悲報! 山口敬之「準強姦罪」不起訴相当

2017.09.23.12:58

 2ちゃんねるふうのタイトルにしてみましたが、何の話かはおわかりでしょう。どの新聞も似たようなものですが、コピーの都合から産経記事。

 警視庁に準強姦(ごうかん)(当時)容疑で書類送検された元TBS記者でジャーナリストの山口敬之氏(51)を不起訴とした東京地検の処分について、東京第6検察審査会が「不起訴相当」と議決したことが22日、分かった。議決は21日付。
 議決書は「慎重に審査したが、検察官がした不起訴処分の裁定を覆すに足りる事由がなかった」としている。
 警視庁に被害届を出した28歳の女性が「詩織」という名前を公表し、地検が嫌疑不十分で不起訴となったことを不服として、検察審査会に審査を申し立てていた。女性によると、平成27年4月に東京都内の飲食店で山口氏と会って食事をした後に記憶をなくし、目覚めたらホテルの客室で裸にされ、山口氏が上にまたがっていたと訴えていた。

 詩織さんのコメントは次の通り。

 検察審査会の議決までにはもう少し時間がかかるものとうかがっていたので、本日この結果を知り驚きました。私たちが集め直した証言や証拠が『不起訴処分を覆すに足る事由がない』と判断されたことについて、なぜそうなったのか、しっかり説明して頂きたかったと思います。今回の結果にかかわらず、私が会見を行った理由である性犯罪・性暴力に関する司法・捜査のシステム、また社会の在り方を変える必要性については、引き続き伝えていきたいと考えています。3年後の刑法改正見直しまでに少しでも改善されるよう願っています。

 山口氏は代理人の弁護士を通じ次の通りコメントした。

 5月29日に検察審査会への不服申し立てを行った相手方女性を巡る案件で、検察庁の昨年7月の不起訴処分の判断に加え、今般検察審査会においても、当該不起訴処分の判断を相当とする「不起訴相当」の判断がなされました。
 この案件に関しては、当該女性の記者会見の前後から、女性の主張を鵜呑みにし、私を犯罪者であると断定するかのような週刊誌や新聞、テレビの報道が大量に流布されました。しかし、11名の一般国民の方々により構成された独立性を有する組織である検察審査会は、当該女性の主張は勿論のこと、検察庁が保有する全ての証拠資料の提供を受け、3カ月以上の時間をかけて厳正に審査した結果、不起訴処分が相当であるという結論に立ち至ったわけです。
 一連の経過において犯罪行為があったと認定されたことは一度もなく、今回不起訴処分が確定したことで、この案件は完全に終結しました。
 しかし、これまで一部の報道機関や政治家、記者、コメンテーターなどは、当該女性の主張のみに依拠して私を犯罪者と断定するような報道や発言を行い、私の名誉は著しく傷つけられました。大変残念であり、事案によっては法的措置も検討しています。
 今般の検察審査会の判断により、今後は私に関して誤った報道がなされることはないものと期待しております。万が一、私の名誉を傷つけるような報道が引き続きなされた場合には、そちらも法的措置の検討対象となることもご承知おきください。


 山口のコメントのこの最後の部分など、ほとんど脅迫ですが、彼のコメントだけを見ると、全く事実無根の冤罪であったかのようです。しかし、元々は高輪署の捜査員が成田で帰国する彼を待ち構えて逮捕する構えでいたところ、直前に安倍ご贔屓の中村刑事部長の「鶴の一声」でストップがかかったというくらいで、ふつうの「準強姦罪」としては「嫌疑十分」だったのです。引きずるようにして詩織さんをタクシーから下ろし、ホテルの部屋に向かったというあたり、タクシー運転手の証言も、ホテルの監視カメラの映像もある。詩織さんが気づいたら、ホテルのベッドに寝かされて、服も脱がされている自分の上に山口が「またがって」いて、たぶん犬みたいにハアハア言ってたのでしょうが、これを彼は「同意の上」の性行為だったと弁明したわけです。何でも、「あなたのような素敵な女性が半裸でベッドに入ってきて、そういうことになってしまった」のだとか。山口のような風采の上がらないチョビ髭の清潔感ゼロの中年男相手に、そういうのはおよそありそうもない話で、大体、酒が強い詩織さんがあんなふうになるとは考えられないと知人たちは口をそろえて言っていて、山口は薬剤をアルコールの中に混入したのではないかと疑われているのです。

 こういう犬畜生以下の山口の所業は、しかし、時間が経過していることもあって、立証が困難です。不可能と言ってよい。だから今回も「不起訴相当」ということにならざるを得なかったのではないかと思われるので、山口はエラそうにこんなコメントを出せる立場にはないのです。ボクが「またがった」のは彼女も同意の上だったんです! そりゃあ、ホテルに連れ込んだのは認めますが、彼女は酔ってたから、ボクが世話しただけなんです! そう主張しているにすぎません。「ああ、わかります。よくありますよね、そういうことって」と“共感”するのは山口と同類の変態オヤジぐらいのものでしょう。自分の仕事上の地位を利用して、ジャーナリスト志望の若い女性を食い物にするというあたりも卑劣なので、男の風上にも置けない。安倍の愚劣なヨイショ本を書く手合いには似合っているとは言えても、です。

