これは韓国の話か?~森友学園国有地破格譲渡の件

2017.02.24.01:42

・森友学園と安倍首相の深い因縁 名誉校長・昭恵夫人が認めた「晋三記念小学校」(J‐CASTニュース)

  評価額が9億5600万円の国有地が1億3400万円で大阪府の学校法人「森友学園」に売却されていた問題で、この学校法人と安倍晋三首相夫妻との親密な関係に改めて注目が集まっている。昭恵夫人は、この学校法人が2017年4月に開校を目指す小学校の「名誉校長」の肩書きを持ち、「安倍晋三記念小学校」と印刷された振込用紙で寄付集めが行われていた。
 安倍首相は、小学校に自らの名前を冠することは「お断りをしている」と国会で答弁していた。だが、昭恵夫人は過去の講演で、冠は「総理大臣を辞めてから」ならば構わないともとれる発言をしていたことがテレビ東京の報道で明らかになった。安倍首相は小学校の認可や国有地売却との関連も否定しており、昭恵夫人も含めて関与が明らかになった場合は「総理大臣も国会議員も辞める」と明言している。昭恵夫人の講演での発言をきっかけに、認可や土地の売却問題との関連についても、答弁の信ぴょう性が問われることになった。


 この馬鹿げた話、ほんとならまるっきり韓国ですよ。朴槿恵大統領が「お友達」の崔おばはんの財団に便宜を図ったのと変わりはない。但し、滑稽なのは、やることは韓国と同じだが、「森友学園は最近、大阪市内の幼稚園で、韓国人と中国人を誹謗するプリントを配布したとして、メディアで大きく報じられてい」るといういわくつきの“極右学園”であるということです。「嫌いな韓国」の真似も、そういうところはするわけですね。

 この学校、幼稚園児に「教育勅語」を暗唱させ、去年の11月30日には、「教育勅語と論語を朗読する幼稚園児たちの写真」が撮られたが、その「児童たちの前には、天皇皇后両陛下、孔子の掛け軸、日本国旗が飾られてい」た(以上、Talkoより)とのことで、安倍をはじめとする「日本会議」麾下の自民党政治家先生たちには、「理想の学園」だから、国有地の払い下げも、「政治がこのような素晴らしい学校を支援するのは当然ではないか!」ということで、破格の価格で行われた(殿の意を汲んで下が気を利かせた?)のでしょう。

 いや、そんなことはないって? 先のTalkoの記事には続けてこうあります。

 大阪国際空港に隣接する問題の売買地は、国土交通省大阪航空局が所有していました。
 森友学園と財務省との間で交渉が始まりましたが、資金面で折り合わず、交渉は中断。
 学園側の資金不足のために、2015年5月、両当事者は10年間の定期賃借契約を締結しました。これは学校建設プロジェクトでは珍しいことです。
 続いて森友学園は校舎の建設に着手しましたが、表層部に、鉛やヒ素を含む廃棄物が発見されました。
 その後、国は学園へ、汚染除去作業費として1億3100万円を支払いました。
 そして2016年3月、森友学園による基礎工事中、表層部以外にさらに大量の廃棄物が見つかりました。
 しかし学園側は最終的に土地を購入する意向を表明し、汚染除去作業費とほぼ同額の、1億3400万円で購入する契約を結びました。


 そうすると、国が学園に先に「1億3100万円を支払」っていたのだから、それを「1億3400万円で購入する契約を結」んだなんて、要は300万しか費用はかかっていないということじゃありませんか? 「評価額が9億5600万円の国有地」がたったの300万で買えた?「韓国よりひどい!」とふつうの日本人なら思うのではありませんか?

 学園側は「除去作業」をしたと言っているそうですが、それが先に国側が出した費用を大幅に上回っているとは思えないので、どのみち「エグすぎる」話なわけです。呆れたことに、政府側では、その除去作業については関知していないという。売ったものだから、どうしようと購入者の自由だと言いたいのでしょうが、初めからどうも話がおかしいのです。

 さらに素晴らしいのは、ネトウヨのアイドルこと、メガネっ娘の稲田朋美防衛相が、「(同学園の理事長)籠池氏に対し『長年にわたり自衛隊の部隊との交流等を通じて防衛基盤の育成と自衛隊員の士気高揚に貢献された』として昨年10月、防衛相感謝状を贈っ」ていたことが判明したことです(朝日の記事)。その記事にはこうあります。

 民進党の辻元清美氏は同学園が運営する大阪市内の幼稚園で、在日韓国人らに対する差別的な表現を記した文書を保護者に配布したことを取り上げ、感謝状贈呈の再考を要求。稲田氏は「事実関係を踏まえ、取り消すことも含めて適切に対応してまいる」と応じた。
 辻元氏はさらに、稲田氏が2006年10月の月刊誌で、この幼稚園が教育勅語を素読させていることに文部科学省が「適当ではない」とコメントしたことを取り上げ、「文科省の方に『教育勅語のどこがいけないのか』と聞きました」と擁護していたと指摘した。稲田氏は「教育勅語の中の親孝行とかは良い面だ。文科省が言う、丸覚えさせることに問題があるということはどうなのかと思う。どういう教育をするかは教育機関の自由だ」と答えた。


「対応してまいる」だなんて、“萌え”ません? 彼女は戦火が日常化している南スーダンの自衛隊PKOでも、「一般的な用語では戦闘だが、法的な意味では戦闘ではなく武力衝突」「憲法9条上の問題になるので『戦闘』ではなく『武力衝突』という言葉を使っている」という珍答弁を展開し、「一体それは何なんだ?」と質問した野党議員だけでなく、後で話を聞いた国民皆を呆れさせてくれました。弁護士としても彼女の能力には疑問符がつくそうですが、むべなるかなで、仮に近い将来、日本が戦争に突入したとして、そのとき彼女がまだ防衛大臣なら、「皆さん、これは戦争ではありませんよ。憲法9条があるから皆さんが今見ているのは『戦闘』ではなくて、俗に『武力衝突』と呼ばれるものなのです。断じて『戦闘』ではありません。何となれば、わが国には憲法があるからして、法的には『戦闘』のはずがないのです。私は司法試験に受かってますから、これはたしかなことです。そこらへんの重要な区別がよくわからないという人は、私はこれからすぐ防空壕に避難しますので、後で聞きに来てください」というふうに、親切に教えて下さるでしょう。タメになる教育勅語を一緒に朗読し、谷口雅春大先生の『生命の実相』を読めば、それを理解する「心の準備」が整うので、いっそうよいかも知れません。

 にしても、もう少しまともな時代なら、これは十分政権崩壊の引き金になりかねないスキャンダルです(昭恵夫人も、もう少しマシな人間なのかと、僕は思っていました)。今の日本だから無事ですんでしまうのでしょうが、それをもって「韓国よりはマシ」と言うべきなのかどうか、僕は大いに迷います。

 ちなみに、森友学園については次のような記事がネットに出ています。

渦中の「森友学園」運営の「塚本幼稚園」。保護者が語る衝撃の実態――『日本会議の研究』著者・菅野完氏緊急リポート

 非常に興味深い記事だったので、ここで紹介されている菅野氏のリポートを、僕は『週刊 SPA!』を買って読むでしょう。延岡の本屋に置いてあるかどうかわかりませんが。
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受験と環境

2017.02.20.16:29

「名子役」として有名な芦田愛菜ちゃんが「偏差値70を超える私立名門中学に合格!」というのがネットでは大きなニュースになったようです。芸能界に疎い僕は、いつぞやも生徒たちに「先生はピコ太郎も知らなくて生きてるんですか!」と呆れられたのですが、これも塾で話題にならなくてよかった。アシダアイナと読んで恥をかくところだったからです。

