女房も「更迭」したら?~終わらないアッキード事件

2017.04.28.15:41

 籠池前理事長は今もお元気なようです。以下、「籠池氏、また新証言『後ろ向きだった契約が突然…』」というタイトルの本日付朝日記事。

「交渉を昭恵先生に報告していた」「それを近畿財務局にも伝えていた」。森友学園への国有地売却問題で、約1カ月ぶりに公の場に姿を現した籠池泰典・前理事長が28日、また新たな説明を始めた。聞いていた民進党の議員らには、驚きが広がった。
 籠池氏はこの日、東京の衆院議員会館の部屋で開かれた民進党のヒアリングに出席。3月23日に衆参両院であった証人喚問以来、約1カ月ぶりの公の場で、笑みを浮かべながらあいさつし、紙に目を落としながら話し始めた。
 小学校建設のプロジェクトが動き出したのは2012年10月ごろ。安倍晋三氏側に接触し、「昭恵先生にご相談した」「ホテルオークラで会ったとき、主人にお伝えしますと言ってもらい、何かすることはありますか、とまで言ってくれた」。安倍首相の妻、昭恵氏とのつながりに言及した。
 土地の賃借交渉に関し、発言は核心に。「昭恵先生には、財務省との交渉内容について、電話で報告していた」「近畿財務局にもそのことは伝えていた」「突然、それまで後ろ向きだった定期借地契約に前向きになってくれた」。発言を聞く会場は驚きの声に包まれた。籠池氏は「14年4月に建設用地に昭恵先生を案内したとき、秘書も同行していた」とも述べた。
 定期借地契約後の16年3月、…
〔ネットの無料はここまで〕

 北朝鮮ミサイル問題で無駄に騒ぎ立て、「東北でよかった」発言の復興相を「更迭」して、“好感度”“頼もしさ”を必死に上げようとしていた矢先にこれで、「あの野郎また…」と安倍首相は苦り切っているでしょう。しかし、籠池氏を恨むには当たらない。全部「身から出た錆」なのですから。

 昭恵夫人に対する世間の認識は、「オカルトかぶれの軽信家で、信じられないほどアホなお調子者だが、ご本人が“善意”でしていたことはたしかなようだ」というものでしょう。越権行為や社会的公正に関する観念はゼロだが、理解能力そのものが低いのでそれは仕方がない。夫の公私混同ぶりも相当なものなので、見習うべきお手本も身近になかったわけです。「神様に呼ばれてしていること」と自己陶酔に陥って軽挙妄動しているうちに、いつのまにか騒ぎになっていて、「困ったことになった」という認識はあっても、悪いことをしていたという認識はおそらく今でもないのでしょう(森友問題はその一部にすぎない)。週刊誌等の「悪意に満ちた中傷」に傷つき、「頑張って下さいね」と励まされると「わかってくれる人はいる」と涙する。そういうところで自己完結してしまうのがこの手の人のつねです。

 政治家たる者、やはり妻は賢いのをもらわないと後々困ったことになると言っても後の祭りで、この夫婦は「馬鹿の二重奏」だとこの前書きましたが、大臣みたいに「更迭」できればどんなにいいことかと、思わざるを得ないでしょう。もはや「私人」の言い訳は通用しないが、証人喚問なんか許すと、しどろもどろになって大恥かくのは目に見えているので、それには絶対に応じられない。官僚に想定問答集を作らせ、それを暗記させてうまく切り抜けようとしても、籠池側からそれを覆す「新証拠」がまた出てきて、今度は偽証罪で告発されかねないのです。首相夫人が偽証罪に問われたとなると前代未聞で、世界的なニュースになってしまうでしょう。憲法改正で歴史に名を残すつもりが、別の恥ずべきことで歴史に記録されることになってしまう。

「ふつうの国」なら、これで政権は倒れます。アベノミクスは失敗だった(経済がコケなかったのは別の複数要因によるが、副作用の方はこれから)し、今審議中の「テロ等準備罪」も天下の悪法で、こんなもの、成立する方がどうかしている。にもかかわらず支持率が5割を超えているというのは、“お友達”の御用マスコミ、御用記者、御用コメンテーターを各所に配して、その連中がテキトーなことばかり並べて、「印象操作」に励んでいる“成果”と言うべきでしょう。そこらへんは朴槿恵政権よりうまかったわけです。

