが苦手な心優しい平和人種なのです。

「長所が裏目に出るというか、そこらへんが難しいんだよね」
「ひとりで何ブツブツ言ってるんですか。私らにわかるように説明して下さい!」
「だから何というのか、君らは今緊張してないだろ?」
「してませんよ。なんで先生相手に私らが緊張しなきゃならないんですか?」
「僕としてはたまにもう少し緊張して授業を受けてくれないかなと思うことはあるんだけど、そこらへんの調整具合が下手なんだよね。リラックスしすぎていたり、緊張しすぎたりして、ほどよい緊張状態を維持することができない。リラックスしすぎてダレたり、緊張しすぎて疲れたりするから、どちらの場合も頭がよく働いてくれないんだよ。注意力や集中力も、それではうまく働かない」
「じゃあ、その『ほどよい緊張状態を維持する』にはどうすればいいんですか?」
「そうやって、君らはすぐ聞くだろ? 自分は何も考えないで。だから気づきというか、自覚が生まれにくいので、自分で工夫してあれこれやってみて、進歩成長するってことが期待できにくいんだよ」
「失礼な! それじゃ、まるっきり私らが馬鹿みたいじゃありませんか? もう老後の面倒は見てあげませんからね!」

 誰がそんなこと頼んだかって…。とにかくいつもそんな具合に、話がとんでもないところに行ってしまって、お笑いバラエティみたいなノリで終わってしまうから、シリアスな会話にならないのです。

「君らはこの前も言ってたじゃないか。予習でも前よりずっと辞書を引く回数が減って、英文の意味もよくわかるようになってきたって」
「そうですよ」
「そうすると、確実に力はついてきてるわけだよ。問題はどうしてそれが点数に反映されないかで、それは問題を解くときの詰めが甘いからだよ。つまり、細心さが足りない。それは試験特有の雰囲気に呑まれて意識が上ずって、あわてなくてもいいのにあわてたりして、落ち着きをなくしてるからじゃないのかね?」
「そうだと思います」
「だったら、落ち着けばいいわけだよ」
「どうすれば落ち着けるんですか?」
「かんたんに言えば、居直ることだよ。『結果が悪かったらどうしよう!』なんて心配をしてたら、落ち着けるわけがない。『人事を尽くして天命を待つ』って言うだろ? 結果は神様に任せて、とにかく落ち着いて全力を尽くす」
「ジンジって何ですか?」
「『人にできる事』要するに、『自分にできる範囲のこと』だよ。そりゃあ、あのときああしておけばよかった、こうしてよけばよかったってのは誰にでもあるだろうけど、曲がりなりにもせいいっぱい努力はしてきたわけで、本番ではその自分を信じるしかないわけだよ。自分のもてる力を尽くせばいいので、よけいな結果の心配なんかせずにそうやって全力を尽くすとき、一番いい結果が出るものなんだよ。雑念がなくなると集中力は最大限に高まって、人間は最高のパフォーマンスができるものだからね」
「そしたら、いつも模試で40点しかとれない化学で80点取れますか?」
「取れないよ、そんなもの。そういう点数ってのは、圧倒的に勉強量が足りていないからで、知識の絶対量が不足しているんだから。その場合は、まだ時間は残っているんだし、直前まで詰め込めばいいのさ。そしたらそれも夢じゃないかも知れない。僕が言っているのは、力はついてきてるのに、『駄目なんじゃないか』とよけいなことを考えすぎて点が取れない科目にあてはまるので、その場合には今言ったふうにすると得点が2割増ぐらいになることは請け合えるということ。気持ちで負けてたら、能力は出せなくなるんだよ。それを忘れるなということ」

 この「気持ちで負けない」というのは「勝ち気にはやる」というのとは違うことなので、そのへんまで説明するとややこしくなるのですが、とにかく「結果を焦る」という姿勢にならないことです。それは失敗を恐れる心理の裏返しなのですから。もてる全力を尽くすという心構えで、静かな闘志を燃やしつつ本番に臨む。そして予期せぬ難問にぶつかってもうろたえない。そこは最少失点で切り抜けて、取れるところでしっかり取ればいいので、落ち着いていれば、そのへんの気持ちの切り替えもできるのです(センターといえども、数学なんかではときに数学を得意とする生徒でも焦ってしまうような難問が出ることがあります。そこで「失敗した」という気持ちを引きずると他でもミスを重ねてしまう)。

