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『リターン・トゥ・ライフ』発刊のおしらせ

2018.11.04.12:45

 ジム・B・タッカー著『リターン・トゥ・ライフ』が間もなくナチュラルスピリット社から発売されます。皆さん、買ってくださいということで、今回はそのCMをさせてもらうことにします。

・リターン・トゥ・ライフ 近刊予告

 まず、僕がどうしてこの本を訳すことになったかということですが、前回、ガーダムのカタリ派についての本、『偉大なる異端』を同社から出してもらった後、続けて未訳の『湖と城』の訳書を出してほしいという読者からの要望が僕のところに直接数件寄せられました。アマゾンのレビューにも同じことを書いてくださっている方がいますが、今の日本にも数は少ないが根強いガーダム・ファンがいて、あの本は複数の前世探索の物語なので、何であれを訳さないのだということなのだと思います。

 しかし、あれは分量が半端でなく多いし、商業出版として出すのは大変です。『偉大なる異端』にしてからが、僕が十年も訳稿を死蔵していたのは、日本人には縁遠い中世キリスト教の異端宗派の歴史・思想と、「霊界通信」によるオカルティズムが奇妙な具合に合体した本など、今の日本の出版界では出すのが絶望的に困難だと見ていたからです。いくら内容的にはいいのだと言っても、一般受けしない。あれはひとえにナチュラルスピリット社の今井社長の英断によるので、それは採算を考えての決断ではなかったでしょう。そこにもってきて、売れ行きが大いに心配される『湖と城』をまた出してくれなどとは、いくら面の皮の厚い僕でも言えないわけです。

 だからその要望には応じられませんが、その代わり同じ生まれ変わり関係の本で一つ、もっと広い読者層が期待できて、「これは信頼が置ける」というのを探して、出しておきたいと考えたのです。それは証拠調べが厳格なもので、強い説得力をもつものでなければなりません。頭ごなし「そんなものはない」と決めつける人には何を言っても無駄だとしても、良識と道理に則って物を考える懐疑派の人たちになら通じるようなものです。

 ニューヨークタイムズのベストセラーにも入ったタッカー教授のこの本は、その条件を満たすものと思われたので、出版年度も新しい(2013年)し、日本の読者に紹介するのには最適と考えられました。版権取得の報が入ったのは去年の11月頭だったので、ちょうど一年たって訳書として世に出る運びとなったのです。

 内容に関しては、ナチュラルスピリットの上記ホームページの説明を見ていただければ、大体のところはお分かりになるだろうと思います。第八章に量子物理学に関するかなり専門的な議論が出てくるので、一般読者、ことに文系の人はそのあたり難儀させられるだろうと思いますが、著者の議論で一部不完全に思われるところについては訳者あとがきで補足しておいたので、細かい部分にはわからないところがあっても、議論の流れ、全体の趣旨だけ汲み取っていただければ、大きな支障はないでしょう。それ以前の箇所は、具体的な事例を扱ったものなので、読んで理解に骨が折れる箇所はないと思います。びっくりさせられるような話がかなりたくさん出てくるので、そのあたりは読まれてのお楽しみです。

 僕自身としては、これで「前世もの」の紹介は済んだものとして、次は全く別の方面のものをやりたいと思っています。『偉大なる異端』のときは、数か月遅れでミシェル・ロクベールの大著『異端カタリ派の歴史』(講談社)が出るという面白い現象が起きて、日本での偏見のないカタリ派紹介がこれで実現したと喜んだのですが、カタリ派がらみで別の生まれ変わり本を訳した後は、まだ頭がボケないうちにやっておきたいことが二つほどあって、一つは、哲学的・心理学的な「無我」論です。

 一見すると、「生まれ変わり」と「無我論」では矛盾します。私というものが本当は存在しないなら、生まれ変わる主体もまた存在しないという理屈になるからです。しかし、「本当は存在しない」はずの〈私〉が、僕らのこの世界では存在すると信じられていて、それが強固な自我感情を生み出し、磁石が砂鉄を引き寄せるのと同じで、思考も感情も自己観念に染められたものとなって一つの「かたまり」を形成し、死後もそれは文字どおりの「残念(残った念)」として存続すると考えられるのです。

