個よ、もっと強くなれ~アッキード事件ともからめて

2017.03.21.11:26

 実に四半世紀ぶりに、河合隼雄の本を読みました。『私が語り伝えたかったこと』(河出文庫)。僕は三十七、八までユングの本をかなり読んでいて、「どうもちがうな…」と思って、あるときからぷっつり読まなくなってしまったのですが、その関係で河合隼雄の本も、「消毒の効きすぎたユング」なんて失礼なことを言いながら読んでいたのですが、自分が生来の理屈屋であるせいか、理論的な本は食い足りない気がして、『カウンセリングの実際』のような本の方が陰影があって面白く読めました。

 僕がユングその人に関心を失ったのは、彼の理論体系それ自体が「壮大なフィクション」に他ならないのではないかという気がしてしまったためで、こんなことを言うとユング派の先生やその信奉者の人たちを怒らせてしまいそうですが、それは僕の独断なので、別に論争しようという気などはないのです。しようにも、大方のことを忘れてしまった。

 それでも、これを本屋の棚でたまたま見つけたときは懐かしい感じがして、買って読んでみようという気になったので、ざっと目を通したのですが、その中にこういう箇所があって、あらためて面白く思いました。

 それは「父性」に関するところで、二か所ほど出てくるのですが、日本では元々父性的なものは弱かった、という話です。「最近よく言われる父親の復権は打開策にならないんでしょうか?」というインタビュアーの問いかけに対して、河合氏はこう答える。

 日本の昔の父親は怖かったけれども、世間に恥ずかしいということで怒っていた。個性なんか全然考えていないんです。ところがヨーロッパでは、世間が何であろうと、わが家の考えを通すんだと頑張るのが父親なんですよ。自分の子供のために世間と戦う、これが父親なんですよ。
 極端な例をあげれば、国中が戦争しようというときに、うちの子は戦争に行かせない、おれは戦争反対だということを叫ぶことができるのが父親なんです。ところが日本の父親は、右へならえで「もう今は戦争の時代だ、行け!」でしょう。
 つまり、怖い父親が強い父親とはかぎらないんです。要するに、弱いから世間の言うとおりやっているんだから。日本にあるのは、父性の強さではなく、母性社会の中の強い父親なんです。
 だから、日本では父親の復権なんて言えない。そんな父親はいなかったんだから、父性の創造というべきです。みんなで創り出していこうじゃないかというぐらいの気持ちにならないといけないですね。(p.70)


 もう一ヵ所引用させてもらうと、

 …怖いのと強いのは違うんですよ。日本の軍人を見たらよくわかります。部下を叱りつけたりする怖さはあったけど、敵が攻めてきたときにきちんと判断して勝つ術なんていうのはあまり考えられない。それは上に言われたとおり、決まりきったことばかりしていたから。日本の軍隊は、一人ひとりの兵隊は強かったけれども上のほうがボケててね。
 つまり、この場合はこれでいくのだという判断、それが父性なんです。よし、おれはこれだ、というのはちゃんと言えるというのがね。判断して決断して実行する、これ、日本人は一番下手なんじゃないでしょうか。たとえば、赤か黒かを決めるときに、おれは黒だと決めて、子どもが「なんでお父さん赤にしないの」と言えないとダメなんです。そのときに「おれが黒だと言ったらそうなんだ、みんなやかましい」と言うのではなくて、これこれこういうことだから黒なんだと説明しないといけないのですよ。論戦を許容して勝ってしまうというのが父性なんです。日本のはやたら頭ごなしですよね。

 ――それと世間をいつも気にしている。

 そう、後ろ指をさされないようにと。西洋の父親というのは、世間はそうかもしれない、でも自分はこうなんだ、と言う。それが父の強さ。そのときに怖いとか怖くないとかは問題外です。僕はよく言うんですが、僕らの父親はみんな弱かった、だからばかな戦争したんだ、と。戦争だって突撃するのが強いと思ったら大間違い。突撃と言われたときに、なぜ突撃しなければいけないのかと言えることが、強いということなんです。日本人は自分で決めたら非民主的、とよく言うでしょう。それは違うんです。西洋のリーダーはパチッと決める。だってみんなでそのリーダーを選んだのだから。ところが日本では〔誰もが〕世間のあり方で言っているわけです。そこでうろちょろやっている。これからは変わらなければなりません。だからこれからの父親は大変なのです。でも、子どもが鍛えてくれます。(p.88~90)


 この最後の「子供が鍛えてくれる」というのは、この後説明が出てくるのですが、子どもが何か買ってくれと言ったとき、買わないと答えると、必ず何で買ってくれないのかと突っ込まれる。そこで理由を説明して子供を納得させねばならないからです。ごまかすのではなくて、きちんと正面から対応する。すると子どもは、自分を一人前に扱ってくれたという嬉しさを感じる。親の本気さ、誠実さも感じ取るわけです。

 僕がなぜこれを長々引用したのかと言うと、むろん共感したからですが、最近の森友事件をはじめとするドタバタを見ていて、このことの重要さをあらためて痛感したからです。

 周りをつねにお友達や子分で固めないと安心できない――これはそれ自体が不正の温床になる――「幼稚なガキ」としか言いようのないネトウヨ総理と、軽薄な思いつき、思い込みだけで「職権乱用」して憚らないKY女房はもとより困ったものですが、彼らの暴走がどうして可能になったのかといえば、その周辺が全部、ジャーナリストの菅野完氏がいみじくも命名したような「全自動忖度(そんたく)機」になっていて、「そんな馬鹿な話、聞くわけにはいきませんな」と突っぱねる見識と度胸のある人間がまるっきりいなかったからです。突っぱねるどころか、勝手に忖度して、進んでその意を迎えようとする。だからこういう「不透明」なことだらけになってしまうわけで、相手が北朝鮮の金正恩ならすぐ殺されてしまうから、傍からなぜそんなことをするんだとはかんたんには言えませんが、殺される気遣いはないのだから、官僚であれ、側近であれ、良識に基づいてまともに職務を果たせ、と言えるわけです。それで税金から給料をもらっているのだから。クビになるとか左遷がこわいなんてのは言い訳にならない。その程度の覚悟はもって仕事に臨むのがまともな職業人というものだからです。一体どこにキ●タ●をぶら下げているのかわからない。

 これはマスコミについてもいえることで、情報はつかんでいながら、調べもせずそのまま放置して、「書いても安全」という事態にならないと書かない。お偉方は首相との「お食事会」に嬉々としてはせ参じて、そのご機嫌を取り結ぶ。それで下に向かっては、陰に陽に「批判自粛」を促すのです。「今は政治の安定が何より重要な時期だから」などと、尤もらしい能書きを垂れて。権力の腰巾着が「社会の木鐸」とは笑わせるので、ネットのせいだけでなく、だから新聞も売れなくなるのです。