 これは「総理案件」だったから、例の「全自動忖度機」が機能して、山口は土壇場で「救済」されたにすぎない。そう見るのが常識というものでしょう。そして今回も決め手となるような物証はなかったから、「疑わしきは罰せず」の法理が適用されて不起訴となったにすぎない。詩織さんの「落ち度」は相手がどれほど卑劣なオヤジか、事前に見抜けなかったことぐらいですが、「中年オヤジを見たら全部ヘンタイと思え!」なんて決めつけをされても困るわけです。

 山口が若い女性相手に通常の「不倫」をしたというのなら、「お好きにどうぞ」としか言えませんが、卑劣な手口による強姦となれば話は全く別です。だから非難の集中砲火を彼は浴びることになったので、立証が困難だから起訴が見送られたというだけの話を、涼しい顔で「この案件は完全に終結しました」とは言えないでしょう。げんに詩織さんは無念の唇を噛んでいるのです。事実無根なら、若い女性が無慈悲な好奇の目にさらされるのを覚悟で記者会見まで開くはずはなかろうと思われるので、この世の司法は欺けても、あの世に行ったら閻魔様の前で申し開きしなければならない。そのときは嘘は通用しないから、山口敬之にはさぞや楽しみな“来世”でしょう。
スポンサーサイト

敵が弱いうちに…安倍のモリカケ解散

2017.09.19.15:09

 以下は、日本版人民日報、安倍御用新聞の“名声”を不動のものにしている読売新聞の本日付社説です。

 安倍首相が、衆院解散・総選挙に踏み切る意向を固めた。「10月10日公示―22日投開票」の日程を軸に調整している。
前回の衆院選から3年近く経過しており、この時期に国民に信を問うのは異例ではない。首相は、衆院選の意義を丁寧に説明することが求められる。
 首相が解散を決断したのは、一時は急落した内閣支持率が回復傾向にあることがある。
 民進党は離党ドミノで混乱している。小池百合子東京都知事に近い若狭勝衆院議員らによる新党結成の動きも緒に就いたばかりだ。野党の準備が整う前の方が有利だという戦術面の判断もあろう。
 首相が解散権を行使し、衆院選に勝利することで、重要政策を遂行する推進力を得ようとすることは理解できる。そのためには、きちんと争点を明示すべきだ。
 今回は、北朝鮮の核とミサイルの脅威が拡大した中での選挙戦となる。いかに日米同盟を強化して抑止力を高め、中国、ロシアを含めた国際包囲網を構築するか、しっかり論じ合う必要がある。
 安倍政権は、安全保障関連法が日本の平和を守る法的基盤として機能していることを具体的に訴えることが重要だろう。
 政府は、北朝鮮の新たな軍事挑発にも即応できる体制を常に維持し、1か月前後の「政治空白」の影響を最小化せねばならない。
 経済政策アベノミクスに関する評価も問われよう。
景気は緩やかに回復しているものの、力強さを欠いている。成長戦略をどう強化するのか。2019年10月の消費税率10%への引き上げを予定通り実施するのか。各論を深めることが大切である。
 憲法改正について自民党は、9条1、2項を維持しつつ、自衛隊の根拠規定を追加する案などを争点化することを検討している。
 衆院選で首相は、改正の必要性を堂々と訴え、その具体像を分かりやすく語るべきだ。
 安倍自民党は国政選に4回連続で大勝している。だが、今回は、政権の驕おごりと緩みが問題視されており、決して楽観はできまい。
 民進党など野党は、今回の解散について、森友学園や加計学園の「疑惑隠しだ」などと批判している。臨時国会で追及する機会が失われることを踏まえたものだが、政権選択の選挙でこの問題ばかりを論じるわけにはいくまい。
 民進党は、現実的な政権構想と政策を提示し、政権担当能力を示さなければ、国民の信頼を回復することは望めない。


「問われよう」とか「できまい」「いくまい」とか、やたら勿体ぶった割には中身は何もない駄文ですが、あのヨミウリがこう書いているくらいなのだから、これはホントなのでしょう。最近安倍は鳴りを潜めていて、おかげで僕もイライラさせられずにすんでいるのですが、日本人は概して淡白なので、それだけで支持率は回復基調にあり、民進党は四分五裂で、「敵が弱いうちなら、不人気でも勝てる!」と計算したのでしょう。いかにも卑怯者の安倍らしい考えです。ま、安倍ごときに上杉謙信の美徳を期待するのが、そもそも無理というものですが。

 こういう状況で選挙をやれば「サルでも勝てる」と僕は思いますが、安倍はもう完全に「賞味期限切れ」なので、それでほどほどの戦果を収めた後は、岸田あたりに“禅譲”して、「名誉ある撤退」をはかる、という腹積もりなのでしょうか? それならまだ許せるが、彼はカン違いしやすいタイプなので、「国民の支持は私にある。まだやれる!」なんて思い込まないかどうか、それが心配です。選挙戦ではそれには極力触れないようにしておいて、終わったら「これでモリカケ問題についてのみそぎはすんだ」なんて言い出すのです。破綻したアベノミクスと例の「異次元の金融緩和」の深刻な副作用が出てくるのはまだこれからですが、それのツケに苦しめられるのは後の後の政権ぐらいからです。今はまだ大丈夫というわけで、妄執と化した「悲願の憲法改正」「祖父も成し得なかった偉業」に“邁進”されては困る。そのためには北朝鮮にミサイルをたくさん飛ばしてもらって、例の「Jアラート」なるものを鳴りっぱなしにして(ホリエモンは怒ると思いますが)、国民の正気を失わせるにかぎる。サンケイやヨミウリも一緒になって騒いでくれるでしょう。

