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新内閣=新時代の到来となるのか?

2020.09.20(16:43) 754

 菅・新内閣の滑り出しは上々であるようです。支持率の世論調査では日経のそれが一番高く74%、朝日が65%、毎日が64%と、軒並高くなっています。安倍政権の「継承」という点で急激な変化を嫌う日本人に安心感を、例の桜を見る会は廃止するそうですが、他に前々からその弊害が指摘されている省庁の縦割り行政を打破するとかで、突破力のありそうな河野太郎を行革担当大臣に据え、「改革」を同時に打ち出すといった点なども好感されたのでしょう。麻生や二階のじさまの続投は「老害」の象徴のようなものですが、今の自民の党内事情では仕方がないと了解されたのかもしれません。

 全く私的なことながら、自民の総裁選が行われたのは9月14日でしたが、これは僕のところの光通信なるもののモデムがこわれた日でもありました。少し前からパソコンの動きに変調が見られて、前夜も異常が目立ち、僕はそれをパソコンの問題かと思っていたのですが、この日にインターネットへの接続自体ができなくなり、トラブルシューティングというやつを試すと、「モデムに問題があります」という表示が出て、そちらに障害が発生していることがわかったのです。あわててそちらを見ると、電話のランプも消えている。もしやと思って電話の受話器を取ると、何の音もしない。つまり、パソコンと電話の両方が同時に使えなくなったわけです。

 これはスマホもケータイももたない絶滅危惧種の僕には不都合きわまりないこと(アパートで一人暮らしをしている関係で、奥さんのケータイを使えばと言われても、それは無理)なのですが、プロバイダーの「今どきは役所でももう少しマシな対応をするだろう」と言いたくなるような事務的・機械的な対応(おまけに当初は相談窓口が無料だったのに有料に変わり、受付時間も短縮されている)には呆れたので、契約時の文書の無料問合せ番号にかけると、それは現在使われておりませんということで、有料電話番号を教えられ、僕は公衆電話から待たされないように受け付け開始時刻ぴったりに電話をして、だからすぐつながったのですが、ID番号に始まって、電話番号、住所から生年月日まで、「規則」なのだそうで、全部聞かれるのです。その前にはモンスター・クレイマー対策らしい、「この電話は録音されます」というわざとらしい機械音声アナウンスも聞かされる。で、その挙句、「KDDIの方に直接電話して下さい」ということで、そちらの番号を教えられる。「緊急性」があるというのでそう判断したのだという。ちょっと待ってくれ。それなら最初にモデムの故障で電話もネットも使えなくなっているということは言ってるのだから、なぜその時点でそれを教えない。この間、どういう回線になっているのかわかりませんが、驚くべきスピードでコインは消え、600円も使わされたのです。対照的に、KDDIの受付対応(こちらは無料のまま)の的確さと迅速な動きの方には感心したので、翌日朝一で駆けつけてくれた中年の係員の人の親切さも感動ものでした。故障が発生しているのは白黒二つあるボックスのうち黒の方のようでしたが、もう六年もたっているので、機器の劣化も考えて全部交換しておきましょうということで、コードの類まで含め、すっかり新しいものに変えてくれた。おかげでパソコンの動きも早くなったので、僕はパソコンのせいかと思ってクッキーを削除したり、色々やっていたのですが、原因はモデムにあったわけです。

 政権交代にぴったり合わせるタイミングでこのようなことが起きたというのは意味深長で、僕は今回のドタバタで、迅速丁寧対応のKDDIの方はそのままにして、プロパイダーだけ変えるいい方法はないかなと考えるようになりました。いわば前者が「承継」で、後者が「改革」です。今までは「利用料がお安くなります」という乗り換えを勧める電話がかかってきても面倒なので相手にしなかったのですが、ほとほと愛想が尽きた。このプロバイダー、少し前にもこういうことがありました。デジタル弱者の僕は月々500円プラスの「常時安全セキュリティ24」なるサービスにも入っていたのですが、それが委託先をサービス低下につながる別のセキュリティ会社に変えたらしく不便になったので、なかなかつながらない有料電話に電話をして文句を言ったら、「新しいセキュリティソフトにはその機能(僕が重宝していたのは広告ブロック機能です)はございません」という話で、「でも前のは三台まででしたが、今度のセキュリティソフトは七台までご利用できるようになったんです」とのたまうので、「一般家庭に七台もパソコンがある家はない。つまらないことを自慢するな」と言って電話を切りました。それでセキュリティの方は解約し、プロバイダーが委託を打ち切った前のセキュリティ会社を探して、そこと単独契約したら、長期だと各種割引が利いて、月平均にすると前の半額以下の料金になったのです(これはカスペルスキーで、広告嫌いの人にはお薦めです)。丸投げしていただけなので、サービス内容は同じ。こちらの方が個別対応ソフトが入っていてむしろよくなったくらいです。何なんだこのプロバイダーのやっていることは、と思わざるを得なかった。顧客のためではなく、自分の会社都合だけで動いているのです(会員サポートは有料電話で、自社への乗り換え受付の電話だけ無料にしているというのもセコさが際立つところです)。

 この出来事をユングのシンクロニシティ(共時性)理論にあてはめると、安倍政権がこわれるのと同時にモデムもこわれて、新しいのに変わったわけで、少なくとも僕にとっては安倍政権から菅政権への移行は好ましい側面が強いということになるのかもしれません。菅氏は安倍内閣の官房長官だった関係で、モリカケ問題の再調査なんかはとうてい無理でしょうが、新総理の奥さんはあのおバカなアッキーと違って煩わしいニュース(自殺者まで出た森友事件なんてアッキーが元凶なわけです)の対象にはならないだろうし、一部にはメディアへの締めつけが一層強化されるだろうという見方もありますが、そういうのは阻止されるべきだとして、バグが減って、非本質的なドタバタが消え、実務的なことは先に進むようになるかもしれない。安倍政権下でのさばっていた無能な官邸官僚たちももう少しマシなのと取り替えられるでしょう。そう考えると、これまでよりはよくなる可能性が高いわけです。なまじ名家に生まれたがためになおさらそれが強化された、安倍夫妻のようなコンプレックスが強い連中(おべっかの類にしか耳を貸さない)に政治権力を与えてはならない。そういう心理学的、精神病理学的な理由であの政権がおかしくなっていたという点は明らかにあるのです。

 幸い彼にはそんな感じはない。今の支持率が高いのは“ご祝儀”だからで、目下の問題はあの子分筋の河井議員夫妻(どちらも逮捕)の事件ぐらいでしょうが、官房長官時代、モリカケ問題では「指摘は当たらない」の類のごまかし答弁が目立ちました。それは親分の尻拭いに窮したからで、自分がトップになれば、そういうつまらない事件は起こさず、部下にそういう不誠実答弁を強いることもなくなると考えてよいのでしょうか。であれば、「ここは韓国か?」と言いたくなるような低次元の情実政治をめぐるイライラからは国民も解放されるということになります。そうすると二期目も見えてくる。

 いくらか気の毒なのは石破議員で、自民公明内部からはすっかり裏切り者扱いされて、彼を痛めつけるために議員票は岸田にも意図的に相当数回され、彼が最下位になるよう画策されたという話でしたが、菅政権が失政やスキャンダルで火の玉になることがあるとすれば、「やっぱり石破がいい」という声が起きて、チャンスは回ってくるだろうから悲観するには及ばない。禅譲を期待して卑屈なふるまいに終始した岸田ほど株は下がっていないのです。にしても、影の薄い野党は、このまま解散総選挙となれば壊滅的で、自民の独裁政治に等しいものになってしまうから、もっと頑張ってもらいたいのですが。


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祝子川通信 Hourigawa Tsushin


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大学の危機

2020.09.12(14:02) 753

 先日、毎年恒例のタイムズ・ハイヤー・エデュケーション(英国)による「世界大学ランキング」が発表されました。次はハフポストの記事です。

「中国が歴史的躍進」かたや日本は記述なし。世界大学ランキング「トップ100に日本勢10校」は達成できる?