 第一次安倍政権の際のみっともない投げ出し方がトラウマになっているので、ああいうかたちで退陣になるのは避けたいと思っているでしょう。しかし、今は「名誉ある撤退」を彼はひそかに考えているはずです。後釜が例の「未曾有」の麻生では洒落にもならない(デンデンの方がもっとひどいが)が、そんなことはどうでもいい、とにかくカッコよく身を引く方法はないものかと、そればかり考えているはずです。「ほんとはその必要はなかったが、妻を守るためにやむなく身を引いた」というような美談仕立てなら、いずれ第三次安倍政権の目もある、と考えるかもしれません。憲法改正はそのときやればいいのだと(だから後継は不人気な政権の方がいい)。女房もこれに懲りて今度は行動を慎むだろうし、事ここにいたっては、離婚しても世間から悪く言われることはないはずだと。

 以上、取り巻きや官僚の皆さんにならって、首相の内面を“忖度”してみました。たぶんかなり当たっているでしょう。

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「テロ等準備罪」はなぜ必要なのか?

2017.04.26.17:29

 4月24日の朝日新聞に次のような興味深い記事が出ていました。

米NSA、日本にメール監視システム提供か 米報道

 NSAは60年以上にわたり、日本国内の少なくとも3カ所の基地で活動。日本側は施設や運用を財政的に支援するため、5億ドル以上を負担してきた。見返りに、監視機器の提供や情報の共有を行ってきたと指摘している。
 たとえば、2013年の文書では、「XKEYSCORE」と呼ばれるネット上の電子情報を幅広く収集・検索できるシステムを日本側に提供したとしている。NSAは「通常の利用者がネット上でやりとりするほぼすべて」を監視できると表現している。ただ、日本側がこのシステムをどう利用したかは明らかになっていない。


 これは意味深長です。今国会で審議されている「テロ等準備罪」(多くがテロとは無関係)は、数々の強力な反対意見にもかかわらず、与党の数の力で成立しそうですが、一連の流れを見ると、特定秘密保護法(国民に対して国家の秘密を隠し、それを暴露する者を厳罰に処す)がまずあって、次に盗聴法(正式には「犯罪捜査のための通信傍受に関する法律」の改悪→対象拡大)が来て、今回のこの法案というわけで、「国家機密は国民に対して隠すが、国民は犯罪に加担するおそれがあるものとして常時監視下に置かれるのだ」という「国のかたち」を法制度によって確実なものにしようとする意思が露わだからです。

 僕も頭が痛くなるのを我慢して、ネットに出ているその法案の条文にざっと目を通しましたが、煩雑の極みで、こういうのは法律学の素人にはチンプンカンプンでしょう。政府や法務省は「善良な国民がそれによって被害を受ける恐れは一切ない」と言い、日本弁護士会や法律学者の多く(野党も)は「危険きわまりない悪法だ」と批判する。どちらが正しいのか、一般国民にはわからないわけです。

 それをざっと見た印象で明確に言えるのは、これは大方はテロとは無関係で、カバーする領域が広すぎるということ、「テロ等準備罪」という名称は、安倍首相はよく野党やマスコミの批判に「不当な印象操作だ!」といってぶち切れますが、これはまさにその「印象操作」を狙った名称にすぎないということです。実態は以前三度も廃案になった「共謀罪」の焼き直しにすぎない(罪状を減らしたと言っていますが、依然として多すぎる)。

「準備段階で処罰できる新法がないと有効な防止にならない」というのは嘘です。というのも、内乱罪のような重罪に関しては、すでに刑法で「予備または陰謀をした者」への処罰が規定されているからです(78条)。法案を見ていて僕に気になったのは、「公務執行妨害罪」なども当然のように含まれていますが、これなど、行政に対する批判をしていたというだけでそれへの「準備」の疑いをかけられて、監視・盗聴される可能性があるのではないかということで、悪くすれば警察の“忖度”によってそのまま逮捕されかねないのです。私的なわずか数人の「行政監視ネットワーク」が明日は「危険な犯罪集団」に認定されるのです。