 先の引用にからめて言えば、今の父親たちは「ほんとは弱かった昔の父親」よりもっと弱くなっているということです。これでは子供たちにしめしがつかないとは、彼らは考えない。アホな戦前教育の復活などで世の中がよくなるのなら、誰も苦労はしないわけで、そういうのは「浦島太郎の経済学」と揶揄されたアベノミクスよりさらに悪いわけです。

 あるいは、こういうことも考えられます。貧弱な個しかもちえない人間にとって、「権威の枠組み」としての教育勅語的な道徳は好都合なものなのだと。それは子供たちに対しても、個人の資格で対応することを免除してくれるからです。そういうものがなくなって個人は大変になった。ロクな社会常識を持ち合わせない人間(これは年配の人にもいる)が増殖し続けたこともそれと関係するでしょう。その外枠のおかげで昔は明確な個などなくても何とかやっていけたのが、そうはいかなくなったからです。弱い個人は外部的な参照枠が何かないと自らを省みることすらできない。

 しかし、あの戦争で特徴的だったのは、どこを探しても明確な責任者がいなかったということです。「空気の忖度」があるばかりで、「おれが決めた」という人がどこにもいない。制度上の責任者も、制度からすればそうなるが、実は自分で決断していないのです。

 それがあの戦争の最大の教訓だったと思うのですが、「あの方がよかった」と言う人たちがこんなに増えたのは、人は誰でもそれなりの自己格闘の上に個というものを獲得するのですが、そういう面倒なことはやりたくないから、無意識にそっちに戻りたがっているということなのではないのでしょうか。

 僕は自分の人生は自分で完結しなければならないと考えています。自己内面の問題にも、自分でそれなりの決着をつけねばならない。そう思っています。だから、親の夢や願望の実現を子供に託すとか、そういうことが全く理解できないので、わが子であれ、塾の生徒であれ、子供たちには自分を「独立した人格」として育て、確立できる人間になってもらいたいと思っているのですが、これはべつだんきれいごとではなく、それが個人の幸福に益するだけでなく、世の中をよくする一番の近道でもあると思っているからです。

 先の引用文に照らせば、どうしてそうなるかということはおわかりいただけるでしょう。明確な個というものがなければ、組織や社会の健全性は保てない。それがないとどうなるかということを、先の悲惨な大戦や、今回の一連の馬鹿げた騒動はよく物語っているのです。

 河合隼雄はもちろん、単純な西洋的個人主義の崇拝者ではありません。彼は神話や伝統の重要性についてもどこかで語っていたと思うのですが、それは「強い個人」と相反するものではなく、あくまで主体的・内面的につかみとられたそれなのです。ステレオタイプの教義・信条をそのまま取り込んで、それに自己同一化して、支配されるというのとは違う。教育勅語を暗記させるなんてこととは、次元の違う話なのです。

 やっぱり、「強い個」をもつ人間を育てないと駄目だなと、僕はあらためて思ったのですが、いかがですか? それなくしては、この国はもう立ち行かなくなる。おかしな滅私奉公教育ではなく、その逆の柔軟で強靭な個を、です。こう言えば、エゴイズムの奨励だとすぐ受け取るような人間理解の底の浅さこそ、実は一番の問題なのかも知れないのですが。

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安倍昭恵はAO義塾の宣伝にも一役買っていた、という話

2017.03.19.21:36

 あまり話題にはなっていないようですが、週刊新潮3月23日号のトップ記事は「文科省に圧力電話する安倍昭恵は私人か!」で、これは新潮にしては珍しく文章はお行儀がいいが、すぐれた記事です。

 こういう記事が出るのは「妻は私人だ」と安倍首相が言い張るからですが、一連の報道を見ると昭恵夫人のアホさ加減には驚くべきものがあって、「総理夫人」の威光を利用して“善意で”社会の公正を害するようなことを、このオバハンは数々やっているようです。事は森友問題だけではないということで、彼女に関してはこれまで、左派メディアも概して好意的でした。理由は、夫の「方針」に反して反原発に肩入れしたり、有機農法の真似事をしたり、居酒屋を経営したり(中には芸能人に酔って抱き着いてチューなんて脱線もあったようですが)していたからで、「家庭内野党」などという言葉が使われて、「自由で独立した女性」というイメージがふりまかれたからでしょう。美人とは言い難いその容貌も、“庶民的”だとして好意的に受け取られた(元森永製菓社長の娘なので、どう見ても「庶民」ではないのですが)。

 そういうのがネトウヨ夫への風当たりを和らげたという側面はあって、「内助の功」効果を発揮していたわけですが、今回の森友事件をきっかけに、「そんなまとものものなのか?」という疑問が生まれて、数々の「疑惑」が出てくるようになったのです。たとえば、ビジネス・ジャーナル3月17日の記事には、ある「全国紙記者」の話として、次のような談話が紹介されています。

「可能性として考えられるのは、昭恵夫人が安倍首相への断りなしに〔森友学園に〕勝手に寄付していたというケースです。そもそも昭恵夫人はこれまで、自民党の方針に反する反原発の言動を繰り広げたり、さまざまな社会的な運動に参加したり、雑誌などのメディアに積極的に露出して発言したりと、これまでの首相夫人とは明らかに違い、自由な言動が目立ちました。
 ただ、昭恵夫人は何か確固たる思想的信条に基いてそうした活動をしているのかといえば、まったくそんなことはなく、悪くいえば“ただの思いつき”。たとえば、数回にわたり役人を連れて見学に訪問した森友学園が運営する幼稚園では、『この幼稚園でやっていることが本当に素晴らしい』と言って涙を流していましたが、要はその場その場の感情に流されて、勝手気ままに発言したり行動したりしているだけです。よって、そんな“共鳴した”森友学園の理事長から『寄付してください』とお願いされて、個人の判断で寄付している可能性は十分に考えられます。もしそうであれば、安倍首相が『私や妻が関係していたとなれば、首相も国会議員も辞める』と言った以上、辞めざるを得ないでしょう。
 昭恵夫人は騒動が大きくなり名誉校長を辞任した後も、出席したある会合で、『今、なんで私はこう注目を集めてしまっているんだろうかと、すごく戸惑っています』『今は嵐の中にいる。嵐は自分の力ではどうにもならない』などと語り、反省している気配はゼロです。そんな昭恵夫人のバカげた行動によって安倍首相が辞任に追い込まれることになれば、文字通り“身内に足元をすくわれた”ことになるでしょう」


 たしかに、森友学園風の「教育」に“感動”するなどというのはふつうではありません。いいとこだけ見せられてそうなったのだと擁護する人もいるでしょうが、ある程度教育というものに理解のある人なら、その見せかけから透けて見える裏というものは必ずあるので、いったん判断を留保して、調べてみるぐらいのことはするでしょう。全然そういうことはしないでほいほいその場で感じた自分の印象を口にし、それに基づいて行動する。しかも、「総理夫人」という自分の肩書がどういう影響を及ぼすかということに関しては全く無自覚なので、こういうのは「利用された」ですむ話ではない。