 タイムズ誌が「歴史的な躍進」と表現したのは中国勢。清華大学が現在の統計方法になってからアジア勢としては初の20位入りを果たしたほか、北京大学が23位にランクイン。100位以内の大学も3校から6校へと倍増させた。

 タイムズ誌は理由として、中国は国家単位で20年以上にわたり高等教育や研究分野への投資を続けてきたと指摘。欧米でのトップクラスの研究機関での人材育成も行なっているとした。

 中国はこれまで、海外の優秀な研究者を招聘したり、海外で研究する中国人を国に呼び戻したりするなどの政策を続けている。


 そういうわけで、研究に惜しみない投資をしている中国は「大躍進」している一方、「2013年に掲げられた『日本再興戦略』に」は、「2023年までのKPI(評価指標)として、タイムズ誌のランキングで『世界トップ100に10校以上を入れる』と明記されている」にもかかわらず、こちらは実現の見込みなし、というのがこの記事の要旨です。「異次元の金融緩和」の継続にもかかわらず、アベノミクスの2%インフレ目標は達成されませんでしたが、教育分野となると、その「再興戦略」なるものはさらに悲惨な結果に終わっているのです。前に下村博文が文科相になっていたとき、国立大学長の集まりに出向いて、入学式などの式典では日の丸掲揚、君が代斉唱を必須にするのが望ましいというような演説をぶって、「この頭の悪い右翼は何しにこんなところへ来たのだ?」と会場は不気味な沈黙に包まれたそうですが、何かズレすぎているのです。

 面白いのは、何でも日本と比較して勝ち負けを論(あげつら)わないと気が済まない韓国メディアの朝鮮日報も、次のような記事を載せていることです。これは少したつと消されてしまうので、URLではなく、記事本文をコピーしておきます。

・「THE世界大学ランキング2021」1位はオックスフォード大、ソウル大60位…東京大は?

 英国の高等教育専門誌「THE(Times Higher Education)」が2日、2021年の「THE世界大学ランキング」を発表した。
 今回の世界大学評価は世界93カ国・地域の大学1527校を対象に実施された。「THE世界大学ランキング」は2004年から毎年発表されている、権威ある大学評価で、教育与件、研究実績、論文の被引用度、国際化、産業体の収入など五つの領域で評価を実施。

 2021年の「THE世界大学ランキング」1位には前年に続き、英国のオックスフォード大学が選ばれた。2位はスタンフォード大学、3位はハーバード大学、4位はカリフォルニア工科大学、5位はマサチューセッツ工科大学、6位はケンブリッジ大学、7位はカリフォルニア大学バークレー校、8位はイェール大学、9位はプリンストン大学、10位はシカゴ大学だった。トップ10入りした大学はすべて英国と米国の大学だった。

 韓国の大学のランキングを見ると、ソウル大学(60位)、 KAIST(96位)、成均館大学(101位)、浦項工科大学(151位)、高麗大学(167位)、蔚山科学技術大学(176位)、延世大学(187位)の順で、200位以内に7校がランクインした。

 一方、日本の大学で200位以内に入ったのは東京大学(36位)、京都大学(54位)の2校だけだった。


「勝った!」という喜びが滲み出ているようで微笑ましいのですが、「日本のその2つの大学より韓国7大学は下位にある」ということは誇りを傷つけるので決して言葉にしてはならないのです。

 しかし、実際問題として、200位以内に入っているのは日本では東大と京大だけで、これはたとえていえば、オリンピックで「日本は銀メダル2つだったが、韓国は銅メダル7つを獲得した」というようなもので、こういうランキングは英語圏の大学に不当に有利になっていて、だからそれほど気にするには及ばないと考えることはできますが、中国や韓国も非英語圏の大学なので、日本の大学が見栄えしなくなっているのは確かなのです。これでは日本への留学生が増えることも期待できないわけで、「アジア唯一の先進国」というのは遠い過去の栄光になってしまったのです。げんにGDPは中国にかなり前に抜かれているし、一人当たりGDPではすでに韓国に並ばれている。それが教育にも及び、かつてはアジアトップの大学は東大と見られていたはずですが、今では誰もそんなふうには思わなくなっているのです(上の記事には出ていませんが、小国シンガポールの躍進も著しく、アジア第3位の25位にシンガポール国立大が入っている)。

 次のような記事も出ています。

なぜ東大の予算は2500億円で、スタンフォード大は1兆円超なのか

 残念なことに、これは会員にならないと続きが読めないようになっていますが、最初のページだけでもかなりのことはわかる。

…2004年に国立大学が法人化されて以降、国から支給されていた運営費交付金は毎年1%ずつ削減される状態がしばらく続いた。その代わりに増えているのが、「競争的資金」と呼ばれる、研究課題を公募し優れたテーマに配分する研究資金だ。文部科学省の科学研究費がその代表だろう。

 各大学は外部から資金を調達する必要に迫られている。東京大学も例外ではなく、2000年代初めには年間で約1000億円あった運営費交付金は、18年度には760億円まで落ち込んでいる。その代わりに約620億円を外部から調達している。今や外部資金は、東大の収入の約3割を占める重要な財源だ。資金の出し手は国にとどまらず、財団法人や企業が募る民間のものも多い。また、産学連携などで獲得した委託金などの研究資金も広い意味での競争的資金に含まれる。

 競争的資金に重点を置くようになった背景には、言うまでもなく国の財源が逼迫し、大学の研究や教育にまとまった額の予算が割けないという事情がある。期待される研究に限られた資金を手厚く配分して、最大限のパフォーマンスを上げようという方向に政策の舵(かじ)を切ったわけだが、こうしたやり方が結果的に研究計画ありきの厳しい資金獲得競争を生んだ。その結果、若手研究者に向けた研究環境の整備や、基礎研究の充実に支障をきたしているとの不満は根強い。

 同じ国立大学でも競争的資金を取れる大学と取れない大学の「格差」も生じてしまった。16年に文部科学省が行ったアンケートで、約6割の教員が所属機関から研究者に支給される個人研究費の額を「50万円未満」と答えるなど、地方国立大学の「窮状」も明らかになっている。


 こういうのは研究費さえ多ければいいというものではなく、げんに科学関係のノーベル賞受賞者は研究資金が元からダントツで多かった東大より京大の方が多い(発想力や思考の柔軟性で負ける?)のですが、それも程度問題で、今は減らし過ぎです。だから「日本人のノーベル賞受賞者は近い将来ゼロになるだろう」と言われるのですが、いちいち首相官邸や文科省の顔色(だいたい、連中に研究の良し悪しの判断なんてできるのか?)を見なければならないだけでなく、「科研費がなさすぎて、新たな研究を立ち上げることも、継続することもできない」状態になっているのです。若手研究者のポストも少なくなったり、身分が不安定化しているので、理系の優秀層が研究より就職を選ぶことが多くなったという問題も指摘されています。「貧すりゃ鈍する」の悪循環に陥っているのです。

 こうしたことについては、「文教予算は減っているのに、大学の数をむやみに増やし過ぎたのが悪いので、私立でも補助金名目で万年定員割れの大学にも多額の補助金が支払われている、そういうのを全部潰してしまえば、まともな大学に出せる金も増えて、研究費問題も改善するはずだ」という、いくらか乱暴な議論があります。僕も、乱暴だがそれは正論だと思っています。子供の数は減り続けているのに、大学の総定員数は減らないので、「落ちる方が難しい」大学も相当数あるのです。今は国立ですら、地方の駅弁大ではセンター得点率が5割に届かなくても合格できるケースもある。そういう受験生は基礎学力自体が疑わしいので、大学教育どころではないだろうなと思うのですが、いわゆるFラン大学となると、それはいっそう甚だしく、世間からも大学扱いされないので、進学する意味があるのかなという気がするのです。

 昔、「十五の春を泣かせない」というスローガンの下、高校全入運動が行われましたが、今は大学も全入時代で、それどころか、余っているから定員割れ大学がこんなに多くなるので、文科省は苦肉の策として私大の定員厳格化を推し進め、人気大に落ちた受験生が不人気大へと流れるように仕向けて、これ自体姑息きわまりないやり方ですが、その数を減らそうとしてきたものの、それでも2019年度段階でまだ33%(短大も含めると比率はもっと高くなる)もあり、全体の3分の1が定員割れを起こしているのです。たまたまならまだしも、こうした大学のほとんどは慢性的で、ひどいところになると定員充足率は3割台で、7割に満たない大学だけでも30校あるのです。今後それが大きく改善する見込みもない。それでも毎年一校当たり億単位(平均では5億円)の私学助成金が出ているわけで、税金の無駄遣い以外の何ものでもないように見えます。文科省も、一度認可してしまった手前、よほどの不祥事がないと潰せないと思っているのかもしれませんが、慢性的に充足率が低い大学は潰すべきでしょう。それだけでもかなりの巨額が浮くので、それを他に回せばいい。うまくすれば、それで定員割れ大学もゼロになるかもしれない。それらの大学に入学していた受験生が他に振り分けられるからです。

 高校以下の学校は統廃合が進みました。げんに僕の母校など、残っているものは一つもないほどです。まず小3まで通った分校(絵に描いたような「山の分校」だった)が児童数の激減で廃校になったのは僕がまだ大学生の頃で、本校の小中学校もその後統廃合の対象になった。お次は高校で、ウィキペディアを見ると、「…にあった県立高等学校である」と過去形で語られ、統合された後しばらく「分校」として残ったものの、三年ほど前生徒募集が停止され、消滅した。これは少子高齢化と人口流出がダブルで進んだ田舎では珍しくもない話です。時代の流れでそうなったので、別に誰が悪いわけでもないのですが。

