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『あなたのワタシはウソである』刊行のお知らせ

2023.04.29(18:33) 868

 この度、父・大野龍一の遺著『あなたのワタシはウソである』が、ナチュラルスピリット社から刊行される運びとなりました。以前に当ブログで遺著の出版準備を進めていることをお伝えしておりましたが、早いものでそれから1年半ほどの時が経ってしまいました。ここにようやく刊行のご報告をできることを大変うれしく思います。また出版を心待ちにしていただいていた皆様には、長らくお待たせしてしまったことをお詫び申し上げます。アマゾンでは既に先行予約が始まっており、書店でも5月20日以降、順次発売される予定となっておりますので、お手に取ってご覧いただけますと幸いです。以下、本書の目次と簡単な内容紹介をさせていただきます。

出版社ホームページ

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≪目次≫

まえがき
【第一部】
 第一章 脳が意識を生み出すのではなく、 意識が脳をつくり、使っている
 第二章 臨死体験時の幻像と現実世界
 第三章 意識と自己――誤った自己観念はどのようにして生まれたのか?
 第四章 意識が自己を離れるとき生まれる変化
 第五章 不安はどこからやってくるのか?
 第六章 意識の観点から見たオカルト現象
 第七章 人生の意味
 第八章 本当の「和」とは何か?
【第二部】――ブログ「祝子川通信」より
 一、生命の悠久の旅
 二、お盆にプラトンの『パイドン』を読む――霊魂不滅論について
 三、なぜ世界はこれほど悲惨な場所となったのか? ――プロティノス哲学からの照射
 四、意識と輪廻
あとがき 父大野龍一の思い出(大野 普希)
参考文献一覧

≪内容紹介≫

 本書が言おうとしていることのおよそ半分は、「あなたのワタシはウソである」という大胆なタイトルに端的に表現されています。通常ひとは、「自分(ワタシ)」という存在を前提として物事をとらえ、自己実現や自己責任、自己意識などという言葉をあたりまえのように使っています。けれども、この「ワタシ」という意識は単なる思い込みで、社会によって後天的に刷り込まれたものに過ぎないのではないか。これが本書の一貫した主張です。しかし、「ワタシ」意識を否定するのは、本書の主張の半面に過ぎません。「ワタシ」が「ウソ」だというのなら、真実、すなわち人生の一番の拠り所はどこに求めたらよいのか。そう問いたくなるのも当然です。そして本書のもう半分は、この疑問に答えることを目指しています。その答えが何なのか、それは本書を読んで皆様一人一人が感じ取っていただければと思います。

 本書の構成についても一言させていただくと、全体としては以上のような主題の一貫性を持ちつつも、各章はそれぞれ独立しているので、ご自身の関心に合わせてどこから読んでいただいてもよいかと思います。例えば、脳と意識の関係にご関心のある方なら、第一部第一章や第二部の四が興味を惹くかもしれません。切実な人生の悩みを抱いている方にとっては、不安や人生の意味を扱った第一部第五章や第七章から読み始めるのがよいかもしれません。また、『偉大なる異端』や、『リターン・トゥ・ライフ』、『エイリアン・アブダクションの深層』など、父の最近の訳書をお読みいただいている方であれば、「第六章 意識の観点から見たオカルト現象」などはなじみ深い内容かと思います。本書には、前提から出発して徐々に結論に導いていくような体系性はありませんが、全ての章で主張は一貫しているので、各章を読んでから全体を見渡し、全体を読んだうえでまた各章に戻っていただけると、本当に言いたいことが、徐々に立体的に浮かびあがっているのではないかと思います。本書が少しでも皆様の思考の材料やヒントとなれば幸いです。

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祝子川通信 Hourigawa Tsushin


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ご報告

2021.11.03(19:37) 867

 10月25日(月)に父大野龍一が療養中の病院で息を引き取りました。本人の遺志に従い葬儀は家族のみで執り行いました。ご心配をおかけしていた皆様には、ご報告が遅れましたこと、また略儀ながらブログでのご報告となりましたことをお詫び申し上げます。

 膵臓がんの宣告を受けてから約2カ月、父自身が当ブログに「余命宣告」と題する記事を書いたこともあり、多くの方々から日々温かいお見舞いのメッセージをいただておりました。皆様のお陰で父が最後まで生きる希望と喜びに満ちた人生を送ることができましたことを、本人に代わって厚く御礼申し上げます。今まで本当にありがとうございました。

 当ブログは父にとって皆様と対話するための大切な場でありましたので、今後もそのままの形で公開を続けることにいたします。新たな記事が追加されることはありませんが、過去の記事は今までと変わらずご覧いただけます。お暇な折にでも、古い記事を繙いて思索の材料をくみ取っていただければ、それが何よりの供養になるかと存じます。