 何はともあれ、茶番の解散総選挙が近いということで、またしばらくは騒がしくなりそうです。安倍に選挙の必勝秘策を授けるとしたら、「これを花道に私は首相の座を去ります」と彼が確約することでしょう。そしたら、日本人の困った習性で同情票が集まって、自民は今と同じぐらいの議席を確保できるかも知れない。安倍にはそんな潔いことはできそうにないから、あえてこうして書くのですが…。にしても、今の政界というのは、どうしてこうも良識の欠落したのばかりが目立つんでしょうかね? 例の騒ぎで自民を離党した、豊田議員みたいなのまでまた出るという話で、「一体何を考えているのだ?」と空恐ろしくなってきます。

チビチリガマを荒らしたお馬鹿さんたちは「教育棄民」か?

2017.09.16.16:39

 先ほどネットのニュースサイトに毎日新聞電子版の次のような記事が出ていました。

 沖縄県読谷村の「チビチリガマ」で遺品などが壊された事件で、県警嘉手納署は15日、器物損壊の疑いで16~19歳の少年4人を逮捕した。少年らは「心霊スポットに行こうと思った」「肝試し」などと供述し、4人は容疑を認めている。

 平和を祈る象徴的な場所である「チビチリガマ」を荒らした疑いで地元の少年たちが逮捕されたことを受けて、沖縄では怒りやむなしさが広がった。
 16日午前、チビチリガマの遺族会の関係者らが、荒らされた入り口付近などを丁寧に清掃した。集団自決で祖父母ら5人を亡くした与那覇徳雄会長(63)は、少年たちの逮捕について「遺族としては一安心だが、まさか少年たちがこういう行為をするとは夢にも思っておらず、怒りも覚えるし、ショック。なぜこんなことをしたのか、とにかく動機が知りたい」と語った。そのうえで「今後ともチビチリガマから平和を発信していきたい」と述べた。
 石原昌家・沖縄国際大名誉教授(平和学)は「今回の事件は常識ではありえない行為で、死に対する畏れが欠如している。犠牲となった住民らは集団死に追い込まれ、1987年にもガマは荒らされた。今回で3度『殺された』ことになる。教育の現場で沖縄戦の実態や歴史が伝わっていないのではないか」と指摘した。チビチリガマのある読谷村の石嶺伝実(でんじつ)村長は「容疑者が少年だったことに衝撃を受けている。歴史の風化が叫ばれているが、それがここまで来たのかという思いだ」と話した。【佐藤敬一、佐野格】


 先日はYoutube にアクセス数を稼ごうと、明白に法に触れる過激影像を投稿して逮捕される馬鹿な若者が跡を絶たないという記事が出ていましたが、こういうのも同レベルで、事の是非善悪、物事の軽重の弁えが全くつかないというのは、怒りを通り越して、悲惨な印象を与えます。頭が悪いにもほどというものがあるので、こういう子供や若者は家庭や学校で人間としてのまともな扱いを受けていないからそうなるのだとしか思えない。

 僕はこういう子供や若者を広義の「教育棄民」と呼びたいのですが、その数は増え続けているように見えます。その彼らが文字どおりの「心なし」としか言いようのない無残な行為を繰り返す。無神経・無知も度を越しているから、たやすく犯罪行為にも結びつくわけです。

 先に「頭が悪い」と書きましたが、こういうのはむろん、知能だけの問題ではないので、人間的な心というものが育っていないからそうなるわけです。人は無意識に自分がされたことを周囲に、社会に返すものなので、これは彼らが人間的な扱いを受けていないということを意味します。だから、お説教すればそれで片付くという問題ではない。日頃の人間的なケアが、彼らには圧倒的に不足しているのです。

 昔と違って、今は地方でも地域共同体が空洞化し、家庭が孤立してそれぞれの子育てを行うようになっているので、親に教育力がないと、それが子供にモロに出てしまいます。親がろくすっぽ子供のことを顧みず、世話もしない、学校でも落ちこぼれて教師にお荷物扱いされるということになると、子供はよくなる道理がなく、淋しさから似たもの同士集団を作って群れるようになり、それがこういう事件にもつながるのでしょう。

 塾で生徒たちの相手をしているかぎりでは、今の子供たちは昔の子供と違って親に大事に育てられてるなという印象を受ける(僕など、昔の基準では「過保護」だったが、今の基準ではその範疇には入らない)のですが、塾に通えるということ自体、家庭に余裕があって、子供も大学進学を前提にできるだけの素質があるということなので、生徒たちに中学時代の話を聞くと、やはりとんでもない家庭のとんでもない子は一部にいるようだということがわかって、僕が直接知っているのはかぎられた範囲の子供たちでしかないということがわかるのです。親御さんたちは子供の教育に大きな関心をもっているが、なかにはそんなものはまるでない、という親もいるわけです。