 だから母校の中でまだ存続しているのは大学だけなのですが、そういうふうに高校以下の学校では容赦なく統廃合が進められたのに、補助金額がとくに大きな大学は潰せないというのは道理に合わない。それは文教予算の無駄遣いというものなので、それを有効活用するためにも、慢性定員割れ私大は潰すべきなのです。それで教職員が失業するとか、それに寄生している関係業者が打撃を受けるとかいったことは、言い訳にはならない。それはいかなる変化も拒否するということなので、そういうことばかりやっているからソンビ組織が生き永らえて、望ましい社会構造の変化も、経済の活性化も起きないのです。

 問題は、しかし、そういうことだけではない。この手のランキングでは「教育力」というのも重視されていますが、大学教員も今はやたらと事務仕事を多くさせられる(いちいちそんなことにも書類を提出しなければならないのかと呆れるものまである)上に、懇切丁寧な学生指導に多くの時間とエネルギーを割かねばならないのです。まず詳細なシラバスなるものを作って提出するというところから始まり、それに従ったわかりやすく“楽しい”授業を心がけねばならず、休講した場合は必ず補講を行なう。そして成績不良学生や引きこもり学生にも愛の手を差し伸べて、大学の評価を下げる原因となる退学率を減らすよう努めねばならない。各種会議もたくさんあり、理系なら、研究予算獲得のために申請書類書きに追われるほか、企業にも愛想よくしなければならない。

 これはしばらく前に院生の息子に聞いた話ですが、ある関西の有名私大の教授に会ったとき、大学教員になったが最後、自分の研究などというものはほとんどできなくなる、という嘆きを聞かされたとのこと。だから時間のある今のうちにしっかり研究しておきなさいというのがアドバイスだというのは笑えない話ですが、どうしてそうなるのかといえば、他のことで多忙を極めるからです。研究を進めるために大学教員になるのではなく、そうなったらかんじんの研究の方は引退したも同然になってしまうのです。だから、研究発表にしても、著書を出すにしても、それは若い頃の研究の“貯金”を取り崩しながらそうしているだけなので、研究の進展どころではない。これは文系の話ですが、それなら出版社の学術書の編集者にでもなった方がまだ自分の勉強のゆとりがもてていいくらいです。あるいは、自分で塾でもやって、それで食い扶持だけ稼いで、残りの時間を研究に使った方がマシです。彼にはそれぞれ専門の違う学部時代から仲のいい優秀な研究者の卵友達が二人いて、三人で会って話すと、きまってそういう「お粗末な研究環境」の話になるそうですが、「乞食と大学教授は三日やったらやめられない」というのは昔の話で、「大学教員になったら他のことで忙しくて、もう研究なんてできない」という本末転倒も甚だしい事態になっているのです。名門大教授でさえそうなら、低偏差値大の教員となるとどうなるのか、授業中の私語に耐え続けねばならないだけでなく、問題学生へのかなり低次元な手取り足取り“指導”に忙殺され、これにどうでもいいような大量の事務仕事、会議などの雑用が加わるのです。

 要するに、文系理系を問わず、学者の研究環境は最悪のものになりつつあるということです。それでは大学者なんか出てくるはずがない(ノーベル賞とは関係なくても、文系のすぐれた学者は必要です)。成果も当然出ない。昔は、実験などが不可欠な理系はともかく、文系の学生はほったらかしでした。学生の方もほったらかしにしてもらえるのを期待して入学したので、休校が少ない講義にはむしろ文句が出た。そもそも、大部分の講義は出席を取らなかったので、それをいいことに出席しない学生が多かったのです。専攻関係なしに、当時の学生は本だけはたくさん読んでいたので、それで仲間と議論を戦わせるのが楽しみだった。これは当時の「標準」ではありませんが、生活費稼ぎのバイトに追われていたこともあって稀にしか講義には出なかった僕など、「今日は出てみようか」と殊勝な気持ちになって大学に向かうものの、途中の古本屋街で引っかかってしまって、着いたときは最後の授業が終わる頃になっているということがよくありました。それで一階のラウンジで自動販売機のコーヒーを飲んでいると、授業が終わった連中が降りてきて、「ああ、いた、いた。そろそろ来る頃だと思っていた」と言いながら仲間が寄ってきて、それから学食か近くの食堂で夕食を取り、そのまま話をしながら五、六人、ぞろぞろ駅の方に歩いて、暗黙の了解のごとく行きつけのビル地下の喫茶店に入り、コーヒー一杯で二、三時間粘りながら議論に花を咲かせる、というのがいつものパターンでした(ウエイトレスのお姉さんも常連なので親切だった)。そういうのが楽しくて学生をやっているようなものだったので、授業なんてものはおまけみたいなものだったのです。

 こういう時代は、先生たちも楽だったわけです(詳細なシラバスなんてものも、むろんなかった)。授業に二、三十分遅れてくるのはふつうのことだったし、研究に没頭して授業があるのを忘れてしまい、そのまま休講になっても、「この分では今日は休みだな」と学生の方は思って、どこかに行ってしまい、文句を言われることもない。今なら「高い授業料を払っているのに何だ!」と抗議が殺到して、大問題になってしまうでしょう(ついでに言うと、アメリカよりはずっとマシだとはいえ、大学の学費の上昇は物価上昇分をはるかに超えている。国立の場合なおさらそうで、僕の記憶では、当時の国立大の授業料は年間3万6千円だったのです。私大文系で20万前後)。そういう牧歌的な雰囲気はとうに失われ、電子機器の発達で、入室の際学生証をセンサーにかざす、なんてシステムになっているので、出欠は自動的にカウントされ、「単位認定厳格化」の指示が文科省から来ている手前、出席日数不足の学生に気安く単位を与えることもできない。今でも思い出すたび笑ってしまうのですが、学生の頃、試験を受けに行くと、空いている席が最前列にしかなく、仕方なくそこに座っていると教授が「試験問題のことで何か質問はないか」と言いながら入ってきて、思わず目と目が合って、「おまえの顔なんか、いっぺんも見たことないぞ」と大声で言われてしまい、クスクス笑いが起きて弱ったことがありました。「いや、二回ぐらい(半期ではなく通年で、です)は出たことがあります」とも言えない。幸い、それは出席を取らないものだったので、「いっぺんも見たことがない」その学生が誰なのかは先生も把握できなかったわけで、単位はめでたく取得できた。今なら出席率一割以下なのがすぐバレてしまい、問答無用で落とされてしまうわけです。

 こういうのが果たしていいことなのか、どうか。学生も教員もその方が自分の好きなことができてよかったのではないかと思うので、今の大学生が真面目に授業には出るからそれだけ優秀になっているとは必ずしも言えないでしょう。真面目に授業には出て、課題をきちんとこなしているとしても、その分、好き勝手なことをやる時間は減っていて、人間は好き勝手やったことの方がよく身につくものなので、厚みに乏しくなっているかもしれないのです。息子が行った大学は「放し飼い教育」を旨としていて、自由度が高いようなので、割と昔の大学に近い感じで、学部の同期には就職もせず院にも行かず、そのまま「消息不明」になっているのが何人もいるという話で、そういう怪しげなのがかなりの数いるというあたりも、昔の大学と似ている。それでもだんだん管理的になってきているのはたしかだという話で、わが母校など、昔は卒論がない上に面倒なゼミ(少人数なのでサボれない)も他科目で代替できた、最も卒業が容易だった法学部が、今は最も単位認定のシビアな学部になっているという話で、全体に大学教育は様変わりしたのです。

 今の大学生は、ああしなさい、こうしなさいと指示されないとどうしていいかわからないのが増えているから、こうなるのでしょうか? だから大学も高校の延長みたいになってしまい、それに文科省のアメリカ猿真似政策が重なってこうなるのだと思いますが、これは今の若者が動物として駄目になりかけているということなのではないかと思います。いちいちあてがいぶちの餌を与えられないと生きていけないみたいな感じで、野生というものを失っているのです。試験前のテキスト一夜漬けで、一通りの筋が通った答案が書けるという知的瞬発力も落ちていて、ちゃんと授業に出ている割にはお粗末な答案が多いとも聞きます。子供時代の野遊びも足りていないから、それが災いして、入試段階で知的にピークアウトしてしまい、それ以上伸びない学生も多いのかもしれない。

 こんなことを書くと“炎上”してしまうかもしれませんが、コロナによってキャンパス・ライフを奪われる以前に、そういう問題が起きていたわけです。生徒と教師両方が不必要に細かい管理システムでがんじがらめにされ、どちらもそれで疲弊する(日本の子供の精神的幸福度は先進38か国中37位)という現象は小中高段階で問題になっていますが、それが大学教育にも及んでいるということです。教員は多忙すぎて自分の研究ができず、学生は単位認定厳格化で眠たい授業もサボれず、アメリカ式に課題をたくさん出しましょうということで多忙になり、こちらも自分の好きなことができない。余暇時間はつまらないSNSに大方奪われるというのでは、クリエイティブで突破力のある人材が続出するということにはならないでしょう。社会を挙げて「日本沈没」に精出しているようなものです。