 それは「解消を求めるトラウマ」であり、「未完の願望」でもあります。あなたも僕も、そういうものがなければおそらく生まれ変わってはこなかったでしょう。トラウマ感情は何らかのかたちで再体験されねばならず、未完の願望は果たされねばなりません。と同時に、仏教で「無明」と呼ばれるこの「自己の実体視」それ自体を超えさせようとする促しの力もそこには働いているはずです。

 生命というのは根源においては一つの力です。同時に、意識や知性というのも根底的には一つです。であればこそ、僕らはこの世界のすべての生命に共感をもち、世界や他者を理解しうるのであり、それができなくなったとすれば、それは狭い自己観念に災いされて、内面のありようが closed circuit(閉じた回路)になってしまっているからです。それこそが「諸悪の根源」であり、知性を曇らせ、愛情を変質させ、自他の破壊をもたらすものです。

 それは観念のレベルではなく、ハートのレベルで理解されねばなりません。そもそもが、生まれ変わりをもたらすこの心的複合体自体、それ(いわば「認識の過誤」)を原因として生じたものであり、持ち越されたトラウマの解消であれ、未完の願望の達成であれ、そのことについての理解の深まりなくしては満足なかたちでは果たされないでしょう。それが欠落していれば、僕らはかえって「悪しきカルマ」を募らせるだけになるのです。

 おそらくその理解は、「人類最大のミッション」と言えるものでしょう。文明は高度に発達し、今の僕らはかつての王侯貴族ですら望みえなかった利便と物欲の充足手段を手にしましたが、それは地球環境の度の過ぎた搾取・破壊とセットになっていて、科学者たちが再三警告しているように、地球史上、第六番目の生物大量絶滅の時代に入っているのです。それは人為的な原因によるという点で、過去のどの大量絶滅とも違うものです。

 人間世界内部においても、利己主義はピークに達した感があって、貧富の格差が拡大しているだけでなく、日常の人間関係においても孤立と対立が深まり、「愛の欠乏」に悩む人が激増しているのです。自己愛性パーソナリティ障害という病気(先のclosed circuit の完成形と言える)というのがありますが、しまいにはその手の人が多数派になりかねない。それやこれやで、今の人類は自滅の坂を転げ落ちているのです。このままではあと百年もつのかなと思われるほどです。

 僕はそれは「道徳教育」などではどうにもならないものだと思っています。それは基本的な認識の問題で、自己理解、世界理解のあり方自体が根底から変わらなければならないのです。大袈裟に思えるかもしれませんが、今や事態は深刻なレベルに達しているので、それに対するカウンターになるような本を翻訳、紹介しておきたい。次に手がけるとすれば、その種の本(まだ未定ですが、候補はあります)になるでしょう。

 今回の本でも、著者のタッカー教授は、この世界もあの世も「一つの夢」として理解しうるとして、人類は「よりよい夢」の建設に向けて歩みを進めることができるはずだと書いていますが、僕もそれは同感で、もしもそれを心がけないなら、この地上世界という夢は、遠からず悪夢と化すでしょう。生まれ変わりといっても、それはたんなる「面白話」の範疇を超えるパースペクティブをもっているのであり、一見無関係に思えるようなことにも実は関係するのです。それはあなたの生き方を変えるかもしれない。

 というわけで、ぜひお買い求めになって、お読み下さい。著者はクール・ヘッド(冷徹な知性)とウォーム・ハート(暖かな心)を併せもつ人で、子供たちの姿が生き生きと描かれているのも、この本の長所の一つです。そしてメインの記述とはまた別に、子供たちが語る「あの世」に関する話には、頭でこしらえたものではないだけに、キラリと光るものが含まれている。それは大人にとっても十分に啓発的なものなのです。

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7月分の講座

2018.06.19.12:57

講座のコーナーに新記事を追加しました。

「NHKだけ映らないテレビ」の製造・販売を許可せよ!