 問題はそういう広義のネグレクト家庭の子供たちに社会がどう対処するかでしょう。そういう無責任な親は子供を作るな、ではすまない。そう言いたくなるのはわかりますが、下手すると、そういう言い方はおかしな優生学思想につながりかねないからです。

 そもそもの話、今の時代は子供を育てるのにお金がかかりすぎます。四年制大学への進学が十八歳人口の五割を超えているということは、大学進学が「標準」になっているということですが、ことに地方の場合、子供が三人もいて、全員を大学かそれに準じる短大・専門学校へ行かせるとなると、よほど裕福でないかぎり借金を免れない。子だくさんだった昔の地方の親なら、義務教育だけ受けさせて後は子供を放り出せた。高校進学率は戦後かなり早い段階で急上昇しましたが、地元の公立高校なら費用は高が知れていて、今ほどの負担にはならなかったのです(塾そのものがほとんど存在しなかったので、塾代も不要だった)。

 家庭事情から、大学はもとより、高校も怪しいという子供は、早い段階で希望を失ったような感覚をもつでしょう。親も、世間並のこともできないという劣等感から、投げやりな子育てに傾きやすくなるのではないかと思われる。そういう「教育格差」の問題も、ここにはからんでくるわけです。

 少し考えただけでも、あれこれ問題が隠れているのがわかるので、「どうしようもない馬鹿ども」と罵ったり、「親の顔が見たい」と冷笑を浮かべて言うだけでは問題は解決しない。何らかの意味で彼ら(親も含めて)は社会から「排除」された存在なので、本人たちにその意識的自覚はなくても、予期しない形で彼らは社会に復讐するのです。だから、そういう連中のことは知らん、というわけにはいかない。

「心霊スポット」だの「肝試し」だの、その年齢の子供にはありがちなことですが、歴史的・社会的文脈の中でものを考えたり、文化というものの深みがわからないというのは、何も彼らにかぎったわけではなさそうなので、あの愚劣なポケモン何とかにしても、その点では同じでしょう。軽薄な時代思潮にそういう「教育棄民」のような子供や若者はことに影響されやすい。そういうことも言えそうです。

終わった民進党~今どき不倫ごときで…

2017.09.09.16:58

 僕はその記事を見ていませんが、民進党の山尾志桜里衆院議員(43)の「不倫」が週刊文春で暴露され、新執行部での幹事長就任もおかげで立ち消えになったのだとか。「政治経験の少ない二回生ごときが幹事長になってよいのか!」という嫉妬が民進党内部に渦巻いていたそうで、「内部(男性議員)のリーク」説も囁かれているそうです。

 全くねえ…。ただ自分が異性にモテないだけで、だから「不倫」もしなくてすんでいるだけの話ではないのかと皮肉の一つも言いたくなりますが、不人気で崩壊の危機に瀕している政党内部のこうした見苦しい権力争いは、民進党が解体するしかないことを示しているように見えます。

 いきなりこんなこと言うと叱られそうですが、そもそもが、結婚制度はとうの昔に実質的には崩壊しているのです。哲学者のニーチェが「神は死んだ」と言ったとき、それがヨーロッパ人に衝撃を与えたのは「深い部分の心理的事実を言い当てていたからだ」と心理学者ユングは言いましたが、これは昔、そのユングが言ったことです(たしか「ヨーロッパの女性」と題された講演でだったと思うのですが)。

 西洋式の結婚式では、夫は妻を、妻は夫を永遠に愛しますなんて誓いを立てさせられるわけですが、それは虚構で、男女の愛は永遠ではありません。たまにそういう人たちもいるが、それはむしろ例外で、生物学的に言ってもそこには無理が伴うのです。離婚しない場合でも、それは「永遠の愛」ゆえにではなく、一種の「盟友関係」がそこに成立するのと、世間体というものがあるからで、前に防虫剤のテレビCMに「亭主元気で、留守がいい」というのがありましたが、大方はその程度のものでしょう。

 だからと言って、僕は別に「不倫」を奨励するものではありません。発覚すると浮気をされた側は傷ついてみじめな思いをして、離婚に発展することが少なくないだろうし、そうなると子育てにも影響するので、色々面倒なことが起きるのを覚悟しなければなりません。それなしの安易な浮気は愚かというものですが、結婚後「運命の人」(とその人が思う)に巡り合うこともあるだろうし、そういう場合は離婚→再婚という手順を踏むのが“正しい”やり方だということになるのでしょうが、それでも関係者が傷つくことや、相応のドタバタは避けられないのです。

 昔は離婚件数が少なかったのは、世間体の縛りがきつく、たいていは一方が他方に我慢していた(多くの場合は妻が夫に)からです。人生は忍耐力の修練の場だという考えからすれば、これにはそれなりに合理性がありますが、基本的に男女関係というものは、一方が他方に愛想を尽かしてしまったら、それで終わりでしょう。今は女性も生活力がある場合が多いので、そうなったらさっさと離婚する。問題は子供がいる場合で、片方が引き取っても他方はそれに対して責任があるので、相応の援助をする必要があります。離婚して母子家庭になった場合、それで困窮してしまうことが多いのは、元亭主が応分の役割を果たすことが少ないからで、そのへんは西洋式に、相応の援助を父親はすると共に、子供にも定期的に会えるというふうにきちんと取り決めをするのがよいでしょう。子供中心に考えるなら、そういうことになる。母親がその後再婚した場合でも、子供が「現おとうさん」「元おとうさん」と呼んで、両方と付き合っているケースがあって、それだとその子は他の子より多くの父親をもっていることになって、心強いわけです。「元おとうさん」もわが子の成長をずっと見守ることができる(DV夫、DV父の場合には話はまた別で、その“病気”を治さないとどうにもなりませんが)。

