ノーム・チョムスキー『アメリカンドリームの終わり』、スティーブン・M・グリア『ディスクロージャー』

2017.11.19.14:19

・ノーム・チョムスキー『アメリカンドリームの終わり』(寺島隆吉+寺島美紀子訳 ディスカバー・トゥエンティワン)

・スティーブン・M・グリア『ディスクロージャー』(廣瀬保雄訳 ナチュラルスピリット)

 この二つを、僕は同時に買って、並行して読みました。どちらも非常に面白かった。チョムスキーは著名な言語学者であるのみならず、犀利卓抜な政治評論でも有名で、僕はアルンダティ・ロイ(インド人の女性作家・政治評論家)のファンですが、彼女のお師匠さんに当たる人と言えばいいのか。僕ぐらいの年配なら、若い頃『デカルト派言語学』や『知識人と国家』などを読んだことのある人は少なくないと思うのですが、1928年12月生まれだというから、もう90歳近い人だということになります。この本は「語り下ろし」だそうなので、高度な集中力を要求される彼の他の本と較べてはるかに読みやすい。

 スティーブン・M・グリア氏の方は、僕はこの方面に疎いので知りませんでしたが、この本の「著者紹介」によれば、

 ディスクロージャー(公開)・プロジェクト、地球外知性体研究センター(CSETI)、 およびオリオン・プロジェクトの創始者。2001年5月に米国ナショナル・プレスクラブにおいて衝撃的な記者会見を主催。20名を超える軍、政府、情報機関、および企業の証人たちが、地球を訪れている地球外知性体の存在、宇宙機のエネルギーおよび推進システムの 逆行分析等について証言し、その模様はウェブ放送されて世界中で10億人を超える人々が視聴した。
 全米で最も権威のある医学協会アルファ・オメガ・アルファの終身会員でもある グリア博士は、一連のプロジェクトに専念するため現在は救急医の職を辞しているが、かつてはノースカロライナ州カルドウェル・メモリアル病院の救急医療長を務めた。
 博士には本書の他に4冊の著書があり、多数のDVD も制作していて、地球外文明と平和的にコンタクトする方法を指導すると共に、真の代替エネルギー源を一般社会に普及させる研究を続けている。また、サンスクリットのヴェーダを学び、30 年以上にわたりマントラ瞑想を教えていて、映画「古代の宇宙人」「スライブ」等にも出演するなど、 極めて多彩な活動を精力的に行なっている。


 という、元は医師だが、「UFO研究の権威」の一人なのです。僕はこの方面には詳しくありませんが、関心は昔からあったので、ある程度はこの方面の本も読んでいて、Roswell Incident(ロズウェル事件)に関しては、訳本のみならず、英語のペーパーバックを買って読んだこともあるくらいです。あの事件など、観測気球ごときであの騒ぎになるわけはないので、どう見ても隠蔽工作が行われたとしか思えなかった。この本の複数の証言によれば、やはりあれは本物の「UFO墜落事件」だったということになるので、乗員であるET(地球外生命体)の遺体もそのとき回収されていたのです。

 この本には日本航空ボーイング747のUFO遭遇事件も詳しく述べられています。それは1986年のアラスカ上空でのことで、それは当時の日本の新聞にもベタ記事として出ていたような気がするのですが、FAA(米国連邦航空局)やFBI、CIAはいつものように揃って口裏合わせをして、「なかったこと」にし、その記録を隠蔽したのです。だから、この種の事件の続報はきまっていつもない。お気の毒だったのは見たものを正直に見たと言った寺内機長で、日航は「この事件に関して医学審査委員会を開」き、「その結果、そのような奇妙な現象を見るパイロットを飛行させることは、日本航空にとり賢明でないとの結論になっ」て、寺内氏は地上勤務に降格されてしまったのだという(その後復帰)。地上の航空管制官とのやりとりが実際にあって、そこのレーダーでも31分間にわたって奇妙な動きを見せる目標が捕捉されていたのだから、それが幻覚や錯覚の類であるはずがない。寺内機長はそれを視認して、747機のおよそ四倍の大きさがある「一個の巨大球体」であると管制官とのやりとりで述べたようですが、位置を自在に変え「機の周囲を跳ね回」りながら追尾する巨大飛行物体など「ありえない」ので、かかる幻覚を見るようなパイロットは精神に異常が認められ、危険である、ということにされてしまったのでしょう。

 こういうのは、僕に言わせれば無意識的な「ヒト至上主義」に基づく人間の傲慢な思い込みの一つにすぎませんが、それは一般的なものとして存在するので、軍や政府諸機関はその心理を隠蔽に利用するのです。「そんなもの、常識的、科学的に考えてありえないでしょう? 無意識の願望が投影されて、そういうものが見えたと錯覚することがあるので、そういう人たちはみんな少々頭がおかしいんですよ」などと。仮に中世の人間が今のふつうの航空機を見たとすれば、それは「ありえない」ので、幻覚を見たか、悪魔にとりつかれたかだと思われたでしょう。幸い今は火あぶりにされることはありませんが、それと似たようなものです。

 僕は宇宙人が地球を侵略するなんてことはまずないと思っていますが、それは彼らのテクノロジーをもってすれば赤子の手をひねるようなかんたんなことのはずなのに、それをまだやっていないということからして、彼らはむしろ憐れみをもって人類の有様を眺めているのではないかと思うからです。「どうして連中はああも利己的で、アホなんだろ? とくに支配層が最悪だ。地上の他の生物のためにも、根絶をはかるべきではないのか?」「いや、未開で遅れているんだから、仕方がない。われわれの先祖もかつて愚かだったことがある。彼らのDNAはサルとほとんど同じなのだ。それを思えば頑張っているとは言えるので、もう少し慈悲心をもって、愚かさに自分で気づくまで寛大に見守ってやるべきではないのか?」というような会話が、ETたちの惑星間会議の場で交わされていても、何ら不思議ではないように思われるのです。地球史上、第六番目の生物大量絶滅が進行しつつある今、今回のそれは人為的な要因によるものなので、ETたちの間でも「有害生物退治派」が優勢になりつつあるのではないかという気もしますが、その場合でも彼らの意図は「侵略」ではなくて、「ダニ駆除」みたいな趣旨のものだろうと思われるのです。基本的に彼らは人類ほど利己的でも邪悪でもない。まあ、「宇宙人も色々」かもしれませんが(本書の著者もETたちは核戦争など、人類の愚行を懸念していて、こちらが攻撃しないかぎり襲ってくることはない友好的な存在と見ているようです)。

 この手の本は玉石混交ですが、この『ディスクロージャー』は良質なもので、本文だけでも700頁を超えるので読むのは大変ですが、資料集、証言集としても大きな価値があるので、手元に置いておくと便利です。「へっ、UFOなんて…」という侮蔑も露わな反応を見せる知人に読ませて感想を聞くのもいい。この本によれば、その高度なテクノロジー、エネルギーシステムに学び、それを活用すれば、今の人類が直面する多くの問題が解決できるようなので、きちんと情報を公開してもらいたいものですが、電気自動車ですら石油メジャーは既得権益を害されるというので普及を妨害したのだから、道のりは遠そうです。今の支配階級(民主主義の今、そのようなものは存在しないというのは、それこそ「幻想」に過ぎません)の目に余る利己性からして、彼らが「地球や人類の将来的福祉」はおかまいなしに「目先の自己利得」を最優先するのは明らかなので、それは困難なのです。

 ここで話はめでたくチョムスキーの本とつながります。今のアメリカは完全に「病気」だと僕は思っていますが、どうしてあそこまでひどいことになってしまったのか、そのあたりの経緯をこの本はわかりやすく解説してくれています。訳者の註も周到かつ親切なもので、申し分がない。