 英語の school が「余暇」を意味するギリシャ語の skholē(スコレー)に由来するというのは有名な話ですが、余暇どころか、今の学校は上から下まで、最も多忙な場所の一つとなってしまっているのです。その多忙さは好きで勝手に何かに没頭しているのとは違うので、昔はたしかに十年講義内容が全く同じで、学者としてはとうの昔に終わっていて、何の新味もないという無能教授たちもいましたが、余暇が保障されていたために大きな研究業績を挙げるすぐれた学者もいたわけです。今はおしなべて多忙で自分の研究どころではないというのでは、そういう大学者もいなくなってしまう。理系の研究者はこれに加えて、必要な研究資金も確保できないから、「したくてもできない」事情が付け加わるのです。

 こういうのは冒頭のランキングに見られる数字以上に深刻な問題ではありませんかね(研究力の低下などはそちらにもダイレクトに反映される結果になるはずですが)。だから、他にも色々方策はあるでしょうが、まずもって大学の名に値しないような慢性定員割れ大学を整理して、それで浮いたお金は残った大学に回し、大学教育のあり方も、アメリカの猿真似ばかりしないで、昔の放任主義の大学にはいいところもあったのだから、再考した方がいいのではないかということです。

 高校時代、真面目なのか不真面目なのかよくわからない、脱線話が面白い物理の若い先生がいました。パイロットになりたかったが、なりそこねたので仕方なく高校の教員になったという人で、最初の中間テストの第一問にいきなり鉄腕アトムが出てきて、教室がざわついたのですが、ちゃんと物理の問題になっていて、他もかなり変わったオリジナルの問題でした。中に、風船に何かのガスを入れて放したら、その後どうなるか考えて書け、という問題があって、教師を怒らせる名人だった僕はしめしめと、およそ思いつくかぎりの出鱈目を書き並べて提出したのですが、返ってきた答案を見ると全部にマルがついていたので、不審に思って「何でこんなものに点をくれたんですか?」ときくと、「ああ、おまえのそれね。どれも可能性としてはありうることだからねえ」と澄まして答えました。相手の方が役者が一枚上だったのですが、卒業前に珍しく真面目な顔つきになって、「大学生バカという言葉がある。これは入ったときより出るときの方が馬鹿になっている学生のことを指していう言葉で、君らの中には大学に行く人もかなりいるだろうが、入ってから何をしてもいいが、この『大学生バカ』にだけは絶対なってくれるなよ」と言ったのです。

 悪ガキどももかなり神妙にその話は聞いていたので、それは心に届いたのです。単位認定を厳しくして学生を勉強させるというのは、他律的なやり方ですが、こういうふうに言って自覚を促す方法もあるわけです。前に九州地区の某有名私大に行った生徒が遊びに来て、試験でのカンニングの横行(その大部分が昔はなかった指定校推薦で入った連中だというのだから呆れた話です)に憤っていましたが、そういう下劣なことをするのは昔の不良の見地からすれば名折れもいいとこで、最低限の勉強だけして実力で単位をかすめ取るところに不良たるものの芸とプライドがあったので、他に大学の単位とは無関係なことをたくさん勉強しているから、ふつうの学生より学びの幅は広いと自惚れることもできたのです。

 そう考えれば、「入るのは大変だが、卒業は容易」な従来の日本の大学が悪かったとはいちがいに言えない。彼らには試験で測定されなかった「見えない学力」が豊かにあったのだと言えば、自己正当化も甚だしいと叱られるかもしれませんが、それだと学生は勝手にやるから、大学の先生たちも手間がかからず、自分の研究に使う時間的、エネルギー的ゆとりももてるようになるわけです。「休講したら必ず補講は行わなければならない」なんて、他律の最たるものである受験勉強(公務員試験もその一つです)しか能がなかった文科省の官僚たちが言って、管理教育に慣れ過ぎた学生がそれに追随しているだけの話でしょう。

 理系でも、アインシュタインなどは、教授に渡された実験の指示メモを丸めてゴミ箱に捨て、喫茶店に行って「思考実験」と称してひとり思索にふけっていたりしたのです。それで、先生たちの受けが悪かったので就職も世話してもらえない羽目に陥ったのですが、上からの指示に忠実に従うだけの真面目な秀才なら、当時の物理学常識をひっくり返すような発見はできなかったでしょう。

 学問や教育というのはそういうものです。管理が行き過ぎるのはマイナスにしかならない。形式的なことにばかりこだわって、生きた人間がどういうものであるかを、今の教育関係者は忘れてしまっているのではないでしょうか。それではすぐれた研究者も、有用な社会的人材も育たず、「日本のたそがれ」は深まるばかりになりかねないのです。当然、日本の大学の世界的地位も上がることはない。これは隠れた問題点の一つかもしれません。

 尚、最後に一点付け加えておくと、中国や韓国は受験競争の激化と低年齢化が日本より甚だしく、そのあたり今の日本の子供は…という論調も一部に見られますが、僕はそういうのは馬鹿げた話だと思っています。皆が横並びで一斉に競争するのは東アジア的稲作文化の特徴で、それは不毛な消耗戦になりがちだからです。そうした詰め込み暗記競争を勝ち抜いただけの受験秀才がクリエイティブな人材になるとは思えないので、そういうつまらないことで張り合っても意味がないということだけは、ちゃんと認識しておいた方がいいのではありませんか。


祝子川通信 Hourigawa Tsushin


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蓮は泥の上に咲くと言うけれど…

2020.09.08(17:01) 752

 最近は故事成語の類を知らない人が多いので、まず先にこの言葉の説明から入ると、「泥中の蓮」という言葉があって、グーグルで検索すると、一番上に次のものが出てきます。

「泥中の蓮」の意味とは?仏教にまつわる由来や使い方・英語を解説

「泥中の蓮」は「いくら汚れた環境に身を置いていても、その汚さに染まらず、清く生きること」という意味を持ちます。つまり、蓮のように「煩悩の汚れの中でも決して染まらず、清らかで純真な心や姿を保っている人」をたとえる言葉です。

 また、言い方を変えれば「潔白な人は悪い環境にいても悪に汚されない」という意味にもなるでしょう。

 蓮はドロドロとした泥の中に生息する植物ですが、ピンク色の美しい花を見事に咲かせます。また、汚い泥の中でも豪華に輝く花としても有名で、そのような凛とした姿を素晴らしいと称えることわざでもあります。


 ということなのですが、これは人間の側からするいくらか勝手な解釈で、蓮は泥の池や沼に咲き、泥と水を養分として成長するのですが、泥そのものが「汚い」わけでは本来ありません。げんに子供は泥遊びを好むので、僕も小さい頃、田んぼや池、沼の泥の中で何時間も遊んだことがありますが、あれは不思議な感じがするもので、少しも汚いとは感じなかったのです(本当に「汚い」ところは本能的にわかるので、足を踏み入れなかった)。それが人間の文明の副産物たる重金属や有害な化学物質で深刻に汚染されていた場合、そこには鯉やドジョウなども住めず、蓮も育たないでしょう。だからこれは人間の「偏見」を利用した格言にすぎないのですが、とにかく上記のような比喩として用いられるのです。

 厳密に言うと、もしも泥が本当に汚染されていると、生き残った魚は奇形になるとか、仮に育つ植物があったとしても、それは食用や観賞には適さないものでしかないでしょう。廃棄物の不法投棄などで汚染された沼や池は、周囲の生態系を破壊する恐るべきものにしかならないのです。

 さて、僕がこういう話を思い出したのは、次の記事を読んでいたときです。

菅義偉氏“安倍官邸乗っ取り”の全内幕 二階幹事長と急接近

 森功氏は信用の置けるノンフィクション・ライターだと僕は思っています。こういうのは多数の「伝聞」を含む上、情報提供者の解釈も入っているので、それがどこまでその通りだったかはわからないとしても、「さもありなん」という感じで、かなり信憑性は高そうです(文中、一つ脱字があります。「渡り船」は「渡りに船」のミス)。

 すでに首相の椅子を約束された政権ナンバー2とアテ馬の候補者を連日テレビに出演させ、マスコミが一所懸命総裁レースを盛りあげる――。目の前で展開されている自民党総裁選のバカ騒ぎをひと言で表わせば、そうなるだろうか。

「安倍政権の継続に雪崩を打った」とか、「ダークホースが大本命になった」とか、いろいろ言われているが、選挙前から官房長官の菅義偉の総裁就任が決まっている。ただし、新聞やテレビが騒いでいるように、それは安倍晋三が8月28日に辞任会見したあとに決まった流れではない。