 末筆ながら、現在、出版に向けて調整を行っている父の遺稿について簡単に述べさせていただきます。これは亡くなる直前まで父が加筆修正を続けたもので、出版が適えば最初で最後の自著ということになります。内容としては、これまでの父自身の思想の歩みを振り返りつつ、現代社会の根本問題を追究したものとなっておりますので、当ブログの読者の皆様には面白くお読みいただけるのでないかと期待しております。本人がその出版に立ち会えなかったことは残念ではありますが、息子の私が遺稿を引き継いで作業を進めて参ります。出版の目途が立てば、当ブログにてご報告いたしますので、気長にお待ちいただけますと幸いです。



祝子川通信 Hourigawa Tsushin


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ブログの更新について

2021.10.10(13:29) 865

 病床の父に代わり、今回は簡単ながら息子が近況のご報告をさせていただきます。前回の「近況報告」から少し時間が空いてしまい、父の病状のその後をご心配してくださっている方もいらっしゃるかと存じます。実際に多くの方から心のこもったお見舞いのメッセージをいただき、家族一同大変感謝しております。

 父はブログを通して皆様と交流することを大きな生きがいとしておりますので、今も病状が許せば新しい記事を書きたいという意欲を持っています。しかし、現状は体力的にそれが困難なので、しばらくブログの更新はお休みさせていただくことになるかと思います。気力・体力が回復すれば、また新たな記事をアップすることもできるかもしれませんので、その際はご覧いただけますと幸いです。

 皆様には多くのご心配をおかけしてしまい申し訳ありませんが、今後ともどうぞよろしくお願い致します。

祝子川通信 Hourigawa Tsushin


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近況報告

2021.09.28(17:24) 864

 かなり長期間更新がなかったために、読者にはあれこれご心配いただいているだろうと思います。申し訳ありません。これは妻のパソコンで書いているもので、アップは息子のほうがしてくれると思うのですが、僕は目下入院中です。しばらく通院・投薬治療を受けていたのですが、今月17日、どの段階まで行ったとき入院が妥当になるか質問し、二、三先生と直接がやりとりがあった後、限界に近くなっているかもしれないということで、即日入院となりました。

 入院当初はひどい状態で、家族はそれ以前からもう長くはもたないと見ていたようですが、ひどい体力低下・衰弱と、おなかの痛み(それも各種ある)等あって、痛み止めなども制限ギリギリまで使っても収まらず、無理を承知で看護士さんたちに背中を撫でてもらったりしていたのですが、数日して安定に向かい、各指数値も安定し、信じられないほど事態は好転しました。でなければこんな記事など書いていられないので、入院前は二行のメールすら書けなくなっていたのです。

 今後どうなるかは予断の許さないところですが、病院スタッフの皆さん、家族の支援を得て、やりかけた仕事を次々片付けるなど、非常に充実した日々が送れています。痛み止めにモルヒネ系の薬物を使っている関係で、不思議な感触があったり、絶え間ない眠気に襲われるといったことはあるのですが、体力の戻り具合も全然違うので、この状態なら、僕本人としては申し分なしです。

 何が幸いしてこうなっているのかは神ならぬ身にはわかりませんが、多くの人たちの僕の知らないご尽力や見えざる力のおかげもこうむっているのではないかと思い、感謝に堪えません。使える時間を与えられている(しばらく前は苦痛でそれどころではなかった)のはありがたいことなので、今はできるだけそれを善用したいと心がけています。

 ありがとうございました。


祝子川通信 Hourigawa Tsushin


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余命宣告

2021.08.27(13:25) 861

 これはいくらか重すぎる話なので迷いましたが、考えた末、書かせてもらうことにします。

 コロナ感染拡大は止まらず、本来入院が必要なレベルでも自宅療養になってそのまま亡くなったり、救急車を呼んでも搬送先の病院が見つからず、やはり治療が間に合わなくなって亡くなる人が増えているようですが、そんな暗い世相の中、僕自身は別の病気で余命数ヵ月と診断され、そのときはいたって冷静だったものの、文字どおり「青天の霹靂」だったので、それから数日のうちに、自分の心の中に様々な感情が沸き起こってくるのを体験しました。明確な診断を告げられたのは先週土曜(8/21)のことです。

 この前ここに胃カメラを飲んだという話を書きましたが、そちらには異常がないということで安心したものの、処方された消化剤の類を飲んでいても何ら変わり映えせず、食欲も改善しないので体力が落ち始め、何より夜眠れなくて、浅い夢の中で悪夢に悩まされるといったことが続いた(たぶん微熱も出ていた)ので、それから十日ほどして近くの総合病院を受診しました。すぐにCT検査を受けさせられましたが、医師はその画像を示しながら、顔をしかめて「大変な状態」だと言いました。膵臓癌の疑いがあって、すでに転移している可能性が高い、腹水もある、と言われたのです。翌々日、造影剤を入れた上でCTを撮り(そうするとより鮮明な画像が得られる由)、胃カメラをまた飲み直したら、予想どおりで、肝臓の点々はその転移だろうし、リンパにもすでに浸透して、癌細胞が腹腔に飛び散っていると考えられる。患部(僕の場合は、膵尾部にある)の細胞を採取していないから断定はできないが、ほぼ間違いなかろうという話でした。十二指腸にも軽い炎症があって、そこの細胞は採ったから、そこにも転移が認められれば確定診断がつくかもしれないというような話でしたが、その時点で僕も「これはもう否定できそうもないな」と観念しました。身近な人のコロナ感染を心配するどころではない、こちらはほぼ確実な自分の死の宣告、しかもごく近未来のそれなのです(血液の腫瘍マーカーは肝臓など「異常なし」となっていた由)。