 要するに、今のアメリカは「民主主義社会」ではないのです。資本主義かといえば、それも疑問で、著者の皮肉な言い方を借りれば、「企業社会主義」みたいなもので、政治はごく一部の強欲・利己的な特権階級の手に握られている。1970年代にそれは変質し、その後その度合いはエスカレートして今日に至った、というのが著者の見立てです。民主党政権だろうが、共和党政権だろうが、そこは同じなのです。むろん、アメリカンドリームなんてのは今は昔の話で、階級間移動の最も困難な国に、アメリカはなってしまった。

 愚かにも、僕はオバマが当選した時喜びました。あのブッシュの後だったからなおさらですが、同時に暗殺されるのではないかと心配した。しかし、しばらくすると、これは暗殺の心配なんか全くない男だというのがわかったので、相も変らぬ「ウォールストリート政権」のままだったのです。Change!のスローガン空しく、人相も見る見る卑しくなっていった。目玉のオバクケアも保険会社・製薬会社の策謀で「ない方がマシ」なものに変えられてしまったよう(国民皆保険のようなものはアメリカでは「政治的な支持が得られない」ので、これは「ゴールドマンサックスやJPモルガンチェイスなどの金融機関からの支持が得」られないというのと同義だそうです)だし、国際政治に関しても見るべきところは何もなかった。無人戦闘機ドローンによる民間人殺害で名を上げただけだったのです。彼の大統領職はたんなるお飾りでしかなかった。それなら思いっきり粗野で下品なトランプのような男の方が「突破力」があるのではないかと期待して、「貧すりゃ鈍する」中で、ああいうのをえらぶ羽目になったのです。またしてもその期待は裏切られるでしょうが(トランプに二期目はないが、今も危ないので、「余命一年」なんて言われています。しかしそれも、マスコミや良識派の批判によってそうなるというのではなく、「エスタブリッシュメントの意向」に合致しないからその場合は切られるわけで、仮に彼が差別的言動に怒ったイスラム過激派によって暗殺された場合でも、それは防護を意図的に怠ってそう仕向けたという性質のものでしょう)。

 この本には「人類の支配者」という言葉が何度も出てくるので、これはオカルト的陰謀論の類ではないか、と思う人がいるかもしれませんが、元はアダム・スミスの言葉だそうで、述べられていることはいたってまっとうなことです。アメリカ人は“伝統的に”「小さな政府」を好み、とりわけ共和党はそうだと言われますが、額面通りにそれを受け取ることはできないので、強欲なエスタブリッシュメントは人々に自助努力を説きながら、「自分たちが経営危機に陥ったときに、国民の税金を総動員して自分たちを救ってくれる強力な政府機能」と「強力な軍隊」は欲するのです。「それがあれば、世界を支配下に置くことができますし、世界中で展開している彼らの悪行(企業活動)に抗議する『民衆暴動』から身を守ることができ」るからです。

 70年代以降、なぜアメリカの金融資本は巨大化したのか、また、それは「歴史の必然」みたいに思われていますが、なぜアメリカの産業(製造業)は空洞化したのか、あの馬鹿げた経済の「トリクルダウン学説(金持ちを税制で優遇してもっと金持ちにしてやれば、貧乏人もそのおこぼれに預かることができる)」は、わが国でもマック竹中こと竹中平蔵あたりがさかんに吹聴していましたが、そうしたことは彼ら「人類の支配者」の利益にかなうがゆえに「必要なこと」だと主張され、実行されたのです。彼らにとっては確かにそれは「必要」だったが、大多数の人たちにとってはそうではなかった。それは自然なことでも防げないことでもなかったのです。

 アメリカの大学の学費は馬鹿高いことで有名ですが、これも昔は安かったらしいので、名門のアイビーリーク(すべて私立)ですら例外ではなかったのです。今は州立大学ですら驚くほど高額なので、その理由は「合衆国の半分以上の州で、州立大学の財源のほとんどは、州政府からの交付金ではなく、学生が自分の懐から支払う授業料になってしまって」いるからです。その結果、多くの学生は多額の学生ローンを背負って卒業(または中退)することになり、これも有名な話ですが、それは自己破産しても免除されない。著者によれば、彼らは「ネズミ捕りにつかまったネズミ」に等しくなり、たとえ弁護士になっても、借金返済のために「儲けのために動く民間の法律会社に就職せざるを得なくなって」しまうのです。これは他の職種でも同じでしょう。彼らは解雇を恐れて上の命令に唯々諾々と従う「従順な羊」にならざるを得ないのです(日本とアメリカの共通点は、異常に労働時間が長いことです)。

 初等・中等教育もアメリカは悲惨で、貧困地区の学校には予算がないため、まともな教育は提供されず、この本には「ドラッグを飲ませて成績の向上を図ろうとしている医者が少なからずいる」という話まで紹介されていますが、教育に対する公的扶助が徹底して削られているのです。とにかく削れるものは皆削る。そうしないと財政が悪化してやっていけないからだ、と説明するのですが、富裕層の税金を軽減し、金融機関が悪質なマネーゲームに走って潰れそうになったときなどは巨額の税金投入で救済する「余裕」はつねにあるわけで、それは嘘なのです。政治家は選挙(それはますますカネのかかるものになっている)のたびにスポンサー(多国籍企業や機関投資家)の援助をアテにしているから、タテマエはどうあれ、実際の政策や予算の使い道は彼らの意向に合わせたものになる。

 プラトンの哲人政治ではないが、少数者による独裁が正当化しうるのは、それが「良心的な、高潔なエリート」によるものであるときだけです。それでも独善性は免れないが、今のアメリカの場合、それは「極度に利己的なエリート」に支配されるようになっているのです。企業経営者も、四半期三ヶ月でどれだけの利潤が生みだされるかだけが評価され、長期的な視野やそこで働く従業員の福利厚生などは全く考慮されない。考慮されているのはCEOの巨額報酬と株主利益だけなので、人件費などは削った方が利益が上がるから、むしろ容赦なく削るのです。経済のグローバル化にしても、それは「必然」だったのではなく、まず「拷問部屋」と呼ばれるような途上国の貧困労働者を低賃金で使って利益を最大化し、その次は、彼らと競わせて、先進国の労働者の人件費を削減するという方向に進むので、それはアメリカの中産階級を没落させたが、支配層には好都合なことだったのです。

 その際、労働組合が存在すればその妨げになるというので、これを潰すか無力化しなければならない。アメリカのエスタブリッシュメントはこれをやりました。おかげで今は民間の組織率は7%以下まで落ち込んだ、という話ですが、彼らはアカ(共産党)であり、「特殊権益の保持者」なので、世間の人たちとしてもそんなものを擁護すべき理由は何もないというわけです。こうして労働者は自分の首を絞める羽目になった。

 日本の場合だと、労働組合は企業別、産業別ですが、こちらも組織率は下がり続けています。そして国民の支持も低い。理由の一つは、それは多く大企業の正社員を対象としたもので、大半は御用組合と化し、経営陣にすり寄る一方、増える一方のひどい待遇の非正規社員や下請けのために戦うことはないからです。たとえば高額の給料を得ているテレビ局の社員が属する労働組合だと、仕事を悪条件で丸投げしているプロダクションの労働者の待遇改善を求めて戦うことはないでしょう。公務員たちの組合も同様です。パートの人たちの悲惨な待遇を改善して、「同一労働同一賃金」を実現すべきだなどとは口が裂けても言わない。彼らの犠牲のもとに自分たちの好待遇が守られているのだということを承知していて、そうした「差別」は温存するのが得策と心得ているからです。もっとひどいのになると、自己関心しかないので、そういうところには全く目が向かないという人までいる。