 むしろそう見た方が自然ですが、興味深いのはここに描かれた二階幹事長の動きです。彼は典型的な利権政治家で、政治的な理念などというものはないに等しく、いわゆる「政局」を見て、自分が有利な立場になるよう機敏に立ち回る。フィクサーとしての役回りと「彼に逆らうとどんな目に遭わされるかわからない」という恐怖心を利用して、長く権力を維持してきた男です。上のたとえで言えば、「重金属をたっぷり含む沼」みたいな人間です。彼に献金する企業や団体にとっては、「献金や支援に見合った見返り」が必ず得られる頼もしいポリティシャンでしょう。それが社会的公正を歪めることになっても、そんなことは気にしない。むしろ、それを歪められる自分の権力に酔っている、それが「政治家としての実力」を示すものだと思っている、戦前から続く二流の保守政治家の系譜に入る人間です。親分・子分の関係を重視し、逆らうとどんな目に遭うかわからないが、忠誠を誓った子分の面倒見はすこぶるいい。そのあたり、暴力団の組長と同じようなメンタリティの持主でもあります。その倫理観も独特で、権力の変動によってつく相手がコロコロ変わっても、それは政局によるものなので、裏切りだとは思わない。権力をもつ側が善で、それを失ったり、得損なったりするのはその人間が間抜けだからで、自業自得と考えているのです。

 そういう理解を前提としてこの記事を読めば、いかにも二階俊博のやりそうなことだと納得されるでしょう。彼は幹事長という役職をとにかく手放したくない。今の政局でそれを死守するためには何が必要かということで動いた結果がこれなのです。石破への接近も、菅の支援に回ったのも、彼がいつもやっている「自己都合」の政局対応にすぎなかったのです。間抜けな岸田なんか喧嘩相手にもならない。この記事によれば、

 もとはといえば、首相の腹積もりが自民党政務調査会長の岸田文雄への政権禅譲だったのは、よく知られている。ところが、いつのまにか首相官邸は岸田から菅に乗り換えた。とりわけ安倍の心変わりとして挙げられる原因が、コロナ禍の景気対策「所得制限付き世帯向けの30万円の定額給付金」だ。安倍は、次の首相候補である岸田にハク付けしようと30万円の給付政策を発表させた。にもかかわらず党幹事長の二階俊博が撤回を迫り「全国民の10万円一律給付金」に落ち着いた。これは岸田の調整力の欠如が招いた結果だ、と官邸内の評価が下がり、安倍が岸田に見切りをつけたとされる。

 しかし、実態はそうではない。30万円の定額給付金は、経産省出身の今井尚哉首相補佐官を中心に財務省の太田充事務次官らで独自に打ち出した政策である。1人世帯でも5人世帯でも同じ30万円の給付、というあまりにわかりにくい制度だ。そして公明党やその支持母体である創価学会からの批判が殺到する。

 つまり30万円の給付は経産出身の官邸官僚が立案し、首相自身が彼らに任せた政策なのである。したがって本来、そこに不満が出たら、創価学会との太いパイプを自任する官房長官の菅や党幹事長の二階が抑え込む役割を担う。

 だが、その二階が逆に官邸にねじ込んだ。挙げ句、政策撤回を岸田のせいにしてしまったのである。なぜそんな事態になったのか。別の官邸関係者が解説してくれた。

「もともと岸田さんはこの秋の人事で幹事長になるつもりで、次の総理総裁を目指してきた。一方、二階さんは幹事長ポストを死守したい。で、この際、公明側の立場に立ち、岸田を追い落とそうとしたのでしょう」


 僕もあのとき、二階が突然あんなことを言い出したのは不思議でした。これを読んで謎が解けた。それにしても、岸田文雄というのはほんとに情けない政治家です。30万円の定額給付金は元々官邸官僚の案だった。それを、「安倍は、次の首相候補である岸田にハク付けしようと30万円の給付政策を発表させた」のに、恐ろしく不評だったために、逆効果になった。公明は創価学会員だけでなく世論の後押しもあって撤回を申し入れ、二階もなだめるどころかそれに乗った。それで「全員一律10万円給付」に切り替えられ、岸田の面目は丸潰れになった。元々官邸案だったのなら、官邸から発表すればよかったのに、「文雄ちゃん、これで点数稼いで」と言われて、彼は嬉々としてそれに乗ってしまい、世間では「岸田案」のように思ったので、撤回になったときはダメージが大きかったのです。

 他力本願で政権に就こうとした岸田は、これは前回記事でも触れたことですが、昨年7月の参院選でも大失態を演じた。自派のベテラン議員、溝手顕正を落選させてしまい、その後公職選挙法違反で逮捕された河井案里の方が当選したのです。安倍はかつて「もう過去の人」と溝手に言われたのを恨んでいたと言われますが、菅官房長官はこれを「岸田潰し」の好機と見ていたとも言われ、表向きは「自民二議席独占」の目標を掲げていたが、ホンネは「自民の議席を溝手から案里に変える」ことだった疑いが濃厚です。だから、自民党本部から支給された選挙資金は河井が破格の1億5千万、溝手はその十分の一の1500万ということになり、菅や二階は公明党票が河井案里に流れるよう画策もした。こうしたことに岸田は何も文句が言えなかっただけでなく、選挙戦終盤には「次期首相」と安倍におだてられるまま、案里の応援演説までやってしまい、溝手は前回票を半分に減らして落選、オヤブンとしての無能ぶりを天下にさらしたのです。

 こういうのは全部、彼が安倍からの政権禅譲を期待して迎合・追従に終始したところから来ているので、昇進を上司からの引き立てに頼るおべっかサラリーマンと同じです。彼は優しい人なのでしょうが、状況の認識能力に乏しく、部下も守れないことがはっきりしてしまった。政治理念や政策がどうのこうのという以前の問題で、反対や抵抗を押し切ってそれを実現する胆力などおよそありそうもない。さっきのたとえでいえば、「泥の中に咲く」どころか、泥に呑み込まれてその養分にされて終わってしまいそうなタイプです。悪によく通じた知恵のある側近も、彼にはいないのでしょう。

 このあたり二階とは好対照で、二階の方は石破を担ぐそぶりで安倍を脅したり、菅と官邸官僚との確執を利用して、菅と組んだり、それもこれも「国家の行く末」ではなく、自己の権力温存を狙ってのものですが、狡猾に立ち回ったのです。石破を総理にするのが得策と判断していれば、彼はそう動いていたでしょう。相場師と同じで、それが途中で「菅で行くのが一番堅い」と思い定めたのです。そうすると、今度は一時は秋波を送っていた石破をどう阻止するかという問題になって、それには党員票の比重を減らせばすむということになり、「私としても残念ですが」などと心にもないことを言いながら、「両院議員総会と都道府県の党代表による緊急選挙にすればいい」ということで、そうなり、飴玉を見せられて「二階の支持」が得られそうだと思った石破は肘鉄を食らうかたちになったのです。

 こうした自民の権力闘争のありようは「泥沼」そのものです。二階や菅、官邸官僚たちはその泥沼に巣食う魑魅魍魎の類で、岸田や石破はそれにいいようにしてやられたのです。とても彼らが太刀打ちできるような状況・相手ではない。河野太郎があっさり引いたのは、そのあたりよく観察しているからでしょう。

 それで問題は、「庶民性」をさかんにアピールして、世論調査でもトップになった菅義偉ですが、彼は「泥中の蓮」になれるのか? 汚染された泥の中の怪異な植物が蓮に果たして変貌することがあるのでしょうか? 絶対にない、とは言い切れないと思いますが、かなり疑わしいのは確かでしょう。次のアエラの憲法学者へのインタビューは、結論は「すんなり菅総理に決まるとはかぎらない」で、僕は「すんなり」決まってしまうだろうと読んでいますが、安倍政権がどういう性質の権力だったか、そのおさらいと、その中で番頭としてうまく立ち回ってきた「政治家・菅」の今後を占う上では大いに参考になりそうな記事です。

菅首相”なら安倍政権以上に「メディア対策が徹底的におこなわれる」と憲法学者

「『病気の人を批判するな』というのは、『公』のトップである内閣総理大臣には成り立たない」というのはそのとおりでしょう。しかし、「日本式国民情緒法」が支配する世界では一気に支持率が上がるといった珍現象が起こるのです。そしてそれがそのまま「菅支持」につながる。これまでの数々の疑惑、コロナ対応の不手際はどこかに消し飛んでしまったのです。