2017.12.07.17:12

 最高裁のあの判決は、初めから結論が決まっていたものです。違憲判決なんか出た日には、受信料不払い者が激増して、NHKが潰れてしまうからです。

 僕自身はNHKを「泥棒放送局」とみなしています。昔した契約がそのままで、銀行引き落としで勝手に受信料は取られているようですが、僕はめったにテレビを見ないので、ここ数年の月平均NHKの視聴時間は多くても1~2時間でしょう(念押しに書いときますが、ひと月合計でその時間ということですよ)。これはウィンブルドンテニスの中継なんかはよく見るので、例外的なそれもカウントして出した年間平均値で、ふだんはほとんどゼロなのです。こんなぼったくりをやるところは他にはない。あくどい商売にもほどがあるでしょう(そんなこと言って、他の家族は見てるでしょうと言うかもしれませんが、家族はあっても僕はアパートで一人暮らししているので、独立した世帯なのです)。

 NHKが高い独立性をもち、国家権力も恐れるほどの容赦のない鋭い斬り込みを見せるニュースやドキュメンタリーを多く作成しているというのなら、僕も有益な「公共放送」としてそれを評価するし、もう少し視聴時間も増えるでしょう。見ていなくても支援の意味で、受信料を支払ってやっていい。が、「よい子のNHK」はその人畜無害の「当たり障りのなさ」で有名です。ニュース番組も皆目面白くない。ことに最近はまるっきり「安倍様のNHK」でしょう? 民放でクソみたいな番組をやっていても、見なければいいだけなので何の影響もないが、NHKだけ全然見てない人間からも何で毎月受信料を強制徴収できるのか? 世の中は甘くないので、それで皆苦労しているのに、いかなる根拠があってそんな殿様商売が許されるのか?

 腹立たしいのは、今は大学生からも、「パソコンを持っていれば、NHKが見られるので、受信料支払いの義務が発生します」などと言って、テレビももたない貧乏学生からも漏れなく徴収しようとしているらしいことです(今どきパソコンももたずに学生生活が成り立つか!)。さらに腹立たしいのは、それはNHKの正規職員ではなく、臨時雇いのパート並時給のおっさんたち(中には若いのもいるのでしょうが)だということです。高給取りのおまえらが直接やらんかい! そういう雇われ契約員だか徴収員だかにはえらくガラの悪いのもいるという話で、僕が大学生の頃なら(今は見たとおりたいへん柔和な人間になっていますが)、その筋の人から「君は将来立派な○○になれる!」と太鼓判を押されていたほどだったので、そういう無礼でしつこい奴にはきっちりお灸を据えて、二度と戻ってこないように対応するでしょう。道理に合わない話につきあう必要はないのです。

 この問題の唯一合理的な解決策は、「NHKだけ映らないテレビ」の製造・販売を許可することです。そして、それをもっている人からは受信料は取らない。これなら、全然見てないわけだから、人によって払う人と払わない人がいるという不公平は解消される。商品名『ゼロNHK』または『NHKいらず』をもっている人は、NHKの契約何とか員を部屋の中に招き入れ、「ほら、うちは『ゼロNHK』だから、おたくとは何の関係もないんですよ」と言って納得の上、お引き取りいただけるのです。従来型のNHKも受信してしまう残念なテレビの持主からだけ取り立てればいい。パソコンに関しては、あれは元来テレビを見るためのものではないのだから、払えと言う方が間違っているのです。

 僕の見るところ、この「NHKだけ映らないテレビ」の潜在需要はものすごくある。経済効果も大きいということです。ふだんテレビなんか見ない知的レベルの高い人はそれに買い換えて、臨時ニュースの類だけ民放で見るでしょう。あとは大体、あの機械はDVDを再生するとき使われるだけです。少しぐらい割高でも、今調べてみたら驚いたことにいつのまにか値上がりしていて、自動引き落としでも地上波だけでも月1260円も取られているのだから、すぐに元は取れるのです。

 払っていない人がいるのは不公平だと言う人に僕が言いたいのは、テレビをもっているだけで支払い義務が生じるこの制度は完全なイカサマだということです。あなたは週に何十時間も見ているかもしれないが、こちらはほとんどゼロなので、それでテレビを所有しているというだけで同じ受信料を取り立てられる方が道理に外れているのです。払っていない人間とだけ比較するな。大体、選択の上見ないというのではなく、その余地なく強制加入させられて自動徴収というのは、憲法違反以前に、道義に反しているのです。