 要するに、今の労働組合というのは、正社員としての自分たちの既得権益を守るためのものでしかなく、「一緒に働く仲間」意識なんてものはないので、見ている方もシラけてしまうのです。また、電力会社の労働組合だと、脱原発には当然のように反対する。民進党のこの問題に対する対応が中途半端だったのは、支持母体の連合の電力総連に遠慮したためだったと言われています。国民益のために彼らは戦うのではなく、まさに「特殊権益の保持者」でしかなくなっているので、国民的な支持は得られないのです。

 こういうのはエスタブリッシュメントの見地からすれば、この上なく好都合なことです。それは労働者階級の間に分裂と対立を作り出し、彼らにとっては脅威となる「連帯と団結」を防止することになるからです。非正規雇用が増加の一途をたどる中、正規と非正規の社員の対立が募って、労働者がバラバラになれば、企業が労働者への所得分配を減らして内部留保をため込むこともそれだけ容易になる。「同一労働同一賃金」についても、これはそれを口実に正社員の待遇を下げる口実にも使えるので、「労働者の団結」が欠けている中、結局いいようにしてやられるのです。

 ついでに言うと、今の政府・日銀の円安政策は、輸入型・国内型の多数の中小零細企業にとっては輸入原材料の値上がりなどでメリットは何もありません。製品を値上げすれば、労働者の実質賃金は下がり続けているのだから、単純に売れなくなるので、価格を維持すれば、利益率が下がるだけだからです。こちらは内部留保どころではなく、経営がアップアップで、要は輸出型大企業に有利な政策を取っているだけの話です。正社員も賃上げは、だから、そうした大企業にかぎられることになる。安泰なのはそうした大企業と、景気対策として行われるバラマキ公共事業で潤う大手ゼネコンと関連産業、景気無関係の親方日の丸公務員だけで、他は「貧乏のスパイラル」に入るだけになり、げんにそうなっているのです。官製相場の株価の値上がりは庶民には何の関係もない。国や日銀が必死に買い支えることを承知の海外機関投資家にそのうまみを全部持っていかれているだけの話です。素晴らしい哉、アベノミクス。

 チョムスキーは、今のアメリカ社会の荒廃は、70年代から強力に進められた「金融の規制緩和」と、「産業空洞化(製造業の海外移転)」に国民レベルで有効な反対ができなかったことにあると見ているようです。繰り返しますが、それは偶然そうなったのでも、「歴史の必然」だったのでもなく、「人類の支配者」の意図によって行われたもので、産業・社会構造が意図的に作り替えられたのです。「グローバリズム」なるものは、従って、その意思によって推進されたものです。

 今では当たり前のように思われている、カネがカネを生むマネーゲームにしても、それは社会に財もサービスも文化も何も生み出さない。しかし、それが最も儲かる産業になっているというのは、思えば異常で馬鹿げたことです。製造業でも、「利潤の最大化」を求めて、環境規制・労働者保護規制の少ない低賃金・低コストの国や地域を探し回り、そこに工場を作って安価に製品を作って大儲けしようとする多国籍企業(しばしば法を巧妙にかいくぐって法人税も支払わない)は、元の工場を閉鎖して、大量の失業者を生み出すが、そうした労働者の運命には何の関心も同情も示さないのです。アメリカで起きたことはまさにそれで、これら二つがその潤沢な資金力を背景に、政治を自在に操ろうとし、それに成功してきたのです。

 そうして「グローバル経済」は作られた。「良貨は悪貨を駆逐する」で、いったんそういう構造が出来上がってしまうと、どこでも似たようなことが行われるようになる。そうでないと生き残れないということになってしまうからです。その中で労働者は「低賃金競争」を強いられることになる。格差もその中で生み出される。正社員の賃金をそれに合わせて削ることはできないとなると、それを補うために低賃金で身分保障のない非正規労働者を増やして、トータルで人件費を削るしかなくなってしまうからです。「下見て暮らせ圧力」が強くなるので、正社員の立場も自然弱くなる。「何、文句があるって? 非正規と較べて、自分がどんなに恵まれているか、わからないのか?」で、サービス残業もあたりまえということになり、職場のブラック度がどんどん増すことになるのです。

 長時間労働が一般的になれば、それは「労働者を従順にする」効果をもつ、とチョムスキーは指摘します。余暇や精神的ゆとりがなければ、じっくりものを考えることなどはできなくなるからです。その分、安易な政治プロパガンダに乗せられることも多くなる。低能のトランプはそこらへんをはき違えて逆さまなことを言っていますが、アメリカ発のグローバリズムは、同時に世界に「富と権力の一部の集団への集中」という現象をも輸出した。経済成長の果実は、発展途上国においても公平に配分されることはなく、かえって貧富の格差を拡大する方向に作用しているのです。アメリカでは1950年代、60年代は経済成長の恩恵は全階層に行き渡っていたが、今はそうではないとありますが、それは日本においても同様です。中国やインドはアメリカに劣らず格差が甚だしい国だと著者は言いますが、それはこれらの国々が遅れて経済発展した国だからで、それは今のグローバリズムの中に内蔵された性質だからです。そこには権力(それと結託した富裕層)の横暴を抑制する装置は存在せず、貧しい者は貧しいままに留め置かれ、インドや中国では公共事業のためと称して農民が土地を奪われて流民化するという現象まで起きているのです。

 アメリカは「世界に先駆けて」富裕層の減税、法人税減税、投資減税などを行ってきたわけですが、かの国が大きな経済成長を遂げていた50、60年代は金持ち個人に対する税金は今よりはるかに高いものだったと、チョムスキーは言います。法人税はそれよりさらに高く、また株の配当に対する課税はもっと高くて、全体として富裕層の税負担は今とは比べものにならないくらい高かったというのです。

 ところがいまやそれは大きく修正されてしまいました。超大金持ちに対する税金は低くなる一方です。そして、それに反比例して民衆への税金は増大化しています。そのように税制が組み替えられてきたのです。しかも、所得税と売上税(消費税)だけで、株の配当には課税されない方向へと進んでいるのです。

 産業空洞化に加えてこれでは、一般大衆の貧困化が進むのはあたりまえですが、わが国でも「経済成長にはそれが必要だ」なんて言うエコノミストがまだいるわけです。あの恥知らずなマック竹中なんかその典型ですが、どういうわけだかこうした動きを批判すると「空想的な左翼の寝言だ」なんて薄笑いを浮かべて言う人が少なくないのです。しかし、貧乏人の数を増やして、その可処分所得をさらに減らす、なんてことをやったのでは景気はよくなるわけがない。需要が縮小するからで、株高を演出し、インフレ期待を起こせば景気はよくなるなんて、たんなる机上の空論に過ぎません。モノが高くなれば買う量を減らすだけだから、企業の売上は増えず、従って賃金も上げられない。実体経済とは別のところで投資マネーが行き来しているだけなのです。そっちの方がよほど「空想的」な話だということになる。そして今の日本の「雇用の改善」なるものは大部分、たんなる労働者人口の減少に伴う自然現象にすぎないのです。アベノミクスの成果だなどと自慢するのは安倍本人だけです。

 アメリカの場合だと、近年の経済成長の果実は大部分が富裕層に吸い取られ、一般のアメリカ人は確実に貧困化しているというデータが(この本ではないが)出ています。そのやり場のない怒りと不満がトランプ大統領を生んだ。彼はアメリカファーストで、国内に雇用を、製造業を取り戻すと言ったからです。それは間違った因果関係の理解に基づいていて、真の敵が国家内部にいることはわかっていないようなので、決して成功することはないでしょうが。

