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マガブロ始めました

2020.07.08(14:22) 737

 このFC2ブログにそういう機能がついているらしいことを発見して、電子機器オンチのオヤジとしては操作がわからずかなり苦労したのですが、記事単体で有料にできるものを選択して、一本100円に設定して、一部記事を「有料化」することにしました。30%が手数料なので、読者1人毎に書き手の方には70円支払われる計算です。それで1万円以上になれば、換金ができるのだとか(ちなみにこの100円は最低料金です)。尚、購入者の情報は守られ、こちらにもそれはわからず、いったん購入した記事は何度でも見られるようです。

 今は「無料の時代」で、煩わしい広告を我慢すれば、多くのものが無料で閲覧できます。Youtube でもそうですが、それで利益を出すのにアフリエイトと呼ばれる広告をくっつけるようです。このブログにも下にいくつか広告らしきものがありますが、それはブログ管理会社が勝手につけたもので、サイトの使用料代わりと見て我慢しているのですが、僕は昔から広告嫌いなので、そういうのをつけようとは思わない。アマゾンの広告なども付けられるようなので、自分の訳書やお勧め本のそれならつけてもいいかなと思っているのですが、それにはどうすればいいのか、また「勉強」しなければならないので、電子機器オンチにはハードルが高いのです。

 何にせよ、僕はただでここの記事を書いているわけで、ジャンル別のランキングなるものを見ると、上位1%台に入っていることが多いのですが、それによって何か恩恵があるわけではない。翻訳だととにかく印税は入りますが、こちらは全くのゼロなので、コーヒー代の足しぐらいにはなるかもしれないと思って、この手を使うことにしたのです。今後、書くのにそれなりの労力とエネルギーを使ったものはそちらにするつもりなので、よろしくお願いします。過去のものも、これは有料にする価値があるだろうと思ったものは、少しずつそちらに変えていくつもりですが、中にはウィキペディアに引用されていたり、人物で検索したとき上位に来ているものもあるので、便宜上そういうのはそのままにしておきます。

 たぶん、今の人は無料に慣れているので、たとえ100円でも払って読む人は少ないでしょう。前に新聞記者(三大紙の一つの)になった塾の教え子と話していて、オンラインの購読者が増えないという話になって、だからあれは紙の新聞とは別立てのディープな調査報道記事を中心にした方がいいということで意見が一致したのですが、彼が嘆いていたのは、今の「情報はタダ」の風潮で、発信する側がそれに時間と労力をかけていることは何ら考慮されていないということでした。彼は一見地味だが、内容のあるいい署名記事も何本か書いているのですが、そういうのもセンセーショナリズムとは無縁なので、世間受けはしない。今の社会のありようを考えるには大いに参考になるのですが、今や情報は消費物、娯楽の一つと化したので、注目のトピック以外は見向きもされないというところがある。紙の新聞の購読者は高齢者が中心で、激減しているし、オンラインの有料購読者も増えないということになると、朝日新聞などは不動産収入で食っているようなものだから危機感が乏しいようですが、他は大変になるので、「ジャーナリズムの危機」と言っても過言ではない。尤も、今の新聞は政府や大企業、警察の広報担当者からもらったペーパーをそのまま写して記事にしているだけだったり、万事踏み込みに乏しいという不甲斐なさがあって、それで読者の信頼を失ったというところはあるのですが、中にはまともな記者もいるので、本体が潰れて、そういう記者まで一緒に淘汰されてしまったのでは、社会の健全さを守りたいと思っている国民は困るわけです。前回記事にも書いたように、意識が内向きになって、自分の私生活と有名人のスキャンダル(彼らにとってはそれは娯楽の一つ)にしか関心がないというような人ばかりになると、「そんなの関係ない」となってしまうわけですが。