 山尾議員と相手の弁護士もそうすべきだと、僕は言っているのではありません。「男女の関係はない」というのなら、その必要はないでしょう。しかし、いずれにせよこういう騒ぎになると双方の家庭にヒビが入る。それが修復できるか、そのままこわれるところまで行くかは当事者たちの問題ですが、僕が言いたいのは、どちらにしてもそれは部外者が騒ぎ立てる問題、ましてや議員辞職を迫るような性質のものではないのではないか、ということです。

 それが深刻な道徳的問題であるとは、僕は思わない。お友達の便宜を図った、加計学園に代表される安倍の低レベルの公私混同政治や、その安倍のヨイショ本を二冊も書いた山口某の卑劣なレイプ事件は僕には不快ですが、これはそういうものではない。「結婚と家庭は神聖犯すべからざるものである」と考える人たちには違うのでしょうが、それのどこが「神聖犯すべからざるもの」なのか、僕には理解できないのです。それは現代社会の実態には即していない。

 むろん犯罪は許されませんが、政治家は政治の仕事を公正かつ誠実に果たせばいいので、私生活は問うところではない、というのが健康な見方ではないですか。政治家に愛人が何人いようと、それで政治の公正を歪めたのではないかぎり、僕にはどうでもいいことのように思われるので、ずいぶんマメな人だなと感心するだけです(前にも書いたことがありますが、三木武吉という政治家は何人も愛人を抱えていて、本妻への愛情は、にもかかわらず終生変わらなかったという人でした。そして彼は、どの愛人の面倒も最後まで見たというのだから、そのへんがそこらのただの浮気男とは違っていたのです)。

 嫉妬心から彼女の追い落としを図るためにリークした人間がいるのだとすれば、そちらの方が醜い。山尾議員はあの年でも十分美人なので、そういうことがあっても不思議ではないなと僕は思うだけです。「家族を苦しめるからけしからん」と言う人たちも、別にその家族のことを真面目に心配しているからではないでしょう。悪感情のうっぷん晴らしにそれを利用しているだけにすぎません。

 まあ、週刊誌にとっては恰好のスキャンダルであることはたしかで、文春がこれに飛びついたのはわかりますが、問題は民主党内部の「離党しないと党に傷がつく」「いや、議員辞職に値する」といった自称「批判」です。いつから日本会議みたいな封建道徳のかたまりになったのか知りませんが、民主党の不人気はそういうことが原因ではない。つまらないカマトトぶりを見せつけられて、有権者はいっそう愛想を尽かすのです。他に言うこと、することがないのかと。

 ちゃんとした強力野党がいてくれないと、自民党がいい気になってのさばりすぎるので、民進党のこのていたらくは嘆かわしいことです。こうなったら解党して、新しい党で一から出直すしかないだろうと僕は思って見ているのですが、やっぱり人材不足で明確な方向を示して、まとめられる人はいないんですかね? 愚かしい嫉妬や権勢欲で人の足を引っ張りたがる手合いはたくさんいても…。こういう何が起きるかわからない危機の時代に最大野党がこの有様とは、ほんとに情けないことです。

学校で殺されないようにする方法

2017.09.04.15:42

 学校の新学期が始まる9月1日前後は、子供の自殺が一番多く発生する時期だそうで、各種の「自殺防止の呼びかけ」が行われたようですが、いじめや友達関係の深刻な悩みはない子供でも、夏休み明けはイヤなものでしょう。楽しい夏休みは終わってしまって、しかも宿題は丸残りだったりするからです。親にも先生にも「何をやっていたのだ!」と叱られる。昔と違って、今はちゃんと宿題をやっていく子の方が多いので、周りからも浮いてしまい、白い目で見られるのです。「ダメな子供」をかばってくれる人はどこにもいない。

 元「ダメな子供」の僕は彼らに同情します。宿題の件だけではない、またあの面白くない学校が始まるのかと思うと意気阻喪するのです。自殺という考えに結びつくことはありませんでしたが、僕も子供の頃、夏休み明けはイヤで仕方がなかったものです。

 オトナになれば、「学校なんて、行きたくなければ行かなければいいだけの話だ」と言えるのですが、子供にとっては「学校に行く」というのは絶対的な現実で、他に選択肢はないように見えるので、深刻にならざるを得ないのです。

 いや、オトナでもいまだに大方の人は、「学校は絶対に行かなければならないもの」と思っているかも知れません。だからわが子が不登校になったりすると大騒ぎになるのです。子供の方も、それがわかっているから行きたくなくても何とか頑張って行こうとする。いじめがあっても、友達関係や先生との関係に大きな問題があっても、よい子ほど頑張って、そしてある日力尽きて自殺するのです。

「行きたくなければ行かなくてもいい」なんて甘いことを言うと、大方の子供は不登校になってしまうのではないかと心配する人がいるかもしれません。さにあらずで、その方が子供も気楽になって、かえって不登校にならずに済むということがあるのです。