 アメリカでは、これは一定年齢以上の人しか知らないかもしれませんが、名子役として人気を博したブルック・シールズやジョディ・フォスターの例があります。前者はプリンストン大学、後者はイェール大学に入ったから、才色兼備と騒がれたので、今は映画監督としても活躍しているジョディなどは「高校時代はロサンゼルスのリセ(註:これは厳密にはリセのロサンゼルス校と言うべきでしょうが)に在籍し、バカロレアを取得。卒業後はハーバード大学、コロンビア大学などを蹴って、イェール大学に入学した。アメリカ文学を専攻し、トニ・モリソンの論文で優秀な成績(Magna Cum Laude)で卒業した」(ウィキペディア)というから、その才媛ぶりも半端ではないのです。

 天は二物を与えず、と言いますが、しばしば与えるので、前にうちの塾でも、可愛い上に頭がいいというので、男の子たちに騒がれ、本人は迷惑がっていたようですが、ストレートで国立医学部に入った女子生徒がいました。文学好きで、歌もプロ並のうまさだというので、二物どころか五物くらいもっているように思われたのですが、「神はえこひいきする」のです(頭がいいのも道理で、両親は共に国立大出身の医師。母親は、「こんな美人の女医さんも珍しいな」という人だったので、そちらも遺伝なのです)。

 その芦田愛菜ちゃんは、実は小4の頃から中学受験塾に通っていたそうで、とくにここ数か月は毎日十時間を超える猛勉をして、栄冠を手にしたということです。先週末、週刊誌を立ち読みしたら、合格したのは女子学院と慶応中等部だったとのこと。女子学院に進んでトーダイを目指すか、手堅く慶応をえらんでそのまま慶大にエスカレーター進学するか、迷うところでしょう。ひょっとしたら、国際派女優を目指しているようでもあるので、大学はアメリカの名門を、と考えているのかもしれません。

 元は関東の塾にいたので、僕も中学受験の大変さはよく知っています。小4から塾通いをするのはふつうで、お金も親の手間も、半端でなくかかる。入試の際には面接で親の「品性」もチェックされるというので、僕みたいな人間だと「わが校の上品な校風からすれば言語道断」ということで、わが子がいくら頑張っても落とされてしまいそうです。

 今年はまだこれからですが、毎年出る「東大合格者高校ランキング」を見ると、ベストテンはつねに有名私立・国立の中高一貫校で占められています。国公立医学部も、統計を取ればそうなってしまうでしょう。京大は公立高校もぽつぽつ混じっていて、全体に特定の学校への偏りが少ない(地元占有率も低く、割と全国からバランスよく集まっている)が、いずれにせよ私立が強いことには変わりがないので、「お受験」が過熱するわけです。

 中高一貫校が大学入試に強いのは、有名難関校の場合、元々頭のいい子が集まっていて、そういうのが切磋琢磨すれば半自動的に学力も上がる、ということがまずあるのですが、他に、先行学習で五年間で六年分の課程を全部終えてしまって、高3段階では入試演習に入って、丸一年受験準備に使えるということが大きい。これに加えて、都会だと有名予備校や塾にも通えるので、万全の対策が取れるわけです。教員も、そういう学校は能力の高い教師を揃えられるので、低次元の丸暗記ばかり強いる並の公立高校とは違って生徒に刺激に富む、面白い授業を提供できる。あれやこれや、「受験に強い」のはあたりまえなのです。

 地方の並の公立高校の場合、六年分を五年で詰め込むのと違って、二年で三年分は無理だし、生徒の粒もそこまで揃っておらず、教師の質も劣るので、初めから勝ち目がない。当地の高校などの場合には、ここの「延岡の高校」コーナーに何度も書いたとおり、朝夕課外なんて余計なものまであって、内容も貧弱そのもので、その目立った効果は生徒を慢性睡眠不足に追い込むだけなので、逆に生徒の足を引っ張る結果になるのです。それでは基礎も応用もどちらも駄目ということになりかねず、いずれにせよ自分で勉強するしかないが、その時間的・内面的ゆとりもないので、たとえていうなら、何かのスポーツ部に入って、毎日過酷なうさぎ跳びの練習ばかりやらされて、身も心もクタクタになったが、かんじんのスポーツ技能の方はまるで上達しなかった、というようなものです。この鬼コーチ、その指導の非科学性をいくら説明してあげても自分の指導の正当性に固執するので、処置なしなのです。「考える力」のない教師に「考える力」のある生徒が育てられるわけはないが、「ある」つもりでいるから、始末に負えない。

 話を戻して、中学受験の場合、小学生の頃からそんなにお勉強させて大丈夫なのかという問題はあって、僕自身は昔から、その年齢では好きなだけ外で遊ばせた方がいいと考える派です。勉強は後でいくらでも取り返せるが、子供時代の楽しい遊び体験は取り返せない。私立には小学校からというのもあって、一番有名なのは慶応幼稚舎ですが、あんまり早くから同質集団の中で育つと、人間や社会の見方に偏りが生まれやすいという懸念もある。色々な家庭、能力の子供が混在するふつうの公立小中にも「世の中の実相」を学ぶという点で、それなりのメリットがあるのです(いじめは私立にもある。ある意味でそれはいっそう陰険ですが、表に出にくいというだけの話です)。

 今は公立の地盤沈下を食い止めようと、全国的に公立の中高一貫校を作る試みが行われている(宮崎県にも三校ある)ようで、そうすると受験に強い私立と同じ態勢がとれる。学費は私立と較べてずっと安いから、親の経済力にかかわらず、優秀な子供たちに私立と同じ教育を受けさせられる可能性が広がったと、一応理論的には言えます。「一応」というわけは、今は教員の社会的地位が低く、教員志望者の学力レベルも他の業種の大卒者と較べて概して見劣りする上に、公立の教員採用試験の基準は外から見ると不透明なので、それに見合った資質と能力をもつ教員が確保できるのかどうか、いくらか疑念があるからです。

 ついでに公立中高一貫校の入試について言うと、どこもかなりの高倍率になっているようですが、それは私立入試とは少し違うのだそうです。次の記事をご覧ください。

・合否を決めるのは入学試験ではなく「適性検査」

 公立中高一貫校を語るうえで忘れてならないのが、「適性検査」です。公立中高一貫校の場合、「受験」ではなく「受検」といいます。なぜかといえば、学校教育法が受験競争の低年齢化を防ぐ目的で、公立中学校は私立などで行われる「学力検査」を禁じているからです。
 そこで、私立受験のような科目別テストではなく、作文などを通して考える力や表現力など、教科を超えた総合的な思考力や表現力などを見るための「適性検査」が行われます。
「適性検査では、私立と違って、ほとんど知識量が問われることがありません。公立である以上、入試による学力選抜ということができないので、その子の思考力や学校で学んだ基礎学力を測る問題になっているといっていいでしょう。私立に比べて、小学校の勉強にプラスアルファといった感じの知識が問われる程度で、あとは思考力や計算力、作文力を鍛えることで対策ができることも魅力の一つです」と中村さんは言います。(日経DUALの記事より引用)


「私立受験のような科目別テストではなく、作文などを通して考える力や表現力など、教科を超えた総合的な思考力や表現力などを見るための『適性検査』が行われ」るとありますが、こういう「試験らしくない試験」は、実は頭のよさをはかる手段としては最も有効です。いわゆる「地頭」のよしあしは、そういうところにはっきり出るので、もしその趣旨どおりの「適正検査」が行われているなら、知識量や特殊なテクニックがモノを言う試験よりずっと効果的に優秀な子供をえらび出すことができるでしょう(そもそもが私立中学自体、「受験対策」ではカバーしきれないそういう面を見られるような試験問題づくりに苦慮しているはずですが)。