 今回の新潮のこの記事などは、「利用された」とは言い訳できない、昭恵夫人の「積極的関与」を指摘したもので、彼女は「全国高校生未来会議」なるものに肩入れして、これを「主催するのは『リビジョン』という一般社団法人で、その代表は斎木陽平という24歳の青年だ」というのですが、その「イベントの打ち合わせに総理の官舎たる公邸を使えるように」便宜を図り、この青年のツイッターには「安倍昭恵です。全国高校生未来会議を応援しています。沢山の高校生が全国高校生未来会議に参加をして下さいます。この高校生たちがこれからの日本の未来を創っていくと、私は思っています。そのために、どうか多くのみなさまにご協力をいただきますように、私からもお願い申し上げます」という“応援メッセージ”まで寄せていたというのです。

 それの何が悪いのか? 記事は「ここで第1回未来会議がどんな内容であったか、確認しておく必要があるだろう」として、その詳細に入っていくのですが、これがかなり驚くべきものなのです。

 記事によれば、それは2016年3月23日から25日にかけて行われたのですが、「会場が衆院第一議員会館で、最終日は総理公邸まで使われた。そのうえ文科省と総務省が後援し、優秀者には総務大臣賞に地方創生担当大臣賞、そして内閣総理大臣賞までが贈られるという大盤振る舞い。常識的に考えて、弱冠23歳の若者であった若者が主催しうるイベントのスケールを、はるかに超えた様相だった」というものなのです。

 昭恵夫人からの支援要請があったことを文科省の関係者は認めているようですが、他にも夫人からは「いろいろなご相談が持ちかけられる」のだという。今、「第二の森友事件」として注目を集めている加計学園に関しても、「昭恵さんから省内にご相談をいただいたことがあるのは確か」だと語った由。

 要するに、昭恵夫人は自分が気に入ったものがあると文科省に「会ってあげてほしい」と頼んだり、「総理公邸に官僚が呼び出されることもしばしば」で、「そんな日常的“圧力”の一つとして、未来会議への支援を要請してきた」のです。

 当然ながら、お役人としては「総理夫人」の要請をむげに断ることもできないわけで、「一私人としての行動だ」と言うには無理があるのですが、そういう事実上の「職権乱用」には昭恵夫人はおかまいなしなのです。こういう非常識な総理夫人もめったにいないでしょう。

 文科省は夫人の「文部科学大臣賞を出すことを考えてほしい」という要請には抵抗して、何とか「踏みとどまった」そうですが、「後援」だけでも問題なので、省内ではその是非をめぐって議論になったという。それもそのはず、「高校生を支援するイベントは他にもたくさんあるのに、リビジョンなる14年に設立されたばかりの実績に乏しい団体が主催するイベントを後援していいのか」大いに疑問はあったからです。

 どう見てもそれは公平性に欠ける。しかし、ここで驚くべき話が出てくるので、別の文科省関係者の話では、「15年9月15日、当時の下村博文文科相から、全国高校生未来会議を首相直下の事業としてやってほしいという指示が下」ったのですが、「安保法案ですったものだの時期にいったいどうした、と誰もが思ったあとで伝えられたのは、リビジョンの斎木代表は安倍総理の親族だ、という話で、みな仰天しました」ということなのです。

 下村博文といえば、安倍の腰巾着の一人で、「博友会」なる塾団体からカネを吸い上げていながら、届は出さず、政治資金規正法違反の疑いをもたれたことは、前にここでも「下村博文・文科相の不正献金疑惑問題」(2015.3.4)として取り上げたことがありますが、いかにも公正観念の欠落した腰巾着らしい「指示」です。話を「親族」に戻すと、「山口県長門市のある市議」が語ったという詳細はこうです。

「斎木家は長門で代々医者の家系。陽平君の曽祖父は長門市長を務め、祖父は安倍総理の父親の晋太郎さんの後援会幹部でした。そのうえ、安倍家とは遠縁に当たるそうです」

 これは安倍事務所も認めているという話で、新潮記事は「要は、昭恵夫人は、親族かつ有力支援者の子弟に便宜を図るために、文科省に公然と圧力をかけ、大臣をはじめ政治家を動かしていたことになるのだ。その意味では、森友学園の問題よりも根が深いと言えよう」と指摘するのです。

 しかし、昭恵夫人にはそんな自覚はない。少し長くなりますが、そのあたり、記事を引用させてもらうと、

 第2回未来会議には文科省の後援はつかないが、昭恵夫人は相変わらず、公邸という「公の場」に主催者たちを呼んでは打ち合わせをさせ、未来会議の後押しをしている。また、今回も会場に総理公邸を使えるように、現在、尽力しているという噂もある。
 この期に及んで、なにゆえに未来会議に、公人然として関わりつづけるのか。昭恵夫人に連絡しても、梨のつぶてだったが、彼女は昨年12月には、本誌の取材にこう答えていた。
「陽平君は主人の父の後援者のお孫さんでもあって、非常に頑張っているので応援してきました。遠縁といえば、遠縁だと思います」
 と、総理夫人が公の力を使って支援すべきではない対象であることを認めながら、悪びれずに、続けた。
「陽平君だけじゃなくて、誰に対しても、良いことをやろうとするときは、私は“利用していいよ”と言っているので、若くて名前がない人たちは、信用を得るためにはすごく努力をしなくちゃいけない。それはすごく無駄なことだったりもするので、私が信用のために使えるのだったら、使ってもらって全然いいと思ってるんですね」
 かわいい子にこそ旅をさせることの見事な逆張りであるのはともかく、「利用していいよ」と言うが、なぜ昭恵夫人は利用するに足る存在なのか、それは、肩書に「総理」という冠がつく「公人」だからに他なるまい。


 常識的見地からすれば、こういうのは試験のカンニングやコネ入社などと同じなので、自分の親戚や接近してくる団体に「良いことをやろうとするときは、私は“利用していいよ”と言っている」というのは、進んで社会的不正に加担するのと同じ結果になるのに、ご本人にはそうした自覚が全くないということです。大体、森友学園のような戦前教育の復活にも「感動して涙を流す」ほどなので、その場合も「良いこと」というのは夫人自身の幼稚な主観による判断でしかないので、なおさら問題なのです。

 記事の内容とは順序が変わりますが、僕が読んで呆れたのは、

 しかし、それでも、主催した斎木氏が、若者の政治意識を高めるべく真摯に行動したのなら救いがあるが、現実に行っていたのは、自分が経営する塾への勧誘だったのである

 というくだりです。記事には「未来会議参加者の君へ」と題されたビラの写真が出ていますが、「これはAO義塾なる塾への誘いで」「なんのことはない、斎木氏は総理夫人の尽力で不自然に大掛かりになったイベントを利用して、参加者を自塾に勧誘していたのである」というから、驚くのです。

