スーパースターにドラマあり

2018.02.18.17:06

 昨日は羽生結弦選手の金メダルで日本中が喜びに沸きましたが、僕はそのとき塾にいたので、リアルタイムではそれを見ることができませんでした(前日のSPは見た)。もうそろそろ終わった頃だなと思ったとき来た生徒に聞くと、何と羽生選手が金で、宇野選手が銀だったという話です。やったーと、あらためて生徒たちと大喜び。

 順調に来ていたのならまだしも、11月のアクシデントで深刻な負傷を負い、満足な練習もできず、かつ強い痛み止めを打って臨まねばならないほど具合が悪いままだったのにこの結果を出したというところが凄いので、演技終了後に「勝った」と呟いたのは、何より「自分に勝った」という意味だったそうですが、そのあたりが彼がスーパースターであるゆえんです。

 家族やコーチ、チームなど支えてくれた人たちへの感謝の言葉も、社交辞令ではなく、真情がこもっていた。苦難を乗り越えた人間ほどそういうもので、現実を客観的に眺める目をもっているから、それがどれほど大きなものだったかがわかるのでしょう。

 彼は今でも華奢に見えますが、小さい頃はひ弱な喘息持ちで、そんな子がこういう偉業を成し遂げるまでになったのだから、世界中の人に大きな希望を与えるものです。さらに、東北大震災で実家が全壊するという苦難にも遭っている。そして今回は、オリンピック連覇がかかった大事な時期に出場すら危ぶまれる大怪我をしたのです。ツイてないな、これでは無理だろうなと大方の人が思ったところで、奇蹟的な復活劇を見せた。それはドラマを盛り上げるための神の見えざる演出であったかのようです。

 猛練習によって培われた高度な技術が土台にあっての話ですが、メンタル面の強さが最大限に問われる試練に、今回彼は直面したわけです。そして苦しみながらも、それに見事にパスした。色々な人たちから彼に大きな讃辞が送られるのは当然のことです。

 今は受験シーズンで、自然、実力とメンタルについて考えさせられることが多いのですが、どんなことでも地道な努力なしに実力はつかないし、そのプロセスの中でメンタルの強さも培われるので、それはスポーツでも勉強でも、仕事でも同じでしょう。何にしても、まず逃げずに立ち向かうという気概がなければならない。成功するかどうかには時の運もありますが、ストアの哲人流に言うと、人間にコントロールできるのは努力と内面のありようだけです。そこに注力して、あとは運命のはからいにまかせるしかないと達観できれば、それが最善ということになるでしょう。

 ウィキペディアによれば、結弦(ゆづる)という名は「『弓の弦を結ぶように凛とした生き方をして欲しい』と父が命名した」という話で、彼の場合は「名は体を表す」という言葉そのままですが、これも面白いので、弦はやみくもにただ強く引っ張るだけでは切れてしまうし、ゆるいのでは物の役には立たない。勝負事も勝気にはやるだけでは失敗するし、消極的に守りに入っても失敗するのです。実力をつけないとどちらにしても結果は出せませんが、そのあたりも彼は今回、負傷した右足に「信頼しつつ、過度な負担は避ける」という絶妙な対応をした。緊張のピークにあってそれができるというところが並外れているので、いかにも「結弦」君です。

 彼はクマのプーさんが好きだそうで、彼が滑るたびに大量のプーさんぬいぐるみがリンクに投げ込まれるのは愛嬌ですが、次のデイリースポーツの記事も笑えました。

羽生結弦から見た宇野昌磨は…「弟分というよりもワンコに近い。本当にかわいい」

 これ、添えられている宇野選手の写真がほんとに「ワンコに近い」感じなので、ほほえましいのですが、そこのくだりだけ抜き出すと、こうなっています。

 番組ではまず、宇野に「弟のように扱われているが、どう思っているのか」と質問が飛んだ。「すごいいろんな所で面倒を見ていただいて、本当にありがたいのと、申し訳ないという気持ちもあります」と少し恐縮して答えると、羽生も同様に「弟分みたいな感じなのか、刺激のしあいはどうか」と質問を受けた。
 羽生は「弟分というよりもワンコに近いですかね。本当にかわいい、かわいい、何か自分の…ペットじゃないんですけど、全然支配していないし、むしろ自由なので」とかわいがっていること明かし、「ずーっと一生懸命やっている姿は小さい頃から本当に僕も知っているので、こうやって真面目にやってきた分、結果が出ているのは本当に素晴らしいことだなと思っています」と、初の五輪で結果を残したことをたたえていた。