 げんにうちの息子は小1の頃、「学校は行きたくなければ行かなくてもいいところ」だということを学習しました。それはやはり夏休みの終わり頃のことでしたが、母親の話によれば極度に落ち着きを失って「ふつうでない」状態に陥ったのです。一体原因は何なのか? 母親が聞き出したのは、一学期の終わり頃に、学校でこういう事件があったということでした。クラスの中に一人情緒不安定な子がいて、その子が授業中、エンピツかシャーペンで隣か前の席の子の、机の上に出していた手をいきなり突き刺した。ギャーッという悲鳴が響く。後ろの席にいたうちの息子は思わず立ち上がり、呆然としてその光景を眺めていた。すると、担任の女性教師の「あんたは何を面白がって見てるわけ!」という皮肉とも叱責ともつかぬ声が飛んできたのです。その前にもこういう話があった。そのとき彼は学校で飼っているウサギの世話係の一人に当たっていたのですが、ある日ウサギ小屋を見ると一羽が死んでいる。それで他の子供たちと、どこか校庭の片隅に埋めてお墓を作ろうと相談した。ともあれ先生の許可を得ようとそれをていねいに両手で抱えてその担任の元に行ったところ、ロクに子供たちの話も聞かないまま、「そう」と言って、ウサギの死体を無造作に片手でつかむと、そのまま生ゴミ用のゴミ箱に叩き込んだのです。

 当時僕は横浜にいて、母子は延岡にいました。「あの子が壊れてしまった…」という母親の深夜の電話に戦慄した僕はすぐに飛行機で飛んできましたが、そこでその話を聞いて激怒しました。男性教諭ならすぐ学校に飛んで行ってその場でボコボコにするところでしたが、僕は女性や子供には断じて暴力を振るわない主義です。子供の方は父親の顔を見て安心したのか、急速に元気を回復して、日ならずして笑顔が戻りました。

 電話の段階で、「学校には行かなくていいから、そう言って本人をまず安心させろ」と言いました。それで当分は休ませることにして、学校に話をしに出かけると、校長と教頭が待ち構えていました。ありていに言えば、母子家庭だと思って甘く見ていたところ、いきなり父親なる人物が出現したので、慌てたのです。僕はそのクソ教師をここへ呼べと言いましたが、教頭がわけのわからない言い訳をして、いやあの先生は教育者一家に育って、父親もどこかの校長を務めた立派な人で…と言いました。僕はそれを聞いて、あんた方は馬鹿ではないのかと言いました。親が学校の教師でその子も教師というのにはロクなのがいないと世間では相場が決まっている。そういう常識を知らないのは学校教師だけなので、そんなことが教師のまともさの保証になると思うのは笑止千万であると。大体、あんた方管理職はそういう未熟教師の指導をするのが仕事だろうに、教師が「そんなことはしてません」と言ったら、そのまま嘘を信用するのか。あんた方がどう思おうと知ったことではないが、こちらは正直なわが子の話を信じる。今の学校教師というのは、児童心理学の初歩も知らないようだから、いっぺんタダでレクチャーして差し上げるので、先生たちを集めておいたらいかが、むろん飛行機代はそちら持ちで、云々。

 それで結局、その問題教師の代わりに知的障害などの問題をもつ生徒を特別に預かる教室の担当だという年配の女性の先生が呼ばれて、元のクラスに戻すのは見合わせてしばらくそちらでどうでしょう、という提案が学校からなされたのですが、こんなクソみたいな学校、信用できるかと腹を立てていた僕はいい顔をしませんでした。しかし、母親の方があの先生なら大丈夫そうだと感じるというので、試しにそちらに通わせてみることになったのですが、母親の見立ては正しく、彼はその先生にはすぐなついたらしく、大方は勉強せず、毎日ウンコの絵なんか描いて上機嫌で遊んでいたようですが、学年の終わりまでそこに通い続けたのです(その担当の先生とはその後僕も親しくなりました。当初はわからなかったが、その年配の先生は今の学校教育に批判的な、職員室にもよりつかない異端教師で、異端同士ウマがあったのです)。

 その間も、学校を休ませて母親が事前に調べ上げた関東のフリースクールをいくつか、親子で見学させてもらったりしました。それで息子は、「学校にも色々ある」ことを実地に見て学び、「イヤなら無理して学校に行く必要はない」という親の言葉が真実であることを理解したのです。

 色々世話をしてくれる人たちに助けられ、翌年春に僕は延岡に引っ越して今の塾を始めたのですが、息子は学年が上がったとき、元の集団に戻されました。今度はまともな先生だったので、トラブルもなく、そのまま上に進んだのです。日常的にキャッチボールなどで遊び相手をしながら様子を観察していた僕の目にも、心配はなさそうに見えました。学年が上がるにつれて父親の遊び相手としての優先順位は下がり、そのうち友達の習い事などで遊び相手が見つからないときにしかお呼びがかからなくなったのは残念でしたが、それは彼が順調に成長している証でもありました。