 だから公立の中高一貫校は、教員の質の問題さえクリアすれば、大学受験に関しても私立に負けない成果を出すことができるでしょう。地域差はむろんあるとしても、素質の高い生徒を集めて、それで難関大にはめったに受からないということになれば、それは教える側に問題があったということになるわけです。

 問題はそういう公立の中高一貫校もなく、私立にも見るべきものがないというような地域の子供たちで、延岡などはまさにこれに該当するのですが、環境的に不利になることは否めないので、自力本願にならざるを得ない。学校側の管理・時間拘束がきつすぎて、その「自力」の発揮まで妨げられるのは問題で、当地で半ば公然と保護者の間で語られているのは、「ああいう『指導』ではよくできる子でもせいぜい九大どまりで、阪大レベルになるともう無理。国立医学部も推薦でないと狙えない」といったことです。これは二次学力が身につかないからで、センター試験は基礎さえしっかりすれば特段の指導は必要ないし、生徒たちは何のためにあんな忙しい思いをさせられているかわからないわけです(その基礎も怪しいのは、延岡高校でも、他の教科のことは知りませんが、センターの英語が5割を切る生徒がたくさんいることからもわかります。あの試験、基礎力さえあれば7~8割は行くはずで、主要3教科の中で一番点が取りやすい)。

「せいぜい九大どまり」なんて言うと、旧帝大で九州随一の大学である九大様を馬鹿にするのか!と叱られるかもしれません。わが零細塾でも、ここ十年で九大に現役で行った生徒は八人ほどいて、いずれも優秀な生徒たちだったので、そういうつもりはないのですが、言わんとしているのは、生徒本来の資質からすると、1ランクか2ランク下の大学しか受からなくなる、少なくともそういう傾向が強い、ということです。これは教育環境というファクターでそうなってしまうので、僕は別に難関大信者でも何でもなく、それぞれの生徒がその能力に見合った大学に合格してくれれば嬉しいのですが、ふつうに考えてそれは惜しいことでしょう。逆に言うと、九大は大丈夫だろうなと見ていた生徒が、重なる疲労で途中から失速して熊大になってしまう、といったこともあるのです。そういうのは塾教師から見ると歯がゆい感じがする。中には思った以上に伸びて、当初は視界に入っていなかった上位の大学にすんなり合格する生徒もいるのですが、率直に言って、それは学校のおかげではないのです。むしろそちらの「手抜き」がうまく行って、必要な効果の上がる勉強ができたということが大きい。

 だから、前に「遺伝か環境か?」と題して書いた記事にもあるように、元々の素質、潜在能力というものは勉強に関しても大きいが、教育環境も受験には大きな影響を及ぼすので、地域によっては選択の余地があまりなくて、そういうところの子供は割を食うこともあるということです。

 こういう場合、学校がよけいな世話を焼かずに、無用な課外などは廃止して、無駄な宿題も減らし、授業では基礎の習得(たんなる暗記ではなくて理解に基づくそれ)を大事にする、というふうにしてくれれば、生徒たちは自分で勉強するゆとりがもてて、塾もいわゆる「発展学習」や入試向けの実戦力養成に傾注できるようになって助かるのですが、現実はなかなかそうは行かない。もう一つ、行き過ぎた部活の問題もあって、中には話を聞くだけで、それじゃ勉強との両立はとうてい無理だな、と思われるものもあるのです。何事もバランスを考えてやってもらわないと困る。

 前にも書いたように、今は地方でも塾があるし、スタディサプリ(受験サプリ改め)みたいな廉価のネット予備校もあって、それは経済的に余裕のない家庭の子でも無理なく利用できるので、学校が受験指導の任に当たる必要自体がなくなっているとも言えます。こう言っては失礼ながら、「生兵法は怪我の元」で、受験指導の場合には、指導する側ではなくて、それを受ける生徒の側が「怪我」させられるので、事態はいっそう深刻なのです。

 最後に、生徒や親御さん向けに言い添えておくなら、受験というのはやはり「よく準備した者が勝つ」ものです。二次試験の過去問を解かせて、その出来具合を見れば大体の予測はつくので、センターでいくらA判定が出ていても、いくら答案を文字で埋めても、これだとよくて3割の点数しかもらえないなというようなものなら、受かる道理がない。二次試験の問題というのは大学間でかなり極端な難易差があって、それは全員が同じ問題を解く模試などの偏差値では測りきれないところがあるので、実際の受験ではそのあたりをよく把握しておくこと、そしてそれに対する備えをしておくことが重要なのです(あの大学別の冠模試というのも、問題がズレたところで難しすぎたり、採点方式に疑問があったりするので、一応の参考にしかならない)。

 気をつけたいのは、本人は「かなりできた」つもりでも、実際はその半分以下の点数しかとれていないということもあることです。支離滅裂な英文和訳の文や、構文自体成立していない英作文など、実際はかぎりなく零点に近いでしょう。それでも半分ぐらいは点がもらえるのではないかというのは希望的観測というもので、そういうものに頼ってはいけないが、指摘されるまでそれがわからない人というのは案外多いものです。逆に本番後「しくじりました」と言うから、どんなことを書いたのかときくと、マイナーなミスがあるだけで、大筋は合っていて、まともな日本語にもなっているから、君が自分で思ってるほど悪くないよというケースもあって、こういうのは大方受かっている。そういうものです。

 そこらへんのことは過去問を解かせている段階で大体わかるので、いくら頑張っても単語などの知識レベルではなく、理解力レベルでここの問題は無理そうだなと思ったときは、僕は志望校替えを勧めます。むろん、他教科、たとえば数学が並外れてできて、二次でも満点近く取れそうだ(本人の希望的観測に基づくのではなしに)というのなら、また話は別です。しかし、他も人並なら、まず勝ち目はない。

 むろん、この大学のレベルなら、この問題はほとんどの受験生はできないだろうと思われるのもあって、そういう場合にはそこはできなくていいわけです。標準的、基本的な問題でおかしな答案を書かなければ無事合格する。

受験に関して一番アドバイスが必要なのは、おそらくこのあたりでしょう。そしてそうしたことも踏まえて答案の書き方、勉強の進め方で必要な自己修正(そこは素直さ、柔軟さが必要です)をやって、できる準備をきちんとした受験生は合格する。「うーん。微妙だな」と感じられるケースでは、とにかく結果を待つしかないわけですが、大方は受かるべくして受かるし、落ちるべくして落ちるので、予想外のことはあまり起きないのです(今は入試の得点開示が多くの大学で行われていて、京大、阪大の受験者あたりは今後のこともあるのでそれを事後に教えてもらっているのですが、これまでのところでは、センター判定のよしあしにかかわらず、皆二次への準備をきちんとした子たちだったので、余裕の点数で合格していました)。

 これは延岡の県立校の生徒たちについてですが、概して受験準備に入るのが遅すぎるので、これは生徒たちが課外だの部活だので多忙すぎることもむろん関係するのですが、高3の途中から飛び込みで入った生徒たちの場合には、元からよくできる子ならともかく、もっと早く来てくれれば第一志望を諦めずにすんだのに、と思うケースが多いので、本来的な能力は十分ありそうなのに時間が足りず、基礎固めも終えないうちに本番に突入ということになってしまうのです。センター試験が終わってから初めて二次の過去問を見て、その準備に入るというようなのも遅すぎる。それが本人の学力レベルからすると下の大学の場合は別として、難関大の場合なんかとくに、間に合うわけはないのです。