 ひたむきな努力を重ねてきた選手同士だからこういうよい関係が築けるのか、心温まる話です。プーさんとワンコでワンツー・フィニッシュだったのかと思うと、厳しい世界にもさりげないユーモアが添えられたようで、いっそう興趣深いものと感じられるのです。
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阪大はん、そら、あきまへんわ

2018.02.17.02:04

 以下、毎日新聞電子版2月16日 21時15分の記事です。

 大阪大は16日、今月7日に人間科学部人間科学科のAO入試の合格者をウェブサイト上で発表した際、本来合格だった受験生1人を誤って不合格と掲載するミスがあったと発表した。後日誤りに気づき、16日に受験生に合格を伝えたところ、入学の意思を示したという。阪大は、ウェブに掲載する作業をした同学部の50代の事務職員と監督責任者の事務長を厳重注意とした。
 阪大のAO入試は、専用サイト上で合否を発表し、各受験生がアクセスして確認する。人間科学科の合格者13人、不合格者19人のウェブ用データを作成した事務職員は、掲載前の確認作業で合格者の1人が不合格となっている誤りに気づき、修正した。しかし、修正後のデータの上書き保存を忘れ、誤ったデータを載せたという。
 阪大では昨年2月の一般入試で出題ミスがあり、今年1月になって30人を追加合格とした。今月の基礎工学部の推薦入試でも不備があり、追加合格者を出した。【大久保昂】


 この他にも、センター試験の時、会場の一つとなった阪大で、四十代の教授が居眠りの上、複数回いびきをかいて、「集中できなかった」として受験生や保護者からクレームをつけられるという事件もありました。

 阪大は、こう言っては叱られるかもしれませんが、大阪という土地柄にもかかわらず、「真面目」を売りにしてきた大学です。東大・京大のようなとび抜けた秀才はいなくても、堅実さ・真面目さで対抗して、高い社会的評価を得ているのです。しかし、あの物理の出題ミスはともかく、こうもいい加減なボケぶりが続いたのでは、まともな受験生や親たちからはそっぽを向かれるようになるでしょう。

 思うに、大事なところで記載ミスをするというのも問題(それは別の職員がやったことなのか?)ですが、それに気づいて誤記を直した職員が「修正後のデータの上書き保存を忘れ、誤ったデータを載せた」というのは、事の重大性にかんがみ、ふつうならありえないことです。何でちゃんと直っているか、その後自分で確認しないのか? 教授は試験中、平気でいびきをかき、職員はごく基本的な確認行動もとらないとは、教授も職員もブラック企業並の激務で疲弊しきっているか、それともたるみきっているかのどちらかでしょう。仕事にはミスや手抜きが許されるものとそうでないものとがあって、やってはいけない決定的な場面でのポカが多すぎるのです。

 真面目で優秀な学生が多いのに、教職員は何やってるんだかという感じで、もっとまともな連中を雇えと言いたくなります。関西人特有のボケはもっと笑えるところで出してもらいたいもので、こういうんでは受験生や学生がほんとに気の毒です。

「麻布」が一流の学校である理由

2018.02.15.09:51

 最近このブログの更新がないというので、何かあったのではないかと心配してメールをくれた人がいますが、幸いにと言うべきか、残念ながらと言うべきか、僕はいたって元気です。大学入試シーズンに突入して、生徒の過去問答案の添削やら小論文の直しやら、授業にプラスしていつもより仕事が増えている上に、試験を受けるのは受験生ですが、コーチ役の塾教師も無意識レベルでエネルギーを使ってしまうというところがあって、いくつか書いてみたいことはあったのですが、いずれもかなりの長編になりそうで、そこまでの余力はないなと思っているうちに時間がたってしまったものです。