 何でも、この斎木という青年は、10年にAO入試で慶大法学部に入学したらしいのですが、早くもその年末にはこの塾を立ち上げ、ある塾講師が語るには、

「私が作った教材やノウハウを勝手に使い、苦情を言うと逆ギレする。うちの生徒がAO義塾を見学に行けば、私についてのウソの情報を流し、“うちに来た方がいい”と勧誘する。また、うちの塾に話をしに来て、うちの塾生に自分の名刺を配ってAO義塾に引き入れた。とにかく倫理的に逸脱しているのです」

 という輩で、「塾業界に詳しいジャーナリスト」によれば、「自塾の生徒を未来会議の運営に関わらせ、彼らが自主的に活動をしたかのような志望理由書を書かせてAO入試対策とし」たり、「イベントに集まった優秀な子に声をかけて誘導するため、東大の推薦入試でそれなりの結果を出す」のだそうで、この斎木という青年は明らかに「未来会議」なるものを悪用しているのです。

 それが「良いこと」だと思っているのは昭恵夫人と斎木青年だけのはずで、文科省が「再三、宣伝活動をしないように伝えてきたのに、事後に宣伝をしていたという情報が出てき」て、「頭を抱え」たというのは尤もなのです。

 塾教師の僕からすれば、こういうのは許しがたい手合いです。ここまで悪質ではないが、僕も自分の息子を延岡の某数学塾に「広告塔」代わりに利用されて腹を立てたことがあるので、ついでにそれを書いておきましょう。息子は割と礼儀正しい人間なので、合格後、挨拶に行ったのですが、そこの塾の生徒たちの前で話をしてやってくれと頼まれて、話をした。そこまではまだ許せたが、大学入学後も、お土産をもって行こうと電話したら、また似たようなことを頼まれたという話で、後で話を聞いて驚いた僕は「もうそういう要請に応じるのはやめろ。高校でなら、商売ではないからいいが、おまえにその気は全くなくても、そこの生徒たちや保護者はおまえがその塾にとくに世話になったと恩に着ているから、そういうことをしていると思うだろう。お人よしにもほどがあるので、宣伝の片棒を担がされているのと同じになる。事実は、おまえは最後まで数学が一番苦手だったし、二次試験では仮に数学が零点でも受かっていた〔今は成績開示のおかげでそういうこともわかる〕のだから、月謝以上の恩恵を受けたわけではさらさらない。大体、塾商売をしている人間が生徒をそういうかたちで利用するというのはまともな人間のやることではないので、実にふざけた野郎だ」と言ったのです。

 元々、彼がその塾に通い始めたのは、高1の時、数学の定期テストのクラス平均点が他のクラスより20点も低いというトンデモ教師に当たってしまったからです。文系でも、これはまずすぎる。中学までは数学が得意だったはずなのに「数学の授業がさっぱりわからない」と言うし、話を聞いているうちに、それは新米だからではなく、永遠にまともな授業ができないタイプの教師だなと判断したので、塾で数学塾に通っている生徒から電話番号を聞き、通わせることにしたのです。そのとき、そのトンデモ教師に当たった生徒は多くが緊急避難的に数学塾に通い始めたらしいので、塾としては一気に生徒が増えて大助かりだったようですが、その中にはそれまでその塾にはいなかったような優秀層が混じっていたので、大喜びしたのでしょう。

 僕自身は、元塾生にそんなことを頼んだことは一度もありません。たとえそれが塾を持ち上げるものではなく、公正客観的な「勉強の仕方」についての話でも、「効果」や「印象操作」の見地からして「えげつない」と感じるからです。それは生徒を利用したのと同じになる。息子は京大と早稲田4学部を一般受験して、全部に合格したので、そういう生徒がわざわざ何度も塾にやってきて話したとなると、その塾の印象はずいぶん影響を受けるでしょう。「そんなつもりはありませんでした」とそこの塾(他の数学塾が迷惑するかもしれないので、イニシャルだけ明示しておけば、S塾という名ですが)の経営者が言っても、それは通用する理屈ではない。もっとまともなやり方で勝負しろ、と言いたくなるので、一度このSという塾長は僕のところに息子が高校在学中に電話を寄越して、「おかげで助かってます」なんて言ってましたが、それは成績のいい子がいると塾としては間接的な宣伝になって「助かる」という意味だったのでしょう。だから、それを最大限に利用しようとした(そのときの電話も、手に負えない心理的問題を抱えた生徒をこちらに押しつけるためだけだったと後でわかって呆れたので、僕はまだ彼を信用していた頃、数学塾を探している生徒を何人か紹介しましたが、その逆はゼロだったのです)。

 こういう妙に調子のいいジコチューの御仁はどの業界にもいるものですが、このAO義塾の斎木という青年の場合には、詐欺のレベルに達していると言わねばならないでしょう。ノーテンキな昭恵夫人はそれをしも「良いこと」だと言うのか、直接会ってきいてみたいくらいです。

 世の中には「善意」を装って、あるいは極度の自己欺瞞から、人を利用することを恥としない手合いがたくさんいるので、権力者の妻たるもの、その片棒を担いでおきながら「そんなことは知りませんでした」ではすまないのです。私は馬鹿なのでいつまでたってもその見分けがつきませんというのなら、初めから出しゃばるなと言う他はないでしょう。

ついにロッキード事件並に“昇格”した森友事件

2017.03.17.15:16

「怪談・籠ヶ池」または「吉本新喜劇・籠の池のガチョウ」みたいな展開になってきた森友学園事件ですが、ついに籠池氏が国会に証人喚問される運びとなって、ロッキード事件並の扱いとなったようです。致命的だったのは次の時事通信の記事にもある「籠池発言」だったようで、

 学校法人「森友学園」(大阪市)の理事長退任を表明した籠池泰典氏が16日、現地調査を行った参院予算委員会メンバーに語った全容が明らかになった。
2015年9月に安倍晋三首相夫人の昭恵氏が学園側に講演に訪れた際に「安倍晋三からです」として、籠池氏に寄付金100万円を差し出したという。
 籠池氏は「小学校の建築費の中には、安倍首相の寄付金が入っている」と明言。籠池氏によると、昭恵氏は「どうぞお使いください」と寄付金を差し出した。籠池氏が「領収証はどういたしましょうか」と尋ねると、昭恵氏は「いや、それはもう結構です」と答えたという。現金だったのかどうかは不明確だ。


 これが真実だとすれば、籠池氏の戦前並「教育勅語」教育に胸を熱くしたネトウヨ総理が、KY妻に百万を託して、激励なさったわけです。「わが国初の国家神道教育」の小学校(元「安倍晋三記念小学校」)も認可されるでしょうし、「正しい学校教育」のさきがけとなって下さい!