――長期政権では、さまざまな汚職疑惑がありました。それでも安倍政権が選挙に勝ち続けてきた要因はなんでしょうか。

 得票率からすれば一度も勝っていない。野党に負けなかっただけです。安倍政権には5つの統治手法があります。

 1つ目は「情報隠し」。政権内部の「不都合な真実」は決して表に出さない。野党やマスコミから迫られると、文書の改ざんまでやる。

 2つ目は「争点ぼかし」、3つ目は「論点ずらし」です。集団的自衛権の行使を可能にする安全保障関連法で批判を浴びると、「消費税増税の先送りの是非について国民の信を問う」として衆議院を解散した。選挙の争点は完全に見えなくなりました。17年には森友・加計学園問題で追及されると、今度は北朝鮮のミサイル問題や少子高齢化を理由に「国難突破解散」と銘打って選挙を行った。争点なき選挙で記録的な低投票率をつくりだす。国会で野党に追及されると、まったく別の問題を持ち出して論点をずらしていく。「ごはん論法」もその一つです。今回の辞任も、コロナ対策の失敗や河井夫妻の公職選挙法違反の責任を追及されるべきところを、「病気」によって論点をすりかえたのです。

 4つ目は「友だち重視」。法制局長官やNHK会長などの重要ポストにお友だちをつけ、加計学園監事の弁護士を最高裁判事にする。あげくに官邸に都合よく動いた黒川氏を、定年延長してまで検事総長に据えようとした。コロナ対策の持続化給付金のトンネル団体にしても、「アベノマスク」の委託先にしても、安倍政権の政策を突き詰めていくと必ず自分の親しい仲間や金が絡んでいます。「Go To トラベル」を強行したのも、全国旅行業協会の会長である二階俊博幹事長らに数千万円もの献金が渡されているから。「構造的な汚職」といってもいい。

 最後の5つ目は「異論つぶし」。安倍首相はこれまで自分と違う意見の人を徹底的に潰してきました。その最たる例が先に述べた「溝手つぶし」です。総裁選で言えば、出馬を表明している石破茂氏が、森友学園をめぐる文書改ざん問題で自殺した財務省職員の手記が新たに出てきたことに対し、「調査が必要か白紙で検討したい」と述べてしまった。再調査を否定してきた安倍首相にしてみれば、石破氏が総裁になっては都合が悪いのです。だから自民党は、地方票に強い石破氏には不利な党員・党友による投票を省略した形式での投票に固執している。

 なぜここまで長期政権を築けたのか。それは、これら5つの統治手法を支える「前提崩し」が成功してきたからです。国の最高法規で、ルールの中のルールである憲法を蔑視し、「集団的自衛権行使は違憲」という政府の憲法解釈を閣議決定で強引に変更する。党運営の基本である党則の80条4項(総裁は連続2期まで)を、安倍首相は自分のために「3期まで」に変更した。国民からの支持率が高かった小泉純一郎首相(当時)でさえ、「人気があっても任期で辞める」という大原則をしっかり守ったというのにです。


 うーん。忘れかけていたが、言われてみればたしかに全部当たってるよな、と思いませんか? 僕はこの前「安倍晋三の強運」について書きましたが、それにはこうした数々のペテンも関係していたのです。菅や二階は、むろん、こうしたペテンにじかに関与してきた。麻生もそうですが、今回の「菅後継総理」の立役者たちは、安倍政権の暗部を象徴する人物ばかりなのです。利権政治と情報隠蔽、メディア・コントロールの中心人物たち。支持率低下の中、安倍政権は打つ手なしの窮状にあったのですが、「持病悪化のため辞めざるを得ない」という辞任会見が奇蹟のように作用し、去りかけていたネトウヨたちも戻ってきて、かつてと同じようにアンチ安倍を見つけると罵倒を浴びせかける、という構図が復活したのです。むろん、彼らは熱烈な菅支持派で、全体の絵図を描いたのが彼らが嫌う親中派の二階だということは忘れている。「かんたんでいいなあ」と黒幕たちはほくそ笑んでいるでしょう。

 問題は、汚染された泥の中から出てきた菅義偉という人物が、今まではやむなく不正の片棒を担いでいただけで、本当は心ばえすぐれた人物で、蓮のように見事な花を咲かせるのか、それともこれは汚染に適応した奇形植物で、それが開花したときに現われるのはグロテスクな見るに堪えない花でしかないのか、ということです。どちらなのか、僕らはいずれそれを知ることになるでしょう。前者であればいいが、とは思いますが、僕個人としてはあんまりそういう期待はしない方がよさそうに思います。


祝子川通信 Hourigawa Tsushin


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台風一過

2020.09.07(12:30) 751

 今回の台風10号は超大型だというので早くから騒がれ、直近でも「特別警報」級扱いは変わりませんでしたが、風はかなり強かったものの、さしたる被害なくすんだのは幸いでした(僕がいるのは延岡ですが、朝の七時前には雨戸を戻した)。雨量も途中から台風のスピードが上がったおかげで、大したことがなくて済んだのです。九年前の紀伊半島豪雨のときなど、台風そのものは四国に上陸したのですが、動きが異様に遅かったために紀伊半島中心に豪雨が長期間続き、六日間の雨量が2000ミリに達するなどという「ありえない」ことが起きてしまい、洪水のみならず、山の深層崩壊という現象まで起きて、それが川を塞いで天然ダムが複数できた。今回は上陸せずに九州の西側をかすめるという「最悪のコース」(台風は東側で風雨が最も強くなるため)をとったので、どうなることやらと心配されましたが、この程度で済んだのは幸運でした。

 ニュースでは全く取り上げられませんでしたが、気象衛星の雲の様子を見ると、朝鮮半島に早い段階から雲がかかりっぱなしで、台風はそのままそちらに進んだので、ふだん台風が来ることは少ない韓国や北朝鮮は、8、9、10号と三連発を食らったわけです。NHKのニュースでは、金正恩が「思いやり深い君主」を演出すべく「特別警戒」を指示しているというニュースがちょこっと出ていましたが、先に大雨と洪水で農作物に壊滅的な被害が出たという記事もあったので、アメリカ軍の情報によれば目下、潜水艦から発車するミサイル実験の準備を進めているそうですが、そんな余計なことしている場合ではないでしょう。経済援助の見返りに「核凍結」を約束しても、そういうのは平気で反故にする国なので扱いに困るが、また餓死者が大量に出るのではないかと、北朝鮮の庶民には同情せざるを得ません。うまくあの世襲独裁体制を潰して、ましな政治体制に移行させる方法はないものでしょうか? 今の韓国の文在寅政権では北朝鮮の現行体制の温存・強化に貢献するだけなので、難儀なことです。民間もそのムードに便乗して『愛の不時着』なんて荒唐無稽な「脳内お花畑作品」を作って悦に入っている始末だし、先が思いやられるのです(日本でもあれは『冬ソナ』以来の大ヒットになったそうですが…)。

 話を台風に戻して、僕はふだんテレビそのものをほとんど全く見ないのに、なぜ「皆様のNHK」に高い視聴料を強制徴収されなければならないのか理解できないのですが、昨日は直近の台風情報を知るのに割とNHKをよく見て、それを見ながら思ったのですが、あの小学生か幼稚園児に言い聞かせているような口調は何なのでしょうか? 「高潮や氾濫の危険があるので、海岸や川に近寄るのは危険です」とか、「風が強くなってから、または夜になってから避難しようと外に出るのは危険です」とか、そういうことが危険なのはわかりきったことなのだから、視聴者を低能扱いしているとしか思えない。「命を守るために今すぐ行動して下さい」なんていうのも、状況を知れば、それが必要かどうかぐらいは自分で判断できそうなものです。今は、しかし、こういうふうにしないと、後で「注意喚起が足りなかった!」なんて非難されるのでしょうか? 中継アナウンサーの「危険を避けるためビル三階の室内から、窓からも離れてお伝えしています。外では木々が激しく揺れています(あの程度なら「激しく」というほどではないように見える)。今こうしていても恐怖を感じるほどです」なんていうのも笑えるので、そういうどうでもいいことばかり多くて、必要な情報はほとんどないのだから、いちいちそんな中継なんかしなくていい。台風の勢力やスピード、現在位置や今後の進路、今現在雨雲の分布がどうなっていて、それが今後どう変化しそうか、そういったコア部分の詳しい解説より、いらざる中継、能書きの方がはるかに多くて、「視聴料泥棒」の面目躍如という感じです。