 僕は経済学は素人ですが、実際の経済のしくみがどうなっているかは、カネの流れを追えばわかるということは承知しています。そこに不自然な富の偏在、集中が発生しているとすれば、それは経済構造が不正なものに作り替えられているということです。アメリカの支配層はそれをたしかにやって、そのシステムを世界に輸出してきた。それをまず認識しなければ、何も始まらないわけです。その経済構造の中でどうすればうまく行くかを考えても、それは第一着手が間違っているのだから、矛盾と混乱を募らせるだけです。

 長くなったので、これくらいにしますが、チョムスキーのこの本はそこらへんをあらためて考えさせてくれる本でした。「日本を考える」役にも立つのです。もう一つだけ付け加えさせてもらうと、こうした「カネの流れ」というのは、予算などを見ても、見かけだけではわからない。たとえば、福祉予算、文教予算というものが示されても、それがどこに流れているかを調べないと、本当に名目通り役に立つものになっているかどうかはわからないのです。それがいりもしない特殊法人に流れて、天下り役人の法外な退職金支払いに流用されていることもあれば、政治家や役人と結託した悪徳事業者の私腹を肥やすために使われていたりすることもあるのです。発展途上国への医療支援のはずが、実際はその支援金の大部分が西側の悪徳巨大製薬会社に吸い上げられていた、なんて話はかなり有名ですが、今の世界には内外を問わず、そういう「吸血ダニ」みたいな連中がたくさんいるようです。彼らは表向き「名士」を気取っていても、社会の体力を奪う元凶になっていることが多い。日本の今の国家予算でも、そういう連中の懐に入る無駄金を全部排除すれば、消費税増税分を上回る金額が節約できるでしょう。それほどその規模は大きいと想像されるのです。寄生虫は余儀なき事情で生活保護を受けている人たちではない、紳士淑女顔したそういう連中なのです。見えにくいそういうところにも注意を向ける必要があるということですが、一般人にはそんなことを調べているヒマはないので、ジャーナリストたちはそこらへん、低俗ネタばかり追うのでなく、肩書にふさわしい仕事をしてもらいたいと思います。

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情実認可「加計学園獣医学部」の未来

2017.11.13.15:54

「無理が通れば道理引っ込む」を地で行くこの問題でしたが、加計学園にとってはめでたいことに、岡山理科大獣医学部に「正式認可」が下りたようです。今治市は巨額の税金を投入し、校舎建設も進んでいる折柄、国も今さらダメとは言えないので、世論の反発を考慮して一時待ったをかけたものの、既定方針通り認可されたわけです。むろん、「疑惑」は丸残りで、大方の人はこれは「総理案件」だったから認可されたと思っています。

 この件を擁護する人たちはこう言います。首相のお友達だから認可されたわけではない。今治市はこれまで十五回も獣医学部新設を申請して、全部却下されていた。たまたま安倍政権のとき認可されたからあらぬ「疑惑」を言い立てられただけで、文科省の「岩盤規制」を「総理のご意向」によって突破した安倍さんは立派で、正しいことをしただけなのだと。

 日本獣医師会は一個の圧力団体で、これが文科省や族議員と「共謀」して認可を妨げていたというような見方をする向きもあるようですが、「獣医師は不足しておらず、問題は獣医の適正配置と待遇改善が進まないことだ」というのが獣医師会の関係者の共通認識のようで、もしも獣医師が足りていないようなら、ブラック動物病院(多数ある)の問題などは生じないわけで、公共機関の獣医師の待遇なども人手不足なら自然に上がっているでしょう。文科省には昔、歯学部を増やしすぎて、歯科医院の乱立を招き、ワーキングプアの歯医者を生み出してしまったという“前科”があります。大学の数自体、増やしすぎたので、地方の無名私大などは軒並み定員割れ(それも大幅なもの)して、自治体のお荷物になっているところが少なくありません。少子化が進むという予測はずっと前からあったのに、知恵の回らない自治体が「町おこし」のために右へならえで大学誘致に走り、文科省は安易にそれを認めすぎたので、こういう結果になってしまったわけです。

 そのあたり、文科省は無責任のそしりを免れませんが、最近の定員厳格化(守らないと補助金減額の脅し付き)の通達は、それは比較的人気の高い大都市圏の私大を標的にしたものですが、それによって定員割れ私大にも生徒が流れるようにするのが狙いで、おかげで今年あたりは僅かにその定員割れの度合いが“改善”したようです。

 獣医学部の場合は、文科省や日本獣医師会の意向はどうあれ、数が少なく、受験生の人気は比較的高いところから、ふつうなら定員割れする恐れは少ない。たしかに、政府が閣議決定した新規認可の四条件、「既存の獣医師養成ではない構想」「ライフサイエンスなど新たな分野の需要」「既存の大学では対応が困難」「近年の獣医師の需要動向を考慮」を加計の獣医学部はほとんど満たしておらず、それが「情実認可だ!」と言われる要因の一つになっているのですが、それが何だというのだ、「今治にとって黒い猫でも白い猫でも獣医学部を作ってくれるのが一番よい猫だ」(加戸・前愛媛県知事の迷言)ということになるのです。

 各種マスコミで何度も指摘されたように、建設費用も設備の割に坪当たりの単価が異常に高く算定されており、事実ならそれは体のいい「公金横領」に他ならないと僕は思いますが、「黒いネコ」なのだから、そのあたりは仕方がないということなのでしょう。

 問題は、しかし、それが税金をむさぼり食うだけの猫ではなく、「ネズミを捕る」有能な猫かどうかということです。つまり、学生集めに成功して、今治市に活況をもたらすようになるかどうか、です。獣医学部だから心配はない、と果たして言えるのかどうか。

 僕が住んでいる延岡市には九州保健福祉大という私大が一つあります。社会福祉学部、保健科学部、薬学部、生命科学部(2015年新設)という四つの学部をもつ大学ですが、これも実は「加計学園グループ」の順正学園というところの経営です。その「理事長・総長」は加計美也子氏、例の加計孝太郎理事長のお姉さんなのです。

 その最新の20017年度入学者数は317人で、定員充足率は61・6%です。「中でも保健科学部は定員170人に対し62人(36・5%)と減少が目立ち、新入学生の確保が大きな課題となっている」(地元紙の夕刊デイリー)というのです。コピペできないように加工されているようなので、詳しくは次のサイトをクリックして直接ご覧ください。

九保大の学生増に協力

 薬学部などは一時薬剤師国家試験合格率日本一を誇り、市役所の前に大きな垂れ幕が出ていたこともあるのですが、ネットにネガティブ情報が出たりしたこともあるせいなのかどうか、不人気らしく、この記事によれば、今も国試は合格率96%の高い割合なのですが、定員充足率は65.6%まで落ち込んでいるのです。薬剤師資格を取れば後が安泰、という薬学部ですらこれなのです。センター方式だけではなく、三教科入試、二教科入試、一教科入試、と入試方式はたくさんあって、指定校含めた推薦合格なども乱発しているようですが、うちの塾でここに進学したのは、十四年間でたったの一人で、それは関東地方の公立大にも合格していた、割と優秀な生徒だったのですが、薬学部の方が将来性があるし、自宅から通えるというので行ったので、ほとんどの生徒は行きたがらないのです(薬学部への進学者自体は他に何人もいる)。僕が一番信頼が置けると考えている最新の河合塾の偏差値ランキング表では、最高が「生命医科学-生命医科学前期二教科」の40で、薬学部も三教科・一教科入試は35しかなく、ランキングの一番下の欄にほとんどが並ぶという不名誉なことになっているのです(まさか薬学部でその偏差値はないだろうと言う人がいるでしょうが、そういう方は自分でご確認ください)。

 偏差値35で国試合格率96%は凄いなと、僕などそれには素直に感心するのですが、先の塾生のように、地元の高校から行った生徒にはかなり優秀な生徒も含まれているので、それに助けられているのかなと思いますが、薬学部の場合はおそらく猛勉させられるのでしょう。何にせよ、そうした高い合格率も外部からの呼び水にはならないわけで、この惨状なのです。