 悪いことに、今年はこれに冬季オリンピックが加わっているので、ほとんど見ないテレビも多少は見るということで、なおさら時間がない。「日本人は集団になって妙な応援の仕方をして、選手に『日の丸を背負って』式のつまらないプレッシャーをかけすぎるから、逆効果になってメダルが減る(またはメダルのランクが下がる)のだ」というのが僕の持論ですが、幸い選手たちは頑張って、金はこれを書いている段階ではまだないが、七つのメダルを獲得しているようです。スキーのジャンプなんか、それでなくとも厳寒の中、選手のことは考えず、何だってあんな深夜にやるのだと思ったら、放映権料を出すテレビ局の都合でああなっているのだそうで、ビジネス最優先の今の文明社会のえげつなさにあらためて腹が立ったりするのですが、こういうことだって、掘り下げて議論したりすると長い話になってしまうので、片手間には書けないわけです。

 そういうわけで、当分はまだ書けそうもないので、今回は前回書いたこととも関連しそうな記事のご紹介だけ。

 僕はこの校長先生の意見に全面的に賛成です。麻布は言わずと知れた東京の私立の名門で、各界に人材を多く輩出している中高一貫の男子校です。よりすぐりの秀才ばかり集めているからそれでも秩序が保てるので、フツーの学校でそんなことができるか、と反論する人もいるでしょうが、僕は「できる」と考えています。愚劣な管理統制教育ばかりやって生徒から自由を奪い、自主独立の気概を育てないから、大勢順応型の小粒の保守主義者ばかり大量生産してしまうのです。僕は関西のふつうの公立高校の出身ですが、昔は生徒の自由の度合いがずっと大きかった。今は社会の方は創造力・突破力と明確な個性をもつ人材を必要としている(でないとこのまま全体が沈没する)時代になっているのに、学校教育の方は逆行しているのです。それが深刻な問題であることに気づいている人が少ないらしいことに、僕はいつも呆れています。中でも学校の先生たちが一番その自覚に乏しい。

 それは「ヤバい」ことなので、このインタビューを読みながら、「教育は何のためにあるのか?」あらためてよく考えていただきたいと思います。コメントしたい箇所はたくさんあるのですが、それは機会があればまた他日ということにしたいと思います。

茶髪も私服もOK、校則のない「麻布学園」校長が語る「自由」を育てることの大切さ

あり得るのか?―間違いを指摘された英文法の駄目プリントをそのまま使い続ける延岡高校

2018.01.28.20:29

 阪大に続いて、京大でも入試の物理の問題に不備が指摘されたという報道がこの前ありましたが、ああいうのはかなり高級な問題で、これとは次元が異なります。

 僕が「延岡高校『ベーシック・グラマー』の解説の嘘について」と題した一文をここに載せたのは、2016年10月のことでした。「あれはオレが作ったのだ」と自慢していた英語科のボスが他校に転出したのがその翌年で、この問題が多すぎた英語科教師は何でも自分の手柄にしたがって平気で嘘をつく習性があったので、それがほんとかどうかは知りませんが、とにかく彼がいなくなれば、このアホなプリントの使用もやめるだろうと、僕は喜んでいました。

 何せ、2年の途中まで英語の授業と言えばほとんどこればかりなので、おかげで学校の授業と宿題だけやっているだけの生徒はほとんど学力が伸びないという深刻な弊害が出ていたのです。それで文法だけはわかるようになるというのならまだしも、うちの塾の生徒など見ていると、文法が一番苦手という生徒が多いので、3年で塾に来た生徒にまで一から文法を教え直さねばならなくなったりするのです。要するに、何の役にも立っていない。

 いや、もっと悪いというべきで、ワンパターンの同じ形式の羅列なので、考えずに機械的にやってしまうという悪癖がつく。当然、退屈で面白くないことこの上ないので、多くの生徒が言うように「手が疲れるだけ」なのです。

 これは実話ですが、息子が高2の一学期だったか、僕は彼の模試の成績表を見ていて、文法の失点が異様に多いのに気づいて驚きました。3分の1しか得点できていないのです。長文で稼いでいるから全体として点数は悪くないが、一体どうしてこうなるのだとたずねたところ、「あのBG(ベーシック・グラマーのこと)ばかりやらされているうちに、だんだん文法がわからなくなってきた」と言うのです。何だって!? 僕は高校生になったら英語は教えるよと約束していたので、塾で週に一回(3年時は週2に増やしましたが)英語長文の授業を始めました。文法ぐらいは学校で足りるだろうと思っていたのですが、逆効果になっていることが判明したのです。