 今の日本はこういうのだから民度も低くて、安倍首相辞任会見で「病気なのに頑張っていたのか!」というので、支持率が一気に上がってこれまでの政策評価まで一変したり、次期首相が確実視されている菅官房長官については、その不透明な選出過程はどこへやら、「秋田の貧しいイチゴ農家出身で、上京してダンボール製造工場で働き、その後苦学して私学の夜間部を卒業」なんて“美談”ばかりが流され、いつのまにか「庶民の味方」であるかのようなイメージ形成が行われ、彼が安倍政権の番頭として不祥事隠蔽やもみ消しに奔走してきたこと、黒川検事長定年延長問題や、日本版カジノ推進、評判の悪いGo To トラベル前倒し実施の主犯であったことなどは、きれいに忘れられるのです。例のお粗末な公職選挙法違反で逮捕された河井案里の件にしても、通常の十倍に当たる1億5千万の選挙資金を与えられたのは、河井議員夫妻が安倍のみならず管のお気に入りだったからで、ロクな子分がいなかったりするのですが、そういうことには全く触れられない(ちなみに岸田文雄はこの件で思いきり「男を下げた」。自派の現職・溝手議員が落選したからですが、安倍からの政権禅譲を期待する彼は、安倍と一緒に案里の選挙応援に駆けつけたりしていたのです。地元自派の議員が落選しかねないのに、無節操にもほどがあると言われましたが、それでも溝手は落選しない――自民二人が議席を独占できる――と思っていたのだとすれば、よほど読みが甘いので、どういう見方をしても浅はかとしか思えない。これにかぎらず、彼は安倍におべんちゃらを重ねて「かんじんなときに筋を通せず、必ず判断を誤る」ダメ男の評価を確立し、昔はあった一般人気も台無しにしたのです。彼が安倍に気に入られたのも、与しやすく、自分が首相の座を去ってもその恩義につけ込んでたやすく操れる男と見ていたからでしょう)。

 話が脱線しましたが、台風報道一つ取っても、いかにテレビが本質的な情報は少ない低レベルのメディアであるかがよくわかるので、政治報道なども同じような性質の「いらない話」ばかりが多くなって、センチメンタルな印象操作でどうにでもなる「民意」の形成に寄与することになっているのでしょう。イメージ操作にたやすく踊らされる「国民情緒法」の韓国を笑えない。あらためてそう思った次第です。


祝子川通信 Hourigawa Tsushin


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政治家・安倍晋三の強運と凶運

2020.09.04(17:51) 750

 安倍晋三ほど運のよかった政治家も珍しいと僕は思っています。第一次政権はああいうかたちでミソをつけて、ふつうはあれでアウトですが、ネトウヨの熱い支持、とくにあの極右愛国政治団体、日本会議のお眼鏡にかなう政治家は彼しかいなかったために、その巧妙な「草の根」を装った支援運動などもあって、「奇蹟の復活」を遂げた。その前に民主党政権ができて、狙ったようにあの東北大震災と福島第一原発メルトダウン事故が起きて、原発推進は元々自民党政権下で進められてきたものですが、それによる大惨事はよりにもよって自民が下野しているときに起きたのです。おかげで民主党政権は右往左往しましたが、あれよりははるかに深刻さにおいては小さいコロナ問題への対応ですらこの有様なのだから、安倍政権が当事者だったらまともな対応がほとんどできず、酷評されて終わりだったのではないかと思います。しかし、うまい具合にそれが好都合な「敵失」になった。

 アベノミクスについては識者が色々な評価をしていて、たとえば、次のようなものがあります。外国人の書いたものの方が論理的に明快で、かえってわかりやすい。

数字で見ると明らか「アベノミクス」残念な実績

 これは、下に興味深いコメントがいくつも出ているからあえてヤフーのニュースサイトのものを引っ張ってきたのですが、おおむねその通りだろうと思います(注目すべきは、これが「コロナ以前」に焦点を当てていることで、「コロナで悪くなった」という言い訳を通用しなくしていることです)。結論としては、「財政赤字の拡大にだけは貢献した」ということのようですが、見かけ上よくなったように見えたものも、たとえば「リーマンショック後の回復過程」が重なるなど、彼は運がよかったのです。大学生の就職率アップなども同じで、アベノミクスがどうのというより、時期的に団塊世代の大量退職による人手不足に助けられた側面が大いにある。株は、公的資金をつぎ込んだああいう露骨な「官製相場」なら上がるのはあたりまえの話。それは経済実勢の反映ではない。また円安誘導で、輸出大企業には大きな助けになったものの、原料輸入費が高くなって、食品を中心に値上がりが続いた。こういうのは庶民には一番痛いのですが、そういうことにもかかわらず、「インフレ2%目標」が達成できなかったのは、全体にビンボーな人が増えたため消費が鈍化したからです(全体の実質賃金が下がっただけでなく、勤務先がどこかによって、また非正規の増加によって、労働者間の格差がさらに広がることにもなった)。下々の暮らし向きは円高の民主党政権時代の方が楽だったのです。

 しかし、こういう経済金融政策は広い支持を取り付けるためのもので、安倍ネトウヨ政権の真の狙いは憲法改正や、愛国主義的教育や国民統制の強化にあった(だからこそ日本会議は安倍を必死に推し立てようとした)。ひとくちにいえば、翼賛体制をつくって、全体主義的な方向に持ってゆくことだったのですが、これも北朝鮮のミサイル発射や、韓国の病的なまでの「反日」攻勢、尖閣問題のこじれなど、追い風がたくさん吹いた。解釈変更による集団自衛権肯定への転換とか、書くのも面倒なくらいあれこれあったのですが、本丸の憲法改正までは世論の反対があって進めなかった。周辺の国際情勢の変化から、憲法改正に賛成する人は今も増えていますが、あの自民党の改憲草案やアベ案が甚だしく没論理の不出来なもの(日本語としてもひどい、と前に書いたことがありますが)で、支持を得られるようなものでは到底なかったから、支持が広がらなかったのです(そのあたりをよく見ない論評が多いのは僕には不思議に思われるのですが)。

 それで結局、似たような「反知性主義」のトランプに滅法好かれたという他は、「功績」がはっきりせず、「忖度政治」を行き渡らせて行政機構を腐らせ、政治家もイエスマンの取り巻きばかり集めて、社会全体のモラル・ハザードを招いたというだけだったような気がするのですが、とにかく長続きはした。しかし、次の記事は言い得て妙だと思いましたが、「忖度してくれないコロナ」が出現して、他国ではほとんどの政権が「危機を前にしたときの団結心理」で支持率を上げたのに、「あんた、何やってるの?」というピンボケの対応ばかり繰り返し、思いきり支持率を下げる羽目になったのです。

安倍首相「忖度しないコロナ」には無力だった

 数々の難局に対して批判に正面から答えず、国会での答弁拒否や文書改ざんで乗り切ってきた政権だが、ウイルスには無力だったといえる。

 これがすべてを物語っているように僕には思えるので、あたりまえですが、その「手法」はコロナには通用しなかったのです。彼が重用してきた「官邸官僚」たちの独善性、無能さも同時に露わになった。この記事にもあるように、「中央省庁の幹部人事を一元管理する『内閣人事局』を発足させ、人事を官僚主導から政治主導に変え」、それによって「官僚が官邸に抵抗しにくいシステムを築き上げた」のですが、結局はそれがコロナのときに命取りになった。それが寵愛を受ける一部の官邸官僚の壟断を招き、かえって広い意見収集や効果的な対応ができなくなったからです。次の指摘もその通りです。

 仕上げはメディアへの圧力だ。気に入らない報道には抗議するなどのほか、批判的なテレビ局には出演しない。首相の会見でも事前に質問を通告するよう求めるなど、制約が課せられた。やがてメディア側にも、官邸の意向を斟酌(しんしゃく)しなければ仕事がやりにくいという空気が育まれていった。これで忖度政治の完成だ。次第に批判は封じ込められ、政治は民意とはかけ離れたものになっていく。

 その程度の圧力にも抵抗できないメディアのフヌケぶりは批判されてしかるべきですが、これほど露骨なマスコミへの「恫喝対応」を取った政権も珍しいのは確かで、こうしたメディア・コントロールは政権批判の封殺に大きな効果を上げたのです。

 コロナ対応のぶざまさについては上の記事の先を読んでいただければいいのですが、そんな中、支持率は危険水域まで下がり、上げる方策が見つからなくなっていた。完全に「詰んで」しまったのです。持病の潰瘍性大腸炎の悪化は、それによって国民の同情を集めることができるので、恰好の辞める口実になったと言ってもいいでしょう。事実、辞任発表の会見後、「病気で大変なのに、頑張ってたんだな」ということで、この手の話に弱い善良な日本国民は「感動」して、内閣支持率は劇的なまでに急上昇したのです。もしもこれがなければ、アベノミクスの化けの皮もはがれてきたし、中国習近平への媚売り対応などでネトウヨの支持もなくなりかけていた矢先、「結局この政権は今まで何をやってきたんだ!」というのでボロクソ言われることになって、絶不評のうちに退陣、次の総選挙では「弱い野党」という追い風にもかかわらず、大幅に議席を減らす、という流れになっていたでしょう。そこを彼はいわば「持病に救われた」のです。情勢はおかげで一変した。