 むろん、早くから来ていても、教えたことが右から左に抜けていってしまう生徒もいて、「これ、前にも何度か教えなかった?」と昔のことばかり繰り返す認知症の老人になったような気分できくと、「先生はわかってないんですね。メモリーの容量が決まっているので、古いのは自動的に消去されるんです」と澄まして答える生徒がいたりするのです。「それがほんとだとすれば、先に基本的な重要なことを教えるわけだから、大事なものから順に消されていくことにならない?」と言うと、「そうです! だから模試の成績が勉強すればするほど、逆に下がっていくということにもなるんですよ」と明快に解説してくれたりする。こういう生徒はユーモアがあって面白いのですが、教師はそれを聞いて顔では笑いつつも、心では泣くのです。パソコンみたいにメモリーの増設というのはできないものなのか…。

 冗談はさておき、そういうわけなので、生徒諸君は主体性をもって、早めに準備にとりかかることです。高2の終わりまでに英数国の基礎固めぐらいはしておく。それをしないから、理社も加わってやることが増えると、何が何やらわからなくなってきて、未整理のコマギレ知識の洪水の中で溺れる羽目になるのです。たとえメモリー容量が決まっていたとしても、知識が理解に基づいて整理されると、データが圧縮されて、空き容量が増えることになるでしょう。そのためにはロクに考えもせずやみくもに詰め込むのではなく、理解して入ってくる知識に有機的な関連をもたせ、整理する努力が必要です(そういうのだと応用も利く)。二流三流の学校というのは、指導も物量作戦に頼りがちですが、そうしたやり方に振り回されていると、多忙さからやることが万事雑になり、板についた緻密な思考ができない人間になってしまう。それでは学力も伸びず、それが要求される二次の記述などにはなおさら対応できなくなるので、後で泣く羽目になるのです。そのあたり、自覚をもつことが大切です。そうすれば自分の学力的な弱点も客観視できて、次に何をやればいいのか、どういう勉強の進め方をすればいいかといったことも、おのずと見えてくるでしょう。

韓国は北朝鮮と同じ~こういう韓流トンデモ論理を許すな

2017.02.15.14:34

 金正日の長男で、金正恩の異母兄に当たる金正男氏(45)が13日午前9時頃、クアラルンプール国際空港で北朝鮮の工作員によって殺害された(韓国だけでなく、米政府もそう見ている)、というニュースがありました。毒殺のようですが、彼はいかにも人畜無害そうで、跡目争いをしているわけでもないのに今頃何故、と思いますが、いかにも北朝鮮流で、人目をはばからずというところはいかにも金正恩流です。金正恩にしてみれば、世界から「狂気の独裁者」と見られているので、兄を殺しても今さら失うものは何もない、ということなのでしょう。

 さて、今回書くのはしかし、それとは別の話です。その北朝鮮と韓国の「論理」は似たり寄ったりだという話で、昨日ある記事を読んで、「韓国ではこういうトンデモ論理が平気で通用するのか?」と感嘆を新たにしたので、その病理分析も兼ね、書いておくことにした次第です。読者の中にはI’m fed up with Korean affairs(韓国関係のゴタゴタはもうたくさん)と感じている人が多いだろうし、僕も前回の記事でもう終わりにしようかと思ったのですが、とどめを刺しておきたくなったので、今一度お付き合いください。


・歴史・領土問題で挑発続ける日本 外交摩擦は長期化必至=韓国(聯合ニュース 2/14(火) 17:00配信)

【東京聯合ニュース】旧日本軍の慰安婦被害者を象徴する少女像が韓国・釜山の日本総領事館前に設置された問題でこじれにこじれた韓日関係が、独島に対する日本政府の歪(ゆが)んだ教育の法制化でさらに悪化の一途をたどっている。
 少女像の設置に抗議し、日本政府が長嶺安政・駐韓大使と森本康敬・釜山総領事を一時帰国させてから1か月以上たつが、韓日間の対立はすでに敏感な領土問題に飛び火し、簡単には解消しそうにない。
 民間団体が設置した少女像に対する日本側の撤去要求が韓国で受け入れられない状況である上、日本政府が独島を自国領とする歪んだ領土教育を法制化する小中学校の学習指導要領改訂案をまとめたことで、韓日間の外交摩擦は長期化が避けられない見通しだ。
 これまでのプロセスを見ると、日本の措置はかなり意図的で、計画的だったとの感をぬぐえない。
 ソウルの日本大使館前には数年にわたり少女像が置かれているにもかかわらず、日本は昨年末に釜山の日本総領事館前に新たな像が設置されたことを理由に、1月6日、長嶺氏と森本氏を一時帰国させ、金融危機の際に外貨を融通し合う韓日通貨交換(スワップ)協定の再開協議を中断することなどを発表。文字通り韓国を「挑発」した。長嶺氏らは同9日に帰国し、現在まで1か月以上にわたり日本に滞在している。
 その一方で、安倍晋三首相は同8日にNHKの番組に出演し、日本が2015年末の慰安婦合意に基づいて10億円を拠出したことを挙げながら、韓国に合意の履行を迫った。問題解決のために「日本が動く必要はない」という首相周辺の発言も、韓国国民の感情を刺激した。
 それからほどなくして、韓国・京畿道議会の団体による独島への少女像設置計画が発表され、独島を行政区域に持つ慶尚北道の金寛容(キム・グァンヨン)知事が独島を訪問。また、韓国人が長崎県対馬市の寺から盗んで韓国に持ち込んだ、数百年前に日本が強奪したと推定される仏像について、韓国の大田地裁が浮石寺(忠清南道瑞山市)への引き渡しを命じた。
 これらを受け、日本は妄言を繰り返した。岸田文雄外相は1月17日、独島への少女像設置計画について意見を問われると「竹島は日本固有の領土」だと述べ、韓日の葛藤を「わざと」領土紛争に広げるという「小細工」をろうした。3日後の衆参両院本会議での外交演説でも、独島が日本の領土だとの主張を繰り返した。
 菅義偉官房長官は、独島への少女像設置の動きに対し「竹島の領有権に関するわが国の立場に照らしても受け入れられない」と述べた。大田地裁の判決についても遺憾の意を示した。
 こうしたなか、日本の文部科学省は独島に対する領有権教育を義務付けることを盛り込んだ学習指導要領改訂案をまとめた。
 全体の流れで見ると、日本政府は釜山の少女像設置問題を理由に意図的にけんかを仕掛け、歴史問題から領土問題へと対立を広げた。韓日のあつれきを利用して日本国内の反韓ムードを助長したとの疑いさえ抱かせる。
 こうした状況で、北朝鮮による12日の弾道ミサイル発射が韓日関係のこう着状態を打開する糸口になるとの見方もある。日本は、少なくとも北朝鮮の核・ミサイル問題に関しては韓国と協力すべきと考えているためだ。
 また、「韓国たたき」で支持率アップという目的を果たした安倍首相が、以前よりも「柔軟な」政策を取ることも考えられそうだ。



 最後の一文など全く意味不明ですが、いかがですか?「興味深く、味わい深い」でしょう? これを見ると悪いのはひたすら日本で、今回の日韓対立も「意図的かつ計画的に」日本側がひき起こしたものなのです。関西弁ではこういうとき「よう言わんわ!」と言いますが、彼らは大真面目なので大変なのです。責任は全部相手にあって、自分のしていることを顧みることは全くない。だから「他人事」みたいで、その妙に尊大な物言いといい、どこの国にもそういう人は稀にはいますが、典型的なトラブルメーカーの特徴です。