 大体が、「準備」しているかどうかを知るには早い段階から監視していなければならない。しかもこれだけ保護法益(と専門用語では言います)が広いと、監視の幅も当然広くならざるを得ない。「国民全体に網をかける」ていのいい口実になり、不正な盗聴やハッキングがバレでも、「国家と国民の安全のため」にしていたことだったと言い訳できるのです。だからこそ、「テロと何の関係がある!」という批判はあっても、対象にする犯罪をこれ以上減らしたくない。それがホンネでしょう。「広いことそれ自体に意味がある」のです。

 むろん、「監視による委縮効果」も狙っているわけですが、冒頭の朝日記事との関連でいえば、NSAから「提供」された「ネット上の電子情報を幅広く収集・検索できるシステム」を心安んじて使えるように、盗聴法とセットでこのような法律を成立させることは国家権力にとって不可欠な「準備」なのだということなのでしょう。法律お構いなしに国民の電話やネットの大規模盗聴をしていたアメリカと違って、われらが自民党は、一応「合法」かどうかを気にするだけの“ささやかな良心”は持ち合わせている、と言うべきでしょうか?

 いったんこういう法律が成立すると、強権的な政府がそれをさらに「改悪」して、思想弾圧、国民統制に悪用するようになる可能性は否定できない。いりもしない通信傍受法を、数年を経ずして「改悪」したことからもそれは十分考えられることです。最初は「忖度」と「拡大解釈」によって政府にとって好都合になるよう運用していたのが、「ええ、めんどくさい! もっと問答無用な締め付けができるように変えてしまえ!」となるのです。

 むろん、途中で改悪されなくとも、現段階ですでに「十分悪い」のですが、言いうることは国民を潜在的犯罪者、予備軍として監視(処罰を前提として)する「一億総監視社会」がすぐそこまで来ているということで、東京オリンピックもとんでもないことのダシに使われることになったものです。

 この問題に対する一般の関心は、中身がよくわからない上に森友問題のようなスキャンダルじみた側面がないので今一つのようですが、未来に及ぼす深刻な影響という点では比較にならない恐ろしさをもつので、「こんなの通しちゃっていいんですか?」とあらためて問いかけておきたくなったのです(問題は、そういうことに無関心な人はそもそもこんな記事は読まない、ということなのですが…)。

 安倍政権の「憲法改正」の真の狙いも、それを「国民主権」から「国家主権」に変えたいというところにあるのは自民のお粗末すぎる草案からして明白なので、彼の「戦前回帰」の野望は着々と実現しつつあるわけです。「家畜のようにおとなしい」今の日本のマスメディアと国民の行く末は、完全管理の養豚場か鶏舎のそれに近いものになるでしょう。どんな狭量で独善的な政権でも安心できる社会建設、それが現政権(申し分なく「狭量で独善的」な)の願いなのだと言って差し支えないだろうと思います。

【追記】新しい朝日の記事、貼っときます。

「共謀罪」法案へ反対声明 ジャーナリストら有志14人

お笑い内閣官房「弾道ミサイル落下時の行動等について」

2017.04.22.12:54

 内閣官房のホームページに出た次の「警告」が話題になっているようです。

弾道ミサイル落下時の行動等について

 完全にイカれてしまった北朝鮮の金正恩が発射したミサイル(安倍首相によればサリンを弾頭に装着しているのだという!)が「あなたの近くに着弾」した場合、あるいはすぐに飛んできそうな場合、どういう行動を取ればいいかを親切にご教示下さっているのです。

 うーん。でも前には「迎撃システムでミサイルを空中で撃ち落とす」なんて言ってませんでしたっけ? それは無理だろうという話を僕は前にここに書いた記憶があるので、「たまたま」それが原発に「命中」したりすると大変なことになるので、わが国を攻撃する場合には、別に核弾頭を装着する必要はないので、原発(とりわけ稼働中のそれ)めがけてドカンとやれば、阿鼻叫喚の地獄がそこに出現する。そんなふうに言いました。

 この「警告」によれば、ミサイルの迎撃はできないので、飛んできちゃったら、皆さんこうして身を守って下さいね、という話になっていて、「近くにミサイル落下!」の場合、「屋外にいる場合:口と鼻をハンカチで覆い、現場から直ちに離れ、密閉性の高い屋内または風上に避難する」、「屋内にいる場合:換気扇を止め、窓を閉め、目張りをして屋内を密閉する」なんて「指示」は、サリンを念頭に置いたものかと思われます。