 開学は1999年だそうで、その経緯を僕は知りませんが、「加計の呪い」なのかと、笑えない冗談の一つも言いたくなります。ちなみに、同じ加計学園グループの倉敷芸術科学大なども、九保大と同種の学部・学科を多くもちますが、最高でも40しかなく、35が大半で、全私大同系学部・学科の中でも仲よく最下位争いを演じているのです。それはたんなる偶然なのか? 千葉科学大なども偏差値は最低ランクの35なのです。今度の獣医学部は岡山理科大(有名な東京理科大とは無関係)の新設学部としてスタートするわけですが、あそこも最高が47.5で、多くは30台です。こちらは開学は1964年と割と古く、昔はそれなりの評価を得ていたようですが、上がる大学と下げる大学がある中で、後者に入ってしまったようです。内を固めてしっかりした教育を地道に積み上げるのではなく、二代目の今の理事長がそれをないがしろにして「拡張路線」に走りすぎたきらいがたぶんあるのでしょう。少子化が進む中で地方私大はどこも苦戦を強いられているとしても、その中でも評価を上げる大学と下げる大学はやはりあるわけで、経営母体のやり方はそれと無関係とは言えないからです。

 加計の新設獣医学部に話を戻して、あれは「総理案件」だから通ったのであって、獣医学部の新設は今後はなさそうだから、競争相手がいないことも幸いして当初は偏差値55程度にはなるでしょう。加計学園は韓国で獣医学部のPRを熱心に行っていて、留学生枠を確保して、国内枠をそれだけ絞り込もうとしているようなので、なおさらです。この獣医学部には「獣医学科」の他定員60名の「獣医保健看護学科」も設けられるようですが、こちらはすぐに定員割れを起こすようになってしまうでしょう。獣医学科も獣医師の国家試験が通らなければ何にもならないので、「先進的な教育」はたんなる宣伝文句にすぎないとしても、こちらはかなり必死に受験対策をやるはずで、市や県もバックアップに乗り出して、明文化すると不公平のそしりを免れないのでそれはしないが、公的機関の獣医師採用などには「優遇条項」を設けて優先採用するなどするでしょう(その是非はともかく、この種の「不正」はどこの地方自治体にもあります)。

 問題は、開学当初からこれだけの悪評が立って、それがどの程度影響するかです。既存の国立・私立の獣医学部には学力不足で入れないが、志は高いという熱心な学生が集まればうまく行くでしょうが、そうは問屋が卸しますか、どうか。僕自身はああいう学校経営者には疑問をもつので、生徒に「ダメならあそこがある」とは言わず、勉強してちゃんとした獣医学部に入れるよう頑張るように言い、学力で届かなければ志望学部を変更するようアドバイスすると思いますが、学校関係者にも同じような考え方をする人はかなりいそうで、今治市は「やはり猫をえらぶべきだった」と後悔の臍(ほぞ)を噛む羽目になるのではないかという気がしてなりません。五年、十年とたつうちに、そのあたりは自ずと明らかになるでしょう。数ある安倍政治の「負の遺産」(まだそれに気づいている人は少ない)の一つに数えられる可能性はかなり高そうだということです。

【追記】次は毎日新聞電子版11月15日 22時06分の「加計 ノーベル学者『輩出』? 削除へ 韓国留学生パンフ」という見出しの記事です。ノーベル賞もいかさまなら、「日本で有名な名門学校法人」も聞いて呆れるので、同じ有名でもそれは notorious の方でしょう。この分では僕の上記の懸念はほぼ間違いなく的中するはずで、教育をこの学園は何と心得ているのか? 中には良心的な教育者や職員もいるだろうに、経営陣がこういう香具師(やし)の集まりでは、その人たちの地道な努力も報われず、明るい未来など期待する方がまず無理というものでしょう。

 学校法人加計学園が韓国で配った岡山理科大獣医学部の留学生募集パンフレットで、同大は2010年にノーベル化学賞を受けた鈴木章北海道大名誉教授らを「輩出」し、「世界が認める研究成果を挙げている」と記述されている。鈴木氏は北大教授時代の1979年に発見した有機化合物合成法でノーベル賞を受け、北大退官後の94年に岡山理科大教授となったが、在任は1年間にすぎない。
 岡山理科大での業績と誤解を招きかねない表現について、同学園広報室は取材に15日、毎日新聞の指摘を受けて当該部分を削除するとした。
 加計学園は獣医学部定員140人のうち20人を留学生枠とし、14日の設置認可前から韓国でパンフレットを配っていた。毎日新聞が入手したカラー6ページのパンフレットは「(獣医師は)日本の会社員の2~3倍の高収入」とし、学園のホームページでもハングルで「日本で有名な名門学校法人」とアピールしている。
 パンフレットによると志願資格は来春までに高校を卒業し、所定の日本留学試験を受けていることが条件。日本語600字の志望理由書などの提出も求めている。学園の系列大はアジアや中東などから留学生を受け入れている。【福永方人、金秀蓮】

優しいシリアルキラーと今の日本社会

2017.11.08.17:22

 何でもアメリカの後追いをしてきたわが国は、いずれ異常殺人者の比率でもアメリカに接近することになるかも知れません。もうだいぶ前のデータですが、米国では逮捕されていないシリアルキラー(連続殺人鬼)が全体で数百人はいるだろうという話で、あの国は銃社会ゆえの殺人事件の多さとはまた別に、そういう「病気」のプレデター(捕食者)と化した人間もどきも大量に生み出しているのです。

 今回の座間市の九人殺害の犯人、白石隆浩は、発覚しなければ犯行をさらに重ねていたであろうと見られています。彼の「狩場」はネットの自殺サイトの類に助けを求める自殺志願の若い娘たち(被害者には15歳の少女も含まれていた)で、ツイッターで「首吊り士」と名乗って「獲物」を引き寄せていたのだという。最初の被害者の女性からは50万を巻き上げ、それをアパート契約の見せ金に使ったが、カネをもっている相手からはそれを取り上げ、ない相手も快楽殺人の対象にはなるから、解体した前の被害者たちの遺体を置いたままのアパートに次々呼び寄せて殺していたわけです。この世の沙汰とは思えないが、この世にも「魔界」は出現しうるわけで、彼は見た目は人間の姿をしているが、実際はあのハリウッド映画の『プレデター』そのものになっていたわけです。頭蓋骨のコレクションが、実際そこにはあった。

 東名高速のあの事件の犯人の土木作業員は見るからに「凶悪顔」で、その短絡的で身勝手な反応パターンも外見と一致していて、ある意味わかりやすいが、このプレデターは気の弱そうな優男で、そこらへん、イメージとはだいぶギャップがあります。子供時代の彼を知る人たちは一様に「おとなしい」「影が薄かった」と言っているようですが、大人になってからも「凶暴」な印象は与えることがなく、おそらく派手な喧嘩なんかは一度もしたことがない(というより、できない)若者だったのでしょう。

 それでも、彼が餌食にしたのは非力な自殺志願の若い娘たちだから、殺すのは造作なかったわけです。子供の頃から存在感が希薄で、とくに秀でた面は見当たらず、外面(そとつら)だけは妙によかったといった話からして、彼は喜怒哀楽に乏しい、「偽りの感情」を演出しながらかろうじて生きてきた人間だったのではないかという疑いがもたれます。一種の情性麻痺です。だとすれば、元々問題を抱えていたわけで、それが仕事も長続きせず、違法スカウトの仕事で逮捕され、執行猶予判決を受けてからは新しい仕事を探す気も失せて、元々抱えていた強い自己不全感が前面に出て、人を殺すことのスリルに束の間の「リアルな実感」を見出し、それに中毒してしまった。そう想像されます。警察での供述は二転三転して、何が真実なのかよくわからないという話ですが、元々「真実がない」というのがこうしたシリアルキラーの特徴の一つで、「本物の感情」の欠落に、彼らは一番苦しんでいるのです。だから「自分も死にたいと思った」というのもおそらく嘘ではないので、彼らの犯行は通常、自己破滅衝動と表裏一体をなしているとされます。この世界は「リアルさ」をもてない彼らにはモノトーンの堪えがたい世界でしかない。瞬時の「殺人の快楽」以外、生を確認する手立てがなくなったのです。