 このブログの読者は、僕があの「日本会議」肝煎りの安倍政権に批判的な立場であることをよくご存じだろうと思います。ヘイトスピーチを繰り返すネトウヨの類も大嫌いです。

 しかし、こういう「お馬鹿な論理」を大真面目に振り回す韓国マスコミがいるからこそ、わが国の「右傾化」もいっそう進むわけで、こういうアホなことを書く韓国マスコミは日本の一部右翼以上に有害と思われるのです。

 順に見ていきましょう。まず「独島(竹島のこと)に対する日本政府の歪んだ教育の法制化」について言えば、それは以前から日本が領有権を主張していたものです。日本側からすれば韓国の方が「不法に占拠」しているわけで、領土権争いというものは大体がそういうもので、「こっちはこう考えるが、先方は違う解釈をしている」という理解で、それぞれの国が学校などでは「自国の領土」だと教えるのです。げんに韓国ではそう歴史教科書に書いて子供たちに教えているが、日本が同じことをすればそれは許しがたいというのは何なのか? 韓国の歴史教科書には自分に都合のいい記述がやたら多い(多すぎる)というのは有名な話で、第三者から見れば日本の歴史教科書の方が「公正度」はずっと上なのです(それが疑わしいネトウヨ教科書も一部あるようですが)。しかし、それについて日本政府やマスコミが韓国にしつこく激しい非難を浴びせてやまないという事実はない。韓国だけにそういう特権があるというのはどういうことなのか? 独善度が病的に強いというだけの理由でしかないのです。

「ソウルの日本大使館前には数年にわたり少女像が置かれているにもかかわらず、日本は昨年末に釜山の日本総領事館前に新たな像が設置されたことを理由に、1月6日、長嶺氏と森本氏を一時帰国させ、金融危機の際に外貨を融通し合う韓日通貨交換(スワップ)協定の再開協議を中断することなどを発表。文字通り韓国を『挑発』した」というのは、馬鹿もいい加減にしろと言いたくなる屁理屈で、「ソウルの日本大使館前には数年にわたり少女像が置かれている」のはかまわないと日本が思っていたわけでは元からない。日本側はそれを遺憾として撤去を要望していたのに、それを撤去するどころか、さらにこれ見よがしに「釜山の日本総領事館前に新たな像が設置された」からこそ、怒ったのです。

 日本側が10億円を新たに拠出して、政府間で「最終的かつ不可逆的」な合意を結んだにもかかわらず、ウィーン条約違反だと言われる大使館前の慰安婦少女像を撤去するどころか、新たに領事館前にまで同じものを設置するというのは、約束を反故にして新たに喧嘩を売っているのと同じです。「挑発」したのは韓国であることは明らかで、どこの国の人間が見てもそれはそう思うでしょう。一体どこからそんなトンデモ論理が出てくるのか?

 こういうのは北朝鮮と全く同じです。地下核実験だのミサイル発射実験だのを繰り返して、国連が非難決議を出したり、米韓が軍事協力を強化しようとすると、「不当な非難、挑発行為だ!」とわめく。だから今後も「正統な防衛」のためにミサイルをどんどん飛ばしましょうということになるわけですが、韓国ではこういう場合、「北朝鮮の偉大な将軍様を怒らせてしまったので反省しましょう」ということになるのでしょうか? ひょっとしたらなるのかも知れません。少なくともあの廬武鉉の後継である次期大統領候補の政治家先生たちの場合には。

 あの仏像の件に関しては前に書いたことで十分だと思うので繰り返しませんが、「岸田文雄外相は1月17日、独島への少女像設置計画について意見を問われると『竹島は日本固有の領土』だと述べ、韓日の葛藤を『わざと』領土紛争に広げるという『小細工』をろうした」というのも卑劣な言い分で、先にいらざることを発案して「領土紛争に広げ」たのは明らかに韓国の政治屋どもの方なのです。

 要するに、自分の側が喧嘩を先に仕掛けておいて、その第一段階は抜きに、そのあとの日本側の反応を第一原因にして、「だからあいつらが喧嘩を売っているのだ」という理屈にする。全くもって性格が悪いというか、腐った連中です。こういうの、個人レベルのことなら、その場でボコボコにしてやりたくなるでしょう。

 並外れて「頭が悪い」と思われるのは、慰安婦合意に関して、自国の政府は責めても、日本を責めることは本来できないということがわかっていないことです。韓国政府は「民間がやったことだから」と慰安婦像も撤去できない(本気でそうする気があるのかも疑わしい)わけですが、国家間の合意である以上、韓国政府にはその「民間」を説得する義務があるのです。それが全然できそうもないというのであれば、初めからそんな合意をしてはならない。それは責任ある大人のすることではないのです。

 そして韓国民は、「自分たちの話をよく聞いてくれなかった」と自国政府は非難できても、その合意の相手先の日本政府を非難することはできない。なぜか? たとえば家族の誰かが外部の誰かと分の悪い契約を結んでしまったというので、家族内で内輪揉めが起きたとします。こういう場合、それが違法なものであれば別として、だからといってそれを当然のように取り消すことも、契約の相手方を非難することもできないのです。それを解消したいと思うなら、相手が怒るのは当然だということを承知の上で、「なかったことにしてもらえませんか?」と頭を下げるしかない。そしてそれを取り消してもらえなくても、それは仕方がないので、相手を恨むことはできない。

 近代市民社会の、それが常識です。ところが韓国の場合には、家長が結んだ契約であっても、他の家族が平気でそれを取り消すと言うのみならず、契約の相手方を激しく非難・攻撃するのです。家長がした契約だから、それはその家族の未成年相手にしたようなものとは違って公正で、信頼も置けるだろうと思っていたら、気に入らないから破棄するというだけでなく、こんな契約をするとは何事だ、おまえは道義にもとる薄汚い奴だと非難されるのです。

 むろん、慰安婦合意はふつうの契約ではない。日本側には見返りは何もないので、今までも賠償は二度行ったし、それなりに経済支援もしてきたが、慰安婦問題に関してはまだ十分ではないというので、まだ存命者が残っているうちに、ということでしかるべき金額が渡るように、そして今度は韓国政府の手から直接手渡しできるようにということで、10億円出しますからよろしく、それで露骨なあてつけみたいなあの慰安婦少女像(実際にはあんな年頃の慰安婦はほとんどいなかったが)は、少なくとも大使館前からは撤去してもらいたいんですが、と伝えたわけです。それはべつだん「横暴」な注文ではない(アメリカが間を取り持ったからといって、自分たちがそれを選択したのだから、アメリカに責任をなすりつけることも当然ながらできない)。

 ところが、こんなとんでもない合意、日本の責任逃れ以外の何ものでもない、今後も謝罪し続けろ、それが十分かどうかはこちらが判断するので、こちらが「よし」と言うまで懺悔を続けるのは当たり前だ、とこうのたまうのです。今後も、韓国内のみならず、アメリカの慰安婦少女像も増やす計画だし、いずれヨーロッパなどにも設置を広げるであろう、それで文句を言ったら、それはおまえらが反省していない何よりの証拠だ、と胸を張るのです。

 こういう「韓国ご一家」とはおつき合いしかねる。ふつうなら、それが何国人でも思うのではないでしょうか? それがわからないのは韓国人だけです。

 いや、ウチだけでなく、中国も非難してるだろうって? しかし、中国の非難は、また性質が違うのです。中国人はオトナです。尖閣をめぐる対立にしても、少なくとも共産党首脳部は、「戦略的に」それを行っているわけで、自国の領有権主張が絶対正しいと思っているからではない。要はそう主張した方がトクだからやっているのです。中国庶民の場合には、学校でそういう教育を受けて、頭から信じ込んでいる人もいるでしょうが、上はそうではないので、うまいタイミングをみはからって、以前のように「棚上げ」する交渉もできるでしょう。そしてそのときは中国国民もそれを受け入れるだろうと思われるので、そのあたりが韓国とはだいぶ違うのです。