 専門家によれば、ミサイルにサリンをつけて飛ばしても効果は乏しいので、そんなことはしないだろうという話です。かつてオウムはロシア製軍用ヘリでサリンを「空中散布」する計画を立てていましたが、ああいうやり方の方が賢いわけです。

 何にしても、内閣官房のこれはほとんどマンガで、昔の日本軍の「竹槍演習」と似たようなレベルのものです(運悪く木造の住宅街なんかに飛んで来たら諦めなさいということになるのでしょう)。安倍内閣の「危機管理意識」がどの程度のものであるかをよく物語るもので、その素晴らしさには涙が出ます(説明は専門家に任せますが、こういうのが現実的で有用だと思う人がいたとしたら、そっちの方がよっぽど危険です)。空想と妄想に満ちた安倍晋三の頭の中を説明してくれているだけの話で、ネットで物笑いのタネになるのではありませんかね。官僚たちも「こんなの意味ないんだけどねえ…」とブツブツ言いながら、命じられるまま仕方なくこれを作ったのではないでしょうか。本気で役に立つと思っているとしたら、そちらの方がずっとコワいわけですが。

 何の役にも立たないこういう「警告」を出して自ら騒ぎ立てるのは何のためなのか? 他でもない安倍自身の保身のためです。この前も書きましたが、「今は“私人”である私の妻の数々の口利き疑惑や、私の『心の友』が理事長を務める加計学園の不正認可のことなんかあげつらっている時ではありません。不祥事続きの閣僚の任命責任なんてのも、どうでもよろしい。北朝鮮問題こそ『今そこにある危機』なのです! この大変な時に政権交代がどうのと、そんな呑気なこと言ってられる場合ですか!」というので、こういう「恐怖のプロパガンダ」に走るのです。

 ところが、その「対策」というのがこういうレベルで、アホかいなとしか言いようがないのは情けないところなので、観念右翼の頭の中というのは概してこういうものです。騒ぎ立てて恐怖を煽るだけで、何ら現実的で有効な対応は取れない。「波動」信者の昭恵夫人に「サリンを無害化する水」を作ってもらったり、「祈り」でミサイルが途中で爆発するようにしてもらった方がいいのではありませんか? 何、もうそうしているって? ご愁傷さま。

「夫唱婦随」とはまさに安倍首相夫妻のためにあるような言葉で、馬鹿の二重奏でこの「美しい国」は終わりを迎えようとしているのです。トランプの方がなんぼかマシかと思えてきた、今日この頃です。

かくて課外は存続する(2)

2017.04.21.10:45

 一年前に、「かくて課外は存続する~課外の『不受講届』について」という一文をここに載せました。

 それは、延岡高校はこれより先に法律違反の嫌疑を逃れるために課外(費用は別途徴収)の主催者をPTAに移していたのですが、それでも批判があるので全員に強要するのはまずいと、受講したくない生徒にのみ、「不受講届」なるものを出させることにしたという話を巡るものでした。しかし、そのやり方がいかにも姑息(配布が今年も4/10で提出締め切りが4/14と「考える時間」も異常に短い)で、これでは「『不受講届』を出す勇気のある保護者・生徒はほとんどいなかったことでしょう」と書きました。果たしてその通りになったようですが、今年はそれを出す勇気のある生徒がいたそうで、学校にとってそれは「想定外」だったので慌てたらしく、その生徒たちは学年主任の先生か何かに呼び出されて、考え直すよう「説諭」されたという話です(生徒曰く、「出る杭は打たれるんです」)。

「やっぱり…」と聞いて僕は笑ってしまったのですが、それなら初めからそんな通知出すなよと言いたくなります。そういう自覚は当校の先生たちにはないのでしょうが、これは本当は教育の根幹にかかわる重要な問題なのです。今は安倍政権の「忖度(そんたく)政治」が問題になっていますが、生徒たちが将来社会人になったとき、国家権力が憲法違反の自由侵害を行っているという批判を避けるために、国民に何かを一律強制する際、「それに従わない自由」があるという見せかけを作ったとします。しかし、ほんとは全員強制であり、従わない者は「非国民」として処罰されるとか、その反対表明によって著しい不利益を受けるということなら、「従わない自由」は空虚なタテマエでしかありません。人々はそう「忖度」して、自分の“自由意志”で「従う」ことにしたのだと、「従いたくない」本心を偽る。そういう国家を「全体主義」と呼ぶのですが、延岡高校のこういうやり方はそうしたことのいわば“予行演習”になり、全体主義国家の「忠実な臣民」養成に進んで貢献していることになるのです。それが「ふつう」で、異を唱えるのが許されないのは問題でも何でもない(実はここが問題!)のだという「刷り込み」を行っているのと同じになる。