 尤も、僕自身、ネットでは無料記事ばかり読んでいるわけで、料金を支払っているのはNetflix と、こちらは送料が無料になるというのでアマゾンに入っているぐらいで、大きなことは言えないのですが、今でも本代にはかなり使っている。昔から出費が一番多いのはそれなので、以前のように本代に月何万も使う(学生の頃は、家賃1万のオンボロ下宿に住んで、本代に3万使っていた)ということはなくなりましたが、面白そうだなと思った本は図書館で借りずに、必ず購入するので、出版社が硬派の本を出すときは、そういう読者に支えられているわけです。その場合、この辺には大型書店がないので、多くはネット注文になる。しかし、今はその大型書店も次々潰れているようなので、その種の本好きは“絶滅危惧種”になっているということです。学生時代、奨学金を全部本代に注ぎ込んでいる友人がいて、本が増えすぎて、その下宿を建てた大工さんが、「このままでは床が抜ける!」と心配したというので、大家さんと相談の上、一階に越すことになって、僕はその引越しを手伝いに行ったことがあります。そこには彼が古本屋で見つけた保存状態のいい貴重な絶版本や、わざわざフランスから取り寄せた、ペーパーナイフを使ってページを切らねばならない思想家の全集類なども含まれていたので、帰り際には彼から身体検査を受けさせられたほどです。それは“誤って”彼の貴重な蔵書の一冊か二冊が、僕のコートのポケットなどに紛れ込んでいるかも知れなかったからです! よく相手がもっていない本を自慢し合っていたので、そういうことはありうると考えられたのです。

 そういうのは懐かしい思い出ですが、そういう本好きの大学生も今は激減したことでしょう。だから値段の張る重厚な本や、個人の全集類は出しても売れなくなり、新書だらけになった。出版業界が衰退するのも当然です。

 話が脱線しましたが、とにかくそれが時代の趨勢というものなので、金儲け以外の情報はタダ、本は薄手の、あまり頭を使わずに読めるものにかぎる、ということになって、ブログに有料記事なんてものを設けても、そんなものはスルーされるだけになると思うのですが、実験してみるだけの価値はある。一年後ぐらいにどうなったか、その結果を僕はここで報告するでしょう。とにかく、そういうことをやってみることにしたので、読者の皆さんは悪しからずご了承ください。

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祝子川通信 Hourigawa Tsushin


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全体主義の復活

2020.07.07(15:59) 736

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祝子川通信 Hourigawa Tsushin


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「安定」という言葉が死語となった世界

2020.07.05(12:38) 735

 一昨日夜の大雨はこちらでもかなりのもので、雨音からもその凄まじさがわかりましたが、熊本県では球磨川の堤防があちこちで決壊して、大きな被害が出たようです。この場を借りてお見舞い申し上げます。先には地震で大きな被害が出ていたので、熊本の人たちは災難続きですが、今後どこを災害が襲うかはわからない。2011年夏には僕の郷里の和歌山県でも台風に伴う集中豪雨でいわゆる「山体崩壊」が起き、木々ごと崩れ落ちた山の大量の土砂が川を隔てた対岸の家々を呑み込み、上に逃げた人々をヘリで救出するという事態になりました。土砂は川を完全にふさいで天然のダムができ、やがて決壊した。その際、かつて道路があった箇所を数十メートルの深さでえぐり取り、そこを水が通り抜けたので、地形が変わってしまったほどでした。僕の父親はその集落の出身でしたが、過疎で人口が激減していたところにそれで、以後、その集落は無人となって、事実上消滅しました。

「異常気象」という言葉は三十何年かに一度という頻度のものを指すという話ですが、今やそれは日常的なものとなって、「異常が常態」になりました。この前書いた中国の三峡ダムの件も、やはり豪雨が収まらず、決壊を避けるための放流でしのいでいるようです。上下流でひどい洪水になっているようなので、ダムは「洪水調整機能」をもつどころか、決壊すれば大惨事になるということで、むしろ新たな脅威を増やしただけになっているようです。

 先週金曜にはアフリカの南部ボツワナで、ゾウが謎の大量死を遂げているというニュースが出ていました。頭数には報道によって違いがあります(250~400頭)が、まだ収まっておらず、現在進行形のようなので、下手をすると絶滅に近い状態にまで行ってしまうかもしれません(密猟によるものではない、とすれば何かのウイルスか?)。この前のオーストラリアの長期間にわたる大規模な山火事、アマゾン密林の急ピッチの減少、サバクトビバッタの大量発生等々、これに今世界中を悩ませている新型コロナウイルス禍が加わっているのだから、聖書の黙示録さながらです。関東で異臭がして、大地震の予兆ではないかという話も囁かれているようなので、関東地方の人たちは気をつけて下さい。とは言っても、自然はしばしば人の予測を裏切るものなので、南海トラフ大地震の方が先かもしれませんが。