 これは完全な「病気」ですが、自然から遊離し、周囲の人間にさえ基本的に無関心で、心の自然な通じ合いというものが乏しくなって家族間ですらそれがないのが珍しくないという今の文明社会では、「感情の稀薄化」は程度の差こそあれ共通の病理で、互いをモノ扱いすることからなおさらそれは募ります。自殺志願の若い娘たちにしても、半ば嘘と知りつつ、白石のような男の「優しい言葉」にだから魅かれてしまうのでしょう。防衛の鎧をつけた人々の間で、マニュアル化された言葉、対応に囲まれて生きるというのは辛いことです。だから感情を殺すようになって、そうするとそれによる「生の実感」の欠落が何とも言えない閉塞感、空虚感を生み出すのです。

 白石のような、おそらくは子供の頃から「感情の稀薄さ」という病理を抱えていたのであろう人間は、その本来の傾向に拍車がかかってしまう。それは十分考えられることです。豊かな感情の持主に囲まれていれば、生来の感情的な稀薄さもそれに刺激を受けて改善の方向に向かったかもしれないが、こういう社会下ではそれが逆に作用して、どんどん情性麻痺の症状が進んでしまうのです。

 それで行き着いたところが連続殺人というのでは洒落にはなりませんが、そういうところがあるのではないでしょうか。話はいくらか横道にそれますが、僕はかねて、昔はあちこちにたくさんいた「笑える変人」が今はいないのはなぜだろうと思うことがあるのです。今の変人というのはたんなる「異常者」で、背筋が寒くなるような連中ばかりだからです。

 先日も郷里の母親と電話で話していて笑ったのですが、昔電話がまだ普及していなかった頃は、地区に一本の電話しかなくて、何か緊急の用があるときは、そこに電話をして、マイクで呼び出してもらっていたものです。ある地区ではその呼び出しを担当している家のおばあちゃんが、「○○家の△△さん、電話やで。早う来い!」と言った後、「ついでやから、浪花節を一つやったろか」と言って、誰も頼んでいないのに浪花節を長々と披露し始め、それが地区全体にマイクの大音量で流れるのです。おばあちゃんが電話を取ったときはほとんど毎回のように昔の浪花節を聞かされるというので、地区の人たちは閉口したようですが、ご本人は気にした風もなく、平気で浪花節を歌い続けたという話で、このおばあちゃんには他にも数々の笑えるエピソードがあったのですが、その変人ぶりはその息子にも受け継がれ、民生委員をその人がやっていたとき、地区の若者のために「婚活パーティ」を開き、仲をとりもつ役を任されたのだという。ご本人を知る人は皆笑って「それはアカンわ」と言ったそうですが、果たしてその予想は的中し、パーティの後、女性の側に「どうや?」と聞いて、ちょっと口ごもるようなことがあると、そのまま男性の家に行って「おまえ、相手は全然その気がない。男らしゅうさっさと諦めや」なんてことを言うので、成婚率はいつまでたってもゼロのままで、耐えかねた役所の職員が「人選の誤り」を認めて、その役回りから手を引いてもらったとか。

 こういうのは土地柄にもよりますが、僕が子供の頃はそういう個性豊かな「ヘンなオトナ」がたくさんいたもので、ヘンでない大人の方がむしろ少なかったような気がするのです。それはむろん、不気味な感じの「ヘンさ」ではなかったので、互いに譲らぬ変人のAさんとBさんが道で会って、こういうことになったというような話が尾ひれをつけて語られ、皆はそれを面白がっていたので、そういう話がほとんど無数にあったのです。

 僕の父親なども偏屈で有名で、上の浪花節語りのおばあちゃんの息子と同世代ですが、同時期に民生委員をしていて、二人ともそれは長かったのですが、どちらも口が悪い割には老人などの面倒見はよかったので、適任と言えば適任でしたが、その独断と無遠慮さではいい勝負だと言われていて、にもかかわらず、互いに「自分はあいつと違って常識がある」と思っているらしいのは笑えたのです。父に関しては、昔、こういうことがありました。あるとき、息子の他、従兄たちも集まった席で、若者向けの訓戒を垂れたことがあったのです。「言いたいことが十あったら、言うのは半分にしなければならない」と言った後で、ちょっと考えるふうを見せ、「いや、それでもまだ多すぎる。一つか、多くても二つにしないといかん」と訂正しました。いつも自分が言いたいことだけ言うと、相手の反応などにはお構いなしでさっさと去ってしまう人間だったので、そのときも通りかかったついでに訓戒を垂れたという感じで、そのまま盆栽いじりか何かをしに行ってしまいました。それは正月で、ミカンを持ってきた母に、従兄の一人が笑いをこらえて「○兄はあれでも言いたいことを我慢しとるのやろか? 百パーセント、全部言うとるような気がするけどな」と言うと、母は澄ました顔で、「さあ、あれは本人の『努力目標』みたいなものと違うか」と答えたので、爆笑になったのです。誰がどう見ても、「言いたいことを一つか二つにとどめている」人間には見えなかった。目上の人にでも、「そんな馬鹿なことがあるか」などと平気で言うので、母はハラハラしっぱなしだということを、僕は子供の頃から見てよく知っていたのです(フヌケはイヤだが、父さんみたいな人も恐ろしいので、世の中にはなかなかちょうどいい人はいないものだというのが母の嘆きでした)。

 こういうのは、昔は全体に精神的なゆとりがあって、そういう変人に対する社会の許容度が高かったからだと思うのですが、今はその種の許容度が低下して、その分楽に生きることができなくなり、互いに「正常」を装い合う努力の中で感情の抑圧が進んで、かえって異常になってしまう人間が増えたのでしょう。日頃ホンネで交流することが少ないから、喧嘩も含む自然なやりとりの中で人間的に成熟してゆくということも難しくなった。僕自身は長男のつねとしてそういう変人の父親としょっちゅう衝突していましたが(ワンマン的な人は意外にそうですが、父も権威主義的でなく、不思議な柔軟性があった)、家父長的な父親がまだいた時代には、子供や若者は父親という「権力」に対抗して人格形成をはかり、その過程で「体力」も養われたので、並大抵のことでは潰れないだけのタフネスがそれで身についたような気もします。僕はそういう封建制を懐かしがる者ではなく、家庭が「民主的」になったのは進歩だと思うのですが、子供や若者はその分、自分で「壁」を見つけないと成長の機縁がないまま大人になってしまうという危険も生じたのです。また、「民主的」な家庭は、悪くすると当たり障りのない関係になりかねないので、ホンネのやりとりが不足して、外から見ると仲はよそさそうだが、実は風通しが悪く、互いの間に大きな壁ができてしまうということもありうるのです。互いに気をつかって、精神的な負担になりそうなことは隠して言わなくなり、問題が大事に発展して初めてそれがわかるようなこともある。互いに「優し」すぎるから、それが裏目に出てしまうのです。

 そういうふうに、あれやこれや、別に意図したものではないにもかかわらず、「感情の抑圧」システムが社会のあちこちにできてしまい、それが笑えない変人=異常者を生み出す土壌になってしまっているような気がするのですが、いかがなものでしょう?