 もう一つ、直前のこの時期に注意しなければならないのは、苦手科目克服に多忙なあまり、得意科目をほったらかしにして、一週間も全くそれに触れないまま、本番に突入してしまい、ふだんはよくできるその得意科目のカンが戻らず、大失敗してしまったりすることがあることです。これは痛すぎる。
 だから、長時間それをやらなくてもいいから、試験カンが鈍らないよう、毎日少しはそれに触れて下さい。バランスも考えながら、多くの科目に触れるのです。

 先にも言ったように、基本知識の絶対量が足りていない場合には直前まで詰め込めばいいが、そうでない科目は、英語などとくに、復習を中心にやって今まで仕入れた知識の記憶と理解を正確なものにしておくことです。そういう復習・確認作業は、心を落ち着けるのにも役立つ。つまり、直前まで新しい知識を仕入れるものと、これまでの“在庫”整理を中心にするものと、科目によって対応を分けるのです。

 あとは、疲労困憊した状態で本番に臨む羽目にならないようにすること。前日眠りが浅くなったぐらいは平気ですが、慢性的な睡眠不足で疲労が蓄積していたりすると、頭が冴えず、思考の柔軟性が損なわれ、閃きも出てきません。そういうふうにならないよう、うまくコンディションをもってゆくのです。

 まだ書けばいくらでもありますが、これぐらいにしておきましょう。
 最後に、本番で上がり性の人は、試験開始前に何回か腹式で深呼吸するといいでしょう。おなかに力を入れて、二、三回ゆっくり息を吸ったり吐いたりして、肩の力を抜く。手の指を交互に重ね合わせて、それを天井に向けて思いっきり伸ばす、なんてのも脳に刺激を与えていいかも知れません。そうやって、からだのこわばりを解きほぐすのです。

 こういうのも、しかし、あんまりやりすぎるとよくないので、僕はかつて、深呼吸から本格的な瞑想状態に入ってしまい、時間を超越してしまって、試験終了のチャイムではっと現実に呼び戻されたということがありました。目の前に白紙の答案が残っている。それであわてて、受験番号と名前だけ書きました。こうしておけば、ヒマラヤの聖者か何かが奇蹟をあらわして白紙の答案を埋め、合格させてくれるのではないかと思ったからですが、まな弟子に対する“愛のムチ”と見るべきか、そのようなことは起きませんでした。大学側もその白紙の答案が「高度な霊性」の産物だということは理解できなかったようで、その大学は気の毒なことに、とびきり優秀な若者の確保に失敗したのです。
 遺憾ながら今でもそのようなことを理解する大学は存在しないと思われるので、かつての僕のような高度な資質をもつ受験生は、そうした才能を試験場で発揮することは差し控えるようにした方がよいと思われます。

 受験生諸君の健闘を祈っています。Trust Yourself!

ふなっしーは「非公認」だった!

2013.10.31.16:10

 シリアスな後期オヤジ(後期高齢者に準じてこう称している)である僕は、ふだんこの手の話題には見向きもしないのですが、殺伐たる世相を和らげるものとして、いわゆる「ゆるキャラ」なるものには一定の理解を示しています。

 先頃は、お隣り熊本県の「くまモン」が天皇皇后両陛下にお目通りし、あまつさえ皇后様から「くまモンはお一人なの?」という慈愛に満ちた有難いお言葉まで賜ったとか。昔、初めてパンダが上野動物園にお目見えして大騒ぎになったとき、VIPというのはVery Important Pandaの略なのではないかと言われましたが、今や「ゆるキャラ」といえども、くまモンほどの人気者ともなれば、そこらのオヤジなんかとは比べものにならないほどの社会的重要性をもつのです。