 繰り返しますが、NHKは「公共放送」としての役割を果たしていない。この記事はまともなので、珍しく産経から引用しますが、

 受信料制度を定めた放送法は昭和25年に施行され、その後、民間事業者による放送が始まった。最高裁がまず着目したのは、この「二元体制」だ。
 最高裁は「公共放送と民間放送がそれぞれ長所を発揮する」という二元体制の趣旨を踏まえた上で、公共放送の財源を受信料でまかなうのは「NHKに国家機関や団体からの財政面での支配や影響が及ばないようにする」ための仕組みだと指摘。放送法の規定はテレビ設置者に契約締結を強制するものだが、国民の知る権利を充足するという目的を実現するために、必要かつ合理的なものだとした。


 というのですが、「『NHKに国家機関や団体からの財政面での支配や影響が及ばないようにする』ための仕組み」というのはたんなる空虚なタテマエにすぎず、事実としては政府の顔色を窺っていること、NHKより甚だしきはないのです。とくに今の安倍政権になってからは、幸いクビになったようですが、籾井なんてアホを会長に送り込んだり、何と百田尚樹が「経営委員」なんてものになっていたりしたこともあるので、キャンキャンとうるさい安倍政権にいいようにしてやられ、「独立性」もへったくれもないのです。NHKの腰の引けすぎたニュース番組の類で「国民の知る権利を充足するという目的」が果たされているという評価を与えている人など、どこにいますか? この記事の続きには、「NHKは訴訟で、公共放送の意義についても強調。弁論で、身元不明や親族が引き取りを拒否する遺体が年々増加していることなどを取り上げた『NHKスペシャル』を挙げ、長期的な取材で社会的議論を呼ぶことで、『視聴した人はもちろん、視聴しなかった人も恩恵を享受している』と訴えていた」そうですが、そういうのは「政治的に無色」な性質のものだからで、公共メディアらしく「権力の監視義務」を果たして、「もり・かけ問題の暗部を総力取材」なんてスペシャル番組、一度でもやったことがあるのか? それこそが「独立した公共放送」のやるべきことでしょう。岩田明子なんて安倍ベッタリの気持ちの悪い記者がNHKにはいますが、逆にそれの独占総理インタビューなんて愚劣なものを、スクープ顔してやってるだけなので、そういうののどこが一体「公共放送」なのだ。

 話を「NHKだけ映らないテレビ」に戻して、これはすでに製造可能であることがわかっています。次の記事をご覧ください。

NHKだけ見えないテレビが開発 それでも「受信料払う義務あり」らしい

 この場合、問題は、「テレビ自体はもともとNHKが受信できる上、フィルターも着脱可能なため、いつでもNHKを見ることができる状態にある」ということなので、それを「内蔵式」にしてしまえばいいということです。持主が外からいじれないシステムにしてしまえば、「つねにNHKは見られない状態にある」ことが証明できるので、「文句ないっしょ」ということになって、問題はめでたく解決する。

 それでこれを大々的に製造、販売するのです。そうすれば、NHKなんて見ない、当然ながら受信料も払いたくないという人たちが次々購入して、NHKも入るふつうのテレビをもつ人との棲み分けが成立し、公平になる。NHKの契約員たちは商品名『ゼロNHK』または『NHKいらず』の所有者であるかどうか確認して、そうでない人にだけ受信料契約を結ぶよう言えるので、現場の悩みも解決するでしょう。いいことずくめです。

 その『ゼロNHK』または『NHKいらず』が爆発的に売れて、日本にあるテレビの半分がそちらになったとすれば、NHKは顔面蒼白になるでしょうが、その場合、それは親方日の丸で緊張感に欠け、番組が面白くないからそうなっただけの話なので、責任は自分たちにあるのです。