 むろん、首相側は全否定。昭恵夫人は夫には「制御不能の妻」らしいので、「こうすれば夫も喜ぶだろうと、もしや勝手にそんなことまでやらかしたのでは…?」と安倍総理は一抹の不安を覚えたことでしょうが、問い質したところ、「あたし? そんなこと全然憶えとらへんわ!」と力強くお答えになったので、「よっしゃー、これであいつを偽証罪に問える! そしたら、あいつの話は全部デタラメやいうことになって、叩き潰せると同時に、こっちは一気に無罪放免や!」ということになったのでしょう(セリフが一部関西弁になっているのは、籠池妻のそれが伝染したためです)。

 しかし、「記憶にない」「無関係」というのは、首相お気に入りの網タイツ防衛大臣が連発して、具合の悪いことにそれが嘘だったという証拠(裁判出廷記録など)が出てきたものでもあるし、それだけでは安心できません。但し、今回は寄付名簿には「総理大臣・安倍晋三」の名前はないということなので、証拠がないとして安心して否定できる。「現金授受現場のビデオ隠し撮り映像」などがなければ、安泰なわけです。

 にしても、「偽証罪」とはそもそもどういうものなのでしょう?

法律により宣誓した証人が虚偽の陳述をしたときは、3月以上10年以下の懲役に処する(刑法169条)

 というのがその条文ですが、僕も一応「法学士」ではあるので、本棚の奥に埋もれた刑法のテキストを引っ張り出して見てみると、何が「虚偽」であるかということに関しては学説の争いがあって、「客観説(陳述の内容が客観的事実に反する)」と「主観説(陳述の内容が証人の記憶に反する)」の二つがあるそうですが、どちらの説を採るとしても、「客観的には虚偽でも、記憶に反しない場合、それは当人に虚偽の認識がないのであるから、偽証罪の故意はなく、客観説の立場からも処罰されない」ということのようです。

 わかりにくい? これでも学者先生特有の文をわかりやすく改めたつもりですが、要するに、客観的には正しくなくても、本人がそう記憶していて、それが正しいと信じているかぎり、偽証罪の要件には合致しないということなので、だから稲田防衛相(本職は弁護士)も、「この十年会っていない」「記憶にない」を連発したわけです。それが主観的な記憶に基づくもので、客観的には真実でなくとも、主観的にそれが真実だと思っていれば、嘘をついたことにはならない。法律学ではそういうことになっているのだから、たとえそれが虚偽だという客観的事実を示す証拠が出てきても、私は嘘をついたわけではないのだと、彼女は主張できる(それが世間に通用するかどうかは別として)わけです。

 それが法曹としての彼女のロジックなわけですが、『記憶は嘘をつく』というタイトルの本もあるぐらいで、人間はときに記憶を無意識に消去または捏造する。世の中には自分に不都合なことは全部忘れてしまう便利な人もいて、僕もそういう人を知っていて、「よく言うよ」と呆れた経験があるのですが、こういう場合、本当は憶えているのに忘れたふりを装っているだけなのか、ほんとに忘れているのかを識別するのはなかなかに困難です。嘘発見器にかけても、あれが正確に真実を反映するかは疑問だし、何らの感情的動揺もなく嘘がつけるサイコパス的な人間には通用しないでしょう。

 籠池氏が証人喚問の場で「たしかにそういう経緯で百万を受け取った」と証言したとして、安倍首相側は「妻にも確認したが、それは虚偽だ」と主張する。どちらも「主観的には真実」だと思っている場合、どちらも偽証したことにはならない。稲田答弁の場合のように、その記憶が虚偽だという証拠が出てきた場合でも、「虚偽の認識はなかった」と主張できるわけです。少なくとも法律学的には。

 だから同じ主張をしたとしても、籠池氏は偽証罪には問われない。「授受」の証拠がなければ、「受け取った」「渡してない」のどちらの「記憶」も、「主観的には虚偽ではない」ということで法律学的には(少なくとも偽証罪に関するかぎり)「無罪」なのです。真相は藪の中、または「池の中」です(僅か一年半前のことではあるし、認知症の老人ではないのだから、どちらかが嘘をついていることはほぼ確実なのですが)。

「怪談・籠ヶ池」と言ったゆえんですが、籠池理事長がその際ついでに「あることないこと」または「あることあること」をいくつも暴露すると、結構な大騒ぎになって、ガチョウが狭い池の中を走り回ったみたいになって、「吉本新喜劇・籠の池のガチョウ」になってしまう可能性もある。

何にしても、お楽しみなことです。

【追記】実は記録はあったそうです(3.18)。以下、毎日新聞の記事ですが、今や籠池一家は近頃珍しい、喧嘩の仕方を心得た異端のジャーナリスト菅野完氏を味方につけたようなので(これは菅野氏が不正な籠池擁護をするという意味ではありません)、そうかんたんにやられてしまうことはないでしょう。これでこの件に関する籠池発言の信憑性は高まったので、昭恵夫人は認知症の診断書を提出するなどしないかぎり、嘘をついたのではないと信じてもらえる可能性は低くなりました。法廷弁論の手法をもってすれば、それは証拠とは認められないと斥けることはできるでしょうが、良識をそうした三百代言的議論で納得させることは困難でしょう。「アッキード事件」と言われて首相はブチ切れたそうですが、その命名は適切だったわけです。

「寄付金記録」学園側が提示

悲劇の女帝 朴槿恵

2017.03.12.16:20

 いかにも韓国らしいと言ってしまえばそれまでですが、韓国の憲法裁判所は先日10日、8人の裁判官全員一致で「大統領罷免」の決定を下しました。要するに現職大統領をクビにしたわけで、「朴氏、失職後も大統領府に 罷免に強い衝撃『言葉ない』」という見出しの本日付の朝日新聞の記事には次のように書かれています。

 韓国大統領で初めて弾劾(だんがい)訴追によって罷免(ひめん)された朴槿恵(パククネ)氏は、11日も夜まで沈黙を守り、ソウルの大統領府(青瓦台)にとどまった。大統領府関係者は、罷免の衝撃が大きく、次の行動に移れないようだと明らかにした。意思疎通を欠く「不通(プルトン)」と呼ばれた政治スタイルで周囲の意見が耳に入らず、罷免を受け入れられない様子が浮かび上がった。
 関係者によれば、10日に憲法裁判所が罷免を宣告後、大統領府幹部らは朴氏と今後の対応を協議した。朴氏は強い衝撃を受けた様子で「申し上げる言葉もない」と語っただけ。国民向けのコメントやソウル市南部の自宅に移ることに手をつけられなかったという。
 失職後も青瓦台にとどまり、コメントも出さない状態に批判の声が上がり、野党各党は11日、朴氏が早期に憲法裁の宣告に従う立場を表明するよう相次いで求めた。大統領府関係者は11日、「大統領府を去るにあたって直接メッセージを出すかどうか依然はっきりしない」と語った。


 おもえば、これほどかわいそうな人もいない。娘時代に母と父を相次いで殺され(凶行の犯人は他国のテロリストではなく、いずれも自民族)、失意の中、言葉巧みに接近してきたのがいかがわしい自称霊能者で、すっかりそれに依存するようになったが、その男は父・朴正熙の権力を悪用して私腹を肥やし、娘も広告塔に利用して、いつのまにか宗教家兼実業家になりおおせた。そうした中で実の姉妹同然の関係になった霊能者の娘が、崔順実(チェ・スンシル)で、この娘も父親同様、大統領権力をほしいままに利用するようになったのです。