 去年、うちの塾にも熱烈な「くまモン」ファンの女子生徒がいました。下敷きやファイル、筆箱まで全部「くまモン」で統一されているのです。カバンにはもちろん「くまモン人形」が吊り下げられている。「くまモンって、可愛い!」と、くまモンにプロポーズされたら一発でお嫁に行きそうな感じでした。あるとき僕はスーパーで「くまモン」包装の塩飴を見つけたので買ってきて、中味は皆で食べたのですが、その袋はもちろん彼女が大事そうに持って帰りました。
 どうせ今どきのお馬鹿な女子高生だろうって? それがまた、お勉強の方もよくできる子だったので、余裕で九州大学に合格したのです。想像するに、彼女の部屋は「くまモン」グッズに埋め尽くされていたのではないかと思いますが、愛するくまモンに囲まれて、幸福な気分でお勉強にも励むことができたのでしょう。

 そのとき僕は一つ不審に思ったので、「宮崎県にはそういうご当地キャラはいないの?」とたずねました。すると彼女のみならず、女の子たちの表情が一斉に曇りました。
 「いるんですけどね、一応…」
 「みやざき犬とかいって、何と言うか…その、センスが…」
 「あんなのじゃねえ…」
 「要するに、わざとらしいというのか、ちっとも可愛くないんですよ!」

 酷評に次ぐ酷評! やはり「ゆるキャラ」にももって生まれたスター性というか、“花”があるものとないものとがあって、ないものはいくら宣伝しても流行らないのです。その代表の一つが「みやざきけん」。「くまモン」なんかは一気に全国区の人気者になりましたが、「みやざきけん」は県内の女子中高生たちにすら無視されているのです。とほほ…。

 ところで、おなじゆるキャラのあの「ふなっしー」というのは何なのでしょう? 僕はテレビはふだんニュース番組とドキュメンタリーの他には、「ダーウィンが来た!」ぐらいしか見ない(訂正:「トンイ」も見ています)のですが、何度かたまたま民放であれが映るのを見たことがあって、そのたび「何なんだ、これは?」とチャンネルを変えずにそのまま見てしまったのですが、あれは人をそうさせてしまうようなインパクトをもった不思議な存在です。あまりにも安易で馬鹿げていて、一挙手一投足が全部可笑しい。

 そういうわけで、僕でさえ「ふなっしー」は知っていたのですが、しばらく前にある女子生徒に「先生、私って、ふなっしーに似てますか?」と急に聞かれたときは、途方に暮れてしまいました。

 「ふなっしーって、何でまた…?」
 「この前学校で○○先生が、私のことをまじまじと見て、『君はふなっしーそのものじゃない?』って、いきなり言ったんです。帰るときも『バイバイ、ふなっしー』って。女の子にそんなこと言うなんて、失礼だと思いませんか!」

 彼女の話によれば、その先生はふだん教わっている先生ではないのですが、学年集会か何かがあって、そこにやってきた先生が、不意に自分の前で立ち止まって「ふなっしー」呼ばわりしたというのです。その先生のことは、先方は知らないでしょうが、僕の方は生徒を通じてよく知っていて、優秀だと僕が買っている先生の一人です。真面目だが、言われてみれば、そういうヘンなことを面白がるところはありそうな人物に思える。

 「たしかに、それは失礼な話だよね。君がふなっしーに似てるなんて、そんなことは…」

 言いながら、僕は笑いをこらえることができませんでした。その子は可愛い子なのですが、何かそのたたずまいに、ふなっしーを髣髴させるような“天然”的なところがないではない。本人にもそれを真面目に気にしているふうはなくて、一緒に釣られて笑い出してしまったのですが、以来、僕は彼女の顔を見るたびにふなっしーを思い出してしまうという病気にかかったのです。前は「くまモン」ファンがいたと思ったら、今度は「ふなっしー」が生徒の中に出現したのです。他にも想像力が豊かすぎて、英文を読んでいるうちにとんでもない空想物語の中に入り込んでしまって、毎度「珍答」で笑わせてくれる生徒が何人もいるのに、この上「ふなっしー」まで新戦力として加わったとなると、塾としての“厳粛さ”を維持するのに苦労する羽目になるのです(幸い学年は別ですが)。