 おまえ、それはまずいよ、ということで、自分で本屋に行って、薄めの文法・語法の使いやすそうな問題集を一冊買って、それを2週間ぐらいで終わらせて、不明箇所はまとめて質問するよう言いました。彼はその通りやって、すると以後、文法の失点は激減しました。

「一体、学校は何をやっているのだ?」とあらためて呆れたのですが、その時点ではあれがクソプリントだという認識はあったものの、見る気もしないので、嘘の解説まで施されていることには気づかなかったのです。

 あれに気づいたのは偶然で、生徒が定期試験前にそれをもってきている時、何気なく手に取って解説を読み、「何じゃ、これは?」と驚いたので、それがたまたま仮定法の箇所だったのです。仮定法は当然ですが、重要箇所です。その冒頭にあんなトンデモ解説(率直に言って、頭が悪いとしか思えない)を載せているのだから、致命的なので、こういうのはよくあるミスプリの類とはわけが違う。自信たっぷり、大嘘を教えているのです。それで仮定法がほんとにわかるようになったら、その方が不思議なくらいです。解説の執筆者である当の教師の側が仮定法を誤解しているのですから。

 僕はそれ以前にも、あんなものは役に立たないから使用をやめるべきだと書いていました。そこに嘘の解説まで重なっているとなれば完全に終わっているので、とどめを刺すつもりであれを書き、幸いにおかしな英語ボスも転出したことだし、使用はやめることになるだろうと、生徒のためにも喜んだのです。

 ところが、新1年生にもまだあれを使い続けていると知ったときは「何を考えているのだ?」と信じられない思いで、しかし、時間的余裕がなかったので暫定的にそうしているだけで、僕が指摘した箇所などは急場しのぎの直しを加えて、“その次の学年”から正式に使用を中止する腹積もりなのだろうと、よい方に解釈しました。

 最低限の常識があればそうするはずです。しかし、先日、学校にはそんな「常識」などはカケラもないことが判明したので、塾の1年生の授業の時、「君ら、そろそろ仮定法に入ったんじゃないの?」ときくと、「はい」というので見せてもらったら、全然直っていなくて、嘘の解説をそのまま載せ、授業でもその嘘を復唱しているというのだから、開いた口がふさがらないのです。英語教師としてふつうの学力があれば、あれは嘘だと気づくはずです(それもないのなら、教師なんかやるなよ)。

 とにかくそれで、今、延岡高校のメディカルサイエンス科のあるクラスでは、生徒たちの間であの記事のコピーが回し読みされたり、直接このブログでそれを読んだりして、結構盛り上がっているようですが、いたずら小僧たちはそのコピーを知らんぷりして教卓の上に置いておくとか、提出する課題の中に“誤って”混入させてしまうとか、あれこれよからぬ作戦を考えているようです。

 僕が彼らに示唆したもっと良い方法は、先生にあれを見せて、「先生、わが校の誇りである神聖なベーシック・グラマーに難癖をつけ、あれは最低のクソプリントだと言って、こういう誹謗中傷を書いているけしからん塾の教師がいるので、反論してやっつけてやって下さい。あれのこの解説部分が嘘だなんて書いているのですが、ありえないですよね? げんに僕らはそう教わっているのだし、ぜひ学校の公式ホームぺージで反論していただきたいのです。それと、この記事には、先生方が親切にも単語集のこの単語は入試には出ないから覚えなくていいとバッテンをつけさせていることにも言及して、『げんに入試には出ているから単語集にも載せられているので、よけいなことするな!』なんてことも書いているのですが、こういう失礼なことにも反論してやってください〔註:さすがにこれはまずいと思ったのか、今の1年にはこの単語集バッテン指示は出ていないようですが〕」云々。