 北朝鮮のような独裁国家ならともかく、民主主義国家においては「自分で考えて、主体的に判断し、行動できる人間になれ」と教えるのがふつうです(少なくとも高校生ともなれば)。それと反対の教育を行って、今は権力の意向が右だから右、今度は左だから左と、それを忖度して迎合するしか能のない人間をつくるのが教育なら、そんなものはない方が百はマシでしょう。そういう教育でできた“善良な”骨なしクラゲの大群は市民社会を破壊する。

 僕の言っていることがわかりますか? 延岡高校では在校生に「大学に合格した先輩方の有難いお話」を聞かせたりもします(文書で配布することもある)。「学校の方針に従っていれば間違いない」「課外と宿題をこなしていれば大丈夫」なんて紋切り型の話ばかり聞かされるのですが、あれも実態はヤラセなのです。「こういうのにまともに付き合っていたら受からないな」と思って自分であれこれ工夫して勉強して、難関大に合格しました、というような生徒にはお呼びがかからない。学校批判を平気でぶちそうな卒業生は具合が悪いからで、二番手三番手の駅弁国立の合格者より、ほんとはそういう生徒の方がずっと有益な話をしてくれるのですが、学校側は「注意深く吟味」して、そういう卒業生には話をさせないのです。これ、「延岡の常識」です。

 延岡高校では今年、現役国公立合格者が全体の七割近くにのぼったと、「過去最高」を自慢しているそうです。去年も「過去最高」だと言っていたので、今年はさらにそれを上回る「好成績」を示したというわけです(PTA会長名義で出された「不受講届について」と題された今年の配布文書にもこのことが取り上げられ、「その発展の大きな下支えとなっている」課外と讃えられている)。

 僕は去年、「近年稀に見る悪さ」だったと書きました。浪人勢がよかったものの、現役勢はとくに難関大の失敗率が顕著だったからです(当然そういう生徒は後期には受かるから、上のデータでは合格者にカウントされる)。今年はそれに輪をかけてひどかった。東大・京大・阪大はゼロ、九大も僅か二人、国立医学部は地域枠推薦の一人だけ、というのはここ十年来なかったほどの悪さなので、同学年の生徒たちは「上がいない」のだと苦笑していましたが、二年連続で“不作”が続いたのです(生徒たちの模試の成績からして、来年再来年は挽回しそうだと見られますが)。

 にもかかわらず、学校は二年連続で「過去最高」を更新したと誇らかに言う。今年の顕著な特徴は、推薦組がむやみと多かったことです。それは実に生徒数全体の三分の一近くに上った。わが零細塾ですら推薦進学が七人もいた(内訳は、国立四人、公立二人、私立指定校推薦一人)ので、こんなに推薦組が多かったことはかつてありません。今の私大は、有名どころでさえ各種推薦やエスカレーター組で入学者の五割前後を占めますが、国公立も推薦枠を拡大していて、その流れに乗ったのです。これが全員一般受験でガチンコ勝負をしていれば、かなり悲惨な結果になっていたことでしょう。「国公立合格が多いって、こういうカラクリだったんですね。私は騙されていました」と、他でもない推薦で中堅国立に合格した生徒の一人が言うので、「君の合格もその“騙し”に利用されるんだよ」と僕は笑ったのですが、推薦でカバーし、一般受験の合格者は下位国立で数を稼いだというのが実情で、どう見ても自慢になるような話ではないのです(これに対して、都会の名門公立高校などの現役進学率が高くないのは、第一志望の受験に失敗すれば、浪人して再チャレンジする生徒が多いからです)。

 柿などに豊作と不作の年があるように、子供にも学年によってそういうのがあるのだと、昔、僕の母親は言っていました。「どうも、おまえの学年は全国的に出来が悪いのではないか?」と真顔で言われた(おまえの出来が悪いのも「不作の一部」だという含意)のですが、たしかに、僕の同級生にロクなのがいないのは、オウムの教祖・麻原彰晃や現首相の安倍晋三が同学年であることからしても正しいように思われます(僕はひそかにそれに責任を感じているので、早くオウム以上に危険で有害な――それが認識できない人が多いのは憂慮すべきことです――安倍政権を倒さねばならないと思っているのですが)。