 東西冷戦時代は、「核戦争」が最大の脅威みたいに言われていました。実際、米ソ両国が核戦争を始めれば、人類絶滅はほぼ確実だったので、放射能汚染だけではなく、いわゆる「核の冬」と呼ばれる現象が起きて、それは恐竜が絶滅したときの巨大隕石衝突後の気象変動のインパクトに劣らない。それが今では、核戦争以前に、地球温暖化とそれに伴う気象の異変による自然災害の多発、生物大量絶滅、新種ウイルスの出現などで、文明はたやすく崩壊するであろうことが認識されるようになったのです。僕が若い頃、『文明の生命力―テクノロジーからエコロジーへ』(ジャン・ドルスト著、宮原信訳、TBSブリタニカ 1981)という本が出て、それを読んで感銘を受けたことがあります。それは過去の幾多の文明の滅亡が「生態学的無知」によるものであることを説明したものでしたが、何のことはない、今の文明もそれと同じで、人類の「生態学的不遜」のために破滅の危機に瀕しているのです。

 しばらく前に、「古代マヤ予言による世界の終わり(2012年)」なるものが取り沙汰されたことがあります。あのとき僕は、「次のカレンダーの周期を計算する前にマヤ文明自体が滅んでしまっただけだろう」と言っていましたが、ナショナルジオグラフィックにそれに関連する記事が出て、これは慶大理工学部の英語の入試問題に少し語句を改めてそのまま出題されたのですが、そこにはそれを裏書きすることが書かれていて、やはりこれも元々は「生態学的無知」によったのです。マヤ文明は大がかりな灌漑施設を作って、初めはそれがうまく機能し、人口も増えた。しかし、それが機能不全になりかけたところに、気候変動も手伝って、繰り返し深刻な食糧不足に見舞われるなど、危機に陥った。この時点で人間の我欲と政治の無能が顕在化してきます。当時のマヤ文明は都市国家で、それぞれが王を戴く国家の集合体だったのですが、婚姻関係を通じて王族の数は増え続け、王は彼らのご機嫌を取り結ぶことなしには権力を維持できなくなっていた。彼らは民がどうなろうと自分たちのぜいたくな生活が維持できることが最大の関心事でした。しかし、経済システムそのものが機能不全に陥っているのだから、どうしようもない。それで戦争によって他の都市国家を攻め落とし、そこの財宝を分配し、そこの人民を奴隷化するなどの方策で、現状を糊塗し、配下の王族たちの支持をつなぎとめようとして、戦乱が続き、ついに滅んでしまったと、単純化して言うと、そういうことになったのです。都市国家間で協力して対策を協議し、生産システムをつくり替え、共生の道を模索しようとはしなかった。断じて既得権益を手放さまいとする富裕層の利己性と、「安きにつく」政治の愚かさが自らの破滅を招いたのです。

 今の文明も同じことになりかねない。過去の文明と今が違うのは、経済のグローバル化によってそれが事実上、単一文明化していることです。中国のような共産党一党独裁国家も、西側の民主主義諸国(尤も、一部の富裕層の支配になって、民主主義が行われているかどうかは甚だ疑問ですが)も、経済的に深く結びついているので、たとえば中国の三峡ダムが決壊して、中国経済が壊滅的な被害を受ければ、西側諸国も市場や生産拠点を失って、大打撃になるのです。尤も、今の経済システム、大量消費のあり方は、「持続可能」ではないことがはっきりしていて、コロナで経済活動が後退を余儀なくされたことも、地球環境全体から見ればプラスに働いている側面があるので、「おまえら、これを機に考え直せよ」と自然が言っているように感じられますが、とにかく大混乱になる。昔の文明は局地的なものだったが、今はそうではないので、その崩壊も局地的なものではすまなくなるのです。また、人類は核兵器をすでにもっている。貧すりゃ鈍するで国家間の摩擦が増え、敵対心が募って戦争になったとき、その使用をどこまで忍耐できるかは疑問です。テクノロジーは確かに発達したが、精神的に人類が進歩し、賢明になったかは疑わしいので、少なくとも文明国家では、これほど自閉的、利己的なメンタリティが蔓延したことはかつてないほどだと思われるのです。