 崔順実は絵にかいたような「馬鹿親」で、一人娘を溺愛して、器量がよくないのは遺伝だから仕方がないとしても、箸にも棒にもかからない品性下劣な馬鹿娘に育ててしまい、不正に高校卒業資格を得させただけでは収まらず、推薦規定まで変えさせて名門女子大に不正入学させ(これが「受験地獄」に苦しむ韓国の若者たちを激怒させた)、重要争点になった二つの財団の設立も、元々はわが子の乗馬支援のためだったというのだから呆れるのです。限りなく次元が低く、同時に権力的なものに弱くて、その要請がどれほど不正かつ理不尽なものでも、「上の意向」とあればたやすくなびいてしまう韓国社会の体質も露骨に示した。

 政治家たちも、「元大統領の娘」「悲劇のヒロイン」の利用価値に気づいて、これを看板にして票集めに利用した。韓国社会のつねとして、朴正熙大統領暗殺直後はお得意の「手のひら返し」でその功績を全否定し、「凶悪な独裁者」としていったんは葬り去ったが、その後、

「漢江の奇跡」と呼ばれる高度経済成長により、大韓民国を中華民国(台湾)・シンガポール・香港と並ぶ「アジア四小龍の一つ」とまで言わしめることとなる足がかりを作ったことや、軍事政権下の治安の良さを再評価する動きが出て来た。
 特に政敵であった金大中が、1997年大統領選挙を控えて保守票を取り込むために朴正煕時代の経済発展を評価するに至って、韓国近代化の礎を築いたという声が高まった(ウィキペディア)


 というわけで、甚だご都合主義的な動機によるものながら、再評価の声が高まり、独身のままだった娘の朴槿恵は、「国家と結婚した女性」などと呼ばれて、ファンタジー好きの国民から、「国家・国民のための身を捧げる無私の女性政治家」のイメージを付与されて祭り上げられ、ついに大統領に当選したのです。

 簡略化すれば以上のような経緯ですが、狭量だということを別にすれば、ご本人が何か積極的な悪事を働いたというような形跡は見られないので、「姫」特有の妙に純粋な人柄が災いして、周りにいいように利用され、最後は最も不名誉なかたちで「社会的な死」を宣告された。そう言えるのではないかと思います。

 日本との関係でも、大統領当選当初は朴正熙元大統領の娘さんだというので、日韓関係の改善が期待されましたが、慰安婦問題などで一方的な「言いつけ外交」に終始し、「恨みは千年たっても忘れない」などと言い、日本が過去の歴史を美化してやまない安倍ネトウヨ政権だったのも災いして、両国の溝はかえって深まってしまいました。それがあるときからパッタリ言わなくなり、そこらへんの連絡がどうなっているのか不可解ですが、日韓慰安婦合意も成立し、一息ついたところでスキャンダルが噴出したのです。あちらでは2014年4月の「セウォル号沈没事件」の際の“不適切な対応”あたりから本格的に評判は悪くなり始めたようですが。

 彼女がもし「ふつうの家庭」に生まれていれば、お勉強は人並み以上にできたようだし、「プルトン(不通)」と呼ばれるコミュニケ―ション下手のその性格も、「少し引っ込み思案」ぐらいで、さして大きな欠点とはみなされなかったでしょう。両親を暗殺でなくすというような体験は深刻なトラウマをその人に残すはずで、彼女の孤立的なパーソナリティにはそれが大きな影響を及ぼしているのかも知れません。人が信じられなくなり、その反動として、崔父娘のような親身にしてくれた相手には、無条件にもたれかかってしまう。ところがそれが、ロクでもない人間だったのです。

 孤独な元お姫様は今頃、「私がどうしてこんな辱めを受けねばならないのだ?」と自問しているかもしれません。国家のために奔走した父と母を殺され、自分も私心なく政治に挺身したつもりだったのに、最後は「罷免」という最も屈辱的なかたちで大統領府を去るのを余儀なくされている。要するに自分は人に利用されてきただけで、国民もあれほど歓呼の声を送っておきながら、今は極悪人のように言う。この国は政治も人民も恐ろしい。一人でそう呟いているかもしれません。それが「正義」だと言うが、大方は私利私欲のかたまりで、民衆にしてからが、持ち上げるときも弾劾するときも、欲求不満のはけ口に自分を使っただけではないのかと。「謝罪」しろと言うが、誰に向かってそうしろと言うのか?

 次期大統領選は5月初旬に行われる見通しだそうですが、目下の最有力候補は最大野党「共に民主党」の文在寅・前代表だそうで、これに前にここで「気持ちの悪いナルシシスト」と書いた同じ党の安熙正・忠清南道知事が続く、という構図になっているようです。どちらも「愛国左派」だから「反日」で、また、韓国では反日でないと集票できないそうなので、保守派でも「反日」をアピールせざるを得ないが、文在寅候補の場合にはそれに加えてかなり露骨な「親北・従中」だと言われていて、金正恩との「対話」を提唱し、中国が反対している米軍の最新鋭迎撃システム「高高度防衛ミサイル(THAAD)」の配備計画(すでに配備は始まっているそうですが…)は延期するという「非現実的」な対応で朝鮮半島情勢をいっそう不安定化させかねないと見られています。今の北朝鮮は末期のオウム真理教みたいなもので、核武装だけでなく、大量の化学兵器を備蓄していると伝えられているので、そうした対応は北に時間稼ぎの口実を与えて事態をさらに悪化させるだけではないかと思われますが、悲惨で醜悪な内部紛争の歴史にもかかわらず、他国人には理解しえない強い「民族自尊」信仰があって、北への親近感、信頼感は今も彼ら左派の間では健在であるようです。

 実際にはアメリカさんのご機嫌伺いもしないと国がもたないので、どうするつもりか知りませんが、こういうふうに感情で動いて自らややこしい状況を作り出して思うに任せず、「内なる恨」を強化してしまうのも韓流政治家の特徴の一つです(それは地政学的な理由だけによるのではない)。日本とも敵対一辺倒では具合が悪いということで、「恨み」を抱えたまま「仕方なく」妥協して見せるというポーズを取り、事あるごとにその「恨み」を噴出させてバランスを取る、というややこしい対応で臨んでくるでしょう。それは生理レベルの反応から出てくるもので、ご本人には自覚されていない。前にも書きましたが、神経症患者のメンタリティと同じで、こういう人(国)相手には、「問題が片付く」ということは決してないのです。

 韓国内部でもそれはつねに対立・分裂として表われるのですが、朴槿恵さんはこういう国で政治家となり、大統領となったのだから、務まらなかったのも道理です。ふつうでも大変なのに、あの性格では無理で、結局はそれに振り回されるだけに終わった。韓流歴史王朝ドラマ風に言えば、両親を殺害され、父王は暴君だったと言われて、石もて王宮を追われた人一倍純な性格の公女(姫)を霊能者父娘が支え、「あなたはいずれ王宮に返り咲いて、必ずや女王になる!」と励まし、その通りになったが、じつはその「家族以上」の父娘が一番とんでもなくて、私利のために大統領権力を悪用、それが原因で今度は自らが民衆の罵声を浴びる事態となり、王位を剥奪されて「平民」に降格されることを余儀なくされたのです。

 おそらく今後は、自身が手厳しい検察の取り調べを受ける羽目になる。自己責任、自業自得と言う人もいるでしょうが、その波乱に満ちた不幸な生い立ち、上に見た韓国社会の病的とも言える特殊性を思い合わせると、朴槿恵さんに僕は同情を禁じ得ないのです。

スマホもパソコンもハッキングされている?