 何を言いたいのかというと、だから大学進学実績の良し悪しなども、生徒個人の資質にもよるので、いちがいに学校の指導の良し悪しでは決められないということですが、僕の知るかぎり、ああいう課外や過剰管理が生徒の学力の底上げに役立っているという証拠は何もない。むしろそれは自学自習のゆとりと意欲を奪って、伸びる芽をつんでしまっているのではないかという疑念の方が強いので、生徒たちを慢性睡眠不足に陥れる弊害も併せ考慮して、「取柄のない制度」だと繰り返し言っているのです。それなら平常授業の質とレベルを上げることに、学校側は注力すべきだと。

 あとは生徒の好きにさせればいい。勝手に自分で勉強するなり、塾に通うなり、させればいいのです(主体性のあるそういう生徒の方が大学入学後も伸びる)。「地方で塾や予備校がないから、学校がそれを肩代わりする」なんて昔言ってたらしい理屈はすでに崩壊しているのです。「経済的に貧しい家庭の生徒には不平等になる」という論理も成立しない。受験サプリ改めスタディサプリなんて廉価なネット予備校も存在するからで、パソコン一台あれば毎月千円程度の費用でそれが利用できるのです(テキスト代は別途かかるようですが)。

 ほんとのところ、ああいうのは大手スーパーの進出に続き、ネット通販の普及で価格で太刀打ちできない個人商店が潰れてしまったのと同じで、あおりを食って塾もどんどん潰れている(去年の統計によれば、他業種は減っているのに、塾の倒産・廃業だけは増えている)のですが、それは時代の趨勢というものなので仕方がない。「対面授業」のメリットと塾の個性で勝負するしかない。この商売も甘くないのです。ところが公務員教師が集まる学校の課外だけは、その必要性もないのに、実質強制で生徒に選択の余地を与えないわけで、こういうのは職権乱用と同じくそれ自体不正なことです。課外が必要と思うかどうか、アンケートを「学校への忖度は無用」と明言した上でとってごらんなさい。80%以上は「いらない」と答えるでしょう。これまでも生徒集会で何度も課外廃止に対する要望は出されました。それらは学校側から頭ごなし全部無視されて議題から外されたので、教育者としてこういう生徒対応は最悪ではありませんか? おまえらはナチスか、と言いたくなります。違うと言うのなら、それをわかるように説明してみなさい。できないでしょう。

 今のここら辺の公立高校というのは何なのか、と思います。幸いに今回転出しましたが、生徒をいわれなく「放射能」呼ばわりするような人権感覚ゼロの頭の悪すぎる教師(他にも余罪多数あり)がデカい面をしていたり、僕には理解しがたいことばかりです。宮崎県はおそらく、全国でも最も難関大進学者が少ない県の一つでしょう。どうしてそうなってしまうのかという理由の一つに、こうした非効率で理不尽な課外による長時間拘束や、生徒に対する「自由の抑圧」がある。何が不当であるかという感覚もマヒしているのではないかと思われるので、北朝鮮に疎開させられても無理なく適応できる人間を育てるのが目的だというのなら別として、根本から教育というものを考え直した方がいいでしょう。安倍政権には「権力には意向を忖度して文句を言わず、進んで服従する人材をつくる」というので表彰してもらえるかもしれませんが、そういう人材をいくら「輩出」しても、日本社会の明るい未来はつくれないのです。

つかまえてみたら犯人はPTA会長だった、という話

2017.04.17.14:23

 こういうのはたしかに子供をもつ親御さんたちにとっては「衝撃」でしょう。例の千葉県我孫子市で、地元の公立小に通うベトナム国籍のレェ・ティ・ニャット・リンちゃん(9歳)の遺体が見つかった事件です。自ら志願して保護者会(PTAと実質的に同じ)会長になり、登下校時の「見守り」活動にも熱心に参加していた二児の父親が、同じ学校に通う小3のいたいけな女の子を誘拐し殺害、遺棄した犯人だった(まだ確定ではありませんが、警察は十分な証拠を握っているのでしょう)というのですから。「もう誰を信じていいのかわかりません」となるのは必定です。