 さて、そのふなっしー(本物の方)ですが、それが「くまモン」などと違って「公認キャラ」でないことを、次の記事で僕は初めて知りました。

【千葉県船橋市は30日、非公認のご当地キャラとして同市をPRしている、「ふなっしー」に感謝状を贈った。“梨の妖精”として一昨年に誕生したふなっしーは、型破りな言動で全国区の人気者になっている。
 地元の保育園児が声援を送る中、市役所で松戸徹市長から感謝状を受け取ったふなっしーは体をくねらせ、「感謝感激なっしー、ありがとなっしー」。市公認キャラの「船えもん」とともに上機嫌で撮影に応じた。
 今年最後の目標は紅白出場とのことだが、「オファーはまだないなっしー」。市長は新たに公認キャラとしないとし、ふなっしーも「やめとくなっしー」と非公認キャラのプライドを見せた。】(産経新聞)

 船橋市の「公認キャラ」は「ふなっしー」ではなくて、「船えもん」だったのです。
 考えてみれば、「公認」のキャラならあんなに無茶苦茶(この記事では好意的に「型破りな言動」となっていますが)やってるはずもないのですが、それにしても、あれが「梨の妖精」だったとは! あんなドタバタした(運動能力は極めて高い)妖精がいるとは、妖精の定義それ自体に反するようにも思われますが、本人がそう言っているのだから仕方がありません。妖精にもノー天気な特殊なタイプが稀に存在するのでしょう。

 ともあれ、僕はこの「ふなっしー」の栄誉を、わが塾の「ふなっしー」にも伝えることでしょう。そのふなっしーの勇姿の写真はこちらです。

 それでついでに思ったのですが、わが延岡市もそういうキャラを作りませんかね。名前は「のべりん」とかして、ぼーっと突っ立って何もしないのです。やたらと動き回るキャラ全盛の折柄、かえって注目を引くかもしれません。何もしないのは僕の最も得意とするところ(ほとんど天賦の才能と言える!)なので、あと何年かして塾教師を引退した暁には、僕がその着ぐるみの中に入ってもよい(もちろん、日当はいただきますが)。素晴らしいアイディアではありませんか?

愛すべきカエルの話

2013.06.02.07:40

 遠くに近くに、カエルの大合唱が聞えるこの季節になると、ああ、梅雨に入ったんだなと実感します。人間にとっては梅雨はじめじめうっとうしいものですが、田んぼは梅雨がなければ困るし、元気に鳴きかわすカエルたちはほんとに嬉しそうです。聴いているこちらにまでその楽しそうな気分が伝染してくる。

 そこで、カエルの話を少々。子供の頃はよくカエルをつかまえて遊んだものですが、今でも子供たちに最も人気のあるカエルはトノサマガエルでしょう。あれはつかんでもイヤなにおいがしないし、すべすべのおなかをさわると気持ちがいいし、見た目も立派で、ジャンプ力がすごい。小学生の頃はあれの胴体に糸を巻きつけて、犬を散歩させるみたいにして、ピョンピョン飛ばせて喜んでいたものです。

 トノサマガエルよりもっとすごいのは、ウシガエルです。僕の田舎にはあれはいなくて、外来種だからむしろそれは当然ですが、高校のときにそれに初めてお目にかかった。下宿のそばでヴォ、ヴォ、と大きな声で鳴いているのを聞いて、初めは一体あれは何の声だと不気味に思ったものですが、その声の主がウシガエルだったのです。あるとき、巨大オタマジャクシに遭遇、ふつうのオタマジャクシは(あれも可愛いものですが)少し力を入れれば潰れてしまうのに、おそろしく頑丈で肉厚です。それがウシガエルのオタマジャクシなのだという話で、オタマジャクシの段階でこれでは、成体がデカいのも道理です。

 ウシガエルは、しかし、ガマガエルなんかと違って見た目のグロテスクさはなく、トノサマガエルをデカくしたようなかなりスマートな体型で、非常に魅力的です(別名「食用ガエル」で、食用にされるのはかわいそうな気がしますが)。