 今回の件で明らかになったのは、韓国とは国家間合意なんかしても何の意味もないということです。政府が変わるごとにひっくり返され、その不当性は棚に上げて、その都度また一方的で勝手な要求をする。そして政府に統治能力がないのは李氏朝鮮時代と同じで、盲目的な世論の動向に振り回されていつどう転ぶかもわからず、それに振り回されないように気をつけていないと、中国も、アメリカも、日本も、とんだことで衝突させられることになりかねない。次の政権が北朝鮮相手に中途半端な「融和」策など取って、当然ながら彼らは北朝鮮をコントロールすることはできないので、朝鮮半島情勢は今以上に不安定になるでしょう。第三次世界大戦とは言わないまでも、それに他国も振り回されて東アジア戦争に発展することは十分ありえます。

 僕は三十代の半ばに、二足の草鞋を履いて大学院というところに籍を置き、臨床心理学をかじったことがあるのですが、韓国を相手にする場合には精神病理学の知識が役に立ちそうだと感じています。神経症患者の中には周囲の人間を振り回す人がいて、正常な人たちまで混乱・対立させられて、大変な事態に発展してしまうことがあるのですが、韓国というのは上に引用した文章を見てもわかるように(似たような論調のものは少なくない)、明らかにふつうではないのです。それを承知していれば、対処の仕方もおのずと違ってきて、その病的な論理に振り回される危険性は減るでしょう。それでも「お隣」なのでつきあいをゼロにすることはできないので、ある程度のとばっちりは覚悟しなければなりませんが、被害を最小限に食い止めることはできる。

 大げさだという人がいるかもしれず、また新韓派の人たちは「この上ない侮辱だ!」と怒るかもしれませんが、僕は言い過ぎだとは思いません。韓国はそれ自体、一個の神経症患者で、本人がそれを自覚しないかぎり、信頼できる交際相手にはなりえないのです。個人の場合にもその生活史の中にトラウマ的な体験があるように、韓国の人たちにも民族的なそれがあるのでしょう。しかし、彼らの一方的な他者非難を許容することによっては、それから癒されることはないのです。個人でいえば、彼らはいつまでたっても「自分と折り合いがつけられない」人たちなのです。だから過去の恨み、他者の責任ばかり言い募って、自らの責任には目を向けることがない。だから成長の機縁も訪れないので、不毛な独り相撲を取っているにすぎないことを、周りの人間はわからせる必要があるのです。相手が「難しい人たち」だというので、これまで日本は譲歩を重ねてきた。その結果がこれなので、「まともな、客観性のあることを言い、それを行動で示さないかぎり、もうお相手はしかねますよ」ということを態度で伝えるときがきたということです。

 常識(国際常識)で考えて物を言え。それがわからないなら先にその「常識」が何かを考えろと、こういう一方的な馬鹿げた記事を書くデマゴーグ連中にははっきりと言ってやった方がいいのです。国内受けを狙ったものであるにしても、よくもこんな愚劣な屁理屈がこねられるものだと、しんから呆れるのです。こういう「幼稚な病人」ばかりということはいくら韓国でもないはずで、中にはもののわかった人もいるでしょうが、そういう人たちがリーダーになる日は、一体いつになったら来るのでしょうか?

絶望朝鮮の「いつか来た道」

2017.02.13.13:15

 韓国の若者は今「史上最悪の就職氷河期」にさらされていて、

 雇用の低迷は今に始まった話ではないが、特に今年から2019年までの3年間に4年制大学を卒業する青年は史上最悪の「就職氷河期」に直面する見通しだ。3年間の大学卒業者が過去最多で、それが就職市場に流入するのに対し、韓国企業の相当数が内外の不透明感から大卒者の採用規模を縮小しているためだ。求人を待つ列が延びているのにもかかわらず、就職市場は「狭き門」となっている(朝鮮日報日本語版)

 のだそうです。そうした中での朴槿恵追放運動、反日・従軍慰安婦像騒動なのです。度の過ぎたしつこい反日も、慰安婦をめぐる日韓の深刻な対立も、根は過去の自国の為政者たちの無能・無責任ぶりを正しく伝えず、何でも中国や日本(とくに近代以降は後者)のせいにしてしまう(いまだに韓国人は「日帝」という言葉を使う)韓国の学校の歴史教科書にある(だから年配世代よりも戦後生まれの若い世代に逆に反日が多い)のではないかという気が僕はしているのですが、今も韓国の支配層の党利党略に明け暮れるそういう性質は変わらず、かじ取りがうまく行かなくなるときまって反日運動で不満のガス抜きをはかり、両国間の「未来志向的な関係」をぶちこわしてしまうのです。

 韓民族の民族性としては、よく独善的、他罰的で、主観の強いバイアスを通してしか現実を見ない(したがって客観的な現実認識ができない)という点が指摘されますが、これはナルシシスティック(自己愛的・自己陶酔的)な未熟な人間に共通する特徴で、当然ながらそういう人間が寄り集まると、内輪でも争いが絶えません。相手を全否定、自分の側は全肯定して、互いに譲り合うことをしないからです(これは自己欺瞞が強く、冷静な自己観察ができていないことの表われでもあります)。

 もう一つ、かの国の人たちの特徴として「公の観念の欠落」が挙げられます。前近代的な血のつながりや縁故が大きくモノを言って、党派の利益が第一とされ、それを保護・拡大させる人間が尊敬されるのです。その意味での結束は強い。だから一族や同郷(これは出身地だけでなく、出身の学校なども含む)の誰かが権力者の地位に就くと、そのおこぼれにあずかるのは当然だとばかり、親類や縁故者がそれに群がる。国家なり共同体なりの「公益」はどこかに消えて、公のものを私物化するということが平然と行われるのです。

 当然ながら、これでは公正な政治なんかはできっこないので、はびこる腐敗に社会の不満は募り、あるきっかけでそれが爆発する。そしてそれを利して別の党派が権力を奪取すると、前の権力を全否定して、新たな権力を形成するが、やがてまた同じことが行われ、名前変われど品同じで、その腐敗ぶりにまたもや民衆は「裏切られた!」と叫ぶことになるのです。

「韓国の事大主義」とよくセットにして言われるように、事大主義(大につくことによって保身を図る)というのも韓国政治の常道として有名ですが、こちらも党利党略と結びついているので、内紛が起こると外国に軍事支援を要請して、外部の力で暴動を鎮圧したり、内部の敵対党派に勝とうとする。教科書でおなじみの「三国時代」の終焉にしてからが、まず当時「最弱」と言われた新羅が中国(唐)に出兵を要請して、その力を借りて百済を滅ばし、次に高句麗を滅ぼしたのですが、半島最大の強国であった高句麗が滅んだのは、内部に「跡目相続」争いが生じて、それに敗れた長男が唐に逃げ込んで「国を売った」からだと言われています。何にせよ、全部大国頼みの無節操な「事大主義」の産物と言うべきで、自力で半島統一が行われたというのでは全然なかったのです。