 コロナがなくても、自然災害の多発がなくても、今のままでは自然資源が枯渇して、人類はその生物的生存の基盤を失う。それは明白なことで、この文明は「持続可能性」をもたないのです。そこを明確に認識して、人類は英知を結集してそれを乗り切らねばならないが、トランプでも習近平でも「自国ファースト」「自己権力ファースト」丸出しで、世界の二大大国の首脳がそれでは、見通しは暗いのです。北朝鮮みたいに、経済がどん詰まりで、いつ暴発するかわからない国もある。今どき国家の世襲体制なんて犬も食わないので、それを維持することが最優先課題だなんて馬鹿げ切った話ですが、現実にはそうらしいので、体制崩壊が避けられないとなると、何をしでかすかわからなくなる。悪いことに、あの国はすでに核をもっているのです。

 何にせよ、今の世界は非常に際どいところに立たされている。元々人間は、平和な時代でも明日何が起こるかわからないもので、昔、禅の坊さんたちは「無常迅速、生死事大」と言いましたが、今後はそういう外部環境からも、多くの人にそれが実感されるような時代になるでしょう。僕自身は若い頃から、長生きはしたくないとずっと思っていて、すでに六十五年も生きたので、べつだんこの世に名残惜しいということは何もないのですが、子供たちや若者の未来を奪うようなことはしたくない。オトナたちは近視眼的な既得権益や自己保身などの見苦しいことにばかりかまけるのはやめて、「今後の世界には何が必要か」ということを今少し真面目に考えるべきでしょう。若者たちも、沈みかけた泥船のどのポストに入り込めるかというような後ろ向きのセコいことばかり考えずに、自分たちで未来を作っていくことを考えてもらいたいものです。危機の時代には人材が出てくるものなので、これからはこれまでにはなかったタイプの大人物が出てくるかもしれません。そのためにはいい意味でのアウトサイダーでなければならない。こんなクソみたいな世の中に後ろ向きに「適応」することしか考えられないのではお先真っ暗でしょう。

 僕自身は自分にすることがまだ何かあるのかと考えると悲観的にならざるを得ないのですが、書き残しておきたいことが少しはあるので、それを書いておこうかと思っています。いくら言っても通じないなと思うことが多くて、だから言うだけ無駄だと思って書いていないことがあるので、それを書いてみようかと考えているのです。今度出る予定のジョン・マックのエイリアン・アブダクションの研究書の翻訳もそうですが、僕は「知のパラダイム転換」を要請するような本ばかり、えらんで紹介してきました。根本的な自己認識、世界理解の仕方が変わらないとどうにもならないと考えたからです。翻訳紹介というかたちでそれをやってきて、自分はその背後に隠していたのですが、それもだんだんめんどくさくなってきた。だから今度は自分で書きたいことを書いてみることにします。「無常迅速、生死事大」なら、生きられる時間をただ漫然と過ごしてはならないと、珍しく殊勝な心境になりかけているのです。皆さんもそのあたり、仕事の性質を見直すとか、自分の他者や世界との関係を見つめ直すとか、お考えになってはいかがでしょう?


祝子川通信 Hourigawa Tsushin


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中国習近平政権の意味不明~真の脅威は三峡ダム?

2020.06.30(15:53) 734

 こういう記事が読売電子版に出ていました。

政権批判への「いいね」、中国が禁止を通達…エリート党員に絶対服従求める?

 今日30日、例の「国家安全法」、より正確には「香港国家安全維持法案」が全人代で“全会一致で”可決されたそうで、世界中からあれだけ批判を浴びて、よくやるなと呆れますが、習近平というのは独裁者特有の不安と猜疑心にとりつかれ始めているからこそ、そういう強引なことをやり、上の記事のようなマンガじみた過剰な統制にも走るのでしょうか。周囲の幹部たちの盗聴もやっているのかもしれません。毛沢東やスターリンそっくりになってきた。

 しかし、そんなことより、彼はうち続く大雨による洪水被害や、例の「三峡ダム」の決壊の方を心配した方がいいかもしれません。被災者はすでに1300万人を超え、倒壊家屋は1万棟、死者・行方不明者も80人を超えたと報じられています。むろん、中国の情報だから、どの数字も表面に出てきているものだけで、ほんとはもっとずっと多いのでしょうが、これで三峡ダムが決壊するような事態になれば、コロナ被害どころの話ではなくなり、経済も壊滅的な打撃を受けて、習近平は大旦那風なんか吹かせていられる状況ではなくなってしまうでしょう。