 そうしていただければ、僕にも自らの愚かさにあらためて気づくきっかけが与えられるので、喜ばしいのですが、ついでにここの課外に関する記事も見て、「朝課外の必要性と素晴らしさ」についても述べていただければ、「生徒を慢性的睡眠不足に陥らせ、健康を害し、学習能力を低下させる効果以外は何もない」とするわが認識の誤りにも気づかされるでしょう。この問題は去年9月、福岡の県議会で取り上げられて以来、朝日や毎日、日経など、大手新聞社まで「九州地区の公立高校の異様な風習」として記事化するようになっていますが、学校側はここらへんで生徒たちを納得させてやる必要があるのです。名目的に「不受講届」なんてものを出させ、実際に出すとその生徒を呼び出して「説得(事実は強要でしかない)」するなんて姑息な裏工作はせずに、です。

 その際は、いまだに生徒や保護者の間には「善意のボランティア」で先生方がやって下さっているのに、それに文句を言うなんてバチが当たる、と信じ込んでいる人たちがいるので、実際は時給1500~1800円(学校によって違う由)の「おいしいバイト」になっていて、教育公務員は残業手当が出ないからと通常の賃金自体が他の公務員と較べて割増しになっているのにそうしているのだということも、正直に明示しておくことです(小中学校の先生たちの長時間労働は社会問題化していますが、彼らのそうした超過勤務は基本的に無給なので、同情に値します)。兼業禁止の公務員法規定に反するおそれがあるというので、PTA主宰という名目に数年前に変えた姑息な対応にも、併せて触れておくべきでしょう。そういうことは全部すでにこのブログで指摘していますが。

 ついでに言うと、先日、宮崎市の某私立高校で講師をしているという人が塾を訪ねて来て、こういう話を聞きました。そこは朝課外はないが夕課外や土曜授業はあって、しかし、それに対する残業代は支払われていないのだと。そちらは美しき「無償の奉仕」なのです。「それで給料はいくらもらってるんですか?」と露骨な質問をすると、副担までもっているのにかなりの薄給で、公立の先生よりずっと低いのです。その人の意見では、その課外も、公立高校のそれと同じで生徒を疲れさせているだけで、むしろ生徒たちの自学自習の妨げになっているとしか思えない、という話で、宮崎県には強い私立が一つもないのですが、県立高校の退職教師を雇って校長や教師にすることが多いので、眠たい授業が多く、意識も旧態依然のままだから、やることのアホさ加減では似たようなものになってしまうのです。

「何だと、私らをアホというのか!」と先生たちは怒るかもしれませんが、アホ以外の何者でもないでしょう。何もかも「昔からやってることだからやめられない」だけです。こういう人たちにはいくら道理を説いても無駄で、何も考えないのだから、そういう先生たちが団子になって生徒たちに「考える力」をつけさせるというのは、ブラックジョークでしかありません。自分にそれがないのに、どうやって生徒に考える力をつけさせるんですか?

 教育者というのは生徒に対応するとき、「こうだからこうだ」という説得力をもたねばなりません。親の場合でも、まともな親は子供に正直なところを語らせ、ホンネのやりとりを通じて子供を納得させるようにするもので、都合が悪くなると「誰に養ってもらってると思っているのだ!」なんてわめくのは下の下です。

 学校の教師となればなおさらで、校則であれ、課外であれ、生徒を納得させるだけの言葉をもっていなければなりません。僕が高校生の頃は、理不尽なことがあると生徒が教師に反論してやり込めるというのはとくに珍しいことではありませんでした。僕自身そうした経験があるので、あるとき似たようなことが二度続いて、その先生たちは職員室に帰ってから「あの生意気な生徒は何だ!」と担任の先生に当たり散らしたらしく、朝のホームルームの後、廊下に呼ばれて「おまえは無茶苦茶言いすぎる。少しは私の身にもなってくれ」と、叱責とも哀願ともつかぬことを言われたことがありますが、僕は別に個人的な恨みからそうしたわけではないので、げんにクラスの皆は大喜びしていたのです。こいつは生徒をなめてるなと腹が立ったので、言い方はきつくなってしまったが、言ったこと自体は正しかったと今でも思うので、それで教師の対応や授業は変化したから、無駄ではなかったのです。

 昔は高校生は子供扱いされていなかったので、高校生の言い分はそれだけ尊重されたとも言えるでしょう。今は「わが校ではこうなっている。おとなしく従え」となっているようで、それを生徒たちが不快に思うのは当然です。僕は塾で生徒にそういう対応はしていないので、自分が間違えたときは素直に謝るが、それで生徒たちに軽んじられるということは別にないわけで、何で学校の先生たちはそうしないのでしょう。