 たぶん逮捕された「不動産賃貸業」渋谷恭正容疑者(46)は病的な小児性愛者の一人だったのでしょう。この「不動産賃貸業」というのも親の遺産をそのまま引き継いだもので、実態は体のいい無職だったようです。ヒマがたくさんあって、妄想を膨らませた挙句の犯行だったと見れば何ら不思議はないのですが、こういう「内部の犯行」は防ぐのが難しい。前にもセキュリティ万全のマンションに住む若い独身女性が行方不明になり、犯人は隣の部屋に住むIT関連の企業で働く技術者だった(逮捕されるまではマスコミの取材にも応じ、「こわいですねえ」などと素知らぬ顔で話していた)というケースがありましたが、それと似たような話です。

 学校の教師にも小児性愛者は混じっているし、こういうのは難しいなと思います。「人を見たらヘンタイと思え」と子供に教えるのでは教育上よろしくない。別に変態ではない、子供好きのオトナは昔からいるものですが、今だと知らない人は全員「不審者」です。

 前にスーパーの前で、僕はよちよち歩きの可愛い男の子が何かウワウワ言いながらこちらに近づいてくるのに出くわしたことがあります。僕に何か言っていることはわかるのですが、それが何なのかはわからない。実にフレンドリーな幼児で、足元まで来たので抱き上げて、「どうしたの?」ときくと、手をのばして人のほっぺたを触ったりしながらまた何か言う。依然として内容は不明ですが、上機嫌です。これぐらいの年齢の子は目の白い部分がうっすらと青みを帯びていて、いかにも“新品”という感じがするのが可笑しいのですが、にしても、この子は一体どこから来たのか…。そう思って見ていると、駐車場の方から母親らしき人が小走りに駆けてきて、「すみません、すみません!」と言いながら、その子を僕の手からひったくりました。そのお母さんの目には野球帽にジーパン姿の中年男の僕が「危険な不審者」としか見えなかったのは明らかで、苦笑したのですが、仮に僕がその子を抱いたままスーパーに入って、アイスなど買ってあげたりしていれば、行方不明の知らせを受けて駆けつけた警察官に誘拐犯扱いされてしまったことは確実でしょう。

 せちがらい世の中になったと嘆いても仕方がない。今の子供たちは多くの危険にさらされていて、親たるもの、それからわが子を守らねばならない(と思っている)のです。しかし、PTA会長が最も危険な変質者だったということになると、途方に暮れざるを得ない。世間の常識からすれば、そういう人は「安全」だということになっているからです。

 要するに、そういうステレオタイプな人の見方が間違っているわけで、PTAの役員だから信用できるというわけでも、部外者の子供好きはみんなヘンタイというわけでもないのは、考えてみればわかりきったことです。そこらへんは個別に人柄を判断する他ない。

 むろん、「個別に人柄を判断する」といっても、それも容易ではないわけで、うかつに「あれは要注意だよ」なんて言うと、「みだりな中傷」ということになりかねない。後で問題が起きて、「あのときは失礼なことを言う人で、そういう偏見で人を見てはいけないと思ったんですが、やっぱりそうでした。何でわかったんですか?」と言われたことが僕は過去に何度かあります(むろん、その「問題」は殺人ではない)が、そういうのは言葉では説明しにくいので、英語で言うweirdな印象を受けないかぎり、いくら口が悪くても僕もそんなことは言いませんが、そういう人もたまにはいるのです。学歴とか社会的地位とか、愛想がいいとか悪いとか、そういうのは関係ない。だから子供がまだ小さくて、そういう人が周りにいれば、僕はそれとなく警戒するでしょう。日雇い労務者風の気のいいおじさんとか、悪ぶってるが根は善良なヤンキーとか、そういうのは一目で大丈夫とわかるので、そういうことで人を差別したりはしていないつもりです。

 前に東京にいて短期間サラリーマンをしていた頃(まだ三十代でした)、仕事帰り会社の人たち何人かと山手線に乗ったら、僕は混んでいるのが苦手で、どういうわけだか空いているところが見えたので、「あっちに行こう」と言って移動したら、そこにいかにも日雇い労務者風のおじさんがいて、缶ビール片手に何かわめいている。口の周りに泡がいっぱいついているのがユーモラスで可笑しかったのですが、周りの乗客たちはそれを遠巻きにしていて、だからそこだけ空いていたのです。