 この洪水の件でも、SNSに被害状況を伝える映像を流した個人を逮捕するなんて姑息なことをやっているようですが、それを見て「政府は何をやっているのだ!」という非難の声が国民の間に広がるのを恐れているのでしょう。武漢でウイルスが発生したときも隠蔽に走って、それで事態が悪化して、今見るような世界的なパンデミックに発展したのですが、「経済発展と共に政治も徐々に民主化に向かうだろう」という世界の期待は完全に裏切られ、ひたすら“北朝鮮化”しているのです。こういうのは習近平の性格も関係しているのではないかと、世界は疑うようになってきました。外国からの信頼も、国内からの信頼も、それでは両方損ねることになる。そこにあの三峡ダム決壊が重なれば、中国人民の怒りが爆発して、政権はジ・エンドになりかねない。今は愛国教育を熱心にやっているから、そうした“洗脳”の効果もあって、昔とはいくらか違うかもしれませんが、もともと中国の人民は“お上”を信用せず、王朝の興亡を醒めた目で眺めてきたところがあるので、今の共産党王朝もたやすく求心力を失ってしまうかもしれない。無意識にその恐怖があるから、規制の強化一辺倒になるのかもしれませんが、それでは逆効果になるでしょう。

 次のビデオニュースは、中国共産党を果敢に批判し続けている「大紀元」のものです。

三峡ダムは洪水を防げない。三峡ダム下流域は全てが壊滅の可能性、専門家 脱出ルートを見つけ洪水に備えよう

 日本語吹き替えの声がやけに淡々としていて、その内容の深刻さと釣り合わないほどなので、それがかえって妙な凄みを与える効果を生んでいますが、このダムの危険性は前から事あるたびに指摘されていたものです。次のニューズウイークの記事はちょうど3年前のものですが、熟読に値します。

中国「三峡ダム」危機――最悪の場合、上海の都市機能が麻痺する

 要するに、建設当初から問題だらけのダムだったということですが、文中に出てくる「建国間もない中国で黄河ダム建設の計画が進められたときに強く反対し、毛沢東から『右派』の烙印を押されて22年間の強制労働に追われた」、当然三峡ダムにも反対していたイリノイ大帰りの「著名な水利学者、清華大学の故・黄万里教授」は「10年ももたないだろう」と予言していたとのことですが、すでにその10年を経過しているのです。そこにこの連日の大雨(当局によれば「80年に一度」の大雨)で、放水をしながらしのいでいるものの、現場の関係者たちは寿命が縮まる思いでしょう。今回は持ち応えても、それで大きなダメージを受けているだろうから、いつ決壊するか、予断を許さない。

 中国にも良心的な偉い学者がいたのに、そういう人の言うことは聞かずに無理な「国家プロジェクト」を強行するからこういうことになってしまうわけで、地震大国の日本でやみくもに原発政策を推進したのに劣らない政府の愚劣さです。日本の場合、良心的な学者(あのフクイチ事故のとき有名になった小出裕章さんはその一人)の警告を無視して、無責任な原子力ムラの学者たちだけが幅を利かせ、それが東北大震災の際の津波で福島第一原発のメルトダウン惨事を招いた。今度は中国の番かもしれないということです。

 権力の維持と支配の拡大に明け暮れている習近平は、そうなったらどうするのか? その惨害は、影響地域の広さと人的被害の大きさ、復興までの道のりで原発事故に劣らぬものになりかねないと思われますが、彼にとってそれは「考えたくもない悪夢」なのでしょう。しかし、それは「今そこにある危機」なので、カウントダウンはすでに始まっているのです。



祝子川通信 Hourigawa Tsushin


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まず朝課外だけ廃止してみたら?

2020.06.21(08:33) 733

 もうこのコーナーに書くことはあまりないなと思っているのですが、しばらく前生徒に約束したので、一つだけ書いておきます。

 新型コロナによる学校休業、変則(間引き)通学の後、いきなり元通りになって、課外も同時に復活したものだから、生徒たちは肉体的にもヘトヘト状態で、かなり苦しくなっているようですが、彼らの意見を聞いてみると、「朝課外をやめてほしい」という点では一致しているようです。

 去年の段階で3年生に聞くと、朝課外は受けたくないが、夕課外は受けておきたいと言う生徒が多数派だったので、課外の受講・不受講だけではなく、朝課外と夕課外(3年)も分けて、「朝課外は受けずに夕課外のみ受講」が選択できるようになればいいだろうと前に書きましたが、現3年生もそう思っている生徒が多いようです。朝課外は今は「メニュー選択制」になって、自習や受験サプリ視聴なども選択できるようになっている(延高2年の話)そうですが、いずれにせよ眠いのには変わりがないので、やめた方がいい。それが原因で寝不足になると、その状態のままずっと授業を受ける羽目になって、学習能率も上がらない。それで成績が伸びるわけはないので、誰のため、何のためにそんなことやっているのかわからないのです。