2017.03.09.14:28

 昨日たまたまグーグルのニュースサイトを見たら、次の記事がトップに来ていました。


・「CIAに関する最大の暴露」ウィキリークスが公開(朝日新聞)

 内部告発サイト「ウィキリークス」は7日、米中央情報局(CIA)のハッキング技術に関する機密情報資料を入手したと明らかにし、一部をネット上に公開した。同サイトは、CIAが国外の情報機関などと協力し、携帯電話やパソコンなどをハッキングして情報収集する技術を開発していると主張している。
 同サイトによれば、今回公開されたのは8761点の資料。それによると、CIAのサイバー諜報(ちょうほう)部門によるハッキング技術が、米アップルのスマートフォン「iPhone(アイフォーン)」や米グーグルのアンドロイド携帯、韓国・サムソン製のスマートテレビなどを標的にしていると指摘。ウイルスや「兵器化された」ソフトなどを用い、昨年末までに1千以上のハッキング技術を開発したとしている。
 これらの技術により、携帯電話の持ち主の位置情報を把握し、会話やメールなどを傍受できるという。
 また、CIAが独フランクフルトの米総領事館を欧州や中東、アフリカ向けの情報収集の拠点にしていたと指摘。「ハッカー」は外交パスポートを使い活動する一方、英情報局保安部(MI5)との協力もあったとしている。
 同サイトは「CIAに関する最大の暴露だ」とし、今後も公開を続ける意向を示している。ただ、資料の真偽は明らかになっていない。一方、CIAの報道官は、文書の真偽についてコメントしていない。
 同サイトをめぐっては今年初め、米国家情報長官室が報告書で、大統領選でロシアが民主党のクリントン氏陣営などへハッキングを行い、入手した大量のメールが同サイトを通じて暴露されたなどとしていた。(ワシントン=高野裕介)



 これはガセネタではなく、「正しい情報」でしょう。電話は盗聴され、パソコンの中身も、メールも盗み見られている、そういう「超監視社会」に僕らは暮らしていると承知しておいた方がよさそうだなと僕が思ったのは、あのスノーデン(「アメリカ国家安全保障局 〔NSA〕 および中央情報局 〔CIA〕 の元局員である。NSA局員として、アメリカ政府による情報収集活動に関わった」とウィキペディアに紹介されているあの人物)の暴露があったときです。電脳社会の便利さは、裏にそういう「プライバシーの全的侵害」を含んでいる。無事なのは時代遅れの手書きの手紙のやりとりぐらいだというのは、全くもって皮肉な話です。

 僕はしばらく前、『スノーデン、監視社会の恐怖を語る~独占インタビュー全記録』(小笠原みどり著 毎日新聞出版)という本を、たまたま書店で見かけて買ってみました。前に「サンデー毎日」にその一部が出ていたのを読んだことがあったからですが、この本はいくらか羊頭狗肉で、著者の身の上話とインタビューにいたる経緯、スノーデンの暴露についての感想が大部分を占めていて、かんじんのスノーデン自身が語った言葉はごく僅かです。

 だから無価値かといえば、そうでもないので、新聞記者特有の文体(著者は元朝日新聞記者)と、書き手の思い入れの激しさを我慢すれば、今の日本のマスコミの妙な自己規制がどのようにして拡大したかや、監視社会化のプロセス全般についての情報・考察も含まれていて、「なるほど」と思わせるところはあちこちにあるので、僕には面白く読めました。買って読む価値は十分あると言えるでしょう。

 スノーデンは2009年に来日して、福生市にアパートを借り、米軍横田基地に勤務して、「主にハッキング対策を研究し」ていた。元々パソコンおたくのような青年だったらしく、要はその方面のプロなのですが、仕事を通じてNSAの違法かつ広範な諜報活動の実態を知り、義憤に駆られて大量の機密情報を持ち出し、それを暴露するにいたったので、アメリカ国家からは「指名手配犯」の扱いを受けるようになったわけです。

 彼によれば、「日本で近年成立した(特定)秘密保護法は、実はアメリカがデザインしたもの」で、名前からするとこれは「プライバシー保護法」のように見えますが、話は逆、これで守られるのは「国家機関の秘密」だけで、関係者やマスコミがそれを暴露すれば最高懲役10年の厳罰に処せられる、というものです(注意すべきは、それまでも「公務員の守秘義務」規定に見られるように、処罰規定はすでに存在したということです)。「つまり、国にとっては都合の悪い文書を秘密指定すれば、事実を合法的に闇の中に隠しておける」わけで、どうしてこのようなものが必要かといえば、その理由の一つは、国民のプライバシーを平気で侵害する違法な情報収集活動(この後、「盗聴法」という呼称で知られる通信傍受法改訂が行われた)であっても、「秘密」指定すれば、知られなくて済むからです。表向きの説明は、「国家機密がダダ漏れするようでは安全保障上困る」ということですが、裏にはそういう事情がある。NSAのように違法な盗聴、ハッキングを日常的に行って、テロなどとは無関係な人々のプライバシーを関係部局の職員たちが平気で盗み見していても、それが「秘密」として表に出なければ、国民は「知らぬが仏」で、そういうことには全く気づかない。また、「こいつは政府に反抗して、めんどくさい奴だな」と思ったときは、そうして知りえたプライバシー上の「恥」となりそうなこと(たとえば僕がネット通販で女性用の下着をこっそり買っているとか、セーラー服を収集しているとか、二股不倫を行なっているとか)を「匿名の民間人」を装ってネットに流して、信用を失墜させることができる。「こんなヘンタイの言うことなど信用できるはずがない」という状況を意図的につくり出すのです(手頃な材料がない場合はでっち上げ情報を流す?)。

「そうか、じゃあ、ネットでバイアグラを買ったり、アダルトサイトを見たりするのも危険なんだな」とおじさんたちが恐れ「反省」して、国民の「道徳的品行」の向上にそれは役立つだろうと考える真面目人間もいるかも知れませんが、それは例外でしょう。ともかくこの種の法律によって、ドサクサ紛れそうした違法収集情報も「秘密」として隠してしまえば、違法な監視の事実そのものを隠せるわけです。