 前にも別の文脈で書きましたが、高校に入ったときも、「イヤになったらいつでもやめていい」と言いました。僕は息子の高校入学までにあの課外を廃止に追い込むつもりで、ここにもあれこれ書いたのですが、それには失敗していたので、自分ならあんな学校はイヤになるにきまっているから、これは「本心」で言ったことです(僕の言うことはほとんどつねに本心なので、子供としてはその「解釈」に頭を悩ませる必要はないのです)。

 塾で英語を教えている時も高校の管理教育の悪口で父子の話はしばしば盛り上がったのですが、結局彼はその高校も無事卒業し、そのまま大学生になりました。「イヤなら行かなくていい」と言い続けても、そうなったので、「下手なことを言うと子供が不登校になる」と心配している人たちにはいい反証になるでしょう。「いつでもやめられる」という気楽な態度で学校に行っていたから、むしろそれが幸いしたと言えるのです。大学受験にしても、本人は入学時は3科目で済む私立のつもりだったので、親の方も「それなら何とかなる」と考えていたのですが、意外や割とオールラウンドにできるのが途中で判明して、遅い段階で国立に切り替えたので、ふつうの場合とは逆の展開になったのです。これも無理な目標を立てなかったのがかえって幸いしたと言えるでしょう。

 いじめなどでは問題はもっと複雑になるでしょうが、そもそも何で子供間の執拗・悪質ないじめが起きるかといえば、それだけストレスを抱えた子が多いということなので、家庭や学校の見えない「虐待システム」がそこには作用していると言えるのです。いじめっ子の家庭に問題があることは、たぶん教育関係者にとっては常識でしょう。そちらに目立った問題がないなら、学校が抑圧機関として大きな作用を及ぼしていると考えるしかない。「学校は絶対に行かなければならないところ」という観念はその一部なので、これに受験のプレッシャーなど、色々なものがからんでくるわけです。

 学校、とくに公立学校の先生にはいまだに軍隊式の規律が好きな人が多いようです。とにかくやたら「整然たる一斉行動」なんてものが好きなので、それは一種の病気です。僕のように管理するのも管理されるのも嫌いな人間には理解しがたい。管理しないと秩序が維持できないというのは迷信なので、僕はギャングエイジの中学生相手の集団塾の校長も、個別形式の学生講師がたくさんいる(二つの教室で計八十人はいた)部門の責任者もしたことがありますが、大まかなことだけ言って、別に管理的なことは何もしませんでした。それでもちゃんと回るので、だからと言って僕が生徒や講師たちになめられているという事実はなかったのです。恐ろしい無秩序が支配していたのではないかって? それは僕の机の上だけ(よく事務アルバイトの子たちに叱られていた)で、教室は相応に賑やかだったが、秩序は保たれていたのです。でないと学習成果も上がらず、塾は潰れてしまう。

 過剰な管理は子供の自立心(自分で感じ、考え、判断し、行動する力)の成長を妨げるという意味でも有害なのですが、それは今の学校の大きなストレス要因の一つでもあるでしょう。よく日本の役人の特徴は「遅れず、休まず、働かず」だと言われますが、こういうのも学校教育の成果だと言えるわけです。おそらく彼らは学校に問題を感じないまま過剰なまでに適応した「よい子」たちだったのでしょう。それがそのまま役人になって、「役人は際限もなく無用な仕事を作り出す」というパーキンソンの法則にのっとり、自動機械のようにいりもしない企画や書類仕事を無限に作り出して忙しがっているのです。昔からの習慣で、何のためにこれが必要なのかという一番肝腎なことは考えない。そういう無能な税金泥棒を育てることに何の意味があるのだと、僕のような人間は思いますが。

 話を学校教育に戻して、だから学校がもっと風通しのいい、のんびりしたところだったら、いじめや友達関係のトラブルもずっと減るでしょう。いや、そんなところなら、子供は怠けて自堕落になって、勉強しなくなる。厳しく管理して、無理にでも勉強させる必要があるのだ、と学校の先生たちは反論するかもしれません。

 しかし、妙に窮屈なくせに教え方は下手だから学力も大してつかず、だから塾が繁盛するのです。「厳しく管理」している割にはその成果には乏しいので、そういう論理は成立しない。おかしな管理体制をやめて、もっと伸び伸びやらせた方が学力も向上するのです。

 僕はわが子のお勉強には高校入学までタッチしませんでした。理由は、落ちこぼれて基礎も身についていないのでは困るが、そうではないようなので細かい学校の成績なんてどうでもいいと思っていたからです。小2か小3のとき、僕は彼が算数の宿題プリントを猛烈な勢いで片づけて、「終わった!」と言って外に遊びに出かけようとするところを目撃したことがあります。1分も経たない早業なので、「こいつは天才か?」と驚いた僕は、彼が無造作に放り投げたプリントを拾いました。「見んで、見んで!」と言って彼はそれをひったくろうとしましたが、それを制止して見てみると、ところどころ問題がすっ飛ばされていて、やったところも、文字どおりミミズがのたくったような字で、字があまりに汚いので、自分で数字を読み違えて、計算ミスになっているところが二、三箇所ありました。なるほど、速いはずだと笑ったのですが、早く遊びに行きたい一心で、心ここにあらずなのです。僕はもちろん、遊びに行くのを許可しましたが、子供というのはふつうそういう生きものです。