 その意味でも、安倍晋三という政治家は運がいい。自分の持病まで味方につけることができたのです。しかし、次の記事を読んで、僕はあることを思わざるを得ませんでした。

安倍首相「家庭内別居」状態 夫婦間の会話はほとんどなし

 見た感じ、週刊誌によくあるゴシップ記事のようですが、これは「ファースト・レディ」ならぬ「ワースト・レディ」と呼ばれるあのアッキーとの関係についての記事で、安倍晋三氏にとってこの昭恵夫人は韓流ドラマなどによく出てくる「運命の人」だったそうですが、蓼食う虫も好き好きとはいえ、これは彼がもった「もう一つの運」を象徴しているように思えるのです。

「総理の健康悪化の原因は『激務による疲れとストレス』といわれてきましたが、その原因の何割かは家庭内、特に昭恵夫人の行動にあったことは間違いありません」

 というのは、おそらく本当でしょう。

 昭恵さんはこれまで、大麻解禁論、森友問題、桜を見る会、緊急事態宣言下での九州・大分旅行など実に多くのトラブルを起こしてきた。

「総理が“俺が言っても(昭恵は)聞かない”とこぼした際に、側近の秘書官らが“いい加減にしてください!”と詰め寄ったという話がありました。総理は“昭恵は自分が総理になったつもりで、何をしても許されると思っている”と漏らすこともあった。実際、総理は昭恵さんが外で何をしているのか把握できていなかったのでしょう。

 いかんせん夫婦間に会話がないので、火種に気づけない。いまはトラブルがあった後ですらふたりで話をすることはなく、間に官邸スタッフが入ってコミュニケーションを取るほどです」(前出・別の官邸関係者)


 こういうのが必ずしも根も葉もない噂話だと思えないのは、これまで安倍総理が「妻の行動を把握しておらず、後でその尻拭いのための苦しまぐれ答弁に追い込まれる」様子が再三観察されてきたからです。「運命の人」だから離れがたいのかもしれませんが、これはあんまりな話です。彼女は別に美人というわけではないし、何であんなのに惚れたのか、第三者には理解が困難ですが、安倍晋三の「隠れた凶運」はまさにここにあったと見るべきでしょう。世間一般でも、あそこまでの○○はめったにいない。

 悲劇的だったのは、あの森友事件です。「私や妻が関与していたとなると、総理も国会議員も辞める」と啖呵を切って、少なくとも妻のアッキーが直接「関与」していたのは明々白々だったので、ふつうならあれで辞職していますが、そうはならなかった。これはそれ自体が日本政治の劣化を象徴する出来事ですが、もしもそうなっていれば、安倍夫妻には癒しがたい亀裂が入って離婚することになったはずです。妻が夫の政治生命を奪ったに等しいわけですから。しかし、彼は妻と自分を守るべく頑なに否認を続け、忖度官僚たちに虚偽答弁や公文書偽造指示といった犯罪を働かせ、それを強引に乗り切ってしまった。僕がこれを「悲劇的」と言うのは、近畿財務局の赤木俊夫さんが公僕としての誇りをかけて、それに抗議する遺書を残して自殺したからです。結局、安倍晋三は卑劣極まりない対応を取って逃げ切り、自分の政権と家庭を守ったが、その代償に、別の家庭の幸福を完全に破壊してしまったのです。むろん、善良な赤木さん夫婦には何の落ち度もなかった。

 籠池氏の極右愛国思想と教育勅語教育に入れ込むということ自体、「スピリチュアル右翼」アッキーのオツムの程度を明確に示していますが、そのアッキーの話を聞いて、夫の安倍晋三も最初は「感激」していたというのだから、これはその程度の人間が総理大臣になる国なのかと、僕は当時呆れました。それはともかく、夫の方はあの国有地の破格払い下げが明白な違法であることはよく承知していたはずで、妻の行動をよく把握していれば、事前にストップをかけていたでしょう。しかし、ジャンヌ・ダルク並に「神の声」が聞えると思い込んでいる「善意の人」アッキーは、夫に相談もしないまま、職権乱用以外の何ものでもない行動に突っ走り、夫が強化した韓国並の「情実忖度行政」路線に乗って、それを「実現」してしまったのです(その用地取得が取り消され、籠池夫妻が逮捕されたのは後の話です)。その陰に、何度も違法な文書改竄や削除を指示されて参ってしまった赤木俊夫さんのような誠実な人がいた。公僕としての誇りと倫理観をズタズタにされた赤木さんはほとんど憤死のようなかたちで自死した。総理夫人の常識では考えられない非常識さと独善性、軽さが真面目な公務員の死を、そしてその家族の幸福の破壊をもたらしたのです。

 他にも総理夫人の地位を利用して不公正なことを「善意で」後押しするということをいくつもやったようですが、アッキーの「善意」というのはとどのつまり、彼女の病的な自己愛、コンプレックスや自己肯定感の乏しさを補償するために「人の役に立つ人間」だと思えるようにしたいという利己的な願望の産物でしかないと僕は思いますが、森友事件では、それがとんでもない悲劇をもたらしたのです。何とかに刃物ならぬ、「アッキーに権力」だったのです。

 むろん、彼女にそんな因果関係はまるで見えていないので、赤木さん自殺の報道があった当日も、アッキーは呑気にパーティなどに出かけ、それを気にした様子がゼロなのに周りの人たちは驚かされたそうですが、そこまで行くと薄気味が悪くなる。誰であっても、こういう女房をもちたいとは思わないでしょう。しかし、安倍晋三氏の場合、それをもってしまったのです。そういうのに惚れるとは、凶運以外の何ものでもない。

 赤木さんの奥さんは今訴訟を起こしているので、アッキーは法廷に呼ばれて裁きを受けるべきだと思いますが、次期菅政権はむろん、これを断固阻止しようとするでしょう。それというのも、

「ポスト安倍」への期待を問う世論調査では、首相批判を繰り返す石破茂元幹事長がほかを大きく引き離しトップを走っていた。石破氏は、森友・加計学園の問題や財務省による公文書改ざんの再調査にも言及。菅氏の周辺は「後継候補として重要なのは、そういう問題をほじくり返さない人だ」と語っていた(朝日新聞 9.3 記事より)

 からです。安倍総理が支持率を一気に上げるうまいやり方で身を引き、菅官房長官に後を譲った以上、安倍政権時代の「森友・加計学園の問題や財務省による公文書改ざん」などの「問題をはじくり返さない」のが何より重要なことだからです。自民党ムラの論理からすれば、そんなことをするのは「信義にもとる」ことなのです。社会正義の要請とそれが矛盾しても、彼らはそんなことは気にしない。「些末なことで騒ぎ立てるのは政治の本質を見誤った行為だ」などとしたり顔で講釈して下さる評論家やコメンテーターの先生もたくさん出てくるでしょう。何はともあれ、コロナであり、経済なので、他のことはどうでもよろしいのです。まあ、安倍政権は経済方面の指標やデータでも、インチキはしていたのですが、韓国の文政権などよりはまだ控えめでマシだということで、それも大目に見られるでしょう。

 しかし、愚かな総理夫人の無責任な軽挙妄動が誠実な公務員を殺し、その家庭を破壊したという事実は残る。それは「解釈の問題」ではないからです。安倍夫妻はその十字架を背負って生きていかなければならない。彼らはそれを全然気にしないでいることができるのでしょうか? 自分たち夫婦は権力に守られて無事だった。しかし、その権力によって不正行為を強いられた一介の公務員は、そしてその家族の運命は、悲劇的なものとなったのです。

 法廷の裁きをきちんと受けた方がアッキーその人にとっても為になることではないかと僕は思いますが、こういうのは小学生がオトナの目を盗んで車を運転して人をはねて死なせてしまったようなもので、実質的な責任能力が幼稚なアッキーにはないのだと考える人がかなりいるかもしれません。その場合、オトナの、このケースでいえば「保護者」であり夫でもある安倍晋三の「管理責任」が問われることになるわけです。しかし、「平気で嘘をつく」と言われてきた彼にもそんな責任能力はないのではないか? だとすれば、国家の舵取りをそういう人間に委ねていたということで、今度は国民の責任になる。

 彼ら夫婦の関係が今後どうなるのか、それは僕の関知するところではありませんが、おそろしく安易・無責任なことをやらかし、それが国の最高権力者の妻であったがために法的な何の処罰も受けることなく通ってしまって、その副産物としてこういう悲劇を生んだのです。その軽さと結果の深刻さが全く釣り合わないこういう事例を、僕らはどう理解して納得すればいいのでしょう? よくアッキーには「悪意は全くない」と言われますが、それで六十近くになるまで通ってきたということ自体、考えさせられる問題です。悪の自覚のある悪人の方が社会にとってはよほどマシだと思うのは、たぶん僕だけではないでしょう。


祝子川通信 Hourigawa Tsushin


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