 塾で生徒たちにきいてみると、とくに女の子には割と「NHKをふだんよく見る」という答が多かった(朝ドラなんか見ているのだという)ので、受験勉強で忙しいと言ってる割には見てるなという感じで、怪訝に思ったのですが、それはともかく、こういうことからすればNHKもそれなりの支持は得ているようだから、『ゼロNHK』または『NHKいらず』がテレビの半分以上を占めるということはないでしょう。そのシェアはおそらく二割程度で、NHKは潰れずに済む。

 だからその製造・販売を許可しても大丈夫なので、僕みたいな人間はそちらに買い換え、受信料支払い義務から解放されて、「あんなもの、見てもいないのに何で…」というこれまでの不満と怒りは解消され、八割の「まあまあNHKも見る」以上の人たちの受信料収入でやっていけばいいのです(二割としても全体の台数からすればかなりのものなので、メーカーも十分採算が取れる)。それはいい意味での緊張感をNHKにもたらす。それで人気取りに走って、番組の低俗化(それはだいぶ前から始まっている)がさらに進むかもしれませんが、見ない人には関係ないから、そういうのも気にならないわけです。

 その暁には僕は衛星放送も見られるようにして、これはというものを探して、民間のドキュメンタリーチャンネルやスポーツチャンネルと契約するかもしれません。実際に見るものにならお金を払ってもいいので、そうすると、それで良質なメディア、放送局を育てることにもつながる。魅力もなく、やる気もない「公共放送」なるものを受信料の強制徴収で無理やり支援させられるいわれはないのです。

 以上、僕のこの問題についての提案ですが、名案だと思われませんか? NHKのこれに対する反論があるのなら、聞いてみたいものです。

講演会のおしらせ

2017.10.21.19:05

 衆院選投票日もいよいよ明日となりました。「超大型台風」が直撃しそうだという話もあって大変ですが、僕は早々と期日前投票を済ませて、この前も書いたようにわが宮崎2区は選挙前から自民の2代目に「当確」が出ている関係から「清き死票」にしかならないのは虚しいのですが、比例の方は一応意味がある(最高裁判事の国民審査も)ので、行ってきた次第です。

 さて、今回はそれとは関係のない話です。あと2週間を切ったので、そろそろ書いとかないと…と思って、書くことにしました。「講演会? へえー。で、誰の?」ときかれそうですが、実は僕のです。来月頭の、11月3日、金曜日は「文化の日」に当たっていて、祭日ですが、さる禅寺で、「キリスト教異端カタリ派の思想と仏教」と題して、「講演会もどき」をやらせてもらう予定になっているのです。時間は午後1時半からで、休憩も入れて二、三時間の予定です。案内文を書けと言われて、僕はそこに次のように書きました。

『偉大なる異端』(英国の精神科医アーサー・ガーダムの著書、拙訳)を枕に、禅宗のお寺でお話させていただくということで、一応上のような演題にさせていただきますが、古代からの二元論宗教の歴史を手短に概観し、カタリ派思想と仏教の思想的類縁性(明確にそれはある)について触れた後は、自由に話を展開させていただく予定です。ご質問も承りますので、皆様と「共に考える時間」を共有できれば幸いと考えています。尚、話者はいかなる宗教組織・修養団体の類にも所属しない一個人、一生活人としてそうしたお話をするものである点、あらかじめお含みおきいただきたいと思います。

 人前で話をするのは久しぶりですが、年齢のおかげで面の皮も相応に厚くなっているのでとくに緊張はしないものの、日本ではマイナー中のマイナーであるカタリ派(「語り派」だと思っている人までいる)について、しかもそういうことについて知る人はほとんどいない延岡のような田舎(元々は遠藤周作の『無鹿』にも出てくる隠れキリシタンの里の一つなので、その意味では無縁というわけでもないのですが)で話すというのは相当難しいことなので、それで人が集まるかどうかは疑わしいところです(一応、二十人前後を予定しているのですが…)。

 こういうのではなく、「子供を勉強好きにする育児法」とか、「偏差値を上げる勉強法」とかいうテーマでやれば、僕は長いキャリアをもつ大学受験塾の教師で、その道のプロの一人なので、話もしやすいし、教育ママパパたちの関心を引いて申込者が殺到(?)するのではないかと思われるのですが、あいにくなことにそうではないのです。