 この事大主義は李氏朝鮮の時代になると妙な権威主義、形式主義と結びついてある種病的なレベルにまで達するのですが、ウィキペディアには次のように書かれています。

 李朝の事大主義の実際の要因としては、高句麗・渤海滅亡後には朝鮮半島の諸国家には中原に覇を唱える中華帝国や満州・蒙古の遊牧帝国に対し軍事的に防戦できず、また高麗の元への降伏以降は朝鮮独自の皇帝号の使用が厳しく中華帝国から監視されるようになったため、事大主義を安全保障上も取らざるを得なかったことなどがあげられている。李朝末期には政変が起きるたびに、清、ロシア、日本、アメリカなどさまざまな国に事大先を変え、国内の統一が取れなくなり、ついには日本との併合を余儀なくされることとなった。

 弱小半島国家の宿命と言ってしまえばそれまでですが、これは日本にとっても「対岸の火事」ではすまなかったので、日清戦争のきっかけは、日本の教科書でも有名な「東学党の乱」が起きたとき、これは李朝政府の深刻な腐敗とそれによる農民疲弊が原因なので、純然たる内政問題ですが、李朝政府は自力では説得も鎮圧もできないというので、中国に軍事出動を要請し、これを受けて日本も公使館と日本人居留民の保護を名目に朝鮮に出兵したことにあります(李朝政府がいつまでたっても自立化せず、清の完全な属国になるのは日本には不利益とみなされた)。日露戦争の場合には、その前に李朝政府は事大先をロシアに変えていて、中国では「義和団事件」が起こるし、ということで話はそう単純ではないのですが、朝鮮半島がロシアの支配下に入るのは日本には大いに不都合だった。

 歴史に「もしも」は禁物だと言われますが、もしも李氏朝鮮がもっと「まとも」で自己改革能力をもち、近代化と国力増進をはかっていれば、そして独立した国家としての外交関係を他国と結ぶだけの実力をつけていれば、その後のアジアの歴史は変わっていたでしょう。日本の植民地にされることもなく、日本人もいつまでも「恨の対象」にされずにすんだのです。しかし、実際は韓流歴史王朝ドラマに出てくるような、両班(ヤンバン)たちの利己的な党利党略、いつ果てるとも知れない内輪の権力争いと民衆搾取が繰り返されるのみで、民衆暴動が起きても説得も制圧もできず、事大先の国(それも日和見でコロコロ変わる)の軍隊をアテにして恥じないというような国柄だったので、悲惨な歴史が続くことになったのです。

 こういうところは今も基本的に変わっていない。僕は先週末、本屋の新刊コーナーに次の本が並んでいるのを見て買ってみました。

『疑獄 パククネの知られざる大罪』(辺真一/勝俣壽良/別冊宝島編集部)

 表紙の、朴槿恵大統領の蝋人形のような顔写真が不気味ですが、僕はこの「崔順実ゲート」と呼ばれるスキャンダルの詳しい内容は知りませんでした。あまりにも低次元すぎると感じられたからで、芸能マスコミにはもってこいの題材でも、実際には「下らん話」の集成にすぎないのだろうと思ったからです。汚職としてのスケールも小さい。

 しかし、この本を読んでみてわかったことは、これは韓国社会に巣食う根深い病巣を示す問題で、「たまたま」というような話ではないということです。スケールも小さいどころではない、莫大な金額が動いているのです。スピード認可で設立された二つの財団、「ミル財団」と「Kスポーツ財団」に、「韓流文化を世界に広めるため」と称して大統領が直々に財閥企業に働きかけ「寄付」させた金額だけでも、日本円にして77億。むろん、これらの財団の裏には朴大統領の「親しいお友達」の崔順実がいたわけです。

 笑う他ないのは、これらの財団は、むろん、それを今後の金儲けの手段に利用するという意図はあったものの、「最初の目的は、スンシル被告の娘であり、デンマークで不法滞在の疑いで拘束されたチョン・ユラ容疑者の『馬術育成』というきわめて個人的な“親バカ”事情」に発していた、というところです。

 例の不正に名門の梨花女子大に「合格」したとしてそれを取り消され、その後、高校すら実はロクに通学もしていなかったというので卒業を取り消されて、結局「中卒」になってしまったあの馬鹿娘のことです。日本以上の学歴社会の韓国では、これは人々の憤激を買うことになったので、「カネも実力のうち。それがないおまえらの親を恨め」と本人がSNSに書き込んだというので話題になりましたが、権力者にコネをもつ人間の子供というだけで、かかる不正がいともかんたんにまかり通ってしまう国というのも恐ろしい。大学側は彼女を合格させるために推薦条件の改変まで行っていたというのだから、「権力にはひれ伏す」韓国社会の体質がどれほどのものであるのかがわかります。

 にしても、韓国の財閥企業はいくら「大統領の要請」だからといって、どうしてそんな得体の知れない財団に大金をほいほい出したのか? 驚くのは、財閥企業の会長などが横領などの罪で実刑判決を受けることは韓国では珍しくないことのようで、この本には二つのケースが出ていますが、二人ともその後寄付の甲斐あって「特赦」で釈放されているのです。監獄の沙汰も金次第。むろん、大統領のご機嫌を取り結んでおけば、予算や法的措置などで色々便宜をはかってもらえる「可能性」があるわけで、それはどこの国でも同じですが、韓国の場合はそのあたりかなり露骨なのだろうと想像されるのです(またそれを許容する社会風土がある)。

 朴槿恵大統領が早い時期から怪しげな自称霊能者から「洗脳」を受けていたというのは、スキャンダル発覚後有名になった話です。母親が凶弾に倒れて悲嘆に沈んでいたとき、この前科もちの宗教詐欺師は巧みに接近して籠絡し、娘を介して父親の朴正熙大統領に取り入った。それが崔順実の父親の太敏だったわけで、彼は「朴正熙時代から、大統領府の威光をバックに、財団を相次いで立ち上げ、朴槿恵を広告塔にして莫大な金を集めた」が、それを不動産に投資したり、様々なビジネスを立ち上げる資金源にしたりしたのです。娘の順実はそこから「学習」したので、父娘のそうした「集金スキーム」は同じなのです。

 朴大統領の驚くべき「操り人形」ぶりはこの本にかなり詳しく出ています(僕には初めての話も含まれていた)が、素朴な疑問はなぜ韓国民はこんな人物を大統領に選んでしまったのかということです。それは彼女が「両親を銃弾で失った悲劇のヒロイン」として、選挙での高い集票能力をもっていたからで、政治家たちにはそれは魅力的だったので、崔父娘と同じく、利用価値が高いと見て担いだからでしょう。政治家としての資質がどうのなんてことは考えていない。

 マスコミも、韓流歴史ドラマ的なファンタジーが好きな国民に迎合して、虚像を作り上げた。朴正熙が暗殺された時は、政治家たちもマスコミも、それこそ韓流のいつもの「手のひら返し」で「極悪独裁者」として葬り去ったが、その後の大統領たちも不祥事続きで、退任後死刑判決を受けたり(その後恩赦で釈放)、訴追を恐れて自殺したりする者までいて、ロクな奴がいなかった。経済も低迷ということになると、朴正熙政権時代の、日米両国の経済支援を得て成ったあの「漢江の奇跡」が懐かしいということになって、今も独身で「国家と結婚した」(そんな話、誰が広めたのか?)娘の朴槿恵こそ、救世主としてこの国を救ってくれるだろうと、考えた、というより、妄想したのでしょう。韓流歴史ドラマ的に言うと、彼女はイ・サンとトンイを混ぜ合わせたような希望の星だったのです。