 延岡にもウシガエルはいて、息子が小学校低学年のとき、祝子川の河川敷でよく二人野球をしていたのですが、川の淀みにカメや鯉に混じって大きなウシガエルが何匹もいることに気づき、夏になったらあれをつかまえようということで、準備万端整え、「ウシガエル捕獲大作戦」、別名「オペレーション・ウシガエル」を決行したことがあります。網まで用意して、かんたんにつかまえられそうに見えたのですが、彼らはえらく俊敏で、ジャンプしたり、泥の中に潜ったりで、父子は一時間も悪戦苦闘したにもかかわらず、一匹もつかまえられずに終わりました。今度こそはと思っても、いつも最後のところで裏をかいて巧みに逃げられてしまうのです。彼らは頭もいい。その様子を他人然とした冷たいまなざしで眺めていた母親は、カエル相手に泥だらけになってそんな大騒ぎをして、しかも一匹もつかまえられないなんて、そこらで見ている人たちに恥ずかしいとは思わないのかと、軽蔑しきったような顔つきで言いました。一番運動神経が鈍いくせに、そんなら自分がつかまえてみろ、と言うと、まともな人間はそもそもそんなつまらないことに興味はもたないと、ひとり文化的な人間ぶりたがるのです。悪うござんしたね、原始的で。

 話は僕の高校時代に遡りますが、学校の図書館のそばに、一つ池があって、その池は周りが埋め込まれた岩に囲まれるようなかたちになっていて、上から見下ろすようなかっこうになっていたのですが、そこに黒々とした立派なウシガエルが二匹いました。誰が最初に気づいたのか、とにかくそのウシガエルたちは3年生のうちのクラスのヒマな連中の人気者になりました。糸の先にトンボなどをつけて上から垂らすとジャンプしてそれに食いつこうとするので、その姿が愛嬌たっぷりに見えて可笑しく、毎日、昼休みにそうやってエサをあげていたのです。すると、昼休みになると彼らは催促して鳴くようになった(ホントですよ)。それで、昼食をすませるとウシガエルのエサをとってくるのが日課みたいになってしまい、僕も何でこんなことしなきゃいけないんだと思いながら、毎日校庭でトンボを追いかけ回す羽目になったのです。

 ところが、ある日の昼休み、いつものようにそこに行ってみると、親愛なるウシガエルの姿が見当たらない。一体何事があったのかと皆騒然としたのですが、そうしているところにとんでもない情報がもたらされました。何と、二年生の生物部の男子が解剖実験用にそれを捕ってしまったというのです! 続報によれば、その生徒は汽車通学だったのですが、一匹は駅のホームで隙をついて脱出、そばの沼地に無事逃れ去ったということでした。それはよかったが、もう一匹はどうなったのか? あわれ彼はオタクじみたその生物部生に自宅で解剖され、文化祭用の生物部の展示の一つに加えられるべきものとして、変わり果てた姿で生物室に保管されているというのです。何たること! そのオタク後輩は、そのウシガエルたちが「恐怖の3D(中には僕のような品行方正な者もいましたが、個性豊かな問題児の巣窟だった)」の異名を取る先輩たちの大事なペットになっているということも知らず、かかる暴挙に及んだのです。

 許しがたい、ということで、その後輩はわがクラスの悪ガキ数人に呼び出されて鉄拳制裁を加えられる羽目になったようですが、良心に満ちた僕も、あえてそれを止めなかったということは告白しなければなりません。「よくもあの可愛いウシガエルを…」という憤りはいかんともしがたかったからで、ウシガエルの無念を晴らすためにも、二、三発パンチを食らわしてやるのは正当なことのように感じられたのです。

「おまえ、オレたちが可愛がってたウシガエルをどうしたって?」
「い、いや、ボクはただ生物の勉強のために…」
「やかましい! そんな言い訳が通用すると思っているのか!」

 てなわけで、ポカポカやられてしまったのかと思うと、気の毒な気もしますが、カエルが原因で先輩に殴られるなんて、前代未聞というか、ほとんどありえない話です。

 塾でこの話を生徒たちにすると、彼ら、とくに女の子たちは、その次元の低さとヒマさ加減、そして乱暴さに呆れてしまうようですが、彼らだって日々ウシガエルとの心温まる交流をもっていれば、気持ちはわかるのではありませんかね。

 ついでにその頃、その池には小型のトノサマガエルみたいなのもいたのですが、ある奴がカエルはおなかを撫でてやると寝るのだと言って、それをつかまえて実演してみせたことがあります。たしかに、白いおなかを軽くこすっているとウトウトしたようにカエルは目を閉じて、それをそっと水の上にのせると、しばらく仰向けになってそのまま寝て浮いているのです。それから、はっとしたように起き出して、通常の体勢に戻って泳ぎだす。その様子がユーモラスで可笑しい。僕も真似してやってみたら、同じ結果になる。おなかをそうやって軽くこすることには催眠作用があるのかも知れません。こういうのも見方によっては一種の生物虐待かも知れませんが、撫でられているときほんとにカエルは気持ちよさそうなのです。あれは一体どういうわけなのでしょう?