 一般に、正気を担保するのは理性だと思われていますが、これは間違いで、感情の豊かさと安定なのです。前に愛知県の高3生だったか、「人を殺す経験がしてみたかった」と言って、見ず知らずの中年主婦を金槌でボコボコにした上で、包丁で刺して殺すという事件がありました。彼は模試の成績が偏差値70を楽に超える成績優秀な生徒でしたが、なぜ主婦を襲ったかときかれて、「未来のある若い人はよくないと思ったから」と答えました。中年のおばさんならもう大した未来もないからいいだろうと考えたということになりますが、その是非はともかく、彼は「合理的に」考えてはいたのです。頭はすこぶるよかったことからして、理性能力はあったが、感情的に異常に未熟だった。この場合も情性麻痺の症状は明確に認められるので、犯行の原因はそこにあったのです。裁判の精神鑑定では「犯行時はアスペルガー症候群が原因の心神耗弱状態であった」とされ、医療少年院に送致されたそうですが、理性能力というのは安定した豊かな感情の支えなしでは何の役にも立たないのです。ナチス流の優生学思想なども「合理的」ではあるので、それが「狂気の沙汰」であると判断できるのは人間らしい、生きた感情があるときだけなのです。

 だから感情の抑圧ほど有害な、恐ろしいものはないと言えるので、硬直した政治的・宗教的イデオロギーや道徳的タテマエなどはそれをもたらすからこそ危険なのです。文明化、社会の組織化が進んで、機械に似せて作ったシステムに人間が適応を強いられるときも、同じ弊害が生じる。昔、心理学者のユングが何かに書いていましたが、文明化が進むにつれて、戦争は長期化し、犠牲者の数も格段に増えるようになった。抑圧された感情は無意識の中でネガティブな化学反応を起こし、それが憎悪や怒りなどの感情を生み出すのですが、文明化された社会ではその蓄積量がかつてないほど多くなり、それが「消費」されるのに時間がかかってしまうのです。昔の未開部族社会の戦争などはごく短期間しか続かなかった。争いにエネルギーを供給する敵意や憎悪の蓄積量が少ないからで、それが尽きてしまうとアホらしくなって戦いを続けることができなくなり、自然「もうやめようや」ということになってしまうのです。

 地下のマグマが一定量蓄積すれば、時間の問題で火山は噴火します。戦争なども政治経済的要因の分析だけでは説明できなくて、文明化された社会では感情が抑圧されやすいから、上記の「化学反応」でどんどんネガティブなどす黒い感情が蓄積されていくと、それははけ口をどこかに見出さずにはいられなくなり、病的な犯罪や戦争というかたちで噴出せずにはすまなくなるのです。

 こういうことからすると、いわば「心の政治学」というものが必要なのがわかるので、今の日本社会は相当焼きが回っているなと感じられます。自民党の政治家たちや日本会議などの右翼団体は「愛国心」や「道徳教育」を学校でもっと行うべきだと言いますが、そんなものは必要ではない。健康な成熟した市民をつくり出したいのなら、家庭でも学校でも、子供が自分の正直な感情や思い(それが「前向き」なものでなければならないというのは、それ自体が抑圧です)を口にでき、オトナがそれと正面から向き合って、感情を抑圧することなく、対話を通じて子供のホンネの成熟がはかれるような教育を行うべきなのです。ところが、今のオトナは全般にロボットのできそこないみたいな人が多く、ことに学校の教師には空虚なタテマエ以外には何も持ち合わせていないような人が多すぎるのです。家庭でも企業がどんどんブラック化する中、オトーサンたちは疲れ果ててしまって、子供の教育の責任は全部母親になすりつけておしまい、という人が増えている。子供はその成長のプロセスで親や学校の教師に対して「挑戦」を試みることが何度もあるものですが、頭ごなしの否定やタテマエを振りかざすだけでそれにまともに対応しないというのでは、「言っても無駄」ということで、子供は何も言わなくなります。そしてそういう子供たちは、いわゆる「よい子」であればあるほど、自分のホンネに向き合うことを、葛藤が増えるのを恐れて避けるようになって、そのうち自分の正直な感情が何なのかもわからなくなり、出来合いのタテマエに振り回される中、強い自己不全感に悩まされるようになるのです。自分の深い感情がキャッチできなくなっているので、そこにどんなものが蓄積されているのかもわからなくなる。そうして非常に危険な状態に導かれてしまうのです。

 今は各種のマニュアルやハウツー本の花盛りですが、機械の使用マニュアルならともかく、いちいち接客や仕事の手順、クレーム対応、勉強の仕方まで細かく型通りの指示を押しつけ、押しつけられる方もそれを有難がるなんてのは管理社会の末期症状で、病気だと僕は思います。セールスの電話などでも、録音テープを向こうで回しているのかと不気味になってくることがあるのですが、ロボットが人間に近い能力を示すようになるのに歩調を合わせて、人間がロボットに近づいているのです。いずれはどちらなのか区別がつかなくなってしまいそうですが、人間はロボットにはなりえず、それには必ず無理が伴うから、感情が抑圧されて、その部分が成熟しないまま大人になり、それが異常な犯罪や愚行としか言いようのない政治行動などにつながって、この世界に破壊的な作用を及ぼすようになるでしょう。

 シリアルキラーの話からは脱線しましたが、こういうのも大きな文脈に置いてみれば、そうした社会病理の一面を示すものではないかと、僕は申し上げたかったのです。風通しの悪い管理社会化の中で進行する、生きた人間としての感情の稀薄化やその抑圧がどれほど危険なものであるか、僕らはもう少しそれを認識すべきではありませんか? 健全なモラルも、豊かな生きた感情があればこそ、なのです。

『アベノミクスによろしく』~アホノミクスの愚劣さと恐ろしさを凝縮した本

2017.11.04.14:59

 例の「講演会もどき」も無事終了し(お集まりいただいた皆さん、お世話いただいた方々、どうも有難うございました)、翻訳の方も、版権契約が完了したとのことで、一昨日、出版社から正式にゴー・サインをもらったので、編集者との作業に入るにはまだちょっと時間がありそうですが、訳はすでに完成していて、後は手直しをするだけ(とは言っても、それはそれで手間取る)なので、一息入れがてら、書かせてもらいます。

 先日本屋をウロウロしていたとき、添えられたマンガに思わず笑ってしまい、中身をパラパラ見て「中身もしっかりしていそうだ」と思って買ったのですが、これはほんとに面白い本です。この前の選挙では、二十代、三十代は自民党に投票したパーセンテージがとくに高かったそうで、「何考えてんだ? いや、何も考えてないのか?…」と僕は呆れたのですが、その中には「株価は上がって、経済指標も改善してるし、大学生の就職率も上昇している。安倍総理のトランプへの異様なゴマスリも、憲法改正も、現実的には“それしかない”対応で、野党は些細な『もり・かけ』問題で批判してるだけで、政権担当能力はゼロ、自分はパヨクなんかと違って、現実的な考えができる人間だから、自民に入れたのだ」なんて、真面目な顔して言っている若者がたくさんいるのでしょう。

 そこまでアホなのではどうしようもないな、と僕のようなヒネたオヤジは思ってしまうのですが、この本の著者、明石順平氏は1984年生まれの弁護士で、まだ32歳です。つまり、今の若者にも賢い人はちゃんといるということを示しており、その点でも心強い。

 尤も、ヒネたオヤジにもアホは珍しくないので、とくに専門家やインテリを自任する人は、例の有名な童話『裸の王様』を地で行くみたいなのが多く、王様は実際は裸で、パンツもはかないで粗末なアレをブラブラさせているだけなのに、その「見えざる衣装」を専門用語を駆使しつつ、とやかく論評して、「もののわかった人間」であることが示したつもりになっていることが少なくないのです。一般世間のオトナも、「ホンマでっか?」なんて言うと、自分の無知を暴露してしまうのではないかと恐れて、尤もらしい顔をして、そういう話にいちいち頷いて見せたりするのです。