 前に全校集会の議題で、それはクラス毎に出すのですが、「朝課外について話し合いたい」という意見が一番多かったという話を生徒たちから聞いたことがあります。民主主義の原理からすれば、それを一番に取り上げるのが筋ですが、学校側はそれを議題に乗せないよう妨害した。そこには取り上げるべき理由がクラスごとに書かれていて、僕はそれを見せてもらいましたが、生徒たちがきちんと理論武装もしていることがそこから読み取れたので、やっていれば実りある議論になったでしょう。ところが学校はそれを葬り去った。生徒たちの疑問に答え、説得する自信がなかったからそうしたのです。

 わかりきったことですが、それは僕がそそのかしたからではありません。一人もうちの塾の生徒がいないクラスでもそうだったので、彼らは自分で考えて強い疑問を抱いたのです。学校側はそれに正面から向き合う義務がある。なぜそうしないのでしょう?

 何も考えない学校の先生たちは当然ながら考えていないでしょうが、これは最悪の政治教育なのです。理不尽なことでも権力には逆らうな、正当な疑問でも口に出すことはするな、どうせ言っても何も変わらないのだから、議題として出すならどうでもいい花壇の新設とか、そういうものにしろ、後はネットの2ちゃんあたりに他人の下劣な中傷文でも書いて憂さ晴らしをするがいい、そう教えているのと同じなのです。それが税金で食わせてもらっている公務員、教育者のやることか? ここは北朝鮮なのか?

 課外の話はこれくらいにして、あの無駄に英語授業を潰す手段になっているベーシック・グラマーに話を戻すと、あの批判記事は小中学校の先生や、他校の教師たちは読んでいて、生徒にも知っている子が少なくないのに、延岡高校の英語科の教師は一人も読んでいないというのは妙な話です。それとも指摘が難しすぎて、読んでも何が書かれているのか理解できなかったとでも言うのでしょうか? あるいは、全校集会で課外の問題を取り上げないようにしたときと同じで、「見なかった」ことにしているだけなのか? そうすれば使い続ける口実になるからです。間違いが書かれていても、どんなに学力をつけるのに役立たなくても、それは前任者たちの責任であって、自分の責任ではない。代わりの教材や授業をどうするか、考えるのは大変なので、そのままにしておくことにしましょう…。そういう「暗黙の合意」が先生たちの間にはあるのでしょうか?

 何にしても、その場合、被害者は生徒たちになるわけで、僕としては呆れる他ありません。あれを使い続けるというのなら、げんにこういう指摘がある以上、そうする「正当な理由」を示さねばなりません。でないと、解説の嘘を指摘したあの記事と、この記事のコピーが自己増殖を始めてそこらじゅうにばらまかれ、学校は本格的に困ったことになってしまうでしょう。それは僕のせいではないので、責任転嫁されては困るとだけ、最後に言っておきたいと思います(学校側から要望があれば、いつでもファイルを送って差し上げますよ。それを職員会議の資料にでもなさったらいかがでしょうかね)。

「実用的な思考力」とムーミン

2018.01.16.17:23

 大学入試センター試験は13日、全国695会場で2日間の日程で始まり、初日は地理歴史・公民、国語、外国語の順に試験があった。地理Bの問題にアニメの「ムーミン」、日本史Bには各地の自治体のPRを担う「ゆるキャラ」が登場。教科書に載っていない題材を使った問題を、基礎的な知識を生かして解く「実用的な思考力」を試す近年の傾向が今年も見られた。(毎日新聞)

 このうちムーミンについては、「舞台は架空のムーミン谷であって、それがフィンランドにあるとの確証は何もない」という指摘がネットにあふれ、「大阪大大学院のスウェーデン語研究室は15日、ムーミン谷がどこにあるかは原作に明示されていないとして『舞台がフィンランドとは断定できない』との見解を明らかにした。正解とされたフィンランドの在日大使館は『皆さんの心の中にある』としている」(日経)という騒ぎになっているようですが、いい年したおじ・おばが“柔軟な”ところを見せようとして無理するとこういう結果になる、という見本みたいなものです。