 もう一つ、おかしな宗教カルトの勧誘と間違えられる恐れもある。このブログの読者や塾の生徒なら、僕がその手の人間でないのはおわかりいただけると思いますが、最近はカルトも巧妙化していて、オウム真理教や統一教会の隠れ会員だったり、新興カルトの疑いもあるというので、警戒される恐れなしとしないのです。

 いや、このブログの読者であっても、前に「斜陽産業」たる塾業界から撤退して、水晶玉を買い、長いあごひげなどつけて、「うーん。あなたの運勢は…」なんてやろうかと思っていると冗談で書いたことがあるので、やっぱり怪しいと思うかもしれません。かなりの程度、宗教やオカルト方面には通じているので、なおさらです。おまけに、臨床心理学なるものまで大学院というところで齧ったことがあるとなると、邪悪な人心操作術に長けているかも知れず、「危険度指数」はいや増すのです。

 自分でそんな人を脅すようなことを言って何とする? ともあれ、何でそんなテーマで話すことになったのかといえば、8月に、北九州在住のある団体の主宰者から、『偉大なる異端』を百冊買い上げるから、それを使って訳者に何回か話をさせたらどうかと延岡支部の人たちに「提案」があったという話を聞いたからです。そんな奇特な人がいるのかと僕は驚いたのですが、とにかくあの本を「高く評価」して下さったのはたしかなようで、それもおかしなヒモつきではなく、その団体とは無関係に訳者に自由に話をさせればいいと明言しておられるということだったので、ちょっと考える時間をもらった上で、その奇特な申し出に応じることになったのです。

 だからその講演会の参加者には、すでにお持ちの方は除外されますが、その団体(別に宗教カルトではない)の代表が自費で買い取って下さった百冊の本の一冊が無料で支給されるのです(ご夫婦や親子の場合は併せて一冊ということにさせていただきますが)。本の定価が税抜き2300円で、参加費が千円なので、「そんな本、要らんわ」と言う人は初めから来ないでしょうから、損はしない計算です。「それはなおさら怪しい」と思う人もいるでしょうが、そういう事情なので、別に何も怪しくはないのです。

 実のところ、僕はあの本の訳を出して、「これでやっと肩の荷が下りた」と思ったものです。版元のナチュラルスピリットには大いに感謝しているのですが、自分の「カタリ派ミッション」はこれで済んだと思ったので、今度は別のことをやろうと思い、翻訳ももう少しやっておきたいので、候補の本を物色し、一冊面白いのを見つけて、その翻訳に取りかかった矢先でした(昨日、その作業が一通り終わったところです)。だから、『偉大なる異端』を材料に話をしろというのは妙な感じだったのですが、もとより僕は今の一般日本人にも意味があると思ったからあの本の訳を出したので、それがどういう「意味」なのかについて話せる機会がもてたのは有難いことです。これから「あとがき」を書くつもりの新しい訳本の内容もそれと実は関連する(そもそも人生とは何なのか、という点に関わる)ので、そういうこともからめ、ざっくばらんに話をさせていただく予定です。

 それで、場所はどこかということですが、延岡市須美江町の普門寺という曹洞宗の由緒あるお寺です。住職は吉井泰俊師で、時々海外にも出かけて座禅指導に当たっておられる「国際派」の由。場所は、次のサイトだとお寺の詳しい説明も地図も両方出ていて便利なので、クリックしてごらん下さい(駐車スペースは十分あるようです)。

普門寺(ふもんじ)

 申し込みは、案内チラシには世話係の人二名の電話番号も、お寺の電話も出ているのですが、ネットに出すと迷惑が及ぶ恐れがあるので、この記事を見てという方は、今月末までに、このブログ経由のメールでお知らせいただければと思います。一応、椅子や茶菓子の準備などがあるようなので、事前にわかる方がいいのです。

 尚、小さいお子さんには話がわかりづらいだろうというので、一応「高校生以上」としています。塾の生徒たちに聞いたところでは、三年生は全員11月3日は模試なので、普通科高校の高3は無理だということになりそうです。