 時間は一体あとどれくらい残されているのか? 一ヶ月なのか、二ヶ月なのか、半年なのか? それは誰にもわからない。それは僕が予想もしていなかった病名でした。身体全体の経験したことのない違和感(前にはあった、底の方から力が出てくる感覚がない)から、これは単純な病気ではないなと思い始めていたものの、ステージ4(末期)の膵臓癌であると言われて、正直それは「やりすぎ」ではないかと思いました。ネットで調べてわかったのは、この癌の特徴は、膵臓は肝臓などと同じ「沈黙の臓器」なので、自覚症状が初期段階で現われることはめったになく、わかったときは手遅れになっていることが多いということと、進行のスピードが他の癌に較べてずっと速いということです。だから「最悪の癌」と呼ばれ、ステージ4ともなると、手術不能で、抗癌剤や放射線治療を受けたとしても五年生存率は2%にも満たない。いや、五年も生かしてくれとは言わないが、せめて一年ぐらいの猶予はもらいたいものの、僕のような状態で発見されるとそれも「ぜいたくな望み」ということになるのです。

 治療に関して病院側に選択を求められ、妻や息子とも相談して、僕が選択したのは緩和ケアです。抗癌剤など癌に対する治療は一切せず、痛み止めや催眠剤など、出てきた症状を緩和する薬だけもらって、もうどうしようもなくなったら入院させてもらう、というものです。抗癌剤治療をやっても今さら遅く、副作用で苦しみ、QOL(生活の質)を低下させるだけなら意味がない。医師がすんなり了承してくれたのも、そのあたり治療の見込みに乏しいことがよくわかっているからでしょう。

 とにかく、これが目下僕が置かれた現実です。こうなってあらためて思うのは、健康な状態で死について思いを致すのと、わが身に直接降りかかってきたものとしてそれを見るのとでは全然違うな、ということです。在原業平の辞世の歌は、「つひに行く道とはかねて聞きしかど昨日今日とは思はざりしを」で、「誰でもいずれ死ぬとわかってはいたが、こんなに急に自分にその日がやってくるとは思いもよらなかった」というほどの意味ですが、ほんとにそうなのです。八十、九十のお年寄りならともかく、それより若いとそれはほとんど不意打ちと感じられるでしょう。「まさか…」という驚きは避けられないのです。

 それで色々なことを整理しなければならなくなりましたが、僕の場合、調子が悪いのは病状(相変わらず食欲はないものの、今は受診前よりはからだが楽で、夜も眠れている)とはまた別に、タバコが吸えない、コーヒーが飲めない、といったことも大きく関係します。それは軽いことではないので、タバコとコーヒーはこれまで僕には不可欠のもので、それを楽しみにして生きてきたみたいなところがあるからです。何か不快なことや落ち込むことがあるとコーヒーを沸かし、それを何倍も飲みながらタバコを吸う。そうするとよーしという気になるのです。楽しいとき、嬉しいときも同じで、コーヒーとタバコをつねに友としてきたのです。これまでの僕にしてみれば、今の危機はまさにそうやって元気回復すべきときです。ところが、それが一番やってはいけないことなので、それは余命を急速に縮めることになるでしょう(コーヒーもタバコも、最近は味に乏しく、ただの習慣みたいになっていたので、それはシグナルだったのでしょうが、減らすことすらしなかった)。何にせよ、禁煙には周知のメンタル面の副作用があるし、どちらもやめてしまうと何とも言えない心細さというか、不安が出てくるのです。心のバランスを生活の中でそれをベースに取っていた、その土台がなくなってしまうようなものです(逆に言うと、度の過ぎた酒やたばこといった悪癖がなかなかやめられないのもそれがその人の心に対して果たしていたそういう機能が関係するでしょう)。これは病気とは直接関係ないが、メンタル的には非常にきつい状況です。そうしたことにも一緒に対処しなければならないので、あれやこれや、心の中に一通りの整理がつくには今しばらくかかりそうです。

 このブログも、書ける範囲で、また書けるときまで、ぼちぼち書きます。読者をびっくりさせてしまって申し訳ない気がしますが、お会いしたことのない読者の中にも、親しい友のように思って読んで下さっている人たちが一定数いるのをよく承知しているので、正直に書いておくしかないなと思ったのです。



祝子川通信 Hourigawa Tsushin


未分類
  1. 『あなたのワタシはウソである』刊行のお知らせ(04/29)
  2. ご報告(11/03)
  3. ブログの更新について(10/10)
  4. 近況報告(09/28)
  5. 余命宣告(08/27)
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