 僕は「おじさん、どこから来たの?」とたずねました。おじさんは話相手が見つかったので大喜びで、大阪のあいりん地区から来て、今は山谷にいるが、東京の日雇い労務者は堕落している、とご立腹でした。大阪には自由があったが、山谷の労務者たちは暴力団の何とか組に牛耳られていて、独立不羈の気概を失っていると嘆くのです。僕は大いに共感して、耳を傾けましたが、話が結構面白かったのです。

 池袋で別れの挨拶をして降りたのですが、ホームを歩いている時、会社の同僚の女性が「大野さんはああいう人の扱いに慣れてるのね」と呆れたように言いました。僕には一目でその人が善良な人だとわかったから話しかけたので、恐れる方がどうかしているのです。こういうのとは反対に、いかにもエリートサラリーマン然としているが、まっ黒なオーラを発している人間もいるので、僕はむしろそちらに警戒する。ところが、そういう場合には平気で皆さん、そばに立っているのです。人間に本来備わっている第六感が退化しているとしか思えない。僕は文明人ではないので、まだそういうものを幾分か残しているのです。

 こういう事件もその第六感が働けば、それとわかって防げるような気もするのですが、どうなのでしょう? 僕はアッキーなんかと違って十分に論理的な人間のつもりですが、そうした直感は大事にしているので、太陽神経叢(これは大体みぞおちのあたりに位置します)に寒気が走るような人間には警戒します。渋谷容疑者は偽装に長けていたのかも知れませんが、見る人が見ればすぐにそれとわかるものをもっていたのではないでしょうか?

 いずれにせよ、人は個人単位で、しかも見かけや肩書に頼るのではなく、見なければならない。PTAの会長がヘンタイだったなんてことはめったにないと思いますが、風体の怪しげな人も大方は危なくないのです。だから神経質になりすぎるのも考えものなので、登下校の「見守り」なるものも、交通安全の観点からすれば意味をもつでしょうが、変質者はそこらにゴロゴロいるわけではないので、誘拐防止のためにそれをやるというのは行き過ぎでしょう。今回の件などは、警戒に当たっている当の大人たちの中に犯人がいたわけで、彼はそれを悪用して子供の通学パターンなどを頭に入れ、犯行に及んだのです。システムがかえってあだとなった。保護者会の会長がそんな人間であるはずがないという「常識」も盲点の一つになったのです。

 彼の友人や一緒にボランティア活動をしていた人たちの中には、その危険性を感じ取っていた人もいるでしょう。問題はそういう場合、どういう手立てがとれるかです。小児性愛者でも殺人にまで及ぶことはそうないだろうから、うかつに「あいつは危ない」なんて言うと、名誉棄損で訴えられかねない。人間関係のもつれから、別に危なくない人を危ないと言って排除しようとする人だっているでしょう。そこらへんが悩ましいところですが、病的な傾向、異常性を察知したときは、それを他の人にも伝えて、それとなく警戒することはできるでしょう。犯罪的傾向をもつ人間はそういう空気には敏感なものなので、それは抑止力にはなる。疑われていると知れば、厚かましくPTA役員に立候補などもできなくなるでしょう。

 こういう問題はケース・バイ・ケースで、単純な解決策などあるはずもありませんが、女児には妙にベタベタし、男の子には平気で暴言を吐くなどの行動が観察されていたようだから、こういうのは「おかしい」にきまっているのです。この手の人間には必ずそれ「くささ」が伴うものだと思うので、周りの大人たちはそのあたりもっと敏感であってしかるべきでした。「地元の名士」だったという報道もありますが、ロクでもない自称「名士」はいくらもいるものなので、そういうので信用する方がどうかしているのです。

 ちなみに、最近は「PTA無用論」もよく聞かれます。僕は以前、知り合いの小学校の年配の女性の先生から、「親睦」と称して見るに堪えない下品な宴会(男性教諭によるストリップの出し物まであるのだという)をやったり、不倫(教師と親、ときに親同士)の温床になっているあの集まりは無用の長物で、ない方がマシ、という話を聞いたことがあります。今回は別の面でその「最悪の結果」を示してしまったわけで、何ともはや、です。

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大野龍一

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