 以上、おしらせでした。

人間の仕事

2017.08.29.15:22

 このブログ、しばらくご無沙汰しました。この一週間ほど、忙しくてそれどころではなかったのも理由の一つですが、最近安倍が“謹慎”していて、腹を立てなくてすんだというのもあります。おかげで生産的なことに時間を使えたというわけです。

 北朝鮮もここしばらくは割とおとなしいように見えましたが、報道によれば、今朝早く(午前5時58分頃)、またミサイル1発を発射し、「6時6分頃に北海道の上空を通過、6時12分に襟裳岬の東方約1180キロの太平洋上に落下した」とのこと。あの“刈り上げデブ”のやることはいつもマンガじみていますが、「ボクちゃんミサイルの威力」をまた見せつけようとしたわけです。

 悲惨なのは、こういうのが一国の支配者で、彼のヤンキー以下の乱暴狼藉が「東アジアの安全」を深刻に害していることです。これでまた安倍の“ネトウヨ魂”が燃え上がり、その「断固たる対応」ポーズ(実際はアメリカべったりを強化するだけ)に反応して再び支持率が上がり、「安倍3選」が実現するなんてことになると最悪の展開になるわけですが、人間の世界には「程度の低い奴が別の程度の低い奴の人気を押し上げる」という法則があって、そんな悪夢のような展開にならないともかぎりません。

 この間、タイでは前首相が突然「行方不明」になる、なんて珍事件も起きました。

 タイのプラウィット副首相兼国防相は28日、インラック前首相の行方は分からないと述べた。前首相は在任中にコメ買い上げ制度を巡り国に損害を与えたとして職務怠慢の罪に問われているが、25日に予定されていた判決公判に姿を現さなかった。判決で有罪となれば、最長10年の禁錮刑を科される可能性がある。(ロイター)

 タイではいまだにタクシン派と反タクシン派が対立しているという話ですが、「タイ初の女性首相」となったインラック氏は、タクシン氏の妹です。それで今回は、「これはほんとに収監される、ヤバい」と見た兄のタクシン氏が手を回して、インラック氏はドバイに逃亡したと見られているようです。

 テキトーというか、ムチャクチャというか、何だかよくわからない話ですが、こうやって世界中の国の政情を一つ一つ見てゆくと、「政治家の質の劣化」というのは今や世界的な現象になっているのがわかるのではないかと思います。安倍とその腰巾着なんかも、「時代のトレンドにマッチ」しているわけです。理性とか知力とか、公正というのはこの世界ではもはや死語になりつつある。ニュースなども、それぞれの陣営の政治家たちが自分に好都合なものは正しく、そうでないものはフェイク(これはトランプが愛好している用語で、安倍の場合は「印象操作」)だと主張し合って、そういうのにつきあわされているうちに、国民の側も何がホントで何がウソなのか、よくわからなくなってしまうのです。

 経済が袋小路に入り、格差が拡大して、不満や憎悪、不安が蓄積されるにつれて、無責任なデマゴーグ政治家が力を得ることが多くなり、それがさらに混乱に拍車をかけて、行き着く先はいずれ戦争しかなくなってしまうでしょう。その節は「民族の誇り」なるものをかけて激突するわけです。それぞれが、自らの愚行がつくり出したそこにいたるまでのプロセスはきれいに棚上げして…。

 そうは言っても、金正恩みたいな「狂気の独裁者」の場合はどうなのか? あんなのが出てくると、周りがいくら正気でもどうしようもないのではないかと言われるかもしれません。かつてヒトラーが台頭した時も、ヨーロッパはまだ第一次世界大戦によって生じた厭戦気分の中にいました。それがかえって災いして、ヒトラーの侵略行為を黙認する羽目になり、しかしそれではすまないので、結局あんなおおごとになってしまったのです。チャーチルが言ったように、周辺国が結束して、もっと早くにナチスを叩いておけば、あれほどの規模の戦争にはならずに済んだ。あのおぞましいユダヤ人ホロコーストも起きずにすんだかも知れないのです。