 しかし、結果としては、韓国民は善玉も、ヒーロー、ヒロインも出てこない見るに堪えない三流韓流王朝ドラマを見せられる羽目になった。在任中弾劾決議が可決されるなんて前代未聞の話だそうですが、朴大統領は「これは陰謀だ。誰か仕掛けた人間がいる」とのたまい、護送中の崔被告は「検察の取り調べは不当だ!」と大声で繰り返し叫ぶ。たしかに「仕掛けた人間」はいただろうし、検察の取り調べも親切ではないだろうが、バラされるとまずいようなことがこれだけ沢山あれば、それはやっぱりやっていた奴が悪いのです。韓流ドラマの悪玉が、自分の仕出かした悪事は棚に上げて、「はめられた!」と叫ぶのと同じです。イ・サン兼トンイ自身がそれをやったのではドラマにならない。

 こういうのと時を同じゅうして、また新たな慰安婦少女像が総領事館前に設置され、日本がそれに怒って大使を帰国させると、さらに反日運動がヒートアップする。こちらの方がよっぽど「陰謀」くさいので、韓国の反日左翼が騒擾を煽っているのです。ふつうの国なら政治家も、マスコミも、国民も、そんなことにかかずらっている時ではないというので、もっと前向きなことで議論は活発化するでしょう。韓国という国は、そこが全然違うのです。

 率直に言えば、こんな三流国家も珍しい。目下、次期大統領候補の一番手を走っているのは、最大野党「共に民主党」の文在寅前代表(29%)で、2位は同じ党の安熙正・忠清南道知事(19%)だそうですが、どちらも「政治信条はどうでも不正は同じ」韓国大統領の例にもれず、親族から多くの逮捕者を出し、自身にも捜査の手が伸びるのを恐れて自殺した盧武鉉元大統領の“子分筋”で、ガチガチの左翼です。むろん「反日」で、「像の撤去」など出来るはずもなく、「最終的かつ不可逆的」だったはずの日韓政府の慰安婦合意も破棄される見通しです。

 この目下人気急上昇中の安熙正・忠清南道知事に関して、こういうニュースがありました。

・韓国忠清南道知事「私も大統領になる時になった」(中央日報日本語版)

 忠清南道(チュンチョンナムド)の安熙正(アン・ヒジョン)知事は11日、全羅南道木浦(チョンラナムド・モクポ)で開かれた行事に参加し、「今回は私が(大統領に当選)しそうだ。職業政治家として私ももうその時になった」と話した。
 安知事はこの席で「私に『あなたはなぜ大統領をしようとするのか』と尋ねるが、良い国を作ろうとすることのほかに話すことはない。当然のことをたびたび言葉で表現しなければならないのが難しい」と話した。
 安知事はまた「文在寅(ムン・ジェイン)、李在明(イ・ジェミョン)のお2人に譲歩すればよいが、政治というものも競争を避けることはできない」として自信を示した。続けて「私は30年間民主党党員として誠実に活動してきた。忠誠・義理・犠牲・献身を尽くしてきた。なぜ今回安熙正なのかを問うなら、ただ安熙正の時になったようだ」と話した。


「ナルシス全開!」とも言えるこの記事には思わず笑ってしまいますが、顔つきといかにもマッチしていて、家でも鏡を見ながら「なぜ今回安熙正なのかを問うなら、ただ安熙正の時になったようだ」と陶然として呟いているのではないのかと思えるほどです。

 予言しておきますが、この二人のどちらかが次期韓国大統領になるとして、韓国の迷走はさらに甚だしいものになるでしょう。縁故主義でロクでもない親戚や知人が蜜を求めて集まり、退任後不正蓄財容疑で告発されるようになるのもおそらく同じで、中途半端に北朝鮮に「歩み寄」ったり、アメリカと中国の間を揺れ動いたり、周りをさんざん振り回しかねない。そして支持率が下がりだすと、“安心して使える”「反日カード」を切ってくる。それはあの国の政治家にとってのモルヒネなのです。

 日本は李氏朝鮮時代さながらの韓国の「コウモリ外交」に振り回されないように用心する必要があるでしょう。文在寅候補に関しては、

 盧武鉉(ノ・ムヒョン)政権で大統領秘書室長を務めていた2007年、国連の北朝鮮人権決議案の採択前に、北朝鮮に意見を求め、韓国の決議を棄権させていたことが当時の外交通商相の回顧録で昨年10月に暴露された。韓国が不法占拠を続ける島根県の竹島に上陸したこともある。
 政策的には、日韓軍事情報包括保護協定(GSOMIA)の見直しや、高高度防衛ミサイル(THAAD)の韓国配備延期を求めている。韓国に詳しい専門家や韓国内の保守系ジャーナリストからは、文氏が大統領になれば、日米韓同盟の破綻や北朝鮮主導による朝鮮半島統一の恐れが懸念されている(ZAKZAK)


 という人だし、このところ人気が上がっている安熙正候補については、

 安氏は文氏同様、左派の盧武鉉元大統領(故人)の流れをくむ人物。ただ、最新鋭地上配備型迎撃システム「高高度防衛ミサイル(THAAD)」の在韓米軍への配備をめぐり、文氏が「先送り」を求めているのに対し、安氏は「同盟国間の合意を政権交代でほごにしたら、安保に関して不安が広がる」と指摘し、推進すべきだという立場だ。このため、「中道・保守層から好感された」(ハンギョレ新聞)とみられ、中道路線の潘氏不出馬により「最も恩恵を受けた候補」(東亜日報)とされる(時事ドットコム)

 という御仁です。つまり、「コウモリ度」がこちらの方が優っているというだけの話。「同盟国間の合意を政権交代でほごに」することはできないという理由で、慰安婦合意を踏襲するかどうかは保証の限りではないので、それは国内向けに得策ではないということで、破棄されるだろうと見られます。つまり、何らかの明確なポリシーによるというのではなしに、人気取りと伝統的な「事大主義」で動くというだけなのです。「ナルシス度」がとくに高いので、持ち上げてあげれば変わるかもしれませんが、僕の経験則では、こういう人間が一番信用できないので、「自分のためなら国でも売る」典型的な「両班タイプ」だと思います。

 日本の政治家の皆さん、こういう人たちを相手にするのは大変ですが、頑張って下さいね。あの蝋人形のような「不通(プルトン)大統領」朴槿恵さんの顔が懐かしい、というようなことにならないよう祈ります。

ポチの悲しい習性

2017.02.12.00:55

・新しいご主人様が決まると、それがどんなに評判の悪い人間でも、迷わず、率先して駆けつける(当然ながら、ご主人様の機嫌を損ねるようなことは決して言わない)。

・“見捨てられ不安”が強いので、駆け引きや計算ができず、気に入られたい一心でありったけのもの(たとえばご主人様とその家族に4500億ドル〔約51兆円〕の利益をもたらすという秘蔵の骨の山――何とかイニシアチブと呼ばれる――等)を差し出す。

・近所のガラの悪い犬のことを訴える。二匹のコリア犬(一匹は純然たる狂犬で、もう一匹は「恨みは千年たっても忘れない」という、いくらなだめても一方的にしつこく吠え続けるヒステリー犬)と、大型のシナ犬(縄張りを広げようと、あちこちにおしっこをかけて回っている)に悩まされていることをわかってもらい、忠犬の見返りにI’ll always stand by youという言質(げんち)を求める(ご主人様はそれらの犬にも同じことを言うかも知れないのだが)。

・「気が合う」と言われると満面の笑みを浮かべて、ちぎれるほど尻尾を振る(他の育ちのいい、クレバーな犬のように距離を取って相手を品定めするといった無礼なことはしない)。

 愛すべきポチは、やっぱりそうしないと生きていけないんでしょうかねえ。少なくともそう思い込んでいることはたしかなようですが…。
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Author:大野龍一

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