 この本の著者はその『裸の王様』の男の子と同じで、そのような猿芝居には騙されず、自分の目と頭を信じ、データを精査した上で、逆立ちした驚くべき現実そのまま(「王様は裸だ!」)を暴露した。あの童話ではそれをきっかけに、周りもその虚偽の幻想から目覚めるのですが、大勢の人がこれを読めば、「安倍さんの極右がかった政治姿勢と独善性はちょっと心配だけど、アベノミクスのおかげで経済は持ち直したからね」なんて馬鹿げたことを言う人は一人もいなくなってしまうでしょう。要するに、安倍は全部ダメ!ということがよくわかるのです(「謙虚な対応」などと言いつつ、その舌の根も乾かないうちに、「野党の質問時間を削る」などとたわけたことをほざいているのはいかにも安倍らしいのですが)。

 ある程度はすでにこの馬鹿げた幻想から人々は覚め始めていると言っていいでしょう。先の衆院選のさなか、株価は上昇を続けていましたが、それで「景気がよくなっている」という話につなげるような人は、虚言症の安倍以外には誰もいなかったからです。すでにあれが官製相場だということは知れわたっていて、それを利用して儲けているのは海外の機関投資家だけ(それは海外のハゲタカに国富の収奪を許しているということを意味する)ということは常識になりつつあり、一般の日本人は貧乏になるばかりなのを人々は実感しているからです。

「アベノミクスはたんなる亡国的詐欺」だと承知している人には、この本の三分の二は周知のことだろうと思いますが、それでもこれだけきっちりデータを示して論じている本は珍しいし、「第4章 GDPかさ上げ疑惑」などは、僕も全然知らなかったので、そこまでセコい操作――これを国家的犯罪と呼ばずして何をそう呼ぶか!――をしていたのかと、驚きを新たにしました。太郎君とモノシリンというキャラの対話形式で話は進行し、非常に読みやすくできているし、展開もすこぶるロジカルなのでわかりやすい。元々はブログ記事だったそうですが、これだけ明快な文章が書けるというのは頭がいい証拠です。

 これはだから、高校生からお年寄りまで、幅広い年齢層にお薦めです。経済学の知識がなくても説明がわかりやすいので十分理解できる。ちゃんと頭を使わされるから、論理的思考力アップにも、認知症予防にも役立つし、一石三鳥ぐらいの効果はあるでしょう。アマゾンのランキングを今さっき見てみたら、79位になっていて、馬鹿売れしているのがわかる(今度出す僕の訳本もそれぐらい売れてくれれば嬉し泣きするのですが…)ので、アベノミクスがアホノミクス以外の何ものでもなく、日本の経済社会と日本人一般の暮らしがそのために破壊的損傷を受けて終わりになりかけていることを理解する人が倍増して、安倍退陣どころか、「奴を刑務所に入れろ!」という声まで出てくることになるかもしれません。尤も、安倍は人文学的教養が全くないのはもとより、法律学も経済学もまるでわかってない男なので、その「全面的無知」ゆえに「責任能力がない」ということになってしまうかも知れませんが(トランプと安倍というのはそのあたり、全くお似合いの組み合わせです)。

 そういうわけで良書なので書評を書こうかと思ったのですが、ご本人がブログに自己推薦文を載せているので、代わりにそちらを紹介しておくことにします。ぜひご一読を。

モノシリンの3分でまとめるモノシリ話

「緑のたぬき」に救われた「もり・かけ」安倍のお粗末

2017.10.24.15:51

 衆院選、議席がどうやら確定したようですが、安倍政権は選挙直前でも支持より不支持率の方が高かったのにこの結果で、オウンゴールの「小池サマサマ」が本音のところでしょう。自民大勝の「陰の功労者」が小池百合子であったことは間違いありません。まあ、彼女の「(民進議員を丸ごと)受け入れるつもりはさらさらない」「排除いたします」発言のおかげで、立ち位置の明確な立憲民主党が誕生し、大躍進を遂げたことはめでたいので、僕は別に怒ってはいないのですが、あそこまで嫌われなければ同じ右翼政党として自民票をもっと食って、自民の議席をあと五十ぐらい減らせていただろうにと、それは残念です。そうなると自民内部からも安倍の責任を問う声が高まり、彼の「3選」は完全に消えた可能性が高いのです。

 この点、安倍晋三の「悪運の強さ」は認めざるを得ないでしょう。敵と味方という違いはあるが、金正恩とトランプ(オバマと違って安倍と相性がいいというのはよくわかる)という、ロクでもない海外の二人の政治指導者に助けられ、今度は「もり・かけ」のピンチを新たな「悪党」、「緑のたぬき」こと小池おばさんに救われることになったのです。憎悪、バッシングの対象も、すっかり小池百合子に移った観がある。「初の女性首相」どころの話ではないので、都政運営も多難が予想され、何とかその任期を務め終えたところで、政治家としてはジ・エンドになってしまいそうです。最初のあの颯爽たる登場ぶりからは考えられない急転直下の落ち込みぶりで、諸行無常の鐘の音、ですかね。お遍路姿になって四国八十八ヶ所巡りをする小池氏の「密着取材」番組を、僕らはいずれテレビで目にすることになるかも知れません(民進の菅直人元首相も、そんなことしてませんでしたっけ? 彼が今回当選できたというのは僕には驚きでしたが、立憲民主党の災いとなるおそれがあるので、いい加減軽挙妄動は慎んでもらいたいものです)。

 今や「絶望の党」と化した「希望の党」が今後どうなるかは知りませんが、「小池のせいで負けた」という怨嗟の声が関係者の間には広がっているようなので、それも元をただせば「小池人気にあやかりたい」という浅慮からくっついたにすぎなかったのだから、現金なものですが、「小池党首」が売りになるどころかマイナスにしかならないとなれば、「小池外し」に動いたり、党を解体して別の党を作るなどの動きが出てくるでしょう。どのみち「プチ自民」にすぎないのだから、どうとでも好きにして下さいという感じですが、内紛が続いてニュースになることが多くなれば、選挙後も安倍自民を利することにしかならない。だからそれもほどほどにしてもらいたいと思います。

 大躍進で55の議席を獲得した立憲民主党は、山尾志桜里など無所属で当選した議員も取り込んで、60には達するでしょう。それはかなりのプレゼンスなので、共産・社民などとも協力しつつ、かつ世論にうまくアピールすれば、安保法制見直し、安倍自民の戦前回帰的憲法改正反対の世論を強化することができるでしょう。安倍は、「今年5月に『2020年の改正憲法施行を目指す』と発言したことについては『議論を活発化させるためだった』と説明(嘘つくな!)。『スケジュールありきではない』と語り、丁寧に議論を進める姿勢を示した」(毎日新聞)そうですが、これまでのようにロクな議論もないまま強行採決に突っ込むというようなことは断じて許すべきではないので、憲法改正問題でもしそれをやったら、安倍政権だけではなく、自民党自体が吹っ飛ぶ結果になるでしょう。今の日本はネトウヨや日本会議の天下ではないということを今回の立憲民主の躍進は示したと見ることができるので、彼らの活躍に僕は期待しています。

 一時「緑のたぬき」が話題を独占したとはいえ、「もり・かけ」問題も全然片づいていない。「アベの内輪鍋」や「ネトウヨ改憲そば」など食えたものではないということを、一般有権者によくわからせるような国会論戦をやり、マスコミもそのあたり、きちんと掘り下げた記事を書いてもらいたいものです。

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