 別の観点から言えば、あれはドイツに過酷な戦後賠償を課したのがそもそもまずかったので、その結果として生じたドイツのひどい経済的苦境と屈辱感が、ヒトラーの成功を強力に後押しした。その巨額賠償請求には国際金融資本の意向が強力に作用していたというのは、別に陰謀論の本ではなく、いつぞやNHKのドキュメンタリーでも触れられていたので今では常識に属するようですが、戦争の度に肥え太る強欲な金貸しどもの言い分をはねのけられなかったから、ああいうことになってしまったわけです(経済学者のケインズはそれに強硬に反対したが、聞き入れられなかった)。それで今度は第二次世界大戦になって、また儲けた。

 あのアホなブッシュが始めたアフガン、イラク戦争でも、軍事産業や金貸しどもはそれで一儲けできると見たからこそ背後で支援したわけで、戦争にはこういう陰鬱な話がつきものです。連中には「正義」だの「民主主義」だのはたんなる符牒にすぎず、人命は統計数字の一つでしかない。これぞまさしく「悪のリアリズム」です。

 北朝鮮の場合も、経済運営がうまく行って、今のような「世界の最貧国の一つ」になっていなければ、例の「瀬戸際外交」でゆすりたかりに終始する必要もなく、金正日から正恩にバトンタッチされた時も、もう少しまともな経済システムを移譲でき、正恩にはもっと広い選択の余地があったわけです。不幸にして彼は開放政策を取らず(おそらく独裁体制が揺らぐのを恐れて)、父の恐喝路線だけを先鋭化させた。ミサイルで脅して「核保有国」たることを認めさせても、孤立を深めるだけで経済的な改善など期待できるはずもないのですが、そこらへんの知恵は何もないのです。せいぜいアルカイダやISと「連帯」して、世界に騒擾をまき散らすだけが関の山ですが、ヒトラーが「ドイツ帝国の復活」のスローガンとは裏腹に、潜在意識的には自滅衝動に導かれていたのと同じで、彼もそういう破滅願望に引きずられているのです。せめて自分だけでなく、他の国も巻き添えにしたい。あの病気がちの肥満体質では長生きはできそうもないし、半分は破れかぶれです。

 そういう傍迷惑な人間が中にはいるもので、彼に必要なのはミサイルではなくセラピーですが、独裁者がそんなこと受け入れるはずもないので、弱るわけです。米韓軍には「金正恩斬首作戦」というのがあるそうですが、結局はそれしかないかな、ということになる。ところがそれを実行するには「ソウルを火の海にしてやる」という北朝鮮の脅し文句が現実化する覚悟をする必要があるし、日本にもミサイルの何発かは飛んでくることになるのです。

 一般庶民の僕がここでああだこうだ言っても仕方がないわけで、ここから先はたっぷり税金から議員歳費をもらっている国会の政治家先生たちの仕事なので、悲惨なことにならないよう、知恵を絞っていただきたいものです。デマゴーグ丸出しで、危機感を煽るだけ煽って、それを自分の保身に利用したり、憲法改正につなげようとしたりしてもらっては困る。そういうことは「サルでもできる」のです。いや、「サル以下」だと言うべきかもしれません。サルはそこまで紛らわしいことはしないからです。

 人間はそれぞれ自分の持ち場に応じた仕事があります。それは外部世界に対して目を閉ざすということを意味しませんが、僕も無責任な政治家の批判にばかり時間とエネルギーを取られていては仕方がないので、そういうのはほどほどにして、自分のやっておくべきことをやっておかねばならないと考え、今後はそちらに時間とエネルギーを多く使うことにしました(塾の仕事はむろんそのままなので、これは残りの時間を使って、という意味です)。おかげで久しぶりに頭を思いきり使ったのですが、こういうのは徒労感に苛まれなくてすむのがいい。むろん、それは世間的な評価や経済的利益とは無関係で、自分のしたいことをするだけですが、過去の歴史を見ても、文化的な仕事は政治の暗黒時代やその前後に行われることが少なくないので、僕もその例に習うことにしたのです。

 また仕事に戻りますが、そういうわけで、このブログの更新はしばらく、以前より減ることになるでしょう。週一ぐらいのペースで、適当な題材が見つかったとき、気分転換兼ねて書かせてもらうことにします。

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