「厳密な思考力」の持主はかえって迷うかもしれないわけで、結局のところ、この「実用的な思考力」なるものは、「出題者の意図を忖度する能力」ということでしかないでしょう。将来官僚や政治家になって、安倍晋三のような幼児人格のボスに仕えることになった場合、その「忖度」能力が重要になってくるから、早いうちからそれを養成しておきましょう、というようなものです。

 国語の現代文なんかは「出題者の考え」をどう見抜くかが一番重要になってくるわけで、僕も時たまセンターの国語も解いてみることがあるのですが、150点を切ることはまずないものの、一番失点が多いのは解きやすいはずの現代文なので、古文や漢文ではあまり落とさない。現代文はそれだけ微妙な解釈にわたることが多くて、「全部違うような気がするが、自分の解釈に一番近そうなのはこれかな」というのでえらんだら、それが間違っているわけです。学校の国語のテキストには「作者の意図・心情を読み取る」なんてコーナーがありますが、あれにしても、作者のそれというより、テキスト編集者が解釈した「作者の意図・心情」なので、作者本人に聞けば、「へえー、私はそういうふうに思ったわけですか?」というようなことになりかねない。げんに、「入試問題に使わせてもらいました」というので、作家のところにその問題が送られてきたので、作者本人が解いてみたら、多くが不正解だったなんて実話もあるのです。

 今年のセンターの英語でも、僕が間違えた大問3のBなど、大学生の議論にしては型にはまりすぎた平板な議論(いくら何でも程度低すぎでしょ?)が展開されるわけですが、映画といえばふつうはフィクションで、なのに大学生が作るものだからか、ドキュメンタリー制作の提案で始まり、ドキュメンタリーなのかフィクションなのかは曖昧なまま最後まで行っているように思われるので、㉚は1か3か迷うし、㉜は1か4で迷うことになるのです。こういうのは、むしろ「実用的な思考力」がある人ほど疑問に思うところではないかと思うのですが、いかがなものでしょう? 迷わせるにしても次元が低すぎる。「作成者の意図」からして、あれが正解だということはわかるとしても、です。いずれにしても、どうでもいいようなことに頭を使わされるだけで、こういうのは「英文を的確に読み取る能力」や「考える力」とはほとんど関係がないのです。大問5も、僕には笑えて面白かったが、昨日塾で生徒たちに聞くと、「タコ型宇宙人」が出てくるとは「想定外」で、途中でわけがわからなくなって、その動揺が尾を引き、いつもは全問正解できる大問6でまで失点してしまった、という生徒が複数いたので、予期せぬエイリアン登場(しかもタコ型というのは火星人の実在が信じられていた頃の話で、非科学的すぎる上に、今の若い子にはあんまりな話でしょう)でダメージを受けた受験生は相当数いたようです。あのへんは全部6点で配点が大きいので、そこで合わせて4~5問も落とせば、「死にました」となるのは当然です。そういう受験生は文字どおり「タコにされた」と諦めるしかなく、二次か私大の一般入試で「復活」してもらうしかない。今度は幽霊が出てくるかも知れない(実際、過去にその例はある)ので、今度は落ち着いてもらわねばなりませんが。

 ちなみに僕もムーミンがどこの国かは知りませんでした。作者はトーベ・ヤンソンで、北欧だということは知っていたが、それ以上のことは知らない。「フィンランドにきまってるでしょ、そんなことも知らないわけ?」とあるおばに呆れられましたが、世代が違うので、僕ぐらいのおじは『チロリン村とくるみの木』の世代なのです。おばはそんなものは知らないという。それで僕は、昔NHKの子供向けの人形劇にそういうのがあったのだと説明しました。『ひょっこりひょうたん島』の前がそれだったのだと言うとようやくわかってもらえましたが、当時はムーミンなんか子供の世界にはまだいなかったので、知らないのです。日本史か何かで、「ようやくテレビが庶民の間にも普及し始めた頃、NHKで放映されていた人形劇は次のどれか?」というような問題が出ることはありませんかね。たんなるクイズのレベルですが、それなら「ゆるキャラ」も同じでしょ? 受け狙いで、あんまり程度の低い迎合はしない方がいいように思うのですが…。


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