 それで、3年の場合は上記のような選択肢も必要だと言ったのですが、あらためて考えてみると、そうすると朝課外は選択せず、夕課外のみ選択するという生徒が圧倒的になって、朝課外受講者は各クラス僅か数人ずつとなり、先生たちに課外費が払えない事態に陥るので、それはできないということなのかもしれません。たしかにその可能性は高いので、それでそういう選択肢が作れないということになっているのかもしれない。

 それなら朝課外を廃止してしまえば問題は解決する。無理に残して、朝課外と夕課外を分けて…なんて考えるとそういうややこしい問題になってしまうが、朝課外の方を廃止すれば葛藤は消え、悩まなくて済むのです。延岡高校の場合、日向から電車で通っている生徒がかなりいますが、そうすると毎回300円余分にかかる特急料金も節約できる(うちの塾に来ていた日向の生徒たちは全員、「あの課外にそんな価値があるとは思えない」と言っていました)。

 朝課外だけで、夕課外はない1・2年の場合はどうか? これも、寝不足の原因になっていることは間違いないので、ない方がいい。

 ということで、やはり朝課外は廃止するのがいいだろうというのが僕の結論です。今年はコロナによる長期一斉休校などで授業時間がかなり減ってしまったので、高校のみならず、小中学校でも学校の先生たちはどうしたものか悩んでいるでしょう。九月入学・進級のアイディアが出ていましたが、それはあれこれ支障が多いというので、反対が多くて潰れてしまったようなので、夏休みを削ったとしても、トータルの授業時間数がどうしても足りなくなる。地方の公立学校などではオンライン授業の体制は整っていないので、そちらで代替することもできなかったということで、悩みを抱えている学校が多いでしょう。人間は機械ではないので、その分宿題を増やして対処しようとしても、生徒を疲れさせるだけで、かえって勉強嫌いを増やすことにもなりかねない。

 課外をやっている高校の場合、「こういうこともあるからこそ、課外は有用なのだ!」と言うかもしれません。それを問題演習の時間にあてて、平常授業のペースを上げたりしやすくなるからです。それは調整弁として役立つとして、コロナ禍を課外必要論に利用する。実際にそんなことを言っている学校があるかどうかは知りませんが…。

 しかし、そんな話を課外の議論に持ちこむのはどのみち筋違いなので、「九州地区特有の時代遅れの制度」として、廃止に持っていくのが賢いやり方でしょう。今回のコロナ騒ぎでは、塾も年度の切り替え時にちょうどあれが当たったものだから、外出自粛で新規入塾が激減しただけでなく、在塾生の授業も休講を余儀なくされたりして、大きな打撃を受けたところが大半だったろうと思いますが、やっと学校が再開したと思ったら、冒頭述べたように生徒が疲れ切っているというのでは新たな塾通いどころではない。時期も半端になるし、今年はもうこのままで行こうと僕自身は肚(はら)を決めたのですが、ホリエモンではないが、今の学校というところ自体、何のために存在しているのかよくわからないところがあって、そういう主体性のある子供は多くないと言われるかもしれませんが、パソコン一台あれば今はどんな教科でもそう無理なく自分で勉強できてしまう。これは受験サプリのようなネット予備校だけを指しているのではなく、高校の場合だと、N高なんてオンラインの通信制高校もできているのです(今年、初の東大合格者が出た由)。仮にそういうネット予備校、ネット高校を利用しなくても、英語などは全くの独学でマスターすることが可能です。受験用の参考書や問題集は必要不可欠な分だけ買って、それは一通りきちんとやっておいた方がいいが、英文の記事は幅広い分野のそれがほとんど無尽蔵にあるし、Youtube を見ると、字幕付きのよいドキュメンタリーなども見つかる。その気になれば英語でチャットもできるし、海外の人とメールでやりとりもできる。そういうのの使い方を教えてあげれば、学校の授業そのものがいらなくなるだろうという気がするのです。むしろこちらこそ「アクティブ・ラーニング」になる。洋書を取り寄せるのでも、今はアマゾンや紀伊國屋のネットウェブを利用すれば、田舎にいてもすぐ届きます。僕はしばらく前に、絶版になっている本を海外の古書店のウェブサイトから取り寄せてみたのですが、少し時間はかかったものの、ちゃんと届いた。ほんとに便利になっているので、一昔なら、日本の書店に在庫があれば別として、そうでなければ50日ぐらいかかって、かつ値段が割高だったのです。今はスピーディな上に、値段が安い。そして、ネットの無料コンテンツが充実しているのです。大学入試の二次の入試長文にはウェブサイトの英文もよく出ているので、自分が面白いと思って辞書を引きながら読んだものが本番にそのまま出るということだってありうるのです。そういう苦労は無駄にならない。僕はたまに生徒に読ませたいと思ったものがあるとコピーすることがあるのですが、学校の退屈なリーダーのテキストよりそういうのは内容的にもずっと面白いでしょう。