 最後に一句。

 つゆぞらや 四方(よも)を領する かわず声

 盗作と言わずに、「本歌取り」と呼んで下さい(元はむろん、「しずけさや 岩にしみいる 蝉の声」という芭蕉の有名な句です)。

イノシシ談義

2013.02.12.02:51

 僕はつねひごろ人間よりも野生動物に親近感を抱いている者ですが、このニュースには思わず笑ってしまいました。追いかけられた子供たちにとっては恐怖の体験だったかも知れませんが…。

【11日午後0時半ごろ、(埼玉県)ふじみ野市苗間の駐車場で、富士見市の小学5年生の男児(11)がイノシシに襲われ、両足の太ももをかまれて軽いけが。イノシシは約10分後、近くを警戒中の警察官に捕獲された。この際、警察官が手をかまれて軽傷を負った。
 東入間署の調べによると、男児は友達と計3人で近くの公園に遊びに行く途中で、突然、イノシシに追いかけられたという。友達にけがはなかった。現場周辺ではイノシシの目撃情報が寄せられており、同署が警戒していた。
 イノシシは体長約1メートル30センチ。現場は、東武東上線のふじみ野駅の東方約500メートルの住宅地。】(朝日新聞デジタル)

 最近はイノシシもよく街中に出てくるようで、前にテレビで長崎の市街地だったか、アスファルトの道路をイノシシ親子が夜間に仲良く並んで走っているのを見たことがあります。イノシシの子供のウリ坊は大人気ですが、親イノシシとなると、可愛いよりこわい。

 それにしても、イノシシって噛むの、という人がいるかも知れませんが、噛むのです。僕が子供の頃、小学校の裏手の山をイノシシが下りてきて、遊んでいる子供たちを尻目にグラウンドを猛烈な勢いで横切った後、町なかに入り、逃げ惑う小学生の女の子の一人が噛まれ、商店街を縦走してひっくり返るような大騒ぎをひき起し、新聞販売店のサッシ戸を壊した後、近くの鉄工場に突っ込み、そこの人の太ももに噛みついて、たまらず鋼鉄のハンマーか何かで必死に叩いたら死んだ、という事件がありました。

 翌日の新聞の地方版にはその記事がでかでかと出て、その見出しは「イノシシ、町を暴走 住民ら殴り殺す」となっていて、僕はそれを小学校の職員室で見たように記憶しているのですが、恐ろしく野蛮な人間が住んでいるところだと誤解されかねないので、他にもう少しマシな見出しがつけられなかったのかなと、可笑しくてなりませんでした。そのイノシシにかまれたのは僕の同級生の妹で、幸い軽い怪我ですんだようでしたが、足に大きな包帯が巻かれていました。同級生にも学校の裏山でそのイノシシと鉢合わせしたのがいて、彼はトリモチでメジロを取りに行っていたらしいのですが、ガサガサという音がしたので、茂った萱を掻き分けるようにして見ると、目の前に面長のイノシシの顔があって、悲鳴を発して転げるようにして無我夢中、山を下ったのだそうで、顔じゅう切り傷擦り傷だらけでした。彼は学年一の俊足だったので、逃げ足も速かったはずで、でなければ噛みつかれていたかも知れません。

 しかし、そのイノシシには大いに同情の余地があった。猟師に追われていたのです。昔はそういうことでもなければ、イノシシが昼間里に下りてくることは決してなかったので、僕みたいにオク(奥)と呼ばれるとりわけ辺鄙なところに住んでいて、年中野山を駆け回っている子供でも、日中イノシシと出会うなどということは一度もありませんでした(あれは本来夜行性の動物です)。サルだって、よほどの奥山に行かないと見かけることがなかった。松茸を取りに行って遅くなり、暮れかけた山道を慌ててかけ下っていたら、ムササビが突然目の前を横切って肝を冷やしたことはありますが。危険な生き物といえば、よくマムシには出くわしたもので、「見つけたら殺せ」と教えられていましたが、おじけづいているので、狙って石を投げても「頭を潰せ」と言われたその頭にはなかなか当たらない。失敗して、マムシがサッと身構え、するするっとこちらに向かってくると、必死に逃げるのみでした。あれに噛まれると命取りになりかねないということはわかっていたので、心底こわかったのです。稲刈りのときなど、さして広くもない一つの田んぼに悪くすると三匹もマムシがいることがあって、大人はそれを残さず退治してしまうのだから、大人というのは偉いものだと、畏怖の感情を抱いたものです(今どきの大人が子供に尊敬されない理由の一つは、この種のことで「えらさ」を示す機会がなくなってしまったからでしょう。子供は株で儲けたといったようなことでは尊敬してくれないので、このような「わかりやすいえらさ」が必要なのです)。