 オバマ政権下、アメリカの情報機関が友邦のドイツ、メルケル首相の携帯電話をかなりの長期にわたって盗聴していたことが発覚して、メルケルを激怒させたことは有名ですが、この本によれば、日本政府や省庁は(場合によっては関係者個人の自宅電話まで)アメリカによって日常的に盗聴されていて(従って、日米交渉の際も、日本側の腹は事前に全部読まれている)、にもかかわらず、それがわかっても日本政府はほとんど無反応で、「どうして日本政府は公に抗議しないのですか? もし抗議しないなら、それは自ら進んで不適切な扱いを受け入れているのと同じことでしょう? 自分で自分に敬意を払わないで、どうしてだれかに敬意を払ってくれるよう頼むことができますか?」とスノーデンも呆れているという。「なめとんのか、おまえは!」とメルケルおばさんに怒鳴りつけられて、狼狽したオバマは「ボクは知りませんでした」と必死に言い訳したのですが、タカ派気取りの安倍政権も、アメリカ様に対しては恭順一辺倒で、国内の左派や野党に対するあの傲慢な態度とは全く違うのです。

 こっけいなのは、こうした違法ハッキングや盗聴によって得られた膨大な情報が、かんじんの「テロ防止」にはほとんど何の役にも立っていないらしいことで、その理由の一つは無駄に情報が多すぎること、集めるだけで満足してしまって、危険な人間の情報をキャッチしても、それが防止行為に結びつかないで終わることにあるようです。情報が足りないから防げないのではない、逆に多すぎるのです。「あいつらがやるだろうということはむろん把握していましたよ。うちは優秀な諜報機関ですから」と胸を張っても、迅速に防止の手立てが講じられないのでは、何のためにそんなことをしているのか、わからないわけです。

 否、目的は実は別のところにある。こうした違法な情報収集の「標的にされているのは政府や企業だけではない。報道機関、ジャーナリスト、そして市民の抗議、請願、署名、調査といった民主主義に不可欠な政治行動も狙われている」ので、スノーデンも、「テロに関する情報収集は、実はNSA監視システムの最小部分でしかなく、人々の安全には全く寄与していません」と言っているのです。この本には「英国のGCHQ〔諜報機関〕が世界的な人権擁護団体アムネスティ・インターナショナルを違法にスパイしていたことも、スノーデンの告発をきっかけに発覚し、英裁判所がこれを2015年7月に認定した」とありますが、この団体がテロを画策するなどまずありえない(僕が銀行強盗をする確率の方がずっと高い、と言えば、警察に盗聴されるかもしれないのでやめときますが)話で、国家権力やそれと結びつく大企業などにとって、この手の人権団体は何かと目障りだという理由しか考えられないでしょう。

 アメリカの「愛国者法」にしても、フランスの通称「ビックブラザー法」(例の「シャㇽリー・エブド」事件の4か月後に議会で可決)にしても、わが国の「秘密保護法」「盗聴法」にしても、それはメディアや市民による国家の暗部へのアクセスを困難ならしめ、国家権力によるメディアと国民の監視を正当化して、「委縮効果」を狙ったものだと解釈できそうで、テロ防止、国家安全保障などは名目にすぎないのです。それで世界が「安全」になることはまずない。不正行為を働く国家権力の「安心」が高まることはあっても、です。

 少し長めに引用させてもらいましょう。権力にとって邪魔な、従ってターゲットにされやすいものにはどんなものがあるか?

 日本でいえば、アムネスティのような人権団体や、原子力発電に反対するネットワーク、平和運動、労働組合、天皇制反対、死刑反対、反貧困、海外援助、歴史認識・教科書問題、性差別反対、障害者差別反対、民族差別反対などに携わるグループ、政治の対応を求めるあらゆる動きや人間の集まりが対象となる。いや、すでになっているだろう。
 スノーデンはさらに具体例を挙げた。
「諜報機関はあなたのメールを読み、フェイスブックの書き込みを見て、電話の内容を聞いているだけではない。JTRIG〔GCHQ内の「合同脅威調査諜報グループ」〕はネット上の世論調査、投票、評判、会話の操作にも知恵を絞っています。どうやったら世論調査に影響を与えられるか、どうやったら投票行動を変えられるか、新聞記事へのフィードバックやオンラインのチャット、あらゆるネット上の議論の場に潜入しようとしている。世論に影響を与えそうなリーダーが現われると、その人物のアカウントに入り込んで写真を取り替えたり、仲間内で評判を落とすようなネット行動を取ったりもする。気に入らない企業に対しても同じことをします。これが表現や報道の自由の世界チャンピオンを名乗ってきた西側民主主義国のやっていることです。英国政府が税金を投入している事業です。サイエンス・フィクションではない。現実なのです」(p.145)


 こういうのを読むと、中国みたいに人権派弁護士を一斉逮捕したり、共産党当局が気に入らないネットのサイトをアクセス不能にしたりといったやり方は、露骨すぎてむしろ正直な印象を受けるほどですが、日本がここまで“進んで”いるかどうかはともかく、アメリカ様の指南を受けて、秘密裏にNSAの弟分みたいなのが作られて、似たようなことを始める、あるいはすでに始めているということは、大いにありそうな話です。

 じゃあ、どうすればいいのか? サーバーがすでに裏でそうした政府系諜報機関に協力しているとなれば、個人に防止の手立てはない。一ついい方法は、全員が「怪しい」と思わせてやることで、そうすると監視対象が増えすぎて、情報が膨大なものになり、監視する側がノイローゼになってしまうかも知れません。そこは人手が足りずに、完全な“ブラック職場”になってしまって、職員の過労死や過労自殺が続出するのです。毎日一回、ツイッターでも、ラインでも、ブログでもいい、「原発反対」とか、「安倍のうんこ」とか書いてやれば、たぶん「危険分子」とみなしてもらえるので、監視対象になるが、数が多すぎて、監視も大変になってしまうのです。それで監視していても、ハゲ薬の特効薬のサイトとか、メタボの治し方とか、女性の場合だと、いくら甘いものを食べても太らない方法だの、目を大きく見せる化粧法だの小ジワの消し方だの、格安海外旅行のサイトだの、どうでもいいものばかり見せられて、監視する側はだんだん気が滅入ってくる。中には巨大アナコンダの動画とか、謎の古代遺跡の記事とか、犬の足裏の肉球で触ると一番気持ちのいいのはどれかとか、宇宙人の目はどうしてあんなに黒くて大きいのか、なんてことを大真面目に論じたサイトを熱心に見ていたりする人もいて、神聖な「国家安全保障」に挺身する職員としては、モチベーションを維持するのが困難になってくるのです。そういうのばかり監視していると、「一体こいつの精神構造はどうなっているんだ!」という疑惑が生じて、最悪の場合は発狂してしまう。

 僕の場合には「連絡が取りにくくて不便だ!」という周囲の非難にもめげず、煩わしいのでいまだにケータイもスマホも使っていないので、それが盗聴してもらえないのは残念ですが、全員が怪しく見えればこうした監視システムは自壊する。そのように思うのですが、いかがなものでしょう? けっこういい戦略ではないかと、僕には思えるのですが…。
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Author:大野龍一

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