 学校がないと困るのは、友達を作りにくいとか、部活をしないと運動不足になるとか、勉強以外の面だけではないかという気がするのです。少なくとも高校レベルではそう言える。社会科なんかは昔から独習派が多かったし、とくに苦手な科目だけネット予備校の講座を使うなどすればいいのです。要するに、学校授業自体がいらなくなりつつある。

 つまり、課外がどうのというより、学校授業の本体そのものの存在意義が疑われるような時代になっているということです。自分の時間管理、生活管理さえきちんとできれば、勉強は学校抜きでやれる。その方がゆとりももてるし、むしろ効率的でしょう。コロナ休校のとき、それに気づいた生徒もいるかもしれません。同じ理屈で塾もいらないんじゃないかって? そうです。概して学校よりは塾の方が授業は面白いのではないかと思いますが、それも塾によりけりだし、自分で調べながらやる力があれば、通常の学校も塾もなしで大学受験に対応できるくらいの学力はつけることができる。高校を中退するとか、初めから行かなかった場合でも、高卒資格認定試験は年に2回あって、毎年計1万人近くが合格しているようですが、それと大学入試のレベルにはかなりの差があるとしても、難関大合格者はかなりいるのです。昔はこれは「大検」と言って、大学時代の僕のクラスメートにも一人いました。今はそういうタイプはいないでしょうが、彼は高校時代、左翼過激派で、学生運動をやりすぎて退学処分を食らったのです。それでしばらく飯場暮らしの労働者になっていたが、一念発起して勉強し直し、人よりだいぶ遅れて大学に入った。真面目な男に見え、僕はあるとき飲み会で酔った彼にからまれ、アウトロー呼ばわりされて閉口した(親しげな口調だったとはいえ、なんで元過激派にそんなこと言われなければならないのか?)ことがあるのですが、その後司法試験に合格して、最初検事になったが、のちに弁護士に転じた。十年ほど前、思い立って昔の知り合いがどうしているかネットで調べていたとき、彼がネトウヨたちから激しく攻撃されているのを発見して苦笑したのですが、法学関係の雑誌にも寄稿したりして、その筋ではかなり有名な人権派弁護士になっていたのです。むろんネットの悪口も、イカれた連中が誹謗中傷しているだけで、彼は立派な仕事をしていたのです。

 小泉元首相ではないが、「人生色々」で、大学には毛色の違うのが色々いた方が面白いのです。今でも変わったルートの学生はいるようで、僕の息子は一年ドイツ留学したのをきっかけに寮に移ったのですが、そのとき同室になった法学部の先輩がかなり年長で、これが元パチプロだったという話を聞いて笑ったことがあります。何ら崩れた感じはなくて「真面目でしっかりしたよい人」だという話でしたが、色々な意味でストレートで入るよりむしろそっちの方が難しそうです。彼も「そう思う」と言っていました。

 こういう話を聞くと、少し広やかな気分になりませんか? 「なった」というので、そのまま高校をやめて、自分で好きにやるつもりがダラダラするだけになって、入試にも受からず、そのまま引きこもりになってしまったというので、後で責任を取れと言われても困りますが、本気でやりさえすればそれは十分可能なのです(自分がそれで成功したとか、身近にそういう例があるとかいう人がいたら教えて下さい)。

 とにかく、学校の「必要不可欠度」は減っている。いわんや課外をや、ということで、かつてないほど今はそうなのです。そこらへんの時代認識が全くできないまま、朝課外一つ廃止できない学校というのは一体何なのだろうと、僕には不思議でならないのです。


祝子川通信 Hourigawa Tsushin


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