 話を戻して、今はイノシシでも熊(これは北の地域に限られるようですが)でも、平気で人家近くに出没する。僕の実家の周辺には、昔は奥山の崖っぷちにしかいなかったカモシカまで住み着いてしまい、悪くすると石段で鉢合わせしたりすることもあるという。舗装した道路に澄ました顔で立っていて、ケータイで写真を撮ろうとすると、ポーズまで決めてくれるという慣れ具合だそうで、ほとんど「自然動物園」状態です。むろん、ふつうのシカもそこらじゅうにたくさんいるので、サルと来た日には、傍若無人も甚だしく、庭の柿の実まで全部食べてしまうのはむろん、下手すると家にも上がりかねない。他に、タヌキ、アナグマ、キツネ、ウサギ、そしてイノシシと、勢ぞろいしていて、それが競うようにして畑と田んぼを荒らすので、僕の母親は、「あれたちのために作物をつくっているようなものだ」と嘆いています。野生動物のためのボランティアの食事係みたいなものだなと、聞いていつも笑ってしまうのですが、こうなったについては農水省の責任が大きいので、むやみやたらと植林を進めすぎて、原生林を激減させてしまったので、彼らは里にやってきて、来てみたら畑や田んぼで効率よく食料が調達できることがわかって、皆近くに住み着いてしまったのです(カモシカまで現れるようになったのは、増えすぎた鹿に縄張りを奪われてしまったということが原因の一つにあるようで、元々は、あれはそれほど珍しい動物なのです。こ存じのように、名前はシカでも実はウシ科の動物なのですが)。

 延岡近辺でも、イノシシはたくさんいるようで、僕はよく夏に鮎とりに行って、川岸にイノシシの「ぬた場」を見かけます。この「ぬた場」というのは僕の田舎の方言なので、正式には何というのか知りませんが、イノシシがからだをこすりあわせた跡で、泥っぽいぬかるみみたいなのがあちこちにあるのです。地元の人に聞くと、やはりイノシシだそうで、稲がやられて困るのだという。夜間、川に沿ってイノシシは移動し、田んぼにかけあがって荒らすのでしょう。ちなみに、イノシシはものすごいジャンプ力があって、助走なしでもかなりの高さを越えられます。動物のオリンピックがあれば、イノシシはカモシカと並ぶ、ハイジャンプの優勝候補かもしれません。

 それにしても、その埼玉のイノシシは、何だって日中町を走ったりしていたのでしょう? よほどの事情がなければそんなことはしないはずで、僕にはそれが謎です。人家近くに住むうちに、人間の世界に毒されて、「昼夜逆転」してしまい、夜活動するはずが、昼に動き回るようになってしまったのでしょうか? できるものなら、イノシシ本人にじかにその理由を聞いてみたいところです。僕の田舎では、「イノシシには山の神がついている」という言い伝えがあって、あれはたいそう賢い動物だと言われていました。きっと何か「やむを得ざる事情」があって、昼間そんなところにいたのでしょう。

 今はおまわりさんたちも大変です。人間の指名手配犯を「特別警戒」していたというのならわかるが、イノシシまで「警戒パトロール」しなければならないとは…。

「警戒中のイノシシ発見。ただちにタイホに向かいます!」
「おお! 動物愛護精神に則り、むやみと発砲しないようにな。しかし、噛まれないように十分注意すること!」

 そんな警察無線が交わされていたのでしょうか? どんなふうにして首尾よく「捕獲」したのかも知りたいところですが、この記事にはあいにくそこまでの情報はありません。
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