 いつぞや『東大生のノートはかならず美しい』という本が話題になりましたが、僕は『勉強嫌いの子のノートはかならず汚い』という本を出してやろうかと思ったほどです。自分の息子のノートをそのまま複写すれば足りる。そうすると世の親御さんたちは、「うちの子はこれよりはマシだ!」と安心して、ベストセラーになるかも知れないと思ったのです。子供たちも「かならず美しい」東大生のノートと比較してとやかく言われたりせず、「おまえのはこれと較べればずっとマシで、よくやっている」とほめられるかも知れないのです。

 しかし、わが国の出版業界、とくに教育関係のそれは、ブラックユーモアを解するほど成熟していない。また今出せば、彼は結局京大に進学したので、嫌味にしかならなくなります。「こんな勉強嫌いの子供でも有名大に合格しました(注)」という持って回ったセコい自慢話にしかならないからです。子供の頃腹いっぱい遊べて、勉強しろとは言われず、母親の日常的な小言(すぐ物をどこかに忘れてくる)以外には何ら強制めいたことは経験せず、学校もイヤなら行かなくていいと言われ続けて育ったことは、何ほどか彼の成長(もうじき一年の予定で留学していたドイツから帰ってくるのですが、そういうのも彼が勝手に決めてやったことです)には役立っただろうと、親は思っていますが。

※注 有害な誤解を防ぐためにお断りしておくと、彼もむろん、大学受験の際はちゃんと勉強したわけで、勉強しないで入れるわけがない。母親の語るところでは、三年の二学期以降は、それまではテレビのお笑い番組が始まると呼びに行っていたのが、ピリピリしてそれも憚られるようになったとのこと。「じゃあ、それまではそんな下らんものを見ていたのか?」と父親は後で聞いて呆れましたが、とにかく勉強はしたのです。

 まあ、今の学校に過剰な管理をやめろ、もっと風通しのいい空間を作れと言っても、それは難しいでしょう。そこを根本から考え直さないと問題の解決にはなりそうもありませんが、家庭ですぐできることはあるので、子供の様子がおかしいようだと気づいたら、まず学校を休ませることです。そうしてよく話を聞いてあげると共に、フリースクール見学などに連れて行って、学校など大したことはないのだということを本人にわからせる。妙に深刻になるから、後々ほんとに深刻になってしまうのです。うちの息子は高校に入ったとき、一つ上の小中学の先輩から、「おまえが何でここにいるの?」と驚かれたそうです。小1の時、彼は特殊学級に入っていた。だから知恵遅れに違いないと、その先輩は決め込んでいたのです。世間体を気にする親なら、わが子を特殊学級に入れることを拒む人もいるでしょう。僕にとってはそういうのはどうでもいいことで、実際そこの担任が自由主義的な考えのよい先生だったので、彼は喜んでそこに通ったのです。他に何人かいた学年が上の子たちともよい関係が築けた。おかしな偏見を、彼は何ももっていませんでした。知的障害も「個性」ととらえたようで、むしろそれは人と接するうえで彼にはプラスになったのです。

 発明王エジソンが学校入学早々、担任教師の心ない罵倒にさらされて不登校になったというのは有名な話です。あとは母親が本人がほしがるものなどを与えて教育した。それが彼の自由で創造的な発想を育んだのです。僕も、いざとなれば自分で教育すればすむことだと考えていました。そうなると唯一の問題は友達がいなくなることで、その場合どうするか、そこは難しいが、知人の子供たちとは交流できるだろうから、そこから先は様子を見ながら考えればいいと思っていました。幸い元に戻ったので、それ以上考えなくてすみましたが、やりようはいくらでもあるのです。

 僕が何より重視したのは、子供が元気になることです。他のことは二次的、三次的な問題にすぎない。もう一つは子供を信じることでしょう。僕はわが子が異常でも何でもないことを確信していました。何かあると心配症の母親は不安になるもので、それと一緒になって心配してもマイナスにしかならないのです。大体、大きな不安や恐怖を抱えていれば、子供は誰だって一時的にはおかしくなります。僕は精神科医やセラピストによって作られる「病気」は少なくないのではないかと疑っています。病名を与えられて、薬など処方されると、自分は病気だと思い込むようになるのです。そうするとそのうち本物の病気になってしまう。不安が消えて元気になれば、大方の場合、神経症的な症状も消失するのです。そういう時必要なのは安心感を提供してくれる人であって、分析医や薬ではない。

 こういうのはむろん、事なかれ主義に基づく逃避であってはなりません。正面からきっちりコミットして、その上で「大丈夫だ」ということを示すのが大事なのです。子供が大変な精神状況に陥っているのに、親が逃げを打って見て見ないふりをするのは最悪なので、そこはきっちり助けに入らなければならないのです。

 警察の犯罪捜査では「初動」が何より大切だそうですが、子供の不登校やいじめの問題でも同じなので、愚図愚図して最初の対応を怠ると、大方は長引いてしまうでしょう。子供は周りの大人が本気になって動き出すと、それだけでかなり安心するものです。それがその後の好ましい展開につながる。また、ユングの共時性ではないが、親や教師が本気になると、直接の因果関係はないのに、外部状況それ自体が好ましい方向に変化することが多い。僕が相談を受けたケースでは大方がそうで、不思議だが、それは事実なのです。

 以上です。多少は参考になりましたかどうか…。


プロフィール

大野龍一

Author:大野龍一

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR